森久保乃々「さよなら、森久保」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:22:56.32 ID:QxgIwWOp0
「常に人に見られていると思って行動しなさい」

 それが母の口癖でした。母は私を品行方正な人間へと育てたかったようで、
 私に物心がついたときから、その言葉を繰り返していました。
 
 当時の私は幼く、言葉の意味もちゃんと理解は出来なかったのですが、
 母がその言葉を言うたびに「はい」ときちんと返事をしました。私が大きな声で返事をすると、

「乃々はいい子ね」
 
 と母はいつも私の頭を撫でてくれました。
 
 母の笑顔が全てだった幼少の頃の私は、
 人に見られていると思って行動すれば、母は私のことを褒めてくれる、見てくれる、と本能的に理解しました。


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2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:26:18.22 ID:QxgIwWOp0

 それから月日は流れ、私はとてもいい子へと成長しました。
 塾に通い、母が望んだ私立の中学に見事入学を果たしました。

 合格が決まった日、母は「おめでとう乃々、あなたは私の自慢の娘よ」と私を抱きしめました。

 今になって思うと、母は常に近所の奥さん達の視線を気にしているようでした。

 母の目が届かない学校でも、私は母の言いつけを守りました。
 髪の乱れやスカートの裾、言葉遣いにも十分気を配り、成績も上位を保ち続けました。

 先生もクラスメイトも「森久保さんはとてもいい子だ」と私のことをよく褒めてくれました。母はますます上機嫌になりました。
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:31:24.29 ID:QxgIwWOp0
 
 中学一年の夏でした。
 移動教室から戻るときに、私はスカートの裾がほつれていることに気づきました。
 すぐに近くの女子トイレに入り、ポーチから小さなハサミを取り出して、糸を切りました。

 ついでにと、そのまま用を足していたら、扉が開く音とともに、聞き慣れたクラスメイトの声が入ってきました。

「あいつうざくね?」

 教室のときと変わらぬ無邪気な口調で、クラスメイトは言いました。

「わかる」
「うざいうざい」

 どうやら三人いるようでした。私は個室の扉越しに、三人の顔をそれぞれ思い浮かべながら、
 それこそサバンナで生き抜く小動物のように、じっと気配を隠しました。

 話を聞いていると、あいつとは三人が所属しているグループの一人の女の子を指しているようでした。
 才色兼備で人当たりもよく、成績も優秀な子でした。私には全くうざい理由がわからない。
 それどころか憧れの女の子でした。

 三人は機関銃のように、女の子の悪口を繰り返しました。
 うざいといった弾丸は徐々に具体性を帯びていき、最終的には、

「あいつはぶりっ子だ。がり勉だ」

 と私が尊敬しているところさえも攻撃し、トイレから去っていきました。
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:35:37.36 ID:QxgIwWOp0
 
 嵐が静まったのを確認してから、私は、私の心が震えていることに気づきました。

 身体は熱く、息が苦しい。
 何度も深呼吸を繰り返し、鍵に手をかけるのですが、なかなか扉を開けられない。
 
 腕時計を確認すると、授業開始五分前になっていたので、心臓の音は収まっていませんが、
 このままでは授業に遅れてしまうと、自分に鞭を撃ち、震える手で扉を開けました。

 足早に廊下を歩き、なんとか間に合ったと教室に飛び込むと、先ほどの三人が目に入りました。

 彼女たちは笑っていました。笑顔の横には悪口の対象になっていた優等生の女の子がいました。

 三人は先ほどトイレで話していた声と同じ無邪気な声で
「うける」や「わかる」といった言葉を繰り返していました。

 その光景は今でも私の脳裏から離れません。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:38:28.12 ID:QxgIwWOp0

 始業のチャイムがなり、先生が現れました。現代文の授業でした。
 先生はチョークをこんこんと鳴らしながら、黒板に教科書の文章を書いていきました。
 
 私は黒板のその文字をノートに書き写していきます。
 こんこんこん。かりかりかり。書いているうちに、私はこれまでに覚えたことのない感情に囚われました。

 それは恐怖でした。そのとき私は席替えのくじ運が悪く、人目につきやすい最前列の席に座っていました。

 その私の背中を、後ろのクラスメイト達が、見ているような気がする。見ている。見られている。
 私に聞こえないように意地の悪い言葉を投げつけ、にやにやと笑っている。

 思い出されたのは、トイレで聞いた無邪気な声と、教室で談笑していた彼女たちの笑顔でした。
 その二つはぐるぐると頭の中で回り始め、私の頭を掻き乱しました。
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:41:26.09 ID:QxgIwWOp0
 
 振り返って、彼女たちの顔を確かめたい。そんな衝動に駆られました。
 しかし私の理性と恐怖が、金縛りのように身体を締め付け、私はまさに蛇に睨まれた蛙のようになっていました。

 ここで振り向いたら、それこそ私は、変な人だと笑われてしまう。本当に笑われていたらどうしよう。
 鼓動は激しさを増していきました。身体は嫌な熱を帯びていき、息は苦しく、頭の中では、無邪気な声と笑顔が回り続けていました。

 意識しないようにとすればするほど、視線を感じ、呼吸を整えようとすればするほど、呼吸は乱れ、
 果てには、私の心臓の音や呼吸の変化さえも、見抜かれ、笑われている。

 私の意識はそこで途絶えました。
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:45:00.22 ID:QxgIwWOp0

 目を覚ますと、白の天井。周りはカーテンに覆われていました。私は保健室に運ばれたようでした。
 恐る恐るカーテンを引き、ベッドから出ると、先生と母が私に気づいて駆け寄ってきました。
 
 熱を測り、風邪の症状チェックのようなものもされましたが、
 私の身体に特に異常は見当たらなかったようで、先生も母も首をひねりました。

「ねぇ、乃々何か心当たりある?」
 
 母が私の顔を覗き込んできました。その母の顔が何とも恐ろしくて、私は思わず、母から顔を背けました。

「少しだけ頭が痛いです」

 何とか母へと顔を向け直して、私は嘘を言いました。
 先ほど覚えた恐怖と不安が、私の心をきりきりと締め付けていました。

 母の顔が、笑っていたクラスメイトの顔と重なって見えました。

 人の視線が怖くて倒れたのだと告げてしまうと、心配そうに私を見つめている母の仮面が、
 ぼろぼろと崩れ落ちて、何か恐ろしいものが出てくるような気がしたのです。



8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:48:07.15 ID:QxgIwWOp0

 その日から私は「いい子」ではなくなってしまいました。
 正確には、いい子でありたいと願っていたのですが、いい子であることを保つことが出来なくなりました。
 
 私は常に、人の視線に怯えるようになりました。
 
 学校ではクラスメイトの針のような視線。
 私の背中に大きなシールや埃が付いていて、それに気づいていない私を笑っている。
 
 授業中にさりげなく伸びを装って、背中に手を伸ばしてみたり、
 窓ガラス越しに、自分の臆病な姿を確認する機会が増えました。そして、

「森久保さんはいい子ね」

 と言う、笑顔。
 
 私には、その言葉が皮肉やお世辞のように聞こえ、笑顔や言葉の裏が見えてしまいそうで、怖くて仕方なくなりました。
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:50:20.66 ID:QxgIwWOp0

『常に人に見られていると思って行動しなさい』

 放課後の帰り道、一人、歩いていると、誰かが後ろからつけてきている。振り返ると、誰もいません。

 数秒ほど辺りを見つめ、誰もいないことを確認し、私は再び歩き始めるのですが、
 落ち着かなくて、ゆくゆくは走り出してしまうということもありました。

 住宅街の誰もいないはずの窓からは、誰かが覗いている気がして、
 交通安全の看板や街路樹が人に見えることもありました。

 世界中のいたるところにカメラが植えつけられていて、そこに映る私の映像を、
 誰かが見て、笑っている。

 私が心から落ち着ける場所は自分の部屋だけになりました。
 部屋に引きこもり、小説や漫画を読んだりすることが私の唯一の楽しみになりました。
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:51:41.06 ID:QxgIwWOp0

 私はどんどんひねくれた子供になっていきました。
 それはクラスメイトの三人の心が伝染したのか、人間としての本質的な黒さだったのかはわかりません。
 
 私は人と目を合わせることが出来なくなり、人の発言や行動の奥を疑うようになりました。

「でも……」や「なんで、どうして」と考えてしまうことが増えました。
 
 私は人というものがわからなくなり、人を信じられなくなりました。



11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:52:15.05 ID:QxgIwWOp0

 しかしながら皮肉なことに、このひねくれた性格こそが、
 私の、人に対する不安や恐怖への対抗策になることが後々にわかりました。
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:54:41.52 ID:QxgIwWOp0

 中学一年の冬でした。空には鈍色が広がっていました。体育の授業でした。
 体育館は他のクラスが使っているということで、私たちのクラスはマラソンになりました。

 冷たい風が肌に突き刺さるこの時期に、殺風景なグラウンドを走りたいと思うのはよっぽどの少数派で、
 多くのクラスメイトは「寒い」や「やだ」を繰り返し、そして私も例に漏れませんでした。
 
 私は小声で、
「寒いんですけど……。めんどくさいんですけど……。早く帰りたいんですけど……」と呟きました。
 
 私の言葉遣いは、いい子であった頃の名残とひねくれが混ざって、とても独特なものへと変化していました。
(といってもこの頃は話す機会も少なく、いざ他の人と話すとなると、怯えながらに丁寧語を徹底していましたが)

 ひねくれた私は、よく一人きりのときに、その妙な言葉遣いで、
 弱音のような励ましのような言葉を自分へとかけ続けていました。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 18:58:30.00 ID:QxgIwWOp0
「今言ったの森久保さん?」

 声をかけられ、しまった、と振り返ると、
 クラスメイトの一人が驚いたように、私を見ていました。
 私が吐きだした言葉はどうやら思っていたよりも大きかったようでした。

 私はこの場を乗り切る解決策を頭の中をかきわけ必死に探しましたが、それはすぐに見つかるものではありませんでした。

 あぁ、品行方正だったはずの森久保さんが実は根が悪い人だったなんて。

 私は、その事実がクラス内ひいては日本中へと広がり、
 人々の嫌な笑顔や陰口の種となり肥料となることを想像しました。
 
 それこそまさしく、鬼に見つかったような気持ちでした。

14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/23(火) 19:00:16.73 ID:QxgIwWOp0

 しかし、私の絶望のような思いとは裏腹に、

「森久保さんって実は面白い人だったんだね」

 クラスメイトは声を漏らしながら笑いました。
 すると、まるで寒さから逃れるように、他のクラスメイトたちも、私の元に引き寄せられてきました。

「どうしたの?」「森久保さんが面白くて」
「どういう風に?」「森久保さん、さっきの言葉もう一回言って見て」

 クラスメイトたちは期待の眼差しを私に向けました。
 私はその目を見ることができず、右斜め下の、土と白線へと視線を流しながら、

「寒いんですけど……。マラソンなんかしたくないんですけど」

 クラスメイトたちは声をあげて大笑いしました。普段はあまり笑わない先生も笑っていました。

「森久保さんおもしろーい」

 クラスメイト達が口を揃えて言いました。そのとき私は不思議な感覚に襲われました。
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 19:02:27.13 ID:QxgIwWOp0

 みんなが私を見て笑っている。

 それは、常に私が怯えている感覚と、
 文字だけで見れば違いはありませんが、そこには確かに違いがありました。

 彼女たちは私自身を笑っているのではなく、私のひねくれを笑っている。
 彼女たちが笑っている間、私に対しての視線や言葉も全て笑いに変えられる。
 誰も私に危害を与えない。誰も私自身を見ていない。

 鬼の目にも笑顔と言うのでしょうか。私はまだ幼く、
 これらの感覚を正確に表すことが出来たとはこれっぽっちも思っていませんが、
 私はこのとき、目の前で笑っている人々に対してわずかな光を覚えました。
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 19:03:55.22 ID:QxgIwWOp0

 それから私はひねくれキャラを演じるようになりました。クラスメイトたちは私のことを大変気にいってくれました。

「乃々ちゃんは面白いね」

 言われるたびに、私は、

「森久保は面白くなんかありません……」

 と、ひねくれた言葉で返事をしました。そのころに私は、一人称を私から森久保へと変えました。

『森久保』というのは言ってしまえば、私が他者と関わるためのピエロの仮面のようなものでした。
 私が自分のことを『森久保』と言うと、クラスメイトたちはさもおかしいように笑いました。
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