【ミリマス群像劇】最上静香「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

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1 : ◆17z5a1JMEs [sage saga]:2017/12/24(日) 02:53:23.18 ID:tCiOWLnR0
1 〜クリスマスから10日前〜

『皆さんは過去を見る方法を知っていますか?』

『それは映像資料のように現存するものに限られない、好きな時代の過去を見る方法なのです。』



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1514051602
2 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 02:54:12.76 ID:tCiOWLnR0
 誰にも見せずに大切に保管していた親の形見を、今度は自分の子に託すように、慈愛にあふれた声はデスクの上に置かれたノートパソコンから聞こえる。
Webラジオ「ラジオで765」
 夜8時から夜9時までの1時間。765プロダクションに所属するアイドルがそれぞれプログラムを考え、自分でプログラムのパーソナリティを務めることがこの番組の特徴だ。
今宵のパーソナリティは四条貴音。
「トップシークレットです」が口癖で、私生活が謎に包まれている彼女のラジオを聞けば、少しでもその謎が解けるかもしれない。そう思いラジオに耳を傾けているのは何も貴音のファンだけではない。同じ事務所に所属する彼女の後輩である春日未来、最上静香、伊吹翼の3人も仕事終わりに事務所に集まって、どんな秘密が飛び出すのかパソコンを前に期待に胸を膨らませていた。
3 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 02:54:53.39 ID:tCiOWLnR0
貴音『CMの後で世界の秘密を公開いたします』


『人気急上昇中!秋月律子のお悩み相談室!ラジオで765の枠を超え、まるまる1時間拡大放送決定――』


答えを焦らすかのようにお約束のCMが入る。

4 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 02:55:40.43 ID:tCiOWLnR0
翼「……貴音さんの私生活の秘密が聞けると思ってたら、まさか世界の秘密が飛び出すとは思わなかったね」

翼は貴音の秘密が聞けずに残念と口をとがらせつつも、その答えに興味を惹かれていた。

未来「だね。でも過去を見る方法ってなんだろ?タイムマシンかな?タイムマシンだよね!車型の!」

バックトゥザフューチャー!春日未来だけに!と未来は以前見た名作映画を思い出しながら興奮気味に声を弾ませる

翼「タイムマシンって、ふふっ、未来は子供だね〜」

まったくやれやれ、しょうがない子だな。いくつになってもまだ子供か、と翼は過去に親戚のおじさんに呆れられた情景を真似るように首を振る。

5 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 02:56:21.61 ID:tCiOWLnR0
未来「む〜。じゃあじゃあ、翼はなんだと思うの?」

翼「私はもっと現実的な手段が思いついたかな?」

未来「現実的?」

翼「うん。しかもとっても簡単だよ!」

未来「簡単?」

翼「なんと用意するものは勢いよく突っ込んでくる車だけ!」

未来「車?それって、バックトゥザフューチャーじゃ……」

違う違う、わかってないなと翼はかぶりをふって否定する

翼「勢いよく突っ込んでくる車。その車の正面に勢いよく飛び出すとあら不思議、自分の過去が頭の中を勢いよく駆け巡るのです!」

翼が荒唐無稽なことをくちにする。

未来「……はぁ〜やれやれだよ」

翼の自信満々の回答に対して、やれやれ困った子だ。まったく親はどこにいるんだ?と見知らぬ大人に呆れた過去を再現するように未来は、わざとらしく息を吐きだす。

翼「む〜、私の案のほうが未来のより現実的でしょ〜!」
6 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 02:57:00.83 ID:tCiOWLnR0
未来「翼。大事なのは想像力だよ。貴音さんがラジオで、『では、みなさんこれから車に突っ込んでください』なんて言うと思う?」

貴音の口ぶりを真似るように未来は誤りを指摘する。

翼「ふふっ、未来全然似てないよ〜。いや、『未来、全然似てはおりませんよ』」

翼も未来に対抗するように貴音の物まねをする。

未来「翼も似てないって〜。ねえ、静香ちゃんはどっちが似てると思う?」

静香に目を遣ると、彼女は思案しながら俯き気味に「過去を見る方法……」と呟いていた。静香の目線の先にあるリノリウムの床には、傷や汚れがにじんでいる。

7 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 02:57:39.30 ID:tCiOWLnR0
未来「静香ちゃん、聞いてる?いや、『聞いておりますか、静香?』」

静香「え!?ああ、どうしたの未来?誰かの真似?」

未来「も〜静香ちゃん、上の空だよ。どうしたの?」

静香「なんでもないわ、貴音さんの話が気になっちゃって。過去が見れるなんてすごいわよね」

静香ちゃんにしてはとってつけたような感想だ。
未来は何か引っ掛かりを覚えながらも、その思考は――

翼「あ、そろそろラジオが再開するよ?」

翼のひと声で頭の奥へと追いやられる。

8 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 02:58:08.36 ID:tCiOWLnR0
貴音『皆様、お待たせいたしました。過去を見る方法。お気づきになりましたでしょうか?』

貴音の問いかけに翼は「車に突っ込むのです」とまたもや真似をして応じる。

未来「だから、違うって……」

静香「ほら、2人とも、種明かしがはじまるわよ」

静香の制止を受け未来と翼はパソコンから聞こえる声にぐっと集中する。

貴音『その答えは』

未来・翼「「その答えは?」」

貴音『空にあります』

未来・翼「「え?空??」」

2人は予想から大きく離れた答えに、素っ頓狂な声を上げる。
9 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 02:58:38.32 ID:tCiOWLnR0
貴音『ラジオを聴いている皆様、そこから星が見えますか?』

未来「翼、がっかりだね。貴音さん、これからおとぎ話を始めるつもりだよ。絶対」

翼「そうだね〜。空はないよ。空は。現実的じゃないよ」

未来「うん。現実的じゃないよ現実的じゃ」

未来と翼は完全に興味を失っていた。

静香「まあまあ、まだおとぎ話と決めつけるのは早いわ。取り敢えず屋上に行ってみましょう。ね?」
せっかく3人で集まったのにこのまま解散するのは、勿体なく静香は感じていた。
未来と翼も同じように感じたのか――

未来「む〜、まあ静香ちゃんが言うなら」

翼「星とかロマンチックだしね〜」

仕方ないなと3人はコンクリート打ちの階段を昇って行った。
屋上への扉を開くと、満天の星空が広がっている――
10 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 02:59:18.29 ID:tCiOWLnR0
なんてことはない。

未来「星、少ししか見えないね〜」

翼「全然ロマンチックじゃな〜い」

静香「……そうね、周りのビルの灯りで見えないわね。」

東京の街の夜景は綺麗だけど、それは皆が残業してるおかげなんだ。という栄養ドリンクのCMを静香は思い出していた。

貴音『場所によっては星が見辛いかもしれません。』

静香が抱えているパソコンから、貴音の声が聞こえる

貴音『ここでは大抵の場所で見える星、つまり南の空に一番強く輝くシリウスを例にとって過去を見る方法を考えてみたいと思います。』

未来「シリウス?南?」

翼「瞳の中のシリウス?」

静香「違うわ、あれよあれ」

混乱している二人に静香は南の空に青白く輝くシリウスを指し示す

未来「ああ、見つけた!」

翼「どこっ!?ねえどこ!?静香ちゃん!」

静香「取り合えず、翼は一番輝く星を探しなさい?」

星の位置を示すのは難しい。

11 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 02:59:46.47 ID:tCiOWLnR0
貴音『地球からシリウスまでの距離は8.611光年と言われています。光年とは1年に光が進むことのできる距離です。そしてシリウスは自ら光を発する恒星です。では皆様が今見ているシリウスはいつのものでしょうか?』

未来「数学だよ翼、数学が来ちゃったよ!」

翼「おとぎ話のほうがまだマシだよね、未来!」

先ほどまであれほど現実的を追い求めていた2人は、揃って数学に対する悪態を垂れる

静香「……あなたたち、数学に親でも殺されたの?」

2人を置いておいて、静香は貴音の声に集中する

貴音『そうです皆様が見ているシリウスは、8.611年前のものになります。』

未来・翼「「へ〜数学ってすご〜い!!」」

違う、これは数学じゃなくてただの国語だ、小学生レベルの。と静香は言いかけたが、やめた。

静香「確かに過去のシリウスを見てはいるけど……」

自分たちの過去は見えない。
12 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:00:13.15 ID:tCiOWLnR0

貴音『安心してください。これで終わりではありません。私達の過去を見るにはどうすればよいか?それは逆の発想をすることが大切なのです。相手の立場に立って物事を考えなさい。そうしつけられて育てられた方は多いと思います。いまがその訓練の成果を試す時です』

翼「相手の立場?それってここでいうと……」

貴音『シリウスです。地球から見るシリウスは8.611年前のものになります。ではシリウスから見る地球はいつのものでしょう?もうお分かりですね?シリウスから見る地球も今から約8年前のものになるのです。』

静香はなるほど、と思った。今まで星をそのような観点で見たことがなかったから素直に感心した。

未来「へ〜面白いね、静香ちゃん、翼!」

翼「そうだね。なんかロマンチックかも!」

貴音『実際に地球からシリウスに行くには、宇宙工学や量子力学等の分野の何倍もの更なる発展が必要ですから、あまり現実的ではないのかもしれません。本当に過去を見る方法を期待されていた方がいらっしゃいましたら申し訳ございません』

未来「いえ、謝る必要なんてないです!」

翼「現実的かどうかなんて無粋ですよ!貴音さん!」

静香「無粋1号、2号が何を言ってるのよ……」

調子がいいのだ。この2人は

13 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:00:50.53 ID:tCiOWLnR0
貴音『ですが、私が皆様に知っていただきたいのは、いつも見ている星も予備知識を持って見ると“楽しい”ということです。星は綺麗なだけでなく、楽しめるものなのです。例えば――』

予備知識があると星は綺麗なだけでなく、楽しめるものになる、か。
考えたこともなかった。確かに静香は今シリウスを見て、以前よりも楽しいと感じている。
でも恐らく予備知識がついたから、ただそれだけじゃない。

未来「でへへ〜静香ちゃ〜ん!望遠鏡見つけてきたよ!」

望遠鏡を抱えた未来はとことこ、とこちらに駆け寄る

静香「え!?未来それどうしたの!?」

未来「??事務所に置いてあった、けど?」

静香「どこにあったか、じゃなくて、それ貴音さんのじゃないの!?勝手に使っちゃだめよ」

未来「大丈夫だって、静香ちゃんは心配性だな〜」

静香「第一、未来は機材の調節ができるの?」

未来「できるよ〜。ここをこうやってと」

ふむふむと頷きながらつまみを未来はいじくる

14 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:01:27.83 ID:tCiOWLnR0
翼「すごいよ、未来!意外な特技!じゃあさ、私あのシリウスの近くにある赤い星『ベテルギウス』を見たいで〜す!」

スマホの画面を見ながら翼はリクエストをする

静香「ベテルギウス?」

翼「うん。冬の大三角の一つで、625光年離れているんだって!それでそれで、星の色が赤いのはもう寿命が限界寸前の証拠なんだって」

静香「そうなの?でも今見てるのが、625年前のそのベテルギウスってことは……」

翼「もうとっくの昔に消えて、明日には見えなくなっているかもしれないし、今爆発して見えなくなるのが625年後かもしれないらしいよ。今見逃す手はないって!」

未来「よし!準備できたよ!」

翼「ナイス未来!」

翼は期待しながら接眼レンズを覗く。
一方未来は自分の顔にスマホの光を当てながら、翼のが覗く筒の反対側の対物レンズを覗く。

翼「うわあ!目!未来の目だあ!」

未来「でへへ、よく見える?」

翼が尻もちをつく。
未来は大爆笑をしている

静香「ふふっ、何やってるのよ未来」

翼「も〜!未来〜!!」
翼は全速力で未来にとびかかる
未来「ごめん翼〜!」

未来も捕まるものかと逃げに走る。
15 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:01:59.99 ID:tCiOWLnR0

静香「予備知識をもって星を見るのは実は楽しい、か。確かに楽しい。でもそれだけじゃなくて、この3人で見てるから、きっと楽しいのかもしれない。でもそれがかえって――」

私の胸を締め付けるのかもしれない。この時間は先へと進んでいずれ無くなってしまうものだから。
もう季節は冬だ。私がこの2人とアイドルをしていられる時間はあとどれくらいだろう。
過去を見る方法があると聞いた時、私には半分そんなものがあるはずないという気持ちと、もしあるなら今をずっと見ていたいという気持ちがあった。
静香は今朝の出来事を思い出す。朝食の食卓で父に次の公演のチケットを渡そうとした時のことだ

『静香、私はアイドルが好きではない。だからそのチケットは受け取らない』

ただそれだけで議論の余地はないと交渉はシャットアウトされた。
今回が初めてのことではない。繰り返し挑み、繰り返し失敗している。けどまた私は挑むのだろう。
16 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:02:38.39 ID:tCiOWLnR0
静香は空を見上げる。

東京の空にあるのは、シリウス、ベテルギウス、プロキオンの冬の大三角だ
もしベテルギウスが消えたら、冬の大三角はどうなるのだろうか。

星座とは空にある星を勝手に線で結び付けて、逸話と名前を与えただけのものだ。
そう考えると、ベテルギウスが消えても、次の大三角が生まれるのかもしれない

じゃあ、私がいなくなったら――

いや、まだそうと決まったわけじゃない。何を後ろ向きになっているんだと、静香はマイナス思考をかぶりをふって払しょくする
気を紛らわそうと静香は望遠鏡の接眼レンズに目を近づける。ベテルギウスを見ようと思ったからだ。だが――

静香「全然ピントが合ってないじゃない。未来」

望遠鏡の先はぼやけて何も見えなかった。
でへへ〜適当に合わせたんだ〜と笑う未来の顔が頭に浮かんだ
17 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:03:19.62 ID:tCiOWLnR0
2 〜クリスマスから1週間前〜



ロックンロールはどこにある?
18 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:03:48.16 ID:tCiOWLnR0

真壁瑞希「ライブハウス、ですかね?」

ジュリア「……ああ、そうだな」

ジュリアと真壁瑞樹はライブハウスで開演を待ち望んでいた。
あたしは何かミュージックの参考を求めライブハウスに行こうとしたところ、たまたま瑞希に会って『どこ行くんですか?ライブハウスですか?いいですね、共に探しに行きましょう、ロックンロールを探しに』といつもの無表情で強引に同伴してきた

ジュリア「なあ、瑞希。なんだ、その『ロックンロールはどこにある?』ってのは?」

瑞希「はい、これは百合子さんの書いた小説のセリフです。」

『え〜今回の相談はどうすれば人気のないサッカーチームの経営を向上させられるか、ということですね?』

館内放送から先輩アイドルである秋月律子の声がする。
ああ、765でラジオか。とあたしは納得する
19 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:04:17.90 ID:tCiOWLnR0

ジュリア「百合子の?」

瑞希「はい、杏奈さんが読んでるのを後ろから伺っていました。」

ジュリア「なんだ?のぞき見か?」

あたしの指摘を無視して瑞希は続ける

瑞希「主人公の女性ヴォーカリストとその幼馴染の女性ギタリストが、ひょんなことから異能の力を覚醒し、侵略者と戦う話です。笑いあり、涙あり、幼馴染の闇落ちありの青春友情ファンタジーバトル!ちなみに『ロックンロールはどこにある?』はその闇落ち幼馴染のセリフです。」

ジュリア「はあ、そうなのか」

もしかしたらお約束の設定がてんこ盛りの熱い話なのかもしれないが、あたしはそのあたりに詳しくなくて、なかなか興味が持てなかった

律子『昔流行ったビジネス書にこんな記載があります――』

ジュリア「ああ、そうだ瑞希。どうして今日はあたしについて来ようと思ったんだ?ロックンロールを探しに来たわけじゃないよな?」
20 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:04:43.35 ID:tCiOWLnR0

瑞希「実は、相談がありまして。まあ大したことではありませんが」

律子『NBAの最弱バスケットボールチームの社長のマーケティング戦術として――』

ジュリア「相談?あたしに?どうしかしたのか?」

あたしに相談とは珍しい。いや、相談したいことがあるから、あたししか来ないようなライブハウスを選んだってことか?

瑞希「先日百瀬さんと、仕事帰りの帰路を共にしたんですけど。ジュリアさん、局近くの大きな共同ビルをご存知ですか?」

ジュリア「え〜っと、あの楽器店の近くのか?」

あたしは頭の中で地図を開き、共同ビルにマッピングをする

瑞希「ええ。その共同ビルです」


律子『自分たちのチームに金を落としたい客は多くはありません。ですが――』


ジュリア「それがどうしたんだ?」

21 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:05:13.88 ID:tCiOWLnR0

瑞希「そこで見かけたんですよ。プロデューサーを」

ジュリア「プロデューサーをか?すると、何かの営業か?」

短絡的か?とも思うが、取り敢えず思ったことを口に出す。

律子『相手チーム、とりわけ人気チームの試合にはお金を払いたいと思う』

瑞希「いえ、おそらく違います。その共同ビルに入っているのは、例えば保険や金融商品、IT開発、建築コンサルタントなど。芸能とは関係ないものばかりですから」

ジュリア「それは……不思議だな」

もしかしたら、間接的にはあたしらの活動と関係があるのかもしれない。でも今の情報だけで答えに辿り着くのは不可能だ

律子『それなら相手チームのことを積極的に売り出せばいい。自分たちの本拠地で試合をするとき、相手チームのことを積極的に売り出せば。多くの観客動員数を見込むことができる』

瑞希「ですが、百瀬さんは答えに結び付けてしまいました。」

律子『大切なことは、お客様の目線で考えることです。売る側の商品評価と買う側の商品評価の間に差をなくすこと。また、お客様が商品価値を単体で捉えているのか、セットで捉えているのかを把握すること――』

ジュリア「え?莉緒姉には答えがわかるのか?」

意外だ。瑞希じゃなくて莉緒姉が先に答えにたどり着くとは
22 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:05:43.97 ID:tCiOWLnR0

瑞希「答えかどうかはわかりませんが、百瀬さんは転職活動に結び付けました」

ジュリア「あ?転職活動だと?」

それは短絡的じゃないのか?あたしも人のことは言えないかもしれないが

律子『これはアイドルの売り出し方にも言えると私は考えています――』

瑞希「短絡的だとも思いましたが、情報があまりにも少ない状況です。だから否定もできません。まあ転職活動ではないとは思いますが、百瀬さんが大騒ぎしています。」

ジュリア「大騒ぎしてんのか」

『プロデューサー君に捨てられるわ!』と叫ぶ莉緒姉の顔が目に浮かぶ

瑞希「ええ。そこでジュリアさんにはプロデューサーさんの動向に注意を払ってほしいんです。百瀬さんから誤った情報が広まる前に今話せたのは幸運でした」

ジュリア「なるほど、そういうわけか」

瑞希の意図を理解したところで、タイミングよく開演のブザー音が箱に響く。ライトはその明るさを落とし、ラジオの音は消える。
23 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:06:20.78 ID:tCiOWLnR0
いよいよ最初のバンドがステージに立つという、まさにその時。
隣に立つ瑞希がぼそりと呟く

瑞希「ロックンロールはどこにある?」

演奏が始まる。

そうだ。あたしは今日この場所にまさしくロックンロールを探しに来たんだ。
ジョン・レノンは『概念的に言って、ロックンロールより優れたものはない。』と言った。あたしはジョン・レノンを目指しているわけではないが、彼の言う概念的な高みへと到達してみたい。そこから何が見える景色を楽しんでみたいと思っている。

だがそんなロックンロールはいったいどこにあるのだろうか。
きっと簡単に見つかるものではないのだろう。だからあたしは探し回っている最中なのだ。

瑞希に視線をやる。無表情に見えるが微かに口元がにやついている。こいつも好きなんだな、ミュージックが。
24 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:06:54.54 ID:tCiOWLnR0
バンドが立ち代わり入れ替わり演奏をするにつれ、
会場の演者、観客共にボルテージが上がっていく。
あたしもあたしで、『お、ここでハンマリングをいれるのか。』『あの曲のコードを別のに置き換えるとこうも変わるのか』と何かしらのヒントを見つけることができて満足していた。


だが、事件は起きた。
25 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:07:38.68 ID:tCiOWLnR0
興奮した観客の一人が規制線を越えてステージに上がったのだ。
すぐに控えたスタッフに取り押さえられはした。

しかしその後の演奏は全くと言っていいほど盛り上がらなかった。
あたしの近くの観客が、こうつぶやくのが聞こえた。

「現実に戻してんじゃねーよ」

そいつは非日常をここに求めてきたんだろう。だが何かをきっかけに、
事のすべてがうまくいかなくなる現実の様相をここにも見出してしまったやるせなさが、言葉の端からあふれ出ている。
瑞希に目をやると、いつもの無表情に戻っていた。
どうやらロックンロールはここにはなかったらしい。

26 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:08:05.71 ID:tCiOWLnR0

ライブハウスを出たところであたしの携帯に着信があった。
ジュリア「はい。ってあんたか」

プロデューサーからだ。
ちょうどいい。あたしは瑞希に、共同ビルの件聞いてみるか?と彼女にだけ聞こえるように尋ねる。

瑞希「いいえ。聞かないでおきましょう。それでは面白くありませんから」

面白くないか。ロックンロールの次はプロデューサーの謎を探すことにしたんだな。

ジュリア「ああ、近くに瑞希がいてな。それでどうしたんだ?」

仕事の話か?とも思ったが違った。

ジュリア「は??路上ライブをするつもりはないか?一週間後にか?」

瑞希「路上、ライブ?」

プロデューサーが仕事以外の話をわざわざ持ちかけてくるのは意外だった。だがこのあとの言葉にあたしらはさらに驚かされることになる。

27 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:08:38.16 ID:tCiOWLnR0

ジュリア「いい場所を見つけた?どこだよ?ああ!?共同ビルの近くだと!?おい、ちょっと……」

切られた。

あたしと瑞希は顔を見合わせる
どういうことだ?

だがまたあたしの携帯に着信がある。今度は、翼?

翼『ジュリアーノ?私ですよ、私!』

ディスプレイに名前が表示されなければ、私、私詐欺だ。などという言葉が先ほどのプロデューサーとの会話で混乱した頭にふと浮かんだ。だが翼は混乱しきったあたしの頭をさらにかき混ぜるようなことを言ってきた

28 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:09:12.87 ID:tCiOWLnR0

翼『路上ライブやりましょうよ、路上ライブ!』

ジュリア「ああ?路上ライブだ!?」

瑞希「これは……謎だぞ、瑞希」

あたしと瑞希はまた顔を見合わせる


29 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:10:04.73 ID:tCiOWLnR0

3 〜クリスマス当日〜

小鳥「律子さん、ファンからのお手紙、机の上に置いておきますね」

音無小鳥は両腕で抱えていた封筒の束を秋月律子の机の上に崩れないよう慎重に降ろす。

律子「うわぁ、沢山ですね。中身は何ですか?」

封筒に書いてある。そんなことは百も承知で律子は小鳥に尋ねる。

小鳥「秋月律子のお悩み相談室ですよ。律子さん。」

小鳥も小鳥で封筒に書いてありますよ、とはいわない。うず高く積もった封筒を見て、さすがの律子も、少しは現実逃避をしたくなるのは致し方ないからだ。

小鳥「それにしてもすごい人気ですね。流石は律子さんです」

律子「いえいえ、人気が出るのは良いことなのですが、この量は想定外でした」

律子は机から溢れ出しそうな封筒を指さしながら苦笑する。
場所がないからと、律子は机の上にある以前お悩み相談に使った参考書籍をプロデューサーの机の上に移動させる

30 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:10:39.62 ID:tCiOWLnR0

小鳥「皆、誰かに悩みを聞いてほしいんですよ。それに律子さんは真面目ですし」

律子「真面目、ですか?」

小鳥「ええ、今では匿名で悩みを相談できるサイトは沢山ありますけど、必ずしも真摯な対応が返ってくるわけではありませんから、律子さんのように真剣に考えて答えを出してくれるのは貴重なんですよ」

律子「いえいえ、どれもこれも真面目に答えているわけではありませんよ。『体力をつけるには?』って質問にダンベルを持ち歩きなさいなんて回答したこともあります。それに番組で取り上げられるのはごく一部ですし」

小鳥「でも、取り上げられなかったものもちゃんと返信してあげているじゃないですか」

律子「そうですね。我ながら非効率なことをしているとは思いますけど……」

律子は崩れかかりそうな封筒の山に再び目を遣る。

小鳥「いえいえ、律子さんの非効率さは自分の仕事に誇りを持っている証拠ですよ。律子さんはお悩み相談のプロです!だからこんなに手紙が来てるんですよ」

律子「も〜おだてないでくださいよ小鳥さん〜」

そう言いつつも律子はとてもうれしそうだ。
自分の仕事を認められて悪い気がするものなどいない。

小鳥「そうだ、私も律子さんに相談しようかしら」

なんで忘れていたんだろう。このうっかりさん、とでも言うかのように小鳥は舌を出して自分の頭にこつんと拳を当てる

律子(……何やってんだこの人は)

律子はその様子を見なかったことにして仕切りなおすことにする

31 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:11:08.35 ID:tCiOWLnR0

律子「それで、小鳥さんの悩みってなんです?」

小鳥「え〜と、恥ずかしい悩みなんだけど……」

律子「大丈夫です。守秘義務は守りますし、私と小鳥さんの仲じゃないですか」

小鳥「そう?」

律子「はい」

小鳥「本当に?」

律子「もちろんです。」

小鳥「嘘ついたら?」

律子「針千本でもなんでも飲みますよ」

小鳥「え、本当!?本当に飲むの!?」

律子「だー!しつこい人ですねあなたは!!」

小鳥「ひぃい!!」

律子「言ってくださいよ!早く!!ハリー!ハリー!!」

5秒以内に言え、とばかりに律子は指を小鳥に見せるように折り始める。

小鳥「うぅ……じゃあ言います。相談というより、お願いなんだけど、私の結婚相手を見つけて――」

32 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:11:40.27 ID:tCiOWLnR0

律子「ああー!!疲れたなあ!コーヒーが飲みたくなって来ちゃったなー!はい、小鳥さん、書き上げた分こちらにまとめといたんで返信しておいてくださいね!私はコーヒーを入れてきますんで!それじゃ!」

私でも無理なものはある。態度で察してくれとばかりに早足で律子は給湯室へ去っていく

小鳥「……うぅ、ひっぐ。ひどいぴよ」

そして小鳥は袖を涙で濡らしながら、律子から請け負った封筒の束を持って事務所の外へと出て行った。

「はいはい、百合子ちゃんと杏奈ちゃんはそこのゲームセンターにいるのね。分かった、後で向かうわ。……え?あのゲーム、まだあるの?そうよお姉さん、大得意なんだから。もうプロよプロ。うんうん。それじゃあまたね」

事務所の入り口から聞こえてくる明朗快活な声の主である馬場このみは、扉を開けると

このみ「おはよう。小鳥ちゃんはいるかしら?」

と手に持った年末調整の書類をひらひらと揺らしながら、事務所内をぐるっと見渡す。

33 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:12:13.27 ID:tCiOWLnR0

このみ「あれ?誰もいないのかしら?」

律子「ああ、このみさんですね。小鳥さんならちょうどいま出て行ったところですよ」

律子に目を遣る。片手にはコーヒーカップが握られている。
律子ちゃん。なかなかのオフィスレディーっぷりね。前職時代の私といい勝負ができるんじゃないかしら。
とこのみは律子を上から下へと視線を上下させ、見定めるように眺める

このみ「ふふっ。でもフェロモンではまだまだお姉さんには及ばないみたいね。なかなかいい勝負だったわ」

本当にいい勝負だった。勝負はわたしの勝ちだけど、試合が終わればノーサイドよ。とばかりにこのみは

このみ「コーヒー、私にもいただけるかしら」

と律子の持っているコーヒーカップに手を伸ばす

律子はそれを何も持っていない方の手で軽くいなす。

このみ「あう」

律子「それでこのみさん?今日はどうかしましたか?」

このみ「ああ、これなんだけど。年末調整の」

律子「ああ、これですか。それなら後で私が小鳥さんに渡しておきますよ」

このみから書類を受け取った律子は再びデスクワークに戻る。
このみは、集合時間まで何をしようかしらと応接用のソファーに座りつつ、カバンからノートパソコンを取り出す。
34 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:12:52.43 ID:tCiOWLnR0
この時間、前回のラジオで765の再放送をやっていることを思い出したのだ。
最近は忙しくて皆のラジオを聞けていなかった。おそらく律子ちゃんもそうだろう。
無音よりも、少し音があった方が作業能率があがるという以前どこかで聞いた話を思い出したこのみは、律子にも聞こえるようにボリュームをあげる

すると陽気な声が耳朶を打ち始める


奈緒『横山奈緒の人生相談室〜!!イエーイパフパフ!』

律子の机の方から、ずざざざ!と土砂が崩落するかのように、けたたましく書類が落ちる音がする。
人生相談室?私の頭に疑問が浮かぶ。これまた律子ちゃんのお悩み相談室にそっくりなタイトルね。
それに奈緒ちゃんがこれまで担当していたコーナーは野球の解説だったはずだ。
だが打って変わって人生相談室という単語が聞こえてきた。
打って変わって、野球だけに。
ん?今のは、今のは中々セクシーな言葉遊びではないだろうか、律子ちゃんに教えて差し上げようかしら――

奈緒『大事な事なので2回言います!横山奈緒の人生相談室〜!!イエーイパフパフ!』

と思ったがやめた。
ガシャーン!と律子ちゃんの机からパソコンが落ちる音がしたからだ。

35 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:13:33.50 ID:tCiOWLnR0
美也『あれ?奈緒ちゃん、前回まで野球コーナーじゃありませんでしたか〜?』

宮尾美也の、のんきな声も聞こえ始める。

奈緒『おまえは、アシスタントの美也!!』

美也『手が空いていたため、奈緒ちゃんに無理やり連れてこられた、アシスタントの宮尾美也ですぞ〜。それで、どうして今回から人生相談室に〜??』

奈緒『説明します。野球コーナーはリスナーが限られてくるんで、前回で中止です。今回からは老若男女問わず誰でも参加できてる人生相談に変更しました!いや〜私、ほんとナイスアイデアやわ〜。どう?びっくりした?今日まで秘密にしとったからな〜』

自分天才ちゃいます?と自画自賛を始める奈緒。

美也『なるほど〜でも奈緒ちゃん。いいんですか〜?怒られませんか〜?』

奈緒『いいって何がです?』

美也『勝手に律子さんと同じコーナーを始めて怒られませんか〜?大丈夫ですか〜?奈緒ちゃん……?』

美也がリスナー全員が思っているであろうことを口にする。
そして大丈夫ですか?そこのところちゃんと考えてますか?覚悟はできてますか?とにじり寄る

奈緒『えっと、あの……いいんです!』

いや、よくはない。
奈緒ちゃんはやけになっているが、既にこちらではパソコンが一台天に召されている

奈緒『むこうがやっているのはお悩み相談。そしてこっちがやっているのは人生相談。天と地ほどの違いがあります!』

果たして天と地ほどの違いはあるのだろうか?

美也『ほほ〜違いが全然判りませんぞ〜』

奈緒『まあ素人にはわからんやろうなあ。私はこう見えて人の相談に乗る玄人やからな。違いなんて一目瞭然やんな』

私はこちらにいるお悩み相談の玄人のほうを伺う――

律子「……ねえよ、違いなんて」

がすぐに視線をラジオへ戻す。
36 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:14:12.79 ID:tCiOWLnR0

奈緒『さあさあ!このコーナー記念すべき最初の質問は何でしょう?美也、箱の中からお手紙を取り出してください、どうぞ!!』

美也『では取り出します〜』

奈緒『あ、美也、不公平がないようによく混ぜてな』

美也『わかりました〜では、』

奈緒『あかん、めっちゃワクワクすんな〜』

焦らすように美也は間を開ける。
そして――

美也『ラジオネーム宮尾美也様からいただきました〜。こんにちは奈緒ちゃん。宮尾美也ですぞ〜』


奈緒『ちょい待て!!』

美也『んん?何ですか?奈緒ちゃん?』

奈緒『ラジオネーム宮尾美也って、美也のことやろ?』

美也『はい〜』

奈緒『それはノーカンや、相談なら事務所で乗るから。他の手紙を読み上げてな』

美也『ですが、う〜む、困りましたぞ〜』

奈緒『どないしたん?』

美也『奈緒ちゃん、この新コーナーのこと今日まで秘密にしてましたよね〜』

奈緒『せやな』

美也『ですので手紙がまだ一通も届いておりません〜』

奈緒『なんやと!』

美也『ということで今回は私の相談に乗ってくださいね〜』

奈緒『くぅ、仕方ないな。どんとこいやで、美也!』

美也『では相談です〜。寒い季節がやってきましたが、私には悩みがあります』

奈緒『もう冬の始まりですからね〜』

美也『実は怖いものがあるのです』

奈緒『怖いもの?冬やしスキー場のリフトが怖いとかか?』

美也『扇風機です。あの羽の回転をみてると、髪が巻き込まれて頭皮を引き剥がされるのではないかと怖くて仕方ありません。どうしたらいいでしょ〜』

奈緒『冬、関係ないやないかい!!』

私はラジオのチャンネルを変えた

37 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:14:57.34 ID:tCiOWLnR0

『今日の天気は快晴です――』

奈緒ちゃんが今のラジオでも、近い未来においても、ひどい目にあうのが目に浮かんだからだ。
律子ちゃんの方からくしゃりという音が聞こえてくる。
目を遣ると律子が視聴者からの手紙を握りつぶしていた

律子「何が、こんにちは。ラジオネーム横山奈緒です。職場の先輩から怒られない方法を教えてくださいだ〜!!」

『街では引ったくりの被害が数多く――』

奈緒ちゃんは殉教者だ。笑いに生きて、笑いに殺される。

私の携帯に着信がある。莉緒ちゃんからだ。

このみ「あら、莉緒ちゃん、どうしたの?」

莉緒『このみ姉さん。実は大変なのよ!』

まずいわ、まず過ぎるわよ!と莉緒ちゃんの焦る声が聞こえる

このみ「それはまずいわね」

何がまずいのかはわからなかったが、私は取り合えず話を合わせることにした。

莉緒『実は、プロデューサー君が転職活動をしているのを見ちゃったのよ!』

このみ「え、嘘でしょ!それは本当にまずいじゃない!」

莉緒『実は局近くの大きな共同ビルからプロデューサー君が出てくるのを見ちゃったのよ』

このみ「ああ、確かにあのビルには芸能関係の企業は入っていないわね。でもそれだけで転職活動と決めつけるのは早計よ」

そうよね、プロデューサー、と今はこの場にいないプロデューサーの机に目を遣る

莉緒『そうかしら……違うのだったらいいんだけど』

このみ「ああ!!」

莉緒『このみ姉さん!どうしたの!!』

このみ「もしかして、本当に転職活動かもしれないわ……」

莉緒『ええ、でもそれは早計だって……』

このみ「今プロデューサーの机の上に見つけたのよ!『転職のすすめ〜過労で倒れるその前に〜』って本を!」

莉緒『ええ!?』

律子「いえ、それは私の参考書籍――」

このみの大きな声に耳を傾けていた律子はこのみの誤解を正そうとするが――

このみ「やばい。やばいわ!!」

混乱状態のこのみの耳にはその言葉が届くことはない

莉緒『こうなったら作戦会議よ!』

このみ「そうね!今晩居酒屋に集合よ!」

莉緒『場所は私に任せて、いいところがあるの!あと念のため宴会グッズも用意しておくわね!』

このみ「ええ、緊急時だもの。念のためお願いね。それじゃ!」

電話を切ったこのみは「あらやだ、もうこんな時間。」と言って事務所を後にした。

律子「だから違うっつーの」

誰もいない事務所に律子に吐き捨てるような声が響く。

38 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:15:44.52 ID:tCiOWLnR0

4 〜クリスマスまで8日前〜

静香父『静香、お父さんとピアノで勝負だ!』

ドンドン!と木製のドアをリズミカルに叩く。

その時私は部屋の隅でふてくされていたと思う。
原因は確か、どうせ続かないからと両親の反対を押し切って習い始めたピアノが、練習しても全然上手にならなくて、次第にピアノに触れる回数が減っていき、ついにはこのままピアノの件はなかった事にならないかと自然消滅を狙うようになっていたところを、いにお母さんに叱られたからだ。

お母さんに叱られたら、その情報は必ずお父さんの耳に入る。
部屋に近づく父の足音が大きくなるにつれ、「ああ、また叱られるのか」と諦めかけていた。いっそのこと部屋に閉じこもってやり過ごそうかと思っていたところに「ピアノで勝負だ!」と声をかけられひどく当惑したことを覚えている。

あの時の私は今の姿からは考えられないかもしれないが、生意気街道まっしぐらだった。
だから当惑すれどもやることは変わらなかった。つまり無視を決め込むことにした。

ドドンドン!
また木製のドアが叩かれる
静香父『静香、お父さんとピアノで勝負だ!カギを開けてくれ!』


静香『……』

ドドドドドド……ドン!

静香『……』

ドン!ドン!ドドン!!

静香『……』

ドン……

ノックの頻度が減り、そしてついには音が聞こえなくなる。
勝ったな。と思った。次の瞬間

ガシャリと錠の外れる音とともにドアが開いた

静香父『静香〜お父さんとピアノで勝負だ〜』

お父さんがスペアキーをひらひらと見せびらかすようにして、部屋の中に侵入してくる

39 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:16:19.70 ID:tCiOWLnR0

静香『ああ〜!!お父さんずるい。スペアキーは反則!』

静香父『ふっふっふ。お父さんの勝ち〜勝負の世界は非常なのだよ』

愉快愉快とお父さんが笑う。

静香『む〜!悔しい!』

静香父『静香、悔しいか?悔しいよな?だったらお父さんとピアノ勝負をしよう。それで白黒つけようじゃないか』

静香『もうっ!望むところ!でもお父さんピアノ弾けるの?この勝負に命を懸ける覚悟はあるの?』

幼い私はまんまと父親の挑発に引っ掛かってしまう。

静香父『え?この勝負、命が懸かってるの?……まあいい、お父さんがピアノを弾けるかどうか……それは勝負してからのお楽しみだ。』

静香『ふ〜ん。それで勝負内容は?』

静香父『そうだな、静香が今習っているアイネ・クライネ・ナハトムジークの第1楽章をうまく弾いたほうが勝ちっていうのはどうだ?』

静香『良いよ!目にもの見せてあげるんだから!』

静香父『よし!勝負開始だ!』 

私の先攻でピアノ対決が始まった。

楽譜を見て鍵盤を見て、足元に道があることを確かめるように恐る恐る私の演奏は進んでいく。ピアノのレッスンをさぼっていたせいで、以前は自然に体が動いた簡単なところですら意識的な動作が必要となり滑らかな演奏といえる箇所はごく一部だ。早く終われ、早く終われと焦燥感に包まれながら指を動かし、ついに楽譜の終わりにたどり着いた時には、「やり遂げた」ではなく「助かった」と感じていた。

40 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:16:55.59 ID:tCiOWLnR0

静香父『おお、静香!上手いじゃないか!』

どこがだ、と私は思った。無様な演奏だったし、意気揚々と勝負を受けたと思えばあんな演奏をお父さんに聞かせたことが恥ずかしくて仕方なかった。

静香父『それじゃあ次はお父さんの番だな』

楽譜を最初のページに戻し鍵盤に指をのせる。
先ほどまでの緩み切った表情は姿を消し、視線は鍵盤上の手に注がれ、何かをシミュレートするようにぶつぶつと呟く。

私はこんな真剣なお父さんを見るのは生まれてはじめてだった。

静香父『ではいくぞ!』

お父さんの演奏が始まる。
アイネ・クライネ・ナハトムジークの1小節目が私の耳朶を打った時、私はテレビで見たカウントダウンの終了と共に勢いよく宇宙へ飛び立つロケットの発射に立ち会うような高揚感を覚えた。勝負を忘れて、「いけいけいけ!」と心の中で声援を送っていた。

しかし2小節目を聞いた時、あれ?このロケットちょっとカーブ軌道を描いてない?と違和感を感じ、3小節目を聞いた時には緊急事態発生の警告ブザーが鳴り響いていた。
つまり一小節目以外楽譜通りに弾けていないのだ。

静香『ストップ!ストップ!ちょっとお父さん。全然弾けてないじゃない!』

静香父『あれ〜おっかしいな。静香の弾き方を真似したつもりなんだが。』

静香『真似したって、もしかしてお父さん……楽譜読めないの?』

静香父『いや、読めるよ。ただ日本語版が読めないだけだ。英語版だったら余裕だったんだけどな』

静香『何言ってるの、楽譜に日本語版も英語版もあるわけないでしょ』

私が指摘をすると「ばれたか。静香は物知り博士だな」といって私の頭を撫でようとする。

静香『もう、お父さんは負けたんだから撫でるの禁止!』

子供扱いされていると思った私はお父さんの手を払いのけて禁止令を宣言する。

静香父『ちょっと待て静香。まだ一対一の引き分けじゃないか。スコアの上では対等だぞ。あ、今のは点数と楽譜をかけた高度なギャグなんだが、静香にはまだ早かったかな?』

静香『また子供扱いして!そんなの知ってるもん。親父ギャグでしょ。そんなの言うなんてお父さん親父くさいよ』

静香父『親父ギャグいいじゃないか。だってお父さんは静香の親父なんだから。』

それより、とお父さんは続ける。

41 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:17:27.85 ID:tCiOWLnR0

静香父『静香、勝負は一対一のままだがピアノ勝負続けるか?』

どうしよう。と私は思った。引き分けのままなのは収まりが悪いけど、ピアノが弾けないお父さんを倒しても弱いものをいたぶっているみたいでいい気分はしない。

静香『……』

静香父『静香は対等な勝負がしたいんだよな。でもお父さんじゃ相手にならない。違うか?』

静香『うん』

そのとおりだと私は間髪入れず答える。

静香父『そこでだ、静香がお父さんにピアノの弾き方を教えるというのはどうだろう。お父さんが上手になれば対等な勝負ができるし、勝敗も白黒決着がつく』

なるほど、確かに私が教えてお父さんが上手くなればいい勝負ができるかもしれない。
でも……

静香『でも、私、人に教えれるほどピアノ全然上手じゃないよ?』

先ほどの無様な演奏を思い出す。お父さんのではない。私の無様な演奏を。だがお父さんは「そんなことはない」、と私と正反対のことを言う。「本当にそう思う」という言葉を付け加えて、しみじみとした口調でだ。
お父さんが嘘をついているようには思えなくて、私は「どうしてそう思うの?」と聞いてみる事にした。するとお父さんは再び私の頭に手を伸ばして

静香父『そうだな。たぶん、親バカだからかな』

と私の演奏のことを無理やり褒めるでもなく、こればっかりは仕方ないよなと苦笑しながら撫で回した。
「もう、お父さんは甘いんだから」という言葉が私の口からついて出る。だが同時に心の中で「でも本当は。私のピアノはこんなもんじゃないんだよ」という言葉が湧きあがった。

それからというもの私はお父さんへのピアノのレッスンを始めると同時に、自身のピアノのレッスンを再開することにした。
私のレッスンのせいあってか、お父さんのピアノのほうは正直に言うとあまり上手にはならなかった。しかしレッスンが終わると途端に「静香、お父さんとピアノで勝負だ!」と自分の腕前は棚に上げて果敢に勝負を挑んできた。対等な勝負がどうとかいう話はどこにいったのだろうか。
42 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:17:59.63 ID:tCiOWLnR0
そんなやり取りを何回したかはわからない。だが年が経つにつれていつの間にかお父さんへのピアノのレッスンも勝負も行われることは無くなった。
でもある時私はお父さんに聞いたことは覚えている。「なかなか上達しないのにどうしてお父さんは諦めないの?」と。その時のお父さんの返答が印象的だった

静香父『生きるっていうのは目隠しで何回もリレーを走るようなものなんだ』

抽象的な言葉で意味が分からなかった。意味を聞いても「こればかりは理解じゃなくて実感してほしいことだから」と答えを教えてはくれなかった。でも「必ず静香なら実感できる日が来る」期待しているぞ、とお父さんは言葉を繋いだ。
残念ながら今になってもその言葉の意味はわからない。

父の期待に応えることができなかったからか、私にかける言葉は期待ではなく世の中の現実になっていった。
43 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:18:26.99 ID:tCiOWLnR0

静香父「静香、何度も言うが私はアイドルが好きではない。だからそのチケットは受け取らない」

そこに議論の余地などないと父は私の申し出をはねのける。
朝刊を読みながら食卓に構える父は私と目を合わすことなく「それで要件は終わりか?」と煩わしいセールスを相手にするように幕引きを命じる。

アイドルが好きか嫌いかは個人の好みの問題で対処のしようがないように思える。そして私自身もそうなのかもと思っている。アイドルを好きになってもらいたくて渡そうと思ったチケットは、会場に入る前の入場検査ではねのけられる。でも諦めるわけにはいかない。
「ピーマンが苦手でもピーマンの肉詰めは好きになるかもしれない」と語るプロデューサーの言葉が脳裏に浮かぶ。プロデューサーに交渉はうまくいっているかと先日尋ねられたときに彼が言った言葉だ。ちなみに有難迷惑にもこんなことも言っていた。

P『静香、もしもピンチに陥った時にお前を助ける逆転の言葉を授けよう。やばくなったらこう言え』

どうせ役に立たないだろうと思いつつも、まあ聞くだけならと私はプロデューサーの言葉を期待半分に待った。

P『偉そうにアイドルを馬鹿にしてるが、あんたの仕事は10年後AIに取られない自信があるのか?ってな!』

言えるかそんなこと!
プロデューサーの言葉は置いておいて諦めるな、と自身を鼓舞して私は食い下がってみることにした。

44 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:18:58.45 ID:tCiOWLnR0

静香「お父さんは、なんでアイドルのことが嫌いなの?」
いつもは途切れる会話を娘が続けてきたことが意外だったのか、父は持っていた新聞を下げる。
静香父「静香、おまえは一つ勘違いをしている」

静香「勘違い?」

静香父「そうだ。静香、おまえがここのところ私を公演に誘うようになったのは、最終的にアイドルを続けることを認めさせるための段階を踏むためだ。違うか?」

静香「それは……」

静香父「だが静香がアイドルを続けることを認めないことと、私がアイドルを好きでないことに関係などない。静香がアイドルを続けることを認められないのは、おまえの将来のためだ」

当たり前だろう。と父は続ける。

静香父「アイドルには、年齢制限があり、収入も安定せず、必ず人気が出るとは限らない。そんな世界であることは知っているな。」

苦いものを吐き出すように父は言葉を紡ぐ。

静香父「売れることができればいい。売れればすべてが覆せる。だがその保証はどこにある?努力を積み重ねた先に待っているのは、努力を重ねた他の大勢のアイドルたちだ。」

静香「……私は努力でも、他の全てでも人に負けるつもりはないわ」

静香父「かもしれないな。だが人の人気とは必ず一番集まるべきところには集まらないんだ。例えばこんな統計結果がある。静香、今仮に人の命を救うようための基金がいくつかあって、その違いは死者の多寡だとする。そして今お前に多額の資金があるとして、どういう基準で基金を選ぶ?」

どうしていきなり統計の話になるんだと、父に食い下がろうとしたが、いいから答えろと先をうながされた私は仕方なく答えた
45 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:19:32.69 ID:tCiOWLnR0

静香「……より多くの死者が出ている基金に寄付するわ。命は数じゃないと思うけど、寄付くらいしかできないのなら、数の多寡で選ぶべきだと思う」

静香父「私もそう思う。だが現実の統計では911テロやハリケーン等の災害被害に金が集まり、マラリアやエイズといったその何倍もの死者が出ている病気にはあまり金が集まっていないのが現状だ。これは国民感情の問題で、短期的な衝撃の大きさが結果に起因していると言われている。そしてその衝撃を伝えるのはメディアだ。ではアイドルの世界でメディアが取り上げるものはなんだ?彼らが選ぶのは必ずしも実力のあるものではない。多くの場合選ばれるのは奇抜なものだ」

造詣が著しく美しい者や強烈な個性を持っている者ばかりが選ばれている。それは確かなのかもしれない。

静香父「努力が報われるとは限らないのはどこの世界も同じだが、アイドルの世界はその傾向が顕著だ。静香、親としてはお前にわざわざそんな世界を勧めるわけにはいかない。そんな世界に居ては、いずれ努力の価値を見損なうようになる」

 さらに父は続ける

静香父「静香、お前の目指すものにお前がなるのは奇跡のようなものだ、そして奇跡とはどこかの自分とは違う誰かにしか起きないんだ。一番報われるべき人間のところには奇跡は起きないようになっているんだよ。」

静香父「……そしてそんな場所で戦うお前に、お父さんは何もしてやれない」

自らの無力感に対する苛立ちや悲しみを吐き出すように、世の心理を父は口に出す。

私は父が言った言葉を噛みしめてみる。どの言葉も間違いではない。
厳しいレッスンをどれだけこなして、どれだけ実力をつければ活躍できるといったスポーツの世界の指標はここにはない。
トップアイドルになるための明確な指標などないまま不安を押し殺してレッスンを重ねるのがアイドルの世界だ。それは生易しい世界ではなく、親が子供に勧めるものではないのだろう。けど――
46 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:20:08.87 ID:tCiOWLnR0

静香「けど、だからこそ価値があるんだと思う。」

静香父「なに?」

静香「お父さんの言った通り、売れる人間と努力や実力は必ずしも結びつくとは限らないのかもしれない。でもそれでも努力を重ねて、歌もダンスも人としての魅力も全てを高めて、トップアイドルとしてステージに立つ姿、そこから見える景色に私は憧れを抱かずにはいられないの。だってそれは簡単には得難い物だから。だからこそ人生を掛けるに値すると思うわ」

私の言葉に父は少し考えるように顎に手を当てる。

静香父「平行線だな。私たちの主張が交わるとすればそれこそ奇跡かもしれない。」

話は終わりだと立ち上がった父はそのまま玄関へと歩みを進める
このまま平行線のままタイムリミットが来てしまうのだろうか。

『偉そうにアイドルを馬鹿にしてるが、あんたの仕事は10年後AIに取られない自信はあるのか?』と語るプロデューサーの言葉が頭に浮かぶ。
けどそれを言ったところで何かが変わるわけではない。これ以上父に語る言葉を失った私は落胆して思わず――

静香「私はやっぱりベテルギウスと同じなのかな……」

と去っていく父の背中に向けて言葉を紡いでしまった。
答えなど期待していなかったし、答えなどもちろんなかった。


47 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:20:38.32 ID:tCiOWLnR0

5 〜クリスマスから一週間前〜

未来「貴音さん、静香ちゃんの元気がありません!」

貴音「なんと、そうなのですか?」

翼「他人事じゃありませんよ。貴音さんの責任問題ですよ!」

貴音「はて?私、知らぬ間になにかしてしまいましたか?」

事務所に未来と翼の喚き声が響く。 
貴音はというとまるで死体の第一発見者であったがためだけに、無能な刑事に疑われる容疑者のように困惑している。探偵はいないのか?とすがるように部屋の中を見渡すが、あいにく皆出払っている。

未来「してしまいましたかじゃありません貴音さん!」

翼「大切なのは想像力ですよ貴音さん!」

貴音「そういわれましても。何かヒントをいただけませんか。情報が少なすぎてなんのことやら」

未来と翼の2人は、「どうする?どこまで話す?」「情報を与えすぎちゃうと、優位に立てないよ」と顔を見合わせ相談する。そして未来が重々しい口を開く

未来「実は3人で星を見た日から静香ちゃんなんだか元気がなくて。」

翼「貴音さんの過去を見れるって話が原因ですって、絶対!」

貴音「はあ、そういうことですか。ですが待ってください2人とも。なぜ私の話が原因で静香が気落ちするのですか?」

貴音のもっともな指摘に未来と翼の2人はまたまた顔を見合わせる。
「どこまで話す?もう全部話しちゃったけど」「勢いだよ。勢いで押し切るしかないよ」
今度は挑みかかるように勢いよく未来が口を開く

未来「なぜわからないんですか貴音さん!」

翼「頑張って考えてください貴音さん!」

48 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:21:04.68 ID:tCiOWLnR0

貴音は押し黙る。貴音からは先ほどまでの困惑していた姿は露と消え、往生際の悪い犯人を諭す探偵のように荘重な態度でゆっくりと2人に語り掛ける

貴音「……2人とも」

未来「あ、あの貴音さん?」

翼「べ、別にゆっくり考えていいんですよ、貴音さん?」

貴音の態度の変化に危機感を感じたのか、急に慇懃な態度を取り始める。

貴音「もしやとは思いますが、自分たちではわからないからこの私のせいにして、原因を考えさせようとしているのではありませんか?」

未来と静香の2人は顔を見合わせる
「やばい、ばれちゃったよ」「怒らせちゃったかも。どうしよ!」

その様子を見て貴音はため息をつく

貴音「2人とも、私は別に怒ってなどおりませんよ。2人がこのようなやり方を取ったのも、私に相談しがたい雰囲気があったからなのでしょう。ですが私も足りぬ頭で考えてみます。どうか正直に話してみてはくれませんか?」

貴音のどこまでも穏やかな物腰に2人は完全に気勢を削がれてしまった。

未来「貴音さん……」

翼「未来、こうなっちゃったら仕方ないよね。全部話そう」

未来と翼は貴音に説明を開始する。要領を得ず時系列も飛び飛びであったが、要点としてやはり2人には貴音のラジオの日から静香の元気がないように見えたということ、そして静香に理由を聞いても答えてはもらえなかったという点に集約される。

貴音「なるほど、情報が少ないうえに静香からも聞き出せないというのが現状ですか」

未来「そうなんです」

翼「あの、やっぱり貴音さんでもわからない感じですか?」

49 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:21:34.15 ID:tCiOWLnR0

貴音「そうですね。静香が理由を話さない以上深刻で、解決し難い悩みであると推定することはできますが、これ以上は誰であっても難しいでしょう」

未来「そんな……」

貴音さんならもしかしたらと思ったのにと、未来が落胆の声を上げる

貴音「ですが律子ならあるいは……」

翼「え?律子さん?律子さんならわかるかもしれないんですか?」

翼の中でこの件から律子は一番遠いところにいる存在だった。だからその名前が挙がったことに意外だと声を上げる

貴音「そうです。数々の悩みに答えてきた律子なら答えにたどり着くやもしれません。仮にたどり着けなくとも、何か打開策を提案してくれるはずです。2人の目的は究極的には悩みの原因を知ることではなく、静香を元気にすることなのですから、それでも問題はないはずです。」

未来「じゃあ、早速電話を……」

未来は携帯に手を掛ける。

貴音「いえ、少し待ってください。静香の性格からして裏でこそこそと動かれることを嫌うのではありませんか?例えば律子が直接静香に原因を尋ねるなどということも想定できます。そうなると静香はその行動を2人と結びつける可能性があります」

翼「じゃあ、どうすればいいんですか?」

貴音「これですよ。」

貴音は律子の机から用箋をむしり取る

50 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:22:07.40 ID:tCiOWLnR0

未来「紙?」

貴音「ええ。律子のラジオ番組宛に静香の名前を隠して手紙を出すのです。そうですね、アイドルとして活動する女の子とでもしておけば問題ないでしょう。私のラジオの日からの出来事を詳細に丁寧に記載して手紙を出してください。番組でとりあげるような面白い内容でもありませんから、そのまま返ってくるでしょう。」

未来「律子さんのラジオか〜。そういえば静香ちゃんも律子さんのラジオはためになるっていつも真剣に聞いていたな〜」

翼「なるほど。でも手紙の返信先の住所はどうしますか?正直に書くと住所から私達だってばれちゃいますし、適当だと怪しまれるかも」

貴音「そうですね、では郵便局留めとしましょう。私が律子の処理済みかごから抜き取るというのも手ですが、いつも事務所にいるわけではありませんから」

未来「すごい!貴音さん、これなら何とかなるかもしれません。私、頑張って書いてみます!」

翼「う〜ん、未来が手紙を書くなら私は何をしたらいいのかな〜」

貴音「翼、先ほども言いましたがこの件の究極的な目的は、静香の悩みを特定することではなく、静香を元気にすることです。それなら翼にもできることがあると思いますよ」

翼「私にできること?カラオケに誘うとか、遊びに誘うとか、他には……」

未来「え〜っと、手紙、手紙の書き方……気を付けなければいけないのは、匿名と返信先と……」

2人が真剣に悩む姿を見て貴音は胸の内に暖かい感情が広がっていくのを感じる。
「人間で一番の贅沢は人間関係だ。」
ある作家の言葉を思い出しながら、静香は本当に良い友を持ちましたね。と静香の幸福を静かに願った。

だが貴音は知る由もなかった。
未来は今回の手紙の制約に気を付けるあまり、うっかり宛先を律子の「お悩み相談室」ではなく奈緒の「人生相談室」と書き間違えたことに。
そしてその間違えがある奇跡を生むということも


51 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:22:58.96 ID:tCiOWLnR0

6 〜クリスマス当日〜

お金の入っていない筐体の画面にランキングが流れる。杏奈、杏奈、杏奈……
その名前は現在画面に背を向けて、私七尾百合子に向き合うように座る女の子望月杏奈ちゃんのものだ。オンライン対戦黎明期のもので、「全国のプレイヤーと腕前を競う」ことを売りにしていたが、もう都内のゲームセンターで筐体を置いているのはここを含め2か所しかないらしい。

このみさんも実はそのゲームが得意らしいと伝えると、杏奈ちゃんは大喜びだった。よっぽど競技人口が少ないらしい。
ちなみにもう一か所はどこなのかと以前杏奈ちゃんに尋ねたことがあるが、「杏奈の秘密基地だから、百合子さんでもダメ!」と断られた。

『クレーンゲームに録音可能目覚まし時計追加!これで君もあしたから早起きだ!』
店内放送が鳴り響くゲームセンターで、私は負けじと大きな声で杏奈ちゃんに話しかける

百合子「ところで杏奈ちゃん。私の小説はどうだった?」

杏奈「えっと……」

杏奈ちゃんはピンクのマザーズバッグからノートを取り出す。このバッグは乙女ストームで買い物に行ったときにお揃いで買ったものだ。「Going My Way」のロゴが入っている。
私は杏奈ちゃんのノートを覗き見る。
52 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:23:29.52 ID:tCiOWLnR0

百合子「体力をつけるには、ダンベルを持ち歩くこと?」

小説の感想が書かれているのかと思えば、どこかで聞いたことがあるようなことが書いてあった。

杏奈「あ、百合子さん。覗いちゃだめです。」

百合子「ああ、つい。ごめんね杏奈ちゃん。でも、これは?」

杏奈「律子さんのラジオ……全部メモしてるの。どうやったらあんなに人気がでるか、知りたくて」

百合子「凄い、えらいよ杏奈ちゃん!」

もう一度ノートに目を遣ると、律子さんが取り上げた相談内容に答えた内容、話した時間、導入の挨拶。それ等に対する杏奈ちゃんの総評が事細かく書かれていた。
律子さんのラジオは確かに765でラジオの中で一番人気だ。その人気は律子さんのこれまで吸収した豊富な知識に裏打ちされた物だと私は決めつけていた。でも杏奈ちゃんは私のように簡単に決めつけることなく、研究しようとしている。そこに純粋に感心した。

杏奈「杏奈、ゲームが上手くなりたいときは、上手い人の動画を研究してます。だからそのやり方をラジオにも活かせたらって思ったの……」

百合子「うんうん!きっと活きるよ。絶対に!」

杏奈「ああっ!そうだ。百合子さんの小説の話だったよね……ちょっと待っててね。え〜と……」

照れ臭そうに、そう言って杏奈ちゃんは再びバッグの中をあさり始める。どうやらノートを間違えたらしい。またまた私はいけないと思いつつも杏奈ちゃんのバッグの中を覗き見る。ゲーム機とノート、そして……正真正銘のダンベルが入っていて私は絶句した。

杏奈「あった。これ……まずは主人公のヴォーカリストについて、です。このキャラは王道だよね。ザ・主人公って感じで」

百合子「そう、そうなの!決して気持ち的に強い子じゃないんだけど、みんなの声援や期待に応えようと自分を鼓舞して叩き上げるシーンにこのキャラの魅力が詰まってるの!」

ダンベルを発見して閉じた私の口が、好きなものの話になってついつい饒舌になる。

杏奈「けど、もしかして、作者の自己投影が入ってる?」

百合子「え?……ど、どうしてそう思うの?」
53 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:23:59.43 ID:tCiOWLnR0

もしかして駄目だしが始まっちゃうパターンなの?と私は身構える

杏奈「この主人公、百合子さんそっくりでかっこよかったから」

真剣な顔で杏奈ちゃんはそう答える。

百合子「ええ!?そ、そんなことないって、やだなあ杏奈ちゃん!」

私はそんなにかっこよくはないのに、そんなことを言われるなんて、完全に不意を突かれた。

杏奈「次に、幼馴染のギタリストね。クールな女の子で周りから誤解されがちだけど、誰よりも優しく主人公のことを思っている。王道幼馴染ポジション」

百合子「そう、そうなの!自己犠牲タイプなの、この幼馴染は。ダークサイドに落ちて主人公と途中から対立するんだけど、実はそれは主人公のためで読者とだけその秘めたやさしさと苦悩を共有する一番読者に近いキャラなんだよ」

杏奈「うん。もともと誤解されやすい性格なのに、ついには主人公にも誤解されるところは辛かった……本当は主人公のことを誰よりも思っているのに」

百合子「うん、あのシーンは熱いけど辛いんだよね。さらにそのあと主人公の誤解もきちんと解けるのに、ひどいことをしたからと主人公のもとに戻ろうとしないんだよあの娘は。でも再会のセリフが自分でも気に入ってるんだ。『あなたがくれた勇気をまた私がなくさないようにそばで持っていてください』っていうの。どう?杏奈ちゃん?」

杏奈「う〜ん、そのセリフは表現が婉曲的すぎて、よくわからなかった。杏奈が幼馴染だったら、あのとき主人公に言ってほしかったのは『いい加減に、戻ってきて!』って素直な気持ちかもしれません。」

百合子「やっぱりそこは好みの違いか〜わかった。セリフを少し修正するよ。本当に大切な気持ちは伝わらないと意味がないからね。」

54 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:24:26.36 ID:tCiOWLnR0

お互いの共通の趣味の話題で場は温まった。
いよいよ話を切り出す時だと百合子は心のうちで決意をする。実は今日は番組の収録前に杏奈ちゃんに聞いておきたいことがあって、杏奈ちゃんの好きなこのゲームセンターに来てもらったのだ。好きな場所で、温まった空気の中でさらっと答えてほしいことがあった。

百合子「あのさ、杏奈ちゃん、ここ最近のスポーツバラエティのことなんだけど、もしかして私の――」

私の携帯に着信がある。せっかく作ったチャンスなのに、とディスプレイを見るとそこにはこのみさんの名前がある。

百合子「もしもし、七尾百合子です。え、やっぱり直接現場に向かう?わかりました。私と杏奈ちゃんも今から向かいます。はい」

杏奈「百合子さん、このみさん直接行くの?」

百合子「うん。私たちもそろそろ行こっか」

百合子は名残惜しそうにゲームセンターを後にした。
「19時以降、小学生以下は保護者同伴でも入店をお断りしています」の張り紙が何故か目に留まった。

55 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:24:54.90 ID:tCiOWLnR0

……

タクシーに乗り10分ほどで現場に到着した。今回の収録は私の大の苦手なスポーツバラエティだ。スタジオには既にアトラクションやバスケットのコートのような丸だったり台形であったりと訳の分からない幾何学模様がテープで描かれている。実はこのようなスポーツバラエティ番組は結構ある。今週に入っても既に4本の収録を終えた。ローカルやケーブル、インターネット放送などの小さな番組で、どれも似たり寄ったりの物だ。

このみ「あら、来たわね2人とも!これで全員揃ったわね」

吸水性の高い運動服にブルマといった出で立ちのこのみさんが、私たちを迎える。

このみ「ところでどう?今日のお姉さん、セクシーフェロモンむんむんじゃない?」

周りを見渡してみると、歩さんや海美さん、エレナさんそれに――

志保「いい、可奈。今日は特訓の成果を見せるときよ」

可奈「うん。志保ちゃん。継続は力なりだよね」

結束を深めあっている志保ちゃんと可奈ちゃんの姿があった。
このスポーツバラエティはチーム対抗で執り行われる。
ちなみに私のチームは、私を含め杏奈ちゃん、海美さんこのみさんの4人編成だ。

「15分後にリハーサルを始めます。準備をお願いします」

スタッフさんから声がかかる。
スポーツバラエティは本来私の領分ではない。だけど私はまだトップアイドルを目指す途上にいて得意とか不得意とかで、仕事を選んではいられない。
大丈夫だ、大丈夫だと心の中で自分を鼓舞する。それに今回チーム戦で、私のチームには私と同じく決してスポーツが得意とは言えない杏奈ちゃんがいる。たぶん不安を抱えているはずだ。自分だけ緊張してはいられない。
私は頑張ろうねと声掛けを行おうと決意する

百合子「あ、あの、杏奈ちゃん!」

杏奈「ど、どうしたの百合子さん?」

いけない。声が上ずってしまった。思っていた以上に私は緊張をしていたらしい

百合子「がん……頑張ろうね、杏奈ちゃん」


杏奈ちゃんは考え込むようにして、そして短く「うん」と返事をした。
なんとか最後まで言い切ることができたが、杏奈ちゃんの不安を取り除くどころか私の不安が急激に上昇した。

56 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:25:27.78 ID:tCiOWLnR0

……

それでも玉砕覚悟で取り組めば何とかなる、と思い望んだリハーサルだったが本当に玉砕した。
思うように体が動けず、一対一の試合でもチーム戦でも息が詰まる思いをしたし、チームのメンバーにもそんな思いをさせてしまった。それに比べて杏奈ちゃんは流石だ。自分も運動が苦手なのに、いつものインドア系から完全にアイドルモードに入っていて活気だけは失わなかった。

百合子「みんな、ごめんなさい!私、上手くできなくて」

チームの皆に私は頭を下げる

このみ「あら、何を謝ってるの、百合子ちゃん?今回はアイドルが出るバラエティなんだから、ファインプレーなんて求められていないわ。むしろビーンボールを投げるほうが盛り上がって正解!ってときもあるわ」

あら、今のは過激過ぎたかしら。セクシーだけに、とこのみさんは1人で爆笑する

百合子「でも、グダグダで見苦しくて……」

このみ「そんなの問題じゃないわ、一番の問題は百合子ちゃんが自信なさげに下を向きながらプレーしていることよ。アイドルにとって大事なのは顔を映してもらうことなんだから、せめて顔だけは上げておきなさい。知ってる、百合子ちゃん?喜劇王チャップリンはこう言ったわ『下を向いていたら虹を見つけることはできないよ』って。だけど過激王このみ姉さんはこう言ったの『バラエティで下を向いていたら、カメラを見つけることができないよ』ってね」

百合子「……はい」

このみ「あらあら、ついに私もチャップリンと肩を並べてしまったのね。はっ!ちょっと待って!セクシーな私がさらにミュージカルに出演したら、二重の意味でカゲキ(過激・歌劇)王になって、チャップリンを超えてしまうわ!」

やっぱり私のセクシーは恐ろしいわ……危険すぎる!とこのみさんは自分の世界に入りかける

杏奈「あの……このみさん。ちょっといいですか」

ああ、ついに来てしまったかと私は遅い覚悟を始める。

杏奈「今日の両チームの編成……このみさんが決めたんですよね?」

このみ「ええ、そうよ?セクシーチームとスポーティチーム」

杏奈「じゃあお願いが、あります。私と志保のチームを……入れ替えてください。」

1週間ほど前から、繰り返し何度も見た光景だった。私と杏奈ちゃんが同じチームで、私がリハーサルで失敗をし、そして杏奈ちゃんがチームの交代を申し出る。何度見た光景に、私は何度も胸を締め付けられる。

このみ「う〜ん、志保ちゃんがいいなら別にいいけど。何か理由があるの?」

杏奈「成長するため、です」

57 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:25:54.70 ID:tCiOWLnR0

私は杏奈ちゃんが律子さんのラジオを必死に研究していたことを思い出す。
そうだ、杏奈ちゃんはもともとアイドルになりたかったんだ。私のようにスカウトではなく、だ。そう言えば必ず放送の後に真剣にスマホのSNSを触っているから、何をしているか聞いたところ「エゴサーチ」と言っていた。本当は思っていた以上に向上心が強いんだ。

このみ「成長?このチームではできないことなの?」

杏奈「そんなことは、ない。と思います。でも……杏奈にはいい方法が思いつかなくて」

私と同じチームだと、恐らく勝つことはできない。
恐らく杏奈ちゃんは勝利チームが手にするアピールタイムが欲しいのだろう。
少しでもチャンスを得るために。
そういえばいつも一対一の対戦は杏奈ちゃんとだ。これも他の戦力を温存するための作戦で、勝利にこだわっているということなのかもしれない。

このみ「そうなのわかったわ。でも大切なことは……いや、これは大人が教えることじゃないわね。若者が自分で学ぶべきことだわ。がんばってね、杏奈ちゃん」

杏奈「はい、ありがとうございます」

杏奈ちゃんが俯きながら私の横を通り過ぎていく。
58 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:26:38.29 ID:tCiOWLnR0

……

今日の収録もなんとか終わり、帰り支度をしていたところに杏奈ちゃんがやって来た。

杏奈「あの、百合子さん。今日、収録前に聞きたいことがあったんだよね」

百合子「杏奈ちゃん……」

私が杏奈ちゃんに聞こうと思っていたことは、スポーツバラエティのチーム替えについてだった。でも今はその謎も解けて聞きたいことはもうない。けど代わりに言いたいことがあった。

百合子「あの、杏奈ちゃん……ごめんね」

杏奈「え?」

百合子「杏奈ちゃんは本気でトップアイドルを目指しているのに、私はそれに気付かず足を引っ張るような事ばかりして。スポーツバラエティだって、本当は杏奈ちゃんも得意分野じゃないのに、私がさらに負担になるようなことをしちゃったら、ますます――」

杏奈「待って!どうして、どうして百合子さんが謝るの?」

百合子「どうしてって?杏奈ちゃんは間違ったことなんて何一つしてないのに、私が……」

杏奈「百合子さん……違うよ。謝るのは杏奈のほう。杏奈が勝手に百合子さんも同じ思いで、同じ努力をしていて、それなら杏奈にも変えられると思っただけなの。」

杏奈ちゃんの表情が急激に曇る。
雨を多く含んでいて、水を放出するのを今か今かと待ちわびる積乱雲のように

百合子「杏奈ちゃん?それってどういう?」

杏奈「でも間違いだった。百合子さんに嫌われるのは覚悟していたけど、百合子さんを追い込むとは思わなかったです。ごめんなさい。……杏奈、友達失格だよね?ごめん」

豪雨が降り始めた。しかしそれは驟雨だった。
杏奈ちゃんは2人だけの控室を飛び出していく。

杏奈ちゃんは泣いていた。

私は杏奈ちゃんの言っていた言葉が引っ掛かって、追いかけることができなかった。

『百合子さんも同じ思いで、同じ努力をしていて、それなら杏奈にも変えられる』

確かに杏奈ちゃんはそういった。それはどういう意味だろう?もしかして私はなにか重大な思い違いをしているのかもしれない。
杏奈ちゃんの泣き顔が頭に浮かぶ。ああ、私は何をやっているのだろう。
1人だけになった控室の扉が勢いよく開き、入ってくる人影がある

静香「さっき、杏奈がこの部屋から泣きながら飛び出したように見えたけど……って百合子、あなたも泣いているじゃない」

静香ちゃんが優しく私にハンカチを差し出す。
私はそんな静香ちゃんの顔をみる。元気がない。

百合子「ああ、静香ちゃん。元気がないけどどうしたの?」

静香ちゃんは肩を竦め、苦笑して答える。

静香「それは私のセリフよ」

59 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:27:08.01 ID:tCiOWLnR0

6 〜クリスマス当日〜

可奈「はっ……はっ……!」

スポーツバラエティの仕事を終えた私は、オレンジのパーカー風スポーツウェアに身を包みランニングに精を出していた。

莉緒「あれ、可奈ちゃんじゃない?どうしたの、精が出てるじゃない」

何やら大きな買い物袋を手に提げた莉緒さんと遭遇した。
「寒いのに頑張るわね、これが私が失った若さなの!?」と何やらショックを受け始める。
「莉緒さんだって若いですよ」と私はすかさずフォローを入れる。

莉緒「なんか可奈ちゃん見違えたわ。走り始めて長いの?」

引き締まって来たわね、とお褒めの言葉をいただいた。
努力が認められて純粋にうれしい。

可奈「いえ、ここ最近始めたばかりですよ〜でも莉緒さん、実は志保ちゃんにランニングのコツを教えてもらったんです。だから成果がすぐに出たのかも!」

莉緒「ランニングのコツ?興味深いわね〜、なになに?」

可奈「志保ちゃんはこう言ってました。『ハングリー精神よ。娯楽で走ってるようなランナーは全員抜かすの』って。あと数時間は走るつもりなんですよ」

私は志保ちゃんの声真似をして、奥義を莉緒さんに伝授する。

莉緒「そ、そう。あれね、若者に人気のゲーミフィケーションってやつなのかもね」

可奈「はれ?莉緒さん、ちょっと引いてますか?」

莉緒「そ、そんなことはないわ。そうだ、頑張っている可奈ちゃんに私からのプレゼントをあげるわ」

そう言って莉緒さんは大きな買い物袋から、これまた長いタスキを取り出す。

莉緒「じゃじゃ〜ん!『本日の主役タスキ』よ!」

可奈「わ、わあ〜」

「あんまりいらないかな〜♪」と歌い出したい気持ちをぐっとこらえる

莉緒「うんうん、似合ってるわ。」

可奈「そ、そうですかね。そういえば莉緒さんは今からどこに?」

莉緒「は!そうだわ、居酒屋に秘密の作戦会議に行かないと!地球の危機よ危機!」

可奈「え〜まだ明るいのにもう飲むんですか〜。でも秘密の作戦会議、なんかかっこいいですね。」

幼い時に憧れた秘密基地のような響きがある。

莉緒「はあ、可奈ちゃんは呑気でいいわね。それじゃあお姉さん、もう行くわ!地球の危機を救うために!」

可奈「は〜い。猪突猛進もうもうし〜ん♪」

私はランニングに戻る。
立ち話で少し体が冷えてしまった。

可奈「今日は冷えすぎるかな〜♪」
60 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:30:36.43 ID:tCiOWLnR0

7 〜クリスマス当日〜

静香「まずは状況を整理しましょう」

自分も収録のために局へ来たというのに「何があったか話してみて」と優しく問いかける静香ちゃんに、堰を切ったかのように私は洗いざらい話していた。もしかして私はずっと誰かに聞いてほしかったのか、それとも静香ちゃんの包容力なのか。いや、どちらもだろう。

静香「まず、杏奈と共にスポーツバラエティへの出演はずっと前から行われていた。けど一週間前から杏奈が百合子と同じチームになった時に、別チームへ移りたいと願い出るようになった。そうよね?」

百合子「うん」

そうだ。だがその時は突然のことで悲しさよりも不可解さが勝っていた。どうしてだろうという気持ちが悲しいという感情に栓をしていたんだ。でも日が経ち杏奈ちゃんの行動に私が何か理屈を見出そうとしていくうちにその栓が緩まり、ついに今日決壊した。

静香「さらに実際の収録においては百合子と杏奈の対決が狙ったようにいつも起こった。」

百合子「うん、そうだったよ。確かに杏奈ちゃんとの対決は必ずあった。」

静香「最後に杏奈が別れ際に言った『杏奈が勝手に百合子さんも同じ思いで、同じ努力をしていて、それなら杏奈にも変えられると思っただけなの。』という言葉。この言葉をきっかけに百合子は自分の推測に違和感を持ったのよね?」

確かに違和感を持った。でもその正体は今でも分からない。

百合子「ううん。もしかして私の勘違いかもしれないよ。私が自分を守るためにそう思っただけかもしれないし。」

そうだ。そんなに都合のいいことなんてないよね。
もしかして胸から黒い靄が出ていて、その靄に勝手に都合のいい映像を映し出していただけなのかもしれない。

61 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:31:09.88 ID:tCiOWLnR0

静香「百合子、悲観するにはまだ早いわ。最後の杏奈の発言のおかげで、百合子は自分の推測に違和感を感じたんでしょう?そこに必ず何かヒントがあるはずよ。そうね、例えば『同じ努力』って言葉。確かに杏奈の思いについては今はわからない。でも杏奈がどんな努力をしていたか。それなら一番近くで杏奈を見ていた百合子ならわかるはずよ」

静香ちゃんは私を励ますどころか議論を先へと誘導してくれる。自分だって元気がない癖に。私はまた泣きそうになるのをぐっとこらえて、頭を回転させる。

百合子「そういえば、杏奈ちゃん律子さんのラジオをノートに取ってたよ。あとは、番組の放送後にSNSでエゴサーチをしていたよ」

静香「律子さんのラジオとエゴサーチか……そのうちよりアイドルの努力としては一般的で敷居の低いのは、どう考えてもエゴサーチのほうね」

百合子「エゴサーチか。私、運動が苦手だからスポーツバラエティに関しては、見ないようにしてたんだ。視聴者の感想の手紙も見るのが怖くって。でも杏奈ちゃんは偉いよ。私と同じで運動が苦手なのに嫌なことから逃げなくなったんだから」

静香「ちょっと待って、百合子。もしかして杏奈も、もともとエゴサーチはしてなかったの?」

百合子「うん。でも感想の手紙は読んでたと思う。エゴサーチについては、一週間ほどまえから始めるようになったよ」

静香「感想の手紙を読んだうえで、エゴサーチ?必ずしも変とは言えないけど、なにか徹底し過ぎじゃないかしら。ねえ、百合子は本当に杏奈が自分の名前でSNSで検索しているのを見たの?もしかして杏奈にそう聞いただけじゃない?」

静香ちゃんの疑問に私は記憶をひっくり返して照会を行う。

百合子「あ……!そうだ、私、杏奈ちゃんが自分の名前で検索しているところは見てない!でも確かにあれはSNSの画面だったよ!」

静香「もしかして杏奈は自分の名前で検索をしていなかった可能性があるわ」

自分の名前を調べないエゴサーチ?
62 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:31:37.36 ID:tCiOWLnR0

百合子「じゃあ杏奈ちゃんは、何を調べていたんだろう?」

謎は謎のままだ。疑問は次々生まれる。でも確実に前に進んでいる。そんな実感が静香ちゃんにはあるのかもしれない

静香「一週間前からの杏奈の行動の変化。律子さんのラジオの書き止め。SNSで自分以外の何かを調べる……これらの行動を繋ぎ合わせて考えると……けどあと1ピース」

静香ちゃんがぶつぶつと真剣な表情でピースを組み合わせ始める。
私は静香ちゃんに任せきりでいいのだろうか?自分の問題なのに。
なにか、何かほかにヒントはないのだろうか?なんでもいい。もともと賢くないのだ、数撃てば当たる戦法でいかなくてどうするの!

百合子「小説っ!」

静香「え?」

百合子「私が書いた小説の主人公を杏奈ちゃんが褒めてくれたの。周りの声援や期待に応えようと自分を鼓舞する主人公が私にそっくりで、王道でいいねって……」

自分で言って恥ずかしくなる。何を言っているのだろう私は。これじゃあただの自慢じゃないか。

静香「『大切なことは、お客様の目線で考えることです。売る側の商品評価と買う側の商品評価の間に差をなくすこと。また、お客様が商品価値を単体で捉えているのか、セットで捉えているのかを把握すること。そして――』」

百合子「静香ちゃん?」

静香「『そしてこれはアイドルの売り出し方にも言えると私は考えています』」

百合子「静香ちゃん、何の話を――」
63 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:32:19.95 ID:tCiOWLnR0

静香「律子さんのラジオよ。一週間前の。百合子、私たちは近すぎるがゆえに大きな勘違いをしていたのかもしれないわ。」

百合子「近すぎるが故の勘違い?」

静香「ええ、そうよ。百合子、SNSで杏奈の名前とすでに放送されたスポーツバラエティの番組名で複合検索をしてくれる?」

百合子「え?杏奈ちゃんの名前?」

静香ちゃんはさっき、杏奈ちゃんは自分の名前で検索していなかったかもって言ってたのに

静香「杏奈は確かに自分の名前で検索はしていないと思う。でもこれは私たちの誤解を解くうえで必要な事なの」

百合子「誤解を解くうえで?……わかった。やってみる」

杏奈ちゃんの名前と番組名で検索を行う。
私はそこに書かれている内容に目を見張る

百合子「嘘……!みんな、杏奈ちゃんは運動が得意だと思い込んでる!」

活発で、明るくて、アウトドアで、運動が得意な女の子。SNSには杏奈ちゃんをそう評価する感想が多々寄せられていた。

静香「そう。私たちはいつも杏奈を近くで見ているから、運動については不得意であるということを知り尽くしているわ。でもそれは同僚である私たちから見た杏奈。お客さんから見た杏奈の評価とはかなり開きがある。」

百合子「でも、どうしてそんな差が?」

静香「その理由は2つあるわ。1つはお客さんやカメラの前だけで見せるハイテンションな杏奈のキャラクターのせいよ。私たちの知名度はまだあまり高いとはいえない。だからお客さんにとって、テレビで見るハイテンションな杏奈こそが杏奈の素顔なの。いつものインドア派の杏奈じゃない。活発なアウトドア派のような杏奈だけがテレビに映っている。」

百合子「でも、性格だけではごまかせないんじゃ……」

静香「ここで2つ目の理由よ。百合子、ここ一週間。杏奈と一番対戦回数が多いのは誰?」

杏奈ちゃんと一番多く戦った人?それは……

百合子「私です。……あ!」

静香「そう。運動に対する苦手意識の強い百合子と戦っていたから、ぼろが出にくかったのよ」

なるほど。だから杏奈ちゃんは私と積極的に勝負するように仕組んだんだ。

静香「まだ終わりじゃないわ、百合子。杏奈の狙いはまだその先にある」

百合子「え?まだなにかあるの?」
64 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:32:46.88 ID:tCiOWLnR0

静香「百合子、今度はあなたの名前でエゴサーチをしてみて」

百合子「え!?私の名前?」

どうしてそこで私の名前が?

静香「杏奈が何を思って行動を起こしたか知りたいんでしょ?勇気を出して」

百合子「うぅ……はい」

私は恐る恐るSNSでエゴサーチを開始する。
そこに映っているのは……

百合子「嘘……私、みんなから応援されてる!?」

「あの子、運動とか苦手そうなのにガッツがあるよな。」
「相手の女の子は活発で強そうなのによく諦めないな。がんばれ!」

視聴者からの声援がそこには寄せられていた。

百合子「どうして……」

静香「百合子、確かにあなたの運動が苦手という自己評価とお客さんの百合子への評価は一致しているわ。でもここは杏奈とセットで考えるの。」

百合子「セットで?」

静香「うん。お客さんから見て、百合子対杏奈の構図はインドア派対アウトドア派。だけど実際の実力は拮抗している。するとお客さんにはどう見えるか。それは検索結果が示す通り、百合子が格上に対して頑張っているように見えるのよ。」

静香「もちろん、中には杏奈の運動能力が低いのではと疑う人もいるでしょう。でも杏奈は頻繁にエゴサーチをして、百合子への声援の大きさを確認し、作戦を続行するか決めていたんじゃないかしら」

百合子「杏奈ちゃんはもしかして私のためにこれを?でもどうして?杏奈ちゃん、私に嫌われることを覚悟していたって言ってた。でもこれってそこまでしてしなくちゃいけない事なの?」

もうほとんど謎が解けたというのにまだ私は杏奈ちゃんの考えがわからなかった。あと一歩、あと一歩がとても遠い。

65 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:33:16.70 ID:tCiOWLnR0

静香「たぶん。……たぶん杏奈は百合子に自信を持ってほしかったんだと思う」

百合子「自信?」

静香「うん。杏奈は意図的にお客さんの声援を作り出した。それが百合子を変えると思ったのよ。」

百合子「声援が?でもどうして?」

それは、と静香ちゃんが間を置いて答える。私がしっかりその答えを受け止めるように

静香「だって杏奈にとって百合子は『声援や期待に応えようと自分を鼓舞する主人公』なんだから」

百合子「あ……」

私の小説だ。
照れ臭そうに主人公は私に似ていると口にする杏奈ちゃんの顔が浮かぶ。

百合子「そっか。私、スポーツバラエティが嫌で、いつも下を向いてばっかりで……だから杏奈ちゃんが動いたんだ。嫌われるのも覚悟のうえで。だって主人公が下を向いたままじゃ主人公失格だから」

胸の内から涙がこみ上げる。
ごめんね。ごめんね杏奈ちゃん。
私、頭が悪くて。もし隣にいるのが静香ちゃんだったら、ずっと仲良しのままだったよね。
私は謎が解け、杏奈ちゃんは私が前を向くことを望んだというのに、未だに下を向いている。
そんな自分がますます嫌になる。

静香「……百合子、大丈夫よ」

百合子「だい、丈夫?」

あまりに短く端的な言葉に理解の追い付かなかった私の問いかけに静香ちゃんは困ったような顔をする。
66 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:33:48.83 ID:tCiOWLnR0

静香「ごめんなさい。落ち込んで泣いている百合子に何か声を掛けようと思ったんだけど……実は、気の利いた言葉が思いつかなかったの」

ごめんなさい。と静香ちゃんが頭を下げる

静香「でも、百合子を励ますには至らなかったかもしれないけど、私、時間内にここまでうまくやったと思わない?」

静香ちゃんはそういって悲しそうな顔で時計を指さす
そうだ、静香ちゃんには次の収録があるんだった。
ただその表情はあの時の杏奈ちゃんのような積乱雲を想起させる。
でも、なんで?なんで静香ちゃんはそんなに悲しそうな顔をするんだろう。静香ちゃんのおかげで、私は真実にたどり着いた。それは明らかだ。だけど今の言葉を言った時の静香ちゃんは私の問題とは別の何かを結びつけて語っているように感じた。

百合子「うん。静香ちゃんには感謝してもしきれないくらい、助けて貰ったよ」

静香「本当に?本当に私の行動に意味はあったと百合子は考えるのね。私、その言葉を信じるけど、いいのよね?」

震える声で静香ちゃんは私に尋ねる。
ああ……なにをしているんだ私は。静香ちゃんだって何か耐え難い物を抱えていたんだ。
だけど、そんな自分を顧みず、私のことを助けてくれた。なのに私はいつまでうじうじしているんだ。いつまで静香ちゃんを不安にさせるんだ。頑張れ!前を向け!そして答えろ!

百合子「大丈夫。私のことを信じて大丈夫だよ、静香ちゃん。」

私は静香ちゃんの目をまっすぐに見据えて答える。

静香「百合子……」

静香ちゃんの震えが止まる。

静香「あのね、百合子を励ませなかったのは、心残りだけど。それはきっと、杏奈じゃないとダメなんだと思う」

百合子「杏奈ちゃんが?」

静香「ええ。百合子の悲しみは、この先のゴールにいる杏奈と仲直りすることでしか消えないと思う。だから続きは2人に任せることにする。」

そうだ。まだ終わっていない。まだただチェックポイントを通過したに過ぎない。悲しいは悲しいままだけど、落ち込んでなどいられない。

静香「杏奈はきっと百合子を待ってる。それに杏奈に気の利いた言葉を掛けてあげられるのもきっとあなただけよ。私にできるのはここまでだけど、あなたは違うわ。バトンは繋いだ。だからゴールまで迷わず全力で進みなさい。」

私は涙を袖で拭い立ち上がる。静香ちゃんの言葉で、私の胸の洪水はすべて推進力に変わった。
静香ちゃんはやっぱりすごいなあ。たぶん神様が奇跡を起こすとすれば彼女のような人の上に降り注ぐのだろう。
でも私も負けてはいられない。必ず杏奈ちゃんに会って、そして仲直りをするんだ。

私は携帯を耳に当てながら駆け出していた。

67 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:34:27.70 ID:tCiOWLnR0
8 〜クリスマス当日〜

駅前から目抜き通りを進み、2つ目の狭い路地を左に進むと「シカゴ」という名の楽器店がある。切妻屋根の小さなその店はまるでそこだけ飛び出す絵本のようにビルが並ぶオフィス街の現実的な雰囲気には溶け込めずにいる。だがあたしたちは今回その路地を直進し、少し歩いたところにある街灯の下に陣取った。路上ライブをするためだ。だが――

翼「ねえねえ、ジュリアーノ、瑞希ちゃん。奈緒さんのラジオ聴いた?わたし、すっごく笑っちゃいました〜」

瑞希「ええ、あれは面白かったです。」

ジュリア「おい」

あたしは声を掛ける

瑞希「ああん、奈緒さんといえば、最近彼女にこんな手品を見せる機会がありました。伊吹さん、トランプをパラパラっとめくるので、一枚覚えてください。いいですか、行きますよ?」

カードが音を立てては残像を残していく。

翼「は〜い、覚えまし――」

瑞希「ダイヤの7ですね」

翼「ちょっと、瑞希さん!当たってますけど早いですよ〜。もっと焦らさないと盛り上がりませんって」

瑞希「そうですか。奈緒さんに見せた時も言われましたが、すっかり失念していました。」

ジュリア「おい」
あたしはまた声を掛ける。聞こえてんのか?

翼「でもすごいですね、どうやるんですか?」

瑞希「これは親近効果、つまり。最後に見たものが印象に残りやすいという心理作用を利用して――」

ジュリア「おい、あたしらはマジックショーをやりにきたのか?」

路上ライブの準備を進めるあたしを尻目に、歓談モードに入った2人に流石に危機感を感じたあたしは真面目に止めにかかる

68 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:34:55.95 ID:tCiOWLnR0

翼「え!?マジックショーをやりにきたんですか、私たち!せっかく自転車で飛ばしてきたのにそれはないですよ〜」

翼はむくれた顔で、両足スタンドで止めてある自転車を指さす。

ジュリア「それは、おまえがただ時間に遅れかけただけだろうが」

瑞希「いいですね、マジックショー。曲と曲の合間の準備時間で披露しましょう。道具は沢山持ってきてます」

そう言って、瑞希はどこからかロープや手錠、ステッキを取り出す。
もしかしてこいつは初めからマジックショーをやるつもりでここに来たんじゃないのか?
あたしは目を細めて瑞希を見る。おい、今お前は疑われているぞ。

瑞希「そういえば、伊吹さんはどうして今日路上ライブをやろうと思ったのですか?」

あたしの疑いなど露しらず、瑞希は翼に問いかけを行う。そうだ、あたしもそれが気になっていた。
翼は「ああ、そのことですか〜」とすぐに口を開く。
翼「そ・れ・は、クリスマス商戦だからですよ」

ジュリア「ん?どういう意味だ、翼」

翼「ほら、見てくださいよ。今日はなんだか人の行き来が多くないですか?」

そう言って翼は片腕を広げる。見てください、すごいでしょうと

瑞希「ああ、確かに。人が多いですね、クリスマス商戦だからですかね」

ジュリア「書き入れ時ってやつか?」

翼「4人で沢山のお客さんの前で歌ったら、きっと楽しいって思ったんですけど、静香ちゃんに断られちゃいました」

ジュリア「静香?」

なんでここで静香の名前が出るんだ?

翼「も〜海外では子供たちは教会で賛美歌を歌うなら、アイドルは路上ライブをすべきだって思いませんか?なのに静香ちゃんは、仕事で間に合わないからって断ったんですよ〜!」

翼は小さな子供のように腕をぐるぐる回して抗議する。

ジュリア「いいじゃないか。アイドルなら仕事が本分だろ?」

翼「む〜、じゃあジュリアーノたちはどうして今日路上ライブをやろうって思ったんですか〜?」

ジュリア「それは……」
69 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:35:23.57 ID:tCiOWLnR0

あたしは言い淀む。あたしは目抜き通りを進んだ先にある例の共同ビルに目を遣る。最初に頭に思い浮かんだのはプロデューサーの謎をとくヒントがここにあるかもしれないという好奇心だというのは嘘じゃない。でもそれだけか?と言われるとそうではない。

『現実に戻してんじゃね〜よ』 

ライブハウスで聞いたあの言葉が脳裏に浮かぶ。そして想起される全然盛り上がらなくなったステージ。もしあたしがステージにたってたならどうなっていただろう。何かを変えられたのかのだろうか。いや、もしかしたら何もできないのかもしれない。ただあの光景があたしの中でわだかまりとなっているのは確かだ。ただ翼になんと答えたものか――

瑞希「それはもちろん。ロックンロールを探すためです」

瑞希が端的に答える。
ああ、それだ。素晴らしい。単純でいいじゃないか。
翼は何のことだと、目をぱちくりさせている。

瑞希「伊吹さん、ロックンロールはどこにあるか知っていますか?私とジュリアさんはそれを探しているんです。」

瑞希は「私達はロックンロールの求道者なんです。」と誇らしげに宣言する。

翼「え、瑞希さんと、ジュリアーノって、弓道やってるんですか?でもそれなら、引ったくり犯が来てもイチコロですね!」
最近出るらしいんですけど、その時は頼みますね!と的外れなことを言う。

瑞希「伊吹さん、それは的外れです。弓道だけに。ふふっ」

瑞希が大爆笑し始める。
ああ、また収集がつかなくなった。

ジュリア「おい、そろそろ始めるぞ」

こうなったらもう始めちまった方がいい。こいつらが飽きちまう前に。
私は弦とフレットの間に挟んでいたピックを取り出した。

70 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:35:51.24 ID:tCiOWLnR0

9 〜クリスマス当日〜

莉緒「このみ姉さん、遅いわ……せっかく良い席が取れたのに、プロデューサー君が来ちゃうじゃない」

私は居酒屋のガラス越しに例の共同ビルの入り口を見遣る。
ため息をつきながらグラスを口に運ぼうとしたとき、携帯に着信がある

このみ『ごめん、莉緒ちゃん。遅れちゃって』

莉緒「ああ、このみ姉さん。どうしたの?こっちは入り口を見張るためのとっておきの席と、尾行をすることになった時のための変装グッズも用意してきたわ。あとはこのみ姉さんだけよ」

このみ『あのね、莉緒ちゃん。もしかしたら今日はいけないかもしれないわ?』 

莉緒「え、そうなの!?でもなんで?」

このみ『今、百合子ちゃんの頼みで戦場にいるからよ。ごめん!この埋め合わせはまた今度!』

莉緒「あ、ちょっと!」

通話が切れる。

莉緒「……はあ、ついてないわね〜」

ため息を吐き出しながら私は窓の外に再び目を遣る。
私ははっとさせられる
そこには共同ビルに入っていくプロデューサー君の姿があったからだ。
私は急いで隣に置いた買い物袋から安っぽい警察の衣装を取り出してトイレに向かった。
71 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:36:22.78 ID:tCiOWLnR0

10 〜クリスマス当日〜

スポーツバラエティの収録が終わり、莉緒ちゃんとの待ち合わせをしている居酒屋に向かっている途中で百合子ちゃんから電話がかかってきた。『力を貸してください』と。ただ事ではないと思った私は、どこに向かえばいいかを聞いたところ『ゲームセンターです!』と返事が返ってきて最初は拍子抜けをした。
けど、会って百合子ちゃんから杏奈ちゃんの行動に対する静香ちゃんの推理を聞かされた時、助けてあげたい、と思った。実際何をさせられるかもわからないのに、だ。

このみ「なるほど、杏奈ちゃんの行動の裏にはそんな意図があったのね。それはわかったわ。でもなんで私をゲームセンターに呼んだの?」

百合子「それはですね……」

百合子ちゃんはどう伝えようか、どうすればわかりやすく伝わるかを思案し始める。

このみ「取り合えず、静香ちゃんと別れてからの百合子ちゃんの行動を時系列順に話してみてくれる?」

百合子「はい。まず杏奈ちゃんの携帯に電話を掛けたんです。でも電源を切っているみたいで繋がりませんでした。」

このみ「うん。携帯がないと電話もメールもできない。今の時代ってそこが不便なのかもね。それで次はどうしたの?」

百合子「杏奈ちゃんの家に電話を掛けたんです。ですがまだ戻ってきていないらしく、帰ってきたら連絡を入れてくれるようお願いをしました。」

このみ「ふむふむ」

百合子「次に事務所に電話を掛けたんです。でも事務所も杏奈ちゃんの家と同じ状況でした」

このみ「行方不明ってやつね」

百合子「そこで今度は杏奈ちゃんの好きな場所を探してみることにしたんです。杏奈ちゃん、最近古いゲームにはまっているんですが、実はその筐体が置いてあるのは都内に2か所しかないんですよ」

このみ「そのうちの一つがここってことね?」

そういえば、今日百合子ちゃんと電話でそんな話をしたわね。

百合子「はい。でもここにも杏奈ちゃんはいませんでした。だからもう一か所の場所をネットで調べてみたんですが、検索にヒットはありません。杏奈ちゃん言っていましたそこは杏奈ちゃんにとっての『秘密基地』だって。それはそういう意味だったんですね」

このみ「なかなかうまくいかないものね。でも話の流れからして、次に百合子ちゃんが考えたのがこの『カゲキ王』このみ姉さんの手を借りるってことね?でも私、セクシーしか貸せないわよ?それが今必要なの?」

そう、そこが問題だ。杏奈ちゃんと連絡を取る手段なんていかに私がセクシーでも流石に無理だ

百合子「いえ、借りるのはセクシーじゃありません。このみさんからお借りしたいのは、ゲームの腕前なんです。」

このみ「え?ゲームの腕前?」

百合子「そうです。」

駄目だ、説明を求めたのにどうしてそうなるのか私には全くわからなかった。
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