他の閲覧方法【
専用ブラウザ
ガラケー版リーダー
スマホ版リーダー
BBS2ch
DAT
】
↓
VIP Service
SS速報VIP
更新
検索
全部
最新50
【艦これ】提督「風病」 2【SS】
Check
Tweet
367 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/04(月) 23:55:10.13 ID:6/FAGLbz0
ああ。そうなんだ。もう、彼女の笑顔を見ることも、作ってくれた唐揚げを食べることも、一緒にコーヒーを飲むこともできないんだ。
両膝を強く掴んだ。服が、千切れんばかりに歪む。
ぽつり、と水滴がうなじを叩いた。
彼女との日常は、失われたのだ。もう永遠に帰ってこない。当たり前にあったそれが、どれだけ尊かったことなのか、彼女を失ってはじめて……はじめて……気づいたんだ。
俺はいつも遅すぎる。
提督「雷……」
視界が、歪んでいく。うなじに触れる水滴は、一つだけではなくなった。二つ三つ、頭にも落ちてくる。
彼女を追い出そうとした。彼女の一方的な行為に耐えきれなくなって逃げようとした。向き合おうとしながらも、目をそらし見ないようにしていた。なあ、俺は、なんて身勝手なんだろうな? 言い出したのは俺なのに、「家族」であることを後から否定して、その関係を清算できないかと考えてしまっていたんだ。
なあ、雷。
雷。
俺たちは……。
雨が、降り出した。俺の涙をさらうように、濡れた髪から雫が流れていく。
368 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/04(月) 23:55:58.47 ID:6/FAGLbz0
ときに嘆き、ときに喧嘩し、ときに対立し、ときに感情を図れず、ときに一方的になり、ときに踏みにじってしまう。それでもだ。それでも、俺たちは一時でも笑い、助け合ってきたこともあった。暖かい時間を共有し、励まし合える関係だった。
その関係が、「家族」でなくてなんだというのだ。
俺は、地面を叩いた。拳で殴り、手のひらで打ち、地面を指で削り取るように掴んだ。
激しい慟哭を上げた。雷の名前を、何度も、何度も、空に向かって叫びながら、取り乱した。雨が、激しく降っていた。そんなことどうでもよかった。濡れようが、このまま潰されて溶けてしまおうが、どうなってもよかった。雨が目に落ちてきても、瞬きさえもしないで泣き喚いた。稲妻のような嘆きを、叩きつけ叩きつけ叩きつけ叩きつけ叩きつけ叩きつけ叩きつけ叩きつけ叩きつけ叩きつけ叩きつけ、喉が壊れるくらいに叩きつけた。
雷。
俺たちは、「家族」だった。「家族」だったんだよ。
ごめんよ。俺はお前を家族として受け入れようとしなかった。受け入れるべきだったんだ。清濁併せ飲む覚悟が足りなかったんだ。俺の意志の弱さが、お前を狂わせたのかもしれない。
選択した結果はいつも無惨だった。
本当は、彼女のように「家族」を求めていたのに。失ったものの影を、追っていたのに。必死に見ないようにしてきた結果が、これだった。すべてを失った後では、もう何もかも遅すぎる。声をかけてやることさえも出来やしない。
369 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/04(月) 23:57:36.23 ID:6/FAGLbz0
軍帽が、地面に落ちた。泥水と雨を吸って汚れていく。手袋ももはや茶色に濁りきっていた。
降りしきる雨が、嘲笑う。
家族を失い続ける俺を、嘲笑う。
なあ、静流。兄ちゃんは、また守れなかったよ。
お前を死なせて、親父も母さんも自殺に追い込んで、手の届くところにいた雷すらも救えなかった。
兄ちゃんは愚かだ。
無能。かつて、親父が俺をそう詰った。そのとおりだ。閣下の期待なんて的外れなんだ。俺は、ドン・キホーテ。風車に突撃をして失笑をかう程度の存在。裸の大将。過大な夢を見る馬鹿。現実を理解していないクズ虫。
酒瓶が手にあった。飲もうとしていた。無意識だった。飲まねばやっていけないと身体が叫んでいた。酒の味を、アルコールに麻痺する感覚を欲していた。馬鹿だ。馬鹿だ。俺は、馬鹿だ。こんなところに来ても、酒を手放せない。
叫びながら、瓶を叩きつけた。瓶は、音を立てて砕けた。「髭の王様」が死んだ。
370 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/04(月) 23:58:21.06 ID:6/FAGLbz0
胸を焼いたのは激しい自己嫌悪。アルコールで誤魔化そうとした痴愚。胃の内容物が、感情の澱をともない、せり上がってくる。逆側からも焼かれる。まるで地獄の業火だ。己の罪を己の内側から糾弾されている。
耐えられず吐いた。雷の墓石を汚さないようにするのが精一杯だった。キリギリスに胃液がかかった。俺は死を愚弄した。止まらなかった。鼻に逆流して、鼻からも垂れ流すほどに出した。そのほとんどが胃液と朝飲んだ酒だった。食は喉を通らなかった。酒だけを浴びるほどに飲んでいた。ここ数日、ずっと。
涙が止まらない。雨は、誤魔化さない。消してくれない。俺の惨めさを。俺という人間のくだらなさを。なにも。
膝を抱えていた。子供のように丸まりながら。
提督「……ごめんなさい。お父さん、お母さん」
謝るな。
提督「静流を見殺しにしてしまいました。何もできませんでした」
謝るんじゃない。二人はもういない。
提督「僕が、悪かったです。僕が。僕が……。僕がもう少し頑張っていれば、きっと間に合っていました。僕が、無能だから。無能だからあんなことに。ごめんなさい。許してください」
やめろ。やめてくれ。
もう、振り返らないと決めただろう。
371 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/05(火) 00:00:32.94 ID:OJCCSoxP0
でも、止まってはくれない。シナプスが弾けた。記憶が闇の底から溢れ出す。静流の黒い髪、笑顔、静流だけを見詰める両親、粗末に置かれた犬のような食事、寂しさ、静流の死、両親の罵倒、二つの宙吊りになった人影――お父さんとお母さん、赤黒く腫れ上がった顔、床に垂れ流された汚物。
独り、取り残された、俺。
提督「……見捨て、ないで」
身体の震えが止まらない。
雨音は、俺を罰する神の声だった。冷たく濡れたシャツが俺の全身を縛り付ける。
この世界に存在することさえも嫌だった。死にたい。できることなら、いますぐ心臓が止まって欲しい。
いや、正確じゃない。ただ逃げたいのだ。消えたいのだ。罪を失くして生まれ変わりたいのだ。子宮に戻り人生をやり直したいほどの恥。子宮回帰願望という、無能の証明。負け犬が抱く思考そのものだった。
嘲笑いが溢れるのを抑えきれない。俺は壊れていた。思考に整合性を感じない。涙が出るほど、ゲロを吐いてしまうほど苦しいのに、嗤いを止めることができない。なんで、笑うのか?
もう、それすらも曖昧だった。
372 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/05(火) 00:01:17.36 ID:OJCCSoxP0
投下終了です。
373 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/05/05(火) 01:35:44.69 ID:1bCDihOwO
乙です!
こっから浜風と陽炎がどう動くか楽しみ
374 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/05/05(火) 05:40:40.24 ID:zJe4yvIt0
乙
陽炎がこのss唯一の癒しだわ
375 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/15(金) 00:47:22.90 ID:3NEEFWr10
□
提督は、悲しんだ。
自分に取り憑いていた寄生虫の死を。子供のように膝を抱えて、掠れた笑い声を上げながら。私が差し出した傘にも、苛む雨が止まっていることにさえも気づくことなく。
提督の姿は、精神病院に囚われた子供たちを想起させる。私が艦娘になる前に入れられていた白いところ。色々な子供たちがいた。壁に語りかけて返事をもらう子、頭を打ち続けて自分の存在をアピールする子、糞尿を垂れ流しながら走り回る子、膝を抱えて自分の世界に閉じこもる子。記憶の中にいた誰かの姿と提督の姿が重なっている。
ああ、可哀想に。
あんな寄生虫のせいで。こんなにも苦しむなんて。
傘が揺れる。提督を責めてやりたいと悪魔が風を差し向けたようだ。私は力を込めて傘を抑え付けた。
良心の呵責はない。
私は間違ったことは何もしていない。あいつは提督から血と精神を吸うだけに飽き足らず、高潔な優しい想いさえも踏みにじり汚そうとしたのだから。思い出すと、いまでも腸が千切れそうになる。あの夜、私が見た光景。あれは紛れもなく破戒だった。
376 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/15(金) 00:48:11.69 ID:3NEEFWr10
許せるはずがない。私の大切な人を、温もりをくれた人を、愛を教えてくれた人を、あんな目にあわせた。陵辱。この熟語は、死ぬほど嫌いだ。万死に値する罪だ。たとえ未遂だったとしても、提督に触った指をすべてへし折って舌を切り落としても足りないくらい、やつがやったことは許せなかった。
墓に入った今でも――。いや、だからこそ。骨となって戻ってきただけじゃ飽き足らず、いまもこうして提督を苛んでいるのだから、本当に質が悪い寄生虫だ。細菌よりもしつこい。死してなお提督を苦しめている。
でも、仕方がないことだとはわかっている。殺害とは、死とはこういうものだ。どんなチンケな存在であれ、人間として存在を定義された者の死である以上、人の心には深いシコリが遺ってしまう。南鎮守府で嫌というほど見てきた光景だ。誰かの死が、誰かを苦しめる毒として蓄積していく。やがて死に慣れていくが、そんなものは表面上の麻痺でしかない。心が壊れないように蓋をしているだけの状態だ。奥底では、ずっと沈殿し続けて、やがて新たな死を呼ぶ病となる。
まるで――風病のごとく。
死の破壊力を、私は知り尽くしていた。だからこそ、あの寄生虫を殺さないことに拘っていた。私を殺そうとしたところを、証拠を掴んだ上で糾弾し、追放してやるつもりだった。回りくどいほどにあいつを挑発し続けたのも、出撃に追い込まれたあいつを私の後ろに置くよう誘導したのも、すべてそのためだった。あんなことをあいつがしなければ、私があいつを殺すことなんてなかったのだ。
だけど、私はあの女を殺した。躊躇なんてなかった。私の怪物のごとき憎しみが、理性を変容させた。殺害行為のデメリットよりも奴を消し去るメリットの方が大きいと判断させるほどに。
377 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/15(金) 00:49:19.04 ID:3NEEFWr10
出撃再開までの一週間は、地獄だった。ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと我慢していた。殺したかった。八つ裂きにしたかった。だから、その感情を慰めるためにも、殺すまでのあいだ提督に指一本触れさせないためにも、釘を刺してやったのだ。偽装した書類を用意するのに一日かけたが、大したことはない。印鑑を掘るのも、提督の筆跡パターンを分析し一ミクロンのズレもない偽装文章を書くことも、なんということもなかった。
それを突きつけてやったときの、あいつの顔は滑稽だった。普段から考えるということを放棄しているためだろう。馬鹿は、すんなり信じた。さすがに薬まで使うのは想定外だったけど、釘は深々と刺さってくれた。多少の慰みにはなった。
が、満足するには程遠いものだった。殺さねば溜飲は下がらなかった。待ち望んだ一週間がきたとき、私は笑いを噛み殺すのに必死だったほどだ。出撃前に発艦させた艦載機が、見事に仕事を成し遂げたのをみた瞬間は、脳が溶けそうなくらいに喜びが広がった。泣き叫ぶ陽炎姉さんたちの中で、私だけが悪魔に魂を売り渡していた。
あははは。あははははははっ。
ああ、可笑しい。悪魔に魂を売り渡した? いまさら、なにを世迷言を言うのか。そんなもの、人間でなくなったときに、とっくに売り渡している。
だから、悪魔的な打算も浮かぶ。
私は、あの寄生虫の死でさえも利用する。吐き気を催すほどに憎いやつだが、せいぜい糧になってもらおうと思う。
378 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/15(金) 00:50:25.01 ID:3NEEFWr10
提督を、私無しでは生きられないようにする。私だけを見るようにし、私といるときだけ幸福を感じるようになってもらう。それが、最良な手段だ。これ以上、あの寄生虫みたいな存在が寄り付かないように。提督が汚されないように。
いま、あの女の死が、提督に深い影をさしている。前述したように死とは病だ。提督は深く傷つき、打ちひしがれている。あの女の死はなかなか消えないだろう。だが、かならず消してみせる。抹消はまだ終わってはいない。
お前は二度死ぬんだ。
私は、墓石に蔑視と嘲笑を向ける。だが、そんなものは一瞬だ。すぐに眼差しは愛しの人を捉える。抱きしめたい衝動にかられたが、今は肉体と肉体の接触がかえって提督を苦しめるだけだと分かっていた。だから、私は彼に慰めをかけることはしない。別の角度から布石を打つことにした。
怒りを煽る、という布石を。
浜風「提督」
彼は呼びかけには答えない。聞こえていないかのように笑い続ける。
だが、構わない。雨に打ち消されないよう声を張り上げる。
浜風「提督、聞いてください。あなたに報告しなければならないことがあります。出撃再開のあの日、私たちが第二次攻撃を受けたあのときのことです」
379 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/15(金) 00:51:35.64 ID:3NEEFWr10
提督の笑いが止まった。
私の嗤いがこみ上げてきた。
雨が、激しく私を責めた。服が濡れて肌に張り付いたが気にもならなかった。圧倒的な愉悦の前では、すべてが些事と化す。
浜風「あのとき、雷さんの艤装が故障を起こしました」
提督が、ねじ切れるような勢いで首を巡らせた。仄暗い三白眼がこちらを射抜いていた。私は神妙な顔を装って見詰める。雨など消えている。私と、彼の意識の前では、消え失せる。
私は、続けた。
浜風「あれは、誰かが意図的に故障させた可能性があります」
提督「……」
浜風「提督、辛いかもしれませんが、聞いてください。雷さんを間接的に殺したものがいるのです」
提督「……う、そだ」
嘘ではない。殺したものはあなたの目の前にいる。そして、艤装を破壊したものは、私ではない。
だから、私が語ることは事実を捻じ曲げた真実だ。
浜風「残念ですが、真実です。雷さんの艤装が故障を起こしたところは、私も陽炎姉さんも見ていました。一瞬でしたが、間違いありません」
提督「……あ、あ。うそ、だ。うそだうそだうそだ」
380 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/15(金) 00:52:40.06 ID:3NEEFWr10
提督が、頭を抱える。泥に汚れた手を振り回し、髪が汚染されることも厭わず、子供のようにイヤイヤをしている。
なんて、可愛いんだろう。私は歯を噛んで、堪える。下半身が、落ち着かない。こんな感覚、提督の温もりを知ったあのとき以来だ。ああ、これが本当の支配者のカタルシス。提督を所有したいという究極の欲求が、私を突き動かす。
提督の頬を、叩いた。乾いた音がなった。一瞬生まれた空白。唖然とする提督。
私は、この隙を見逃しはしない。
浜風「しっかりしなさい! 柊結弦! 雷さんの死を無駄にする気なの!」
提督「……」
私の目からボロボロと、意味がない水が流れ出る。この程度の三文芝居、何度もやってきた。目を見開く提督。驚いている。驚いてくれている。
浜風「あなたの苦しみは、想像を絶するものでしょう。これまで、あなたが犠牲を出さないように最善を尽くしてきたことはみんな分かっている。だからこそ、折れそうになっていることも……」
提督「……」
浜風「でも、ここで折れたらすべてが無駄になるわ! 雷さんだって、こんなあなたの姿なんて望んでいないはずよ! ……私たちのことを守ってくれるんじゃないの? 私たちを幸せにしたいんじゃないの? 私や陽炎姉さんと約束したことを忘れたの……?」
声のトーンを落とす。提督が俯いて、目を震わせていた。動揺が、走り抜けている。彼の中で記憶と思いが膨張しようとしている。今まで、何人もこうして操ってきた。だから、わかる。手に取るようにわかる。提督の心が、提督の感情が、提督のすべてが。
王になったような全能感が、私を軽くした。
381 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/15(金) 00:53:53.51 ID:3NEEFWr10
ああ、提督。提督。ていとく。
私は、あなたのすべてが欲しい。
傘を放り投げた。肉体の接触は、いまこの瞬間なら絶大な効果を発揮する。状況は目まぐるしく動く。私は、それに逆らわず提督を胸に抱いた。
浜風「……あなたには、私がいるわ」
提督「……はま、かぜ」
浜風「忘れないで。あなたが今後どんな苦しみに苛まれようとも、私は、私だけはあなたのことを絶対に見捨てない。雷さんを殺した犯人も、薬物を持ち込んだ馬鹿野郎も、私がかならず見つけるわ。あなたの夢も、あなたの望みも、かならず私が叶えてみせる。支えてみせる」
だから。
だから、私だけをミテ?
浜風「何度でも約束する。かならず……」
提督が、私の背中に腕を回した。彼の頭が腕の中に。温かい。今までにないくらい、温かい。私はうっとりと法悦に浸る。
ふと、水溜りが目に入る。波紋を作り続ける水面。浮き上がったキリギリスの死骸。そこに微かに映る影。
嘲笑する義姉の影。あいつは、なにも言わなかった。ただただ満足そうに私を見下ろしていた。私も、笑みを返してやった。やつは、居なくなった。
構いはしない。なんとでも笑え。
382 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/15(金) 00:55:06.02 ID:3NEEFWr10
私は、決めたんだ。彼を手に入れるためなら地獄の鬼どもとだって喜んで契約してやる。あの鎮守府にいる子達がどうなったって、構いはしない。
邪魔するものは、すべて、排除してやる。
そう、邪魔するものはすべて――。
提督のすすり泣く声。私は子守唄を聞く気分で耳を傾けながら、空に視線を移した。
寄生虫を殺したあの瞬間。
私は、信じがたいものを目にしていた。
エリートクラスの赤い艦載機。あれは、私のものではない。それがなぜか、私のまったく意図しない方角から狙ったようなタイミングで現れた。そして、寄生虫の艤装が故障。あれも私の仕業ではない。あんな手の込んだ細工は一切していない。
あの一瞬で、だ。あの一瞬で、私が意図しないことが二度も起きたのだ。偶然にしてはあまりにも出来すぎている。
私の殺害を察知した何者かがいる。そいつが、私に余計な手を貸してきた。ひどく遠回しで、悪趣味なやり方で。
誰だ?
いったい、誰がそんなことをしたんだ。
383 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/15(金) 00:56:40.26 ID:3NEEFWr10
意図はわかっている。私に対する挑発だ。艦載機を見せびらかして、艤装を故障させることで、私に暗喩的なメッセージを送ってきた。
一つは、私の計画を察知していることを知らせる目的。もう一つは、「私の『正体』を知っているぞ」という示威行為。そして、最後は……。
浜風「……ふふ」
――最後は、探してみろという挑戦状。
私は、提督の頭を強く抱きしめた。雨は、降り止む気配を一向に見せない。ドス黒い雲が、不気味なほどに蠢く様は、巨大な芋虫の群れのように悍しかった。
面白くなってきたじゃない。
どんな目的があるのかは知らないけどね。
私と提督の邪魔をするなら、消してやるわ。
この寄生虫と、同じように。
384 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/15(金) 00:58:04.72 ID:3NEEFWr10
投下終了しました。
次回からは五章に入ります。まだ半分くらいですが、これからも気長によろしくお願いします。
385 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/05/15(金) 06:08:12.88 ID:d0YfsH2cO
登場人物、全員悪(ry
乙です
386 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/05/15(金) 08:47:48.24 ID:2qh7lJHno
乙
387 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/05/15(金) 09:40:34.38 ID:L4sG2wmt0
乙
最後まで見届けるぜ
388 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/05/15(金) 12:13:56.57 ID:bBpwlS2AO
乙です
プロローグに繋がるのはまだまだ先のようですね
389 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/05/18(月) 13:43:52.19 ID:BVDruGkU0
すいません。
6月21日の砲雷撃戦で出す予定(おそらくコロナで延期になりますが)の小説を執筆するために、風病の更新を一旦止めます。ご了承いただけますと幸いです。
曙の小説もヤンデレものです。ちょっと風変わりな小説ですが、よろしければイベントに出た際にでもお手にとってもらえると嬉しいです。
ちょっとした宣伝になりますが、よろしくお願いします。
390 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/05/20(水) 01:52:26.17 ID:d8YE0qIT0
乙
また再開するのを大人しく待つ
391 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:13:58.92 ID:zyk0IZBD0
クヌギの幹に張りついた命の殻が、割れた背中をこちらに見せながら、生まれ変わりを主張している。
空蝉は、命の欠片。置き去りにした蝉どもは、懸命に生の躍動を訴えている。天まで昇るような激しさで。入道雲さえ揺さぶるように。
寄生虫の死から一ヶ月半が経った。立秋を迎え、鎮守府に沈んでいた原油のような重たい気配は、少しずつ溶けてなくなってきている。私達にとって死とは日常の範疇を出るものではない。慣れることはないが、切り替える術というものを、みんな大なり小なり身につけているのだ。戦場で正気を保つための処世術を構築できないものから、はやく死んでいく。
蝉のようにね。
空蝉の下で、翼のもげた蝉がもがき苦しんでいた。生誕の残骸と、朽ち果てようとする生が置き去りにされている。酷い光景だ。戦場でよくある光景でもある。その酷薄さを、私は冷徹に見限り、足を進めた。
暑いのかどうかすらわからない。きっと暑いのだろう。激しい運動でもしないかぎり汗をほとんどかかないから、身体はセンサーの役割を果たさない。かげろうによって、地面がぼかされているところから察するしかなかった。
392 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:15:54.41 ID:zyk0IZBD0
五章「王」
393 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:16:31.71 ID:zyk0IZBD0
クヌギの幹に張りついた命の殻が、割れた背中をこちらに見せながら、生まれ変わりを主張している。
空蝉は、命の欠片。置き去りにした蝉どもは、懸命に生の躍動を訴えている。天まで昇るような激しさで。入道雲さえ揺さぶるように。
寄生虫の死から一ヶ月半が経った。立秋を迎え、鎮守府に沈んでいた原油のような重たい気配は、少しずつ溶けてなくなってきている。私達にとって死とは日常の範疇を出るものではない。慣れることはないが、切り替える術というものを、みんな大なり小なり身につけているのだ。戦場で正気を保つための処世術を構築できないものから、はやく死んでいく。
蝉のようにね。
空蝉の下で、翼のもげた蝉がもがき苦しんでいた。生誕の残骸と、朽ち果てようとする生が置き去りにされている。酷い光景だ。戦場でよくある光景でもある。その酷薄さを、私は冷徹に見限り、足を進めた。
暑いのかどうかすらわからない。きっと暑いのだろう。激しい運動でもしないかぎり汗をほとんどかかないから、身体はセンサーの役割を果たさない。かげろうによって、地面がぼかされているところから察するしかなかった。
394 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:17:28.76 ID:zyk0IZBD0
一応、肩にかけていた水筒を掴み、口をつけた。熱中症対策は万全にしておかなければ、熱感覚がない私は気づかないうちにやられてしまう。提督の温もりを知ったからといって、呪いが解けたわけではないのだ。常に隣にいることを、ゆめゆめ忘れてはいけない。
鎮守府本館の側を抜け、港を通り、艦娘寮へと向かう。私の探している人はそこにいる。魔の海域を攻略し、モーレイ海も突破して迎えた、束の間の休息を楽しんでいることだろう。きっと、みんなと将棋でもしているはずだ。
艦娘寮の広場に、人集りができていた。
その中心に、提督の影が見える。どうやら鈴谷さんと指しているようだ。緑の後ろ髪がエメラルドみたいに光っていた。
提督「王手」
提督が、にやりと口を歪めた。鈴谷さんが悩ましげに唸っている。状況を見る限り提督の優勢なのだろう。
鈴谷頑張りなよー、と周囲に煽られて、鈴谷さんが頭を抱えた。
提督「積みだなあ。どう足掻いても逃げられないぞ」
鈴谷「待って待って、ちょい待って。まだなんか手があるかもしれないじゃん!」
395 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:18:28.89 ID:zyk0IZBD0
熊野「たとえ持ち駒を置いたとしても無理ですわよ。銀をここに置かれたら……ほら、上に逃げるしかないでしょう? そこに提督が龍を指したら完全に積みですわ」
三隈……いや熊野さんの解説が添えられる。盤面は私の位置からでは見えない。しかし、完膚なきまでに鈴谷さんは敗北したようだ。項垂れている。みんなの笑い声と口笛。
鈴谷「にゃああ、悔しい。また負けちった」
提督「ははは、鈴谷もまだまだだなあ。もっと勉強して出直してきたまえ」
提督が扇子で扇ぎながら得意気に言った。鈴谷さんはさらに奇声を上げる。
鈴谷「今度こそ自信あったのにぃ。熊野と超練習したんだよ?」
提督「まあたしかに、初めのときよりは強くなったと思うぞ? まさか美濃囲いで来るとは思わなかったしな」
熊野「型は覚えても、まだ活かしきれていませんわね。さらに勉強あるのみですわ」
私は人垣に割って入ると、提督に声をかけた。
浜風「提督。お楽しみのところ申し訳ありません」
提督「おお、浜風か。どうかしたのか?」
396 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:19:23.82 ID:zyk0IZBD0
提督は白い歯を見せてくれた。肌はやや小麦色に焼けていて、いつもの病的な肌の白さを覆い隠している。健康的で、海の男らしい爽やかさがあったが、それが上辺だけのものであることは、わかりきっていた。私だけでなく、ここにいる全員が。
私は、微笑み返して告げる。
浜風「指示されていたキス島攻略の編成案なのですが、いくつか纏めましたので改めて相談したいです。お時間の都合は大丈夫でしょうか?」
提督「もう出来たのか。相変わらず仕事が早いな。時間は大丈夫だから、気にしないでいい。さっそく聞かせてもらおう」
浜風「陽炎姉さんとも相談したいので、よければ演習場に行きませんか?」
提督「陽炎は演習場にいるのか?」
浜風「ええ。新しい艤装を試しているようです。防空戦の練習も兼ねているようなので、瑞鳳さんとも一緒にいるみたいです」
提督「なるほど。では、そちらに向かおうか」
提督は駒を盤面に整理すると、立ち上がった。鈴谷さんたちに別れを告げて、歩き出す。足取りは驚くほどに軽い。軽く見える。
私も、提督についていこうとした。
397 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:20:09.06 ID:zyk0IZBD0
鈴谷「ねえ、浜ちゃん」
私は振り返る。
鈴谷さんは、いかにも不安そうに眉を下げていた。彼女はいつしか、私のことを「浜ちゃん」と渾名で呼ぶようになっていた。馴れ馴れしいとは思わない。一ヶ月半の時間の変化を実感するだけだった。
浜風「なんでしょう?」
提督の方に視線を投げる。彼は私が立ち止まったことに気付かず、海を見ながら歩いていた。
はやく、済ませて欲しい。提督といられる時間が減ってしまうではないか。
しかし、内心の抗議は黙殺する。鈴谷さんの様子には、苦しげすら感じられたから。よく見ると鈴谷さんだけではない。全員が呼応するように、煮えきらない表情を浮かべていた。眼差しをそっと提督へ向けるものもいる。
鈴谷「提督さ……。変わっちゃったよね」
鈴谷さんは言葉にしたことを後悔するように目を伏せた。太陽が雲で遮られ、影が落ちる。光で虚飾した欺瞞が鮮やかさを失っていく。
彼女の言いたいことは間違いではない。提督はたしかに変わってしまったように見える。寄生虫を失って以来、昔よりもずっと臆病になったし、ずっと明るくなった。まるで、闇を振払おうと必死で懐中電灯を振り回すような健気さで、自分を偽り始めた。そこには深い傷があり、恐怖があった。大切なものをこれ以上掌からこぼれ落としたくないと、無言のうちに叫んでいる。
398 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:21:13.23 ID:zyk0IZBD0
それは、これまでにない馴れなれしさになって現れているのだ。みんな、当然だが違和感を覚える。提督がおかしくなってしまったんじゃないか、と勘繰ってしまう。
提督のことを慕わないものはいない。だからこそ、心配している。寄生虫……雷さんの死が、彼に計りしれないダメージを与えてしまったのではないかと懸念に駆られるのだ。
鈴谷「あ、その……さ。別に提督のことを悪く言っているわけじゃないんだよ? ただ、最近の提督、なんか違うなあって思うだけで」
私が黙してしまったことを気にしてか、鈴谷さんは取り繕うように言葉を並べる。健康的な太ももが微かに動き、将棋盤を揺らした。
転がる王を、誰も気にしない。
浜風「わかってますよ」
私は口を開いた。
浜風「でも、心配する必要はないと思います。提督は、たしかに明るく振る舞おうとしてはいますが、本質的には何も変わりませんから。みんなが知っている、思慮深い提督のままですよ」
鈴谷「そう思いたいんだけどね。あの様子を見ていたら心配するなって方が無理だと思う」
熊野「私も、そう思いますわ」
399 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:22:24.66 ID:zyk0IZBD0
鈴谷さんの言葉に、おそるおそる熊野さんが同意した。他のみんなも同じ意見なのだろう。何も言わなかったが、表情は一様に陰っていた。
本当に心配する必要はないのだけれど。
提督には私がいるのだから。あなた達が心配するまでもなく、提督の傷は私が少しずつ着実に癒やしている。取るに足らない有象無象どもが、提督の思いに踏み入ろうとするなんて、おこがましいにもほどがあるわ。
嘲笑したくなる気持ちを抑え、私は口を回す。
浜風「皆さんの心配は、当然のことだと思います。ですが、提督は皆さんが思っているよりずっと強い人です。たしかな信念をもった武人です。だから、大丈夫……。彼は、かならず立ち直ってくれますよ。それは秘書である私が保証します」
私は、言葉を区切って全員をゆっくりと見渡し、最後に鈴谷さんを見た。
浜風「それとも――」
目を細める。
浜風「私の言葉は、信用できませんか?」
静かに、しかしはっきりと力強く。ほんの微細な怒りをアクセントに込めた。全員が息を潜め、私の言葉に飲み込まれる。まるで重力に引きずられたかのように。ざわつくことさえなく。
私はしばらく間をおいて、微笑みを作った。鈴谷さんを静かに見続ける。彼女は落ち着かない様子で、髪を触っていた。
400 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:23:05.72 ID:zyk0IZBD0
浜風「私は、皆さんが好きです」
全員の視線が、こちらを向いた。
浜風「とてもお優しいですから。私が自分を見失っているときも、皆さんはけっして私を見捨てませんでした。本当に、嬉しかったんですよ。だから、皆さんが辛そうにしているのを見るのは、耐えられません」
不意打ちを食らった鈴谷さんは、目を白黒させていた。構わない。畳み掛ける。
浜風「私は皆さんに笑っていて欲しい。もし、私の言葉が信じてもらえないなら、私の努力が足りないということです。そんな自分が許せなくて、さっきはつい語気が荒くなりました」
拳を握り、胸の前に置く。その一点が、遠近法の消失点のように作用して、全員の注目を集めた。軽く胸を叩きながら、語調にメリハリをつけていく。
浜風「皆さんが、笑っていられる鎮守府を作る。それが、私の夢なんです。提督と同じ夢です。いいですか。私は、皆さんの笑顔を大切にしたいんです。それが、私を救ってくれた皆さんに対する最良の恩返し。そう信じています。ですので!」
拳に感じた。
全員の心を、掴んだ感触を。
401 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:23:50.99 ID:zyk0IZBD0
浜風「……ですので、皆さんの不安は、かならず取り除いてみせます。私が、全力で提督をサポートします。そうすれば必ずや、あなた達の優しい憂慮は、杞憂に変わるでしょう。私には、その力があります。ノウハウがあります。皆さんの期待に、絶対に応えてみせますよ」
鈴谷「……やっぱすごいね、浜ちゃんは」
鈴谷が、ほうっと息を吐いてそう言った。それを合図に、全員の緊張が解れていく。名著を読み終わったときのような酩酊感を、全員が感じている。確信だ。私には、人の心を読む力がある。
浜風「そんなことはないです。私はただ、皆さんに報いたいだけですから」
熊野「その志は、とても気高いものだと思いますわ」
熊野さんの言葉に、周りも追従している。私を称える声が続く。私は嬉しそうなフリをしながら、提督の方に目を走らせる。
提督は、立ち止まって海を見ていた。表情はよく見えないが、明るさは鳴りを潜めていた。
ああ、提督を待たせてしまっている。退屈させてしまっている。有象無象の相手をしている暇は、とっくになかったんだ。
浜風「……それでは、私はもう行きますね」
鈴谷「提督のこと、よろしくね。私たちもできることはなるべく手伝うからさ。なんでも言って?」
浜風「はい。そのときは、よろしくお願いします」
そんなときは、永遠に来ないけどね。
誰も信用なんてできないのだ。
私は、去り際に転がる王の駒をみた。盤上から落ち、地面に倒れ付す王は、ルールの外に追いやられて、その存在意義を見失っている。あるいは、狭い枠から出られたことを喜んでいるのか。
沈黙の王は、けっして語らない。
402 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:24:40.77 ID:zyk0IZBD0
時津風「あ、浜風と司令じゃ〜ん」
私達が演習場に着くと、時津風がいた。ボラードに腰掛けて、見学をしているようだった。
時津風「二人とも視察? 休みなのに仕事熱心だねえ」
提督「俺に休みはないさ。栄光なる帝国海軍のカレンダーには、土曜日と日曜日は載っていないんだ」
提督は肩をすくめて皮肉を口にする。時津風はほんの一瞬眉をひそめたが、すぐに顔を戻して「そうだねえ」と同意した。
提督「それで、陽炎はもう新しい艤装を試したのか?」
時津風「うん。これがすごくてさ〜。あんなの普通の駆逐艦が使ったら、身体がおかしくなっちゃうと思うよ」
浜風「戦艦の装備を改装したものですからね」
私は海の方に目をやった。水平線に無数の点が浮かんでいた。ブイや的、深海棲艦を模した型。いくつかは壊れ、ひしゃげている。その中央に佇む人影が、陽炎姉さんだった。やや下を向いているが、表情までは伺いしれない。ただ、この距離からでも、陽炎姉さんの背中に張り付く無骨な鉄の塊は、一際目立っていた。
試製三十五・六センチ単装砲。規格外にもほどがある特注品だ。通常の駆逐艦では、まず使いこなせない装備である。時津風の言うとおり、仮に使うことができたとしても、けっして無事では済まないだろう。三半規管をやられ、身体中の筋肉や骨が軋み壊れてしまうに違いない。陽炎姉さん、「覚醒」した艦娘にのみ許される禁術のようなものだ。
403 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:25:36.85 ID:zyk0IZBD0
「覚醒」とは、艦娘が特異点へ到達したことを指す。それはいわゆる改や改二などの「改装」とは、定義を異にするものだ。「改装」によって艦娘はたしかに進化を果たし強くなるが、あくまで「艦娘という枠内」での変質でしかない。「覚醒」は、枠外を超えていく。つまり、「艦娘ではない別の何か」に変異することを意味する。
では、通常の艦娘とは何が決定的に違うのか。それは、艤装適性と妖精との同調率だ。艦娘の艤装適性は、文字通り艤装との相性である。例外もあるが、艦種に相応しい装備以外は使えないのが通例だ。無理に装備すれば、キックバックという現象によって脳が深刻なダメージを受ける。しかし、この定石は覚醒した艦娘には当てはまらない。自分の身体能力、艤装の耐久力の許される範囲で、あらゆる装備を使いこなすことができるようになるのだ。
また、最大の違いが同調率である。艦娘は妖精たちと感覚を共有しなければ、艤装を使うことができない。その値が優れていればいるほど、優秀な艦娘であることを意味するのだが、どんなに練度を上げた艦娘であっても、せいぜい感覚の半分を共有できればいい方だ。私でも三十六パーセントが最大値である。陽炎姉さんの数値は二百二十パーセント……百パーセントを有に超える。それはつまり、妖精を支配する力をもつということでもあるのだ。
提督たちと、同等……いやそれ以上の力だ。さすがに、鎮守府中の妖精を支配できる提督たちの権能と比べたら範囲は狭いが、こと自分の艤装に住まう妖精への影響力は提督たちを上回っている。
提督の支配からさえも外れた存在。艦娘が行き着く究極の姿。この領域に踏み込んだものは、艦娘制度が始まってから三十年で数えるほどもいない。
そのうちの一人が、陽炎姉さんだ。右腕は、その領域に至る過程で無くしてしまったもの。ある地獄が、彼女を変えたのだ。
404 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:26:30.42 ID:zyk0IZBD0
陽炎姉さんは空を見上げた。艦載機が、空を引裂きながら彼女の元へと向かっていく。瑞鳳さんの演習用艦爆隊である。
提督「始まったな」
提督が緊張した声で言った。
艦爆が高らかに舞う。急降下。完全なる不意打ち。だが、陽炎姉さんは動じない。必要最小限の動きで取舵を切る。爆音。紫色の水柱が膨れ上がった。陽炎姉さんは機銃を唸らせた。弾き出される曳光弾。吸い込まれるように艦爆機を捉える。錐揉みして落ちていく。それとすれ違うように、陽炎姉さんは前に出る。戦闘機の返礼は彼女に当たらない。それさえ、見切ってかわした。撃ち落とす。二機の戦闘機が死んだ。その最中、彼女は最大の武器を展開していく。
背中から伸びる単装砲が、牙を向いた。
陽炎「おあああっ!」
鋭い裂帛とともに、凄まじい黒煙が上がる。烈風が、空気を破壊しながら私たちを叩いた。息が吸えなくなり、肺が呼吸を取り戻した瞬間には、一つの的が粉砕しているのが見えた。
それを知覚した瞬間には、元の場所から陽炎姉さんの姿は消えていた。驚異的な速度で動き続け、艦載機を次々と叩き落としている。
必死だった。あまりにもひたむきだった。後悔を払い落とそうと、蟠りをぶつけようと、恐怖とトラウマを打ち消そうと。
時津風「……相変わらず、すごいな」
時津風の声には感嘆だけではなく、寂寞が込められている。苦しさがある。叫びのような舞をみせる陽炎姉さんに対して、負い目を感じているのだろう。
それは、提督も同じだった。不自然な明るさは落ちていた。暗く淀んだ三白眼を、陽炎姉さんに向けながら後ろ髪に引かれる思いに耐えている。
405 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:27:18.05 ID:zyk0IZBD0
提督「浜風」
提督は私に顔を寄せ、小さな声を出した。耳朶が溶けてしまいそうだった。思わず足が震える。歓喜の声が出ないようにするのが大変だった。
浜風「なんでしょう?」
提督「まだ見つからないのか?」
何が、とは言わなくてもわかる。寄生虫に薬を与え、寄生虫の艤装を停止させ、やつを殺した犯人。提督は何も知らない。私の刷り込みを、信じ続けてくれている。そして、犯人が見つかることを切望している。
薬と艤装の故障、そしてあの赤い艦載機。同一人物の仕業で間違いない。私たちを嘲笑うかのような快楽主義者にも似た手口が、共通しているからだ。明確な根拠に乏しくても、それだけはわかる。
だが、一ヶ月半が経っても犯人は見つからない。寄生虫の戦死以降、一切の目立つ行動を見せないからだ。証拠や痕跡もまったくといっていいほど見つからない。これでは、いくら私でも探しようがなかった。
はやく見つけたい。私もそう思う。しかし、相手は油断ならない存在だ。私の計画を察知したほどの知能の持ち主であり、赤い艦載機を出せるほどの戦力をもつ怪物だ。下手に動けば、私が食われてしまう可能性もなくはない。慎重にいかねばならない。
これまでの雑魚共とは、明らかに違う。
浜風「すいません、まだです。おそらく警戒されているのでしょう。なかなか尻尾を出しませんね」
質問に答えると、提督は落胆するように肩を落とした。心が痛んだ。提督の期待に答えられないことがこんなにも辛いなんて。
406 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:29:07.26 ID:zyk0IZBD0
提督「……そうか」
浜風「なるべく早く特定します。お辛いでしょうが、もうしばらく堪えていただけますか?」
提督「ああ。すまないな、急かすようなことを言ってしまって」
浜風「いえ、お気持ちはわかりますので」
それから、提督は口を閉ざした。沈黙が寂しかったが、私も何も言わない。
爆発音が、虚しく響いた。
浜風「……」
しかし、だ。
犯人の手がかりがまったくないかというと、そうでもない。実はある程度、容疑者の絞り込みは進んでいる。
あるカテゴリーに属する者たちが、候補者だ。
それは、最大級のトラウマを抱えるものたち。
東鎮守府に所属していた艦娘たちだ。
なぜ、彼女たちが怪しいのか?
理由は、過去の事件を知っていれば自ずとはっきりする。私は、南鎮守府にいたときに「捨て艦事件」の報告書を盗み見たことがあった。なので、あの事件の内容は大体頭に入っている。あの事件の発端、第六駆逐隊の相次ぐ事故死。その内容は、すべて「艤装の故障」によるものだ。そう、つまり、寄生虫が死んだときと同じ現象が起きていたということだ。
407 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:29:59.26 ID:zyk0IZBD0
そんな偶然、あり得るはずがない。だから、ほぼ間違いなく犯人は東鎮守府にいた者たちの誰かだ。
これは、黒幕のヒントとは考えにくい。挑発の手段であっても、ヒントを与える意図まではないということだ。事件は未だにトップシークレット扱いだ。この鎮守府の中でさえ、事件の詳細を知っているものは限られている。カウンセラーや提督など一部の人間以外には、ほんの一握りの情報しか開示されていない。大体何があったのかは知っていても、詳細までは誰も知らないのだ。だから、私がここまで情報を握っているとは黒幕も考えないだろう。私が当事者たちから聞き出したことを考慮した可能性もあるが、その線は薄いと見た方がいい。なぜなら、あの事件についてはみんな口を固く閉ざしているからだ。
黒幕は、殺しに無秩序な美学を持っている。寄生虫の事故を、同じような手段で演出したのも、それが理由だと考えると納得がいく。
吐き気を催すほどの邪悪だ。もはや黒幕は、人の精神を持ち合わせてはいないだろう。紛う事なき、精神病質者だ。気が狂っているとしか言いようがない。
そして、私はこれとまったく同じ感想を抱いたことがある。はじめて、「捨て艦事件」の資料に目を通したときに。この事件の首謀者に対して、そう思った。
苦虫をかみ潰すという比喩は、こういうときに使うのだろう。苦いとはどういうことか知らないけど、言葉の意味するところくらいは理解できる。
408 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:30:48.11 ID:zyk0IZBD0
考えたくはない、可能性だ。
だが、あの提督の死亡は明確に確認されたわけではない。牢獄の中で爆死したそうだが、死体は一切見つかっていないのだ。それに、厳重な体制の敷かれた留置場に爆薬を持ち込めるはずはないから、ずっと引っかかっていた。しかし、一つだけ方法がある。たった一つだけ……。
何事にも例外は存在する。私というイレギュラーが存在し、赤い艦載機というさらなるイレギュラーを見てしまった以上、可能性として考慮しておかねばならない。
――少なくとも、この鎮守府に、私と同じ存在がもう一体いることは間違いないのだから。
陽炎「あああっ!」
陽炎姉さんの叫び。砲撃と風。艦載機の唸りと響き。私は、彼女の舞を見ながら深い溜息をついた。
409 :
◆WvruwVSMos
[sage saga]:2020/06/05(金) 00:34:10.69 ID:zyk0IZBD0
投下終了しました。
すいません。章台を上げ忘れていました。
今回から五章です。ようやく本番に入ってきた感じです。よろしくお願いします
410 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/06/05(金) 08:56:44.08 ID:9UwGATFx0
乙
おっしゃー、新章じゃあ
411 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/06/07(日) 07:27:13.07 ID:VFWzWtfz0
順当にいけば、東出身のサイコパスはアイツしかいねぇ、、、
雷ちゃん退場は読者も寂しい
412 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/06/14(日) 00:26:59.14 ID:mpz5nmGt0
さぁ、こっからどうなるか
413 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/06/29(月) 05:02:53.12 ID:rIPoceQh0
まってる
414 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/06/29(月) 22:48:48.52 ID:FwfDZN50O
いくらでもまったる
415 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2020/07/04(土) 19:46:17.15 ID:/802lPrEO
楽しみにしてます
416 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/07/07(火) 19:14:03.94 ID:6y9+ZfAF0
作者どうか無理はせずやってくれ。リアルが大変なのは理解しとる。
417 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/07/23(木) 14:52:22.33 ID:wOmuIj/W0
良いものを書くための溜めの期間なんや
まったるでー
418 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/08/12(水) 15:54:27.29 ID:upkCLPDO0
がんばれ
419 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/08/15(土) 07:10:34.33 ID:ApsKN9kf0
重い話書くって自分の精神も削れるからなー。書きたいときに書けばいいと思うのー。
420 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2020/08/17(月) 03:55:18.94 ID:bK2qJIcX0
作者「コロナ」
421 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/09/05(土) 15:37:17.91 ID:5XpX/icU0
続き、、、待ってるゾ、、、
422 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/10/07(水) 20:03:45.93 ID:3mkGJLf90
いつまーでも、まーってるぅー
423 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/17(火) 18:05:15.21 ID:bmDcJ5BR0
作者、フツーに心配なんだが、もし気力あったら生存報告たのむ、、、続きは好きな時に書いたらええ、、
424 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2020/12/20(日) 11:56:35.71 ID:RhCsz5ZqO
支援
425 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/21(月) 22:22:17.14 ID:wi5VITEc0
支部で読んだ
続き期待してる
426 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/01/06(水) 01:06:01.45 ID:9NfFptep0
作者、コロナで逝った説
427 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/01/23(土) 02:23:47.59 ID:ay2vKzyE0
まだ戻ってくると信じてます
428 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2021/02/12(金) 17:11:15.70 ID:kGyRhf4r0
作者、やっぱりコロナでイッた説
429 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/04/17(土) 00:55:39.03 ID:GBuLCITl0
俺は信じて待ってるゾ、再び戻ってきてくれることを
430 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/07/22(木) 13:41:13.38 ID:qDpa4piLO
ダメみたいね…
未完になるのは悲しいなぁ
431 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2021/12/20(月) 00:06:54.68 ID:gzooSF6WO
a
432 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2022/03/02(水) 23:50:30.17 ID:YVLfzzKtO
(´・ω・`)
356.00 KB
Speed:0.1
[ Aramaki★
クオリティの高いサービスを貴方に
VIPService!]
↑
VIP Service
SS速報VIP
更新
専用ブラウザ
検索
全部
前100
次100
最新50
新着レスを表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
書き込み後にスレをトップに移動しません
特殊変換を無効
本文を赤くします
本文を蒼くします
本文をピンクにします
本文を緑にします
本文を紫にします
256ビットSSL暗号化送信っぽいです
最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!
(http://fsmから始まる
ひらめアップローダ
からの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)
スポンサードリンク
Check
Tweet
荒巻@中の人 ★
VIP(Powered By VIP Service)
read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By
http://www.toshinari.net/
@Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)