追われてます!'

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102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:43:02.59 ID:fFo8HSJq0

「まて。どうしてそうなる」

「それな。俺もめっちゃ驚いたわ」

 彼の声音がいつもの調子に戻る。

「でも正直おまえがシスコンなのは間違ってないから弁解する必要はなかっただろ?」

「いやあるだろ」

「なら俺が『好きな人はいないと思うよ』ってそれだけを言ってたとしたら面倒そうじゃん」

「……」

 悔しいけど一切否定できない。

「それとなく訊いてみようかなとも思ったけど、おまえそういうの妖怪並に察しがいいし、
 本気で好かれでもしたらめちゃくちゃ気にしそうだなって、いろいろとそれどころじゃなさそうだったから」

「そうか」

「おう。……まあ、勝手なこと言ったのはごめん」

「ああ。……うん、べつにいいよ」

 ありえないだろうけど、好きでもない相手に好かれたら困るというのは事実だった。

103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:43:39.21 ID:fFo8HSJq0

「あとはなんつーか、おまえはまず恋愛に興味ないんじゃないかと俺と善くんは考えてだな……」

「……」

「でもまあ、結果的には違ったわけだ」

 そうか。今までの話は前置きか。

 ……いや、気になるのは分かる。
 俺が同じ立場だったらかなり気になる。

「奈雨のこと?」

 先手を打って言うと、彼はうんうんと小刻みに頷いた。

「まさか俺たちが知らないところに好きな子がいたなんて……しかもめっちゃかわいい子ときた」

「訊かれてないのに自分から言う必要はないだろ」

「興味ないですーって顔をしてるおまえが悪い」

「いやそれは知らねえよ」

104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:44:44.41 ID:fFo8HSJq0

 ただ軽口に軽口を返したつもりだったのだが、
 ソラは笑みを浮かべるでも頷くでもなくじっとこちらを見て、

「そうか。つまりあの子以外に興味がないってことだな」

 と大真面目な顔で言った。

「あれ? 違う?」

 おそらく俺がものすごく呆気にとられたよ顔をしたからだろう、彼は戸惑ったように目をぱちくりさせる。
 自信がないなら(それに適当なことなら)言わない方がいいのに、と思ったが、その推測は違うことなく的を射ていた。

 俺は、少し迷って、

「うん。まあ、そうかな」

 と答えた。否定するのは彼女に対して嘘をついているようで嫌に感じてしまった。

「好きで好きでたまらないわけか」

「好きで好きでたまらないわけではないけど好きだよ」

 なんだこの会話。

105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:45:52.15 ID:fFo8HSJq0

 てっきりしてやったりとでも言いたげな表情をされるだろうと踏んでいたのだが、彼は柔和に笑うだけだった。
 そんな顔をされては何も言い返せず、僅かながら気恥ずかしくなるような沈黙が落ちる。

「……で、話は戻るけど、最近楽しいのか?」

「今の話と関係ある?」

「あることはある。じゃなきゃこんなこと訊かない」

 最近、という言葉がどの範囲を指しているのかは分からないが、
 今年──高校入学以降、もっと狭めれば夏休みが終わってからだろうか。

「ソラから見てそんなにつまんなさそうに見える?」

「まあ、部分的にはそう」

 ランプの魔神かよ。まあいい。

「でもあの子はおまえが最近楽しそうにしてるって言ってたわけよ」

「あの子って、奈雨が?」

「うん。詳しくは言ってなかったけど、それが嬉しいんだって」

 俺はあんまり変わってないと思ってたんだけどな、と続けた彼の表情は心なしか固かった。

106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:46:43.78 ID:fFo8HSJq0

 昨夜部室を空けた際に奈雨と三人が話をしたというのは知っている。
 共通の話題といえば俺のことくらいなもので、東雲さんも言っていたが結構ノリノリで話していたらしい。

「変わってないと思うよ、俺も」

 当初の答えをそのまま変えることなく言う。
 変わっていない。人間そうそう変わらない。変わるとしたら表層的なところだ。

「奈雨とは今年になって会う機会が増えて……だからじゃないかな」

 ここ数年はつまらなさそうにしている姿を見られていたと思う。
 お互い避けていた、というか、俺の場合楽しさよりも自己嫌悪が勝ってしまっていた。

 今だって二人でいても彼女が何を考えているかは分からない。
 考えようとしていないのもあるが、会うたびころころ変わる態度に混乱している。お互い様だけど。

 ふと昨日と部室に寝泊まりしていた間は求められなかったな、とそんなことが頭に浮かぶ。
 欲求不満なのか、俺。というか会うたび毎回のようにキスしていた状況がまずおかしかったわけで……。

 条件反射、パブロフの犬状態……なぜかものすごく悲しい。
 同時に、彼女の身体に触れる際に感じていた罪悪感がいつのまにか小さくなっていることにも気付く。

107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:47:25.97 ID:fFo8HSJq0

 ちゃんとわたしを見てくれるなら──、奈雨はそう言っていた。

 買い出しの帰り道で、話の流れに従ったとはいえ奈雨への好意が恋愛的なものであると告げた。
 それが答えになったのかもしれない。だから、と考えるのはさすがに短絡的だし自惚れすぎか。

 でもこんなことばかり考えていたら、次会ったときに絶対唇を見てしまうと思う。
 そういうふうには──いまさらどうこう言えないとは再三思っているけど──思われたくない。

 これ以上は危険だ、と左右に頭を振ると、

「おい色惚け。妄想してんじゃねえよ」

 と目の前からため息が飛んでくる。

「妄想はしてねえよ」

 回想はした。
 ソラはもう一度、今度は俺に見せつけるようにため息をつく。

「……まあ、その様子だと楽しんでるっぽいな」

「そう?」

「おう。一緒にいて楽しい相手がいるのはいいことだ」

108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:48:26.42 ID:fFo8HSJq0

「当たり前だけど、ソラといるときだって楽しいよ」

 何気なくそう口にすると、彼は「うーん」と首を捻りながら呟いて、それからおかしそうに笑った。

「そういうのさ、もっと言ってくれよ」

「楽しいって?」

「ああ」

「そりゃ楽しいよ。言わなくても伝わってるかと思ってた」

 つまらなかったらこんな長い期間付き合いが続くわけないだろうし。

「でもおまえ……そういうときあるだろ。親しき仲にも礼儀ありみたいな」

 言って、彼は気恥ずかしそうに目を逸らす。

 え……、と一瞬考えて、
 なるほど、とすぐに思い至る。

109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:49:05.03 ID:fFo8HSJq0

「ごめん」

「いいってことよ。まあ、それさえ心に留めててくれればな」

「……楽しいよ、ふつうに」

「あんま言い過ぎると価値が半減するぞ」

 おまえが言えっていったんだろ、と思ったが、要は使い方か。
 浅く吐息をついてから「そっか」と呟いた俺に、彼は鼻で笑うことで返事をしてくる。

 それから、彼は部室の扉の取っ手に指を掛けて、

「いちゃつくのはいいけどできればほどほどにしてくれ。親友二人が彼女持ちとかメンタルズタボロだから」

 と言いつつ、反対の手の人差し指をこちらに向けて突き出した。
 恨み言のような言葉とは対照的なやさしげな声音に呆気にとられて、俺は軽口のひとつも返すことができなかった。

110 : ◆9Vso2A/y6Q [saga]:2018/04/20(金) 01:52:16.54 ID:fFo8HSJq0
今回の投下は以上です。

>>86 ブログの使い勝手が悪かったので移転しました。
リンク http://blog.livedoor.jp/vso2a/
ブログには主に短編を載せようと思います。前に書いたものはこれが書き終えてからまとめ直そうと思います。ごめんなさい。
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/20(金) 12:04:00.22 ID:6ETYSRZ9O
おつ
ブログ知らんかったから過去作も楽しみ
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/04/26(木) 21:46:46.07 ID:d0sW8bwj0
続きはよ
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:26:48.63 ID:MVi1fTqy0

【女心】

 夕食の買い出しは私と部長さんで向かっていた。
 というのも、未来くんもソラくんも急にやる気が入ったみたいで、なら私たちが、となったわけだ。

 日中はさすがの部長さんもちょっかいをかけてこようとはせずに(おおかた私に気を遣ってくれたのだろう)、お互い集中して作業を進めた。
 明日の夕方までに間に合うかは正直微妙なところだ。絵の方は目処が付いているのだが、如何せん文の方に手が付けられていない。
 あともう少しだけど……、と歯がゆい気持ちになるものの、終わりをどうするかは決まっているのだから、あとは細部を詰めるだけだ。あんまり追い詰めすぎてもよくない。

 買い物の途中で、少し──よく考えれば当たり前のことなのだろうか──驚いたことがあった。

 それは、部長さんが一切料理をしないということ。

114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:27:24.17 ID:MVi1fTqy0

「私まったく分からないから。シノちゃんが選んでね」

 そう野菜コーナーで言われたときは、この人もしかして人任せにしようとしてるんじゃないかと疑ったけど、どうやら本当のことらしい。
 昔はしてたんだけど下手すぎてやになったの、と言ってはいたが、きっとそれが全てではないだろう。

「料理、たまにはした方がいいですよ」

 レジの順番を待ちながらそう言うと、

「シノちゃんが作りに来てくれるとか一緒に料理してくれるならしてもいいけど?」

 と返されたものだから、私はとりあえず「ならいいです」と首を横に振る。
 それから二、三同じような会話をして、離れ際に、

「だって一人で作って一人で食べるなんて、そんなの寂しいじゃない」

 か細い声でぽつり呟かれた言葉は、きっと聞き間違いではない。
 ちょっと前までの自分を思い出して、少しだけ胸がチクリと痛んだ。

115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:28:59.14 ID:MVi1fTqy0

 スーパーを出て、学校への帰り道を歩く。買ったものはレジ袋一つに収まりきる量で部長さんが持ってくれている。
 ふと空を見上げると、厚く覆われた雲で星や月は何一つとして見えない。

 また雨が降りそうだな、と思う。
 今にも降り出しそうでもあるから、僅かにだが歩調を早める。

「ね、シノちゃん」

 と部長さんは私を呼んで、それまで前へ向けていた目をこちらに移す。

「おててつなぎましょう」

「はい?」

「これ結構重いから分けあおーよー」

「じゃあ持ちますよ」

 どうぞ、と手を差し出すと、
 彼女はあからさまにむっとした顔をして、大きなため息をつく。

「なんですか?」

「んー、シノちゃんは女心がわかんない子なのね」

「いや……私も女ですし、まず繋いだところで重さは変わらないですよね」

「そういうところだよ……攻略したかと思ったら意外と進んでない系のやつだよ……」

 またこういう意味のわからないことを言い始める。
 私もさっきの彼女のようにため息をついた。

116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:29:47.08 ID:MVi1fTqy0

「……わっかんないかなあ。この荷物は見るからに重そうじゃないでしょ? てかシノちゃんも詰めるときに持ってたよね?
 だから口実だよ口実。手を繋ぎたいんだけどちょっと恥ずかしいからオブラートに包んで遠回しに婉曲してるわけなんですよ」

「はあ」

 早口でまくし立てられても……。
 恥ずかしいようなことは二人きりだといつも言ってる気がするし、

「それならそうと言ってください」

 袋とは反対の、空いている方の手を取る。
 これまでだって何かの拍子に手くらいは握られていたし、べつに拒否することでもない。

 と思っていたのだが、彼女は本当に恥ずかしそうに俯く。
 同時にじんわりとした感覚が手のひらに広がる。

「やっぱりシノちゃんってたまに覚醒するよね……」

「どういうことですか?」

「それはほら。自分の胸に聞いてみて」

 埒があかないので一瞬だけ強く手を引いて歩き出すことにした。やっぱり疲れやらが溜まっているのだろうか。

117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:31:03.44 ID:MVi1fTqy0

 数分間会話もなく歩いていると、彼女の手のひらから伝わる熱も小さなものにまで変わっていた。
 以前も思ったことだけど、身長とは似つかない小さな手だ。私と同じか、ちょっと大きいくらいだと思う。

 ぎゅっと力をこめてみる。──すごくやわらかい。
 ぶんぶん振ってみる。──なんだか子供みたい。主に私が。
 少し力を抜いてみる。──そのまま離れてしまいそうで、握り直す。

 ちらっと部長さんを見ると、なぜか複雑そうな表情をしている。

「ごめんなさい。……嫌だったですか?」

「ううん。べつに嫌じゃないよ」

「そうですか」

「そうよ。こうだったのかなーとか、そんなこと考えてただけ」

「……」

「……あ、ごめん。こっちの話」

 取り繕うように笑って、今度は彼女の方から手のひらに力をこめてきた。

118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:33:22.38 ID:MVi1fTqy0

「今日のみんな。なんとなく吹っ切れたみたいでよかったじゃない。特に白石くんとシノちゃんは」

「……そうですかね?」

「うん。うわの空って感じじゃない白石くんは初めて見たかも」

 そうだろうか。
 私の認識だと、うわの空の未来くんの方が見たことない気がする。

 昨晩だってちょっと取り乱している節はあったが、それも少しの間だけで(なうちゃんのことはイレギュラーだったのだろう)、あとはいつも通りだったし。

「そんな姿を見せられたら部長冥利に尽きるなーって、私も頑張らんとなーって」

「あとどれくらいでしたっけ?」

「時間的には大丈夫だからここからはまったり明日の昼までに終わらせて、期限までに修正箇所を確認できるかなって感じ」

「けっこうやばめですね」

 うん。知ってたけど。

119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:34:29.55 ID:MVi1fTqy0

「スイッチが入るまでに時間が掛かるタイプなの」

「それも知ってます」

「ん?」

「……いえ」

 心の声が漏れた。

「あ、そいえば白石くんとそらそらくんは、しゅかちゃんが『大丈夫任せて』って言ってたから大丈夫だと思うよ」

 たしかに、今日も(主にソラくんが)描くのを手伝ってもらっていた。
 たまに罵声のような声が聞こえた。未来くんとは談笑してたけど、内容までは聞いてない。

「あの人ちょっとだけ怖いです」

「しゅかちゃんは真面目な良い子なんだから、そういうこと言っちゃ駄目だよ」

「……なんていうか、睨まれてる気がするんですよね」

「え? んー……気のせいじゃない?」

「……ですかね?」

「そうだよ。だってシノちゃんを睨む必要ないし」

「で、ですよね……」

120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:35:44.21 ID:MVi1fTqy0

 手を止めて顔を上げるとことごとく目が合って、数秒後にふいっと逸らされる。というのが今日だけで十回以上はあった。
 こっちを見ていたのは部長さんを見ていたからだとも取れるけど、……やっぱり私が睨んでるように思われてるのかな。 

「シノちゃんはどう?」

 そんなことを考えて勝手に落ち込んでいると、話題が一つ前のものに戻った。
 どう? と訊かれると、やばいです……と反射的に答えたくなるがぐっと我慢する。

「私は……まず絵を先に描き終えようって思ってて、それは多分今のままいけば朝までに終わります」

 予定を大幅に上回るペースで描けているから、細部に目を瞑れば十分終わるだろうと思う。
 部長さんと同じく、終わらせてから残った時間で修正ということになっていくだろう。

121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:36:16.43 ID:MVi1fTqy0

 今じゃないと描けないかもしれない、という気持ちがなくはない。
 私の中では、まだ描けていることが信じ切れていない。いつ元に戻ってもおかしくはない。

 なら、と思う。今を大事にしなければ、と月並みなことを。

「そっか。じゃあお互い夜通しがんばろーね」

 言って、一歩近付いてきた彼女の表情は晴れやかだった。
 この人だって、たまにこういう顔をしてくるからずるいと思う。

 凜としていながらもどこか無邪気さを感じられるような、そんな笑顔を向けられたら誰だってどきっとしてしまう。

「はやいとこ終わらせてシノちゃんとゲームするために!」

 でも、そう思った途端こういうことを言い出すから、絶対に本人に言ったりはしないようにしないと。
 笑顔が素敵だと思います、と彼女に正面きって言うのは、やっぱり私の方が恥ずかしくなってしまうと思うし。

122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:37:12.47 ID:MVi1fTqy0

【終わりと始まり】

 集中して物事を進めているとこんなにも時間が経つのが早いのか、と改めて考えるくらいには余裕を持ちながら、締め切り当日を迎えた。

 この分だとみんなギリギリになるのでは、と考えていたら、
 夜明け前あたりにソラがひとこと「終わった」とだけ言って荷物をまとめて部室から出て行った。
 萩花先輩と俺はあっけにとられながらも、ほぼ同じタイミングで「おつかれさま」と閉じた扉に向けて呟いた。

 東雲さんと胡依先輩は一度も寝ずに作業を進めて、今はソファでぐっすり寝ている。
 ちょっとだけ睡眠を取ってから、残っているものを終わらせて、それから手直しをしていくらしい。

 俺も、萩花先輩の助けもあり(というかほぼ萩花先輩のおかげで)もうすぐ終わりというところまで進めた。
 描いているのを見てくれながら、トーン張りや背景、台詞の打ち込みまで手伝ってくれたのだから、本当に頭が上がらない。

 これを終えて一枚絵の塗りを済ませれば、もう本当の本当に終わりだ。
 そう考えてしまうと、不思議と「ああやっと終わった」という徒労感よりも「そうか終わったんだ」というある種名残惜しさのようなものを感じた。

 それは夏休みの終わるまでは終わらない課題とは大違いだった。当たり前のことだけど。

 描ききってしまうと不思議とまた描きたくなるものなんだよ、とちょっと嬉しそうな顔で萩花先輩が言っていた。
 そうかもしれない。何か一つでも大きな目標を達成できれば、見える景色がいろいろと変わってくるのかもしれない。

123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:39:55.80 ID:MVi1fTqy0

 こういう気持ちを感じるのは限りなく初めてに近いことだった。
 できることが"当たり前"で、充足感や達成感を得られずにいたのだから仕方のないことといえばそうかもしれないけれど。

 正直なことを言うと、これで満足しているかどうか訊かれたら、
「満足していない」とはっきり言えるだろう。
 時間が足りなかったし、先輩の助けも多く借りてしまった。そして何より自分の技術がまだまだだった。

 でも、それも今の時点での自分の実力だ。『これから』を決めるのは俺自身だ。

 そう思ってしまうと、俺が今まで忌避してきた様々な事象について考えることが少し楽になった。
 勝手に誰かに何かを決められたとしても、俺は俺の理由で行動すればいい。そこに疚しさを感じる必要はない。

 頭ではずっと考えていたことが、事実を持ってやっと真実味を帯びてくる。
 俺に必要だったのは、自分を信じられるだけの"経験"だった。そういう意味での"継続的な努力"だった。

 他人に誇れるものがないと思うのなら、せめて自分で自分を誇れるように。
 ちょっとやそっとじゃ揺れ動かない信念を持って、決して裏切らないように努めること。

 向かい風が吹いてきても後ろを向けば追い風だ、という生き方は生産的ではない。
 行き先は常に定まっている。そういう生き方ができるのは何の目標もなく日々を無為に過ごしている人だけだ。

 自分はそれでもいいといつまで経っても思いきれなかったのは、心のどこかで変わりたいと思っていたからだ。

 向かい風に対してどう立ち向かっていくか。あるいはどう行動すれば風向きが好転するのか。

 肝心なのは"今"どうするかだ。過ぎたことや起きてしまったことばかり考えていたって仕方がない。
 俺はそれを軽視しすぎていた。

124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:40:43.54 ID:MVi1fTqy0

【四つ目】

「プレゼント」

 と、目の前に差し出されたものを受け取ってから、声の方向に目を向ける。

「私にですか?」

「そう。白石くんがそういう話をしたって言ってたから私も好きなものをアピールしなきゃなって」

「あ、えっと……そうなんですね。でももらっちゃっていいんですか?」

「ぜひにぜひに。同じものもうひとつ持ってるし、まずあんまり本は読まないからずっと鞄に入れたままにしてたの」

 裏返してみて、と言われ手をひねってみると、
 日付とともに出かけていた答えがそこにあった。

「これは幸せのお裾分け」

125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:41:58.53 ID:MVi1fTqy0

【結び】

 最後の文を結び終えると同時に、得も言われぬ脱力感が私の身体を襲ってきた。

 結局描いたものを提出したのは私が一番最後だった。
 部長さんは私に言っていたよりも早くに完成させて、私の分の修正作業までしてくれた。

 夕暮れ時の部室に残っているのは彼女と私だけだった。

 あの、と彼女を呼ぶと、ちょっと気だるげで間延びした声が返ってくる。

「最後まで書き終えました」

「ん、そっか。おつかれさまでした」

 嬉しげに笑いかけられて、はっきりと頷く。

「読んでいい?」

「どうぞ」

 こういうものが書きたかったから、というより、これ以外には書けなかったから。
 踏み出せずにいた一歩目。踏み出そうとした一歩目。踏み出してしまった一歩目。

 私は──彼女たちは"それ"を選んだ。
 これからの未来に、どんなことが待ち構えていたとしても。

126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:42:46.00 ID:MVi1fTqy0

【SS-]/Four-Leaf Clover】

 犬の鳴き声がして、後ろを振り返りました。
 白いコートに紫色のマフラー。手には少し大きめの袋を握っていました。

 そんなことはありえないと、思わず目を疑いました。でも、近付いてくる人は紛れもなく彼女でした。

 どうして泣いてるの、と彼女は言いました。

 答えたくなくて、涙をごまかしたくて、私は彼女に背を向けました。

 来てくれると思った、と彼女は言いました。

 すぐ隣に何のためらいもなく腰掛けて手を握る彼女を、私は拒むことができませんでした。

 わたしは毎日待ってた、と彼女は続けます。

 毎日待ってて、ちゃんと気持ちを伝えようと思ってた。
 わたしにはあなたが必要なんだって、どんなことがあっても側にいてほしいって言おうと思ってた。
 初めて会ったときからあなたはわたしの特別な人で、会うたびにどんどん気持ちが大きくなって、でも、変えてしまうのが怖くて。

 いつかのように抱き寄せられます。けれど、そのときとは違って彼女の身体は温もりで満たされていました。

 "弱さ"は"強さ"になるんだよ。
 私の"弱さ"は、ただの"弱さ"だから。あなたを見て、そう思ったから。
 だから、わたしはあなたから離れられない、と彼女は言います。

127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:43:22.67 ID:MVi1fTqy0

 数分間に渡っての沈黙の後、私もそうなのかもしれません、と返しました。

 知ってる、と彼女は言います。
 それも知ってました、と私は返しました。

 彼女の言葉は優しすぎて嘘みたいでした。

 でも、彼女はもう私という人間から切り離せない存在なのです。

 彼女の名前も身体も声も、すべてが私にとって重要なものです。

 あなたの弱さを教えてください、と思ったことをそのまま伝えました。
 それはいいけど、ふたりでクリスマスケーキを食べてからね、と彼女は笑いました。

 私は、少しの迷いを断ち切って、彼女の唇に自分の唇を押し付けました。

 照れたように目を丸くする彼女が新鮮で、
 でも、それまで見たなかで、一番嬉しそうな顔をしていました。

 手を絡めました。もう片方の手で涙を拭ってくれました。

 ずっと好きだったの、と彼女は言いました。
 私もですよ、と彼女に向けて、精いっぱいの笑顔を見せました。

 ほんとうは、駄目なのだとしても。叶わないものだとしても。いつか壊れてしまうものだとしても。
 彼女の瞳に映るものが、ずうっと私だけのままであったら幸せだな、と思います。

 私は、彼女のことが大好きです。今も、そしてこれからも。

128 : ◆9Vso2A/y6Q [saga]:2018/04/29(日) 00:44:00.46 ID:MVi1fTqy0
今回の投下は以上です。
あと二回で終わります。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/29(日) 01:13:57.68 ID:weW1ZXYzO
おつ
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/29(日) 13:38:40.71 ID:lW5L5lwU0
おつです
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/30(月) 01:28:40.03 ID:dk65zdUD0
おつ。終わっちゃうのか……
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/21(月) 00:56:34.15 ID:C61HKIcC0
続きが待ち遠しい
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/23(水) 08:16:59.53 ID:LTKfc7dm0
続き待ってます
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/23(水) 16:22:12.50 ID:J4yyOwRe0
続き楽しみに待ってます
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:13:49.52 ID:xutan3/t0

【前日】

「集客用のポスターを描いてもらいます!」

 文化祭まであと一日と迫った放課後、厚紙とマッキーを手に持った先輩が部室全体を見渡してそう言った。

 部室には俺と先輩と、それから東雲さんがいた。
 二人は一昨日から連日夜通しでゲームをしてたらしく、明らかに眠たげな顔つきでいた。

「掲示板に貼ったりするものですか?」

 と訊ねると、当たり前です! とでも言わんばかりに大きく頷きを返される。

「部誌はみんなのおかげで完成しました。それはちゃんとここにあります」

 彼女の指の先、テーブルの上には製本の済まされた部誌が積み重なっている。
 レイアウトは東雲さんが、表紙のイラストは先輩がやってくれたらしい。ここから見ても綺麗に目に映る。

「でも、売れないことにはねえ……」

「まあ、そうですね」

136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:14:38.89 ID:xutan3/t0

「去年は完売したからさー、なんとなくそんな感じでいけちゃうんじゃないかって思うじゃん?」

 話が長くなると思ったのだろう、東雲さんが噛み殺したようなあくびをした。
 いや俺に言われても知らねえよ……、と思いつつ、とりあえず首を縦に振る。

「それが売れないんだなー、って思うわけですよ、私は」

「はあ」

「白石くんもそらそらくんもシノちゃんも頑張って描いてくれて、手に取ってくれれば、こりゃすげえ! ってなること間違いないの。
 けどね、ここのフロアまで足を運んでくれる人ってそんなにいないの。……てか全然いないのよ、悲しいことに」

「あ……はい」

 たしかに。

 いつだか読んだ文化祭パンフレットに書かれていた通り、大抵の部活は高校棟の教室を使用するらしく、
 こっちを使うのは文化系の、それもごく一部の部活だけで、校舎全体が閑散としてしまうのは容易に納得がいく。

 許可を取れば向こうの教室を借りることもできたはずだが、まあ忘れていたか気にしてなかったかのどちらかだな。
 極力もともと割り当てられた教室を使いなさいと指示が出ていた可能性もあるけれど。

137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:15:15.93 ID:xutan3/t0

「この教室に連れて来さえすれば無言の圧力で勝ったも同然よ」

「ですね」

 値段も手頃だし場所が場所だし、わざわざ来て帰る人もいないだろう。

「私はもう二枚描いたから、あとの三枚を一人一枚ずつで、ね?」

「ビラじゃ駄目なんですか?」

「うん」

「配るのくらいは大丈夫な気もしますけど」

「ああいうの許可取らないで勝手に配っちゃうと出店禁止にされちゃうんだよ。
 うちの文実結構厳しい……っていうか、当日張り切っちゃうから」

 なんとなく分かる。生徒主体のサガ。
 文実には中等部一年で入るほか中途参加はできないとも風の噂で聞いた。

138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:15:54.03 ID:xutan3/t0

「東雲さんは?」

 とりあえず俺はいいとして先輩の隣に視線を飛ばすと、彼女は腕を組んでうーんと唸った。

「役割を分担するなら……まあ、いいかな」

「分担?」

「うん。たとえば、部長さんが人や物、私が背景、未来くんが文字デザインとか。
 一人ずつで描いてもいいんだけど、ほら、部誌はずっと個人作業だったなって思って」

 何か一つくらいは共同作業をしてみたいな、と言って彼女は胡依先輩に目を移した。

「シノちゃんの絵に私の絵を乗せるってことね」

「はい」

「……んー、そうだなあ」

「……駄目ですか?」

「いやまあ……」

 てっきり即答で頷くと思ったのだが、先輩の反応は少し薄いように思える。

139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:16:39.86 ID:xutan3/t0

「べつに駄目ならいいですよ」

「えっと、うーん」

「……」

「……あ、でもそうか。順番的にシノちゃんが描いてるの見てられるってことか。
 そっかそっか、ならいいかも。ていうかむしろ大ありっていうか!」

「……」

「シノちゃんの絵を汚しちゃわないかなとか考えてたけど逆にそれもいいかなって思ってきた」

「……汚すんですか?」

「やだなあ、比喩だよ比喩。推しの妄想をしすぎた時に申し訳なくなるアレとおんなじなの」

「は、はあ……そうですか」

 気のせいか。気のせいだな。
 苦笑いしていると、東雲さんがちらりとこちらを窺ってきた。

140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:17:46.73 ID:xutan3/t0

「俺もいいよ」

 乗っておくべき、このビッグウェーブに(てきとう)。

「そっか……じゃあ、そうしよう」

「あ、白石くんは私よりも暇になっちゃうかもだよ」

「大丈夫です」

「待っている間はゲームしよっか! エアライドしようエアライド!」

 そう言ってテレビの方へ歩いていこうとする先輩を、

「あの、真面目にやりましょう」

 と東雲さんはちょっとだけむっとした声音と表情で言い咎める。

「わかってるわかってるー」

 くるっと向き直した先輩は、そのまま東雲さんに抱きついた。

141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:18:36.86 ID:xutan3/t0

 うん。
 なんつーか、うん。

「未来くんどうして笑ってるの?」

「ん?」

「いや、あの、笑ってる」

「……あー、仲良いんだなって」

「……そ、そう」

 東雲さんがふいっと目を逸らすのと同時に、胡依先輩は顔だけで振り向き、ふふんと得意げな笑みを浮かべた。

「そうそう。意外と白石くんの責任は重大だからね。ちゃんとお客さんを呼び込める文章を考えなきゃだよ」

「明朝体ごり押しで駄目ですかね」

「いいかもしれない」

「いいんですか」

「刻明朝おすすめだよ」

「はあ」

142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:19:11.58 ID:xutan3/t0

 図らずも仕事がどんどん楽な方向に吸い寄せられている。
 文章を考える、と言っても部誌一部何円とかしか書くことがないだろうし。

「当日って売るだけなんですか?」

 そう考えてしまうと、ほかに何かすることはないだろうかと思考が及ぶ。

「どうして?」

「部誌を売ります、ってだけだと情報量が少なすぎるかなって。
 あとはここの部室の場所と部の名前くらいしか書けないですし」

 たしかにそうかも、と先輩は頷く。

「でも、たとえば?」

「たとえば……えっと、そうですね。
 お題とか好きなキャラクターを言ってもらって、描いて渡すとか」

「スケブみたいに?」

「そんな感じです。やれることって限られてると思うので」

143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:19:54.59 ID:xutan3/t0

「即興かー。私はそれでもいいけど、白石くんはできる?」

「やっぱ難しいですかね?」

「イチからってなると難しいと思うよ」

「ですよね」

「でもまあ、いいんじゃない。書けることが多いに越したことはないし」

「わかりました」

「それに、リクエストがなくても当日暇なら一人で勝手に描いてるだろうから変わんないよ」

 書いちゃっておっけーだよ、と先輩は再度頷いた。

「じゃあ、各自作業に入りますか」

「うん。そいじゃがんばろー」

「がんばりましょう」という東雲さんの声とともに、ポスターの制作作業が始まった。

144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:20:49.60 ID:xutan3/t0

【前夜】

 夕飯時を少し過ぎたあたりで家に帰ると、奈雨がリビングのソファにもたれかかっていた。

「ただいま」と声を掛けると「おかえりなさい」と心なしか眠たげな返事が返ってくる。
 キッチンにはラップのかけられた一食分の食事が置いてあり、それを持ってダイニングテーブルにつく。

「佑希は?」

「ん、あれ、聞いてない?」

「なにを」

「部活の友達の家に泊まりに行くって」

「聞いてない」

「わたしは今日の朝に言われた」

「そっか。……え、佑希が?」

「うん」と彼女はなんでもないように頷く。

145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:21:21.75 ID:xutan3/t0

「話しかけてくるし、なんかやたらと」

「……」

「まあ気にしたら負けだと思うよ、こういうのは」

 よいしょっ、と口に出しながら彼女は立ち上がり、俺のすぐ向かいに腰を下ろす。

「今日も部活だったの?」

「うん」

「たいへん」

「まあ、それなりに」

 原稿を提出してから、ほぼ初めてのちゃんとした部活だった。
 文化祭が終われば、またここ数日のようになるのだろうと思う。忙しい方が珍しい。

「そういえば」と奈雨は何かを思い出したようにはにかむ。

「お兄ちゃんの部活の先輩ってやさしい人しかいないよね」

146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:22:03.39 ID:xutan3/t0

「そう?」

「すごく話しかけてもらえた」

「よかったな」

「……あ、それと入部しないかって」

 そうだ、すっかり忘れてた。
 部員……東雲さんは入るとして、それで四人。あと一人必要だ。

「奈雨が入りたいならいいと思うけど」

「お兄ちゃんはいいの?」

「いいって、何が?」

「なんていうか、その……わたしがいても邪魔に思わない?」

 真剣な表情で、奈雨はまっすぐにこちらを見る。
 どうして、と言いかけて、訊いても仕方ないのではないかと俺は首を横に振った。

「思わないよ」

147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:22:39.28 ID:xutan3/t0

「ほんと?」

 窺うような問いに、「うん」と目を見て頷く。
 すると、数秒した後に、彼女は「そっか」と呟き、頬を緩ませた。

「お兄ちゃんはわたしに入ってほしいのね。わかったわかった」

「そうなるのか」

「え? 入ってほしいんでしょ?」

「……」

「ちがうの?」

 なんだろう、この恥ずかしいことを言わせたがってる感は。
 ……まあ奈雨らしいと言えばそうだけど。心のどこかがくすぐられたのか嬉しそうだし。

「俺がとか以前に奈雨が入りたいならな。……ま、なんつーか、入ってくれたら嬉しいけどな」

「お兄ちゃん微妙に素直じゃない」

「じゃあなんて言えばいいんだよ」

148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:23:22.05 ID:xutan3/t0

「『放課後も一緒にいたいから部活も同じがいい』とか?」

「放課後も一緒にいたいから部活も同じがいい」

「うわあ、まったく心がこもってない」

 手をぽんぽんと打ち鳴らしつつ、奈雨はけらけら笑う。
 それから少し気分が良くなったようで、うーんと伸びをしてから小首をかしげた。

「わたしの作ったご飯はおいしいかー」

「おいしいよ」

「この前みたいに勝手に食材使わせてもらったから、かなり簡単なものだけどね」

 そう言いつつもきちんと一汁三菜(ひとつは出来合のものだけど)が用意されてるあたり、
 普通に料理を知ってるというか、いつもちゃんと栄養周りを気にした食生活をしているのだと思わされる。

 伯母さんがかなり料理上手な人だから、あの母にしてこの娘あり、という感じだ。

149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:24:12.92 ID:xutan3/t0

「今月だけでお兄ちゃんに二度も手料理を振る舞っちゃった……」

「じゃあ今度お返しに何か作ろうか?」

「え、ほんと? ……でもわたしよりお兄ちゃん料理上手じゃん」

「そんなことないよ」

「なくない。見てて手際がちがう気がする」

「……」

「まあそういう料理が上手なとこもお兄ちゃんのいいとこなんだけどね」

「……はあ」

 反応に困る俺に対して、わざとらしいため息をついて、

「女たるもの、男の人の胃袋は確実に掴んでおきたいのですよ」

 顎に手をやり、ちらとこちらを見てから、

「……がんばろ。もっと練習しよ」

 と彼女はぼそりと呟いた。

150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:26:08.46 ID:xutan3/t0

【夜更かし】

 ここ数日のように、日付を回って少し経ってから自室へと足を運んだ。

 ベッドは奈雨が使っているはずで、俺はその下──床の布団で寝るつもりでいたのだが、
 彼女の姿はそのどちらにもなく、部屋の電気を入れようとリモコンへ手を伸ばしたときに、ぬるくも冷えた風が足下に伝わる。

 出処である窓へと目を向けると、ひらひらとレースカーテンが揺れていて、
 薄着の肌に若干の寒さを感じながらも近付く。なぜか足音を立てないように。

 外を覗くと、ベランダのデッキチェアに寄りかかり、眠っているように目を閉じる彼女の顔がはっきりと見える。
 耳を澄ますとゆったりとしたメロディが聴こえる。どうやら鼻歌を歌っているらしい。

「風邪引くよ」

 声を掛けると、彼女は首だけをこちらに向けて「うん」と頷く。
 僅かに間をあけて、すぐ隣のデッキチェアの背もたれをぽんと叩いて、

「さっき出たばかりだから、大丈夫」

 と俺も外に出るように促してきた。

151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:26:59.61 ID:xutan3/t0

「眠れなかったの?」

「うん」

「……緊張?」

 問いつつ、彼女の隣に腰を下ろす。
 近いようで近くない距離。ちょっとだけ身体を彼女の方へ近付ける。

「そうじゃないって言いたいけど、多分そうかな」

「そっか」

「うん」

「よく緊張するんだっけ?」

「わたし?」

「そう」

「するする。めっちゃする」

 学校のテストの時とか、初対面の人と話す時とか、と言って奈雨は笑う。

152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:27:33.05 ID:xutan3/t0

「練習はたくさんしたけど、本番は本番だから……ね?」

「うん」

「お兄ちゃんはそういう時でも緊張しなさそうだよね」

「そう?」

「なんとなく、そんな気がする」

「じゃあそうしておこう」

「あはは、なにそれ」

 軽快な声とともに彼女の髪が風でなびく。
 ふわりと香る匂いに吸い寄せられるように、また少し近付く。

 何か話したいことがあったはずで、でも、それは今でなくてもいいのかもしれない。
 明日は文化祭で、クラス展示当日だ。

 肘掛けに置かれている彼女の手にそっと自分の手を重ねる。

153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:28:46.93 ID:xutan3/t0

「なに?」

「緊張。少しでも取れたらいいと思って」

「ふふっ……そーかそーか」

 奈雨は触れあっている手を軸にして向き直り、俺を見上げる。
 んっ、と息を呑む音がしたかと思えば、それからすぐに気を取り直すような吐息が聞こえた。

「あのさ、お兄ちゃん」

「ん?」

「ちょっとだけ、昔の話、してもいい?」

 俺は彼女と目を合わせて、首だけで頷きを返した。

「……あのときのこと、ずっと言わなきゃなって、思ってて」

「うん」

「あの頃のわたしは……ううん、ちがう。今でも、少しだけそうなんだけど……」

 ──人の視線が怖かったんだ、と彼女は途切れ途切れに言う。

154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:29:34.36 ID:xutan3/t0

「わたしの周りの人はみんなやさしいし、すごく恵まれてるのもわかってる。
 学校に行けば話しかけてくれる友達がいて、家に帰れば気に掛けてくれる家族がいて……でも、それでもわたしはわからなかった」

「……なにを?」

「……自分が周りの人にどう振る舞えばいいのか、とか」

「……」

「自分じゃない誰かの期待通りに振る舞うしかなかった。人に好かれるための行動はしなきゃいけないことだとも思ってた。
 人のことがわからないならわからないなりに、そういう折り合いをつけるしかないんだって考えてた」

 お母さんとお父さんに心配をかけたくなくて、作りたくない友達を作ったり、外に遊びに行ったり、
 誰かひとりにでも嫌われるのが怖いから、関わる人みんなに愛想よく接して、自分なんて持たないようにして。

155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:30:34.47 ID:xutan3/t0

「そんな毎日のなかで一番つらい時間は、夜にベッドに横になって真っ暗な天井を見上げて、
 今日のわたしは上手くできてたかな、誰にも迷惑かけてないかな、ちゃんと笑顔を作れてたかな、って一日を振り返る時だった」

「……うん」

「だからかな。いつのまにか、わたしは寝ることが怖くなったの」

 いくら悩んだところで、朝起きれば学校に行かなくちゃならなくて、また気を張らなきゃいけなくて、
 でも、眠らなければ、ずっと自分の部屋に閉じこもっていれば、わたしはわたしのままでいられる。

 ほんとうの、ただ弱いだけのわたしなんて誰も受け入れてくれないし、求められもしない。
 だから──夜になると、明日への不安で押しつぶされそうになって、目を、閉じられなくなって。

156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:31:13.95 ID:xutan3/t0

「……お兄ちゃん。あのときわたしが言ったこと、覚えてる?」

 訥々と続けてきた言葉を止め、彼女は小さく首をかしげる。
 ほのかな微笑は強がっているのだろう、手にかかる力がほんの少し強くなる。

「こんなふうに二人で夜に話したことだよな」

「……うん。そうだよ」

 彼女からの返答に安堵のようなものを感じつつも、一呼吸置いて、

「覚えてるよ」

 と口にした。

 あのとき──俺が、奈雨の家に泊まったときのこと。

 彼女の様子は思っていたよりも普通だった。
 それこそ、学校に行けなくなってしまったとは信じられないくらいに。

 ただ、今の話を聞くと一つ合点がいくことがある。
 夜になって、奈雨は俺に『一緒に寝てほしい』とお願いをしてきたはずだ。

 今にも泣き出してしまいそうな表情で俺の寝ていた部屋に来て、
 怖い夢でも見たの? と訊ねたら、ただ曖昧に頷くだけで、何も答えてはくれなくて。

157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:32:02.24 ID:xutan3/t0

「じゃあ、お願いも……覚えてる?」

「うん。……覚えてるよ」

「……そっか。よかった」

「……うん」

「……いちおう、何て言ったか訊いてもいい?」

 最後の確認だとばかりに、奈雨はそう言って俺の表情を窺う。
 覚えてないだろうと思われていたのかしれない。俺の今までの態度と照らし合わせれば、そうなってしまっていても不思議ではない。

 俺も奈雨に対してそういうことを考えていたから、どこかのタイミングで訊いてしまいたいと思っていた。
 でも、それは出来なかった。俺から見た奈雨は十分強くなっていて、そんなお願いなんて無効だと勝手に諦めていた。

 言われたこと自体は鮮明に覚えている。一人で何度も思い返していたから。

158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:32:54.09 ID:xutan3/t0

 ──もし、わたしが"みー"に追いついたらさ。

 自分の言ったことは何一つとして覚えていない。
 気の利いたことを言ったかもしれない。言わなかったかもしれない。

 半ば自戒のような言葉を彼女に投げかけて、
 結果的にそれを押しつけてしまっていたかもしれない。

 ──そのときは、わたしと……。

 でも奈雨は「ありがとう」と頷いてくれた。

「"またこういう風に二人で話してほしい"」

 今は自信がないけど、そのときはきっと言えるから、って。
 だから、わたしが自信を持てるまで待っててほしい、って。

「……」

「……間違ってる?」

「ううん、合ってる。合ってるよ」

 覚えてくれてたことが嬉しいの、と彼女は本当に嬉しそうに笑う。

159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:33:56.17 ID:xutan3/t0

「わたし、もう言えるよ。お兄ちゃんに言いたかったこと、ちゃんと言えるよ」

「……」

「まだちょっとだけ怖さはあるし、それはなくそうとしてなくせるものじゃない。
 あのときよりは怖くなくなった、って証明をするのも難しいことなんだと思う」

 だからさ、と彼女は言葉を繋いで、

「明日、わたしのことをちゃんと見ててほしい」

 俺がどんなことを考えてるかをわかった上で、奈雨はそう言っているのだと思う。
 誰かと何かを比べれば答えは簡単に出る。でも、そんな答えはすぐになくなってしまう。

 きっと奈雨が比べたいのは"過去の自分"だ。
 だって今の自分を認めるには、それ以外の手段なんてないのだから。

「わかった」と俺は頷いた。

「ちゃんと見てるから」

「……うん」

160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:35:12.52 ID:xutan3/t0

 まだ話をしたい気持ちもなくはなかったけれど、さすがにもう遅いし寝ようと、
 文化祭やあれこれについて二、三やり取りをしてから室内に戻ることにした。

 話しているうちに自然と奈雨の手のひらは上を向いていて、しっかり俺の手をとらえていた。
 繋いでしまうと離したくなくなるのはいつものこと。それは奈雨も同じようで、ベッドに乗ると俺の手をぐいと引いてきた。

 今更ながら逡巡する俺に「わたしの緊張をほぐしてくれるんじゃなかったの?」と言った奈雨の顔は暗闇で見えなくて、
 売り言葉には買い言葉だろうと「そっちの方が余計緊張するんじゃない?」と返すと拗ねたような声とともに手を引く力が強くなった。
 俺はさして抵抗しなかった。

「そういえば……」

 と横向きで向かい合ったまま、奈雨は口を開く。

「お兄ちゃんって寝相いいよね」

161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:36:15.50 ID:xutan3/t0

「奈雨が悪いだけだと思うよ」

「なにしても基本起きないし」

「……何かしたの?」

「してないです」

 なぜ敬語。
 まあいいけど。

「うつ伏せで寝る人よりも仰向けで寝る人の方が独占欲が強いんだってさ」

「ふうん」

「つまりお兄ちゃんは強めってことだね」

「奈雨だってそうだろ」

 今は話をしているから正面を向き合ってるけど、寝るときはどうせ仰向けになるだろうし。
 ……と思っていたのだが、

「わたしは──」

 と奈雨はくすっと笑って、俺の足に自分の足を絡めてきた。

162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:36:43.88 ID:xutan3/t0

「横向きで何かを抱いて寝る人が一番すごいんだってさ」

「あ、そう」

「……てことで、はい」

「なに」

「……」

 手が離れて、そのまま首元に手をまわされる。
 仕方ないか、と俺も腰の辺りに腕をまわす。

 顔が触れそうなほどに近い。というか触れてる。

「じゃ、じゃあ……おやすみなさい」

 やってみたらやってみたで恥ずかしかったのか、奈雨は声を小さくしながら目を瞑った。
 なんだよ、と指摘してみたい気持ちもあったが、俺だって普通に──いや普通以上に気恥ずかしいわけで。

「おやすみ。また明日」

 と隣で寝るのには少しだけ不釣り合いなような言葉を返して、俺も目を閉じることにした。

163 : ◆9Vso2A/y6Q [saga]:2018/05/29(火) 01:37:39.08 ID:xutan3/t0
今回の投下は以上です。
もしかしたら次で終わらないかもしれません。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/29(火) 07:23:19.81 ID:jfVo+nq0O
おつです
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/29(火) 19:13:38.64 ID:ORBEI9ABo
控えめに言って最高
奈雨ちゃんマジでかわいい…
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/30(水) 13:07:41.19 ID:yD0+k4u30
甘い描写に定評のある1
乙です
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/14(木) 23:41:47.79 ID:r3Psyyzz0
おつです
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/25(月) 07:55:56.57 ID:QnRQPIml0
続きまだかな…
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:18:55.38 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー1】

 文化祭は想像以上の賑わいを見せていた。
 生徒が盛り上がるのはもちろんのこと、お客さんもみんなテンションが高い。

 教室の入口付近に設置している受付の椅子に座って人を捌きながら、広い廊下を先の方まで見渡してみる。

 制服姿の中学生、他校の高校生、子供連れの家族、とりあえずいろいろな人がいる。
 他のところと若干時期をずらしているのはこのためだろう。こんなに人が来るなんて思いもしなかった。

 俺に課せられた仕事は簡単で、パンフレットにスタンプを押し、気持ち程度のお金を受け取り入口に向かって「どうぞ」だのと言うだけ。
 アトラクションでお金って取るのか……と少し考えたが、うちのクラスはお代はお客さん自身に決めてもらうという形をとっていた。
 となると無料でもいいのだが、まあ、律儀に五十円から百円くらいはみんな払ってくれている。中には千円札を入れてきた人もいた。

 全部でどのくらい入っているだろうかと箱の中身を見ようとしたところで、ビラ配りへと駆り出されていたソラが戻ってきた。

「どうよ、お客さん入ってるか」

「まあぼちぼち」

「そっか。あ、店番代わろうか?」

「なんで?」

「……ん、あの子とは?」

「奈雨は今ステージにいるはず」

 腕時計を確認する──十時過ぎ。
 午前の部が始まる時刻はもうすぐだろうか。

170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:19:46.33 ID:CaJ2VfCb0

「あー、そういやそうだったな。おまえ見に行かないの?」

「来るなら午後に来てくれって言われたから」

「体育館今でもめっちゃ混んでたぞ」

「ステージ人気らしいね」

「じゃあ俺遊んできていい?」

「なぜそうなる」

「え、だめ?」

「いやいいけど」

 特にすることもないが、ここにいてもそれは変わらない。
 一人であちこちをうろちょろするよりはクラスに貢献した方がいいだろう。

 何か昼飯買ってきてやるよ! などと言って足早に去っていくソラの後ろ姿を見送り、
 手元のパンフレットを広げ、近くの階の模擬店と、それからステージの予定表を確認する。

 午後の部の一回目は……十三時半からか。
 こういうときの待ち時間は決まって時間が長く感じる。世の定め(なんだそれ)。

 そういえば東雲さんと胡依先輩はどうしているんだろう、とぼんやり考えていると、次のお客さんがやってきた。

171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:20:29.57 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー2】

 耳に届く賑やかな声も、漂う美味しそうな匂いも、この部室の中ではどこか遠いものに感じられる。
 文化祭は始まった。けれど、何もすることがなければ実感はやってこないらしい。

「私たちもどこか行きますか?」

 ためしにすぐ近くで死人のような寝方をしている彼女にそう声を掛けてみると、

「ねむい」

 とただ一言だけが返ってきた。目を向けてすらくれないのだから本当に眠いようだ。 

 立ち上がり、窓辺に身を寄せ、手持ち無沙汰をあらわすようにため息をつく。
 クラスの方も、べつに私が出ても出てなくても変わらないし、すすんで行きたくもない。

 だから部長さんがここから動きたくないなら、私も同じように動かないのが一番かもしれない。

172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:21:07.79 ID:CaJ2VfCb0

 けどまあ、

「どこか行きましょうよ」

 とは言っても、私だって少しくらいは楽しみたい。
 高校初の文化祭なのと、それと、楽しませてくれそうな人が近くにいるから。

「んー、クラスの人に会うの気まずい」

「どうしてですか?」

「クラスサボってるからさー、誰かに見つかっちゃうと面目ないしー」

「はあ」

 どうしてもここで寝てたいのかな。ばれないようにもう一度息を吐く。

「そういえば、なうちゃんのクラスが演劇やるらしいですよ」

「え? ……へえ、そうなんだ」

「見に行きませんか?」

「……」

 模擬店に行ってもどうせ二、三店が関の山だろうと長い時間楽しめそうなものを提案したのだが、
 何かを考えるように、部長さんは私から目を背けて少しのあいだ口籠った。

173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:21:49.68 ID:CaJ2VfCb0

「ちょっとだけ聞いたんですけど、たしか、内容は──」

「わかるよ」

「……え?」

「なうちゃんのクラスがするのは知らなかったけど、どういうものなのかってのは、まあ」

「あー、そうなんですね」

 私が知らないだけで、多分どこかで読んだりしたことがあるものなのだろう。
 文化祭でやるくらいだから結構有名なのかもしれない。この人はそういうの見なそうだけど。

「他にシノちゃんの行きたいところは?」と彼女は言って、ぱんと手を叩く。乗り気になってくれたのだろうか。

「じゃあ、お昼食べに行きますか」

「学食?」

「でも。コンビニでも屋台でもいいですよ」

「パフェとか食べちゃおっか」

「いいですね」

 それまでの気だるげな様子から一転、調子づいたような勢いで彼女は腰を上げた。

174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:22:30.64 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー3】

「や、この間ぶり」

 お昼時になり客足が疎らになってきた頃に、すぐ近くからそう声が掛かった。
 この声はたしか、と思いつつ顔を上げると、やっぱり秋風さんが立っていた。

「隣いい?」

「どうぞ」

 自然な(自然か?)流れで彼女は俺の隣のパイプ椅子に腰を下ろす。
 そういえば他校の生徒も制服姿が多い。彼女もご多分に漏れず緑のリボンが特徴的な制服を着ている。

「今日は一人で来たの?」

「ううん、友達と。気を遣われたのかいなくなっちゃったけど」

「ああ、善くんと」

「そうそう」

175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:23:18.33 ID:CaJ2VfCb0

「呼んでこようか? 中にいると思うよ」

「あー……まだいいよ。仕事中でしょ」

 抜けたら連絡するって言ってたし、と。
 それを言ったら俺だって仕事中なんですけど。……まあいいや。

「どこか面白いところとかあった?」

 俺からの質問に、秋風さんは意外そうな顔をした。

「うん。どこも楽しかったよ」

 と彼女は一瞬俺の表情を窺って、

「……ごめん、嘘かも」

 とすぐに翻した。顔が少し強張っている。

「つまらなかったの?」

「いや、えっと……楽しいには楽しいんだけど」

「うん」

「"こんなもん"かなあ、って思っちゃってさ」

「……そっか」

 "こんなもん"、か。

176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:24:05.76 ID:CaJ2VfCb0

 言わんとしていることがわかるからこそ、軽率な反応は取れない。
 目線が平行なら見える景色も変わるし、考え方が変わればなおさらだ。

「ごめんね。こんなこと言って」

 彼女は苦笑しつつ頬を掻いて、前を通り過ぎていく人たちに目を向けた。

「……この前のことも、ごめんね」

「……いや」

「私、勝手なことばっか言ってたよね」

「そんなことないよ」

 自分で言っておいて、その言葉の白々しさにため息が出る。
 すぐ取り繕おうとするのをやめたいと思ってもなかなか上手くはいかない。最近はいつもそのことを考えている気がする。

「本当のことを言うと──」と、言い訳のように前置きして、

「あながち間違ってもなかったから。全て合ってはいないけど、どちらかといえば……」

「……」

177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:24:38.36 ID:CaJ2VfCb0

「だから、こっちこそごめん」

「……うん」

 うん、と彼女はまた頷いて、それからどうして自分が謝られてるんだろう、というような顔をした。
 説明するのが筋かと思ったが笑って誤魔化した。これ以上はべつに言わなくたっていいことだ。

「あ、あとね。これソラくんが持ってけって」

 沈黙を埋め合わせるように、彼女はビニール袋を机の上にのせた。
 中にはたこ焼きやら焼きそばやらが入っていた。いかにも文化祭らしい。

「秋風さんも食べる?」

「えっと……いいの?」

「いいよ。どうせソラの奢りだし」

「……じゃあ、ありがたく」と彼女は控えめに笑った。

 あとで、ソラに礼を言っておこう。

178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:25:59.81 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー4】

 受付の仕事を終え、高校棟の廊下を歩いていると、階段のところに零華の姿を見つけた。
 看板を手に持ちあからさまにぶすっとしていたから、気付かないふりをする。

「ちょっと待ちなさいヘタレ先輩」

 呼び止められる。
 というより付いてこられている。

「ヘタレってなんすか」

「泊まりなのに何もしなかったんですよね」

「……あの場所に立ってなくていいの?」

「サボります」

「はあ」

「奈雨ちゃんを見るために!」

 ふんす! と荒い鼻息を立てる。
 やっぱブレねえなこいつ(呆れ)。

「で、どうなんですか。今のところはBまでとか?」

「古風な言い回しだな」

「そんなことはどうでもいいです」

「あっはい」

 自分で言ったんじゃん。

179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:26:34.85 ID:CaJ2VfCb0

「奈雨ちゃんわたしに何も教えてくれないんですよ」

「そりゃそうだろ」

「今朝なんか先輩と何か──ナニかあった? って訊いてみたんですよ」

「なぜ言い直す」

「そしたら『ふふふ、どうでしょー』って……。それはそれで表情とかめちゃくちゃときめくんですけど、ぼかされると気になっちゃうじゃないですか。
 ほら、見えそうで見えない女子高生のスカートとか…………ってなに見てるんですか警察に通報しますよ」

「見てねえよ」

「……ま、先輩はわたしに興味ないですもんね」

 歩きながら、彼女は人差し指を突き立てる。
 ふっと呆れ笑いをするように緩んでいた口元は、段々と楽しげなものに変わっていった。

180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:27:25.42 ID:CaJ2VfCb0

「奈雨にさ、昨日言われたんだよ」

「なんてですか?」

「『わたしのことをちゃんと見ててほしい』って」

「あ、お惚気ですね。もっと聞かせてください」

 ここでいっちょ言っときましょう! と零華はなぜか必死だった。

「言いません」

「どうしてですかー。けちすぎますよ」

「どんなことされるかわかんねえし」

「なっ! そ、そんなやばめなことが……?」

「なにもないです」

 零華になら言えないことでもないけど、なるべく自分の心に留めておきたいと思った。
 なおも不満そうな零華をあしらいつつ校舎の外に出ると、

「あれ。れーちゃん?」

 と、うちの学校の女子生徒が近付いてくる。

181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:28:08.78 ID:CaJ2VfCb0

「あっ」

「サボり? ダメだよれーちゃん。持ち場に戻らないと」

「えー、だって」

 零華は助けてくれと言わんばかりにちらと俺を見る。
 と、俺の存在に気付いたらしい。目を向けられる。

「……っと、彼氏さん?」

「え」

「ああ、デート中……」

「……ま、まあそんな感じ、かな?」と腕を取られる。

 何やってんだこいつ。深刻なツッコミ不足。
 真面目そうな零華のクラスメイトはふむふむと頷いて、

「ならいいっか。せっかくの文化祭だしね」

 と言って、零華の持っていた看板を受け取った。

「……いや、あの、零華?」

「……えっと、先輩が抵抗しないのが悪いと思います」

182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:28:59.32 ID:CaJ2VfCb0

「俺が悪いのか」

「いや、ちょっと奈雨ちゃんの気持ちがわかった気がします」

 意味のわからないことを言うとあっさり腕を離して、嘘だという旨を説明しはじめた。

「この人は、わたしの好きな人の好きな人!」

「そうなんだ」

「今からうちのやつ見てくれるらしいから、一緒に行こうとしてたの」

「なるほど」と顎に手をやりながら零華のクラスメイトは言って、

「あ、奈雨ちゃんの、ってことね」

「そうそう」

「ふふ、そっか。わかったわかった。れーちゃんも見てらっしゃい」

 失礼しました、とその子はぺこりと頭を下げてその場から立ち去った。

「零華の好きな人の好きな人で伝わるんだな」

 真偽はともかくとして公然の事実として定着しているらしい。

「あっはい。いつも愛を伝えているので」

「冗談に聞こえないんだが」

「いやいや、わたしはいつだって本気ですからね」

 わたしを見習って先輩もはやく素直になってくださいね、と言って零華はにこりと笑った。

183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:29:57.08 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー5】

 カーテンの閉め切られた体育館は僅かに暑さが篭っている。
 入場規制がかかるまでではないにしろお客さんはかなり入っていて、椅子に座れず立ち見の人まで出ているくらいだ。

 零華が言うには文化祭中の体育館はずっとこんな感じらしい。
 ステージ部門がうちの文化祭で一番の華ですから、と。たしかに納得できる。

「あ、みーくん。零華ちゃん」

 不意にかけられた言葉とともに、肩に手が置かれる。

「おひさしぶりです」
「こんにちは。奈雨ちゃんのお母さん」

 伯母さんは微笑して、「こんにちは」と俺たち二人の隣に腰を下ろす。

「こんなに良い席取っててくれるなんて。ありがとね、零華ちゃん」

「いえいえ。奈雨ちゃんを間近で見るためですから」

184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:31:01.67 ID:CaJ2VfCb0

「ふふっ、そうね。……そういえば、身体の方はもう大丈夫なの?」

「はい! おかげさまでもうピンピンしてますよ!」

 ご心配おかけしました、と零華がやや申し訳なさそうに頭を下げる。
 そこで話は一旦終わったようだったが、零華の何について話をしていたのだろうか。

「みーくんも、うちの娘がお世話になりました」

 と、そんなことを考える余裕もなく視線がこちらに向く。

「いろいろ迷惑かけなかった?」

「えっと、はい」

「佑希ちゃんとも?」

「それは、まあ……」

 あることにはあったけれど、結局のところ雨降って地固まったというか。
 佑希が歩み寄ろうとする態度を示した。当の奈雨は、それをあまり受け取りたくはなさそうだったけれど。

185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:32:29.50 ID:CaJ2VfCb0

 答えあぐねる俺の様子で何かを察したのだろう。
 伯母さんは、うんうん頷きながら頬のあたりを掻いて、

「ちゃんといちゃいちゃしてた?」

 と言った。

「……はい?」

 世界(俺の表情)が凍りつく。

「二人で寝たりした?」

「なんでそうなるんですか」

「えっ、……その、自然な流れ?」

 どういう流れだ。全くもって自然じゃない。

「どうなの、みーくん」

「先輩。どうなんですか」

 心強い味方を得たとでも言いたげな、少し悪戯っぽい声音で零華も質問を重ねる。

「うちの子はぐらかすからさあ」

「ですよね」

186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:33:40.82 ID:CaJ2VfCb0

「みーくんについて訊くと返事来なくなるのよね」

「あ、わたしもです。めっちゃ話逸らされます」

「もう知ってるんだから今更恥ずかしがってもって感じなのにね」

「わかります」

「でもたいがい顔を赤くするからバレバレなのよね」

「実際それを楽しんでるところはあります」

「あら零華ちゃんお目が高い!」

「ふふふ、ありがとうございます」

 勝手に盛り上がってる。
 内容はかなりひどい。相性は抜群(なんだこの二人)。

「で、どうなの?」

「……いや、えっと、寝はしましたけど」

「けど?」と零華が囃し立ててくる。

187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:34:13.32 ID:CaJ2VfCb0

「……何もないですよ」

「何もって、その何もとはって話になっちゃうけど」

「やめてください」

「まあ、二人だけのヒミツってことね」

「いや本当に何もないですって」

「……ふうん」と伯母さんは茶化したように笑う。

「怪しいですよね」

「ねー」

「でも素直に照れるなんて先輩も案外かわいいとこありますよね」

「わかるわかる」

 ……。
 もう聞く耳を持たないことにした。

188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:34:51.00 ID:CaJ2VfCb0

 俺がいくら訊いても答えないとわかってからも二人の会話は尽きなかった。

 話題が急にあちこちに飛ぶ人たちだから半分くらい聞き流していたけれど、
 今からする劇の脚本がオリジナルであることだとか、衣装や小道具作りにかなり凝ったということを言っていた。
 なんでも、その方がポイントが高いんだと。許可を取るのがすんなりいってよかった、とも言っていた。

「あ、始まるみたいですよ」

 と零華が声を上げるとすぐにアナウンスがなされ、追ってブザーが鳴る。

「そうそう。みーくん。これお願いできる?」

 伯母さんから手渡されたのはお高そうなカメラ。

「旦那が撮ってこいってうるさくってさあ」

 ということらしい。

「まあ、みーくんが奈雨を見るのに集中したかったら切っていいからね」

「はあ」

「うちの娘をかわいく撮ってね」とこそっと耳元で囁かれた言葉に、「わたしもほしいです!」と零華が耳ざとく反応した。

189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:36:52.72 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー6】

 水を打ったような静けさの中で、舞台の幕が上がる。

 ナレーションが終わると同時に、奈雨の演じる少女──「わたし」が舞台上にやってくる。
 緊張をほぐすためなのか、もう演技が始まっているのか、奈雨は衣装の胸のリボンを軽く摘まんで息を吐き、客席に向けて儚げに微笑する。

 目を閉じ、開き、左右に首を巡らせる。
 その視線が、一瞬だけこちらに向けられたように思えた。


 物語は「わたし」のモノローグを中心に展開していく。

 陽の射さない部屋。少しばかり広い屋敷の、以前まで使用人が住んでいた一室に「わたし」は居る。
 家族は「わたし」のことを腫れ物のように扱っていた。
 母と父は彼女を壁一枚隔てたような、他人行儀な振る舞い方をし、たった一人の姉は彼女と関わること自体を避けているようだった。

190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:37:51.13 ID:CaJ2VfCb0

 前まではこうではなかったんです、と「わたし」は言う。
 そして顔を俯かせ、消え入りそうな声で、

「それがどうしてなのかも、何一つわからないんです」

 彼女は自分を責めた。そうされた理由がわからなくとも、どこか自分に悪いところがあるのだと思って。

 食事の際には、彼女の姿が見えるとすぐにそれまでの談笑が止み、部屋をあとにするとまた楽しげな声が耳に届く。
 休日になると家族は彼女を置いてどこかへ出かけていく。彼女は屋敷で一人過ごす。
 唯一話をしてくれていた人もここから居なくなってしまった。あまり大きいとは言えない部屋には無機質な家具のみが残っている。

 長期的にそんな状態が続けば、家族の一挙一動に対して恐怖に似た感情を抱くことになる。
 食事も外出も何もかもを一人でするようになる。頼れる誰かなどいないのだから。

 家族に笑っていて欲しい、というのは建前で、本心ではただ辛いだけだった。でも、そうすることが最善だと思わざるを得なかった。

 毎日夜が更けてくると、「わたし」は椅子に浅く座り、手に持った人形にその日あったことを詳らかに話す。

191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:39:33.03 ID:CaJ2VfCb0

「こんなことに意味なんてないのかもしれないです。──けれど、こうしていないと怖くてたまらなくなるんです」
「忘れたいことばかりでも、わたしは忘れたくはないんです。何の面白みのないようなことでも、それは変わりません」
「あなたがいたときのこと、わたしはもう覚えていません。楽しかった、という朧気な印象しか残っていません」
「だから──そういうふうになってしまうなら、何もないことよりは、何かがあった方が少しでも救われるんじゃないかって考えてしまうんです」

 だって、そうじゃないと……と「わたし」は人形を強く抱きしめる。

「ほんとうに何もないのなら、……ずっと、目を閉じ、眠っていた方がいいでしょう」
「でも、そんな単純なことではないんです。それは、わたしだってわかっています」
「楽しいことだって、わたしが見つけていないだけであるのかもしれません」
「……ただ、『ある』を指し示す何かすらないのなら、わたしは……わたしなんて──」

 わたしなんて──。

 これ以上言ってはいけないと思ったのか、彼女は口元を手で覆う。
 数秒の沈黙の後、緊張の糸が切れたようにはっと息をつき、そして自嘲を含んだため息をついて、

「……いえ、ここでやめておきましょうか」

 おやすみなさい、と彼女は言う。抱えたものから手を離し、こちらに背を向ける。
 わざとらしい欠伸も、眠たげに目を擦るのも、"本当は眠りたくない"という心理を表しているようだった。

192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:40:17.42 ID:CaJ2VfCb0

 場面が切り変わる。

 彼女が目を覚ますと、顔を上げた方向から陽が注いできていた。
 その光に誘われるままに部屋から出る。
 庭(緑があるから多分そうだろう)の井戸の縁に座り誰かが本を読んでいる。

「ここで何をしているんですか」

「……何って、本を読んでるんだけど」

「わたしの家です。勝手に入られても困ります」

「そんな怪しいかなあ、アタシ」

 彼女よりも背が高く大人びていて、後ろで束ねられた髪が特徴的な少女。
 二人にスポットライトが当たる。隣で零華がぼそりと何かを呟いたが聞き逃した。

「まあ、あなたも座りなよ」

 少女は自分の横をぽんと叩く。
 怪訝な目を向けつつも、「わたし」はそれに従う。

193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:40:53.75 ID:CaJ2VfCb0

「ここの家の子なんだ」

「……はい」

「歳は?」

「……十四です」

「じゃあアタシの方が下か。もっとくだけた感じでいいよ」

「いえ、初対面の人にそんな馴れ馴れしくできません」

「あ、そー……変わってるねえ」

「あなたの方こそ……」

 知ってる知ってる、と少女は笑う。つられたのか「わたし」の頬が僅かに緩む。

 それから「わたし」と少女は途切れ途切れの会話を続けた。
 そして、陽が完全に落ちた頃に、

「また来てもいい? あなたすっごく面白いし」

「……」

194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:41:24.42 ID:CaJ2VfCb0

「……え、ダメ?」

「……お、お好きにどうぞ」

 ふーんそっかあ、と満足そうに頷いて、少女は立ち上がる。
 遠ざかっていく後ろ姿を、「わたし」は追いかけ、呼び止める。

「どうしたの?」

「……えと。その、えっと」

「うん」

「……わたし、おかしくないですか?」

 少女は呆気にとられたような顔をしたあと、少し考える素振りを見せて、

「おかしいかも」

 けど、と続けて、

「そんなでもないと思うよ」

「……本当に?」

195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:42:27.98 ID:CaJ2VfCb0

「だって、こうしてちゃんと話せてるじゃない」

 目線を合わせて、「わたし」の頭を撫でる。
 なぜかそのとき観客席の一部が沸いた。気を取られている間にも、話は進んでいる。

「なに? まだ訊きたいことでもあった?」

「……あなたの名前、知りたいの」

「アタシの名前? いや、べつにいいけどさ」

 エリ、と少女は言った。
「わたし」は一文字一文字を確かめるように、"エリさん"と少女の名前を呟いた。

 それから二人はたまに庭で会っては、何てことのない話をするような関係になった。
 シーンが変わるにつれて「わたし」のエリに対する警戒心も解けていき、最初は一人分程開いていた間が徐々に詰められていった。

 エリは「わたし」のことを知っているかのような振る舞いをした。
 反対に、「わたし」はエリのことを知りたがった。どうして? と訊ねられると、何となくです、と言っていたが多分そうではないだろう。

196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:42:56.32 ID:CaJ2VfCb0

「わたし」はエリに会う前の晩はよく眠れなかった。
 けれど会うまでに睡眠を取っていたから、最中は眠たげな様子を見せていなかった(二人の会話でそういうものがあった)。
 エリと触れあっている時間を反復するように、それまでは椅子の上に置いていた人形を胸に抱えて眠るようになっていた。

 示唆的な、というと疑って見すぎかもしれないが、そうとも取れるようなシーンが連続する。

 中盤から終盤にかけて、その頻度は高くなっていく。
 エリの言動が最初の飄々としたものから段々と崩れていく。

 特にそう感じたのは物語も佳境か、という頃で、
 椅子代わりにしていた井戸の中を二人が覗き、

「もうこの井戸は長く使われてないんですよね」と言う「わたし」に、
「こういうのを見ると、もし落ちたらどうなるのかなって思わない?」とエリが珍しく真面目な反応を見せたところだった。

197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:43:48.92 ID:CaJ2VfCb0

「誰にも見つからないまま死んでしまうんじゃないですか」

「うん。……落ちてみたいって思わない?」

「……エリさん?」

「……」

「どうしたんですか。今日、ちょっとだけ変ですよ」

「アタシは……あなたとなら落ちてもいいって思ってる」

「えっと、冗談ですよね?」

「……知ってるんだよ。アタシは、あなたのこと」

 エリは「わたし」の肩をぎゅっとつかんで、

「ここであなたがしようとしてたことも、全部知ってる」

「……」

「あなたの事情も全部ではないにしろ知ってる。あなたが知らないことだって知ってるかもしれない。
 アタシはあなたのことを側で見てた。……でも、アタシじゃ何もできなかった。あなたがここに足を掛けるところを見てるだけだった」

198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:44:49.29 ID:CaJ2VfCb0

「……どうして」

「ねえ……ここから落ちたら、気持ちよくなれるのかな。つらくなくなるのかな。アタシには、それが全然わかんないよ」

「……」

「でも、あなたが一人でそうするなら、アタシも一緒に落ちてしまいたい。そうしたら、何かが変わるかもしれないから」

「わたしは、エリさんがいれば……」

「ううん、そうじゃないの。…………だって、ずっとこのままってわけにもいかないでしょう?」

 あなたも薄々気付いてるんじゃないの? とエリは苦しそうに笑う。

「あした、ここで待ってるから」

 答えを聞かずにエリは踵を返す。
 取り残された「わたし」は井戸を一瞥して、崩れるように地面に座り込んだ。

「エリさんが『あなたとなら』と言ったところで、わたしはそれを信じ切れる自信がありません。
 けれど、エリさんがどうしてもとわたしにそうすることを望むのなら……」

 ごめんなさい、と「わたし」は言葉を宙に向けて放った。

「わたし"は"、あなたじゃなくてもいいなんて思いません。それはあなたがどう思っていようとも変わりません」

199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:46:22.56 ID:CaJ2VfCb0

 翌日の夕暮れ、「わたし」が庭に向かうと、エリはもう既に井戸の縁に座っていた。
 いつもなら手にしているはずの本も何も持っていなく、「わたし」の姿を捉えた時にやっと表情に温度が戻った。

「ねえ、落ちても死ななかったらどうしよっか?」

「……そのときはそのときじゃないですかね」

「……ふふっ、そうかもね」

 二人が揃ってしまったのだからもう不必要な言葉は交わさないのではないかと、「わたし」がエリの手を取った時には考えたが、
 彼女たちの双方が、死を恐れるように──別れを惜しむように、顔を俯かせる。

「アタシはわかんないけどさ、あなたはきっと生きてるよ」

「……そう、ですか」

「……そんなしみったれた声出さないの。アタシだって、できるならこのままでいたかった」

「……」

「あなたにだっていたでしょう? アタシみたいな存在が。ほんの少し前までは」

200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:47:23.33 ID:CaJ2VfCb0

「……」

「いろいろつらいことがあったから忘れているんだと思う。『本当につらかったら──』って、あの人はあなたに言ってたはずだよ」

「……」

「そっか。思い出せないか。…………でも、それでも大丈夫」

 その答えは今もここにあるから、とエリは「わたし」の手を胸元に押し当てる。

「……じゃあ、アタシが先導するから、あなたはそれに付いてきて」

 言葉の通りにエリは背中を下へと滑らせていく。

「……エリさん」

「……どうしたの?」

「……また、会えますか」

「そうだなあ……」

 くすりと悪戯っぽくエリは笑う。

「うん、会える。……でもその時は、一つだけお願いしたいことがあるんだけどさ」

「……何ですか」と「わたし」は目元を擦りながら今にも泣き出しそうな声で訊ねる。

201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:47:55.31 ID:CaJ2VfCb0

「アタシに、名前を付けてくれないかな」

「……え?」

「馬鹿らしいことかもしれないけど、今も昔も、アタシはあなたのことがずっと好きだよ──」

 ──"エリ"。

 エリは微笑むと、ぐいと強く「わたし」の身体を引く。
 二人の姿が見えなくなると同時に、舞台が暗転した。

 陽の射さない部屋で、「わたし」は目を覚ます。

 目と、頬と、首筋を指でなぞる。涙の跡を縫うように。
 胸に抱えている人形を見つめて、何かを思い出したのかその服のリボンの結びを解く。

「……そっか」

 中から何か紙切れのようなものを取り出す。
 それを見て頷き「わたし」は起き上がり、ぺたぺたと音を鳴らして舞台袖の方へと歩いていく。

「……行ってきます」

 声とともに、徐々に舞台が暗くなっていく。
 ドアの開閉音がすると、それ以降は何の動きもなくなった。

 終わりですよ、と隣から零華の声がしたかと思えば、客席の誰かがぱちぱちと拍手をし始め、
 体育館の照明が点灯し演者の二人が現れると、一気にどっとその数が増え、大きな拍手で劇は締めくくられた。

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