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一ノ瀬志希「ママの気持ちになるですよ」
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1 :
◆GO.FUkF2N6
[sage]:2018/12/03(月) 17:40:31.55 ID:HUwosoqio
ゆっくり投稿していきます。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1543826431
2 :
◆GO.FUkF2N6
[sage saga]:2018/12/03(月) 17:44:41.36 ID:HUwosoqi0
✉
ショウノウ臭、ジャコウ臭、花香、ハッカ臭、エーテル臭、刺激臭、腐敗臭。
アームアって先生は「におい」ってたった3文字を、これだけ分類してたりする。
辞書をパラパラめくってみると、「匂い」と書けば好ましい香りのことを指し、「臭い」と書けば好ましくない香りのことを指す、なんて書かれてたり。
化粧品会社が加齢臭なんて新しい「におい」を発見してみたり。
どうやら人類が誕生してから付き合い続けている「におい」ってやつには、なかなかに奥が深いものらしい。
もしかしたら、あたしが大人になったときにはストレス臭、なんてのもあったりするのかも。
そんな取り留めのないことを思いついたのは、あたしの体を揺するものからにおいがしたからだ。
「起きなさい、志希」
このにおいのことは、もちろん知っている。
きれいで、優しくて、こわいときもあるけど、あたたかい。
どんな偉大な学者にだって分類できっこない、あたしの、居場所のにおいだ。
瞼を開けると、ママの優しい顔があたしを見つめていた。
そして……むむ。なにやらおいしそーな香りがする。
ハスハス。これは──。
「カレーライス」
正解、とママはおかしそうに笑う。
「さっき出来上がったばっかりよ。まったく、食い意地はっちゃって」
「カレーのにおいで起きたわけじゃないよ」
はいはい、とママは軽くあたしの頭を撫でたあと、カレーが置かれているテーブルの椅子に座った。
ほんとに違うのになー。
そんなことを考えながらあたしも椅子に座ろうとすると、テーブルの上にお皿がふたつしか置かれていないことに気づいた。
3 :
◆GO.FUkF2N6
[sage saga]:2018/12/03(月) 17:48:39.50 ID:HUwosoqi0
「パパは今日も帰ってこないの?」
ママは困ったような表情をする。
「最近忙しいみたいだから、しばらくは難しそうね」
さみしい、と悲しいにおいを発するママに、だいじょうぶだよと首を振って椅子に座る。
パパがお家にいたのはもう1か月以上前のこと。
今頃はたぶん、研究室でパンをかじりながら実験の結果でもまとめているんだろう。
化学に非凡な才を持っているパパは、皺も目立たない年齢で大学の教授なんてやってて、毎日試験管や学生のレポートとにらめっこしている。
そして。あたしもそんなパパの血を引き継いでいるみたい。
ギフテッド。
周りの子がヒーローごっこやかわいいお人形に夢中だったころ、あたしのおもちゃは化学式がびっしりと詰まった専門書だった。
酸と塩基が交わって、塩と水にメルヘンチェンジするように。
既知から未知が生まれるその在り方に、あたしの心は強く引き付けられたのだ。
「志希はすごいね」
暇つぶしに解いた院試の答案用紙を見せると、ママは大げさに喜んであたしの頭を撫でてくれた。
ママはあたしやダッドのように化学に精通しているわけでも、IQが180以上ある天才でもない。
ぶらぼー、と騒がれるようなギフテッドなんてなにひとつ持たない、どこにでもいる普通の女の人だった。
あたしが書いている化学反応式の構造なんて、きっと半分も理解できていなかったと思う。
それでも、ママはにこにこと笑ってあたしの話を聞いてくれて。
そんなママのおひざで眠るのが、あたしの日常だった。
4 :
◆GO.FUkF2N6
[sage saga]:2018/12/03(月) 17:50:19.70 ID:HUwosoqi0
「ママ! あたしも大人になったら、ママみたいなおかあさんになれるかな?」
ごはんを食べ終わったあと、ママのお膝に飛び乗ってそんなことを聞いてみた。
そうね、と顎に手を当て目を斜め上に向けながら、しばらく考え込んだあと、
「わからないわ」
やっぱり柔らかい笑顔でそう言った。
「賢い子だからパパみたいな学者さんになってるかもしれないし、こんなにかわいいんだもの。売れっ子のアイドルになって、モテモテになってるのかも!」
いつものようにあたしの頭を撫でたあと、
「あなたには無限の可能性がある。どんなことだってきっとできる。だからね志希」
ぎゅっとあたしの体を抱きしめて、囁くように言った。
「自分の好きなこと、やりたいこと、自由に楽しく生きなさい。そんなあなたを理解してくれる人はきっといるはずだから、ね」
5 :
◆GO.FUkF2N6
[sage saga]:2018/12/03(月) 17:57:11.87 ID:HUwosoqi0
✉
──おい、シキ
なにかにゃ? あたし、まだ寝てたいんだけど。
──おい、起きろしき。
まぁ、いいか。おやすみ。
「おい! 起きろってば、志希!」
がくがくと体を揺さぶられる。
にゃはは。
どうしたのキミ、そんな呆れてるにおいなんか出しちゃって。
それに……うん? なにやら知らないにおいが、彼の隣からひとつ。
ハスハス。ふんふん。
甘い香り。たぶん女の子、それも若い。もちろん人間のね、いちおー補足。
でも、なにかに邪魔されてはっきりとその正体がつかめない。
なんだろなんだろ。すごく気になる。
好奇心が眠気を上回った。
しょうがない、起きよっか。
6 :
◆GO.FUkF2N6
[sage saga]:2018/12/03(月) 17:58:30.29 ID:HUwosoqi0
瞼を開けてみると、見慣れた呆れ顔がそこにあった。
「おはよ〜プロデューサー。はぶあないすでー」
「いま会ったばかりだろうが! ったく、レッスンさぼんなよ。怒られるのは俺なんだぞ」
「にゃはは。だいじょーぶだいじょーぶ。トレーナーちゃんもいい加減慣れてきてるっぽいしねー」
ため息とともに呆れのにおいが濃くなった。
彼とのやりとりは退屈しのぎにちょうどいい。でも、今のあたしの興味は彼の隣にポツンと立っている小さな生き物にある。
視線を向けると、小さな体がビクッと跳ねた。
「その子はどーしたの? 誘拐でもしてきた?」
人聞き悪いこと言うな! というツッコミを無視して対象物の観察をはじめる。
ふむふむ。やっぱり見たことのない人間の女の子だ。
身長は目測125から130センチ。推定5〜6歳。性別メス。パッツンと切られた前髪。ゆらゆらと揺れる大きな瞳。
そして。
「ねえキミ、その格好暑くない?」
気温40度を超したと騒ぎになってる今年の夏に、なぜか着ぐるみを着ている。
かわいいうさぎの着ぐるみだ。
はっきりとにおいがわからなかったのは、これのせいだったんだねー。
見てるだけのどがカラカラになってくるけど、熱中症とか大丈夫かにゃ。
ゴホンとわざとらしい咳払いが、あたしの思考を引き戻した。
7 :
◆GO.FUkF2N6
[sage saga]:2018/12/03(月) 17:59:41.56 ID:HUwosoqi0
「志希。お前に頼みたいことがある」
なになにー、そんな真面目な顔しちゃって。
志希ちゃん、いやーな予感がするんだけど。
「しばらくの間、この子の世話をしてもらいたい」
「……」
……。
ふむ?
「なんだって?」
「いや、この子の面倒を見てほしんだけど」
「誰が?」
「志希が」
「レッスンの指導ってことかにゃ? 知ってると思うけど、あたしは教えるのとか苦手だよー」
8 :
◆GO.FUkF2N6
[sage saga]:2018/12/03(月) 18:01:44.76 ID:HUwosoqi0
あたしは振り付けとか覚えても、すぐにてきとーにアレンジする。
だって飽きちゃうから。
大枠の構造を理解してしまったら、あとはそのときの気分の赴くままに身を任せてしまう。
化学は理論を大切にするものじゃないのかって?
そこのキミ! 奇跡の薬って言われているペニシリンだって、フレミングせんせーの不注意から産まれた偶然の産物だよ。
実験なんてとりあえずやってみて、うまくいけばバンザイぐらいでオッケー。
アイドルだっておんなじ。なんとなーくやっていけば、なんとなーく結果はついてくるものなのだ。
なんて話をしてみたら、誰もがキミみたいにできるわけじゃないんだよこの天才娘め、ってアンニュイな息をつかれたけど。
「そうじゃない。いや、できればそれも頼みたいけどな」
ポンポンとその子の頭を撫でて続ける。
「この子の母親が長期の出張に行くことになったらしくてな。アイドルになることを条件にそのあいだ預かると社長が約束したんだと」
ふむふむ、もしかするとつまり。
「よーするにキミはその子のママが帰ってくるまで、一緒に暮らせって言ってるわけ?」
「そういうこと」
いやいや、神妙そうな顔で頷いているとこ悪いけど、納得したわけじゃないよ。
9 :
◆GO.FUkF2N6
[sage saga]:2018/12/03(月) 18:03:12.71 ID:HUwosoqi0
「寮に入れれば?」
「空き部屋がないらしい」
「じゃあ、プロデューサーが──」
「さっき志希が言っただろ。誘拐だの騒がれたらめんどくさいことになる」
「他の子は? 響子ちゃんなんていいママになると思うけど」
「いま夏休みだろ。学校が休みで長期のロケを入れやすいから、みんな忙しくてな。志希はたまたま外泊ありのロケが入ってなかったからこうして頼んでるんだ」
なるほど。とりあえず筋は通ってるように思える。
あくまで表面上は。
「あたしの性格、知ってるでしょ。志希ちゃん、飽きたら失踪しちゃうかも〜」
脅してるわけじゃない。
レッスンだろうとお仕事だろうと、おもしろいにおいが鼻をかすめれば、そっちへ吸い込まれてしまう。
猫のように気まぐれに生きていく、それが志希ちゃんなのだ。
あたしの視線を受け止めていたプロデューサーが口を開きかけたとき、
「おねーさんは、仁奈と一緒にいるはいやでごぜーますか?」
かぼそい声がそれを遮った。
10 :
◆GO.FUkF2N6
[sage saga]:2018/12/03(月) 18:04:40.85 ID:HUwosoqi0
「いやならいやと言ってくだせー。仁奈、迷惑だけはかけたくねーですから」
不安そうに揺れる大きな瞳にあたしの姿が映っている。
つんと鼻を刺激するものがあった。
あたしの、苦手なにおいだ。
「別にいやじゃないよー。でもほんとにいいの? あたしの部屋、物が散らかってるし、料理とかロクにつくらないよ」
「大丈夫でごぜーます。仁奈、お掃除は得意ですし、コンビニ弁当にも慣れてるですよ!」
いや、そんな得意げに胸を張られても。
子どものうちからそんなのばっか食べてたらこわーい病気になっちゃうよ。あたしが言えたことじゃないけどさ。
それはともかく、イロイロおもしろそうな子だし、退屈しのぎにはなるかもねー。
それなら、まず聞かないといけないことがある。
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