【アイマス】眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY

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68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 20:20:18.71 ID:iLUKzxvno
そんなチハヤの心情を知ってか知らずか、
ハルカは穏やかに笑いながらチハヤに歩み寄り、隣に立った。

ハルカ「隣、いい?」

チハヤ「……ええ」

目を合わせずに正面を向いたままチハヤは答える。
ハルカはその横顔に笑顔を向けたまま、スカートを押さえながらチハヤの隣に腰を下ろした。

ハルカ「それで話を戻しちゃうけど、チハヤちゃんもアイドルになりたいの?
    チハヤちゃん、転校生だよね。
    ここに転校してきたのは、やっぱりアイドルになるため?」

自分が転校生だと知っている……ということは、
以前からこの学園とは関わりを持っていたのだろうか。
と思い至ったチハヤだが、それはすぐに別の感情にかき消された。

ハルカの質問を受けて僅かに視線を落とす。
何度目か分からないが、またイオリの言葉が思い起こされる。
少し沈黙したのち、チハヤは口を開いた。

チハヤ「正直に言うと……私は、アイドルには興味ないわ。
    この学園へ転校してきたのも、ここの先生誘われて、
    前の学校の先生にも勧められたから……。
    自分の意思でここに来たわけじゃないの」
69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 20:25:38.12 ID:iLUKzxvno
もしこれが学園の生徒からの質問であったなら、
チハヤは恐らくここまで正直には答えなかっただろう。
いや、そうでなくとも、相手がハルカでなければ適当にごまかしていたかも知れない。
だがチハヤは、この少女になら自分の内面を打ち明けてもいいと、
無意識下ではあるがなぜかそんな風に感じていた。

ハルカ「そうなの……? でも、女の子はみんなアイドルに憧れるよね」

チハヤ「それも、私には理解できなくて……。
    私もそうだけど、アイドルがどういうものなのかも
    具体的にはよく分かってない子がほとんどでしょう?
    なのにどうしてあんな風に憧れるのか……わからない」

そうしてチハヤは再び沈黙する。
手元に目線を落としたままのチハヤの横顔を、ハルカもしばらく黙って見つめた。
しかし数秒後、ハルカの明るい口調でその沈黙は破られた。

ハルカ「いいんじゃないかな? よく分からないまま憧れても。
    きっと、アイドルには正解なんてないんだよ」

チハヤ「え?」

言われた意味が理解できず、チハヤは思わずハルカへと顔を向ける。
舞い散る桜を見上げるように顔を斜め上へ向けていたハルカは、
やはりにこやかな笑みをチハヤに向け直した。
70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 20:29:58.84 ID:iLUKzxvno
ハルカ「『能力を使いこなせる子がアイドルに選ばれる』。
    これは多分間違ってないんだけど、
    きっとそれ以外にも、アイドルには大事なことがあるんだと思う。
    それで、その大事なことっていうのは多分、
    アイドルになる子によってそれぞれなんじゃないかな?」

チハヤ「アイドルによって、それぞれ……」

ハルカ「チハヤちゃんは、今はあんまり興味がないかも知れないけど、
    もし自分がアイドルになるとすればどんなアイドルになりたい?
    せっかくだし、それを考えてみてもいいと思うんだ。
    その答えが見つかったら、
    もしかしたらチハヤちゃんもアイドルになりたいって思うかもしれないし」

そう言って、ハルカは目を閉じてすっと立ち上がる。
そして見上げたチハヤに改めて笑顔を向け、

ハルカ「それじゃ、今日はもう行くね。またね、チハヤちゃん」

別れの言葉と疑問を残し、ハルカは丘の下へと姿を消していった。
チハヤはその背を追う気にはなれず、ハルカの残像を瞳に写したまま、
残していった言葉の意味を考え続けた。
71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 20:45:55.45 ID:iLUKzxvno



   「――しかし一緒に居ると約束した友達は、女の子のそばから居なくなってしまいました。
   二人で過ごした日々や思い出がすべて夢か幻であったかのように……」

マミ「お友達はどこへ行ってしまったの?」

   「誰も知らない、遠いところです。とても、とても遠いところ」

石造りの薄暗い地下。
扉を隔てた先の部屋は、別世界のように可愛らしい。
ベッドの上でぬいぐるみに囲まれ、今夜も読み聞かせは続く。

   「それから毎晩、女の子は悲しみで涙を流しました。
   悪い夢でありますように。目が覚めたら友達が帰ってきていますように。
   そうでなければ、このままずっと眠っていられますように……。
   毎晩、毎晩、そんな風に神様にお祈りしながら、女の子は眠りにつきました」

アミ「女の子は、どうしてずっと眠っていたかったの?」

   「夢を見ていたからです。大好きな友達とずっと一緒にいられる夢。
   とても楽しくて幸せな夢を、女の子は毎日のように見ていました。
   だから、ずっと眠っていられたら幸せなままでいられる。
   こんなに悲しい気持ちなんて、しなくてもすむ。
   女の子はそう思って、毎晩、毎晩、眠りについていたのです――」
72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 20:50:51.30 ID:iLUKzxvno



チハヤという新たな顔が加わったことで、
学園の生活にはちょっとした変化と刺激も加わった。
友人が増えて喜ぶ者、ライバルが増えて対抗心を燃やす者、
抱いた感情はそれぞれ違ったが、
ゆったりと流れていく時間が徐々に、その変化を日常へと変えていった。

並木を彩る桃色が緑へ替わり、
石畳が赤く色づき、
白銀を経て、
やがて再び桃色が芽吹き始める。
学園を彩る色の変化もまた、新顔が加わるという変化と同様に、
少女たちの日常の一部となっている。

チハヤの転校初日から数えて、もうすぐ一年。
満開の桜が並木道の空を覆い尽くすこの頃には、
チハヤもすっかり学園の一員として、皆に受け入れられていた。
とは言え、傍から見た様子は一年前とほぼ変わらない。
チハヤはやはり賑やかな輪の中から一歩外へ出ていることが多かったが、
決して疎ましく思われているわけではないことを皆理解しており、
無理に輪に入れようとすることもなく自然な形として穏やかに馴染んでいた。
73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 20:54:48.23 ID:iLUKzxvno
そんな日常の中、桜舞う学び舎に今日も少女たちの歌声が響いている。

リツコ「ここはより伸びやかに。そう、いい調子ですよ」

横一列に並んだ少女たちと、その前を教鞭でリズムを取りながら歩くリツコ。
少女らの表情は楽しげなもの、真剣なもの、様々である。

学園で学ぶものは『能力』にかかわるものばかりではない。
一般的な学問に加え、歌や踊りなども高いレベルで教わることになっている。
『アイドル』となるには直接的には関係ないとは言え、
憧れられる存在たるものかくあるべき、
という信条のもとにこの学園ではあらゆるものを身につけさせるのだ。
学園に通う生徒たちも納得し、こうした授業も熱心に取り組んでいる。

リツコ「……はい、今日はここまでにしておきましょう。
   では一人一人、今日のアドバイスを。まずはヒビキさんから」

ヒビキ「はいっ!」

リツコ「とても明るい歌声で、音程もしっかり取れています。
    ただ、曲調によっては――」
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 21:01:50.82 ID:iLUKzxvno
リツコ「――最後にチハヤさんですが、歌の技術はとても素晴らしいですね。
    ここへ来てもうすぐ一年になりますが、
    元々優れていた技術を更に伸ばすことに成功しているようです」

チハヤ「ありがとうございます」

リツコ「しかし、やはり表情の固さが課題ですね。
    技術自体は優れているはずなのですが、
    表情に影響されて歌までどこか固い印象を受けてしまいます。
    歌う時の表情も、歌の表現力の一つ。
    その課題さえ解決できれば、あなたの歌は至高のものとなるでしょう」

チハヤ「……ご指導、ありがとうございます。努力を続けます」

リツコ「ええ、頑張ってください。ではこれにて授業を終了します」

そうして歌唱の指導は終わり、リツコは背を向けて堂を立ち去る。
それから他の者もゆるゆると、その場をあとにした。
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 21:08:49.03 ID:iLUKzxvno
その後、学園は休み時間へと入った。
今日は皆特に用事はないので、全員中庭でのんびりと空中を浮遊して過ごしている。
ユキホとマコトは持参したティーセットで紅茶を飲み、
ヒビキは空中を泳ぐようにひらひらと飛び回る。
そしてチハヤはやはり一人、読書を嗜んでいた。

そんな様子を少し離れた場所から眉根を寄せて見ていたのが、イオリであった。

アズサ「あらあら、どうしたのイオリちゃん」

イオリ「別に……なんでもないわよ」

アズサ「チハヤちゃんを見ていたの? 何か気になることが?」

イオリは肯定するでもなく否定するでもなく、ただ一方をじっと見続ける。
だが沈黙は即ち肯定であり、視線の先にはアズサの言う通りチハヤの姿があった。

イオリ「……あの子、あんなに本ばっかり読んでるから顔も固くなっちゃうんじゃないの」

アズサ「? 顔も固くって……。あ、もしかして、歌の時の?」
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 21:20:14.13 ID:iLUKzxvno
イオリ「大体、いつも何を読んでるのよ。一人でいつもいつも……」

アズサ「あら……そう言えば、聞いたことはなかったわね〜。
    読書の邪魔をしちゃいけないと思って……。
    う〜ん……とても真面目な子だし、
    アイドルになるためのお勉強をしてる、とか?」

イオリ「……そうね、そうに違いないわ。私だって去年より成長してるはずなのに、
    まだあの子の能力を破れないなんて、そうとしか考えられないもの……。
    一体どんな本を読んで勉強してるのかしら……」

チハヤから視線を外さないまま誰へともなく呟くイオリを見て、
アズサはようやく、イオリがまたもライバル心を燃やしているのだということに気が付いた。
恐らく、チハヤの歌に対してリツコが下した評価が自分より高いと感じたのだろう。
そんなイオリの横顔に、アズサはにこやかな笑みを向け続けた。

アズサ「あらあら……うふふっ。だったら、ちょっと私が聞いてきてあげるわね」

瞬間、イオリが何か言う間もなく、
アズサは笑顔を残してイオリの隣から姿を消した。
そして次に現れたのはチハヤの隣であった。
77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 21:26:28.58 ID:iLUKzxvno
アズサ「うふふっ、チハヤちゃん♪」

チハヤ「アズサさん……。何か用ですか?」

この一年間でもう慣れてしまったのだろう、
突然隣に現れたアズサに特に驚くこともなく、
チハヤは本から目を離してアズサの顔を見上げた。

アズサ「ごめんなさいね、用っていうほどのものでもないんだけど。
    ただ、チハヤちゃんがいつもどんな本を読んでるのかなって気になっちゃって」

チハヤ「どんな本……ですか。
    そう聞かれても、特にこれといってジャンルを選んでいるわけではないので……」

アズサ「まあ。色々な本を読んでるっていうことなのね、すごいわ〜。
    それじゃあ、今読んでるのはどんな本なの?」

チハヤ「これですか? これは――」

そんな風に他愛もない会話を始めたアズサとチハヤ。
その二人をイオリは、ただ黙って遠目に眺めていた。
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 21:34:37.21 ID:iLUKzxvno
イオリ「――はぁ……」

二人の様子を見ながら、イオリは浅くため息をつく。
だが、本当にアズサはお節介なんだからと思いつつも、
これで自分も成長できると思えば感謝の気持ちも少なくはない。

ふと、イオリはちらと下方に目を向けた。
その先にはあるのは、あてもなく彷徨うようにふわふわと浮遊しているヤヨイの姿。
するとヤヨイもその視線に気付いたようで、
顔を上げてイオリと視線を交差させ、にっこりと笑って浮上してきた。

ヤヨイ「イオリちゃん見ててくれた?
   私、結構上手に飛べるようになってきたかも!」

イオリ「ええ、そうね。すごくリラックスして飛べてるわ」

ヤヨイ「えへへっ、ありがとう! それじゃ私、もうちょっと練習してくるね!」

イオリ「まだ練習するの? せっかくの休み時間なんだし、ちょっとは休憩したら?」

ヤヨイ「ううん、私はみんなより下手っぴなんだから頑張らなきゃ!
    早くイオリちゃんたちみたいに、上手に飛べるようになりたいもん!」
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 21:40:35.21 ID:iLUKzxvno
ヤヨイ「ヒビキさんみたいに飛び回れたら楽しいだろうし、
    マコトさんとユキホさんみたいにお茶を飲んだり、
    チハヤさんみたいに本を読んだりするのもカッコイイかなーって!」

ヤヨイの視線を追い、イオリも周りに目を向ける。
すると、チハヤの隣でまだ会話を続けているアズサと目があった。
そしてそれに気付いたチハヤが、
同じように視線を追ってこちらに目を向ける――
そんな予感がして、思わずイオリは顔を背けてしまった。
なぜチハヤと目を合わせることを避けたのか自分でも分からないまま、
顔を背けた先に居たヤヨイに向けて言った。

イオリ「それじゃ、私も練習に付き合うわ」

ヤヨイ「えっ? そんな、悪いよ。だってせっかくの休み時間なのに……」

イオリ「気にしなくていいの。これは私のためでもあるんだから。
    人に教えたほうが上達するって言うでしょ?
    ほら、さっさと始めちゃうわよ。時間は限られてるんだから」

それから休み時間が終わるまで、イオリはヤヨイと飛行の練習を続け、
結局その間、チハヤと目が合うことはなかった。
80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 21:46:28.57 ID:iLUKzxvno



ヒビキ「なあイオリー。いくらジャンルは問わないって言っても、
    本当にこんなにバラバラで良かったのか?」

イオリ「いいのよ。バラバラなことに意味があるんだから」

ヤヨイ「私、図書館で本借りるの久しぶりです!
    えへへっ、なんだか賢くなったような気がしますね!」

図書館を歩くイオリたちの手には、一人一冊ずつ本が持たれている。
これら三冊を今から借りようというのだ。
手元の本に視線を落としたイオリの脳裏に、少し前のアズサとの会話が思い起こされる。

 アズサ『どんな本を読んだか覚えているものを全部教えてもらったけれど、
     歌が関係してる本が多いみたいだったわ〜。
     やっぱりチハヤちゃん、歌が大好きなのね。
     ただ、アイドルとはあんまり関係なさそうだったけど、
     それでもアイドルの勉強になるのかしら? 不思議ね〜』

アズサは疑問に思っていたようだったが、
イオリはやはりチハヤの能力の高さの秘密はその読書量の多さにあると踏んだのだ。
81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 21:50:04.20 ID:iLUKzxvno
一見すればアイドルとは無関係な分野でも、
視点を変えれば何か得られるものがあるに違いない。
そう考え、特に仲の良いヤヨイと、
偶然話を聞いていたヒビキを引き連れて早速図書室にやってきたのだった。

ヒビキ「でもなー……。本当にこんなのでアイドルの勉強になるのかなあ。
   っていうか、どうせ真似するんなら
   借りる本もチハヤと同じ歌の本にした方が良かったんじゃないか?」

イオリ「真似じゃなくて参考よ、参考!
   借りる本まで同じにしたらそれこそ真似になっちゃうでしょ!」

ヒビキ「別にそんなに変わりないと思うけど。
   まあそれは良いとして……」

と、ヤヨイとイオリの手元からふわりと本が浮き上がり、
歩く速度に合わせてヒビキの目の前に移動した。
そしてヒビキは眼前に浮かぶ二冊の本と
自分が掲げている本のタイトルを読み上げ、苦笑いを浮かべる。

ヒビキ「『コーディネート・ファッション辞典』『念動力の理論と実践(上)』……。
    それに、『無と時間の証明――哲学、そして論理的思考――』。
    ヤヨイが借りたの以外、本当にアイドルと関係なさそうだぞ」
82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 22:04:03.39 ID:iLUKzxvno
イオリ「だから、そこに意味があるんだって言ってるでしょ。
    現にチハヤが読んでた本だって、
    歌の本以外もアイドルに全然関係なさそうな本ばっかりだったらしいもの」

ふーん、と答えたヒビキはやはり半信半疑なようだったが、
熱意を燃やしているイオリの気勢を敢えて削ぐこともないか、と
それ以上は何も言わずに笑顔を浮かべた。
と、イオリが不意に立ち止まって振り返る。
すると今度はヒビキの手元の本も一緒に、三冊イオリのもとへ移動した。

イオリ「いい? 明日は授業が無いんだし、三人でみっちりこの本を勉強するわよ。
   休みの日の過ごし方でアイドルにどれだけ早く近付けるかが決まるんだから!」

ヤヨイ「うん! この本でいっぱい勉強して、早く上手に飛べるようにならなきゃ!」

ヒビキ「……ま、確かに何もしないよりはそっちの方が良いか。
    それに、三人で勉強っていうのも楽しそうだし!」

二人の返事を聞き、イオリは満足げに踵を返して、
三冊の書物の重さを両手に感じながら意気揚々と再び歩き始めた。
83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 22:10:16.03 ID:iLUKzxvno
――翌日、今は平常であれば皆一様に授業を受けているはずの時間である。
しかし今日は休日。
少女たちは各々、思い思いに時間を過ごしていた。

イオリ、ヤヨイ、ヒビキの三人もまた、
本来なら既に制服に着替えているはずではあるが今日この時は寝巻きのままで、
三人揃って一つのベッドの上に集っている。
とは言っても、惰眠を貪っていたり着替えを怠っていたりするわけではない。
寧ろその逆、昨日話していた通り、『アイドルの勉強中』なのである。

ヒビキ「あはは、これ結構面白そうかも。ねえイオリ、次はこれやってみようよ!」

寝そべって本に目を通していたヒビキが、横に視線を上げる。
その先では膝立ちになってヤヨイの髪をいじるイオリと、
いじられるがままのヤヨイの姿があった。

イオリ「ん、待って。もう少しで結べるから」

口に咥えたリボンを手に取り答えたイオリの髪もまた、
既に自分自身かあるいは二人のうちどちらかによって手を加えられたのだろう、
普段と変わって前髪をすべて引っ詰めたような髪型となっている。
84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 22:13:34.32 ID:iLUKzxvno
ヒビキとヤヨイは普段の髪型とそう変わってはいないが、
三人は共通して長い白のリボンによってまとめられていた。
そこを見ると、白の寝間着のままで居るのも
リボンとの組み合わせを考えて敢えてそのようにしているのかも知れない。

イオリ「……はい完成! できたわよ、ヤヨイ!」

ヤヨイ「ほんと? えへへっ、どんな風になってるのかな?」

自分ではあまり普段と変わった感覚はしないらしく、
確かめるように両手で自分の髪の毛をふわふわと触るヤヨイ。
そんなヤヨイに、イオリは横に置いてあった手鏡を渡す。
ヤヨイはそれを受け取って手鏡を覗き込むと、ぱっと目を輝かせた。

ヤヨイ「わあ……! リボンと結び方が違うだけなのに、なんだかお姫様みたい!
   ありがとう、イオリちゃん!」

純真無垢な笑顔に、少しだけ困ったような、
けれどとても嬉しそうな笑顔をイオリは返す。

イオリ「もう、大げさね……。さ、まだまだ勉強を続けるわよ!
    ヒビキ、さっきあなたが言ってたの見せてちょうだい!」
85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 22:17:27.72 ID:iLUKzxvno



   「――けれど、朝はやってきます。
   幸せな夢を見て、目が覚めれば悲しさで涙を流す。
   それを繰り返すうちに、優しくて明るかった女の子はすっかり変わってしまいました」

アミ「どんな風に変わったの?」

   「泣いてばかりで、他の子たちとおしゃべりすることも遊ぶこともなく、
   本当にひとりぼっちになってしまったのです。
   ああ、かわいそうな女の子……。
   ところがそんなある日、女の子の前に魔女が現れたのです。
   魔女は言いました。
   『願いを叶えたければ、これを食べなさい。なんでも願いの叶う、不思議な果物だよ』」

マミ「不思議な果物ってなあに?」

   「魔女が取り出したのは、真っ赤な真っ赤な林檎でした。
   女の子は言いました。『それを食べれば、本当になんでも願いが叶うの?』
   魔女は答えます。『もちろんだとも。さあ、召し上がれ』
   そうして女の子は魔女から林檎を受け取り――」
86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/17(月) 22:19:12.78 ID:iLUKzxvno
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分明後日に投下します。

>>64
「無尽合体キサラギ」というタイトルのやつなら多分私です
87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:08:56.84 ID:JsQlnOTFo



ヒビキ「――結局、アイドルの勉強になったのかどうかはよく分からなかったなー」

ヤヨイ「でも楽しかったですよね!
    イオリちゃんが選んだ本は、私にはちょっと難しくかったかもだけど……」

イオリ「まあ、それでいいんじゃない? あまり実感はないかも知れないけど、
    こういう知識や経験がきっとアイドルへの成長に繋がるのよ」

話しながら歩く三人の手には、図書館で借りた件の本があった。
また今日はそれに加え、次の授業で使う数冊の厚い教科書も持たれている。
図書館に立ち寄り、借りた本を返却してから授業へ行こうというわけだ。

と、イオリは図書館へ向かう廊下の曲がり角で立ち止まり、

イオリ「これは私とヤヨイで返しておくわ。ヒビキは先に行ってていいわよ」

ヤヨイ「えっ? 三人で一緒に行かないの?」

ヒビキ「そ、そうだぞイオリ! 私だけのけ者にする気なのか!?」
88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:13:16.22 ID:JsQlnOTFo
ヤヨイとヒビキの反応は当然のものであったが、
イオリの発言も当然、理由のないものではない。
イオリは呆れたように薄く笑い、二人の疑問に答えた。

イオリ「ヒビキあなた、次の授業であてられるでしょ?
    先に行って予習しておきなさいってこと」

ヒビキ「あ……そ、そうだった!
   一応付箋は貼ってあるけど、もう一回読んでおかないと!
   ごめん、ありがとうイオリ! じゃあこの本、頼んだぞ!」

イオリ「どういたしまして。席はいつものところを取っておいてちょうだい」

ヒビキ「了解! それじゃまたあとでね!」

ヤヨイ「は、はい。ヒビキさん、頑張ってください!」

持っていた本をイオリに預け、ヒビキは駆けていった。
イオリはその背を笑顔で見つめた後、浅く息を吐き、

イオリ「さ、行きましょう。あんまりのんびりしてると私たちも遅刻しちゃうわ」

そういってヤヨイと二人、図書館へと歩いて行った。
89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:21:19.27 ID:JsQlnOTFo
――足元の桜を舞い上がらせ、ヒビキは並木を駆ける。
それにしても、イオリが予習を思い出させてくれて良かった。
学則で禁じられてさえいなければ教科書を読みながら移動したいところだが……
などと考えていると、前方からこちらへ歩いてくるリツコの姿が見えた。

ヒビキ「ごきげんよう、ティーチャーリツコ!」

目の前で立ち止まり、ヒビキは大きな声で挨拶する。
リツコも軽く頭を下げて「ご機嫌よう」と返し、微笑んだ。

リツコ「どうしたのですか? 随分と急いでいるようですが」

ヒビキ「はい! 早めに行って次の授業の準備をしておこうと思って!」

リツコ「まあ、そうでしたか。熱心でよろしい。
    ただもう少し早めに準備できていればなお良かったのですが」

ヒビキ「うぐ、ご、ごめんなさい」

正論を投げられて首を縮めるヒビキにくすくすと笑うリツコ。
ヒビキも申し訳なさそうに頭をかきながら笑みを返した。
90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:25:50.78 ID:JsQlnOTFo
リツコ「それに、気をつけてくださいね。
   屋外は構いませんが、屋内では走らないよう――」

突風が吹いたのは、リツコがヒビキに注意しようとしたその時だった。
一瞬木々がざわめいたかと思えば次の瞬間、
ヒビキの視界を自身の髪の毛が覆い、思わず声を上げ反射的に目を閉じる。
同時に、リツコの持っていた紙が飛び散り、
そのうちの何枚かが風にさらわれて上空へと舞い上がってしまった。

ヒビキ「っと、大変だ!」

舞い散る紙を確認したヒビキはその瞬間、上空へと飛び上がる。
そして飛びながら、

ヒビキ「みんな、手伝って!」

その声とともにヒビキの周囲に光が発生し、
それらがすべて多種多様な鳥へと姿を変えた。
91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:27:43.06 ID:JsQlnOTFo
光が形を成しているだけのものではなく、
見た目にはどれも本物と変わらない鳥たちが、散っていった紙に向けて一斉に羽ばたいた。
ヒビキ自身も飛び回り、紙を回収していく。
そうしてあっという間に、吹き飛んだ紙はすべてヒビキの手元に収まった。

ヒビキ「ふう、これで多分全部だよね」

ヒビキは手元の紙の向きを揃えながら、地上へ降りていく。
だがその時、ふとヒビキの目と手の動きが止まった。

ヒビキ「……これって……」

リツコ「ありがとうございます、ヒビキさん。大変助かりました。
    それに能力の使い方も見事でしたよ」

自分がいつの間にか地上まで降りていたことを、すぐ横から話しかけられて気付く。
ヒビキはパッと顔を上げ、リツコに目を輝かせて聞いた。

ヒビキ「ティーチャーリツコ、この書類って……!」
92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:30:53.42 ID:JsQlnOTFo
みなまで言う前に、リツコはそっとヒビキの手元から書類を預かり、
そして優しく微笑んで言った。

リツコ「ふふっ、見られてしまいましたね。
   ええ、その通りです。ここの全員が候補に上がっていますよ」

ヒビキ「わっ……やっぱり、本当なんですね!」

リツコ「明日にでも皆さんに話すつもりだったのですが、
   少しだけ早く知られてしまいましたね」

ヒビキ「あの、ティーチャーリツコ!
    このこと、みんなに教えてあげても大丈夫ですか?」

リツコ「構いませんよ。どうぞ、教えてあげてください。
   予定より早いですが、次の授業時に私の方からも正式に発表することにしましょう」

ヒビキ「えへへ、わかりました! ありがとうございまーす!」

リツコ「はい。ではまた後ほど授業で」

そう言ってリツコは微笑みを残して去っていき、
ヒビキは嬉しそうな顔のまま、再び駆け出した。
93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:31:39.63 ID:JsQlnOTFo
ヒビキが講義室に入ってしばらくしてから、ヤヨイとイオリの二人も入ってきた。
図書館に立ち寄ることを考えて早めに移動したのだが、
立ち寄ってもなお時間には余裕があり、
まだ講義室には彼女たち三人以外には誰も来ていない。

イオリ「お待たせ、ヒビキ。ちゃんと予習はできてる?」

ヒビキ「えへへっ、まーねー」

ヤヨイ「? ヒビキさん、何か嬉しいことでもあったんですか?」

何やら含蓄のある言い方をするヒビキに対し、
ヤヨイは興味深げに体をヒビキに向けて座った。
次いでイオリも着席しようとするが、
それまで待てないとばかりにヒビキは身を前に乗り出して言った。

ヒビキ「なあ、知ってるか?
    私たちの中から、アイドルが選ばれるかも知れないんだって!」
94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:37:10.53 ID:JsQlnOTFo
イオリ「……? 今更何言ってるのよ、当たり前じゃない。
   そのためにこの学園に通ってるんでしょ?」

ヒビキ「違うよ、そういうことじゃないんだ!
    もう私たち、アイドルの最終選考に残ってるんだよ!」

イオリ「……なんであなたがそんなことを知ってるわけ? 何かの勘違いじゃないの?」

興奮気味に言うヒビキとは対照的に、
情報の信憑性を確かめるようにイオリは努めて冷静に聞きながら席に座る。
ヒビキはイオリとヤヨイとの間を視線を行き来させながら答えた。

ヒビキ「さっきティーチャーリツコが持ってた書類が風で飛ばされて、
   それを拾ってあげた時に見たんだ!
   ティーチャーリツコもそう言ってたし、間違いでも勘違いでもないぞ!」

ヤヨイ「そ、そうなんですか? じゃあ本当に……! やったね、イオリちゃん!」

リツコが言ったのなら間違いない。
ヤヨイも確信し、興奮した様子でイオリに目を向けた。
しかしイオリは返事をせず、俯いたままで何やら呟いている。
95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:40:30.82 ID:JsQlnOTFo
イオリ「最終選考に……私たちが、全員……。本当に、アイドルに……」

ヤヨイ「? イオリちゃん……?」

イオリ「まだまだ……。
   ヒビキの言うことが本当だとしたら、ここからが本番よ!
   二人とも気を抜いたりしたらダメなんだから!」

突然立ち上がったイオリに、二人は目を丸くする。
だがイオリの目が熱意に燃え、興奮に頬が紅潮していることに気付き、
二人とも嬉しそうに笑った。

ヒビキ「もちろん本当だし、気を抜くつもりもないぞ! イオリにも負けないからな!」

ヤヨイ「みーんなでアイドル目指して、頑張りましょー!」

ちょうどその時、他の皆も講義室に入ってきてイオリたちの様子に気が付いた。
そしてもちろん、リツコの公表を待たずして全員にこの件は伝わることとなった。
自身の夢がグッと現実感を増したことを実感し、
皆嬉しそうに顔を見合わせ、手を取り合って喜ぶ。
ただ一人……チハヤを除いては。
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:44:44.96 ID:JsQlnOTFo
リツコ「――なるほど、どうやら皆さん全員に伝わっているようですね」

教室に入った瞬間、
自分に向けられた表情からリツコは事態を把握して顔をほころばせた。
そして教卓の前に立ち、皆の顔を見回してから、ひと呼吸置いて話し始める。

リツコ「知っての通り、この学園の生徒全員がアイドルの最終選考に残りました。
   まだ目標がなったわけではありませんが、ひとまずはおめでとうございます」

その笑顔に、少女たちは改めて顔を見合わせて喜びを表現する。
リツコはその様子を眺めた後、軽く咳払いし、

リツコ「さて、ここから最後の選考に入るわけですが、
   最終決定がいつになるか、皆さんは気になるところでしょう。
   しかしこれに関しては、敢えて伏せることとしています。
   これからの選考期間が一週間なのか、あるいは一ヶ月間なのか、
   それを皆さんが知ることはありません」
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:47:27.15 ID:JsQlnOTFo
リツコ「アイドルは、常に努力し心構えを持つことが肝要。
   もしかしたら明日にでも発表があるかも知れない。
   そんな緊張感を持ち、今日からの毎日を過ごしてください。
   当然、現時点である程度の順序付けはされていますが、
   それはこれからの日々の過ごし方次第でいくらでも変動するものです。
   あなた方の中の誰もが、今回の選考でアイドルになる可能性を持っているのです」

微笑みながらも厳しい言葉を、リツコは淡々と投げかける。
それを聞くうち、少女らの中に少なからずあった浮ついた雰囲気は徐々に影を潜めていった。
今はもう全員、気合の入った表情でリツコをじっと見つめている。
だがリツコはその表情を、やはり変わらぬ笑顔で受け止め、

リツコ「さて、少し厳しい話をしましたが、めでたいことには変わりありません。
    そこで今日は、私から皆さんに贈り物があります」

そう言って教卓の上……教室に入ってきた時から持っていた箱に、目を向ける。
片手で掴める程度の長方形の箱が人数分。
全員の目がその箱へ向いたのとほぼ同時、リツコは改めて正面を向いて言った。

リツコ「それでは一人ずつ前へ。この箱を渡します」
98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:54:19.96 ID:JsQlnOTFo
その後数分と待たず、全員の手に箱が行き渡った。
リツコはそれを確認し開封を促す。
少女たちは一斉に箱の縁に指をかけて中身を確かめ、
そして次の瞬間、教室には俄かに歓声が広がった。

マコト「ティーチャーリツコ! これってもしかして……!」

リツコ「はい。皆さんがより高いレベルで能力を扱うための、補助具です」

皆の手に握られているのは、少し変わった形をしたバトンのような道具。
起動すれば能力の発動、制御を助け、より楽により高度な能力使用が可能となる。
更に服装までが能力使用に最適化されるという、高度な技術を以て作られた道具。
それは基礎力を高い水準で身に付けた者のみに保持が許される、
アイドルを目指す者にとっては一種の勲章のようなものでもあった。
これを持つことで名実ともにアイドル候補になれると言っても過言ではない。

リツコ「ただし、この補助具にばかり頼っていては成長は止まってしまいます。
   こちらが指示した時か、本当に必要な時にのみ使用するようにしてくださいね」

少女たちは両手でその贈り物を大切そうに握ったまま、目を輝かせて返事をする。
だがそんな中にあってもチハヤはやはり、
膝の上に手を置いたまま視線を落とし続け、箱をそっと机の隅へ追いやった。
99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/19(水) 21:56:36.86 ID:JsQlnOTFo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分土曜か日曜の夜に投下します。
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 20:26:09.01 ID:WL/Y4gD6o



――たくさんの悲鳴。
たくさんの叫び声。
たくさんのものが壊れる音、崩れる音。

どうして?
どうして、居なくなっちゃったの?
約束したのに。
ずっと一緒だって、約束したのに。

悲しい 痛い 苦しい
嫌だ こんなの嫌だ

そうだ……眠ろう。いつもみたいに。
寝てる間だけは、こんな辛い思いをしなくて済む。
夢の中だけは、あの子とずっと一緒に居られる。
だから、起こさないで。
もう誰も起こさないで。

あの子が居ない世界なんて、要らないから。
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 20:28:47.35 ID:WL/Y4gD6o



鼻に何か触れる感覚がして、目が覚めた。
鼻先に付いたそれを指で取って確認すると、桜の花びらだった。

ハルカ「おはよう、チハヤちゃん」

体を起こしたのと同時に後ろから声をかけられる。
振り向いて姿を確認するより先に、チハヤも相手の名を呼んだ。

チハヤ「ハルカ……いつから居たの?」

ハルカ「さっき来たところ。珍しいね、チハヤちゃんがお昼寝なんて」

チハヤ「そうかしら。時々はするけれど」

ハルカ「それから、鼻に桜が付いてるチハヤちゃんも珍しかったよ。
    可愛かったのに、取っちゃって残念」

チハヤ「もう……からかわないで」
102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 20:34:33.93 ID:WL/Y4gD6o
照れる表情を隠すように、チハヤは振り向いていた顔を正面に戻す。
ハルカはいたずらっぽく笑い、いつものようにチハヤの隣に腰を下ろした。
チハヤはちらとハルカを一瞥した後、眉根を寄せて再び正面へと顔を逸らす。
だが少しだけ怒ったようなその顔はやはり、面映さに染まっていた。

ハルカ「そう言えば、もうすぐチハヤちゃんがこに来て一年だね」

チハヤの心情を慮ったか、ハルカは別の話題を振った。
数秒置き、チハヤは正面を向いたまま答える。

チハヤ「ええ……。実感はあまりないけれど」

ハルカ「私は実感あるよ? チハヤちゃんと仲良くなれた、って」

チハヤ「……そうかも知れないわね」

ハルカ「それに、学園の友達とチハヤちゃんも一年前よりずっと仲良しに見えるよ」

チハヤ「友達……と呼べるかは分からないけれど。
    でも、そうね……。少なくとも、以前の学校のクラスメイトと比べれば、ずっと……」
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 20:43:42.74 ID:WL/Y4gD6o
そう言ったチハヤの顔は、とても穏やかなもの。
同世代の少女たちと一年間寝食を共にしたことは、
内向的であったチハヤにも仲間意識を与えるのに十分であった。
チハヤ自身、普段はあまり態度に出すことはないが、
同窓の者たちから親しげに接されることについては悪からず思っている。
しかし、だからこその悩みもあった。

チハヤ「……今日、ティーチャーリツコに言われたわ。
    私たちの中から、アイドルが選ばれるかもしれないって」

そう言ったチハヤの表情は、言葉の内容とは裏腹に、浮かないものであった。
そのことに気付いたか、本来なら感嘆の声の一つも上げているところだろうが、
ハルカは何も言わずに黙ってチハヤが続けるのを待った。

チハヤ「でも……やっぱり私はまだ、アイドルになりたいとも、なろうとも思えないの。
    今日の話を聞いた時のみんなの反応を見て、改めて私とみんなとの意識の差を感じたわ。
    みんなは本気でアイドルを目指してるのに、私は……。
    それが、申し訳なくて」
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 20:50:53.05 ID:WL/Y4gD6o
一年間、チハヤはこの心情をハルカ以外の者に話したことはない。
自覚しているかは分からないが、
彼女がこうして悩みを打ち明ける相手は常にハルカであった。
会う時間は少ないはずなのに、
ハルカの前では不思議と、普段隠している部分をさらけ出してしまう。
彼女が学園の外の者であるということもそうさせる要因の一つだろうが、
それ以上に、自身の内面を打ち明けることが許されるような雰囲気が、
このハルカという少女にはあった。

ハルカはしばらくチハヤの横顔を見つめて、
それからチハヤと同じように正面を向いた。
チハヤは自分のつま先を、ハルカは斜め上の空を黙って見続ける。

ハルカ「そう言えば、まだちゃんと聞いたことなかったよね」

沈黙を破ったのはやはりハルカ。
その声をきっかけに、二人は視線を交差させる。

ハルカ「初めて会った時に、聞いたこと。
    もしも仮に、でいいんだけど……。
    チハヤちゃんがアイドルになるのだとすれば、どんなアイドルになりたい?」

チハヤ「……なりたくないと言ってるのに、『もしも』も『仮に』もないんじゃ……」

ハルカ「まあまあ、細かいことは気にせずに!」
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 20:56:37.56 ID:WL/Y4gD6o
どこか気の抜けるような顔で笑うハルカだったが、
その表情が、チハヤの思考から堅苦しさを抜くことを成功させた。
チハヤは数秒ハルカと視線を交わしたのち、

チハヤ「多分、的外れなことを言うと思うけれど……」

そう前置きし、視線を上へ向けて答えた。

チハヤ「『歌を歌うアイドル』……。
    そんなアイドルなら、考えなかったことも、ないわ」

ハルカ「歌を、歌うアイドル……?」

呆けたように、ハルカはチハヤの言葉を復唱する。
チハヤはそんなハルカの様子を見て、後悔したように再び目線を足元に下ろした。

チハヤ「……ごめんなさい、おかしなことを言って。
   やっぱり私も、アイドルというものが何なのか、よくわかってないの。
   ただ、歌が好きだから……単純過ぎるわよね。自分でもどうかと思うわ」

どこか言い訳をするように気まずそうに言うチハヤ。
だが次いでその耳に届いたのは、明るい嬉しそうな声だった。

ハルカ「ううん、すごくいいと思う! 歌を歌うアイドル、とっても素敵だよ!」
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:01:17.35 ID:WL/Y4gD6o
チハヤ「……もう、だからからかわないでって……」

ハルカ「からかってなんかないよ! 本当に素敵だと思ってるもん!」

そう言い、ハルカはチハヤの両手を取り、ぐいと引いた。
チハヤは思わず小さく声を上げ、引かれるままに顔もハルカへと向ける。

ハルカ「私、応援するよ! 歌を歌うアイドル、目指そうよ!」

目を輝かせ、ハルカは真っ直ぐにチハヤを見て言った。
意表を突かれたチハヤも、見開いた目をハルカと合わせる。
が――

チハヤ「……さっきも言ったでしょう?
    私は、アイドルになりたいともなろうとも思ってない。
    みんなから憧れられる存在なんて、私には務まらない」
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:03:46.38 ID:WL/Y4gD6o
チハヤは目を逸らし、
自分の手を握るハルカの指をそっと解いて立ち上がった。

チハヤ「羨望も期待も、私には耐えられないから」

ハルカ「チハヤちゃん……」

チハヤ「でも、ありがとう。素敵だって言ってくれたことは、嬉しかったわ。
    ……それじゃあ、また明日」

寂しげに笑い、ハルカに背を向けて丘を下っていく。
そんなチハヤの背に向かってハルカは、

ハルカ「うん……また明日!」

ただ一言、明るくそう言って、
チハヤの影が見えなくなるまでその背を見送った。
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:09:50.86 ID:WL/Y4gD6o



ヤヨイ「あのっ、ティーチャーリツコ!」

その日の夕食が終わり皆寝室へと戻っていく中、
ヤヨイはリツコへ走り寄って声をかけた。
その後ろにはイオリとヒビキも付き添っている。
夕食後に声をかけられることなど滅多にないからか、
リツコは少々意外そうな様子で振り返った。

リツコ「あら、ヤヨイさん。どうかしましたか?」

ヤヨイ「『ねんどーりょくのリロンとジッセン』っていう本の、
    二冊目ってどこにあるか知らないですか?」

と、あまりに唐突な質問を投げかけるヤヨイ。
だがリツコはそれに動じる様子もなく、すぐに返答する。

リツコ「『念動力の理論と実践』……。
    確か上・中・下の全三冊のものでしたね。図書館にありませんでしたか?」
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:12:53.48 ID:WL/Y4gD6o
ヤヨイ「はい、今日の授業が終わってから晩ご飯の時間まで探してみたんですけど……」

リツコ「そうですか。となると……」

そう呟いて目線を落とし、リツコは顎に手を当てて思案する素振りを見せる。
そして少し経った後、

リツコ「図書館に無いのだとすれば、旧校舎の方へあるのかも知れません」

ヤヨイ「え……旧校舎ですか?」

リツコ「はい。古い本ですから、その可能性は十分にあります。
   でも、どうして突然?」

ヤヨイ「いえ……念動力の勉強をしようと思って一冊目は図書室で借りたんですけど、
   それがすっごく分かりやすかったんです。だから二冊目も読みたいなーって、
   思ったんですけど……旧校舎にあるんじゃ、しょうがないですよね」

立ち入り禁止の旧校舎にあるということは、入手を諦めざるを得ない。
そう悟ったヤヨイは、あからさまに肩を落とす。
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:21:29.29 ID:WL/Y4gD6o
ヤヨイ「続きが読めないのは残念ですけど、教えてくれて、ありがとうございました」

声のトーンは明らかに落ちているものの
それでも笑顔を作り、ヤヨイは礼を言って立ち去ろうとする。
だがそれに対しリツコが声を掛けようと口を開きかけたした、その時。

イオリ「あの、ティーチャーリツコ!
   旧校舎への立ち入りを許可してはいただけないでしょうか?」

ヤヨイ「! イ、イオリちゃん?」

イオリ「ヤヨイの言っている通り、あの本、とても分かりやすかったんです。
   念動力が苦手なヤヨイだけじゃなくて、私たち全員の役に立つくらいに……」

付き添いでヤヨイの後ろに立っていたイオリが、前へ出てリツコへ詰め寄るように言った。
気付けばヒビキもヤヨイの隣に立ち、
イオリの言葉に何度も頷いて同意を示している。

イオリ「だから、私ももっとあの本を読んで勉強したいんです。
   ティーチャーリツコも仰っていたでしょう?
   これからの過ごし方が、アイドルになるためには大事だって。
   だから、可能な限りの努力を続けたいんです!」
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:28:34.88 ID:WL/Y4gD6o
ヒビキ「私たち、昔に比べたらすごく成長しています。
    旧校舎が危ないって言っても、今の私たちなら大丈夫なはずです!」

真っ直ぐにリツコの目を見つめて懇願するイオリとヒビキ。
そんな二人の顔を、大きく見開いた目で交互に見つめるヤヨイ。
そしてリツコは二人の目をしばらく黙ってじっと見つめ返した後、
ふっと表情を崩して言った。

リツコ「確かに今のあなたたちが相手では、
   『危険だ』という理由で立ち入りを禁ずるのは少々無理がありますね」

イオリ「! ティーチャーリツコ、では……」

リツコ「はい。立ち入りを許可しましょう。
   ただし、今日はもう暗いので明日の日中に。幸い明日は休日ですから。
   それと当然、最大限の注意を払うこと。よろしいですね?」

リツコの言葉を呆けたような顔で聞いていたヤヨイ。
しかし数秒遅れて、感情がようやく理解に追いつく。
ポカンとした表情ははみるみるうちに笑顔に変わり、

ヤヨイ「は……はい! ティーチャーリツコ、ありがとうございます!」

満面の笑みで勢いよく頭を下げた。
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:31:37.32 ID:WL/Y4gD6o
ヤヨイ「うっうー! たくさん本を読んでいっぱい勉強頑張らなくっちゃ!
   でも、これで私もみんなみたいに上手に飛べるようになりますよね!」

頬を紅潮させて興奮気味に言うヤヨイに、リツコは黙って微笑みを返す。
そしてヤヨイの横から、ヒビキが再び半歩歩み出た。

ヒビキ「許してくれてありがとうございます、ティーチャーリツコ!
   あの、他のみんなも一緒に行ってもいいですか?」

リツコ「ええ、もちろん。旧校舎には他にも古い書物が多くありますから、
   読みたいものがあれば持ち出しても構いませんよ。
   ただ、立ち入るのは一階から上に限定してください。
   流石に地下は万一があった時に危険すぎるので許可できません。よろしいですね?」

イオリ「ええ、わかりました。ありがとうございます、ティーチャーリツコ」

リツコ「これを機に、皆でより一層自身を高めてください。
   では私はそろそろ失礼します。あなたたちも早めに寝室へ戻ってくださいね」

ご機嫌よう、と別れの挨拶を残してリツコは背を向けて立ち去る。
三人も挨拶を返したのち、笑顔を見合わせて皆の待つ寝室へと戻った。
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:38:23.54 ID:WL/Y4gD6o
やっぱり既に自分も行くことになっているのか、
とチハヤは思ったが、それを敢えて口に出すことはなかった。
古い本があると聞いて興味を抱いたのは事実。
聞かれれば行くと答えていたことには違いない。

マコト「でもせっかく許可をもらえたんだから、頑張っていい本探さないとだね!
   なんせ、ボクたちの中からアイドルが選ばれるんだからさ!」

ユキホ「そっか、そうだよね……。私たちがアイドルの最終候補に……。
    それにしても、いつ発表されるのかなぁ?
    発表の日が分からないって、なんだか怖いよね……。
    あ、でも分かってても怖いかも……」

と、マコトの何気ない一言にユキホは少し不安そうな笑顔を浮かべる。
そんなユキホに、ヒビキは対照的に快活な笑顔を向けた。

ヒビキ「なんだユキホ、自信ないのか?
   私は怖くなんかないぞ! だって、選ばれるのは私に決まってるからな!」

ユキホ「えっ? あ、ううん、そうじゃなくて……」

イオリ「あら、じゃあ自信ありなの? あなたにしては珍しいじゃない」

ユキホ「ええっ!? ち、違うよぉ、そういうことでもなくて……!」
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:40:27.27 ID:WL/Y4gD6o
ユキホ「その、アイドルに選ばれたらすぐに学園を卒業することになっちゃうんでしょ?
    誰が選ばれてもその人とはお別れってことになっちゃうから、
    それは寂しいなって思っただけなの!」

ヒビキ「あー、そのことか……。でもまぁ、仕方ないよ。
   それに、確かにちょっと寂しいかも知れないけど、
   一生のお別れっていうわけでもないんだからさ」

ユキホ「それはそうだけど……」

アズサ「あらあら……。そうねぇ、ユキホちゃんの言う通り、私もお別れは寂しいわ〜。
    だから、いつになるかは分からないけれど、
    アイドルが発表される日までたくさん頑張らないといけないわね〜。
    勉強も思い出作りも、みんなでい〜っぱい。うふふっ」

ヤヨイ「そうですよね……!
    七人全員が一緒に居られるのって、もうあんまり長くはないんだから、
    いっぱい、い―っぱい頑張らないどダメですよね!」
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:46:20.72 ID:WL/Y4gD6o
イオリ「もちろん、私はそのつもりよ。
   それから一応言っておくけど、誰がアイドルに選ばれても恨みっこナシ!
   まあ、当然私が選ばれるに決まってるけど」

ヒビキ「むっ! イオリ、私の真似したな! 選ばれるのは私だぞ!」

マコト「へへっ、二人とも好き勝手言っちゃって! ボクだって負けないからね!」

ヤヨイ「うっうー! 最後まで、みーんなでがんばりましょー!」

明るい笑顔と笑い声。
彼女らは競い合うライバル同士であっても、それ以前に大切な仲間である。
共に努力すること以上に気勢の上がることはない。

それからは各々、旧校舎にはどんな本があるのだろうかと想像したり、
昔忍び込んだ思い出について改めて語り合ったりして消灯までの時間を過ごした。
そして消灯を迎え、眠りについてしまえば、
翌日が訪れるのはあっという間である。
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/23(日) 21:46:52.22 ID:WL/Y4gD6o
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分水曜くらいに投下します。
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:24:53.14 ID:D4gNVkoho



旧校舎――
風化した外壁はところどころ色合いが変わっており、
他の校舎とは少し異なる雰囲気を纏う、
普段は近付くことすらほとんどない建物。
その入口に今、七人の少女は立っていた。

マコト「改めて見てみると、確かに結構古いね」

イオリ「『旧』校舎だもの、古いのは当然よ」

ヒビキ「ティーチャーリツコが開けてくれてるのは、ここの入口でいいんだよね?」

言いながら、ヒビキは目の前の扉に手をかける。
扉は抵抗なく動き、珍しい客人を誘うように内側に開いた。
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:28:34.88 ID:D4gNVkoho
先頭のヒビキの後ろから他の者も中を覗き込む。
そこから見える廊下は、入口と窓から差し込む陽光により明るく照らされ、
古びた雰囲気はあるものの陰鬱さなどは感じさせない。
壁や床、天井にも破損などは見られず、
想像していたよりも危険な場所ではなさそうだ、
というのが大半の者の抱いた感想であった。

そしてその感想に素直に従い、ヒビキは物怖じすることなくスッと中に数歩踏み入った。
僅かに床板の軋む音がしたが、やはり問題はないようだ。

ヒビキ「うん、しっかりしてるぞ。どこも崩れそうな感じもないし」

アズサ「まぁ〜。だったら安心ね、良かったわ〜」

ヤヨイ「もし床がボロボロだったら、ずっと飛んでなきゃいけなかったんですよね?
    そこまではしなくても良さそうかも!」

イオリ「でも一応気を付けるのよ? 危なそうなところはちゃんと飛んで移動しましょう」
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:34:00.82 ID:D4gNVkoho
しばらく廊下を進んでいくと、ふと壁が途切れる空間があった。
少し近付けば、その空間の正体が
上階と地下へ続く階段であることがすぐにわかった。
普段使っている校舎とは違う石造りの螺旋階段は、
彼女たちの目には素晴らしく新鮮なものに映った。

マコト「地下はダメなんだよね? よーし、じゃあ上の階から行ってみよう!」

ユキホ「あっ、ま、待ってマコトちゃ〜ん!」

非日常感の溢れるこの空間に冒険心をくすぐられたのだろう、
マコトが先陣を切って上階にのぼっていき、
そのあとを慌ててユキホが付いていく。
階段は地下へも続いていたが、リツコに立ち入りを禁じられていることもあり、
もはやマコトの頭は上階への興味でいっぱいのようだった。
ただそれは、他の大半の者についても同様だったらしい。

ヒビキ「マコト、テンション上がってるなぁ〜。まあ私も気持ちはわかるけど!
   ほらみんなも行こうよ! 置いてっちゃうぞ!」

イオリ「まったく、子供なんだから……」

ヤヨイ「えへへっ、でも私もちょっとわくわくしてるかも!」

ヒビキやヤヨイだけではない、呆れたようにため息をつくイオリも、
その表情は興味深さに緩んでいる。
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:37:09.25 ID:D4gNVkoho
アズサ「うふふっ……。さ、私たちも行きましょう、チハヤちゃん」

振り向いて言うアズサに、はい、と短く返事をして、
チハヤもアズサとともに上階へ続く階段へ向かう。
と、一段目を踏む前にチハヤの足が止まった。

チハヤ「……」

その視線は上階ではなく、地下の方へ向いていた。
それは音であったか、それとも気配のようなものであったか。
あるいはもっと漠然とした予感めいたものか……。
はっきりとは分からないが、正体の分からない『何か』が、チハヤの足を止めた。
しかし、

アズサ「あらあら、ダメよ〜チハヤちゃん。
    ティーチャーリツコも仰ってた通り、地下は危ないわ〜」

チハヤ「……そうですね、すみません」

あまりに曖昧なそれを『気のせい』だと断ずるのに、
時間も躊躇も特に必要とはしなかった。
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:41:28.57 ID:D4gNVkoho



イオリ「流石にちょっと埃っぽいわね……。病気になったりしないかしら」

ヒビキ「あははっ、イオリってばこのくらいで病気になるくらいひ弱なのか?」

イオリ「う……うるさいわね、ものの喩えよ」

マコト「でもやっぱり、どれも年季が入ってる本ばっかりだね。
   難しそうな本もいっぱいあるし、確かに勉強になりそうな感じはするよ」

ヤヨイ「念動力の本もたくさんありますね! どれを読むか迷っちゃうかも!」

イオリ「ヤヨイはまずはお目当ての本を探しなさい。他の本はそれからでいいでしょ」

ヤヨイ「えへへっ、はーい!」

元気に手を挙げて返事をし、ヤヨイは別の書架の方へと歩いて行った。
イオリは腰に手を当ててその背中へと穏やかな笑みを向けていたが、
そんなイオリの背後からふいに声がかけられた。
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:45:35.20 ID:D4gNVkoho
チハヤ「あの、少しいいかしら」

イオリ「! チハヤ、どうかしたの?」

チハヤ「そろそろ新校舎へ戻るわ。一応、言った方がいいと思って」

イオリ「あら、もういいの? まだ来たばっかりじゃない」

チハヤ「大丈夫。読みたい本は見つけられたから」

そう言ったチハヤの手には、確かに本が数冊見られた。
いつの間に、とイオリは思ったが、
本人が目的を達成したというのなら敢えて引き止める理由もない。

イオリ「そう、わかったわ。それじゃあまた後でね。アズサも一緒に戻るの?」

チハヤ「え?」

イオリの言葉と目線に、チハヤは意表を突かれたような様子で振り向く。
するとそこには言葉通り、アズサが立っていた。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:48:43.68 ID:D4gNVkoho
アズサ「そうね、私も一足先に戻ってるわ。
    チハヤちゃんと一緒に待ってるわね〜。他のみんなにもそう伝えておいてね」

イオリ「ええ。じゃあアズサも、また後で」

アズサ「また後で〜。それじゃあチハヤちゃん、戻りましょうか」

チハヤ「あ、はい……」

イオリに向けてにこやかに手を振った後、
アズサはチハヤの隣に並んで歩き始めた。
対するチハヤはと言うと、少し戸惑うような表情を浮かべる。
と、去って行く二人の様子を眺めるイオリの横の書架から
マコトがひょいと顔を覗かせた。

マコト「あれっ? チハヤとアズサさん、帰っちゃったの?」

イオリ「ええ、もう用事は済んだからって」
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:51:58.35 ID:D4gNVkoho
マコト「そっか。それにしても、あの二人仲いいよね!
   結構いつも一緒に居る気がするよ」

イオリ「っていうか、アズサがチハヤのことを気に入ってるみたいだけど」

マコト「あはは、そうかもね。でもそれはイオリも一緒でしょ?」

イオリ「は……?」

マコト「だって、時々チハヤのこと遠くから見てるじゃないか。
   ライバル心だってボク達の時以上みたいだし」

イオリ「な、なんでそれがチハヤを気に入ってることになるのよ!
   転校生に負けたくないって思うのは当然でしょ!」

ヒビキ「なになに、何の話?」

ヤヨイ「どうかしたんですかー?」
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:57:03.71 ID:D4gNVkoho
イオリ「な、なんでもないわよ!
   それよりこの部屋はもういいわよね! 次の部屋に行きましょう!」

騒ぎを聞きつけてヒビキとヤヨイが集まってきたのを見て、
イオリは強引に話を切り替えて逃げるように部屋を出て行った。
ヒビキ達は不思議そうな表情を浮かべつつもそのあとを付いていく。
残されたマコトは苦笑いを浮かべた後、後ろを振り返り、
いくつか並ぶ書架の向こう側に居るであろうユキホに声をかけた。

マコト「おーいユキホー。次の部屋に行くよー」

……だが、返事がない。
マコトは首を傾げ、

マコト「ユキホってばー。おーい」

もう一度呼んでみたが、やはり何も返っては来ない。
怪訝な表情を浮かべ、マコトは部屋の奥へと向かいながら、
また何度かユキホの名を呼ぶ。
しかし、部屋の隅まで歩いてみたが、ユキホの姿はどこにもなかった。
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:01:45.78 ID:D4gNVkoho
マコト「ま……待って、みんな!」

その声に、次の部屋に入ろうとしていた一同は足を止める。
慌てた様子のマコトに、イオリはドアノブにかけていた手を離して振り返った。

イオリ「何よマコト、そんなに慌てて」

マコト「ユキホが居ないんだ。誰か、どこに行ったか知らない?」

ヒビキ「? いや、知らないけど……。先に別の部屋に行っちゃったんじゃないか?」

ヤヨイ「でも、ちょっと珍しいですね。
   ユキホさんが何も言わずにマコトさんの近くから居なくなるなんて」

マコト「珍しいどころか、こんなの多分初めてだよ……。
   あ……も、もしかして、何かあったのかも知れない!」

ヤヨイ「えっ? 何かって……」

マコト「ティーチャーリツコが言ってたみたいに壁や天井が崩れたり、床が抜け落ちたり……
   それで怪我をして動けなくなってるのかも……!」

ヒビキ「ええっ!? そ、そんなまさか……」
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:05:46.15 ID:D4gNVkoho
イオリ「もしそうだとしたらそれなりの音がしてるはずだと思うけど……
   でも、無いとも言い切れないわね」

ヤヨイ「た、大変です! 早く助けなきゃ!」

ヒビキ「そ、そっか、そうだよね……。
   よし、手分けしてユキホを探そう。私は一階に行ってみるよ」

マコト「じゃあボクもそっちに行こう! イオリとヤヨイは上から探してみてくれ!」

イオリ「わかったわ。行くわよ、ヤヨイ」

ヤヨイ「う、うん!」

そうして四人は二手に別れてユキホの搜索に向かった。
居なくなったのが他の誰かであれば、彼女たちもここまですることはなかっただろう。

だが、ユキホが何も告げずにマコトの傍を離れたことなど、少なくとも記憶にはない。
離れたとしても互いに存在を確認できる距離まで。
ここ数年、常にマコトの隣に居て、
用事があって離れる時には必ず一言告げる、それがユキホという少女であった。
そのユキホがいつの間にか居なくなっていたということは、
マコトにとってはある種、異常事態であった。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:10:26.36 ID:D4gNVkoho
きっと何かあったに違いない、事故だろうか、事件だろうか、それとも他の――
階段を駆け下りるマコトの頭でどんどん不安が大きくなっていく。
……が、その不安はそれ以上大きくなることはなかった。

マコト「! ユキホ!」

一階に降りて廊下へ目をやった瞬間に、マコトは叫んだ。
後続していたヒビキもそれを確認する。
確かにユキホが居た。
廊下を少し進んだところ、扉の前に佇んでいる。

ヒビキ「なんだ、やっぱり一階に居たのか……。
   おーい、イオリ、ヤヨイー! ユキホ、こっちに居たぞー!」

階段を振り返り、上階へ向けて叫ぶヒビキ。
マコトはそんなヒビキを尻目に、
扉に向いて立ったままのユキホに声をかけた。

マコト「良かった……心配したんだよユキホ。急に居なくなっちゃって、何かあったの?」

ユキホ「……あ、マコトちゃん? どうしたの、そんなに慌てて」

マコト「え? ど、どうしたのじゃないよ!
   いつの間にかユキホが居なくなったから、心配して探しに来たんじゃないか!」
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:14:15.33 ID:D4gNVkoho
ユキホ「あ……そ、そっか、そうだよね。ごめんね、何も言わずに……。
   あれっ? でもなんで、私こんなところに……」

ヤヨイ「ユキホさん! 怪我はないですか!」

ユキホ「ヤヨイちゃん……。うん、大丈夫だよ」

イオリ「何よ、あっさり見つかったじゃない。心配して損したわ」

ユキホ「えへへ……ごめんねイオリちゃん。心配してくれてありがとう」

イオリ「べ……別にお礼なんていらないわよ」

素直に礼を言われて面映さを感じたか、ぷいと顔を逸らすイオリ。
だがすぐに表情を改め、ユキホの顔に指を突きつける。

イオリ「いい? もう勝手に居なくなるんじゃないわよ。
   万が一のことがあったら、
   またティーチャーリツコに立ち入り禁止にされちゃうかも知れないんだから」

ユキホ「う……そ、そっか、そうだよね。ごめんなさいぃ……」
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:21:45.79 ID:D4gNVkoho
叱られてしゅんと落ち込むユキホを見て、
イオリは両手を腰に当て軽く息を吐いた後、表情を和らげた。

イオリ「ま、分かればいいわ。次から気を付けなさい。
   それより続きを始めましょう」

そこで言葉を区切り、イオリはすぐ横の扉に目を向ける。

イオリ「ユキホ、あなたはこの部屋を探してたの? 中に本はあった?」

ユキホ「えっ? えっと……どうだったかな……」

マコト「……? 今から入ろうとしてたところじゃないの?
   ボクたちが来たとき、ドアをじっと見てたよね?」

ユキホ「あ、えっと、うん、そうだよ。私もまだ中には入ってないの」

イオリ「そう。だったら入ってみましょうか」
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:23:25.78 ID:D4gNVkoho
言いながらイオリはドアノブに手をかける。
それまでの部屋と同じく鍵はかかっておらず、微かに軋む音がして扉は開いた。
五人は部屋の中に足を踏み入れてきょろきょろと見回し、

ヒビキ「……物置か何か、かな?」

ヤヨイ「うーん……本はなさそうですね」

彼女らの言う通り、そこには本らしきものは見当たらず、
棚にはよく分からない壺や箱などが置かれていた。
それからいくつかの箱を開けてみたが、
空だったり、古びた食器が入ったりしていて、
やはり目当てのアイドルの勉強になるような本は見当たらない。

イオリ「やっぱりただの物置ね。次に行きましょう」

そう言って踵を返して出口へ向かったイオリだったが、
その時不意に、ユキホが声をあげた。

ユキホ「あ……待って、イオリちゃん」

イオリ「? 何、どうかした?」
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:26:12.41 ID:D4gNVkoho
ユキホ「あれ……」

そう言ってユキホは、振り向いたイオリの後方を指差す。
イオリがそちらに目を向けると、
棚の上、手の届かないところに、木箱がぽつんと置かれてあった。

マコト「どうしたのユキホ、イオリ……って、箱?」

ヒビキ「ん〜……? なんでアレ、あんなとこに一つだけあるんだ?」

ユキホとイオリの視線を追って、マコトたちもその箱の存在に気が付く。
そして皆、箱の中身が気になっているようだ。
もしこれが他の物と同じ場所に並んでいたなら無視していたかもしれない。
だがこうして一つだけ離れて手の届かぬところに置かれ、
一度注目してしまうと、どうしても中身が気になってしまう。

イオリ「ま、どうせ大したものは入ってないでしょうけど……」

保険を掛けるように言って、イオリは箱に指を向ける。
すると箱はふわりと浮き上がり、足元まで静かに移動した。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:29:23.43 ID:D4gNVkoho
イオリは蓋に指をかけ、あとの四人も中身を見ようと後ろから覗き込む。
そうして蓋が取り払われた先に現れたのは、少女らの予測を外すものだった。

イオリ「……鍵?」

マコト「それになんだろう、この紙……」

ヒビキ「っていうか、なんでこんなに鎖で縛られてるんだ?」

ヤヨイ「きっとすごく大切な鍵なんですよ! もしかして、宝箱の鍵だったりするのかも!」

ユキホ「じゃあ、この紙に書かれてるのは何かの暗号……?」

彼女らの目に真っ先に映ったのは、
少女を象ったような可愛らしい装飾の目立つ鍵。
だがどういうわけかその鍵は、鎖で幾重にも縛られている。
赤い布で覆われた分厚い板が箱の底面に敷かれ、
鍵はその板に鎖で縛り付けられているようだった。
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:32:02.48 ID:D4gNVkoho
またその鍵と共にあった紙片も目を引いた。
三角形と四角形を組み合わせたような見たことのない記号の描かれたその紙片は、
ところどころ焦げたように茶色に変色している。

イオリ「この記号、誰か見たことある?」

イオリは紙片を摘み、すぐ後ろに居たマコトに手渡す。
マコトは首を傾げ、他の者の反応も似たようなものだった。
次いでイオリは鍵だけ鎖から外そうとしてみたが、
かなり厳重に縛り付けられているようで、
結局鎖の巻かれた板ごと箱から取り出した。

イオリ「ん、結構重いわね……。どこかから解けないかしら」

言いながら鎖をいじるイオリであったが、
そうするうちに、金属の擦れ合う音と共に鎖の戒めは解けた。
同時に鍵が床に落ち、イオリは屈んでそれを拾う。
とその時、ヤヨイが小さく声を上げた。

ヤヨイ「あれっ? イオリちゃん、それってもしかして、本……?」

イオリ「え?」
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:34:58.77 ID:D4gNVkoho
ヤヨイが指さしたのは、鍵が縛り付けられていた分厚い板。
それを包んでいた赤い布が鎖の戒めが解けたことでめくれ、
隠れていた部分が一部露出している。
鍵を片手にイオリが布をすべて取り払うと、
分厚い板だと思っていたものはヤヨイの言う通り、本であった。

ヒビキ「『眠り姫』……。小説か何かかな?」

表紙に印字してあったタイトルと思しき文字を読み上げるヒビキ。
そしてイオリの手から本を受け取ってぱらぱらとめくって目を通し、

ヒビキ「うん……よくあるおとぎ話って感じだ。
   でもなんでこの本と鍵が一緒に縛られてたんだろう?」

そう言って不思議そうに首を傾げる。
次いでマコトが、ちょっと貸して、とヒビキの手から本を受け取り、
隣のユキホと共に中に目を通す。
そんなマコトたちを尻目に、
イオリとヒビキとヤヨイは今度は鍵を注視した。
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:39:04.49 ID:D4gNVkoho
イオリ「どう考えたって普通の鍵じゃないわよね。
   鎖で縛られてる鍵なんて聞いたことないもの」

ヤヨイ「だよね? やっぱり、すっごく大事な鍵じゃないかなーって」

ヒビキ「でも大事っていうんならなんでこんなところに置きっぱなしになってるんだ?
   それにさっきの縛られ方、大事なものって言うより、
   『危ないもの』って感じがするような……」

イオリ「危ないって、鍵がどう危ないって言うのよ」

ヤヨイ「うーん……爆弾が置いてある部屋の鍵とか……?」

イオリ「それこそ大事なものじゃない?
   だったら逆にしっかり管理しておきそうなものだけど」

などと色々推測で話をするイオリたち。
だがその時、

マコト「もしかして、『眠り姫』が居る部屋の鍵……ってことじゃないかな」

本を見ていたマコトが、呟くように言った。
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:39:32.56 ID:D4gNVkoho
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分金曜の夜くらいに投下します。
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:39:32.27 ID:xeQ6kF5Xo



桜の木の下で、チハヤは分厚い本にじっと目を落とす。
最後のページを眺めながら、昨日の――
皆で旧校舎に行ったあとの出来事を回想していた。

アズサと共に一足先に戻ってからは、
特に何もなく二人でただ読書をして皆の帰りを待った。
それから帰ってきたイオリたちに渡されたのが、この分厚い本だ。
話によるとこの本は何かの鍵と共に鎖で縛られていたらしく、
その理由が彼女らは気になっているようだった。

そしてなぜその本が今チハヤの手にあるのかと言えば、
ヒビキの言い出した「よく読書をしているから」という理由により、謎の解明を一任されたのだ。
どうもその場に居た皆はまったくのお手上げだったようで、
普段なら呆れ顔の一つでも浮かべるであろうイオリでさえ、
妥当性のないヒビキの提案に賛成して本をチハヤに託したのであった。
あるいは、イオリにとってはさほど重要なことではなかっただけかも知れない。

そんな、昨日の出来事を振り返り、
チハヤは本に向けてため息を吐くのだった。
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:43:47.21 ID:xeQ6kF5Xo
と、チハヤの背後からいつものように唐突に声が聞こえる。

ハルカ「『それは、開けてはいけない秘密の扉 起こすと怖い――眠り姫』……」

開いていたページの最後の一節を読み上げたその声。
振り向くと、ハルカが膝に両手をついて本を覗き込むようにして見ていた。
その後チハヤが何か反応を返す前に、やはりいつも通り隣に腰を下ろす。
そしてチハヤの腿のすぐ横に片手を付いて身を乗り出し、
もう片方の手で髪をかきあげながら再び本を覗き込んだ。

ハルカ「なんだか怖いね。どうしたの、この本」

チハヤ「……昨日、旧校舎から見つけてきた子が居て。少し貸してもらってるの」

ハルカ「へー。意外だね、チハヤちゃんこういうのも好きなんだ」

本を覗き込む姿勢そのままから顔だけ傾け、ハルカは上目遣いにチハヤを見て言った。
思わぬ近距離からの視線にチハヤは思わず目を逸らす。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:45:48.45 ID:xeQ6kF5Xo
チハヤ「いえ、そういうわけでは、ないのだけれど……」

そうしてチハヤはことの経緯を話し始めた。
鎖の話や鍵の話を、すべて。
ハルカもきちんと座り直してチハヤの話を聞いた。

チハヤ「……本当に、おかしな話よね。
    『たくさん本を読んでるから』なんて理由で、分かるはずはないのに……」

謎に満ちた話はきっとハルカの興味をくすぐるだろう。
おかしな理由から自分に本を預けた皆を、
ハルカは微笑ましく思って笑顔を浮かべるだろう。
そう思い、チハヤは話し終えると同時にハルカに目を向けた。
だがそこにあったのは、
眉をひそめて視線を落とす、それまで見たことのないハルカの横顔だった。

チハヤ「……ハルカ?」

ハルカ「ねえ、チハヤちゃん。その本、もう読んでみた? どんなお話だったの?」

チハヤ「? えっと、主人公は私たちくらいの女の子で――」
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:49:42.39 ID:xeQ6kF5Xo
チハヤの語り始めた物語のあらすじを、ハルカは真剣な表情で聞く。
それからチハヤはハルカの様子に少しだけ戸惑いながらも話し続け、

チハヤ「――それで、ここでおしまい。『起こすと怖い 眠り姫』。
    中途半端な終わり方に思えるけれど、落丁なんかではなさそうね」

ハルカ「そっか……ここで、おしまいなんだね」

チハヤ「でもハルカ、どうして急にあらすじを教えてだなんて……。
    もしかして、何か分かったの?」

ハルカ「……ううん、何も! 頑張って考えてみたけど、
    やっぱり全然わからないね……えへへ」

そう言って笑い、頭をかくハルカ。
その顔は、チハヤの知る彼女の表情に戻っていた。
先ほどまでの固い表情は、この本と鍵について考えていたのが理由だったらしい。
そう納得したチハヤは安堵したように浅く息を吐いた。

チハヤ「鍵は、物語に出てくる『眠り姫』が眠っている部屋の扉の鍵。
    鎖で縛られていたのは、誰も眠り姫を起こしてしまわないように……。
    そういうことじゃないかって、みんなは言っていたわ」
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:52:07.81 ID:xeQ6kF5Xo
チハヤ「でも流石にそれは非現実的すぎるわよね……。
    まあ、みんなも本気で信じているわけではなさそうだったけれど」

ハルカ「だよね。『眠り姫』はただのお話だもんね」

チハヤ「けれど、もしかしたらこの物語は何かの暗喩なのかも知れないわ。
    実際の出来事をこんな風に物語として表現しているという可能性も……」

と、チハヤの言葉を遠くの鐘の音が遮った。
休み時間の終わりを告げる鐘だ。
チハヤは本を片手に立ち上がり、少し遅れてハルカも腰を上げた。

チハヤ「もう行くわね。ごめんなさい、よく分からない話をしてしまって」

ハルカ「ううん。じゃあまたね、チハヤちゃん」

優しい笑顔で手を振るハルカに、
チハヤも小さく手を振り返して桜のもとを去った。
ハルカはその背が見えなくなるまで見送った後、振り返って桜を見上げる。
数歩歩き、幹にそっと手を触れた。
そして額を寄せ、

ハルカ「……そう、だよね。ごめん……ごめんね。でも――」

呟いたハルカの言葉は、風に揺れる枝葉の音にかき消された。
同時に桜吹雪が舞い、風が収まった頃には、
彼女の姿も一本桜のもとから消えていた。
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:53:32.74 ID:xeQ6kF5Xo



――始まりは、いつからだったのだろう。
イオリたちが鍵を見つけた時?
学園からアイドルが選ばれると発表された時?
チハヤが学園に転校してきた時?
それとも、もっと以前から……?

アイドルを目指し、互いに競い合いながらも仲睦まじく、
切磋琢磨してきた少女たち。
そんな彼女らを、厳しさと愛情を持って指導し見守ってきた教師。

長い者には十年以上にもなる、学園での日常。
その日常がある者にとっては急激に、
ある者にとっては緩やかに、
しかし確実に、変わり始めていた。
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:54:50.31 ID:xeQ6kF5Xo
マコト「――キホ。ねえ、ユキホ」

名前を呼ばれるも、席に座り正面を見つめたままで一切の反応を返さない。
虚ろな瞳はぼんやりと前方の風景を反射し続けるのみ。

マコト「ユキホ、ユキホってば!」

ユキホ「……? あっ、マコトちゃん。どうしたの?」

肩を揺さぶられ、ようやくユキホの瞳に光が戻った。
きょとんとした顔で既に立ち上がっているマコトを見上げる。
そんなユキホを見て、マコトは腰に拳をあてて呆れたように言った。

マコト「『どうしたの?』じゃないよ! さっきから何回も呼んでるじゃないか」

ユキホ「え? ほ、本当?
    あっ、もう次の授業に行かなきゃいけないんだよね! すぐ準備するから!」

ユキホは慌てて机の上にあった荷物を片付けて立ち上がる。
準備が整ったのを見てマコトは浅く息を吐き、歩き出した。
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:56:20.98 ID:xeQ6kF5Xo
マコト「なんか、最近こういうの多くない? 夜はちゃんと眠れてる?」

ユキホ「えっ? うん、眠れてると思うけど……どうして?」

マコト「いや、どうしてって……。体調は? 見た感じだと、熱はなさそうだけど」

と、マコトは立ち止まってユキホの前髪をかきあげて額に手を当てる。
一瞬意表をつかれたように目を見開いたユキホだが、
すぐに照れくさそうに笑って、

ユキホ「えへへっ……やだなぁ、マコトちゃんどうしたの?
    私は別に、なんともないよ?」

触れた感覚でも高熱は感じられなかったのだろう、
マコトはユキホの額から手を離し、前髪を軽く整えてから言った。

マコト「いや……なんだか最近のユキホ、ぼーっとすることが多いと思って」

ユキホ「? そうかなぁ?」

マコト「……ううん、なんともないんならいいんだ。さ、行こう」

首をかしげるユキホを尻目にマコトは笑顔で話を切り上げ、
正面を向いて再び歩き始めた。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:58:32.05 ID:xeQ6kF5Xo
さて、この話題が終わったのならいつもの他愛ない話をしよう。
そう言えば今朝のスープは随分熱くて、
火傷しかけた舌を冷ますように口から出していたユキホが面白かったな……
などと考え、思い出し笑いをこらえながらマコトは口を開こうとした。
だがその直前。

ユキホ「マコトちゃん」

先にユキホが口を開いた。
目を向けると、ユキホはマコトとは反対側へ顔を向け、
どこか遠くの方を見ているようだった。

ユキホ「私たちの中から、アイドルが選ばれるんだよね」

マコト「? うん、そうだね。あれからもう何日か経ったし、
   早ければそろそろ決まったりもするんじゃないかな?」

このことについて何か不安や気になることでもあるのだろうか。
変わらずユキホは向こう側を向いたままで、その表情はよく見えない。
マコトはユキホの言葉を待った。
と、数秒の沈黙を経て、ユキホは呟くように言った。

ユキホ「『お姉さま』も、一緒に居られれば良かったのにね」
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:59:32.03 ID:xeQ6kF5Xo
マコト「ああ……うん、そうだね。でも仕方ないよ」

ユキホ「どうしてお姉さまは、転校なんてしちゃったんだろう?
    私、お姉さまのこと大好きだったのにな」

マコト「ユキホ……。どうしたの、急に」

ユキホ「……」

ユキホは答えない。
やはりその表情は見えず、妙な沈黙が二人を包む。
しかしマコトが改めて呼びかけようとしたのと同時、

ユキホ「そう言えばマコトちゃん、
    この前ティーチャーリツコにお願いしてたお茶っ葉、明日届くみたいなの!」

マコト「えっ?」

勢いよくマコトの方を向いたユキホの口から出た言葉は、
まったく脈絡のない話題だった。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/29(土) 00:01:30.80 ID:AyY0ZKlGo
ユキホ「届いたらマコトちゃんに一番に淹れてあげるね! えへへ、楽しみだなぁ」

マコト「あ、うん、ありがとう……?」

ユキホ「? マコトちゃん、どうかしたの? もしかして、あんまり嬉しくない……?」

マコト「え? い、いやそんなことないよ!
   そっか、もう届くんだね。飲めるの楽しみにしてるよ、ありがとうユキホ!」

慌てて取り繕ったマコトだったが、ユキホは嬉しそうに頬を赤らめて笑った。
その顔は、何もおかしなところはないいつものユキホであった。
だが、その直前のユキホの様子は明らかに何かがおかしく、
笑顔で受け答えするマコトの心の隅に、疑問は残り続けた。

ここしばらく、『彼女』の話題は出していなかったはずだ。
なのになぜ今になって突然ユキホは、あの人の話をし始めたのだろう。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/29(土) 00:02:31.12 ID:AyY0ZKlGo
――月明かりがカーテンの隙間から差し込み、
ずらりと並ぶベッドの一部と床を僅かに照らす。
聞こえるのは寝息と、秒針が時を刻む音だけ。
そんな中に、衣擦れの音と微かにベッドが軋む音が割り込んだ。

寝返りではない。
次いで足音が聞こえる。
誰かがベッドから降りたのだ。

それはユキホだった。
素足のままペタペタと床を歩き、寝室の扉へと手をかけ、出て行った。

一部始終を、マコトは聞いていた。
ユキホに背を向けたまま薄く開かれていた瞳に映るものは何であろうか。
奥底でじわりと疼き始めた不穏な感情をしまい込むように、
マコトは静かに瞳を閉じた。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/29(土) 00:04:04.60 ID:AyY0ZKlGo



アミ「――それで、どうなったの?」

  「旧校舎のその桜の下には女の子が眠っていて、
  何年も何年も、そこの扉が開くのを待っているのです。何年も、何年も……」

マミ「可哀想……」

大きなベッドの上で、
今日も双子は銀髪の少女の両腕に抱きついて読み聞かせを聞いている。

アミ「誰も女の子を起こしてあげないの?」

アミはそう言って顔を上げ、
マミもまた同じように銀髪の少女の目を悲しげに見つめる。
そんな双子に少女は微笑み、本を閉じて頭をそっと抱き寄せた。
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/29(土) 00:05:19.01 ID:AyY0ZKlGo
   「アミとマミはとても優しい子ですね」

一言そう言って、少女は体を起こす。
そして二人の頭を二、三度撫でた。

   「本日はここまでにしましょう。続きはまた明日」

ベッドから降りる少女を、アミとマミは座ったまま目で追う。
少女の両足が床につき扉の前に立つ頃には既に、着替えは完了していた。
彼女のまとっている服は、学園の制服。
その背に向けて、アミとマミはにこやかに笑って、声を揃えて言った。

アミマミ「いってらっしゃい、お母様」

   「ええ、行ってきます」

少女も優しい微笑みを返して扉に手をかけ、薄暗い廊下へと出て行った。
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/29(土) 00:05:56.75 ID:AyY0ZKlGo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分日曜の夜に投下します。
153 :1 [sage]:2017/07/30(日) 22:36:47.69 ID:cxXBe0FNo
やっぱり今日じゃなくて明日か明後日くらいに投下します。
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/07/30(日) 23:53:35.21 ID:c7CCAGjeo
待ってる
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:37:51.19 ID:cYR6UUWPo



暖かい日の差し込む窓際。
部屋の中は静かで、遠くからは大きな音や少女の掛け声が聞こえる。
そんな教室に今、マコトとアズサは二人きりで立っていた。

マコト「ごめんなさい、急に相談したいなんて言って。
   でもやっぱり頼るなら一番年上のアズサさんかなって思って……」

アズサ「あらあら、いいのよ〜。頼ってもらえるのは私も嬉しいから」

今は自由時間。
他の皆は自主訓練をしたり読書をしたり各々の時間を過ごしており、
この教室には二人の他には誰も居ない。
そんな中、深刻そうなマコトの表情と気持ちを少しでも和らげるためか、
アズサはいつにも増して柔らかい笑顔を浮かべて答えた。
その甲斐あってかマコトも微かに笑みをこぼす。

マコト「はい……ありがとうございます」

アズサ「それで、どうしたの? もしかしてユキホちゃんのことで何かあった?」
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:41:13.38 ID:cYR6UUWPo
マコト「……やっぱりアズサさんには分かっちゃうんですね、流石です」

アズサ「そんな、大したことじゃないのよ〜?
    もしユキホちゃんに関係ない相談事だったら、
    今もきっと一緒に居るだろうなって思っただけだから」

マコト「あはは、そうかも知れないですね」

アズサ「ユキホちゃんと喧嘩しちゃった、っていうわけじゃないのよね?
    さっきも楽しそうにお喋りしてたし」

マコト「はい、喧嘩はしてません。ただその……最近、ユキホが変なんです」

アズサ「変? って……どんな風に?」

辛うじて浮かんでいた笑みは既にマコトの顔から消えている。
目を伏せて少し黙り込んだ後、マコトは言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。

マコト「初めは、最近よくボーッとすることが多いな……ていうくらいでした。
   でもそれが少し前からだんだん酷くなってきて……。
   うわごとみたいに、それまで話してたのとは全然関係ないことを話し出したり、
   かと思えば急に元の話題に戻ったり……。
   それから、なぜか最近、夜中に起きて寝室を出て行くことが多いみたいで……」
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:42:42.76 ID:cYR6UUWPo
アズサ「夜中に……? そのこと、ユキホちゃんに聞いてみたりはした?」

マコト「一度、さり気なく聞いてみました。夜はちゃんと眠れてるか、って。
   でもその時は、眠れてるって言ったんです」

アズサ「そう……。ちなみにユキホちゃんの様子が変わり始めたはいつ頃から?」

マコト「多分……みんなで旧校舎に行った時からです。
   あの旧校舎の中でユキホは急に居なくなって……
   すぐに見つかりはしたんですけど、その時からもうどこか変でした」

アズサ「え? 急に居なくなった? そうだったの?」

自分たちが去ったあとにそんなことがあったのか、
とアズサは目を丸くする。
そんなアズサを尻目に、マコトはそのまま続けた。

マコト「だから多分、あの時に何か……頭を打ったとか、
   やっぱりそういうことがあったんじゃないか、って……。
   そう思ってティーチャーリツコに診てもらったんですけど、
   特にそんな異常は見つからなくて……」
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:45:39.80 ID:cYR6UUWPo
マコト「ボク、すごく心配で……。
   でもユキホに聞いてもなんともないって言われるばっかりで、
   だからそれ以上聞くこともできなくて、ボク……!」

アズサ「マコトちゃん……」

話すうちに不安が増してきたのか、
いつからかマコトの声は震え始め、目には涙さえ滲みかけていた。
そんなマコトをアズサはそっと抱き寄せる。
マコトは、背と頭に優しく触れる手の暖かさに身を委ねるように目を閉じた。

マコト「それともボク……ユキホに、何かしちゃったんでしょうか。
   色々考えちゃうんです。もしかして、ボクと話をしたくないから
   関係ない話を始めるんじゃないか、とか。
   夜中に起きてることを言わないのも、
   ボクのことが嫌いだから隠してるんじゃないか、とか……」

アズサ「そんなことないわ……。
    ユキホちゃんがマコトちゃんのことを嫌いになるなんてあるはずないもの」

マコトの頭を撫でながら言うアズサの声も浮かべた笑顔もとても穏やかで、
単なる慰めではなくアズサ自身心からそう思っていることは伺える。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:49:09.44 ID:cYR6UUWPo
だが、不安を吐き出したいという思いから続けて発されたマコトの言葉は、
そんなアズサの表情を初めて崩させた。

マコト「でも、ユキホがいきなり話し出すことって……
   そのほとんどが、タカネのことなんです」

アズサ「……え……?」

優しく薄く開かれていたアズサの瞳がこの瞬間、大きく見開かれた。
しかし抱きついているマコトはそのことに気付かず、話し続ける。

マコト「ユキホはタカネのことを、すごく慕ってましたよね。
   でもチハヤが転校してきた頃には
   もうほとんどタカネの話をすることはなくなってたのに、最近また話すようになって……。
   ボクのことが嫌いになったから、
   昔好きだったタカネのことが懐かしくなってるんじゃないかって、
   そんな風に思っちゃうんです……」

マコトの話を聞きながら、見開かれたアズサの瞳はどこともない宙を凝視し続けている。
だがふと我に返ったように、再び微笑みを浮かべて、

アズサ「マコトちゃんったら、考えすぎよ。
    きっとたまたま昔のことを夢に見たりして、
    それでちょっとタカネちゃんのことが懐かしくなっちゃってるのよ」
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:51:55.78 ID:cYR6UUWPo
アズサ「さっきも言ったけれど、ユキホちゃんがあなたのことを
    嫌いになるなんてこと、あるはずがないわ」

穏やかながらもはっきりとそう言い切ったアズサの言葉。
その言葉は、マコトの中で必要以上に大きくなっていた不安を少なからず取り払った。
マコトはそれ以上何も言わず、
礼の代わりのようにきゅっとアズサの体を強く抱き返した。
アズサはマコトが僅かでも安堵してくれたことを体で感じ、

アズサ「……時々ぼーっとしたり夜中に起きたりっていうのも、
   心がちょっと疲れちゃってるからだと思うわ。
   マコトちゃんが一緒に居てあげたら、きっと良くなるから心配しないで。ね?」

マコト「アズサさん……」

マコトは抱きついたまま、涙目でアズサを見上げる。
普段のマコトの中性的で凛々しく端正な顔立ちは影を潜め、
近い距離からアズサを見つめるその瞳は不安と安堵に揺れるか弱い少女のそれであった。
そしてアズサがマコトに向けて優しく微笑んだ――その時。

ユキホ「……マコトちゃん、アズサさん?」
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:55:05.78 ID:cYR6UUWPo
教室の入口から聞こえたその声に、
二人はハッとして顔を向け、同時にマコトは慌ててアズサから離れる。
そこには、僅かに眉根を寄せたユキホが立っていた。

マコト「ど、どうしたの、ユキホ。ヒビキたちと能力の特訓をしてたんじゃ……」

ぐいと袖で目元を拭い、マコトは笑顔を作ってユキホに問う。
ユキホは入口に立ったまま答えた。

ユキホ「……マコトちゃんが一緒の方が練習になるからって、ヒビキちゃんが……。
   だから探しに来たの……」

マコト「そ、そっか! あはは、びっくりしたよ!
   いやあ、恥ずかしいところ見られちゃったなあ。
   さっきボクの目にゴミが入っちゃってさ、それをアズサさんに取ってもらってたんだ!
   アズサさん、ありがとうございました! もう大丈夫です!
   それじゃ、ユキホとヒビキが呼んでるみたいだから行ってきますね!」

アズサ「……ええ、行ってらっしゃい。練習、頑張ってね〜」

マコト「はい! さ、行こうユキホ!」

そうしてマコトはユキホに二の句を継がせない勢いで足早に部屋をあとにし、
ユキホも小さく返事をしてその後を付いていった。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:56:43.95 ID:cYR6UUWPo
ユキホ「……ねぇ、マコトちゃん」

マコト「何、ユキホ?」

廊下を歩きながら、ユキホは斜め前をやはり早足気味で歩くマコトに声をかける。
マコトは歩く速さはそのままに、笑顔で振り向いた。
ユキホはほんの一瞬その笑顔から目を逸らした後、
改めて笑顔を作って、言った。

ユキホ「目、もう大丈夫?」

マコト「目? ああ、ゴミのこと? うん、もう平気だよ!
   もしかしたら前髪が入っただけかもしれないし!」

ユキホ「……そっか」

マコト「そう言えば髪も結構伸びてきたから、そろそろ切った方がいいかもなぁ。
   また時間がある時によろしくね!」

うん、とただ一言、ユキホは笑顔でそう返した。

マコト「それよりユキホ、今ヒビキはどこに居るの?
    ヒビキもボクのこと探してるんだっけ?」

ユキホ「ううん、イオリちゃんとヤヨイちゃんと一緒に練習してるはずだよ。
    マコトちゃんのことは私が探すからって、そう言ってきたから」

そうして話題は切り替わり、二人とも今の時間、今の出来事は頭の片隅に追いやった。
追いやったからと言って消えることはないと、知っていながら。
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:59:28.18 ID:cYR6UUWPo



ユキホがマコトを探しに行ったあと、
ユキホの言っていた通り、ヒビキはイオリ、ヤヨイと共に能力の訓練を続けていた。

あの日――学園の中からアイドルが選ばれるかも知れないと
発表された日から数日の時が経過し、皆の熱意はより熱く燃えていた。
講義は今まで以上に集中して聞き、
こと能力を鍛えるための訓練への気合の入りようは凄まじいものがある。

その気合は本来自由時間であるはずの時間まで自主訓練に費やすほどで、
今はイオリたち三人のみだが、
ここ数日の自由時間はほぼ全員が、広場で汗を流しあっていた。
激しく、ともすれば危険でもある能力訓練ではあるが、
皆よく集中し、瞳を生き生きと輝かせていた。
だがそんな中……肩で息をして苦悶の表情を浮かべているのが、ヤヨイであった。

ヤヨイ「はあ、はあ、はあ……!」

イオリ「……ヤヨイ、少し休憩しなさい。すごい汗よ」

ヤヨイ「だ、大丈、夫! まだ……!」
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:02:21.12 ID:cYR6UUWPo
ヒビキ「いーや、休憩した方がいい! 疲れてどんどん動きが悪くなってきてるぞ。
   これ以上無理して続けてもただ疲れが溜まっちゃうだけだよ」

ヤヨイ「あう……ごめんなさい。それじゃ、ちょっと休んできます。
   できるだけ、すぐ戻りますから……」

肩を落とし、ヤヨイは木陰へと歩いていく。
そして木の根元に座り込んで膝を抱き、訓練を再開した二人の様子を眺めた。
ずっと一緒に訓練をしていたイオリとヒビキであるが、
まったく疲れた様子を見せていない。
ヤヨイは自在に宙を飛び回る二人の姿を見て、
日陰に居るにもかかわらず眩しそうに目を細めた。

リツコ「ヤヨイさん、大丈夫ですか?」

ヤヨイ「! ティーチャーリツコ……」

不意にかけられた声に顔を上げると、
リツコが優しい笑顔でこちらを見下ろしていた。

リツコ「自主訓練は結構ですが、無茶をして体調を崩しては元も子もありませんよ?」

ヤヨイ「はい、ちょっと疲れちゃいましたけど平気です!」
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:05:07.07 ID:cYR6UUWPo
ぐっと両こぶしを握って見せ、健在をアピールするヤヨイ。
リツコは微笑みを崩さぬままヤヨイから視線を外す。
視線の先には、イオリたちの姿があった。
ヤヨイもまたその視線を追うようにイオリたちに目を向ける。

リツコ「どうして自分だけこんなに疲れるのか……その原因は分かりますか?」

次いで聞こえた、穏やかではあるが厳しさも感じるその声。
ヤヨイは身を縮めるように膝を更にきゅっと抱え込んで答えた。

ヤヨイ「……空を飛ぶのが下手っぴだし、
   体の動きにもムダが多いから……だと思います」

リツコ「そうですね。標準的なレベルは超えているとは言え、
   まだアイドルに選ばれるまでには達していません」

ヤヨイ「うぅ……そうですよね。でも私、頑張ります!
   旧校舎で借りた本も、いっぱい読みましたから!」

自分の現状に負けまいとするように、
ヤヨイは下がりかけた視線をぐっと上げ、もう一度遠くのイオリたちを見る。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:07:51.83 ID:cYR6UUWPo
ヤヨイ「この前もイオリちゃん、褒めてくれたんです!
   だからもっともっと頑張れば、
   私もイオリちゃんたちみたいに上手に動けるようになりますよね?
   そしたら、いつか私もアイドルに」

リツコ「無理だと思います」

ヤヨイ「……え?」

明るい声を遮るように発されたリツコの言葉。
ヤヨイは一瞬言われたことが理解できずに、
笑顔を貼り付けたまま、再びリツコを見上げる。
リツコの顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。

リツコ「数年間あなたを教えていて確信しました。
   ヤヨイさんには念動力を今以上のレベルで使いこなすのは不可能です」

ヤヨイ「……で、でも私、成長してるって、ティーチャーリツコも……」

リツコ「確かに、成長はしています。ですが本当に微々たるもの。
   それも年々、成長の速度は落ちています。
   残念ですが、もうこれ以上の成長は望めません」
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:10:27.31 ID:cYR6UUWPo
……ヤヨイの大きく見開かれた目に、じわりと涙がにじんだ。
辛うじて上がっていた口角は下がり、唇は強く引き結ばれる。
足元に視線が落ちる。
もう、イオリたちの姿を見ることなど、できなかった。

こんなに冷たい、突き放すようなリツコの言葉を聞いたことは初めてだった。
だがそれ以上に、自分でも薄々感じていたことを……
それでも認めたくなかった現実を突きつけられたことが、あまりにショックだった。

今回の選考には間に合わないとしても、
でもこのまま頑張ればいつか、苦手な念動力は克服できる。
そうなれば数年後には自分もアイドルに選ばれることだって、きっとある。
そう信じてヤヨイはこれまで懸命に努力してきた。
なのに……言われてしまった。
これ以上の成長は望めないと。
『あなたはアイドルになれない』と、そう宣告されたも同じだ。

ヤヨイは膝に顔をうずめ、嗚咽を漏らし、肩を震わせる。
だがその時、両肩に何かが触れた。

リツコ「泣かないで、ヤヨイさん。
   まだアイドルへの道は閉ざされたわけではありません」
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