千早「賽は、投げられた」

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30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 16:59:59.73 ID:+0zrf0Mn0


「それは勿体ないよ」


誰かが、そっと私の右手を握った。

私の手を優しく包み、その中にある駒を壊さない様に。


「許せない気持ちが変わらないなら、もうちょっと頑張ってみよう?」

「無理よ。もう、さいころを振る気力もないわ」


突然現れたその声の主は、私を明るく、容赦のない声で立ち上がらせようとした。

私はへたり込んだまま、両手はぶらぶら。

それでも彼女は、私の手を放さなかった。


「さいころを振れなくてもいいよ」

「一歩一歩、進んでいけばいいよ」

「私が、引っ張ってあげるよ」

「またさいころを振れる、その日まで」


31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:00:44.62 ID:+0zrf0Mn0


彼女は慈しむように私を見た。

澄んだ瞳に、情けない姿の私が映る。


けれどもその目は、同情じゃない。

けれどもその目は、命令でもない。


「どうして、私に声をかけたの」

「辛そうだったから」

「私、助けなんてお願いしたかしら」

「されてないよ」

「なら、どうして」

「私、とっても自分勝手で、お節介焼きさんなんだ」


えへへ、と、彼女は笑った。

32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:01:14.77 ID:+0zrf0Mn0


「私は、さいころを振らないわ」

「うん、私が引っ張ってあげる」


彼女は、私の手を握る力を強めた。


「だから、その代わりね」

「その代わり?」


同じくらい強い眼差しで、私の瞳の奥を見据える。


「絶対に、前に進むことをやめないで」

「それは……」

33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:02:17.89 ID:+0zrf0Mn0


「はいっ、ゆーびきーりげーんまーん!」

「え?」

「うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのぉーますっ!」

「あ」

「はいっ、ゆーびきった!」


とびっきりの笑顔で、私に微笑みかける。


「独りじゃなくて、一緒にさ、前に進もう?」


どうしたらいいのか、私には分からなかった。


耐え忍んできたことも、

無我夢中でやってきたことも、

何一つ、実を結ぶことはなかった。

さいころを振る力も失くした今、私は何もできない。

34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:02:53.83 ID:+0zrf0Mn0


「分からなくてもいいよ」

「そのために、私がいるよ」


駒を私の指先に握り直させ、手を握って一緒に動かす。

伝わってくる彼女の温もり。

その中に、ほんの僅かだけ。

霞の中で、探していたものを感じた気がした。


「ほら、まずは1マス進んでみよう?」


私は言われるがままに、駒を進める。

35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:03:48.61 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


ふらつく足取りで訪れた場所。

私の前にあるのは、古びた小さな雑居ビル。

築何年くらいになるのか、多分私よりも年上だろう。


街中で小さな、素朴な広告を見て。

一度見ただけなのに、何故か頭から離れなくて。

それでも躊躇する手を引かれて訪れたのは、これまた小さなアイドル事務所。

私は社長を名乗る人に、一言だけ質問をされた。


「君は、好きなことはあるかね?」


私は、偽りなく答えた。


「以前は、歌が何よりも好きでした」

「……いいえ、歌が私に届けてくれる幸せが、好きでした」

「それをまた手にしたいと、もがいています」


その言葉を聞いた社長は、何も言わずに頷いてくれた。

1マス進む。

36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:04:37.22 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「ん、君が新しく入るっていう子だね?」

「如月、千早です」

「うん、前から知ってるよ」

「え?」


不思議がる私を見て、その人は小さく笑った。


「以前知り合いに、中学生の合唱コンクールに招待されてさ」

「その中に、とても想いのこもった歌声を持っている子がいてね」

「気になって顔と名前だけは覚えてたんだ」

「そう、でしたか」

「これも何かの縁だ。全力でフォローするからよろしくな」


穏やかだけれど、少し空回り気味なプロデューサーに会う。

1マス進む。

37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:05:43.09 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「ちょっと騒がしい子が多いけど、いい子たちばかりよ」

「音無さん、ですよね」

「あら、私の名前を憶えてくれたの? ふふ、嬉しい」

「細かいところまでは詮索しないけれど、千早ちゃんに複雑な事情があるのは聞いてるわ」

「……お気遣いなく」

「そうね。無理に助けてあげようとか、そういうことはしない」


いたって自然な表情で、腫れ物に触るような素振りは全く見えない。


「でも、何か少しでも不安があったりしたら、関係ない事でもいつでも聞いてね」

「自分で言うのも寂しいけれど、年の功もあるから、ね?」

「分かりました。その時が来れば」


音無さんは微笑んだ後、思い出したように深いため息をついた。

1マス進む。

38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:06:27.81 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「あ、ごめんなさい。このプレートに名前書いてもらえる?」

「ええと、これですか」

「そうそう。ロッカー用のネームプレート。あと、こっちの書類もお願いね」

「色々とあるんですね」

「リアルな話、お金のやり取りもあるからねぇ。あ、私は秋月律子。よろしく!」

「如月千早です。よろしくお願いします」


挨拶をすると、その人は眼鏡の端を光らせ、にんまりと笑った。


「歌だけなら即戦力って聞いてるわ。基礎を固めたら、あとはダンスをみっちり鍛えるだけね」

「私、ダンスに興味は……いたっ!」

「ダ・メ・よ! 私もみっちりと鍛えてあげるから、覚悟決めときなさい!」


秋月さんの拳骨は、本当はあまり痛くなかった。

1マス進む。

39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:08:35.31 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「あら、あなたが新しく入った……」

「はい。如月千早です」

「三浦あずさと申します。よろしくね、千早ちゃん」

「千早ちゃ……いえ、何でもないです」

「ちょっと馴れ馴れしかったかしら」


そう言うと、その人はちょっと疲れたように肩に手をやった。


「どうかしましたか?」

「ううん、気にしないで。いつも肩の疲れが取れないのよ」

「…………くっ」

「あら……や、やっぱり呼び名、変えた方がいいかしら?」


三浦さんに、えも言われぬ敗北感を覚える。

1マス進む。

40 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:11:38.72 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「初めまして。私は――」

「いえ、みなまで言わずとも分かります」

「どこかでお会いしましたか?」

「いいえ。しかし、新人の方がいらっしゃるということは、既に聞き及んでいました」


そう言うと、その人は不敵な笑みを浮かべながら言った。


「今井さん、ですね?」

「いいえ、違います」

「なんと……私としたことが……」

「私は――」

「おや、もうレッスンの時間が……私は四条貴音と申します。それではまた、如月千早」


掴み所のない四条さんに、終始翻弄される。

1マス進む。

41 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:12:43.15 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「そ、その子を捕まえてぇ!」

「え? このハムスター? 大丈夫よ、もう捕まえ――」

「とりゃー!」


まっすぐ、甲子園球児のように綺麗なヘッドスライディングで。


「え? もう捕まえてくれたの?」

「今の拍子に逃げちゃったわ」

「え、ええええええ?! うわあああん自分の馬鹿ああああ……って、もしかして噂の新人さん?」

「はい、これからこちらでお世話になります、きさら――」

「自分、我那覇響だぞ! ダンスが好きで、ペットがいっぱいいて……ってハム蔵ー!」

「え、ちょっと……行ってしまったわ……」


我那覇さんには、あとでちゃんと自己紹介しておかないと。

1マス進む。

42 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:13:18.67 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「お茶、いかがですか?」

「ありがとう、ございます」

「ふふ、ちょっと緊張してるのかな。私、萩原雪歩っていうの」

「如月千早です。萩原さん、よろしくお願いします」

「そんなにかしこまらなくていいよ、千早ちゃん」


一生懸命私をリラックスさせようとしてくれるその手は、僅かに震えていた。


「手……」

「あっ?! ご、ごめんなさい! その……お口に合うか、心配で……」

「……とっても美味しいわ、萩原さん」

「よ、良かったぁ……」


萩原さんは、ちょっと心配性だけれど、芯は強くて。

1マス進む。

43 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:13:55.94 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「ねぇ、千早さん」

「……以前にお会いしたこと、ありましたか?」

「ううん、ないよ。初めましてなの!」


その子は私を見るなり、当たり前のように私の名前を呼んだ。


「えっとね、ミキはミキなの。星井美希」

「初めまして、如月千早です」

「それでね、千早さん。えーっと……あれ?」

「うーんとね……何言おうとしたか忘れちゃったの」

「まぁいいや。ね、お昼だし、一緒におにぎり食べよ?」

「は、はぁ……」


星井さんのマイペースに、すっかり調子を崩されてしまった。

1マス進む。

44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:14:24.94 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「だーれだっ!」

「……誰?」

「残念! 正解は亜美でしたー!」


知らない声に目隠しをされた上、理不尽な不正解を突きつけられる。


「千早お姉ちゃんだよね? 初めましてのご挨拶!」

「あまり初対面の相手にはやらない方がいいと思います」

「お堅いぜ千早お姉ちゃーん。双海亜美だよ! よろよろ〜」

「私は如月千早……って、名前は知っているみたいですね」

「りっちゃんの書類覗き見したからねん。んっふっふ〜」

「個人情報の保護、って知ってます?」


双海さんみたいな子供に覗かれてしまうセキュリティはどうなのだろう。

1マス進む。

45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:14:52.48 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「だーれだ!」

「……双海さん」

「えっ!? 千早お姉ちゃん、なんで分かったの!?」


聞き知った声に振り向くと、そこで驚いていたのは、よく似てはいるけれど別の子だった。


「……双海、さん?」

「あっ! その顔、もう亜美がやったあとっぽいじゃん! ぐぬぬ!」

「双海亜美さん、じゃない?」

「うんむ。我こそはジェミニの片割れ、双海真美よ! 控えおろう!」

「如月千早です。よろしくお願いします」

「まったくもー、千早お姉ちゃんノリ悪いよー。もう少しこうさぁ」


もう一人の双海さんに、小一時間ほどノリ突っ込みのレクチャーを受ける。

1マス進む。

46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:15:36.43 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「ちょっと。アンタが新人?」

「……そうですけれど」

「ふぅん……ま、悪くはないんじゃない? 悪くはね」

「そうですか。ありがとうございます」

「水瀬伊織よ。一回で覚えておきなさい」

「如月千早です」


やけに上から目線の言葉に、内心、少し穏やかではなかった。


「ふ、ふん、どうせ分からないことだらけなんでしょ?」

「足引っ張られるのもイヤだし、何かあったらさっさと言いなさいよね!」

「あ……はぁ……」


前言撤回、真っ赤な顔をした水瀬さんは、少し人見知りで照れ屋なだけみたい。

1マス進む。

47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:16:03.51 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「あっ! えっと、千早さんですか?」

「はい。如月千早です」

「えっとえっと! 私、高槻やよいって言います! これから、よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします」


精一杯の挨拶をするその子の姿に、つい笑みが零れてしまった。


「あっ!? わ、笑いましたかー!?」

「い、いえ、そういうわけでは」

「うーっ、千早さん酷いです……」

「ごめんなさい、ごめんなさい、高槻さん」

「……なんちゃって! こーはいとして、ビシバシ鍛えていきますよー!」


満面の笑みを浮かべる高槻さんは、どこかで見た鬼教官の真似をした。

1マス進む。

48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:16:44.16 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「あれ? お客さん?」

「いえ、今日からお世話になります、如月千早です」

「そっか、じゃあ今日から仲間だね! ボクは菊地真。よろしく!」

「よろしくお願いします」


てっきり、女性だけの事務所だと思っていたのだけれど。


「男性の方もいらっしゃったんですね」

「えっ?」

「え?」

「……そうだよね、ボクの外見じゃ勘違いされても仕方ないよね……」

「えっ!?」


完全に意気消沈してしまった菊地さんを、私なりの言葉で励ました。

1マス進む。

49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:17:27.98 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「うぉっほん! 新しい環境には慣れたかな?」

「正直、まだ慣れるとまではいかないです」

「それもそうだな……ならば、私が直々にあだ名を付けようじゃないか!」

「あだ名、ですか?」

「それで呼び合えば、みんなの仲も深まるだろう」


こめかみに指を当て、しばらく唸った末に。


「そうだな……ゴンザレスなんてどうだろう」

「嫌です」

「ならばハンブラ」

「嫌です」


高木社長は、そうか、と一言、寂しそうに呟いた。

1マス進む。

50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:18:45.72 ID:+0zrf0Mn0


さいころは振らない。

ただただ1マスずつ、駒を進めていく。


最初は、彼女に腕ごと駒を動かしてもらうだけだった。

仕方がないなぁ、などと言いながら。

少し嬉しそうに、私の駒を、一歩、また一歩と進めていった。


「もうちょっと、私の手助けが必要かな?」

「……まだ、私一人の力では、進められないわ」

「そっか。じゃあ、まだ握っててあげるね」


そう言いながら、手の力は徐々に弛んでいった。

逆行するように、私の腕には、ほんの少しだけの力。

51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:19:25.27 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「プロデューサー、何を唸っているんですか?」

「うーん……いや、先月分の給料、もう少しあったような……」

「音無さんとあずささんが、いっぱい奢ってもらったって喜んでました」

「!! そ、それだ!」


私の言葉に飛びつくように反応したプロデューサーは、そのまま机へ突っ伏した。


「やばい……クレジットの引き落とし大丈夫かこれ……」

「お貸ししましょうか? 私、仕送りのお金とかあまり使ってませんし」

「い、いや! 高校生にお金を借りるのは……大人として……」

「けれど、このままではクレジットが」

「! ティンと来た! 社長に借りよう!」


大人として、あまりにも情けない言葉を聞いた気がする。

1マス進む。

52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:20:05.84 ID:+0zrf0Mn0


私が駒を進めながらため息をつくと、横から笑い声が聞こえた。


「うわぁ、プロデューサーさん、それはないよ」

「仕事に関しては本当にできる人だし、人柄も素晴らしいのだけれど」

「ちょっと見栄っ張りなんだよね」

「この人が担当で、本当に大丈夫なのかと思う時もあるわ」


プロデューサーは、時々抜けているところがある。

特にお酒が入ると気が大きくなるようで、音無さんはその隙を狙っている節もある。

けれども仕事はきっちりとこなし、その間は決して抜けているところを見せない。

プロなのか、どうなのか……。

53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:20:33.01 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「むふふふ……」

「音無さん、それは何を読んでいるんですか?」

「ピヨッ!? ち、千早ちゃん!?」

「そんなに驚かなくても……ちょっと読ませてください」

「ダメ! こ、これは絶対にダメ!!」


音無さんは、必死の形相で持っている本を死守しようとしている。


「えい」

「ひゃっ! ち、千早ちゃんくすぐっちゃいやあははははは!」

「表紙くらい……」

「あ」


丸一日、絵柄が頭から離れてくれなかった。

1マス進んで1回休み。

54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:21:14.05 ID:+0zrf0Mn0


初めて当たった1回休みは、なんとも言えない気分だった。


「うわぁ……」

「人の趣味をどうこう言うつもりはないけれど、流石に事務所に持ってくるのは……」

「た、多分、新刊が出て買ってきたばかりだったんじゃないかなぁ……?」

「家に帰るまで我慢できないのかしら……」


どうやらこの事務所、有能な人には駄目な面があるらしい。

多分、こんな生活だからなかなか貰い手が……。

なんて、正面から言ったら寝込んでしまうのだろう。

ああ見えて、凄く繊細な人だから。

55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:21:47.31 ID:+0zrf0Mn0


1回休み明け、1マス進む。


「あら、これは何かしら」

「あ! それは見ちゃダメ!」

「まさか、律子も何か変なものを……って、律子へのファンレター?」

「うわあああ!」

「そう言えば、昔はアイドルだったって」


私の手から手紙をひったくった律子は、顔を真っ赤にして黙り込んだ。


「昔のファンレターをデスクに飾ってるなんて、可愛い所もあるのね」

「ううううるさいなぁ悪いかぁ!」

「いいえ。とってもいいことだと思う」

「そ、そう真面目に正面から言われるのは、それはそれで気恥ずかしいのよ……」


赤くなりながらも幸せそうに手紙を握る姿は、羨ましかった。

2マス進む。

56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:22:25.06 ID:+0zrf0Mn0


2マス進むため、私達の手は、いつもより少し長めに触れ合っていた。


「律子さんって乙女チックだよねぇ」

「普段は冗談挟みつつも、ピシッとしているのに」

「でも、この後仕事にならないんだよね」

「ええ。私も手伝うくらいだもの」


律子は照れると、仕事が手につかなくなる。

それも尋常ではなく、まともに業務ができるまで持ち直すのに、二時間はかかる。

けれどそれは、彼女がその事柄に純真に向き合ってる証。

照れるどころか、誇っていいこと。

57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:23:05.85 ID:+0zrf0Mn0


再び、1マス進む。


「千早ちゃんは、コーヒーと紅茶、どっちがいいかしら?」

「どちらかと言えば、コーヒーでしょうか」

「あらあら、それなら私と一緒ねぇ」


私と一緒ではない胸元を揺らしながら、あずささんは喫茶店のドアを開けた。


「……くっ」

「あ、あら? お気に召さなかったかしら?」

「いえ、何でもありません」

「そう? ここ、エスプレッソが美味しいの」

「では、あずささんお勧めのエスプレッソを」

「うふふ。私もそれでお願いしまーす」


お勧めのエスプレッソは、確かに身体に染み渡る美味しさだった。

1マス進む。

58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:23:33.14 ID:+0zrf0Mn0


駒を進めた後、私を見ながら言った。


「あずささんって包容力あるよねぇ」

「……私には何が足りないって言いたいのかしら」

「そ、そうじゃないよう! 身体的なあれではなくて、こう、精神的な……」

「確かに、それは思うわ」


年上とはいえ、そこまで離れているわけではない。

それでもあずささんは、私達を包み込んだ上で微笑みかけてくれる。

少し別の世界にいるような余裕と空気が溢れ出ている。

時々、慌てん坊な一面を見ると、ちょっと安心する。

59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:24:44.97 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「如月千早、ここが二十郎でございます」

「こ、ここが……?」

「ここならば、あなたの欲求を満たしてくれることでしょう」


久しぶりにラーメンを食べたいと言ったら、四条さんが妙にやる気を出してしまった。


「噂には聞いていましたけれど、凄い空気が漂っていますね」

「さぁ、こちらが二十郎のラーメンになります」

「多っ……?!」

「どうしましたか? 存分に召し上がっていただいてよいのですよ?」

「た、食べないと……注文したものは、全部、食べないと……!」

「足りないのですか? 遠慮することはありません」


何とか完食するも、丸一日体調を崩す。

1マス進んで1回休み。

60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:25:19.71 ID:+0zrf0Mn0


二度目の1回休みの間、少し疲れた私は、隣の肩に寄りかかった。


「四条さんに合わせてラーメンを食べたら身が持たないよ、千早ちゃん……」

「それはこの件でよく分かったわ」

「いつも不思議然としてるのに、ラーメンが絡むとすっごくテンション上がるよね」

「食べてる最中のはしゃぎっぷりは少し意外だったわ」


四条さんというと、ずっと掴み所のない、秘密主義な人だと思っていた。

けれども、あの姿を見る限り、年相応の心もあるように感じる。

完全な人間、一色に染まり切った人間など、そうはいない。

認識しているよりもずっと、彼女は普通の人なのだろう。

61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:25:51.77 ID:+0zrf0Mn0


1回休み明け、1マス進む。


「ごめんなー、千早。手伝ってもらっちゃって」

「構わないわ。どうせ暇でしたし」

「その代わりに自分、腕によりをかけて作るからな!」

「そんなに気合を入れなくても……」


ペット用品の買い出し手伝いのお礼に、我那覇さんが夕食を振る舞ってくれることになった。


「何か手伝うことはあるかしら」

「ええと、それならねぇ……っ! ち、千早!」

「どうしたの? 急に慌てて……」

「そ、そこの料理ガードしてぇ!」

「はっ!?」


間一髪、危うくご馳走がブタ太の餌になるところだった。

1マス進む。

62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:26:28.21 ID:+0zrf0Mn0


駒を握る手に、ぽたりと何かが垂れた。


「……はっ!? ご、ごめん千早ちゃん! あんまり料理が美味しそうで……」

「ブタ太を見てるのかと思ったわ」

「違うようそんな酷くないよう! でも響ちゃん、相変わらず料理上手いなぁ……」

「編み物とかも得意みたいね」


普段の慌てん坊振りからは、想像できない高い技術。

もしかすると家事裁縫全般は、事務所内で一番じゃないだろうか。

活発な中で時折見せる、女性らしさというか少女らしさというか。

そういうものは、ここから来てるのかもしれない。

63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:26:56.89 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「そ、そんな言い方って!」

「私は思ったことを口にしているだけよ」

「でも、それが全部じゃないよ!」

「少なくとも、私はそう思っているわ!」


萩原さんと意見が真っ向からぶつかり合い、そのまま喧嘩別れのように話さなくなってしまう。


「……」

「……」

「……どうぞっ」

「……あ、お茶……?」

「あーあ、間違って一人分、多くお茶を淹れちゃいましたぁ」


手元に置かれる歩み寄りのサインを見ては、私も歩み寄らないわけにはいかない。

1マス進む。

64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:27:49.58 ID:+0zrf0Mn0


駒から手を放した後、頬をつんつんと突かれた。


「千早ちゃんの意地っ張り」

「萩原さんだっていい勝負よ」

「雪歩、普段は弱気なのに譲らない時はとことん意地張るよね」

「そうね。とっても強情」


そして、どこか私とも似てる。

萩原さんが事務所内で声を荒げるなんて滅多にない。

その数少ない内の結構な割合は、似た者同士の私との衝突だったりする。

あの意地があるからこそ、彼女はずっとこの業界に居続けている。

65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:28:47.02 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「千早さん! 次はこっち!」

「ねぇ美希、そろそろ終わりに……」

「えぇ〜っ!? ダメなの!」

「千早さん、滅多にこういうの着てくれないから、今日はテッテー的にミキがドレスアップしてあげる!」

「しなくていいわ、しなくていいから……」


美希には何故か妙に懐かれてしまい、懇願されて私服を買いにくることに。


「ほらほら! こっちのスカート穿いてみて!」

「お願い……そろそろ、私も限界……」

「むーっ! もっと可愛い千早さんをみんなに見せつけるの!」

「あ、あぁ……もう勝手にやって……」


強引な小悪魔の勢いに圧されつつも、こういう服も悪くないのかな、と思った。

1マス進む。

66 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:29:54.17 ID:+0zrf0Mn0


少し強めに、手を握られた。


「うー、美希、ずるいなぁ。私も行きたいよぉ」

「もうごめんよ。誰とも行かないわ」

「そんなぁ……。ね、一緒に行こうよ! 今度はお化粧用品でも買いに!」

「遠慮しておくわ」


美希は、私のクールなところがかっこいいのだという。

この性格はこれまで、人との間に壁を作る役割しか果たしてこなかった。

けれど彼女の、自分の気持ちに素直な性格も、私みたいに敵を作る場面があっただろう。

辛くはなかったのだろうか。

67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:30:38.10 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「あ、亜美……ちょっと待って……」

「千早お姉ちゃんダメダメっしょ! オーディションなんだからアゲアゲでゴー!」

「ま、まだ一時間以上前なのに走らなくても……」

「ヘイヘイ! この程度で息が上がってたらイクサには勝てぬよ、千早お姉ちゃんクン!」


年相応にはしゃぐ亜美に、疲れつつも少し微笑ましさを覚える。


「もう……じゃ、そんな私になんて余裕で勝てるわよね」

「うえぇっ!? ち、千早お姉ちゃんいきなりダッシュは卑怯だよー!」

「いついかなる時も、気を抜いてはダメよ」

「ま、待ってぇー!」

「どうしようかしら?」


いつもはあんなに押してくるのに、押されるのには滅法弱い子。

1マス進む。

68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:31:13.08 ID:+0zrf0Mn0


私の手を握る力は、大分弱まってきていた。


「亜美って防御力低いよね」

「勢いに乗ってる内は振り回されてしまうけれど、隙をつけば、ね」

「ふっふっふ、そこはやっぱり年の功かな?」

「そんなこと言ったら、音無さんに怒られるわ」


仕返しをした時のふくれっ面は、ついついからかいたくなる表情で。

まぁ、そういうことをすると大体、更に仕返しをされる。

構ってあげるのは、私のためでもあるのだと思う。

あの子とはまた少し、違うタイプだけれど。

69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:32:24.73 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「千早お姉ちゃーん……真美、もっとテレビ出たいよー」

「頑張りましょう、最近は出番も増えてるじゃない」

「でも真美が映るの、本当にちょびっとだけっぽいよー! もうやる気失くすぅ」

「仕方ないわ、私達はまだまだ下積みだもの」


そんな不満を訴える真美だけれど、本当によく我慢していると思う。


「そだよね。亜美も頑張ってるのに、真美が弱音を吐くわけにはいかないよね」

「いいんじゃないかしら」

「え?」

「いいわよ、少しくらい弱音吐いても。私の方がお姉さんだから」

「……千早お姉ちゃん……」


膝の上で俯いている身体を、出来る限り優しく抱きしめた。

1マス進む。

70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:32:54.76 ID:+0zrf0Mn0


暖かい手のひらが、私の頭を撫でる。


「真美はもう少し、みんなに本音で甘えていいと思うんだよね」

「それは難しいから、私達が甘えさせてあげないと」

「千早ちゃんも頑張ってるよね。いい子いい子」

「……髪、乱れるのだけれど」


そんなことを言いながら、私の顔は少し緩んでいる。

あの時の真美のように。

普通なら毎日友達と遊んでいる年頃の彼女。

はしゃぎたい時、疲れた時くらい、いつも元気をもらっているお礼をしよう。

71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:33:32.10 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「ごほっごほっ……」

「全く、風邪をこじらせるなんて……意識が足りない証拠よ!」

「ごめんなさい……伊織……」

「無駄口叩いてる暇があったらさっさと治しなさいよね」


寝込んでいる私の部屋へ、伊織が風邪薬やドリンクを持って訪れた。


「こっちが薬で、これがウイダーで……」

「……ありがとう」

「べ、別に親切でもなんでもないわよ。さっさと治してくれないと迷惑なの」

「ええ。お見舞いに来てくれたから、すぐに治るわ」

「ば、ばっかじゃないの! 非科学的よ!」


長丁場の収録で疲れているだろうに、休む間もなく真っ先に来てくれた。

2マス進んで3回休み。

72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:33:58.08 ID:+0zrf0Mn0


長い休みの間、手の甲から温もりがなくなり、少し不安になった。


「伊織、本当はとっても優しい子なんだよね」

「本人はあれで、隠せているつもりらしいけれどね」

「でも、プロデューサーさんには割と辛辣だよね」

「照れ隠し以外のも大分あるわね」


彼女も、人から誤解されやすい一人。

しかも彼女は、アイドルとしての姿も、自ら偽っている。

それでも頑張るのは、ひとえにその信念の賜物。

いつか、自分が目指す栄光を手にする日を夢見て。

73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:34:31.19 ID:+0zrf0Mn0


長い休みが明けて、再び1マス進む。


「ありがとうございます、弟達の相手をしてくれて」

「いいわよ、私も楽しかったから」

「弟達も千早さんのこと、とーっても気に入ってました!」

「嫌われなくて良かった」


最近家族に何もしてあげられてないと悩む高槻さんの、ちょっとしたお手伝い。


「千早さんって、小さい子をあやすのが上手いですねー」

「そう、かしら」

「まるで本当のお姉さんみたいかなーって」

「高槻さんの?」

「え、えぅ……それも楽しい、かも。えへへ」


あの日々の私みたいにはにかむ表情は、年相応の無邪気さを感じさせた。

1マス進む。

74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:34:59.05 ID:+0zrf0Mn0


久しぶりに感じる温もりに、懐かしい安心感を覚える。


「私なんかよりよっぽどしっかりしてるなぁ、やよい」

「家計のやりくりまでしているのよ」

「はえー……私にはとっても無理……」

「本当に頑張っているわ、高槻さんは」


もっと遊んでもいいんじゃないかとは思う。

けれど、高槻さんに聞くと、今の生活で十分幸せなのだと言う。

みんなは少し驚くけれど、私には分かる。

それは本当に、幸せな生活なのだ。

75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:35:35.54 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「元気出そうよ」

「大丈夫よ。ありがとう、真」

「いや、全然大丈夫じゃないって。目が死んでるって」


誰よりも自信のあったボーカルオーディションに落ちて、真に慰められる。


「たまたま審査員との相性が悪かっただけだよ」

「違うわ。私には才能も力もないから――」

「……あああもうまどろっこしい!」

「いたぁっ!?」

「こっちなんて何度女の子であることを全否定されたと思ってっ……! くぅっ……」

「ご、ごめんなさい。ほら、真、元気出して?」


いつの間にやら立場が完全に逆転して、愚痴を聞く側に。

1マス進む。

76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:36:05.68 ID:+0zrf0Mn0


駒を持つ手が、徐々に自分の力で動くようになってきている。


「でもね、やっぱり真はかっこいいよ」

「天は必ずしも、本人が望む才能を与えるわけではないのね」

「勿体ないなぁ。私がイケメンだったらいっぱい女の子侍らすのになぁ」

「あなたじゃ性格的に無理よ」


真が女の子らしいことをできるのは、いつになるのだろう。

もっとも、性格や言動も一因ではあるのだけれど。

本人もそれは理解した上で、お姫様の座を掴みとるために頑張っている。

……そもそも、掴みとる、という発想からして道のりが遠そうなのはさておき。

77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:36:35.27 ID:+0zrf0Mn0


1マス進む。


「おお、如月君。調子はどうかね?」

「調子ですか。悪くはない、と思います」

「伸び悩んでいるのかね?」

「……ひと月近く前から、歌声が全く変わっていない気がするんです」


そう打ち明けると、社長は真面目な顔で話を聞いてくれた。


「如月君は最初から高い実力があったからね。そろそろ、目に見えた変化は少なくなる時期だろう」

「壁を越えようにも、その壁が分からないんです」

「そうだな……時間もあるし、私が少し見てあげよう」

「え?」

「まぁ任せたまえ、たまには違う視点から見るのも効果があるものだ」


容赦なく指摘をされ、疲れ果てて帰った夜は、久しぶりの充実感に見舞われた。

2マス進む。

78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:37:02.44 ID:+0zrf0Mn0


私の手を包む温もりは、もう添えられるだけで、殆ど力は籠っていなかった。


「社長、昔は腕利きのプロデューサーだったんだね」

「いつもの姿からは全然想像できなかったわ」

「社長にも、プロデューサーさんみたいに走り回ってた時期があるのかな」

「あったのでしょうね。がむしゃらに走り続けた日々が」


少し世代がずれていて、抜けているところがあって。

それでも、みんながこの事務所に居るのは、間違いなく社長のお陰で。

どうなっても、社長がいれば何とかなるでしょう。

そう思わせてくれる、信頼感があった。

79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:37:32.23 ID:+0zrf0Mn0


私の生活は、これまでとは大きく変わった。


耐える日々。

待つ日々。

探す日々。

もがく日々。


そんな毎日を送ってきた私にとって、この場所は異質だった。


耐えることも、待つことも、探すことも、もがくことも。

全部、これまでと同じようにある。

変わっていないはず。

けれど、それだけではない。

それだけではないのだ。

80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:38:11.69 ID:+0zrf0Mn0


「千早ちゃん」


物思いに耽っていると、不意に、私を呼ぶ声が聞こえた。

直後、ふんわりと後ろから抱きすくめられる。


「この場所は、千早ちゃんにとって、良い居場所になれるかな」


胸元に回された手を握りしめる。

ああ、なんて暖かい手なんだろう。

かじかんだ私を、ゆっくりゆっくりと溶かしていく。

背中に押し付けられた身体の温度も、私の芯を解きほぐしていく。


「そうね。なると、いいわね」


「……いいえ。したいわ。私の居場所に」

81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/28(水) 17:38:42.61 ID:+0zrf0Mn0


これまで私の理想は、形になりかける度に打ち砕かれてきた。

今回もまた、同じように消えてしまうのではないか。

そう思うと、身体の震えが止まらない。

両手の震えが止まらない。


さいころを振らなければ良かったんじゃないか、と。

失うならば知らなければ良かったんじゃないか、と。

また、終わってから後悔するんじゃないか、と。


ぐるぐると、無限螺旋が頭の中を回り続ける。


ここは本当に、私が手を伸ばしてもいい場所なの?

82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/28(水) 18:21:35.71 ID:eprVXx9lO
懐かしいスレだ
完結期待
83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/29(木) 01:53:40.23 ID:R+dORQRqO
一度落としたやつは高確率でまた落とすから期待しない方がいい
84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/29(木) 02:03:30.07 ID:iW1x+Lvyo
待ってたよ
85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/03/29(木) 03:00:09.18 ID:kWOgPRjwo
ついにディズニーに行く日になり朝にチェックインしてからディズニーランドに向かった。

2日目はディズニーシーの方に行く事になっている。2日目の夜に凛にプロポーズするつもりだ。

凛と腕を組みながら園内に入る。凛はばれないように変装もしているのだ。

母ちゃんや姉さん達とは勿論別行動になっているので二人きりのデートなのだ。

待ち合わせ場所と時間が決まっているのでそこに行けば良いことになっているのだ。

まず俺と凛はスターツアーズのアトラクションに向かった。凛と待っている間や移動の間に会話をするだけでも嬉しかった。

凛は変装も化粧も完璧にしているのでどうやら周りは気付かないようで安心したのだった。

ディズニーを効率的に乗り物を乗るには皆が昼食を取る時間に人気アトラクションを乗るのが最善なのだ。

そして昼食は13時半以降に取るのがベストなのだ。

次にシューティングギャラリーのアトラクションに向かった。

これは待ち時間は殆ど無いので楽しんで乗る事が出来た。次にウエスタンリバー鉄道のアトラクションに向かいこれも10分掛からずに乗る事が出来た。

この時に12時少し前位になったのでスプラッシュマウンテンの方に向かった。

一番人気のアトラクションなのでこれには凛と乗りたかったので二人で腕を組みながら向かった。

スプラッシュマウンテンの乗り場に着いた時には12時を過ぎていたので結構すいていた。

殆どが昼食に向かったので30分掛からずに乗る事が出来た。

このアトラクションは一時間半近く待つのが当たり前なのが大幅に短縮出来るのだ。

次にプーさんのハニーハントのアトラクションに向かう。このアトラクションも人気のアトラクションなのでこの時に乗った方が良いのだ。

此方も大幅に短縮で乗る事が出来た。

昼食の時間になったので二人で人気のレストランへと向かった。

昼食のピークは過ぎていたのでスムーズに席が取れて二人で昼食を注文してから席についた。注文した食事が来ると二人で食べ始めた。

「はい。あーん💓❤」

凛がアーンしてきたので俺が食べると今度は俺が仕返しした。

「はい。あーん💓❤」

俺が凛にアーンしたら凛も喜んでアーンして食べた。二人で食べ終わるまで交互に食べさせあったのはいうまでも無い。まわりも余りの甘さに口から砂糖を吐いていた。

昼食が終わってからアリスのティーパーティーとガジェットのゴーコースターにミニーの家の3アトラクションを乗ったら待ち合わせ時間に近くなったので二人で待ち合わせ場所へと向かった。

待ち合わせ場所に到着すると既に母ちゃんと姉さん達がいたのであった。

「八幡…。凛ちゃんも今日は楽しめた?」

「うん。母ちゃん。楽しかったよ。凛とデート出来るだけでも嬉しいよ。」

「機会を作って頂き感謝します。私も楽しかったです。」

俺も凛も母ちゃんに感謝の気持ちを伝えると母ちゃんも姉さん達も笑顔になった。

「八幡。このあと皆で夕食取ったら皆でパレードを見てディズニーリゾートに戻ります。」

刀奈姉さんがこれからの予定を教えてくれた。

母ちゃん達が既にレストランの予約をしていたのでレストランに向かうと皆で会話をしながら食事を普通にした。


夕食が終わると今度は皆でパレードを見に向かった。凛と見るパレードは格別だと思った。

パレードが終わるまでいて終わったらディズニーリゾートに戻った。こうして一日目は終了した。
86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/29(木) 04:56:02.88 ID:fbZuFljkO
>>85はHACHIMANとか言うキッショイ原作レイプ野郎か
87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:46:28.75 ID:nKI6vhSl0


けれどその疑念を、私は必死に振り払う。


それでも私は進みたいと思った。

今度こそ手放したくないと思った。

今、私の身体を包む温もりを、本当のものにしたいと思った。


「うん。しようよ、千早ちゃん」

「頑張ろうよ、私も一緒にいるから」


私を抱きしめる手に、弱々しく力が増した。

その壊れそうな手を、今度は私が優しく包む。


「ええ」

「きっと」

「今度こそ」

88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:47:09.03 ID:nKI6vhSl0


進むんだ。


砕け散る寸前だった勇気を振り絞って。


進むんだ。


不幸せになるために生まれてきたわけじゃないんだと、証明するために。


進むんだ。


手に入れられるものがあるんだと、証明するために。


進むんだ。


この子に、それを証明してあげるために。

89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:47:50.01 ID:nKI6vhSl0


1マス進む。

寝坊した美希が収録に遅刻して、みんなで謝った。


1マス進む。

真と二人で、人気深夜番組のレギュラーを貰った。


1マス進む。

旅番組で、四条さんと風情のある小旅行へ行った。


1マス進む。

高槻さんとその妹弟達と、遊園地で遊びまわった。


1マス進む。

真美とのラジオが開始、ネットで妙な人気が出た。


1マス進む。

萩原さんの家へと遊びに行った時、死を覚悟した。

90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:48:36.51 ID:nKI6vhSl0


1マス進む。

人に笑われ背中を見たら、亜美に紙を貼られてた。


1マス進む。

昔の歌を歌う律子に遭遇し、つい歌声を録音した。


1マス進む。

社長とライバルの話は、何度聞いても面白かった。


1マス進む。

道案内を買って出たあずささんを、必死に止めた。


1マス進む。

音無さんの手伝いで、得体のしれない本を売った。


1マス進む。

出演したCМの会社が、実は伊織の実家で驚いた。


1マス進む。

我那覇さんの彼氏かと思いきや、お兄さんだった。

91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:49:13.73 ID:nKI6vhSl0


少しずつ、私は前に進んでいる。

興味がなかったダンスも、必死に練習するようになった。

人々に向ける笑顔も、段々自然になってきた。


私は今、確かに変わろうとしている。


辛いことも、苦しいこともあった。

心が折れかけたことも、一度や二度ではない。


それでも、私にはみんながいた。

私だけじゃない、みんなも辛いことを経験した。


最初は励ましてもらってばかりだった。

その内、私が励ましてあげることも増えた。

92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:49:55.48 ID:nKI6vhSl0


「私もいるよ?」


重ねられた手が、いじけたように手の甲を引っ掻いた。


「分かってるわ」

「本当にー?」

「本当よ」

「ならいいけど」


爪で引っ掻かれた部分を、今度は同じ指が優しく撫でる。

くすぐったくて、つい手を払う。


「ぁ……」


すると彼女は、ちょっと泣きそうな、寂しそうな顔をした。

93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:50:30.40 ID:nKI6vhSl0


仕方ないから、今度は私が手を重ねる。


「ち、千早ちゃん、怒った?」

「怒ってないわ」

「……本当に?」

「さっきから、やたらと疑い深いのね」

「そ、そういうわけじゃないけど、さ」


その目には、未だに疑念の色が見える。

だからそれを消せるように、反対の手でその目を塞いだ。


「……えへへ」


そのまま撫でると、今度こそ嬉しそうな声が聞こえた。

94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:51:15.06 ID:nKI6vhSl0


彼女は私の言動一つで、色とりどりな喜怒哀楽を見せる。


私が歌いたいと言うと、聴きたい聴きたいと喜ぶ。

私がもうやめようかなと呟くと、絶対に駄目だと怒る。

私が悲しみを堪えていると、一緒に涙を溜めて哀しむ。

私が笑える話をすると、一緒に顔を綻ばせて楽しむ。



これまで灰色だった世界が、少しずつ色づいていく。


彼女の表情や言葉の一つ一つが、極彩色よりも鮮やかに光る。


薄暗くて識別できなかった空間を、まばゆい光で照らしていく。

95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:52:26.69 ID:nKI6vhSl0


何故、私の手を引っ張るのか聞いた。


「ひ・み・つ」


と、少し悪戯っぽく言われた。

この話題になると、いつもはぐらかされる。

“隠し事があること”を隠すのは下手なのに、絶対に口は割らない。


ずるい。


「千早ちゃんの拗ねた表情、とっても可愛いよ」

「馬鹿」


手を引いてもらう必要は、もうじきなくなる。

そう思えた。

96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:52:53.01 ID:nKI6vhSl0


1マス進む。


「千早、話がある」


突然プロデューサーに呼び出された。

少し、覚悟をした。


「深刻な話ですか?」

「いや、別にクビとか倒産とかそういう話じゃないからな」

「そうですか」


内心、ほっと胸を撫で下ろした。

みんなメディアへの露出が増えてきて、これからという矢先。

ここで私一人消えるというのは、考えるだけでも怖かった。

97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 20:57:13.87 ID:nKI6vhSl0


「それで、なんでしょうか?」

「ああ。実は千早に、メジャーデビューの話が来てる」


メジャー、デビュー?


「あの、えっと、それは、どういう」

「ごめんごめん。いきなりで驚いたか」

「……」


言葉を失うくらいには驚いた。

確かにこの事務所から、もう何人かはメジャーデビューを果たしている。

悪くはない結果が続いていることから、そろそろ次が来てもおかしくはなかった。

98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:00:11.58 ID:nKI6vhSl0


「でも……私が、ですか?」

「そうだ、作曲者の方からのご指名でな。千早も名前はご存じだろう?」


デスクの引き出しから、プロデューサーが少し厚めの封筒を取り出す。

裏面には差出人名として、著名な作曲家の名前が入っていた。

手渡された封筒の中身を覗くと、楽譜とCD−ROMが収められている。


「その曲は永年温めていたけど、琴線に触れる提供相手がいなかったそうでね」

「そんな折、先月の番組で披露したカバー曲を聴いて、千早しかいない!と思い立った、とのことだ」

「私なんかが、そんな……」


私が好きな曲も含め、多くの名曲を生み出してきた名作曲家。

そんな方が、永年温めてきた曲。


私にはとても、荷が重い。

99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:00:51.93 ID:nKI6vhSl0

「プロデューサー、私にはとても……」

「ああ。プレッシャーがかかるのは分かる。だから、無理にとは言わない」


動揺する私を見て、プロデューサーは頷いた。


「少し拝見させてもらったが、間違いなく話題を席巻する名曲だ」

「もし失敗すれば、色んな意味で大きな損失を生むことになる」


誰にも渡さず、守り続けてきた我が子。

もし私が歌い上げきれなければ、その子を殺すことになる。

誰からも待望され、多くの感動を生み出すであろう子。

その子を手にかけてしまえば、私に未来はない。


「千早にはこの曲を御しきる力があると思ってる」

「でも、曲に気圧されたままでは、力は出し切れない」


「……少し、考えさせてください」
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:02:14.90 ID:nKI6vhSl0


嬉しかった。

けれど、怖かった。

これは、悪い流れだ。

とびっきりいいことがあった後、私はそれをめちゃくちゃにする。

それがこれまでの、いつもの嫌な流れだ。


未来が見える。

大御所の方の歌を、無様に歌う私。

天からの授かりものを、無残にも殺す私。


一体誰の皮肉だろうか。

その曲は、幸福の象徴の名を冠していた。

101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:04:21.31 ID:nKI6vhSl0


「千早ちゃん、どうして悩むの?」

「私はまた失敗するわ」


左右のイヤホンを、それぞれ二人で分け合う。

私の左頬と彼女の右頬が、かすかに触れて体温が伝わる。


「いい曲だね」

「ええ、本当に……いい曲」


耳を流れるメロディーを聴きながら、歌詞に目を通す。

目を瞑ると、幼い頃の在りし日々が脳裏を過ぎる。

心に突き刺さるように胸が痛んだ。

でも不思議と、耳を塞ぐ気にはならなかった。

102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:04:56.89 ID:nKI6vhSl0


「私、千早ちゃんに歌って欲しいなあ」

「どうして?」

「千早ちゃんがこの歌を歌えば、きっとみんなが認めてくれるもん。……ちょっと、複雑だけど」

「複雑?」

「う、ううん! なんでもないよ!」


彼女は慌てて、取り繕うように笑った。

その表情に、いつもの快活さは見えない。


「ねぇ、何を隠してるの?」

「うぇっ!? か、隠してななななんてないよ?!」

「……そう」


隠し事はばればれなのに。

これ以上聞いても無駄だろう。

こうなった時の彼女は、本当に口が堅い。

103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:06:31.46 ID:nKI6vhSl0


「ね、千早ちゃん」


腕を掴まれ、引っ張られた。

その力は、とても弱々しい。

座り込んだ私の身体は、なかなか動こうとしなかった。


「指切り、したよね。前に進むことをやめないで、って」

「でも……」

「だから、お願い」


引っ張られて少し、腰が浮いた。


「歌って」


今は亡き弟の姿が、僅かに重なった。

104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:06:58.27 ID:nKI6vhSl0


1マス進む。


「やります、プロデューサー」


私の言葉を聞くと、プロデューサーはデスクから勢いよく立ち上がった。


「ほ、本当か!?」

「はい」

「大丈夫か?」

「覚悟は決めてきました」


プロデューサーはじっと私の目を見た後、安堵の表情を浮かべた。


「そうか、その調子なら大丈夫そうだな。嬉しいよ」

「嬉しい?」

「はは、俺は千早のファンだからな。名曲が生まれるんだ。そりゃ嬉しいさ」


名曲になるかどうかは、これからの私にかかっている。

気を引き締めなければならない。

105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:09:28.73 ID:nKI6vhSl0


1マス進む。


まるで、私のことを歌っているかのようだった。


過去に囚われず、未来を目指そうとする歌。

それでも、過去を忘れることは出来ない。


過去を意識し、過去を忘れようともがく。

忘れたい。

忘れたい。

脳裏を過ぎるたびに、克明に思い出される。

忘れられない。

負の連鎖。


でも、どこかで切り捨てなければならない。

飛び立たなければならない。


私に課された課題。

106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:11:34.48 ID:nKI6vhSl0


「もう、少しだね」


弱々しい声が、私の背中を押す。


「分かってる。あと少し。あと、少しよ」


この声は、彼女へ向けられたものか。

それとも、自分に言い聞かせる為か。


一瞬、幼い日の幸せを想う。

けれど、決別しなければならない。

この歌のように。


私は、あなたを忘れない。

でも、きのうにはかえれないのだから。

107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:12:08.90 ID:nKI6vhSl0


1マス進む。


「お疲れ様でした」

「千早……」


レコーディングを終えた時、プロデューサーは僅かに涙ぐんでいた。


「プロデューサー、どうしました?」

「いや……なんだろう」


涙を拭うプロデューサーの手は、小刻みに震えていた。


「千早の歌が泣いてたからな。伝染ったみたいだ」

「伝染っただなんて。泣いてるの、プロデューサーだけじゃないですか」

「お前、気付いてないのか?」

「え?」

108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:12:58.11 ID:nKI6vhSl0

プロデューサーはポケットからハンカチを取り出した。

それを差し出しながら、私の顔を指差す。


「涙、出てるぞ」

「え……」


右手でそっと目元を撫でる。

指先には、雫を拭き取った跡が残されていた。

視界が少し滲んだ。


「プロデューサー」

「ん?」

「私、前に進めたでしょうか」

「……そうだな。千早にとっては大きな一歩だよ、これは」


プロデューサーはそう言い残し、私の肩を叩いてスタジオを出て行った。

その途中、他のスタッフにも声をかけていく。

声をかけられた人達は頷くと、片付けを中断して出ていった。
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:19:50.55 ID:nKI6vhSl0

すぐに、スタジオには私一人が残された。


「っ……!」


骨組みを抜かれたように、私の身体が崩れ落ちる。

もう我慢をする必要はなかった。

そのつもりはなかったが、気付かない内に我慢をしていた。


「……っうぁ……」


声が漏れる。

止めるつもりもない。


「あぁ……うっく……あ、あぁ……」


止まらない。

忘れられない想いが目から溢れ、流れ落ちていく。


「さよう、なら」


私の、大切な。


大切な。

110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:26:26.02 ID:nKI6vhSl0


鏡を見る。

泣き腫らした目が真っ赤になっていた。


「千早ちゃん、大丈夫?」

「ええ、大丈夫」


心配そうに見つめる彼女に、私はにっこりと笑って返した。


「本当に? 無理してるように見えるよ」

「大丈夫だから」


それでも不安そうな表情をする彼女を、正面から静かに抱き締めた。

111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:27:00.11 ID:nKI6vhSl0


「わっ」

「でも少し、このままでいてもいいかしら。なんだか安心できるの」

「そっか。うん、いいよ。千早ちゃんがそうしていたいなら」


細い手が私の背中にも回される。

私はこの子に、どれだけ救われたことだろう。

触れ合う温度に混ざり、微かな鼓動が伝わる。

とくん、とくん、と。

抱き締めたら心臓が潰れてしまわないか、心配になるほどのか細さ。


「千早ちゃん」

「なに?」

「……ううん。やっぱりなんでもない、よ」


また、その表情をする。

何かを言いかけてから躊躇う表情。

それをなかったことにするかのように、私を抱く力が強くなった。

112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:32:29.86 ID:nKI6vhSl0


1マス進む。


私が吹き込んだ命は、世間に喝采と共に受け入れられた。

幸福の象徴の名を冠する、魂の放浪の歌。


受け入れられたことで、私は安堵した。

自分を重ね、想いを籠めた歌。

過去との決別、未来への歩み。

これを否定されたら、私自身も否定されたことと同じだ。


今、ようやく。

私の想いは、人々から認められたのだ。


私は自分が歩む道に、ようやく自信を持つことができるのだ。

113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:32:58.62 ID:nKI6vhSl0


1マス進む。


作曲家の方が、わざわざ事務所へお越しになった。

対面して最初に、握手を求められた。

我が子の産声を上げさせてくれてありがとう、と。


私は新しい命を育んだ。

それと同時に、一つの想いを殺した。

向けられた言葉に喜ぶと同時に、締め付けられるような気分だった。


作曲家の方は、また如月千早のために歌を書きたい、と。

そう言い残し、お帰りになった。

114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:33:34.87 ID:nKI6vhSl0

「やったじゃないか、千早!」

「はい。何とか責務を全うできて、肩の荷が下りました」


プロデューサーは上機嫌だ。

事務所の懐が良くなるとか、そういった打算ではない。

心から私のことを喜んでくれているのだろう。


けれど、その気持ちを素直に受け取ることができない。

どうしてそんな風に思うの、私は。


別れは告げたのだ。


もう、告げたのだ。

115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:34:42.34 ID:nKI6vhSl0


1マス進む。


事務所のみんなも、自分のことのように喜んでくれた。


「千早さんはやっぱりすごいの! ひょーげんりょく?っていうの?」

「ホントだよね。ボク、思わずウルッときちゃったよ」

「歌うからにはこのくらい当然よね。ま、ちょっとは良かったけど……」

「弟達が子守唄に歌ってーって言うんです。私には難しくて歌えないですけど」

「これは負けてらんないっしょ! 亜美達にも新曲をじゃんじゃん歌わせてよ!」

「うーん、でも真美達はもちっと育成されんといけんですなー」

「歌ってあんなに感情を籠めることができるんだね。驚いちゃった」

「そうよ、雪歩。とはいえ、あそこまでとは……想像以上だったわ」

「か、カッコイイ系なら自分だって千早みたいにさぁ! ……ごめん、見栄張った」

「大言はいけませんよ、響。しかし、月までも届きそうな見事な歌声でした」

「千早ちゃんの歌、まるで語りかけてくるようだったわ。少し、悲しげで……」


感嘆の言葉をかけられたり、もみくちゃにされたり。

心の整理がつかない中でも、みんなの反応は素直に嬉しかった。

116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:36:04.31 ID:nKI6vhSl0

「如月君、よくやってくれた」

「本当よ。あんなに難しい状況で……すごいわ」


社長と音無さんも、私のことを優しく褒めてくれた。

大人から褒められるのは嬉しいことなのだということを、久しぶりに思い出した。


昔は、いっぱい褒めてもらった。

その度に、桜が満開になるように嬉しかった。


――千早。

――お姉ちゃん。


私を呼ぶ声を思い出す。

117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:36:30.59 ID:nKI6vhSl0



……駄目だ。

思い出してはいけない。

後ろに下がってはいけない。

必死に頭の中を掻き回した。


118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:37:00.00 ID:nKI6vhSl0


前に進め。

自分に必死に言い聞かせる。

己の意思で前に進め。

逃げられない様、自身を信念に縛り付ける。


「痛そうだよ、千早ちゃん」

「これは、必要な痛みだから。耐えなければならない痛みよ」

「そっか……」


口振りとは裏腹に、彼女の顔は納得していなかった。

119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:37:40.45 ID:nKI6vhSl0


「もう引っ張ってあげるほどの力はないけど」

「これくらいなら、してあげられるよ」


ずきずきと胸の奥底が痛む。

そこに暖かい手が当てられた。


「痛く、なくなった?」

「少し楽になったわ」


そう答えると、彼女は満足そうな笑顔を浮かべた。

額には、じんわりと汗が滲んでいる。


彼女は最近、辛そうな表情をすることが多い。

私に負けず劣らず、痛みを堪えるような表情をしている。


この子は、どうしてここまで、私のことを。

120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:38:06.93 ID:nKI6vhSl0


1マス進む。


私の歌がきっかけになったのか、事務所はにわかに賑わい始めた。

これまでも賑やかではあったものの、今は少し趣が違う。


まず、仕事が入るようになった。

最初は一躍有名になった私が中心。

次第に私の周囲もクローズアップされることで、他の子達も目に留まるようになってきた。


元々みんな、活躍できる力は十二分にある。

その声やキャラクターが知れていくにつれ、自然と仕事は増えていった。

121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:39:39.37 ID:nKI6vhSl0

ステージイベント。

テレビの司会。

映画のキャスト。

ラジオのパーソナリティ。

ゲームの声優。


話題性に満ち溢れた私達の事務所は、瞬く間に活躍するフィールドを広げていった。

主役級の仕事を貰うことも多くなった。

大規模なプロダクションライブや、私達全員で持つ冠番組の企画も持ちあがり始めた。


私達が売れれば売れるほど。

社長は事務所に居ることが少なくなった。

音無さんは電話応対が増えた。

プロデューサーと律子は中でも外でも大忙しになった。

みんなと会う機会は減っていった。


それでも時々顔を合わせて話すと、誰もが本当に活き活きとしていた。

その光景を見て、ようやく報われた気がした。

122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:40:08.34 ID:nKI6vhSl0


ああ、私はやりました。


やっと、みんなに貢献することができました。


良き風を、大切な人達に届けることができました。


私の居場所を、やっと掴み取ることができました。


極彩色で彩られた世界に、私の色も加えていきましょう。



色とりどりの中、一か所だけ灰色だったキャンバス。


みんなの色の中に、私の色が灯っていく。



この幸せなキャンバスの中へ、私も飛び込もう。


眺めて満足するだけじゃない。


自分の足で、駆け出そう。

123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:40:53.77 ID:nKI6vhSl0


私はじっと、すごろくを眺めていた。

随分とたくさんのマス目を歩いてきたものだ。


「もうこんなに歩いてたんだね」

「そうね。手を引いてもらってばかりだったから、気付かなかったわ」

「えー、千早ちゃんはまるで私のせいみたいに言う」

「でも、そうじゃないかしら?」

「ずるいよー!」


ぽかぽかと背中を叩かれる。

その微笑ましさに、つい笑ってしまう。

それを見たのか、ぽかぽかと叩く回数が更に増える。

叩かれれば叩かれるほど、口から洩れる笑い声は大きくなった。

124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:41:27.17 ID:nKI6vhSl0


「……あら?」


叩かれて足が動いた拍子に、何か硬いものを踏んだ。

足をどけてみると、小さな立方体が一つあった。


「これ……」


それはよく見覚えのある、点の刻まれた立体。


さいころ。

運命を決める、四角い宣告者。


久しぶりに目にしたそれは、まるで忘れ去られた史跡のように長い年月を感じさせた。


ずきん。


胸の奥が、痛む。

125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:42:13.98 ID:nKI6vhSl0


「千早、ちゃ……」


心配そうな目を向けられる。


「……」


何も言わずに、私はさいころを拾い上げる。

石のような手触り。

暖かい手に握られた反対の手とは対照的に、冷たい感触が伝わってくる。


「大丈夫」


大丈夫よ。

頭の中で反復する。

もう過去には囚われない。

126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:42:52.18 ID:nKI6vhSl0


「そうよ。私はもう報われた」


さいころから目を離さない。


「誰もが認めてくれた。前へ進ませてくれた」


冷たいキューブを強く握りしめる。


「ここからは、自分一人の力で」


後ろから誰かが、必死に私の名前を叫ぶ声が聞こえた、


「また昔みたいに、自分の力で」


気がした。


「私は、幸せを掴み取るの」

127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:43:19.06 ID:nKI6vhSl0





手のひらに載せたさいころを、宙へ放った。




128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:43:48.28 ID:nKI6vhSl0


放物線を描きながら飛んで行く。


これは、零れ落ちたものでも、すっぽ抜けたものでもない。

間違いなく、私が自分の意志で放ったもの。


私自身によって決められる運命。

これまで私が逃げ続けていたもの。



さいころが地面に落ちる。

かつん、と音を立てて跳ねた。

もう一度地面にぶつかると、そのままころころと転がった。


転がっていたのは、ほんの一瞬のはず。

その一瞬が、私には異様なほど長く感じられた。

129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/03/29(木) 21:45:18.27 ID:nKI6vhSl0





ぴしり、と、何かにひびが入る音がした。




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