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工藤忍「おかしなうさぎは夢見て跳ねる」
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1 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:27:28.31 ID:X17K8DuQ0
モバマスの工藤忍ちゃんのSSです。地の文風味。モブ視点。
https://i.imgur.com/eZksglX.jpg
https://i.imgur.com/Toc9ZOa.jpg
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1522463248
2 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:28:46.16 ID:X17K8DuQ0
夢が叶うのは誰のおかげだろう。
応援してくれる人? チャンスをくれる人? 一緒に夢を見てくれる人?
誰も答えを知らないまま、僕らは今日も「おかげ」を押し付け合う。
正しくなくてもいいから、間違っていてもいいから。
祈るように、想うように、ただ恋願う。
君の夢が叶うのは、君のおかげでありますように。
ぱっつんに切り揃えられた髪、決意に満ちた紺碧の瞳、りんごみたいに染まった頬。
ぎこちないステップを踏むダンスに、上手くも特徴もないフツウの歌声。
いつもの音楽室には、今日もあの子がいる。
3 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:30:07.72 ID:X17K8DuQ0
◇
青森の冬はかくも厳しく。
研ぎ澄まされた冷たい空気は、身体の内から、外から、棘のように突き刺さる。
きっと海風が真っ白な景色を吹き飛ばそうと躍起になっているせいだ。
この灰暗い檻が目の前に立ちふさがって、どれくらい経っただろうか。
あと1ヶ月もすれば春休みだというのに、春待つ伊吹はまだまだ雪の下に埋もれているみたい。
なぜ教室を出るたびにこんな思いをしなくちゃならないんだろう。
襲いかかってくる寒さに身体を震わせながら、肩にかけたギターケースを背負い直した。
授業が終わって散り散りになっていく同級生たちは、真っ白に染まるグラウンドを睨みもしない。
冬なんてこんなもんだ。青森に生まれたことを恨むんだな。
多分誰もがそう思って、いつものように体育館へと向かう。
校舎の3階に用事がある自分とは反対方向だ。
うちの学校は、ほとんどの学生が運動部に所属している。
なぜかスポーツが強くて、公立の星だと呼ばれてるらしいから。
その煽りを受けて、文化部にいる人間は物珍しい目で見られることが多かった。
たったひとりの軽音部も同じように壊滅的だ。
なぜこの部は残ったままなのだろうとは思うけれど。
凍える雪景色の中で誰がスポーツなんてやるのだろうと思うけれど。
音楽室が悠々と使えるならば細かいことは気にしないことにしている。
4 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:32:29.11 ID:X17K8DuQ0
だいたい1年前。
入学してきた時に軽音部を選んだのは、音楽しか自分にできることが思いつかなかったから。
小さい頃、親父に譲ってもらったアコースティックギターは宝物だと思っていた。
子どもが憧れる不思議のパワーや才能のように。おとぎばなしに出てくる勇者の剣のように。
そんな期待と興奮が、自分が六弦で鳴らす音にだってあるはずなんだと。
無限大に広がっていたはずの未来は、気づけば分かりやすくしぼんでしまっていた。
自分にだってこんなぬるい泥沼から抜け出す力があったなら。
そんな淡い夢を思考の隅に追いやって、今日まで淡々とピックをはじいてきた。
こんな場所で壮大な夢も何もあるもんか。
今日も電波の向こうでは、同い年の都会の奴らが、眩しい煌めきを存分に放っているというのに。
窓の外のどんよりした厚い曇り空は、どうにも思考まで暗くさせるような気がする。
今日はちょっとでも明るい曲を練習しようと、音楽室の近くまで来たところで立ち止まる。
聞こえるはずのない歌声が聞こえた。
これだけ離れていてもよく通るその声は、お世辞にも上手いとは言い難かった。
それからキュッ、キュッとシューズの擦れる音が聞こえてくる。
扉の硝子から覗いてみると、どうやら歌いながら踊っているらしい。
ところどころステップが踏めていなくて、なんだか酔っぱらいみたいに背中がふらふらしている。
こいつは一体何をやっているんだろうと思ったところで、やっと気づいたことがあった。
見知らぬ女の子がそこにいる。
5 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:33:32.22 ID:X17K8DuQ0
音楽室にはいつもひとりだったから、その景色は珍しいような、嬉しいような。
この時間は軽音部専用のはずだから、大方勝手に使っているんだろうけども。
扉を開けて中に入っても、背を向けたその子は自分に気付く様子はなくて。
周りが気にならなくなるくらい集中しているのだろうか。
声をかけるのもなんだか忍びないから、結局踊り終わるまでぼんやりと眺めていた。
「ふぅ……しんどいなぁ。もう少し、楽に踊れると、良いんだけど……」
踊り終わった女の子がこちらを振り返る。
ばっちりと目が合って、たっぷり10秒はお互いの時間が止まる。
女の子は、額に汗を滲ませて、頬を真っ赤にして、息も絶え絶えで。
それでも弱気な心を読まれてしまうような真剣な眼差しに気圧されてしまう。
それからよく顔を見て、少しだけ心が跳ねた。
有り体に言えば、目の前の女の子にときめく何かがあるような気がした。
惚れっぽい男の子じゃあるまいし。そんな気恥ずかしさを慌てて隠そうとして。
「えっ、あなた、誰!?」
「それはこっちのセリフだよ!!」
前言撤回。なんだこいつは。
思わず手に持ったギターを叩きつけたくなった。
6 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:34:33.20 ID:X17K8DuQ0
――――――
―――
「で、何やってたの?」
女の子の呼吸が落ち着くのを待って、とりあえず事情を聞く。
ここの主は一応僕であって、無断使用は無断使用だ。
そんな説明をすると、さっきまでの張り詰めた表情はどこへやら。
女の子は小さく縮こまって、全く目線を合わせてくれない。
「あの、えっと……ちょっと、ダンスの練習がしたいなと、思いまして」
「それで、勝手に音楽室に入り込んで、勝手に使ってたと」
そんなに怒ってはいないけれど、別に使ってもらっても構わないけれど。
なんだか珍しいお客様に、ちょっぴり言葉が昂ってしまう。
そんな僕の様子に、目の前の女の子はますます体を震わせて。
その通りですの言葉は、ほとんど消えてなくなりそうだった。
「名前は?」
「く、工藤、忍。1年生です……」
「じゃあ、同い年か。それで工藤さんは、どうしたいの?」
だんだんと僕が工藤さんをいじめているみたいになってきた。
なんで突然来たのかとか、いろいろと聞きたいことはあったけど、そうじゃなくて。
7 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:35:28.48 ID:X17K8DuQ0
「勝手に使ってすみませんっ。その、誰も使ってない場所を探してて……」
「まぁ、気まぐれに使ってるからね」
「本当にごめんなさい! すぐ片付けてどっか行きますっ」
片付けて逃げていこうとする工藤さんを手のひらで慌てて静止する。
どう、どう。この子はなんというか気が早いな。
「ちょっと待って」
「え、えっと?」
事情は良く知らないけれど、下手なりに努力する姿勢は昔の自分と重なって見えた。
だからだろうか。工藤さんの眩しさにくらくらしつつも、僕はなにかしてあげたいと思い始めていた。
それとも、困っているのが女の子だから? だとしたら、なんて僕は俗っぽいんだろう。
浮ついた思考を振り切って、僕はできることを見つけた。
「どうせひとりしかいないから使ってもいいよ」
「ホントっ!?」
「うぉっ」
静止させようと向けていた手のひらを女の子の両手でぎゅっと包み込まれる。
汗ばんだ手のひらに少し高い体温。その向こうに見えるほころぶような笑顔。
そんなに喜んでもらえるとは思っていなくて、僕の心の準備はできていなかった。
至近距離で感じられる女の子の姿に、自分の体温が沸騰するように上がっていく。
「やったーっ♪ ホント困ってたんだ」
工藤さんは男の手を気軽に握ったことをあんまり気にしてないようだ。
ぱっと僕の手を放すと、くるくると回転してみせる。
熱に浮かされた目で追いかけると、2周目辺りでふらついて転んだ。
8 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:36:11.13 ID:X17K8DuQ0
「あいたたっ。まだまだ練習が必要だなぁ」
苦笑いをする工藤さんを見て、自分もやっと笑った。
何もかも突拍子もない子だけど、きっと悪い子じゃない。
僕はようやく少し落ち着いて、工藤さんがここに来たワケを知りたくなった。
「それで、工藤さんは……」
「忍でいいよっ。みんな工藤さんだし、同い年だし」
「しの、ぶ」
工藤さんが学校にいっぱいいるのは確かだけど、それでも女の子の呼び捨ては慣れなかった。
調子を外したあんまりな発音に、工藤さんが吹き出す。
「あはははっ。それで、どうしたの?」
「ん゛っ。……忍は、どうして音楽室に?」
「えっと、ちょっと練習がしたかったんだけど……」
曰く、家で練習しようとしたら怒られたそうだ。
外は寒いし、踊ってもいい場所なんかほとんどないし。
それで、探していたらこの音楽室に辿り着いたとのこと。
「なんで急にダンスの練習なんか?」
忍は今日突然やってきた。
ダンス部なんかもちろんこの学校にはない。じゃあ、今までどうしていたのだろう。
あまり真剣に考えたわけではない。けれど、もっともな疑問だった。
9 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:36:54.47 ID:X17K8DuQ0
「あ……い……っ」
忍は何かを言おうとして、急に言い澱んだ。
何かに急かされるように、何かに怯えるように、笑顔がかちりと固まる。
ぐるぐると回る忍の視線は、次の言葉が本当のコトだとは思わせないのに十分だったけれど。
「えっと、その、うん。さ、最近興味が出てきたのっ」
「……そっか」
僕はそれ以上を聞けなかった。
きっとそんなに大事なことではないんだろう。
広いだけの音楽室にこれからはひとりじゃない。それだけで嬉しかったから。
「とりあえずよろしく。好きに使っていいよ」
「ん。ありがとね! 部長さん、よろしくお願いしますっ」
春はまだまだ霞の向こうだけれども。
春のようなできごとは思いがけずにやってきた。
僕と忍の奇妙な音楽室の同盟はこうやって始まった。
10 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:38:15.79 ID:X17K8DuQ0
◇
音楽室の住人が増えて何日か、分かったことがある。
まず、忍のやる気はすごかった。
どんな時間に来ても、もう学校指定のジャージに着替えて練習を始めている。
終業チャイムが鳴ってから全力で音楽室まで走ったこともあるけれど、それでも勝てなかった。
習慣だから別にすごくないとは本人の談だけども、それでも本気とは何気ないところから滲み出るものだ。
それを聞いて、やる気もなく、目的もない自分がだんだんと恥ずかしくなった。
それから、どうにも忍のやりたいことは特殊なのかもしれないと思った。
忍は結局、音楽室の一角の机をどかしてしまって、広いスペースを作った。
僕がギターを弾いているからその邪魔にならないようにと、僕の向かい、ちょうど反対側だ。
最初に会った日のように、古いコンポで流行りのアイドルソングを流しつつ、それに合わせて踊ってみせる。
調子が良い日は振り付けに合わせて歌ってみたりして。
選曲はまぁ良いとして、ダンスに興味がある人は歌ったりもするものだろうか。
そういうグループとかをテレビで見かけたりするし、なくはないのかもしれない。
毎日音楽室に来て、手持ちの曲の中から一曲選んで、少しづつ振り付けを体に刻んでいく。
失敗したらやり直したり、入念に動きや声色を確認したり。
一曲を飽きずにひたすら演り続ける。単純作業のようにも見える行為をただただ繰り返す。
努力家と呼ぶにふさわしい忍の姿を、僕は毎日見ていた。
でも、燃える炎のような情熱の中の、どこにそんな燃料があるのか。
それだけは、僕にもずっと分からないままだった。
11 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:39:27.40 ID:X17K8DuQ0
――――――
―――
「部長さんは何してるの?」
これは何日目かに忍に聞かれた質問だ。
見てもらえば分かるとポーズで示しても、忍は不思議そうな顔を崩さない。
「えっと、なんかちょっと本格的というか……」
忍の目線が、いろいろ置いてある機材に次々と移っていく。
アコースティックギターに、マイク、アンプ、ノートパソコンなどなど。
「録音したりするから、かな」
「そのノートパソコンはネットが見れたり……?」
「しないですねぇ」
「だよねっ、残念」
動画を見ながら練習できると思ったのになーなんて言ってる忍をよそにして。
なんとなくいつもやってることを説明しつつ、USB型のMP3プレイヤーを手渡す。
さっきまで録っていたギターのバッキングの音が入ってるはずだ。
「これで聞きつつ、別のパートを録って重ねてって感じで」
「やっぱりプロみたいだ、演奏上手だもんね」
小さな音楽プレイヤーは見たことなかったのか、驚きの混じった表情でくるくる回している。
おもちゃじゃないんですけど。そう言いかけたところで、興味があったのか忍の言葉で遮られた。
「お高いの?」
「いや、安物だよ」
「ふーん……」
12 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:39:55.97 ID:X17K8DuQ0
忍は、音楽プレイヤーを持ったまま何かを考えているようだった。
固まったままの姿に僕が怪訝な顔をし始めると、それを見なかったように思いつきの顔を返してきた。
「あっ。ちょっと、お願いがあるの!」
「……なに?」
「アタシ歌ってみるから、録音して聞かせてっ」
突然何を言い出したのかと思ったけれど、断る理由も特にないので僕は頷いた。
パソコンでソフトを立ち上げてから、マイクを繋いで忍の方に向ける。
「どうぞ」
忍はコンポを操作して、カラオケヴァージョンの曲を引っ張り出してくる。
普段は忍が振り付けに合わせて元気良く歌っているアップテンポの恋の歌だ。
「よし……じゃあ合図したらよろしく!」
「「せーのっ」」
13 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:40:36.97 ID:X17K8DuQ0
細かく刻んだハイハットの音から始まって、明るいピアノが流れ出す。
忍がすっと息を吸う音が、僕の耳に残る。
適当に聞いてればいいのに、なんでこんなに集中して聞いてるんだろう。
なんとなく気になってとしか言えない気持ちに僕は少し苦笑いをする。
跳ねるような忍の歌声が音楽室に響き渡る。
最初は緊張してるのか、声がリズムに乗り切れてなくて硬いなぁと思っていた。
それでも節が進むに連れて、忍の個性が出てくる。同時に忍の表情が変わった。
楽しそうに、気持ちよさそうに柔らかい笑顔で歌い続ける。
冷静に分析していた頭を投げ出すと、嬉しそうに歌ってる姿につい魅入られてしまう。
こいつ、こんな顔もできるんだ。そのせいで後半はあんまりちゃんと聞いていなかった。
気づいたら曲は終わっていて、慌ててて録音ソフトを止めたことだけを覚えていた。
14 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:41:38.89 ID:X17K8DuQ0
「どう? キーとかアクセントとか、それに最後のサビは自信あるよっ」
鼻息荒く自信に満ちた表情で、忍は録音の再生を急かす。
自分が初めて録音してみた時の記憶を思い出しながら、このあとの言葉を考えながら、僕はボタンを押した。
「……」
「……」
「えっ、アタシ、こんなんなの!」
あぁ、やっぱり。
録音した自分の声は、不思議と自分のものだと認識できないものだ。
カラオケやお風呂場で歌っているだけじゃ、本当に歌が上手いかどうかは分からない。
「まぁその、音は合ってたと思うよ」
楽しそうに歌う人は好きだ。それはそれとして、忍が上手いかと聞かれたら、僕はなんとも言えなかった。
声はよく通るし、音も多分合ってると思うけれど、なんというか……フツウ?
「えーっ……歌は譲れないものがあったのに……」
さっきまでの表情は一瞬で枯れた花のように萎れた。
僕はなんとか慰めようとするけれど、褒めすぎず傷付けすぎない言葉が見つからない。
ぐるぐると考えていたせいで、結果的に訳が分からなくなって本音がぽろりと落ちる。
「……ダンスよりはマシじゃな、あっ」
「……ふーん」
今度は明らかに機嫌が悪い顔になったけれど、すぐにその険しさは緩んでいく。
その表情に安心しつつも、僕は表情がころころと変わる忍を可笑しく思う。
「いいよ、ダンスが苦手なのは分かってるし」
「そ、そう」
「これからたくさん練習すればいいんだもんね! よーし、努力あるのみだよ!!」
気合を入れ直したように忍は練習スペースに戻っていく。
僕は音量を絞って、もう一度忍の歌声を聞いてみる。
その歌は、やっぱり上手くはないけれど、なぜだか好きだと思えるような気がした。
15 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:42:31.79 ID:X17K8DuQ0
――――――
―――
僕がギターを弾く。忍がダンスを踊る。
そんな放課後の日常が、幾日も続いた。
最初は奇妙な光景だったものは、次第に慣れて普段の景色に溶け込んでいく。
新鮮だった頃を過ぎて、きっと互いに距離を計りかねていたんだと思う。
互いを邪魔しないように大きく空けられた音楽室のスペースは、そのままふたりの心の距離だった。
いつ行っても忍が先に始めているから声をかけるタイミングもあんまりなくて。
きっと忍は僕のことを淡々とギターを弾いてるだけの人だと思っているだろう。
僕も忍のことを淡々と踊って歌ってを繰り返しているだけの人だと思っている。
お互いに理由も目的も分からないまま、ただなんとなく努力を重ねる。
それが変わったのはあの日からだ。
16 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:43:39.82 ID:X17K8DuQ0
――――――
―――
今日の忍は熱心にダンスのステップだけを練習しているようだった。
前からずっと上手くいっていないパートだと、少し見ただけで気付いた。
複雑で、わりと動きの大きなステップから最後にターン。
あまりの気迫に、ついギターを弾く手も止まって、その行く末を見入ってしまう。
最初の方は上手くいってるように見えていた。
でも、リズムから外れだすと途中で足がもつれだして、ターンまで体のバランスを保っていられない。
足の動く範囲が狭いのか、リズム感がいまいちなのか、僕のような門外漢には分からないけれど。
ただ、苦戦していることは確かだった。
失敗する度に曲を巻き戻して、また失敗して。
額に浮かぶ汗も気に留めないで、ただただ同じことを繰り返す。
がむしゃらにたった1回の成功が出るまで。
そんな姿に、昔の自分を思い出す。
何回やってもFコードが押さえられなくて、鈍い音を聞いてはすぐ投げ出したっけ。
そういえば、あの時の僕は、どうやって壁を乗り越えたんだろう。
忍の努力は、傍目から見て、上手くなっているようには見えなかった。
ステップを間違える度に、まったく別の部分のミスが出る。
疲れが出てきたのか、手の振りまでも大雑把に緩んできてる。
止めたほうがいい。直感でそれだけは分かった。
17 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:44:36.85 ID:X17K8DuQ0
ちょっと休憩しようと僕の声が喉から出る前に、忍の足が引っかかって姿勢を崩す。
忍がどさっと尻もちをついても、アイドルソングは無情に流れ続けた。
「っ……できない」
「あーっ、もうっ!」
忍は苛立つように天井を見上げて、声をあげた。
どうしてできないんだろう。こんなにも努力しているのに。
そんな心が握った拳を床に叩きつけそうになって、すんでのところでやめる。
「……やっぱり、努力しても、才能には勝てないのかな」
弱気な言葉がぽろぽろと涙の代わりにこぼれ落ちた。
その囁きは、才能の前に夢を諦めた僕の心にも突き刺さって、咄嗟に反応してしまう。
「そんなことないだろ」
「だって!! あんなに簡単そうに踊ってみせるのにっ!」
今の忍は、きっと昔の自分と同じなんだ。
誰だって努力して、誰だってどこかでそれを信じられなくなる。
どこかで折り合いをつけて、才能の前に諦めてしまう瞬間がある。
努力が実を結ぶとは限らないことに気付いてしまう。
でも、忍にそれはまだ早いような気がした。
今もまだその場所に留まる自分を慰めるように、なんとなしの言葉を送る。
それは勇気づけられるものではなくて、ただ自分の心が傷つかないためだけのお守りだった。
「努力できることも立派な才能だよ」
そう言い聞かせて、僕はずっと音楽をやってきた。
「え、う、うん」
「そっか……そうだよね……」
驚いたように目を見開いて、忍がその言葉を反芻する。
繰り返す度に、忍の強く握られた掌は緩んで、身体の方に力が戻っていく。
思っていたのとは違う受け取られ方に、僕の方も少し戸惑う。
18 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:45:22.08 ID:X17K8DuQ0
「だからちょっと休んで、」
元々はちょっと休憩させようと思っていたことを思い出して。
慌てて付け足した言葉の端を忍に盗られる。
「また頑張ればいいんだっ!」
こいつ、まだ頑張るつもりなのか。
慰めと諦めの境地の言葉は、なぜか逆に忍の心にやる気を灯した。
それだけのエネルギーはどこに埋まっているんだよ。
感心を通り越して呆れつつも、それでも忍が弱気になることもあるんだな。
上手いかどうかはさておき、努力に努力を重ねる、選ばれた強い人間だとずっと思ってきた。
人の弱みを見ると親近感が湧くと言うけれど、まさに今そんな気持ちになる。
忍の表情がすっと変わる。
それで、とりあえず頑張ってみるのをやめたのが僕にも分かった。
「ね、アタシのダンスを見てなにか気付いたこととかある?」
まぁ、ダンスなんか詳しいわけじゃないんだけど。
それでも思ったことが、気付いたことが、もしかしてヒントになるなら。
僕は君にできることをしてあげたい。今はただ、なんとなく。
「身体が硬すぎなんじゃない? ストレッチとかアップとかちゃんとした?」
「……やってない、です」
「やっぱり」
たかが素人のアドバイスは、忍にも思う所があった部分のようだった。
僕の何気ない言葉を素直に聞いてくれたことが、なぜかすごく嬉しい。
忍は慌てて、コンポを止めて、ストレッチを始める。
「痛い、痛いっ」
19 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:46:34.55 ID:X17K8DuQ0
できないって認められるってきっと大切だ。
山の頂上からのキレイな景色を見るためなら、小さなプライドなんてどうってことないと。
自分の力不足に悲しくも、苛立たしくもなるけれど、それでも山の麓で一歩を踏み出してみる。
助けを求めたって、泣き出したって構わない。
大切なことは力がないことじゃなくて、やる気が燃え尽きてしまうことなんだって。
だから、努力できることも立派な才能なんだ。
そんな自分理論な僕の気持ちは、忍に伝わったのだろうか。
体の硬さと戦いながら必死にストレッチをする忍の背中に心の中で問いかける。
ギターを抱えると、僕はAm、F、G、Cとコードを押えていく。
こんな簡単なことがずっとできなくて、何度も何度も諦めたけれど。
今、こうしてキレイな音が響く。そんなちっぽけな経験のおかげで誰かが歩きだせる。
そう思ったら、なんとなく淡々とやってきたことも悪くないなと思えた。
夢や憧れを燃料に山を途中まで登ったかいはきっとあったんだろう。
「ちょっと、お願い! 背中を押してっ」
また意志の炎を瞳に宿して、忍の大きな声が被さった。
弱気になったり、強気になったり本当に忙しいやつだ。
「分かった、分かった」
座ったままで体をずりずりと引っ張ってきて、忍がこちらの方に寄ってくる。
僕も、生返事をしながらギターを脇に置いて歩み寄る。
音楽室の端と端の微妙な距離感が少し縮まったような気がした。
20 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:47:14.16 ID:X17K8DuQ0
――――――
―――
「んー?」
次の日、音楽室に入ると忍が腰に手をあてて首を傾げていた。
いつもならこの時間にはもう黙々と踊っているはずなのに。
昨日の真剣な彼女から一転、そんな背中はなんだか気が抜けて笑ってしまう。
「どうしたの?」
「あっ、お疲れ様! なんかコンポの調子がおかしくて……」
目の前のピンクの小さなコンポは、ざざっとイヤなノイズを垂れ流していた。
接触でも悪いのかとべたべた触ってみるけれども、改善する様子はなさそうだった。
かなり使い込んでいたからもう寿命なのかもしれない。
そう伝えようと振り返った瞬間、何かを思いついたような忍の顔が視界いっぱいに写る。
あまりの近さに驚きを隠せなくて、それから忍の瞳の奥にキラリと光るものを見たような気がした。
「こういうのはっ、斜め45度から叩けば治るよ!」
「おい、ばかっ」
忍の目を見てしまった数秒が遅かった。勢いよく忍の平手打ちがコンポに炸裂する。
ガシャンと響く機械音の後、断末魔のように甲高い音を出してコンポは黙ってしまった。
軽く振ってみるけれど、もはやうんともすんとも言わない。
「……」
「……どうすんのさ」
「あぁぁ、やっちゃった……」
21 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:48:12.56 ID:X17K8DuQ0
こいつは本当にまったく。
そんな気持ちを表すように、長い、長い溜息をついた。
忍は勢いだけ先走っていくから、ちゃんと考えてるのか不安になる。
「どうしよう……お金あんまりないのに」
忍の落胆振りは、悲壮感が目に見えて分かるような気がするほどだった。
もう寿命だったとはいえ、大事な練習道具に自分の手でトドメを刺してしまったんだから。
きっと、自分のせいだという気持ちと、どうしたらいいのか分からない気持ちが混ざりあって。
渋い顔をしたり、切ない顔をしたり、ぐるぐると表情を変えた忍の目についに水たまりができる。
「……」
気持ちは分かるけど、女の子に泣かれると、僕が困るよ。
忍の気持ちが移ったのか、自分までどうしたらいいのか分からなくなってきた。
誤魔化すように視線を遠くにやる。広い音楽室の端から端を見やって。
自分のギターケースを、同じように音を奏でる道具を、見つけた。
なにかできることをしたい。
もう飽きるくらい聞いたアイドルソング。
自信なんかないけれど、本当にできるのか分からないけれど。
それでもこのまま悲しませているよりはマシな気がした。
「忍」
「っ……ん?」
「下手くそで良ければだけど……僕が弾くよ」
22 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:48:59.15 ID:X17K8DuQ0
椅子に腰をかけると、アコースティックギターを抱えて、カポタストを合わせて。
それから六弦の音を半音下げて調律していく。
ストレッチをしている忍が、おずおずと不安そうに聞いてくる。
「本当に……いいの?」
「そっちこそ、曲の雰囲気全然違うよ? テンポだって合ってるか分かんないよ?」
忍はぶんぶんと首を縦に振ると、ようやく笑顔を見せる。
腕をぐいっと上に伸ばしてストレッチを終えると、いつものやる気に溢れた忍が帰ってきた。
「よーしっ、やるぞー!」
「なんでそんな嬉しそうなの」
「えへへ。なんか、仲良くなったからできることって感じする!」
急に向けられた微笑みに、僕の顔がだんだんと朱に染まり始める。
こいつは何を言ってるんだろうと思いつつも、頬が緩んでいくのを止められない。
恥ずかしさを隠すように急かして、間に合わせのセッションを用意をする。
「はいはい、いくよー」
ギターを抱え直して、ホールに手の位置を揃えたら。
スネアのようにコツンと響くボディの打音に合わせて、カウントダウンする。
「3、2、1」
23 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:50:03.40 ID:X17K8DuQ0
たどたどしいイントロのアルペジオに合わせて、忍の足が左右にステップを刻む。
うろ覚えの一発勝負だからリズムがいまいち掴めてない。
それでも忍の練習をずっと見てきたからか、なんとなく振り付けで分かるような気がした。
次は右手を回して、その次に左手。一歩前に出たらくるっとターン。
なんでこんなに覚えてるのか自分でも不思議で、つい弾く指に気合いが入る。
アップテンポなメロディを弦の音が追いかけていく。
忍は、あいかわらず硬そうな動きで、ところどころ誤魔化してるのが分かるけれど。
それでも、ちらちらと様子を見るような姿から、だんだんと意志の通った姿に変わる。
爪先まですっと伸ばした手足に、表情や視線の行く末にも心を込めて。
待ちきれなくなった歌声が早ったら、お互いに目を合わせる。
いつも必死そうな顔のくせに。なんでそんなに楽しそうなんだよ。
忍のとびっきりの笑顔が返ってくる。僕がどんな顔をしているかなんてもう分からない。
楽しい。
弦を揺らす指も手首も、跳ねるような気持ちで。
沸き立っていく心が奏でる音に乗るのを止められない。
釣られて僕も忍と声を合わす。気まずさなんて全部なかったかのように。
靴の擦れる音も、リズムを取る足の音もぜんぶ、ぜんぶ合わせて。
ちょっぴりズレのあった音楽は、互いのテンポを揃えて、あるべきカタチを作り上げていく。
24 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:50:37.71 ID:X17K8DuQ0
天井をぴんと指す指先に、アコースティックギターの残響が重なって。
急ごしらえのセッションは静かに終わった。
「あははははっ」
「くふっ、ふふふふっ」
ふたりで同時に笑い出す。
何がなんだか分からないけれど、おかしくて、嬉しくてしょうがない。
気持ちを表現する言葉が分からないから、ただ感情が溢れるがままに任せた。
「なんで笑ってるのさ!」
「そっちこそ!」
誰かと一緒に音楽をやることなんてなかった。
ずっとひとりで弾いてきた音に、合わせてくれる人がいるだけでこんなに楽しいのか。
初めての感覚に戸惑いつつも、それを刻みつけて絶対に忘れたくなかった。
忍はとうとうお腹を押さえて、今度は別の涙を目の端に浮かべだす。
さっきまで、昨日まで落ち込んでいた女の子の姿にはまるで見えなくて。
この笑顔はきっと僕のおかげだ。
そんなエゴのような気持ちが、跳ねる心臓の音を余計に煩くさせる。
瞬きをする度に目の前の女の子をぱしゃりと心に残していく。
忘れないように、いつだって思い出せるように。
いつもより温かな空気は、音楽室を包んで、しばらく消えることはなかった。
25 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:51:41.59 ID:X17K8DuQ0
◇
家路へと着く頃。
季節が巡って、また橙が空を薄く染めるのを見ることできるようになった。
白景色はあいかわらずだけど、空には少しずつ春が近づいている。
「はぁーっ。今日もお疲れ様でした!」
「……」
今日も揃って靴を履いて、踏み固められた雪の上を歩いて、校門へと向かっていく。
昨日も一昨日もそうだった。きっと明日も明後日もだろう。
だからこそ、僕は言わねばならない。
「あれっ、不満そうっ。今日のステップはなかなかじゃない?」
「……お給料を要求します」
「? なんの?」
きょとんとした瞳のまま忍が首を傾げる。
その普段は見れない仕草に決心が少し揺らぐ。
でも、こういう時にはっきり言っておかないといけない。
忍とは友達なのか、なんなのかさえ分かっていないんだから、なおさら。
「なんで、毎回、伴奏することになってんの!!」
忍がコンポを壊して、ふたりのセッションはあの日だけだと思っていた。
でも、何か気に入るところがあったのか、次の日もなんだかんだやることになって。
一時停止も巻き戻しも思いのままだなんて考えてないだろうか。
26 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:52:30.25 ID:X17K8DuQ0
「それは……まぁ、その、うん……ごめんね」
自分の言葉のせいだと分かっているから、忍のしゅんとした顔は思った以上に良心に響いた。
今お金がなくてねーなんて笑って、忍は誤魔化すけれど、キラキラとした笑顔からは程遠かった。
あぁ、もう。そんな顔が見たかったわけじゃないのに。
忍は笑ってた方が可愛いから。
「肉まん」
「え?」
「コンビニの肉まん、ひとつ。それで……引き受けるから」
なんて安上がりなんだろうと思うけれど、それでも心に逆らえない。
どうせ自分の練習なんてあってないようなものだ。後付けで自分に言い訳してみる。
そんな僕の答えは思いがけなかったのか、くるっと目を丸くして。
少し申し訳なそうな、でも嬉しさのこぼれる忍が戻ってきた。
27 :
◆tues0FtkhQ
[saga]:2018/03/31(土) 11:53:32.62 ID:X17K8DuQ0
――――――
―――
コンビニまでの長々とした道を、踏みしめるように歩いて帰る。
オレンジは、ホワイトとブルーに混ざって、群青の暗い影を作る。
ふたりの呼吸は白く長く立ち上って、夕焼けに染められていた。
みんな、そろそろ帰る時間なんだろう。
はしゃいで雪玉を投げ合う子ども。買い物帰りに手をつなぐ家族。
もこもこになるまで着込んで朗らかに笑い合う高校生。
そんないつも通りの冬の光景が、僕らのお喋りのきっかけだ。
楽しそうに、不思議そうに、考え込むように、思い出すように。
僕らは、音楽室だけでは分からないことをひとつ、ひとつ確かめていく。
お茶でもした帰りなのか、大声で話して騒ぐおばちゃん達とすれ違った時。
僕は気になっていたことを思い出した。
「忍は……」
「ん? どうしたの?」
「津軽弁が出ないね」
高校にもなると地域の混ざりが激しいから、人それぞれだけども。
誰だって、大なり、小なり、津軽弁の訛りがどこかに隠れているものだ。
でも、忍はテレビで聞くような珍しいトーンでずっと僕と会話をしていた。
「お互い様じゃない?」
「忍は地元民だろ?」
僕は、親が転勤族だから、家族と話す時に標準語になっている影響が強いんだと思う。
それでも、高校の友達なんかと話す時は、どうしてもあの訛りについ引っ張られる。
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