勇者「休暇?」女神「異世界転生しすぎです、勇者さま」

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341 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:51:03.23 ID:9OC/ch8I0
――

――――

『  』は生命の進化を見届け、果てにそれらは二種類に別れた。

それが人間と、魔物。

どう調整しても、それらが争い世界は崩壊するばかり。

だからその存在は、その世界を見捨てまた新たな世界を作った。

何度やっても、同じことの繰り返し。

その回数は108。
342 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:51:29.38 ID:9OC/ch8I0
――

――――

勇者(静寂が包んだ城の広間に、外から微かに歓声が聞こえてくる)

勇者(きっと戦いが終わったことを知ったのだ)

勇者(終わった)

勇者(幾年にも及ぶ人間と魔族の戦いが、ようやく終わりを告げた)

勇者(平和が訪れたのだ)

勇者(もう魔族の者と戦う必要も、いつ殺されるかもわからない夜を過ごすことも、闇を恐れて生きる義務も、今となっては不要の長物だ)

王様「では、魔王殿。この平和条約に調印を」

魔王「うむ」

勇者「…………」

――――

仲間「やりましたね! 勇者さま!」
343 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:51:55.66 ID:9OC/ch8I0
勇者「ああ、もうこれで人間と魔物が戦うことはない。やっと、平和が訪れたんだ」

勇者(長かった旅路もこれでようやく終わり)

勇者(そう思うと肩の荷が下りるようだった)

仲間「それもこれも、勇者さまのおかげです! まさか、こんな形で戦争が終わるなんて、勇者さまが来るまでは思ってもみませんでしたよ」

仲間B「ああ。オレもそう思うぜ。ほとんど血を流さずに終わるなんてな……」

勇者「俺だけのおかげじゃない。いろんな人たち、魔物たちの願いが、今という瞬間を実現させたんだ」

仲間B「まったく、欲がないからいけねぇお前さんは」

勇者「別にそんなんじゃないよ」

勇者(もうこの世界は大丈夫だ)

勇者(人間と魔物が手を取り合って、互いが互いを尊重し合える。そんな未来が訪れることだろう)

勇者(人間が魔物を滅ぼすことも、魔物が人間を滅ぼすことも、きっとあるまい)
344 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:52:32.39 ID:9OC/ch8I0
勇者「長かったな……」

勇者(もうあれから、何年が、何十年が、経ったことだろう)

勇者(あの世界では、どれだけの月日が過ぎ去っているのだろう)

仲間「これから勇者さまはどうされるんです?」

仲間B「お前さんなら、きっとどんなポジションにだってつけるぞ? これまで苦労した分、少しくらいいいことがあったっていいもんだ」

勇者「いや、俺は……」

仲間「?」

勇者「帰る場所があるんだ」

勇者「俺を待っている人がいる」

勇者「ずっと、ずっと昔から。俺の帰りを待っている人が」

勇者「たぶん、もう会うこともあるまい」

仲間B「そうか……。じゃあ、寂しくなるな……」

仲間「そんな遠いところなんですか?」

勇者「ああ。だから頼んだぞ。この平和がどうかずっと続くようにな」
345 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:53:13.23 ID:9OC/ch8I0
勇者(飛行魔法を用いてグルッと世界を見て回る)

勇者(人々と魔物達は皆笑い合いながら、酒を飲んだり踊ったりしている)

勇者「もう、大丈夫だ」

勇者「108……。やっと終わったんだ……」

勇者「これで、帰れる」

勇者(時間のズレから考えるに、おおよそ向こうでは十年ほどの月日が過ぎているはず)

勇者(まだ、待っていてくれているのだろうか)

勇者(十年)

勇者(俺からしたら大した長さではないが、待たされている彼女にとっては途方もない長さに感じられたことだろう)

勇者(……もしかしたら、もう待ちくたびれて、そこにはいないかもしれないが)

勇者「十年も待たせてしまったんだし、その時は仕方ないよな……」

シュワァァン…

勇者「!」
346 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:54:10.76 ID:9OC/ch8I0
勇者(唐突に眩いばかりの閃光)

勇者(覚えがある。女神様からの通信だ)

勇者「女神様か。ちょうどよかった。今、終わったところ――」

女神「勇者さま!!」

勇者(女神様の声を耳にした瞬間、背中の産毛がゾクッと逆立つのを感じた)

勇者(こんな焦燥に満ちた声は、今まで聞いたことがない)

勇者「な、なんだ? どうし――」

女神「今すぐ……! 今すぐこちらに戻ってきてください……!」
347 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:54:36.77 ID:9OC/ch8I0
――

――――

勇者(何が何だかわからないまま、俺は女神様のいる空間へと帰還した)

勇者(この場所に特段変化は見られない。一体何があったというのか)

女神「…………」

勇者「女神様、一体何が……?」

女神「落ち着いて、聞いてください」

勇者「えっ?」

女神「あなたの故郷だった世界のこと、まだ覚えていますね?」

勇者「あ、ああ。それがどうかしたのか?」

女神「あの世界がついさっき突然……」

女神「……消滅、しました」

勇者「…………」

勇者「…………」

勇者「…………えっ?」
348 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:55:21.50 ID:9OC/ch8I0
勇者(何を言っているんだ、女神様は)

勇者「消滅……?」

勇者「消滅って、なんだ……? どういうことだ……?」

女神「消えてしまったんです。跡形もなく」

勇者「な、何言ってるんだよ……。やっと戻れると思ってたのに、冗談キツい――」

女神「冗談などではありません! これを見てください」

勇者(女神様が何かの呪文を唱えると、突然周りの風景が変化した)

女神「私が見た記憶です。この場所、見覚えありますね?」

勇者(目の前に広がるのは、俺の故郷。あの頃と何ら変わりないように見える)

勇者「……ん? なんだこれは?」
349 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:56:13.44 ID:9OC/ch8I0
勇者(奥にそびえる山の頂上が微かに光っている。禍々しい色を放ちながら、それは急速に強まっていく)

勇者(そして突然、それは閃光を放つ)

勇者「な……っ!?」

勇者(次の瞬間、隣の山が弾け飛んだ)

勇者(逃げ惑う人々の姿。その多くは顔見知りだった)

勇者「逃げろ……。逃げてくれ……」

勇者(無意識にそう声に出してしまう)

勇者「あれ……?」

勇者(見当たらない。誰よりも一番先に見つけるはずの人物の姿が、逃げる人たちの中に見つからない)

勇者「あ……!」
350 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:56:52.00 ID:9OC/ch8I0
勇者(いた)

勇者(一人だけ、他の人たちとは逆方向に走っていく姿)

勇者(大人になっているが、遠目でも微かに感じられる面影は、見間違えようがない)

勇者「バカ!! 逃げろよ!! お前が行ったって何もできないのに!!!」

女神「勇者さま……。これはあくまで過去の記憶です。そんな風に叫んだって届くはずが……」

勇者「あ……」

女神「…………」

勇者(女神様はただ悲しそうに目を伏せる。過去の中の彼女は必死に走り続ける)

勇者(俺は、何もできない)
351 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:57:27.42 ID:9OC/ch8I0
勇者「えっ、魔物……!?」

勇者(彼女が山の中に足を踏み入れると、幾多の魔物達が姿を現した)

勇者「どうして……! この世界には魔物なんていなかったはずだ……! しかもあんなに……っ」

女『な、なに……? 何なの……? 一体何が……』

勇者「!」

勇者(彼女の声だった。紛れもなく、昔聞いた彼女の)

勇者(逃げろ)

勇者(そう伝えたいが、届かない)

女『きゃあっ!?』

勇者(魔物の振るった腕が彼女を吹き飛ばす)

勇者「……げろ」

勇者「逃げろ……!」
352 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 00:58:15.33 ID:9OC/ch8I0
女『はぁっ……、はぁっ……』

女『だ、誰か……助け……っ』

勇者(足を若干引きずらせながら、彼女は逃げる)

勇者(しかし退路を絶たれた彼女に残された道は、ただひたすら上へと登り続けるのみ)

女『きゃっ!?』

女『どうして、こんな……』

女『嫌だ……っ、死にたく、死にたくないよぉ……!』

勇者「なら、一人で危険なところに行くなよ……! バカ野郎……!」

女『やっと……、あの人に会えると思ってたのに……っ』

勇者「え……? あ……」

勇者(彼女は俺が勇者であることを知っていた)

勇者(ならば、魔物が現れるような状況になったら、それは俺が戻ってきたと連想してもおかしくはない)

勇者「あ……、ああ……っ」

勇者(俺の、せいじゃないか……)
353 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:00:46.88 ID:9OC/ch8I0
女『痛い……。痛いよ……っ。やめて……、来ないでぇっ!』

勇者(最後にたどり着いたのは、俺の見覚えのある場所だ)

勇者(いつだったか、女神様と交信した祠が端に映る)

勇者(その場所のことはよく知っている。あるのは断崖絶壁で、それ以上逃げる先がないことを)

女『いや、いやいやいやいやぁっ!!』

勇者(魔物達が武器を振るう。鋭い刃が彼女の素肌を斬り裂いた)

女『きゃあああああああっっ!!! 痛い痛い痛いいたいぃぃっ!!!』

勇者(鮮血が傷口から一気に噴き出る。血が顔にかかった魔物はそれをペロリと舐めると、ニヤリと笑った)

勇者「くっ……!!」

勇者(これ以上、見ていたくない……!)

勇者(しかし目を背けても、彼女の叫び声が嫌でも耳に入り込んでくる)
354 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:01:12.98 ID:9OC/ch8I0
勇者「ちく、しょう……!」

女『うぐぅっ! やめて、やめてぇ……っ! いたいいたいいたいいたいぃっ!!』

勇者(魔物達はいたぶるように、彼女を傷つけていく)

女『あ……っ、ぐぁ……っ』

勇者(彼女の骨が砕かれる。腕があらぬ方向へねじ曲がる)

勇者(腹部を貫かれ、血と一緒にドクドクと内蔵が溢れ出てくる)

勇者(必死に飛び出した内臓を元に戻そうとするも、曲がった腕では上手く集めることもできないのだ)

勇者「くそ……っ、くそっ、くそっくそぉっ!!」

勇者(俺が、俺がいれば……、その程度の魔物は一瞬で斬り伏せることができるのに……!)

勇者(湧き上がる怒りにどうにかなりそうになった、次の瞬間――)

勇者(視界が黒に染まった)

勇者(地の底から湧き上がってくるような轟音)

勇者(そのすぐ後に、今度は真っ白な光が一帯を覆い、また世界は真っ黒になった)

勇者「……えっ?」
355 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:02:20.72 ID:9OC/ch8I0
勇者「な、何が今起こった……?」

女神「わかりません……私にも」

女神「ただ確かなことは、この瞬間に、この世界は消滅したのです」

勇者「消え……た……?」

勇者「……はは。そんなこと……。あんな一瞬で、空間ごと全部消えたって……?」

女神「そう、言っているのです。にわかには信じられないことですが……」

勇者「女神様が、ただ見れなくなっただけじゃないのか!?」

女神「否定はできませんが、可能性は――」

勇者「なら、俺をあの世界に転移してくれ! 今すぐにだ!」

女神「なっ……!? そんなことできるわけ――」
356 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:03:30.97 ID:9OC/ch8I0
勇者「何かの間違いなんだ……。あんなこと、起こるわけがない!」

勇者「だから俺が直接見に行く!」

女神「冷静になってください、勇者さま! もしも何もなかったら、空気も何もない場所に飛び込んでいくようなもので――!」

勇者「俺の周りを結界魔法で守ればいい! いいから早く俺を転移しろ! 今すぐにだ!!」

女神「勇者さまをそんな場所には――」

勇者「もういい! 女神様がそう言うんなら……!」

勇者「…………」ブツブツ

女神「勇者さま、一体何を……はっ!?」

勇者「転移魔法(フィラー)!」

女神「勇者さま!?」

勇者「今まで何回も目の前で見たんだ。嫌でも覚えてる」

勇者(自分がやるには、女神様よりも長めの呪文を唱えなければならないが、効果は変わらないはずだ)

勇者(あの世界をイメージする。彼女がいた、俺の故郷)

勇者(女神様の声がどんどん遠のいていく。やがて聞こえなくなり、俺の肉体は異世界へと転移した)
357 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:05:42.48 ID:9OC/ch8I0
――

――――

シュゥゥゥンン…

勇者「……?」

勇者(何も、見えない)

勇者(恐ろしく真っ暗で、辺りの様子が何もわからない)

勇者「炎魔法(フレイヤ)」

勇者(せめて光さえあればと思い、結界の外に向けて炎魔法を放つ)

ボッ

シュッ

勇者(しかしそれは一瞬の後に、そこにあったのが嘘のように消えてしまった)

勇者(何も、ない? 本当に……!?)

勇者(炎を維持するための酸素すら……!?)
358 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:06:08.91 ID:9OC/ch8I0
勇者「嘘、だ……」

勇者(高速移動の魔法で動き回るも、ただ暗闇の中をさまようだけだった。それ以前に移動できているかもわからない)

勇者(この空間にはもう、何も残っていない)

勇者(たった一つの原子すらも、見つけることはできないのだろう)

勇者(すべて、消えてしまった……)

勇者「なんだよ……。なんなんだよ……」

勇者「やっと、やっと約束を守れると……思ってたのに……っ!」

バリッ

勇者(何かがひび割れるような音)

勇者(きっと結界が内からの気圧に耐えかねて崩れかけているのだ)

女神『勇者さま!! 何をしているんですか!?』

女神『そのままじゃ勇者さまも無に飲み込まれてしまいますよ!?』

勇者「…………」

女神『もういいですね!? こちら側に転移させますよ!』

パリンッ!
359 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:06:53.81 ID:9OC/ch8I0
シュゥゥゥンン…

勇者「…………」

女神「勇者さま……」

勇者「……んで」

女神「えっ?」

勇者「なんで、こんなことに……?」

女神「…………」

勇者「あの世界には、魔王どころか魔物すらいなかったのに。なんで……」

女神「あ……」

女神「…………」

勇者「……なんだよ」

女神「いえ、なんでもありません」
360 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:07:26.80 ID:9OC/ch8I0
勇者「何か、知ってるんだな?」

女神「いえ……」

勇者「いや、わかっているはずだ。何年、いや何百年の付き合いだと思ってる」

女神「わからないのです。推測……いえ、最早予想としか言いようがありませんが……」

勇者「何だよ」

女神「…………」

勇者「言えってば!」

女神「……これを。あの世界が消滅した時の莫大なエネルギーの残滓が、あなたの身体に残っていたので」

勇者(女神様が手を俺の前にかざすと、ほんのりと明るくなる)

勇者「うん……?」

勇者(その光に触れる。別段変わったことは……、いや、確かに何かを感じる)

勇者「なんだろう。この感覚は、どこか知っているような……」

女神「恐らく……魔王です」
361 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:07:54.31 ID:9OC/ch8I0
勇者「はっ? 魔王だって?」

女神「勇者さまが、今まで倒してきた、魔王」

女神「それらが纏っていたものと似ているような気がしませんか?」

勇者「言われてみれば、そんな感じがしなくもないが……。それが一体何の関係が?」

女神「……ショックを受けないでくださいね」

勇者「これ以上ショックを受けることなんて――」

女神「いえ、この事実はきっと勇者さまをひどく傷つけることになります。だから、言うべきかどうか迷ったのですが」

勇者「……わかった」

女神「今まで、あなたは何回も、何十回も魔王や魔物と戦ってきましたね」

勇者「そうだな……」

女神「その死んだ者たちの魂や思いは、一体どこへ行くと思いますか?」

勇者「あの世とか……? それとも――」

勇者(そこでふと気がつく。女神様の言わんとしている可能性)

勇者「ま、まさか……?」

女神「そうです。彼らの魂や力、果てには最後の怨念までも、負のエネルギーは全てあの世界に集められていたんです」

女神「……あくまで、推測の域を出ませんが」
362 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:08:39.82 ID:9OC/ch8I0
勇者「そんな……。そんなこと……ありえない……っ!」

女神「あなたを転移させるために魔力を送る道が、極端に狭いという話をしたことがありましたね」

勇者「あ、ああ……」

女神「あれは恐らく道が狭かったわけではないのです」

女神「絶えずあの世界には異世界からの魔力が注ぎ込まれていて、それがほとんどを占めていたために私が魔力を送れなかった……」

勇者「な、なら……! それなら、どうしてあの世界にはほとんど魔力がなかったんだ!? そんなに膨大な量の魔力が送られていたのなら、そんなことが起こるわけない」

女神「あの山に全て集められるようになっていた……、いえ、あの山自体が周りから魔力を吸い取っていたのではないでしょうか」

女神「それこそ、他の世界からの魔力すら奪うくらいに」

女神「あれは、いくつもの魔王や魔物たちの死を集めたもので、それが限界に達しあの世界自体をも死に至らしめたのです」
363 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:09:11.02 ID:9OC/ch8I0
勇者「嘘だ……」

勇者(しかし、そう言われてみれば納得できてしまう。心当たりがいくつも思い浮かんでくる)

勇者(違和感はあった。あの世界で過ごす中でいくつも兆候はあったはずだ)

勇者(あの夜突然現れた魔物の異様なまでの弱体化)

勇者(魔力が極限まで搾り取られていたと考えれば納得できる)

勇者(それにあの麓まで下りてきていた熊)

勇者(あれは、ひょっとしてあの山に溜まる膨大な魔力の存在に気づいていたんじゃないのか?)

勇者(もしも俺があの時、もう少し上まで登っていたら、その兆候に気づけたんじゃないのか?)

勇者(いや、そんなことよりも。それよりも――!)

勇者「じゃあ、俺が……」

勇者「俺が、魔王と戦って倒したせいで、あの世界は、消滅したって……?」
364 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:09:50.27 ID:9OC/ch8I0
女神「か、可能性の話です!」

勇者(推測だと女神様は口にしているものの、とてもそうだとは思えない)

勇者(こんなにも現状と合致する根拠がある。むしろそう考えないほうが不自然なように感じられた)

勇者(村を壊され、彼女は魔物によって嬲られるように傷つけられ、果てには空間ごと消されてしまった)

勇者(それもこれも、そうなってしまうきっかけを作ってしまったのは、自分だ)

女神「ごめんなさい!」

勇者「なんで、女神様が謝るんだよ」

女神「勇者さまを魔王と戦わせたのは、他でもない私だからです……! それに、もっと注意深くしていれば、気づけたかもしれないのに!」

女神「本当にごめんなさい! 謝っても許されないのはわかっています……。それでも――」

勇者「そんな謝らないでくれ」

女神「でも……!」
365 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:10:16.25 ID:9OC/ch8I0
勇者「それで魔王と戦うことを選んだのは俺だ」

勇者「それに、俺だって女神様とは違うけど、兆候はあって気づけたかもしれない。同罪だ」

女神「…………」

勇者「女神様」

女神「なん、ですか?」

勇者「何か、案はないか?」

女神「案……。あの世界はもう消滅してしまいましたし、どうしようも……」

勇者「……そうか」

勇者「なら、俺を最初の世界に転移させてくれ」

女神「えっ?」
366 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:11:09.66 ID:9OC/ch8I0
勇者「約束、したんだ。絶対に戻るって」

勇者「何か手はあるはずだ。どこかに、何か……っ」

女神「世界を復活させる術なんて、今まで見たことも聞いたこともありません……!」

勇者「俺だってない!」

女神「!」ビクッ

勇者「でも、それ以外に何ができるって言うんだ……?」

女神「…………」

勇者「女神様、頼む」

女神「最初の、ということは、今まで救ってきた世界で探すということですか?」

勇者「ああ、見つかるまで」

勇者「全ての世界を、端から端まで探しに」

勇者(必ず、君を助けてみせる。その術を見つけてみせる)

勇者(長くなるかもしれない。今までの比にならないくらい)

勇者(それでも、俺は絶対に――!)
367 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:11:51.17 ID:9OC/ch8I0
――

――――

自ら崩壊へと進むのは、二つの種族が交わるが故のバグと判断した。

ならば、一方の要素を排除してしまえばいい。

最後の望みをかけて、全く異なる世界を創造した。

しかしなおも、結果は変わらなかった。

過程は違えど、行き着く末路は同じ場所。

そしてついには『  』はそれらの全てを見放した。最早救いようがないと、そう判断した。

しかし見放された世界は、そこに存在を残留しシミュレーションを繰り返した。

途方もない時間をかけて、永遠に。

繰り返し、繰り返し、繰り返し、永遠の中をさまよった。

致命的な欠陥は誰にも気づかれぬまま。

自己修復のパターンが、組み上げられていった。
368 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:12:23.43 ID:9OC/ch8I0
――

――――

少年「あれー、おかしいな。この辺に隠れてると思ったんだけどなぁ……」

少年「うーん……。ってうわっ!?」ガッ

老人「おぉ……、すまんな……」

少年「あっ、ごめんなさい。……じいさん、そんなとこで何してんだ?」

老人「少し、眠っていたんだ」

少年「こんな森の中で?」

老人「別に場所なんてどこでもいいだろう? こんな平和な世界だ」

少年「そうだけどさ。それにしてもじいさん、ボロボロだ」

老人「……かもなぁ」
369 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:13:06.52 ID:9OC/ch8I0
老人「なぁ、少年」

少年「ん?」

老人「かくれんぼをしているのかい?」

少年「そうだよ。なかなか見つかんなくてさー」

老人「……そうかい」ニヤッ

少年「なんだよ、いきなり」

老人「いや、ここも変わったなぁと思って」

老人「前は人も寄りつかん、魔物の森だったというのに」

少年「何百年前の昔話をしてんだよ」

老人「そうだな、もう昔話だ。邪魔してすまんな」

魔物「おーい、そこで何サボってんだよー!」

少年「あっ! って、別に遊びなんだからサボりも何もないだろ!」
370 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:14:30.40 ID:9OC/ch8I0
――

――――

老人「昔話、か……」

老人(あの世界消滅から、もう何年が経ったか。一体何回転生を繰り返して、探し求めたか)

老人(いつからか、数えることも忘れてしまった)

老人(未だに方法の糸口さえも見つからない)

老人(世界を復活させるよりも、時間を巻き戻す方が可能性はありそうだということはわかったが、それだって夢物語だ)

老人「はぁ……」

女神『まだ、続けるのですか……?』
371 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:14:59.78 ID:9OC/ch8I0
老人(頭の中に声が響いた。その声を聞いたのは、随分久しぶりのような気がする)

老人「おお、久しいな」

女神『お久しぶりです。勇者さま。随分とまたおじいさんになりましたね』

老人『ああ……。最近は少し動くだけで疲れてしまう。次の転生の頃合いかもしれない』

女神『どうして、諦めないのですか……? もう、何千年も経っているのに……』

老人「それでも、諦めるわけにはいかないんだ」

女神『どうしてっ?』

老人「あいつが、待っているような気がしてな」

女神『……そこが、最後の世界です』

老人「108……ということか?」

女神『ええ。そこにもなかったら、もう、どこにも……』

老人「なら、きっとここで見つかる」

女神『えっ……?』
372 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:15:36.01 ID:9OC/ch8I0
女神『それもまた、勘ですか?』

老人「そうかもしれない」

老人(嘘だ。ただ、自分にそう言い聞かせているだけだ)

老人(本当は怖くて怖くて仕方がない。もしも、ここにも何もなかったら、自分はどうすればいいのだろう?)

老人(だから、その考えを振り払うように声に出す)

老人「ここにある。きっと」

老人「記憶が正しければ、ここが一番可能性が高いかもしれないしな」

老人(この世界は、かつて最後に自分が救った世界)

老人(つまり、一番人間と魔物の関係が良好な世界だ)

老人(その分、魔法や科学の発展が進んでいて、何かしらのヒントが見つかるかもしれない)
373 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:16:02.12 ID:9OC/ch8I0
――

――――

魔術師「ないですね」

老人「そうかい……」

老人(撃沈。この世界で最も権威ある魔術の研究機関に足を運んだが、得られた情報はたったの五文字)

老人(もう何度聞いたかもわからない。その度に心が挫けるを通り越して、砕けそうになる)

魔術師「世界を再生するとか、時を戻すとか、魔法に夢を見すぎですよ」

老人「そうかね……」

魔術師「そもそも魔法というものは、いくつかの源があってですね――」

老人「そのくらい知ってる」

魔術師「なら、不可能なことくらいわかっているでしょう?」

老人「……もういい。ありがとう」
374 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:16:42.29 ID:9OC/ch8I0
老人「はぁ……」

老人(最後の頼みの綱が切れた。そんな気分だった)

老人「不可能なのは、自分でもわかってる……」

老人「それでも奇跡を追い求めて、今まで彷徨ってきたんだ……」

老人(これから、どうする?)

老人(この世界においてまだ探索していない場所はたくさんある)

老人(しかしこの肉体では、そんな無茶はもう効かない)

老人(となれば、もう一度転生すべきか)

??「あのー、おじいさーん!」
375 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:17:18.97 ID:9OC/ch8I0
老人「む?」

魔物女「はぁ……はぁ……」

老人(自分を呼んだのは紅色の肌の、人型の魔物だった。肌の色と腰から尻尾が生えていること以外は、人間とさして変わらない)

老人「なんだ? そんなに息を切らして」

魔物女「あなた……ですわね? 時間を巻き戻す方法を探してたのって」

老人「!」

魔物女「私はこの機関で研究をしている者ですわ。……とは言え、内容的に異端者扱いですけれど」

老人「じ、時間を巻き戻す理論の研究を?」

魔物女「いえ、具体的にその研究をしているわけではありませんわ。ただ、私の専門は時空の研究ですので、近いものはあると思います」

老人「時空……?」

魔物女「立ち話もなんですから、どうぞ中へ」
376 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:17:45.16 ID:9OC/ch8I0
――

――――

「……っ!」

それは突然やってくる。痛いという感覚が思考を埋め尽くす。

頭が締め付けられるようだった。ここ数百年、時折襲いかかってくる。

最近はどんどん頻度が高くなってきている。時間経過によるものなのだろうか。

人ならざる存在である私に、このような現象が起こる理由が想像もつかない。人間という不完全な肉体を持たない自分がこのような頭痛に見舞われるなんて、一体どうしたことだろう。

「…………」

「……それ以前に」

それ以前に、私とは何なのだろう?

そんな疑問がふとした時に湧いてくるようになった。

以前は一度も、考えたことすらなかったのに。
377 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:18:15.85 ID:9OC/ch8I0
「どうして……」

どうして気にならなかったのだろうか。

私は『ある瞬間』からのことしか覚えておらず、それ以前の記憶がない。

思い出そうにも、最初から存在していなかったかのように空っぽなのだ。

だから、何もなかったのだと思っていた。そう思っていることが異常だということにすら、私は気づかなかった。

しかし、この頭痛に悩まされるようになってから、そこにぼんやりとした情景が存在していることが、なんとなくだがわかってきた。

いや、存在している、と言うのは違うのかもしれない。

次々と線が足されていって、絵画が出来上がっていくように記憶が、いや、『過去そのもの』が生み出されていく。

「……何を考えているのでしょう。私は」
378 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:18:54.42 ID:9OC/ch8I0
――

――――

魔物女「すいません。この話に興味を持っていただける人は少なくて……」

老人「そうだろうな。現実にはあり得ない、夢物語に近い」

老人「今までも何度冷たい視線で見られてきたか……。わざわざそれを専門にしている君は、自分の比ではないだろう?」

魔物女「仰る通りですわ。しかし、私はこの世界に存在する魔法が、時空において何かしらの、我々の想像し得ないほどの影響を与えると考えています」

老人「想像し得ない影響、と言うと?」

魔物女「ざっくり言うと、時空を歪ませるということですわ」

老人「本当にざっくり言ったな」

魔物女「ざっくり言いました」ニコッ

魔物女「私たちは普段、魔力を用いて魔法を使っていますね? 今はこれはこの世に存在するいくつかの原始的な要素を魔力によってコントロールすることによって、起こっていると解釈されていますが」

老人「違うのか?」

魔物女「いえ、違うわけではありませんが、そこにはもっと深い根元に、もっとシンプルな原理があると思うのです」

老人「すごいことを言うんだな。そんなのがわかったら、今の魔法の原理がひっくり返りかねない」

魔物女「ええ、世界をひっくり返そうとしているのですわ」

魔物女「だから、異端なんです」
379 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:19:20.89 ID:9OC/ch8I0
魔物女「では、その原理は何か?」

魔物女「ここからは私の仮説段階での話ですが、この世界は本来、もっとシンプルな理論に基づいていると思われます」

老人「もっとシンプル?」

魔物女「例えば、なぜ物体は落下すると、あなたは思います?」

老人「そりゃ物は落ちるからだろう?」

魔物女「説明になっていませんわ。なぜ下にしか落ちないのか。横でも上でもいいのに、どうして一方向のみに物は落ちるのか」

老人「難しい話だな……」

魔物女「きっと聞き慣れないだけですわ。その辺りの分野の研究がもっと進めば、何か面白いことがわかりそうなものですが……」

老人(……そんな話をどこかで聞いたことがある気がする)

老人(しかしもう遥か昔のことだ。ぼんやりと存在自体は覚えているだけで、細かい内容は忘れてしまった)
380 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:19:48.77 ID:9OC/ch8I0
魔物女「話を戻しましょう。それらの世界の根本的に成り立たせるための理論には、魔法は介在していないと思われます」

老人「なぜだ?」

魔物女「簡単な話ですわ。そこに魔力を感知することが一切ないのです」

魔物女「私たちが魔法を使うとき、そこには必ず魔力の残滓が残りますの。どんなに些細な魔法でも」

魔物女「しかし先ほどの例のように、物が落ちるなどの現象には魔力は検出されていません。これは検出の精度の問題の可能性もありますが」

老人「へぇ、魔力を検出するための装置なんてものがあるのか」

魔物女「魔法学の分野は人員が多いこともあって進んでいるのです」

老人「それで、結局のところ何が言いたい?」

魔物女「ああ、また話が脱線してしまいました……。ごめんなさい、私の悪い癖でして」

魔物女「本来、この世界、空間というものは魔法なしでも存在し得るものだと私は考えています」

老人「……なるほど」

魔物女「思い当たる節でも?」

老人「まぁ、昔の話さ。魔法の一切存在しない世界に行ったことがあるってだけで――」

魔物女「えっ!?」
381 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:20:21.87 ID:9OC/ch8I0
老人「えっ? あ、あれ、転移魔法とかあるだろう……?」

魔物女「異世界への転移魔法なんて、見たことも聞いたこともありませんわ! えっ、そんなことが可能なんですの!? 少し話を聞かせてもらえません!?」ズイッ

老人「わ、わかった。わかったから。とりあえず今の話題が終わってからで……」

魔物女「あ……。少し取り乱してしまいましたわ。ごめんなさいね」

魔物女「それで、えっとどこまでお話ししましたっけ?」

老人「世界が魔法なしで存在できるとかなんとか」

魔物女「ああ、そうでしたわね。だからつまり、魔法は世界に後天的に付与されたものと考えられますの」

魔物女「それは言い換えれば、その間の関係性に矛盾を生みかねないということ」

老人「……?」

魔物女「わかりやすい例を挙げますわ」
382 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:20:52.27 ID:9OC/ch8I0
魔物女「これは最近ようやく観測できた事象ですわ。結界魔法はご存知ですわよね?」

老人「うむ」

魔物女「結界がどうやって外からの衝撃を防ぐと思います?」

老人「壁みたいなものを、魔法で作ってるんじゃないのか?」

魔物女「半分正解で半分不正解ですわ」

老人「?」

魔物女「確かに壁のようなものは存在しますわ。しかしそれは物質ではありませんの」

魔物女「結界はその内側の状態を時空的に維持しようとするのです」

老人「状態を、維持……?」

魔物女「例えば炎魔法による火の玉が飛んできたとします。もしも結界がなければその内側の部分は火の玉が通過することによって、もちろん熱くなるでしょう」

魔物女「しかし結界がある場合、結界の内側は火の玉が飛んでこなかった状態を維持しようとする。そうすることによって、結界は外からの衝撃を防いでいるのです」

魔物女「つまり、状態の不連続性を生じさせているのであり、さらに言えばこれは因果律を崩しているとも言えますわ」

老人「ふむ……? 因果律ということは、火の玉が飛んでくるという事実を内側ではなかったことにする、否定しているという理解であっているか?」

魔物女「その通りですわ」
383 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:21:24.44 ID:9OC/ch8I0
老人「なるほど。面白い理論だ。だがそれは何か根拠があるのか?」

魔物女「以前から結界魔法に関しての研究は盛んで、これを示唆する内容のものはありましたの。そして、つい先日興味深いデータが取れたのです」

老人「ほう」

魔物女「あなたは、時の砂時計というものをご存知で?」

老人「確か、特殊な砂を使った砂時計で、正確な時間を測れる道具だとか」

魔物女「そう、それであっていますわ。時の砂時計で結界魔法の内側と外側を計測したところ、流れる時間に微小のズレがあることがわかりましたの」

老人「微小の、ズレだって?」

魔物女「ええ。それで結界魔法は単純な壁を作り出しているわけではなく、何かしらの時空的な断絶を生み出しているという可能性を、ようやく考察するに至ったわけですわ」

老人「すごいな……! そんなことが、あり得るのか……!」

魔物女「とは言え確証にはまだ至っていませんし、この結果が意味することはもっと別の意味なのかもしれませんが」

老人(光が、見えた気がした。この数千年もの間、様々な世界を漂流し続けて、初めての手がかり)

老人(時間という概念を乗り越えるための、わずかだが光明が差したように思えた)
384 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:21:51.94 ID:9OC/ch8I0
老人「も、もしもだ」

魔物女「はい?」

老人「君の言うその理論が正しかったとして、時間を戻すにはどうしたら良いと思う?」

魔物女「時間を戻す……ですか。難しい話ですね。まだ時間というものが何なのか、その理解が私たちには欠けていますし……」

老人「そうか……」

魔物女「単純に……」

老人「何か案があるのか!?」

魔物女「え、ええと、案って言えるほどのことではありませんが」

老人「それでも構わない!」

魔物女「例えばうんと強い結界を作って、内と外の差異をものすごく大きくすることができれば、その境界で何かしらの想像し得ない現象を観測できるかもしれませんわ」

老人「!!」
385 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:22:32.08 ID:9OC/ch8I0
――

――――

老人「いろいろとありがとう。君のおかげで少しだけ未来に希望が見えたよ」

魔物女「いえいえ。こちらこそ、興味深いお話ありがとうございました」

魔物女「異世界って存在するのですね……。またまた研究すべき事柄が増えてしまって、嬉しい悲鳴ものですわ」

老人「そう言ってもらえてこっちも嬉しいよ」

魔物女「あなたが時間を巻き戻そうとするのも、その異世界絡みなんですの?」

老人「……ああ。大昔に消えてしまった世界を、取り戻すんだ」

老人「もしかしたら、これで彼女を……」

魔物女「……すごく、大切な方なんですね。そんなおじいさんになるまでずっと……」

老人「そうだな……。運命を覆すなんて不可能かもしれないが、神への冒涜にも近いかもしれないが、いつか……。君も、頑張れよ」

魔物女「なんだか、私たちのしようとしていることって似ていますね」
386 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:23:04.11 ID:9OC/ch8I0
老人「似ている?」

魔物女「ええ、私たちのも言うなれば、神への挑戦ですから」

老人「君も?」

魔物女「実在するかは別の話にして、もしもこの世界に神がいるのなら、この世界の仕組みもその神が作ったんですもの」

魔物女「だとすれば私たちはそれを解き明かそうとしている、言わば神への挑戦者なのですわ」

老人「なるほど。神への挑戦者、か」

老人(冒涜と挑戦ではまた意味が違うように思えるが。……いや、神に挑戦なんて言葉の時点で冒涜ものだろうか)

老人「なら、なおさらお互いに頑張らなくちゃな。神に打ち勝つために」

魔物女「ええ、あなたの願いもどうか叶いますように」
387 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:23:30.56 ID:9OC/ch8I0
――

――――

老人「女神様、ようやくだ。やっと……」

女神「はぁ……っ、くっ、うぅ……っ」

老人「女神様?」

女神「……あ、戻っていらしたのですね」

老人「どうしたんだ? 具合が悪そうだが……」

女神「い、いえ、何でも、ありません……!」

老人「そ、そうか……。女神様でも具合が悪いってことがあるんだな……」

女神「ええ……。自分でもよくわからないのですが、そのようです……。それよりも、勇者さまの話ですよ」
388 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:24:05.58 ID:9OC/ch8I0
老人「あ、ああ。聞いてくれ、女神様。手がかりが見つかったかもしれない」

女神「知っています。見ていましたから。……しかし、一体何をするつもりなんですか?」

老人「まず俺をあの世界へ、今は何もないあの空間に転移させてくれ」

老人「そうしたら、次は結界魔法、これ以上ないくらい最高級の結界を周りに張る。最後に今の自分に出せる最大火力の魔力を放出させる」

女神「そんなことをしたら、勇者さまの結界は解けてしまいますよ!? それに、魔力の放出って!」

老人「手っ取り早いのは爆破魔法だろう。瞬間的に超高エネルギーの状態を作れるし、ほんの数秒ほどなら魔力がなくなっても結界は残る」

老人「そうすれば、結界の内側と外側に巨大な差異を生じさせることができる」

女神「……それで、どうなるのですか?」

老人「それは、わからない。何も起こらないかもしれないし、何かが起こるかもしれない」
389 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:24:32.17 ID:9OC/ch8I0
女神「そんなの、自殺行為じゃないですか!」

老人「確かに、俺は死ぬかもしれない。だが、やっとなんだ。やっと、可能性を見つけることができた。今まではそれすら見つからなかったんだぞ」

女神「……その目、何を言っても聞かなそうですね」

老人「ああ」

女神「わかりました。勇者さまを転移させましょう」

老人「……すまないな」

女神「えっ?」

老人「こんなになるまで付き合わせてしまって」

女神「……いえ、勇者さまには今までずっと頑張ってきてもらいましたから」

女神「このくらいのことはしないと、ですよ。ただ、私が心配なのは――」

老人「俺のこと、か」
390 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:24:59.36 ID:9OC/ch8I0
女神「その通りです。もう勇者さまの魂は擦り切れる寸前まで来ているでしょう。そのうち、完全に崩壊してしまいそうで……、それが心配で……」

老人「それなら心配しなくていいんだ」

女神「どうして、そう言えるんですか……?」

女神「108回も世界を救って、その後も休む間もなく今度はさらに長い間、存在するかもわからない方法を探し続けて……」

女神「それなのにどうして――」

女神「――そんなにも、勇者さまの目は変わらないのですか?」

老人「俺にだって、もうダメかもしれないって挫けそうになることはある」

女神「それでも、一度だって諦めたことはなくて、あなたのその目から希望の光は失われなかった……」
391 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:25:40.53 ID:9OC/ch8I0
老人(心底理解できない)

老人(そう言いたげな目だった)

老人(確かに、自分でも異常なのかもしれないと思ったことはある)

老人(でも、それには明確な理由がある。これ以上ないくらいに、大切な理由が)

老人「宝物が、あるからだ」

女神「宝物……?」

老人「そうだ。決して豪華だとかそんなものじゃないが、キラキラと輝いていて、何にも代え難い、そんな、ものが」
392 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:26:07.83 ID:9OC/ch8I0
老人(今でもつい昨日のことのように思い出せる)

老人(あの日見た夜空の星々を)

老人(痛いくらいに眩しかった陽射しを)

老人(風景いっぱいを埋め尽くした蝉の声を)

老人(それらの全てにあった、彼女の笑顔を)

老人「だから俺は、今まで歩いてこられた」

老人「だから俺は、これからも歩いていける」

老人「それだけの話なんだ」
393 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:26:45.17 ID:9OC/ch8I0
――

――――

老人「ここにくるのも、もう何百年ぶりか……」

老人(目の前に広がるのは、以前と変わらずひたすら暗闇のみ)

老人(ここへは何度も来た。何度も来て、いろんなことを試して、その度に絶望を片手に去ったものだ)

老人(今度もそうならない保証はない。何も起こらなかったら、ただ無意味に、この肉体が爆破に巻き込まれて木っ端みじんになるだけだ)

老人(既に最上級の結界は張り巡らせてある。全生命を一瞬にして焼き尽くすような炎の玉ですら、傷一つつけられないくらいの頑丈さを誇る究極の守り)

老人(その中で、今の自分が出せる最大火力の爆破を起こす。恐らく瞬時に自分の今の肉体は粉々に吹っ飛ぶ)

老人(そのほんのわずかな一瞬の間に、何が起こるのかを見極めなければならない)
394 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:27:12.05 ID:9OC/ch8I0
老人「…………」ブツブツ

老人(爆破魔法の呪文を唱える。より強力な爆破を起こすために、詠唱はちゃんと短縮せずに最初から最後まで)

老人(自分の中で魔力がどんどん練り上げられていくのを感じる。これほどまでに高めたことは今までにないのではないだろうか)

老人(今まで勇者として培ってきた全てを、この瞬間にぶつける)

老人(どうか、うまくいってくれ)

老人(そう願いながら、最後の呪文を唱えた)

――――!

老人(瞬間、視界は真っ白に染まった)
395 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:28:15.79 ID:9OC/ch8I0
――

――――

人形を作った。

私の代わりになる人形を。

私はここから出られないけれど、人形ならこの牢獄の外でも行動できるから。

今までの祈りのほとんどを費やして、彼女に託す。

大変な役目を担わせてしまうことには胸が痛むけれど、他に方法は思いつかない。

ずっと、ずっと考えてきたけど、私の頭ではわからなかった。

だから、祈り続けた。

たくさんの命が苦しみの中で失われていくのを目にしながら。

大好きな人の心が壊れていくのを、ただ傍観することしかできない悔しさに涙を流しながら。

だから、どうか――。

お願い。みんなを、助けて。

そして、私を見つけて。

私を、助けて。
396 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:30:20.77 ID:9OC/ch8I0
――

――――

……。

…………。

俺は浮いていた。何もない空間の中を、ゆらゆらと揺れ動く。

身体が軽い。この感覚は知っている。

今の自分は肉体を失い、魂のようなものだけの存在になっているのだ。

これが単純に爆破によるものなのか、時空の歪みが生じたせいなのかはわからない。

…………。

…………。

……いや、後者だ。

直感でそう確信した。この状態がこんなにも長い間続いたことは、今までに一度もなかった。
397 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:31:22.13 ID:9OC/ch8I0
俺は、成功したのだろうか。それとも、取り返しのつかない失敗を……?

誰も答えてくれない。

ただ俺は虚空の中を揺れ動く何かになったのだと思った。

『……けて』

えっ?

気のせいだろうか。もうとっくのとうに自分はおかしくなっていて、そんな幻聴が聞こえるくらいになってしまったのか。

もしそうだとしても、驚く理由はどこにも見当たらない。これだけの無茶をしてきたのだから、何があったって不思議じゃない。

どうせなら、走馬灯のようなもので、記憶の中の風景でもいいから、そんなものを見せて欲しかったとは思うが。

『助けて……』

もう一度、声がした。この暗闇の中に溶け合って、そのまま消えてしまいそうな、か細い声が。
398 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:34:04.67 ID:9OC/ch8I0
もしかして、そこにいるのか?

そう問いかけようとした。しかし肉体のない俺の言葉は、声にならずに自分の中で反響する。

何かの声が大きくなる方へと、俺は進んでいく。

するとそのうち、辺りがほんのりと明るくなっていくような感じがした。

感覚するための器官がないからそんなものが見えるはずがないのだが、俺はそれを光だと認識した。

小さくて、淡い光だった。

片手で握ったら見えなくなってしまいそうなくらい、儚く弱い光。

それにそっと触れる。

あたたかくて、ほのかに懐かしいにおいがする。
399 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:34:30.97 ID:9OC/ch8I0
……!

知らない情景が自分の中に流れ込んでくるのを感じた。

その光の中で一体何があったのか。それを知っている者の記憶が、自分には見えた。

…………。

……………………。

あ……。

ふいに、涙がこぼれそうになった。

だってそこには、ずっと探し続けていた彼女がいたのだから。

こんな場所にいたのか……。ずっと、一人で……。

声にならないことはわかっていたが、そう口にせずにはいられなかった。

やっと、見つけたよ。
400 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:34:57.61 ID:9OC/ch8I0
――

――――

その瞬間、全ての因果は結集した。

あらゆる空間において。

あらゆる時間において。

あらゆる次元において。

途方もない苦しみを重ねた二人が可能にした、奇跡という単語では到底表しきれないほどの所業。

今この瞬間に歯車はかみ合い、そして動き出す。

自己修復の機能が、完全に作動したのだ。
401 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:36:18.54 ID:9OC/ch8I0
――

――――

「ただいま」

彼女にそう告げる。すると、女神様は優しく微笑みながらこう返してくれる。

「おかえりなさい。勇者さま」

「…………」

「……やっと、全部思い出しました。全ての因果が確立されたからなのでしょう」

「ああ、わかってる」

互いにもう言葉は必要なかった。次に自分たちがすべきことも、わざわざ口にせずとも明白だった。

「勇者さま、お願いしますね」

「わかってる。あれを倒せるくらいにならないとな」

「ええ、そうですね。これが、最後の転生になるように」
402 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:37:02.24 ID:9OC/ch8I0
――

――――

昼間にあんなに暑かったのが嘘のように、夕方になると風が吹いて心地よかった。

波の寄せては返す音は、この村にいればどこでも聞こえるBGMだ。その音と潮風の匂いに誘われて、海辺まで足を運ぶ。

そこには誰もいない砂浜があるだけ。

わかっている。誰もいるはずがないと。

わかっているはずなのに、期待してしまう自分がいた。

あれからちょうど十年。

私はもう社会人になって、普通に働いている。
403 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:37:52.15 ID:9OC/ch8I0
毎年夏になったらここに来るのは、もう自分にとって恒例行事になっていて、親の事情なしでも自然と足が向かうようになった。

就職してからは、ここにいられるのはほんの数日ほどになってしまったが。

おばあちゃんは何かを察してくれているようで、その理由について聞いてくることはなかった。

けれど、その人についてのことを話してくることもなくて、毎年夏が来る度に憂鬱になる。

「いつになったら、帰ってくるのかなぁ……」

時間が過ぎるほどに、年が一年変わるごとに、怖くなる。

あんな昔の約束を、今も待っている自分がどうかしているんじゃないか。

そんな声が聞こえてくる頻度が、少しずつ増えていった。

「もう、十年経ったよ」

日が沈み、藍色の空を映す海に問いかける。
404 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:38:18.29 ID:9OC/ch8I0
「いつだったか、『十年女を磨いてから、出直してこい』って言われたっけ」

「今の私、あなたにとって少しでも魅力的になってるのかな」

「……そうだったら、いいな」

風景は何も答えず、ただ波の音を返すだけ。

ポケットの中にいつも肌身離さず忍ばせている、お守りを取り出した。

何の変哲もないビー玉だ。だけど、彼はこれをお守りだって言ってて、私に持っていてほしいと、最後の夜に渡してくれた。

私にとっては唯一の、あの日々を証明できる物。

ふと、自分の座っている傍らに目を移す。初めて会った日の非現実的な光景が脳裏によみがえってくる。

もしも、今この瞬間に、この場所に彼が現れたら、どれだけ私は幸せなのだろう。どんな声を上げてしまうんだろう。

楽観的過ぎる自分が滑稽に思えてきた。

今も、彼は戦っているかもしれないのに。たくさんの人たちを救うために、走り回っているのかもしれないのに。

なんて自己中心的な女なんだろう、自分は。なのに――。

「……早く、帰ってきてよ」

そう、声に出さずにはいられない。

「寂しいよ……。不安なんだよ……」

自分の体温でもう冷たくないビー玉を、手の中で強く握りしめた。
405 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:39:41.60 ID:9OC/ch8I0
その時、低くどもるような音が村中に鳴り響いた。

「えっ……?」

音のする方をとっさに向くと、それはこの村で一番大きな山からしたのだとわかった。山頂が、鈍く禍々しい色の光を放っている。

あまりにも突拍子のない出来事に、思考が完全に停止してしまう。これは本当に現実なのだろうか。

刹那、目が眩むほどの閃光。

遅れて鳴り響くこの世の物とは思えない轟音。

思わずつむってしまっていた両目を開くと、そこにはとても現実とは思えない光景が広がっていた。

光っていた山の隣の山が一つ、消し飛んでいたのだ。

あんなにも高くそびえ立っていた物が、今は空白と化してしまっている。

「嘘……」
406 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:40:31.62 ID:9OC/ch8I0
あまりの音の大きさだったせいか、他の音がひどく遠くのもののように感じられた。

一体何が起こっているのだろう?

疑問符が脳内で次々と生まれてくる中、一つの可能性がふっと浮かび上がってくる。

「もしかして、帰って、きたの……?」

光に吸い寄せられる虫のように、ふらついた足取りは山の方へと向く。

鼓動が激しくなる。手に汗が滲む。

いつの間にか私は駆けだしていた。

あんな現実離れした光景があり得るとしたら、彼が関わっている以外考えられない。

「あなたは……そこに……いるの……!?」
407 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:41:18.50 ID:9OC/ch8I0
山が消えたこともあって、村の人たちはみんなあれを脅威だと認識したようで、私とは逆方向に逃げていく。

それを横目に大方の人の流れと逆走する私は、何度もいろんな人に止められかけたが、それらの手をくぐり抜けるようにして先へと進んだ。

「はぁ、はぁっ」

普段運動をしなくなったせいで肺が痛い。息もすぐに切れてしまい酸欠気味だ。

そんな既に疲労困憊状態で、山の麓に立つ。

隣の山を吹き飛ばしてからは、何も起こっていない。次に何か起こるとしたら、もうそろそろなのかもしれない。
 
「ち、近づくのは、危ない、かな……?」

今更になってそんなことを言う自分もどうかと思ったが、何が起こるかもわからない得体の知れないものにこれ以上近づくのは気が引ける。

一歩、退こうとしたその時、背後でザクリと地面を踏みしめる音。

「えっ……?」

振り向くと、毛むくじゃらの巨大な何かがあった。

茶色の体毛が全身を覆い、顔の部分に異様なまでに大きな目玉が一つある。人間でないのは明らかだった。

「ぐふぅ……!」

口らしきものが動き、この世のものとは思えない声とともにニヤリと笑う。
408 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:41:53.29 ID:9OC/ch8I0
次の瞬間には私は走り出していた。頭で考えたというよりは脊髄反射的で、本能的にあれが脅威だと直感したのだろう。

逃げる先は山の中以外になかった。足下が悪く何度もつまずきそうになるも、幸運にも転ぶことはなく上へ上へと登る。

「な、なに……? 何なの……? 一体何が……」

遅れて頭が理解したのか、今になって自分の手が震えてきた。怖い、怖い、怖い。

「はぁっ……、はぁっ……」

さっきまで痛くて仕方なかった肺は、最早その域を超えて感覚がなくなりつつある。

「だ、誰か……助け……っ」

地の底から響いてくるような轟音に、背中を突き飛ばされた。

宙を舞う感覚。

そして衝撃。

「きゃあっ!?」
409 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:42:19.38 ID:9OC/ch8I0
「どうして、こんな……」

目から涙がとめどなく流れてくる。水滴を吸い込む地面は、他の何かの足音で一定の間隔で揺れる。

「嫌だ……っ、死にたく、死にたくないよぉ……!」

命乞いなんてものは意味を成さず、背後からなおもそれらは近づいてくる。気づけばその数は瞬時に数えきれないほどに膨れ上がっている。

逃げようにも、足がうまく動かない。さっき吹き飛ばされた時に打ってしまったようだった。

それでも、動かないと。

今いる場所より先に行かないと。

動かない足を引きずるようにして、さらに上へと登る。少し動かすだけで激痛が脳を突いた。

「くっ、あぁ……っ!」

後ろを振り向くと、さっきよりもさらにその距離は縮まっていた。捕まるのが時間の問題だということがすぐにわかった。

「やっと……、あの人に会えると思ってたのに……っ」

どうして、どうして……っ、どうして……!?

「痛い……。痛いよ……っ。やめて……、来ないでぇっ!」

もう嫌だ……。どうしてこんなことになってしまったの……?

助けて、誰か……!
410 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:42:52.08 ID:9OC/ch8I0
「えっ……?」

思わず、言葉を失った。

「嘘……、そんな……」

私の歩く先に、道がなかった。

あるのは断崖絶壁で、それ以上逃げる先がないことを意味していた。

ゾクリ。

背筋を冷たい指先でそっとなぞられるような感覚。

反射的に振り向いた私の目の前には、不気味なほどに口角をつり上げた何かの顔があった。

「いや、いやいやいやいやぁっ!!」

視界が大きく揺れる。

妙に冷えた感覚がとっさに覆った腕を通り抜けていく。

そして、急速にその跡が熱を帯びていく。
411 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:43:36.23 ID:9OC/ch8I0
「きゃあああああああっっ!!! 痛い痛い痛いいたいぃぃっ!!!」

腕が縦に、真っ二つに裂けてしまったような感覚が全身を突き抜ける。

鮮血が傷口から一気に噴き出る。

あまりの痛さに加えて力も抜けていって、その場に立っていることもできなくなり、地面に倒れてしまう。

傷口に土が入ってきて、それによってさらなる激痛が私に降り掛かった。

「うぐぅっ! やめて、やめてぇ……っ! いたいいたいいたいいたいぃっ!!」

あまりの痛みに息が詰まる。

苦しい。息がしたいのに、できない。

私を取り囲む化物たちは、なおも私を傷つけようとする手を止めず、次々と何かが壊れていくのを感じた。

頭を殴られたような気がする。右耳が聞こえなくなった。そこに手をやると、本来あるはずのものが、そこにはなかった。

違和感の意味を理解するよりも先に、その上げていた手が勝手に動いた。

何か棒のようなもので打ち付けられたのだとわかった瞬間、また想像を絶する痛みが襲いかかる。あまりの苦痛に叫び声をあげようにも、そのための息がもう私の中には残っていない。

「あ……っ、ぐぁ……っ」
412 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:44:02.95 ID:9OC/ch8I0
太ももに刃を突き立てられる。また血が一斉に吹き出して、そこら中が私の血溜まりだらけになっているのが見えた。

「あっ……っっ! た、たす、け、つ……っ」

逃げ出したい。

なのに、ほんの少し、指先を微かに動かすだけで、体の中が針で埋め尽くされたように、全身に痛みが走る。

もう、痛くない場所がなかった。

何かが砕ける音がした。

「いやぁぁぁああああああっっっ!!!!」

腕がへんな方向にねじ曲がっていた。

誰の腕だろう、これは。

そんなことを一瞬思った。

けど、本当に一瞬で、次の瞬間にはまた別の痛みでのたうち回る。
413 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:44:29.03 ID:9OC/ch8I0
お腹の辺りが強く押される。と思いきや、不自然にそこにあったものは抵抗を失い通り抜けていく。

私の体の中を。

「ぐふぅっ!?」

喉の奥から何かが逆流してきて、そのまま留めることもできず口から吐き出した。ドロッとした感触が唇を伝っていく。

今までで一番の痛みに暴れまわるも、そうすると余計に痛みが私を刺してきて、それで暴れて、さらに痛くなって。その繰り返し。

よく見るとお腹から血と一緒に、ドクドクと見慣れないものが溢れ出てくる。

自分の中身だとわかるのに、少し時間がかかった。

本来自分の体から外に出てはいけないものが、はみ出している。

「ひぃっ、も、もろさ、ないと……っっ」

必死に飛び出した内臓を元に戻そうとする。だが――

「ひゃいらないっ、もろらないよぉ……!」

腕が曲がっているせいで、うまく中に入っていかない。そもそもちゃんと集めることすらできていなかった。

血はずっと止まらずに私の中から溢れ出すのをやめない。もう自分の中は空っぽなんじゃないかって、そんなことを考えてしまうくらいに。

「ひぃ……っ、はぁ……っ!」

下品な笑い声がそこらじゅうから聞こえてくる。何がそんなに可笑しいのかわからない。
414 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:45:28.81 ID:9OC/ch8I0
――!

地面が一気に震え上がる。ずっと遠くの地の底から、何かが湧き上がってくるような音がした。

私の周りにいた化け物たちはみな手を止めて、一方向を見つめる。その視線を追うと、あの山の頂上の鈍い光がどんどん強まっていくのを感じた。

何が起こっているのか最初からわからなかったけど、とうとう本当にわからなくなった。

どうして、こんなところに私は倒れているのだろう。

どうして、私の右腕は変な方に曲がっているのだろう。

どうして、こんなにヌルヌルするのだろう。

どうして、私の中身はあんなところにまで飛び散っているのだろう。

どうして、こんなにも絶望的な状況なのに――

――私はまだ、奇跡を願っているのだろう。

彼が現れる瞬間を、待ち焦がれているのだろう。

「お願い……。助けて……っ!」

比較的まっすぐな左腕を伸ばした。すると、爪先が何かにぶつかりコツンと音を立てた。

これは、祠?
415 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:46:06.04 ID:9OC/ch8I0
この山には祠があったっけ。

昔、彼と一緒にこの山を冒険したんだった。

熊に襲われて、でも彼が助けてくれて。

すごく具合悪そうにしながらも、それでも私のために魔法を使ってくれた。

……ああ。懐かしいな。これって、走馬灯なのかな。

そっか。

じゃあ、私、このまま死んじゃうのかな……。

…………。

やだよ……。

このまま、死ぬのなんて、そんなの……。

いやだ、いやだ、いやだ……。

まだ、やりたいこと、いっぱいあったのにな。

せめて、あともう一度だけ、あなたに会いたかったのに……。

まだ、死にたくないよ……。死にたくない……。

助けて……。

誰か、私を、助けて……!

助けて……!!
416 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:47:50.95 ID:9OC/ch8I0



その時、



世界が終わる音がした。



417 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:48:36.76 ID:9OC/ch8I0



刹那。



それは彼女にとって、永遠にも等しい一瞬だった。



永劫の牢獄の中、それでも彼女は祈り続けた。



全ての喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも。



この世の始まりから終わりまで、彼女は繰り返し見せつけられ、それでもなお、彼女は正気を失うことはあれど、希望を捨てなかった。



彼女は、未来を見続けた。



存在するはずのない未来のために、祈り続けた。



故に、それは起こった。



必然的な奇跡が。



418 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:49:21.65 ID:9OC/ch8I0



――驚いたな。こんなことが起こるなんて。



――私が、ここで君にほんの少しの救いの手を差し伸べれば、全てが救われるなんて。



――想像もしていなかった。こんな方法があったのか。



――もう、関わるつもりはなかったが、最後に少しだけ。



――だが君は、さらなる絶望を味わうことになる。



――それでもなお、君は祈り続けるのか?



――世界の未来を、信じ続けられるのか?



419 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:50:34.46 ID:9OC/ch8I0
――

――――

「……えっ?」

痛い。

その感覚が、ひどく久しぶりのものに感じられた。

しかし、それも消えていく。痛すぎて感覚が麻痺したのではなかった。

曲がったはずの腕は元に戻っていて、お腹をさするもそこには擦り傷一つない。

辺りを見渡すと、あれだけいた魔物の群れは、みな地面に突っ伏していて身動き一つしない。

その中に、大きな背中が目に入る。

「長いこと、待たせてしまったな」

その声を知っている。この長い間、何度も何度も耳にして、でもその声は決して私に向けられたものではなくて。

でも、今は違う。

その声は、今ここにいる『私』に向かって言っている。

「君を、助けに来た」

そこには、私の待ち望んだ人が、私に向かって笑いかけながら、そう言ってくれた。

「……うん。ずっと、待ってたよ」
420 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:54:47.44 ID:9OC/ch8I0
――

――――

「肉体強化、魔力倍増、……よし、これで完璧だ」

あれから肉体がなかった俺は、もう一度ある世界に転生し、そこで最後の戦いに挑むための準備をした。

一刻も早く彼女を救いたかったが、そのためにはあの最後の魔王を倒さなければいけない。

急いだつもりではあったが、万全を期すために結局二十年ばかりかかってしまった。

「すごいですね、勇者さま……。普通の魔王なら一瞬で決着がつきます」

普通の魔王なら、確かにそうだ。だが、今回のはそれまでとは全く違う。

「今までの魔王全員と一気に戦うようなものだからな」

今までの経験を総動員しての準備をしたおかげで、今回の戦いに全てを最適化してある。故に逆に言ってしまえば、今回にしか役に立たないのだが。

「これが終わったら、たぶんもう俺に魔法は使えないだろうな」

「……そうでしょうね。これだけ無理のかかる魔法をかけていたら、勇者さまでなければもう既に身動き一つできなくなっているでしょう」

「その意味では、最後の戦いに相応しいのかもしれない」
421 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:55:37.13 ID:9OC/ch8I0
「それじゃ、そろそろ行くよ」

「はい。どうか彼女を、よろしくお願いします」

「…………」

「どうかしたのですか?」

これが最後だということがわかっていた。

最後の異世界転移で、それはつまりもう二度と女神様と会うことがないということ。

「これから、女神様はどうするんだ?」

「やめてくださいよ、その呼び方は。私はただの人形に過ぎないのですから」

「いや、俺にとってはずっと女神様だよ。女神様がいなかったら、こんな風に俺は魔王と戦えなかった。あのまま俺は死んでいたんだから」

女神様が俺の魂を現世に残し続けてくれた。その恩はどうしたって返せそうにない。

「だから、最後だし言っておきたいんだ」

「えっ?」

「ありがとう。本当に長い間、たくさん世話になった」
422 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:56:03.48 ID:9OC/ch8I0
「いえ、勇者さまもこんな至らない人形と一緒に、よくここまで戦ってくださいました。礼を言うのはこちらの方です」

深々と頭を下げる女神様。

「これから、ですね。どうしましょうか……。勇者さまを見つけて世界を救わせる以外の私の存在意義が、今の自分にはわかりません。それに――」

「それなら、いっそのこと女神様が転生してみたらどうだ?」

「えっ?」

女神様には人を転生させる力がある。それを使って他の誰でもない自分自身のための人生を送ることができたら、それこそこれ以上ない存在意義になるだろう。

「何なら俺たちのいる世界に来たらどうだ? きっと楽しいと思うぞ」

「……そうですね。そういうのも、悪くないかもしれません」

「?」

一瞬表情が曇ったように見えたが、女神様はそう言って笑った。

「めが――」

「さぁ、いつまでここで油を売っているつもりですか? 助けるのでしょう? そのために今まで頑張ってきたのでしょう?」

その声は優しくも強い意志を感じて、それ以上何も口にできなかった。

「……ああ!」
423 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:56:51.26 ID:9OC/ch8I0
「転移魔法(フィラー)」

女神様が呪文を唱える。飽きるほど聞いたこの声も、この感触も、これが最後だと思うと名残惜しく感じた。

二度とこの場所の風景を見ることはないのだ。

俺の体がバラバラになっていく。少しずつ、この世界から消えていく。

「向こうで、彼女にこう伝えてください」

ほとんど消えかかった時、突然女神様の口が開いた。

「私を作ってくれて、ありがとうって」

何か言おうとした。

けど、そのための口がもうなかった。

俺が完全にこの世界から消滅する寸前、最後に見えたものは穏やかで、しかしどこか泣きそうにも見える女神様の笑顔だった。
424 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:57:18.92 ID:9OC/ch8I0
――

――――

「さて、と」

尋常でない魔力の瘴気に、背筋が震え上がるようだった。これだけの魔力を、この魔王は至る場所から吸収し、溜め込んでいたのだ。

しかしそれが放出された今、この世界でも俺は魔法をいつも通り、いや、それ以上に使うことができる。

「じゃあ、行ってくる」

後ろにいる彼女にそう伝える。ここに来てすぐに最上級の回復魔法を使ったおかげで傷こそないものの、衣服がボロボロに破けていたり髪はグシャグシャになっていたりと、見ていて痛々しかった。

「うん。あなたなら、きっと倒せるよ」

「ああ」

飛行魔法で山の頂上と同じ高さまで一気に上昇する。

禍々しく重い瘴気が周辺に充満しているせいで、呼吸することすら苦痛に感じられるほどだ。

紫と黒の入り混じった光の中に、一際強い魔力を感じる。あれがこの魔王の中枢なのだ。

「やっと会えたな」

俺が108の世界で戦ったせいで生まれた、魔王の怨恨の塊。

最早、魔王なんて呼ぶべきではないのだろう。

これは『世界の憎しみ』そのものだ。
425 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:57:57.59 ID:9OC/ch8I0
魔法で強化された剣を構える。そこに俺の全ての魔力を注ぎ込む。

これを倒す、いや消滅させるためには、こいつが自らを守る結界以上の破壊力を以て、一気に叩く他ない。

だから、そのための準備をしてきた。

一気に魔力を一点に集中させるための魔法。それをさらに倍以上に高める魔法。

そして、それにこの肉体を耐えさせるための守護魔法。

つまりは、一点集中型で、この戦いにしか役に立たないと言ったのは、その一瞬以降においては俺は普通の人間以下にまで弱体化してしまうからだ。

他の世界だったら、この方法で魔王を倒したとしても、その後に他の魔物に簡単に捻り潰されてしまうだろう。

「覚悟は、いいな」

自分の中の魔力が、それ以外の力の全ても、最高潮にまで高まったのを感じる。

これで、終わる。

何千年にも及んだ俺と魔王との戦いに、終止符が打たれる。

俺が狙いを定める中枢が、大きな雄叫びを上げた。もしかしたら、俺という存在を覚えているのかもしれない。

「いくぞっ!」

構えた剣を一気に振り下ろすと、強烈な閃光が空を走った。反動で自分まで吹き飛びそうになるのをどうにか堪えて、今の自分が持てる力の全てを放つ。

向こうの結界が弾き返す。しかしなおも俺の剣からは膨大な魔力が放出され、そこにドデカい穴を空けようとしている。

「うぉぉぉぉおおおおおおおおっっ!!!」

結界にヒビが入る音。あと少しだ。あれさえ割れれば、あとは――!

その次の瞬間――!

「……あれ?」

全身の力が、ふっと抜けた。
426 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:58:24.02 ID:9OC/ch8I0
「嘘、だろ……」

力が、入らない。

まだ向こうの結界は、ヒビだらけになりながらも、その形を保っている。

俺の魔力が足りなかったのだ。

最早飛行魔法すら使えず、視界がゆっくりと下降していく。手を伸ばすことすら、かなわない。

「そんな……っ」

あと少し、ほんの少しだけなのに……。

落ちていく。俺の体が空から地面へと、どんどん落ちていく。

「く……っ、そぉ……っ!」

『勇者さま!』
427 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 01:59:59.25 ID:9OC/ch8I0
「えっ?」

声が聞こえたと思うと、上下が逆転したかのような感覚に陥った。まるで、時間が止まってしまったかのように、全てがゆっくりに感じられた。

「女神、様……?」

『私が存在するためのエネルギーを勇者さまに与えました。これで結界を壊してください』

「存在って、それじゃ女神様は……!?」

『もちろん消えてしまうわけですが……。でも、いいんです。これで』

「いいわけ――」

『元々、私は世界に干渉できませんから』

「干渉、できない……?」

意味がわからない。女神様は俺と一緒にいろんな魔王と――。

「……!」

いや、思い出せ。最初に女神様に会ったときに、何て言っていた?
428 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:00:27.84 ID:9OC/ch8I0
――どうして、あなたがそうしないんだ?

――……できないのです。

――できない?

――先程申した通り、私にできることは限られています。私という存在が関わることのできる事象が、ほとんどないと言って等しい。

――理由は自分でもわからないのですが、こうしてあなたと接触できたことが、奇跡と言ってもいいのです。

あの時にも、女神様は同じことを言っていたじゃないか。

どうして、今の今まで忘れていたのか。

『そうです。その理由も、今となってはあたりまえのことだったんですよ』

「あたりまえって……?」

『彼女は、祠に残ったあなたの力を使ってこの世界を結界に、自分の中に閉じこめました』
429 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:01:23.49 ID:9OC/ch8I0
『そして人としての理を破った彼女は、世界との繋がりが勇者さま以外とは切れてしまったのです。今はもう人に戻っているようなので、心配ないでしょうけど』

「だから、女神様も……」

『その通りです。彼女の創作物である私も、勇者さま以外の世界に触れることは、できないのです。たとえ、彼女が人に戻ったとしても、私という存在が世界から切り離されていることには、変わりありませんから』

「そんな……っ」

『だから、これでいいんですよ。勇者さまのために、彼女のために、命をくれた二人のために、この命を使えるのですから』

なんて無神経だったのだろうか、俺は。

――何なら俺たちのいる世界に来たらどうだ? きっと楽しいと思うぞ。

頭の中で自分の言った言葉が何度も繰り返される。

女神様はきっとわかっていた。自分がこの先、ずっと一人であの世界に残る未来を。

それなのに女神様は、俺のために笑ってくれたんだ。
430 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:02:05.20 ID:9OC/ch8I0
『……もしも、二人と同じ世界に生まれることができたら、きっと楽しかったんでしょうね』

訪れるはずのない未来に、思いを馳せる声。

『それを勇者さまが提案してくれたこと、本当に嬉しかったですよ』

「えっ……?」

『だって、私がいる世界を勇者さまは望んでくれた』

『ただの人形に過ぎない私を、勇者さまは一人の人間として見てくれた』

いつの間にか、全身の体力と魔力が、半分以上も回復していたことに気づく。

それは、とどのつまり女神様が、自らの存在を俺に分け与えたことのこれ以上ない証左だった。
431 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:03:58.13 ID:9OC/ch8I0
『勇者さま』

「…………」

何も声にならなかった。何て言えばいいのか、わからなかった。

『最後、別れるときの挨拶をしていませんでしたね。忘れていました』

クスッと笑い声が聞こえる。胸が痛くて仕方ないのに、俺も少しだけ笑えた。

『さよなら、勇者さま』

「……さよなら、女神様」

姿は見えなかったけれど、安心するように微笑んだのが見えたような気がした。
432 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:04:36.79 ID:9OC/ch8I0
――

――――

音が戻ってくる。風景に色彩が戻る。

俺は今もなお落ち続けていて、涙が上に向かって流れていく。

魔力がみなぎってくる感覚が、その人が存在していたただ一つの痕跡だった。

「女神様……。その命、絶対に無駄にしない……!」

飛行魔法を唱え、一気に空へと上っていく。流した涙を追い越し、さらにその先まで。

長い時間が過ぎたように感じていたが、実際に流れたのはほんの数秒ほどだろう。まだ結界はほとんど修復されていない。

これ以上、余計な時間をかけてはいられない。

「今度こそっ!」

まだ微かに剣に魔力が残っているおかげで、集中はすぐに完了し、一気に放った。

突然の俺の復帰を予測していなかったらしく、結界は一瞬でバラバラに砕け散った。

「おおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおっっっ!!!」

もう一度同じだけの結界を張るよりも、俺が中枢に剣を突き刺すほうが早かった。
433 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:05:55.41 ID:9OC/ch8I0
剣を通して残った魔力をありったけ注ぎ込むと、中から真っ白な光が溢れ出てくる。

俺の魔力とこいつの中の魔力が混ざり合い、連鎖反応的に自分自身を破壊していく。

もう、崩壊するのは時間の問題だ。

このままここにいても、崩壊に巻き込まれるだけで、もうこの場に留まる理由はない。

「くぅっ!」

残った力で後ろへと、空中へと飛び退く。

俺の体は落ちながら、どんどんそこから遠のいていく。

中枢から次から次へと、ボロボロと崩れ落ちていく光景が、遠くに見えた。

「これで……やっと」

急速に遠くなっていく光景が、徐々に薄れていく。

「あ、れ……、見えないや……」

視界がぼんやりとボケていって、段々と暗くなっていって、やがて何も見えなくなった。
434 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:06:33.97 ID:9OC/ch8I0
――

――――

「……! …………ぶ!?」

誰かの、声が聞こえた。

どうしてか、それに自分は安らぎを覚えて、そのままもう一度眠ってしまいそうになる。

「ねぇ……! ねぇってば……!」

ポツリ。

あたたかいような冷たいような、よくわからないものが自分の頬に落ちてきた。

これは、涙だ。

ゆっくりと目を開くと、よく知っている顔が目の前にあった。その表情がひどく歪んでいて、申し訳なくなる。

ああ、違うんだよ。そんな顔をさせたくなくて、今まで頑張ってきたんだ。

だから、どうか。

「泣かないで、くれよ」
435 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:07:28.31 ID:9OC/ch8I0
彼女の目がハッとなって俺を見る。涙で潤んだ瞳がすごく綺麗だった。

「い、生きてるの……?」

「ああ……」

自分の手を動かしてみる。ひどく全身が重くて、体が自分のものじゃないみたいだ。

けれど、動かないことはない。ただ、少し疲れているんだろう。

「そう、みたいだ」

「よかった……、よかったよ……!」

またいくつも涙が俺の顔にこぼれ落ちてくる。鉛のように重い腕をどうにか持ち上げて、彼女の頭に乗せた。

ああ、生きている。

彼女もまた、今この瞬間に、この場所で生きているんだ。

なんだかまだ実感が湧かないけれど、それでも嬉しくてたまらなくて、胸の中が熱くなる。

「やっと、助けられた……」
436 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:10:33.89 ID:9OC/ch8I0
少しずつ空が白み始める。夜が終わり、朝がやってくるのだ。

さすがにあれだけのことがあったせいか、鳥の声も虫の音もしないが、吹き抜ける風が微かに熱を帯びているのを感じた。今の季節は――。

――じゃあ、何年か先の夏で、また。

――うん。また……。

いつかの約束が頭の中にふっと思い浮かんだ。

「ちゃんと、約束守れたんだな」

「うん……。そうだよ」

泣き声の入り交じる彼女は、そう言ってうなずく。泣いているけど、笑っている。

「おかえりなさい」

懐かしい、太陽のように眩しい彼女の笑顔が、そこにあった。

なら、俺はこう返そう。ちゃんと彼女の元に帰ってきたことを伝えるために。

「ああ。ただいま」



おわり
437 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:11:35.67 ID:9OC/ch8I0
Cradle Song For The Two
https://youtu.be/8xWccvsuhuc

このSSのエンディングテーマです。
438 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/01(水) 02:12:46.73 ID:dHoGLaCpo
おつ
面白かったよ
439 : ◆Rr2eGqX0mVTq [saga]:2018/08/01(水) 02:14:42.38 ID:9OC/ch8I0
このような拙い作品に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
440 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/01(水) 06:52:28.52 ID:UjURNjs7O
蘭子「混沌電波第178幕!(ちゃおラジ第178回)」
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