アナスタシア&一ノ瀬志希「はるのうた」

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65 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:29:27.83 ID:UdBPP3xP0

 フツウの女の子になるには所定の手続きが必要だ。

 1.正常に運営されるカゾクの中で健全な幼少期を過ごす。
 2.キンダーガーテンからハイスクールまでの階段を順序正しく昇る。
 3.トモダチとセイシュンして、正しい人間の正しい情緒と社交性を身に着ける。

 役所に転居手続きを出すみたいに、混合液を濾紙に付けて溶媒に浸すように、当然かつ必要な手順。
 自分から「フツウになりたい」と思った時点でそうなる資格を失う。
 手順を全部すっ飛ばしちゃった人間には、もちろん、更生の機会は永久に来ない。


 だけどそれがあたしには当たり前で、いたって平気なことで。
 周りの食べられそうなモノを吸収しちゃったから、パパが行った海の向こうでも見てみようかと思った。
66 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:30:33.29 ID:UdBPP3xP0

 行った先でもやることは変わらなかった。
 昔作った雪だるまと同じ。興味のあるものを掘り返して、丸めて固めて形作り、論理の筋道を立てる。
 方法論がわかってしまえばもうおしまい。
 雪みたくまっしろな紙とボードに数式を書き連ねていって、いっぱいになれば次に行く。

 周りにある野心とか妬心とか畏怖とか阿りとかは全部ただの言葉だし、彼らの行動原理は全部簡単に理解できた。
 それもまた、わかってしまえばもうおしまいだった。

 何かを発表する度に貼り付けられる名声は重ったるいだけ。

 あたしは、あたしが望むべきものを望む。
 他のことはみんなどうでも良かった。
67 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:31:15.38 ID:UdBPP3xP0


 ――あれ? と、ある時ふと思う。

 あたし今、どこにいるんだっけ。

 周りは渺茫たる広ーいどこかで、自分自身がほぐしてばらした真っ白い論文だけがあり、
 あたしが見るのはそれらでまるっと説明できる無機質な数学と物理の世界だった。


 ああ、つまんないや。


 自分でも呆気ないほど急に結論が出て。
 かちこちに凍てついたまま、科学の道からころんと転げ出た。

 パパと再会することは、結局なかった。


【むかしばなしおしまい】
68 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:31:53.80 ID:UdBPP3xP0

 生まれ持つモノを生まれる者が選ぶことはできない。

 それら使いこなすか持て余すか、肯定するか否定するかは誰にもわからないのだ。

 今ようやくわかった。
 あたしがどうしてあの時、この子を引き寄せたのかも。

 あたしとアーニャちゃんは似ている。
69 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:33:39.13 ID:UdBPP3xP0

「……シキ?」

 ならば、あたしという存在がこの子にどう作用するのか。

「いっこだけ聞かせて」

 まだ論理の筋道が立たない。
 今の自分はホワイトボードいっぱいの膨大な計算式を俯瞰する時の眼をしている。
 状況を解決し、彼女にかかる靄を払う為の閃きを細胞が求めている。

「キミは、自分のことも好きになりたいと思う?」

 アーニャちゃんはしばらく、大きな目であたしのことを凝視していた。
 それから、ゆっくり頷いた。

 頷いたまま、弱々しく肩を震わせた。
70 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:34:40.75 ID:UdBPP3xP0

 あと一歩何か足りない。
 科学は自然現象を観測して噛み砕き、法則の系統樹を打ち立てる為のものだ。
 だけどこの場合、雪を呼ぶ少女の心を晴らすには、もう一つの飛躍が必要になりそうだった。

 銀色の綺麗な髪に指先で触れ、ものも言わず思考の雪原に埋没する――


 その時、玄関のチャイムが鳴った。
71 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:35:23.70 ID:UdBPP3xP0


 来訪者はフレちゃんでもプロデューサーでも、他のみんなでもなかった。

 その大柄なおじさんは、とても複雑なカオをしていた。
 最初の一声は謝罪だった。あたしへの、そして娘への。
 最大限の謝意を示す、重々しいロシア語で。

 アーニャちゃんはおじさんを見上げて、呆然と呟いた。


「パパ……」
72 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:36:27.75 ID:UdBPP3xP0

 お前の望みを尊重したい気持ちは変わらない。
 東京のニュースは逐一チェックしていた。
 けれど、もう限界だ。

 春はもう来る。

 アーニャ。これ以上、お前に悲しい思いをさせるわけにはいかない。


 パパさんは、そういう意味のことを言った。
 きっと「親」として一から十まで正しい意見に違いなかった。
73 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:36:57.76 ID:UdBPP3xP0




 ――――ああ、そっかぁ。



74 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:37:56.85 ID:UdBPP3xP0


「パパ! でも、アーニャは……!」
「そのひとの言う通りだよ」

 アーニャちゃんが愕然とした顔で振り返る。
 彼女はきっともう少しの時間を願おうとしたのだろう。
 だけど、とっくに時間切れだったのだ。

「キミには帰る場所があるんだよ。それはキミだけの、特別なもの」

 広がりかけた思考の海が消えていく。
 インスピレーションが光を放つことは、もうなかった。

「家族が待ってるなら、そこには帰らなくっちゃだめだよ」
75 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:38:44.27 ID:UdBPP3xP0

 アーニャちゃんは何か言いかけて、でも口をつぐむしかなかった。
 彼女の手を優しく、だけど力強く引く大人の手。
 きっと温かいのだろうなと思う。

「だいじょぶだよ。たとえ他の全てがキミを拒絶したって、キミはいつでも帰れる。
 それは才能や能力なんて及びもつかない、代替不可能な場所だから」

 衷心からそう言って、あたしはにゃははと笑う。
 だってそれ以上に望ましいことがこの世にあるだろうか?


 扉が閉まる。
 風の吹く音と、誰かの声がする。

 玄関に立ち尽くしたまま、薄暗い天井を見上げた。
76 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:39:55.85 ID:UdBPP3xP0

 似ていると思った相手は、深いところで決定的に違った。
 残されたのは、帰る場所のない雪だるまだけだった。

 そんなものだ。
 いつものことだ。

 悲しいとも喜ばしいとも、腹立たしいとも楽しいとも思わなかった。

「へぷちっ」

 だけど何故か、季節外れの寒さがやけに堪える。

「……寒いや」
77 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:40:56.40 ID:UdBPP3xP0


 またお腹の底で悪い虫がぐるりと蠢動する。
 大した理由もなく、どこかへ行きたいなぁと悪魔が誘惑する。

 うん。


 そんなわけで、あたしは失踪しました。
 
78 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 00:44:02.06 ID:UdBPP3xP0
 一旦切ります。
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/29(木) 19:27:56.09 ID:oFHREiDao
80 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 23:23:35.10 ID:UdBPP3xP0

  ―― 事務所


 志希がいなくなった。

「そうか」
「そうか、って……」

 事務所に飛び込んできた美嘉は既に汗だくだった。
 レッスンが終わったその足で辺りを探し回って、あえなくスカに終わったらしい。

「大丈夫、帰ってくるから。なんだかんだでこれまで帰らなかったことがあるか?」
「けど今回は様子が違うっぽいよ? 最後に志希を見た子も、なんかいつも通りじゃなかったって……」
「そういう日もあるさ。志希だって人間だ」
「でも……!」

 着々と近付くフェスに向けて、うちのアイドルの出演スケジュールとタイムラインを確かめる。
 各ユニットのセトリとかステージ演出とかカメラの位置とか、考えることは山積みだ。

「っ……もう一回探してくる」
「やめとけ」
「なんで!」
「お前はお前のステージに専念するんだ。それが志希の為にもなる」
81 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 23:24:53.41 ID:UdBPP3xP0

 連日の雪は弱まりつつあるようだった。
 このまま順調にいけば、予定日には問題なくフェスを開けそうだ。

「なんか……平気そうじゃん。意外なんだけど」
「まあ一度や二度じゃないからなぁ」
「慣れたから気にしないって言いたいの? だったらアタシ……!」

 焦るな焦るな、とスマホの通話履歴を表示して見せる。
 つい数分前まで通話していた相手の名前を見て、美嘉はいくらか安心したようだった。

「今回の件がちょっと違うってことはわかってる。だからこそ、本人が何か掴まないとダメだ」
「…………」

 美嘉は難しい顔で押し黙り、踵を返して事務所を出て行く。
 二分くらいして、そこの廊下の自販機で買ってきたらしい飲み物と共に戻ってきた。

「じゃあ、アタシもここで待つ」
82 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 23:28:01.75 ID:UdBPP3xP0

 自分用のスポーツドリンクと、俺がいつも愛飲している缶コーヒーも持ってきてくれた。
 手隙の時はちゃんと淹れたりするのだが、手っ取り早く済ませたい時はいつもこの銘柄だ。

「好きなんでしょ? ソレ」
「おう。覚えててくれたのか」
「そりゃ、いつも見てたら嫌でも覚えるし」

 ……………………。

「…………へ、変な意味じゃないからね!?」
「アッハイ」

 なに今の間。
83 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 23:29:21.04 ID:UdBPP3xP0

「アタシもだいたいの話は聞いてるんだ。この雪のことも」

 ドリンクで喉を潤して、美嘉はぽつりとこぼす。

「多分……今がそっちを解決できるかできないかの瀬戸際だってことも。
 天気のことだけじゃなくて、そのアナスタシアちゃんって子も気になるしさ」
「なんとかなるさ。志希を信頼してやれ」
「してるよ。でも心配しないってのとは話が別でしょ」

 美嘉は、志希がこの部署に来た当初から何かと彼女をサポートしていた。
 俺がそうしてくれるよう頼んだのだ。
 美嘉には妹さんがいて元々面倒見も良く、教えるのも上手く、その姿勢から新人に示す規範として申し分ない。

 でまあ当の志希がアレなので、だいぶ苦労させてしまったりもした。
84 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 23:34:01.59 ID:UdBPP3xP0

「最初はこっちもびっくりしてさ」

 当時のことを思い出したか、美嘉はくすりと笑う。

「あの通りのビジュアルだし、ダンスも一発で覚えちゃうし、歌声だって綺麗。天才っているんだなーって」

 こっちも覚えてる。美嘉も無意識に張り合っていたのか何か、いつも以上のハードなレッスンを入れたりもして、
 あんなにテンション高い青木トレーナーはそうそう見られるもんじゃないと思ったものだ。

 呑み込みの早い志希は美嘉と並び、砂が水を吸うように色々なものを吸収していった。
 しかし持ち前の失踪癖やら実験観察好き、先読みできない飽きっぽさで何かと手を焼かせることもあった。
 それに関しては、美嘉だけでなく俺も(色んな意味で)被害をこうむったものだが……。
85 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 23:38:00.69 ID:UdBPP3xP0

「いやぁ、よく面倒見てくれたよ。美嘉に頼んだのは大正解だった」
「恨んでるからねー? さんざ振り回されたんだよアタシ」
「よく言うよ。あいつがただのちゃらんぽらんだったら俺より先にお前が黙ってないだろ」
「ま、ね」

 窓の外を一瞥する美嘉。
 その眼はやはり、今も雪降る街のどこかにいるであろう少女を案じていた。

「いつもはああだけど、『やりたい』ってロックオンしたことには、本気だったから」


 今もそうだ。間違いなく。
 どこかで足踏みをしているのだろう。なにしろまだ18歳の女の子だから。
 けれど、必ず何かを見つけ出すだろう。なんといっても一ノ瀬志希だから。
86 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 23:38:41.69 ID:UdBPP3xP0

【一ノ瀬志希かく語りき・そのご】


 失踪先に小さな公園があって、そこも白一色だった。
 素手でさくさく雪を集めて、丸めてみる。子供の時みたいにうまくいかない。

「キミも、融けたらどこに行くんだろーね」

 中途半端に丸めたそれをほっぽり出して、ベンチで一息つく。
 とりとめもないことを考えていると、向こうの物陰から何かがひょっこり顔を出した。


 お散歩する黒猫が描かれた傘の下、白い景色に映える金髪が揺れた。

 傘の主は鼻メガネを着けていた。
87 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 23:41:32.73 ID:UdBPP3xP0

「アタシは通りすがりの鼻メガネ紳士」

 なにっ、キミがかの有名な。

「あんまり寒いから、この鼻息で雪を融かしに回っているのダ」

 そうなんだすごい。

「そこなマドモアゼルや、アタシの仕事ぶりに惚れてはいけないよ」

 気を付けます。

「せーの、セボーン、セボーン……モンサンミッシェルッ!?」

 あ、こけた。
88 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/29(木) 23:42:34.22 ID:UdBPP3xP0

 雪で滑った拍子に立派な鼻メガネもずれて、鼻メガネ紳士の素顔が露わになった。
 こうなるとさしものジェントルも形無しだ。弱りきった様子で四つん這いになる。

「ふぇ〜ん……メガネと鼻がどっかいっちゃったよう〜……」
「……」
「メガネメガネ〜……あと鼻〜……鼻*鼻〜……」
「…………」

 寒さに麻痺していた頭が、だんだんと日常の感覚を取り戻していく感じがした。
 ベンチに座ったまま、あたしはアドバイスを投げた。

「あたま、あたまー」
「頭? ……ワオ! ほんとだ! 鼻メガネ紳士復活っ!」

 再び元気よく立ち上がって、紳士はあたしの隣に座る。
 そうして改めて鼻メガネを外し、傘をこっちに傾けた。


「探したよー」

 フレちゃんはいつも、いつも通りに笑う。
89 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 00:20:41.82 ID:uXClwahM0

 あたしのテンションはフラットだった。

 そのはずだった。

 こんなとこいたらカゼ引いちゃうよー、と肩の雪を払うフレちゃんに、また反応が起こった。


「アーニャちゃんさ、パパと一緒に行っちゃった」
「そっかぁ」
「必然の帰結とゆーことだね。子供は親のところに帰るものだ」
「うん、かもね」
「去る者は追わなーい、だから去っても追われたくなーい。これがシキちゃん流なのだ」
「それはなかなかトレビアンだねぇ」
「だからね」
「うん」
「だから……だからさ」

 やっぱり寒くて、ベンチの上で膝を抱え、おにぎりみたいに丸くなった。


「あたしは、どこ行ったらいいかわかんなくなった」
90 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 00:21:50.29 ID:uXClwahM0

 あたしはどこへ行きたかったんだろう。
 あの子はどこに居たかったんだろう。

 どちらも何も失ってなどいない。全ては冬が来る前の日常に戻るだけだ。
 だけど、求めていた解は空欄のままだった。

 答えのない状況というものに慣れない。


「どっか行きたいの?」
「そうかも。そうでもないかも」
「アーニャちゃんとこ行ってみる?」
「それはだめ」
「なぜにー?」
「あのコは違う。あたしとは違う」

 彼女のいるべき場所に、あたしは介入してはならない。

「違うの?」
「違うよ」
「シキちゃん鯛焼き好き?」

 ?
91 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 01:07:20.80 ID:uXClwahM0

「あ、いきなりゴメンねびっくりした? じゃ質問変えるねー、鯛焼きの中身ってなに好き?」

 変わってないねぇ。

「ジャーマンポテト。タバスコがあるとなおよし」
「おっ、変化球来たね〜。フレちゃんはねー、ホワイトソースがお気に入りかな!」

 それもなかなかグッドかも。

「じゃあじゃあ、自転車好き?」
「シキちゃん自転車乗れないからにゃー」
「アタシも五回に一回はひっくり返るよね。でも見るのは好き! 趣味は自転車ウォッチング!」
92 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 01:49:51.29 ID:uXClwahM0


「次はえっとね、うえきちゃん好き?」
「相当興味深い題材だよねー」
「サメ好き?」
「潮臭いのはけっこー好き」
「ネコ好き?」
「わりと親近感があるとゆー」
「レッスン好き?」
「あのさ」
「踊るのとか好き?」
「フレちゃん」
「アーニャちゃんは好き?」
「ねえ」
「みんなのことは好き?」
「ねえ、ってば」
「シキちゃんは、好き?」
「何を――」


「アタシは、ぜーんぶ大好き!」

93 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 02:42:11.39 ID:uXClwahM0

「フレちゃん……?」

「だけどね。アタシの大好きな子は、どこかでブレーキかけちゃってるんだー。
 ぐいーんって走ってていきなりブレーキしたら絶対こけちゃうのにね、自転車と同じで」

 フレちゃんがあたしとの間に何かを置いた。
 さっき作ってほっぽり出した、小さくていびつな雪だるまだった。


「シキちゃんの『好き』は、まだ途中なんじゃないかなぁ」


 ――ああ。

「ダメだよ。そういうわけにはいかないよ」
「どうして?」

 人間が幼少期から抱く原初の質問があたしを打つ。

「居る場所が違う。あたしはそういうんじゃない」
「多分ね、アーニャちゃんもおんなじ気持ちだと思う」
94 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 02:48:34.57 ID:uXClwahM0

 雪の降るバス停に彼女はいた。
 永遠に来ないバスを待っていた。
 もしかしたら、自分が乗ってもいいバスが来るかもしれないと思っていたのだろうか。

 そこにやって来たのが、ダルマのカブとお米のカブだったのだろう。

「アーニャちゃんは多分きっと、色んなものをもっと好きになれるし、なりたいんだと思うな。
 それを探しに来たんだよ。だって楽しいことたくさんあるんだもん」


「なのに色々タイヘンで、遠慮しちゃってるんだよ。優しい子だもんねー。
 あと一歩っていうところで、みんなのこと考えちゃう」


 でも、と前置きして、フレちゃんは顔いっぱいで笑う。


「もっと知りたくなっていいんだよ。もっともっと、好きになっていいんだよ」
95 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 02:49:19.92 ID:uXClwahM0
 
 ……ダメだよ。

 それには、障害があるんだよ。

 だって、家族がいるんだ。
 あのコはそれを愛してるんだ。
 フツウじゃない人間とは決定的に違う前提条件があるんだ。

 あたしが触れれば、それは何らかの不可逆な変容を来すかもしれないんだ。


 要素が足りないんだ。あたしでは――――

「アタシ達じゃダメかなぁ」
96 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:11:50.53 ID:uXClwahM0


「覚えてる? うえきちゃんに変なタイミングでお水あげちゃって、すっごい増えたの」

 最近のことだね。会社ごと焼いちゃうとこだった。

「プロデューサーを元気にしたげようって思ったらやりすぎちゃったりもして」

 覚えてる。スタドリの成分百倍濃縮のやつ作ったらブ〇リーみたいになった後一週間筋肉痛で寝込んだ奴ね。

「シューコちゃんちの生八つ橋をもっとおいしくしようとしたら生命を持ち始めたり」

 すごかったねアレ。物体Xみたいになって。

「こずえちゃんが風邪引いちゃって、治す為にヘンテコな実験したりとか♪」

 青ざめた血ってなんなんだろーね。


「色んなことがあってさ。でも全部、楽しかったよ。シキちゃんがいたからだよ」
97 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:26:50.61 ID:uXClwahM0

「シキちゃんとアーニャちゃんは似てるよ。似てないけど、似てるんだと思うな」
「そう、かな」
「ウイ♪ あとは、もひとつグイッていけるかな、的な?」

 あたしに無い要素が、アーニャちゃんにはあって。
 アーニャちゃんに無い要素が、あたしにはあって。

 心の奥底で、同じ足踏みをしていて。

 似ていながら深い部分で違って、だけど更に奥の部分で類似しているのだとしたら。

 その上で導き出される、決定的な一手とは何か。


「どんなことが起こっても楽しいの。アタシ達が大好きな日常なんだ」


「だから、何したっていいんだよ。好きなことやっちゃおーよ。アタシ達なら、ぜーんぶ楽しいからさ♪」


 求めて、究めて、突き詰めて、解して、暴いて、認めて。
 そうして、最後の解を出すのは誰だ。
 それを受け止めるのは、誰だ。
98 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:30:00.97 ID:uXClwahM0

「……にゃはは。矛盾だね、色々と」
「矛盾もたまにはよくない?」
「フツーはよくない。でも特定の状況では、意外とよくなくない」
「そうなの? でもそれってよくなくなくない? たまにはよくなくなくなくなくなくなくない?」

 あれ? どっちだっけ。とフレちゃんは笑う。

 矛盾。
 矛盾か。

 似てるけど似てない。無いのにある。あるのに無い。
 見えるのに見えない。見えないのに見える。

 無限に遠いのに、すぐそこにある。嫌いなのに、好きなもの。


「――――――ぴっこーん」

99 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:32:27.00 ID:uXClwahM0

「おおお? なになにシキちゃんなんか閃いた?」
「キた。なんかキた! びびびーってなった!」
「トレビアーン! じゃ行こっか! ハンカチとティッシュ持った!? たてぶえは!?」
「ノープロブレム!! あれっ事務所どっちだっけ!? ていうかここどこ!?」
「あったよ! 事務所の住所入りスマホ!」
「でかした!」

 振り向いたらフレちゃんは馬の被り物を装着していた。

「アタシはウマ魔人!」

 なにっ、キミがあの噂の!

「ウマ魔人は足が超速い魔人。本気を出せば事務所まで一秒なのダ」

 こいつは面白いことになってきたぜ。

「ついて来られるかなマドモアゼル! ウマダーッシュ!!」

 なんの見ろこの天才ダッシュ!!
100 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:33:16.75 ID:uXClwahM0

「ポンデュガールッ!?」
「に゙ゃーっ!?」

 こけた。あたしもこけた。
 並んで雪にまみれて、大声で笑った。

 雪は柔らかくて、優しかった。
101 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:37:24.78 ID:uXClwahM0

 事務所に帰り着く頃には、上から下まで真っ白けだった。

「あっ、おか――何してたの!?」
「いや〜馬の力には勝てなかったよ」
「鼻メガネも形無しだよねー」

 美嘉ちゃんが慌てて拭いてくれる。こんなこともあろーかとバスタオル用意してくれてたそうな。
 その後、あつあつのお茶とか飴ちゃんとかで一息ついて、なんかほっとして眠くなってきたりした辺りで。

「で?」

 プロデューサーが切り出す。

「どんな大仕掛けを考案したんだ、天才?」
「なんのことはない、ごくごくシンプルなトリックだよ、助手くん」

 あたしはにまっと笑う。
102 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:42:49.85 ID:uXClwahM0

「今からじゃ滑り込みだ。準備期間は短いし、この上で何か仕掛けるなら相当な横車を押さなきゃならん」
「キミが捻じ込んでくれるんでしょ?」
「面白ければな。そっちがステージのプロならこっちは裏方のプロだ。つまんなかったら即却下するからそのつもりでいろ」
「いひひ」

 遠慮会釈の無い物言いが脊椎にさくさく刺さって、気持ちよくってつい笑う。

 作戦会議が始まった。

 会場の規模、外観、設備の位置、アレとかナニとかコレとかソレとか。
 薄暗い外が真っ黒けになるまで話し込んで、思い付いたこと全部ぶちまけて、そこからは喧々囂々。

 可能かどうか、成功するかどうかすらも未知数なままで、ただ衝動のままに。

 99.999999………………までの解を、詰めて、詰めて詰めて詰める。


 話がまとまって。

 一息ついた後、プロデューサーはどこかに電話していた。
103 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:43:57.04 ID:uXClwahM0

  ―― 後日 レッスンルーム


「プロデューサー殿より話を伺った。敢えて深くは聞くまいが、答えを得たようだな、一ノ瀬。
 その意気や良し! フェスに向けて、最後の仕上げを私が担当しよう!!」


 …………わ〜〜お。

 青木トレーナー・ザ・マスターを前にして、あたしは一歩先の地獄を幻視する。
 すぐ隣ではフレちゃんがにこにこ笑っていて。
 あたしはこっそり耳打ちする。

「……フレちゃん、汗かいてる?」
「ふっふっふ。ちょうこわい」

 
 ここから始まる特訓について、一ノ瀬博士からの言及は差し控えます。
104 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:45:04.66 ID:uXClwahM0

【一ノ瀬志希かく語りき・もうひといき】


 あたしは砂漠の雪だるまだった。

 どこにいても異邦人(ストレンジャー)。
 誰と一緒でも不適当(ミスキャスト)。
 場違いな場所でころころ転がって固まって、一人で大きくなっていく。
 融けることはない。その必要もない。生まれながらそうだった。

 日本にふらっと帰ってきても、多分それは同じなんだろうと思っていた。


 街中ふと見上げた大型スクリーンに、踊る女の子が映っていた。

「あいどる?」

 その時はそんなに響かなかった。ふーんって感じ。
 変化はその後で起こった。
105 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:46:52.28 ID:uXClwahM0

 なんかの撮影をしてる一団のそばを通りかかり、五歩ほど行き過ぎたあたりで止まる。
 なんだろ。
 つつつと戻って覗き込み、最後列で何かメモしてる背広の肩をつついてみる。

 つんつん。つんつん。なにしてんの?

 向き直る動きで風が動いて、鼻がぴくりと反応した。
 あたしが足を止めた理由はソレだった。
 いきおいネクタイの結び目を引っ張ってボタンを二つ目まで外し、噛み付くような勢いで首元に突っ込んだ。
106 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:48:11.46 ID:uXClwahM0

「ケモノのニオイがする」

 少なくともヒトじゃない。もっと野性的? 犬猫とも違うような。

 というか一言でナニと特定しきれないくらいに色んなものが混ざり合っていて、他にも樹木のようなそれだとか、
 潮の匂いだとか、上質な女性もののフレグランスだとか、菌類の酵素っぽい……たぶん麹菌のそれだとか。
 全部が色濃く混ざってる。
 こんな街のど真ん中で、何をしたらこうなるんだろう?

 顔を上げて、ほとんどキスの距離で生の疑問を口にした。

「キミ、何者?」

 後から聞くところでは相手は「こっちの台詞だ」と思ったんだとか。にゃはは。
 何故か本人じゃなく近くのギャルっぽい子が顔真っ赤にして怒ってあたしを引っぺがした。あ、こっちもいいニオイ。
107 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 03:53:25.97 ID:uXClwahM0

 貰った名刺からはプロデューサー本人のものっぽいニオイが染み付いていて、これもいいなぁと思った。

 そういうわけで、アイドルを始めたのだ。

 そこからは、もう何も読めなかった。
 再現性のない出来事が起こって、不可逆の変質が炸裂して、やたらめったらのヘンテコが跋扈していて。

 初めて立ったのは、デパートの屋上の小さなステージだったり。
 自分のことでもないのに泣きそうになってるヒトがいたり。
 言葉一つ、表情一つで、蝶の羽ばたきのようにあらゆる要素が極彩色の変容を遂げていって。

 アイドルは、楽しかった。
108 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 04:04:15.62 ID:uXClwahM0

   ☆
 

 昔むかし、あるところに雪だるまがいました。
 知識と論理で凝り固まる、融けたら終わりの雪のカタマリです。


 変なニオイのするお兄さんがやってきて、そこにガラスの靴を埋め込みました。

 いつも笑ってる金髪娘がやってきて、閃きのスパイスを振りかけました。

 悪魔的いいニオイのギャルが、サイズぴったりのレッスンシューズを添えました。

 大人びた女の子が颯爽と現れて、艶やかなリップの色を加えました。

 自称フツーの京娘がふらっと寄って、全体のカタチをなかなかいい感じに整えました。


 他にもナイスな駄洒落を添えたり、ご利益たっぷりのお守りを括り付けたり、ハンバーグをお供えしたり、
 いなせなスナップ写真を撮ったり、ツリーのてっぺんの星を刺したり、鮮やかなお花を置いたり、ほかほかご飯があったり、
 たぬきとかきつねとかうさぎとかのもふもふ毛がこれでもかと埋め込まれたり。


 白一色の雪は、だんだん見慣れない色に包まれていきました。
 そして実は、それは終わりではなく、始まりだったのです。



   ☆
109 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/30(金) 04:05:54.99 ID:uXClwahM0
 一旦切ります。
 もうすぐ終わります。
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/30(金) 04:24:37.48 ID:QjVlKuRDO


>いつも笑ってる金髪娘
ん〜、天使さまか何かかな?
いや、肥後たぬきに都キツネ、神宮ウサギがいる事務所に天使が居ても今更驚かないけど
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/30(金) 10:48:26.69 ID:4/U6cx82O

何やら不穏な思い出が山ほど出てきたんですがそれは
112 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 22:03:36.84 ID:nFUBVzrv0

  ―― フェス当日


「よし、集まったな。みんな聞いてくれ」

 土壇場でアイドル達を集め、全ての事情を事細かに説明する。
 彼女達は神妙に聞いてくれていた。

「で、まあ……志希とフレデリカの舞台が、ある意味正念場になるんだ。
 特に五人の出番はあいつらのすぐ後だ。何が起きるにせよ、その後のフォローを頼めるか?」


「是非もなくー。ふぁんと友の為に尽力せしことこそ、わたくしたちの歓びなのでしてー」

「あの二人のフォローなんていつものことでしょ。任しときー」

「なんやけったいなからくりを仕込んではるんやろ? どないなもんが飛び出すか、楽しみやわぁ♪」

「深淵より出でし混沌を御してこその魔王! 瞳持つ者よ、我を見くびるでないぞ!」

「どんなことがあったって、楽しいステージにしてみせますっ。私達を信じてください!」


「……ありがとう。頼むよ」

 頭を下げて、俺は車のキーを取り出した。
 行っておく場所がある。
113 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 22:04:34.20 ID:nFUBVzrv0

  ――


「仕掛けは出来た。理論はカンペキ。シキちゃんの式に隙はなーい」

「やったーカッコいい〜!」

「にゃっはは。…………だけど」

「んー?」

「前提条件として、あのコがいなきゃ無意味とゆー。こればっかりはフィフティフィフティ。
 シキちゃんともあろーものが最後の詰めを不確定要素(イレギュラー)に頼るとはねー」

「来るよ」

「……そうかな」

「来る来る、超来る。ひゃくぱーせんと来るよ! フレちゃん太鼓判押しちゃう!」
114 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 22:05:20.50 ID:nFUBVzrv0


 三月某日、曇天。風は無し。

 問題だった寒さも前日辺りから相当マシになり、なんとか春と言えるくらいの気温。


 プロダクション合同スプリングフェスティバルは、滞りなく開催された。

115 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 22:06:48.48 ID:nFUBVzrv0

  ―― 都内 某ホテル


 なんとかアポイントを取って、都内の某高級ホテルでその人と顔を合わせる。
 色々ギリギリになってしまったが間に合った。

 アナスタシアとその父親は、今夜の飛行機で北海道に帰ってしまう予定だったという。

 父親の方は純血のロシア人で、かのジェド・マロースの息子というから存在感が半端じゃない。
 冬の原野に立つ巨木のような体躯に、娘と同じ銀髪碧眼。


 彼は紳士だった。
 突然やって来た俺にも嫌な顔を見せず、娘を気にかけていた志希やフレデリカや俺に礼を言った。

 そしてまた、天気が持ち直したのは父親の力もあった。

 隔世遺伝の娘ほどではないが彼も直系だ。
 東京の雪を抑えるだけの力はあり、今日まで滞在していたのはフェスの開催に配慮してのことで、
 それをもって謝礼の代わりとしたいと言ってくれた。


 ただ、娘を連れ帰るということに関しては頑として譲らなかった。


 俺のような若輩者に親心のなんたるかを語る資格など無いが、大切な子を案ずる気持ちはわかる。
 けれど、このまま帰らせてしまうわけにはいかない。
116 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 22:08:24.70 ID:nFUBVzrv0

「アーニャに彼女達のステージを?」
「はい。会場は野外ですが、関係者席にご案内します」
「あなたは、自分の仰っていることの意味がわかっておいでか?」

 至極当然の反応である。にしても流石に日本語上手いな。

「我々が北海道に帰れば、東京には春が戻ります。そちらとしても、その方が好都合でしょう。
 それに、彼女達の顔を見れば別れが辛くなる」
「ですがそれでは、娘さんは東京で何も得るものが無かったことになってしまいます」

 それを承知で連れ帰ろうとしているのだ。父親とて快い判断ではないだろう。
 彼からすれば、ここまで待っただけでも十二分の譲歩に違いない。
 そして、それを承知で、俺はまた彼女を連れ出そうとしている。事の重さは重々承知の上だった。


「一ノ瀬志希と宮本フレデリカがステージに立ちます。二人は、娘さんに舞台を見て欲しいと望んでいます」

「……!」

 父に隣に座るアナスタシアさんが、息を呑んだ。
117 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 22:11:43.47 ID:nFUBVzrv0

「天候のこと、娘さんの精神状態のこと、ご懸念は尽きないことと存じます。
 仮にこの件で何か問題が起こった場合、責任は全て私が負います。
 どうか、あの二人のステージだけでも見届けて貰うわけにはいかないでしょうか」

 父親は渋い顔で腕を組み、無言。
 アナスタシアは俺と彼の顔を見比べる。

「この通りです」

 椅子を降り、土下座をした。

 頭の上でアナスタシアがうろたえる気配。父親も僅かに低い唸りを漏らした。
 言葉一つ行為一つでこちらの誠意が100%伝わるかはわからないものの、アイドルの為、こちらも頑固を通させて貰う。


「パパ……。アーニャは、行きたい、です」
118 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 22:12:39.03 ID:nFUBVzrv0

 今度は父親がはっきりうろたえた。
 激しくやり取りされる父娘の会話。全部ロシア語。やっべ全然わからん。

 語調から判断すると娘が若干有利なのか……?
 彼女の声には芯が通っており、確かな覚悟があった。

 ややあって、細い手がポンと俺の肩を叩く。

 ようやく顔を上げると、アナスタシアがこちらを見下ろして微笑んだ。


「やっぱり……変わりたい、です。わたしも、このままは悲しいから。
 ……連れて行ってください。プロデューサー」
119 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 22:13:26.32 ID:nFUBVzrv0

「済みましたか?」

 駐車場の入り口辺りに自販機があって、その傍のベンチに楓さんが座っていた。

「なんとか。けど、わざわざ付き合ってくれなくて良かったんですよ」
「もしもの場合がありますから」

 どういう場合だ。

「プロデューサーったら、ついて来るなと言うんですもの。私も頼み込むつもりでいたんですけど」
「仮にもうちのトップアイドルに土下座なんてさせられませんよ」
「けどなかなか悪くないと思いません? 二人で土下座をトゥゲザー」
「最後の言いたいだけだろ!」
「ンー……その……?」

 不思議そうな顔のアーニャに、軽く彼女のことを紹介しておく。楓さんはゆるいぴーすを彼女に示した。
120 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 22:15:46.97 ID:nFUBVzrv0

「大変だったでしょう? なりふり構わない所がありますから、この人」
「いえ。とても……アー、嬉しい、でした」

 アナスタシアが微笑むと、楓さんも我が事のように嬉しそうに笑みを浮かべた。

「プロデューサーは……Pさんは、アイドル馬鹿ですからね」
「誰のおかげでそうなったと。って言ってる場合じゃないわ急ぎましょう」
「もうですか? 近くにおいしい焼き鳥屋さんがあるので、良かったら行きがけに軽く……」
「あんたにもあんだよ! 出番! 最後!! 大トリ!!」
「鳥だけに?」
「ええいああ言えばこう言う!」

 なんなら一瞬抜けてついて来るのだって反対だったからなこっちは。
 アホなやり取りに、後ろのアナスタシアはくすりと笑った。

 父親は飛行機の予約日をずらし、ホテルで娘を待つという。
 万が一アナスタシアを悲しませ、涙を流させるようなことがあれば、相応の覚悟を――と言い含めて。
121 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 23:56:26.89 ID:nFUBVzrv0

 時刻は宵の口。雲があるから辺りはもう夜の暗さだ。

 フェスが行われている特設会場の喧騒は、数キロ先からでも届いてきていた。
 お台場の空は広く、ステージの光が遠目にも薄ぼんやり浮き上がって見えた。

 準備がある楓さんと途中で別れ、二人で関係者用のスペースに向かう。


 アナスタシアは目を見開いた。

 光輝と音色の渦が、肌を打つほどに激しく乱舞していた。
122 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/03/31(土) 23:59:15.00 ID:nFUBVzrv0

『みなさーんっ! 今日は楽しんでいってくださいねーっ!!』
『しまむーしまむ、名乗り忘れてるよ! ほらっ、私達ー?』
『わわわっ、そ、そうでしたぁ!』
『ふふっ……それじゃ、行くよ』
『『『私達、ニュージェネレーションズです!!』』』

「……!」

『ヒィィヤッハァアーッ!! まだまだ終わりじゃないぜエエエーーーーッ!!』
『最高の悪夢、見せてあげる〜……♪』
『フフフーン! 世界の幸子たるこのボクが、皆さんをカワイイ浸けにしてあげましょう!!』

『こずえのおうたー……きかせるよー……。みんなー……いやされろー……』
『あの、新人アイドルの成宮由愛です……! 一生懸命歌いますから、どうか、聴いてください……っ』
『緒方智絵里ですっ。わ、私もがんばっ……え、耳? あっ、あのこれはっ、衣装、衣装ですっ!』

「…………っ!」

『ッしゃあ! 魅してやンぜ、“亜威怒流(アイドル)”の“心粋(ココロイキ)”ってヤツをヨォ!?』
『たくみん気合鬼盛りぢゃ〜ん! てかアタシもテンションぶち上げMAXだしぃ、このままテッペンまでカッ飛ばしちゃうぽよー☆』

『みんなありがと〜っ☆ それじゃ恒例のしゅがーはぁとあたっく、いっくぞ〜!! おいザザッて引くな☆ 距離取んなおい☆』
『心さん、それ以上乗り出すと落ちてしまうんじゃ……。あ、次はこの曲です』

『セクシーの名のもとに、平和を守る〜……』
『セクシーギルティ、出動よっ!!』
『セクシーのSはサイキックのS! 私達のパーリータイムが始まりますよーっ!!』

『ええ夜じゃ……まさに侠女(おんな)の晴れ舞台よのぅ。聴いてつかいや、うちの歌!!』

『レイナサマ砲どーーーーんっ! ……クフフッ、度肝を抜かれたようね! 覚悟なさい、本番はこれからよ! アーッハッハッハブッゲホゴホッ!』

『ヘーイ! 待たせたわねエヴリワン!! 今宵は忘れられない夜にしてあげるわ、レッツ・ダンシンッ!!』

「っ! っ!」
123 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 00:19:45.90 ID:Q/ZSCgdu0

 合同フェスとある通り、うちの部署からだけでなくプロダクションのあらゆるアイドルが出演する。
 色んなカラーのアイドルが一堂に会する、まさにお祭り騒ぎだ。
 ここだけの話、一観客としても今日の日をずっと楽しみに待っていた。

 いつしかアナスタシアは舞台に釘付けになっていた。
 体でリズムを取り、無意識の鼻歌が漏れ聞こえてくる。

「どうだろう。楽しめてるかな」
「ダー!」

 彼女の瞳は輝いていた。
 無邪気にステージを楽しみ、歌に聞き入り、MCにころころ笑う。

 けれどそれは、決して手が届かないものに向ける遠い憧憬の眼だった。
124 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 01:15:05.73 ID:Q/ZSCgdu0
 
 やがて。
 満面の笑みに、徐々に翳(かげ)が降りてきて。

 憧れが上げた無意識の手を、理性と諦めが下げる。

 ステージを見上げる顔は、それでも微笑を浮かべていた。

「いつも、そうでした」


「プレクラスニイ……素敵なもの、いつも、キラキラ光っています。
 だけど、アーニャは、それをずっと遠ざけてしまいますね。
 ズヴェズダ……星も、雲で隠して、凍らせて……」


 優しい子だ。少ない会話からでも十分にわかる。
 家族からたくさんの愛を受けて育ち、この世の色んなものを愛しながら、必ずしも世界には愛されなかった。
 そんな彼女が身に着けたのは、世界に対する距離感と精一杯の微笑。

 だけどそれでも、もう一歩を踏み出してみたかったんだろう。

 あの二人の手に引かれて、家族に守られる外の世界を見ようと思ったんだろう。
125 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 01:53:08.25 ID:Q/ZSCgdu0

「次だ」
「……シトー?」
「レイジー・レイジー。志希とフレデリカの出番だよ」
「……!!」

 直前のユニットが大歓声のもとにハケて、途端にステージBGMと照明がムーディーなものになる。
 怪しくてどこか色っぽく、軽妙洒脱で何をしでかすかわからない。そんな彼女達のイメ―ジ。

「あらかじめ言っておくよ。君は何も我慢しなくていい。
 いいか? 何も、だ。どんなことになってもいい。責任は全部俺が取る。親御さんとも約束したろ?」

 アナスタシアは最初、俺の言った意味がわからないようだった。
 期待と憂いを等分に秘めた目で、ステージを見上げる。


『ボンソワール! みんな久しぶり〜元気してた〜?』
『にゃははっ、初対面のクランケも結構いるのではー? それじゃ……実験、始めよっか』
126 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 01:57:41.71 ID:Q/ZSCgdu0

 アナスタシアは、まばたきもしなかった。
 楽しそうに。嬉しそうに。
 眩しそうに。羨ましそうに。

 心の底から彼女達の歌を楽しんで、目に焼き付けて、やがて限界が来た。

 反応が起こり、感情がある閾値を超え、眦(まなじり)に結露する。
 


 ぽろり。


 人々の頭に、雪が落ちる。
127 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 02:13:15.82 ID:Q/ZSCgdu0

「ア……」

 一度零れた心は抑えることができない。 
 いきなり気温がぐっと下がり、雲は濃さを増した。

 そうかと思えば、頭上には真っ白な無数の涙。

 一度は収まったと思われた豪雪が、このタイミングで戻ってきたのだ。
 会場にざわめきが起こる。

 その時の彼女の表情を何と言えばいいだろう。
 取り返しのつかないことをしてしまったと。抑えることが、変わることができなかったと。
 藁にも縋るような目を向けてくる彼女に、ただステージを見ているよう促す。


「ここからが一番いいとこだぞ」
128 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 02:14:46.66 ID:Q/ZSCgdu0




 来た。


 ステージ上で空を睨み、一ノ瀬志希は不敵に笑う。


129 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 02:30:13.93 ID:Q/ZSCgdu0

 一曲目が終わり、会場はもう白く霞むほどの雪に包まれている。
 興奮と困惑がない交ぜになった不思議なムード。
 スタッフ達が動き出すかの瀬戸際に、志希が声を張り上げた。


『プロフェッサー一ノ瀬の科学電話相談〜〜〜っ!』


 ほとんどの人がぽかんとした。
 それがMCらしいと気付いたのは少数だった。

 どうも生徒担当らしいフレデリカが、マイクを電話に見立てて何か始める。

『ぷるるるる、ぷるるるるる』
『がちゃー。はいこちら科学電話相談室』
『なぜ人を好きになるとこんなにも苦しいのでしょう?』
『おっとっと、さては番号を間違えてるな?』
『パルドン、間違えました。では、んー、おっほん』

『お星さまってー、どうして遠くにあるんでしょーか?』
130 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 02:41:11.58 ID:Q/ZSCgdu0

『のっけから壮大な話だねーガール』
『だって気になっちゃったんセボーン。あ、みんな寒いよね? ごめんねーすぐあっためるから』
『星とゆーのはだね、あたし達が浴びる太陽と同じように、宇宙のあっちこっちに散らばる恒星なのだよ』

『恒星はずっとずーっと、気が遠くなるくらい向こうでぴかぴか光ってて、その何十何百年も前の光がようやっと地球に届いてるのだ。
 つまり光の時間旅行の結果なわけさ。人類は、星が放つ遠い過去の姿を見ているのだねー』

『え〜〜〜〜っ、そんなの寂しいよお! それに、お天気が悪かったらすぐに見えなくなっちゃうしー!』

 びくん、とアナスタシアの肩が跳ねる。
 雪はまだ降り続けている。


『そんなキミに朗報! プロフェッサー一ノ瀬は、星をすぐ近くまで呼び出す一大実験を計画中なのだ!』
『ええっ!? でもお高いんでしょう!?』
『いえいえ奥さん、これがそうでもないんですよぉ!』

 おい番組変わってるぞ。


『今から、それを実践してみせましょう! テレビの前の皆さんもご注目〜っ!!』
131 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 02:47:20.12 ID:Q/ZSCgdu0


『un』

 ざわめきが起こり、

『deux!』

 アナスタシアが息を呑み、

『trois!!』


 会場の照明が、全て消えた。

132 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 02:51:09.70 ID:Q/ZSCgdu0

 ざわめき、雪、寒さ、闇。

 アナスタシアは何も言わなかった。

 もしかしたら、自分へ下される裁きを覚悟していたのかもしれない。

 実際には十数秒だったが、沈黙はやけに長く感じられた。


 そしてスポットライトが復活する。


 誰もがまずステージを見た。

 本来ならまず演者を照らす筈の証明は、しかし壇上に向いてなどおらず。


 逆光を背負い、夜空をまっすぐに指差す志希のシルエットが映る。
133 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 02:56:37.61 ID:Q/ZSCgdu0


 何万もの目が同時に空を見る。


 すぐ頭上に、宇宙があった。


 それは降り注ぐ雪を照らす、ライトアップの魔法だ。
 空に向けられた色とりどりの光が雪を染め上げて、千差万別の動きで夜空を彩っていた。

 降り立つ雪は、会場の誰もが持つペンライトの輝きをも受け、万華の色彩を表現する。

 遥か遠くの恒星ではない。
 季節外れの雪こそが、それを表現している。

 光り輝く星雲(ネビュラ)の空を。
134 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 02:58:26.19 ID:Q/ZSCgdu0

 ――二曲目は、新曲でいく。

 二人は舞台上で二曲歌う。どちらも既存曲の予定だったが、演出の変更に応じてサプライズで新曲を披露することになった。
 実際ここらへんの取り次ぎが一番大変だった。
 懇意にして頂いてる作曲家さんに頼み込み、作詞は志希とフレデリカ自ら行った。

 で、なんとか両方が仕上がった後で――

「曲名どうする?」

 聞けば二人して「あ」という顔をした。考えてないんかい。
 さあここからは緊急会議だ。せっかく出来上がった曲が無題なんて笑い話にもならない。
 ああでもないこうでもない、あちらを立てばこちらが立たず、ところでキノコとタケノコどっちが好き?

 ……と俺とフレデリカが激論を戦わせる中、一人涼しい顔の志希がふと提案する。


「『アストロノート・スノウマン』なんてどう?」


 スノウマン……雪だるま。の、アストロート、宇宙飛行士?
 イメージは合っている。これは冬のような冷たさと静寂を打ち砕き、前へと進まんとするキメキメのロックナンバーだ。
 とはいえ志希のチョイスは意外といえば意外で、それが顔に出ていたのか、彼女はいつも通り飄々と笑った。

「雪だるまだって飛びたいのだ。にゃはは」
135 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 02:59:25.10 ID:Q/ZSCgdu0


 激甚なギターサウンドが歓声をも切り裂いた。

『星はここにある』

 マイクを両手で握り締め、天才は歯を剥いて笑う。
 いつも思うけどあいつ、温まりきった時の笑顔がちょっと獰猛なんだよな。

『あるいは、作ることもできる』

 それをMCの一環だと思うか、それとも誰かへのメッセージだと思うか、ともかく――

『あたしは、あたしを肯定する』


 噛みつくような歌声が放たれる。


 煌めく無数の雪が、一つ残らず音圧で揺れた。
136 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 03:12:27.08 ID:Q/ZSCgdu0

 そこからの盛り上がりは、言葉ではとても表せるものではなかった。
 宙の雪が融けて雨になるのではと思うほどの熱狂的な歓声。暴力的な音のうねり。

 アナスタシアは、魂が抜けたような顔でステージを見ていた。

 その瞳の奥底には、まだ見せたことのない新しい光があった。

 舞台上で狂乱する志希の、藍晶石色の瞳がちかりと光る。
 その焦点は、はっきりこちらに結ばれていた。

 手が伸びた。

 ステージ上のパフォーマンスのようでいて、それは確かにこちらに差し伸べられている。


「シキ……!!」
「ほら、行っておいで」

 背中を軽く押すと、アナスタシアは意外なくらいよろめいた。
 俺とステージを何度も見比べる。こっちなんか全然気にしなくていいのに。

「友達が呼んでるんだ。行かない理由がどこにある?」
137 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 03:17:32.37 ID:Q/ZSCgdu0

 ところで。

『アストロノート・スノウマン』の一番の盛り上がりポイントに歌詞が無いという問題がある。
 最後の大サビに向かう、いわばCメロの部分がまるっと空白で(ここらへんアドリブ♡)とだけ書かれていて。

 いやそこはもうひと頑張りしてくれよ、とツッコミを入れても二人は涼しい顔だった。

「ここはね、歌じゃなくていいんだ〜」
「そうそう。いわば、走性(タキシス)に任せるアドリブ部分ってゆー?」

 その意味が今わかる。

 息を切らしたアナスタシアが、壇上に上がっていた。


 こんなこともあろうかと、警備の皆さんには先に言い含めてある。
 銀髪の女の子が飛び出してきても、それは演出の一環なので見逃してやってくださいと。
 ……マジで良かったんすか? 的な目がこっちにめちゃくちゃ刺さっている。いやすんませんね。責任取るんでホント。
138 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 03:28:02.86 ID:Q/ZSCgdu0

【一ノ瀬志希かく語りき・ほしのはなし】


 にゃはは。なんて顔してるのかね。

 何か言ったり言われたりする前に、あたしはマイクを渡す。
 アーニャちゃんは戸惑いながら受け取って、自分が立っている場所を改めて認識した。

 上にも下にも、光があった。

 ぎゅっと圧縮された、極彩の宇宙だった。

「やーやーようこそアーニャちゃん。一緒に楽しいことしよっか〜♪」

 フレちゃんがいつもみたいに笑った。バキバキのギターソロが佳境に入った。
 何が起こってもいい、アドリブの空白パートだ。

 歌じゃなくていい。
 言葉である必要すらない。

 マイクを手にして、アーニャちゃんは両目いっぱいに宇宙を映している。
139 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 03:31:41.93 ID:Q/ZSCgdu0

 不可能性に牙を立てろ。
「異端」も「天才」も後付けのラベルに過ぎない。

 嗤われても疎まれても、自らの声に従って進む。自分を突き通す。
 長い、長い長いトンネルを潜り抜けて、その先にある何かを求める。

 希望のカタチが曖昧でも、志すとは、きっとそういうことだと思うから。
 

 あたしはあたしを肯定するように、キミの全てを肯定する。

 キミは、どうする?


 アーニャちゃんが、肺一杯に息を吸い込んで――


「Ура(ウラ)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!!」


 ダイヤモンドダストのように綺麗な咆哮を上げた。
140 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 03:32:59.04 ID:Q/ZSCgdu0


「うぅっ……良かった……良゙がっだぁ゙……」
「……美嘉、ハンカチ。顔が凄いことになってるわよ」
「ん……ありがと、奏……ふぐむぐ……ぐしゅぐしゅ……ちーん゙っ!」
「あ」

141 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 03:41:11.52 ID:Q/ZSCgdu0

 心の問題――とは、まったくよく言ったもので。

 凍てついた雲は急速に晴れて、ホンモノの宇宙が顔を覗かせる。
 月と星の灯りがまだ残る雪を照らして、辺りは昼みたいに明るくなった。

 光が乱反射する、さながら宇宙戦争の巷だなぁと思った。


 曲が終わり、会場のボルテージはなんかもー凄いことになっちゃってて。

 次に飛び込んでくるのは、美穂ちゃん、蘭子ちゃん、周子ちゃん、紗枝ちゃん、芳乃ちゃんの「ケセラセラ」。
 脳の芯まで白熱したあたしらに変わり、カンペキな運びで次に進行してくれる。
 周子ちゃんなんかはすれ違いざまにパチッとウインクなんかしてくれちゃったりして。

 もちろんあたし達はハケなかった。
142 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 03:42:58.42 ID:Q/ZSCgdu0


 出番とかセトリとか全然関係なかった。
 ロンリ的なシコウは幾千光年の彼方にぶっ飛ばして、走性のままに肩を組んで踊った。

 ケセラセラのみんなもばっちりノリノリだった。もはやヤケクソの勢い。にゃはは。

 空にはスポットライトと月明かりがあって、中空にまだ残った雪の一つ一つが眩しく光っていた。


 壇上で、あの子は笑っていた。


 とても朗らかに、笑っていた。

143 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 03:44:00.84 ID:Q/ZSCgdu0

  ―― 後日 事務所


 結論から言うと、スプリングフェスは大成功だった。


144 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 03:46:22.15 ID:Q/ZSCgdu0


 でまあ、当然の帰結として。
 後日、プロダクションにはそれはもう大量の問い合わせが殺到した。

 言い方は千差万別だが、要点は一つ。

 つまり、「あの銀髪の少女は何者なのか?」――ということだ。

 んなもん観客だけでなく事務所関係者も聞きたいことに違いなく、そこの処理には会社全体が苦慮した。
 何にせよ、全ての責任は俺にある。

145 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 03:52:48.54 ID:Q/ZSCgdu0

「ちかれた」
「重い重い乗るな乗るな」
「すーはーすーはー」
「嗅ーぐーなっつの」

 当の実行犯は電池が切れて完全にオフモードなんだから困る。
 死刑を待つ囚人の気持ちでデスクに向かっていたところ、ついに執行の時が来る。

「プロデューサーさん。専務がお呼びです」

 志希をひっぺがして席を立つ。
146 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:11:30.36 ID:Q/ZSCgdu0

「何か申し開きはあるかね?」
「ございません。今回の件は、全て私の独断によるものです」

 背筋を伸ばして受け答えする俺に、彼女は手元の書類を見ながら言う。

「……知っての通り、スプリングフェスは好評に終わった。
 件の『銀髪の少女』の騒ぎは、トータルで言えば話題性という意味で大きなプラスになっている。
 が、結果論で全て不問としては示しがつかない。それも重々承知していることと思う」
「はい……」

 クビかなこれ。
 覚悟の上ではあるが。
 しかしみんなに何て言うかと、後任のことはまだ決まっておらず、みっともなくも命乞いをしたい気分になるもので――

「君は至急、かの少女を迎え入れた新たなアイドルユニットを編成した企画書を提出したまえ。
 観客の目がこちらに向いている今を逃さないように。一週間は待たない」
「覚悟の上で………………お?」
「私からは以上だ。期待している」

 お…………おお?

「……一日中そこに立っているつもりかね?」
「は、はい! ではそのように! 失礼致します!」
147 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:18:50.15 ID:Q/ZSCgdu0

 首の皮一枚繋がったって感じだ。
 廊下を歩いているところ、見覚えのある後姿が先にあった。

「川島さん!」

 その人は振り返って目を丸くする。

「あら、楓ちゃんとこの……」

 川島瑞樹さん。別部署の筆頭アイドルだ。
 この人にも改めてお礼を言わなきゃいけない。

「先日はありがとうございます。うちのアイドル達がこう、だいぶはっちゃけた感じで……。
 川島さんのまとめが無いと多分大変なことになってましたよ」

 アナウンサーから転身という異色の経歴を持つこの人は、歌や踊りはもちろんMC力が半端じゃない。
 この人が壇上に立ってまとめられない事態は存在しないんじゃなかろうか。
 ケセラセラの後がこの人達のユニットだったことが、こちらにとってのある意味大きな勝算でもあった。
148 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:20:43.19 ID:Q/ZSCgdu0

「やーねぇ、そんなに畏まらなくたっていいのよ。私達も楽しかったし。
 それにしても凄い仕掛けだったわね。あれも天才少女のトリックって奴かしら?」
「いやーまあ、半分はそんな感じですかね……ははは……」
「ん〜? ――ま、いいわ。ああそうだ、楓ちゃんに伝えておいてくれない?
 いいお店が見つかったから、暇な時に一杯やりましょうかって」
「ええ、すぐに」
「……ふふっ」
「? ……何か?」

 川島さんは俺の顔を覗き込んで、いたずらっぽく笑った。

「そっちはいつも賑やかよね。君も大変なんじゃない?」
「わはは。それがうちのカラーですから」
「いいわねぇ、グーよグー」

 川島さんは眩しい笑顔でサムズアップし、うきうきした足取りで去っていく。

 …………さて。

 アナスタシアをアイドルに迎え入れたい。迎え入れよう。もうこれは命懸けでやろう。
 なんならお父さんにスクリューパイルドライバーを喰らってでも、やり遂げよう。

 ユニットは三人。志希、フレデリカ、そして彼女だ。

 名前は――そうだな。未確定ではあるが。


 ひとつ、『春(ヴェスナ)』とでも付けようか。
149 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:31:24.27 ID:Q/ZSCgdu0


【一ノ瀬志希かく語りき・さいご】


 最後にちょっとだけ時系列きゅるきゅるさせてね。


 フェスが終わった後、隅っこにはまだ残っている雪があった。
 暖かい夜の中、溶けていないそれをあたしは掬う。

 フレちゃんとアーニャちゃんを振り返って提案した。

「雪だるま作ろーよ」


 名付けて、セントルイス田吾作アレクサンドル。

 そこらじゅうの雪を集めてまとめたから、サイズはそこそこ大きい。
 白く立派なソレは、春の色を増す月光を受けて誇らしげに立っている。
150 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:32:20.00 ID:Q/ZSCgdu0

「おーい、そろそろ戻るぞー」

 あ、プロデューサーだ。

「って、セントルイス田吾作アレクサンドルじゃねーか。完成度たけーなオイ」
「でしょでしょ〜? 特にこのおヒゲのとこがリアルだよね〜♪」
「プロデューサー、アー……わたしは……」
「いいんだ。ひとまず、帰ろうか」

 アーニャちゃんは、はにかむように微笑した。その色は最初出会った時のそれとは違った。
 ここで手を繋ぐことを提案してみる。
 四人並んではなかなかシュールで笑えた。

 あたしと繋ぐアーニャちゃんの手は、とても温かいものだった。


 聞こえるかな――――と、頭の隅で思った。
 遠い空のたぶんずっと向こうに、あたしが想起した誰かはいる……と思う。
151 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:33:22.07 ID:Q/ZSCgdu0

 さらばセントルイス田吾作アレクサンドルよ。


 もう雪だるまの行方を考えたりはしない。
 消えゆく彼らのことを惜しいとも思わない。

 季節は巡るのだ。これから新しい季節が来る。

 暖かな風が吹いて、燃える命が隆盛をきわめ、やがてそれらは静かに眠りゆく。


 そうすれば、きっとまた逢えるから。
152 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:35:56.01 ID:Q/ZSCgdu0

   *


 東京のあるところに、女の子がいます。

 名前はアナスタシア。アイドルです。

 アナスタシアは時折、故郷の両親、ロシアのグランパやグランマに手紙を書くそうです。

 内容はアイドルの仕事のこと、東京での暮らしのこと。

 友達ができたこと。人間でも人間じゃなくても、色んな不思議な子達がいること。

 グランパと知り合いのサンタの女の子もいて、びっくりしたこと。

 自分は幸せだということ。


 歌を歌うようになったこと。

 自分だけの為の、友達の為の、声が届く全ての人々の為の。

 去りゆく冬に再会を誓う、あたたかな春の歌を。


 〜おしまい〜
153 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:36:39.34 ID:Q/ZSCgdu0
 https://www.youtube.com/watch?v=94uxNQqmknk
154 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:38:32.37 ID:Q/ZSCgdu0

〇オマケ


  ―― 都内 某公園


楓「お花見しよ〜よっ!」

茄子「はいっ♪」

楓「アーイドルだっていいじゃな〜い!」

茄子「ぱーりらっ♪ ぱりらはいっ♪」

P「もう出来上がってんのか成人組ィ!」


P(異常な寒気が過ぎ去った直後、嘘みたいな陽気が降り注いだ)

P(街中の桜が満開になった。まるで凍った蕾が一気に開いたように)

P(うちの部署は予定していた通り、フェスの打ち上げを兼ねてお花見会を開くことにした)
155 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:40:29.08 ID:Q/ZSCgdu0

P「でも限度ってものがあるぞ。ちひろさんも何か言って――」

ちひろ「わらひらってねぇいろいろくろうしへるんれふよぉ!!」ダンッ

P「ウワーッ完全に仕上がってる!!」

ちひろ「ゆきはふるわうさぎはわくわ、そのあいだずーっとじむしょりなんれふよわらひは!!」

ちひろ「…………ぷろりゅーさーさん、そこにすわってくらはい」

P「ち、ちひろさん落ち着いて。ほらお茶でも……」

ちひろ「せいざーっ!!!!」

P「はいいーッ!!」ピシー

ちひろ「あなたいっつもおかひなことにくびつっこんでばっかくどくどくどくどくどくどくどくどくど」クドクドクドクド

ちひろ「こっちらってしんぱいしてるのにそのきもしらないでうだうだうだうだうだうだうだうだうだ」ウダウダウダウダ

ちひろ「わらひのでばんがぜーんぜんないけんについてはぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐち」グチグチグチグチ

P「ふぇぇ……」
156 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:42:02.44 ID:Q/ZSCgdu0

P「あのぉ……あんまり騒ぐとですね……一般の方にバレてごにょごにょ……」

茄子「そういえば場所取りが良かったのかしら。運良く、どなたにも気付かれていませんねー」

P「運良く……はッ」

茄子「♪」ニコニコ

P「無敵だ……ここは無法地帯だ……!」ワナワナ

楓「まあまあPさんも一本」トクトクトクトクトクトクトクトクトクトク

P「多い多い多い! てかジョッキにウォッカはおかしいだろ!!」

茄子「ここは一つ、新ネタの裸踊りでもご披露しましょうか〜♪」

P「やめて! それはマジでヤバい!!」

ちひろ「ちょっと!! きいへるんれふか!! わらひのめをひゃんとみなさらりるれろ!!!!」グルグルグル
157 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:50:26.64 ID:Q/ZSCgdu0

周子「やー大人は大変だねぇ」

芳乃「無礼講なればー、時には羽目を外すも吉かとー」

紗枝「まあ、見なかったことにしといて差し上げまひょか〜」

美穂「わわわ、ウォッカ一気はまずいよぉ!」タッ

美嘉「あーもう何やってるんだか! プロデューサー!」タタッ


みく「そこで、こんな感じにネコミミをー……」スチャッ

アーニャ「……ミャウ、ミャウ……?」

響子「かわいい!」

茜「あぁ〜いいですねぇ〜!」

アーニャ「ミャーウ♪」

みく「やっぱりみくの見立て通りにゃ! アーにゃんはネコチャンのポテンシャルを秘めてる……!」

みく「みくの野望のネコチャンユニット、せめてあと一ピースがあれば完成するのに……!」

菜帆「志希ちゃんやフレデリカちゃんじゃいけないんですか〜?」

みく「あの二人はガチなので逆にアカンにゃ」
158 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 04:56:42.05 ID:Q/ZSCgdu0


イヴ「それにしても、ジェドおじさまのお孫さんにお会いできて光栄ですぅ。大きくなって〜♪」

アーニャ「ダー♪ グランパから、お話は聞いています」

桃華「それにしてもあのお二方、遅いですわね……もしや何かトラブルに巻き込まれたのでは……? あっ」


  ノソノソ


桃華「志希さん、フレデリカさん! もう少ししたら、こちらからお迎えに上がろうと思っていましたのよ!」

フレデリカ「や〜ゴメンね〜? 二人して三度寝くらいしちゃってさ〜」

志希「ねむねむ……」


アナスタシア「シキ! フレデリカ!」パァッ


志希「おうっっふ」ガバッ

フレデリカ「わおーう大胆ー♪」ダキッ

159 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 05:03:11.24 ID:Q/ZSCgdu0

桃華「ふふっ。お二人とも、すっかりアナスタシアさんのお姉さまですわね♪」

志希「おかしなことをゆーものだね桃華ちゃん。あたしはそんなキャラではー」

アーニャ「シキ! アーニャ、コーシュカ……ネコの耳を付けました。似合う、ですかっ?」ワクワクグリグリ

志希「ぬほーい」グリグリグリグリ

フレデリカ「いやーシキおねーちゃんも大変だねー」

周子「おっいいこと聞いた。ねーねーおねーちゃーんお腹すいたーんなんか奢ってー」

奏「そういえば私、年下だったのよね……。私もお姉ちゃんと呼んでも?」

志希「やめれー」グリグリモゾモゾ
160 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 05:03:42.90 ID:Q/ZSCgdu0

P(…………)

P(うん、良かったなぁ)

ちひろ「よそみをしてるんじゃあないれふよーっ!!!!」

P「はいいいーっっ!!!」ピシーーー

美嘉「ち、ちひろさん! その辺にしといてあげてよ!」

美穂「プロデューサーさんっ大丈夫ですかっ!? わ、私も一緒に正座しますからっ!」

ちひろ「そういうとこなんれふよー!!!!!!」

P「理不尽!!!!」



〜オワリ〜
161 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2018/04/01(日) 05:05:24.55 ID:Q/ZSCgdu0
 以上となります。長々とお付き合いありがとうございました。

 志希にゃんはもうちょっと闇属性寄りな気はしますが、たぬき事務所の一解釈ということで、ご容赦ください。

 依頼出しておきます。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/01(日) 09:09:43.47 ID:WwmFczx2o
乙乙良かった
いつもよりは非常識事態になってないような気がするのは
感覚が麻痺してきたんだろうか
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/01(日) 10:22:10.67 ID:NUPaDjEjo

狸合戦とかウサギパニックとかあったし雪女一人くらい誤差だよ誤差
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/01(日) 16:14:30.94 ID:Xisd71nDO
次は宇宙からのあさん来襲ですな
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