佐久間まゆ「まゆもやるくぼですけど!!」

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1 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:02:38.70 ID:yFDg0/wv0





 ──あなたにとって『アイドル』とは?






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2 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:06:14.15 ID:yFDg0/wv0
 いまから一年ほど前のこと。

 
『佐久間まゆ、読者モデルを電撃引退! アイドル事務所に所属!』

 
 表紙を飾ることもあった売り出し中の読者モデル、佐久間まゆの突然の移籍。
 
 どうしてやめるの? 佐久間頼むから辞めないでくれ! まゆもう一度考えなおしてみたら?
 
 仲の良かったモデル仲間やマネージャーさん、クラスメイトにパパやママ。いろいろな人から質問攻めにあったり、モデルを続けるようなんども説得されたりもした。
 
 応援してくれていたファンからの反発もすごかったみたいで、うちにも苦情の電話や手紙が送られてきて大変だったんですよーと、ちひろさんに言われたこともありましたっけ。いつも通りニコニコの笑顔で。あれってもしかして怒ってたんでしょうか。
 
 ともかく。私、佐久間まゆのアイドルへの転身はいろいろなところで話題になっていたみたい。


 モデルのお仕事が嫌になったわけじゃない。カメラマンさんが撮ってくれた写真にはまるで別人のように綺麗な自分が写っていていつもわくわくしてたし、応援してますって送られてきたファンレターはいまも大事に引き出しにしまっている。

 
3 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:09:22.63 ID:yFDg0/wv0
 
 アイドルになってからは大変なことばかり。
 
 モデルで培ったビジュアルやもともと得意だったボーカルのレッスンははじめからそれなりにこなすことはできたけれど、もともと運動が得意じゃない私にとって、ダンスだけは鬼門だった。そもそも動きのキレ以前に踊りきる体力が足りなくて、毎朝の走り込みをして体力をつけることでなんとかレッスンについていけている、というのがいまの現状。
 
 純粋に憧れてアイドルになったみんなと、アイドルそのものには興味の薄かった私とではモチベーションもぜんぜん違っているわけで、お仕事やライブに対する熱意に置いていかれそうになって慌てたこともありましたっけ。
 
 とにかく、この一年間はとっても大変できつくて。弱音を吐きたいほどつらいこともたくさんあった。
 
4 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:12:15.19 ID:yFDg0/wv0
 
 でも。それでも後悔だけはしていない。
 アイドルになって、この事務所に居ることができて、ほんとに良かったって心の底から思う。
 
 
 
 だって、運命に出会ってしまったんですもの。
 
 プロデューサーさん。
 
 私の、運命の人を見つけてしまったんだから。
 
 
 
 プロデューサーさんはとっても素敵な人。いつでも一生懸命にお仕事をがんばってくれている大きな背中。いつもは真面目なのに時々どうしようもないいたずらをしちゃう子供っぽいところもあるお茶目でかわいい性格。そしてにこりと笑ったときのドキドキしちゃうあの笑顔。
 
 しかもお若いのに(もちろん私のほうが年下ですけど)とっても優秀。どれくらいすごいかっていうと一年もしないうちに私をCMにも出れる売れっ子アイドルに育ててくれたっていえばわかってもらえるでしょうか。
 そんなことをあの人に言ってみると、

「それは俺がすごいんじゃなくて、元々まゆが有名だったからだよ」
 
 なんて謙遜していましたけれど。プロデューサーさんはほんとうにすごい人で尊敬しちゃう。
 
5 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:14:25.35 ID:yFDg0/wv0

 プロデューサーさんに出会ったあのときから。
 この人と歩んでいきたい……ううん、一緒にならなくちゃいけないんだって思ったんだから。
 
 プロデューサーさんがいてくれたからがんばってこれた。
 プロデューサーさんが傍にいてくれる。プロデューサーさんが私のことを見てくれている。
 
 私にとって、それがいちばんの幸せだったから。
 
 アイドルとして過ごしたこの一年間は、ほんとうに夢のような世界だった。



「まゆちゃん、落ち着いて聞いてください」
 
 だから聞き間違いだと思った。そうであって欲しかった。



「今、連絡があって」
 
 だって、幸せだったから。
6 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:15:22.58 ID:yFDg0/wv0




「プロデューサーさんが……病院に搬送されました」
 
 
 いつまでもこの日々は続いていくんだって。そう信じていたかったんだから。




7 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:19:08.32 ID:yFDg0/wv0
 🎀
 
 それはどこにでもあるような一通の手紙だった。
 
 アイドルとして佐久間まゆが売れ出しはじめたころ、事務所に送られてきたそれはプロデューサーさんの机の上にぽつんと置かれていた。
 ファンからの贈り物は危険なものではないかチェックがされてから、ようやく私たちの手元にやってくる。俺が許可するまで勝手に中を開けるなよと散々注意されてきたし、これまでずっと守ってきた。あの人に嫌われたくありませんでしたから。
 
 なのになぜでしょう。なぜかあのときはその手紙がどうしても気になって、プロデューサーさんが席を立ったすきにこっそりと手にとってしまった。
 興味本位でプロデューサーさんとの約束を破ってしまった。だからきっとこれは神様からの罰なんだと思う。手紙を開くとでかでかと書かれた文字が視界に飛び込んできた。
 


『裏切者』



 どうしてモデルをやめてアイドルになんかなったんだ! ふざけるな! いままで君を追いかけてきた俺の気持ちを考えてみろ!
 
 一方的な罵倒の言葉が綴られていた。
 
 手が震えてくしゃりと音が鳴った。そういえば、モデル辞めたことに怒っている人たちが掲示板にいろいろ書き込んでるみたいだけど大丈夫? と頼んでもないのに教えてくれた親切な人がいましたっけ。なんてことをいまさら思い出す。
8 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:23:23.05 ID:yFDg0/wv0

 裏切者。
 
 その言葉が頭のなかで繰り返される。
 たぶん端から見ればなんて理不尽なんだってきっと思う。こんなの気にしちゃだめですって言ったかもしれない。
 
 だけどこのとき、私は否定する言葉を見つけられなかった。
 
 プロデューサーさんのためだけにモデルを辞めた。そのためにいろいろな人たちに迷惑をかけた。
 それは間違いないたしかな事実で、裏切りと言われても仕方ないことだと思ってしまったから。
 
 
 モデルの私を応援してくれていたファン。同僚だったモデルのみんなにマネージャーさんたち。
 
 もしかしたらいまも、自分勝手だった私のことを恨んでいるんでしょうか。
9 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:26:39.36 ID:yFDg0/wv0

 
 そんなことを思い出したのは、病室の机の上に置かれてある手紙を見たからかもしれない。
 見舞いに来た人たちが置いていった手紙。中には見知った名前もあった。
 もちろん中身は見ていない。それでもプロデューサーさんへの想いがそれぞれ綴られているだろうということだけは手に取るようにわかった。
 
 ちょっとだけ嫉妬しちゃうけれど、みんなに愛され慕われている、この人がとても誇らしい。
 ……誰にも渡しませんけどね。


「ですよね、プロデューサーさん」

「………」
 
 
 営業に向かう途中、階段から転げ落ちて意識不明の重体。
 
 ちひろさんからそう伝えられたときは私も一緒に倒れるかと思った。幸い峠を越えて命に別状はなくなったものの、プロデューサーさんはいまだに目を覚まさない。
 
 
 プロデューサーさんのあの優しい笑顔が見れなくなってから、もう三日が経つ。
10 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:31:52.59 ID:yFDg0/wv0

「……いろいろお疲れでしたもんね。ゆっくりお休みになってください」
 
 脳に異常はないそうです。だからすぐに目を覚ましますよ。
 
 慰めるようにちひろさんはそう言ってくれたけれど。
 このまま目を覚まさないんじゃないか。もうあの笑顔を見れないんじゃないか。なんて嫌なことばかり考えてしまう。
 
 そんなのいや。絶対にいやです。
 左手首につけた赤いリボンを握りしめる。
 
 
 あなたがくれたこのリボンに誓ったの。
 運命の赤い糸で結ばれますように。これから先もずっとあなたの側にいられますようにって。
 
 ねぇ、プロデューサーさん。お仕事はまゆがなんでもやります。あなたはなにもしなくていいです。
 あなたのためならどんなにつらいことでもがんばりますから。
 
 だから早く目を覚まして。がんばったら頭を撫でていっぱいほめて。いつものように楽しそうな笑顔を見せて。
 
 
 「まゆ」ってあの優しい声で、また私の名前を呼んでください。
 
 
 時計を見ると五時をまわろうとしている。もうすぐレッスンの時間。遅れるとトレーナーさんに怒られてしまう。

「今日はこれで失礼します。また明日も来ますね」
 
 ぎゅっとプロデューサーさんの手を握ってから、病室を後にした。
11 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:37:28.51 ID:yFDg0/wv0
 🎀
 
 あの日から、私はとんでもなく忙しい日々を送っている。
 だって、いままでプロデューサーさんがしてくれていたお仕事を、自分でやっていかないといけなくなったんですから。
 
 営業のように私に出来ないお仕事はちひろさんや他のプロデューサーのみなさんが手を貸してくれている。
 でも当然彼らにも自分たちの仕事があるわけで、私に負担の比重が重くなることは避けられなかった。
 
 少しだけお仕事の量を減らしましょうか、というちひろさんの提案を断った。
 そんなことをするとあの人が悲しむから。
 みなさんの迷惑にならない限り、自分でできることは自分でやっていきたい。
 そして帰ってきたプロデューサーがびっくりするくらいに輝いていていたいんです、って。
 
 
 だけど、言うは易く行うは難し。いままで簡単そうに見えていたことがやってみるととても難しい。
 
 特に大変だったのはスケジュール管理。
 いままでは時間に余裕を持って臨むことができていたものの、それは車という交通手段があったからで、電車や自転車で行こうとするとぎりぎりになることが多かった。相手先との打ち合わせもダブルブッキングにならないかとか神経を使ってばかり。
 
 そしてなによりアイドルである以前に学生。当然学校もある。
 体も心もへとへとになる慌ただしい生活。それが一週間ほど続いたときのことだった。
12 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:42:55.48 ID:yFDg0/wv0

「ちひろさん……その子は?」
 
 いつも通りプロデューサーさんのお見舞いに行ったあと事務所に着くと、ちひろさんの隣にちょこんと腰かけた女の子の姿があった。
 森に住み着いている妖精のような雰囲気をまとっている、どこか童話の世界に出てきそうな少女。見たことのない、少なくともこの事務所のアイドルではないのは間違いないはず。
 
 私に気づいたらしく、不安げに揺れる瞳と目が合った。

「ううう……」
 
 その子は目を逸らしたかと思えば、近くにある机の下に潜りこんでしまった。

「森久保乃々ちゃん。今度からうちのプロダクションに入ることになっていた新人アイドルです」

「なっていた?」
 
 首を傾げると、ちひろさんは困ったような顔で机の下を覗きながら続ける。

「まゆちゃんのプロデューサーさんがスカウトしていたんですけど」

「プロデューサーさんが……」

「はい。ですけどいまはプロデューサーさんがあんなことになって。本当は今日からアイドルとしてレッスンをはじめることになっていたんですけど」

「も、もりくぼは別にアイドルになりたいなんて言っていないんですけど」
 
 いまの言葉に今日二度目の首傾げ。アイドルになりたいわけでもないのに、どうしてスカウトに応じたんでしょう?
13 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:45:20.62 ID:yFDg0/wv0

「二か月後に事務所の定例ライブがあるじゃないですか。実はプロデューサーさん、その場を利用して売り込むために乃々ちゃんをライブに出演させようとしてたみたいなんです」

「……歌やダンスの経験は」

「まったく、です。急にこれなくなったモデルの代理をやっているところを見つけてきたらしくって。アイドルのアの字も知らないみたいです」

「それで二か月はちょっと……」

「難しいでしょうね。ごめんなさい乃々ちゃん。今回のライブは見送りになると思います」

「ですから……もりくぼはライブなんて無理なんですけど……」
 
 プロデューサーさんがいなくなって、この事務所はみんながいっぱいいっぱい。
 これ以上他のことをやる余力なんてみじんも残っていない。
 だから乃々ちゃんのステージは諦めるしかない。
 いまじゃなくても機会はいくらだってある。
 ちひろさんの言っていることはもっともなのだと思う。
 
 
 ふいにプロデューサーさんの顔がちらついた。
 あの人のことは私がいちばんよく知っている。
 
 飄々としているようでとっても真面目な人。
 この子のデビューが遅れてしまったことを知ったら、きっと自分のせいだと責めてしまう。
 プロデューサーさんが悲しんでしまう。
 
 ……それだけは嫌。
14 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:47:12.50 ID:yFDg0/wv0

「まゆに考えがあります」
 
 しゃがんで机の下の乃々ちゃんを引っ張り出す。

「えっ。あっ、あの……」
 
 これから私がやろうとしてることは無茶なことなのかもしれない。
 ちひろさんの言う通り今回は諦めたほうがいいのかもしれない。
 
 それでも。
 
 あの人には悲しんでほしくないから。笑っていて欲しいから。
 
 プロデューサーさんにはずっと幸せでいてほしいから。

「プロデューサーさんが戻ってきてくれるまでのあいだ……」
 
 だったら私ががんばればいい。
 帰ってきたプロデューサーさんが笑っていられるような環境を私がつくっていればいいだけ。
 
 ドクン、ドクン。
 うるさい心臓を無視して、乃々ちゃんの肩を抱いて、ここに宣言します。
15 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:48:48.63 ID:yFDg0/wv0




「まゆが、乃々ちゃんのプロデューサーになります」
 



 事務所がしんと静まりかえる。
 
 ちひろさんが。乃々ちゃんが。その場にいた事務所の誰もが息をのんでこちらを見つめるなか。
 
 
 この日。私、佐久間まゆは森久保乃々ちゃんのプロデューサーになった。
16 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/28(木) 19:51:03.99 ID:yFDg0/wv0
今日はここで切ります。 
地の文ばっかりで読みづらいかもしれませんがお付き合いいただければ幸いです。
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/28(木) 20:31:34.46 ID:GUuHglV70
まゆかっこよすぎる
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/28(木) 20:42:34.03 ID:TU1ICLc2o
めっちゃたのしみだ
19 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 12:57:29.04 ID:owrWAVvd0
 🎀
 
 アイドルに一番必要なものは体力だ、とプロデューサーさんに口酸っぱく言われてきた。
 なにをするにも体力なくてばてるようじゃ話にならないぞ、って。

 例えば三十秒くらいのCMの撮影の場合。
 監督がオッケーを出すまでなんどもなんども同じシーンを撮り直して、そのたびになんどもなんども同じ動作を繰り返す。
 単純作業って一見簡単そうに見えるけれど、集中しながらの長丁場になるとこれがとにかく疲れて、帰りたいってなんど思ったことか。
 
 他にもつらいお仕事はいっぱいあったけど、やっぱりいちばんきついのはライブ。
 踊りながら歌う。
 ファンが最もアイドルに求めているパフォーマンス。
 
 それこそ杏ちゃんや志希ちゃんみたいな天才でもない限り、プロとしてのステージを見せようとすると数え切れないぐらいの練習がいる。一曲マスターするのだけでもものすごく大変なのに、ライブではこれを何曲もしなくちゃいけない。
 巧さ以上に最後まで踊りきる体力が必要になる。
20 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:01:49.58 ID:owrWAVvd0


「森久保。お前はいつまでそこで寝ているつもりだ。ライブまであまり時間がないんだろう。はやくレッスンの続きをやるぞ」
 
 呆れたようなトレーナーさんの視線の先には、床に向かって女の子がぜいぜい息を吐いている。

「も、もう立てません……むりです、むーりぃー……」
 
 トレーナーさんは大きなため息をついたあと、私を横目で見た。

「佐久間。お前は森久保のプロデューサーなんだろう。ぼけっとしてないでなんとかしろ」

「は、はい!」
 
 

 森久保乃々ちゃんプロデュース生活六日目。
 
 プロデューサー。
 
 もう一週間くらいからかいも含めてそう呼ばれることがあるけれど、その度にむずむずしちゃう。
 自分から名乗っておいてなに言ってるのって話かもしれませんけど。
 それでもやっぱり、私にとってのプロデューサーはあの人だけだから。

「乃々ちゃん。あと一回やったら今日は終わりにしますから。もうちょっとだけがんばりましょう」
 
 へたりこんでいる乃々ちゃんにしゃがんで手を差し出す。びくりと顔をあげて一瞬だけちらりと合った瞳は、すぐに逸らされた。

「は、はい……わかりました、まゆさん」
 
 そう言ってそのまま目を逸らしながら、私の手を掴んで起き上がった。
21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/29(金) 13:02:21.89 ID:NUz+L03z0
スレタイ見て自分を森久保乃々だと思い込んでる佐久間まゆか、ポタラでまゆと乃々が合体したssかと思ったら全然違った
22 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:07:15.82 ID:owrWAVvd0
 
 森久保乃々ちゃん。
 
 十四歳の中学生。
 
 その年齢からしても小さくて、触ると折れてしまいそうな身体。
 整った顔立ちにくるりと丸い目をしていてとてもかわいらしい。
 常におどおどしている様子はなんだか子リスを思い出しちゃって、守ってあげたくなるってこんな子のことを言うんでしょうか。プロデューサーさん、もしかしてこういう子が好みなのかな?
 
 冗談は置いておくにして……いやほんとに冗談ですよ。乃々ちゃんに嫉妬なんてしてません。ってなんでこんな言い訳みたいなことしてるんでしょうか。
 
 ごほん。とにかく乃々ちゃんははっきりと言って美少女だった。売れっ子アイドルですってテレビに出ていても全然不思議じゃないぐらい、とってもかわいい。
 
 でもそれは見た目は、のお話。


「も……もうほんとにむりです。むーりぃー……」
 
 曲が止まると、とうとう床に倒れてしまった。
 
 乃々ちゃんはプロデューサーさんが言うアイドルに一番必要なものを持っていなかった。
 すなわち体力がなかった。それはもう絶望的なほどに。
 体力不足を指摘されてきた私が言うのだから、この子は相当な筋金入りかもしれない。
 
 それに加えて乃々ちゃんはとってもシャイなのか、頑なに目を合わせようとしない。
 はじめは私が嫌われているのかなと落ち込んだけれど、他のみんなにもそうだと知って少しだけ安心……はしちゃいけないんでしょうけど、でもちょっとだけホッとしたりして。
 
 私たち相手でこうなのだから、握手会のことを考えると頭が痛くなりますね、とちひろさんがボソッと漏らしていたのは昨日のこと。
 
 せっかくこんなにかわいいのに。乃々ちゃんはアイドルに向いているとはとても言えなかった。
23 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:10:09.28 ID:owrWAVvd0

 そういえばはじめて会ったとき、アイドルになりたいわけじゃない、なんてことを言ってましたっけ。
 
 それならどうして。

「ねぇ、乃々ちゃん」
 

 どうしてアイドルを続けているの? 
 やめようって思うことはないの?
 

 言いかけたその言葉を飲み込む。
 
 私は乃々ちゃんのことをほとんど知らない。
 乃々ちゃんの趣味も好きな食べ物も休日どうして過ごしているのかも、いま好きな人がいるのかも。
 私はなんにもこの子のことを知らない。
 
 だって私たちは出会ってまだ一週間も経っていないんだから。
 
 プロデューサーさんはどうしてましたっけ。
 私と出会ったばかりの頃。
 事務所に押し掛けてきた私に、プロデューサーさんはなにをしてくれてましたっけ。


「乃々ちゃん、明日オフですよね?」
 
 あの人との出来事は昨日のことのようにぜんぶ思い出せる。
 もちろんあの人がなにをしてくれたのかもぜんぶ。
 小首をかしげている乃々ちゃんにそのうちのひとつを口にしてみた。


「まゆと、デートしませんか?」
24 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:16:51.54 ID:owrWAVvd0
 🎀
 
 ワイワイと騒がしく大学生ぐらいの集団が通りすぎていった。
 斜め前にはベンチに腰掛けたカップルが仲睦まじくお話していたり、子連れの夫婦が楽しげにレストランの中に入っていったり。
 休日のショッピングモールはとにかく人が多い。
 プロデューサーさんに連れてきてもらったときも同じくらい人がいてすごいなって思ったのを覚えている。
 
 いまは外に出かけるときは春奈ちゃんおススメの普段はかけない眼鏡で変装しているのだけれど、それでも時々ばれてサインを求められることもあって、遊びにいくのもちょっと大変。
 プロデューサーさんのおかげでそれだけ有名になったってことだから、とっても嬉しいことではあるんですけど。


「うう……人が多い」

「乃々ちゃんはどこか行きたいところとかありますか?」
 
 乃々ちゃんは変装はしていない。まだデビューもしていないのだから当然かもしれませんが。

「もりくぼ……あまりこういうところは来ないので……」

「そうですね……それならとりあえずいろいろ見て回りましょうか」
25 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:22:59.58 ID:owrWAVvd0
 

 それから人ごみにはぐれないようにしっかり手を握って、いろいろな店を見て回って二時間。
 インドア派らしい乃々ちゃんは少し疲れたようにベンチに座っていて、その両手は二つの袋をぎゅっと握っている。
 
 乃々ちゃんについてわかったこと。
 
 ひとつ。
 
 ちょっと優柔不断なところがあること。
 乃々ちゃんに服を選んであげてたとき。

「乃々ちゃんはどっちが好きですか?」
 
 緑と青の色違いのワンピース。
 派手さはないけれど、小動物のような可愛らしさがある乃々ちゃんにはよく似合っている。
 元読者モデルが言うんだから間違いありません。
 
 乃々ちゃんはううと三十秒ぐらい交互にためつすがめつしたあと、遠慮がちに私を見た。

「まゆさんはどっちがいいと思いますか?」
 
 少し悩んで緑のほうを選ぶと、じゃあそれがいいです、と緑のワンピースをレジまで持っていった。

 結局最後まで自分で選ぶことはかった。
26 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:24:55.07 ID:owrWAVvd0
>>25
最後の行。
結局最後まで選ぶことはなかった、の誤りです。申し訳ありません。
27 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:28:36.09 ID:owrWAVvd0

 もうひとつ。
 
 詩が好きだということ。
 本屋さんで詩集を真剣な顔で見つめていた乃々ちゃん。

「詩、好きなんですか?」
 
 びくりと振り向いて顔を真っ赤にわなわなして、コクリと頷く。

「まゆも好きですよ。詩集は持っていませんけどね」
 
 
 まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき 
 前にさしたる花櫛の 
 花ある君と思ひけり
 

 以前どこかで聞いたことのある詩のワンフレーズ。
 多くを語らずいろいろな想いを表現する。それってまでとっても素敵。
 つい日記にプロデューサーさんのことを書きすぎちゃうことが多いから、こういうところは見習わないと。

「まゆさんも……?」

「はい。とっても素敵だと思います」

「そ、そうですか……」
 
 驚いたようにこちらを見つめたまま、わずかに口元が緩めて言った。

「同士ができて少しうれしい……かも」
28 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:33:45.66 ID:owrWAVvd0

 
 それらの出来事を頭のメモ帳にしっかり書き込んでいると、隣から視線を感じた。
 乃々ちゃんはまゆの左手首をじっと見ている。いえ、もっと正確にいうならば。

「このリボンがどうかしましたか?」

「すごくかわいいって思ってたんですけど……まゆさん、そのリボンいっつもつけてるのはなんでだろうって……すみません」

「もうっ。謝ることじゃないですよぉ」
 
 もうなんどもなんども事務所のみんなにされてきた質問で、答えているのはいっつも同じ言葉。


「これはまゆがはじめてお仕事をしたときに、がんばったご褒美だ、ってプロデューサーさんからもらったものなんです」
 
 もう二週間近く見ていないあの優しい笑顔が頭をよぎった。

「プロデューサーさんといつまでも一緒にいられますように。この赤い糸でずっと結ばれますようにって。まゆは、このリボンにそう願掛けして、いつも身に着けるようにしているの」
 
 だからこれはとっても大切な、私の宝物。

「……ちひろさんから聞きました。元々はモデルさんだったのをやめてアイドルになったって。……まゆさんは……プロデューサーさんのために、アイドルになったんですか?」

「そうですよ」
 
 即答、迷うことなく言葉がでた。

「だってプロデューサーさんはまゆの運命の人なんですもの。プロデューサーさんがアイドルのプロデューサーだったから、まゆはアイドルになったんです」

「……」
 
 びっくりしたように目をぱちくりさせている乃々ちゃんがどう思ったのかはわからない。
 時計を見ると一時を回っていた。ベンチから腰を上げて手を差し出す。

「さあ、まだデートは終わってませんよ。次はどこに行きましょうか?」

29 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:36:44.96 ID:owrWAVvd0
 


 あいくるしい人に会えたから永遠を。
 
 これは愛の歌。
 たとえ想いが届かなくてもあなたといつも通りに過ごしたい。
 
 以前、事務所が誇る京都出身和服美人こと小早川紗枝ちゃんと歌ったユニット曲。
 
 この歌を歌っているといつも切ない気持ちになって泣いちゃいそうになる。
 この人はこれからどうなんだろう。
 愛する人の傍でどんな気持ちで笑っているんだろう、って想像してしまって。
 それはきっと私には耐えられないから。だからとても胸が苦しくなる。
 
 
 ショッピングが終わって、次はカラオケ。
 ちょうど小腹がすいてくる頃合い。
 ここならご飯を食べながら座って遊べるし、なにより乃々ちゃんが歌っている姿を見てみたかった。
 
 曲を歌い終わるとぱちぱちと控えめな拍手が鳴った。

「まゆばかり歌ってちゃダメですね。はい、乃々ちゃんどうぞ」
 
 マイクを差し出すと乃々ちゃんは首を激しく横に振った。
30 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:38:21.63 ID:owrWAVvd0

「もりくぼには無理です……。ボーカルレッスンでさえだめだめなのに、一曲まるまる歌うなんて……」

「今日はレッスンじゃなくて遊びに来てるんですから、気にせず歌いましょう」

「もりくぼ、カラオケなんてはじめて来ましたし……やっぱりむりです、むーりぃー」

「乃々ちゃん、だめですか?」
 
 私はしゃがんで少し見上げるように乃々ちゃんを見つめる。
 上目遣い。プロデューサーさんにお願いするときもこうするとあたふたしてしてくれる。
 ちょっとずるいかもですけど、私のとっておき。
 
 
 乃々ちゃんはあわあわと口をもごもごさせたあと、

「その……まゆさんが一緒に歌ってくれるなら……」
 
 やっぱり目を逸らされたままだったけれど、か細い声でそう言ってくれた。
 
 自分でも顔がにやけてるのがわかる。
31 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:41:53.81 ID:owrWAVvd0

「ありがとうございます、乃々ちゃん」

「でもぜんぜん期待しないでください。もりくぼなんて……音痴で運痴でだめだめで……。まゆさんみたいになんでもできるわけじゃありませんから……」
 
 なんでもできる? 私が?
 あまりに的外れなその言葉に首をかしげていると、乃々ちゃんは続けて言った。

「そもそもまゆさんは自分から事務所に乗り込んでまでアイドルになったのに……もりくぼはいまもなにも目的もないままですし……いつもみなさんに、ご迷惑ばかりおかけしていて……」
 
 ああ、やっぱり。心のなかで相槌をうつ。
 
 乃々ちゃんの一番弱いところは体力不足じゃなくてこの自信のなさ。
 体力はいまからがんばればどうとでもなるけど、性格はそう簡単に変えられない。
 これさえなくなれば、この子はきっとすごいアイドルになれるはずなのに。

「……乃々ちゃんはモデルの代わりをしていたところをスカウトされたんでしたよね?」

「はい……断ろうとなんどもしたんですけど、結局断り切れなくて……」

「アイドル、やめたいですか?」

 びくりと乃々ちゃんの体が跳ねた。
 
 なんだろう。なんだかとっても悔しくなってきた。

「もちろん乃々ちゃんがやめたいって言うならまゆは止めません。まゆがちひろさんに話をつけます。だからアイドルを続けるかどうか、乃々ちゃんが決めていいんですよ」

「…………」
32 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:44:54.84 ID:owrWAVvd0

 どれくらい待ったかわからない。

「ほんとは怖くて、逃げだしたくて……いっぱいいっぱいなんですけど……」
 
 もじもじしながら乃々ちゃんは口を開いた。

「もう少しだけ……アイドル、続けてみようと思います」
 
 ふぅと無意識に息がこぼれる。
 その答えに安心している自分に少しだけ驚く。
 
 私、乃々ちゃんがアイドルを続けてくれて嬉しいと思ってるんでしょうか?
 
 たしかにさっきは悔しくなったけれど、それでも乃々ちゃんの世話をすることはとっても大変なのに。
 諦めてくれたらきっと楽になれるのに。
 
 どうして? 
 プロデューサーさんのためだから? 
 一度引き受けたお仕事だから? 
 それとも──
 
 首を横に振る。
 いけない。今日は遊びに来たんでした。しんみりとした空気を換えるためにポンと明るく手を叩く。


「はい、この話はここでおしまい。早く歌いましょう」

「あうう……。忘れてなかった……」
 
 なにを歌おうかな。探していると、ふとある曲に目が止まった。
33 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 13:47:48.12 ID:owrWAVvd0

 うふふ。よしっ、これにしましょう。
 
 それは恋の歌。
 あなたと毎日こうして大好きって言い合いたい。
 少女の恋慕がぎゅとつまっている、プロデューサーさんが私のためにつくってくれたデビュー曲。
 
 まさに私のためにあるような歌で、こんな歌を用意してくれるプロデューサーさんってやっぱりすごい人だと思う。
 
 かわいらしいメロディが流れてきて、乃々ちゃんにもマイクを握らせて歌う。
 
 
 やっぱり声は消えそうなくらい小さかったし、音程はちょこちょこ外れているところもあったけれど。
 
 ちらりと横を見ると潤んだとってもきれいな瞳がそこにあった。
 真っ赤な顔をさらに赤くして横に背ける様子がかわいくてつい笑みがこぼれる。
 

 乃々ちゃんとのこのデュエットを忘れることはないだろうと。そう思った。

34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/29(金) 15:20:08.66 ID:LA75qJ1Eo
最高かよ
35 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 21:58:25.53 ID:owrWAVvd0
 🎀
 
 森久保乃々ちゃんプロデュース生活三週間目。
 
 
 ペンを転がして椅子にもたれかかるとギィと悲鳴が鳴った。
 
 とりあえずは解き終わった二次関数のプリントをファイルにはさみ、学校に持っていくのを忘れないよう、ファイルをかばんに入れた。

 睡魔が襲ってきてまぶたが重くなる。

 学校が終わるとお見舞いに行き、そのあとお仕事に行ったり乃々ちゃんと一緒にレッスンをしたりして、それが終わるとこれからの打ち合わせ。
 寮に帰るころにはもう遅く、特別に門限を免除してもらっている寮母さんからいただいた差し入れを食べながら学校の宿題や明日のスケジュールの確認をする。
 
 夜更かしは美容の敵、と日付が跨ぐころにはベッドの中に潜り込むのが習慣だったのに、ここ最近はあまり睡眠時間がとれていない。
 
 頬を叩いて眠気を飛ばす。
 
 ……よしっ。気合を入れなおしてスケジュール帳を開く。

 
 
36 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 22:01:56.83 ID:owrWAVvd0
 
 明日はいよいよライブに向けた乃々ちゃんの本格的なレッスンがはじまる。 
 まだ完全に基礎ができているわけではないけど、ライブまであと一か月に迫っている。
 急ピッチではあるものの、いまから取り組まないとどう考えても間に合わない。やはり日程は相当にきつきつだった。
 
 ちひろさんやトレーナーさんは大丈夫だろうかと心配していたけれど、私は頷いた。
 
 一緒に遊びに行ってから乃々ちゃんは以前に比べてがんばってくれるようになって、着実に力をつけている。
 
 課題だった体力はまだまだではあるけど、今回の乃々ちゃんの出番は彼女自身のデビュー曲の1曲のみ。
 それならなんとか乗り切れるはず。
 相変わらず目を合わせてくれることはないけど、ライブではさして問題ないでしょう。
 
 楽曲の歌詞と振り付けは乃々ちゃんの意見を取り込みながら昨日ようやく完成させた。
 
 柔らかいメロディにポエムチックな歌詞で、乃々ちゃんらしい楽曲に仕上げられたと思う。
 その雰囲気に逆らわず振り付けも穏やかなものに合わせることで、いまの乃々ちゃんでもなんとか演じきれるものになっているはず。
37 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 22:04:51.46 ID:owrWAVvd0

 ただそれは単調だということでもある。
 
 四分近くもあるステージで緩慢すぎる演出だとファンは飽きてしまう。
 だから普通は「わぁ」と見惚れるようなパフォーマンスを入れることが多い。
 その楽曲独特の振り付け、といえばわかりやすいでしょうか。


「どうしましょう」
 
 ここ数日、今回の楽曲にそういうのを入れようかずっと頭を悩ましている。

 
 サビ前に二回ターン。
 
 ターンって簡単そうに見えるけれど、きっちりと綺麗に回るのは初心者にはとっても難しい技術のひとつ。
 
 パフォーマンスの質は間違いなく上がる。
 でも難易度もそれと同じか、それ以上に難しくなってしまう。
 ただでさえ、乃々ちゃんに与えられた時間は短い。


「どうしましょう」
 
 もう一度呟く。
 
 安全をとるか、リスクを承知で挑戦するか。
 
 それからもうんうんとしばらく考えて部屋の電気を消すころには、時計の短針は二時を回っていた。
38 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 22:14:29.20 ID:owrWAVvd0
 🎀
 
 凛ちゃんからもらったお花を花瓶に挿す。
 
 まるで本物のように瑞々しいお花だけど造花なんですって。
 凛ちゃん曰く、本物のお花だと水やらなくちゃいけないし、花が散ったら掃除が大変でしょ、とのこと。


「プロデューサーさん、ここに置いておきますね」

「……」
 

 今日はいつもと違ってレッスン帰り。
 いつもは学校が終わったその足で病院に行くけれど、時々レッスンと前後してお見舞いすることもある。
 
 花を挿すときに濡れた手のひらをハンカチで拭って、椅子に腰を下ろしながらプロデューサーさんの手を握る。

「今日の乃々ちゃん、とってもすごかったんですよ」
 
 寝ているプロデューサーさんに今日の業務報告をすることにした。


 …………
 ………
 …
 
 本格的なレッスンは、まずは振り付けを覚えることからはじまった。
 なにをするにもまず覚えていないと話にならない。
 ひとつひとつの動作は簡単でも、次は動きはこうだからと意識すると忘れしてしまうなんてよくあること。
 
 残された時間は多くない。どれだけ早く覚えられるかが大切だった。

 
 それで、乃々ちゃんはどうだったかというと……。
39 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 22:21:16.17 ID:owrWAVvd0

「なかなかやるじゃないか」

 結論から言うと、乃々ちゃんは振り付けのほとんどを一日で覚えた。
 
 いつもクールなトレーナーさんのあんなに驚いた顔なんてはじめて見たかもしれない。
 
 乃々ちゃんも一緒にこの振り付けは考えていたわけで、ゼロからのスタートではなかった。
 まだ覚えきれていないところもあるし、パフォーマンスとしてはお客さんに見せられるレベルにはほど遠い。
 しかもこれを踊りながら歌うというハードルもまだある。
 
 先はまだまだ長い。
 
 でも、それでも初日でここまでできるなんて。


「すごい……ほんとにすごいです、乃々ちゃん!」
 
 うれしくてつい乃々ちゃんの手を握りしめると、真っ赤な顔であわあわと口を動かして、

「あ……ありがとう、ございます」
 
 そしていつものように目を逸らされた。

「たしかに大したものだ。ここまでできるとは正直思っていなかった。少なくとも三日はかかると思っていたんだがな」
 
 
 やった!
 
 自分が褒められたようにうれしくなる。
 トレーナーさんはそんな私に気づいたのか、ごほんと咳ばらいをして真面目な顔になった。
40 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 22:27:00.05 ID:owrWAVvd0

「だが、まだできていないところもたくさんある。特にサビ前はやはりというかまるっきりできていないな」
 
 その言葉で私も気を引き締める。
 
 
 サビ前。

 結局私はターンをいったん振り付けに入れてみることにした。
 
 すぐにできるとは思っていない。
 もしできそうならやってみることにして、難しそうなら元の振り付けに戻そうと思っていた。
 

 見たところ、本番に間に合うかどうかは正直微妙、というのが私の感想。
 
 ターンは体を支える軸足がとっても大切で、そういうのは一朝一夕で身につけられるものじゃない。
 どれだけ基礎をつみこめられたかが動きのキレにつながる。
 乃々ちゃんの曲はそこまでキレが要求されるものではないけれど、それでも難しいことにはかわりない。
 
 実際にやってみた乃々ちゃんは、回るどころかすてんと転んでしまった。


「乃々ちゃんはどうしたいですか?」
 
 安全をとるか、リスクをとるか。
 
 迷ったら乃々ちゃんに決めてもらおうと思っていた。

 この曲はほかならぬ、乃々ちゃんの曲ですから。
41 : ◆GO.FUkF2N6 [saga]:2017/12/29(金) 22:33:49.17 ID:owrWAVvd0

「……」
 
 乃々ちゃんはしばらく考えていたあと、一瞬だけちらりと私を見て言った。

「この振り付け……まゆさんが考えてくれたんですよね」

「はい。そうですよ」
 
 睡眠時間たっぷり削ってがんばったんですよ、と心の中で付け加える。

「まゆさんは……もりくぼにできると思いますか?」

「できます」
 
 そんなことほんとはわからないのに、はっきりとそう言いきった。




「乃々ちゃんならできます。だって……まゆの育ててるアイドルなんですもの」
 
 
 ぼーと私を見つめる乃々ちゃんを見てると気恥ずかしくなって、熱くなった顔をそらす。

「でもそんなこと気にしなくていいんですよ。乃々ちゃんがやりたくないなら別にやらなくても……」

「もりくぼは」
 
 
 私の言葉をさえぎって、ぎゅっと両手をにぎりしめながら。

「もりくぼは、ほんとにだめだめで……このダンスもうまくできないかもしれないですけど……」
 
 
 きっと彼女なりの葛藤があったんだと思う。
 ほんとはやりたくない気持ちが少なくないだろうってことも、これまでの付き合いでなんとなくわかる。
 
 それでも、いつもよりも弱弱しく震える声ではあったけれど。


「それでも……やってみようと、思います」
 
 かすかに口元をほころばせて、たしかにそう言ってくれた。
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