神通「カリブの、海賊?」【艦これSS】

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470 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:39:18.56 ID:sE/Vv+Mi0



その表情は悲痛。あれほど望んでいた筈の死地。
いざ前にすれば、心は奮いあがるか、静謐になるか、どちらかだと思っていた。


だが、現実は、恐怖。


日本屈指の突撃隊、二水戦。その指揮官を務めていた彼女は、
過去に何度かこれほどの窮地を超えている。

だがそのどれもとは違い、身体は震え、固くなり、
涙がボタボタと零れ落ち、口からは意図せず恐怖の声が上がる。


死ぬ覚悟を決めて立ったはずの贖罪の戦場。


しかしその思いとは裏腹に、死の恐怖が身体を支配する。



神通「ぅ、あ……!」




頬を銃弾が掠める。切り裂かれ、小さな傷口からは血が垂れる。




決めたはずの覚悟が、音を立てて崩れていく。





471 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:39:56.08 ID:sE/Vv+Mi0



















472 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:40:24.43 ID:sE/Vv+Mi0
ブラック・パール号 甲板//





ベケット「何故止めなかった!!」


まともに稼働する艤装がないということを確認したベケットは、
船を軽くするために、漣と共に艤装を海に投げ入れた。

それが終わり甲板に戻ってくると、なぜか吹雪が居ない。


ギブスに問い詰めると、ジャックに唆されてこの荒波に飛び込んでいったという。
ベケットは怒りの余りギブスの胸倉をつかんだ。



ギブス「ま、待てよ! 俺は関係ねえだろ!」


ベケット「こんな、こんな海を行くなど自殺行為に等しい!」


473 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:41:20.86 ID:sE/Vv+Mi0



バルボッサ「だからどうした! 過保護も大概にしろ。
      あれは自分で行くと決めた。全てあいつに責任がある」


ベケット「唆したのは貴様らだ」


バルボッサ「唆されるような教育をしている方が悪い」



バルボッサはそういうと、機嫌が悪そうに顔を他所にやった。
これ以上話しても、建設的な会話は望めないだろう。
また、ベケット自身、こうなってしまえば彼自身は何もできない。



ベケット「……っ」



ベケットは知らぬ間に手をきつく握りしめていた。








474 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:41:49.03 ID:sE/Vv+Mi0
太平洋 海上//





吹雪「神通さん……! どこに……!」



吹雪が海を滑走する。

時折、遠くの海で爆炎が一瞬灯るが、天龍も神通も高速移動をしながらの戦闘をしている。
その場所にたどり着く頃には、敵味方問わず誰も居なかった。




吹雪「あ――、ぐっ!」


周りに気を取られていたせいだろう。
吹雪の肩を一発の銃弾が貫通した。見上げるが暗闇。
自分も対空砲火で応戦するが、手ごたえはない。逃げられたようだ。



痛む肩を押さえ、再び神通を探し始める。



475 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:42:26.83 ID:sE/Vv+Mi0



早く船に連れ戻さなければ。
吹雪の目は必死だ。



吹雪「神通さん……!」





あの日、神通を助けたのは吹雪である。

コロンバンガラを戦う前と後の神通の差を一番よく知っているのは彼女だ。



吹雪がまだ訓練課程についていたころに、先任の一人だったのが神通だ。
訓練は厳しかったが、心優しく、穏やかで、姉妹を愛し、後輩も心から気にかけてくれる人。
吹雪は、彼女の目が好きだった。暖かく、それでいて強い意思を持った輝く目。



だからこそ、救助して、手術を成功させた後の神通を見たときは愕然とした。
病床の、あの虚ろな目からこぼれた涙に、心が締め付けられ、吹雪は見舞い一つできなかった。



愛する姉妹と、仲間を一斉に失った彼女にかけられる言葉なんてなかった。




476 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:43:26.63 ID:sE/Vv+Mi0



吹雪「……でも、」


辛いことは、分かる。
生きていても辛いことはあるだろう。ましてや戦争中だ。
そんなことを思う人はいくらでもいるだろう。

内勤と訓練ばかりの吹雪では知らない地獄があるのだろう。

でも、それでも。吹雪は神通が生きていることを否定したくなかった。



まして吹雪は知っていたのだ。神通は、心の底から死にたいとなんて思ってないと。




吹雪「だって、今でも鮮明に覚えてる……」




477 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:43:56.06 ID:sE/Vv+Mi0



志願して訪れたコロンバンガラの救助活動で、吹雪は、即死した那珂の横に、
折れ曲がって血まみれになった神通を見つけた。


もう助からないと、そう思って、そのまま、安らかに沈んでいった方が良いんじゃないかと、
そんなことすら思った。




吹雪「それでも、あの時」








  吹雪『神通さんっ!!』



  神通『ぁ……』










吹雪「神通さんは言ったんだ」










  神通『ぁ、り、がとぉ……』










478 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:44:33.48 ID:sE/Vv+Mi0



消え入るほどか細い声で、口から血を流しながら。それでも視線だけはしっかり吹雪を見て、
安堵の表情を浮かべ、神通は確かにそう言ったのだ。



それから吹雪は必至で奔走した。本陣となっていた島に戻り、休む間もなくベケットに掛け合い、
裏から手を回してもらって、大本営に大手術を行わせた。そして一睡もせずに方々を駆けまわり迎えた
5日目の夕方、神通の手術が成功し、一命をとりとめたことを知った。



生きることを押し付ける気はない。でも、あの時の神通は確かに生きたいと思っていた筈だ。
吹雪は決して、そのことを否定したくはなかったのだ。


黒い波に揺られて辺りを見渡す。神通の姿どころか、パール号も、泊地水鬼も見えない。
それでもこの嵐の中で、自分だけは神通を見つけられるはずだと奮い立った。





吹雪「神通さん――、」






あなたを助けられたことは、私の誇りです。






そんな言葉を胸にしまい込み、吹雪は艤装のエンジンの回転数を上げた。










479 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:45:14.15 ID:sE/Vv+Mi0
















480 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:45:55.96 ID:sE/Vv+Mi0
ブラック・パール号 甲板//






ベケット「戦闘音が近づいて来たな……」



計画通りとはいかない。当初予定していたよりもかなり想定外の要素の方が多い。
しかし、それでもやるしかない。ベケットはバルボッサに指示を出す。



バルボッサ「ギブス! 繋いだか!?」

ギブス「準備万端だぜバルボッサ!」


バルボッサ「よぉし! では邪魔だどけギブス!」 




ギブスが走ってその場を離れる。ギブスがいた場所には、ジュラルミンで出来た1〜2メートル四方の大きい箱があった。
それを網で覆い、縄で結び、メインマストの頂上に括り付けていた。




ギブス「はぁ、なんちゅう最終兵器だ……」



何を隠そう、これが泊地水鬼討伐の最終手段である。




481 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:46:32.00 ID:sE/Vv+Mi0



ギブス「水が入ってなきゃもうちと軽かったんだがな」

ベケット「9割超が水だからな」

ギブス「水をこんなに入れる必要あったか?」

ベケット「重さがなくては飛ばんのだよ」



バルボッサ「さぁ行くぞぉ! 俺たちの勝利を飾ろう!」



482 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:47:31.59 ID:sE/Vv+Mi0



バルボッサが片手で剣を掲げる。

するとそれに呼応して、箱をつけたロープが意思を持ったようにドンドン宙に上がる。
満足そうな顔を浮かべると、バルボッサは剣を大きく振り回した。


ミシミシと音を立てながら、マスト頂上を中心にロープ付きの箱が大きく回転する。


それは徐々に遠心力を得て、鈍い風切り音を立てながら船の上をブンブンと回り始めた。
帆やその周りにある大量のロープに引っかからないよう、大きく回りながら水平を保つ。


下でこの光景を見ていた漣は、まるでハンマー投げかジャイアントスイングの様に見えた。




バルボッサ「外すなよぉ! ジャァック!!」




バルボッサが叫ぶ。







483 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:48:06.38 ID:sE/Vv+Mi0
太平洋 海上//





神通「あ、ぐぅ!」


神通は、後ろから撃たれた。
銃弾は左のふくらはぎを綺麗に貫通し、そこから血が流れる。
弾が体内に残らなかったのは唯一の幸いだが、骨に当たったのだろう、
足が折れてしまっており、力が入らない。


冷静になり切れない頭で、それでも経験が身体を動かして
迎撃態勢に移る。放たれた弾は敵の戦闘機を貫き、爆破炎上させる。

爆発の光が、また多くの敵戦闘機を照らす。



神通「……ぁ、」



一斉射撃。先ほどとは違い、全弾が神通目掛けて飛んでくる。



神通「……」




神通は目を閉じる。
死を前にして、思考が停止する。
何も考えられず、静かに目を閉じた……。



484 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:48:45.31 ID:sE/Vv+Mi0





吹雪「うぁぁああああああぁああ!!」





吹雪が、神通に向かって突進する。



神通「!」


吹雪「神通さんっ!!」




死地の神通へ、吹雪が最大船速タックルした。


銃弾が吹雪のすぐ後ろの波に突き刺さる。


二人の身体が一瞬宙に浮き、海面にしたたかに叩きつけられる。
一歩間違えれば衝突事故。そうでなくても銃弾降りしきる状況。



しかし吹雪は神通を手放さなかった。



485 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:49:12.06 ID:sE/Vv+Mi0



吹雪「助けに来ました!」


神通「え、あ」



状況が読み込めなかった神通は、現状を理解するまでに時間を要した。
吹雪は無理にでもその手を引き、危機を脱する。



神通「なんで」




何で、助けたの? それは以前吹雪に問いかけたのと同じ言葉。
他に言いたかったことなんていくらでもあるのに、そんな言葉が口をついてしまった。

だが、吹雪は動じず、真っすぐ前を見つめて叫ぶ。



吹雪「分かりません! なんて言えばいいのか、なんて答えるべきなのか!」


486 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:49:44.90 ID:sE/Vv+Mi0



あの時も、そして今も、吹雪はその答えを持っていなかった。
皆が思いつくような答えならいくらでも答えられた。
だが、それを上手く言い表せない。強いて言えば、思いつくその全てが、彼女を動かした理由だ。



吹雪「難しい話なら後にしてください! 
   とにかく伝えたいことが一杯で、何から言えばいいのか、分からないけど!」



ニッと、吹雪はいい笑顔で神通に振り向く。
もうその表情には、神通へのわだかまりは消え失せていた。



吹雪「理由なら明日必ず言いますから! それまで待っててください!」


吹雪が方向転換のさなかに、空いた左手を使い、空中に向かって撃つ。


砲弾が通過した衝撃で、迫ってくる一機が掠めてバランスを崩させる。
しかし、敵はその勢いのまま吹雪と神通に向かって墜落してきた。


487 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:50:14.24 ID:sE/Vv+Mi0



吹雪「まず――!」



再装填、間に合わない。
だがそんな冷や汗も束の間。燃え盛り特攻してくる敵戦闘機の横腹を一発の砲弾が貫通した。

吹雪たちが目を見やると、気づけば天龍がすぐそこまで来ていたのだ。



天龍「吹雪! 神通!」

吹雪「天龍さん!」



破顔する吹雪。この地獄ともいえる空の下、なにも見えない暗闇の海で、
三人は奇跡的に合流できた。


488 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:50:43.76 ID:sE/Vv+Mi0



天龍「よく言ったな、吹雪!」

吹雪「う、聞いてたんですか」



天龍「お前の名演説、聞きやすかったんで良い目印なった、いや耳印か?」

吹雪「耳印って、家畜につける識別印ですよ」


天龍「おう! 難しい話なら後にしてくれ!」



寄ってきた戦闘機を落とす。
戦闘に反応して、艦載機がどんどんやってくる。

彼女たちは脚を止めずに動きながら落としているが、多勢に無勢。徐々に囲まれていく。



天龍「あー、畜生、船はどこなんだよ!」


神通「……」



このままでは三人とも沈んでしまう。神通は責任を感じて苦しそうに目を伏せる。



489 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:51:15.31 ID:sE/Vv+Mi0



神通「私が囮になります」



その言葉に、天龍が鋭い目で振り返る。



天龍「いいか! 俺はお前を死なせねえ!」


突然の大声に、神通は面を喰らった。
が、気を取り直して説得を続けようとする。



神通「で、でも!」


天龍「誰かに守られた分際で! 勝手に命を粗末にしてんじゃねえ!
   死ぬなら守ってくれたそいつらに許可とってから死ね!」


神通「なっ……! もう死んでるんだから、そんなこと、できないですよ!」


天龍「じゃあお前はもう生きるしかねえんだよ、ざまあみろ!」


神通「このっ……!」


490 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:51:49.01 ID:sE/Vv+Mi0



吹雪「ちなみに、今のところ神通さんの命を2回救ってる私としては、
   ぜーったい許可しませんから! 神通さん! ざまあみろ、ですよ!」


神通「吹雪さんまで!」

天龍「んだよ文句あんのか!?」


神通「ありますよ! 大体あなたは前から――」



天龍「今忙しいんだ! 文句なら聞いてやるよ、明日な!」


吹雪「私も、神通さんに一杯文句がありますので! それも明日に!」


神通「……。二人とも、覚悟していてくださいよ、明日」



491 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:52:17.81 ID:sE/Vv+Mi0



三人は互いに背中を合わせ、三方に砲撃を放つ。
散発的だった反撃が小規模ながら組織立つ。


帝国海軍の本領は夜戦にある。中でも、長く前線に立った天龍と、
精鋭を率いた神通と、夜戦のプロを師匠に持つ吹雪。


この三人の目は、とっくに夜の視界に適応していた。


寄ってくる戦闘機が順に、順に堕ちていく。

時たま起こるだけだった爆発が、加速度的に増えていく。



いける。吹雪は勝利の感触をつかんでいた。





その爆発に気づいた泊地水鬼の主砲が、向けられていることに気づかないまま。




砲撃まで、あと10秒。



492 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:53:27.50 ID:sE/Vv+Mi0
太平洋 海底//





吹雪たちが人知れず危機に陥っている海上。




海底では、荒れ狂う海流に身体を引っ張られ、押され、流されそうになりながら、
ジョーンズは全身をつかって船中央の装置を動かしていた。


キャプスタンと呼ばれるそれは、例えるなら、大人数の奴隷たちが酷くのろのろと
力一杯で回す重い石臼のようなものだ。当然これも、多くの船員たちで動かす装置。
だが本来と違うところは、彼は今これを、海中で一人で動かしているところだ。


課せられた苦行に耐える奴隷の様に、贖えない罪を清算し続ける受刑者のように、
その身が如何に軋もうと、砕けんばかりに歯を食いしばり、ボロボロになったダッチマンで、
どんなに海に苛まれても、足を前に出し、キャプスタンを必死で回し続ける。



493 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:53:54.93 ID:sE/Vv+Mi0



何が彼をここまで突き動かすのだろう。


冷徹で、気まぐれな裏切りの女と罵ったカリプソの為に、ここまでする必要はあるのだろうか。


何度でもそう思える機会はあったはずだ。そしてその度に、カリプソを見限ることが出来たはずだ。
しかし、冷徹で、気まぐれな裏切りの女、カリプソを、それでも愛してしまったのだ。


かつて彼は、ウィル・ターナーとエリザベスを前に、愛の脆さを語った。



  ジョーンズ『あぁ、愛か! 愚かな、気の迷いだ。そしてまた、いとも簡単に引き裂かれる!!』



そうやって、愛の愚かさと脆さを嬉々として語った。だが皮肉にも、そんな彼が一番愛に囚われているのかもしれない。
むしろ愛に囚われているからこそ、愛の脆さもよく知っていたのだ。


494 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:54:59.75 ID:sE/Vv+Mi0



デイヴィ・ジョーンズの愛はどうだろう。


確かに、愚かで、気の迷いで、脆いものなのかもしれない。
しかし、それは少なくともこの程度、海水に身を引き裂かれ、渾身の余り筋肉が千切れ、歯が砕け血を流す、
そんな程度で崩れるような愛は、彼は持ち合わせていなかった。


また一歩、足を踏み出す。


常人であれば装置一周どころか最初の一歩であきらめるその歩みを、彼はもう五周も
回している。歩数にすれば、もう100歩を超えている。


何度も愚かさを呪い、気の迷いを繰り返し、その末にまだ心に愛が残ったから、
彼の身体も、心も、この程度の苦難では引き裂かれたりはしなかった。





ジョーンズ「!」



キャプスタンを回しているジョーンズの足が止まる。


何か手ごたえを感じたのだ。ジョーンズが凶悪に笑う。口から泡と血あぶくを吹かせながら、
大いに笑い声をあげる。




ジョーンズ「さぁ来い! 今再びこの俺に仕えろぉ!」



495 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:55:33.76 ID:sE/Vv+Mi0



ジョーンズの手からキャプスタンの抵抗がなくなる。
次の瞬間、船底に大きな衝撃が走り、それが海中全体に伝わる。


嵐を避け、岩の影に避難していた魚や甲殻類たち、全ての海の生き物が何事かと慌てだす。
そんな中、その音に導かれるようにして、悠然とジョーンズの元に泳いでくる生き物が一匹。


慌てる魚たちは、その存在に気づかなかった。



それを同じ「生き物」と認識するには、あまりに大きすぎたのだ。



深き海。底の底。陸上の生物は一匹として生存を許さぬ海の領域。
そんな地獄に船を引きずり込む存在。




ジョーンズ「クラーケンッ!!!」




古代、中世、近世。長き人の時代において、世界中の船乗りたちを心胆を寒からしめた、
海で最も有名な怪物。海を支配した最強の魔物。
海中が、激震した。








496 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:56:36.79 ID:sE/Vv+Mi0
太平洋 海上//





海底から爆発音の様な轟音が響く。
クラーケンの巨体が強い海流にぶつかり、渦が出来上がる。


異常に気付いた泊地水鬼だったが、時すでに遅し。




泊地水鬼『コイツ――ッ!!』


クラーケン「ゴオオォォオォッ!!!」





腐臭を吐き散らしながら、泊地水鬼にとびかかる。


ジョーンズの元居た世界では既に殺されてしまったものの、
この世界のクラーケンは未だに無傷。伝説にだけ棲む未確認生命体扱いだ。


だが、戦いの経験がないわけではない。
既にジョーンズの指示の元、数多の深海棲艦を海の底へ沈めてきた。


そんな必殺の、海底から伸びた無数の凶悪な触手が強力な膂力で絡みつく。




497 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:57:07.60 ID:sE/Vv+Mi0




天龍「うおっ!?」


三人を狙って放つはずだった泊地水鬼の砲撃は、直前の横やりによって、
満足に狙いをつけられないまま放たれる。


神通「大丈夫! 外れます!」



神通のその言葉通り、ギリギリのところを掠めて、巨大な砲弾が海面に当たり爆発する。
天龍たちはとっさに身を屈めて乗り切ったが、敵の戦闘機は海面ギリギリで彼女たちを
追いつめていたこともあり、その多くが巻き添えになった。




吹雪「て、天龍さん! 神通さん!」


天龍「よく分からないが。離脱するぞ!」


泊地水鬼のフレンドリーファイアが効いたのか、敵の数は見事に減少し、
残った戦闘機も、巻き込まれない様にするためか、飛行機の本来の高度に向かって
高く昇っていく。あの距離からでは、レーダーで捉えられていても、
命中率は大きく下がるだろう。三人はその隙を逃さず、逃げ出した。



498 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:57:54.26 ID:sE/Vv+Mi0




クラーケン「グルルゥオォゴォ!!」





クラーケンが咆哮をあげ、その触手で動きを封じ込める。


泊地水鬼『グ……、キ、キエナサイ!!』



その異形に一瞬動揺する泊地水鬼であったが、憎しみと怒りに心が支配されているのか、
一切の恐怖と躊躇なく、自分の身体ごと砲撃し、クラーケンをひるませる。
そしてその隙をついて、渾身の力で絡みついた無数の脚を引きちぎり始めた。


まるで怪獣映画の様に非現実的な光景であった。




漣「な、何あれっ!?」


バルボッサ「ハハハーッ! デイヴィ・ジョーンズめ! いい援護じゃないか!!」


轟音と、爆音と、砲炎により、パールに乗る者達もその異常に気づき、
全員の視線が泊地水鬼の方に向けられる。




当然、マストの上で切り離しの機会を伺っているジャックもそうであった。




499 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:58:29.46 ID:sE/Vv+Mi0
ブラック・パール号 マスト頂上部//





ジャック「…………」



ジャックは唾をのんで考える。

泊地水鬼の恐ろしさはこの短時間で重々承知であったが、
それにもまして、クラーケンの恐ろしさもよく知っていた。

なにせ自分はその怪物に一度殺されているのだ。その強さは身に染みていた。
さらに加えて、ここには艦娘という海上戦力が居て、今は敵に阻まれながらも、
この海域を囲むようにして歴戦の前線戦力が控えているという。

500 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:59:03.91 ID:sE/Vv+Mi0



ジャック「…………」


目を瞑って思考を進める。

これは、もしここで自分が動かなくてもいいのではないだろうか?

クラーケンに捕まれば奴は逃げられない。逃げられたとしても傷を負う。
万一逃がしても、他の誰かが倒してくれるはずだ。ジャックとしてはカリプソが分離した今、
これ以上ここで戦う義理もない。カリプソに捧げるジョーンズの行方だけが心配だが、
クラーケンがああして出張ってきた以上、海中で無事だろう。

泊地水鬼とパールの間もそこそこ距離がある。夜が明ける前にはこっそり逃げ切れるだろう。




そこまで考えて、ジャックは手にしていた斧を置く。


下でバルボッサが景気よく剣を回しているが、知ったことではない。
何よりもこの作戦は、この作戦だけは絶対に反対だったのだ。


ジャックは寝そべり、怪獣大決戦の行方を想像しながら待つ。
炎はもう雨と波で消え、その結果はうかがい知れない。
見れれば話のタネになったものだが、惜しいことだ。
残念だが音だけで楽しもう。


501 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 22:59:33.02 ID:sE/Vv+Mi0



ジャックは憑き物が取れたように穏やかな表情になる。
下でまだかと叫んでいるバルボッサのことは気にしない。
いざとなればこのマストを枕に防衛戦だ。



そう意気込むジャック、しかし、その怠慢を責めるように、
寝ている彼の後頭部に銃が付きつけられる音がした。




ジャック「は!?」



このマストの上には誰もいない。そもそも誰かが昇ってくればすぐにわかる。
驚いて身体ごと擦るようにして後ろへ寝返った。そこには見知った顔があった。



ジャック「……そういや、お前もいたな」



ジャックに銃口を向けていたのは、ジャック。
ジャックの不実を責めていたのは、ジャック。
これは別に文学的だとか、哲学的だとかそういう話ではない。



502 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:00:07.73 ID:sE/Vv+Mi0




ジャック「キィー!」




器用に全身を使ってジャック・スパロウに9mm拳銃の銃口を向ける、シロガオオマキザルのジャック・ザ・モンキー。
猿のくせに服まで着させられた彼は、バルボッサがペットに買っていたサルで、スパロウへの侮蔑としてわざわざ
猿に「ジャック」と名付けていたのであった。サルのジャックは黒髭にパールが接収された際、一緒にビンの中に閉じ込められた。
今の今まで出てこなかったのは外で起きていた戦闘を警戒してのことだろう。




ジャック「お前もパールに乗りっぱなしだったな。どうした、ご主人様は下だぞ?
     それとも先に船長に会いに来たか。感心なやつめ」

ジャック「ウキィー!」




言うまでもないが、先に喋ったのは人間のジャックで、後者は猿のジャックだ。

後者のジャックは、これまた器用に拳銃のスライドを引く。どこで覚えてきたのだろう。
もしかすると亡者を撃った前者のジャックの動作を隠れて見ていたのかもしれない。

その一度で覚えたとすれば賢い猿であると言えたが、だが所詮は猿どまりだと、人のジャックはニヤつく。



503 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:00:36.32 ID:sE/Vv+Mi0



ジャック「クソ猿め。俺の銃を拾ったな?」


ジャック「ウキ?」


ジャック「その銃はさっき弾が無くなるまで撃ち尽くした。もちろん、代わりの弾なんざもっちゃいない」


ジャック「キキー……」



モンキーのジャックの目が泳ぎ、スパロウのジャックが目を細める。
猿の分際で、人間様に、ましてや最悪の海賊、キャプテン・ジャック・スパロウ様に盾突くのは100年早い。
ジョーンズの船で労働して出直してこいと煽る。



504 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:01:08.44 ID:sE/Vv+Mi0



ジャック「では船長命令だお猿君。いや、これからはヘクター君と名付けよう。
     ヘクター・ザ・モンキー君、下でバカみたいに剣を振り回してるオッサンの顔面に
     一発お見舞いして来い。このバカげた大道芸をさっさと終わらせて――」





パァン! と、音がした。


何の音だ? 銃の音だ。それは分かる。ではどこから?
ジャックが前を見る。硝煙が上がっている。いやいやまさか。


ジャックが目だけで後ろを見る。マストに銃創が、いや決して銃創ではないそれに似た何かの穴に決まっている。


ジャックの目が再び猿に向く。ジャック・ザ・モンキーは再び銃口をジャック・スパロウに合わせなおす。



505 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:01:56.79 ID:sE/Vv+Mi0



ジャック「……。もしかしてまだ1発だけ残ってたのかも知――」



パァン。



ジャック「パーレイ」




即座に降参。そこまで見て、ふと思い出した。
ギブスの周囲を固める前、ベケットが拳銃をなくして、瀕死の亡者を剣で殺していた筈。

ようやく事態に気づいたとき、猿の拳銃から再び銃弾が発射される!
今度は間違いなく目で見た。もはや信じざるを得ない。




ジャック「何が望みだ……?」



ジャック「キィー……」




ドスのきいた声を意識しているのだろうか。少し低い鳴き声をしながら、猿のジャックは顎で回転する縄をしめし、
次に斧を指す。考えるまでもない、さっさと切れと言っているのだ。ペットが主人のバルボッサの味方をしているのだ。

なんとか殺せば、と思うが、この猿は猿でジョーンズたちと戦った大きな一連の戦いを生き延びた者である。

コルテスの呪われた宝を盗み得たその身体は不死身であり、どうあがいても最後に打たれるのは人の身のジャックだ。


506 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:02:28.49 ID:sE/Vv+Mi0



ジャック「いやいや、縄か。それはちょっと、支障がある」


ジャック「キキッ!」


ジャック「待って、一回落ち着け。そうだ、バナナを! バナナを山ほどやろう!」



パァン! また銃声が鳴り、今度はスパロウの頬スレスレをかすめる。




ジャック「キキーッ!」


ジャック「やるよやりゃいいんだろ!」



交渉が通じないと悟ったのか、ようやく身体を起こし、斧を持つジャック・スパロウ。
ジャック・ザ・モンキーは銃の照準をスパロウから外した。

ちなみにもしバナナではなくリンゴを提示されていれば、彼は一考したかも知れなかった。







507 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:03:03.98 ID:sE/Vv+Mi0
ブラック・パール号 甲板//



上でそんなことが起こっているとはつゆ知らず、
下で景気よくトリトンの剣を振り回していたバルボッサは、ようやく不審そうにジャックの方を見る。



バルボッサ「ジャックめ、何をしている?」



甲板にいた者達の疑念が頂点に達する頃、海底から船をよじ登ってくるものが居た。
漣だけが偶然それに気づき、小さな悲鳴を上げる。

それは、デイヴィ・ジョーンズであった。




漣「ヒッ……!」


ジョーンズ「奴はァ、どうなったっ!」



全身ボロボロになり、血を零れさせながら、デイヴィ・ジョーンズはまさに海の悪魔にふさわしい
鬼気迫る表情で船を自力で昇ってきた。


508 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:03:31.48 ID:sE/Vv+Mi0



バルボッサ「よう、デイヴィ・ジョーンズよ! いい援護だった!」


ジョーンズ「これが俺の奥の手だ。もう品切れだぞ、きっちり決めろぉ!」



その言葉に、今更ながらベケットは得心したことがあった。


海の怨念を運び、浄化させることのできるジョーンズだが、
そもそも物質化している深海棲艦をどの様にして沈めたのか、今まで不明だった。

怨念を霊魂化させるには、深海棲艦を沈めなければならない。
もしそれすら無視して浄化させられるなら、既にとっくにやっているはず。

だが、クラーケンの登場ですべてが分かった。
これこそが奴の切り札にして唯一の攻撃手段。

質量と膂力で、海底から絡み取り、砕き、沈めるその力には、
並みの深海棲艦では相手にならなかったろう。この怪物が破壊し、魂をジョーンズが運んでいた、とそういうことだったのだ。


509 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:03:59.20 ID:sE/Vv+Mi0



一人納得するベケットをよそに、ジョーンズは泊地水鬼の方ではなく、
嵐の風が吹く別方向の空を睨みつける。



ジョーンズ「カリプソ……、あぁ、この忌々しい女め。私はオイディプスのようにはならないぞ」



それを見ていた漣には、彼の心情を知るすべはなかったが、
その名状しがたい感情はその目に溢れ出て、身体はわなわなと震えていた。




ジョーンズ「私のもとに跪かせてやるぞ、カリプソ」



やはり、その声に込められた感情も、漣は詳細まで理解できなかった。
だがその声色は、怒りだけで占められているようには思えなかった。



510 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:04:34.89 ID:sE/Vv+Mi0
ブラック・パール号 マスト頂上部//






ジャックの象徴がはためく海賊旗の真下。

マストの頂上を軸に、ロープが大きく回転する。
摩擦熱か遠心力か、軸に巻き付けられた部分からプチプチと、
焼けるような、千切れるような音が小さくだが聞こえている。


早く、切らなくては。


そう思うのだが、頭の上で回転するロープに、ジャックは斧を振り下ろせないでいた。




ジャック「なんだこれ……?」


その顔は、暗くてよく見えないが、青ざめていた。



511 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:06:32.57 ID:sE/Vv+Mi0



バルボッサ「ジャック!! まだ捉えられないのかぁっ!」



ジャック「嘘だろ、コンパスが……」




ジャックの視線の先にはグルグルと回転し続けるコンパスがあった。故障? いや違う。
つい最近この症状を見たときは、結局目的を完遂する場所がどこにでもあったから、というのが原因だった。
今は何だろう。考えてすぐに思い当たる。



カリプソだ。




前半は狂気に憑りつかれた様に力任せに追ってきた泊地水鬼は、
今はクレバーに、一方的にこちらを攻め立ててきている。


もしや、カリプソと泊地水鬼は分離したのではないか?
もう泊地水鬼にはわずかにあったカリプソの力の残滓すらも消えたのではないか?



512 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:07:44.29 ID:sE/Vv+Mi0



ジャック「……」



ジャックはそう仮説を立て、ゴクリと唾を飲み込む。


ジャックの目的はカリプソに元の世界へ戻してもらうこと。
コンパスが示すのは泊地水鬼ではなく、今は嵐となって一帯を襲うカリプソだった。




この不測の事態をジャックは大声で下に告げる。



513 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:08:31.46 ID:sE/Vv+Mi0



ベケット「何!?」


バルボッサ「嘘じゃあるまいな!」


ジャック「流石の俺も今はそんな場合じゃない!」


ジョーンズ「あの怪物の方を強くイメージすれば良いではないか!」


ジャック「そんな簡単なもんじゃねえんだよ、このコンパスはっ!」


ギブス「嘘だろ……」





これはまずいと一同は表情を曇らせる。




不味い。これでは捉えられない。だが逃げれば、敵も逃げる。
そうなれば討伐にしても帰還にしても、また同じチャンスが巡ってくるとも限らない。


514 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:10:02.80 ID:sE/Vv+Mi0



唯一のアドバンテージを失い、彼らは暗闇に取り残された。




泊地水鬼がクラーケンと戦う音は聞こえる。
音である程度の方角は分かる。距離も大体わかる。しかしこの作戦は一発限り。
敵も見えずにやるには博打が過ぎる。




さらにもうすぐに夜が明ける。



夜が明ければ、ジョーンズとの盟約により、パールが沈み、フーチー号に代わる。
このロープをつけたギミックごと沈むのだ。



そしてフーチー号が完全に表れるころには、日が昇り、視界が確保される。


泊地水鬼が有視界戦闘に切り替われば1分も保たずに海の藻屑だ。
的確に攻撃を喰らい、本来の戦力差通り、当たり前に無残な結末が待っている。




もはや進んでも地獄。逃げても地獄。




515 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:11:15.97 ID:sE/Vv+Mi0




バルボッサ「偶然に頼っては一か八かの確率もない!」


ギブス「ど、どうすんだ!?」


ジョーンズ「どうするもこうするもない! 
      可能性があるのならばやれ! 結果死んでも後は俺が引き上げる!」


ベケット「……、作戦失敗か……」


漣「そんな……!」



苦虫をかみつぶした表情で、せめて仲間たちに伝えなければと漣が海へ飛び乗る。





ジャック「クソ、立派な立派な御髪の神め、アンタを信じた俺が馬鹿だった!」



叫びもむなしく嵐に消えゆく。せめて、一瞬でも、敵の姿を捉えられれば。
ジャックは正面をにらみつける。その先に泊地水鬼がいるかはわからない。








516 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:11:44.86 ID:sE/Vv+Mi0
太平洋 海上//







漣「まさかこれ、戦場で使うとは思いませんでしたが……」



漣は、艤装のベルトに付けていたホイッスルを外す。
オレンジ色のそのホイッスルは、一見すればオシャレな留め具か何かにも見える。
だが、これはれっきとした軍用装備で、マリーンホイッスルと呼ばれるものだ。
遭難や落水時等の緊急救助要請用に開発され、軽く吹くだけで、大きな音が出るように
設計されている。米軍使用タイプのそれは、ギミック好きでオシャレ好きな漣にぴったりの代物だった。


漣「うぅー、南無三!」


漣は大きく息を吸い、息の続く限り笛を鳴らし続けた。
ピィーというその特徴的な高音は、雨風の音にも負けず、戦場に響いた。


517 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:12:10.99 ID:sE/Vv+Mi0



居場所をはっきりさせる為とは言え、これでは自分が囮になっているようなものだ。
不安で、大和用艤装の一部の鉄板をはぎ取って上に構えて盾にしているが、
こんなものどれだけ効くのか。


漣「っはぁ、はぁ、てか、敵いねぇ!」


空襲に怯える漣は、戦闘機たちが空に一時離脱したことを知らない。
それでも涙に震えながら、嗚咽しそうになる身体を抑え込んで、
ホイッスルを鳴らし続けた。




天龍「おいっ! 漣! こっちだ!」


漣「っ、は! 天龍さぁん!!」



だがついに天龍達を見つけたときは、涙腺が耐えきれくなり決壊した。




518 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:12:42.68 ID:sE/Vv+Mi0



漣は鉄板を放り出し、天龍に駆け寄って抱き着いた。
既に雨と血でぐしょぐしょになった天龍の胸に顔をうずめた。




漣「うえ゛ぇぇぇ、うぉぉお゛おぉ、怖かったあ゛ぁああ!!」



まだ戦場のど真ん中だというのに、合流できた喜びを
号泣しながら全身で表す漣。天龍はそんな漣の頭をポンポンと撫でた。



天龍「よく頑張ったな、漣」


漣「うわあ゛あぁぁん、なんか天龍の癖にガッゴいい゛ぃ!」


天龍「癖にってなんだよ」


漣「うわあ゛あぁぁ生意気゛ぃぃ!」


天龍「お前な」



ポンポンと撫でる手を強め、軽く頭をはたく。


519 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:13:09.38 ID:sE/Vv+Mi0



漣「うぐぅ」


天龍「ま、それだけ元気なら大丈夫だ」


スンスンと鼻を鳴らしているが、おおよそいつもの漣に戻る。


吹雪「迎えも来たことだし、早く戻りましょう」



漣の案内で船に戻ろうとする吹雪、だがその一言を聞いて、
ようやく自分の役割を思い出したのか、漣は青い顔をした。




漣「そ、そうです! じ、実は作戦が失敗して!」


天龍「はぁ!?」


520 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:13:46.53 ID:sE/Vv+Mi0


その言葉に、声を上げたのは天龍だが、驚いたのは三人全員だ。


困難であったことは百も承知だ。しかしここで失敗しては、すべてが水の泡だ。
この場は乗り切れるかもしれない。が、泊地水鬼に逃げられては、
またいつ今日の様に奇襲をかけてくるかもわからない。


今回ですら、南方基地と本土一部に大きな被害がでている。


次の攻撃も、これと同じとは限らない。知恵をつけて、
もっと大きな攻勢を仕掛けてきたりするかもしれないし、
拮抗している最前線に戦闘機や爆撃機の嵐を放り込まれれば敗北あるのみだ。


この作戦も、二度目はまず通用しないだろう。



それは全員がよく分かっていた。



漣「で、でも、泊地水鬼を捉えていたあのチートコンパスが役に立たなくなって……、
  船から泊地水鬼の居場所が分かんないんですよ!」



521 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:14:12.52 ID:sE/Vv+Mi0



夜明けは近い。しかし、嵐の影響もあって空はずっと真っ暗だ。
そもそも夜が明ければ、泊地水鬼はレーダーに加えて視界も確保する。
闇に紛れて、小賢しい手を尽くして、ようやく五分五分近くまで来たのだ。
これが光が差し込んで、互いに視界が確保されれば、後は一方的だ。



吹雪「撤退、ですか……」


座学が得意で、戦況を見る目がある吹雪。
だが、その吹雪を以てしても、今できる最善のことは夜に紛れて撤退することくらいだ。


天龍「くそっ! なんとかならないのかよっ!」






動揺する三人。一人、神通だけが、冷静に場を見ていた。





522 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:14:39.73 ID:sE/Vv+Mi0






彼女には、ここにいる誰もが持っていない、
状況を打破する手段がある。





それは、あの戦いを経た彼女にとって、特別な意味を持つ装備。







神通「……」






それを、使う時だ。

きっと、今を置いて他はない。





一呼吸おいて、神通が口を開いた。






神通「私が、なんとかします!」






523 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:15:09.65 ID:sE/Vv+Mi0




その言葉に、全員の視線が神通に集中する。




天龍「でも、何とかするったって、どうやって……」


神通「これを……」





神通が示したのは、この中で彼女だけに備えられた、――探照灯。



照明器具の一種で、特定の方向に強力な光線を照射するための反射体がある装置。
いわゆるサーチライトだ。10万カンデラという光の単位で表されるその光量は、
暗闇の中、探照灯の10km先の甲板で紙に書かれた小さな文字が読めてしまうくらいのデタラメな明るさ。

泊地水鬼の姿を暗闇の中から映し出すには、もってこいの装備だった。



しかし、一同の表情は暗い。



10km先の敵艦を余裕で発見できるということは、
10km先の敵艦からも、余裕で発見されてしまうということ。



要するに、敵を暴くため、すべての敵の的になるということだ。





天龍「お前、死ぬ気か?」





524 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:15:50.68 ID:sE/Vv+Mi0



天龍が厳しい表情を向ける。
しかし、神通の表情には、先ほどまでの悲痛さはなかった。



天龍は間違っていない。

そうだ。死ぬ気だった。




かつて、史実の神通が、死に場所として定めたコロンバンガラ島。
味方の砲撃を助ける為、一人囮になるような形で探照灯を向け、散った。

今世の自分は、命惜しさの臆病で、それを使わず、姉妹や仲間を死なせた。
その後悔がねじ曲がって、彼女は、かつての神通の様な、鮮烈な死に場所を求めた。




だから、神通は、最期にはこれを使って死ぬと決めていた。





525 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:16:17.03 ID:sE/Vv+Mi0




さっき、までは。





神通「……、分かりません」




神通は、今、自分の心を何と表現していいか決めかねていた。

後悔は残っている。悲しみも、鬱屈とした気持ちも、ずっと抱えている。
でも、それと同じくらいよく分からないまっさらで暖かな気持ちが、彼女の中に渦巻いている。


この気持ちを言葉にするには、時間がかかるだろう。
今この場所では、結論を出せそうもない。



526 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:16:45.11 ID:sE/Vv+Mi0




神通「……だから、私を守ってください」




ならば。この気持ちについて考えるのは、明日だ。

そう、明日。この戦いを終えて、夜が明けて、戻って、一度ゆっくり寝て。

みんなで、無事を喜んで。


その頭でじっくり考えよう。





神通「だめ、ですか?」




527 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:17:18.90 ID:sE/Vv+Mi0



天龍「……」



天龍と吹雪は、満足そうに微笑んだ。




天龍「任せな」

吹雪「絶対に守りますから!」

漣「なんか知らぬ間に1話見逃したみたいな感覚なんですが」


天龍「今度再放送やってやるから」

漣「ん、なら良しとしましょう!」



528 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:17:51.70 ID:sE/Vv+Mi0




一度、深く、大きく、深呼吸。
強い意思の光がこもった目で、
泊地水鬼とクラーケンが轟音を鳴らす戦場の方へ向く。





神通「行きますっ!」






神通が、探照灯を稼働させる。






それに合わせて、天龍、吹雪、漣が、
探照灯の明かりを邪魔しない様に、
守るようにして神通の前に立つ。





529 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:18:30.38 ID:sE/Vv+Mi0





いつだって、これを使うとき、神通は死を覚悟していた。



だが、今回は違う。

姉妹たちと比べてしまえば、まだまだ気心は知れていないけれど、

それでも、頼りになる仲間がいる。







神通「生きて、戻るために! 私も戦います!」










炭素棒に電気が通り、放電が始まる。









真っすぐに、光が嵐を切り裂いた。











530 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:19:34.77 ID:sE/Vv+Mi0
ブラック・パール号//





ジャック「あれは!」






一筋の強い光が真っ黒の海を突き抜ける。





その先には、泊地水鬼!






何も見えない闇の中に、ようやく敵は姿を現した。


神通による命がけの探照灯照射。敵の最後の航空戦力は神通に向いた。
オールグリーン。作戦を妨げるものなし。





神通が繋いだ、ラストチャンス。





531 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:20:03.26 ID:sE/Vv+Mi0



バルボッサ「やぁれぇええええ!!!」



バルボッサが叫ぶ。



ジャック「うぉらぁ!」




斧を振りかぶり、頭の上で回転するロープの根本を力任せに切った。
するとジュラルミンの箱を先端に、ロープはハンマー投げの要領で空を舞う。



バルボッサ「行ぃけぇええええ!!!」




532 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:20:34.33 ID:sE/Vv+Mi0




迎撃する航空戦力もいない。自由に、悠々と、大きな放物線を描いて、
箱が泊地水鬼肩口の砲塔部分に直撃する。



神通「!」
漣「おぉ!」
天龍「よしっ!」
吹雪「当たった!」




幸いにして敵は巨体。距離と方角さえ合えば、ぶつけるのは容易い。




泊地水鬼『――?』




直撃された泊地水鬼は理解できなかった。
たいして大きくもない箱が直撃したが、痛くもかゆくもない。
何かが当たったのか、としか感じなかった。この時までは。




533 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:21:27.23 ID:sE/Vv+Mi0





ベケット「総員伏せろ!」
ギブス「言われるまでもねぇ!」




堅牢なジュラルミンケースの中は、パーテーションで二つの部屋に区切られていた。
およそ9割の面積には水がなみなみに、残りのスペースには梱包材で軽く包まれた小物が入っていた。


端的に言って、ただそれだけの箱であり、特別な仕組みはなにもない。
そして今や、その箱の内部も衝撃で破壊され、水と小物の破片でぐちゃぐちゃになる。






ジョーンズ「今だっ! 退けぇクラーケンッ!」






最終兵器。それは、中身が散乱したジュラルミンの箱。
もはやそれ以上の説明はない。





534 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:21:53.67 ID:sE/Vv+Mi0











ただ、あえて、







ジャック「じゃあな、終わりだ」









ただ、あえて説明を付け加えるなら、



この水は『海水』で、



小物は全て、『黒髭製のボトルシップ』であることぐらいだ。













ジャック「落ちろ、怪物」







535 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:22:30.43 ID:sE/Vv+Mi0




ジュラルミンが軋む。
如何に頑丈な箱でも、内側からの圧力には耐えられない。




泊地水鬼が異変に気付いた時にはもう遅かった。



箱がひしゃげたような凶悪な音を上げると、
肩を、腕を、腰を、頭を、ありえない質量の衝撃が襲ってきた。




朦朧とした意識で、目を上に向ける。神通の照射のおかげで、いや、照射のせいで、
何が襲ってきたのか把握した。





それは、船。船。船。





小さな箱からはありえない量が、箱から飛び出て、泊地水鬼の直上を覆っていた。




536 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:23:39.60 ID:sE/Vv+Mi0





泊地水鬼『ァ、――ソラ……』







それは、かつてカリブの海を駆け抜けた、総数30近い巨大な船の残骸たち。

膨大な鉄と木。純粋な質量合計にして数万トン!




あの巨大戦艦・大和をも超える超質量の塊が、

空を見上げる泊地水鬼に直撃した!






泊地水鬼『!!!』





雨あられと降り注ぐ、残骸たち。大砲の残骸は外殻を砕き、巨大な木片は肉を削ぎ、
それらの絡まった縄は重量だけで皮膚を切り裂いた。




537 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:24:12.76 ID:sE/Vv+Mi0






泊地水鬼『――――ア゛アァァ゛ア゛ア゛アァ゛アァ゛ァァアアアア゛アアア!!!!』





鼓膜が破れそうになるほどの声で叫ぶ泊地水鬼。
壊れた顔面でここまではっきりと発音できたのは彼女が人外たる所以だろうか。





うず高く堆積した船の残骸の中、燃えるような赤い目で、光を向ける神通たちをにらみつける。





神通「……」



泊地水鬼『……オ、オマエモ、クズレテ、ハガレテ、シネ!!』





最期のあがきだろう。ジュラルミンの箱が直撃した方とは反対側の、ひと際大きな主砲を神通に向ける。
艦娘たちはその抵抗を見て一瞬戦う構えを見せるが、神通がそれを制し、前に出た。




538 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:25:00.61 ID:sE/Vv+Mi0



泊地水鬼『シネ! イキルコトハ、カワナイ、モドレナイ!』


神通「戻るわ」




泊地水鬼の怨嗟の声を受けながら、神通が凛とした声で返す。
その眼には、もはや迷いはない。




神通「生きて、戻るのよ。私は、そう決めたの」



神通は右手の砲を泊地水鬼に向け、放つ。
小威力の砲弾は、大した貫通もせずに、泊地水鬼の身体に当たり爆発する。



本来はここで終わり。



539 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:25:45.70 ID:sE/Vv+Mi0



しかし、今、泊地水鬼に覆いかぶさる残骸は船である。
そこには当然、当時最強の海戦兵器だった大砲を動かすための、大量の火薬がそれぞれの船に積まれている。


以前、ブラックパールに乗せたいくつかの火薬樽は、大爆発によって怪物・クラーケンの強靭な足を吹き飛ばした。
今回の爆発は、そんな火力と比べることもできない程の、数え切れないほど莫大な火薬。




神通の砲弾に誘爆して、合計にして数十トンの火薬が炸裂する。



鉄と木で破壊された部位に、大爆発が炸裂した!




540 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:26:16.08 ID:sE/Vv+Mi0





泊地水鬼『ア゛ア゛アァァァアァァアッ!!!!!!』







例え陸の防御力をもつ泊地の化身といえども、これほどの一撃は、とても耐えられない。










泊地水鬼『ァ……――――、マタ、トベナイ、ソラ――』






小さく呟いて、その真っ白な身体を血と煤で染め上げながら、
泊地水鬼は空を見上げて沈んでいった。





541 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:28:03.86 ID:sE/Vv+Mi0
ブラック・パール号 甲板//







大爆発の閃光が夜を切り裂き、すべては終わりを迎えた。
後に残ったのは飛び散った鉄と木片、泊地水鬼の血肉。



そして、




???「…………」

ジョーンズ「カリプソ……」



そのカリプソは、無数のカニでも、ジャックたちの良く知るティア・ダルマの姿でもなかった。
短い赤茶の毛をした肌の白いその姿は、神話で語られたニンフとしてのカリプソそのものであり、
資料で知ったベケットや本人を知るジョーンズ以外の者はカリプソのこの真の姿を知らなかったが、
その美しさと圧倒的な神秘性に、海賊たちは一目見て彼女がカリプソ本人だと悟った。


カリプソ「あぁ……、あぁ、……愛しいあなた、やっと、やっと会えたわ」

ジョーンズ「お前が海から迎えに来るとは……、皮肉なものだ」

カリプソ「わたしはいつだって迎えに行きたかった」

ジョーンズ「お前はそんなことはしない。決して!」



542 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:28:59.04 ID:sE/Vv+Mi0



ジョーンズは、悪逆に染まる前のかつてのデイヴィ・ジョーンズは、カリプソと燃えるような恋をした。


そしてその末に死者の魂を運ぶ仕事を授けられ、彼は、10年に1度しか、陸に上がることができなくなった。
それでも彼は腐ることなく、カリプソに与えられたその仕事を全身全霊に勤め上げ、10年を経た。



そして、陸に上がったその一日、会う約束をしていたカリプソは他の男に熱を上げ、来ることはなかった。



これを裏切りと思ったジョーンズは、傷つき、やけを起こし、死者の魂をいたぶり、自らの奴隷とした。
結果、ジョーンズは、役目を放棄した因果で呪われ、深海生物のような身体になってしまったのだった。




ジョーンズ「お前は裏切られた私の気持ちが分かるか!? お前は俺を開放するために、その純愛を捧げ、
      岩より身を投げて貞節を証明することができるか!?」



カリプソ「ジョーンズ……」



ジョーンズ「あぁしないだろうさ。しないとも。……だからこそ、カリプソ、きみなんだ。」



543 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:29:30.59 ID:sE/Vv+Mi0



カリプソ「…………」


ジョーンズ「そんな君を愛したんだ」


ジョーンズがゆっくりとカリプソに近づく。足取りは遅々としており、踏み出すことに緊張しているようだった。



ジョーンズ「心臓を取り出し、心を失い、私はこの力を悪用した。むごいことを恐れなくなった。恐怖など消え失せた。
      ……だが今こうして、君と向かい合い、私は、それが過ちだと知った」

カリプソ「いいえ、ジョーンズ。あなたはこの世界に来て、よくその仕事を務めた。
     誰に言われるでもなく彷徨う魂を運んだ。だからこそダッチマンも応えた。わたしの愛したあなただったわ」




カリプソもジョーンズにゆっくりと近づいていく。



ジョーンズ「カリプソ……、もう私の前から消えてくれるな」


カリプソ「いいえジョーンズ……、わたしはひとところにずっといるのは嫌なのよ。どんなに、これほど愛したあなたでも」




カリプソは苦悶に満ちた表情で目を閉じる。



544 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:30:20.03 ID:sE/Vv+Mi0




カリプソ「空気が、あの不毛な島の空気が、今や海の絶え間ない轟音や鳥たちの轢るような鳴き声が響き渡っていて、あまりにも虚しい。」




脳裏に浮かぶのは、古代ギリシアの叙事詩『オデュッセイア』でも語られた、
カリプソがオイディプスと7年の歳月を愛し合った島。

そしてのちに、故郷に戻りたがる彼を引き留めきれず、去って行っていく姿を見ていることしかできなかった島。


誰かを愛し、愛されても、誰かを閉じ込めることでしか愛せない岩の島。そんな、岩の檻。




カリプソ「目覚めが恐ろしいの、あなたが死を恐れるように。そう、以前、わたしは死んでいたのよ、今ではそれがわかるわ。
     あの島には海と風の音以外に、私には何も残っていなかった。嗚呼、ひとつの苦しみもなかった。わたしは眠っていた。
     でもあなたがやって来て以来、あなたは、あなたのなかに別の島を運んできたわ。」




カリプソは、人の中で生きたその時間の間にも、心はあの島に捕らわれていた。


時が過ぎることのない海に囲まれた島で、超越者として、生き続ける死者として、死ぬべき生者として、
ほぼ悠久の時を、神話の時代から繰り返してきたのだ。



545 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:30:51.97 ID:sE/Vv+Mi0



カリプソ「あなたに役目を与えたのは、あなたにも永遠の命を与えるためよ。
     死ねばすべてが無になる。あなたの記憶も、ただの過ぎ去った時にしかならないのよ」



無限の島で、かつて愛した男に裏切られた女は、いつしか男を裏切ることでしか愛せない女になっていた。


熱愛し、極上の甘い生活、安楽な生活、歓びの生活を与え、老いを遠ざけて見せた男は、彼女を置いて去ってしまった。
結果、例え苦行を与えることになろうとも、どれだけ自分本位でも、彼女は今のやりかた以外に愛される方法が分からなくなってしまったのだ。




ジョーンズ「……」



546 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:31:22.11 ID:sE/Vv+Mi0



ジョーンズは思った。カリプソは傲慢で放漫な海の女神、……海の化身そのものだった。
人に多くを与え、多くを奪い、気まぐれに苦難や順境を与える海そのものだと思っていた。


しかし、違った。彼女は本当に海の化身であった。奔放な面もあるだろう。
でもその根底にあるものは、悲しみだった。


まっさらな海。ただ過ぎていく時間しかない海。
かつて同じニンフたちが、同じ時代を生きた多くの女性たちが、
その悲恋の果てに身を投げ、果てた愛と惨禍にまみれた海。



海の勝手を知ったる海賊のデイヴィ・ジョーンズですら知らない、海の女神の心がそこにあった。




ジョーンズ「カリプソ……」




だからその時。ジョーンズは初めて女神の心臓に触ることができた気がした。



547 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:35:27.06 ID:sE/Vv+Mi0



ジョーンズがカリプソの頬に手を伸ばす。それは涙にぬれている。

だがその手は最早人のものではない。呪われた、大きく鋭い蟹の手であった。


こんな手ではカリプソの頬を傷つける。この時、デイヴィ・ジョーンズは
役目を放棄したことへの何度目かの後悔をしていた。

この世界に来て、懸命に役目を果たし、海の怨霊たちを沈め、あの世へ運んだ。
だが、焼け石に水だ。呪いを少しずつ後退させ、足だけは元に戻った。
それでも、それだけだ。その腕はまだだれかを抱きしめることはできはしなかった。



カリプソ「ジョーンズ……」



だがカリプソは構わずその手を取る。鋭利なその手のせいで、カリプソから血が流れた。
しかしそんなことは関係ないとばかりにその手に頬を寄せた。
まるでそれはジョーンズに過酷な運命を与えてしまった懺悔のように見えた。



ジョーンズは一瞬瞠目し、手を引っ込めそうになる。
以前ならば、そのようなカリプソを愛したわけではないと突っぱねたかもしれない。
しかし、その弱さを知った今、小さな動揺と諦観と、大きな情愛が芽生えていた。





548 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:36:07.81 ID:sE/Vv+Mi0



カリプソ「これが本当に自然な私よ。愛しいあなた。」


全てを告白したカリプソの目は、例えようもなく美しかった。





カリプソ「これでも私を愛してくれる?」





ジョーンズは何も言わずに抱きしめた。彼女を傷つけないように、そっと抱きしめた。





ジョーンズ「私は言ったはずだ。自然のままの君を愛すると」




549 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:37:52.02 ID:sE/Vv+Mi0



ふと、ジョーンズは思った。



船に残った日記と、ベケットから聞いたこの世界のフライング・ダッチマンの元船長の話だ。



男は幽霊船に呪いをかけられ、7年に一度しか陸に上がれない呪いにかかった。
そしてその呪いは、乙女が真に自分を愛してくれることでしか解けなかった。



そうして長い年月を経て、男は、自分を愛する証明として、崖から命をなげたその女の愛によって解放され、
船長を失ったさまよえるダッチマンは沈没していった。




この話を聞いて、当然自身に話を重ねた。自分もまた、カリプソの愛なしでは解放されないと思っていた。




だが、ジョーンズは思った。



本当に、海の囚われ、愛によって解放されることを望み、さまよっていたのは、他ならぬカリプソなのではないか。
彼女はきっと真に愛し、愛されることでしか解放されないのだ。あの、空虚の鳥かごの様な島と海からは。




ジョーンズ「カリプソ、私をその島へと連れていけ」





ならば、ジョーンズは決意した。



愛する証明として、崖から命をなげる役目は、自分が負ってみせると。






550 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:38:19.63 ID:sE/Vv+Mi0



カリプソ「いいえ、ジョーンズ。人であるあなたには耐えられないわ。この世のはざまにある、どこでもないその島は、
     時間が過ぎるだけの島。どんな楽園に見えても、時間がただの岩の塊へと変える魔の島よ」

ジョーンズ「構わない。気が済むまで閉じ込めるといい。私は、オイディプスのようにはならない。
      100年だろうが、200年だろうが、きみと会えるまで待ったあの10年に比べれば、どんな風よりも早く過ぎるだろう」


カリプソ「私の……、ジョーンズ」




カリプソは熱っぽい瞳でジョーンズを見つめる。




ジョーンズ「それにもし島が気に入らなくなれば私に言え。どこへでも連れていける。どこへだってさまよえる」



ジョーンズが足をならすと、ボロボロのフライングダッチマンが海底から現れる。
先ほどハチの巣になった部分には多くのフジツボが付着している。この船のダメージコントロールと言えた。






カリプソとジョーンズは二人でこの船に乗った。





船はジョーンズの意思に従い真っすぐ進んでいく。







551 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:38:53.64 ID:sE/Vv+Mi0





ジャック「おい待て待て! すっきり解決したような風に行くな!」




この雰囲気に口を挟むのは余りにも野暮であったが、このまま時空の狭間の島とやらに行かれては、

自分たちはここに置いて行かれてしまう。それでは何のために命を張ったかわからない。



カリプソはそんなジャックの声を聞き、ジョーンズと手を繋いでいない方の右手を高く上げた。
しかし何も起こらない。




ギブス「お?」




ギブスの声に反応して皆が振り向くと、彼の足元に一匹の蟹が横歩きで船室から現れた。


いつから船にいたのだろう。たったいま出現したのかもしれないし、下手をすれば
数年前にティア・ダルマが無数の蟹になって嵐を起こした際に残っていたのかもしれない。



蟹は、男たち全員の視線を受けながら船を横断する。


そしてそのまま船縁の隙間をぬけて、海に落ちた。



552 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:39:22.34 ID:sE/Vv+Mi0


ポチャンと音を立ててできた小さな波紋は、なにかの魔力がこもっているのだろう、
瞬く間に渦となり、船を囲んでいく。


この渦に飲まれれば、向こうの世界に帰れるのだろう。
一安心するジャック、ギブス、バルボッサ。





ベケット「待て! 私は戻る気は無いぞ!」



飛び降りようとするも、そこは文字通り渦中である。
人の身では落ちれば死ぬかもしれない。
そんな状況を、心底楽しそうに微笑んでいるのがバルボッサである。



バルボッサ「安心したまえ、過少戦力でこき使ってくれたお礼に、優しく仲間の元に返してやろう」



見ると、状況を察してか艦娘たちが渦に沈みゆくパールに向かって滑走してくる。

バルボッサは慣れた手つきで船の備品であるロープを動かし、ベケットの右足に絡みつかせた。
次に何が起こるか理解したベケットは顔をしかめた。


553 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:39:50.29 ID:sE/Vv+Mi0



バケット「おい、もう少しやり方があるだろう?」


バルボッサ「贅沢は敵だ、まず不服を言いますまい」



それはグアム基地内で掲示してある標語の一つ。日本語は読めない筈のバルボッサ。
何処で覚えて来たのか、今更ながら油断ならない男だった。




バルボッサ「では、さようならだベケット君」




その言葉とともに、強力な力で海に放り投げられるベケット。
空中に浮かせるように投げるというよりは、海に向かって一直線に叩きつけられた形だ。
威力がなくてよかったが、その気になればそれで人が殺せる勢いだ。


バルボッサを含む、海賊たちの笑い声が聞こえ、
やはり海賊は根絶やしにしておくべきだったと、沈みゆくベケットは思った。



554 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:40:18.21 ID:sE/Vv+Mi0



吹雪「ベケットさん! 無事ですか!」


ベケット「ぐ、あぁ、何とかな……」




真っ先に駆け付けた吹雪に助けられ、海上に引っ張り上げられるベケット。
吹雪一人では支えるのがやっとだったが、追いついた天龍達三人の手助けを受けて、
何とか命の危機を脱する。


天龍「海賊共は?」





見ると、さっきまで渦に飲まれていたブラック・パール号は影も形もなかった。
カリプソとジョーンズを乗せたダッチマンもだ。





555 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:40:44.33 ID:sE/Vv+Mi0



ベケット「知らん、帰ったのではないか?」



漣「一応、お礼の一つでもいっておきたかったんですけどねー」


ベケット「不要だ。あれは礼を言われて、腹も心も膨れない奴らだ」



ベケット自身、互いの都合の為に利用しあった間柄とはいえ、多少の感謝の気持ちはあった。
いまこれだけぞんざいに言っているのは、偏に海に叩きつけられたからである。



神通「結局、何もよく分からないままでしたね」


ベケット「む?」



556 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:41:24.75 ID:sE/Vv+Mi0



神通「急に来て、急に現れて、一緒に戦って、すぐ帰っていきました。
   互いに理解する時間もありませんでした」


ベケット「簡単だ。あれは海賊、ジャック・スパロウだ」


神通「いえ、でも、よく分からないままでしたけど、
   結局はよく分からないままに、私たちを助けてくれました。
   決していい人ではないですが、悪い人だったとは思えません」



その神通の一言に、ベケットは即答した。



ベケット「だから言っている。それこそが海賊、ジャック・スパロウだ」




神通はその回答に目をぱちくりとさせる。

神通はベケットがジャックを嫌っているものだと思っていた。
いや、実際心底憎んでいることは間違いない。
幾度となくベケットの邪魔をし続けたのだから当然だ。



だが、かつて東インド会社で社員だった彼と決定的に袂を分かったきっかけは、
ベケットがジャックに奴隷を運ばせたからだ。ジャックは略奪も殺しもやる海賊だが、
それでも船員は大事にするし、無闇な虐殺もしない。倫理と人徳は持ち合わせている。


会社の業務故に彼にその任務を遂行させたが、ベケット自身も、利益のためでなければ
そんな商売に手を出すことはなかっただろう。


憎んでいるし、理由もある。だが、まぁ、それでもジャックという男を理解していたため、
心の底からの悪人だったとはいえないベケットだった。



557 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:41:50.19 ID:sE/Vv+Mi0




神通「わかりました。なら、その海賊に、海賊たちに、感謝をします」



全員が水平線を見る。嵐は去り、雲は晴れ、波も落ち着いた。


全てが無事に終わった海からは、穏やかに朝日が昇ってきた。


さっきまで海賊たちのいた所が、日の光で塗り替えられる。




そこにはもう、彼らの居た痕跡はない。
あれは幻だったと、いつかこの先言われれば、信じてしまう時が来るかもしれない。
ならばせめて今だけでも感謝しよう。





海賊たちの消えた方向へ。誰が言うでもなく、全員の敬礼がそろった。















558 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:42:35.13 ID:sE/Vv+Mi0








泊地水鬼の討伐は、こうして完了した。








本土・南方戦線に与えた被害は大きく、各地に爪痕が残ってしまった。



不幸中の幸いだったのが、嵐のせいで敵の攻撃性も精確性を欠いたこと、
雨で爆炎が比較的消火しやすかったことなどから、人的被害はそこまで広がらなかったことだ。



また、泊地水鬼がカリプソと分離した時点で、女神の力で無理やり構築されていた
前線の内側で防衛線を張った深海棲艦も瓦解。それまで挟み撃ちにあっていた前線は、
それを機に反攻。生存圏を更に東へ追い返した。



ベケット不在のグアム警備府も、その後、複数の敵艦隊による攻撃を受けたが、
優秀な工兵部の修理で、空母に破壊された対深海棲艦用の砲塔が回復。

湾内に侵入した敵を、南のオロテ半島と北のサンゴ礁の両方向から
クロスファイアで沈めるという、このアプラ・ハーバーの本領を発揮し、これを撃退した。



またこの時、囮や港正面死守に尽力した曙は、その前後の功績も合わせて
南方防衛の英雄の一人として扱われることとなった。




559 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:43:10.42 ID:sE/Vv+Mi0



一方で、ベケットらの扱いは実に静かなものとなる。


そもそも泊地水鬼は、その以前に沈没したものとして扱われている。
それが今回の敵となったというのは、日本帝国海軍における重大な醜聞となる。


そこで、様々な取引があった結果、責任と功績の両方を前線に預ける形となった。
前線が新型の水鬼級深海棲艦に突破されたが、南方の英雄たちと前線の意地で
なんとか撃破したという結末で喧伝された。


無論この件で、ベケットは本土に対して重大な貸しを作ることとなり、
終始ほくそ笑んでいたと吹雪は周囲に話していた。



天龍たちも、同様に功績をなかったことにされたが、横須賀鎮守府のトップにはこの一件は伝わっており、
彼女たちは、提督とその周囲の一部の艦娘に一目置かれることとなる。漣はこれで仕事が増えるのではと
戦々恐々したが、彼女たちもまた、提督にとっては上層部に対する重大なカードとなったので、
とても大事に扱われたそうだ。



560 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:43:37.48 ID:sE/Vv+Mi0


ちなみにこの一件、ベケットの発表では、
「倉庫に預けられていた大和の主砲を無理やり天龍に接続して砲撃して倒した」と伝えられている。


上層部の命を受けての本土から調査が行われたが、その時、泊地水鬼を囲むようにして多数の深海棲艦が居たこと、
海に廃棄された多数の艤装があること、そして泊地水鬼の周囲に昔の帆船が一緒に沈没していたなど、様々な謎が浮かび上がった。


これに対しベケットは、奇跡的にうまく切り抜けたと、艤装はグアム基地襲撃の際に艤装を本土に逃がそうと輸送した
ものを沈没されたのではと、沈没船は嵐の海流で流されてきたのではと、調査に対しこう答えている。



無論、これには疑いの目があったものの、他に合理的な説明もなく、この件はそのまま前線に託された。



561 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:44:10.98 ID:sE/Vv+Mi0



尚、グアム諸島の島民たちによれば、基地に二度目の襲撃がやってくる数時間前、
日本側に向かって、一隻の船が向かって言ったのを見た者が居るという。



しかもそれはただの船ではなく、とても古い真っ黒の帆船で、まるで大昔の海賊船のようだったと噂された。
タイミングがタイミングなので、それは幽霊船だ、不吉の証だ、海の悪魔デイヴィ・ジョーンズがやってきたなど、
様々な憶測がたてられたが、所詮は眉唾。ただのホラ話として片づけられた。



ちなみにタイミングで言えば、その時には既に泊地水鬼がその進路の先に陣取っていたこともあり、
龍の海域から現れた怪物を、古き海賊たちが打ち破ったのだと村の呪術師が憲兵たちにそう訴えたそうだが、
この報告書は笑って済まされ、その後シュレッダーにかけられた。



その数日前、グアム警備府では不審船と男数名を捕らえたという報告は上がっていたが、
調査官はこれと関連付けることはできず、この謎は、そのまま風化し、消えていった。





この謎の答えは、何だったのか。





それもまた、噂に埋もれた真実。






562 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:44:38.58 ID:sE/Vv+Mi0




























563 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:45:20.69 ID:sE/Vv+Mi0
5分休憩。
後にエピローグ。
564 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:49:42.08 ID:sE/Vv+Mi0
再開
565 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:50:09.56 ID:sE/Vv+Mi0
グアム諸島警備府 外国人士官区//






吹雪「ベケット少尉!」


ベケット「新米少佐だ。吹雪君」



引継ぎの書類が積み上がった机に座るベケットは、一枚の紙を見せた。
それは昇進の案内と、グアム警備府の司令官任命書だった。



吹雪「え、えぇ!? ベケットさん、司令官になるんですか!?」


ベケット「敬称」


吹雪「あ、とと。すみません。癖で」


ベケット「人前でなければ構わん。君と私の仲だ」



この世界に来てほぼずっと毎日のように顔をあわせていたのだ。
今更吹雪が多少抜けていることくらい承知の上だった。


566 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:50:40.98 ID:sE/Vv+Mi0



ベケット「さて、ようやくここまで来たな」


吹雪「……はいっ」


ベケット「これで練度不足のまま君が戦地に行くこともなくなったわけだ」





ベケットがこの世界に訪れたのは、人材も、資源も、
そして艦娘たちの不足が極限ともいえる頃だった。


救助され入院していた頃も、軍を手伝っていた頃も、ベケットは、
碌な装備も訓練ないまま、遠征や援護、防衛に使われ、
いつ沈むかわからない程、ボロボロになった吹雪を見ていた。


567 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:51:10.15 ID:sE/Vv+Mi0



ベケットの生涯において、基本的に悪人が多かった。


ジャックの様な無法者や、母を毒殺した父のような根っからの悪辣な人間、
そして東インド会社で出世争いをしてきた冷徹な同僚たち。

良き人など片手で数えられるほどだった。
しかしだからこそ、そういった人たちには心の底から感謝したし、
命の恩人であり、なにかと便宜を図り、助けてくれた吹雪の救けになろうとしたのだ。


ベケットが主計科に入って辣腕を振ったのも、
せめて装備や補給・設備だけでもなんとかしようとしたところが大きい。



568 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:51:51.04 ID:sE/Vv+Mi0



吹雪「……まさか、本当に、あの入隊したときの約束を守ってくれるとは思っていませんでした」


ベケット「私はよく嘘をつくが、そういう無駄な嘘はつかない」


吹雪「ふふっ、分かってます。頑張っていらっしゃったのは、私もよく知っています」


ベケット「受けた恩は返すさ。利益は常にイーブンが理想だ。お互いの利益の為にな」




ベケットは窓の外を見る。

基地は未だ泊地水鬼の攻撃で半壊している。とりあえず一つの目標は達した。
次の目標は、差し当たってこの基地の復興だろうか。

いや、次元の集積地である竜の海域が近いこの島では、また何が現れるかもわからない。
それこそ、現地民の逸話の様に、今度こそドラゴンが出てきてもおかしくない。


基地の復興ではなく、基地の要塞化に努めよう。
後、これを機にドックの建築をさせてもいいかもしれないとベケットは考えた。


以前から吹雪が鎮守府のそれを羨ましそうに言っていたのだ。
泊地水鬼のデータと引き換えに、本土に嘆願してみるのも悪くないと思った。


569 : ◆JjxDNGokTU [saga]:2017/08/15(火) 23:52:23.45 ID:sE/Vv+Mi0



ベケット「では、吹雪君。早速仕事だ。やることは多いぞ」


吹雪「こほん。お、お言葉ですけれども、新しいスタートを、こうすーっと終わらせるのは……」



ベケット「? どういうことだ」


吹雪「せっかくなので、その、秘書艦になれたら言いたい自己紹介みたいなのがありまして」



ベケット「自己紹介? 今更かね?」



吹雪「確かに私たちは今更ですけど! 普通は司令官になる前から一緒に仕事してる人なんてあんまりいないですから!
   普通初対面ですし、皆ちゃんとセリフ考えてるんですからね!」


ベケット「わかったわかった。よろしく頼む」



割と必死になってその重要性を伝えてくる吹雪だが、本当に今更過ぎるのと、
披露したくてたまらなさそうな表情を見て笑ってしまいそうになるベケット。


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