北条加蓮と過ごす夏

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

1 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 17:57:19.00 ID:KHJaryQg0

これはモバマスssです

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1543222638
2 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 17:58:54.99 ID:KHJaryQg0



 炎天下、つんざくような蝉の声。

 意図せず短歌となってしまった景色の向こうには、照り返された陽射しに溶けるコンクリートの群れ。
 ビルの窓が、道路が、そして何より遮る物なく降り注ぐ夏の化身が、ただひたすらこの一日を暑くしている。
 路上を走る車達も、心なしこの暑さにイラついている様に見えて。
 そんな、絵に描いたような夏の始まり。

 七月十二日、俺はポツリと呟いた。

「…………あっつ……」

 言ったところで涼しくなる訳では無いが、一言くらい愚痴ったって許されるだろう。
 それ程の暑さと、それ程の熱さと、あとそれ程の心地悪い汗。
 こんな事なら事務所の冷房が効いた部屋で麦茶片手にパソコンとにらめっこしていれば良かったと後悔する事約二秒。
 まぁそんな事アシスタント兼事務員の千川ちひろさんが許してくれなかっただろうなと内心で納得(諦念)してしまうまで後0秒。

 芸能事務所に勤めている俺は、二時間ほど前からこのクソ熱い炎天下の中をアリの様にひたすら歩き回っていた。
 目的はとても単純、スカウトである。
 ある程度の見た目の基準を満たしてそこそこ育ちの良さそうな女の子に声を掛けるお仕事。
 ぶっきらぼうにあしらわれたり警察を呼ばれかけるお仕事とも言う。

「そこのキミ、可愛いね。アイドルに興味あったりしない?」
「今時間ありますか? 私、アイドル事務所の者で今スカウトやってるんですが」
「アイドルどう? テレビ出れるよ?」

 実際自分の娘が見ず知らずの男にそんな風に声を掛けられていたら迷わず警察を呼ぶと思う、まだ未婚だが。
 警察が来るのを待っている間に罵詈雑言フルコースのおまけ付きだ。
 一応俺の勤めている事務所は業界内でも最大手クラスの、おそらくテレビを見ていれば一度は耳に挟んだ事くらいはあるであろう事務所なのだが。
 問題は、殆どの場合きちんとした自己紹介まで漕ぎ着けて名刺を渡すところまで辿り着けない事だ。

 更に言っておくと、俺もここまで砕けた口調のスカウトはしていない。
 今回は普段の『取り敢えず人数を増やす、手持ちの卵を増やす』為のスカウトでは無い。
 『新規ユニット(予定)のメンバーを確保する』為のスカウトなのだ。
 ならば事務所に既に所属しているアイドルに声を掛ければいいものを、と思ったし言ってはみたがどうやらそれは専務直々の意向という事で。

 と、言う訳で。
 今こうして、この暑い夏のど真ん中でせっせと自分内の基準をクリアする女の子を探しては、声を掛けて追い払われるのループを繰り返していた。
 ちなみにだが、ユニットの最終的な人数は四人又は五人。
 現時点では二人が確定していて、そのうちの片方である女の子は……
3 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 17:59:56.20 ID:KHJaryQg0

「…………暑い……暑いですよぉ……Pさぁん……」

 俺の隣でへちょっていた。

 佐久間まゆ、十六歳。
 元読モ現アイドルな女の子。
 ほんわかとした雰囲気で優しそうな感じの女の子。
 歌唱力とビジュアルはかなりのモノだが、体力に若干の難が有りそれなのに何故か今日こうして俺に着いて来た女の子。

 ……本当に、何故着いて来たのだろう。
 事務所を出る前は『うふふ、お伴しますよぉ』っと言う様なフンスッみたいな感じだったが、出てすぐ五秒でゾンビになっていた。
 可愛らしい格好が台無しである。
 それと一応貴女もアイドルなのだから少しは周りの視線や世間の視線等々に気を使って頂きたい。

「き、喫茶店でお茶にしませんかぁ……?」

「俺もそうしたいのは山々だが……」

 休憩する前にせめて、二人くらいには名刺を渡しておきたかった。
 流石に何の成果も無しに休むのは、こう、罪悪感と言うかなんと言うか。

「と言うか、どこも店が開いてないんだよな……」

「……うふふ……Pさぁん、向こうにオアシスが見えますよぉ……」

「ご先祖様が手を振ってそうだな」

「あら……Pさんのご先祖様にご挨拶しないと……」

 三途の川もこの暑さでは干からびてしまうだろう。

 駅前から多少は離れているが、それでも東京の割と都心部分。
 だと言うのに、視界に入った喫茶店が片っ端から閉店している理由はと言えば……

「帰省してるんだろうな」

「Pさんの帰省のご予定は?」

「聞いてどうするんだ?」

「まゆもご一緒しますっ!」

 なかなかにアクティブな子だ、突然元気になるなんて。
 ちなみに俺は八月の方で実家に帰る予定ではあるが、まぁ仕事の方次第でもある。

4 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:01:06.02 ID:KHJaryQg0


「……この際チェーン店でも良いので入りませんかぁ……?」

「…………だな、少し休もう。少しだ、そして休憩ではなく作戦会議だ」

 そうと決まれば話は早い。
 来た道を翻して駅前の方へと戻り、全国チェーンの喫茶店を目指す。
 贅沢は言わない、この際もうファーストフードのハンバーガーショップでも良い。
 この暑さを凌げて、涼しくて、冷たいコーヒーが飲めるのであれば。

 程なくして、目の前にMの文字で有名なハンバーガーショップが現れた。
 しかもなんと現在、無料でアイスコーヒーを配っていた。
 まるで今の俺たちの為に設えられたかの様なこのハンバーガーショップに、感謝の気持ちでいっぱいになる。
 流石にタダで居座ると言うのも胸が痛いので、適当にアイスなりシェイクなり注文するとしよう。

「佐久間さんは何にする?」

「まゆですっ」

「そんな商品あったか?」

「……佐久間さんじゃなくてまゆって呼んで下さいって意味ですよぉ……」

「俺はバニラシェイクで良いか、佐久間さんは?」

「まゆです!」

「サイズはどうする?」

「うふふ、Pさんのお好みを教えて貰えますかぁ?」

 会話が成立しない。
 年齢やIQか大きく開いているとそういった事が起こると言うが、この場合は何の数値がどうなのだろう。
 さて、ふざけてばかりでもいられない。
 レジは着々と近付いてきていて、そろそろきちんと注文を決めておきたい頃合いだった。
5 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:01:57.03 ID:KHJaryQg0


 ……筈だった。

「は? いや、だから塩抜きって言ったじゃん!!」

「えっ、あっ……えっと、すいません……すぐお作りするので……」

 俺たちの一つ前の女の子が、出てきたポテトに文句を言っていた。
 どうやら塩抜きを注文したのに塩がかけられていたらしい。
 俺としてはしょっぱい方が好きだから塩はガンガンかけて欲しい派だが、美容に気を使う女の子には色々とあるのだろう。
 店員さんも新人なのか、対応がかなり慣れてなさそうだ。

「え? この無料券使えない? いやだってちゃんと7/6〜7/12ってなってるじゃん!」

「それは、その……クーポンが今年のでは……」

「あ、ほんとだ……え、じゃあ250円? やっば、足りるかな……」

 しばらく時間が掛かりそうだ。
 従業員が少ないからか、レジは三つあるのに稼働しているのは一つだけ。
 このまま並んで待っていては、せっかく貰ったアイスコーヒーの氷が溶けて薄くなってしまう。
 …………ん?

「お金足りないんだけど!!」

「そ、そう仰られましても……」

「……いるんですねぇ、こういうお客さん」

 佐久間さんが耳打ちしてきた。
 ついでに距離をかなり縮めて来る。
 けれど俺は、今そちらに意識を向ける余裕が無かった。
 目の前でイチャモン付けながら財布の小銭を漁っている茶髪の女子高生をジッと見て……

「まったく、クーポンの期限くらい把握してから来店すべきですよぉ……それに高校生くらいなのに所持金が250円も無いなんて……」

「……よし」

「え? あ、あの……Pさん……?」
6 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:02:47.28 ID:KHJaryQg0


 これはきっと、またと無いチャンスだ。
 意を決して、俺は前の女子高生に話しかける。

「代わりに俺が払いましょうか?」

「は? 何アンタ、店内でナンパとか非常識にも程があるでしょ」

 ずばっと即断された。
 いや、自分でも分かっているけれど。
 ついでに言いたくは無いが、それは君が言えた事でも無いと思う。
 余りにも冷ややか過ぎる視線と店員の目が非常に胸に刺さるが、それでももう少しだけ粘ってみよう。

「ナンパとは違うんだが……取り敢えず俺たちも早く買いたいし、此処は払わせて貰えないか?」

「……ポテト一つで女子高生が買えると思ってるの?」

「三分話して興味が湧かなかったら俺たちが立ち去るからさ」

「…………まぁ、良いけど……何ジロジロ見てんの?」

 取り敢えず話は聞いて貰えそうだ。
 この子の分の支払いをすませ、ついでに俺と佐久間さんのシェイクも注文する。
 訝しそうに見ていた店員も、もう我関せずと言った様に流してくれている。
 こういう時だけはここが日本で良かったな、などと思ってしまったり。

 ポテトのMサイズとシェイクを二つ、そして貰ったアイスコーヒーをトレーに乗せて二階の客席へ。
 その間女子高生さんは、ひたすら怪しそうな目でこちらを睨みつけてきた。

「……ナンパするのに彼女連れってどうなの?」

「彼女じゃないから」

「Pざぁ゛ん……」

 隣の佐久間さんがビェッっているがスルー。
 いやでも良かった、見る人が見たら親子か援助交際だと思われていたろうに。

「……で、何? アタシかポテト食べ終わるまでに話済ませて」

 少しくらいは感謝の意を示してくれても良いんじゃないだろうか。
 まぁ怪しさ抜群な出会いで警戒するなと言う方が無理があるな。
7 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:03:47.94 ID:KHJaryQg0


 ……さて、と。
 おそらくこの子は、さっさと話を済ませないと本当に店を出て行ってしまうだろう。
 ならば、まどろっこしいやりとりは抜きだ。
 名刺ケースから名刺を取り出し、自己紹介をさっさと済ませる。

「美城プロダクションアイドル部門プロデューサーのPという者です」

「美城……プロダクション……? AVのスカウトなら引っ叩くけど」

「パンフレットや書類はあるが……調べて貰った方が早いな」

「あ、いい自分で調べる。アンタに任せて偽装サイト見せられても嫌だし」

 注意深くてよろしい事で。
 まぁこの手の詐欺や誘拐じみた事件は後を絶たないし、警戒するに越した事もないだろう。
 しばらくスマホで調べているうちに、だんだんと頷いたりへーなんて反応が出始めた。
 どうやら、美城プロダクションのサイトで知っている人物が見つかったのか。

「へー、子役の岡崎泰葉ちゃんとかモデルの高垣楓さんとかの事務所なんだ」

「有名どころだと、後は川島瑞樹とかな」

「えっ? ニュースキャスターの?!」

「前はな、今はウチの事務所でアイドルやってるんだ」

「……アンタ、ほんとにこの事務所に勤めてるの?」

「名刺に書いてある番号……いや、公式HPの番号に掛けて確かめてみるか?」

「んー、いいや。そこまで自信あるって事は嘘じゃなさそうだし」

 信じて頂けた様で何よりだ。
 ここまでで、どうやらこの子は完全に話を聞いてくれないという訳では無いと理解出来た。
 ポテトを摘みながらではあるが、こちらの話に興味を持ってくれている。
 ならば、後は本題を伝えるだけだ。

「……で、そんな大手事務所のプロデューサー様がこんな普通のJKに何の用?」

「それじゃ、単刀直入に……うちで、アイドル活動をしてみませんか?」

「…………は?」

 ……まぁ、そういう反応になるのも仕方ないと思う。

「えっ、アタシが? なんで?」

「なんでって……」

 アイドルに興味が無い訳ではないが、見るのと自分がなるのは違う。
 スポーツだってそうだろう。
 観戦が好きだからと言って、自分がその選手になりたいかと聞かれればそれは全くの別問題だ。
 やはり、多少の興味を示してくれたからと言って頷いては貰えないか……
8 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:04:22.37 ID:KHJaryQg0


「……興味あるかな? って思ったんだけど……不快な思いにさせてしまったとしたら申し訳ない」

 こちらも余りにも好き勝手話しすぎてしまっただろう。
 仕方ない、アイスコーヒー飲み終わらせてまたスカウトに戻るか。

「あ、ちょっとちょっと! 別にアタシ興味ないとは言ってないし……そうじゃなくて、なんでアタシなんかをスカウトしようとしたの? って事」

「んー……スタイル良いし、言いたい事ハキハキ言える性格っぽいし、顔も整ってて……」

「見た目ばっかじゃん、そんなんなら他にもごまんといたんじゃない?」

「いやそうそう居ないよ、君みたいな綺麗な子は」

「ふふっ、やっぱナンパじゃん」

「確かに、近しいところはある気がしてきた」

 笑顔も悪くない、ビジュアルも悪くない。
 きっとコミュ力も低くは無いだろう。
 けれど言って仕舞えば、この子は普通に『綺麗で可愛い』程度の女子高生だ。
 街中でこのレベルにお目にかかる機会は少ないにしても、オーディションを受けに来た子なら確かにごまんと居るかもしれない。

 ……では何故、俺はこの子に声を掛けたのだろう。

「……こう、一目惚れ……?」

「は? キモッ」

「いや違うな……この子に声を掛けないなんて勿体無いなって思ったんだよ」

「長年の刑事の勘ってやつ?」

「勘か……それは多分あると思う」

 とある別の事務所の社長風に言えば「ティンと来た」というやつなのだろう。
 以前少しだけお話しを聞かせて頂いた事があるが、「そういう出逢いは大切にしなさい」とも言っていた。
 だからきっと、俺はこの子に声を掛けてみた。
 ……いや、さっさと俺たちも注文したかったからという思いが無かった訳でもないが。

「……ふーん、アタシならアイドル出来そうって思ったんだ」

「あぁ、どうかな。勿論返事はすぐでなくても構わない、なんなら一度事務所の見学に」

 その言葉の先は、言う必要が無かった。

「ううん、やる。もう少し詳しい話を聞かせて貰って良いですか?」

 自分の勘も、なかなかどうして頼りになるものである。
 まるで人が変わったかの様に、目の前の女の子は此方へときちんと向き直った。
 信じていなかった訳では無いが……「ティンときた」なんていうアバウトなアドバイスも、強ち間違いではないのかもしれない。
 そんな風に、本当に上手くいってしまいそうな、そんな気がした。


9 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:05:07.81 ID:KHJaryQg0




「大まかな説明としてはこんな感じかな。気になったところとかはある?」

「…………」

「……どうした? 大丈夫?」

「話が難し過ぎて全然入って来なかった」

「……パンフレットと書類、後で渡すから」

 気付けば、アイスコーヒーの氷は溶けきっていた。
 そのくらいの時間を話して分かったが、どうやらこの子はそこまで頭の方は良くないみたいだ。
 その他の手応えは悪くない。
 体力は無いと言っていたが、それだってレッスンを続けていればどうとでもなるだろう。

 隣の佐久間さんは終始無言で、ずっとニコニコしながら座っていた。
 無言の圧力とも言える。

「それにしても……へー、そっちの子もアイドルなんだ」

「……うふふ、佐久間まゆです」

「知ってるよ。読モの子でしょ?」

「あら、昔のまゆの事を知ってくれているなんて嬉しいですっ。今は此方のPさんに担当して貰っているアイドルですが」

「……ふふっ、この人優しそうだもんね」

「……ええ、そうです。お店に迷惑を掛けるクレーマーすらにも優しく接してくれる素敵な人ですよぉ」

「確かに、この暑い中付き纏われても文句言わなそうだよね」

「…………うふふっ」

「…………ふふっ」

 なんだろう……この二人なら、相性良くやっていけそうな気がしてきた。
 初対面でこうして啀み合う人達の方が逆に長続きしそうだし。

「……何かあれば、名刺に書いてある番号に掛ければ俺に繋がるから」

「……クレーマー」

「……ストーカー」

 是非とも俺の話を聞いて頂きたい。
10 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:05:52.31 ID:KHJaryQg0


「えっと、明日にでもうちの事務所来てみるか? 土曜日だから学校休みだろうし」

「んー、悪いけど暫くの間は予定あるから……えーっと、来週の火曜日で良い?」

 あぁそうか、高校生はもう学校によっては夏休みか。

「もちろん、来れる時間が分かったらメールか電話を頼む」

「おっけー」

 最初は難航すると思っていたが、思いの外サクサク話が進んでくれた。
 元々、芸能活動に関して興味はあったのだろう。
 なら本当に、話し掛けてみて良かった。
 佐久間さんは未だにとても素敵な笑顔を浮かべたままだが。

「それじゃ……あー、えーっと……最初に聞くべきだったんだが、ナンパと思われるの避けたくて聞き忘れててさ」

「あ、名前? 北条加蓮で十六歳」

「待って待って今メモするから」

「んー、別に必要無いのに」

 そんな訳あるか、事務所に戻ってちひろさんに報告しなければならないのだから。
 とは言え思わぬ収穫だった。

「それじゃ、ちゃんと連絡するからね?」

「おう、信じて待ってるよ」

 そんな風に、そんな訳で。

 余りにも些細な偶然の積み重ねによって、北条加蓮という少女との出逢いが生まれた。


11 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:06:20.66 ID:KHJaryQg0




「おかえりなさい、プロデューサーさん、まゆちゃん」

「あ……おかえりなさい」

 涼しい事務所に戻ると、涼しい部屋で涼しそうにアシスタントのちひろさんと担当アイドルである緒方智絵里が涼んでいた。
 とても涼しそうだ。

「ゔぁぁ……あっっつかったですよぉ……」

「なら事務所で休んでれば良かったのに」

 ソファにぐでーんと沈み込む佐久間さん。
 そんな感じのゆるキャラかいた様な気がする。

「あ、ちひろさん! 聞いて下さい!!」

「どうしたの? 僕。 迷子ならお姉さんが一緒に親御さんを探してあげましょうか?」

「お姉さん」

「今どこに疑問を覚えました?」

 おっと、そうではない。
 せっかく良い知らせがあるのだから。

「実は……スカウト、上手くいったんですよ!」

「……えっ、4/1はとっくに過ぎてますが……」

「いえ冗談ではなく、本当ですって!」

「えー……世も末ですね」

「ちひろさんのその辛辣な感じ、嫌いじゃないですよ」

「あぁあ……智絵里ちゃん、今回は私の負けです。冷蔵庫のゼリーは譲ります」

「やった……!」

 そこまで信頼されていないと普通に傷付く。
 確かにここ数日……1.2週間か? なんの収穫も無ければそう思われても仕方がないか。
 言い訳すると、俺だって他の仕事があるしずっとスカウトしてた訳では無い。
 そして緒方さんは信頼してくれてたんだと思うと、少し目頭が熱くなった。
12 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:06:52.80 ID:KHJaryQg0


「それで、その女の子は?」

「今日からしばらく予定があるとかで、来週の火曜に見学に来るらしいです」

「……体良く逃げられたんじゃないですか?」

「そんな事は無いと思います。かなりズバズバ言う子だったんで、立ち去るなら話を聞く前にさっさと帰ってたと思いますし」

 あの子は絶対に来る、そんな予感があった。
 もちろんあの子がもし本気で興味が無ければ、さっさと帰っていた様な性格だと言うのもあるが。
 話を聞いてくれている時の彼女は、とても楽しそうだったから。
 自分がアイドルになってステージで歌って踊る、そんな煌びやかな光景を想像してくれていたから。

「……まぁ、プロデューサーさんがそう言うのであれば……」

「それで……えっと、その子はどんな子なんですか……?」

 どんな子、か……
 当然、今後一緒に活動していく事になるかもしれないとなれば気になるよな。

「クレーマーですよぉ」

「……え、えぇ……クレーマーなんですか……?」

 おい佐久間さん、悪印象を植え付けようとするんじゃない。
 いや、確かに初見の印象はクレーマーだったが。

「他には……ええと、期限の切れたクーポンを持ち歩いてましたねぇ」

「き、きっと物を大切にする子なのかも……」

 緒方さんの精一杯のフォローがとてもいじらしい。

「ちなみにプロデューサーさん、その子のお名前と年齢は?」

「ええっと……北条加蓮で十六歳って言ってましたね」

「わたし達と同い年なんだ……それなのにクレーマー……」

「おい佐久間さん、君のせいで緒方さんに変なイメージ付いちゃってるんだけど」

 ……まぁ、間違ってはいないのだが。
 改めて、この先が少しばかり不安になってきた。



13 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:08:10.51 ID:KHJaryQg0




『もしもーし、今晩はー。あれ? こういうのっておはようございますなんだっけ?』

 …………誰?

 月曜日の夜、そろそろ寝ようかと思っていたタイミングで知らない番号から電話が掛かってきた。
 佐久間さんだったら無視しようと思っていたが(彼女は毎晩掛けてきて遅くまでお話しさせられる為)、仕事関係だったらマズイと出たは良いものの……

「……どちら様でしょう?」

 どうやら相手は女の子のようだった。
 こんな時間にかけてくるなんて、デリヘル嬢が番号を間違えたか?

『あれ? この番号ってPさんの番号だよね?』

「間違いありませんが……どちら様でしょうか?」

『よかったー、これで違ってたら恥かくところだった』

「だからどちら様でしょうか?!」

 どうやら間違い電話では無いらしいが、それはそれとして誰なんだろう。
 俺の番号を知っている女子高生なんて、それこそ佐久間さんか緒方さんくらいな筈なのだが。

『じゃー問題! 私は誰でしょー?』

「分かんないからどちら様でしょうかって聞いてるんですけど!」

『…………ホントに分かんないの?』

 ……え、何そのこっちが悪いみたいな空気。
 がっかりするくらいならまず名乗って欲しい、電話のマナーだろう。

『ヒントは……うーん、ポテト!』

「……あぁ、あのクレーマーの……北条加蓮さんか」

『覚え方が腹立つ……でもま、覚えててくれたし良しって事にしてあげる』

 忘れる訳が無いだろう、あんな衝撃的(?)な出逢いであれば。
 それにあの日からずっと、これで連絡くれなかったらどうしようと不安になっていたのだから。
 初めてのスカウト、それ程にはこちらも不安だったのだ。
 ところでヒントがポテトってどうなのだろう。

「こっちもこんな時間に電話掛けられてしかもダル絡みとか、佐久間さんで慣れて無ければ怒ってたからな?」

『じゃあおあいこって事で。それでなんだけど、明日って私本当に見学に行って良いんだよね?』

「もちろん、時間の方は?」

『お昼の十二時くらいで大丈夫?』

「あぁ、明日は一日中事務所に居る筈だから。事務所入ったらロビーに俺の名刺見せてくれれば大丈夫な筈」

『おっけー、それじゃよろしくね?』

 ピッ、つー、つー、つー。
 通話を切られた。

 ……最初の数日は、ちひろさんに社会の常識講座を開講して頂いた方が良さそうだ。


14 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:08:55.03 ID:KHJaryQg0



「へー……事務所って言うから、もっとゴチャゴチャした場所イメージしてた」

「レッスンに収録にリラクゼーション、何から何まで出来る事務所だからな」

「ファーストフードは無いの?」

「下にカフェテリアと社員食堂なら」

「プールは? あとカラオケとか」

「然るべき施設で楽しんでくれ」

 火曜日、昼。

 たまたま運良くコンビニで買い物した帰りに北条さんと合流し、早速俺たちの部屋へ向かいがてら軽く案内をしていた。
 キョロキョロと興味津々に辺りを見回して、此方が言葉を言い切る前に次のモノへと興味が移る。
 うん、そう言った好奇心はとても大切だと思う。
 願わくば、もう少しで良いから此方の言葉に耳を傾けて頂きたい。

「うっわエレベータのパネル多……引っ越しの時とか大変そー」

「えっと……北条さん、で良い?」

「やだ」

「そんな返事あるか?」

 実に新しい。その返答は予想してなかった。
 呼び捨てにしろということか?
 それともちゃん付けとか?
 はたまた、様とか氏とかにするべきだったのだろうか。

 ……それはそれとして、改めてちひろさんには色々と苦労かけそうだなと思ったり。

「なんかよそよそしくない?」

「ほぼほぼ初対面だぞ俺たち」

「確かに。二度目ましてだね」

「その挨拶も随分と斬新だな」

「心残りってやつ?」

「それは残心」

 それもまた違う意味な気がするが。
 で、なんとお呼びすれば良いのだろう。
 部屋に入って他のみんなに紹介する前には決めておきたいところだ。

「加蓮で良くない?」

「加蓮がそれで良いなら」

「お、ナチュラルに呼んでくるね。学生の頃はモテた?」

「生まれてこのかたイコール年齢だぞ」

「それイコールじゃない人いるの?」

 さて、どうやら加蓮と呼べば良いとのことなので加蓮と呼ぶ事にしよう。
 ……佐久間さんに色々と言われてしまいそうだな、などと。
15 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:09:39.47 ID:KHJaryQg0



「ここが俺たちの部屋だ。扉を開ければ、君は芸能界に足を踏み入れる事に」

 ガチャ

「おはようございまーす」

「……戻りました、ちひろさん」

 部屋に戻ると、デスクワークしているちひろさんと、冷たいお茶を入れて待っていた緒方さんと、ソファで踏ん反り返っている佐久間さんが居た。
 ……佐久間さんはどうしてそうなっちゃったんだろう。

「あ、初めまして。ええと……北条加蓮ちゃん、でよろしかったですか?」

「うん、初めまして。へー、ここも綺麗な部屋だね」

 再びキョロキョロと部屋を見回す加蓮。
 確かにこの部屋も、ザ・事務所という感じは薄いかもしれない。
 おそらくもっとデスクが並んでゴチャゴチャした場所を想像していたのだろう。
 昔はどうだったか知らないが、今時の芸能事務所は割と小綺麗な部屋が多いのだ。

「智絵里ちゃんとまゆちゃんがいつもお掃除してくれてますから」

「あ……は、初めまして。緒方智絵里です」

「初めまして、北条加蓮だよ」

「…………ギャル?」

「そ、イケイケキャピキャピでナウでヤングなギャルだよ」

 何も言うまい。

「……まゆへの挨拶が済んでませんよぉ」

 ソファで踏ん反り返っている佐久間さんが口を開いた。
 長老なのか君は。

「ねぇPさん、ちょっと聞きたい事があるんだけど」

「どうした加蓮」

「……か、加蓮……? 名前呼びの呼び捨て……随分な急接近ぶりですねぇ、いつから二人はそんな親密な間柄になったんですかぁ……?」

「別に私たちの関係なんてあんたには関係なくない?」

「まゆですら名前で呼んで貰えてないのに! ハワイと日本ですら毎年8cmしか接近しないのに! 不公平ですよぉ!!」

「ま、昨日二人で熱い夜を共にしたからなんだけどね」

「……Pざぁ゛ん……」

「通話な、通話。それに五分足らずだし」

 余りにも会話が進まない。
 ちなみにその五分足らずの通話の間に、佐久間さんからは着信が三件あった。
 というかこの二人、随分と仲良くなるのがお早い事で。
16 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:10:29.01 ID:KHJaryQg0


「不公平です! まゆも佐久間さんじゃなくてまゆ呼びを要求します!!」

「……じゃあまゆで」

「……うふふ……加蓮ちゃんは今回限り特別に、その成果を認めて不敬罪を見逃してあげますよぉ」

 クネクネしている佐久間さんはさて置き、そろそろ話を進めさせて貰わないと。
 このままでは日が暮れてしまう。

「……プロデューサーさん……だったら、その……わたしだけ苗字呼びは仲間外れみたいだから……」

「……智絵里って呼ばせて貰うよ」

「だっる、何この茶番。話進めてよPさん」

「加蓮がそれを言うのか」

「ゴホンッ!」

 ちひろさんのワザとらしい咳払いとジト目が痛い。

「では加蓮ちゃん。軽くプロデューサーさんから話は聞いていると思いますが、おそらく抜け落ちてる点があると思いますのでもう一度私から説明させて頂きます」

 それは非常に助かる。
 ちひろさんの方が契約内容を上手く噛み砕いて説明してくれるだろう。

 それからしばらく、加蓮はちひろさんの業務形態や事務所のシステム等に関する説明を受けていた。
 一応先日俺が説明してはいるのだが、多分全部を一回で理解は難しかっただろうし。
 それと後は、本人の同意を得た後に親御さんの同意書も頂かないと。
 実家暮らしなのか分からないが、一度お越し頂くかこちらから伺うかしよう。

「後は此方の書類に目を通し後サインして頂いて……の前に、もう少し事務所を見学しますか?」

「あ、良い? レッスンがどんな事やってるのか見たいかも」

「……それと加蓮ちゃん、敬語でお話ししませんか?」

「えー、もっと砕けてた方がお互い楽じゃ」

「ふふ、加蓮ちゃん? 敬語でお話ししましょう?」

「……はい。そうさせてもらいます」

 流石ちひろさんだ、笑顔のままなのに圧力が凄い。
 加蓮も背筋がピンッとしたし、やはりちひろさんに任せて大正解だった様だ。

「うふふ、うふふふふ」

「うるさいリストバンド」

「これはリボンですよぉ……」

「……プロデューサーさん、加蓮ちゃんの案内をお願いしても良いですか?」

「勿論です。それじゃ、レッスンルームから覗いて行くか」


17 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:11:01.75 ID:KHJaryQg0



「ワン、ツー! ワン、ツー! はいそこでターンッ!」

「……うっわ……疲れそー……」

 加蓮と並んでレッスンルームを見学。
 ルームの中ではトレーニングウェアを着たアイドル候補生達がトレーナーさんのしごきを受けて汗だくになっていた。
 その中には佐久間さ……まゆや智絵里も居る、筈。
 居た、壁にもたれかかって潰れてた。

「これ毎日やるの? 私体力無いし努力とか嫌いなんだけど」

「毎日じゃないさ。あと努力が嫌いとか他の人には言うなよ?」

「えー、でもほらよく言うじゃん? 素直な子程可愛いって」

「加蓮は十分可愛いからもう少し取り繕おうとしてくれ」

「うっわ、言ってて恥ずかしくないの?」

 恥ずかしく無い訳ではないが、慣れた。
 アイドルを素直な言葉で褒めるスキルは、プロデューサーやマネージャーをやっていれば必須なのだから。

「ほう……素直な子程可愛い、か。一つ勉強になった」

 かつん、かつん。

 気付けばトレーナーさんが、レッスンを小休止しトレーニングをさせて此方に近付いて来ていた。
 その表情には満面の笑みが張り付けられている。
 このタイプの笑顔は良く知っている。
 ちひろさんがよく俺に対して向けてくる笑顔だ。

「見ない顔だな……新人か?」

「北条加蓮で〜……です。はい、新人です」

「成る程な……君の様な新人は大歓迎だ」

 笑顔と仁王立ちの相乗効果でとんでもない威圧を放っている。
 金剛力士像あたりと並べても見劣りしないだろう。
 となりの加蓮が(やば、やっちゃった……)という表情をしている。
 残念ながら、俺では助け舟は出せなさそうだ。

「……ところで、私は君から教えを受けたが……まだ私からのお返しが出来ていないな。そうだ、良い機会だし君に努力の素晴らしさを教えてあげよう」

「えっ、いや別に……きょ、今日は見学だから」

「だったら尚更、わざわざ見学だけで終わらせるのは申し訳ない。さぁ、身体をほぐせ。君の様な素直な子なら血反吐を吐いても可愛く見えるだろうからな」

「トレーニングウェアが……」

「貸出用くらいある。他に言い訳はあるか?」

 
18 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:11:51.18 ID:KHJaryQg0



「ふふ……楽しい……努力って素敵……流した汗は美しい……」

「大丈夫か……?」

「大丈夫な様に見える?」

「大切なのはどう見えるか、ではなくてどう見られたいかだからな」

「……ふふっ、三途の川が見える!」

「帰って来て」

 体験レッスン(しごきとも言う)が始まって60分、床にはかつて加蓮だったものがへばりついていた。
 60分なら体育の授業+休み時間分程度と思われるかもしれないが、その教師があのトレーナーさんとなると話は全くの別物だ。
 以前俺もまゆと智絵里に誘われて一度だけ受講させて頂いたが……あれおかしいな、その時の記憶が無い。
 きっと楽しかったのだろう、翌日の土曜はまるまる寝て過ごした。

「……しんど過ぎ。私これアイドル無理かも」

「いつもそんなにしんどい訳じゃない、初回はトレーナーさんも気合入るからな」

「次からはもっと楽?」

「…………楽しいと思うぞ」

 まぁでも、だんだんと体力がついて身体も動く様になるだろう。
 誰だって最初はそんなものた。

「でも凄いね、みんなレッスンについてってるの」

 加蓮の視線の先には、何度も何度もステップを踏んでは跳ねてを繰り返す女の子達。
 動きが遅かったり失敗って動きが止まった子には、すかさず怒声が飛んでいる。

「目標があるからな、その為にみんな頑張ってるんだよ」

「アイドル?」

「だろうな、このレッスンルームに居るって事は」

「ふふっ、プロデューサーさんも?」

「揚げ足を取るんじゃない」

 どうやら軽口を叩く余裕は戻ってきた様だ。
 なんだ、言うほど体力がない訳じゃないじゃないか。

「動けそうなら、他も見学してくか?」

「うん。あ、体験レッスンとかは結構だからね?!」

 努力の素晴らしさとトレーナーさんの恐ろしさ……優しさを教えて貰った様だな。

 トレーナーさんにお礼を言って、レッスンルームから抜ける。
 それからボイスレッスンをしている部屋を覗いたり、エステルームを覗いたり。
 やけに食堂にポテトがあるか気になるらしくそちらも覗いたが、残念ながらポテトは既に売り切れだったり。
 おそらく今日一日で一番の絶望顔だった。

「さて、他に見たいところは?」

「うーん……あ、所属してるアイドルのライブ映像とか観れる?」

「もちろん、それじゃ部屋に戻るか」

 ちひろさんに頼めば、うちに所属しているアイドルであれば全員のライブ映像を観させて貰えるだろう。
19 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:12:29.86 ID:KHJaryQg0


 部屋に戻ると、まだまゆと智絵里は戻って来ていなかった。

「あら、お帰りなさい。如何でしたか?」

「……努力の素晴らしさを教えて貰いました」

「……あぁ、成る程」

 ちひろさんの苦笑い。
 どうやら察した様だ。

「あ、ちひろさん。加蓮がライブ映像を観たいそうなんですが用意出来ますか?」

「勿論ですが……どの子のライブが良いですか?」

「んー……せっかくだし、あの二人が出てるのにしよっかな」

 あの二人、とはまゆと智絵里の事だろう。
 了解しました、と笑ってちひろさんは一枚のDVDを出してくれた。
 そのまま再生機を起動してセット。
 加蓮とテーブルを挟んでソファに座り、テレビをつける。
 
 ……あぁ、この時のか。
 俺、観たら感動で泣きそうだな。

「全部観るのは長いだろうし、まゆと智絵里の出番のところだけで良いか?」

「おっけー。あ、それと冒頭だけ観てもいい?」

「もちろんだ」

 画面に映し出されているのは、まだライトアップされておらず暗いステージ。
 けれどもう既に、集まったファンの熱気が伝わって来た。
 開演を今か今かと待つ思いが観ている此方まで伝わってシンクロする。
 加蓮も食い入る様に画面を見つめていた。

『長らくお待たせしましたっ! まもなく開演ですっ!!』

 うぉぉぉっ、っと会場全体から歓声が上がる。
 まばゆい程に照らされるステージ、振り回される色とりどりのサイリウム。
 笑顔で入場するアイドル達に、尚更湧き上がる会場。
 喝采の拍手で迎え入れられ、早速一曲目が始まった。

「…………すご……」

「凄いだろ」

「……うん。凄い」

「だろ」

 語彙力は現在休暇中。
 おそらく持ち主の俺より高頻度で休みを取っている。
 見れば、加蓮が曲のリズムに合わせてつま先を振っていた。
 そしてあっという間に一曲目が終わり、自己紹介に入る。

「……凄くない?」

「凄いだろ」

「……うん、凄い」

「だろ」
20 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:12:59.49 ID:KHJaryQg0

「あの……その会話、さっきもしてた様な……」

「あらあら、懐かしいですねぇ」

 まゆと智絵里がレッスンを終えて戻って来ていた。
 そのままソファに着いて、四人でテレビを囲む。
 デスクで作業していたちひろさんも手を止めて。
 少し早送りして、智絵里とまゆが二人で歌っている場面まで飛ばす。

『うふふ……忘れられない日にしましょうね、皆さん?』
『智絵里です……! いきます!』

 スポットライトは二本の光、照らされた先に二人のアイドル。
 最高の笑顔でマイクを持って、曲が流れるのを待っている。
 ……もう泣きそうになってしまった。
 あのステージに二人が立つまでの日々を、共に過ごして来たのだから。

「……なんでわたし、自己紹介したのかな……」

「Pさぁん! まゆですよぉ!!」

「うっさい! 今いいとこなんだから黙ってて!」

 一瞬静かになった会場に、曲のイントロが流れる。
 それと同時に、爆発したかの様に再び盛り上がる。

『今振り向かせてあげるっ、パステルピンクな罠で!』
『応えてね "Be my Darling!" 連れてくよ 未知の世界へ』

 曲名は『パステルピンクな恋』

 佐久間まゆと緒方智絵里が、二人で初めて歌った曲。
 ピンク色のサイリウムが会場を埋め尽くし、まるで桜吹雪の様に揺られ続ける。
 そこからは誰も言葉を発さず、ただ黙って二人のアイドルに魅入っていた。
 サビに入る瞬間、思わずサイリウムを持ってもいないのに両腕を振ろうとしてしまった程だ。

『『ここに来て "Be my Darling!" 抱きしめて心まるごと LOVE YOU』』

 二人が歌い終える。
 それと入れ替わる様に巻き起こる拍手の嵐は、俺と加蓮とちひろさんからも発されていた。

「如何でしたか? 加蓮ちゃん。これがアイドル佐久間まゆです!」

「…………すご……」

「凄いだろ」

「……うん。凄い」

「だろ」

 脳死していると思われてしまうかもしれないが、本当に凄かったのだ。
 既にマイクは下ろしている二人には、それ程までに心を掴んで離さない『アイドル』だった。
21 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:13:35.39 ID:KHJaryQg0



「……みんな、楽しそう」

「ファンの皆さん、遠くから来てくれた人もいるから……その分、喜んで貰えたら良いな、って……」

 智絵里の言葉に、目頭が熱くなってくる。
 ちひろさんは作業を諦めてお茶を飲んでいた。
 
「……智絵里、だよね? どうしてアイドル始めようと思ったの?」

「えっ? わ、わたしは……その、変わりたかったから……」

「変わる? 何かに?」

「えっと……自分を、です。わたし、引っ込み思案で……そんなわたしでも、変われたら良いな、って」

 ティッシュが足りない。

「へぇ……そっか」

「まゆには聞かないんですかぁ?」

「ライブ、凄かったじゃん」

「うふふ、加蓮ちゃんもいずれあの場所に立つんですよ?」

「そっかー……私も、立てるのかな」

「そこは加蓮ちゃん次第じゃないですかぁ? Pさんと、勿論ユニットを組んだらまゆと智絵里ちゃんも一緒ですから」

 加蓮にも、きっと憧れはあるのだろう。
 私も立てるのかな、と、そう呟いた加蓮の表情はまるでずっと持ち続けた夢を眺めるかの様で。
 彼女にもまた、ステージに託す願いがあって。
 だったら、俺のやるべき事は一つ。

「……ところで加蓮は、何かそういった目標とかはあるのか?」

「……うーん、気が早いって言われちゃうかもしれないけど……」

 そうだねー、なんて天井を見上げてから。
 ふふっ、っと微笑んで。

「希望をお裾分けしてあげたい」

「ファンに?」

「ううん、一瞬でも見てくれた人全員に。私、昔ちょっと色々諦めててさ……そんな私にも希望をくれたのが、テレビの向こうの『アイドル』だったから」

 ……素敵な願いだ。
 必ず、叶えさせてみせる。

「あのー、加蓮ちゃん。水を差す様で申し訳無いんですが事務的なお話をして大丈夫ですか?」

「あ、書類の記入とか?」

「その辺りです」

 それからまた、ちひろさんが加蓮に記入事項や記入欄を説明し始めた。
 さて、俺もそろそろ片付けなきゃいけない書類を……

「……あ、ちなみに私家ないんだけど」

「「「「は?」」」」

22 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:18:07.58 ID:KHJaryQg0



 ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ

 目覚ましのアラームで目を覚ます水曜日。
 冷房は既にタイマーで切られ、少しずつ暑くなってきた部屋に汗をかく。
 これは一つ目にセットしてある六時半のアラームだから、まだ後三十分は眠れる。
 そしたらシャワー浴びて朝食を……

 ゴンッ!

「いてっ!」

 寝返りを打って床に叩きつけられた。
 寝相は悪くないと思っていたのだが、どうやらベッドのかなり端の方で眠ってしまっていた様……

「……あれ? ソファ?」

 まだぼやける目を擦りながら立ち上がれば、そこにベッドは無くソファが置いてあった。
 なんで俺はソファで寝ていたんだ?
 昨夜お酒を飲んだ記憶は無い。
 記憶が飛ぶ程酒を飲むなんて事は、流石に火曜日にはしないだろう。

 ……まぁ、いいか。
 疲れていて、シャワーを浴びてソファで寝てしまったのかもしれない。
 そういった事が過去に無かった訳ではないし、その線が濃そうだ。
 なら、寝室行って後三十分はベッドで良質な二度寝を貪るとしよう。

「…………げっ」

 寝室のドアを開けば、中から冷たい空気が流れ出て来た。
 静かにだが、エアコンが動いている音がする。
 ……冷房が、かかっていた。
 そんな……一晩中、誰も居ないのに付けっぱなしにしてしまったのか。
 
 実際一晩程度なら大した電気代にはならないが、精神的なダメージが大きい。
 別に関係ないのにちひろさんに説教されそうだ。
 とは言え、今は多少好都合。
 一から部屋を冷やす必要は無くなったし、三十分程度なら今切って丁度良いくらいの温度で二度寝を楽しめる。

 さて、エアコンのリモコンは何処だろう。
 部屋の電気をつけて……
23 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:18:54.28 ID:KHJaryQg0



「……………………は?」

 寝起き早々度重なる衝撃(そのうち一つは物理的な)の連続に、遂にに俺は言葉を失った。

「……んん……電気消して……」

 部屋に、女の子が居た。
 普段俺が寝ているベッドの上で、女子高生くらいの女の子が眠っていた。
 電気を消してもう一度つける。
 女の子は居なくなっていたりしてくれなかった。

 ……デリヘル?
 いや、なんでこんな時間まで居るんだ。
 というかどう見ても女子高生だよな?
 …………誘拐? 強盗? 空き巣?

 警察を呼ぶべきだろうか。
 けれどもし俺が誘拐した子だった場合、俺が逮捕されてしまう。
 そうでなくとも、この子が『この人に誘拐されたんです!』と言えば、裁判で俺に勝ち目は無いだろう。
 いや、流石に俺が本当に無意識のうちに誘拐を行なっていたとしたら自首するが。

「ふぁぁあ……電気消してって言ってんでしょ……っ!」

「いやお前誰だよ!」

「っ?! アンタ誰?!」

「こっちのセリフだ!!」

 ……あぁ、叫んだおかげで目が覚めてきた。
 それと並行して、段々と昨日の記憶が蘇る。

「「……思い出した」」

 女子高生と声が重なった。
 肌を重ねていたとしたら大問題だが、その心配は無さそうだ。

「……おはよ、Pさん」

「……うん。おはよう加蓮」

 その子の名前は、北条加蓮。
 色々あって(というよりも無くて)、今日から暫くの間だけ同棲する事になった女の子だった。


24 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:19:38.68 ID:KHJaryQg0




「……あ、ちなみに私家ないんだけど」

「「「「は?」」」」

 響いた声は四人分、綺麗に重なり四方から加蓮へと向けられた。
 当たり前だろう、この反応は。
 女子高生なのに家が無い?
 だったら今までどうやって暮らしてきのだ。
 
「……詳しい事情を教えて頂いても大丈夫ですか?」

 かなりデリケートな事情を予感し、ちひろさんが丁寧にマイルドに尋ねにいった。

「うーん……あ、家って言うのは私が住む場所って意味ね?」

「いえ、それは分かってますから……」

 誤魔化した、という事はあまり話したくは無い内容なのだろう。
 加蓮の事だから家という単語の説明を本気でしている可能性もあるが。

「今まではどうやって……実家暮らしだったんですか? それとも一人暮らし?」

「元々は実家に暮らしてたんだけど……ちょっと色々あって、今は一人でね。それでここしばらくは……友達の家とかネットカフェとか」

 色々あって、の方は今は良いだろう。
 それから一人暮らしをしていて、家賃を払えなくなったりしたのだろうか。
 だとしたら、ポテト代すら支払えないのも頷ける。
 土曜〜月曜間はバイトでもしていたのか。

「色々……」

「……話さなきゃダメ?」

「……いえ、大丈夫です。こちらで寮のお部屋を用意出来ますから」

「正直、寮代もきついかも」

 まぁ、ポテト代すら支払えないんじゃそうだろうな。
 寮の家賃システムがどうなっているのか詳しくは知らないが、いくら大手の事務所とはいえ無料という事は無いだろう。
 加蓮だけを免除にするなんて、そんな事したら完全無償化しなければならなくなる。
 何かしらの解決策は無いのだろうか。

 金銭面の問題であればちひろさんにお任せしたいところだが……

「流石に出世払いと言う訳には……状況からして、ご両親にお支払いして頂くのも難しそうですし……」

「同意書のサインは貰えるだろうけど、支払いとかは絶対無理」

 家賃の支払いを少し先延ばしにして貰って、給料が入ってから……
 それも難しいだろうな。
 そもそも、こう言ってはアレだが駆け出しアイドルがそれだけで稼げる額なんてたかが知れている。
 レッスンの月謝等は発生しないが、それでも寮代プラス生活費までをとなると……

 というか本当に、今までどうやって生きてきたんだ。
25 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:20:44.56 ID:KHJaryQg0



「……あ、ねぇPさん。私、今すっごく良いアイデアを思いついたんだけど」

 ピコーン! と頭上にエクスクラメーションマークが見えそうな程の笑顔で、此方に向き直る加蓮。
 正直嫌な予感しかしない。

「法に触れない程度で頼むぞ」

「こう見えても私けっこー身持ち堅いよ?」

 いや売春を疑った訳では無く。

「Pさんちに住ませてよ」

 売春だった。

「ダメ?」

「ダメに決まってんでしょうがですよぉ!!」

 最初に反応したのはまゆだった。
 いや、おそらくこの場に居る全員が同じ感想だったとは思うが。
 頼んだまゆ、正論で説得してくれ。
 なんだかアイドルがしてはいけない気がする般若の様な表情で、まゆvs加蓮の第一ラウンドが始まった。

「ズルいです! まゆですらお伺いした事無いんですよぉ?!」

「すれば良いじゃん」

「…………確かに。Pさぁん、まゆPさんのお家に行ってみたいですっ!」

 一発KO、決まり手『すれば良いじゃん』。
 五秒の熱戦の末に勝利を収めたのは加蓮だった。

「……まゆちゃん、わたし達アイドルなんですよ……?」

 俺が言いたかった事は智絵里が代弁してくれた。
 アイドル家に招いてすっぱ抜かれて破滅エンドなんて迎えたく無い。
 ただでさえ君は俺が外出する時着いてくるのだから、決定打になる様な事だけは避けて欲しい。
 そして、それは当然加蓮にも当てはまる。

「加蓮ちゃんもですよ。聞いた事くらいはあると思いますが、アイドルにそう言った相手がいると思われてしまうのは……」

 ちひろさんが行った。
 これなら、上手く説得してくれるだろう。
26 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:22:19.80 ID:KHJaryQg0



「え、でも私まだデビューしてないし」

「……それもそうですね……」

 ……何やら雲行きが怪しくなってきた。

「デビュー前のただの女子高生が誰と付き合ってようが問題無いでしょ?」

「だそうです、プロデューサーさん」

 マズい、ちひろさんまで敵に回ってしまった。
 絶対『余計な出費等々を考える必要が無くなった』とか考えてる。
 ……仕方がない、どうやら俺自身がきちっと断らなければならない様だ。
 そもそも本来そうするべきなのだが。

「なぁ加蓮、年頃の女の子が男性の家で暮らすなんて良くないだろ。危ないし、倫理的にも社会的にも」

「え、何? Pさんそういう事するの?」

「しない、絶対に」

 自分がスカウトしたアイドル候補に手を出してクビとか、そんな事俺が望む訳ない。
 こう見えても、この仕事に誇りを持って臨んでいるんだ。

「なら良いじゃん」

「……なんでそこまで俺の事信頼出来るんだ?」

 まだ会ってほんと数日、回数にすればたったの二回。
 なのに何故、彼女は俺の事を信頼しきっているんだろう。
 詐欺か? ……いや、その線は薄そうだが……
 それとも実は格闘技を嗜んでいて、もし襲われても一方的に蹂躙出来る自信が……そんな奴がダンスレッスンでバテる訳ないか。

「Pさんが仕事に向ける熱意は本物だって分かるし、だったら絶対私に手を出さないでしょ?」

「……加蓮は嫌じゃないのか?」

 信頼してくれているのは有難いが。
 それでも、まだ会って間もない男性と暮らす事に抵抗は無いのだろうか。

「最近のJKだしそんなもんじゃない?」

「最近の子は進んでるなぁ……」

「…………ずっと一人で居るよりは、誰でもいいから誰かと居たいし……」

 あ、勿論面白い人に越した事は無いけどね、なんて笑う加蓮。
 その言葉と口調は、十六歳の女の子とは思えない程の重さを纏っていた。
27 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:22:59.18 ID:KHJaryQg0



「……で、ダメ? どうしてもダメって言うなら、24時間営業のファーストフード店にでも居座るけど」

 ……あぁ、そうか。
 これ、俺に勝ち目は無いやつだ。

 住居を用意しなければ、加蓮はうちの事務所に継続して通えない。
 それは即ち、手放す事に他ならない。
 所属して欲しいのであれば、此方は住居を用意しなければならなくて。
 いや、そもそも宿無しの女の子を再び放り出すなんて俺には出来ない。
 
「……ワガママ言ってるのは分かってるし、実際そこまでして貰う必要なんて無いんだけどね」

 本来、そんな事は許されない。
 そこまでして彼女に拘らなくても、人材だけならいくらでも手に入る。

 ……それでも。

「……ちひろさん。加蓮のデビューまでに、一緒に解決策を探して下さい」

「勿論ですが……それはつまり……」

「……加蓮。そっちは構わないんだな?」

「……えっ、本当に良いの……?」

 俺は、見たかった。
 ステージで輝く、彼女の姿を。
 信じてみたかった。
 有り得ない程の偶然によってもたらされた、この出会いを。

 だったら、別に俺は構わない。
 広めのマンションだから、住人が一人増えた所で問題は無い。
 一人分の生活費くらい、大して変わりはしないだろう。
 だから、大丈夫だ。

「あぁ。これからよろしくな」

「……うんっ、よろしくね!」




28 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:23:37.14 ID:KHJaryQg0



 ーーそんな感じで、一緒に暮らす事になったのだった。

「はぁ……最っ悪、寝顔見られるとか」

「諦めろ、一緒に住むとはそういう事だ」

「朝ご飯まだ?」

「家主に対してそこまで強気に出れるの素直に凄いな」

 けれど何故か強気に言い返す事は出来ず、結局俺が朝食を作る事になった。
 冷蔵庫に大した食材は入っていないからインスタントの味噌汁と卵焼きくらいしか作れないが。

「加蓮は朝シャワー浴びる派?」

「その日の気分、今日は良いかな。Pさんは?」

「浴びる派だ。リビング暑くて汗かいてるだろうしな」

「それじゃ後は私が作ってあげるから。お味噌汁にお湯入れといてあげる」

「冷めちゃう」

 シャワーを浴びながら、俺は考えた。

 もしかして、俺はとんでもない奴を拾ってしまったんじゃないだろうか。
 なんとなくだが、手のかかる妹ってこんな感じなんだろうな、なんて。
 というか女の子と二人暮らしって、落ち着いて考えるとやっぱりマズかった気がする。
 正直この先上手くいくか不安で仕方がない。

「Pさんなら今……え、私? は? じゃあ逆に聞くけど誰だと思う?!」

 浴室から出ると、加蓮が誰かと話す声が聞こえてきた。
 おそらく電話でもしているのだろう。
 俺の事を話しているから、俺の事を知っている人物で。
 あぁ、まゆが俺にモーニングコール掛けて来たんだろうな。

 ……加蓮、勝手に人の電話に出るな。
 改めてこの先が不安になった。

「うん、うん! そう、留守電サービスだよってんな訳あるかーい! あ、ちなみにPさん汗かいてシャワー浴びてるとこ」

「おい加蓮、勝手に人の着信に出るんじゃない」

「あ、今上がったとこ。かわろっか?」

 はい、とスマホを渡された。
 表示された名前は……やはりまゆだったか。

「もしもし、おはようまゆ」

『Pさぁぁんっ! おはようございます!! 今の女は誰ですかぁ?!』

 一瞬本気で通話を切りたくなった。
 ボリュームが大きすぎるのと、朝からカロリーが高過ぎる。

『しかも! 朝から汗ですか?! そんな関係の相手がいたなんて、まゆは……うぅぅ…………』

「……加蓮だけど」

『…………あぁ、あの女ですかぁ。そうでしたねぇ、Pさんのお家で暮らす事になったんでしたねぇ……』

「ちなみに汗かいてたのは冷房切れてたからだからな、決してやましい事は無い」

『……まゆが朝ご飯を作りに行ってあげますよぉ。住所を教えて頂けますかぁ?』

「それじゃ、後で事務所で」

 ピッ

 …………ふぅ、疲れた。
 のんびり朝ご飯でも食べよう。

「ねぇPさん、このカップ麺食べちゃダメ?」

「楽しみにとっといたやつだから許してくれ」


29 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:41:02.69 ID:i2+4SUsz0



「おはようございます」

「おっはよー」

「うふふ、おはようごさいます。Pさぁん、加蓮ちゃん、加蓮ちゃん、加蓮ちゃん! どこですかあの女は」

 事務所へ到着して部屋に入るなり、まゆが詰め寄って来た。
 智絵里はもう慣れていると言わんばかりに、読んでいる雑誌から目を離さない。

「おはようございます、ちひろさん」

「おはようございますプロデューサーさん。どうでしたか? 女子高生との同棲生活は」

「特にどうという事はありませんね」

「……あれ? えっと……あの子は……?」

「ん、加蓮か? あいつなら着替えとか回収しがてら保護者の同意書にサイン貰うって言ってたな。んで午後から来ると」

 午後には来れるという事は、実家はおそらく都内にあるのだろう。
 一度挨拶に伺いたいところではあるが、まぁそれはそれとして。

「まゆはこの後撮影、智絵里はオーディションだったな。何時くらいにこっち戻って来れそうだ?」

「まゆは問題なく進めば十五時くらいですねぇ」

「わたしは……多分、お昼くらいには戻って来れると思うけど……」

「それじゃ、戻って来たらレッスン付き合ってやって貰えるか?」

「「もちろんです」」

 そう言って、二人は部屋を出て行った。
 既に個々人でデビューしている二人は、今後結成されるユニット以外にも仕事がある。
 まゆは雑誌のモデル、智絵里はドラマやバラエティ番組が多い。
 加蓮のレッスンに付きっ切りで見てもらうのは難しいだろうし、ある程度の基礎は俺とトレーナーさんでなんとかしなければ。
 
「……それで、プロデューサーさん」

「なんですか?」

「ほんっっっとうに何も起きなかったんですか?」

「何にもありませんよ……なんでそんな食い付いてくるんですか」

「それは、だって……ほら、ねぇ? 気になるじゃないですか」

 女の子はいくつになってもそういうのが気になる生き物なんですっ! と意気込むちひろさん。
 けれど残念な事に、本当にそういった事は起きていない。
 アイドルになって欲しくてスカウトした女の子をデビュー前に潰す馬鹿がいるか。
 それと、普通に犯罪になってしまうから。

「こう、お風呂上がりの姿にドキッとしちゃったりとか」

「しません」

「行ってらっしゃいや行ってきますのやり取りにときめいちゃったり」

「してません」

「……つまらないですね」

「楽しむのはアイドルになった彼女の姿でお願いします」

 ぶーぶーとブー垂れながらパソコンに向き直るちひろさん。
 ……きっと、自分にはあまり出会いが無いんだろうな。

「……失礼な事考えてませんか?」

「ちひろさんくらいの美人なら引く手数多でしょうし、きっと大丈夫ですよ」

「哀れむような目はやめて下さい……あ、プロデューサーさん! 目の前に美人が居ますよっ」

「そうですね。俺のパソコンの壁紙、三毛猫なんですよ」

「…………プロデューサーさんに色恋沙汰は無さそうですね」

 だから無いと言っているのに。
 本当に、変な事を期待しないで頂きたい。


30 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:41:33.05 ID:i2+4SUsz0


「おっはよーございまーす!」

 バターン!

 そろそろお昼にしようかという時間に、加蓮が入って来た。
 その両腕には、大きなバッグとキャリーケースがぶら下がっている。
 まるで旅行帰りだが、おそらくその中には着替え等が詰まっているのだろう。
 ……私服のセンス良いな、スタイルも良いしモデルも向いてるかもしれない。

「おはようございます、えっと……加蓮ちゃんでしたよね?」

「うん、正解! あれ、まゆと智絵里は?」

「二人なら仕事行ったよ。もうすぐ智絵里は帰ってくる時間だが」

「ねぇPさん、私お腹空いた!」

「冷蔵庫にゼリー入ってるよ」

「ポテト食べたくない?」

「……夜で良いか?」

 この会話の流れあれだ、よく親戚の叔父さんと姪みたいなやつで見たぞ。
 そのうちお小遣いとかせびられるんじゃないだろうか。

 ガチャ

「戻りました……あ、えっと……加蓮ちゃん、来てたんですね」

「あ、おはよー智絵里。仕事帰り? 帰国子女?」

「生まれも育ちも日本だけど……」

「夜、プロデューサーさんが奢ってくれるって言ってるんだけど一緒に行かない?」

 言ってない。

「え……いいんですか?」

 ……なんて、言えないよな。

「構わないが……智絵里は変装忘れずにな」

「良いですねー若い子は奢って貰えて。ねぇ、プロデューサーさん?」

「ちひろさん、今夜は高校の友達と飲むみたいな事言ってませんでした?」

「そうでした。ふふふ、明日には大人の階段を更に登った千川で出社します!」

 ……難しそうだ。
 それも口にはしないが。

「それじゃ加蓮、ボーカルレッスン行くぞ。智絵里も付き合ってくれるか?」

「おっけー」

「はい」

31 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:42:07.75 ID:i2+4SUsz0




「生麦生米生卵」

「なまむぐぃ! ……なまぐみ! ……卵! なんでこんな言い辛いの?!」

「そういう、滑舌のレッスンだからじゃないかな……」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「あいうえお!」

「あえいうえおあおだけど……」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「あぁぁぁぁ……………っ! きっついっ!」

「あぁーーーーーーーーーー」

「凄いじゃん智絵里」

「ぁーーーーーーーーーーー」

「……脇腹擽りたくなる」

「あぁーーーーーーーーー?」

「……ごめんって、睨まないでよ……」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「私アイドル無理かもしれない」

「早い早い諦め早すぎる」

 一通りのウォーミングアップを終えた加蓮が、絶望していた。

「智絵里は簡単そうにやってるけど……」

「そりゃずっとやってきてるからな」

 初めたての頃なんて誰しもそんなものだろう。
 滑舌も肺活量も、レッスンを重ねればどうとでもなる。
 大丈夫だ、きっと。
 本人にやる気さえあれば。

 あいうえおだけは擁護のしようが無いが。

「これ毎日続けるの?」

「いやこれまだウォーミングアップだから」

「ぐぇ……これから歌ったり?」

「そうだな。自分の曲があればそれとか」

「…………自分の曲……」

 思い浮かべているのだろうか、自分自身の曲を歌う姿を。
 自分だけの曲を手に入れる喜びは、それは凄まじいものだろう。
 智絵里のデビューの時もまゆのデビューの時も、一緒に泣いた覚えがある。
 そして、その為には今は……

「……頑張る。努力は素晴らしいものだから」

「若干昨日の根に持ってるなお前」


32 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:43:03.69 ID:i2+4SUsz0



「ただいま戻りましたぁ……あら、やってますねぇ」

 夕方手前頃、まゆが戻って来た。
 既に俺たちも部屋に戻っていて、智絵里が加蓮のボイトレに付き合っている。

「あえいうえおあお!」

「お疲れ様です、まゆちゃん」

「はい、お疲れ様ですちひろさん」

「おつかれさままゆ!」

「……はい、お疲れ様です……加蓮ちゃん」

 腹から声を出しているせいでとてもうるさい。
 これ家に居る時は絶対やらないで欲しい、クレーム来る。
 あ、お風呂場で半身浴しながらさせるのも悪くないな。
 一日まるまるトレーニングに付き合えるのはなかなか好都合だ。

「っふぅぅぅ……終わり!」

「……終わってないです、加蓮ちゃん」

「そうですよぉ。まゆが帰って来たんですから、次は体幹トレーニングです」

「体幹トレーニングってストレッチみたいなやつ? なら楽勝じゃん」

「…………うふふ、そうですか」

 加蓮が「やっぱり私アイドル無理かもしれない」と口にするまで、五分とかからなかった。


33 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:43:48.18 ID:i2+4SUsz0

「…………疲れた身体にポテトが染み渡る……体力回復する味がする……」

「ご馳走様です、Pさぁん」

「あ、ありがとうございます」

「良いって良いって、二人にはトレーニングに付き合って貰っちゃってるんだし」

 レッスンに一通り付き合って貰った後、三人を連れて事務所のカフェへ。
 もう遅めの時間だからか、俺たち以外にお客さんは居なかった。

「……でもポテトがあるカフェってかなりアリかも……通っちゃお……」

「それにしても随分と大荷物ですねぇ」

「あーこれ? 着替えとか諸々、Pさんの家に運ばなきゃいけないから」

「……何度聞いても羨ましいですねぇ……Pさぁん、もう一部屋空いてたりしませんかぁ?」

 このカフェのコーヒーは俺もかなり気に入っていて、暇さえあれば持ち帰って部屋で飲んでいる。
 あのちひろさんをして美味しいと言わしめたこのコーヒー、仕事終わりの一杯にもってこいだ。
 ついでに店員さんの女の子が凄く可愛い。
 いや、別にそれが目当てで通っている訳ではないが。
 
「あ、夕飯の食材買って帰らないとな。加蓮は何か食べたいものある?」

「うーん、手作りであったかければ何でも良いかな」

 それは家庭料理の殆どに当てはまるのではないだろうか。
 余りにもアバウトで広範囲過ぎて、なんの参考にもならなかった。

「ところで加蓮ちゃんはお料理出来るんですかぁ?」

「無理、やったこと全然無い」

 当番制を導入するのは難しそうだ。
 これ多分毎朝毎晩俺が作る事になりそうだが……一人分が二人分になるくらい、訳ないか。

「うっふふふ、でしたらここはまゆがPさんのお家にお邪魔して手料理を」

「……ずっと入院してて、そんな機会無かったし」

「振る舞っ……て…………」

 まゆの表情が凍り付いた。
 やっば、どうしましょうPさん……と目が語っている。

 ……ずっと入院してた。
 それは……その言葉通りの意味でいいのだろうか。

「……あ、ごめんごめん。なんか変な事言っちゃって」

「……身体、弱いのか? 何か重い病気とか……」

「……昔はね。数年前までは多分、家とか学校よりも病院で暮らしてた時間の方が長かったから」

「今は大丈夫なのか?」

「うん、見ての通り」

 こんな病人いると思う? なんてケラケラと笑いながらポテトを摘む加蓮。

 ……だから、手作りで温かい料理、か。
 ずっと入院している程と言う事は、満足に食事出来ない日もあった事だろう。
 大して多くも美味しくも無い入院食を、冷めた頃に流し込む様に食べる事もあっただろう。
 そもそも食欲なんてなくて、食べない日が続いた事だってあるだろう。

「あ、変に気を使わないでね。そーゆーのホント嫌だから」

「……あぁ、分かった」

 だから、その反動で今はポテト狂なのか。
 夜はポテトのキッシュでも作ってやるとしよう。

「二人も。お願い」

「……分かりました。まぁ元より、加蓮ちゃん相手に気を遣おうなんて思ってませんでしたから」

「……野菜、食べませんか?」

「いいの! 今の私は健康なんだから油と塩分で生きてく!!」

 それは病弱とか関係なしに早死にしそうだ。

34 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:44:38.69 ID:i2+4SUsz0



「ただーいまー」

「ただいまー」

「そこはお帰りなさいじゃない?」

「俺も今帰って来たところなんだがな」

 加蓮の大荷物は俺が持ち、買い物袋を加蓮に任せて家に着く。

 部屋の中から流れ出てくるむわっとした熱気が、部屋へと入る気力を抉る。
 天気予報は晴れだったし、窓開けて換気しておいた方が良かったかもしれない。

「あ、じゃあ……お帰りなさい、Pさん」

「……あぁ、お帰り加蓮」

 冷房を付け、買ってきた食材を冷蔵庫にしまう。
 そのまま少しだけ開けたままにして冷蔵庫の寒気を浴びたり。
 さて、さっさと夕飯を作るとしよう。
 その間に加蓮はシャワーを浴びるだろうし。

「あ、そういやシャンプーとかも加蓮用のやつ買って来れば良かったな」

「ふふ、ジャーンッ! 午前中のうちに買っておいたんだー」

 賢いでしょーみたいな顔してるが、荷物重くなるから帰りに買うべきだと思うぞ。
 ところでそのお金はどこから捻出されたのだろう。

「あのね? 別に私だって一文無しって訳じゃ無いんだから」

「疑って悪かったって。それじゃ先浴びて来ちゃえ」

「はーい。あ、覗かないでね?」

「もう素麺茹でるから長風呂はやめろよー」

 どうせ茹でるならまだ冷房つけずに、窓開けておけば良かったかもしれない。
 換気扇つけるのが勿体ないが……背に腹は変えられないか。
 汗だくになっても後でシャワー浴びるから自分一人なら大丈夫なのだが、流石に女の子が家に居るのにそれはよろしくないだろう。
 お湯を沸かす間にだし醤油と七味とワサビを用意し、ついでに簡単な野菜炒めも完成させて。

35 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 18:45:05.46 ID:i2+4SUsz0



『ずっと一人で居るよりは、誰でもいいから誰かと居たいし……』
『数年前までは多分、家とか学校よりも病院で暮らしてた時間の方が長かったから』
『色々諦めててさ。そんな私にも希望をくれたのが、テレビの向こうの『アイドル』だったから』

 加蓮の言葉を思い出して、大きくため息を吐いた。
 彼女がどれ程の重い病気だったのかは知らない。
 けれどきっと、入院なんてたかだか数日しかした事の無い俺では想像もつかない様な日々だったのだろう。
 それも、小・中学といった人生で最も人と交流して思い出を積み重ねる時期に。

 ……だったら。

 今こうして彼女が健康的に生活出来る様になって、そんな日々をアイドル活動に割いてくれるのであれば。
 絶対に成功して、良い思い出になる様に。

「……俺も、頑張らないとな」

「何を? 覗き?」

「ん、もう上がったのか。女の子の風呂ってもっとかかるもんだと思ってたけど」

「Pさんが素麺茹でるからさっさとあがれーって言ったんじゃん」

 そう言えばそうだったな。
 茹でた素麺を冷水で〆て、大皿に盛って氷を乗せる。

「あ、私ピンクのやつ食べる」

「緑は俺のだからな、絶対取るなよ」

 ……なんて、重く考える必要もないだろう。
 本人も気を使うなと言っていたし、今はこうして健康なのだから。
 プロデューサーとしてやるべき事なんて、誰が相手でも変わらない。
 俺は俺に出来る事を全力でするだけだ。

 それにしても。

「今朝も思ったけど……誰かとこうして家で食事するの、久々だな」

「ね、私も」

 なんだろうな。
 家で食事する時はいつも一人だったから忘れていた。
 もちろん外で誰かと一緒に食べる事はあるし、その時はきちんと言っているが。

「……いただきます」

「いただきます」

 朝は慌しくて気付かなかったが、この言葉を家で言ったのも本当に何年振りだろう。
 悪くないな、こういうの。
 誰かと一緒に家のテーブルを囲んで。
 こうして、話しながら食事するのも。

「あっやば、緑食べちゃった」

「許されると思うなよ」


249.29 KB Speed:0   VIP Service SS速報VIP 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 続きを読む
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)