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アナスタシア&一ノ瀬志希「はるのうた」
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2 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 00:48:33.69 ID:afcOeBV+0
あるところに、女の子がいました。
女の子は、冬が嫌いでした。
冬は雪の季節です。雪を降らす雲は空を覆って、月も星もすっかり隠してしまいます。
満天に輝く無限の星々が、永遠のように遠くなってしまいそうで、切ないのです。
とりわけ、その雪を降らせるのは自分自身だということが、とてもとても悲しいのです。
女の子の名前は、アナスタシア・スネグーラチカ・マロースといいました。
3 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 00:49:43.52 ID:afcOeBV+0
【一ノ瀬志希かく語りき・そのいち】
冬が好きって言うと意外そうな顔をされる。
――え、シキちゃん匂いフェチなんでしょ? だったら花とかあった方が良くない? 冬ってそんなの何もないじゃん?
とゆー。
その解釈も間違いじゃない。
花の風が吹く春、雨が匂い立つ夏、草葉の枯れゆく秋にはそれぞれのニオイがあってそれなりにお気に入りだった。
けど逆に、冬にはそれが「無い」のがイイ。
冷えて澄んだ無臭の空気は、あたしのテンションをフラットにする。
特に雪が積もってたりするとよりベターかも。死んだ植物や眠るケモノを優しく覆って隠しているようで。
命が終わった後の世界を、一人てろてろ歩くのが好きだった。
4 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 00:50:39.91 ID:afcOeBV+0
それに、雪の色にはそれなりに親しみがある。
ちゃんと覚えてるんだ。
3歳と202日目の冬の日に、あたしは雪だるまを作ったことがある。
優しくて退屈な、なんもない故郷の冬。
白一色の世界には、あたし以外の色と匂いが二つあった。
げんこつサイズの小さな雪だるまは、そういえば、この手で作った最初のものだった気がする。
だけどもう、どこにも無い。
5 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 00:51:36.41 ID:afcOeBV+0
もちろん気温が上がれば雪は融ける。
わざわざ融点の計算式を引っ張り出すまでもない自明のこと。
春になって形を失い、水となって地面に飲まれ、そのカタチは跡形も残らない。
それが自然科学とゆーものなのです。
だけど……融けた雪だるまの行き先を、あたしは今でも時々考える。
6 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 00:53:10.71 ID:afcOeBV+0
―― 3月某日 事務所
一言で言えば異常気象だった。
窓の外でびょうびょうと吹き荒ぶ雪風を、俺は頬杖を突きながら眺めている。
「もう桜の季節だってのに……」
テレビではお天気お姉さんがテンパっており、都心を襲う季節外れの大雪に関して、
学者やらなんかの専門家やら役者や芸人が激論を戦わせている。
「ホントだね〜。これじゃお花見できなさげ?」
「花見を楽しむってキャラでもないだろ、お前は」
「にゃはは、そんなことないよぉ。花とかお料理とか、気化したアルコールとか吐瀉物とかいろんなニオイが楽しめるし?」
「ゲロの臭いをありがたがるんじゃないよ」
ていうか、そうじゃない。
このまま異常気象が続くと、事務所としては結構ガチで困る事態なのだ。
熱いコーヒーを一口すすり、俺は手元の資料に目を落とした。
『プロダクション合同 スプリングフェスティバル』
7 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 00:56:54.14 ID:afcOeBV+0
近日開催されるこのフェスは、かなりでかいハコを押さえたプロダクションの一大イベントだ。
もちろんうちの部署からも何組か出演する。
みんなこの日の為に仕上げてきており、そのクオリティに今さら疑問を差し挟む余地も無いものの……。
まずいことに、会場が野外なのである。
桜の咲き誇る季節に、広大な会場で……というコンセプトは良いものの、やはり天候の問題はあるもので。
ちょっとした雨天くらいならまだしも、異常気象そのものの寒気と大雪が続けばどうなるか。
一過性のものならいいのだが、そもそも到来が唐突なせいでいつ過ぎ去るかの見通しも全く立たない。
運営側としては「どうせそのうち治まるだろう」と楽観視するわけにもいかず、さりとて自然現象には太刀打ちしようもない……
とまあ、なかなか厄介な状況になっているのだった。
8 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 00:58:20.40 ID:afcOeBV+0
「さむいー」
「乗んな」
「くんかくんか」
「嗅ぐなっ」
志希はといえばいつも通りそのものだった。
こいつも出演するのになぁ。
まあ、有事に際していつも通りのノリなのはある意味頼もしくはある。
そもそも付き合いが長くなってくると一ノ瀬志希という少女がどういう時どんな態度を取るのか分析しようという気自体なくなる。
……のだが、それでも多少の指標というものはあり。
なにかしらエキセントリックなことが起こると、彼女は彼女なりに興奮する。
遊びたいのやら解決したいのやら、とにかく何かの形で嬉しそうに首を突っ込んでくるのだ。
少なくとも、俺が知る志希のパターンはそういう感じであって。
要は、この異常気象に際して「いつも通り」ということ自体がある意味おかしいとも言えるのだ。
9 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 00:59:08.80 ID:afcOeBV+0
「なあ志希」
なのでひとつカマをかけてみることにした。
「お前、何か隠してないか」
沈黙、五秒ほど。
べったりしなだれかかる志希は、そのまま耳元に唇を寄せ、ぽそりとこう囁いた。
「…………バレた?」
当たりか。
10 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:00:09.85 ID:afcOeBV+0
志希は一人暮らしをしている。
しかも一軒家である。
しかもしかも持ち家である。
18の少女が都内一等地に土地付き一戸建てをポンと買っている。
聞けば「昔取ったアレとかコレとかの特許料がなんか余ってるし」とのことで俺はそれ以上追及するのをやめた。
何度か行ったことがあるのだが、それはもう立派な門あり庭付きの新築デザイナーズハウス。
格差とは……大人とは……。
といったことを考えつつ、これほどの家にもたまに帰らない志希の奔放さに呆れるなり慄くなりした。
11 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:01:07.19 ID:afcOeBV+0
天気が天気だからここに来るまでにも一苦労だった。
寒さに身を縮めながら、一度は仕舞った筈の一番分厚いコートを動員してまでやっと辿り着く。
「そいえばキミんちってどんなだったっけ」
「普通に賃貸アパートだよ悪かったな」
「それならウチ来る〜? 部屋なら余ってるしー、キミだったら大歓迎だよー♡」
まさに悪魔の囁きだが、いくら快適だろうと一ノ瀬博士の巣で無防備に寝泊まりできるほどの胆力は無い。
……ということを伝えると、家主は「やだにゃ〜なんにもしないよ〜」と朗らかに笑った。明後日の方向を見ながら。
「……で、ここに秘密が?」
「うん」
観音開きの電動門扉をリモコンで開き、志希はいたずらっぽい笑みを見せた。
「びっくりしないでね。してもいいけど」
12 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:03:24.58 ID:afcOeBV+0
凍り付いたような石畳の道を行き、門と同じくリモコンキーの玄関扉を開けた時、奥から声がした。
「ふふふ……とうとうここまで辿り着いたようだね……」
「この声は……?」
ばっ、と物凄く見覚えのある奴が飛び出してきた。
「よくぞここまで来たものだ! アタシは秘密のアンドレ!!」
「フレデリカじゃねーか!」
「そ……そんな! フレちゃんがアンドレだったなんて!」
「お前も驚くのかよ!」
「まあそれはともかく、二人ともお帰り〜♪ あ、シキちゃんお邪魔してまーす」
「いえいえ大してお構いもできずー」
出迎えるフレデリカは何故かフリフリのエプロンを着ていた。料理でもしていたのだろうか?
志希の家には度々アイドル仲間が遊びに行ったりしているが、特にフレデリカはそれが頻繁で、
もはや勝手知ったる他人の家といった感じになっているらしい。
寝たまま起きてこない、または実験に没頭したまま出てこない家主を迎えに訪うようなことも一度や二度ではなく、
俺も何度かそうしてくれるよう頼んだことがある。
13 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:04:47.33 ID:afcOeBV+0
「今お台所に立ってたんだ〜。二人ともランチまだでしょ?」
「んー、そいえば昨日からなんにも食べてない気がする」
「それはもうちょっと気にしろよ。俺もまだだけど」
家の中は意外なほど整頓されているというか、物が極端に少なくて生活感に乏しい。
志希は普段半地下の研究室に引きこもりがちで、こういう生活スペースにいること自体が少ないのだ。
なので響子や美嘉、今いるフレデリカなどが定期的に掃除や食糧の補給などをしてくれており、
それだからキッチンには志希よりむしろ彼女達の気配が色濃く残っている。
「そう思って用意しといたよ。はいフレちゃん特製パスタ!」
「おう、これはありがた……ラーメンじゃねーか!!」
ネギにチャーシュー、メンマに味玉というスタンダードな醤油ラーメンが出てきた。
イチから手作りらしい。なんて器用なことを……。
「……あ、すげーうまい。これ何からダシ取ってんの?」
「猫」
「猫!?」
というのは冗談で、普通に鶏ガラをベースとして、輝子のトモダチから取ったダシをブレンドしたスープらしい。
珍しい味に感じたのはキノコのおかげか。本当に猫ラーメン食わされたのかと思った。焦ったものの、味は無類だ。
14 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:05:58.32 ID:afcOeBV+0
午前11時30分、外は暗い。分厚い雪雲が空を完全に覆い隠してしまっている。
冷えに冷えた体に、あつあつのラーメンは実際ありがたいものがあった。
スープまで一滴残らず飲み干したところで、話はいよいよ本題に移る。
「じゃ行こっか」
「行く? どこに?」
家の中だというのに何故か一層厚着をして、志希は飄々と舌を出す。
「今、日本でいっちばん寒い場所」
15 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:11:34.27 ID:afcOeBV+0
一ノ瀬邸には「開かずの部屋」がある。
寝室だ。
といっても大層なもんじゃなく、単に「全然使ってない」というだけの理由による。
志希の睡眠事情はといえば、
シュラフを持ち込んだ研究室で寝落ちするのが五割、
失踪先で適当にホテルを取るのが三割、
残り二割は事務所のどっかで丸くなっている、というのが大体のところだった。
なので立派な寝室は建築当時からほぼ使われず、クイーンサイズの立派なベッドは今日も今日とて持ち腐れの有様だ。
……その筈だった。
「開けるよ」
志希は耐低温のシリコン手袋を付けた手でドアノブを握った。
硬そうな手応え。ぱきんと音がして、ノブが回る。
16 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:12:47.40 ID:afcOeBV+0
開いた瞬間ものすごい冷気が廊下まで侵食した。
俺はその時、遊園地によくある「アイスワールド」だか「氷の世界」だかを思い出していた。
館内が極低温に保たれた、いわば極寒の体験型アトラクションで、よくミラーハウスとかと隣接していたりするアレ。
……もっとも、これはそんな生易しいものじゃない。
寝室は床から天井まで凍り付き、氷雪を孕んだ風は今まさにそこから生まれていた。
そして、その中心。
そこだけ霜一つも走っていないベッドの上に、白い少女が眠っている。
17 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:13:33.99 ID:afcOeBV+0
「たまに起きて話すんだよね」
吐く息は雲のように白かった。
睫毛にさえも氷柱が降りるような寒風を受け、志希は目を細める。
「名前はアナスタシア。アーニャちゃんっていうんだって」
18 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:19:53.39 ID:afcOeBV+0
【一ノ瀬志希かく語りき・そのに】
そこそこ前のことになるんだけど、あたし失踪しました。
ちょっとそこの北海道まで。
きっかけは何だったっけ? まあ何でもいっか。
その時はたまたまヒマだったフレちゃんもついてきて、二人してかるーい北海道旅行と洒落込んだのだった。
レンタルでカブちゃん借りて。なんかオマケについてきたダルマとお米も積んで。
それで、カラッと晴れた最終日。
信号のさっぱり無いロジスティック曲線みたいなカーブを曲がってる時、フレちゃんが声を上げた。
「だるま屋さーん」
「なにかな米屋さーん」
19 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:21:14.77 ID:afcOeBV+0
と、米屋さん(フレちゃん)が指し示す方の空は暗かった。
「向こうの方、雪降ってしるぶぷれー?」
ホントだった。
わお! って感じ。局地的豪雪?
行く先に雪雲が垂れこめていて、いきなり晴れ間と雪の境界に飛び込んだ感じ。
カブちゃんで分厚い雪のカーテンを抜けて、より激しく降る方へと進んだ。
引き返したって良かったのにね。どうしてそうしたのかって? どうしてかなー。わかんにゃい。
なんか面白いモノが見つかると思ったのかもね。
そして、実際にあたし達はそれを見つけた。
20 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:22:31.40 ID:afcOeBV+0
長い長い曲線道路の只中に、もう使われてなさげなボロっちいバス停があって。
白い女の子が、そこにぽつんと座っていた。
女の子は不可思議な大雪を当然のように受け容れながら、時刻表の剥がれた跡を見上げていた。
たった一人で、きっと永遠に来ないバスを待ちながら。
21 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:23:22.54 ID:afcOeBV+0
ぼへぼへぼへぼへぼへ、とカブちゃんのエンジン音が近付くと女の子はびっくりしてた。
「はろはろぼんじゅ〜」
「あたし達とイケてるお薬キメないかーい」
大きな瞳は、サファイアみたいな深い青色。
「……アー……その……?」
発音の仕方に外国の訛りがある。息遣いと発声の仕方から考えるに多分ロシア語。
一瞬、ほんの一瞬だけちかりと輝いた瞳は、だけどすぐに伏せられた。
「イズヴィニーチェ……アー……ごめんなさい」
「おや?」
なんか謝られた。
22 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:25:15.15 ID:afcOeBV+0
「ここは、とてもホーロドナ……寒い、ですね」
んん?
「わたしのせい、です。だから、ごめんなさい」
ほほー。
フレちゃんと目を見合わせる。
結構「そういうこと」はあると、近くにたぬきちゃんとかきつねちゃんとか悪魔ちゃんとかがいるとわかる。
具体的に何がどうなってるのかは、今の判断材料ではよくわかんないけど。
「このまま進めば、スニェーク……雪、止みますね。わたしから、遠くに行けば、です」
まるで道案内をするみたいに進行をうながして、彼女はにっこり微笑んだ。
その顔を見て、あたしは考える前にこう言った。
「うち来る?」
23 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:25:52.47 ID:afcOeBV+0
隣でフレちゃんが、ワオ! みたいな顔してた。
どうしてそんなこと言ったのかって?
どうしてかな。
それも、よくわかんにゃいんだな。
ただ一つ言えることは、その子からはニオイがしなかった。
まるで雪だるまみたいに。
24 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 01:29:00.88 ID:afcOeBV+0
一旦切ります。
以降の更新は随時ゆっくりめになると思います。すみません。
のんびりお待ち頂けますと幸いです。
25 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/23(金) 03:12:44.55 ID:6Kp04QiEo
好きなシリーズの好きなアイドル登場は嬉しい
26 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/23(金) 06:41:38.17 ID:9ts0KyvDO
わーい、新鮮な肥後たぬきだー
そっかー、雪女さん(?)来ちゃったかー、そりゃ春分だろうと雪も積もるわー(武蔵国秩父郡)
って言うかロシアでも雪女って言うのかしら?教えてエロい人
>レンタルでカブちゃん借りて。なんかオマケについてきたダルマとお米も積んで。
おいそのレンタル屋絶対藩士だろ
27 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/23(金) 15:33:57.81 ID:mqqn6N3Vo
>>2
でアナスタシアの後についてるスネグーラチカってのが雪女、というか雪娘
ジェド・マロース(ロシア版サンタクロース)の孫娘ってことになってる
28 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 17:40:14.85 ID:afcOeBV+0
―― 後日 事務所
今日も豪雪。記録的異常気象の原因は何か、爆弾低気圧がどうこう、政府の秘密の気象兵器が云々、
某元プロテニスプレーヤーの国外遠征などあーだこーだ言ってるテレビは何の役にも立たない。
「今日も寒いなぁ」
「ほんとですね〜」
「ブモッ」
「ぽこぽん……」
一旦は片付けたコタツを引っ張り出し、ちょうどヒマしているイヴとブリッツェンと鍋をつつく。
ちひろさんにバレたら殺されるかもしれんが、寒いものは寒いのである。
ちなみに中では狸モードの美穂が丸くなっている。
……寒さの原因を俺はもう知っている。
昨日、この目で見たのだから。
29 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 17:41:10.20 ID:afcOeBV+0
――しばらくうちで居候してるんだ、この子。
――まああたしもこういう子の生態に興味あったし、ちょうどよかったみたいな?
事の経緯は聞かされたものの、そうなると気になるのは彼女を連れ込んで何をしているのかだ。
聞いてみると志希はこともなげに答えた。投薬とか、採血とか………………
投薬とか採血とか!!?
お前それ人体実験じゃないのか!?
まあ似たようなものかもねーと本人は笑う。
流石に許容できなかった。プロデューサーとして担当アイドルの凶行はなんとしてでも止めねばならず、
彼女を解放して北海道に帰すべく説得を試みたが、そこで状況に変化があった。
アナスタシアが目覚めたのだ。
30 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 17:42:13.32 ID:afcOeBV+0
――シキは、わたしのことを治そうとしてくれています、ね?
治す……とは、何をだろうか。
原理はさっぱりわからないが、「雪を降らせる」という体質そのものだろうか?
アナスタシアは穏やかに微笑するばかりだった。
だけどその笑みは、どこかひどく悲しそうに見えて。
雪は、止む気配がなかった。
白く暗い窓の外を一瞥し、志希は平気そうな顔で「にゃはは」と笑った。
31 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 17:43:20.80 ID:afcOeBV+0
俺はその後、彼女をどうするかの判断をしきれないでいた。
志希の狙いもわかる。二人の間にわだかまりはなく、両方納得ずくでああしているようだ
飽きっぽいと見られがちな志希だが、ある事柄においてはその限りではない。
異常気象の件、フェスの件、彼女達の件……と、不透明なことばかりだった。
「……アナスタシア・スネグーラチカ・マロース……だったっけか」
「まろーす?」
ただの独り言だったのだが、ブリッツェンをもふもふしていたイヴが反応した。
32 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 17:43:52.26 ID:afcOeBV+0
「? どうしたイヴ?」
「いえ〜。まろーす……マロース……」
あ!
と、目を丸くして、
「ひょっとして、ジェドおじさまのご親族ですか〜!?」
「知ってるのか!?」
「知ってるもなにも、ロシア担当のベテランサンタさんですよぅ! ジェド・マロースおじさま!
懐かしいなぁ、小さい頃によくお世話になってたんですよ〜っ」
覚えがあるのか、ブリッツェンも嬉しそうにブモッブモッと鳴いた。
33 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 17:44:49.60 ID:afcOeBV+0
何があったのかを説明してみせると、イヴは頬に指を当ててうーんと考え込んだ。
「そうだったんですか〜……。そういえば、日本に小さいお孫さんがいるって聞いたことがありますねぇ」
「そっかサンタ繋がりか。なあイヴ、そのマロースさんと連絡が取れるか? お孫さんについて話を聞けるかもしれない」
「古風な人ですから、お電話やSNS(サンタネットワーキングサービス)も使ってないんですよぅ。
やるとしたらお手紙のやり取りになると思いますけど〜……」
いつものハの字眉にちょっと皺を寄せて思案するイヴ。
ややあって、そうだ、と手を叩いた。
「私、ちょっと今から会いに行ってきます〜!」
「会いに? 今から!? ロシアに!?」
「ブモッブモモッ! ブモモォーッ!」
テンションたけーなブリッツェン!
34 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 17:53:00.45 ID:afcOeBV+0
「大丈夫ですぅ! すっかりご無沙汰でしたし、ブリッツェンも会いたいって!」
「って言うけどお前ロシアまで、しかもこっちはこんな天気だし……!」
えへんっ、とイヴは胸を張った。ブリッツェンも張った。
「私達、寒さには強いですから〜!」
……そういえば初対面が全裸だったなこの子。
寒いもんは寒いのだろうが、大丈夫なのかほんとに。
「国境越え用の高速巡行モードもありますっ! ブリッツェン、いくよ〜っ!」
「ブモオッ!」
取り出したるは、透明な液体の詰まった瓶。
……って、ウォッカって書いてますけど。
35 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 17:53:42.56 ID:afcOeBV+0
かきゅっ(瓶の蓋を開ける)。
がぽっ(ブリッツェンの口に突っ込む)。
ごくっ、ごくっ、ごくっ、ごくっ………………ぷはっ。
「ブ」
「おお……」
「ブ!」
「おお!?」
「モ!!」
ブリッツェンの全身に力が漲っていく……!!
36 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 17:54:21.29 ID:afcOeBV+0
イヴは隅っこからソリを取り出してブリッツェンにくくりつけた。
「何かわかったら、すぐお知らせしますね。お孫さんはプロデューサーさんと志希ちゃんにお任せします〜!」
「あ、ああ! とにかく気を付けて! お祖父さんにもよろしくな!」
ということくらいしかもはや言えなかった。
イヴはサンタ色のコートを羽織り、鍋の後にとっておいたミカンを一つ手に取る。
「それじゃ、いってきます〜っ!」
「ブモモモモモモモモモモモーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
ブモォォーーーーーーーーーーーーーーォォゥゥゥゥゥ……(ドップラー効果)
…………行ってしまった。
「こ、行動力の化身……」
37 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 18:04:26.47 ID:afcOeBV+0
「ぽこっ」
にゅっと美穂がコタツから顔を出し、人間に戻った。
「アナスタシアちゃんっていうんですね、その子」
「……ああ。まあ、うちから見たらそういうこともあるのかなーって感じではあるけど」
十分あったまった美穂はアホ毛の先までほかほかしている。
もう小さな点となってしまったイヴ達を見送り、窓を閉めてまたコタツに戻った。
「フェスの件もある。なんとかしたいもんだけどなぁ」
「もうすぐですもんね……」
「ああ。……でも」
まだ残った鍋の中身をよそう。
残り汁で雑炊でも作ろうかな。
38 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 18:05:16.17 ID:afcOeBV+0
「どんな形で解決するにしても、あの子に何か苦痛を伴うような形にはしたくないし」
「……」
「北海道からここまで来たってことは、そうしたい何かがあったんだと思う。
志希やフレデリカとの関係もまずくはないみたいだし、引き剥がして送り返すってのもなんだかな……。
志希も志希で、何か考えがあるみたいだし」
となると、担当プロデューサーとしては最大限その意思を尊重したく。
とはいえ、フェスの運営側としては何かすぐにでも打つ手を見つけなければならず。
その打つ手が現状さっぱりわからないから困るわけで…………。
「プロデューサーさんは、優しいですよね」
「日和見主義なだけだよ」
何がおかしいのやら、差し向かいに座る美穂はにこにこうれしそうに笑っている。
こいつも出演するんだけどなぁ。
「……みかん剥くけど食う?」
「食べますっ」
待つか、動くか。
どうするにせよ、当事者達を信じなくてはならない。
39 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/23(金) 18:06:17.74 ID:afcOeBV+0
一旦切ります。
スネグーラチカは、杏仁豆腐先生のアクリルキーホルダーのイラストから拝借した設定です。
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/25(日) 11:51:28.05 ID:3if//ARwo
スピッツ期待
41 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2018/03/26(月) 01:14:49.98 ID:riLQnhfG0
このシリーズ好き
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/27(火) 11:22:47.89 ID:h8FSP9hgO
カブ、ダルマ、お米…以前の周子と同じウィリー事件ネタか
43 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:05:58.54 ID:uTMWIPZd0
【一ノ瀬志希かく語りき・そのさん】
なんでもアーニャちゃんは、雪の精霊と人間との――ロシアのソレと日本人とのハーフなんだという。
ハーフ&ハーフ的な? うーんピザみたい。彼女タバスコは苦手みたいだけど。
寝て起きて、時間が止まったような静かな生活を続けるアーニャちゃんは、だいたいいつも笑顔だった。
目を覚ましている間は、概してとても素直で明るい女の子だった。
その不思議な体質のナゾを解明せんとするあたしに、イヤな顔ひとつせず付き合った。
それにとにかく好奇心旺盛。
ホントに雪から生まれたんじゃないの? ってくらい色んなものを知らなくて、
その分色んなものを知りたがって、あたしは何かと質問攻めに遭ったものだ。
44 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:13:42.06 ID:uTMWIPZd0
「シキ、これは何ですか?」
「台本ー。お芝居する時に読むやつ。ちなみにあたしは悪の天才科学者セクシーマッドネス役」
連続テレビドラマ版『モーレツ☆世直しギルティ!』のシーズン4だってさ。
結構ぶっ飛んだ内容で個人的にもなかなか気に入ってたり。
「これは何ですか?」
「エッセンシャルオイル。植物の成分が凝縮されてる油で、そこから香りを留出するの」
「それは何ですか?」
「獣脂の瓶だよー。蝋燭とか石鹸にもなるよね」
「あれは何ですか?」
「志希ちゃんのふぇいばりっと・ふれぐらんす、濃縮プロデューサースメル」
「プロデューサーとは、誰ですか?」
「いろんなのの飼い主のおにーさん。ヘンなヤツ」
「何を飲んでいますか?」
「カフェインとポリフェノールによって脳細胞を覚醒させる秘密のクスリ。飲む?」
無糖のブラックコーヒーを一口啜り、アーニャちゃんは「うぇ」みたいな顔をした。にゃはは。
……なんてやり取りを繰り返したりもして。
45 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:15:42.08 ID:uTMWIPZd0
「物知り、ですね。シキは、何でも知っています。凄いです」
「スゴくはないかにゃ。知識は詰め込むだけで済むから楽ちんだよ」
知識は無色透明だ。
あればあるだけ腐らないけど、それだけでは意味を持たない。
つまりは単なる触媒なのであって、器にたっぷり知識だけを満たしていても凄いことは何も無い。
もちろん、あたしの知識のプールに無いものもある。
たとえば雪の精霊の生態とか、その思考パターンとかね。たとえばこんなことがあった。
そんなに色々気になるならお外に出てみる?
楽しいヘンテコがたくさんだよー。うちの事務所とか。
アーニャちゃんは、その提案を拒絶した。
46 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:18:37.24 ID:uTMWIPZd0
「どして?」
「アー……」
彼女は小さく首を傾げ、一生懸命言葉を探した。
「わたしは、普通の子ではない、です」
東京では冬から春にかけて「特別寒い日」が幾つかあって、そのほとんどにこの子が関わっていた。
そんな時、彼女は声もなく涙を流したり、ひどく寂しそうな顔をしていた。
「シキのプリヤーチェリ……友達、きっとみんな優しくて、素敵です。フレデリカを見れば、わかりますね」
――ああ、ほら。その顔。
「けど、迷惑かけてしまいます。だからアーニャは、ここにいるのが一番、です」
言いながら、また微笑むんだ。
47 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:19:31.58 ID:uTMWIPZd0
そんじゃメーワクじゃなくなればいいのかな?
と思うようになるのは自然のことだけど、あたしだって間抜けじゃない。
とっくのとうに結論は出ているのだ。
アーニャちゃんの体はほぼほぼ普通の人間。薬の効き目も個人差に収まる程度。
その全てが、彼女の引き起こす現象を決定的たらしめているものではない。
つまり、科学的、薬学的、身体的に手を入れて解決できるものでは、最初からない。
48 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:25:04.67 ID:uTMWIPZd0
―― 数日後
イヴから連絡が来た。
彼女は無事ロシアに渡り、噂のジェドおじさまと十数年ぶりに再会を果たしたらしい。
ジェド氏は北海道で暮らすアナスタシアをいつも気にかけていた。
なので、彼女が今東京にいることももちろん承知していたようだ。
本人としては心配で夜も眠れぬ有様だそうなのだが、反対はしなかったらしい。
ただ、息子(つまりアナスタシアの父親)は最後まで乗り気ではなかったようだが……。
上京はアナスタシア自身の強い希望だという。
その理由についてジェド氏はなんとなく察していたようだが、敢えて言うことはなかった。
何よりも彼女の体質と、それに伴う心の問題を懸念していた。
アナスタシアは、体はほぼ人間なのだが、サンタ……というか雪の精霊としての力が特別強いらしい。
いわゆる隔世遺伝だろう。
吹雪や寒波を司るジェド氏の血が、アナスタシアにも色濃く現れたのだ。
49 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:26:03.27 ID:uTMWIPZd0
そして彼女は幼く、心優しく、なおかつ繊細な少女だ。
感情が大きく揺れ動く時、寒波は押し寄せるという。
アナスタシアは自分の力をまだうまくコントロールできていないのだ。
なんとなれば、彼女はまだ15歳の女の子。
ただでさえ多感な時期。自分の感情を制御しきるなど常人だって大人だって難しい。
更に特異な体質をも抑えつけろなどというのは、いくらなんでも酷というものだ。
身も蓋もない言い方かもしれないが――
心の問題だと、ジェド氏は語った。
50 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:29:33.64 ID:uTMWIPZd0
『そっか』
「ああ。どうしてもアナスタシアさん自身の問題になってくるそうだ」
『流石にそっちは専門外だにゃ〜。あたし人の気持ちわかんないかんね』
電話口の向こうで志希はあっけらかんと笑った。
いつもの軽い口調の中に諦念の色がある。
口惜しいとか残念とか、そんな気配はおくびにも出さない。
『それじゃあとは任せよっかな。プロデューサーそういうの得意でしょ? あたしは――』
だが。
「いや」
『んにゃ?』
「引き続き彼女を任せたい。多分お前にしかできないと思うんだ」
『おやおや、キミ話聞いてた? あたしの専門はケミカルで心理学(サイコロジー)じゃないよー?』
「心理学者じゃないけど、アイドルだ」
束の間、志希が沈黙した。
51 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:32:54.39 ID:uTMWIPZd0
「あのさ。感情って何だと思う?」
『……?』
「なにも心がどうたら〜みたいなクサい芝居がしたいんじゃない。一般的な解釈でいいから」
『……脳の電気信号と特定の分泌物によって発生する化学反応』
「そう。ちゃんと説明のつく現象で、言ってみりゃ物質だな」
志希はじっと次の言葉を待っている。
その気配に、伏せて獲物を見つめる猫の姿を想起した。
「物質は変化する。特定の作用にそれぞれの反応を見せていくらでも色を変える。
確かに曖昧だが、感情も手の届かないフワフワした概念じゃないし、そう考えたら得意分野だろ?」
『キミってたまによくわかんないこと言うよね』
「うっせお互い様だ」
つーかわかるだろ理屈としては一応。
ここまで来ると志希は俺が何を言いたいのかくらい察していて、だからこそ皮肉げに笑った。
『……あたしが、望ましい反応を引き起こせる溶媒だって?』
「その可能性が一番高いと俺は思ってるよ」
52 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:33:59.79 ID:uTMWIPZd0
「誰かの感情に作用して、反応させて、変化させる。それをするのがアイドルだ。科学者でも心理学者でもない」
『じゃあせんせー、必要な工程と材料の提示をおねがいしまーす』
「この先はキミ自身の目で確かめてくれ!」
『おにあくま』
通話を切って一息つく。
「フーレちゃーんだ!」
いきなり後ろから目隠しされた。
「……普通こういう時は『だーれだ』じゃね?」
「そこはアタシも悩んだよね」
「悩んだのか」
「プロデューサーはきっとアタシをわかってくれる……そう信じてるから、じゃあ最初からネタバレでいっかーってなった!」
「へへっよせやい、信頼がこそばゆいぜ。そしてその理屈はおかしい」
53 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:38:00.77 ID:uTMWIPZd0
こっちはブラック、フレデリカは角砂糖を四つも入れた。
「レッスンどうだった?」
「順調順調〜。もうアタシに掬われないドジョウはいないよ!」
「誰が安来節やれっつったよ」
今回、フェスの舞台には志希とフレデリカの二人で立つ。
周子は新規ユニット「ケセラセラ」として、美嘉と奏はソロだ。
アナスタシアのこともあり、今日の志希はレッスンスケジュールをずらして休ませている。
本人のパフォーマンスには問題ないため、二人きっちり合わせる機会を作れば憂いはない。
フレデリカはいつもの調子で冗談を言っていたが、コーヒーカップで手を温めながらふと、
「シキちゃん、なんて?」
54 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:40:32.66 ID:uTMWIPZd0
「鬼とか悪魔とか言われた」
「ワオ! プロデューサー鬼だったのー? それならそうと早く言ってよね!」
「そこだけ真に受けんなっつの。……まあ、とにかくあれだ」
電話での会話を、要点だけ掻い摘んで説明した。
フレデリカはエメラルドグリーンの眼を細めて、じっと聞き入っていた。
「そっかそっか、なーるなるなる」
「とにかく、俺の見立てではそんな感じ」
「二人ともよく似てるもんねー」
ああ、やっぱりわかってたのか。
「俺はとにかくフェスの運営とみんなのバックアップに専念する。だから――」
「ういむっしゅ。お任せデリカ!」
元気よく答えて、フレデリカは意気揚々と事務所を出ていった。
……さて、仕事の続きといくか。
「あ、そうそうプロデューサー。鼻メガネと馬の被り物どっち好き?」
「何の話!?」
55 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/27(火) 14:43:09.67 ID:uTMWIPZd0
一旦切ります。ペース遅めですみません。
ここまでで大体半分くらいです。
56 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/28(水) 23:52:42.87 ID:6pVTYQkg0
【一ノ瀬志希かく語りき・そのよん】
視点を変える必要がある。
現状から変化が起こらないということは、そもそもの前提条件が間違っていたということだ。
だけど、どうアプローチをかければいい? どこから切り込めば?
プロデューサーは、どうしてあたしに丸投げしたんだろう。
どうして……「どうして」、か。
何のためにとか、どうしてとか、そういう理由で何かを始めたことがない。
強いて言うなら、全て自分のためだった。
57 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/28(水) 23:56:37.53 ID:6pVTYQkg0
「どうしてあたしについて来てくれたの?」
初めてそんなことを聞いた。
アーニャちゃんは目を丸くして、だけどあまり迷うこともなく答えた。
「眩しかったから」
「……何が?」
「二人が、です」
言って、彼女は綺麗な目を線みたいにして笑う。
「シキも、フレデリカも、とてもスヴァボーダ……自由に見えました。
アーニャは、違いますね。今まで守られて、静かに暮らしていました」
58 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/28(水) 23:57:08.59 ID:6pVTYQkg0
アプローチの仕方を変えれば、反応もおのずと変わってくる。
体質や健康状態とは違う質問を投げれば、当然回答も違ってくる。
「二人の眼は、きれいでした。わたしの好きな星(ズヴェスダ)みたいに、きらきらしていました。
だから二人と一緒にいれば、アーニャもそうなれる……かもしれない、と」
そこまで語って、彼女は小さくかぶりを振った。
「――今でも、楽しいです。シキはなんでも知っていて、フレデリカもとてもユニーク、です。
呼んでくれて……連れてきてくれて、スパシーバ……感謝、していますね」
そして相手が答えたら、手番はこっちに回ってくる。
「シキはどうして、わたしを呼んでくれましたか?」
先読みはできていたのに、驚いたことに答えに詰まった。
59 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:03:13.80 ID:UdBPP3xP0
なんかおもしろそーだったから。
いつもなら間違いなくそう答えたと思う。
思い付きの行動に理由を求めたことはこれまで無い。失踪も同じ。
ほとんど反射のようにこう答える。
「――キミ、自分のこと嫌いみたいだったから」
感情は現象で、思考は物質で、サンタの孫もヒトも同じ。
反応はもう始まっている。
60 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:05:31.16 ID:UdBPP3xP0
フツウの子供は何かと「どうして」を問いたがるもの、らしい。
どうして空気はあるの?
どうして夜は暗いの?
どうして海があるの?
どうして雪だるまは融けちゃうの?
過程と結果と構造がすぐにわかるあたしには、誰かにそう問う必要がなかった。
アーニャちゃんはあたしの言うことを否定しなかった。
ならば、改めて問う段階にある。
「ねえ、どうして自分が嫌いなの?」
61 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:12:57.49 ID:UdBPP3xP0
「わたしは……星が好き、です」
ぽつぽつと語り出す彼女から、微笑みは失せていた。
「月や、太陽や……草原や街や、人も動物も、好きです。好きなもの、たくさんあります。
だけど、星も太陽もみんな、アーニャのことを好きではない、ですね」
「それは、どうして?」
「わたしは、吹雪を呼びます。凍った雲、とても冷たくて……みんな、寒い思いをします。
空には蓋がされて、何も見えないです。アーニャがいたら、好きなものが曇ってしまいます」
「…………」
「それに、アーニャはポロヴィナ――半分、ハーフ、です。
ロシアのものでも、日本のものでも……人でも、グランパのような精霊でもない、ですね」
外の雪がまた深くなったように思う。
あたしは窓の外には一瞥もくれず、彼女の蒼い目を見ている。
「時々、どこに居ればいいか、わからなくなります。だから……悲しいです、少しだけ」
――あるいは、その虹彩に映る自分を見ている。
62 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:16:28.98 ID:UdBPP3xP0
【一ノ瀬志希かく語りき・むかしばなし】
あなたは志希。あなた自身が、希望なのよ。
小さなあたしを抱いて、ママはそう言った。
その意味は今でもよくわからないけど、ともかく言われた通り望み続けた。
知識を、知恵を。この目に映るあらゆる構造体の仕組みと実態を。
そこに深い意味は無くて、単純に「できる」から「やった」。
多分ママはそうしろって言ったんだと思うから。
脳細胞の求めるままに、食べられそうな全てを食べた。
63 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:18:29.30 ID:UdBPP3xP0
最初、周りは驚いていた。
続いて諸手を挙げて喜び始めた。
そのうち「天才」や「ギフテッド」と呼ばれ出した。
いつの間にか、幾つもの目があたしに向けられていた。
あたしは望むものを片っ端から解きほぐし、理解することしか頭になかった。
やがて喜びの声は困惑と不審のそれに変わっていく。
ちっぽけな子供がみんなの理解を越えていく。
その度合いがある閾値を過ぎた時、子供は子供ではなく「手に負えないもの」になっていく。
パパは自身も研究者だったから、あたしの理解力を「好都合」くらいに考えて、あえて放任した。
ママは、あたしの眼を恐れ始めた。
64 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:28:31.85 ID:UdBPP3xP0
あたしの眼は全部をバラバラにしてしまうと。
優しさや思いやりをも理屈で解体し、損得の筋が通る身も蓋もない骨組みに帰してしまうと。
理解と解体はやがて、この世の全てから色を取り払ってしまうと。
その時期に夫婦の間で交わされた会話をあたしは知らない。
何らかの取引がなされて、どこかに妥協点を見出したのかもしれない。
もしくは妥協点が見つからなかったから、計算式そのものを放棄するしかなかったのかもしれない。
――あなた、何者なの?
いなくなる直前、ママはそう言い残した。
どうして、と口にすることはその時も無かった。
あたしはどうやらあのひとの希望ではなかったらしいと納得するのみだった。
65 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:29:27.83 ID:UdBPP3xP0
フツウの女の子になるには所定の手続きが必要だ。
1.正常に運営されるカゾクの中で健全な幼少期を過ごす。
2.キンダーガーテンからハイスクールまでの階段を順序正しく昇る。
3.トモダチとセイシュンして、正しい人間の正しい情緒と社交性を身に着ける。
役所に転居手続きを出すみたいに、混合液を濾紙に付けて溶媒に浸すように、当然かつ必要な手順。
自分から「フツウになりたい」と思った時点でそうなる資格を失う。
手順を全部すっ飛ばしちゃった人間には、もちろん、更生の機会は永久に来ない。
だけどそれがあたしには当たり前で、いたって平気なことで。
周りの食べられそうなモノを吸収しちゃったから、パパが行った海の向こうでも見てみようかと思った。
66 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:30:33.29 ID:UdBPP3xP0
行った先でもやることは変わらなかった。
昔作った雪だるまと同じ。興味のあるものを掘り返して、丸めて固めて形作り、論理の筋道を立てる。
方法論がわかってしまえばもうおしまい。
雪みたくまっしろな紙とボードに数式を書き連ねていって、いっぱいになれば次に行く。
周りにある野心とか妬心とか畏怖とか阿りとかは全部ただの言葉だし、彼らの行動原理は全部簡単に理解できた。
それもまた、わかってしまえばもうおしまいだった。
何かを発表する度に貼り付けられる名声は重ったるいだけ。
あたしは、あたしが望むべきものを望む。
他のことはみんなどうでも良かった。
67 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:31:15.38 ID:UdBPP3xP0
――あれ? と、ある時ふと思う。
あたし今、どこにいるんだっけ。
周りは渺茫たる広ーいどこかで、自分自身がほぐしてばらした真っ白い論文だけがあり、
あたしが見るのはそれらでまるっと説明できる無機質な数学と物理の世界だった。
ああ、つまんないや。
自分でも呆気ないほど急に結論が出て。
かちこちに凍てついたまま、科学の道からころんと転げ出た。
パパと再会することは、結局なかった。
【むかしばなしおしまい】
68 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:31:53.80 ID:UdBPP3xP0
生まれ持つモノを生まれる者が選ぶことはできない。
それら使いこなすか持て余すか、肯定するか否定するかは誰にもわからないのだ。
今ようやくわかった。
あたしがどうしてあの時、この子を引き寄せたのかも。
あたしとアーニャちゃんは似ている。
69 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:33:39.13 ID:UdBPP3xP0
「……シキ?」
ならば、あたしという存在がこの子にどう作用するのか。
「いっこだけ聞かせて」
まだ論理の筋道が立たない。
今の自分はホワイトボードいっぱいの膨大な計算式を俯瞰する時の眼をしている。
状況を解決し、彼女にかかる靄を払う為の閃きを細胞が求めている。
「キミは、自分のことも好きになりたいと思う?」
アーニャちゃんはしばらく、大きな目であたしのことを凝視していた。
それから、ゆっくり頷いた。
頷いたまま、弱々しく肩を震わせた。
70 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:34:40.75 ID:UdBPP3xP0
あと一歩何か足りない。
科学は自然現象を観測して噛み砕き、法則の系統樹を打ち立てる為のものだ。
だけどこの場合、雪を呼ぶ少女の心を晴らすには、もう一つの飛躍が必要になりそうだった。
銀色の綺麗な髪に指先で触れ、ものも言わず思考の雪原に埋没する――
その時、玄関のチャイムが鳴った。
71 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:35:23.70 ID:UdBPP3xP0
来訪者はフレちゃんでもプロデューサーでも、他のみんなでもなかった。
その大柄なおじさんは、とても複雑なカオをしていた。
最初の一声は謝罪だった。あたしへの、そして娘への。
最大限の謝意を示す、重々しいロシア語で。
アーニャちゃんはおじさんを見上げて、呆然と呟いた。
「パパ……」
72 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:36:27.75 ID:UdBPP3xP0
お前の望みを尊重したい気持ちは変わらない。
東京のニュースは逐一チェックしていた。
けれど、もう限界だ。
春はもう来る。
アーニャ。これ以上、お前に悲しい思いをさせるわけにはいかない。
パパさんは、そういう意味のことを言った。
きっと「親」として一から十まで正しい意見に違いなかった。
73 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:36:57.76 ID:UdBPP3xP0
――――ああ、そっかぁ。
74 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:37:56.85 ID:UdBPP3xP0
「パパ! でも、アーニャは……!」
「そのひとの言う通りだよ」
アーニャちゃんが愕然とした顔で振り返る。
彼女はきっともう少しの時間を願おうとしたのだろう。
だけど、とっくに時間切れだったのだ。
「キミには帰る場所があるんだよ。それはキミだけの、特別なもの」
広がりかけた思考の海が消えていく。
インスピレーションが光を放つことは、もうなかった。
「家族が待ってるなら、そこには帰らなくっちゃだめだよ」
75 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:38:44.27 ID:UdBPP3xP0
アーニャちゃんは何か言いかけて、でも口をつぐむしかなかった。
彼女の手を優しく、だけど力強く引く大人の手。
きっと温かいのだろうなと思う。
「だいじょぶだよ。たとえ他の全てがキミを拒絶したって、キミはいつでも帰れる。
それは才能や能力なんて及びもつかない、代替不可能な場所だから」
衷心からそう言って、あたしはにゃははと笑う。
だってそれ以上に望ましいことがこの世にあるだろうか?
扉が閉まる。
風の吹く音と、誰かの声がする。
玄関に立ち尽くしたまま、薄暗い天井を見上げた。
76 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:39:55.85 ID:UdBPP3xP0
似ていると思った相手は、深いところで決定的に違った。
残されたのは、帰る場所のない雪だるまだけだった。
そんなものだ。
いつものことだ。
悲しいとも喜ばしいとも、腹立たしいとも楽しいとも思わなかった。
「へぷちっ」
だけど何故か、季節外れの寒さがやけに堪える。
「……寒いや」
77 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:40:56.40 ID:UdBPP3xP0
またお腹の底で悪い虫がぐるりと蠢動する。
大した理由もなく、どこかへ行きたいなぁと悪魔が誘惑する。
うん。
そんなわけで、あたしは失踪しました。
78 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 00:44:02.06 ID:UdBPP3xP0
一旦切ります。
79 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/29(木) 19:27:56.09 ID:oFHREiDao
乙
80 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 23:23:35.10 ID:UdBPP3xP0
―― 事務所
志希がいなくなった。
「そうか」
「そうか、って……」
事務所に飛び込んできた美嘉は既に汗だくだった。
レッスンが終わったその足で辺りを探し回って、あえなくスカに終わったらしい。
「大丈夫、帰ってくるから。なんだかんだでこれまで帰らなかったことがあるか?」
「けど今回は様子が違うっぽいよ? 最後に志希を見た子も、なんかいつも通りじゃなかったって……」
「そういう日もあるさ。志希だって人間だ」
「でも……!」
着々と近付くフェスに向けて、うちのアイドルの出演スケジュールとタイムラインを確かめる。
各ユニットのセトリとかステージ演出とかカメラの位置とか、考えることは山積みだ。
「っ……もう一回探してくる」
「やめとけ」
「なんで!」
「お前はお前のステージに専念するんだ。それが志希の為にもなる」
81 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 23:24:53.41 ID:UdBPP3xP0
連日の雪は弱まりつつあるようだった。
このまま順調にいけば、予定日には問題なくフェスを開けそうだ。
「なんか……平気そうじゃん。意外なんだけど」
「まあ一度や二度じゃないからなぁ」
「慣れたから気にしないって言いたいの? だったらアタシ……!」
焦るな焦るな、とスマホの通話履歴を表示して見せる。
つい数分前まで通話していた相手の名前を見て、美嘉はいくらか安心したようだった。
「今回の件がちょっと違うってことはわかってる。だからこそ、本人が何か掴まないとダメだ」
「…………」
美嘉は難しい顔で押し黙り、踵を返して事務所を出て行く。
二分くらいして、そこの廊下の自販機で買ってきたらしい飲み物と共に戻ってきた。
「じゃあ、アタシもここで待つ」
82 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 23:28:01.75 ID:UdBPP3xP0
自分用のスポーツドリンクと、俺がいつも愛飲している缶コーヒーも持ってきてくれた。
手隙の時はちゃんと淹れたりするのだが、手っ取り早く済ませたい時はいつもこの銘柄だ。
「好きなんでしょ? ソレ」
「おう。覚えててくれたのか」
「そりゃ、いつも見てたら嫌でも覚えるし」
……………………。
「…………へ、変な意味じゃないからね!?」
「アッハイ」
なに今の間。
83 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 23:29:21.04 ID:UdBPP3xP0
「アタシもだいたいの話は聞いてるんだ。この雪のことも」
ドリンクで喉を潤して、美嘉はぽつりとこぼす。
「多分……今がそっちを解決できるかできないかの瀬戸際だってことも。
天気のことだけじゃなくて、そのアナスタシアちゃんって子も気になるしさ」
「なんとかなるさ。志希を信頼してやれ」
「してるよ。でも心配しないってのとは話が別でしょ」
美嘉は、志希がこの部署に来た当初から何かと彼女をサポートしていた。
俺がそうしてくれるよう頼んだのだ。
美嘉には妹さんがいて元々面倒見も良く、教えるのも上手く、その姿勢から新人に示す規範として申し分ない。
でまあ当の志希がアレなので、だいぶ苦労させてしまったりもした。
84 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 23:34:01.59 ID:UdBPP3xP0
「最初はこっちもびっくりしてさ」
当時のことを思い出したか、美嘉はくすりと笑う。
「あの通りのビジュアルだし、ダンスも一発で覚えちゃうし、歌声だって綺麗。天才っているんだなーって」
こっちも覚えてる。美嘉も無意識に張り合っていたのか何か、いつも以上のハードなレッスンを入れたりもして、
あんなにテンション高い青木トレーナーはそうそう見られるもんじゃないと思ったものだ。
呑み込みの早い志希は美嘉と並び、砂が水を吸うように色々なものを吸収していった。
しかし持ち前の失踪癖やら実験観察好き、先読みできない飽きっぽさで何かと手を焼かせることもあった。
それに関しては、美嘉だけでなく俺も(色んな意味で)被害をこうむったものだが……。
85 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 23:38:00.69 ID:UdBPP3xP0
「いやぁ、よく面倒見てくれたよ。美嘉に頼んだのは大正解だった」
「恨んでるからねー? さんざ振り回されたんだよアタシ」
「よく言うよ。あいつがただのちゃらんぽらんだったら俺より先にお前が黙ってないだろ」
「ま、ね」
窓の外を一瞥する美嘉。
その眼はやはり、今も雪降る街のどこかにいるであろう少女を案じていた。
「いつもはああだけど、『やりたい』ってロックオンしたことには、本気だったから」
今もそうだ。間違いなく。
どこかで足踏みをしているのだろう。なにしろまだ18歳の女の子だから。
けれど、必ず何かを見つけ出すだろう。なんといっても一ノ瀬志希だから。
86 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 23:38:41.69 ID:UdBPP3xP0
【一ノ瀬志希かく語りき・そのご】
失踪先に小さな公園があって、そこも白一色だった。
素手でさくさく雪を集めて、丸めてみる。子供の時みたいにうまくいかない。
「キミも、融けたらどこに行くんだろーね」
中途半端に丸めたそれをほっぽり出して、ベンチで一息つく。
とりとめもないことを考えていると、向こうの物陰から何かがひょっこり顔を出した。
お散歩する黒猫が描かれた傘の下、白い景色に映える金髪が揺れた。
傘の主は鼻メガネを着けていた。
87 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 23:41:32.73 ID:UdBPP3xP0
「アタシは通りすがりの鼻メガネ紳士」
なにっ、キミがかの有名な。
「あんまり寒いから、この鼻息で雪を融かしに回っているのダ」
そうなんだすごい。
「そこなマドモアゼルや、アタシの仕事ぶりに惚れてはいけないよ」
気を付けます。
「せーの、セボーン、セボーン……モンサンミッシェルッ!?」
あ、こけた。
88 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/29(木) 23:42:34.22 ID:UdBPP3xP0
雪で滑った拍子に立派な鼻メガネもずれて、鼻メガネ紳士の素顔が露わになった。
こうなるとさしものジェントルも形無しだ。弱りきった様子で四つん這いになる。
「ふぇ〜ん……メガネと鼻がどっかいっちゃったよう〜……」
「……」
「メガネメガネ〜……あと鼻〜……鼻*鼻〜……」
「…………」
寒さに麻痺していた頭が、だんだんと日常の感覚を取り戻していく感じがした。
ベンチに座ったまま、あたしはアドバイスを投げた。
「あたま、あたまー」
「頭? ……ワオ! ほんとだ! 鼻メガネ紳士復活っ!」
再び元気よく立ち上がって、紳士はあたしの隣に座る。
そうして改めて鼻メガネを外し、傘をこっちに傾けた。
「探したよー」
フレちゃんはいつも、いつも通りに笑う。
89 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 00:20:41.82 ID:uXClwahM0
あたしのテンションはフラットだった。
そのはずだった。
こんなとこいたらカゼ引いちゃうよー、と肩の雪を払うフレちゃんに、また反応が起こった。
「アーニャちゃんさ、パパと一緒に行っちゃった」
「そっかぁ」
「必然の帰結とゆーことだね。子供は親のところに帰るものだ」
「うん、かもね」
「去る者は追わなーい、だから去っても追われたくなーい。これがシキちゃん流なのだ」
「それはなかなかトレビアンだねぇ」
「だからね」
「うん」
「だから……だからさ」
やっぱり寒くて、ベンチの上で膝を抱え、おにぎりみたいに丸くなった。
「あたしは、どこ行ったらいいかわかんなくなった」
90 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 00:21:50.29 ID:uXClwahM0
あたしはどこへ行きたかったんだろう。
あの子はどこに居たかったんだろう。
どちらも何も失ってなどいない。全ては冬が来る前の日常に戻るだけだ。
だけど、求めていた解は空欄のままだった。
答えのない状況というものに慣れない。
「どっか行きたいの?」
「そうかも。そうでもないかも」
「アーニャちゃんとこ行ってみる?」
「それはだめ」
「なぜにー?」
「あのコは違う。あたしとは違う」
彼女のいるべき場所に、あたしは介入してはならない。
「違うの?」
「違うよ」
「シキちゃん鯛焼き好き?」
?
91 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 01:07:20.80 ID:uXClwahM0
「あ、いきなりゴメンねびっくりした? じゃ質問変えるねー、鯛焼きの中身ってなに好き?」
変わってないねぇ。
「ジャーマンポテト。タバスコがあるとなおよし」
「おっ、変化球来たね〜。フレちゃんはねー、ホワイトソースがお気に入りかな!」
それもなかなかグッドかも。
「じゃあじゃあ、自転車好き?」
「シキちゃん自転車乗れないからにゃー」
「アタシも五回に一回はひっくり返るよね。でも見るのは好き! 趣味は自転車ウォッチング!」
92 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 01:49:51.29 ID:uXClwahM0
「次はえっとね、うえきちゃん好き?」
「相当興味深い題材だよねー」
「サメ好き?」
「潮臭いのはけっこー好き」
「ネコ好き?」
「わりと親近感があるとゆー」
「レッスン好き?」
「あのさ」
「踊るのとか好き?」
「フレちゃん」
「アーニャちゃんは好き?」
「ねえ」
「みんなのことは好き?」
「ねえ、ってば」
「シキちゃんは、好き?」
「何を――」
「アタシは、ぜーんぶ大好き!」
93 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 02:42:11.39 ID:uXClwahM0
「フレちゃん……?」
「だけどね。アタシの大好きな子は、どこかでブレーキかけちゃってるんだー。
ぐいーんって走ってていきなりブレーキしたら絶対こけちゃうのにね、自転車と同じで」
フレちゃんがあたしとの間に何かを置いた。
さっき作ってほっぽり出した、小さくていびつな雪だるまだった。
「シキちゃんの『好き』は、まだ途中なんじゃないかなぁ」
――ああ。
「ダメだよ。そういうわけにはいかないよ」
「どうして?」
人間が幼少期から抱く原初の質問があたしを打つ。
「居る場所が違う。あたしはそういうんじゃない」
「多分ね、アーニャちゃんもおんなじ気持ちだと思う」
94 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 02:48:34.57 ID:uXClwahM0
雪の降るバス停に彼女はいた。
永遠に来ないバスを待っていた。
もしかしたら、自分が乗ってもいいバスが来るかもしれないと思っていたのだろうか。
そこにやって来たのが、ダルマのカブとお米のカブだったのだろう。
「アーニャちゃんは多分きっと、色んなものをもっと好きになれるし、なりたいんだと思うな。
それを探しに来たんだよ。だって楽しいことたくさんあるんだもん」
「なのに色々タイヘンで、遠慮しちゃってるんだよ。優しい子だもんねー。
あと一歩っていうところで、みんなのこと考えちゃう」
でも、と前置きして、フレちゃんは顔いっぱいで笑う。
「もっと知りたくなっていいんだよ。もっともっと、好きになっていいんだよ」
95 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 02:49:19.92 ID:uXClwahM0
……ダメだよ。
それには、障害があるんだよ。
だって、家族がいるんだ。
あのコはそれを愛してるんだ。
フツウじゃない人間とは決定的に違う前提条件があるんだ。
あたしが触れれば、それは何らかの不可逆な変容を来すかもしれないんだ。
要素が足りないんだ。あたしでは――――
「アタシ達じゃダメかなぁ」
96 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 03:11:50.53 ID:uXClwahM0
「覚えてる? うえきちゃんに変なタイミングでお水あげちゃって、すっごい増えたの」
最近のことだね。会社ごと焼いちゃうとこだった。
「プロデューサーを元気にしたげようって思ったらやりすぎちゃったりもして」
覚えてる。スタドリの成分百倍濃縮のやつ作ったらブ〇リーみたいになった後一週間筋肉痛で寝込んだ奴ね。
「シューコちゃんちの生八つ橋をもっとおいしくしようとしたら生命を持ち始めたり」
すごかったねアレ。物体Xみたいになって。
「こずえちゃんが風邪引いちゃって、治す為にヘンテコな実験したりとか♪」
青ざめた血ってなんなんだろーね。
「色んなことがあってさ。でも全部、楽しかったよ。シキちゃんがいたからだよ」
97 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 03:26:50.61 ID:uXClwahM0
「シキちゃんとアーニャちゃんは似てるよ。似てないけど、似てるんだと思うな」
「そう、かな」
「ウイ♪ あとは、もひとつグイッていけるかな、的な?」
あたしに無い要素が、アーニャちゃんにはあって。
アーニャちゃんに無い要素が、あたしにはあって。
心の奥底で、同じ足踏みをしていて。
似ていながら深い部分で違って、だけど更に奥の部分で類似しているのだとしたら。
その上で導き出される、決定的な一手とは何か。
「どんなことが起こっても楽しいの。アタシ達が大好きな日常なんだ」
「だから、何したっていいんだよ。好きなことやっちゃおーよ。アタシ達なら、ぜーんぶ楽しいからさ♪」
求めて、究めて、突き詰めて、解して、暴いて、認めて。
そうして、最後の解を出すのは誰だ。
それを受け止めるのは、誰だ。
98 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 03:30:00.97 ID:uXClwahM0
「……にゃはは。矛盾だね、色々と」
「矛盾もたまにはよくない?」
「フツーはよくない。でも特定の状況では、意外とよくなくない」
「そうなの? でもそれってよくなくなくない? たまにはよくなくなくなくなくなくなくない?」
あれ? どっちだっけ。とフレちゃんは笑う。
矛盾。
矛盾か。
似てるけど似てない。無いのにある。あるのに無い。
見えるのに見えない。見えないのに見える。
無限に遠いのに、すぐそこにある。嫌いなのに、好きなもの。
「――――――ぴっこーん」
99 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 03:32:27.00 ID:uXClwahM0
「おおお? なになにシキちゃんなんか閃いた?」
「キた。なんかキた! びびびーってなった!」
「トレビアーン! じゃ行こっか! ハンカチとティッシュ持った!? たてぶえは!?」
「ノープロブレム!! あれっ事務所どっちだっけ!? ていうかここどこ!?」
「あったよ! 事務所の住所入りスマホ!」
「でかした!」
振り向いたらフレちゃんは馬の被り物を装着していた。
「アタシはウマ魔人!」
なにっ、キミがあの噂の!
「ウマ魔人は足が超速い魔人。本気を出せば事務所まで一秒なのダ」
こいつは面白いことになってきたぜ。
「ついて来られるかなマドモアゼル! ウマダーッシュ!!」
なんの見ろこの天才ダッシュ!!
100 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 03:33:16.75 ID:uXClwahM0
「ポンデュガールッ!?」
「に゙ゃーっ!?」
こけた。あたしもこけた。
並んで雪にまみれて、大声で笑った。
雪は柔らかくて、優しかった。
101 :
◆DAC.3Z2hLk
[saga]:2018/03/30(金) 03:37:24.78 ID:uXClwahM0
事務所に帰り着く頃には、上から下まで真っ白けだった。
「あっ、おか――何してたの!?」
「いや〜馬の力には勝てなかったよ」
「鼻メガネも形無しだよねー」
美嘉ちゃんが慌てて拭いてくれる。こんなこともあろーかとバスタオル用意してくれてたそうな。
その後、あつあつのお茶とか飴ちゃんとかで一息ついて、なんかほっとして眠くなってきたりした辺りで。
「で?」
プロデューサーが切り出す。
「どんな大仕掛けを考案したんだ、天才?」
「なんのことはない、ごくごくシンプルなトリックだよ、助手くん」
あたしはにまっと笑う。
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