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千早「賽は、投げられた」
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485 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/07(木) 03:13:04.18 ID:2wO2LAJL0
「招待席のチケット、でしたっけ?」
「一枚いただけませんか、自分で渡しに行きたくて」
「ええ、大丈夫よ。元々プロデューサーさんに持っていってもらうつもりだったから」
事務机の引き出しを探り、音無さんはチケットの束を取り出す。
輪ゴムで束ねられた中から一枚を抜き取り、封筒に入れてくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。あと……もう一つ、お願いしていいでしょうか」
「何かしら?」
「私の両親にも、招待券を送っていただけませんか」
私の申し出に、音無さんの目が丸くなる。
そしてにっこりと笑って、何度も頷いた。
486 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/07(木) 03:15:56.85 ID:2wO2LAJL0
「分かったわ、お姉さんに任せて!」
「お手数をおかけします、これが住所です」
「はい、確かに承りました」
封筒を受け取り、代わりに住所を書いたメモを手渡す。
音無さんは二つの住所を何度も何度も確認しながら。
「間違いが絶対にないように、直接ご両親にお持ちするわね!」
「あの、そんなに気合を入れていただかなくても……」
「不肖、音無小鳥! 765プロ事務員の名にかけて、絶対にやり遂げますからね!」
ふんふんと鼻息荒く、音無さんはスケジュールをチェックし始めた。
そんなやり取りにも、思わず笑みが込み上げる。
頼ることがこんなにも喜ばれるのも、初めての経験で。
年相応にもっと大人を頼ろうかな、と。
改めて思った。
487 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/07(木) 03:27:44.54 ID:2wO2LAJL0
事務所を後にして、目的の場所へ向かう。
西日になりかけた光が顔を刺す。
学校帰りの子ども達が、わいわいはしゃぎながら走り抜ける。
楽しそうな声を聞きながら。
もしかしたら、私とあの子もこんな日を送っていたのかもしれないと。
有り得ない過去に想いを馳せる。
けれど。
有り得なかったから、あの子はそこにいて。
有り得なかったから、私はここにいて。
有り得なかったから、あの子は眠っていて。
有り得なかったから、私は、歌うのだ。
人生に"たられば"は、ある。
でもそれは想像の、もしもの世界だけで。
この世界には、どこにもない。
この世界には、歩んできた、確定した過去と。
何も見えない、何も決まっていない未来しか、ないのだから。
488 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/07(木) 03:35:12.79 ID:2wO2LAJL0
白いリノリウムの廊下を歩き。
私は、いつものようにあの子の部屋へ行く。
「春香」
歩み寄り、そっと頬を撫でる。
春香の寝顔は、ただただ感情なく穏やかで。
「これ、受け取ってもらえるかしら」
枕元に、一通の封筒。
いつかのあなたへの答えを。
あの日答えられなかった答えを、持ってきました。
「どうか聴きに来てね」
それだけを済ませ、私は踵を返す。
「あなたの願いへの返事を」
私の声に応える者はいない。
けれど私は迷いなく、春香の部屋のドアを閉めた。
489 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/07(木) 03:41:08.48 ID:2wO2LAJL0
歩んできた、確定した過去も。
何も見えない、何も決まっていない未来も。
いつだって私は、何一つ選択なんてしなかった。
見えない、決まっていない未来を選択することなんて出来ない。
私はただ、未来へ向かって歩むことしかできない。
何度も思った。
さいころを振らなければ、と。
なら、振らなければ良かったの?
振らなければ、私の未来は輝いていたの?
振らなければ春香は、元気に歌っていたの?
振らなければ私は、家族で仲良く手を取り合っていたの?
これまでの私達の過去は。
私達のすごろくの、選択の失敗の結果だったのですか?
490 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/07(木) 03:51:15.99 ID:2wO2LAJL0
「じゃあ楽しかったことは、嬉しかったことは」
「私が素晴らしい未来を、一つ一つ着実に選び取った結果だというの?」
馬鹿馬鹿しい。
何て愚かな考えなのだろう。
「私はそんな上等な人間じゃない」
「人間はそんな上等な命じゃない」
そんなことができるのなら、最初からずっと、そうしているでしょうに。
私も、誰も、選択なんてしてこなかった。
ただひたすらに、歩んできただけなのだ。
雨ニモマケズ。
風ニモマケズ。
ただひたすらに、愚直に、命を歩んできただけなのだ。
選択なんてものは、最初からなかったのだ。
491 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/07(木) 03:53:30.03 ID:2wO2LAJL0
いや、一度だけ。
たった一度だけ、誰もが選択しているのかもしれない。
たった一度だけ――。
492 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/21(木) 23:08:04.92 ID:lsNzXGhZ0
久しぶりにのんびりと。
時間をかけて、家へ向かった。
次第に陽は落ちていって。
いつしか辺りは暗くなっていた。
「あ」
そんな空に、星の瞬き。
夜空の星など、もう随分見ていなかった気がする。
「綺麗……」
暗くなるにつれて。
ぽつり、ぽつり、と。
星は、少しずつ増えていく。
493 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/21(木) 23:11:10.58 ID:lsNzXGhZ0
その光まで。
少し背伸びをすれば、手が届きそうで。
「ん、しょ」
なんてことは子どもの夢見だとは分かっているのだけれど。
それでも、つい、背伸びをしてしまう。
背筋を伸ばし、腕を伸ばす。
天に煌めく光は、私に優しく囁きかける。
その声が、少しくすぐったい。
「あの星を、胸元に引き寄せて」
手の平に集めた、光る願いが。
「前へ前へと、進みましょう」
行く先を照らす光と、なりますように。
494 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/21(木) 23:16:00.41 ID:lsNzXGhZ0
扉には幾重にも南京錠。
空には幾千、幾万の輝き。
透明な部屋に、夜が来る。
その夜を眩しい輝きが照らし出す。
「流れ星」
きらり、と。
願い事を唱える間もなく燃え尽きる。
それが。
一つ。
二つ。
次々に線を描いて、流星群が降り注ぐ。
「おいで、ここまで」
一筋の光が飛び込んでくる。
私は手を伸ばして。
それを、手の平でそっと包んだ。
495 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/21(木) 23:22:43.78 ID:lsNzXGhZ0
暖かい。
光が眩しい。
目を細めて、それでも手の平を覗き込む。
小さな鍵が、一つあった。
その鍵を、扉を固く閉ざす南京錠に差し入れる。
それを、ゆっくりと回すと。
かちゃり。
「開い、た」
南京錠が足元へと落ちて。
同時に鎖が、じゃらじゃらと音を立てて姿を消す。
鎖と鍵が、一つなくなった。
496 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/21(木) 23:28:46.85 ID:lsNzXGhZ0
「まだ足りないの」
「もう少し、私に光を」
また、一つの流星が流れ落ちる。
私はそれを落としてしまわない様に。
壊してしまわない様に。
優しく、両手で受け止めた。
受け止めた手には、一つの鍵。
光り輝くその鍵を、再び差し込むと。
かちゃり。
これまで閉ざし続けてきた頑強さはなんだったのかと思うほど。
二つ目の南京錠も、事も無く落ちた。
497 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/21(木) 23:32:59.43 ID:lsNzXGhZ0
「私が、弱かったから」
かちゃり。
「私に、勇気がなかったから」
かちゃり。
「私が、大馬鹿だったから」
かちゃり。
「鍵なんて」
もう、南京錠はない。
「最初は、かかっていなかったのにね」
目の前の扉は、ただの、普通の扉だった。
498 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/06/21(木) 23:33:44.30 ID:lsNzXGhZ0
北天で星が螺旋を描く。
いつかプラネタリウムで見た、天球の動き。
天を仰ぎ見る私の内は、これまでになく晴れやかだった。
「もう、遮るものは何もない」
「あとは、私が前へ踏み出すだけ」
いつしか、扉もなくなっていた。
眼前にあるのは、大きな大きな硝子張りの窓。
窓の向こうに、広い広い世界が見える。
そして、その世界の最奥に。
地平線に消えゆきそうな、ずっと遠くに。
とてもとても懐かしい。
一人で寂しく泣いている。
後姿が見えた。
499 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/07/21(土) 02:05:43.09 ID:2Qt8X/fd0
早よ
500 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2018/07/23(月) 11:31:20.33 ID:tsfln00MO
待ってるぞ
501 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/08/20(月) 03:30:15.32 ID:4SieE7ha0
こんこん、と。
窓をノックする。
「春香」
こんこん、と。
ノックをするが、返事はない。
「そうよね、こんなに遠くじゃ届かない」
窓に手の平を当てる。
ひんやりと冷たい、最後の壁。
「あそこまで行かなきゃ」
それが、私と、彼女との。
502 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/08/20(月) 03:30:41.23 ID:4SieE7ha0
右の拳を握る。
手の中には、硬い感触。
角々とした握り心地が、私の心を奮い立たせる。
私の心を沸き立たせる。
かつては恐れの象徴であった。
でも今は、意識すればするほど。
すること。
向き合うこと。
進む道筋。
進む行き先。
私の"意志"が、燦然と輝く。
503 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/08/20(月) 03:31:07.54 ID:4SieE7ha0
私は、歩くんだ。
そして、あなたも。
504 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/08/20(月) 03:32:23.67 ID:4SieE7ha0
「千早、もうすぐ着くぞ」
「……ぁ」
静かに体を揺すられる。
うっすらと目を開く。
どうやら社用車の中のようだった。
「ぐっすりだったな、疲れが残ってるのか?」
「いえ、車の揺れが心地良かっただけです」
505 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/08/20(月) 03:32:54.44 ID:4SieE7ha0
ライブ当日。
会場に向かう車内は、本番前とは思えないほど穏やかだった。
隣に座るプロデューサーは、スケジュール表を片手に笑った。
「変な緊張もないみたいだな、いいコンディションだ」
「プロデューサー殿の方が緊張してるんじゃないですか?」
「そ、そんなこたあない、うん、ないとも、うん」
「……ふふっ」
運転席から律子の茶化し声が聞こえる。
空調が効いた車内で、プロデューサーは半笑いで冷や汗を拭った。
思わず、笑いが込み上げる。
506 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/08/20(月) 03:33:26.05 ID:4SieE7ha0
窓の外に、会場となるライブハウスの壁。
駐車場へ向かい、外周を回るのが、とても懐かしい。
「もうすぐ歌うんですね」
「そうさ、この箱の中を、千早で満たしてくれよ」
みんな、この日を待ってたんだから。
そんな期待をぶつけられても。
プレッシャーは感じなかった。
あるのはただただ、郷愁のような淡い想い。
「……プロデューサーの仕事って、担当アイドルを脅すことなんですか?」
律子がバックミラー越しに睨む。
「ち、違う違う、そんなつもりじゃなくて、す、すまん千早!」
「ふふふ、分かってますよ」
窓ガラスに映る自分の表情は、驚くくらい柔らかだった。
507 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/08/20(月) 03:35:02.74 ID:4SieE7ha0
駐車場から入ると。
出迎えてくれたのは、会場内に並ぶ祝花。
こぢんまりとした楽屋。
ステージ裏に並ぶ音響機器と、乱雑に転がる養生テープ。
リハーサルに向け、スポットライトの点検をするスタッフ達。
観客の入場前だが、雑然とした人の気配で満ちる会場。
まさに舞台裏といった空間の何もかもが懐かしい。
また、戻ってきたんですね。
「……いえ、まだ戻ってはいない」
「ファンの前で、ステージに立って」
「マイクに向かって声を出す、その瞬間が−−」
その時を想うだけで、胸が熱くなる。
508 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/08/20(月) 03:35:30.03 ID:4SieE7ha0
先に会場に向かうため、事務所を出るとき。
みんなはシンプルな一言で送り出してくれた。
やっちゃえ、と。
頑張れではなく。
負けるなでもなく。
ただ、一言。
私に全て任せると。
私なら何も心配ないと。
ただ、やりたいようにやれと。
みんな、笑って送り出してくれた。
509 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/08/20(月) 03:36:42.17 ID:4SieE7ha0
観客エリアの中央に立ち、ステージをぼんやりと眺める。
活動休止前、ライブに慣れてからは。
いつも目まぐるしいスケジュールの中、時間ばかり気にしていて。
こんな気分でリハーサルを待つことはなかった。
初めてステージに立ったとき。
あのとき以来かもしれない。
シンデレラが舞踏会に足を踏み入れるときのような。
夢見る少女が、憧れに触れる感情。
そんな初な香りが、夢見心地の私を包んだ。
510 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/08/20(月) 03:37:27.71 ID:4SieE7ha0
と、スタッフから声をかけられる。
マイクテストをお願いします、と。
ふと我に返り、今までの自分が少し気恥ずかしくて。
誰かに恥ずかしいところを見られていやしないかと。
ついついプロデューサーの姿を探すと目が合って。
そんな心の内を察せられていたのか、プロデューサーは笑う。
「は、はい、今行きます!」
恥ずかしさを隠すように、私は大きく返事をした。
511 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2018/08/21(火) 16:34:56.39 ID:y59RPcZy0
待ってた
512 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2018/10/20(土) 14:20:25.84 ID:Gcr228rHO
待ってるぞ
513 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/10/20(土) 22:40:55.32 ID:UIIxJveLo
掲示板が復活したので近々再開します。
恐れ入りますがもうしばらくお待ちください。
514 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/20(木) 18:09:37.54 ID:L4hLLrc2o
書き進めてはいるのですが年末作業も立て込んでいてもう少しかかってしまいます。
すみません。
515 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/27(木) 15:10:48.18 ID:o19Kp0nd0
ゆっくり待ってるから、自分のペースで書いてくれ
516 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/02/21(木) 19:34:32.24 ID:qkoYkexaO
今月中に投稿できそうです。
取り急ぎご連絡まで。
517 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:28:29.16 ID:aItq5mi3O
リハーサルはまだ、どこか夢現で。
声は出る。
身体も動く。
大勢のスタッフの安堵の視線も感じる。
でも、これはただのリハーサルでしかない。
普段の練習と変わらない。
あと二時間もして、視界にファンが立ち並んで。
そのとき初めて。
私は私でいられるのか。
それが、分かるのでしょう。
518 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:29:10.67 ID:aItq5mi3O
マイクテストも、リハーサルも済んで。
準備はつつがなく進んでいく。
会場の外からは、人々のざわめきの気配を感じる。
入場が始まったようだ。
あとはただ、始まりを待つだけだった。
「お、みんなも着いたみたいだな」
スマートフォンを覗きながら、プロデューサーが言った。
言われずとも、暖かい気配を感じていた。
519 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:29:47.16 ID:aItq5mi3O
『ねえ千早、私たち、本当にいなくていいの?』
昨日、律子に心配そうに声をかけられた。
大丈夫です、きっと私は、大丈夫ですから。
『不安そうな言い方とその表情、全く噛み合ってないじゃない』
律子が笑いながら言った。
横の窓をちらりと見ると、朗らかに笑う、長髪の横顔が映っていた。
520 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:30:26.18 ID:aItq5mi3O
『そんなドヤ顔ができれば心配いらないぞ!』
……そんなに、ドヤ顔かしら。
『ねね、ひびきん、ちょっと笑ってみて』
『え、亜美、どうして?』
『いいからいいから』
『こうか?』
『ひびきん、それをドヤ顔って言うんだよ』
『ど、どういう意味さあ!』
吹き出すのをこらえきれなかった。
どうも最近、笑いの沸点が低くなった気がする。
521 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:31:12.66 ID:aItq5mi3O
私は、大丈夫だから。
みんなはどうか、待っていてほしいの。
『分かったわ、任せて頂戴ね、千早ちゃん』
『ボクたちは表にいるから、千早は歌にバッチリ集中して!』
あずささんと真に続いて、みんなも口々に心強い言葉をくれた。
そんな、みんなの言葉があったから。
あとは、自身の不安と過去と戦うだけ。
打ち勝って、いつものように、歌うだけだから。
522 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:34:40.39 ID:aItq5mi3O
開演五分前です。
そんなスタッフの声が聞こえ、我に返った。
「千早、ぼーっとしてたけど大丈夫か?」
「すみません、ちょっと昨日のことを思い出していて」
「戦意昂揚の小鳥踊りか?」
「その前です」
まだ明るいステージ下からは、ファンのざわざわ声が聞こえる。
心地良い。
そう感じているのを自覚したとき。
ああ、もう私は、大丈夫だ。
そう思い、再び笑みがこぼれた。
523 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:35:20.75 ID:aItq5mi3O
そして、照明が落ちた。
目を閉じる。
身体に張り付く衣装が心地良い。
外から響くファンの歓声が心地良い。
肩をポンと叩くプロデューサーの手が心地良い。
床から伝ってくる会場独特の振動が心地良い。
さあ、行こう。
私は真っ暗なステージの中央へと、歩を進めた。
524 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:36:46.90 ID:aItq5mi3O
ヘッドセットから声が聞こえる。
数秒したら、開幕の狼煙が上がるのだ。
過去の私よ、さようなら。
舞台の中央でもう一度、私は静かに、目を閉じて。
五。
四。
三。
――。
息を吸って。
525 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:37:48.84 ID:aItq5mi3O
照明が会場を照らすのと。
私が声を張り上げるのは同時で。
そしてすぐ。
ファンの歓声が、私の世界いっぱいに響き渡った。
526 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:38:20.35 ID:aItq5mi3O
――――――――――
――――――――
――――――
――――
527 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:38:57.95 ID:aItq5mi3O
――。
528 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:39:57.48 ID:aItq5mi3O
ここは、どこだろう。
どこか、柔らかくて、暖かいところの上で――。
気持ちがふわふわしていて。
自分が誰なのか、何をしていたのか。
何も思い出せないや。
529 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:40:52.36 ID:aItq5mi3O
ぼんやりと思い出せるのは。
私が小さかった頃の。
ずうーっと昔の、ちいさな思い出。
私の前を歩く、男の子を追いかけている風景。
その子は、近所に住んでいる男の子。
私よりいくつか年上で。
いっつも私は、その後ろをついて歩いていたっけ。
その背中を追いかけていれば、何も不安はなくて。
どこへでも連れて行ってくれるって。
きっと、いつまでも連れて行ってくれるんだって。
ずっとずっと、そう思っていたんでした。
530 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:41:46.29 ID:aItq5mi3O
その男の子は、いろんなことを教えてくれました。
楽しい遊び。
びっくりすること。
ちょっと怖いお話。
新しいこと一つ知るたびに、私は一つ大きくなって。
たくさんの可能性を感じて。
お嫁さんとか、パン屋さんとか、お菓子屋さんとか。
私は将来、ああなるんだ、こうなるんだって。
ずっとずっと、夢見ていました。
531 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:42:22.66 ID:aItq5mi3O
男の子をお兄ちゃんと呼ぶようになって。
そんなある日、お兄ちゃんに呼ばれて。
『公園に、おもしろい人がいるよ』
って。
お兄ちゃんについて走っていくと。
公園から小さな歌声が聴こえてきました。
532 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:43:05.99 ID:aItq5mi3O
公園の片隅に、その人はいました。
顔見知りの子どもたち数人と、そのお母さんたち。
みんなに囲まれて、一人のお姉さんが、笑顔で歌っていました。
子どもたちの手を取って、踊ったり、静かに聴かせたり。
それを眺めるお母さんたちも笑顔で。
その歌声と姿に、みんなが幸せそうでした。
あとから来た私を見ると。
お姉さんは優しく声をかけて、手を伸ばしてくれて。
私もそこへ、笑顔いっぱいで走っていきました。
533 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:43:52.95 ID:aItq5mi3O
あとから、そのお姉さんはとっても有名な人だと知りました。
しばらくして、急に引退してしまったけれど。
そのニュースでも、お姉さんは幸せそうで。
引退を惜しむ人たちも、まあ仕方ないか、って笑顔で。
私、こんな人になりたいんだって。
初めて、確信的な想いを持ちました。
私、みんなを幸せにするアイドルになりたいって。
このとき、初めて思ったんです。
534 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/04/10(水) 16:44:25.94 ID:aItq5mi3O
そうだ、思い出しました。
私は、天海春香。
アイドルを夢見る、一人の女の子でした。
535 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/04/10(水) 16:47:12.31 ID:aItq5mi3O
2月中と言ったのにこんなに遅くなってしまい、申し訳ありません。
諸事情で通院中のため、一度タイミングを逃してしまうと期間が空いてしまい……。
時間はかかってしまいますが最後まできちんと書きますので、大変恐縮ではありますが、お時間の許す限りどうかお付き合いください。
536 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/04/10(水) 17:50:29.12 ID:3xtwfmPrO
お待ちしておりました。完走を楽しみにしています
537 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/06/02(日) 06:34:39.14 ID:No0ZXdNwo
すみません、実生活で最悪のことがあり、精神的に継続が困難な状態です。
完結させるつもりなので落とさないようにはしますが、しばらくは更新できそうにありません。
申し訳ありません。
538 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:36:41.15 ID:oJPKOcJt0
私は、アイドルになりたいと思いました。
だからそのために、精一杯頑張りました。
小学校での音楽や体育の授業。
家でのダンス練習。
一つ一つ積み重ねて行けば。
きっとあのお姉さんみたいになれるって。
それはきっと、間違っていなくて。
ゆっくりだし、才能があるわけでもないし。
あまりにも普通の速度だったかもしれないけれど。
努力は、私を少しずつ前へ進めてくれました。
539 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:37:58.33 ID:oJPKOcJt0
学校では本当に頑張りました。
アイドルは歌えるだけではいけません。
歌って、踊って、お話しして、みんなを幸せにして。
そのためにはきっと、頭も良くならないといけません。
勉強を頑張りました。
友達と楽しくおしゃべりしました。
音楽や体育の授業は特に頑張りました。
一番ではなかったけれど、先生にも誉められました。
……体育はもうちょっと、頑張らないとだめだったかな?
540 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:38:53.16 ID:oJPKOcJt0
『大きくなったらアイドルになって、たくさんの人をしあわせにしてあげたいです』
私が初めて確信した、将来の夢。
その実現に向けて、小さい子なりに、一生懸命でした。
お父さんもお母さんも、私の夢を聞いて、応援してくれました。
春香ならきっと、優しいアイドルになれるよ、って。
お兄さんも手伝ってくれました。
スパルタだー!とか言いながら。
どこで聞いたか分からない特訓もしました。
テレビに出ていたトップアイドルを見て、すごいなあと言ったら。
翌日には、アイドルを目指す学校があることを調べてきてくれました。
541 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:39:40.09 ID:oJPKOcJt0
きっと私は、アイドルになれる。
ううん、なってみせる。
そのために努力するんだ。
もしかしたら……もしかしたら、力及ばないかもしれないけれど。
それでも、私にできるのは努力だけだから。
なるための努力なら、私にもできるから。
542 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:40:17.86 ID:oJPKOcJt0
その想いを打ち砕いたのは、遊園地での出来事でした。
543 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:40:43.21 ID:oJPKOcJt0
本当に突然のこと。
私は突然、急激な睡魔に襲われ、倒れるように眠ってしまいました。
最初は遊び疲れたのかな、と思ったけれど。
それ以降、時々眠ってしまうことが増え、病院に通うようになりました。
色々なことを言われました。
ナルコレプシーとか、それらしい病気ではないかとも言われました。
けれども、結論は、『分からない』。
私の睡魔の原因については、お医者さんも分からないようでした。
544 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:41:35.55 ID:oJPKOcJt0
それでも私は努力を続けました。
アイドルになるため。
みんなを幸せにするため。
あの日見たお姉さんのようになるため。
歌いました。
踊りました。
話しました。
545 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:42:23.95 ID:oJPKOcJt0
けれど、身体は努力を許してくれませんでした。
睡魔に襲われる頻度が増え。
思うように運動もできなくなり。
日に日に体力が減っていく。
小学生でも分かりました。
ああ、私、今、夢からどんどん遠ざかっている。
私、夢からどんどん、見放されている。
546 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:43:04.07 ID:oJPKOcJt0
必死でした。
必死にしがみつこうとしました。
けれども、病状はどんどん悪化していきます。
小学校に通える日数が減りました。
丸一日寝たきりの日もありました。
起きていても、家の中ですら動くのがままならない日が増えました。
547 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:43:36.50 ID:oJPKOcJt0
あれだけ輝いていた夢が。
お姉さんの姿が。
どんどん重責になって。
どんどん自分を追いつめて。
何もできなくなっていく自分が。
無力な自分が。
本当に本当に、怖くて、悲しくて、たまりませんでした。
548 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:44:07.70 ID:oJPKOcJt0
アイドル、諦めるしかないのかな。
そんな想いを、ずっと抱え続けていました。
中学生になっても、病状は徐々に進行していて。
私は半ば、自分に見切りを付けようとしていました。
549 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:45:00.43 ID:oJPKOcJt0
そんなときでした。
合唱コンクールに出ることになったのは。
550 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:45:47.61 ID:oJPKOcJt0
友達のケイちゃんが、一緒に出よう、と後押ししてくれました。
お父さんもお母さんも。
お兄さんも。
みんなが、出来うる限り、全ての手助けをしてくれました。
病院とお話ししてくれました。
学校の先生も、協力してくれました。
本当にたくさんの人が、私のために尽くしてくれて。
せめて、これだけでも。
このコンクールだけでも。
全力で、私の全てを使い切ってでも、歌おうと思いました。
551 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:46:22.67 ID:oJPKOcJt0
本番まで、辛いこともたくさんありました。
やりたいときに練習できなかったり。
みんなの足を引っ張ってしまったり。
本番当日になって、眠ってしまうんじゃないかって。
そんな恐怖もありました。
けれど、その日々はこれまでとは違っていて。
私は、ひたむきに努力しました。
少しだけ。
少しだけだけど。
小学生の頃、あの公園で、夢を見つけたとき。
あの頃の私に、戻ったようでした。
552 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:48:27.79 ID:oJPKOcJt0
たくさんの助力があって。
私はコンクール本番に出ることができました。
課題曲と、自由曲。
その両方を、私はそのときの全力で、歌いきることが出来ました。
ありがとう、ありがとう。
歌い終えたとき。
みんなに涙ながらにそう言ったのを覚えています。
でも、それ以上に……。
553 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:50:02.02 ID:oJPKOcJt0
あれは私たちの出番よりも前。
前半の、何校目だったかな。
正直、他の学校のことは全く意識していませんでした。
私たちはコンクールで賞を取る、と息巻いていたわけではなく。
中学校での思い出。
病気の友達への励まし。
そんな感じでの参加でしたから。
554 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:50:44.85 ID:oJPKOcJt0
でもその学校の生徒が並んだとき。
一人だけ、目に付く女の子がいたんです。
青みがかった長髪の女の子。
みんながステージ上で笑顔を浮かべる中。
端っこで独りだけ、どこか物悲しそうな女の子。
左端に座っていた私の真正面。
その子の姿を見た途端、目が離せなくなりました。
555 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:51:19.72 ID:oJPKOcJt0
そして、歌が始まって。
彼女一人の声が、私の耳に響きわたりました。
556 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:51:54.52 ID:oJPKOcJt0
なぜか分からないけれど。
その学校の歌が終わったあと。
私の顔は、涙でぐしゃぐしゃで。
あの子の歌がとても綺麗だったから?
歌うあの子が、とても悲しそうだったから?
たぶん、両方だったと思います。
557 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:52:57.77 ID:oJPKOcJt0
私が目指す形とは違うけれど。
人の心に届く歌を歌いたかったから。
とても悲しそうなあの子を。
笑顔にしてあげたいと思ったから。
そのとき、私はケイちゃんや先生に心配されながら。
ぐしゃぐしゃに泣きながら。
もう一度、思ったんです。
小さい頃、公園で思ったこと。
558 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 01:53:27.64 ID:oJPKOcJt0
私、やっぱりアイドルになりたいです。
559 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/06/07(金) 03:13:55.09 ID:2+9wG5g20
乙 応援してるぞ
560 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:21:04.30 ID:oJPKOcJt0
私は決めました。
病に負けないで、努力すると。
前へ、進み続けようと。
ウォーキングをしたり。
動画を見ながらボイストレーニングをしたり。
お兄さんは、高校を卒業したらプロデューサーを目指すと言いました。
芸能事務所の、プロデューサー。
きっと、私の夢を応援するために。
私は、諦めない。
改めて、そう誓いました。
561 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:21:49.03 ID:oJPKOcJt0
前に進まなきゃ。
何かをしなきゃ。
努力をしなきゃ。
その想いだけが、私を突き動かしていました。
そんな時でした。
お兄さんが、あの女の子の名前を教えてくれたのは。
562 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:22:44.21 ID:oJPKOcJt0
"如月千早"。
それが、あの女の子の名前。
563 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:23:17.15 ID:oJPKOcJt0
それまで漠然と抱いていた、あの女の子への想い。
名前を知って、私は。
もっともっと、あの子に近づきたいと思いました。
あの子みたいに歌が上手くなりたい。
あの子を笑顔にさせてあげたい。
564 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:23:55.78 ID:oJPKOcJt0
如月千早。
あの子も今、同じ空の下にいる。
今もあの子は、あの悲しそうな顔をしてるのかな。
今もあの子は、あの悲しそうな声で歌っているのかな。
ううん、そんなの、勿体ないよ。
あの子ならきっと、私ができないことも――。
565 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:24:31.21 ID:oJPKOcJt0
そして中学を卒業して。
私は、微睡む夢の中で、彼女と出会いました。
如月、千早ちゃんと。
566 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:25:02.56 ID:oJPKOcJt0
全てを失くした子。
未来を見出せない子。
今、とても辛い思いをしている子。
形は違っても、私とそっくりでした。
でも、一つだけ違うこと。
千早ちゃんは、目指すことが出来る子でした。
567 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:25:45.06 ID:oJPKOcJt0
全てを投げ捨てようとした千早ちゃんに。
私は夢の中で、思わず声をかけていました。
「それは勿体ないよ」
いつかの私も、こんな風に見えていたのかな。
そっと千早ちゃんの右手を握ると。
微かに強ばるのが分かりました。
「もうちょっと頑張ってみよう?」
「無理よ。もう、さいころを振る気力もないわ」
568 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:26:18.34 ID:oJPKOcJt0
ああ、私と同じだ。
頑張って頑張って、それでも見放されて。
全てを諦めてしまった、中学校に入った頃の私だ。
「一歩一歩、進んでいけばいいよ」
「私が、引っ張ってあげるよ」
そう声をかけて手を握ると、彼女は一瞬ためらって。
でも、私の声が届いたのかな。
おずおずと、握り返してくれました。
569 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:26:48.39 ID:oJPKOcJt0
千早ちゃんは、私だ。
「どうして、私に声をかけたの」
自分を見ているようで、辛さが分かってしまったから。
「私、助けなんてお願いしたかしら」
されてないよ。
「なら、どうして」
だって、さ。
あなたはきっと、もう一人の私だから。
頑張って報われるかもしれない、理想の私だから。
570 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:27:28.88 ID:oJPKOcJt0
引っ張ってあげるよ。
だから、その代わりね。
絶対に、前に進むことをやめないで。
私は、頑張ってきた。
けどね、どこかで私は無理なんだって。
どこかでね、分かり始めてたんだ。
571 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:27:56.50 ID:oJPKOcJt0
だから、千早ちゃんにはね。
「はいっ、ゆーびきーりげーんまーん!」
「え?」
「うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのぉーますっ!」
「あ」
「はいっ、ゆーびきった!」
進んで欲しいんだ。
だって、千早ちゃんの瞳の奥にね。
"前に進みたい"って、願いが見えてしまったから。
572 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/07(金) 05:29:29.50 ID:oJPKOcJt0
どこへ進むか、分からなくてもいい。
いつも必ず正解を選ぶ必要なんてない。
一つ一つの出会いにしっかり目を向けて。
そこから見える光を追いかけていこうよ。
そんな千早ちゃんの、後押しをするために。
きっと、そのために。
私は、千早ちゃんと、出会ったんだよ。
573 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:31:28.24 ID:9+Zy6u7A0
それからは、本当に幸せな日々だった。
千早ちゃんが一歩一歩、前へ進んで。
事務所で、いろんな光と出会って。
その光に導かれて、私が夢見た道を進んでいく。
私と同じ存在である、千早ちゃんが。
574 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:32:15.29 ID:9+Zy6u7A0
私は私で頑張ったんだ。
眠ってしまう日はどんどん増えていく。
それでも、私は諦めなかった。
千早ちゃんが、手を握ってくれるから。
千早ちゃんが、前へ進もうとしてくれるから。
千早ちゃんが、私の想いは間違ってないって。
前へ進もうとしながら、証明してくれていたから。
575 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:32:51.50 ID:9+Zy6u7A0
千早ちゃんは、事務所の人たちのことを教えてくれた。
プロデューサーさんになったお兄さん。
社長。
小鳥さん。
美希。
あずささん。
伊織。
やよい。
真。
雪歩。
律子さん。
亜美。
真美。
四条さん。
響ちゃん。
カラフルな光で千早ちゃんを導いてくれる人たち。
そして同時にその人たちは、私にとっても光だった。
576 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:33:36.27 ID:9+Zy6u7A0
騒がしくも満たされた日々。
千早ちゃんは日に日に笑顔が増していった。
レッスンを受けて、歌って踊って、少しずつお仕事も来て。
千早ちゃんは前に進んでる。
だから、私も前に進まないと。
動ける時間は日に日に減っていく。
体力は衰えて、ダンスなんて出来ない。
お腹から声も出せない。
577 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:34:27.33 ID:9+Zy6u7A0
それでも、それでも。
私は、前に進みたいんです。
千早ちゃんがそうしてくれているように。
私だけ、歩みを止めるわけにはいかないんです。
怖いとか。
諦めとか。
いろんな言葉が過ぎりました。
でも、私は、それでも進もうとしました。
578 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:35:21.91 ID:9+Zy6u7A0
千早ちゃん。
いっこ、ごめんなさいがあるんだ。
千早ちゃんのデビュー曲。
すごく綺麗だし、大好きなんだけど、ちょびっと嫌い。
前に進もうとする前の。
合唱コンクールの時の千早ちゃんを思い出してしまうから。
でも、本当に嬉しかったんだよ。
千早ちゃんが、認められて。
私の想いが、叶ったみたいで。
579 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:36:19.96 ID:9+Zy6u7A0
けれどあの日、千早ちゃんの心は砕かれてしまった。
心ない、たった数枚の紙切れで。
砕けた心を必死に押し固めながら進もうとする姿は。
見ていて、本当に辛かった。
ごめんね。
何もしてあげられなくて、ごめんね。
辛かったよね。
苦しかったよね。
私なんかよりも、ずっと、ずっと――。
580 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:37:06.83 ID:9+Zy6u7A0
その頃、私もお医者さんから言われました。
厳しいことを言うようですが、このまま悪化の一途を辿るだろう、と。
つまりそれは。
私の時間がなくなるということ。
私という存在が、消えてしまうということ、でした。
581 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:37:56.52 ID:9+Zy6u7A0
分かっていました。
いつかこんな日が来ることは。
でも、神様。
もしもいるなら、言わせてください。
どうして。
私、頑張ったのに。
何も悪いことしてないのに。
色んなこと我慢して、必死に。
なんで。
なんで、神様。
目指すことさえ許してくれないんですか。
582 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:40:24.08 ID:9+Zy6u7A0
涙を堪えきれませんでした。
でも、私が嘆くことに意味はないから。
ならば、せめて。
せめて、私にできる最後のこと。
せめて、最後に。
千早ちゃんには。
千早ちゃんには、前を向いて欲しい。
だって……だって!
千早ちゃんは……千早ちゃんは、私の――。
583 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:42:04.43 ID:9+Zy6u7A0
けれど、千早ちゃんは心を閉ざしてしまった。
私は夢の中で、壁の向こうへ追いやられて。
千早ちゃんは、小さな部屋に閉じこもってしまった。
「待って! 待ってよぉ!」
涙が溢れる。
「行かないで、行かないでよ!」
がちゃりと、鍵がかけられる。
「開けて! 開けてよぉ! 千早ちゃん、千早ちゃん!!」
何度体当たりをしても、弱り切った私ではびくともしない。
「開けてよ! 千早ちゃん! お願い、お願いだから!」
壁の向こうから、千早ちゃんの弱々しい声が聞こえた。
「もう、私は疲れたのよ……もう、何もしたくない……」
「イヤだぁ……そんなの、イヤだよぉ!」
私は、叫びました。
584 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/06/08(土) 21:42:45.28 ID:9+Zy6u7A0
千早ちゃん。
千早ちゃんは私なんだよ。
千早ちゃんは、前へ進むことが出来る私なんだよ。
私が思い描いてきた夢。
私が、小さい頃から願っていた姿。
諦めかけた私を、救ってくれた人。
千早ちゃん。
あなたは、そんなすごい人なんだよ。
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