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【ミリマス】紗代子は最高の瞬間を掴まえたい
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1 :
◆Xz5sQ/W/66
[sage saga]:2018/07/07(土) 15:40:53.50 ID:LgMjPCNT0
【序幕 破顔】
その微笑みは狂気を孕んでいた。
人が浮かべて見せる表情のうちで、最も恐ろしいのは笑顔だと聞いた覚えがある。
そんな事をふと思い出してしまうぐらいには、だ。
画面の中に映る少女は、デジタルデータで記録されていたその少女は、私の心を怯えさせて、
思わず羽織っていた毛布に指をかけさせる程には見る者を圧倒したのだった。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1530945652
2 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 15:45:01.94 ID:LgMjPCNT0
自室の机で眺めてた、ノートパソコンの中で笑う少女。
けれど「きゃーっ、きゃっきゃっきゃっきゃっ」だとか
「ひぇー、ひぇっひぇっひぇっひぇっ」なんてわざとらしい演技はセットじゃない。
もしもそんな笑い声を彼女が上げていたのならば、
私はきっと耳にはめていたイヤホンを慌てて外したことだろう。
そうして、その必要がないほどに静まり返った舞台の上で、
彼女はただの一言も発さずに悠然と立っているのだった。
思わず、意識を飲み込まれてしまいそうになる微笑。
そんな少女の笑顔に端を発した不気味な静寂を打ち破ったのは、
共演している役者が小道具のシャベルを鳴らす音だ。
カツン、と床に当てられた切っ先が乾いた金属音を立てる。
それを合図に、まるで金縛りが解けたかのように息を吹き返す役者と観客席。
そして、画面越しに覗いていた私。
3 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 15:46:30.04 ID:LgMjPCNT0
『ご覧、ボクの言った通りだったじゃないか』と、
金物を鳴らした男装の麗人は用意されていた台詞を吐いた。
私は思い出したように手元の台本を確認すると、その台詞部分を指でなぞる。
演出として書かれている通り、微笑みの少女以外は誰も彼もが絶望に満ちた顔をしてる。
……だけど、それは言ってもしょうがないことだ。
何せ、自分たちを長年閉じ込めていた世界の壁に空けた大穴の先に見つけたのが――。
『壁の向こう側にはまた壁があった。
君はまだ、バカげた空言で穴を掘り続けましょうと言うつもりか?』
そうだ。舞台に用意されたスクリーンに大写しとなった壁の存在。
それはゆうに一時間を超えた演劇のラストを飾る為の代物。
そびえ立つ壁の向こうに理想のユートピアを描いた物語の登場人物たちと、
ハッピーエンドを期待してここまで見続けた観客を同時に叩きのめすための。
4 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 15:48:37.73 ID:LgMjPCNT0
『ええ、そう、掘るんですよ』
だけど、たった一人にとっては違っていた。
このお話の主役である彼女は、率先して壁に穴を掘り続けていた少女はウットリと、
まるで恋をしているかのようにその頬を緩めて周囲へと笑いかけたのだ。
『だって、壁はまだそこにあるんだから』
「だって、壁はまだそこにあるんだから……かぁ」
思わずふぅっと息を吐いた。
重ねた台詞は全く別の物に聞こえた。
舞台に送られる拍手がまばらに響き、長い出し物が終わったことを私に告げる――
そんな中で、最低限このレベルの演技が求められているという事実を再確認して肩が重い。
「雪歩ちゃんってば、普段と違い過ぎるって」
ついそんなことを漏らしてしまったけども、
きっと他に誰もいない部屋じゃ少しぐらいの泣き言は許されるよ。
……私はプレイヤーの再生を停止すると、パソコンの電源を落として椅子からベッドに移動する。
そうして枕に乗せた頭で考えるのは、どうしてこの役が自分に回ってきたのかという、
今更どうにもできない自らの境遇についてだった。
5 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 15:50:02.87 ID:LgMjPCNT0
【一幕 いきさつ#1】
芸能事務所、765プロダクション所属アイドル候補生高山紗代子。
それが十七の私が持つ肩書き。
高校生という世界の枠からは少しだけはみ出てみた結果。
三年生を迎えてから努力の証に得た勲章。
けれども私は、昔からアイドルになろうと夢見て生きてたワケじゃない。
幾重にも重なるケミカルライトが揺れる波間、
その向こう側にあるステージで歌い踊る人達というものは、
当時、その眩しさに目を細める存在足りえても、
私自身が憧れる対象には決してなり得なかったのだから。
でも、だからこそその場所をゴールに据えてみたと言える。
本気でアイドルを目指そうと思ったのは、それが自分から一番遠い存在だったからだ。
困難な目標を見事にこなしてみせてこそ、私は変われると頑なに信じ、
取り巻く環境も何かしら変化するものだと思い込んだ。
少なくとも、オーディションに挑戦し始めの頃は精神的にも前向きで、
私は自分が以前の状態にまで持ち直したような気だってしてた。
6 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 15:51:32.66 ID:LgMjPCNT0
だけど私は、すぐに自らの実力不足を痛感する羽目になってしまう。
受けるオーディションの結果は連戦連敗。
元々容姿に自信があるワケでも、特別ダンスや歌が得意でもない。
まして受験勉強なんかとは違って
合格の為のハッキリした対策だって無い世界だ。
人に自慢のできる取り柄も無い、武器となる一芸も持たない私にとって唯一の物と言っていい、
アピールポイントとして毎回のように口にしていた「やる気がある」という言葉が、
実のところは追い詰められ、後にも引けなくなったカラ元気を撒き散らしてる姿だったと気づいたのは、
恥ずかしいな、765の面接官だったプロデューサーに拾われた後の世間話。
「君を合格にしようと思わされた、その元気がカラ元気だったとしても良いじゃないか。
そういうのをさ、根性があるって言うんじゃないの」
偶然にも、私と同じ型の眼鏡をしていた彼はそう言ってにへらと微笑んだ。
それは入所後の面談も兼ねた事務手続きの席でのことで、屈託なくかけられた言葉は、
それまで私の体を縛っていた緊張の糸を容易くほどき――彼の前で涙を見せたのはこの時が最初。
あれ以来、涙腺が随分と緩くなってしまった気がするけど。
それは誰にも聞かせられない私の小さな秘め事だ。
7 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 15:53:47.67 ID:LgMjPCNT0
……さて、そんな『39プロジェクト』オーディションとの出会いを経たことで、
私は晴れて765プロライブ劇場の一員となった。
何度もの不合格を経験した末に、
ようやく一流アイドルを目指すという目標の第一歩を踏み出した形になる。
とはいえ、所属して暫くの間は候補生という括りに同期のメンバーとまとめられ、
元々は臨海公園が作られる予定だったという、海沿いの広々とした土地に建てられた劇場施設でみっちり基礎を鍛えることに。
そうしてふた月もすれば体の方も慣れ始めて、
心にも幾らかの余裕が生まれた頃、私たちは唐突な話を聞かされることになったのだ。
「君たちは今度の公演で舞台デビューだ」
それは、ある日のレッスン終わりのことだった。
私を含めた五人の候補生を呼び集めたプロデューサーは、
いつもの柔和な笑顔を崩すことなくそう言った。
アイドルデビューとは言われなかった。
私と同じことを疑問に思ったのだろう。
一列に集められた中で最年長だった琴葉さんが、
まるでその場のみんなを代表するように質問するため手をあげる。
「プロデューサー、それは私たちからも候補生の肩書が外れるということでしょうか」
訊かれた彼が頭を掻く。でも、私たちが一番気にする点はそこだ。
だって、デビューの形はどうあろうと、
人前に出るということは活動が本格化することを意味するもの。
8 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 15:55:22.49 ID:LgMjPCNT0
だけどプロデューサーは、問いかけるような視線を浴びせる私達一同の顔を見回すと。
「いや、本格的なデビューはもうしばらく先の話になる。
難しく考えることじゃないさ。これはまぁ、レッスンの次のステップだよ」
「つまり、私たちの瀬踏みですか」
「……もう少し気楽に、実習だと思って欲しいなぁ。君たちは大人組や桃子らとは事情も経験も違うんだ。
なるたけじっくり、段階を踏んで仕上げたいってのが俺と事務所の考えでね」
そうして彼は、「それともだよ」と琴葉さんと真っ直ぐ目を合わせ。
「君としては折角集めた原石でも、一山いくらの状態でこのまま売る方が良かったかな?」
言われた彼女が僅かに首をすくめる。
実習という例えを聞いて、誰かが安堵の息を漏らす。
質問に答えてもらった琴葉さんが「わかりました」と頭を下げると、
プロデューサーは機嫌よく頷き手を叩いた。
「とにかく、トップアイドルへの道も一歩からだ。
ステージで必要な度胸と経験をつける為にも、みんなで端役から頑張ろう!」
「おーっ!」と、彼と一緒に拳を突き上げる人がいる。
反対に、待ち受ける不安から体を震わせる気弱な人も確かにいて。
私は自分の隣で青くなっている可憐ちゃんの肩をポンと叩くと、
ドキドキするけど一緒になって頑張ろうね、なんて偉そうに励ましてみたりするのだった。
……本音を言えば自分だって、不安で一杯だった癖に。
9 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 15:56:42.93 ID:LgMjPCNT0
【一幕 いきさつ#2】
とはいえプロデューサーの言った通り、
その不安や恐れを払拭するために用意されたのが劇場と言う名の舞台だった。
765プロライブ劇場では、平均週に二、三回、公演という形で何らかのショーを披露してる。
何らかの、なんて私の歯切れが悪いのは、
この劇場の扱う演目の種類が多岐に渡っているせいだろう。
そもそもがアイドル事務所の施設なので、歌やダンスのパフォーマンスを見せるライブをするのは当たり前。
でもそれ以外にも劇場では漫談、講談、コントにお芝居、朗読会から演奏会、
時には大掛かりなマジックショーなんて出し物まで。
曰く、ともかく既存の枠には収まらない、
バラエティ色こそが765プロの強みなんだとか。
当然、私たち新人アイドル候補生は、先輩たちが行う舞台のバックダンサー以外にも、
こうした演目のお手伝いだってすることになる。
つまり、それがプロデューサーの言った私たちの舞台デビューであり、
度胸をつける為の大事な修行だったワケだ。
10 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 15:58:53.77 ID:LgMjPCNT0
「大事なのは舞台に立ったって経験なの」と、
メンバーの中では唯一本格的な演劇経験を持つ琴葉さんは言う。
――彼女は高校で演劇部所属なのだ。
「緊張の初舞台は誰にだってあるわ。
もっと言えば、どれほどベテランになったって新しく演じる話は全部そう。
だからこそ、舞台に立ったっていう共有可能な経験を、
少しでも多く積んでおくことが何より自分の自信になるの」
五人揃って初めてのミーティング。少なくない不安に揺れる私たちに、
琴葉さんは一歩先を行く経験者として完璧なまでの演説をぶってみせた。
するとミーティングルームの机を囲むうちの一人、
のんびり屋の美也さんがそんな彼女の言葉に肯いて。
「おぉ! それは将棋においても同じですな〜。
私も初めて戦う相手よりは、数をこなした相手の方がやり易いです〜」
なるほど分かった! というようにポンとその手を打つんだけど、
納得が自分の中で完結してるのか、彼女はニコニコ笑って細かい説明までは口にしない。
それでも何とか理解しようとすれば、対局経験数は無駄にならない……
なんてことを言いたいんだろう。多分。
11 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:00:52.42 ID:LgMjPCNT0
実際、隣に座るエレナちゃんなんかはいまいち理解してないようで。
「つまり当たって砕けろチャレンジの、チリも積もって大和晴れだネ!」
なんて元気よく指を鳴らした後。
「な、習うより慣れろの方が……。失敗はしなさそうで、縁起は良いんじゃ……」と、
向かいに座る可憐ちゃんからオドオドとしたツッコミを貰ってるような有様だった。
生まれはブラジル、小さな頃に日本(こっち)へ引っ越してきたというエレナちゃんが披露した、
ちょっと怪しい慣用句のパレードに琴葉さんがやれやれと首を振る。
「とにかく!」
そうしてパンッ、と手にしていた台本をひと叩き。
みんなの注目を集めると、もう既にチームの中のまとめ役に収まりつつあった彼女はこう言った。
「初舞台がバックダンサーじゃなくて、お芝居なのは僥倖だわ。本を読んだ限りだと五人に振られた出番も多くないし、
これだったら誰かが台詞をとちっても私がすぐにフォローできる」
「頼りにしてるよ、コトハ!」
「ありがとうエレナ。でも、だからってさっきみたいな適当なことわざ使ってちゃ、練習で怒られちゃうんだから」
琴葉さんの冗談めかした御忠言でその場に小さな笑いが起きる。
どうやら今回集められたメンバーの相性は悪くないみたいだ。
……と、雰囲気が明るくなったところで、
そんなことを考えていた私と琴葉さんとの目が合った。
12 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:02:54.62 ID:LgMjPCNT0
「そういえば、紗代子はどう?」
「えっ」
「不安に感じてることがあるならこの場でみんなに言っておいてね。
その為のチームミーティングなんだもの」
「わ、私は……」
笑顔で訊かれて、戸惑う。
自分自身の抱く気持ち。
初舞台に対する期待と不安と興奮は、正直言って中途半端。
私はエレナちゃんほど後ろも見ないで走れないし、
可憐ちゃんほど手当たり次第に不安を感じてるワケでもない。
だからって、美也さんみたく堂々と微笑んでもいられない。
それはつまり、今の私は、どんな方向へでも転がっていけるってことでもあるんだろうけど。
13 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:04:42.31 ID:LgMjPCNT0
「――不安はあまり感じてません。
だって、この五人が力を合わせれば、壊せない壁なんて無いと思いますから!」
私は震える指を握り拳。自分には武者震いだって言い聞かせて、
みんなを不安にさせないようできるだけ元気にそう答えた。
後ろ向きな言葉を形にしたくなくて、
琴葉さんが求めていた答えとは少しズレた感じになった気もするけど。
……それでも美也さんがむふふと頬を緩め。
「そうですね〜。どれほど困難な壁にぶつかっても――」
「うんうん! 五人でドカンと砕けちゃおっ!」
「だ、だからそれじゃ、壊れちゃうのは私たちですから……。力加減は程々で……」
さらには三者三様の反応を受けた琴葉さんが「そうだね」と一同の顔を見回して。
「足りない部分は補うから。とりあえずは最初のレッスンを頑張ろうね!」
そう言って話を締めくくる。案の定、その後の話し合いで
チームのリーダーは琴葉さんに決まった。
ちなみに私は副リーダー。
始めは柄じゃないって断ったんだけど、
琴葉さんからも「紗代子だと安心できるから」なんて言われちゃうと……。
急に気分が大きくなって、ココならこんな私でも頼られる事が嬉しくって、
つい、「そこまで言うなら」なんて安請け合いをしてしまったのだった。
14 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:06:31.25 ID:LgMjPCNT0
===
だけどそうして、私たちの実習チームは着実に経験を重ねて行った。
初めこそ勝手が分からないから手間取ることもあったけれど、
琴葉さんが最初に言った通り、数をこなすのは度胸のレベルアップに効果的で。
例え一度の出番は短くても、何十回とお客さんの目にさらされて舞台に立つうちに、
気の弱かった可憐ちゃんでさえ見違えるように成長して――。
「サヨコ大変! 帰ってきたカレンが倒れちゃった!」
「でも今日は最後の出番まで頑張ったよ。ほら、立てる? 私が肩を貸したげるから」
「う、うぅ……。す、すみません紗代子さん。……あ、安心したら、力が抜けて」
――うん! 間違いなく成長してる!
以前は開演のベルを聞いた途端に気絶することだってあったもんね。
15 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:09:54.56 ID:LgMjPCNT0
【一幕 いきさつ#3】
さて、そんな風に私たちのチームが少しは物になった頃だ。
五人はいつかのようにプロデューサーに呼び出されてレッスンルームに揃っていた。
とは言っても、あの時と違うことだってある。
それはメンバーの顔から余計な緊張が無くなっていたことと、
プロデューサー以外にもう一人、別の大人が同席してたこと。
「さて諸君!」
パンと両手を打ち鳴らし、プロデューサーがこの場の視線を集めながら言った。
いつものようなにへら笑い。眼鏡の奥はへの字の瞳。
アイドル達からはもっぱら胡散臭いと評判の笑顔を本日はさらに際立たせて、
彼はぐるりとみんなを見回すと、自分の隣に立つ細身の男の人を芝居がかった身振りで紹介する。
プロデューサーよりは少し年上、三十歳前後ぐらいの鋭い針金みたいな人だ。
16 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:11:39.03 ID:LgMjPCNT0
「こちら、劇団唐変木の木無塚さん。君たちの演技レッスンを
何度か指導しているから見知っているとは思うけども、今日は大切な話があって来てもらった」
「どうも、無理やり叩き起こされてきた休日出勤の木無塚です。
コイツときたら善は急げとばかりに無茶言って――」
「あっははは……でも塚さん、鉄は熱いうちにってね。
実は今度、君たちがメインでやる舞台脚本を彼にわざわざ書き直してもらったんだ」
「お陰でこの数日は睡眠を削ったよ。全く、これだから勢いだけの企画屋ってのは」
「そんなこと言って、直すなら自分がって引き受けたのは塚さんでしょ」
そうして、目元にくまを作っている木無塚さんは、
ぶつぶつとプロデューサーへの文句を続けながら私たちの前に一冊の台本を掲げて見せる。
それは先ほど説明があった通り、私たち実習チーム用の単独公演
――つまり、日頃の練習成果を発表するテスト公演みたいな物だ――の為に準備されたらしい劇の本。
表紙には大きな文字で『壁を掘る人』と書いてあった。
17 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:13:00.77 ID:LgMjPCNT0
本を手にした木無塚さんが言う。
「これは昔、まだ765に劇場なんて無かった頃に書いた話でね。
主演はこの山師が売り出そうとしてた男嫌いのお嬢さん――」
「雪歩ですよ」
「そう、あのお嬢さんと一緒に他数人。あてがきで書いたオリジナルです。
なので今回、この劇を君たちにやらせたいってコイツの話を聞いた時に、
だったら手直しの必要があるなと書き直したのがコレになります」
すると、説明が一区切りされたタイミングで琴葉さんが小さく手をあげた。
「質問かな?」プロデューサーが腕を組み訊けば、彼女は「はい」と返事をして。
「あの、次の発表で私たちがその劇を演ることは分かりました。
でも、あてがきということは、既に配役が決まっているってことですよね?」
彼女の質問を受けた木無塚さんは「勿論」と答えて肯いた。
私の隣ではエレナちゃんが、同じく隣の美也さんに「アテガキって?」と声をひそめて内緒話。
18 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:14:09.81 ID:LgMjPCNT0
「あてがきですか〜? お手紙を出すときに書いておく、相手の住所と名前のことですよ〜」
難なく答えているけども、先の文脈から察するに、
今話してるあてがきとは全く別の物だろうな。
案の定、そんなことも知らないのか? とでも言いたげに顔をしかめた木無塚さんが。
「あてがきを簡単に説明してしまえば、用意する役を演じる者に合わせて書くことだ。
例えば、君たち二人の役にそれぞれサッカーと将棋の趣味を持たせたりね」
正しい"当て書き"の解説を披露して、目を細めるように嘆息する。
……やれやれどうもって感じかな?
でも、エレナちゃんたちは彼の言葉に驚いたような声を上げると。
「ワタシがサッカー好きなの知ってるノ!?」
「将棋についても言い当てられてしまいました……!」
凄いというより気味が悪いといった様子で二人が木無塚さんを見た。
すると彼は、フッと口角を上げるようにして「何、褒められるほどの知識じゃない」なんて。
19 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:15:50.30 ID:LgMjPCNT0
「塚さん、塚さん。アナタ、褒められてるんじゃなくて気味悪がられてるんですよ」
「なにっ!? どうしてそんな反応をされなきゃならんのだ。
こっちはね、今回の直しの為に五人のプロフィールから何から読み返してイメージを膨らませたってのに」
「それでも趣味がどうこう急に言われちゃって。警戒しますよ、普通」
「なんだと! 自分だって訊かれれば嬉々と答えておいていけしゃあしゃあ――」
「そりゃ、彼女らの人となりを売り込むのが俺の仕事なんですから。多少は饒舌になりますって!」
木無塚さんとプロデューサーとの応酬がにわかに口論じみてくる。
二人の放つ険悪ムードに可憐ちゃんが隣で怯えだす。
この場をどうにか収めなきゃ。そう思った矢先に琴葉さんが二人の会話に割って入った。
――たちまち、二言三言のやり取りで速やかに鎮静される事態。
私がやってもこうはならない、その手際の鮮やかさは流石に委員長とあだ名されるだけのことがある。
余談だけど、実際に学校でも委員長を務めているらしい。
20 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:17:28.18 ID:LgMjPCNT0
「……少し見苦しいところをお見せしたね。それで、先ほどの質問を答えようか」
仕切り直すような咳払いを一つ。
身の置き所を探すような口ぶりで木無塚さんは断ると、改めて私たち五人と向き合った。
そうして、彼から渡された台本をプロデューサーが一部ずつみんなに配っていく。
受け取れば、見た目の厚みの割りにある重さに少しだけ気持ちが後ずさる。
でも、始める前からこれじゃいけない。
私は本を両手でしっかり持ち直すと、木無塚さんの話に耳を傾けて、
次の瞬間、驚きにソレを取り落とした。
……なぜならば、だ。
「今回の話で主役を演じてもらうのは、高山紗代子、君だ」なんて冗談には聞こえない宣告を、
私はみんなの前で言い渡されてしまったのだから。
21 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:18:35.42 ID:LgMjPCNT0
【二幕 壁を掘る人#1】
どうして私が? そう思った。
琴葉さんじゃないの? とも思った。
木無塚さんから「主役は君だ」と言い渡され、
混乱した私はそのあとの説明も殆ど上の空になって聞いていなかった。
メンバーにはそれぞれ睡眠と引き換えに生まれた台本と、かつて使われた古い台本の写し、
それから雪歩ちゃんが演じた公演の内容を収めたDVDが手渡された。
「準備期間はおおよそ一か月。本番はたったの一度きり。
なるべく練習を見てあげたいけど劇団の仕事もあるもので、
こちらに顔を出す機会はそう多くは取れないと思います」
言って、木無塚さんがジトッとした目つきでプロデューサーを睨みつける。
22 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:20:15.56 ID:LgMjPCNT0
「……こうなったのも半分はお前のせいだからな」
「桃子たちのこともよろしく頼みますよ」
二人のやり取りから推測すると、どうも自分たち以外にも
劇団のお世話になるアイドルがいるようで、木無塚さんがメインで携わる仕事はそっちらしい。
今回脚本を書き直したのはそのついで、
といったような会話が私たちの前で広げられる。
……しばらくすると、こちらが手持ち無沙汰で待っていることに気づいたプロデューサーが言った。
「まっ、込み入った話は酒の席に。早速だけど君たちには、
今度の話がどんな物かを一通り見てもらうとしよう。……エレナ、足踏みするのを止めなさい!」
そうして用意されるプレーヤー。
暇つぶしのステップを止められてむくれるエレナちゃん。
私たち五人は画面の前へと集まると、再生された映像に注目して目を凝らす。
映し出された舞台は当然ながら劇場じゃない。
「市民ホールだね」誰が答えるでもなくそんな言葉が聞こえてきた。
ざわめきの中、照明が落ち、いよいよショーが幕を上げる。
23 :
◆Xz5sQ/W/66
[saga]:2018/07/07(土) 16:23:20.40 ID:LgMjPCNT0
『その世界は四方に壁があった』
語り部の声が響く。
ステージに用意された西洋風の街のセット。
右へ左へ、往来を賑やかに行き交う人々。
レンガ造りの建物が並んだ舞台の奥には、
スクリーンで表現された大きな壁が映っている。
語り部の声が、続く。
『唯一の街を囲むようにして壁があった。
岩壁は天高く雲をつかむようにそびえ立ち、人々は壁の中の世界で暮らしていた。
誰も疑問は持たなかった。なぜなら街が生まれるその前から、壁は変わらずそこにあったからだ。
何年も、何年も、人々は変わることの無い平穏の中で過ごしていた。
……だがある時、一人の少女がこう思った』
そうして、行き交う人々の流れに紛れて舞台の中央までやってきた少女が突然その場で立ち止まった。
左右へはけていく人波。少女だけが一人残される。
彼女は顔だけを向けてそびえる壁を一瞥すると、
今度は客席へと体ごと向いて喋り始める。
『あの壁の向こうには何があるんだろう? 大人たちは無駄なことだと言うけれど、私はそれを確かめたい。
こんな街に、こんな場所に、引きこもって終わる一生は嫌だ!』
まるで叫びかけるように言う彼女は私の知ってる人だった。
萩原雪歩。
同い年の、それでいて私よりも先にアイドルとして活動している少女が見せる、
まだ初々しさが残る時代の姿がそこにあった。
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