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双葉杏「冬の国、春の国」
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1 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:00:19.43 ID:+7eU+UV20
冬の北海道は寒い。
道民じゃなくても、日本全国、誰だって知ってる事実だ。
吹雪が窓を叩く音で深夜に瞼が開いて、いつの間にか微睡んで、起きたら朝。
顔を洗おうかと蛇口を捻ると、出てきた冷水に「しゃっこ!」と布団へ舞い戻る。
炬燵はぬくい。
これも、日本全国、誰だって知ってる事実だ。
布団の温もりでは物足りなくなって、枕元のVitaを片手に居間へとダッシュ。
居間の中心に鎮座する炬燵大明神の中へと飛び込む。
体まで中へ潜って炬燵のスイッチを入れると、仄かに赤色の灯るそこはまるで私にとっての小宇宙。
しばらくするとさすがにちょっと暑くなって、顔と腕だけ亀みたいに布団の下から突き出す。
肩まですっぽり大明神の恩恵を授かって、Vitaでロンパする、今この瞬間が、私は人生で一番しあわせ。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1500552019
2 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:02:46.96 ID:+7eU+UV20
うきうき気分で裁判の証拠を集めていると、お母さんが二階から降りてくるのに気付いた。
「杏、外行って、雪どけれ」
「やーだー、いま忙しいから」
ほら、日向くんも大変なんだよ。
雪かきなんてしてられるわけないじゃん。
「ゲームしとるだけだべ。雪どけれ」
「やーだー、お母さんが行けばいーじゃーん」
「だはんこくな。どけれ」
段々とお母さんの語気が強くなってきたので、しぶしぶ布団から体を出す。
玄関の扉を開けるとびゅうと冷たい風が吹いてきて途端に寒さが増す。
早いとこ終わらせて大明神の元へ還ろうと、私は納屋からスコップを引きずり出した。
柔い雪にスコップを突き刺して、そのまま道ばたへぐぐーっと押し退ける。
全身の体重を使わないと押し負けるので、なかなかの重労働だ。
杏にやらせる仕事じゃないよね。つくづくそう思う。
3 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:05:32.94 ID:+7eU+UV20
「あ、そこのお嬢ちゃん。ねえ、ねえ」
お嬢ちゃんって私のことかな、と顔を向けると、やっぱりそうみたいだ。
スーツの上にコートを羽織った男の人がこちらに手を振っていた。
スーツ着た人なんて久しぶりに見た。
「この辺に民宿があるらしいんだけど、もしかしてそこの大きな家のことかな?」
スーツマンが私の背後(=我が家)を指さす。
「違います」
私が応えるとスーツマンは「そっかー、地図見間違えてるのかな」と背を向けた。
雪かきを再開。
しばらくすると、さくさくと雪を踏みしめる音が再び聞こえてきた。
「何度確認しても、やっぱりここらしいんだけど……」
「違います」
自信なさげに言葉を選ぶスーツマンに、私はさっきと同じ言葉を返す。
でも、今度はスーツマンも諦めなかったみたいだ。
おもむろにポケットへ手を突っ込むと、
「……よし、君に飴ちゃんをあげよう」
「わーい! 飴だー! うちが民宿・双葉でーす!」
4 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:08:33.94 ID:+7eU+UV20
「じゃあ君は、単にめんどくさいってだけで嘘ついてたの?」
「チェックインの時間、まだですからー」
スーツマンの署名を預かって言葉を返す。
「荷物だけ先に置かせて欲しいって言ってあったのになあ。最近の子供はこんな感じなのかなあ」
ぶつぶつ文句を言って出て行くスーツマンを見送ると、私はすぐさま大明神の中へと飛び込んだ。
あー、ぬくいー。
炬燵大明神のお膝元でだらだらゲームをしてると、一生こうして暮らしたいなあなんて思うんだけど、そういうわけにはいかないのは私にもわかってる。
私もいつの間にやら高校生。
人生のなんたるかはまだわからないけど、その厳しさは何となくわかってるつもりだ。
だらだらするためにはお金が必要だし、そのためには働かなくちゃいけない。雪かきもしなくちゃいけない。
まあうちは不動産持ってるみたいだから多少は楽できるだろうけど、それでも遊んでるだけじゃ生きていくほどのお金は入ってこない。
あーあー、なんとかしてニートになれないかなー。
でも家にいたら絶対に働かされるよね。お母さんが許さない。
今でもこうして働かされてるくらいなんだし。
5 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:11:36.31 ID:+7eU+UV20
夜になって「うー、さむさむ」と戻ってきたスーツマンを出迎えた。
オフシーズンの平日にわざわざこんな辺境へやって来る物好きなお客さんなんて、このひと一人きりだ。
お客さんが多いとそりゃあ忙しいから嫌になるんだけど、一人のお客さんのために働くのもやる気が出なくてめんどくさい。
それで仕事の手を抜いていたら「杏、さぼんな」とお母さんに怒られた。
お風呂に入って浴衣マンになった男の人が食堂にやってくる。
背後のお母さんが「ほれ、もう来たべ」と呟いたのにちょっとむっとしながら、夕飯を机に運ぶ。
「あぁ、ありがとう。お嬢ちゃん。ビールももらえる?」
「はーい」
冷蔵庫からビール瓶を取り出すと今度は「つげ」と囁かれる。
6 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:14:02.57 ID:+7eU+UV20
お母さんの言う通りにビールをコップへついでいると、浴衣マンがじーっとこちらに視線を送ってきた。
「あのさ、お嬢ちゃん。ちょっと話を聴いてほしいんだけど」
「なんですかー」
会話を早く打ち切りたくて、わざと気のない返事をする。
浴衣マンは私のつぎ終えたビールをごくごくと飲み干す。
「あー、うま。いや、俺さ、上司の指示で全国を回らされててさ。三人以上スカウトするまで東京に戻ってくんなって言われてんだよね」
「へえー、大変ですねー」
我ながら超棒読みだ。
これは早く酔わしちゃった方が楽そうだなあ、と私は空いたグラスにビールをつぐ。
7 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:16:50.25 ID:+7eU+UV20
「でさ、途中で見かけた可愛い子に声をかけつつちまちま北上して、日本の最北端まで辿り着きはしたものの、まだスカウト成功、ゼロ。このまま沖縄まで行かされかねないんだよね」
「大変ですねー」
「大変なんだよ。でね、君可愛いじゃん。サボり癖すごそうだけど、そこはもう大目に見るからさ。スカウトされてみない?」
「お断りしまーす」
何の話なのかわからないけど。
「ごめんごめん、いきなり言われても、そりゃそういう返事になるよね。いや、俺、まだ新人なんだけど、芸能事務所でアイドル担当のプロデューサーやっててね。お嬢ちゃん、アイドルにならないかってお誘いなんだけど。可愛いし、年の割に緊張しなそうだし喋れそうだし、案外向いてると思うんだよ」
「お断りしまーす」
「いやいや、もうちょっと考えてみよう。成功するかどうかは君と俺次第ではあるけど、もし成功したら、お金がっぽがっぽだよ。CDとか本とかの印税で一生遊んで暮らせるよ。飴ちゃんたくさん買えるよ」
「一生……遊んで……暮らせる……?」
聞き逃さなかった。
浴衣マンは確かにそう言った。
「成功すればね! いやでも、いけるいける。君なら大丈夫」
アイドル……一生遊んで暮らせる……。
8 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:18:55.77 ID:+7eU+UV20
「あ、でも。アイドルってなんか大変そう。ダンスとか歌のレッスンとかあるんでしょ」
「そりゃあるよ」
「お断りしまーす」
「ああー、そうなるかー」
浴衣マンはいよいよ顔を赤らめてきた。よーし、あと少し。
コップにビールを切らさないよう、少しでも量が減ったらどんどんついでいく。
アイドルの素晴らしさを語り続けた浴衣マンは、それから30分くらいで机におでこをつけた。
「ふう……ようやく眠ったか」
「運ぶのはお前でねえべ。この馬鹿」
「あいたっ」
後ろから頭にげんこつを落とされたみたいだ。
お母さんが二階からお父さんを連れてくる。
お父さんは「杏、やるな」と笑って、浴衣マンを背負うと、そのまま寝室へ運んでいった。
9 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:20:58.83 ID:+7eU+UV20
翌朝になって浴衣マンは東京へ帰っていった。
受付に名刺を置いてったけど、こんなのゴミ箱にぽいだ。
昨日は働きすぎたからなー。今日は一日中ゲームしてよー。
大明神に肩まで入って、VITAを起動。
すると、隣のお母さんに「杏」と声をかけられた。
「なに?」
「来月から東京で一人暮らしせ」
VITAを一度床に置くことにした。
「お母さん、意味わかんない」
「住む場所は用意する。仕送りもするべさ。高校の転入試験は来週。杏なら大丈夫だべな、一応、勉強はせ」
「えー、展開早くない?」
10 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:22:28.21 ID:+7eU+UV20
「そろそろ民宿も飽きたべ。お母さんも悠々自適に暮らしたくなってきたべな」
……民宿に、飽きた?
「あのー、話が見えないんですけどー」
「民宿は杏のサボり癖治すために始めただけだべな。杏が東京行けば、民宿やめるのは当然しょや」
初めて明かされる事実に衝撃が隠せない。
「え、あの、お金、稼がなくて良いの?」
「不動産回せばいくらでも金は入ってくるべ。杏の部屋もマンションごと買ったるべな」
…………。
「うちってもしかして、ちょーお金持ち?」
「そうでもないしょ。普通だべ」
うわー、うわー。
だったら私、働かなくていいじゃん。
領主様(お母さん)のご機嫌うかがってれば私の人生安泰じゃん。
……あ。それが許されないから東京送りにされるのか。
11 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:24:32.59 ID:+7eU+UV20
駄々をこねたら何とかならないかなあ。
でもお母さん、こうなったら私の言うこと聞いてくれないしなあ。
はあ……一人暮らし。大変そうだなあ。
でも雪かきはしなくて良くなるし、家ではゲームし放題になるのかあ。
洗濯とか掃除はできるだけ家電任せにして、買い物はぜんぶ通販。
あ、そうだ。都内なら即日配達とかできるんだっけ。
「お母さん、杏、都内一等地のマンションに住みたいなー」
どうせ抵抗しても無駄なら、できるだけ楽に生きられるようにしよう。
これでお母さんにとやかく言われる必要なくなるって思うと、ちょっとだけ楽しみになってきた。
よーし、杏、がんばるぞ。がんばらないけど。
12 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:27:51.96 ID:+7eU+UV20
引っ越し先のマンションにはソファを真っ先に運び入れてもらった。
これでとりあえず私のゲームスペースは確保できた。
3月に入って暖かくなってきたし(そもそも東京暑いし)、大明神はお役御免だ。
次の冬まではソファがあればおっけー。
ソファに寝そべってポテチを囓りながら、引っ越し業者の人に指示を出す。
「ベッドはそこの角ね」「テレビはこっち側にお願いしまーす」
あー、楽ちん。
結局、私がポテチの袋を開ける間に引っ越し作業はぜんぶ終わってしまった。
「ありがとうございましたー」
「こちらこそありがとうございまーす」
13 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:29:16.36 ID:+7eU+UV20
引っ越し業者を見送ると、玄関を施錠してソファへ戻る。
指示出してただけだけど、なんか一仕事終えた気分。
杏、頑張ったなあ。今日はもうゲームしてよう。
なんて思った瞬間に、スマホがぶるぶる震える。
……あー、お母さんからだ。
『杏、メール送ったべな、明日はそこいけ』
通話ボタンを押した瞬間、お母さんの声が聞こえてくる。
「えー、なんの話?」
『印税生活の話だべ』
通話はそれで切れた。
杏に反論する隙はもらえなかった。
14 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:31:23.14 ID:+7eU+UV20
「久しぶり、杏ちゃん」
「久しぶりー、スーツマン」
オーディション会場で挨拶を交わした相手は、うちにやってきた例のスーツマン。
一つ机を挟んだ向こうに座るスーツマンは、今日もちゃんとスーツマンだ。
「まず確認からなんだけど、君のご両親からもらったプロフィール、あの、この年齢、ホント? 君、もう高校生なの?」
「うん。杏、今年で17だよ」
「てっきり小学生かと思ってたよ……」
よく言われる。
めんどくさいしうざったいから、最近はいちいち訂正もしないんだけど。
15 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:33:19.46 ID:+7eU+UV20
「不採用?」
「いいや? むしろアイドルとしては武器になる。元々、こちらから声をかけたんだし、採用だ」
はあ……採用かあ。
「なんで嫌な顔をするんだ君は。アイドルになりたくないの?」
「うーん。正直、条件次第なんだよね。印税ってさー、CD1枚売るとどのくらい杏に入ってくるの?」
「最初は1%かな」
てことは、仮に1500円のCDが10万枚売れたとして……。
「杏、帰りまーす」
「ええええええぇぇぇっ!?」
ふー、無駄な時間だったなあ。帰ってパソコンで映画観よう。
16 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:40:22.65 ID:+7eU+UV20
なんて思ってたのに、どうして、私はファミレスでジュースなんて飲んでるんだろう。
「うっきゃーっ☆ ねえねえ、ホントに? ホントに杏ちゃん、きらりと同じ学校なの?」
「うるさいなあ、ホントだよ。来週から登校。もう学年も変わるんだし、どうせなら四月からにしてほしいよね」
正面に座るでっかい女の子は、諸星きらりっていうらしい。
さっきのオーディション会場で知り合ったんだけど、なんか気に入られたらしくて、ビルを出る直前に呼び止められた。
たくさん歩いて疲れたから早く家に帰りたいって言ったら「じゃあじゃあ、そこのファミレスで休憩してこうよお☆」って押し切られた。
「きらり、嬉しいな☆ 杏ちゃんとー、学校でも一緒、お仕事でも一緒にいられるかもしれないんだもん☆」
「仕事? アイドルのこと? それなら、杏、断ったよ」
17 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:42:07.19 ID:+7eU+UV20
「にょわーっ! え? え? なんでなんで?」
「さっきも言った通り、杏は印税の話を聞きにいっただけなんだ。でもたくさん頑張っても一生遊んで暮らせるほどは儲けられそうにないし、だったら意味ないかなあって」
「にょわーっ!」
そう叫んだきらりのスマホが震える。
きらりは「うぴょっ」と短く声を上げると、スマホを持ち上げて、耳にあてた。
喜んだり落ち込んだり、きらりの表情は目まぐるしく変わる。
それを眺めているだけで、何を言われているのかの大体の想像はついた。
たぶん、会話の相手は、スーツマンだ。
通話を終了させたきらりは、私が言葉をかける前に、自分から口を開いた。
「きらりね、オーディションの結果、保留みたいだにぃ……」
「保留って?」
「あのねあのね、きらりだけ、まだ結果が報告できなくて、もう少し待ってほしいって連絡だったの。ごめんって謝ってくれたにぃ」
うーん、釈然としない内容だなあ。
文句を言ってもいいくらいだと思うけど。
18 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:46:24.34 ID:+7eU+UV20
あ、噂をすれば、私にもスーツマンから電話だ。
会話の内容を気取られたくなくて、きらりに「杏、お花摘んでくるね」と声をかけて机から離れる。
『杏ちゃん? さっきのオーディションの件なんだけど、もう少し話を聞いてくれないか?』
「スーツマン、諸星きらりって子知ってる?」
あっちの言葉を無視して、こちらから質問をかえす。
『……まさか、いま、一緒にいたりする?』
スーツマンからは、さらに質問がかえってきた。
どうやら勘づいたみたいだ。
スーツマンは私の思っていたより頭が良かった。
酔っ払ってるところしか見てなかったしなあ。さすがだ、大人だ。
19 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:49:32.39 ID:+7eU+UV20
「単刀直入に聞くよ。きらりの結果が保留なのって、私がアイドルになるかどうかにかかってる?」
『ノーコメント』
「……杏がアイドルにならなければきらりが合格するっていうなら、杏、喜んで辞退するんだけどなー」
私が言うと、スーツマンは慌てて『違う違う』と繋げた。
『……逆だよ。君がアイドルになるんなら、諸星きらりも合格だ。フェアじゃないから、君には言いたくなかったんだけどね』
――え、なにそれ。
私も、それ、聞きたくなかったんだけど。
『もちろんこちらとしては君に来てほしい。ただ、彼女の件を理由に承諾する必要はない。軽い気持ちで誘ってしまってすまないが、これは君の人生に大きく影響する話なのだから。一時の情に流されて判断するような話じゃない』
「なんで私がアイドルになるときらりも合格なの」
『……彼女には、君とユニットを組んでもらう予定だから』
20 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:51:26.02 ID:+7eU+UV20
自然と口からため息が漏れた。
あーあ。結局、こうなっちゃうのかあ。
運命なのかなあ。
それとも、お母さんのせいなのかな。
どうしても杏にサボらせないために、北海道から東京へ向かって念を送り続けてるのかも。
私はサボりたい。一生遊んで暮らしたい。
アイドルなんて大変そうだし、絶対にやりたくない。
でも、周りをないがしろにしてまで、その意思を通したいわけじゃない。
『遊びたい』って感情だけが私の全部じゃない。
一人暮らしを始めた時とおんなじだ。
だったら、夢の印税生活を目指す。
たっくさんCDが売れれば、いつかは叶うさ。
「スーツマン……じゃなくて、プロデューサー」
『うん?』
「杏、アイドルになるよ」
21 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 21:59:51.73 ID:+7eU+UV20
「杏ちゃーん☆ お・き・て〜☆」
微睡みの中で、ふわっと開放感を覚えて、布団をめくられたのがわかる。
きらりに合い鍵を渡したのは失敗だった。
いざという時にご飯持ってきてくれたら助かるかなあ、とか甘いこと考えてた数ヶ月前の私はどうかしてたんだと思う。
まさかきらりが毎朝毎朝、律儀に私を起こしに来るなんて、想像もつかなかった。
おかげでレッスンも仕事も学校もサボれない。
「あ・ん・ず・ちゃーん☆」
語尾に☆なんかつけたって、私は起きないぞ。
そうやって何度もきらりに言ったんだけど、一度も聞き入れてくれた覚えはない。もう私も諦めた。
「……起きるから、起こして」
「自分で起きなきゃ、駄目だにぃ!」
押し問答もめんどくさくて、しぶしぶベッドの上を転がって、床に足をつけた。
22 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 22:01:54.03 ID:+7eU+UV20
シャワーを浴びて、着替えて、きらりの買ってきた朝ご飯を食べて、歯磨きして。
誰もいない部屋の中へ「いってきまーす」と言葉を投げかける。
外へ出るとぎらっと太陽が照りつけ、夏が近付いてきたのがよくわかった。
「うー、きらり、朝日がつらい……」
私が言うと、きらりは「仕方ないなあ」って笑って、太陽の側へ回ってくれる。やさしい。
少しでも暑さを忘れたくて、昨日観たアニメとか今日の晩ご飯の予定とか、口から漏れ出た適当な話題をぐだぐだきらりと話してると、なんとか学校へ辿り着いた。
もうへとへとだからおうちに帰りたい。
校門をくぐって、下駄箱で靴を脱いで、教室の前できらりと別れる。
道中、あちらこちらから強い視線を感じたのは、私が自意識過剰なわけじゃない。
うざったいなあ、とは少し思うけど、私の仕事が増えるわけでもないし、あんまり気にしてない。
昔からそういう視線は感じてたから、少しは慣れてるし。
23 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 22:04:08.15 ID:+7eU+UV20
「だるーい」
授業が終わって、下校。
下駄箱の辺りで、後ろからきらりが「あんずちゃーん☆ もう、どうして先に帰っちゃうの」と走り寄ってくる。
これでもきらりが来るのをわかっててゆっくり歩いてたんだけど、そんなのわざわざ口にしたりしない。
「早く帰りたかっただけー」と答える。
「もう! 杏ちゃんのいじわる!」
ぷりぷり怒るきらりは、それでも隣を歩いてくれる。
日曜にプレイしたゲームの話をしてたら少しずつきらりの機嫌も戻ってきたけど、三つ目の交差点で右に曲がろうとしたところで「駅はこっちでしょ!」とまた怒られた。
「駅は左だけど、杏の家は右にあるんだよ」
「今日はお仕事があるから左なのーっ!」
きらりに手を引かれて、電車を乗り継いで事務所へ向かう。
24 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 22:06:17.25 ID:+7eU+UV20
「よーし、きたな二人とも。あんまり時間がない。打ち合わせは車の中でしようか。早いとこ着替えてきてくれ」
事務所の扉をくぐった途端、プロデュサーがまくしたてる。
うえー、勘弁してよ。
「杏、歩き疲れた。ちょっとくらい休ませてよプロデューサー」
私の言葉に、プロデューサーは「ホントに少しだぞ」と返す。
言質はとったと、私はソファに寝っ転がってぐだーっと腕を伸ばして、そのまま瞼を閉じる。
そして慌てた様子で「杏ちゃんっ! 時間時間っ!」と叫ぶきらりに起こされた。
着替えをしている暇もないと、私は制服のままでプロデューサーの運転する車に押し込まれた。
きらりの持っている、私のジャージが不吉だ。
「今日はラジオ収録だけだからな。まぁ、スタッフ相手ならジャージでも問題ないさ。制服だけは隠してもらうが」
あぁ、私ときらりの通う学校がばれたらめんどくさいもんね。
あれだけ注目されてるんだし、もうばれてる気もするけど。
25 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 22:08:39.67 ID:+7eU+UV20
「着替えはどこでするの?」
「車の中か、それが嫌ならこっそりスタジオのトイレだ」
じゃあ、ばたばたするのも嫌だし……車の中かな。
「きらり、ジャージ貸して」
「ほ、ホントにここで着替えるの、杏ちゃん!」
「うん」
きらりは「Pちゃんは絶対こっち見ちゃ駄目だにぃっ!」と運転席から見えないよう私の体を隠す。
そんなことしなくても別に良いのに。
ジャージに着替え終わると、ちょうどよくスタジオへ着いた。
私たち、アンキラの出番まで、あと15分。
まだ時間あるじゃーん、と思ったんだけど、プロデューサーに言わせたら「打ち合わせも出来ないし、向こうに迷惑がかかるし、なにより失礼だろう」ってことらしい。
確かにそうだけどさあ、そこはうまいことプロデューサーが調整とかしてくれるところだよね。
口に出してそう返すと、「それはもう済ませてある」と。
たぶん車で私たちを待っている間に、スタッフに電話を入れてあったんだ。やるなあ。
26 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 22:10:22.68 ID:+7eU+UV20
「それでは本日のゲストはーっ! SNSでも超話題っ! 人気急上昇中の凸凹ユニットっ! アンキラのお二人でーすっ!」
「えー? 話題になってるの? やだなあ、仕事たくさん降ってきそう。あ、双葉杏でーす」
「きーらりんっ☆ 諸星きらりですっ! もうっ! めっだよ、杏ちゃん! そういうこと言っちゃ駄目だにぃ!」
「良いじゃん良いじゃん、芸風芸風」
ラジオの収録は基本的にはきらりとかパーソナリティの人と喋ってるだけなんだけど、楽ちんってわけじゃない。
言っちゃいけないこともあるし、なによりラジオの進行を意識しなきゃいけない。
仕事は仕事。大変だ。
「あ、それじゃ、タイミングも良いし、いっちゃいましょうか。さっき話題にも挙がった、アンキラの新曲――あ、お二人とも、合わせてくださいねっ――はい、その名もー?」
きらりと目を合わせる。息を吸って、
「「あんきら!? 狂騒曲っ!」」
27 :
◆JeBzCbkT3k
[saga]:2017/07/20(木) 22:12:19.63 ID:+7eU+UV20
先週リリースしたばかりの曲を紹介すると、ようやく小休憩。
ふへー、と息を吐くと、パーソナリティの奈々ちゃんが「疲れちゃいました?」と笑う。
「もうちょっとだから、杏ちゃん、頑張るにぃ!」
「んー、まだまだ元気だから大丈夫。菜々ちゃんも、そっちの方が疲れてるのに、気を遣わせてごめんね」
「い、いえいえっ! 疲れてるとか! そんなことは全然!」
慌てて手をぱたぱたと振る菜々ちゃんを不思議に思いながら、私はペットボトルの水を飲んで喉を潤す。
トークが再開すると、私は持てる限りの愛嬌を全部放って、CDやリリースイベントの宣伝をする。
ここが一番の頑張り時だ。全ては印税のためなり。
「はいっ! ではではっ! アンキラのお二人でしたー! お二人とも、ありがとうございましたっ!」
「こちらこそありがとうございましたっ! また来るね☆」
「次はきらりだけで来なよ」
ふう。収録、終わり。
控え室で待っていたプロデューサーが「良かったよ」と私の肩を叩く。
「杏、やればできるからね」と答えるとプロデューサーは笑った。
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