【オリジナル】ファーストプリキュア!【プリキュア】

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546 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:51:45.45 ID:sptbJ6v70

 ふたりは身を隠せる場所が少なくなった外で、見つからないようにあきらの後をつけた。あきらが中庭に入るのを見届けて、ふたりも中庭に足を踏み入れる。と――、

「……ん? あれ? あきらは?」

「急にいなくなったわね……」

 一瞬、あきらが自分たちを撒いたのかという考えがよぎったが、そこまで時間的な余裕があったとは思えない。そもそも、尾行が気づかれている様子はなかったし、あきらが自分たちにそこまでするとは思えない。ふたりはそろりそろりと中庭を進む。プリキュアに成り立ての頃、まだただの緑地という風情だった中庭は、今や立派なイングリッシュガーデンに仕上がっている。そこかしこに植えられているハーブや色とりどりの花が季節感を出し、きれいに動物の形に刈りそろえられている植樹が何とも楽しい印象を与えてくれる。これを主事の蘭童さんひとりでやったというのだから、凄まじいことだとめぐみは思う。

「……ん、ねぇめぐみ。何か聞こえない?」

「……?」

 ゆうきの小声に耳を澄ませてみると、たしかに小さな話し声が聞こえる。ふたりは顔を見合わせ、お互いに口の前に人差し指を当てた。そのまま、そろりそろりと、その話し声のする方向へ歩を進める。と――、



「――ここはこうした方がいいかな」

「ふむふむ。なるほど……」



「「……!?」」

 ふたりして驚きに声を上げそうになる。お互いの口を手で押さえ合い、驚きで見開いた目を見合わせる。とんでもないものを見つけてしまった。

 そこは、綺麗に刈りそろえられた植樹に囲まれたスペースだ。中に入るには、身をかがめて――場合によっては匍匐前進で――植樹をくぐる必要がある。生徒たちはその手間を厭って滅多にその中には入らない。そのスペースにあるのは、座るのに適した大きな岩が四つだけだ。そんなスペースに入るくらいなら、誰だって中庭に点在するベンチや椅子に座るだろう。

 けれど、その植樹の中に、今は人がいた。それもふたり。片方はふたりが後をつけていたあきら。そしてもう片方が、とんでもなく意外で、なおかつ先ほどのめぐみの冗談に合致する相手だったのだ。ふたりは植樹の陰に隠れて、あきらと何やら親しげに話をするその相手を何度も確認した。

(ね、ねえねえ、あれ、主事の蘭童さん……だよね)

(そうね。わたしにもそれ以外の人に見えないわ)

(ほ、本当にデートだったんだね……)

 ゆうきは声を潜めたまま、顔を真っ赤にして、

(しかも、赴任して一週間で、中等部から高等部までファンでいっぱいになった、イケメンの蘭童さんが相手とは……)

(まだそうと決まったわけじゃないでしょう)

 と言いつつも、めぐみも顔を赤くしている。あのおとなしいあきらが、年上のイケメンと親しげに放課後に密会をしているだなんて、誰が想像できただろうか。

(や、やっぱり、そういうことなのかしら……)

(……はぇ〜、あきら、おっとなー)

 ふたりの少女はそれからしばらく、年上のイケメンと親友との逢瀬の現場をドキドキと眺め続けていた。
547 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:52:12.25 ID:sptbJ6v70

…………………………

「……じゃあ、今日はこんなところかな。すまない、そろそろ仕事に戻らないといけないんだ」

「はい。お仕事の時間を割いていただいて、どうもありがとうございます。いつもすみません」

「いいさ」

 爽やかな笑顔が似合う主事の蘭童さんは、やはり爽やかな笑みを浮かべて。

「ぼくは先生ではないが、学校現場にいる以上、生徒の相談には乗らなくちゃならないだろうから。……ん?」

 ふと、蘭童さんがあきらに手を伸ばした。ドキリと心臓が跳ねて、身体が固まる。年上のイケメンに、すわ頬を撫でられるかと身構えるが、そうではなかった。蘭童さんはあきらのすぐ後ろの植樹に手を伸ばしただけだった。

「少し手入れが必要だな。すまない、少しどいてもらってもいいかい?」

「あ、はい」

 ヘンな勘違いをしたことが恥ずかしくて、あきらは顔を赤くする。腰かけていた岩からどくと、蘭童さんは手慣れた手つきで腰のホルダーから剪定用の小さなはさみを取り出して、植樹の一地部分を撫でるようにそろえてしまう。それは本当に一瞬の出来事で、その一瞬だけであきらには蘭童さんがとても優秀な庭師なのだとわかった。

「すごいですね。歌や詩だけじゃなくて、こんなこともできるんだ……」

「そりゃ、これがぼくの本業だからね」

 蘭童さんは困ったように笑った。その手に握られているはさみを見て、あきらは言った。

「……そのはさみ」

「ん?」

「とても使い込んでいるんですね。ずっと使ってるんですか?」

 そのはさみはとても使い込まれていて、そこかしこボロボロではあったが、よく整備されているように、あきらには見えた。

「ああ……まぁ、これとも長い付き合いだね。また庭師になって使うことになるとは思わなかったけど」

 蘭童さんはそう言うと、はさみをしまった。

「そのはさみには、きっと蘭童さんの今までの色々なものが詰まっているんですね」

「……はは、本当に君は、感受性が豊かだな。まぁ、たしかに色々なことを、ぼくと一緒に経験したはさみではあるね」

 蘭童さんは笑う。けれど、あきらにはその目の奥が寂しげに揺らめいているように見えた。

 蘭童さんは、ときどき、表層には絶対に表さない悲しげな目をすることがある。

「……それじゃ、失礼するよ。美旗さん」

「今日も大変参考になりました。また、よろしくお願いします」

「ああ。明日の朝も大丈夫だ。気が向いたら来るといい」

「ありがとうございます。絶対来ます」

 蘭童さんはにこりと笑うと、そのまま植樹を颯爽とくぐってそのスペースから出て行った。あきらが同じことをしようとしても、きっと植樹に頭を突っ込んでしまうだろう。どこまでも爽やかで、格好良さの塊のような人だ。あきらがそのスペースが出るときは、たっぷり気合いを入れてしゃがみ込んでもぞもぞと不格好に動いてようやく植樹をくぐり抜けることができるというのに。蘭童さんとの差に自分で落胆しながら、あきらが植樹をくぐろうと屈んだ、その瞬間だった。




「あーきらっ」
548 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:52:39.22 ID:sptbJ6v70

「わひゃっ!?」

 変な声が洩れた。危うく尻餅をつきそうになって、いくらなんでもそれは格好悪すぎるから耐えた。今まさにくぐり抜けようとした場所から、ふたつの顔が覗いている。

「ゆ、ゆうき!? めぐみ!?」

「あーきーらー、わたしの誘いを断って何をしてるのかと思えば、イケメンさんとデートだったんだねー!」

 ゆうきが言う。

「そういうことなら教えてよー! 親友でしょー! 幼なじみでしょー!」

 植樹をくぐってスペースの中に入ってきたゆうきは、がくがくとあきらの肩を揺する。あきらは思考が追いつかず、されるがままになってしまう。

「ど、どうしてここにいるの?」

「ごめんなさい。私は止めたのだけど、ゆうきがあなたのことが心配だからって、後をつけたのよ」

 遅れて植樹をくぐってめぐみが中に入る。

「あ、ずるい! めぐみ、わたしのせいにしようとしてる!」

「しようとしてるもなにも、言い出したのはあなたでしょ」

「でもめぐみだってついてきてくれたでしょー」

「それはだって、私もあきらのことが心配だったから……」

 ふたりがわーわーと言い合いを始める。それを聞いてあきらも合点がいく。つまり、あきらの親友二人は、あきらのことを心配して、あきらの後をつけたのだろう。そして、今の今までここで行われていたマンツーマンのレッスンを、デートと勘違いしたのだろう。

「……ってデート!?」

 あきらがむせそうになりながら言った。

「デートじゃないよ! っていうかイケメンさんとデートって何!?」

「えっ? だって主事の蘭童さんと楽しそうにお喋りしてたじゃん」

「お喋りしてたらデートなの!?」

「放課後の密会かと……」

「めぐみまでゆうきの天然が移ったの!?」

 そんなふたりにどう説明したものかと、あきらは植樹の梢から見え隠れする空を仰ぎ、ため息をつくのだった。
549 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:53:05.66 ID:sptbJ6v70

…………………………

 天使か、はたまた悪魔か。

 そう思えるくらい、彼は美しかった。彼の歌声も、美しかった。ただただ、感嘆に胸を震わせていると、歌声が止まった。

 霧の中振り返った彼と、あきらの目線がぶつかった。

『……?』

『あっ……』

 胡乱げな目線をくれる、当の彼――主事の蘭童さん――は、どういった感慨も見せず、淡々とあきらの目を見つめていた。

『……おはようございます』

『あ……お、おはようございます』

 蘭童さんから放たれたのは、ひどく陳腐なあいさつだった。当然だ。ここは学校で、あいさつは美徳とされる場所だ。本来であれば、あきらからあいさつをするべきだっただろう。

『こんな時間に生徒がいるとは思わなかった。しかも、よりによって君か』

『へ……? わたしのこと、ご存知なんですか?』

『……はは。まぁ、君がよくこの場所で、何か書き物をしているのを見かけていてね』

『あっ……』

 顔が熱くなる。誰にも見られていないと思っていたのに、あの秘密の作業をよりによって学校職員に見られていたなんて。

『そんな顔をしなくていい。君が何をしているのかまでは知らないよ』

 あきらの心の中を見透かすように、蘭童さんはそう言って笑った。あきらは途端に恥ずかしくなって、頭を下げた。

『君はよくこの場所を秘密の場所のように使っているようだね。実はぼくもなんだ。こうやって、始業前に時々歌を歌わせてもらっている』

『あっ、その……邪魔をしてしまって、すみません……』

『いいさ。始業前に、ストレス発散で歌っているだけだから』

 蘭童さんは本当にどうでも良さそうに。

『こんなに早くから登校とは感心だね。なんとも、光が強いことだ』
550 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:53:36.30 ID:sptbJ6v70

『……光?』

『何でもない。忘れてくれ』

 あきらには蘭童さんの言わんとしていることがわからなかった。蘭童さんが言わないつもりのことを無理に聞き出すつもりはないが、あきらの心の中に、言わなければならない想いがくすぶっていた。

『あの、今の歌……』

『うん?』

『とても綺麗でした。歌がお上手なんですね』

 そう言ったあきらの顔を、蘭童さんはぽかんと見つめるだけだった。

『……それはどうも』

『今の歌、聞いた事がありません。何の歌なんですか?』

『……グイグイくるね』

 蘭童さんは呆れ顔で。

『名前はないよ。ぼくが作った曲に歌詞を乗せただけだ。歌詞は気分で変わるし、主旋律も気分で変わる』

『曲も歌詞も、自分で考えたんですか!?』

『……そうだよ。悪いか』

 そう言った蘭童さんの目は、とても冷たかった。けれどあきらは、そんなことを気にしている余裕がなかった。

『あ、あの!』

『なんだい?』

『わたしに、詩の書き方を教えてください!』

『…………』

 たっぷり数秒沈黙した後、蘭童さんは、イケメンが絶対にしないであろう間の抜けた顔をした。

『……へ?』
551 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:54:07.05 ID:sptbJ6v70

…………………………

「と、いうことがあって、それからずっと蘭童さんに詩の書き方を教わってるの。詩のレッスンっていうのかな」

「「詩のレッスン?」」

「そうだよ。蘭童さんに色々と教わっていたの」

 懇切丁寧に説明して、ふたりはようやく理解をしてくれた。けれど、納得はしていないようだった。めぐみが不思議そうに問う。

「あきら、詩を書くの?」

「う、うん……」

 あまり人に話したいと思うようなことではない。そんなことをやっていて、気取った中学生だと思われるのも嫌だし、痛々しいと思われるのも嫌なのだ。けれど、めぐみの反応はそんな程度ではなかった。

「あきらは感受性豊かで、色々な物事を多角的に見られるものね。うん。詩って、あきらにぴったりだと思うわ」

 ゆうきも言う。

「そういえば、あきらって昔からこまめに日記をつけてたもんね。文章を書くの好きだよね」

「……そうだね。日記で、その日あった楽しかったこと、嬉しかったこと、嫌なこと……そういう色々なことを考えて書いていたら、詩みたいになったの。それから、少しずつ日記とは別に詩を書くようになったんだ」

 ゆうきにも話したことがないことだ。ふたりは嘲るでも引くでもなく、真剣に聞いてくれた。

「でも、蘭童さんって作曲と作詞ができるのね。主事さんなのにすごいわ」

「あくまで趣味だって言ってたけどね」

 あきらははにかみながら。

「でも、わたしは蘭童さんの歌を聴いて、すごく心に響いたんだ。だから無理を承知で色々と教えてもらっているの」

 ふと、親友二人がわくわくするような目をしていることに気づく。

「……? どうしたの?」

「あきら、なんか、蘭童さんのこと話してるとき、目がキラキラしてるよね」

「そうね」

「……どういうこと?」

 ふたりは「またまたー」とあきらの肩を叩く。

「蘭童さんに詩を教えてもらっているうちに、」

「ときめいたり、してるんじゃないの?」

 ふたりの言わんとしていることがわかって、あきらはまたため息をつく。そういえば、出会い端にデートだなんだと言っていた。ふたりの女子中学生らしい姦しい勘ぐりに、あきらはそっと呟いた。

「ふたりともさ、なんかユキナに似てきたよね」

「……えっ? わ、私も……!?」

 その言葉に、めぐみが愕然としたことは、言うまでもない。
552 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:54:59.65 ID:sptbJ6v70

…………………………

「……どういうつもり?」

 彼は草木への水やりのため、古風な学園に似つかわしい金属製のじょうろに水を汲んでいた。そんな彼に黄色い歓声を上げる女子生徒なら多数いるが、こんなつめたい声をかける人物は、そう多くはない。

「おやおや。後藤さん。まずはあいさつが先だろう? おはようございます」

「この辺には誰もいないわよ。その嫌みったらしい営業スマイル、さっさと取りなさいよ」

「はは、これでも先生方と生徒の信頼は勝ち得ているつもりなんだけどね」

 彼は水を止め、声の主を振り返った。漆黒の長髪に漆黒の目、病的なまでに白い肌、細い手足。不健康そうな見た目ではあるが、尖ったナイフのような鋭い美しさを持った少女だ。洗練されているといって、間違いではないだろう。鈴蘭は元より不機嫌そうな目をますますすがめて、彼を睨み付けた。

「くだらないおしゃべりをするつもりはないの。どういうつもりかと聞いているのよ」

「何の話かな」

「とぼけないで。美旗あきらのことよ」

 なるほど。ただのヒステリックな少女だと思っていたが、それだけでもないようだ。よく周囲を見て、彼の不審な行動を気にかけていたのだろう。

「どういうつもりも何もない。ただの気まぐれだよ」

「うそをつきなさい。あんた、一体何をたくらんでいるの?」

 鈴蘭の目は疑念に満ちていた。もちろん、彼だって鈴蘭がそんな顔をする理由はわかっている。彼自身、己が敵である美旗あきらに何かをしていると知れば、罠にでもかけようと考えていると思うだろう。

「どうせ、プリキュアを陥れる算段でも練っているんでしょう? 一枚噛ませなさいよ」

 鈴蘭が嗜虐的に笑う。彼女の本質は、その嗜虐的な闇だ。過去に何があったのか知らないし知りたいとも思わないが、その彼女の闇がロイヤリティの光やホーピッシュの希望を許せるはずもないだろう。鈴蘭は決して光とは相容れない。それは彼とて同じことだ。しかし。

「そうしたいところは山々だけどね。ぼくらの総大将はそういう汚い手を好まないらしい」

「あら、じゃあどうして美旗あきらに毎朝付き合ってやってるわけ? どっかの体育の先生みたいに、『どこまで強くなるか見てみたい』なんて言い出すつもりじゃないでしょうね」

「郷田先生みたいな酔狂なことをするつもりはない。ただの気まぐれだよ」

 鈴蘭はしばらく疑念に満ちた顔で彼を睨み付けていた。やがて、どうでも良さそうに言った。

「……あっそ。じゃ、あたしはあたしでやらせてもらうわ」

 興味は失せたとばかりに、まるで猫のような気質の鈴蘭は、すでに彼に背を向けていた。彼はその鈴蘭の背中が消えるのを見送って、そっと、蛇口をひねり、水を再びじょうろに注ぎ始めた。

「……そう。ただの気まぐれさ。やりたいと思ったことを我慢するなんて、ぼくではないからね」

 彼は腰のホルダーに手をやり、目当てのものを取り出した。



 ―――― 『蘭童さんの今までの色々なものが詰まっているんですね』



「ははっ。まったく、プリキュアに教えられるとはね」

 それは、小さく、くたびれた、彼愛用の剪定ばさみだ。

「過去にとらわれたりはしない。過去のぼくも、利用してやるというだけのことだ。このはさみにこめられた、もう思い出せない過去のぼくの欲望を利用すれば……」

 彼は酷薄に笑む。

「キュアドラゴが変身できない今がチャンスだ。いまのうちに、プリキュアを叩きつぶす」
553 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:55:25.90 ID:sptbJ6v70

…………………………

 翌日のことだ。

「レプ……」

 ゆうき、めぐみ、あきらが授業を受けている間、ラブリはひとりで学校の中を歩き回り、愛のプリキュアを探している。ゆうきたちに保護されてからずっと続けていることだが、活動範囲が学校内だけだから、そろそろ回る場所もなくなってきた。

「愛のプリキュアは、この学校にはいないレプ……」

 ラブリは昔から様々な文献や資料に目を通してきた。その中には、伝説の戦士に関わるものもたくさんあった。

「愛のプリキュアは、愛にあふれる人から生まれるレプ。でも、愛にあふれる人なんて見つからないレプ……」

 愛にあふれる人とは、一体どんな人なのだろうか。果たして、世界のどこを探したら愛にあふれる人が見つかるのだろうか。

 それとも、愛を知らない自分には、愛にあふれる人なんて、見つけることはできないということなのだろうか。

 本人たちには言えないが、このホーピッシュにやって来てから、ブレイは弱虫なりに勇気を持つようになったし、フレンは素直ではないが優しさを見せるようになった。そしてあの寡黙でオドオドしていたパーシーまでもが、その心に熱い情熱を宿し、それを口に出せるようになった。

「皆、王族らしくなってきているレプ……」

 ならば己は、愛を知らなければならないだろう。しかし、ラブリには愛が分からない。愛とは一体なんなのだろうか。

 と、人の話し声が聞こえた。ラブリは廊下の隅にこそっと隠れ、様子を伺う。前方から、ふたりの女子生徒が歩いてきた。

「鈴蘭、何度も言うけど、しっかり食べているのかい? 今日もまた顔色が悪いよ」

「うるさいわね。ちゃんと食べてるわよ」

「購買のひなぎくさんにも確認したぞ。トマトを食べないんだって?」

「はぁ!? なんで人の保護者に勝手にコンタクト取ってるわけ!?」

 騒がしくやってきたふたりは、ゆうきたちがよく会うふたりだ。片方は生徒会長の騎馬はじめ、もう片方ははじめの友達の後藤鈴蘭だ。

「……相変わらず、すごいレプ」

 そのふたりはきっと、ラブリと同じなのだろう。ふたりの心の中は、空っぽに近い。

 ふたりは、まるっきり愛を知らないのだ。

「でも……」

 ラブリの横を通り過ぎ、姦しく歩いて行くふたりの後ろ姿を見つめて、思う。

「少しずつ愛が芽生えているみたいレプ。その調子で、ふたりで仲良く愛を深めていけば、きっとその愛が周囲にも広がっていくレプ」

 あのふたりはきっと大丈夫だろう。
554 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:55:51.93 ID:sptbJ6v70

「それに比べてラブリは……」

 己は愛を知らない。

 幼少の頃から、父上と母上と接する時間より、勉強をする時間、本を読む時間、馬術の稽古をする時間、ダンスのレッスンを受ける時間、そして礼儀作法を学ぶ時間のほうがずっと長かった。人との繋がりは事務的なものでしかなかった。そんな自分に、どうして愛がわかるだろうか。

(……それでも)

 落ち込んでいる暇はない。

 ロイヤリティのために、ホーピッシュのために、そして、あきらのためにも、早く愛のプリキュアを見つけなければならないのだ。と――、



「ぬいぐるみ?」



(レプっ……!?)

 拳を握りしめ、決意を固めていたから、その接近に気づくことが出来なかった。

 はじめと鈴蘭が通り過ぎた後、もうひとりがその場を通りかかったのだ。

「ん……」

 その何者かは、身じろぎできないラブリをひょいと持ち上げた。目の前に来た女子生徒の顔も、ラブリには見覚えのあるものだった。

(レプ……そうレプ。たしか、生徒会副会長の、十条みことレプ)

「なんか、どことなく上品なぬいぐるみ。誰かの落とし物?」

 とはいえ、ぬいぐるみのフリを続けなければならないラブリにはどうすることもできない。

「どうしよう。とりあえず先生に届けるべき?」

 矯めつ眇めつ、ラブリを見つめる目は興味深そうだ。ラブリは冷や汗をかきながら、耐える。

「……高そう。皆井先生に届ける」

 大切そうに持ってくれるのはいいのだが、その歩が向かうのは職員室の方向だ。

(れ、レプ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜! ゆうき、めぐみ、あきら〜〜〜〜、助けてレプ〜〜〜〜〜〜〜!)

 その声にならない悲鳴は届くことはなく、ラブリはそのまま第一職員室まで丁重に運ばれていった。
555 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:56:18.48 ID:sptbJ6v70

…………………………

 高等部の男子の体育は全く体力を削られる。彼の鍛え上げた身体をしても、ここ最近のデスクワーク中心の仕事がたたったのか、三時間連続で高等部の男子たちを相手に球技をすれば、多少なりともヘトヘトだ。若い彼のことを思いやって、年配の先生ばかりの体育科の教諭たちは、男子高校生たちに混じって球技を楽しむと良いと言ってくれるが、それが逆に彼の体力を削っているとは思いもよらないだろう。

 そんな高等部での授業を終え、昼休みになった。片付けなどで時間を取ってしまったので、もう昼休みも終わる頃だ。今日もお昼ご飯は食べられそうにない。

「郷田先生、おつかれさんです。コーヒーいれたばっかりだけど、飲みます?」

「ああ……ありがとうございます。いただきます」

 中等部の職員室に戻ってきた彼にカップを差し出してくれるのは、同僚の松永先生だ。若い教諭の多いダイアナ学園は、生徒のいないところではお互いにフランクに話すことが多い。

「高等部での授業ですか? 男子の相手はきつそうですね」

「いや、まぁ、さすがに十代の体力には敵いません」

「俺の技術科は中等部にしかないから、高等部がどんなもんかわからないんですよね。今度授業見に行ってもいいですか?」

「私の授業をご覧になるより、先達の先生方の授業をご覧になった方がいいかと……」

「いやいや、体育科のおじいちゃん先生、言ってましたよ。『郷田くんは生真面目で勉強熱心で素晴らしい』って」

 松永先生はいたずらっぽく笑う。痩身の彼は、しばしばやや失礼な物言いをするが、そのあたりも彼の人徳なのだろうが、それを咎める先生はいない。言葉の選び方がうまいのだろう。

 現に、職員室の奥から「松永ー、誰がジジイだー!」という声が飛んできて、松永先生はわざとらしく「実際おじいちゃんでしょー」と笑いながら返し、職員室中が笑いに包まれている。

「そうですか。未だに指導案はダメ出しばかりですが……」

「そんなもんすよ」

 松永先生が笑う。と、

「松永先生、私にもコーヒーをくれないかな?」

 空のコーヒーカップを松永先生に差し出すのは、顔色の悪い英語科の皆井先生だ。

「んあ? 皆井先生、さっきコーヒーあげたばっかりでしょ。もう飲んだの?」

「眠くて仕方がないんだ。最近、寝付きが悪くて……」

「仕方ないなぁ」

 松永先生がカップを受け取り、サーバから注ぐ。

「寝付きが悪いって、何かあったんですか?」

「いや、うちのクラスの後藤鈴蘭が、なかなか手の焼ける生徒で……」

「っ……」

 ちょうどコーヒーに口をつけかけていた彼は、思わぬ名前が飛び出して、噴き出しそうになる。
556 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:56:45.24 ID:sptbJ6v70

「ああー……」

 松永先生が納得するように。

「たしかに、後藤は手がかかりそうですね。地頭もいいし手先も器用だから、きちんとやればちゃんとできるだろうに、もったいない」

「今は生徒会長の騎馬が世話を焼いてくれているが、騎馬に負担をかけ続けるのも悪いし……どうしたものか……」

 皆井先生は真剣に悩んでいるようだった。松永先生から手渡されたカップを傾け、ずずずとコーヒーをすする。

「あー……私も、授業の中で後藤のことは気になっていました。私からも、一度後藤と話をしてみます」

「本当ですか? 助かります、郷田先生」

 皆井先生はガバッと郷田先生の手を握る。皆井先生は決して悪い先生ではないし、甘いマスクも相まって生徒を引きつける力はあるのだが、いかんせん言動がズレることが多い。彼は冷静に皆井先生の手を引き剥がす。

「あ、そうだ。さっき十条が私のところにきて、落とし物を届けに来たんだ。これ、覚えはないですか?」

 皆井先生がデスクから何かを取り出した。彼は皆井先生が差し出したソレを見て、またコーヒーを噴き出しそうになる。

「ぬいぐるみみたいなんだけど、生徒が学校にぬいぐるみを持ってくるかなぁ、って」

「どれどれ」

 松永先生が皆井先生からソレを受け取る。

「なんか毛並みもしっかりしていて、高そうだなぁ。生徒の持ち物か?」

「うーん……」

 なぜ。

 なぜ、こんなところに。

「ふたりとも、もしこのぬいぐるみの持ち主がわかったら、教えてくれると助かります」

「わかりました」

 皆井先生は疲れ果てた顔だ。よっぽど鈴蘭に手を焼いているのだろう。その上担任学級の生徒から落とし物まで届けられて、昼休みにろくろく休めていないのだろう。その気持ちはわかるし同情するのだが、彼は皆がぬいぐるみと思い込んでいるソレから目が離せない。

「……じゃ、皆井先生のストレス発散がてら、今日飲みにでも行きますか」

 松永先生が言った。

「本当かい? ありがたい。お酒でも飲まないとやってられないですよ……」

「郷田先生も今夜空いてますか?」

「えっ……?」

 急に話を振られ、彼はたじろぐ。歓迎会は開いてもらったが、個別の飲み会の誘いをされたのは初めてだ。そもそも、彼の頭の中はそれどころではなかった。

 なぜこんなところに、愛の王女がいる?

「あ、いや、その……私は……――」



「――あら、ご一緒してきたらいいじゃないですか、篤志さん」
557 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:57:11.35 ID:sptbJ6v70

「……!? ひ、ひなぎくさん……!」

「そんな怖い上司を見たような顔をしなくてもいいじゃないですか。傷つきますよ?」

 パン販売の小紋ひなぎくさんは職員室の戸を開け、顔を覗かせていた。

「今日のパン販売は終わりました。今日はこれで失礼します」

「ああ、今日もご苦労様でした。売れ行きは順調ですか?」

 松永先生が丁寧に対応する。ひなぎくさんは学校内でパンの販売はしているが、外部の人間だからスイッチを切り替えたのだろう。内輪での談笑と対外的な話ではしっかりと線を引いているのだ。

「ええ、おかげさまで。パンはもちろん、紅茶とクッキーのセットも完売です」

「それは何よりです。今後とも、生徒たちの胃袋と午後のやる気のために、よろしくお願いします」

 しかし、その一線がなかなか引けない先生も、いる。

「ち、ちちち、ちょっと待ってください!」

 皆井先生が血相を変えて言う。その狼狽した様子に、彼は戸惑う。まさか、潜入がバレたのでは――

「――ひ、ひなぎくさん、い、今、郷田先生のこと、親しげに“篤志さん”って呼ばれました?」

 そんなことか、と。彼は危うくよろけそうになる。やはり皆井先生はどこかズレている。

「へ……?」

 対するひなぎくさんは不思議そうな顔で。

「家ではいつも篤志さんとお呼びしていますが、やはり学校では郷田先生とお呼びした方がいいでしょうか……?」

「家!?」

 皆井先生がよろよろと自分の席に倒れ込むように座る。

「ひ、ひなぎくさん、美しくていいな、と思っていたら、郷田先生の奥さんだったとは……」

「何を勘違いしているのか知りませんが、違います。小紋さんは私の下宿先の大家さんです」

「……あ、なるほど」

 皆井先生が立ち上がり、ネクタイを直し、ビシッとジャケットの襟元を正し、うやうやしくひなぎくさんに礼をする。

「これはとんだ失礼を致しました。私としたことが、とんだ早とちりを」

「今さらその態度は遅いと思うけどな」

 松永先生が呆れたように言う。

「……じゃ、大家さんの許可も取れたということで、郷田先生も今夜付き合ってくださいね」

「え、ええ……」

「ここだけの話」

 松永先生が、ひなぎくさんに何やら身振り手振りをまじえて話しかけている皆井先生を示しながら、小声で言った。

「皆井先生、酔っ払うと大変なんですよ。悪いですけど、巻き込まれてください」

「……まあ、そういうことであれば」
558 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:57:39.28 ID:sptbJ6v70

 否、そんな同僚同士の談笑に付き合っている場合ではない。彼は皆井先生のデスクの上に鎮座する愛の王女を見つめる。

 あれをどう手に入れるか。それをただ考える。と、

「あら?」

「どうかされました?」

 皆井先生の箸にも棒にもかからない話をさえぎって、ひなぎくさんが驚いた顔をする。その目線の先にあるのは、彼と同じ、ぬいぐるみと思い込まれている愛の王女ラブリだ。

「ああ、よかった。あのぬいぐるみ、私のなんです。喫茶店の装飾に使おうと思って買ったのですけど、今日、どこかで落としてしまったみたいで」

「そうだったんですね」 皆井先生がさっと愛の王女を手に取ると、恭しくひなぎくさんに差し出す。「どうぞ。うちのクラスの生徒が見つけて取りに来てくれたんです」

「そうですか。それはそれは。今度その子には、昼休みに購買に来るように言ってください。お礼がしたいので」

「わかりました。本人も喜ぶと思います」

 基本的に女性の前だと格好をつけたがる皆井先生の姿に辟易とした様子で、松永先生が言った。

「ほら、いつまでも引き留めてたら迷惑でしょ、皆井先生。それでは、ひなぎくさん、また明日、購買の方をよろしくお願いします」

「はい。では、失礼いたします」

 彼が口を挟む暇もなく、ひなぎくさんは一礼して職員室を後にした。

「ねぇ、松永先生、いまちょっと楽しそうな話をしてたわね」

「げっ。誉田先生、なんで来たんだよ」

「げっ、ってのはいくらなんでもひどいでしょ。まったく。で、今夜飲むんでしょ? 私も行くわ」

「何であんたまでくるんだよ。男だけの飲みなん――」

「――大歓迎ですよ、誉田先生! ぜひ来てください」

「人のこと押しのけてまで会話に入ってくるんじゃないよ。まったく皆井先生は本当に、女性とみたら見境ないんだから……」

「なっ……そ、その言い方は失敬だろう!?」

 と、仲の良い若い同僚たちがそんな会話をしている中、彼はこっそり職員室を出た。幸いにして、目当ての相手はまだ近くにいてくれた。

「ひなぎくさん」

 彼は質素な出で立ちのひなぎくさんの後ろ姿に声をかけた。

「あら、篤志さん。血相を変えてどうかされましたか?」

「……ソレを、どうするおつもりですか?」

「あら」

 ひなぎくさんは楽しそうに笑う。笑いながら、口元に人差し指を当てている。

“ぬいぐるみ” の前で、滅多なことを口にするな、ということだろう。

「私の落とし物ですもの。私が持ち帰るに決まっているでしょう?」

「……わかりました」

 彼は、自分が何のためにひなぎくさんにその問いをしたのか、自分でもわからなかった。

「つまらないことを申しました。忘れてください」

「はい」

 ひなぎくさんはそう言って、再び歩き出した。長い髪を後ろでまとめているだけの、質素な後ろ姿。その髪が一瞬跳ねて、ひなぎくさんはもう一度彼を振り返った。

「ああ、そうそう」

 ひなぎくさんはにこりと笑う。

「今夜は篤志さんの晩ご飯は用意しませんから、ゆっくりと楽しんできてくださいね。お酒もいいですが、しっかりと栄養バランスも考えてお料理を食べてきてくださいね」

「は、はぁ……」

「あと、あまり遅くならないでくださいね。心配しますから」

 それだけ言うと、ひなぎくさんは今度こそ、廊下の奥へと消えた。
559 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:58:05.92 ID:sptbJ6v70

…………………………

 授業が終わり、放課後になっても、ラブリはゆうきたちの元へ戻ってこなかった。

「ラブリ、どこへ行ったんだろう……」

「心配ね。アンリミテッドの連中に連れ去られたりしてないかしら」

 めぐみも心配顔だ。

「それはないと思うグリ。アンリミテッドがこの世界に現れれば、その波動が絶対にブレイたちに伝わるグリ」

「うーん……ラブリのことだから、道に迷ったとは思えないし……」

 ブレイだったらさもありなんかもしれないが、とはブレイの名誉のために言わないでおく。

「可能性として一番高いのは、学園の生徒に拾われた、ってところかしら」

 めぐみが思案顔で。

「だとすれば、この学園に自分のものにしちゃうような人がいるとは思えないから、先生のところに届けられていると考えるべきね」

 推論は出た。ゆうきたちはカバンを持ち、職員室へ向かう。

 道すがら、あきらが問う。

「ラブリはどうしていつもひとりで出歩いているの?」

 ブレイたち妖精は、ゆうきたちが学校で授業を受けている間、カバンの中で眠っているか、決まった場所で待っていることになっている。しかし、ラブリはここ数日、授業中はずっと校内を歩き回っている。あきらが疑問に思うのも無理ないだろう。

「……愛のプリキュアを、早く見つけたいんだと思うドラ」

 カバンから顔を出し、パーシーが答える。

「ああ……。ラブリ、自分ひとりがプリキュアを生み出せていないことを気にしていたものね」

「…………」

 めぐみの言葉に、パーシーが考えるように押し黙る。やがて、パーシーは口を開いた。

「それだけじゃないドラ。パーシーは、あきらのためにも愛のプリキュアを早く見つけなきゃいけないって思ってるドラ」

「わたしのため?」

「ドラ」 パーシーが頷く。「情熱のプリキュアは、愛のプリキュアの“差し伸べる愛の光”があってこそ、その真の力を発揮できるとされているドラ。だから、きっとラブリは、あきらがキュアドラゴの力を使って傷ついたのは、自分が愛のプリキュアを生み出せていないせいだと思っているドラ」

「……そんなことないのに」

 あきらが悲しそうに言う。

 世界はままならない。愛のプリキュアを生み出すことができないラブリの葛藤や、変身したくてもできないあきらの悲しみは、ゆうきには分からない。

 けれど、それはそこまで悲観するべきことだろうか。

「すごいね。あきらも、パーシーも、ラブリも、お互いのことを想い合ってるんだ」

 だからゆうきは、思ったことをそのまま口にした。

「ラブリはこれ以上あきらに傷ついてほしくないんだろうし、あきらは自分の力が及んでないから悔しいと思っているし、パーシーはラブリのために今、ラブリがあきらのことを考えていることを教えてくれたんだよね」

 ゆうきは、その思いやりにあふれる皆の行動を口にすることに、抵抗なんてこれっぽっちもなかった。

「それってすごいことだよ。わたし、なんか、すごく嬉しくなってきちゃった」

「なんであなたが嬉しくなるのよ」

 呆れるようなめぐみの声も、どこか嬉しそうだ。
560 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:58:32.55 ID:sptbJ6v70

「そうグリ。みんながお互いのことを考えて、色々なことをして……それで悪いことになんて、絶対にならないグリ」

「ニコ。失敗もするかもしれないけど、お互いフォローしあって、きっとうまくいくニコ」

 ブレイとフレンも笑顔で言う。

 それはきっと、まぎれもない皆の本心だ。

 その本心を受けて、あきらとパーシーは目を見合わせ、笑った。

「……うん。わたしも、ドラゴネイトの会得をがんばるよ」

「パーシーも、どうしたらあきらがドラゴネイトを使えるようになるか、考えるドラ」

 ゆうきはふたりが笑顔になってほっと胸をなで下ろす。

「……やっぱりゆうきはすごいな」

 あきらが呟いた。

「すごいって、何が?」

「今だってそうだよ。みんなが思ってることを考えて、伝えることができるんだ。それって、人と人の心を繋げることだよ。すごいよ」

 あきらは本心からそういっているようだった。かといって、ゆうきは自分の何がすごいのか、いまいちよくわからない。

「アンリミテッドに対してだってそうだよね。ゆうきは、本気でアンリミテッドを改心させるつもりなんだよね。なんとかアンリミテッドとも心をつなげようとがんばってるんだ。わたしにはきっと、そんなことできないよ……」

 一瞬、ゆうきは笑ってしまいそうになった。真剣な顔をしているあきらを前にそんなことをしたら失礼だと思った我慢したけれど、少しだけ吹きだしてしまった。

「な、何か可笑しい?」

 少しむっとしたような顔であきらが言う。そんなあきらに、ゆうきは言った。

「だってさ、あきら、忘れちゃったの? わたしにそれを思い出させてくれたのは、あきらなんだよ?」

「えっ……?」

「四月にさ、わたしが落ち込んでたとき、一緒に帰ろうって言ってくれたよね。あのとき、あきらがわたしにくれた言葉が、今のわたしそのものなんだよ」



 ――――『ゆうきは誰かを助けるだけじゃなくて、悪い方もしっかりと叱ってあげるつもりだったんだよね』



 ――――『ゆうきは戦うよ、絶対。友達を守るために。それから、悪いことをしているひとを、叱ってあげるために』



「あの言葉があったから、わたしは戦えるんだよ。あの言葉があったから、わたしは怖くても立ち向かえるんだよ」

 ゆうきはそっと胸に手を当てる。大切な大親友で幼なじみの、あきらからの言葉は、いつもその中に入っている。

「わたしがすごいって言うなら、きっとそのすごさは、あきらが教えてくれたものなんだよ」

 あきらはしばらく目をぱちくりさせていた。やがて、恥ずかしそうに微笑んだ。

「……ありがと、ゆうき」



 その瞬間、まるで照明のスイッチが切られたように、世界から色が消え去った。
561 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:58:59.67 ID:sptbJ6v70

 それはアンリミテッドの深く暗い位相が表出したことに他ならない。

「やあ、剣道場以来だね、プリキュア諸君」

 その人を小馬鹿にするような声を聞き間違えるはずがない。窓の外、中庭をゆっくりと歩いてくるのは、ダッシューだ。

「おやおや」 ダッシューは嘲笑するように。「君、ロイヤルブレスはどうしたんだい?」

「っ……」

 あきらは左手首を押さえる。本来そこにあるべき、真紅のブレスが、あきらの手元にはないのだ。

「情熱の王女に返したのかな。懸命な判断だ。君のような弱い人間は、キュアドラゴのような強大な力を扱うに相応しくない」

「そ、そんなことないドラ!」

 パーシーが叫ぶ。

「あきらは強い情熱の力を持っているドラ! パーシーが、それを上手に導いてあげられないから、いけないドラ……」

「違うよ、パーシー。わたしがもっと、うまくキュアドラゴの力を使えれば……」

「……ふん。くだらない。お互いをかばい合う主従になど興味はないよ。戦う力がないのなら、邪魔になるだけだ。下がっていたらどうだい?」

 ダッシューの冷たい目線が飛ぶ。萎縮するパーシーを抱きしめ、ブレイたち他の妖精も預かり、あきらはふたりの戦いを見守るべく、後へ下がった。

「邪魔なんかじゃないよ。あきらの言葉で、わたしは戦うことができるんだから」

「あきらがフレンたちを守ってくれるから、私たちはあなたと戦えるのよ」

 ゆうきとめぐみはダッシューに言い返す。そして、ロイヤルブレスへ、プリキュアの紋章を差し込んだ。



「「プリキュア・エンブレムロード!」」



 色が消えた世界で、薄紅色と空色の光が炸裂する。ふたりの少女の姿が光に包まれ、伝説の戦士の装いとなっていく。そして、大空から舞い降りたふたりは、欲望に墜ちた敵に向かい、己が存在を宣言する。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「「ファーストプリキュア!」」



 闇に墜ちた世界で、伝説の戦士が、闇の戦士と対峙する。
562 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:59:28.24 ID:sptbJ6v70

…………………………

「プリキュア。今日こそ君たちを倒す。そのための算段はもうついている」

 ダッシューは何かを掲げる。廊下から中庭のダッシューまで距離がある。しかし、あきらにはそれがなんだかわかった。今朝、見たばかりだったからだ。

「あ、あれ……! 蘭童さんのはさみだよ!」

「なんですって?」

 ユニコが歯がみする。

「……ってことは、ダッシューのやつ、蘭童さんからはさみを奪い取ったのね」

「許せないよ! いこう、ユニコ!」

「ええ!」

 グリフとユニコは、窓から中庭へ降りる。その瞬間、ダッシューが大空に向け叫んだ。

「出でよ、ウバイトール!」

 モノクロの空が割れる。その裂け目の中から現れた黒々とした何かが、ダッシューの掲げるはさみにまとわりつき、取り付く。

 そして、闇の怪物が誕生する。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「っ……! 蘭童さんのはさみを!」

「気をつけなよ、プリキュア」

 ダッシューが笑う。

「このはさみに込められた欲望は並大抵のものではない」



 ――――『まぁ、たしかに色々なことを、ぼくと一緒に経験したはさみではあるね』



「っ……」

 あきらは思い出す。蘭童さんのさみしそうな笑みを。

 そのはさみに込められた、きっと大切であろう想いを、欲望の怪物に変えられているのだ。

「ふたりの友達が戦っているのに、わたしは見ていることしかできない」

「あきら……」

「それだけじゃない。色々なことを教えてくれる、お世話になっている人の大切なものが奪われたっていうのに、わたしは何もできない……」





「――――そうだな。貴様にはそうやって、何もできないと嘆いている姿がお似合いだ」
563 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 21:59:57.72 ID:sptbJ6v70

「ッ……!?」

 気配などまるで感じなかった。廊下の奥から、コツコツと音を立ててこちらへ歩いてくる人影。それは、仮面をかぶった、漆黒の出で立ちの、華奢な紳士だ。

「で、デザイア!?」

「どうしてここにいるニコ!?」

 ブレイとフレンがうめく。その声を聞いて、ようやくあきらは理解した。

 こちらに近づいてくる漆黒の仮面の紳士。それこそが、ゆうきとめぐみが何度も敗北を喫した、アンリミテッド最強の騎士、デザイアなのだと。

「お初にお目にかかる。情熱のプリキュア、キュアドラゴ。私がアンリミテッド最高司令官、暗黒騎士デザイアだ」

「……はじめまして。美旗あきら。キュアドラゴです」

 歩を止めたデザイアに、あきらも油断なく身構える。

「安心すると良い。私は変身できない貴様に危害を加えるつもりはない」

 仮面の下の表情を窺い知ることはできない。しかし、そのデザイアの言葉に、嘲笑の響きが含まれていることは、嫌でもわかった。

「しかし、変身できぬとは、情熱のプリキュアが聞いて呆れるな。貴様の情熱はその程度なのか?」

「あ、あきらを馬鹿にしないでほしいドラ!」

 あきらに抱かれたまま、パーシーが身体を震わせる。

「聞かぬよ、情熱の王女。貴様もまた、大した情熱だ。なにせ、せっかく伝説のプリキュアになってくれた美旗あきらから、何も言わずロイヤルブレスを受け取ってしまったのだからな」

「ど、ドラ……」

「情熱の王女。貴様は、己のために戦ってくれている美旗あきらを信じることができなかったから、ロイヤルブレスを受け取ったのだろう?」

「ち、違うドラ。パーシーは、あきらがこれ以上傷つくのを見たくなくて……」

「表面上はそうであろう。しかしそれは即ち、美旗あきらのことを信じることができなかったということだ」

 そのデザイアの言葉は、きっと正しい。

 あきらは、自分のことが信じられなくて、パーシーに情熱のロイヤルブレスを返した。

 パーシーもまた、あきらが今はまだキュアドラゴの力を使いこなすことはできないだろうと思い、何も言わず受け取ってくれたのだろう。

 それは言葉を変えれば、デザイアの言うとおり、パーシーはあきらがキュアドラゴの力を扱えると信じてはくれなかったということでもある。

「……言い方はいくらでもできると思うよ」

 言葉を変えれば、いくらでも言いようはある。だからあきらは、平静にそう言うことが出来た。

「パーシーはわたしのことを想って、ロイヤルブレスを受け取ってくれたんだよね。わたし、すごく心強かったよ」

「あきら……」

 あきらはパーシーたち四人の妖精を廊下に下ろした。

「下がってて。わたし、デザイアと話さなきゃいけないことがあるんだ」

 パーシーたちは心配そうな目をあきらに向けていた。やがて頷くと、四人は廊下の向こう、隅の柱に隠れた。
564 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:00:25.03 ID:sptbJ6v70

「ゆうき――キュアグリフがね、言ってたんだ。あなたも知ってるでしょう? ゆうきは、あなたたちを改心させるために戦ってるんだよ」

「ああ。まったく理解しがたいことであるがな。そして、無駄な努力だ」

「そうかもしれない。それでも、ゆうきは心の底から、それを信じてる。そのためにがんばるって決めてるんだよ」

 あきらは胸に手を当てる。この心の中に、自分だけの情熱をもっている。けれど、その情熱が人を傷つけてしまうことがある。それはきっと、キュアドラゴだけの話ではない。

 人間誰しも、心の中に情熱を持っていて、その情熱を言葉にして、相手に伝える。その情熱はきっと、人の背中を押したり、励ましたり、力をあげたりできる、素晴らしいものだ。

 けれど、その情熱が人を傷つけることがある。意図せず、相手を傷つけてしまうことがある。言葉には、情熱には、それだけの力がある。その情熱を炎に変えて戦うキュアドラゴだからこそ、凄まじい力を持っていると同時に、意図せず自分や周りを傷つけてしまう可能性を持っているのだろう。

「わたしはね、きっと余裕がなかったんだ」

 あきらは心の中の情熱を整理しながら、口に出した。

「アンリミテッドがパーシーたちの世界を飲み込んで、大切なエスカッシャンも奪い取って、そして今もまた、このホーピッシュをどうにかしようとしていて……」

「…………」

「わたしは、そんなアンリミテッドが怖くて、許せなくて、仕方なかったんだ」

「……当然だ。それは人間として当たり前の感情だろう」

 デザイアが頷く。

「むしろ、我々を改心させるなどと宣う王野ゆうきのほうが特異だと思うがな」

「違うよ。ゆうきだって、わたしと同じように、あなたたちのことを怖いと思ってるよ。許せないとも思ってるよ」

「……なに?」

 デザイアの仮面の下の目が動いたのがわかった。冷たい視線があきらを貫く。

「怖いと思ってるけど、許せないと思ってるけど、それでもゆうきは、あなたたちのために、あなたたちを変えたいと思ってるんだ。そして、めぐみはゆうきのそんな気持ちを理解しているからこそ、ゆうきと一緒にがんばってるんだと思う」

 あきらはだから、そっとデザイアに手を差し出した。

「今、わたしにもわかったよ。ゆうきとめぐみが、プリキュアの力を正しく扱える理由が。ロイヤリティの光の力は、ホーピッシュの希望の力は、あなたたちを倒したい、怖い、許せない、そんな気持ちだけじゃ扱えないんだ」

 パーシーを守りたい。

 パーシーの大切な世界を取り戻したい。

 そして――、



「――わたしは、何かにもがいているあなたたちのことも、助けてあげたい」



「ッ……」

 デザイアがたじろいだ。
565 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:00:52.04 ID:sptbJ6v70

 あきらの目は、慈悲にあふれていた。今は、本心から、デザイアのことを、ダッシューのことを、アンリミテッドのことを、知りたいと思っているのだ。

「ねえ、教えて。あなたたちは一体、何を恐れているの?」

「……我々はアンリミテッドだ。何も恐れはしない」

「そっか」

 あきらは笑って、差し出した左手を見下ろした。

「じゃあ、わたし、もっとがんばらないとね」

 その左手が、まばゆいばかりに輝き出す。それは、あきらにとって、なぜか不思議なことではなかった。

「パーシー」

 あきらはだから、背後に呼びかけた。

「……ドラ! あきら、受け取ってほしいドラ! 情熱のロイヤルブレスドラ!」

 紅蓮の光が飛ぶ。それは、情熱が凝縮された、炎に等しい光だ。それはあきらの左手で、腕輪の形を作り出す。現れた真紅の腕輪を、そっと右手で包み込む。その温かさが、あきらに勇気を与えてくれるようだった。

「……ほう。変身するか。また暴走するつもりか?」

「しないよ。今なら大丈夫だってわかるんだ」

 あきらはそっと、笑った。

「情熱は無敵だよ。だってわたし、今は心の底から、あなたたちのことを救い出したいって思うんだもの」

「……ふっ」

 デザイアはマントを翻し、消えた。それを見届けると、あきらはパーシーと頷き合う。

「……受け取るドラ。情熱の紋章ドラ」

 紅蓮の光が飛ぶ。パーシーから放たれたその光は、あきらの手の中でカタチを成す。

 それは、紅蓮の紋章。

 情熱の国を象徴する神獣、ドラゴンをかたどった紋章だ。

 あきらはその紋章を、ロイヤルブレスに差し込み、叫んだ。



「プリキュア・エンブレムロード!」


566 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:01:19.20 ID:sptbJ6v70

…………………………

「さぁ、行け、ウバイトール!」

 ダッシューの声に呼応するように、闇に墜ちたはさみの怪物がその切っ先をプリキュアに向ける。

「グリフ!」

「うん!」

 ユニコが空色の光を放つ。それは空中に階段のような足場を成す。グリフはその空色の階段を駆け上がり、ウバイトールの直上から蹴りを放つ。

『ウバッ……!』

 切っ先を横に向けていたウバイトールはその攻撃に対応できず、地面に叩きつけられる。しかし、すぐさまウバイトールから黒い闘気が発せられ、グリフを吹き飛ばす。

「ッ……! すごい力だよ、ユニコ!」

「ええ」

 ユニコはそのときにはすでに、ウバイトールの真横から蹴りを放っていた。

『ウバッ!』

 しかしウバイトールは凄まじい速度で反転し、その切っ先でユニコを両断しようと動く。

「ッ……」

 ユニコは後退し、その横にグリフも着地する。

「剣道場のときほどではないにしろ、かなり強いわね」

「うん。どうしようかな……」

 構えを取るふたりに、ウバイトールがにじり寄る。その後ろで、ダッシューが言った。

「こんなものだと思うなよ? このはさみに込められた欲望は、すごいぞ」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ウバイトールが吼える。その瞬間、ウバイトールの周囲に大量のはさみが出現する。
567 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:01:46.93 ID:sptbJ6v70

「なっ……!?」

『ウバァアアアアアア!!』

 ウバイトールの叫び声に呼応するように、大量のはさみがプリキュアめがけて飛ぶ。

「優しさの力よ、この手に集え! カルテナ・ユニコーン!」

 ユニコの行動は早かった。呼び出したカルテナを構え、空色の光を集約させる。それは、以前より何倍にも強化された“守り抜く優しさの光”の盾だ。グリフと己を守るその盾に、大量のはさみが切っ先をうならせ激突する。

「ッ……ただのはさみじゃないわ、これは……!」

 まるでひとつひとつが重い石のようだった。それが凄まじい切れ味を持っていることは、疑いようがなかった。グリフに支えられながらすべてのはさみをはじき返した後、ユニコは身体中の力が抜けて、倒れ込んだ。

「ユニコ!」

「……ふふ。さすがは、あのはさみだ。凄まじい力を持っている」

 黒い闘気を纏うウバイトールの横から、ダッシューが現れる。

「あれは主事の蘭童さんのものだよ。返して」

 そんなダッシューにまっすぐ、ゆうきは言った。

「それがどうした。ぼくには関係ない」

 そして、そのゆうきの言葉を、ダッシューは聞かない。

「……さぁ、終わりだよ、プリキュア。キュアユニコが倒れた今、きみひとりではこの攻撃は防げない」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ダッシューが手を上げる。ウバイトールが再び大量のはさみを生み出す。そして、ダッシュー自身も、その身体の周囲に大量のはさみやのこぎりを呼び出した。

「変身を解いて降伏しろ。ブレスと紋章を渡せ。命まで取る気はない。束の間ではあるが、アンリミテッドがこの世界を闇に染めるまでの間、余生を楽しむといい」

 ダッシューの目は本気だ。グリフはぎゅっと、ユニコを抱きしめる。

 降伏するわけにはいかない。

 けれどせめて、ユニコだけは守らなければならない。

「……ふん。まったく、嫌になる。諦めが悪いのも大概にしろ」

 その瞬間だった。



「プリキュア・エンブレムロード!」



 校舎の方から、凄まじい熱量が発せられた。

 見間違うはずもない、それは、まぎれもなく、キュアドラゴの“燃え上がる情熱の光”――、



「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」


568 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:02:16.63 ID:sptbJ6v70

 情熱のプリキュアが、中庭に降り立った。

 目をつむっている彼女が、静かに目を開けた。

 その目に浮かぶのは、激しい情熱だけではない。

 すべてを慈しみ、包み込むような、とてつもない慈愛が浮かんでいる。

「ドラゴ……?」

 大丈夫なの? だとか。

 変身しちゃダメだよ! だとか。

 そういった陳腐な言葉は出てこなかった。

 だって――、

「す、すごい……」

 ドラゴの姿を、目を、見ればわかるくらい。

 ドラゴは、意図せず自分を傷つけるようなことはないと、確信できたから。



「……ダッシュー。やっぱりあなたは優しいね」



「……ッ、何を……」

 口を開いたキュアドラゴの声は、やはり慈愛に満ちているようだった。

「あなたは、わたしが初めてキュアドラゴに変身したとき、変身する前も、後も、まるでわたしを説得するように、怖いだろう? って脅し続けたよね」

 そのドラゴの言葉を、邪魔してはいけないとわかった。それは、ダッシューもウバイトールも、同じようだった。ウバイトールは、ガクガクと、震えているようにも見えた。

「そして今、あなたはグリフとユニコに、降伏しろ、って言ったよね。あなたは本当は、人を傷つけたくなんてないんだね」

「ッ……! 勝手なことを、言うなッ!」

 ダッシューがのこぎりをドラゴに向ける。それに呼応するように、ウバイトールの周囲のはさみも、ダッシューの周囲ののこぎりも、すべてドラゴにその切っ先を向ける。

「その身に宿した情熱で燃え尽きるか、このはさみとのこぎりで切り刻まれるか、好きな方を選ぶといい」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ダッシューがノコギリを振り下ろす。その瞬間、すべてのはさみとのこぎりがキュアドラゴに向けて飛んだ。

「ど、ドラゴ!」

「大丈夫だよ」

 絶体絶命の中、ドラゴはグリフに、笑った。

「わたし、あの人を助けてあげたいの」
569 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:02:42.70 ID:sptbJ6v70

…………………………

 そして、ドラゴは静かに目を閉じ、唱えた。


「情熱の光よ、この手に集え」


 ドラゴの身体から炎が立ちのぼる。しかしその炎が、ドラゴの身体を傷つけることはないとわかった。ドラゴは、その炎を優しく抱きしめる。

(この炎は、わたしの情熱。勢いに流されるままじゃダメ。自分自身がしたいことを考えて、しっかりと使ってあげないと。それはきっと、詩を書くときと一緒なんだ)

 思い出す。蘭童さんが、己に教えてくれたたくさんのこと。

(表現方法は多彩だ。だからこそ、できるだけ分かりやすく、読み手のことを考えて、詩を作らなくちゃいけない。色々な手法を覚えて、正しく使ってあげる必要がある。情熱を、心の内を、ただ書き殴るだけじゃダメ。それと一緒。情熱の炎を、正しく導いてあげる必要がある)

 もう道は見えている。大丈夫。

 ――わたしなら、やれる。



「カルテナ・ドラゴン」



 炎が爆発した。しかしその炎は、ドラゴを傷つけることはない。

 それは、正しく発現した情熱の炎だからだ。

 そして、その爆発は、そのままドラゴの手の中に集約する。やがて、それは剣のカタチを成す。それこそがカルテナ・ドラゴン。伝説の中の伝説。情熱の国の最秘奥。

 王者より賜りし、伝説の剣。

 そして――、

(あの人を――ダッシューを助けるために、わたしの情熱の炎を燃やす)

 そう、それこそが、きっと、正しい“燃え上がる情熱の光”の使い方。

 戦うつもりだけで使ってはいけない、炎。

 守りたい、助けたい、救い出したい。

 そんな気持ちにだけ応えてくれる、強大な光の力。

 静かなる決意の中に浮かぶ、熱い情熱。

 それを、燃やす。



「“ドラゴネイト”」


570 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:03:08.97 ID:sptbJ6v70

 それが何なのか、ドラゴにもよくわからない。けれど、その炎は、ドラゴが理解するより早く、その力を発揮した。

 ドラゴの目前まで迫っていた無数のはさみやのこぎりが、全て瞬間的に燃え尽きたのだ。それは小さな花火がいくつも上がったかのような光景だ。

「なっ……なんだと……!?」

 その様を見て、ダッシューが呻く。

「こんなの、どうやって……!?」

「これがドラゴネイトだよ。“燃え上がる情熱の光”の精密操作。人が相手を傷つけない言葉を選ぶように、ドラゴネイトは“燃え上がる情熱の光”で燃やすものを瞬時に判別するんだよ」

「ッ……伝説の中の伝説、情熱の国の最秘奥を、会得したというのか……君は……!」

「色んなひとの助けがあったからできたことだよ。わたしひとりの力じゃない」

 そして、キュアドラゴは、微笑んだ。空いている手を、ダッシューに差し出した。

「あなたを助けたい。あなただけじゃない。ゴーダーツも。あの女の子も。デザイアも。救い出したいんだ」

「勝手なことを! 行け、ウバイトール! キュアドラゴを潰せ!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ダッシューから余裕の笑みは消えていた。その姿に哀れみを憶えながら、ドラゴはカルテナを構えた。

「ドラゴ!」

 グリフの呼び声が届く。

「大丈夫。大丈夫だよ」

 それに、ドラゴはやはり微笑んで返す。

「ちょっと待っててね。もう終わらせるから」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ウバイトールがはさみを開く。その切っ先がまっすぐ、ドラゴを両断しようと動く。



「天翔る烈火の飛竜、ドラゴンよ。プリキュアに力を」



 しかし、ドラゴの平静な気持ちは揺るがなかった。まっすぐにウバイトールを見据え、カルテナを構えたままだ。



「プリキュア・ドラゴンストライク」

571 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:03:35.10 ID:sptbJ6v70

 それは、凄まじい速度の炎の射出だった。カルテナ・ドラゴンに宿った炎を、向かってきたウバイトールに叩きつけたのだ。

『ウバッ……ウバァアアアアアアアアアア!!』

 ウバイトールに燃え移った炎は瞬く間にウバイトールを覆い尽くし、そして、はさみから現れた暗く黒い闇の塊を燃やし尽くす。そして、闇から浄化されたはさみがドラゴの手の中に落ちた。

「……とうとう情熱の炎を使いこなすようになったか、プリキュア……ッ」

 ダッシューが上空から憎々しげに言う。

「覚えていろ。ぼくはこのままじゃ終わらない。終われないんだ」

「ねえ、ダッシュー。教えて。あなたは一体、何に苦しんでいるの?」

「黙れ! ぼくに、そんな情熱に満ちた言葉をかけるな……!」

 激昂するダッシューは、そのまま空に溶けて消えた。アンリミテッドに帰ったのだろう。ドラゴもまた光に包まれ、変身が解ける。

 一体彼は、何に苦しみ、何を憎んでいるのだろうか。

「「あきら!」」

 そんなことを考えていると、あきらに駆け寄り、抱きつく影がふたつあった。

「わっ……き、急に飛びつかないでよ。びっくりしたよ」

「すごいわ、あきら! ドラゴネイトを習得したのね!」

「すごいよ! あの強いウバイトールを一撃で倒しちゃったよ!」

「……うん。みんなのおかげだよ」

 ふたりの友達が心の底から喜んでくれている。それが嬉しくて、あきらも笑った。

「あきら〜〜!」

 窓枠を飛び越え、パーシーたちも駆け寄ってくる。

 正しく伝えた情熱も、相手に届くとは限らない。

 言葉にした情熱は、相手を傷つけるかもしれない。

(……でも)

 相手を思いやって、伝えようと努力すれば、傷ついて、傷つけられて、そんなことがあっても、きっといつか伝わる。

(ダッシュー。いつか、しっかりお話できたら、嬉しいな)
572 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:04:04.72 ID:sptbJ6v70

…………………………

「あら、ゆうきちゃん」

「はぇ? あ、ひなぎくさん」

 戦い終わって、廊下に戻り職員室へ向かう道すがら、ひなぎくさんと出会った。

「ちょうどよかったわ。はい、これ」

「へ……?」

 ひなぎくさんが差し出したのは、今まさに探していた、ラブリだった。ラブリの目は安堵で潤み、今にも泣き出しそうなほどだ。ゆうきは慌ててひなぎくさんからラブリを受け取った。

「あ、ありがとうございます! でも、これ……」

「いつも持ち歩いているぬいぐるみのひとつでしょ? 職員室に届けられてたから、ちょっとうそをついて持ってきちゃった」

 てへっ、とひなぎくさんは舌を出して笑う。そんな所作が似合うのは、間違いなくひなぎくさんが美人さんだからだろう。と、そんなことはどうでもよくて。

「ど、どうしてそんなことを?」

「だって、学校にぬいぐるみを持ってきてることがバレたら、ゆうきちゃん怒られちゃうでしょ?」

「あっ……」

 たしかにその通りだ。怒られるかどうかはともかく、注意はされるだろう。ダイアナ学園は、基本的に勉学に不要なものは持ってきてはいけないのだ。生徒会の一員であるゆうきがそんなことをしていたら、間違いなく先生はいい気持ちではないだろう。

「すみません……。ありがとうございます」

「いえいえ。もう落としちゃダメよ」

「はい!」

「それじゃ、ね。新作のスイーツ考えてるから、またお店に試食しに来てね」

「わー、ぜひぜひ! 行きます行きます!」

「……こら。恩人にがっつかないの」

 愉快そうに笑うひなぎくさんと別れ、人が周囲にいないのを確認して、そっとラブリをカバンにしまう。ラブリはカバンの中でようやく一心地ついたように、大きく息を吐いた。

「……た、助かったレプ」

「まったく、気をつけてよね」

「面目ないレプ」

 肩を落とすラブリに、あきらは言った。

「でも、わたしのためにがんばってくれたんだよね。ありがとう、ラブリ」

「レプ……。お礼を言われるようなことじゃないレプ」

 何はともあれ、問題はすべて解決した。三人と四人の妖精たちは帰路についた。と――、

(ん、でも……)

 めぐみの頭には、ひとつひっかかることがあった。

(ひなぎくさんのパン販売、お昼休みだけよね。こんな時間までどうして学校にいたのかしら……?)

 ゆうきにラブリを届けるためだろうか。しかし、ひなカフェのこともあるというのに、そこまでお人好しなことを、普通するだろうか?

「……ま、いいわ。大したことじゃないわね」
573 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:04:31.22 ID:sptbJ6v70

…………………………

 翌日、早朝。

 彼は苦々しい気持ちを抱きながら、ダイアナ学園の中庭、あきら曰く“秘密の場所”である植樹に囲まれたそのスペースで、彼女と向き合っていた。

「昨日、新しい詩を書いてきたんです」

 そう言って、あきらは彼にノートを差し出した。年頃の少女が想いの丈を書き綴ったそのノートを差し出すことに抵抗がないはずはないだろう。彼のことを信頼しているのだろう。

 彼などのことを、信頼してくれているのだろう。

(くだらない……)

 彼はいちいち感傷にひたりたがる己に嫌気がさして、あきらが差し出したノートを黙って受け取った。開かれていたページ綴られている文字を目で追っていく

「……わたし、今まできっと、思ったことを、感じたことを、そのまま文字にしていただけだったんです」

 あきらがとうとうと口を開く。

「今回は、考えて書きました。ただ思いの丈をぶつけるだけじゃなくて、しっかりと、考えて」

「……なるほど」

 その詩には、たしかにその努力が見て取れるようだった。

「昨日の出来事を、早速自分の力に変えたのか。まったく、すごいことだ」

「へ? 昨日の出来事……?」

「なんでもない。忘れてくれ」

 彼はノートを閉じて、あきらに差し出した。

「いいと思うよ。これ以上、ぼくから何を言うこともない。技術的なものも何もかも、伝えられることは伝えたからね。あとは君が、書き続けるだけだ」

 そう言って、彼は立ち上がった。

 気まぐれでしていた彼女への詩のレッスンだが、本来詩というものは、本人の心の発露でしかない。国語的な技術さえ伝えてしまえば、もう彼がどうすることもない。

「あ……待ってください。渡すものがあるんです」

 あきらがそう言って、カバンから何かを取り出した。それを見て、彼は少し驚いた。

「このはさみ、昨日拾ったんです」

「ぼくの、剪定用のはさみ……なぜ……?」

「えっ? いや、だから、拾ったんですけど……」

 動揺する彼に、彼女も少し動揺している。

“拾った”というウソをついているからだろう。

「……そうか。ありがとう」

 そう言って、彼はあきらからはさみを受け取った。

(なぜ……)

 その疑問を、心の中でだけ反すうする。



 ――――なぜ、はさみを破壊しなかった?

574 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:04:57.93 ID:sptbJ6v70

 プリキュアにとって、昨日のウバイトールは脅威でないはずはない。キュアドラゴのドラゴネイトでようやく撃退したような欲望の品を、なぜ自分に返すというのか。再びそのはさみを敵が“奪い取り”、使うという可能性を考慮に入れていないのか?

「それ、大事なものなんですよね」

「え……?」

 あきらは満面の笑みで、言った。

「ちゃんと返せてよかったです」

(……なるほど)

 彼は、そのあきらの笑顔に納得した。

(自分たちの脅威となる可能性を考慮しても、ぼくにこのはさみを返すことを優先したのか)



 一度ウバイトールにした品物は、再びその欲望を闇に堕とすことはできない。



 そんなルールがあるから、もちろんもう一度そのはさみをウバイトールにすることはできない。

 しかし、それをプリキュアたちは知らないだろう。

 もう一度あのはさみのウバイトールと戦う可能性を考えてでも、彼が大事にしているそのはさみを、彼の手元に戻すことを望んだのだ。

「……まったく。本当に光が強いことだ」

「?」

 不思議そうな顔をするあきら。そんな彼女に背を向けて、彼はそのスペースを出て行こうとした。と、
575 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:05:24.94 ID:sptbJ6v70

「あっ……その、蘭童さん」

「なんだい?」

 振り返る。あきらは、おずおずと、ためらうように言った。

「ご迷惑なのはわかっています。けど、これからも、詩を見てもらってもいいですか?」

「……なぜだい? ぼくから教えられることはもうないよ」

「そうかもしれません。でも、蘭童さんに見てもらいたいんです。それから……」

 あきらは、頬を赤く染めながら。

「……もしよかったら、蘭童さんの歌も、また聞きたいな、なんて」

「…………」

 彼は押し黙ったまま、あきらを見つめた。その心の情熱は計り知れない。なにせ、悪辣なるものすべてを燃やし尽くす、あの炎を扱いきるほどの情熱だ。

 是非もない。

 今までは気まぐれであきらに付き合っていただけだ。これ以上関わるのは彼の矜持が許さないし、何より仲間や上司に立つ瀬がない。現実問題として、朝にやるべきダイアナ学園の主事としての仕事にも関わってくる。

 しかし。

「……いいよ。毎日は難しいが、この曜日なら、毎週大丈夫だ」

「本当ですか!? わっ……す、すごく嬉しいです。ありがとうございます」

「……べつに」

 それだけ言うと、彼はその場を後にした。

 それ以上そこにいたら、どうにかなってしまいそうだったから。

(……ッ、なんだ、この気持ちは)

 彼は、愛用の剪定はさみを見つめる。それは、彼にとって、きっと大切だったものだ。

 記憶がない過去、きっと己は、このはさみを大事に、大切に、使っていたのだ。

(ぼくが何者だったかなんて関係ない。ぼくはロイヤリティのようにこのホーピッシュも破壊する。それだけだ)

 それなのに、なぜ。



(――なぜ、こんなにも、心がざわつくんだ……!)



 世界はままならない。闇が光を侵食するにつれて、光が闇を包み込む。

 希望の世界ホーピッシュにおいて、闇と光が交錯し、すべてが新たな局面へ向かおうとしていた。
576 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/13(日) 22:05:52.27 ID:sptbJ6v70

 次 回 予 告

あきら 「……と、いうわけで無事プリキュアに復帰できました、あきらです。みんな、心配かけてごめんね」

パーシー 「わたしは、あきらのこと、信じてた。本当に嬉しい」

あきら 「パーシーのおかげだよ。ありがとう」

パーシー 「えへへ……」

ゆうき 「でもさー、あきらー、どうしていきなりドラゴネイトが使えるようになったのかなー」 ニヤニヤ

めぐみ 「どうしてかしらねー?」 ニヤニヤ

あきら 「……? ニヤニヤしちゃって、どうかしたの?」

ゆうき 「あらあら、とぼけちゃってますよ、奥さん」

めぐみ 「そうね。いやね、奥さん」

あきら (面倒くさいノリだなぁ……)

フレン 「ふたりは、あきらが主事の蘭童さんの影響でドラゴネイトを使えるようになったと思ってるのよ」

あきら 「!?」 ボン!! 「そ、そそそそ、そんなこと、ないし……」

ゆうき 「わー、あきら、顔真っ赤だよ」

めぐみ 「ほんとね。ゆでだこみたい」

ゆうき&めぐみ 「「かーわいいー!!」」

あきら 「わ、わぁ! だ、抱きつかないでよぅ……」

パーシー 「あ……わ、わたしも、抱きつきたい、かも」 ギュッ

フレン 「じゃ、あたしも」 ギュッ

ラブリ 「……し、仕方ない。私も」 ピトッ

ブレイ 「……と、いうことで、ラブリまであきらにまとわりついたところで、次回予告」

ブレイ 「誰もが憂鬱な雨の日。とある少女が、とある男の子と出会う」

ブレイ 「それはとっても素敵な出会いで……――」

ブレイ 「――次回、ファーストプリキュア! 第十八話【雨の日の出会い 優しい? 紳士な? 男の子】」

あきら 「みんな……。ありがとう」

ブレイ 「……目のやり場に困るから、そろそろみんなでくっつくのやめてくれないかな。ぼく以外の男子出ないかな……」

ブレイ 「ってことで、また来週! ばいばーい!」
577 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/13(日) 22:06:48.07 ID:sptbJ6v70
>>1です。
第十七話は終わりです。
来週の投下はまだ未定ですが、また来週告知します。
読んでくださった方、ありがとうございます。
578 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/20(日) 22:40:30.52 ID:e/tmf1MI0
>>1です。
すみません、本日の更新はできません。
また来週お願いします。
579 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:01:43.46 ID:IIOvQ4Oi0

ファーストプリキュア!

第十八話【雨の日の出会い 優しい? 紳士な? 男の子】



「はじめさん」

 朝、母とふたりで朝食を頂いているときのことだ。いつもなら、食事中に口を開くようなことをしない母が、箸を置き、口を開いた。

「はい。お母様」

 はじめも、箸を置き、母と目を合わせた。緊張で、少し心臓が高鳴る。

 母が食事の際に口を開くというのは、大体はじめに何かを咎めるときだ。

「先日、担任の皆井先生からお電話を頂きました。あなたのことです」

「は、はい……」

 何かをしただろうか。思い返してみるが、特に思い当たることはない。

「“最近、よく笑うようになった”と。皆井先生は仰有っていました」

 母はぴくりとも笑わずにそう言った。

「お友達も増えたようですね。後藤さん、といいましたか。先日の長電話のお相手は、その方ですか?」

 鈴蘭の名が飛び出して、はじめは内心の動揺を見せまいとする。

「はい、その通りです」

「皆井先生が仰有るには、その後藤さんと一緒にいるとき、あなたはいい笑顔をしているそうですね」

「そ、そうなのでしょうか……」

 それは自分ではよくわからないことだ。ただ、母には口が裂けても言えないが、鈴蘭と一緒にいると、騎馬家のことだとか、生徒会長であることとか、そういったことを忘れるときがある。

「……悪いこととは申しません。ただ、先日の長電話のような、騎馬家の跡取りとして相応しくないような行為は慎みなさい」

「はい。肝に銘じております」

 それきり、母は箸を取り、食事を再開した。はじめも母に倣い、箸を取る。

(……まるで、)

 はじめは心に大きな杭が刺さったような気持ちで、思った。

(鈴蘭と付き合うなと言われているようだ……)

 けれど、それを母に尋ねる勇気は、はじめにはなかった。
580 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:02:16.26 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

「おはようございます、生徒会長」

「はい、おはようございます」

 家を出て、学校が近づくにつれて、はじめと同じ制服を身につけた生徒が増えていく。皆、はじめを認めると笑顔で、場合によってはかしこまりながら、あいさつをしてくれる。はじめはそれにひとつひとつ、丁寧に対応する。

「騎馬さん、おはよう」

「……ん、ああ、おはよう。君たちか」

 何人目だろうか。はじめがあいさつを返した相手は、よく見知った生徒会のメンバーだ。王野ゆうきと美旗あきら、庶務の二人組だ。

「騎馬さんってすごいよね。遠くから見てもすらっと伸びた背筋と綺麗な黒髪ですぐわかるよ」

「それは褒め言葉と受け取っていいのだろうか」

 ゆうきの言葉に、はじめは少し笑う。本当に、この同級生は面白いことを言う。

「今日は大埜さんは一緒じゃないのかな?」

「ああ、めぐみはここのところ毎朝剣道の稽古を受けているから、朝早くに学校に行ってるの」

「剣道……?」

「郷田先生に教わってるんだ」

 中等部に剣道部はなかったはずだ。一体全体どういうことだろうか。はじめは困惑しつつも、真面目なめぐみのことだから、何か意図があるのだろうと考えることにした。

「ん……?」

 ふと視線を感じ、振り返る。電柱の陰に隠れるようにして、何者かがこちらを見つめている。はじめの視線に驚き、電柱に身を隠そうとするその人物は、見間違えるはずもない、鈴蘭だ。

「ちょっとすまない」

「へ?」

 ゆうきとあきらに短く告げて、はじめは後方の電柱までずんずんと戻る。

「おはよう、鈴蘭」

 そして電柱の陰に身を隠そうともがいている鈴蘭に声をかけた。

「一体何をやっているんだい?」

「う、うるさいわね。あたしが何をしていようが、あんたには関係ないでしょ」

 真っ黒な髪、真っ黒な瞳、そして病的なまでに白い肌、細い手足。鈴蘭は、ただでさえまなじりの上がった目を釣り上げて、そう言った。

「隠れるくらいなら、素直に来てくれたらいいのに」

「は、はぁ!? べつに隠れたりしてないし……」

「仲間に入りたかったんじゃないのかい?」

「!? だ、誰があいつらなんかと……!」

 鈴蘭の動揺は凄まじかった。

「あいつら? 王野さんと美旗さんを知っているのかい?」

「……知らない。あたしが知ってるわけないでしょ」

 当のゆうきとあきらはこちらを見つめて不思議そうに首を傾げている。

「ま、いいや。紹介するよ」

「は、はぁ!? ちょっと、手を放しなさいよ!」

 暴れる鈴蘭の手を掴み、引く。鈴蘭の華奢な手足では、文武両道を地で行くはじめの膂力に敵うはずもない。はじめはゆうきとあきらの元へ戻ると、疲れ果てて逃げる気力もなくなった様子の鈴蘭の手を放した。
581 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:03:08.37 ID:IIOvQ4Oi0

「待たせたようですまなかった。道すがらで申し訳ないが、改めて紹介するよ。先月転校してきた後藤鈴蘭さん、私の友達だ」

「だ、誰が、友達、よ……」

 鈴蘭が生きも絶え絶えの様子で憎まれ口を叩く。

「で、鈴蘭。こちらが生徒会のメンバーの王野ゆうきさんと、美旗あきらさんだ。優秀な庶務なんだ」

「優秀……。そ、そんなこと言われたの初めてだよ」

「ヘンなところで卑屈になるよね、ゆうきって」

 ゆうきとあきらかにこやかに言う。

「よろしくね、後藤さん」

「よろしくなんて、するつもりないし……」

 鈴蘭はぷいとそっぽを向くと、そのまま学校の方向へ行ってしまう。

「……? わたしたち、何か気に障ることしちゃったかな」

「いや、気にしないでくれ。色々難しい子なんだ」

 そう言ってる間にも、鈴蘭はどんどん行ってしまう。

「……すまない。ちょっと追いかける。また学校で」

「うん。気にしないで」

 ゆうきとあきらに見送られて、はじめは駆け足で鈴蘭に追いつく。鈴蘭はなんとも苦々しい顔をしていた。

「どうかしたのかい?」

「……あたしは、友達なんてほしくないから」

「へ?」

 鈴蘭ははじめを見ようともしない。

「あたしは友達なんかほしくない。いらない。だから、紹介なんかしてくれなくて、いい」

「……そうか。すまない」

「ふん……」



 ――『……悪いこととは申しません。ただ、先日の長電話のような、騎馬家の跡取りとして相応しくないような行為は慎みなさい』



 ふと、今朝の母の言葉が思い起こされる。

 鈴蘭のことが気にかかる。

 鈴蘭を気にしてしまう。

 母はひょっとしたら、それを危惧しているのだろうか。

「…………」

 答えは出ない。はじめはそのまま、鈴蘭とともに無言のまま、学校へ向けて歩を進めるのだった。
582 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:03:57.49 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

「はぁ……」

 毎朝、新聞には目を通しているのだから、当然、夕方から雨が降るということは知っていた。

 そうでなくたって、今は梅雨時。雨が降ることを予測して、カバンの中に折りたたみ傘を入れておくのが基本だ。

「やってしまった……」

 はじめは肩を落として、ため息をついた。

 どうして雨が降ることを予見していたのに、折りたたみ傘を入れてくるのを忘れてしまったのだろう。

 間違いなく、母から鈴蘭の話が出たからだろう。

 どうして学園のロッカーに入れてある置き傘を持ってくるのを忘れてしまったのだろう。

 間違いなく、学校で鈴蘭と母のことをずっと考えていたせいだろう。

「くしっ……」

 くしゃみと共に、身体に寒気が走る。身体中びしょ濡れで、震えは止まりそうにない。

 この日は、帰りのホームルームが終わるまではよかった。その後、置き傘を持たずに学園を出たのがよくなかった。水分をたっぷりとため込んだ雨雲が決壊したのは、家まであと数分という地点だ。慌てて折りたたみ傘を取り出そうとカバンを漁るも、見当たらない。仕方なく近くにあったスーパーマーケットの軒先に逃げ込んだときには、すでに身体はびしょ濡れだった。

「さすがに寒いな……」

 とはいえ、雨は止みそうにない。スーパーマーケットで傘を購入することも考えたが、びしょ濡れのまま店の中に入り店を汚すのははじめの矜持が許さない。雨に打たれながら家まで走ることも検討したが、それが果たして騎馬家の跡取りとして、ダイアナ学園中等部の生徒会長として、相応しい姿なのかというと、そうは思えない。しかしこのままびしょ濡れのまま、店の軒先で震えているというものあまりにも惨めではないだろうか。



 ―――― 『騎馬家の跡取りとして相応しくないような行為は慎みなさい』



 母の言葉が脳内を駆け巡る。母ならどうするだろうかと考える。

 間違いなく、母ならばまず傘を忘れるような愚を犯さないだろう。つまり、はじめはびしょ濡れの状態で軒下を借りている現状からして、母の期待を裏切っていることになる。

「あの……」

 そんな風に悩んでいると、横から話しかけられた。顔を向けてみると、そこには小学校中学年くらいだろうか。小さな男の子が片手にスーパーマーケットのビニル袋を提げて立っていた。

「ん、なんだろうか。何かお困りかい? 迷子かな? 私にできることがあれば、何でも言ってくれ」

 びしょ濡れだろうとなんだろうと、はじめははじめだ。直前まで悩んでいたことなどおくびにも出さず、はじめは騎馬家の跡取り、そしてダイアナ学園中等部生徒会長らしい余裕にあふれた泰然たる笑みを浮かべて、男の子に応対した。

「いや……どちらかというと、困っているのはそちらだと思いますけど……」

 男の子はそのはじめの変わり様に少し戸惑っているようだった。

「傘がないんですか?」

「む……。まぁ、そうなるかな」

「女性が身体を冷やすといけないと、母と姉から聞いています」

 男の子ははじめに傘を差しだした。

「これ、使ってください」

 その唐突な申し出に、はじめは面食らう思いだった。

「それを私が受け取ったとして、君はどうするんだ」

「走って帰ります。家、すぐ近くなので」

「いや、いやいや……」

 男の子が何を言っているのか、はじめには理解しがたいことだった。
583 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:04:49.30 ID:IIOvQ4Oi0

「この私に、年下であろう君から傘を取り上げ、雨の中君に濡れて帰ることを強要させろと言っているのか」

「……いや、そんな端的な言い方をする必要はないと思いますけど」

 男の子ははじめの物言いに、また戸惑っているようだった。

「さっき言いましたけど、女性が身体を冷やすのはよくないことだと思います」

「大丈夫だ。私は強いからね……くしっ……」

「まったく説得力ないですけどね……」

 男の子はそう言うと、はじめのすぐ横に傘を立てて置き、手を放した。当然、傘は倒れる。慌ててその傘を受け止めたはじめに背を向けて、男の子は歩き出した。

「ま、待ちたまえ! 私は大丈夫だから、君から傘の施しを受ける理由がない」

「身体中びしょ濡れで、震えていて、くしゃみもしている時点で、理由には十分だと思いますよ」

 男の子は振り返りもせず、言った

 はじめにそんなことを言える者が、学園にいるだろうか。

 まず間違いなく、いないだろう。

「む……」

 はじめはその男の子の生意気とも取れる発言に、何も言い返すことができなかったのだ。

「……では、せめてこの傘を返すために住所と電話番号と名前を――」

「――自分のお小遣いで買ったビニル傘なので、返してもらわなくて結構です。では」

「せ、せめて名前だけでも教えてくれないか。このまま君を帰してしまっては、何のお礼もできずに終わってしまう。それでは騎馬家の跡取りとしての面目が丸つぶれだ」

 はじめの必死な声に、軒から出る直前、男の子が足を止めて振り返った。その顔は、先ほどまでの柔和そうな表情ではない。はじめが面食らっているのを楽しむような笑みだ。

「名前だけでいいんですね?」

「へ……?」

「“ひかる”、です」

 男の子はやはり、意地悪そうな笑みを浮かべている。

「名前だけで、ぼくにお礼ができるなら、してみてください」

「なっ……」

「面目が丸つぶれにならないといいですね」

 そう言って、男の子は軒先から出て駆けだした。雨の中、男の子の姿はすぐに見えなくなった。

「……いいだろう」

 はじめは、ブルブルと両手を震わせていた。しかしそれは、寒さによる震えではない。

「“ひかる”くん、ね。騎馬家の跡取りの、そしてダイアナ学園中等部生徒会長の誇りにかけて、意地でも君にお礼をしてやろうではないか」

 闘志をメラメラと燃やし、そしてはじめは――、

「――くしゅん」

 くしゃみをした。 
584 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:05:15.25 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

「あー、しまったなぁ」

 はじめにひかると名乗った少年は、走りながら呟いた。

「あの制服、お姉ちゃんと一緒だ。ってことは、お姉ちゃん経由でバレるかもなぁ……」

 まぁ、どうでもいいことか。

 雨に濡れて、ガタガタと震えて、それを隠そうと必死な表情をしていて。

 そんな様になってまで、面目だとか、家だとか、そんなことを気にしていたあのお姉さんが。

「……見つけられるものなら、見つけてみろ、ってね」

 彼はとある家の前で足を止め、手早く門扉を開けた。急いで家の玄関を開け、中に入る。

「ただいまー」

「おかえり……って、ひかる!? あんたどうしてそんなびしょ濡れなの!?」

 途端、自分の姿を認めた姉が大声を上げる。

「ごめん、お姉ちゃん。傘を置いてきちゃって」

「置いてきたって……スーパーに置いてくるわけないでしょ」

「うーん……」

 彼はあの名前も知らないお姉さんの姿を思い浮かべ、言った。

「雨の中捨て犬がいて可哀想だったから、あげちゃった」

「や、やたらドラマチックなことをしてきたのね……。まぁいいけど」

 姉はいそいそとバスタオルを持ってくると、彼の頭と身体を拭き始めた。

「じ、自分でできるから大丈夫だよ」

「いいからじっとしてなさい。身体拭いたら、温かいシャワーを浴びるのよ」

「……はーい」

 ――その家の表札は、“王野”。

 姉にバスタオルで身体中を拭かれているその少年の名前はひかる。

 王野ひかるという。
585 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:05:53.86 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 その翌日、生徒会の仕事で書類整理をしているときのことだ。

「……?」

 ゆうきはふと視線を感じて、書類に落としていた視線を上げた。目が合ったのは、会長席に座るはじめだ。

「どうかした?」

「いや……」

 はじめにしては珍しい、歯切れの悪い物言いだった。

「すまない。仕事中だというのに、少しボーッとしてしまった。なんでもないよ」

 ガタッ、と。椅子が揺れた。見れば、書記と会計の一年生コンビが、そろって立ち上がっていた。ガタガタと身を震わせ、ひしとお互いの手を取り合い、驚きの表情を浮かべている。

「あ、あの騎馬はじめ会長が……!」

「仕事中にボーッとされるなんて……!」

「「大事件です!!」」

「あー……」

 後輩ふたりは真面目そうな見た目から勘違いしていたが、結構面白いキャラクターなのだ。

「……それは言い過ぎとしても、たしかに、会長がボーッとするなんて珍しい」

 口を開いたのははじめと同じクラスの十条みことだ。

「珍しいなんてものではありません!」

 一年生コンビのひとり、書記さんが口を挟む。

「わたくしたちははじめ先輩に憧れてこの学園に入学し、生徒会に立候補したのです」

「はじめ先輩のことはよく存じ上げております。はじめ先輩は、生徒会の職務中にボーッとされるような方ではないはずです!」

 会計さんがそう締めくくる。はじめはどう答えたものか分からないような顔だ。後輩の言葉に困っているのだろう。

「……なんかすごいわね」

 めぐみの呆れ声に、ゆうきも全面的に同意したい気分だった。

「仕事、って雰囲気じゃなくなっちゃったね」 あきらが言う。「ちょっと休憩しようか。お茶でもいれるよ」

「ああ。私も手伝うよ」

 あきらに続いてみことが給湯室の方へ向かう。最初こそ後輩やはじめ、みことの前でオドオドしていたあきらだが、ここ最近は普通にお喋りができるようになっている。あきらのその提案に皆が乗り、休憩と相成った。

 ふと、書類整理で凝り固まった身体を伸ばしながら、はじめに目を向ける。

 はじめのどこか虚ろな目は、心ここにあらずという様子で、窓の外を見つめていた。
586 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:06:19.95 ID:IIOvQ4Oi0

「お茶、どうぞ」

「あ……あきら、ありがと」

 あきらとみことが持ってきてくれたお茶がテーブルに置かれる。はじめに目を向けると、すでにはじめはみことから笑顔でお茶を受け取っていた。虚ろな目ではない、いつも通り、生気にあふれる目で。

「そういえば、昨日の雨、すごかったわね」

 めぐみが口を開いた。

「私はもう家に帰っていたから大丈夫だったけど、雨に降られたひとは大変だったんじゃないかしら」

「わたしも雨が降り出したときには家にいたけど、弟のひかるがお遣いに行っててね、」

 ゆうきが応えた。

「傘を持っていったはずなのに、びしょ濡れになって帰ってきたの。なんかヘンなこと言ってたけど……。捨て犬に傘をあげた、とかなんとか」

 ガタッ、と。机が揺れる。

 今度は一体何が一年生書記会計コンビの琴線に触れたのだろうと目を向ける。しかし、そうではなかった。立ち上がって驚き顔をしていたのは、はじめだった。

「き、騎馬さん……?」

「あ……いや、すまない。なんでもない」

 はじめは驚いたような顔を引っ込めて、ゆっくりと椅子に座り直した。

「は、はじめ先輩が……!?」

「動揺されている……!? 大事件です!」

 書記会計コンビの悲鳴だけが、生徒会室に響いた。
587 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:06:47.20 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 なんとなく、似ているとは思っていたのだ。

 ボーッとゆうきの顔を眺めていると、ふと昨日の男の子に重なる部分が多いことに気づいたのだ。

 柔和そうな目鼻立ちとか、少しくせっ毛っぽい髪質とか。

「王野さん」

 生徒会の活動が終わった後のことだ。各自身支度を整え、学校を出るため下駄箱に向かっているとき、はじめはゆうきに声をかけた。

「なぁに、騎馬さん?」

 この王野ゆうきという少女は、不思議だ。

 取り立てて、何か特異なものを持っているわけではないのに、なぜか惹きつけられる。

 心が、温かくなって、落ち着く。

 ついつい、甘えたくなってしまうような、甘美な雰囲気を持つ女の子なのだ。

「すまない。ひとつだけ聞きたい。君には弟さんがいらっしゃるんだね」

「へ? 弟? うん、いるけど……」

 ゆうきが不思議そうな顔をして。

「どうかしたの?」

「名前はひかるくんで、昨日はスーパーへ買い物へ行ってなぜか傘をなくして帰ってきた?」

「そうだけど……」

 なるほど。昨日の男の子は本当にゆうきの弟さんのようだ。たしかに見た目からにじみ出る柔和そうな感じは似ている。しかし、性格はまるで真逆だろう。

「いや、実は、昨日“捨て犬に傘をあげている”ひかるくんに会ってね。ぜひ会ってお礼を言いたいんだ」

 はじめはあくまで泰然とした笑顔で。

「今日はもうお家に帰っているだろうか」

「うーん……今日は友達とサッカーをするって言ってたかな。まだ外が明るいから、学校にいると思うけど……」

「学校はほまれ小学校?」

「そうだけど……」

 はじめは気づいていない。

 グイグイと質問するはじめが、どんどんゆうきに顔を近づけていることに。

 そのゆうきが顔を真っ赤にしながらのけぞり気味になっていることに。

 そして、周囲にいるめぐみ、あきら、みこと、そして一年生二人組が、呆気に取られてその光景を眺めていることに。

「ありがとう、王野さん。それじゃあ、みんな。また明日」

 はじめはそう言い残し、さっと手を上げて昇降口へと向かった。

「ふぁあ……」

「ち、ちょっと大丈夫? ゆうき?」

 はじめは知らない。

 はじめの端正な顔立ちを間近に見て、ゆうきがフラフラと目を回してしまったことを。

「きゃー!」

「ゆうき先輩、うらやましいですー!」

 そして、書記会計一年生コンビが、黄色い悲鳴を上げたことを。
588 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:07:16.72 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 サッカーは好きだ。野球のように、待っている時間が長くない。じっとしているのも嫌いではないけれど、どうせ身体を動かすのならずっと動かしていたい。

 王野ひかるという彼は、そんな風に考える。

「なぁ、王野」

 サッカーの合間の休憩中、同級生に声をかけられる。

「ん? なぁに?」

 決して作っているわけではない。

 ただ、自然とそうなってしまうだけ。

 誰かに話しかけられれば、柔和な笑みを浮かべて、同級生にやわらかく応じる。

「前にも聞いたけどさ、うちのチーム入らないか?」

「ああ……」

 活発な彼は、週末に活動するサッカーチームに入っている。そして、ひかるにもそのチームに入らないかと聞いているのだ。

「ごめん。悪いけど、うちのお手伝いとかがあるから」

「そうか……。王野くらいサッカーが上手いなら、即戦力なんだけどな……」

「はは、ありがとう」

 興味がない、わけではない。しかし、毎週末の活動となると、家族にも負担をかけることになる。王野家の場合、家族に負担をかけるということは、それ即ち長姉であるゆうきに負担をかけることに他ならない。進級し、ダイアナ学園で楽しそうに色々な活動に励んでいる姉を見ていて、それを邪魔したくないと考えるのは自然なことだとひかるは思う。

「ま、いいや。じゃあ、そろそろチーム替えしてもう一試合しようぜ」

「そうだね。……って、みんな?」

 活発な彼と、ひかるが立ち上がる。しかし、周囲の友達は皆、試合どころではないような様子だ。校門の方を見つめ、何事か話しているようだ。

「どうかしたの、みんな?」

「いや、あれ、誰かの知り合いか?」

「あれ?」

 同級生が指さす校門付近。学校の敷地の外から、こちらに手を振る人影がある。そのシルエットを見た瞬間、ひかるは頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。

「うそでしょ……」

 頭がクラクラする思いだが、あの姉と同じ制服を身につけるお姉さんを、そのまま放置するわけにもいかないだろう。あのバイタリティあふれていそうな物言いから鑑みるに、ヘタをしたら学校内に入ってきかねない。
589 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:07:43.63 ID:IIOvQ4Oi0

「王野の知り合い?」

「知り合いっていうか、なんていうか……えっと……」

「めちゃくちゃきれいな人だな」

 ひとりのその言葉に、同級生たちがうんうんと頷いている。どうでもいいよ、と心の中で思いながら、ひかるは言った。

「……あー、ごめん。用事を思い出したから、ぼくはこれで帰るね」

「えっ? やっぱりあのお姉さんと知り合いなのか、王野」

「お姉ちゃんの友達だよ」

 多分。とは心の中だけでつぶやいて、ひかるは校門まで急いだ。同級生たちの好奇の眼差しが自分の背中を貫いているのは、振り返らなくてもわかる。

「……やあ、“ひかる”くん。無事君を発見できて嬉しいよ」

 校門で、勝ち誇るような顔で、お姉さんは言った。そして、ビニル傘をひかるに渡したのだ。

「うん。分かってはいたけど、なかなか上等な性格をしていますよね、お姉さん」

「君に言われたくはない。こんなにムキになってしまったのは、幼稚園のとき以来だ」

「小学生相手にムキになるのはどうかと思いますけどね」

 ひかるはため息をついて、言った。

「ほら、早く行きましょう。同級生の視線が痛い」

「あいさつでもしていってあげようか?」

「冗談でもやめてください」

 まさか、本当に見つけられるとは思っていなかった。

 ひかるは勝ち誇るお姉さんの背中を押して、その場を後にした。
590 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:08:11.51 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 騎馬はじめだ、と。お姉さんは名乗った。

「残念だったね。君のお姉さんの王野ゆうきさんは、私の大切な生徒会の一員だ」

「あー……。ってことは、姉がよく話してくれる、何もかも完ぺきですごい生徒会長って、あなたのことだったんですね」

 道中、ひかるははじめがこちらの居場所を把握していた理由を知った。本当ならばそんなこと聞きたくもないし、すぐ別れたいところだったが、見つけたのだから礼をさせろとうるさいはじめに強引に誘われて一緒に歩いている。

「いや、しかし、もう少し喜んでくれてもいいだろう?」

 はじめは皮肉たっぷりの口調で言った。

「こうして、“捨て犬”がお礼をしにわざわざ来てあげているんだから」

「ものの例えですよ。怒らないでください」

 あの天然ぼけの姉は一体どこまでこの根に持ちそうなお姉さんに話したのだろう。

「なるほど。私は捨て犬に例えられるということか」

「雨に打たれて震える姿は、まぁ犬みたいに可愛かったですよ」 ひかるが鼻を鳴らす。「今は怖い猛犬って感じですけど」

「口が減らない少年だな」

「そっちこそ、ですよ」

 ひかるはため息をついた。

「というか、お礼って、どこまで行くんですか」

「君みたいな小学生の男の子が喜びそうなものなど知らないからね。まぁ、無難なところだよ」

「もったいぶるなぁ……」

 しばらく住宅街を歩くと、それは現れた。

 おしゃれなオープンテラスや、シックな外装が、けれど住宅街の中で不思議と悪目立ちせず自然ととけ込んでいる。

『ひなカフェ』というシンプルな看板も、自己主張を抑えている。

「喫茶店……?」

「できたばかりらしい。うちの生徒もよく行っているらしいが、私は初めてだ」

 見れば、オープンテラスや店内には、様々な制服を身につけた中学生や高校生がいる。学校帰りの女子学生から見れば、ちょうどいい立ち寄り場所なのだろう。

「ここに入るんですか?」

「好きな飲み物や食べ物を頼むといい」

「傘を貸しただけでそこまでしてもらう理由がないです」

「名前だけで自分を探し当てられたらお礼を受けてやる、といったのはどの口だったかな」

「……わかりました。ごちそうになります」

 聞く耳はもたないのだろう。とはいえ、晩ご飯のこともある。飲み物だけをいただくことにしよう。
591 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:08:38.48 ID:IIOvQ4Oi0

「……じゃあ、入ろうか」

「? なんでそんな覚悟を決めたみたいな顔をしてるんですか」

「……ああいう浮ついたお店に入るのは初めてなんだ。私は騎馬家の跡取りで、ダイアナ学園中等部の生徒会長だからね」

「関係ありますか、それ……」

 ひかるは残念な気持ちではじめを見た。その横顔は厳めしく口は一文字に結ばれている。先ほどまでひかると軽口の応酬をしていたときの余裕の表情はどこへ消えたのだろうか。

「騎馬さんって、見た目と違っていろいろと残念なひとですね」

「君に言えたことか。君は容姿こそお姉さんに似ているが、性格は全然違うな」

「……姉は姉、ぼくはぼく、です」

 ひかるはそう言って、ゆっくりと店に進むはじめを追い越してカフェの戸を開けた。

「あっ……」

「そんな緊張した顔をしなくても、取って食われりゃしませんよ」

 ひかるは戸を開けたまま、はじめが店内に入るのを待った。

「いらっしゃいませ。おふたりですか?」

「はい」

 ふたりの姿を認めて、気さくな笑顔の店員さんがやってくる。

「では、あちらの席にどうぞ」

「はい。……ほら、騎馬さん、固まってないで、行きますよ」

「あ、ああ……」

 はじめは店内をキョロキョロと見回していた。その顔には先ほどまでの恐れるような、戸惑うような表情はない。どちらかというと、好奇心でいっぱいといった顔だ。

「すごいな。色々な紅茶の銘柄が置いてある。コーヒーも色々な産地が置いてあるのか」

「意外と本格的な喫茶店なんですね」

「店内もおしゃれだ。うちの生徒たちに人気が出るのもうなずける話だな」

 いつまでもキョロキョロと店内を見回し続けるはじめがいい加減恥ずかしく思えてきて、ひかるはずいとメニューを押しつけた。

「選んでください」

「君が先に選んだらいいだろう」

「ぼくはもう決めました」

「むぅ……」

 はじめは口を尖らせながら、メニューのページをめくり始めた。

「あっ……」

 その口角が少し上がる。目がキラキラと輝く。何を見ているのかとひかるがメニューを覗き込む。



『ラテアート、はじめました!』



 そこにはそんな文字がカラフルにポップに踊っていた。

 そのページには様々な写真が掲載されている。動物や乗り物など、子どもが喜びそうなラテアートの写真だ。

 はじめはそんなページを見つめながら、頬を紅潮させ、目をキラキラさせているのだ。
592 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:09:05.93 ID:IIOvQ4Oi0

「……騎馬さん?」

「はっ……。す、すまない。大丈夫だ。私も決まった」

 バタンとメニューを閉じると、はじめはそう言った。ひかるは手を上げて、先ほどの店員さんを呼ぶ。

「お決まりですか?」

「はい。騎馬さんからどうぞ」

「あ、ああ……」

 はじめは逡巡するような目をした後、ひかるの目を見て、言った。

「……アイスティーをお願いします」

「はい。レモンかミルクはおつけしますか?」

「えっ、あ……け、結構です」

「ガムシロップはどうされますか?」

「……それも結構です」

 はじめの声のトーンはどんどん落ちていった。ひかるはその様子を冷めた目で見つめていた。はじめの注文を書き取り、店員さんの目がひかるを向く。

 仕方がない。

 ひかるはそんな心境で、はじめの手元からメニューを取り、開く。

「……このラテアート、お願いします」

「はい、かしこまりました。何をお描きしましょうか?」

 ひかるは少し考えてから、はじめを見て、言った。

「お任せします。女の子が喜びそうな、かわいいのでお願いします」

「かしこまりました。アイスティーおひとつと、ラテおひとつですね。少々お待ちください」

 店員さんはそう言うと、足早にカウンターに回った。他に店員の姿は見当たらない。ひとりでこのお店を回しているのだとしたら、相当な労力だろう。

「……では、改めて」

 はじめが言った。ひかるが目を向けると、はじめは真剣な顔をしていた。

「昨日は傘を貸していただいて、本当にありがとうございました。おかげで、あの後は濡れずに家に帰ることができました」

「……そんな、改まってお礼を言われるようなことではないと思いますけど。どういたしまして」

 深々と頭を下げるはじめに、ひかるは呆れかえるような気分だった。

 騎馬はじめという目の前のお姉さんは、義理堅いというか、融通が利かないというか、とにかくそういう難儀な性格なのだろう。
593 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:09:32.80 ID:IIOvQ4Oi0

「それから、ひとつ伝えておくことがある」

「なんですか?」

「昨日はたまたまなんだ。たまたま、偶然、折りたたみ傘をカバンに入れるのを忘れていただけなんだ」

「……はぁ」

 なぜ釈明をはじめているのだろう。まったくはじめの言わんとしていることが分からない。

「とにかく、昨日は偶然傘を忘れただけであって、普段の私は忘れ物なんてしないんだ」

「そうですか。まぁ、誰だって忘れ物をするときくらいありますよね」

「……私はそれではダメなんだ。完ぺきでなければ。なぜなら私は――」

「――騎馬家の跡取りで、ダイアナ学園中等部の生徒会長だから、ですか?」

「む……」

 言葉を遮ったひかるを、はじめが見つめる。

「関係ないと思いますけどね、そんなの」

「し、しかし、私は……」

 折悪く、店員さんがおぼんを持ってくるところだった。

「アイスティーのお客様」

「あ、こっちにお願いします」

 店員さんがはじめの前にアイスティーを置こうとするのを止めて、ひかるは自分の手元にアイスティーを置く。

「で、ラテは向こうに、お願いします」

「……はい」

 店員さんは得心したような顔で、何も言わずはじめの前にラテを置いてくれた。戸惑っているのははじめひとりだ。

「どうしてだい?」

「べつに。ただの嫌がらせだと思ってくれればいいです」

 ひかるは言って、笑った。

「そんなことより、見てみたらどうですか、それ」

「……? あっ……」

 はじめがラテに目を落とす。ラテの表面には、クリームで絵が描いてある。それは、犬。まるまるとしていて可愛らしい犬の絵だ。

「か、かわいい……!」

「ふふ。力作です。喜んでいただけて何よりです」

 店員さんはそう言って笑うと、ひかるにウインクして去って行った。ひかるは、あんなにウインクが様になっている人を他に見たことがない。

「……気を遣ってくれたのか。ありがとう」

「はぁ? べつに、お礼を言われるようなこと何もしてないですし」

 ひかるはそっぽを向いて言った。

「ごちそうになります。いただきます」

「ああ」

 ひかるはアイスティーに口をつけた。少しだけ火照った頬に、その冷たさが染み渡るようだった。
594 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:09:59.90 ID:IIOvQ4Oi0

「君といると、どうも調子が狂うな」

 はじめが口を開いた。

「私が背伸びをしているのを見透かされているようで」

「そんなつもりはないですけどね」

 ひかるが応える。

「ぼくは逆ですよ。こんな素の自分、家族にも友達にも見せられないですから、気が楽です」

「君は、普段はどんな感じなんだい?」

 はじめの問いかけに考える。普段の自分は、一体どんな様子だろうか。家での自分や、学校での自分はほとんど同じだ。物腰柔らかく、笑みを絶やさず、はきはきと喋るというよりは、ゆっくりと間延びして喋るように心がけている。それは少なくとも、今の自分――何も着飾らずいる自分とは全く違うものだろう。

「……少なくとも、こんなに毒々しくはないと思います」

「なるほど。たしかに君は、初対面の時はもう少しやわらかそうだったな」

 はじめが笑う。それは、少なくともひかるには年相応のお姉さんの笑顔に見えた。

「私も、ある意味で気が楽なのだろうな。今ほどではないが、君のお姉さんの前でもついつい気を抜いてしまうことがある。君たち姉弟は不思議な特質を持っているのだね」

「なんですか、それ」

 同じなのだろうか。

 自分が、姉や友人の前で、ついつい“良い子の自分”を出してしまうことと。

 目の前のお姉さんが、ついつい“しっかりした自分”を出してしまうことが。

「……雨に濡れているのに、やせ我慢をして、頑なに傘を受け取ろうとしなかったから」

「うん? なんだい?」

「騎馬さんがそんなだったから、意地悪したくなったんでしょうね」

「は……?」

 はじめが目をぱちくりさせる。

「きっと、だからこんなに素でいられるんだと思います」

「……なるほど。本当に、良い性格をしているな、君は」

 はじめが顔を引きつらせながら笑う。

「私も、君が生意気だから、ついムキになってしまうのだろうな。泰然余裕としている普段の私は、きっと素の私ではない」

 はじめはそう言うと、シュガーポットを手に取った。角砂糖をひとつ、ラテの中に落とす。

「普段ならばコーヒーはブラック、紅茶はストレートでしか飲まないが、今はそう肩肘をはる必要はないね。苦いのは苦手だ」

「ぼくは、姉やクラスメイトからは甘い物大好きだと思われてますよ。本当はあまり得意じゃないですけどね」

 言いながら、思う。昨日、雨の中、強がるはじめを見て、なぜあんなにイライラしたのか。自分の素を出してしまうくらい、はじめに当たったのか。

 はじめを見て、自分の姿を重ねてしまったからだ。

 良い自分を家でも学校でも演じ続けている自分と、重なったからだ。

「同族嫌悪、っていうのかな……」

「うん?」

「……いえ。なんでもないです」

 そんなこと、わざわざはじめに言ってやる義理もない。ひかるはもう一度、グラスを呷った。
595 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:10:26.28 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 生徒会の仲間であるゆうきの弟、ひかるは、口ぶりこそ意地悪だが、心根は優しい少年のようだった。はじめがラテを見つめていたことに気づく観察力、そして飲み物を交換するような行動力もある。そのあたり、ゆうきの弟らしいというか、なんというか。

 砂糖を入れたラテを口に含む。甘くて温かいラテが口の中に広がって、なんとも幸せな心地だ。

「……“何もかも完ぺきですごい生徒会長”か」

「はい?」

 口をついて出た言葉に、ひかるの目がこちらを向く。

「君のお姉さんが、私のことをそう言っていたのだろう?」

「まぁ……。あ、でも、可愛いところもあるとか、そんなことも言っていましたけどね」

「……可愛い。私からはとことん縁遠い言葉だな」

 ゆうきは一体、はじめのどんなところを見て、そんな感想を抱いたのだろうか。

「常々完ぺきでありたいとは思っているが、私もまだまだだな」

「息苦しそうな生き方をしてますね」

「何度も言うが、君に言われたくはない」

 ひかるの目が不満そうに歪む。

「ぼくはべつに、好きでやっていることですから。良い子でいたいと思うことは、悪いことではないでしょう?」

「私だって、無理しているつもりはない。完ぺきでありたいと願うのはまぎれもない私自身の意志によるものだ」

「そうですか」

 ひかるは興味なさそうに言うと、アイスティーのグラスを置いた。いつの間にか、グラスの中は氷を残し、空になっていた。

「あ……すまない。小学生をいつまでも付き合わせているわけにはいかないな」

 外に目を向けてみれば、住宅街は少し赤みを帯び始めている。暗くなるまではまだ猶予があるだろうが、いつまでも小学生が外を出歩いていていい時間ではない。はじめはラテを飲み干して、カップを置いた。

「そんなに急がなくてもいいと思いますけど」

「いや、小学生は暗くなる前に家に帰るべきだ。少なくとも、私には君にそう言う義務がある」

「どんな使命感ですか……」

 はじめは席を立つ――つもりだった。

 その瞬間、自分でもよく分からないことに、立ち上がることができなかった。

「あれ……?」

 腰を上げることができなくて、椅子に座ったまま、頭がふらつくことに気づく。座っている間は何も感じていなかったが、立ち上がろうと力を入れた瞬間に、ぐらりと視界が揺れたのだ。
596 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:10:52.76 ID:IIOvQ4Oi0

「……何やってるんですか?」

 ひかるのあきれ顔が回って歪む。目が回るような感覚に、額を押さえる。

「すまない。少しフラつくんだ」

「フラつく……?」

 ひかるが怪訝な顔をする。

「……少し休めば大丈夫だ。私の意地に付き合わせてすまなかった。親御さんや王野さんが心配するから、もう帰りなさい」

「あのねぇ……」

 はじめの言葉に、ひかるは嫌そうな顔を隠そうともせず、言った。

「昨日も似たようなことを言った気がしますけど、体調が悪そうな相手を放って帰れると思いますか?」

「心配してくれる必要はないよ。朝からフラつく感覚はあったんだ。それが今、少し強くなってるだけだから」

「それでなんで学校を休まないかなぁ……」

「わっ……」

 ひかるはためらう様子もなくはじめの額に手を伸ばした。ひかるの手が額に触れた瞬間、そのひんやりとした感触が心地よくて、恥ずかしい気持ちも忘れてしまう。

「……すごい熱。どうして学校を休まないんですか。それはいいとしても、どうしてわざわざぼくに会いに来たりしたんですか」

「少し体調が悪い程度で学校を休むわけにはいかない。私は生徒会長だから、生徒の規範にならないといけないからね。ちなみに君に会いに来たのは私の意地だ」

「呆れました。体調が悪いのに無理をして学校に行くことは、規範でも何でもないと思いますけどね」

「それだけではないよ。騎馬家の跡取りとして、熱程度で――」

「――もういいです。こっちまで熱が出そうだ」

 ひかるは大仰にため息をついた。

「立てますか? ……って、無理そうですね。さっきまでよく平気な顔をしてましたね」

 ひかるの大げさな言葉に、はじめは立ち上がろうとする。しかし、身体に力は入るが、その力があらぬ方向に働くような感覚だった。

「……びっくりするくらい、立ち上がれない」

「そうみたいですね。本当に驚いている顔に、こっちがびっくりですよ」

「いや、実は、物心ついてから熱を出したのは初めてなんだ。どうして急にこんなことになったのだろうか……」

「昨日ずぶ濡れになったまま雨宿りなんかしてたからでしょう」

「……ああ。なるほど」

 ひかるはまたため息をついて、はじめに手を伸ばした。

「お家の連絡先、教えてください」
597 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:11:20.14 ID:IIOvQ4Oi0

「む? なぜだい?」

「お家に電話をするんですよ。ご家族に迎えに来てもらいましょう」

 はじめはそのひかるの申し出に首を振った。

「いや、こんなことでお母様の手を煩わせるわけには……。私は――」

「――騎馬さんは騎馬家の跡取りでダイアナ学園の生徒会長である前に、ひとりの女の子です。いいから早く電話番号を教えてください」

「む……」

 ひかるの意志は固いようだった。結局、はじめは生徒手帳を取り出し、ひかるに渡すことになった。

「ちょっと電話してきますから、待っててくださいね」

「いや、よく考えたら、私が電話をすれば済む話……」

 言うより早く、ひかるは席を立って行ってしまった。店員さんに何事か告げて、店の奥へ入っていく。ひかるの姿が見えなくなって、はじめは自分の中でも何か糸が切れるような感覚を憶えた。だらしないことだとは思うが、そのまま、オシャレなテーブルに半ば突っ伏すように頭を置く。

「……しまったな。一気にこんなに来るとは」

 先ほどひかるに伝えた通り、朝から体調は悪かった。

 ただ、それを母に伝えるということは念頭に浮かびもしなかった。

 騎馬家の跡取りとして、ダイアナ学園中等部の生徒会長として、きっとしてはいけないことだと思ったからだ。

 昨日の母の言葉が頭に浮かんだというのもある。

 ひかるの真剣な顔に押し負けて、電話番号を渡してしまった。電話を受けた母は、どんな顔をするだろうか。

 どんな言葉を、自分にかけるだろうか。

 呆れかえるだろう。

 厳しい叱責すらあるかもしれない。

「……騎馬家の名折れだ、私は」
598 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:11:47.34 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 連れが体調が悪いようなので、電話を貸してもらえませんか?

 そう伝えたところ、気さくな店員さんは快く店の裏に案内してくれた。細い階段を上ると、広い廊下のようなところに出て、そこは店内とは異質な雰囲気の場所だった。

「二階は下宿なの」

 ひかるの疑問を感じ取ったのだろう。店員さんはそう言うと、ひかるを廊下の電話に案内した。

「すぐ済みます。すみません」

「ええ、どうぞ」

 ひかるははじめからもらった生徒手帳の裏表紙に、達筆な字で書かれた電話番号をプッシュホンに押し込んでいく。数コールも待たず、先方は受話器を取ったようだった。

『はい。騎馬でございます』

 その涼やか声を聞いた瞬間、それがはじめの母親であると確信した。静かながら自信と威厳にあふれ、はじめが成長したらこういう声になるのだろうなと、一瞬にして想像させられたのだ。

「もしもし。はじめまして。はじめさんの友人の王野ゆうき……の弟のひかるです。はじめさんのお母様ですか?」

『はぁ……。そうですが』

 怪訝そうな声。当然だろう。突然電話がかかってきたと思えば、友人の弟からだというのだから。かといって、ひかるもためらっている場合ではないので、話を続けた。

「はじめさんが体調を崩されて、ひとりでは帰れない状態です。迎えに来ていただけると助かります」

 ひかるは、嫌そうな声か、疑うような声か、はたまた、悪意を発露するような声を予想していた。しかし、ひかるがそう告げると、電話口の相手が動揺するのがわかった。

『は、はじめが……!?』

 泰然としていて、絶対に動じないだろうと思われた電話口の声が震えた。

『はじめはどこにおりますの? 学校ですか?』

「いえ。学校から少し離れた喫茶店“ひなカフェ”です。住所をお伝えします」

 女性は住所を聞くと、電話の向こうで誰かに車を出すように指示しているようだった。そして、電話口に声が戻ってくる頃には、平静さを取り戻していたようだった。

『……すみません。宅の娘が、まったくご迷惑をおかけしたようで、面目次第もありません』

 声は、無理をして冷静を保っているようにひかるには思えた。

 それがどうというわけではない。

 ただ、なんとなく、少し。

 昨日、ひかるが傘を貸そうとするのを固辞するはじめと重なるように思えて。

 本当の本当に、少しだけ。

(……なんか、ムカつく)

 そう、思った。

『娘には迷惑をかけぬようきつく言っておきますので……――』

「――きつく言う必要はないですし、もしもぼくに面目次第もないのなら、はじめさんに優しい言葉をかけてあげてください」

 だからひかるは、相手の声を遮って、そう言った。

『なっ……』

 当然、電話口のはじめの母親は、驚いているようだった。
599 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:12:14.42 ID:IIOvQ4Oi0

「お母さんがお迎えに来てくださいね。それでは、お借りしている電話なので、切ります。失礼します」

 そのまま、何を言わせる間も置かず受話器を置く。言い過ぎただろうか。

 姉たちやクラスメイトに気を遣う必要がないから、やりすぎてしまった気がする。

 ふと思う。本当の自分の、こんな冷たい一面を知ったら、家族やクラスメイトの皆はどう思うだろうか。

「……そんなこと考えても仕方ないのは分かってるんだけどさ」

 これが本当の自分。

 王野ひかるという、自分。

 情けないとは思う。

 そんな後ろ向きなことを考えていたからだろう。

「……あれ……?」

 気づいたときには、世界が変質していた。

 それは言い過ぎだろうか。場所が変わったわけではない。何の特質もない廊下のままだ。

 けれど、何かが確実に異質だった。

 その正体に気づくのに、数秒を要した。それだけ、その変容はありえないことだったのだ。

「色が……」

 色が消えた、モノクロの世界。音が消え、寒さも暑さも消えた、異様な世界だ。

 すぐ傍にいたはずの店員さんが消えている。

 その静かな世界に、まるでひかるひとりが取り残されたようだった。

「……騎馬さん」

 ひかるは体調を悪くしていたはじめのことを思い出し、慌てて元来た道を戻った。店の奥から戻ると、やはり客席スペースはおろか、窓から覗く外の景色までもがモノクロに墜ちていた。そして、学校帰りの女子学生たちが大勢いた店内は、いつの間にか空っぽになっている。

「なんなんだ、一体……」

 ひかるは焦燥を憶えつつ、席に戻る。果たしてはじめはそこにいた。しかし、とても容態がいいとはいえない様子だ。テーブルに突っ伏し、息は荒い。

「騎馬さん。騎馬さん」

「ん……。ひかるくんか……」

 呼びかけると、少しだけ目が開く。

「何か様子がおかしいんです。まるで、色が抜け落ちたように、真っ黒なんです。わかりますか?」

「以前、一度だけ見たことがある。これは、暗い場所。暗い世界。しばらく待っていれば、いつもの世界に戻れる。けれど、怪物が……」

「怪物……?」




「――なるほど。位相をここまでアンリミテッドに近づけても、貴様らはまだ残るのだな」




 ゾッと、背筋が凍る。

 いつからそこにいたのだろうか。華奢な背格好に漆黒の装い、表情の見えない仮面。そんな紳士が店の入り口に立っていた。
600 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:12:43.57 ID:IIOvQ4Oi0

「それだけ、このホーピッシュが我らアンリミテッドに近づいてきたということか。特に、貴様らふたりは光と闇の影響を色濃く受けた影響で、闇にも光にもなじみやすくなっているのだな」

 その黒衣の紳士が何を言っているのかはわからなかった。ただ、その紳士がただ者ではないことだけは明確にわかる。ひかるは荒く息をするはじめを庇うように立った。

「ほう。男気あふれることだ。さすがは王野ゆうきの弟といったところか」

「なっ……! お、お姉ちゃんを知っているのか!」

「ふっ……」

 紳士は一笑に付すと、仮面の顔をひかるに向けた。表情は分からない。目線も見えない。しかし、その視線がひかるの全てを見透かしているのは、疑いようもないことだった。つかつかと歩み寄り、ひかるのすぐ前までやってくる。

「なるほど。貴様は、普段は良い子の自分を演じ続けているのか。姉やクラスメイトの前では、良い子の仮面を被り続けているのだな。殊勝なことだ」

「ッ……!?」

 心まで見透かされている。ひかるがたじろぐと、紳士はまっすぐひかるに腕を伸ばした。

「良い子でありたいという欲望か。まったく理解できないことではあるが、欲望は欲望だ。それも、極上だ」

 ひかるの目の前で、紳士が仮面の奥の顔を嗜虐的に歪めたのがわかった。ひかるは内心の焦燥と恐怖を悟られまいと、仮面を睨み付け続けるだけで精一杯だった。

「貴様ならば生み出せるかもしれんな。ウバイトールを超える、新たな闇の使徒を」

「……なっ」

 紳士がひかるの手をつかむ。華奢な割には凄まじい力で、ひかるの腕が押さえつけられる。

「何をするんだ……!」

「貴様の良い子でありたいという欲望に用がある。安心しろ。悪いようにはしない」

 そして、紳士の手から黒い波動が生まれる。その黒いもやのような波動は、瞬く間にひかるを覆い尽くす。



「その欲望、自分自身で購うのだな」



「がっ……」

 ドクン、と。

 ひかるの中で、何かが胎動した。

 頭の中に、何かが生まれた。

 “悪い奴だと思われたくない。”

 “良い子だと言われたい。”

 “姉に褒められたい。”

 “クラスメイトから頼りにされたい。”

 それは、欲望の胎動。

 そして、生まれる。世界を闇に染める使途。





『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』





「ふっ……生まれたか。このホーピッシュもだいぶ闇に染まってきたのだな」

 紳士は仮面の奥で微笑んだ。

「さぁ、いけ。“ウバイトーレ”。ウバイトールより強靱なその力で、プリキュアどもを迎え撃て」
601 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:13:11.82 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 ゆうきたちは全速力でほまれ町の住宅街を走り抜けた。

「とても強い闇の波動レプ……! この前の、大量のウバイトーレが現れたとき以上の闇レプ!」

 ゆうきの肩の上でラブリが言う。

「うん。わたしたちも、少しだけわかるよ」

 ゆうきは走りながら、胸に手を当てた。

「なんだろう。とてつもなく嫌なものが生まれた。とんでもないものが生まれた。それが、なんとなくわかるんだ」

 めぐみも、あきらも、小さく頷く。プリキュアたちは皆、そのゆうきが感じたものと同じようなものを感じたのだろう。

 その気配が生まれたのは、学校帰りのときだった。はじめたちと別れ、三人と妖精たちで少しだけプリキュアの作戦会議をしているときに、ブレイたちが凄まじい勢いで闇が生まれたと騒ぎはじめたのだ。そしてブレイたちの言うとおり、その方向に向かうにつれて、ゆうきたちにもしっかりとわかるようになってきた。

 そして気づけば、ゆうきたちは闇の領域に足を踏み入れていた。

「……空が暗い。アンリミテッドだわ」

 モノクロに沈んだ世界。建物や街見覚えこそあるものの、そこはまぎれもなくアンリミテッドの闇の領域に他ならない。そして、ゆうきたちがよく見知った場所が、その闇の中心のようだった。

「うそでしょ……! あれ、ひなカフェだよ!?」

「……グリ!?」

 ブレイがうめき声を上げる。その理由は、ひなカフェの入り口に立っていた人物にある。

「で、デザイア!?」

 全員が一斉に身構える。のんきに構えていられる相手ではないと知っているからだ。

「ん……? あ、あれ、騎馬さんよね?」

 めぐみが声を上げる。指で示す方向には、窓越しにはじめの姿見える。しかし、どうも様子がおかしい。テーブルに突っ伏す姿は、まるで体調を崩しているようだ。

「ふっ……。驚くべきはそちらではないのではないか? 王野ゆうき」

「へ……?」

 デザイアの言葉に、デザイアが示すソレを見つけた。その瞬間、いつかと同じように、ゆうきの中の何かが弾けそうになる。



「ひ、ひかる……!?」



 モノクロに墜ちた世界で、なおモノクロに沈むような姿だった。だからこそそれにすぐに気づくことができなかったのだ。

 ひかるは、ひなカフェの入り口近くで、幾重にも及ぶ鉄格子のようなものに囲まれ、縮こまるように座り込んでいた。

 はじめは色を持ったままそこに存在しているが、ひかるは違う。ひかるは、まるで世界と同じように、アンリミテッドのモノクロに染まっているのだ。

「ひかる! ひかる!! ひかるってば!! 返事をして! ひかる!!」

 うつろな目は何も映していないようで、ゆうきの悲鳴にも近い声にも何の反応も示すことはなかった。
602 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:13:56.08 ID:IIOvQ4Oi0

「……ゆうき。落ち着いて」

「うん。大丈夫だよ、ゆうき。みんなでひかるくんを助けよう」

「……うん」

 そんなゆうきの手を、めぐみとあきらが両側から取ってくれる。ふたりの温かい手が、ゆうきに落ち着きをくれるようだった。ゆうきは大きく頷いた。目を閉じ、深呼吸をして、目を開く。

 大丈夫。やれる。

「ふむ。以前、ゴドーに妹が巻き込まれたときは、もう少し動揺していたようだが、変わりもするか。戦士として強くなってきたようだな、プリキュア」

 デザイアが嘲笑する。

「しかし、果たしてこれを相手に今の貴様たちでどこまで戦えるかな」

 ずしん、ずしん、と。地を響かせるような轟音が響いた。それが何かの足音だと気づいたときには、その何かは近くの住宅の陰から身を乗り出していた。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「ウバイトール……? じゃない?」

 その巨大な怪物は、少年の姿をしていた。全身が黒く染まっていて、手にはサッカーボールのようなものを持っている。全体的に見ればウバイトールによく似ているが、その実何もかもがウバイトールとは違うようにゆうきには思えた。

 しかし、そんなことを気にしている余裕はない。

「……行くよ、みんな」

 ブレイ、フレン、パーシーからそれぞれの紋章が飛ぶ。三人はそれぞれの紋章を受け取り、それをロイヤルブレスに装填する。

 そして、叫ぶ。

 伝説の戦士の宣誓を。



「「「プリキュア・エンブレムロード!」」」



 世界が闇に墜ちたとしても、その光だけは色あせることはない。

 それは、ロイヤリティの誇りと戦士たちの絆によって生まれる光。

 薄紅色、空色、真紅の光。

 世界に光を取り戻すために、戦士たちは大地へ降り立った。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」



「「「ファーストプリキュア!」」」
603 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:14:22.30 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

「まだプロトタイプだが、やれるな。行け、“ウバイトーレ”」

 デザイアが指示を出すように腕を振る。その途端、ウバイトーレと呼ばれたその怪物は、凶悪な目を嗜虐的に眇め、足音を響かせながらその巨体でプリキュアたちに向かい前進する。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエ!!』

「ウバイトーレ……? やはりウバイトールではないのね」

「ユニコ、わたしたちであの怪物を引きつけよう」

 冷静に分析をするユニコに、ドラゴが言う。

「グリフは、わたしたちがアレを引きつけている間に、ひかるくんと騎馬さんを助けてあげて」

「うん、わかった。ありがとう、ドラゴ」

「そうと決まれば、行くわよ!」

 ユニコとドラゴが怪物に向かい走り出す。怪物と相対したふたりの横を、グリフは足早に通り抜けた。

『ウバッ……!!』

 ウバイトーレがグリフに手を伸ばす。しかし、その手は空色の光によって弾かれる。

「あなたの相手はわたしたちよ。グリフの邪魔はさせないわ」

「そういうこと!」

 ドラゴが跳び上がり、炎をまとわせた拳でウバイトーレの腹に正拳突きを放つ。

『ウバァ……!?』

 ウバイトーレはよろけ、後退する。その間に、グリフはデザイアの近くまでたどり着いていた。

「デザイア! ひかるを返してもらうよ!」

「無駄なことだ。なんなら試してみるといいだろう」

 デザイアはグリフに道を譲る。デザイアは罠を仕掛けるような敵ではない。グリフは警戒しつつも、ひかるに近づき、牢獄にてをかけた。

「ひかる! ひかる! 起きなさい!」

「………………」

 やはりひかるの目はうつろで、何を映してもいない。返事どころか、呼吸をしているのかすら、判然としないほどだ。

「……っ! デザイア! ひかるに何をしたの!? この牢獄は何!?」

「その子が己の欲望を果たせるようにしてあげただけのことだ。礼を言ってもらいたいくらいなのだがな」

 デザイアは嘲笑するように言う。

「その牢獄こそ、欲望にとらわれた証。人間の本質を引き出すためのものだ」

「人間の本質を引き出す……?」

「ふふ。その結果が、あのウバイトーレだ」

 その瞬間、轟音が響いた。振り返ると、ウバイトーレが黒い塊のような巨大なサッカーボールを蹴り、ユニコとドラゴを吹き飛ばしていた。

「きゃっ……!?」

「っ……!? 強い! その辺のウバイトールと比較にならないくらい強いわ!」

 ふたりはなんとか体勢を立て直し、ウバイトーレと対峙する。しかしふたりがこの短い時間で消耗していることは火を見るより明らかだ。
604 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:15:04.04 ID:IIOvQ4Oi0

「ウバイトーレって何なの? ウバイトールとは違うものなの?」

「ウバイトールはご存知のように、物に込められた欲望を解放することで生み出される闇の使徒だ」

 デザイアは言う。

「そしてウバイトーレは、人の持つ欲望を解放することで生み出される闇の使徒……いわば、本物の欲望の化身だ」

「人の持つ欲望……? じゃあ、あの怪物は――」

「――そう。貴様の弟、王野ひかるの欲望で生み出されたのだ」

 衝撃的なことだった。つまり、方法はわからないが、デザイアはひかるの欲望を抜き出し、あの怪物にしたということだろう。

 つまり、あの怪物は、ひかるから生まれたということに他ならないのだ。

「わけがわからないことを言わないで! 良い子のひかるに欲望なんてあるわけないじゃない!」

 少なくとも、グリフにとって、弟のひかるはとても良い子だ。手もかからない。友達も多くて、勉強もできて、スポーツも上手だ。そんなひかるが、あんな怪物を生み出すような欲望を抱くとは思えない。

「そうか。ならば、その少年の欲望の化身である、あのウバイトーレに聞いてみるとしよう」

 デザイアがウバイトーレに向かい、言う。

「さぁ、良い子でありたいのだろう? ならば、プリキュアを全員倒すのだ。それが、良い子への近道だ」

『ウバッ……!! ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「きゃっ!?」

 ウバイトーレが凄まじい速度で蹴りを放つ。防御する暇もなく、ふたりのプリキュアが瞬く間に吹き飛ばされる。

「ユニコ! ドラゴ!」

「ほら見たことか。貴様は姉でありながら、弟のことをまるで分かっていないな」

 デザイアが言う。

「貴様は弟のことを良い子だと言っていたな? 良い子だと褒めそやしたな。良い子でい続けろという呪縛を、その子に与え続けたな。それが弟に、どれだけの枷だったか分かるか? 貴様は、姉という立場にかこつけて、弟を利用していたのだ。その結果が、これだ」

「わ、わたしは……」

 そんなつもりはなかった、と言うのは簡単だろう。

 けれど、それがウバイトーレになるほどに抑圧されていたひかるに対して、何の意味があるだろう。

 もしも、ひかるがウバイトーレになるに至るだけの欲望を溜めることになったのが、王野ゆうきという己のせいなのなら、キュアグリフは。

「……わたしが、もっとひかるのことを見てあげられていたら……――」



「――そんなわけ、ないでしょ……!」

「……そうだよ、違うよ。絶対!」



 耳朶を叩いたのは、よく知った声。

 グリフが誰よりも信頼する、ふたりの声。
605 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:15:30.99 ID:IIOvQ4Oi0

「ひかるくんが“良い子でありたい”と願うことの、何がいけないのよ!」

「それは“ゆうきのせい”なんかじゃない! “ゆうきのため”なんだよ!」

 ふたりのプリキュアは、よろよろと立ち上がる。けれどその眼光は力強く、言葉はその場を圧倒していた。

「私だってそうよ。みんなに頭が良いって思われたいもの。ゆうきに、頼れると思われたいもの」

「わたしだって。ゆうきに勉強で頼りにされたいし、お母さんからも褒められたいよ」

 だから、と。ふたりのプリキュアは断言する。

「人間、誰だってなりたい自分になろうって必死なのよ。そうやって自分を作っていくんだもの」

「だから、いいんだよ。苦しいときもあるかもしれないけど、それでも、」



「「どんな自分も、自分なんだから!」」



『ウバッ……! ウバァアアアアアアアアアアアアア!!』

 ふたりのプリキュアの言葉に、ウバイトーレが頭を抱える。ゆうきのすぐ近くのひかるも、苦悶の表情を浮かべていた。

 ふたりの言葉に、闇に支配されたひかるの心が動かされようとしているのだ。

「……ふん。まだ動作は不安定か。致し方ない。もっと安定する欲望を探さねばならんな」

「デザイア! ひかるを元に戻しなさい!」

「案ずるな、キュアグリフ。あのウバイトーレを倒せばすべては元に戻る」

 デザイアが仮面の下で笑うのが分かった。

「貴様ら三人のプリキュアに、ウバイトーレを倒すことができるのならば、だがな」

 デザイアの言葉を聞いたユニコとドラゴの反応は早かった。ふたりは目を合わせ、頷き合う。

「それがわかればこっちのものよ!」

「いくよ、ユニコ!」

「ええ!」



「優しさの光よ、この手に集え! カルテナ・ユニコーン!」



「情熱の光よ、この手に集え! カルテナ・ドラゴン!」



606 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:15:58.18 ID:IIOvQ4Oi0

 ドラゴがカルテナを振るう。

「情熱の炎を燃やす。心穏やかに、燃やすべき物を、見極めて」

 そして、炎が生まれる。

「行って、ドラゴネイト!」

 ドラゴの拳から無数の炎が弾ける。それはまっすぐにウバイトーレに直撃する。しかし、ウバイトーレは少しよろけただけで、致命的なダメージとはなっていないようだった。

「並のウバイトールと同じ耐久力だと思わぬ方が身のためだぞ? しかし、貴様は愛のプリキュアがいない今、それ以上出力を上げれば身を滅ぼすことになる。さて、どうする?」

「こうするのよ」

 デザイアの嘲笑に、ユニコもまた余裕の笑みを返す。そして、カルテナが空色に瞬いた。

「角ある純白の駿馬よ! プリキュアに力を!」

 ユニコがカルテナをウバイトーレに向けて突き出した。



「プリキュア・ユニコーンシール!」



「何ッ……!?」

 デザイアの声が驚愕を帯びた。そのユニコの技は、空色の巨大な光の壁を作り出すものだった。しかし、それがただの“守り抜く優しさの光”でないことは誰の目にも明らかだった。青く輝くその光の壁は、瞬く間にウバイトーレを四方から囲み、閉じ込める。

「このユニコーンの清浄なる壁は、悪辣なる者を絶対に逃さないわ」

「そして、このドラゴンの炎は、悪辣なる者だけを徹底的に燃やし尽くす」

 ドラゴが、空色の壁の内側に入り、慌てふためくウバイトーレの足下に触れた。

 その瞬間、壁の中を紅蓮の炎が支配した。

『ウバッ……!? ウバアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 ウバイトーレが凄まじい勢いの炎にダメージを受けていく。空色の壁はウバイトーレを逃さないだけでなく、炎の熱を逃さない役割も果たしているのだ。

 やがて壁が払われると、ウバイトーレはその場に膝をついた。ドラゴは素早く飛び退りながら、叫ぶ。

「グリフ! ウバイトーレを浄化して、ひかるくんを解放してあげて!」

 その声に我に返り、ゆうきは心を集中させる。

「勇気の光よ、この手に集え! カルテナ・グリフィン!」

 薄紅色の光がその場を照らす。グリフの右手にその光が集約され、勇気の国の伝説の剣が現れる。

「……なるほど。頭がキレるキュアユニコとキュアドラゴは厄介なものだ」

 デザイアの呟く声が耳に届く。しかし、次の瞬間には、グリフは駆けだしていた。
607 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:16:27.37 ID:IIOvQ4Oi0

「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を!」

 薄紅色の光を羽ばたかせ、グリフはウバイトーレの横を駆け抜けた。



「プリキュア・グリフィンスラッシュ!」



『ウバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……!!』

 両断されたウバイトーレは宙に溶けて消え、そのうちの幾分かはひかるの中へと戻る。そして、ひかるは牢獄から解放され、倒れた。

「ひかる!」

 慌てて駆け寄り抱き起こす。ひかるはむにゃむにゃと寝ぼけていた。

「……よかった」

「ふっ。やはりプロトタイプは不安定だな。より安定させるには、もっと強い欲望が必要ということか」

「デザイア! 人の家族を巻き込んで!」

「ふっ……。いずれこの世界すべてがアンリミテッドに飲み込まれるのだ。家族も何もあるものか」

 デザイアはマントを翻し、三人に背を向けた。

「今後はウバイトーレを主戦力として戦うことができそうだ。貴様らの命運が尽きる日も近い。ゆめゆめ、油断せぬことだな」

 デザイアはそれだけ言い残すと、宙に溶けて消えた。

 世界が色と光を取り戻す。そして、ひかるがうーんと目覚めそうになったので、三人は慌てて身を隠した。
608 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:16:54.49 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 まぶた越しに眩しい光が見えた。それが夕焼けの赤光だと気づき、目を開ける。

「あれ……? ぼく、寝てたのか……」

 周囲を見渡す。どうやらひかるは、ひなカフェ前の通りで座って眠っていたようだった。

 周囲には喧噪が戻り、行き交う人やテラスで談笑をする女子学生の姿も見える。

「さっきのは夢……?」

 いやに生々しい夢だった。世界から色が消え、光が消え、人が消えた、あの夢のこと。

 そして、自分自身が怪物となり暴れ回った夢。

「……そんなことより、はじめさんだ」

 席に戻る。はじめは荒い息をしているが、先ほどよりは具合がマシになったようだった。

 ふと、視界の隅、窓の外に車が止まるのが見えた。車に詳しくないひかるでも分かるくらい、見るからに高そうな高級車だ。そこから着物を身につけた上品そうな女性が降りてくるのを見て、ひかるはその女性の正体を察した。

 はじめの母親だ。

 ひかるは店を出て、その女性と目を合わせる。それだけで、女性もひかるが先ほどの電話の相手だと見抜いたようだった。

「……宅の娘がご迷惑をおかけします。はじめはどちらですか?」

「店内の席です。ご案内します」

「ええ」

 出てきた運転手を連れて、はじめが突っ伏す席まで案内する。筋骨隆々とした運転手は軽々とはじめを持ち上げると、車まで運び、後部座席に優しく乗せた。その間、はじめの母親は店員さんにも頭を下げているようだった。ひかるははじめの表情を見る。汗をかき、紅潮した顔は、辛そうだ。辛そうだが、年相応の表情だ。さすがの意地っ張りも、発熱して苦しいときにまで澄ました顔をすることはできないらしい。

「王野ひかるさん、とおっしゃいましたか」

「……はい」

 背後からの声に振り返る。はじめの母親が、何の感情も見えない顔で、ひかるを見下ろしていた。

「このたびのこと、お礼を申し上げます。後々改めてお礼に伺いますから、連絡先を教えていただけますか?」

「必要ありません。苦しんでいる人がいたら助けるのは当然のことじゃないですか」

 ひかるはその、はじめによく似た女性の言葉に、淡々と返すだけだ。

「ぼくにお礼をする余裕があるのなら、それをはじめさんに向けてあげたらどうですか」

「はじめに?」

 ひかるの言葉に、女性が眉をひそめる。ひかるの無礼な物言いに、明確な不快感を示しているのだ。
609 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:17:20.97 ID:IIOvQ4Oi0

「さっき、電話口で、はじめさんの体調不良を言った瞬間、あなたはとても慌てていました」

「……それが何か?」

「はじめさんは、騎馬家の跡取りであること、そしてダイアナ学園の生徒会長であること、その他の色々なことに誇りを持っていました。それはとても良いことだと思います。けど、反面、それらすべてが、はじめさんの枷にもなっていると思います。それがはじめさんを縛り付けています」

「…………」

「……さっき、電話口でぼくに見せてくれた慌てようを、本人にも見せてあげてください。その愛情を、きっとはじめさんは知らない。失礼を承知で言わせてもらえるなら、はじめさんは、あなたを恐れているようにも見えた。あなたに電話をしようとしたぼくを、止めようとするくらいには」

「……随分と言ってくれますね。ですが、それでいいのです。わたくしは、愛情を見せることだけが、愛情の示し方ではないと思いますので」

 女性は後部座席のはじめに手を伸ばす。で荒い息をするはじめを、とても慈しみ深い目で見つめる。

「この子は女として生まれました。そして、騎馬家の子どもはこの子だけです。だから、この子には今後、あらゆるしがらみが生まれます。そのときに、ひとりで対処できるだけの能力と胆力、その他すべてを与えてあげるのが、わたくしの責務であり、この子への愛情です」

「……わかりました。なら」

 ひかるはその女性の言うこともまた正しいと分かっていたからこそ、敬意を払い、言った。

「その他の愛情は、ぼくや、ぼくの姉が、責任を持って与えます」

「……ご勝手に」

 女性はそれだけ言うと、もうひかるを見ることもなく、反対側の後部座席に乗り込んだ。

 車はゆっくりと発進した。ひかるはただ、その車を見送ることしかできなかった。

 間違いなく、はじめはひかるにとって、昨日知り合っただけのただの姉の友達だった。

 しかし、今は違う。

 思い返す、昨日、雨に打たれ、寒さに震えるはじめの姿を。

 震えながら、どうしたものか考えて、けれど答えを出すことができず、途方に暮れて寂しく揺れていた瞳を。

 もしも、はじめがまたあんな目にあっていたら。

 もしもはじめが、今後もあんなことになるのなら。

「……ぼくが」

 ひかるは、拳を握りしめ、決意する。

「ぼくが、助けてあげればいい。あの意地っ張りなひとを、ぼくが」
610 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:17:47.88 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 車の中、そっと、娘に手を伸ばした。何年ぶりかというくらい久しぶりに、娘の頭を撫でた。

「はじめ、あなたを愛していますよ」

 はじめがすでに眠っていると知っていた。だから、そう言うことが出来た。

「けれど、その愛は見せません。あなたを強くするのが、わたくしのあなたへの愛の形なのですから」

 はじめは知らない。



 熱にうなされる己を見る母の目が、慈愛に満ちていることを。

 そして――、



「わたくしは、他の何より、あなたが大切なのですよ」



 その愛を、まだ。

 はじめは、知らない。
611 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:18:17.14 ID:IIOvQ4Oi0

 次 回 予 告

ひかる 「ちょっとマジでこういう話やめてほしいんだけど」

ゆうき 「のっけから真っ黒全開だなぁ弟よ。機嫌直してよ」

ひかる 「身内どころか姉の友達のお姉さんたちにまで本性を知られるって……どんな罰ゲームだよ」

ゆうき 「まぁまぁまぁ」

めぐみ 「まったく、ゆうきは暢気ね。ウバイトーレなんて新しい脅威が生まれたっていうのに」

あきら 「はは、まぁ姉弟水入らずにしてあげようよ」

ブレイ 「…………」 ソワソワ

フレン 「……? なんでブレイはソワソワしてるわけ?」

パーシー 「自分以外の男の子が出てきて、嬉しくて、早く仲良くなりたい、ってこと、かも……」

フレン 「ああ、そういうこと……。なんだかブレイが可哀想に思えてきたわ」

ラブリ 「……まぁそんなブレイは置いておいて、次回予告だ」

めぐみ 「新たに生まれた脅威、ウバイトーレ! デザイアはその力を三幹部に教えるため、ある人物をウバイトーレにする……!」

あきら 「次回、ファーストプリキュア! 第19話【凶悪な陰! その名はウバイトーレ!】」

めぐみ 「次回もよろしくね! それじゃ、また来週!」

あきら 「ばいばーい!」
612 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/27(日) 10:19:45.18 ID:IIOvQ4Oi0
>>1です。キャラクターが増えてきて分かりづらいかもしれませんが、もうしばらくお付き合いいただければと思います。
読んでくださった方ありがとうございました。来週は所用により投下できません。
また再来週、よろしくお願いします。
613 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 22:38:55.74 ID:xoiTqQ9oO
>>1です。
本日所用により投下できませんでした。
ごめんなさい。
来週日曜日夜に投下できると思います。
よろしくお願いします。
614 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/17(日) 22:11:21.99 ID:XR8SCYGe0
>>1です。
連絡が遅くなって申し訳ないのですが、本日も時間的に投下が難しいです。
気長に待っていただけると助かります。
ごめんなさい。
615 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:00:08.55 ID:sW82/1G70

ファーストプリキュア!
第十八話【凶悪な陰! その名はウバイトーレ!】




…………………………

「……まったく。校長先生も、渡す書類があるのなら、直接出向けばいいのに」

 昼休みのことだ。ダイアナ学園教諭、皆井先生は、木工室に向けて歩を進めていた。ダイアナ学園の校長先生から、同僚の松永先生に書類を渡してくれと頼まれたのだ。

「あ、皆井先生。こんにちは」

「ああ、こんにちは」

 すれ違う女子生徒数人があいさつをしてくれる。皆井先生はそれに笑顔で応じる。

「あ、そうだ。皆井せーんせっ」

「ん? なんだい?」

 すれ違ってから、女子生徒たちが振り返り、こちらを見ている。

「皆井先生にずっと聞きたいことがあったんです。いま、少しだけいいですか?」

「ん、ああ。まぁ少しなら。勉強で分からないところでもあるのかな?」

 皆井先生は基本的には熱意のある先生だ。だからこそ、生徒からの学びたいという想いを踏みにじったりしない。たとえ、ただでさえ校長先生に頼まれ事をされてお昼ご飯を食べる時間が怪しくなりつつあったとしても、生徒の要望を聞いてあげることを最優先にする。

「皆井先生って……」

「ん?」

「絶対、誉田先生のこと、好きですよね?」

「……んなっ」

 女子生徒たちはくすくすと笑う。

「お、大人をからかうようなことを言うんじゃない。私は先生だ。誉田先生は、ただの同僚だよ」

「へぇ〜」

 女子生徒たちはニヤニヤと笑う。

「そうですか。でも、ライバルは多いですから、がんばってくださいね、浩二先生」

「だ、だからなぁ……」

 皆井先生が何かを言う前に、女子生徒たちはどこかへと走り去ってしまう。

「こ、こら! 廊下を走るんじゃない……って、もう行ってしまったな」
616 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:00:36.87 ID:sW82/1G70

 女子生徒からそれなりにイケメンと評されることの多い彼だが、やや空気を読めない性格とついうっかり失言をしてしまう特質から、女子生徒からは憧れというより色々と残念な人というレッテルを貼られている先生だ。この学校にそれを理由に先生を舐めてかかるような生徒はいないものの、その自覚があるからこそ、彼はつらい。

 色々と残念なことや、失言を繰り返してしまう自覚くらい、皆井先生自身にもある。

 とぼとぼと歩いて、ようやく木工室の前までくる。

 書類を渡す相手は、木工室で授業をすることが多いから、隣の技術準備室にこもりきりなことがある。木工室は校舎の一番奥にあるから、職員室から遠く、校長先生は木工室へ行くのを厭って皆井先生にお遣いを頼んだのだろう。

「まったく、仕方ないよな……」

 皆井先生はそして、木工室の引き戸に手をかけ――、




「――小次郎くん」



 木工室の中から聞こえた、その声。

 そう声はどこまでも親密そうで。

「その呼び方はやめろって言ってるだろ、華姉」

 そう返す声は嫌そうでいて、その実嬉しそうで。

 ああ、そうか、と。

 彼は気づいてしまった。

 己の恋は叶うことはないのだ、と。

 叶わぬ恋を、己は捨てなければならないのだ、と。

 彼はゆっくりと引き戸を開け、中を覗く。


 皆井浩二。


 20代も中盤にさしかかった男性教諭。

 彼は昼休みの木工室で、きゃっきゃと楽しそうに同僚と話をする想い人を、見てしまったのだ。
617 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:01:03.45 ID:sW82/1G70

…………………………

「……へぇ」

 そして、そんな姿を廊下から見つめる陰があった。

「これは、ひょっとしたら、使えるかもしれないわ」

 ふふ、と、小さく笑う。

 彼女は、エプロンの紐を縛りながら、皆井先生を見つめ、ニヤリと笑った。
618 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:01:35.53 ID:sW82/1G70

…………………………

「本当にすまなかった」

 ひなカフェでの戦いの翌日、はじめはそう言って、ゆうきに凄まじい勢いで頭を下げた。

「へ? へ? へ?」

「騎馬さん、ゆうきが困惑してるわ。どうして謝ってるのか教えてあげて」

 めぐみが混乱するゆうきを代弁して言う。

「ああ、そうか。いや、本当にすまない。昨日、実はひかるくんと会っていたんだ」

「え……? ああ、うん。知ってるよ。ひかるから聞いたし」

 本当は直接一緒にいるところを見もしたのだけど、それは言っても仕方がないだろう。

「っていうか、騎馬さん、学校来て大丈夫なの? 昨日すごい熱があったって聞いたけど……」

「それは大丈夫だ。騎馬家の跡取りたる者、発熱くらいなら一日で全快しなければならないからね」

「どういう理屈なんだろう……」

 あきらが首を傾げる。

「それはいいとして、だ。ひかるくんに大変迷惑をかけてしまったようだ。ひかるくんは、動けなくなった私を喝破して、お母様に電話をしてくれたんだ。あまり記憶はないのだが、お母様はその電話を受けて、私を迎えに来てくれたらしい」

 はじめは言う。

「王野さん。ひかるくんは本当に良く出来た弟さんだね。大切にしてあげてくれ。……まぁ、凄まじく生意気ではあったけれど」

「?」

 後半、はじめが何と言ったかよく聞き取れなかったが、詳しく聞かない方が良さそうだと、ゆうきははじめの表情を見て思った。

「それでだね、お母様が、なんとしてもお礼をしたいから、連絡先を絶対に手に入れなさいと言っているんだ」

「なんとしても……。絶対……」

 少し怖いのは気のせいだろうか。

「だから、王野さんの家の電話番号を教えてもらってもいいかい? 今夜あたり、ひかるくんにお礼の電話をしたいらしいんだ」

「らしいって……?」

「いや、もちろん私も電話で謝意を伝えたいが、それ以上に、お母様がひかるくんと電話で話したいと言っているんだ」

「そ、そういうことなら……」

 ゆうきは困惑しつつも素直にはじめに電話番号を伝えた。はじめは丁寧に生徒手帳にそれをかき込むと、もう一度ゆうきに頭を下げた。
619 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:02:02.42 ID:sW82/1G70

「……ともあれ、本当に、遅くまで弟君を連れ出して、すまなかった」

「いいって。気にしてないよ。ひかるはしっかりしてるから、少しくらい夜遅くなっても大丈夫だし」

「うむ……。ところで、ひとつ聞きたいんだが」

「? なぁに?」

 はじめが恥ずかしそうに目を伏せる。はじめらしからぬその表情に、ゆうきは首を傾げた。

「……つまらない話なのだが、ひかるくんは、私のことを何か言っていただろうか?」

「はぇ? 騎馬さんのこと?」

 ゆうきは昨晩のことを思い出す。ウバイトーレとなっていたひかるに変化などが見られずほっと安心している晩ご飯のときだ。ひかるは、そう、たしか。

「えっと、“黒くて長い髪がとても綺麗で、凄まじい美人さん”、とか言ってたかな……?」

「……び、美人」

 はじめの頬が紅潮する。その本当にはじめらしからぬ反応に、ゆうきの首がもっと傾く。

「あとは、素直じゃなくて、意地っ張りで、不器用で、口うるさくて、もう少し歳相応に振る舞ったらいいのに……とかも」

「む……」

 一瞬ではじめの頬の紅潮が消える。残されたのは、はじめらしいキリッと引き締まった顔だ。

「……なるほど。ひかるくんには、今度覚えておいてくれ、と伝えてくれるかい?」

「え、ああ、いいけど……」

 と、いうか、だ。

 驚くべきなのか、困惑するべきなのか、分からないけれど。

(騎馬さん、ひかると今後も会うつもりなんだ……)

 小学生の弟相手にご立腹の様子のはじめに、それを聞く勇気が、ゆうきにはなかった。
620 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:02:40.19 ID:sW82/1G70

…………………………

 高等部の体育の授業で体力をゴリゴリと削られ、昼休みももう終わるという段になって、彼はようやく職員室に戻ることができた。今日もお昼ご飯は抜きになるだろう。

「……? 皆井先生、どうかされましたか?」

 そして職員室の戸を開けた瞬間目に飛び込んできたのは、見るからに沈み込む皆井先生の姿だ。

「ああ、郷田先生……」

 皆井先生はゆっくりと振り返った。その顔は見るからに落ち込んでいる。

「いえ、ちょっと、凹んでいるだけなので、お気になさらずに……」

「いや、尋常な落ち込み方ではなさそうですが……」

 あくまで職務を遂行するための言葉だ。同僚がもし悩みを持っているのなら、それを聞いてあげなければ、組織的な行動に支障が出る可能性がある。

「私で良ければ話を聞きますが」

「……うぅ。今はその優しさが胸に痛い」

「……はい?」

 皆井先生は暗い顔のまま。

「いや、あることにショックを受けたのです。そして、それにショックを受けている自分自身が、嫌になっているんです……」

「……よく、わかりませんが、わかりました」

 彼は言った。

「何か悩み事があるのなら聞きますから、無理をなさらずに」

「ありがとうございます……」

 そのとき、職員室の戸が開いて、同僚の松永先生が顔を覗かせた。

「げっ、もうこんな時間か。今日も昼飯食う時間はなさそうだな」

「あら、無計画ね。私はもう食べたわよ?」

 松永先生に続いて職員室に入ってきたのは、やはり同僚の誉田先生だ。

「あんたの長話を聞いてたおかげで、時間がなくなったんだけどな」

「失礼ね。先輩として、後輩に指導をしてあげていたんじゃない」

「昨日ひなカフェに行ってひなぎくさんに新作スイーツの試食をさせてもらった、ってのがOJTのつもりかよ」

 軽快な会話は幼なじみだからこそ成り立つものだろう。松永先生は嫌々という様子だが、誉田先生は間違いなく会話を楽しんでいる。ふと、暗い気配を感じて振り返る。

「…………」

 そこには、暗い目でそんなふたりの同僚を見つめる、皆井先生の姿があった。

「……皆井先生?」

「あっ、いや……」

 松永先生の不思議そうな声に、皆井先生はそう言って机に向き直り、書類整理を始めた。

 一体、皆井先生はどうしたというのだろうか。
621 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:03:12.54 ID:sW82/1G70

…………………………

 六時間目の授業の終了を告げるチャイムが校内に響いた。

 担当の先生に礼をして、その日の授業はおしまいだ。

「……ねぇ、はじめ」

 帰り支度をしていると、横から声がかけられた。隣の席の鈴蘭だ。

「なんだい?」

「……その、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」

「うん?」

 鈴蘭は言いづらそうにうつむいて、かと思えば顔を真っ赤にして上を向いて、また下を向く。

「……なんだい? にらめっこでもしたいのかい?」

「そんなわけないでしょ」

 鈴蘭は恨みがましそうな視線をくれる。そんな目をされても、はじめには鈴蘭の真意は計りようがない。

「言いにくいことなら、無理して言わなくていいと思うよ」

「……べつに、言いにくくはないわよ。ただ、あんたにちょっと、勘違いされたら、嫌だなって思うだけ」

「それは聞いてみないと分からないよ」

 はじめは苦笑いしながら。

「とにかく話してごらんよ。皆井先生がいらしてしまうよ?」

「……ん。その、あのね」

 鈴蘭はぽつりぽつりと話しはじめた。

「はじめは、あたしの友達よね」

「なんだい、いきなり。当然だろう」

 鈴蘭からそんな言葉が飛び出て嬉しいが、周囲には他のクラスメイトもいる。内心の嬉しさを抑えながら、はじめは応えた。
622 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:03:38.97 ID:sW82/1G70

…………………………

「じゃあ、あの、王野さんとか、大埜さんとか、美旗さんは……?」

「へ?」

 鈴蘭から飛び出るとは思わなかった生徒会メンバーの名前だ。はじめは驚きながら、少し考える。

 友達というものについてだ。

「……どうだろう。難しいな。私が勝手に友達と思っていても、向こうはそうは思っていないかもしれないからね」

「はじめは友達だと思ってるの?」

「……たぶん。私は、そうでありたいと思うよ」

 はじめの答えに、鈴蘭はどんな反応も見せなかった。ただ、それきり話は終わりだとばかりに、カバンの整理をし始めた。

「……でも、私は」

「何よ」

 はじめが口を開く。鈴蘭ははじめのほうを見ようともしない。

「でも、私は、鈴蘭がいてくれれば、それでいいけどね」

「なっ……」

 鈴蘭の頬に朱がさした。病的に白い肌は、紅潮するとすぐわかる。

「……あ、あたしは別に、あんたの友達じゃないし」

「さっき確認したばかりじゃないか。友達だよ」

「……ふん」

 鈴蘭の横顔を見つめて、はじめは微笑んだ。

 たとえ何がどうなっても、この子の友達でい続けたいな、なんて考えながら。
623 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:04:21.49 ID:sW82/1G70

………………………………

 どうしてそんなことを聞いてしまったのか、彼女自身にも分からないことだった。

「はじめは、あたしの友達よね」

 そして、続けざまに聞いてしまったことが、もっと不可解なことだった。

「じゃあ、あの、王野さんとか、大埜さんとか、美旗さんは……?」

 まるで己が、はじめに嫉妬しているような問いかけ。

 わけが分からない。どうして自分があんなことを聞いたのか、まるっきり分からないのだ。

「……たぶん。私は、そうでありたいと思うよ」

 そして、はじめの返答を聞いて、なぜかイライラと機嫌を悪くして。

「でも、私は、鈴蘭がいてくれれば、それでいいよ」

 続いて飛び出したはじめの言葉が嬉しいなんて思ってしまって、頬が熱くなって。

 本当の本当に、一体何をやっているのだろう。

 彼女が必死で頬の朱と戦っていると、担任の皆井先生が教室に入ってきた。良い子揃いのダイアナ学園では、担任の先生が入ってきた瞬間に全員が着席し、口を閉じる。隣のはじめもまた、ピシリと姿勢を正した。

「……特に、連絡事項はないです。皆さんから何かありますか?」

 いやに低く暗い声だった。最初、彼女はそれがいつも元気が空回り気味の担任の声とは思えなくて、顔を上げた。どう見ても前に立っているのは皆井先生だ。しかし、いつもは快活で爽やかな笑みを浮かべている皆井先生が、なぜか暗い顔をしている。彼女だけではない。周囲のクラスメイトも皆、驚いた顔で皆井先生を見つめている。

「……あの、先生」

 はじめが手を挙げた。

「はい、騎馬さん。どうしましたか?」

「あの、失礼かもしれませんが、お聞きします。先生、体調でも悪いのでしょうか? 顔色が優れないようですが……」

 皆の疑問を代弁するように、はじめが言う。

「……ああ、ごめんなさい。気にしないでください。何でもありませんから」

「は、はぁ……」

 当の皆井先生にそう言われてしまえばそこまでだ。はじめは着席し、その他に生徒からは何もなく、終礼をして、HRもつつがなく終わった。皆井先生は暗い顔をしたまま、暗いオーラを携えて、教室を後にした。その間、口を開く生徒はいなかったが、皆井先生が去った直後、教室にざわめきが走った。

「ど、どうしたのかな、浩二先生」

 皆井先生は、女子生徒から黄色い歓声を浴びることはないが、親しみを込めて浩二先生と下の名前で呼ぶ生徒はいる。
624 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:04:47.48 ID:sW82/1G70

「今までどんなときでも笑顔だった浩二先生が、あんなお暗い顔をされるなんて……」

「きっと何かあったのよ」

「でも、会長がお聞きになっても何も答えてくれなかったわ」

「どうしたらいいかしら」

 いつの間にやら、教室中の生徒がはじめの席を中心に集まりつつある。少し様子がおかしかっただけで、担任の先生の心配をしているのだ。彼女には信じられないことだが、どの生徒も本気で皆井先生のことを心配しているようだ。

 はじめの席を囲むわけだから、自然、その隣の彼女の席も巻き込まれることになる。クラスメイトたちに囲まれ、出るに出られない状態だ。

「会長。どうしたらいいかしら」

「……うーむ。先生は社会人で、大人でいらっしゃる。私たち中学生には及びもつかないような悩みがあるのかもしれない。だから、心配もするし不安だろうが、皆にできることは少ないとは思う」

 不安そうなクラスメイトたちに、はじめは諭すように言う。その口調は、普段彼女と喋るときとは打って変わり、頼れる生徒会長然としている。

「私たちにできることは、できるだけ先生の負担にならないよう、普段通りの学校生活を送ることだと思う。そうすればきっと皆井先生もすぐに、元の皆井先生に戻ってくださるよ」

 ぱぁぁ、と光明を得たかのように、クラスメイトたちの顔が明るくなる。はじめの言葉は、それだけクラスに影響力をもたらすのだ。

「……でも、私、浩二先生のために何かしてあげたいです」

 生徒のひとりが言う。ショートカットにリボンが可愛らしい彼女は、今にも泣き出しそうな顔だ。

「ふふ。リエさんは浩二先生のことが大好きですものね」

「やっ、やめてください。恥ずかしいです……」

 あの空回りしてばかりの担任のどこがいいのか、彼女には分からない。。リエさんと呼ばれた生徒は、顔を真っ赤にしてうつむている。

「そうだなぁ……」

 はじめがうんうんと唸る。

「学校に迷惑がかからなくて、なおかつ先生にも迷惑がかからないものなら……」

 はじめが何かを思いついたように手を叩いた。

「寄せ書きをする、というのはどうだろうか」

「寄せ書き?」

 リエさんが聞き返す。はじめは頷いて続けた。

「色紙一枚なら100円もしない。皆で5円玉一枚ずつくらいお金を出せば買えるだろう。そこに、皆の想いを素直に書くんだ。もちろん、お金が絡むことだから、賛同してくれるひとだけになるが……」

 返事は聞くまでもないようだった。クラスメイトたちは一様に名案だとはじめを褒めそやしだしたのだ。

「名案ですわ、会長」

「さすがダイアナ学園中等部の生徒会長ね!」

「はじめさんってやっぱりすごいわ」

 口々に褒める言葉に、はじめが笑みで応えながら言う。

「よし、では、私は今日の帰りに色紙を買うよ。この趣旨に賛同してくれる人は、明日の朝、早くに学校に来てくれ。みんな、書く内容を考えておいてほしい」

 クラスメイトたちは元気よく返事をして、その臨時集会はお開きとなった。
625 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:05:22.28 ID:sW82/1G70

「……ふん。なんか、ばかみたいね」

 誰にも聞こえない声で、彼女は言った。もしもその声を誰かが聞いていたら、きっとこう思っただろう。

 素直になればいいのに、と。

 それくらい、彼女は自身では気づかなかったけれど、とても温かい声色だったのだ。

「リエさん、元気を出して。明日、浩二先生を励まして差し上げましょう」

「……はい!」

 リエさんは頬を赤くして、笑顔で頷いた。

「……いやあ、私たちの担任は愛されているねえ」

「ふんだ。あたしのしったことじゃないけどね」

 はじめのヒソヒソ声にそう返す。

「じゃあ、鈴蘭、行こうか」

「? 行くって、どこによ」

「当然、商店街に色紙を買いに、さ。付き合ってくれるだろう?」

「は、はぁ? なんであたしがそんな……」

「あら、後藤さんも行ってくださるの? ありがとうございます」

 ふたりの会話が聞こえたのだろう。お上品そうなクラスメイトがそう言った。

「おふたりには手間をかけますが、よろしくお願いします」

「……しっ、仕方ないわね」

 そのときだった。



 ――ぞわ、と。

 

 背筋が泡立つような感覚を憶えた。

「……ッ!?」

「……? どうかされました、後藤さん?」

「あ……な、なんでもないわ」

 それはとてつもない闇の発露だ。その闇の波動が、彼女の背筋を凍らせたのだ。

 こんなとてつもない闇を持っている者など、彼女の知る限りひとりしかいない。

(どうして学園内で、あの方が現れるの……!?)

 彼女はカバンを持つと、はじめに言った。

「……ごめん。今日は、約束があるの。だから、買い物、付き合えないわ」

「えっ……? あ、そうだったのか。そうとは知らず、勝手に盛り上がってしまった。すまない」

「……いいわよ」

 彼女はそれきり、誰も振り返らず、教室を後にした。
626 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:05:49.12 ID:sW82/1G70

…………………………

「後藤さん、色紙書いてくださるかしら……」

「何か気を悪くするようなことを言ってしまったかしら」

「……大丈夫だよ」

 クラスメイトたちの不安げな声に、はじめは断言するようにいった。

「鈴蘭も明日の朝、ちゃんと寄せ書きを書いてくれるさ」
627 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:06:16.42 ID:sW82/1G70

………………………………

 HRが終わり、皆井先生は心の底まで落ち込んでいた。

「……生徒に沈んだ顔を見せてしまった」

 少なくとも皆井先生は、生徒に対して自分の個人的な事を押しつけるつもりはない。そんなことしたくもない。

 そして今まで、できるだけそういったことをしないようにしてきたつもりだ。

 だというのに、今日は生徒相手にひどく落ち込んだ様を見せてしまった。

 それは、学校の先生としてしてはならないことだと、皆井先生は考えている。

 その、してはならないこと、をしてしまったことが、皆井先生の心を強く苛んだ。

「まったく、不甲斐ない。私事と仕事をごっちゃにしてしまった」

 廊下をとぼとぼと歩くが、その姿を他の生徒に見られるのもいけないことだ。皆井先生は息を吐いて、背筋を伸ばす。

 自分にできることは、過ぎてしまったことを引きずらず、今をきちんとすることだけだ。

 とはいえ、だ。

「……はぁ。へこむものはへこむよなぁ」

「あら、何か悩み事ですか?」

「あ……ひなぎくさん」

 かけられた声は涼やかで、透き通っている。少し前まで誰もいないと思っていた廊下の先に、笑顔のひなぎくさんがたたずんでいた。簡素なエプロン姿だが、上品な気配は隠しきれていない。親しみやすいが、とてつもない美人だ。普段の皆井先生なら、ここでお世辞のひとつでも言ってその場を白けさせていただろうが、今はそんな気分にはならない。

「いや、ちょっと……。色々ありまして」

「身近な人には逆に話しづらいこと、ありますよね」

 ひなぎくさんは微笑んで、手招きした。

「購買でお茶でもいれますよ。私で良ければ、話してみませんか?」

「……じゃあ、少しだけ、お言葉に甘えます」

 せっかくの申し出だ。皆井先生はひなぎくさんに誘われるまま、彼女についていった。
628 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:06:43.71 ID:sW82/1G70

…………………………

 闇の戦士ゴーダーツは、久々にホーピッシュの大地を踏んだ。そこはダイアナ学園の裏庭だ。

「……あの方の闇の波動はこのあたりで感じたが」

 プリキュアやその他の学校関係者に、いまの姿で見つかるわけにはいかない。良くて不審者、最悪妖怪や都市伝説の類いにされてしまうかもしれない。

 放課後に現れる漆黒の巨漢、なんて学校の七不思議になってしまったら、本当に目も当てられない。

「やっぱりあんたも来たのね」

「……ゴドーか」

 ガサガサと草を踏み分けながら、同志である闇の戦士ゴドーが現れる。

「あれほどの闇の発露。今すぐ来いと言っているようなものだったからね」

 そして木の上には先客がいた。暇そうに太い枝に腰かけるのは、もうひとりの同志、闇の戦士ダッシューだ。

「いや、しかし、このホーピッシュで君たちとこんな形で顔を合わせることになるとは思わなかったね。まったく、あのお方は何をお考えなのか」

「お前はデザイア様のお考えに文句をつけることしか知らんのか」

「盲目に付き従うよりはいいと思うけどね」

「……何だと?」

「やめなさいよ、くだらないわね。あたしだって予定があったのに行けなくなって、気が立ってるんだから」

 三人は押し黙り、それきりその不毛な会話をやめにした。

 そしてその場に、彼らを呼び寄せた人物が現れた。

「よく来てくれた、ゴーダーツ、ダッシュー、ゴドー」

 その漆黒の出で立ちは、まるでホーピッシュに穴が空いたような印象を与える。それはあながち間違いではないだろう。

 アンリミテッド最強の騎士、暗黒騎士デザイア。

 それは、ホーピッシュに巨大な穴を穿ち、闇に染め上げようとしている彼らの最高司令官だ。

「今日は貴様たちに、新たな力を授けようと思う」

「新たな力?」

 ダッシューが木の上から降りて、問う。

「それは一体……」

「今から見せてやろう」

 デザイアが腕を振るう。闇がその場を覆う。一瞬にして、ホーピッシュからアンリミテッドへ位相をずらしたのだ。

 そしてそこに現れたのは、座って寝息を立てる――、

「――――ッ……!? 皆井先生!?」

 ゴドー動揺するような声を出す。デザイアが仮面の顔をもたげ、問うた。

「どうかしたか、ゴドー」

「い、いえ。なんでもありません」

 ゴドーは何かを飲み込むように、そう言った。
629 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:07:09.85 ID:sW82/1G70

「……この男をどうするおつもりですか?」

 次いで、ゴーダーツがデザイアに問う。

「すぐにわかる」

 デザイアが皆井先生に腕をかざす。

「見えるか? この男の欲望が。この男の胸の中にある、悲哀、憎悪、そして、欲望が」

 言葉とともに、それが明確なビジョンとして三人の脳裏に再生される。





 想いを寄せる女性がいた。

 しかし、その女性には、他に好意を寄せる男性がいた。

 そのふたりは、己から見てもお似合いで、自分にはどうすることもできない。

 その気持ちを押し込めて、押し込めて、我慢する。

 同僚が羨ましい。想いを寄せる女性が、好意を寄せる男だ。

 羨ましい。

 けれど、彼が自分にないものをたくさん持っていることも知っている。

 そしてそんな彼に惹かれる彼女の気持ちも分かる。

 自分のように、生徒からは気軽に名前で呼ばれ、慕われているのか舐められているのか分からないような立場にいるような教員よりは、よっぽど。

 彼のように、校長や理事長からも信頼され、色々な仕事を任される男の方が魅力的なのも分かる。

 彼のようになりたい。

 けれど、自分には無理だとわかる。

 苦しい。

 つらい。

 憎らしい。

 そんな人間になりたい。

 願わくは、彼女の好意を勝ち取りたい。





「この欲望を解き放つ。それが、“ウバイトーレ”を生み出す方法だ」

 いつの間にか、皆井先生の心の中に入り込んでいたようだった。デザイアの言葉で我に返る。
630 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:07:41.22 ID:sW82/1G70

「ウバイトーレ……?」

「そうだ。ウバイトールは人間が物に込めた欲望を解放することによって誕生する。しかし、ウバイトーレは人間の欲望そのものを解放する。その強さは、ウバイトールの比ではない」

「……ウバイトーレにされた人間は、どうなるのですか?」

 ゴドーが問う。本人は隠しているつもりだが、どうしても倒れる皆井先生に目を向けてしまう。

「それを知ってどうするというのだ?」

「…………」

 ゴドーは黙したまま、デザイアの仮面を見つめた。ゴーダーツは、無言のまま視線を交わす司令官と同志の間に入る。

「……単純な疑問でしょう。そうだな、ゴドー」

「……ええ。そうよ」

「そうか」

 デザイアが再び口を開いた。

「どうなるも何もない。いずれはこの世界も闇に墜ち、我々アンリミテッドの領域に完全に墜ちる。そのとき、すべての人間は欲望に取り込まれる運命だ」

 デザイアはそのまま続ける。

「まぁ、もしもウバイトーレとされた人間を取り戻したいなどと考えるのなら、」

「っ……」

「……プリキュアたちに、浄化させればいい。そうすれば、ウバイトーレは元の人間に戻る」

「……そんなこと、思ってはいないです」

「そうか」

 会話は終わった。デザイアは再び皆井先生に手をかざす。そして、皆井先生の心に巣くう欲望に向かい、言った。



「その欲望、自分自身で購うのだな」



 闇が爆発的に広がっていく。デザイアの身体から放たれたその闇は、皆井先生に取り付き、その心の中にある欲望を無尽蔵に広げていく。闇が胎動し、産声を上げる。


『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』


「これがウバイトーレだ。生み出し方はわかったな?」

 三人が頷いたのを見て、デザイアも満足げに頷いた。

「さぁ、そろそろプリキュアどもがやってくる。我々は、ウバイトーレとプリキュアの戦いを眺めるとしようではないか」

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 ウバイトーレは雄叫びをあげながら、進軍を始めた。

「……皆井先生」

 デザイア、ゴーダーツ、ダッシューがその後に続く。しかし、ゴドーだけは、ウバイトーレの近くに浮遊する、闇の牢獄に囚われた皆井先生を見つめる。

「……関係ない。あたしには、関係ない」

 まるで自分に言い聞かせるようにそう言って、ゴドーもまた、ウバイトーレを追いかけた。
631 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:08:23.50 ID:sW82/1G70

………………………………

「この気配は、昨日の怪物と同じ気配グリ……」

 ブレイが震えながら言うとおり、そこはすでにアンリミテッドのモノクロの世界に墜ちていた。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 闇の瘴気が発生する中庭で、三人は昨日のウバイトーレと似た怪物を発見した。そのウバイトーレは、スーツを身につけているようだった。しっかりとネクタイをしめ、教科書とチョークを持っている。背中に提げているのは指し棒だろうか。

「あっ! あれ!」

 ゆうきが指をさす。ウバイトーレのすぐ近くに、昨日ひかるが囚われていた闇の牢獄と同じものがある。そこに囚われているのは、隣のクラスの担任、皆井先生だ。

「皆井先生……!」

「この学校の教員か。なるほど。大した欲望を持っていたぞ」

 巨大なウバイトーレの足下から現れる陰。それは凄まじいまでの圧力を放つ、アンリミテッドの最高司令官――、

「――デザイア……!」

「皆井先生は、少し口下手で空回りも多いけど、しっかりとした熱意あふれる先生よ!」

「先生を解放しなさい!」

 三人の言葉に、デザイアはにべもなく答える。

「昨日告げた通りだ。この男をとりもどしたければ、ウバイトーレを浄化するのだな。昨日のウバイトーレとは比べものにならない、本物の欲望を宿すこのウバイトーレを、」

 そして、仮面の奥で、笑った。

「……浄化できるものなら、浄化してみるがいい」

「昨日やれたんだもの! やってやるわよ!」

 三人はロイヤルブレスを掲げる。それは、その闇の世界にあって、なお一層光り輝いているようだった。

 妖精たちから放たれた紋章を受け取り、ゆうき、めぐみ、あきらは伝説の戦士の宣誓を叫ぶ。



「「「プリキュア・エンブレムロード!」」」



 旋風と光が吹き荒れたそれは闇の瘴気に包まれた中庭を鋭く照らし出す。薄紅色と空色と真紅の光が吹き荒れ、その場を制圧する。それは、ロイヤリティの誇りの光。勇気・優しさ・情熱の発露そのものだ。そして、高貴な光が埋め尽くしたその場に、三人の伝説の戦士が降り立った。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」



 世界が闇に飲まれ、欲望に囚われた使途たちが毒牙を伸ばすとき、現れるとされる伝説の戦士。

 その名は――、



「「「ファーストプリキュア!」」」



 三人が変身するのを見届けて、どこか満足したように、デザイアは闇に溶けて消えた。
632 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:08:50.22 ID:sW82/1G70

…………………………

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 ウバイトーレが右手を振りかぶる。それを振り抜いた瞬間、そこに握られるチョークが、まるで小さなミサイルのようにプリキュアたちめがけて放たれる。三人は飛び上がり、散開して回避する。

「昨日みたいに浄化して、皆井先生を救い出すんだから!」

 キュアグリフはウバイトーレに真正面から飛び込んだ。巨大なウバイトーレの胸元めがけて跳び蹴りを放つも、ウバイトーレが左手に持つ教科書で叩かれる。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「きゃっ……!」

 巨大な教科書による殴打は、いともたやすくグリフを弾き飛ばす。

「わたしの炎なら……!」

 左方からキュアドラゴがウバイトーレに接近する。情熱の炎を燃やして戦う、最高の攻撃力を持つプリキュアは、すでに両手に炎を宿していた。ドラゴに対しても教科書で応戦しようとするウバイトーレに対し、ドラゴは拳を振りかぶり、教科書めがけて拳を放った。

『ウバッ……!? ウバァアアアアア!!』

 教科書がドラゴの炎に飲まれ、燃え上がる。たまらず、ウバイトーレがその教科書を取り落とす。

「ユニコ!」

「ええ!」

 続けて、キュアユニコが右方からウバイトーレに接近する。その手にためた空色の光を、ウバイトーレの前で展開する。

「優しさの光よ、この手に集え!」

 集約した光がカタチを成す。それは伝説の神獣、ユニコーンを模した剣だ。

「カルテナ・ユニコ−ン!」

 ユニコはその剣を振るい、ウバイトーレに肉薄する。

 ギィン! と、凄まじい金属音が鳴り響いた。ウバイトーレは背中から抜いた指し棒で、ユニコのカルテナを受け止めたのだ。

「ッ……。指し棒なんかで、私のカルテナを受けたって言うの!」

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 まるで剣のように指し棒を構えたウバイトーレが、ユニコに向かい指し棒を振るう。圧倒的な上背の差が、如実に戦力差として表われる。ウバイトーレは巨人のようなものだ。その巨人に対し、ユニコはあまりにも小さい。

「ユニコ!」

 グリフが横からウバイトーレに飛び込む。しかしウバイトーレはその動きすら見切っていた。ユニコに向け上段から指し棒を打ち下ろすと、そのまま斬り上げるようにグリフに向け指し棒を振ったのだ。ユニコはあまりの衝撃に膝をつき、グリフは指し棒を下から叩きつけられた。

 しかし、グリフはそれだけでは終わらなかった。

『ウバッ……!?』

「ふん、だ……つかんじゃえば、こっちのもんだもんね」

 グリフは指し棒の先端を両手を使って掴んでいた。そのまま着地し、指し棒を引き抜こうとするウバイトーレに負けないよう、力一杯指し棒を引く。
633 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:09:17.05 ID:sW82/1G70

「情熱の炎を燃やす。正確に。燃やす物を見極めて! 行って、ドラゴネイト!」

 ドラゴの拳から炎が放たれる。その炎は、まっすぐ指し棒に向かう。すわグリフも巻き込むかと思われたその炎はしかし、グリフにキズ一つつけることはない。情熱の国に伝わる伝説の中の伝説、最秘奥とされる“ドラゴネイト”は、その正確無比な特性によって、光強い存在を傷つけることはない。そしてその炎は、ダッシューの持つのこぎりやはさみすら一瞬で燃やし尽くすほどの出力だ。ウバイトーレの指し棒など、ひとたまりもない――、

「……えっ!?」

「うそ……!」

 ――はずだった。

『ウバッ……ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 指し棒は燃え上がった。しかし、その外側だけが剥がれ落ちる。指し棒だと思っていたものに隠されたソレが、プリキュアたちの目の前に現れる。それは、細長い剣だ。

「剣……?」

「あれはフルーレだよ」

 グリフの不思議そうな声に、ドラゴが応える。

「あのウバイトーレ、指し棒の中にあんなものを隠してるなんてね」

「あ、そういえば、皆井先生ってたしか、フェンシング部の顧問だよね……」

 納得する。昨日のウバイトーレはサッカーボールのようなものを持っていた。ひかるはサッカーが好きだ。つまり、ウバイトーレは元の人間の特性や好みを反映する姿になるようだ。

「……ちょうどいいわ」

 ゆらりと、立ち上がる影があった。それは、空色の優しさのプリキュア、キュアユニコだ。

「ユニコ、大丈夫?」

「大丈夫よ。相手も剣を持っているのね。そして、皆井先生のフェンシングの技術を持っているっていうわけね」

「えっ……?」

 大丈夫、などと聞くだけ野暮だったかもしれない。ユニコの目は闘志に燃えていた。それこそ、少年漫画の主人公のように、メラメラと。

「郷田先生との毎朝の特訓の成果を見せるときだわ。ゴーダーツとデザイアの代わりの、仮想敵にちょうどいいわ。ふたりとも、悪いけど手出しは無用よ。私は自分の剣技がどこまで通用するか確認したいの」

 ユニコはカルテナを構える。それは、郷田先生に毎朝一時間ほど習っている、剣道の型だ。目を閉じ、呼吸をするユニコは、大真面目にウバイトーレと決闘をするつもりのようだ。

「……あー」

「ああなっちゃったら、ユニコは止まらないよね」

「本当に、少年漫画みたいなんだもん……」

 グリフとドラゴが目を見合わせ、苦笑する。驚異的な力を持つウバイトーレを相手に苦戦しているはずなのに、どうにかなると思えてくるから不思議だ。

「……アアアアアアアアアアアアアア!!」

 カッ、と目を見開いたユニコが吼えた。そして、まっすぐに跳ぶ。巨大な相手を物ともせず、“守り抜く優しさの光”で足場を作り、まるで階段を駆け上るように、一気にウバイトーレの顔に肉薄する。

『ウバッ……!?』
634 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:09:43.68 ID:sW82/1G70

 そのユニコの三次元的な移動に、ウバイトーレは対応しきれないようだった。慌てて目の前にかざしたフルーレで防御をしようとする。

「そんな中途半端な防御で、何ができるのよ!」

 ユニコはそのまま、カルテナをフルーレに叩きつけた。

「………………」

『………………』

 交錯し、ウバイトーレの背後に、ユニコは着地した。グリフとドラゴが固唾を呑んで見守る中、一拍遅れて、カラン、と乾いた音が響いた。両断されたフルーレが地に落ちた音だ。

『ウバッ……!? ウバァアアア!?』

「……つまらないものを斬ってしまったわ」

 一体あの学業優秀スポーツ万能な生徒会副会長は、どこを目指しているのだろうか。一瞬グリフとドラゴの頭に不安がよぎるが、それはそれとして、だ。

『ウバ……! ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「あっ……! ゆ、ユニコ!」

 ウバイトーレが逆上したように、後ろを振り返りユニコに両手を伸ばす。しかし、慌てたグリフとドラゴが動くより早く、ユニコは振り返った。その顔は、歓喜に満ちていた。

 己の剣が通用したことが、心の底から嬉しいのだろう。

「角ある純白の駿馬、ユニコーンよ! プリキュアに力を!」

 空色の光がその場を埋め尽くさんばかりに広がり、カルテナに集約される。

『ウバッ……!?』

 ウバイトーレが己の危機に気づくが、もう遅い。ユニコは空色の光をこれでもかとため込んだカルテナを、すでに構えていた。



「プリキュア・ユニコーンアサルト!!」



 それは、初めてカルテナを手にしたとき、ゴーダーツに放ったのと同じ、零距離で敵を穿つアサルトだ。回避不能のその一角獣の突撃に、ウバイトーレの腹に大きな穴が穿たれる。しかし。

『ウバッ……ウバッ……』

 ウバイトーレは倒れない。ウバイトールであれば、それで浄化されて終わりだっただろう。ウバイトーレは、ユニコの凄まじい剣戟をもってしても、浄化しきることができなかったのだ。
635 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:10:28.26 ID:sW82/1G70

「……大丈夫だよ。あとはわたしに任せて」

 前に出たのはキュアドラゴだ。よろよろとよろけるウバイトーレに向かい、精神を集中する。心の中から湧き上がる情熱の炎を、まっすぐに、相手に届かせるように。

「……わたし、皆井先生の不器用なところ、好きですよ」

 ぽつぽつと、ドラゴは口を開く。

「少しゆうきと似てるし、めぐみとも似てる気がするんです。空回りしちゃうところとか、口下手なところとか」

 自然と笑みが洩れる。心の中が、皆井先生を救い出したいという気持ちでいっぱいになる。その情熱により生み出される炎は、苛烈だが、優しく、美しい。

「だから、戻ってきて欲しい。先生のそういうところが好きな生徒、他にもたくさんいると思うから」

 だから、と。ドラゴは胸の内の情熱を解放した。

「情熱の光よ、この手に集え」

 心静かに。けれど、心を燃やして。静かな中に宿る、高尚な情熱を、纏わせるように。

「カルテナ・ドラゴン」

 苛烈な力を持つ情熱の剣が炎の中から現れる。

「天翔る烈火の飛竜、ドラゴンよ。プリキュアに力を」

 紅蓮の炎を付き従え、まるで天高く空を駆けるドラゴンのように、ドラゴは跳んだ。



「プリキュア・ドラゴンストライク」



 放たれた必殺の炎弾は、ウバイトーレに直撃した。プリキュアたちの浄化の力を二回連続で浴びたウバイトーレはしかし、それでもまだ立ち上がる。

『ウバッ……アアアアア……』

「うそでしょ……」

 ドラゴは間違いなく、ドラゴネイトを使い、現時点で放てる最強の炎を放ったのだ。それでもまだ立ち上がるウバイトーレは、一体どれほどの力を持っているのだろう。デザイアの言った、昨日のウバイトーレの比ではないという言葉は、ウソでも何でもなかったのだ。

 腹に穴を空けながら、身体を燃え上がらせながら、それでもなお、ウバイトーレは立ち上がる。



『……なり、たい……』



「えっ……」

 ウバイトーレから、人間の声のようなものが聞こえた。けれどそれは、ウバイトーレから放たれたことばではなかった。ウバイトーレの横に浮遊する、牢獄に囚われた皆井先生から放たれた言葉だった。それはきっと、ウバイトーレを介して流れ込んでくる、皆井先生の心そのものなのだろう。
636 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:10:55.28 ID:sW82/1G70

『なりたい……私も……松永先生のような、立派な先生に……郷田先生のような、強い先生に……。私は……弱いから……』

「っ……」

『誉田先生に、相応しい、男になりたい……』

 グリフにとって、その大人が見せる弱気な姿は、とても珍しいもので、衝撃的だった。大人とは皆強くて、心にしっかりとした志を持っていて、子どもである自分たちには及びもつかないような、すごい生き方をしているのだろうと思っていたからだ。

 大人はきっと、自分たちとは違う。完成された存在なのだと、心のどこかで思っていたからだ。

「……そっか。先生も、そういう弱いところがあるんだね」

 だからグリフは、胸に手を当てて、その既存の考えを上書きする。

「そうだよね。私だって、あと何年かしたら大人になるんだもん。そのときに、何もかも完ぺきで、自分に満足することなんて、きっとできないよね。先生たちだって、悩んで、考えて、苦しんで、生きているんだよね」

 頭のいいユニコやドラゴは、きっとそんなこと百も承知だったのだろう。だから、ウバイトーレと対話するように、自分の気持ちを技に乗せて打つことができたのだ。

「……わたし、子どもだから、先生が何に悩んでるかわからないけど、皆井先生にもいいところ、たくさんあると思いますよ」

 だから、グリフも、ウバイトーレに、皆井先生に、語りかけるように言葉をつむいだ。

「さっきドラゴも言ってたけど、皆井先生の時々空回りしちゃうところとか、すごく親近感が湧くし、口下手なところも、めぐみみたいでかわいいと思うし……」

 ジロッ、と。ユニコの鋭い視線が飛ぶ。視線で謝りながら、グリフは続けた。

「……誰かに憧れて、近づきたいっていうのは、きっと素晴らしいことだと思います。でも、皆井先生は他の誰にもなれないですよ。なっちゃいけないんです。だってわたし、皆井先生がいなくなったら、寂しいです」

 炎に巻かれて苦しんでいたウバイトーレの動きが止まった。グリフの言葉が、皆井先生の欲望に支配された心に、届いたのだ。

「だから、戻ってきてください。ううん。わたしが連れ戻します。このキュアグリフが、先生の心を解放してみせます」

 グリフは薄紅色の光を纏う。

「勇気の光よ、この手に集え! カルテナ・グリフィン!」

 その光が集約される右手に現れるのは伝説の剣、グリフィンを模したカルテナ・グリフィンだ。

「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を!」

 薄紅色の光が翼のように広がり、駆けだしたグリフに追随する。光を付き従えた伝説の戦士は、本物のグリフィンの如く、駆ける。まっすぐ、欲望に落ちた怪物へと。



「プリキュア・グリフィンスラッシュ!」



 ウバイトーレと交錯する刹那、神速の斬撃が放たれた様を視認できたものはいない。交錯の直後、血を払うかのように、グリフが剣を振る。

『ウバッ……ウバアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 その瞬間、ウバイトーレは両断され、今度こそ宙に溶けて消えた。黒々とした欲望は、少しだけ皆井先生の元に向かい、その胸元にとけ込んだ。皆井先生は牢獄から解放され、その場に倒れた。
637 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:11:22.82 ID:sW82/1G70

「……っ」

 ふらりと、身体中の力が抜ける気がして、グリフは膝をついた。周囲を見渡せば、ユニコとドラゴもまた、ひざまずいて、肩で息をしていた。全員が全力で必殺技を放ち、ようやくウバイトーレ一体を浄化することができたのだ。

 もしも、この場にもう一体ウバイトーレが現れたら。

 いや、今、自分たちが弱っているこの瞬間に、アンリミテッドの幹部が現れたら――、



「――三人しかいない現状で、よくあのウバイトーレを退けられたものだ」



「ッ……!」

「デザイア!」

 恐れていた事態が、最悪のカタチを伴ってやってきた。消えたと思われたデザイアが、はるか頭上、校舎の屋上からプリキュアたちを見下ろしていた。そして、その傍に控えるのは、ゴーダーツ、ダッシュー、ゴドーの三幹部だ。

 いま、この消耗しきった状態で、デザイアを含めたアンリミテッドの幹部と戦う余裕はない。疲れ果てた身体は、立ち上がることはおろか、カルテナを握ることすら難しいほどに消耗している。

「ふっ……。なんともまぁ、絶望に暮れるような顔をしているな。安心しろ。いま、我々は貴様らと戦う気はない」

 デザイアが言う。その言葉に反応したのは、ダッシューだ。

「なぜです? いまこの場でプリキュアを倒してしまえば、すべて終わることでしょう?」

「ダッシュー!」

 ゴーダーツのたしなめるような声が飛ぶ。しかし、ダッシューは構わず続けた。

「デザイア様の生み出したウバイトーレが弱らせたのでしょう? なら、今ここでデザイア様があの三人と妖精から紋章とブレスを奪い取れば、それで済む話ではありませんか」

「……なるほど。貴様の言い分ももっともだ」

 デザイアが納得するように言う。

「しかし、“私はそうしたいとは思わない”。それだけだ」

「なっ……」

 デザイアの言葉は、どこまでも淡泊だった。滅多なことでは感情を見せないダッシューが顔を歪め、腰につけたはさみに手を伸ばした。

「……やめておけ。我々で敵うお方ではないとわかっているはずだ」

「っ……」

 その手をゴーダーツに掴まれて、ダッシューは平静さを取り戻したようだった。ゴーダーツの手を振り払い、そっぽを向いた。
638 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:11:50.24 ID:sW82/1G70

「……と、いうことだ。しかし安心するなよ、プリキュア諸君」

 デザイアははるか頭上からプリキュアたちに言う。

「三幹部もウバイトーレの生み出し方を知った。今後は、ウバイトーレとの戦いが続くと思うのだな」

 デザイアは仮面の奥で笑う。

「三人のまま戦い続ければ、いずれ貴様らは消耗して敗北する。三人のままでは、ウバイトーレには絶対に対抗しきれぬよ」

「っ……」

 プリキュアたちは、その言葉に何も返すことができなかった。現状、プリキュアは誰一人、立ち上がることすらできないのだから。

「せいぜい、ウバイトーレとなるに足るだけの欲望を持つ者が現れぬことを祈るのだな」

 デザイアはそう言い残すと、マントを翻し、宙に消えた。それに追随するように、ゴーダーツとゴドーも消える。そして、残されたダッシューがプリキュアを見下ろした。

「……命拾いしたね、プリキュア。しかし、これまでと同じだと思わない方がいい」

 顔は普段通り、貼り付けたような不自然な笑みだ。けれど、声は今までにないくらいに冷たい。

「君たちがロイヤリティに与する限り、ぼくらアンリミテッドは君たちを絶対に許さない」

 そう言い残すと、ダッシューもまた宙に溶けて消えた。

「……皆井先生を取り戻すことはできたけど、」

「課題ばかりが残る戦いだったわね」

「愛のプリキュア……。一体どこにいるんだろう……」

 辛勝を得たプリキュアたちだが、その心は、不安に占拠されていた。
639 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:12:16.49 ID:sW82/1G70

…………………………

「よかった……」

 彼女は、誰にも聞こえない声で、そう呟いた。

「皆井先生が無事で、よかった……」
640 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:12:43.95 ID:sW82/1G70

…………………………

 朝の職員室は戦場だ。生徒の欠席連絡や教員からの服務事項の連絡で、電話線がパンクする勢いだ。そしてそんな朝の電話を取るのは、若手教諭の仕事だ。このダイアナ学園に若輩の教諭に電話番をやらせるような文化はないが、若手たちは年配の先生方に電話を取らせる気まずさを厭って、自ら率先して電話に手を伸ばす。

「……はぁ。今日電話取るの何件目だよ。つか、今日誰かいないな?」

 いつもより電話を取る回数が多くて、勤務時間前の雑務が終わらない。松永先生は通話を終えて受話器を置くと、周囲を見回す。郷田先生、誉田先生は受話器相手に何事か会話をしている。その近くにいるはずの、皆井先生が見当たらない。と、

「……おはようございます、松永先生」

「ああ、皆井先生、おはようございます……って、どうしたんですか? すごい隈ですね」

「ああ……。昨日、全然寝られなくてね……」

「また悩み事ですか?」

 皆井先生は自席に着くと、首を振った。

「いや、夢を見ていた……。嫌な夢だったな。自分が怪物になり、女の子たちに腹に穴を空けられ、燃やされ、両断された」

「……すげえ夢っすね」

「元は昨日の昼に見た白昼夢なのだけどね。夜にまったく同じ夢を見たんだ……」

 そう言う皆井先生は、今にも倒れそうな様子で雑務を始めた。と、電話のベルが鳴る。慌てて受話器を取ろうとすると、皆井先生が先に受話器を取った。

「……遅れてきたのだから、少しくらいやらせてください」

 受話器をふさいで、皆井先生は小声でそう言った。そのまま、耳に当てた。

「おはようございます。ダイアナ学園です」

 そんな皆井先生を見て、松永先生は決して本人に聞こえないように、小さく呟いた。

「……そういうところがあるから、すごいと思うんだよな。この人」

 直接言ったらすぐ調子に乗るから、絶対に本人には言わないけれど、それはまぎれもなく松永先生の本心だ。

 何か落ち込むようなことがあっても、夢見が悪くて眠れていなくても、それでも自分にできることを一生懸命やろうとする。

 そんなところが、松永先生が見習いたいと思う、皆井先生のいいところなのだ。
641 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:13:10.48 ID:sW82/1G70

…………………………

 朝の学年の打ち合わせが終わり、皆井先生はHRに向かっていた。

 昨日は本当にほぼ一睡もできていないのだ。

 その上、昨日のショックがまだ残っている。

 松永先生と誉田先生がどういう関係なのか、問いただす勇気もなくて、聞けてはいない。

 たとえ、「ただの幼なじみ」という返答が返ってきたって、きっとふたりの気持ちはそれだけではないだろう。

 ならば、皆井先生に割り込む余地などないのだ。

「……それでも、好きでいさせてもらうくらいは、いいだろうか」

 呟いてから、いつの間にか2年B組の前まで来ていることに気がついた。皆井先生は両手でぱしんと頬を叩く。昨日の反省を生かさねばならない。生徒の前で、気落ちした姿を見せるのは、教員としてあるまじき姿だ。

「私のことなど生徒にとってはどうでもいいことだ」

 そう。生徒にとって、教員は信頼できる大人でなければならない。それは、少なくとも、皆井先生にとっては、絶対のことだ。

 生徒を不安がらせたり、ましてや生徒に心配されるようなことはあってはならない。だから、皆井先生はできるだけ普段通りの笑みを浮かべて、努めて明るく教室の戸を開けた。

「みんな、おはよう!」

『おはようございます!』

「うおっ……」

 驚いた。普段ならば、始業のチャイムが鳴る前に生徒たちが着席していることなどない。なぜなら、皆井先生自身が、朝のHRに担任が来て、始業のチャイムが鳴ったら着席をしなさい、と指導しているからだ。

 しかしどうだろう。この日は、全員が揃ってピシリと、姿勢正しく席に着いているではないか。その上、普段なら空回り気味の皆井先生のあいさつに、全員がそろってあいさつを返してくれたのだ。

「ん、えっと……みんな、どうしたんだ……?」

 困惑しつつも、皆井先生は教壇に立つ。出席簿を教卓において、改めてクラスを眺める。今日は空いている席がないから、遅刻や欠席の生徒はいないようだ。不思議なのは、全員が皆井先生をまっすぐ見つめていることだ。

(な、なんだろう……。ひょっとして昨日の私の態度に怒っているのだろうか……)

 皆井先生の胃がキリキリと痛み始めた頃、教室の一角がにわかに活気づき始めた。

「……ほら、いってらっしゃい、リエさん」

「で、でも。やっぱりこういうのって、会長が行った方が……」

「いいんだよ。リエさんが“何かをしてあげたい”と言ってやったことなのだから、リエさんが渡すべきだ」

 話しているのは生徒会長の騎馬はじめと、大きなリボンが可愛らしい佐藤リエさんだ。やがて、はじめに促されて、リエさんが立ち上がった。その手には四角い板のようなものがある。リエさんがおずおずと近づいてきて、その板のようなものが色紙だとわかった。

「……あ、あの、皆井先生」

「あ、ああ。なんだい?」

 元々、リエさんはおとなしいタイプの生徒だったはずだ。皆井先生はそのおとなしい生徒の突然の行動に戸惑いながらも、しっかりとリエさんと向き合った。

「これ、みんなで書いたんです。色紙は会長が買ってきて、みんなでお金を出し合いました」

 リエさんはそう言うと、色紙を皆井先生に差し出した。皆井先生は賞状を受け取るように、両手でその色紙を受け取った。

 何が起きているのか分からなかった。

 その色紙の上に踊る、多くのメッセージを見てもまだ、現実感が湧かなかった。
642 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:13:38.17 ID:sW82/1G70

「ど、どうして……?」

 皆井先生は、そんなつまらないことしか言えない自分を全力で呪いたい気分だが、そうとしか言えなかったのだ。

「昨日、浩二先生が、落ち込んでらっしゃるように見えたので……」

「みんなで相談して、会長が色紙に寄せ書きを書こうって提案をしてくださったんです」

「私たち、浩二先生が心配で、だから……」

「私たちにできることはないから、できるだけ良い子でいます。先生の迷惑にならないように、しっかりします」

「その色紙をもらって、先生が嬉しいかも、わかりません、でも……」

 生徒たちは口々に言う。その言葉のひとつひとつだけで、皆井先生は倒れてしまいそうなくらい衝撃を受けていた。

「私たち、浩二先生のために何かをしてあげたかったんです」

 ああ、そうか、と。

 気づけば、両目から、涙がこぼれ落ちていた。その涙が色紙に落ちそうになって、慌ててスーツの袖で拭う。けれど涙は次々あふれてきて、生徒たちの目の前で、皆井先生は床に大粒の涙を床に落としていた。

「浩二先生……」

「……ごめん。みんな、本当に、ごめんなさい」

 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「……昨日は、落ち込むような姿を見せてしまって、ごめんなさい……。少し、プライベートで、嫌なことがあって、それで、みんなにも気落ちしている姿を見せてしまいました……。ごめんなさい」

「あ、謝らないでください! わたしたちは、先生に謝ってもらうために寄せ書きをしたわけではありません!」

 リエさんの言葉にハッとする。

「……そう。そうだ。ごめんより、言うことが、あるね」

 皆井先生は、それ以上生徒に情けない姿を見せたくなかった。だから、ポケットからハンカチを取り出し、徹底的に涙を拭うと、目を真っ赤にしたまま、深々と頭を下げた。

「みんな、本当にありがとう」

 すぐ傍のリエさんが笑った。クラス全体が笑顔で包まれた。そして、皆井先生は顔を上げ、寄せ書きに目を落とした。皆、思い思いの言葉で、皆井先生を励ましてくれている。その中で、ひとつ、簡素だが綺麗な字で書かれた一文が目にとまった。



『あんたが元気ないとつまらないから、早く元気になんなさいよ 後藤鈴蘭』



 その名前がそこにあることが信じられなくて、皆井先生は顔を上げ、後方の鈴蘭を見つめた。

「な、何よ……」

「……散々手を焼かせてくれた後藤まで書いてくれるとは……」

「なっ……! そ、そんなことでまた泣き出すんじゃないわよ!」

 鈴蘭の声に、教室中がどっとわいた。皆井先生はひとりひとりの寄せ書きに目を通しながら、もう一度、心の中で、言った。

(……本当にありがとう)

 もう、何に悩んでいたのか思い出せないくらい、心は充足で満たされていた。
643 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:14:05.19 ID:sW82/1G70

…………………………

 同日、夕方のこと。

 この日の王野家は、久々にお母さんが家にいる日だ。ひかるはお母さんの背中が見えるリビングで、夕飯ができるのを待っていた。

「お母さん、もうお皿出しておく?」

「そうね。じゃあ、大きなお皿を一枚と、お椀を四つ持ってきてくれる?」

「はーい」

 次姉のともえはお母さんにべったりで、楽しそうにお手伝いをしている。長姉のゆうきにお手伝いを頼まれると嫌そうな顔をするくせに、お母さんには頼まれなくてもお手伝いをしているのだ。ひかるの前では大人ぶったりするけれど、次姉はかなり子どもだ。

(……まぁ、ぼくも人のことは言えないけど)

 次姉のように思い切り甘えるのは恥ずかしいけれど、こうやってお母さんの背中を見ていたいと思うのだ。ひかるもまた、まだまだ子どもだ。

 と、電話のベルが鳴る。お母さんが振り返る。お母さんは元より、ともえも皿を出している最中で手が離せない。ひかるは自発的にソファを立って、電話に向かい、受話器を取った。

「もしもし」

『お忙しいところ失礼致します。王野さんのお宅でよろしいでしょうか?』

 その澄ました声には聞き覚えがあった。

「……はじめさん?」

『ああ、声から察しはついていたが、やはりひかるくんか。それにしても、最初の「もしもし」は随分と可愛らしい声だったのに、私だとわかった途端に随分と怖い声になったな。君の変わり様にはまったく感服だ』

「姉ならまだ学校から帰っていませんよ。帰ったら折り返し電話をさせますね。では、失礼します」

『ちょっと待ちたまえ。まだ何も言っていないだろう』

 はじめの声は慌てた様子だ。何も言っていないも何も、のっけから失礼極まりないことを言っただろう。

『お姉さんに用事があるのではない。君に用があって電話をしたんだ』

「……ぼくに?」

『そう嫌そうな声を出さないでくれ』

 はじめが言った。

『……昨日は本当にありがとう。助かったよ。また今度お礼をさせてくれ』

「……なんだ。そんなことですか。お礼なら結構です。また熱を出されて倒れられても嫌なので」

『君は少し相手をいたわることを覚えたらどうだ?』

 いたわるも何も、はじめの声は昨日高熱を出した人と同一人物とは思えないほどに元気だ。

「それだけですか? では、失礼します」

『いや、私からはこれだけなのだが……』

 電話口ではじめが口ごもる。何事だといぶかしむひかるの耳朶を、別の声が叩いた。

『……もしもし? お電話を代わりました。騎馬はじめの母です』

「え……」

 一瞬思考が止まった。
644 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:14:58.38 ID:sW82/1G70

「……はじめさんの、お母さん?」

『はい。王野ひかるさんですね?』

「は、はい……」

 ふと思い出されるのは、先日、はじめの母と別れる前に言ったことだ。



 ――――『その他の愛情は、ぼくや、ぼくの姉が、責任を持って与えます』



 今さらなことではあるけれど。

 いくらなんでも、恥ずかしい啖呵を切りすぎた気がする。

 自然と頬が熱くなるが、相手がそれを意に介するわけもない。

『昨日のお礼を、わたくしの口からも言っておきたくて、お電話を差し上げました』

「はぁ……」

『昨日はありがとうございました。はじめには体調が悪いときは無理をしないように言っておきました』

「……そうですか」

『それから……』

 電話口の声の調子が変わる。

『あの子に、愛を与えてくださるのですよね?』

「……はい?」

 それは、素のはじめとそっくりの、挑戦的な声だ。

『そう言ってくださいましたよね? はじめに、愛を与えてくれると』

「……言いましたけれども」

 口から出てしまった言葉は取り消すことができない。
645 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:15:27.85 ID:sW82/1G70

『では、今後とも、娘をよろしくお願いします』

「それはぼくの姉に言うべきでは?」

『お姉さんはお姉さん。あなたはあなたでしょう』

 正論にぐうの音も出ない。ひかるは嘆息して、頷いた。

「わかりました。はじめさんが望むなら、そうしますよ」

『はい、よろしくお願いします』

 まるではじめがひかると今後も関わり続けることを予見しているような口ぶりだ。ひかるはまだ小学生で、どうしてはじめのお母さんがそんなことを言うのかわからない。

『では、宿題などでお忙しい時間帯にお時間をいただいてありがとうございました』

「宿題なんて帰ってすぐ終わらせましたよ」

『ふふ、そうですか。では、失礼致します』

「……はい。失礼します」

 受話器を置いて、ひかるは思う。

 はじめの気持ちも、はじめのお母さんの意志も分からない。

 分からないけれど、分からないなりに、なんとなく、思う。

 今度、はじめはどこに連れて行ってくれるのだろうか、なんて。

 そんなことを考えてしまうあたり、自分もまた、はじめに会いたいなんて、考えているのだろうか、と。
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