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俺「アンチョビが画面から出てきた」
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74 :
◆JeBzCbkT3k
[sage saga]:2018/07/16(月) 21:26:23.95 ID:TQ5drJ1c0
>>73
ありがてえ。再開します。
75 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:28:48.92 ID:TQ5drJ1c0
2017年11月24日。金曜日。
「あれ? 戸庭、まだ着替えなくて良いのか?」
太陽が顔を出して、寝室からリビングへと移動した俺に、アンチョビがそう口にした。
アンチョビの言うように、いつもなら俺はスーツに着替えている頃合いだ。
「ああ。そういえば今日は代休を取ったんだって思い出したんだよ」
「ふうん、そうなのか。最近、戸庭は前にも増して忙しそうだったしな。うん、ゆっくり休むと良い!」
上司には電話で「ウイルス性胃腸炎でドクターストップが出ました」と伝えた。
「マジかよ」と呟く上司の声には感情が乗っていなかったが、まぁ、うん、何とかなるだろう。
76 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:30:08.40 ID:TQ5drJ1c0
「いやいや、アンチョビさん。せっかく休日が取れたんだからやるべきことがあるでしょう」
「ん? 遊びにでも行くのか?」
「昨日の会議の続きだよ」
俺が言うと、アンチョビは目を伏せる。
「……ん、でも、それは――そう、戸庭は働き過ぎだからな。きちんと休んだ方が良いぞ。映画を観たり本を読んだり」
アンチョビの反応が芳しくない理由もようやくわかった。
彼女は、元の世界へ帰るのを半ば諦めかけているのだ。
これ以上頑張っても無駄なんじゃないかと、アンチョビらしくもなく、弱気になっている。
俺まで弱気に飲まれてしまったら、終わりだ。
77 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:32:20.92 ID:TQ5drJ1c0
「大丈夫だよ。ほら、俺、元気だし。今日は会議で決まり。有効な策が見つかるまで続けるよ」
ウイルス性胃腸炎と言ったのは、5日間ほどは他人への感染を口実に休みを作れるからだ。
実際、本当に俺がウイルス性胃腸炎だったなら、来週の火曜辺りまで出社は禁止される。
だから、この5日間で、結果を出す。
「そうは言うけどな」
「俺が良いって言うから、良いんだ。アンチョビさん、元の世界へ帰りたくないのか。アンツィオ高校のみんなに会いたいんだろう。だったら、さあ、気合いを入れて、始めよう」
俺がそう応えると、彼女の様子に変化があった。
「……うん、うん、そうだな」
言い含めるように頷き、アンチョビは笑顔で言葉を続ける。
「よーし、じゃあ、やるか!」
78 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:33:59.80 ID:TQ5drJ1c0
朝食をさっと済ませ、こたつを挟んでアンチョビと対面する。
コーヒーを一口啜ると、俺は口火を切った。
「方針を変える必要はないと思うんだよね」
「どういうことだ?」
アンチョビが首を傾げる。
「ガルパンの制作陣に話を聞くっていう第一目的は間違ってないんじゃないかってこと。間違ってたのは方法だ」
アンチョビは渋い顔をして、
「怒られてしまったしなあ。まぁそうだろう。しかし、それじゃあどうするんだ?」
「アンチョビがここにいるぞーっていうのをアピールするんだ。制作陣じゃなくて、まずはファンや一般人に『あれ、本物なんじゃない?』と思わせる」
「ふむ」
「つまりは向こうが無視できない存在になってやろうってことだね。声優や音響、ガルパンの関係者はたくさんいるし、その中の誰かの目に留まれば御の字だ。向こうから声をかけてくれるかもしれない」
79 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:39:48.31 ID:TQ5drJ1c0
「理屈はわかったが、具体的にどうやるんだ? 大事なのはそこだろ」
「これを使う」
言って、俺は脇に置いていたPCの画面を見せる。
そこには、上から下へとフォローしたユーザーの呟きが並んでいる。
「えーっと……確かこれ、ツイッターだったか?」
「そう。ここでアンチョビさんの声や姿をツイートする。俺のフォロワーが……えーっと、今のところ842か。まぁこれはもう少し数を増やすとして、1000人ってことにしよう。作りたてのアカウントじゃフォロワーは0だから、アンチョビさんのツイートを俺が引用して、1000人に飛ばす」
フォロワーからは俺も正気を疑われるだろうが、そこは乗りかかった船だ。一緒に沈む覚悟はある。
アンチョビの存在が信用されれば、どうせまた浮上するのだ。
「もっとも、1000人全てがツイートを見るわけじゃないし、動画まで観てくれるのはその中でも稀だろう」
「しかし、俺のフォロワーの中にもアンチョビさんのツイートをRTする人間はきっといる」
「徐々に信憑性を増していけば、どんどんその数も増えていくはずだ」
「元より1000人でおさめるつもりはない。大事なのはクオリティと継続」
「とにかく一発目はインパクトを出したいな。バズりさえすれば、こっちのもんだ」
80 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:41:47.92 ID:TQ5drJ1c0
俺が言い切ると、アンチョビは口を横へ広げ、「うー」と唸った。
「すまん。何を言っているのか理解できないんだが」
あぁ、そうか。ガルパンの世界にツイッターは存在しないと言っていた。
詳しい用語はわからないだろう。
リツイートやらフォロワーやら、一つ一つの用語をかみ砕いて説明していくと最後にアンチョビは「おぉーっ! 良いじゃないかーっ!」と大きく笑った。
「カメラやマイクなんかの機材はこれから池袋に行って買ってくるよ。その間にアンチョビさんは話す内容をまとめておいて」
「おーっ! 任せとけ!」
そうやって胸を叩く頼もしいアンチョビを家に残し、俺は東武東上線でどんぶらこ、池袋へ。
駅正面にそびえるヤマダ電機で機材を購入すると、すぐに下り列車で戻った。
81 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:44:24.19 ID:TQ5drJ1c0
「買ってきたよ」
「早いな! 昼食はまだ出来てないぞ!」
「え? 昼食? 原稿は?」
俺が訊くと、キッチンに立つアンチョビがすまし顔で答える。
「ふふーん、出来てるに決まってるだろう。私を誰だと思ってるんだ?」
「安斎千代美さんでしょうか」
「アンチョビだっ! ドゥーチェ、アンチョビっ! ほら、机の上に置いてあるぞ!」
ぷりぷりと怒るアンチョビに従い、机の上からコピー用紙を手に取る。
印刷された原稿は、A4のコピー用紙2枚分。
各所に、「ここ強調!」とか「この辺はその場のノリ!」とか、丸文字で注意書きが挿入されている。
ノリで喋る部分が全体の4割以上を占めている気がするが、まぁアンチョビ自身が自信満々なのだから問題ないだろう。
アドリブが上手くなければきっと戦車道の隊長は務まらない。
82 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:47:17.23 ID:TQ5drJ1c0
「じゃ、撮りましょうか」
「え? すぐ撮るのか?」
「問題あるならもう少し後にするけど」
「い、いや、撮るのは良いんだが、き、着替えさせてくれ」
ふとアンチョビを見れば、部屋着にエプロン、地味な黒縁眼鏡と、確かに人前に出るような服装ではない。
「それじゃあ、せっかくだからアンツィオの制服にしよう。その方がアンチョビらしさが出て信用も得られるだろうし」
「おー、良い考えだな! よし、着替えてくるから待ってろ!」
ばーんと部屋を出て行って、10数分後にばーんと戻ってきた彼女は、アンツィオの制服に身を包んでおり、髪の毛を馴染みのリボンでまとめていた。
アンチョビが制服を着るのは、思い返してみれば、我が家へ彼女が現れて以来のことかと思う。
83 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:48:11.86 ID:TQ5drJ1c0
「どうだ!」
「とてもかわいい」
「そ、そうか?」
照れるアンチョビへ「そこ座って」と促す。
あまり生活感を漂わせるのもどうかと思うので、壁を背景にする形だ。
アンチョビが姿勢を正し、それをビデオカメラのレンズで捉える。
ビデオカメラの位置を調整し、三脚で固定する。
「いきますよ」
「おー!」
「――録画、スタート!」
俺が言うと、アンチョビはにかっと笑って、「まず始めに名乗っておくぞ!」と切り出した。
84 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:52:11.78 ID:TQ5drJ1c0
「まず始めに名乗っておくぞ! 私の名前はアンチョビ! アンツィオ高校で戦車道の隊長をやってるぞ!」
「……とはいえ、私のことを知ってる人もいると思う。私たちの戦車道は、こっちの世界ではガルパンって呼ばれてるみたいだからな」
「まぁ信じてくれる人だけ信じてくれたら嬉しいんだが、私はガルパンの世界から、こっちの世界へ出てきてしまったんだ」
「あぁああ急にこんな話を聞いて信用できないのはわかる! でももう少しだけ聞いてくれ!」
「とりあえず、私がこうしてここにいることとか、喋ってることを色んな人に知って欲しいんだ」
「……私は、元の世界へ帰る手段がわからない」
「だからとにかく情報が集めたい! アンチョビを名乗る女の子がなんか言ってるらしいぞ! て、噂になるだけでも大助かりだ!」
「私のことを信用できる人も信用できない人も、どうかこの動画を広めてくれ! わかったな! ドゥーチェとの約束だぞ!」
「あ、信用できない人はツイッターでリプライをくれれば、音声くらいならいくらでも録音するし、動画だって撮るぞ!」
「よろしく! じゃあまたなー!」
モニタ上で、ぶんぶんと手を振っていたアンチョビの姿がぴたりと止まる。
「うん、良いと思う」
さすがアンチョビ。一発撮りでこれだけ喋れれば上等だ。
なによりリアリティがある。
85 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:55:30.83 ID:TQ5drJ1c0
しかし俺の言葉に、アンチョビは納得のいっていないような表情を見せる。
「んー、戸庭、なんか反応が薄いな」
「感情表現が苦手なので。点数にすると90点超えは固いよ」
「90点!? いや、100点を目指さなきゃダメだろ!」
「……んー、正直撮り直してもこれより良くはならないと思うけど。じゃあ何度か撮ってみます?」
「もちろんだ!」
そうアンチョビが言うので、5回ほど新たに動画を撮影してみる。
ノリと勢いで話していた部分には台詞に変更があるが、大筋の流れは変わりない。
しかしやはり、何度も同じ話をしていればノリと勢いというのは衰えていくものだ。
「うーん、やっぱりワンテイク目が一番良い気がするなあ」
「だから言ったじゃないすか」
「何事もやってみなきゃわからないだろー!」
良いことを言うなあ。
86 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 21:59:20.19 ID:TQ5drJ1c0
とにかく、公開する動画が出来上がったので、あとは編集&圧縮、ツイートをするのみとなった。
ツイートの時刻は17時30分に決めた。
「なんで夕方なんだ?」
「会社勤めと学生の帰宅ラッシュが重なる時間だから。みんな移動中はスマホいじるからね」
「おー、なるほど」
とはいえ、現在、16時過ぎ。
予定時刻まで1時間という微妙な隙間があるので、編集と圧縮を終わらせると、アンチョビと二人用のボードゲーム(バトルラインとか)を遊んで待つ。
そして17時20分。
「じゃあ、アンチョビさんのアカウントでログインするよ」
87 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:01:14.60 ID:TQ5drJ1c0
あらかじめ、ツイッターアカウントは作成しておいた。
表示名はシンプルに『アンチョビ』だ。
プロフィール欄には、ガルパンの世界から出てきてしまった件など、動画で話した内容を短くまとめて記載してある。
まだツイートは一つもない。
「はい、ログインしました。じゃあ、動画を添付するから、文章を入力して」
元気よく「任せろ!」と答えるアンチョビへPCを譲る。
アンチョビは軽快にキーボードを叩き、「アンチョビだ! とにかく動画を観てくれ! そして拡散してくれ!」と入力した。
単刀直入でとても宜しい。
「これで動画を添付したことになってるのか?」
画面を見ると、文章入力欄の下にアンチョビの顔が表示されている。
「あー、はいはい、大丈夫。あとはそこのツイートってボタン押せばオッケー」
アンチョビはにかっと笑うと、「パンツァーフォーっ!」とツイートボタンを押した。
88 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:04:37.70 ID:TQ5drJ1c0
「さあ、どうだ!」
「ちょっと待って」
アカウントのフォロワーは俺一人だ。
だから、いまだこの動画は誰の目にも留まっていない。
俺はスマホを操作すると、自分のアカウントで、「友人のアンチョビさんから、皆さんへ伝えたいことがあるようです」とコメントを付け、アンチョビのツイートを引用RTした。
ぶうんと、アンチョビのスマホが震える。
「おぉ! きたか!」
「たぶん、俺がRTした通知だと思うよ」
おそらくツイッターの反応を見ているのだろう、アンチョビがスマホの画面をスライドさせる。
数秒して、「お、おぉ?」とアンチョビは声を発した。
「通知がたくさんきてるぞ! あ、あ、また増えてる。凄いな戸庭っ!」
言われて俺もPCのモニタを見る。ツイートのいいね数は1、RT数も同じく1。
F5で更新すると、いいねが84、RTが104に増加した。
気になってアンチョビのフォロワー数を確認してみると、こちらもぽつぽつと増えており、現在、45。
89 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:06:04.01 ID:TQ5drJ1c0
「これは、凄いんだよな!? な!?」
「うん。すごい」
画面を更新する度に、それぞれの数字が増加する。
徐々に増加速度も上がっており、この様子だとすぐに四桁へ到達するだろう。
あぁほら、すでにRT数は926だ。
「フォローしてくれた人は、フォローしかえした方が良いか!?」
「あからさまな広告っぽいの以外はばんばんしちゃって良いと思う。あ、それと、リプライがいくつか来てるから返事をかえそう。……下品なコメントも少なくないから、こっちはちゃんと選別しましょうね」
「よしきたっ!」
アンチョビはそう言って、スマホの画面と向かい合う。
時ににんまりと笑い、時に赤面し、時にげんなりとした表情を浮かべながら、一件一件リプライへ対処していく。
90 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:08:41.09 ID:TQ5drJ1c0
俺のアカウントにもリプライがあるので、こっちも同じ作業に移った。
「本物みたいですね」「よく出来てますね」「マジですか?」とか、そんな反応全てに「本当ですよ」と返す。
アンチョビの方には、俺の方よりも具体的な質問が多かった。
例えば、「大洗行った?」とか、「アンツィオには招聘されたんだよね。いつ頃呼ばれたの?」とか「ペパロニ達とは土日も会ったりするの?」とか。
おそらく本当にアンチョビの存在を信じているのはごく僅か――というか、いないだろう。
彼女が本物だという前提の、あくまでお遊びとして質問を投げかけているのだと思う。
しかし、それでもバズは生まれ、彼女の存在は広まる。ありがたい限りだ。
91 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:10:55.58 ID:TQ5drJ1c0
夕飯を食べるのも忘れてツイッターに没頭し、お互い、気付いた頃には午後10時を回っていた。
「腹減った」
「……夜も遅いけど、パスタでも茹でるかあ」
のそりとアンチョビが立ち上がり、キッチンで鍋に水を入れ始める。
待つこと15分。「できたぞー」とアンチョビが皿を運んでくる。
――と、ふいにスマホが震え、『あれ誰? お前に彼女出来るわけないし、職場の同僚?』と友人から失礼極まりないメッセージが届いた。
「本物だっつってんだろ」
俺はアンチョビに「ちょっと良い?」と断りを入れると、パスタを手に持つアンチョビをフォーカスし、ぱしゃりと撮影。
画像をその友人へ送りつけてやった。
すると友人から「明日お前ん家行く」とふざけたメッセージが返ってくる。はっはっは。
「いただきます」
アンチョビの作るペペロンチーノ。うまし。
92 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:13:26.80 ID:TQ5drJ1c0
2017年11月25日。土曜日。
昨日やり取りをしていた友人が、別の友人を引き連れて我が家へやってきた。
「うっわ、マジやんけ」
「え、彼女? いつできたの?」
玄関先でアンチョビを目にした途端に騒ぎ出す二人へ「とりあえず入って」と促す。
リビングで三人こたつを囲んで座ると、アンチョビが「どうぞ」と笑顔でコーヒーのカップを差し出した。エスプレッソだ。
友人らが心なしか緊張した様子で「あ、どうも」と受け取るのが面白い。
93 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:14:36.80 ID:TQ5drJ1c0
「で、君らは何しに来たわけ?」
「なんかツイッターで変なこと言ってるからおちょくりにきた」
「俺もまぁ気になって真相を確かめに来た感じだよね」
……正直、家にあげはしたが、今はこいつらの相手をしている余裕はない。
冷やかしに現れただけだというのなら尚更である。
「彼女はアンチョビ本人です。はい、帰って」
「いやそれじゃ説明になっとらんでしょ」
「こっちは忙しいの。くだらん話ならまた今度聞いてやるから。ほら帰って」
そう言って追い返そうとするものの、二人はふて腐れた顔で「帰らん」「冷たくない?」とかなんとかぼやくばかりだ。
94 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:16:48.98 ID:TQ5drJ1c0
しばらく愚にも付かないやり取りを繰り返していると、アンチョビが割って入った。
「まぁまぁ。せっかく来てくれたんじゃないか。少し落ち着け戸庭」
「天使か」「天使」
……いやいや。
「こいつらがいると計画も進まないよ」
「とはいえなあ、ここまで来てくれたのを追い返すのも申し訳ないだろう」
「こいつらは良いの。どうせ暇してんだから、追い返したら追い返したでどっかで酒飲んでるだけだよ」
「しかしなあ――」
「ちょっと待った!」
今度は俺の友人が割って入る。
95 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:18:12.13 ID:TQ5drJ1c0
「言い争いは良くない。良くないですよ」
「元々お前らのせいだけどね」
「どうせ争うなら、麻雀で勝負をつけましょう」
…………?
「あのさ、人の話聞いてた? 麻雀すんのに時間かかるでしょ? その時間も惜しいの。ねえ、わかる?」
「あ、負けるのが怖いのね。ごめんごめん、悪かった」
「は? ……あ、いやいや」
「おぉおお良いじゃないか! 楽しそうだ! やろうやろう!」
――俺が言いよどんだ隙に、アンチョビが乗ってしまった。
「アンチョビさん、麻雀のルールわかるの?」
「なんとなくわかるぞ!」
わかってないやつだな、これ。
「……まぁ良いや、じゃあやりますか。俺だけ反論し続けるのもなんだし」
俺が言うと、友人二人は「「うぇーーい!」」と歓声を上げた。
96 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:19:59.49 ID:TQ5drJ1c0
「えー、じゃあ、こっちの横に長い方が、花澤。そんで、縦に長い方が、長田ね」
「花澤です」「長田です」
「アンチョビだ! よろしくな!」
花澤と長田の二人が、右手を差し出したアンチョビと順に握手をする。
結局、麻雀は、南入することすらなく、アンチョビが長田から親倍満を食らい飛ばされて終わった。
勝者となった長田は「じゃあもうちょっといさせて」と宣言。
仕方なく俺はそれを認め、友人らは、今日一日、我が家へ居座ることとなったのだ。
97 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:21:58.32 ID:TQ5drJ1c0
「まぁ、それならどうせだし、二人とも手伝ってくれる?」
「はあ? 何を?」
「わかるでしょう。アンチョビの宣伝さ」
昨日のアンチョビのツイートは、最終的にRT数が五桁にも及んだ。
幸先は良い。大事なのは、間髪入れずにアピールし続けることだ。
なので今日も今日とて新たに動画を撮るのだが、ただ昨日と同じようにやるというのはあまり宜しくない。
「二人とも、昨日のアンチョビの動画観た?」
「観たから来たっつったでしょ」「そりゃ観たよ」
「おぉー、どうだった?」
嬉しそうにアンチョビが問う。
「あー、なんか、すげえなって思いました」
語彙力。
「声も姿も本物によく似てるし、まぁクオリティ高いよね。よくここまでやれるなあと思いますよ。あ、もちろん良い意味で」
口ぶりから、やはりアンチョビが本物だと信じているわけではないのだとわかる。
98 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:23:27.81 ID:TQ5drJ1c0
「こっちは『よく似てる』って感想を変えたいんだよ。どうしたら本物だと信じる?」
「何やられても信じないと思うけどね。無理でしょ。次元の壁ってあるじゃん?」
「だから、俺は、それでも信じてるんだよ」
「じゃあ戸庭の時と同じことをやれば良いのでは?」
……なるほど。
俺がアンチョビを信じたのは、彼女と延々語り続けたからだ。
質問を交えながら、彼女の言葉に耳を傾け、仕草や表情を眺めることで、画面の向こうの彼女と同一人物だと知れた。
それと、同じことを、やる。
99 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:25:42.87 ID:TQ5drJ1c0
「アンチョビさんアンチョビさん、ちょっとしばらくこいつらと喋ってみてくれる?」
「し、指示がざっくりすぎないか?」
「じゃあアンツィオ高校の紹介してよ。P40とか、ジェラートの話とか」
「おー、それなら任せろ!」
「花澤と長田は、適宜、適当な質問をアンチョビさんにして」
「指示がざっくりすぎん?」
そうして、アンチョビと、花澤と長田の二人が会話する様子を隣で眺める。
ジェスチャーを交えて活き活きと話すアンチョビは、太陽のようで、やはりというべきか、当然なのだが、まさにアンチョビそのものだ。
先程は「無理」と断じていた花澤も、すでに心を掴まれているのがわかる。
100 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:27:56.89 ID:TQ5drJ1c0
三言二言では駄目なのだ。
アンチョビの存在を信じさせるためには、時間をかける必要がある。
昨日の動画は1分足らず。短すぎた。
しかし反対に、あまりに長すぎるのも良くはない。
見ず知らずの他人が作った30分超えの動画なんて、そもそも、観る前からお断りである。
ちょうど良い時間は、大体5分くらいかと思う。
5分の動画も、積もれば数時間だ。
コンテンツとしては、視聴者からの質問に答える形式が良いだろう。
昨日、アンチョビがツイッターのリプライに答えていたのを、動画の中でやる感じだ。
あとは、新しく興味を持ってくれた人のために、過去の動画を漁りやすくするのも重要だろう。
「よし。ユーチューバー始めるか」
俺が言うと、三人は揃って首を傾げた。
101 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:31:01.04 ID:TQ5drJ1c0
さて、ユーチューバーとはいえ、実際やることといえば、普通に動画を撮ってちょこっと手を入れてユーチューブにアップロードするだけの話である。
編集のない方が自然なアンチョビ感を演出できるだろうし(アンチョビ感とは)、そもそも、凝った動画編集など出来る面子は俺たちの中にいない。
とはいえ、5分ともなればそれなりに台本は必要だし、アンチョビへの質問も用意しなければならない。
アンチョビに頼み、ツイッターにて「次の動画を撮るから、みんな、私への質問をくれないか!」と募ったところ、50以上の質問がばーんと集まった。
俺が質問を選別し、それへの返答をアンチョビが考えつつ、台本の構成に組み込む。
花澤と長田の二人は特に出来ることもないので、裏でずっとガルパンの劇場版を観賞しつつ酒を飲んでいた。
アンチョビがスクリーンへ登場する度に「あっアンチョビさんだ!」と声をあげるのが実に騒々しい。
アンチョビは、アニメでの自分の姿を目にするのに慣れないのか、彼らの声を耳にしてスクリーンへ目を向けると、苦しいんだか恥ずかしいんだかよくわからない複雑な表情を浮かべていた。
102 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/16(月) 22:34:15.05 ID:TQ5drJ1c0
動画の撮影は、花澤と長田がいびきをかき始めた頃に行った。
二人は邪魔なので、俺の寝室へ運搬。
前回同様、壁を背にして質問を答えるアンチョビを撮影した。
「本当に任せていいのか?」
「二人いても仕方ないしね。朝までには終わらせとくから」
アンチョビが自身の寝室へ向かったのを見送って、俺はPCと向かい合う。
出来上がった動画に、文字入れをする作業だ。
基本的には撮影した動画そのままだが、最低限、質問内容は文字にして画面端にでも配置した方がわかりやすいだろうとアンチョビと打ち合わせた。
コーヒーカップ片手に黙々と作業を続けていると、深夜4時頃に編集が終わった。
103 :
◆JeBzCbkT3k
[sage saga]:2018/07/16(月) 22:35:31.71 ID:TQ5drJ1c0
今日は、ここまでにします。
明日か明後日にまた再開します。
104 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/07/16(月) 22:47:04.28 ID:a8DPH2nDO
乙
かぐや姫は月に帰れたけど、アンチョビはどうなるのやら…
105 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/07/17(火) 09:26:19.86 ID:M5hHhOon0
そろそろアンチョビもこの世界の現実を知る頃みたいだな
自分をネタにしたエロ同人がどれほど蔓延してるかを知って絶望してほしい
106 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 21:56:21.73 ID:MeNYOwih0
再開します。
107 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 21:58:40.62 ID:MeNYOwih0
2017年11月26日。日曜日。
セットしておいた目覚まし時計が午前9時ちょうどに鳴り響く。
じりりんと五月蠅いベルを鷲掴み音を止めると、床に寝転がってぼうっとスマホをいじる花澤と長田の姿が目についた。
「おう」「おはよう」
声の調子から推測するに、どうやら随分前から起きていたらしい。
「君らは何故にここでごろごろしてんの? 朝飯くらい食べたらどう?」
「コンビニ飯を買いに行こうとしたんだけど、アンチョビさんが作ってくれるらしくて」
「つうか二日酔いでしんどくてかなわん」
俺も他人のことを言えないが、こいつらも相当な駄目人間だ。
108 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:00:34.33 ID:MeNYOwih0
すんと匂うと、確かにキッチンの方からは何とも心地よい香りが漂ってくる。
のそり立ち上がり、でくの坊二人の上をまたいでリビングへ向かうと、ちょうどアンチョビが両手に皿を乗せ運んでくるところだった。
「戸庭っ! 朝飯を作ったぞ!」
「やったー」
俺は寝室へ戻り、「朝飯出来たらしいから早く来いカス共」と中へ声をかける。
4人がリビングへ揃うと、いただきます。
朝食を食べながら、昨日調整した動画を観ることとなった。
「アンチョビさん、こんな感じだけどどう?」
「すごいな戸庭! 完璧だ!」
アンチョビチェックは問題なしらしく一安心だ。
109 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:02:07.08 ID:MeNYOwih0
本日の動画公開タイミングは、20時に決めた。
休日は、平日と違い通勤退勤ラッシュもない。
どちらかといえば、遊び疲れて夕食も食べ終わった夜の時間帯が良いだろうと踏んだのだ。
「夜かー。そこまで待つのもなんだし、帰るわ」「また来るよ」
「もう来んな」
花澤と長田は、結局、大して役に立つこともなく帰っていった。
わかっていたことではあるが、今後あいつらを頼るのはやめようと思う。
「さ、アンチョビさん、夜までの間、新しく動画を撮ろうか」
「戸庭、編集作業、けっこうかかったんだろう? 今日は休みにしないか?」
「平気平気。気にせずやりましょう」
「私は、戸庭が無理をしすぎないか心配なんだがなあ……」
ぼやくアンチョビだったが、動画の撮影は承諾してくれる。
110 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:05:08.68 ID:MeNYOwih0
さて、それじゃあ新しい質問は届いていないかとツイッターを開きリプライ欄を確認すると、その中に気になるものを見つけた。
アンチョビではなく、俺のアカウントへのリプライだ。
『DM送りましたので、拝見いただけませんか?』
送り主は、俺とリアルの面識のないフォロワーで、アカウント名はキミドリといった。
同人活動やちょっとしたガルパン仲間の集まりを仕切っているらしく、ガルパン界隈ではそこそこ名が知れている人だ。
DMを開き、アンチョビにも聞かせるよう、文面を読み上げる。
「動画を拝見しました。とてもクオリティが高く、本当にアンチョビが存在しているかのように思えました」
「つきましては、直接会ってお話をうかがいたいのですが、お時間いただけますか?」
「邪な目的だと思われるのも何ですので、とにーさんにメッセージお送りしています。お許しくださいませ」
「ちなみに私、本日ならフリーですのでどこへでも駆けつけます(笑)」
『とにー』というのは俺のアカウント名だ。
礼儀正しいし名は通った人だし、そこそこ信用のおける内容でもある。
111 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:07:13.04 ID:MeNYOwih0
「アンチョビさん、この人と会ってみる? たぶん俺よりもガルパンに詳しいから、まぁ少なくとも花澤たちよりも頼りになると思うよ」
「うん、断る理由もないしな! 出来ることは全部やるぞ! 私が一人で行ってくるから、戸庭は家で待ってると良い!」
「いやいや俺も行くに決まってるでしょ」
アンチョビ一人で男と会わせるのはさすがに危険だ。
なにより、俺には前回の失敗がある。同じ轍は踏まない。
「それじゃ、アンチョビさん、DM返しておくよ」
「おー、任せた!」
今日のところは、動画の撮影はなしだ。
本日分は出来上がっているのだから、明日の分は明日撮れば良いだけの話。
優先すべき事項があるなら、急ぐ必要はない。
俺がDMを返すとキミドリ氏からはすぐに返事があった。
『おお、ありがとうございます。楽しみです』
相談した結果、待ち合わせは13時に新宿となった。
先程、朝食を食べたばかりなので、昼食はそこそこに済ませると、俺はアンチョビと共に家を出た。
112 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:10:08.28 ID:MeNYOwih0
キミドリ氏とは、新宿の喫茶店で2時間ほど話をして別れた。
花澤や長田より幾分か信用の度合いは高かったようだが、しかし、彼らと同様、初めはキミドリ氏も半信半疑の様子だった。
「うはははは。あの動画を観たらどうしても真偽を確かめたくなりますよねえ」
「というのも、声があまりにも元の声優さんに似すぎていますから」
「しかもこれまでに公開された音声にはない内容を話していたので、口パクで録音を流しているわけはありません」
「はて、だとしたらこれはどういうわけか、という具合です」
「まぁしかし、リアルで対面すると、顔もアンチョビによく似てらっしゃる」
キミドリ氏には、これまで同様、アンチョビと数十分、質疑応答をしてもらった。
そしてやはり、これまで同様、彼もアンチョビの存在を認めるに至った。しめたものである。
「にわかには信じがたいことですが、これは真実としか考えられませんね」
キミドリ氏は、別れ際に「私に協力できることがあれば何なりと仰ってください」と言ってくれた。
おそらくはお言葉に甘える日もすぐに来よう。
113 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:13:20.92 ID:MeNYOwih0
新宿には俺の会社もある。
今日も休日出勤しているであろう同僚らと万が一にも顔を合わせたくない。
俺とアンチョビは、キミドリ氏と別れると、すぐに電車へ飛び乗って新宿を去った。
山手線で新宿から池袋へ、10分足らずで到着する。
JRの改札を抜けたところでふと思いつき、人通りから離れると、「ちょっとそこ立って」とアンチョビを壁際へ立たせる。
俺がスマホを向けたところでアンチョビは察して「はぁっ!」とポージング。
それを俺はぱしゃりと撮影した。
「どうするんだ?」
「ツイッターに投稿する」
キミドリ氏との会話でよくわかった。
対面なら、アンチョビは信用してもらえる。味方は増やせるのだ。
そして味方は多いに限る。
114 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:16:36.09 ID:MeNYOwih0
先ほど撮影したアンチョビの画像を彼女のスマホへ転送する。
そしてアンチョビに画像を添付したツイートをしてもらった。
『池袋にいるぞ! 近くにいる人、私に会いに来てくれ!』
今日のアンチョビは、服装こそアンツィオの制服ではないが、馴染みのリボンを身につけ眼鏡も外している。
整った顔立ちも相まってか、横で歩いていると、すれ違う人々が彼女の方を振り返るのによく気付く。
アンチョビのフォロワーなら、人混みの中からでも彼女を見つけられるだろう。
想定通り、池袋駅構内からサンシャイン60通りへ向かうまでの道のりで、3組のフォロワーに話しかけられた。
最初の2組はアンチョビと握手を交わしただけで去って行ってしまったが、最後の女性二人組はアンチョビと意気投合し、通りのカフェへ入りわいわいと女子トークに花を咲かせた。
俺は手持ち無沙汰だったので横で話を聞いているだけだったが、アンチョビはこちらの世界で人気のある恋愛小説や恋愛漫画など教えてもらいご満悦の様子だった。
115 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:19:13.56 ID:MeNYOwih0
自宅へ戻ったのは20時ギリギリとなった。
慌てて事前に開設しておいたユーチューブのチャンネルで動画を公開し、URLをツイッターで紹介する。
再生数は、昨日のツイートのRT数の10倍以上にもなった。
キミドリ氏が熱心にアンチョビの動画を宣伝してくれたのだ。
彼が一つの広告塔として立ってくれたことによって、アンチョビの知名度が飛躍的に上がったのだと思う。
アンチョビは大喜びで寄せられたリプライ一つ一つへ丁寧に返信をかえした。
やり取りは夜がどっぷり更けるまで続けられ、俺とアンチョビが眠ったのは、夜中の3時頃となった。
ちなみに俺は、23時頃に職場の上司から「明日は出社できるのか」とメッセージが届いていたので、「先日お伝えした通り、医者から出社するなと言われています」と返しておいた。
116 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:21:24.40 ID:MeNYOwih0
2017年11月27日。月曜日。
出社しなくて良いのか、というアンチョビの問いは適当に誤魔化し、今日は昨日できなかった動画の撮影を延々続けることにした。
撮影本数は、3本。
少しずつ慣れてきたせいか、編集にかかる時間も短くなってきた。
これなら仕事を再開しても編集は続けられるだろう(たぶん)。
ユーチューブで動画を公開し、そのことをツイッターで報告すると、再生数は昨日の動画のさらに3倍となった。
すでに並のユーチューバーでは相手にならない数字である。
理由は明白だ。今度はアンチョビの声優を務める方が、「なにこれ! すごく似てるぅ〜♡」と、アンチョビのツイートをRTしてくれたのだ。
その件は、各まとめブログでも取り上げられ、アンチョビは、一躍、界隈の有名人となった。
アンチョビは一瞬だけ不安そうな表情で「こ、ここまでになるとは」と呟いたが、すぐに生来のテンションを取り戻し、「わーっはっはっはーっ!」と高笑いをあげた。
117 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:24:17.30 ID:MeNYOwih0
2017年11月28日。火曜日。
仮病がアンチョビにばれた。
アンチョビは初めどちゃくそに怒ったが、何か思うところがあったのか、ふいに表情を変えると「たまには休みもないとなあ」と呟いた。
「仕方ない! 今日のところは勘弁してやるが、明日からは絶対仕事に行くように! 職場の人達にも迷惑がかかるからな!」
迷惑ならすでに怖いくらいかけてます、なんて言えやしない。
ともかく、今日も仮病は続行。
さて、引き続き動画を撮影しようかというところで、アンチョビが「駄目だ駄目だー!」と声をあげた。
118 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:25:45.02 ID:MeNYOwih0
「今日は休み! 休みったら休みだ! 動画の撮影も編集も私一人でできる! 戸庭はゲームでもして遊んでると良いぞ!」
「アンチョビさん、動画の編集したことないじゃん」
「ふふん、私を誰だと思ってるんだ!?」
「安斎千代美さんですよね」
アンチョビの反応は想像通りのもので、俺はそれを嬉しく思いつつ立ち上がる。
「じゃあ、せっかくだから池袋行ってくる。今日、ドラマCDの入荷日だから」
「ドラマCD?」
「アンチョビさんの細腕繁盛記とか入ってんだよ? すごくない? 超楽しみ」
「な、なんだそれは!」
あっはっはと笑いながら家を出て、俺は池袋へ。
とらのあなで目当てのものを購入して家へ戻る。
しかし案の定、アンチョビは動画の編集に悪戦苦闘しているところだった。
119 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:27:46.45 ID:MeNYOwih0
「む、むぅ〜。も、もうちょっとで終わるはずなんだが」
「いや見た感じ1ミリも進んでないし。俺がやりますよ」
半ば無理矢理にPCの前を奪うと、まずは撮影した動画をチェックする。
画面の中のアンチョビは「冬季無限軌道杯というのがあってなあ」とか「2年の時に初めて会ったんだ」とか、質問の一つ一つに身振り手振りをつけて答えている。なんの問題もない。
編集は1時間ほどで終わった。
2本目を撮ろうかと言ってみたのだが、アンチョビに「撮り溜めがあるんだから、今日はこれで終わりだ!」と返されてしまった。
確かに今日撮影した分の公開は2日後である。
明日から仕事だ。アンチョビの言う通り、体を休めるのも良いだろうと、俺はドラマCDを聴いたり溜まっていたアニメを観たり、映画を観たりして時間を潰した。
やがて夜になってアルコールを入れると、時の流れは一層早まった。
120 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:30:32.09 ID:MeNYOwih0
2017年11月29日。水曜日。
通勤電車のなか、終始、俺は憂鬱だった。
俺の不在によりどれだけスケジュールに遅れが出ているのかという不安と、今日からまた地獄が始まるのかという暗澹。
新宿に着いた辺りでようやく覚悟が決まったというのに、オフィスに入ってその覚悟も霧散した。
「最新のスケジュール表ってこれ?」「先週から更新してねえわ」
「テスト仕様書進んでる?」「手付かずです」
「ここの機能って出来てる?」「そもそも誰が作るんですか?」
結論から言うと、俺がいなかった分の作業は、何も進んでいなかった。
リリースまで残り2週間ほどだというのにこれはもう駄目なのではないかと思われる。
しかし、それとなく顧客側に調整を依頼しても「リリース予定日は変更しません」と返されてしまった。
やるしかねえ、と、とりあえず状況把握やスケジュールの切り直しを進めていたら1日が終わる。
アンチョビに「今日は帰れそうにないので動画の投稿よろしく。夕飯も一人でどうぞ」とメッセージを送る。
俺は深夜2時頃まで仕事をし、会社近くのカプセルホテルに泊まった。
121 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:36:39.95 ID:MeNYOwih0
2017年11月30日。木曜日。
新宿に泊まると出勤が楽で良いなあ、あっはっは。
というわけで、昨日投稿されたアンチョビの動画や、ツイッターのリプライおよびメーラーを確認。すぐに出社となった。
再び朝から深夜まで飯を食う暇もなくぶっ続けで働き続け、なんとかコンビニ弁当を腹へ入れることが出来たのは深夜23時である。
アンチョビからの「大丈夫か? 今日は帰ってくるよな?」というメッセージにも返信出来ていない始末だ。
同僚らの視線は痛いが、さすがに2日に一度は家へ帰っておくべきだろう。
俺は「これから帰る」とアンチョビへメッセージを送り、会社を出た。
「戸庭っ! 風呂か! それとも先にご飯食べるか!」
「あーすみません。ご飯食べちゃった」
「じゃあ風呂だな! ゆっくり入ってこい! エスプレッソ煎れておくからな!」
アンチョビは本当に騒々しい。
かたかたとキーボードを叩く音しかほとんど聞こえてこないオフィスとは正反対である。
122 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:38:14.96 ID:MeNYOwih0
しばらく湯船につかって風呂を出る。
アンチョビの煎れたエスプレッソを飲みながらメーラーを確認していると、あるメールの差出人に目を疑った。
宛先は、アンチョビのアカウントのプロフ欄に載せているアドレスだ。
「アンチョビさん、アンチョビさん。きた、きた」
「うーん? 何がだー?」
『初めまして。ユーチューブの動画を拝見しまして、内容について確認したくメール差し上げました』
『単刀直入に申し上げますが、動画内の「冬季無限軌道杯」という単語はどちらで耳にしたものでしょうか』
それは、ガルパン制作会社代表からのメールだった。
123 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:42:17.96 ID:MeNYOwih0
2017年12月1日。金曜日。
「このメール送ってくるってことは、たぶん『冬季無限軌道杯』って単語が最終章のネタバレになってるんだろうな」
「ネタバレ? なんのだ?」
「そりゃもちろん、今の時期だったらガルパン最終章でしょう」
というかその事実によって俺もネタバレをくらっている。
そうですか、最終章では冬季無限軌道杯ってのをやるんですね。
これまでの例に漏れず、先方はどうやらアンチョビの存在をかけらも信じていない様子だ。
文面から怒りが伝わってくる。
情報を漏らされているのだから当然だろう。
「とりあえずホントのことを書いて送るしかないよなあ。メールじゃ絶対に信用されないだろうけど。いやしかし、向こうの怒りを逆撫でするだけだしなあ」
124 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:44:04.07 ID:MeNYOwih0
……あ、そうだ。
「アンチョビさん、冬季無限軌道杯について、他に知ってることある?」
「もちろんあるぞ。アンツィオも出場したからな。……まぁウチは今回も悲願の2回戦突破は果たせなかったのだが」
「じゃあ、それを書こう。アンチョビさんよろしく」
「おう! 任せておけ!」
俺はアンチョビの書いた内容を確認(ネタバレのオンパレードだ。辛い)、こちらは本物のアンチョビであることや、情報漏洩の意図はなかったことを付け足すと、送信ボタンを押した。
返信は1時間足らずで帰ってきた。
深夜1時だというのにどういうことなのかと思ったが、よくよく考えてみれば最終章の公開まで残り1週間だ。向こうも修羅場なのだろう。
125 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:46:15.04 ID:MeNYOwih0
『正直に申し上げて、貴女が作品内のアンチョビと同一人物であるという話は信用していません』
『しかし、記載いただいた情報がこちらの承知している情報と概ね一致していることも事実です』
『なにか事情があるのではないかと推察いたします』
『つきましては、一度、直接お話をうかがいたいのですが、ご都合いかがでしょうか(とはいえこちらの予定を鑑みると、12月10日以降とさせていただきたく)。』
「よっしゃあーーっ!」
「おぉぉおおおおおおっ! やったな、戸庭っ!」
「とりあえず返信、返信しよう!」
「うんっ!」
『はい、もちろんです。日にちは指定いただいて結構です』
『実は、動画を公開していたのも制作の方に私の話を聞いていただきたいからでした。お会いするのが楽しみです!』
「こんな感じでどうだ!」
「いやー、完璧じゃないですか。送信しよう送信」
アンチョビが送信ボタンを押す。
返信は5分後にあった。
126 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:49:17.69 ID:MeNYOwih0
『では、一旦、12月10日とさせていただけますか。予定が変わったらまたご連絡します』
『それと、アンチョビというキャラクターを使うことには目を瞑りますが、未公開の情報を漏らすのは今後やめていただくようお願いします』
『了解です。それでは12月10日によろしくお願いします!』
送信ボタンを押したアンチョビがにっと笑う。
「結果が出たな。戸庭のおかげだ。ありがとう」
「いやいや、俺はほとんど何もしてないよ」
「そんなことはないだろー? 動画の編集とかしてくれたじゃないかー?」
アンチョビがぐいぐいと肘でつくので、「やめてやめて」と距離を取りつつ、俺は声色を変えて言葉を続けた。
127 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:51:13.82 ID:MeNYOwih0
「とはいえ、これで質問に答える動画は終わりかな」
「ん? ユーチューバーをやめるのか?」
「いやぁせっかくここまできたんだし、それもどうだろう。制作陣以外からの情報も欲しいしね。しばらく普通のユーチューバーみたいにゲーム実況とかしてみようか」
「ゲーム……あんまりやったことないんだがなあ」
「下手も下手なりに観てて楽しいもんだよ。ファンならより一層ね。まぁとりあえずいつもみたいにツイッターで募集してみましょう。アンチョビにやってほしいこと」
「うん、そうだな! そうしよう!」
「あぁでも、募集をかけるのは朝にやった方が良いね。こんな時間だし、ツイッター眺めてる人も少ないでしょう」
深夜1時半。夜更かしをしている連中も、徐々に床へつき始める時間だ。
128 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:52:45.12 ID:MeNYOwih0
「む、確かにな。戸庭も眠った方が良い。明日も仕事だろう?」
「俺のことは気にしないで良いよ」
アンチョビに「そうはいかないぞ」と背中を押され、俺は寝室へ誘導される。
まぁアンチョビがそう言うならと俺は眠りにつき、目覚めたのは午前7時だ。
5時間以上寝られたのなら上出来じゃないでしょうか。
アンチョビへ声をかけ、俺は家を出た。
出社したらデスクへかじりついてひたすら作業だ。
やっていることは毎日まるで違うのに、作業量が膨大すぎて逆に単調に思えてくるというのは感覚が狂っているのだろうか。
今日は昼食が食べられたので及第点。
終電で家に帰り、アンチョビと一緒に夕食(もはや夜食だが)を食べて布団へもぐった。
129 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:55:10.16 ID:MeNYOwih0
2017年12月8日。金曜日。
働きづめである。
いつからかと言えば少なくとも1週間以上休みがなく、どうやら最後の休みは例の5連休らしかった。
10連勤か、なるほどなあ。
リリースは、12月14日だ。残り1週間を切っている。
そもそもまだ出来ていない機能すらある状態なので、どう計算をしても間に合う見込みはない。
不完全なままリリースして問題の少ない機能はどこかという議論がすでに始まっている。
超上流工程の皆さん、頑張ってください。
家に帰るとアンチョビが優しく迎えてくれるのがせめてもの救いだが、帰宅できるのも2日に一度だ。
正直もう精神が焼け付きそうだが、我慢も残り1週間と考えると何とかなるような気もする。
130 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:57:00.13 ID:MeNYOwih0
仕事が忙しい(忙しいという概念で済まされるのか)なか、動画の投稿も続けていた。
初めはゲーム実況が良いかとアンチョビと話したのだが、動画編集の難易度が高く、漫画や小説の紹介に切り替えた。
昼のうちにアンチョビが動画を撮影しておき、2日に一度、俺が家に帰った時に2日分まとめて編集を行った。
アンチョビには「なあ、本当に大丈夫なのか!?」と何度も何度も声をかけられ、その度に俺は「大丈夫大丈夫」と答えた。
一度「私に出来ることなら何でもするぞ!」とも言われたのだが、マジで何でもしそうな雰囲気だったので怖くて適当にはぐらかした。
131 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 22:58:37.21 ID:MeNYOwih0
今日は、12月8日。つまり明日は12月9日だ。
移動中も飯を食っている間も仕事とアンチョビ(の動画)のことを考えていたのであまり意識していなかったのだが、今日はガルパン最終章第1話公開前日である。
そういえば2日前だったか、舞台挨拶回のチケットが二人分当選していたのを思い出した。
「戸庭、明日は映画に行けそうか?」
「がんばります」
「無理はするな?」
「でもまぁ、ファンなので」
心配そうに問うアンチョビへ返す。
これだけ働いているのだ。
映画を観るくらいの褒美はあっても良いだろう?
132 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:00:29.16 ID:MeNYOwih0
2017年12月9日。土曜日。
飯を食うと嘘をつき会社を出て、俺は山手線で池袋へと向かった。
映画館のホールではすでにチケットを手にしたアンチョビが待っていて、俺を見つけると笑顔で手を振った。
ユーチューブでの彼女の活躍を知る者も少なくないのだろう、アンチョビの姿に「え、あれ本物?」だとか「アンチョビじゃんっ!」といった声が上がる。
狭い映画館で目立つのもなんなので、「あ、たぶん人違いだと思いますよ?」と言葉を残し、二人でそそくさと座席の方へと向かった。
「いやー、来れて良かったな、戸庭っ!」
「たのしみですねー」
133 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:02:20.93 ID:MeNYOwih0
電車がギリギリだったので走ってきたのと、あまり体調が芳しくないのとで、コンディションは最悪である。
万全な状態で臨めないのは残念だが、映画と舞台挨拶を観られるのは素直に楽しみだった。
やがて、舞台挨拶と、映画の上映が始まった。
壮大なオープニングに魅了され、ゴリアテが登場すると体調が悪いのも忘れスクリーンへ夢中になった。
無限軌道杯の存在は知っていても、大洗の事情など詳細までは聞いていない。展開にも興奮できた。桃ちゃん可哀想。
上映が終わる。
余韻に浸りたかったが、時間がそれを許さず、俺はアンチョビと別れ会社へと戻った。
会社へ着く頃には頭痛と体のだるさが戻っていた。とはいえ休んでいる場合ではない。
粛々と手を動かし続け、深夜2時頃にカプセルホテルへと入った。
134 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:04:51.33 ID:MeNYOwih0
2017年12月10日。日曜日。
約束の時刻は13時ジャスト。
アンチョビと共に荻窪にあるガルパン制作会社へ向かうこととなっていた。
朝から体調は最悪だった。
昨日も最悪だったがそれ以上な気もした。
同僚も一人高熱でダウンしている。
限界が近い。
戯れに熱を測ってみたが、何故か熱はない。
それじゃあまだ闘えるよねと俺はディスプレイへ向かった。
昨日同様、昼飯を食べる振りをして会社を出た。
新宿から荻窪までは電車で10分ほどだ。近くて助かる。
「顔色が悪いぞ?」
「大丈夫大丈夫」
アンチョビとは荻窪駅で待ち合わせ、一緒に会社まで歩いた。
平和な荻窪の町並みと弾む彼女の声は仕事を忘れさせる。
135 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:06:19.90 ID:MeNYOwih0
「あぁ、どうも。すぐにわかりましたよ」
案内された部屋には会社の代表が待っていた。
Blu-rayのコメンタリーで耳にした声だ。
「こちらがアンチョビさんかっこかりで、あなたが戸庭さん?」
「あ、はい。戸庭です。とはいえ、私はただの付き添いなので、お気になさらず。基本的にはアンチョビさんが話しますので」
「ちなみに失礼ですが、戸庭さんはどういう関係で?」
「簡潔に言ってしまうとアンチョビさんと一緒に住んでるんですけど、経緯の説明が必要かと思いますので、はい、じゃあ、アンチョビさんお願いします」
「おう! そうだな、まずは私が戸庭の家で寝ていたところから――」
アンチョビは威勢良く語り出す。
代表は興味深そうな顔でアンチョビの話に耳を傾けている。
わざわざ呼んでくれたせいもあってか、ツッコミを入れる様子はない。
136 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:08:11.96 ID:MeNYOwih0
やがてアンチョビが語り終えると、目の前の彼女の存在が信じられないのだろう、彼は頭を抱えて呟いた。
「これでも立ち上げの頃からガルパンには関わってるから、裏側は全部知ってるんだけどね」
「おーっ! それは助かる! ガルパンってどうやって生まれたんだっ!?」
アンチョビの声に、彼は顔を上げる。
「監督と飲んでたら、突然企画を持ちかけられてね。監督初のオリジナル作品だし、まぁ基本的な設定は監督だよ。軍事考証や話の筋書きはまた別の人間が関わってたりもするけど。て、この辺りは調べてるよね」
「それじゃあ……私の設定は?」
少し緊張した様子でアンチョビが問うと、
「監督がざっくり決めて、あとはキャラクターデザイン原案と脚本が詰めた感じかな」
「じゃ、じゃあ」
「悪いけど」
代表がアンチョビの言葉を遮る。
137 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:09:49.23 ID:MeNYOwih0
「……悪いけど、別世界からやってきたガルパンのキャラクターから着想を得たわけでもないし、画面の中からキャラクターが表れるなんて話聞いた覚えもない。期待には応えられないね」
アンチョビが息を詰まらせる。
目を僅かに大きくし、返す言葉が見つからないようだ。
……せっかく来たんだ。これで終わりにはできない。
見かねて、俺がフォローに入る。
「あの、企画を持ってきたのは監督なんですよね。だったら、監督にも話を聞いてみたいんですけど……どうでしょう」
そうやって俺が問うと、
「監督は忙しいですからね。会ってくれるかどうかわからないですよ。ま、馬鹿馬鹿しいとは思いますが僕も信用してしまいましたし、一応聞いてはみますけど」
そこまで言って、彼は「あぁ……でも監督なら喜んで会うって言いそうだな」と呟いた。
あまり芳しくない結果だが、次には繋げられた。悪くない。
俺は彼に礼を言うと、アンチョビと共に会社を出て、新宿へと戻った。
138 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:13:29.90 ID:MeNYOwih0
2017年12月14日。木曜日。
リリース日だ。
当然のようにシステムには未完成の機能が残っているが、そんなものは後から対応してどうにかすれば良いのだふはは。
代表とのメールでのやり取りの結果、監督との対面は明日の夜に決まった。
だから今日のリリースはなんとか乗り切らなければならない。
家には火曜から帰っていない。
アンチョビは心配そうにメッセージを飛ばしてくるが、毎度のことながら適当にはぐらかしている。
「ここの文言、仕様が前のままですけど!」「文言は気にすんなっつっただろ!」
「バグあと何件だよ」「数える時間ももったいないわ50件は残ってるだろ」
「これやばくないですか? ホントにリリースするんですか?」「するつってんでしょうが」
「馬鹿なの」「ああぁあ終わる気しねええ」
現場では怒号が飛び交っている。リリースは14時から。
サイトの緊急メンテを挟み、終了は15時の予定だ。
怒鳴るのは損だ。時間を無駄にしている。
淡々と目の前のタスクをこなし、少しでもマシな状態でのリリースを心がけろ。
139 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:15:33.19 ID:MeNYOwih0
禅僧のような精神で黙々と取り組んでいると、14時を前にしてリーダーが「一旦チケット投げるのやめろ!」と叫んだ。
スタッフ全員の視線を集めると、リーダーは「おらおらいくぜえ!」と本番環境へのデータのアップロードを行う。
そうして目標としていたリリースは終わったわけだが、まだ出来ていない機能すらある状態だ。
作業をストップするわけにはいかない。
やはり作業は深夜まで及び、そこでようやく「みんな疲れてるだろうから今日はもう解散だ!」とリーダーが言った。
いやお前すでに23時だよ?
ふらふらの状態で家へ帰るとアンチョビに「死にそうだぞ戸庭! 風呂かご飯か!」と迎えられた。
俺はその両方を終えると、アンチョビへ「寝る」と伝え、寝室でベッドに倒れ込んだ。
140 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:18:10.62 ID:MeNYOwih0
2017年12月15日。金曜日。
だと思う。おそらく。
目覚めると、体が動かなかった。
目覚まし時計やスマホに手を伸ばすことすら叶わないので日時も確認できない。
かすかにキッチンの方から香ばしい香りが漂って、それでアンチョビがそこにいることがわかった。
「アンチョビさん」
喉から漏れた声は驚くほど小さかった。
そこでようやく「あれ? これまずいのでは?」と勘付いた。
体が動かないのは、尋常でないだるさと痛みが全身を襲っているからだった。
意識は朦朧とするし、これは死ぬのではないかと思わされた。
141 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:20:04.38 ID:MeNYOwih0
ひゅうひゅうと微かな呼吸が寝室に薄く響いた。
何とか気力を振り絞ると指先がぴくりと動く。
とはいえ起き上がるほどの筋力はないらしく、ベッドの上でもがくのみだ。
「ううう」
覚悟を決めて体を転がす。
すると、ベッドから落ちた俺の体は床と接触して鈍い音をたてた。
やがて寝室の扉をノックする音と「戸庭?」と俺を呼ぶアンチョビの声が聞こえる。
そこで俺が再び「アンチョビさん」と声をあげると、「入るぞ」と扉の隙間からアンチョビの綺麗な髪が見えた。
「戸庭っ!」
アンチョビが叫ぶのが聞こえるが、俺にはどうにも遠い世界の出来事に思えた。
ずぶずぶと暗く寂しい世界が俺の傍にあって、俺はその境界に立っていた。
142 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:21:21.13 ID:MeNYOwih0
「戸庭! 救急車! 呼ぶからな!」
そう言うアンチョビに、俺はおかしいと思い「会社に行く」と返した。
そういえば今日は監督とも会うのだ。
病院へ行っているような場合ではない。
視線を僅かに上げると、そこにいるアンチョビが瞳を震わせていて、今にも泣いてしまいそうに見えた。
俺はアンチョビが泣かないよう頑張っているのに意味がわからないと思った。
しかし、じきに脳みそが揺れて、視界が揺れて、ものを考えられるような状況でもなくなった。
気を失う直前、俺は額に柔らかな感触を覚えた。
143 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:30:16.14 ID:MeNYOwih0
初めに見えたのは白い天井だった。
次に「戸庭っ」と声を上げるアンチョビの顔が見えて、首を動かすと室内にベッドが並んでいるのがわかった。
どうやらここは病院の一室らしかった。
「いま先生を呼んでくるからなっ!」
勢いよく病室を出て行くアンチョビに、俺は「元気だなあ」と素朴な感想を抱いた。
やがてやってきた白衣を着たおっさんに問いかけられるまま答える。
その課程で俺は、どうして自分がここに寝そべっているのかを知れた。
「わかるでしょ。過労ですよ。死にたいの?」
そうやって顔をしかめる医者を、俺は心外に感じた。
「死ぬつもりはなかったんですけど……」
「冷静な判断が出来ないとそうなるよね」
呆れた様子で医者が吐き捨てる。
俺は僅かに憤りを覚えたが、脇で申し訳なさそうに佇むアンチョビを見て、感情がおさまった。
144 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:32:01.66 ID:MeNYOwih0
なるほど、俺は、過労で倒れた。
アンチョビはそれを、どうやら自分のせいだと感じているらしかった。
彼女らしいと思った。
しかしそれは決して事実ではない。
医者が去って俺が「アンチョビさんは関係ないですよ」と言うと、彼女は「ごめん」と呟いた。
「なんで謝るの。関係ないって言ってるじゃん」
「関係はある。一緒に暮らしているんだ。『大丈夫』と言う戸庭を、私は信用してしまった。止めることができなかったんだ」
言葉を紡ぐごとに彼女の瞳が潤んでいくので、俺は見ていられなくなって顔を背けた。
医者には『最低でも五日は入院して休養すること』と告げられた。
その間は仕事もアンチョビの助けになることもできない。
145 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:34:14.63 ID:MeNYOwih0
「今日、監督と会うの何時からだっけ」
「――18時だ。自分も行くなんて言うなよ?」
先手を打たれてしまった。
「でもアンチョビさん、一人じゃ厳しいんじゃない?」
「大丈夫だ! どうとでもなる!」
……俺の「大丈夫」って言葉を信用したのを悔やんでるくせに、自分では言っちゃうんだよなあ。
「前回、俺のフォロー必要だったよね」
「う……っ! で、でも今回は大丈夫だ!」
「一人では行かせらんないよ。駄目。俺も行く。だってほら、こんなにも元気」
そうやって右腕を上げてみせると、ついにアンチョビは水滴を頬に垂らした。えええ。
「私のせいで、戸庭が体を壊すとか、いやなんだ」
146 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:35:53.67 ID:MeNYOwih0
ずがーん、と脳みそに隕石が落ちる。
そういうのずるくないですか。
体が硬直し、俺に染み付いたヘタレ根性では、何も言えなくなる。
「戸庭。私は、一人で行ってくる」
しかし、嫌だ嫌だという話なら、俺にだって嫌なことはある。
「で、でも」
声が震えるのにも構わず、言葉を続ける。
「俺は、俺のせいで、アンチョビさんが、向こうの世界に帰れなくなるのが、いやです」
俺が言うと、アンチョビは瞼を強く閉じて天井を見上げる。
そして少し間を置いて「んう〜〜〜〜」と唸った。
147 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:37:33.28 ID:MeNYOwih0
「よおし!」
アンチョビが自らの膝を叩く。
「じゃあこうしよう、監督と会うのを延期する」
「え、忙しい人ですよ。そんな簡単に予定ずらしてくれるかな」
「前にも言っただろう。やってみなきゃ、わからない」
にいっとアンチョビが笑う。
俺はその言葉を否定することはできなかった。
「それじゃ、一度家に帰るぞ。着替えとか日用品を持ってこなきゃだからな。他に何か持ってきてほしいものはあるか?」
「タブレット端末さえあれば良いよ。あ、着替えってもしかして俺の寝室入る? だったら新品でも良いんだけどなあ」
寝室には脱ぎ散らかした衣類や同人誌が転がっている。
あまりアンチョビの目に触れさせたくない。
「今朝も入ったぞ」
アンチョビは僅かに顔を赤らめてぶっきらぼうに言った。
あぁ、そういえばそうだった。今更な話か。
148 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:39:08.64 ID:MeNYOwih0
「また後でな」と言葉を残し、アンチョビが去る。
俺はアンチョビがいなければどうなっていたのだろう、とふいに思う。
ifの話を考えても仕方がないが、まぁ運が悪ければ、横たわるベッドは病室のそれではなかっただろう。
そういえばアンチョビへお礼を言うのもまだだったと気づき、戻ってきたら彼女にありったけの感謝を伝えようと思った。
枕元にはスマホが置かれていた。
画面をタップすると、何件も着信が残っている。
ははあん、上司からである。
149 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/17(火) 23:41:17.35 ID:MeNYOwih0
こちらから折り返し発信してやると、すぐに応答があった。
「戸庭あっ! 出社はどうしたお前! 寝坊か!」
「倒れたんで入院することになりました。しばらく会社行けそうにないです」
俺が言うと「なんだと!」と向こうで上司が叫んでいるのがわかる。
ぐだぐだ根掘り葉掘り訊かれそうでしんどかったので、俺は「詳しくはメールします」と言葉を残して通話を切った。
やがてアンチョビが病室へ戻って、俺に告げた。
「監督と会うのは来週の金曜になったぞ!」
俺はアンチョビが「もうやめてくれえ!」と叫ぶまで、彼女へ感謝の念を伝え続けた。
アンチョビが家へ帰り、夕方になって熱がぶり返してくる。
俺は病室のベッドでぶるぶると震えながら眠りについた。
150 :
◆JeBzCbkT3k
[sage saga]:2018/07/17(火) 23:42:45.54 ID:MeNYOwih0
眠いのでここまでにします。
続きはまた明日書くと思います。
151 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/07/18(水) 00:26:53.98 ID:iJSEyaf/0
おつつb
152 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/07/18(水) 09:03:17.39 ID:TOsJ+ARCO
夢小説にしては読みやすい。他に書いてるやつある?
153 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/07/18(水) 09:09:53.81 ID:kkfx2H6m0
このままだと俺(戸庭)があの世の世界にいってしまいそうな……
154 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/07/18(水) 12:41:11.46 ID:C/iQJitM0
一貫して主人公が色欲方向での男を感じさせないのが良いんだが、成人の読み物としてはちと不自然かな
155 :
◆JeBzCbkT3k
[sage saga]:2018/07/18(水) 22:06:47.66 ID:/cdPx5HI0
>>152
156 :
◆JeBzCbkT3k
[sage saga]:2018/07/18(水) 22:08:07.63 ID:/cdPx5HI0
間違えてShift+Enterしちゃった。
>>152
ガルパンでなくて恐縮ですが、この辺りです。
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1475588389/
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1481111726/
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1500552019/
157 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:08:51.98 ID:/cdPx5HI0
はい。再開します。
158 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:11:49.35 ID:/cdPx5HI0
2017年12月16日。土曜日。
タブレットでVtuberの動画を眺めているとアンチョビが「おはよーうっ!」と現れた。
右手にみかんとりんごの入った籠を提げている。
「戸庭、元気か?」
「ぼちぼちかな。まだ熱はあるけどね。アンチョビさんは元気そうでなにより」
「うんうん、しっかり休んでばっちり治せよ」
「そのつもりだよ。あぁそれより、ユーチューブ見てて思い出したんだけど、アンチョビさんの動画編集しなきゃだよね。悪いんだけど家からノートPC持ってきてくれる?」
159 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:13:12.98 ID:/cdPx5HI0
「……しっかり休んでばっちり治す気は本当にあるのか?」
疑わしげに見るアンチョビに俺は言葉をかえす。
「病院って暇なんだよね。1日1時間作業してた方が気が紛れる。アンチョビさんはデスクトップPCの方使ってよ」
りんごを食べながら5分ほど交渉したところで、アンチョビは「じゃあ明日だ。明日からな」と折れた。
アンチョビが帰り、なるべく眠った方が治りも早くなるだろうと俺は目を瞑った。
仮眠のつもりが、目覚めると真夜中。
俺は暗闇の院内を恐る恐る歩き用を足すと、再び病室へ戻り布団にくるまった。
160 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:15:01.63 ID:/cdPx5HI0
2017年12月17日。日曜日。
アンチョビの持ってきてくれたノートPCで動画の編集をしていると、花澤と長田がやってきた。
「転職案件やね」「これに懲りて無茶はやめよう」
「そうだなー、考えてみよっかな」
初めこそ殊勝な言葉を吐く二人だったが、すぐに花澤によってボードゲームが持ち出された。
コヨーテを1時間。
熱中して遊んでいたら体温が38度を超えて看護師に怒られた。
アンチョビへ電話でそのことを話すと、彼女にも「安静にしてなきゃ駄目って言っただろ!」と怒られた。
161 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:17:25.40 ID:/cdPx5HI0
2017年12月21日。木曜日。
ようやくの退院である。
最後の診察で医者には「次また過労で入院したら治療費倍額請求するぞ」と言われた。
俺は「二度と来るか」と短く返した。
受付ではアンチョビが待っており、一緒に病院を出てバスに乗った。
バスを降りると、件のうどん屋で昼食をとった。
「会社にはいつから行くんだ?」
「来週から。明日までは入院してることになってるからね」
「――ちょっと待て。頭の中で審議する」
数分間、アンチョビは「うーん」と考え込み、
「うん、OKだ」
「重畳です」
162 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:18:36.71 ID:/cdPx5HI0
うどんを平らげ、食後のお冷やを飲んでいると、アンチョビが「そういえば」と思い出したように口にする。
「今日の分の動画はもう撮ってあるからな。編集頼むぞ。私、午後はいないからな」
「どこか行くの?」
「うん、バイトを始めたんだ」
誇らしげにアンチョビは言うが、俺は驚くばかりだ。
「……いやいや、しなくて良いって。前にも言った通り、俺の給料で十分でしょう。働いてる暇があるんなら、その時間を使って元の世界へ帰る方法を探した方が良い」
「そうは言うがな。四六時中考え込んでばっかりいるわけじゃないだろ。時間は空いてるんだ。というか、そもそももう面接も通って働き始めてるしな!」
163 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:20:00.07 ID:/cdPx5HI0
「ええ、どこの店?」
「食べに来るか? 隣駅のイタリア料理店だ!」
――まったく、すごい行動力だなあ。
まぁ、俺にアンチョビの行動を止める権利はない。
俺が渡せる金に限りがあるのも確かだし、アンチョビに欲しいものがあるのなら自分の稼いだ金で買うのも良いだろう。
……けれど、この、一抹の寂しさは何だ。
その根源を突き止めるのは、骨が折れそうだった。
午後になり、久しぶりの我が家を満喫して、俺は戯れに二度目のガルパン最終章を観に出かけた。
家へ戻るとアンチョビが夕食を作り終えていて、俺はそれを食べて眠った。
体の疲れはなく、気持ちよく寝られた。
164 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:23:06.52 ID:/cdPx5HI0
2017年12月22日。金曜日。
監督と約束した場所は、荻窪の小さな食事処だった。
時間は夕食時の午後19時。
それまで俺とアンチョビは、延々と家でガルパンを1話からぶっ通しで観賞した。
荻窪に到着し、飲み屋街を歩く。
ぽつぽつと灯る店の明かりと、酔いはじめのおっさん達の笑い声が、なんともいえない高揚を抱かせる。
「戸庭。店につくまで我慢だぞ」
心中を見透かされたのか、アンチョビがそう忠告する。
俺は「監督と会うのに酒飲んだりなんかしないよ」と返し、いささか歩調を早めた。
店に辿り着き、中へ入ると、カウンターに立つおばちゃんに「いらっしゃい」と声をかけられる。
「あの、待ち合わせをしてるんですけど」
「あぁ、はいはい。もういらっしゃってますよ。2階に上がって正面の部屋ね」
165 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:24:35.56 ID:/cdPx5HI0
おばちゃんに、店内の左手に位置する階段を案内され、「ありがとうございます」とアンチョビと二人でそれを上がる。
正面のふすまをノックして中へ入ると、40代くらいの男女が下座に座って談笑をしていた。
両方の顔に見覚えがある。
女性の方は脚本、そして男性の方がガルパンの監督だ。
「あぁ、きましたか。どうもはじめまして」
「はい、はじめまして。戸庭です。あ、で、こっちが――」
「アンチョビだ! よろしくお願いします!」
アンチョビが元気よく挨拶すると、俺は彼女と二人、監督と脚本の正面へ座った。
あちらが下座に座っているので、こちらは仕方なく上座だ。
166 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:25:56.94 ID:/cdPx5HI0
監督はアンチョビの顔を眺め、興味深げに、
「あぁ実際に観ると動画よりもホンモノ感が増しますね。当たり前なんですけど」
「失礼ですよ」
脚本が苦笑して監督を注意する。
そしてこちらを向き直り、「はじめまして、ガールズ&パンツァーで脚本を担当しています――」と名乗った。
「存じてます。会えて光栄です。ファンです。よろしくお願いします」
俺にとってゴッドと呼ぶべき二人が目の前にいるのだ。
緊張して言葉選びが下手くそになるのも許して欲しい。
167 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:27:30.48 ID:/cdPx5HI0
「嬉しいですね。ありがとうございます。何飲みます?」
監督からアルコールのメニューを差し出される。
ちらりとアンチョビへ目線を送ると、彼女は口角を上げた。
飲んでいいぞ、ということらしい。
「……じゃあビールをいただきます」
「私はオレンジジュースをもらえると助かるな」
「あぁそうでした。アンチョビはまだ18歳でしたね」
監督はそう言うと、ふすまを開き、階下へ「すみませーん」と声を放った。
やがてビールとオレンジジュースが届き乾杯。
枝豆と豆腐でちびちびやり出したところで、監督が「さて」と話を切り出した。
168 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:29:17.02 ID:/cdPx5HI0
「事情は聞いています。我々に訊きたいことがあると」
「私個人としても強い興味があったので、お願いして今日の場を設けてもらった形になります」
「じゃあ、まずはアンチョビさんの置かれている状況を詳しく教えていただけますか」
「あぁいえ、一部聞いてはいるんですが、なにぶん伝聞なので、実際に耳にしないとわからない部分もありますから」
監督に促され、アンチョビは「ああ!」と前回同様、これまでの経緯を語り出す。
アンチョビが十数分かけて語り終えると、今度は、
「じゃあ、次に、あちらの世界のことを教えてもらえますか」
とさらに促した。
アンチョビは再び語り始める。
最終章2話以降のネタバレが大いに含まれており、俺は小さくないショックを受けたが、黙って耳を傾けた。えらい。
アンチョビが「以上!」と話を締めると、監督は少し間を置き、口を開いた。
169 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:30:56.38 ID:/cdPx5HI0
「ガルパンのアニメの大筋は、基本的にはこの二人の頭の中から出てきています」
「ちなみにアンチョビというキャラクターに関しても、最初のアイデアは私ですが、肉付けをしていったのは――」
「私ですね」
監督の言葉を、脚本が引き継ぐ。
「いまお話いただいた、あちらの世界でのアンチョビさんの近況ですが、作中では最終章以降のお話ですね」
「こんなことをうかがうのも何なんですけど、やっぱり今後の展開とまったく同じだったりするんでしょうか」
俺が問うと、彼女は答えた。
「それはわかりませんね」
「……わからない、ですか?」
「どういうことだ?」
「というのも、アンツィオ高校の無限軌道杯での試合内容や、各生徒のエピソードなど語っていただきましたが、これらはきわめて細部の内容だと思うんです」
「私たち、まだそこまで考えてませんからね」
そこまで、考えてない。
170 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:32:22.88 ID:/cdPx5HI0
俺が愕然としていると、脚本が「少し訂正しておくと」と口を挟む。
「考えていないというのは語弊があって、もちろん大筋は決めてあるんです」
「しかし、細部の設定は今後詰めていく部分も多々ありますし、進行のなかで変更が入ることもあるでしょう」
「ですから、結論から言えば、こちらとしては何が正解かをお答えするのも難しい状況ですね」
「せっかく来ていただいたのに申し訳ありません。ちなみに一つ申し上げておくと、大筋は確かに我々の想定している展開と一致しています。ですから――」
彼女はアンチョビへと目を向ける。
「貴女がアンチョビ本人だというのは、間違いないでしょう」
アンチョビが喉を鳴らす。
脚本はそんな彼女を見て「私が言うのもおかしな話かもしれませんけどね」と付け足した。
171 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:34:51.12 ID:/cdPx5HI0
「まぁ来ていただいたんですし、誠意としてこちらもお話しましょうかね?」
「そうですね。貴女がたを信用してお話します。絶対に、他言無用でお願いしますよ」
監督の言葉に、脚本が続ける。
そうして二人は語り出した。
二人の脳内で描かれているガルパンの世界、その全てを。
――たっぷり1時間はかけただろうか、やがて話が最終章の結末に及んだ時、俺は思わず涙ぐんでしまった。
「長くなりましたが、このくらいですね。考えているのは」
「ええ。変更の可能性はありますけど、この程度です」
「……ですから、アンチョビさんの語った細部は、現状、この世界では誰の手によっても生み出されていません。貴女の中にしかないものです」
「……じゃあ、私は、一体」
声を震わすアンチョビに、脚本が返す。
「わかりません。けれど、一人の確固たる人物ではあります」
172 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:36:43.70 ID:/cdPx5HI0
ぐびぐびとビールジョッキを飲み干して監督が繋げる。
「まぁなんといいますか、私たちからはこれ以上情報は出せませんからね。アプローチを変えてみるのはどうでしょうか」
「アプローチ、ですか」
俺が問うと監督は答える。
「はい、そうです。ここにいるアンチョビという人間はどうやって生み出されたものなのか。それを想像してみましょう」
「どうやって生み出された……例えば、画面の中から出てきた、とかですか?」
「そうです。しかしそれは否定できますね。画面の中では、まだ無限軌道杯は終わっていません」
「じゃあガルパンの世界というのがあって、そこからこちらの世界へやってきたというのはどうだ!?」
「私たちが創り上げた世界観と同じくするガルパンの世界というのが、仮にあるのだとしたら、もの凄い偶然ですね。まぁ並行世界という概念上あり得るのかもしれませんが」
173 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2018/07/18(水) 22:39:00.32 ID:/cdPx5HI0
「少し口を挟みますが、戸庭さんが劇場版鑑賞後に彼女は現れたということでしたよね?」
「あぁはい、そうです」
「では、貴方が想像もしくは望んだことによって彼女がこの世界に具現化されたのだという可能性はありませんか?」
「……それは前にも考えましたが、アンチョビは俺の知らないアンツィオの話を知っていたので、ないかと思います」
「それは否定材料にはなりません」
俺が言うと、監督がそうきっぱりとこたえた。
「戸庭さんの頭の中から生まれた存在だとしても、戸庭さんそのものではないわけですから」
「けれど我々しか知らない情報も持っていたことを考えると、私たちから影響を受けている可能性は高いと思います」
「……え、まさか本当に」
「はい。一番信憑性が高いのは、このパターンかと思います」
「信憑性という意味だと、アンチョビというキャラクターがこの世界にいるということ自体、あまり信憑性はないですけどね」
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