【アイマス】眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY

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202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:20:51.69 ID:A/CxDrCMo
ハルカ「それにしても、イオリって子もすごいね。
    そんな風に真正面から気持ちをぶつけられる子なんて、なかなか居ないよ」

チハヤ「ええ……本当に、そう思うわ。……アイドルになるのも、
    私なんかより、彼女の方が、きっとふさわしいと思うのに……」

自嘲的な笑みを浮かべ、チハヤは抱えた膝に口元を埋める。
そんなチハヤの横顔を見つめ、ハルカは穏やかに笑って言った。

ハルカ「まだ……ちゃんと聞いたことってなかったよね。
    チハヤちゃんは、どうしてアイドルになりたくないの?
    アイドルのこと、嫌い?」

その問いに、チハヤは沈黙する。
だがハルカは何も言わずに返答を待った。
そのままどのくらいの時間が経っただろうか。
チハヤはぽつりと口を開いた。

チハヤ「……嫌いだなんて……そんなことない。
   私も、アイドルは本当に……すごい存在だって、思ってる。
   でも、だから、私はアイドルにはなりたくないの」
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:31:45.02 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「私は今まで、自分の意思で何もしてこなかった……。
    努力や勉強も、するべきだと言われたからしただけ。
    この学園に来たのだって、ティーチャーリツコに誘われたから。
    そして今度は、私の知らない誰かが、私をアイドルにしようとしてる……。
    ただ流されて来ただけの私が、また流されるままに、アイドルになろうとしてるの」

ハルカ「……」

チハヤ「もしこのままアイドルになってしまったら、
    世界中の人たちが、きっと私のことを憧れの目で見るんでしょう?
    ただ流されただけの私を、羨望や尊敬の眼差しで見る……。
    そんなの、世界中の人を騙してることと変わらない。
    たくさんの人の想いを裏切ることと、変わらないもの……」

それは初めて吐露されるチハヤの心情であった。
学園の者には深く追求されなかったということもあるが、
やはりチハヤは、ハルカには自分の内面をさらけ出してしまう。
それはハルカの持つ不思議な雰囲気からか、
それとも学園の者ではないという適度な距離感がそうさせるのか、
チハヤ自身にも分からない。
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:35:11.65 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「クラスメイトの一人に、言われたわ。
    アイドルが嫌なら逃げ出したらどうか……って。
    でも私は、逃げ出そうなんて気持ちさえ、持てないの。
    そんなことをしたら、私をアイドルに選んだ人のことも、
    応援するって言ってくれたみんなのことも、裏切ることになるから……。
    アイドルになりたくないと思ってるはずなのに、
    私はまた、今まで通り流されようとしてて……」

チハヤの目には涙らしきものは見えない。
だがハルカには、チハヤが泣いているように見えた。

ハルカ「……チハヤちゃん、優しい子なんだね」

その言葉にチハヤは顔を上げてハルカを見た。
ハルカは、いつも通りの微笑みをたたえている。

ハルカ「自分がどうこうじゃなくて、みんなを裏切りたくないから。
    それって、チハヤちゃんが何よりみんなの想いを大切にしてるってことだよね」

チハヤ「そんなことは……ないわ。私が優しいだなんて、そんな……」
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:37:09.72 ID:A/CxDrCMo
ハルカ「ねえ、チハヤちゃん。今からでもさ、
    自分の意思で、アイドルになってみたらどうかな。
    そしたら、チハヤちゃんに憧れる人を裏切ることにはならないでしょ?」

そう言ってハルカは笑う。
しかしチハヤはそんなハルカの笑顔から目を逸らし、

チハヤ「いえ……もう、遅いわ。
    私はもう、意思がないままにアイドルに選ばれてしまった。
    その時点で、私はみんなに憧れられるアイドルなんかじゃない……。
    偽物のアイドルなの。それに……初めにハルカに言ったことも、本当だから。
    私には、アイドルが何なのか、よくわかってない……。
    よくわからないものを本気で目指すことなんて、できないわ」

ハルカ「……チハヤちゃん……」

名を呟いたハルカと目を合わせることなく、チハヤは立ち上がる。
そして数拍置き、笑顔を作って振り向いた。

チハヤ「今日も、話を聞いてくれてありがとう。
    話ができるのもあと数回だと思うけれど……。
    一年前にあなたと会えて良かったわ。ありがとう、ハルカ」
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:38:11.73 ID:A/CxDrCMo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分明日投下します。
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:53:40.59 ID:Oh+Zy3tyo



チハヤの卒業まで、残すところ数日。
初めにひと悶着あったものの、それも既に解決をしており、
あとはその日を待つばかり。

ヒビキ「やっぱり、手作りケーキがいいんじゃないか?
    すっごく大きいケーキ、作ろうよ!」

マコト「だったらティーチャーリツコに材料を頼まないと。
   それから作る時間も相談しなきゃだよね」

ユキホ「ケーキ作りってどのくらい時間かかるのかなぁ……。
    図書館に行ったら分かるかな?」

アズサ「そうねぇ。明日にでもみんなで探してみましょうか〜」

授業の合間の教室で、少女らはわいわいと楽しげに話をする。
会話の内容は数日後に控えた、チハヤの『お別れ会』についてだ。
時折チハヤ本人に要望を尋ねながら話を進めていくヒビキたち。
チハヤもまた、複雑な気持ちではあるが友人が自分のために
色々と考えてくれているということについては決して悪い気はせず、
要望を求められた時には素直に答え、案を煮詰めるのに協力していた。
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:55:51.38 ID:Oh+Zy3tyo
先日のチハヤの「アイドルになりたくない」という発言については、
驚きと不安でつい心にもないことを言ってしまった、
ということでイオリ以外の者は納得しており、
チハヤの門出を祝う心には曇りらしき曇りもない。
あるのは僅かな寂しさばかりである。
またイオリでさえ、話し合いには一応の参加の姿勢を見せ、皆に協力していた。

だがそんな中、輪には加わっているものの
会話に参加しているとは言い難い者が一人だけ居た。

イオリ「……ちょっと、ヤヨイ。ヤヨイってば」

ヤヨイ「ん……あれ? ……あっ、ご、ごめんなさい、私また……!」

イオリの横で船を漕いでいたヤヨイが、肩を揺すられてようやく目を覚ます。
これが一度目ではない。
この日……いや、ここ数日のヤヨイは、
昼間から居眠りを始めてしまうことが多かった。
授業中はなんとか起きているようだったが、
休み時間になると電池が切れたように眠りについてしまうことが増えているのだ。

マコト「あははっ。ヤヨイ、今日も疲れちゃってるみたいだね。
   まあ確かに最近、すごく頑張ってるしなぁ」
209 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:56:42.21 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「そうだよね……。特に能力の訓練なんか、調子も良さそうだし……」

ヒビキ「でもちょっと張り切りすぎなんじゃないか?
   次のアイドル選考はずっと先だってティーチャーリツコも言ってたし、
   今から飛ばし過ぎたら身がもたないぞ」

ヤヨイ「あう、そうですよね……。でも、つい張り切っちゃって……」

イオリ「それでこんな時間から体力が切れてるんじゃしょうがないじゃないの。
    まあ、いいわ。疲れてるのは確かみたいだから、休み時間くらいは寝てなさい」

ヤヨイ「えっ、で、でも……」

イオリ「いいから。その代わり、今日の晩は早めに寝て疲れを取るのよ?」

ヤヨイ「う、うん……ごめんなさい。それじゃあ、おやすみなさい……」

アズサ「は〜い、おやすみなさ〜い」
210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:57:44.05 ID:Oh+Zy3tyo
結局その日、ヤヨイは授業の時間以外はほとんど眠りについていた。
友人の門出をどんな風にして祝うか、
その話し合いに参加できていないことについては
皆も思うところがないわけではない。
だが無理強いすることでもないし、
何よりヤヨイ本人がそれを申し訳なく思っていることも十分わかっている。
だからこそ、それでも居眠りをしてしまうほど疲れているであろう
ヤヨイの体調を慮り、皆も特に何も言うことなくヤヨイを休ませた。

マコト「――そうは言っても……やっぱりヤヨイの意見も欲しいよね。
   結構チハヤに懐いてたとこもあったしさ」

ユキホ「うん……。明日は一緒に考えてくれるかな?」

マコト「まあ、今日あれだけ寝てたんだしきっと大丈夫だよ。
   夜も早めに寝るって言ってたし」

他の者より少し早めに入浴を済ませたユキホとマコトは、
ベッドに腰掛けて今日のヤヨイの様子について話す。
マコトは笑顔であったが、ユキホは心配げに眉をひそめている。
211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:04:24.14 ID:Oh+Zy3tyo
しかしこのマコトの笑顔も、心からのものではない。
一つはやはりヤヨイのことが気がかりというものがある。
本人も言っている通り、ヤヨイにも話し合いに参加して欲しいし、
また眠気を堪えられないほど疲労が溜まっている点は心配でもある。
だが、マコトの心に僅かに雲をかけている原因の大半は、
ヤヨイではなくユキホの様子であった。

ユキホ「でも、本当に大丈夫かなぁ……。いくら疲れてるって言っても、
    今日なんか休み時間はほとんど寝てて……。
    もしかしたら夜、ちゃんと眠れてないのかも」

マコト「……うん、そうかもね」

ユキホ「そうだ、私、安眠効果があるっていうお茶をいれてあげようかな。
   そしたらきっと夜はぐっすりで、昼はばっちり起きられるよね!」

マコト「あはは、うん、そう思うよ」

ユキホは恐らく心からヤヨイの体調を案じている。
だがそのことが、マコトの心に陰を作っていた。
そしてその陰はいつの間にか、笑顔で隠せないほど大きくなっていたらしい。
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:05:37.72 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「マコトちゃん、どうしたの?」

マコト「え……?」

ユキホ「なんだか、マコトちゃんまで元気ないみたい……大丈夫?」

マコト「そ、そう? いや、そんなことないよ?」

ユキホ「もしかして、マコトちゃんも寝不足?
    えへへっ、それじゃあ、今日はマコトちゃんにもお茶いれてあげるね!
    待ってて、今……」

マコト「ボクより、ユキホが飲んだ方がいいんじゃない?」

ユキホの言葉をマコトは笑顔で遮った。
笑顔ではあったが、その目はユキホを見ていない。
正面を向いたままのマコトの横顔に、
ユキホもまた、疑問符を浮かべながらも笑顔で問い返した。
213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:06:21.65 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「えっと……私が飲んだ方がいいって、どうして?」

マコト「だってさ、ほら、ユキホも最近、時々ぼーっとしちゃうだろ?
   それもきっと寝不足だと思うんだよ。だから、ね?」

ユキホ「? そう言えば、この前もそんなこと……。
    うぅ、私、そんなにぼーっとしてるかなぁ。
    確かにみんなに比べてノロマかも知れないけど……」

マコト「違うよ、そうじゃなくてさ。
   っていうか、本当に夜もちゃんと眠れてないでしょ?
   よく夜中に起きて、部屋の外に出てるじゃないか」

ユキホ「え……? 私が? いつ?」

マコト「いつって……何回もだよ。二、三日に一回は起きてるよ」

ユキホ「……? マコトちゃん、他の誰かと勘違いしてない?
   私はそんなの、ほとんど……」
214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:07:25.98 ID:Oh+Zy3tyo
マコト「隠さないで欲しいんだ。実はずっと心配だったんだよ……。
   ユキホがこっそり、夜中にどこに行ってるのか気になってたんだ」

いつからかマコトの顔からは笑みが消えている。
向き直り、ユキホを真っ直ぐに見つめるマコトだが、
そんな真剣な眼差しにユキホが返すのは、ただただ困惑の色であった。

ユキホ「ま、待ってマコトちゃん。本当に何のこと?
    私、夜中に起きたことなんてほとんどないし、
    起きても部屋を出たことなんてないよ……?」

マコト「何を言ってるんだよ……そんなはずないだろ!?
   ボク、本当に心配なんだ!
   ユキホの様子がずっと変で、すごく心配してたんだよ!」

心に秘めていた不安を口に出してしまったことで、
マコトの感情に掛けられていた枷は今や完全に外れてしまっていた。
ユキホを心配するあまり、半ば怒り混じりに詰め寄ってしまうマコト。
そんなマコトにユキホはただ戸惑うばかりであった。
が、次のマコトの言葉は、ユキホの心の枷をも外してしまった。
215 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:08:37.16 ID:Oh+Zy3tyo
マコト「それとも、ボクに言えない悩み事とかがあるの……?
   だったら隠さないで言ってよ!
   ボクたちの間で隠し事なんて無しだろ、ユキホ!」

ユキホ「……隠し、事……?
   だったら、マコトちゃんだって私に隠し事、してるよね……?」

マコト「え……?」

ユキホ「この前、アズサさんと、マコトちゃん……。
    目のゴミを取ってもらってたって言ってたけど、そうじゃなかった……!
    ゴミを取ってもらうのに、抱き合ったりなんてしないもん!」

マコト「っ……ユキホ、気付いてたの……!?
   い、いや、今はそのことは関係ないじゃないか!」

ユキホ「関係あるよ! 隠し事は無しって言ったのはマコトちゃんでしょ!?
    なんで抱き合ってたこと隠してたの!?」

マコト「っ……あれは、ユキホのことを相談してたんだ! ただそれだけで、別に何も……」
216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:09:34.09 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「そんなの、抱き合ってる理由になんてならないよ!
    酷いよ、マコトちゃん……! 私を言い訳に使わないで! マコトちゃんの嘘つき!」

マコト「嘘なんかじゃないよ! だったらユキホの方こそ嘘つきじゃないか!」

ユキホ「私は嘘なんかついてないもん! 嘘つきはマコトちゃんだよ!
    マコトちゃんなんてもう知らない!!」

マコト「こ……こっちこそ、ユキホなんて知らないよ!」

売り言葉に買い言葉――
会話を拒絶するように布団に潜り込んだユキホに、
マコトも荒々しく言葉を投げかけて立ち上がり、その場を離れる。
すすり泣く声を背に受けながらも、
聞こえないというように強く目をつむって洗面台へと向かうマコト。

他の者が寝室へ戻ってきたのは、それから少し経ってからだった。
皆二人の様子を見てすぐ異変に気付いたものの、
マコトがこの件に触れて欲しくなさそうにしていたことにも気付き、敢えて追求はしなかった。
ただその空気もあって、その晩はもうチハヤの送別会に関する話題は出さず、
当たり障りのない会話をして就寝までの時間を過ごすこととなった。
217 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:10:12.89 ID:Oh+Zy3tyo



ヒビキ「――あのさ、マコト。早く仲直りできないのか?」

翌朝、鏡に向かって並びながらヒビキはマコトに呟くように言った。
マコトは答えず、蛇口の水を両手で顔に打ち付ける。

ヒビキ「まあ、理由は知らないけどさ……。
   でももしこのままだとチハヤを気持ちよく送り出せないぞ」

マコト「……うん、わかってる」

タオルに顔を半分以上埋めたまま、マコトもまた呟くように答えた。
そしてそのままヒビキと目を合わせずに洗面所をあとにし、着替えを始める。
ヒビキはそんなマコトの姿を遠目に、
やれやれと言うように腰に手を当てて眺める。

マコトはそんなヒビキの視線を意に介さず、
ただ一人、手にした制服に向けて深くため息をつくのだった。
218 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:11:39.98 ID:Oh+Zy3tyo
……昨日は自分もユキホも、まったく冷静じゃなかった。
二人とももう少し落ち着いていれば、
あんなふうにこじれることなんて絶対になかったんだ。
少なくとも自分の件に関しては、
きちんと説明すれば誤解はすぐに解けたはず。
ユキホのことについても、もっとちゃんと話を聞いてあげられれば良かった。

でもそれが出来ずに、喧嘩してしまったというのが現状だ。
これからどうしよう。
仲直りって、どうすればいいんだろう。

と、伏せた目の奥でマコトは色々と考える。
だが思考は堂々巡りするばかりで、一向に解決策は思い浮かばない。

マコトは、ユキホと喧嘩したことなどこれまでただの一度もなかった。
イオリと日常的に起こす小競り合いとは訳が違う。
彼女には、仲直りの仕方が分からなかった。
219 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:12:23.38 ID:Oh+Zy3tyo
またアズサに相談しようか、とほんの一瞬考えたが、
そもそもの誤解の元がアズサに相談したことにあるのだ。
それだけは避けた方がいい。
アズサも、それを察して昨夜から敢えて自分と距離を取っているようにも見える。
ではどうするか。
誰かに相談するか、それとも自分自身で解決するしかないか……。

などと考えるうちに、数時間が経った。
今日は授業は休みの日である。
本来ならこの日にチハヤの送別会に向けての準備を大きく進める予定であった。
しかしマコトは今、一人空いた教室で机に突っ伏している。
目を閉じているが寝ているわけではない。
かと言って、何かを考えているわけでもない。
いや、考えてはいる。
ただその思考は相変わらずの堂々巡り、
「これからどうしよう」から一歩も前に進んでいないのだった。

しかし次の瞬間、
そのまるで前進していない思考ですら、呼吸とともにぴったりと止まった。
220 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:13:01.24 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「マコトちゃん」

聞こえたその声に、机に伏せていたマコトの顔は跳ね上がる。
大きく見開かれたその瞳に映ったのは、薄く笑ったユキホだった。
マコトは声が出なかった。

 『何?』 『どうしたの?』 『昨日はごめん』

たくさんの言葉が同時に頭に浮かび、
どれを選択するべきか混乱しかけていた。
だがマコトが言葉を選んでいるうちに、ユキホはにっこりと笑って、言った。

ユキホ「髪、伸びてきたって言ってたよね。今から切ってあげる」

マコト「え……」

唐突なその言葉にマコトがまともな反応を見せる間もなく、
ユキホはくるりと踵を返して出口へ向かって歩き出す。
マコトは困惑したまま、半ば無意識に、立ち上がってそのあとを付いていった。
221 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:13:45.79 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホが向かったのは、やはり空き教室の一つだった。
その場所はマコトがいつもユキホに髪を切ってもらっている教室。
だからマコトは特に驚くことなく、

ユキホ「はい、どうぞ」

促されるまま、ユキホが引いた椅子に腰掛けた。
ユキホは側にあった棚から布を取り出し、
慣れた手つきでマコトの首にかける。
そしてハサミを取り出して、頭髪を切り始めた。

マコト「……」

多分これがユキホの考えた『仲直り』なんだろうな、とマコトは思った。
髪を切るのはいつもユキホの役目。
ユキホは自分だけが持つこの役割をきっかけに、
これまでの関係に戻ろうと、きっとそう考えているんだろう。
222 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:14:14.55 ID:Oh+Zy3tyo
ただ、いつもなら髪を切りつつ切られつつ他愛のない会話を交わしているところだが、
今のマコトにはそれはできそうもなかった。
やはりこちらからどう声をかければいいか分からない。

まず一言謝った方が良いのか。
それとも、昨日のことには触れない方が良いのか。
ユキホが何も言わないということは、
彼女もそれを望んでいるということなのだろうか。
いや、こちらが謝るのを待っているのだろうか……。

それにしても、自分がこんなにもくよくよと悩む人間だとは知らなかった。
少しだけ自分のことが嫌になる。

鋏が髪を断つ音がやけに大きく聞こえる。
でもこの音に集中していれば、余計なことを考えずに済むような、そんな気がする。
しばらくはこのままぼんやりと、身を任せていよう――

ユキホ「私、マコトちゃんのことが、好き」

――ユキホの声が鋏の音に割って入ったのは、その時だった。
223 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:14:48.63 ID:Oh+Zy3tyo
マコト「……どうしたの、急に」

どう返せばいいのか分からずマコトが選んだ言葉は、
あやふやな、ごまかすような言葉であった。
もう少し何か気の利いた返事はできなかったのか。
表情に出さないまでも、マコトはやはり自分に嫌気がさした。
これでは仲直りするのにも苦労するはずだ。

もう、いい。
難しいことを考えるのはやめよう。
素直に昨日のことを謝ろう。

……マコトがそう決めたのと、
首筋にユキホの腕が絡んだのはほとんど同時だった。

ユキホ「マコトちゃんは私のこと、好き?」

背後から、耳元から、ユキホの囁く声が吐息とともに吹きかかる。
右耳から全身にかけて、何かが駆け巡るのをマコトは感じた。
224 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:15:19.01 ID:Oh+Zy3tyo
マコトは反射的に、その感覚から逃れようと首を傾けようとした。
しかしその直前、逃げ場を封じるように今度は左頬に何かが触れた。
それは首に巻き付くように添えられた、ユキホの右手。
だがそれだけではない。
柔らかくしなやかなユキホの指の感覚の他、固く冷たい何かが即頭部あたりに触れている。
視界の外にあるため見えないが、間違いない。
それは鋏であった。

マコト「あ……危ないよ、ユキホ」

辛うじて、絞り出すようにマコトは言った。
今ユキホの親指と中指には、鋏のリングがかけられたまま。
その手は優しく添えられているものの、
マコトは、それ以上頭を動かすことはできなかった。

ユキホ「ねえ、マコトちゃん」

動かぬマコトの視界に、ふっと影が差す。
視線だけを動かすと、そこにはユキホの目があった。

ユキホ「マコトちゃんは、ずっと私と一緒に、居てくれるよね?」
225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:15:52.05 ID:Oh+Zy3tyo
それは、『あの時』の目だった。
タカネの話をする時の、ユキホの目だった。
マコトは何も答えられなかった。
色のない目に射すくめられたように、ただ硬直し続けた。

しかし、それからどれだけの時間が経っただろうか。
ユキホはマコトの答えを待たずして、ゆっくりと動き出した。
目が視界から消え、右手が左頬から離れ、首筋から両腕が離れた。
そして、

ユキホ「……マコトちゃん、その……き、昨日は、ごめんなさい!」

マコト「え……?」

ユキホ「私、マコトちゃんのこと嘘つきだなんて言っちゃって……。
    きっと私の見間違いだったんだよね?
    なのに私、マコトちゃんに酷いこと言って……ほ、本当にごめんなさい……!」

背後から聞こえたのは、必死に謝るユキホの声だった。
ああ……またか。
また、いつも通り、ユキホはおかしくなってたんだな……。

マコト「……気にしないで。ボクの方こそ、ごめん。
   昨日色々言ったけど……多分、ボクの勘違いだったんだ」

マコトは正面を向いたまま、笑顔を作って返事をした。
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:16:30.31 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「! う、ううん! いいの!」

マコトの謝罪を聞き、ユキホは嬉しそうに声を上げる。
そしてマコトの正面に回り込み、

ユキホ「マコトちゃんこそ、気にしないで!
   えへへ……マコトちゃんと仲直りできて、嬉しい」

そう言って頬を赤らめて笑った。
その顔は、マコトのよく知るユキホだった。

ユキホ「マコトちゃん、えっと……これからも私と、仲良くしてくれる?」

マコト「もちろんだよ、ユキホ。これからもよろしくね!」

ユキホ「えへへっ……うん!」

頬を紅潮させてユキホは頷き、再びマコトの背後に回る。
そして、鼻歌交じりに散髪を続けた。
チハヤの送別会についても色々と話した。
散髪が終わるまで、二人の会話はとてもよく弾んだ。
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:17:16.85 ID:Oh+Zy3tyo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分水曜前後に投下すると思います。
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/11(金) 22:19:42.57 ID:ni7bY2Wxo
おつ

229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:10:27.07 ID:2rU60daQo



チハヤ「あの……少し、いいかしら」

イオリ「? 何よ、どうしたの?」

暖かな日光が差す寝室。
ヤヨイと二人で外へ出ようとしたところ、イオリはチハヤに呼び止められた。
何気なく振り返った二人だったが、その視線は揃ってすぐチハヤの手元に落ちる。

ヤヨイ「……その本……」

チハヤ「忘れないうちに、返しておこうと思って。
    一応読んではみたけれど、私も何も分からなかったわ……ごめんなさい」

それは、イオリたちが旧校舎から持ち出した本、『眠り姫』。
イオリは差し出されたその本を受け取り、浅く息を吐く。

イオリ「別に、謝らなくていいわよ。私も今の今まで忘れてたくらいだもの」

チハヤ「そう……。だったら、いいのだけれど」
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:14:28.64 ID:2rU60daQo
チハヤ「引き止めてごめんなさい。用事は、これだけだから」

そう言ってチハヤは背を向け、自分のベッドへ戻る。
ベッドの横には既に整理された荷物がまとめて置いてあった。
チハヤの『卒業』まで、残すところ三日。
ベッドの上に畳まれたいくつかの衣類を鞄に詰め始めるチハヤを
イオリは黙って見つめた後、ふと手元の本に目を落とす。
そして表紙を少しばかり眺めたかと思えば、ふっと笑って言った。

イオリ「『眠り姫』、ね……。なんだか、今のヤヨイにぴったりじゃない?」

ヤヨイ「えっ?」

イオリ「昼間から居眠りしてばっかりの、眠り姫。なんてね」

ヤヨイ「あう……ごめんなさい。頑張って起きようとはしてるんだけど、
   なんでかどうしても眠くなっちゃって……」

イオリ「もう、ちょっとからかってみただけよ。気にしないで」

イオリはいたずらっぽく笑い、
申し訳なさそうに俯いたヤヨイの額をコツンと指で突いた。
ヤヨイは突かれた箇所を触れながら、少しだけ困ったように笑った。
231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:15:09.26 ID:2rU60daQo
そうして笑いあったのち、イオリはチハヤに顔を向ける。
チハヤは二人のやり取りを気に止めることなく、黙って読書を続けている。
イオリはチハヤをしばらく見つめ、
それに気付いたヤヨイは、様子を見守るようにイオリを見つめる。
イオリの横顔には、ヤヨイに向けていた笑顔がまだ残っているようだったが、
その内面では果たしてどのようなことを考えているのだろうか。

と、イオリはふっと表情を和らげ、ヤヨイに向き直った。

イオリ「さ、行きましょうヤヨイ」

ヤヨイ「え? う、うん」

そうしてイオリは自分のベッドに本を置き、
ヤヨイとともに寝室をあとにした。
日中の静かな寝室にはチハヤと、『眠り姫』、
そしてひっそりとイオリの机の中にあり続ける鍵だけが残された。
232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:16:05.08 ID:2rU60daQo



  「――けれど、本当はその扉は開けてはいけませんでした。
   なぜなら、女の子はとても怒っていたからです」

マミ「どうして怒っていたの?」

  「女の子は、お友達が居なくなったことに、とても、とても怒っていました。
   お友達に怒っていたのではありません。
   お友達を居なくさせた世界そのものに、怒っていたのです」

アミ「世界そのもの?」

マミ「なんだかよく分からないわ、お母様」

  「……アミとマミには、まだ少し難しいかも知れませんね」

困ったように眉をひそめるマミに優しく笑いかけ、頭を撫でる。
次いでねだるように身をよじったアミも同じように優しく撫でる。
双子は嬉しそうに目を閉じて銀髪の少女に寄り添い続けた。
233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:16:52.77 ID:2rU60daQo
少女は双子の頭から手を離し、ベッドを降りる。
アミとマミは名残惜しそうな表情を浮かべながらも、
少女のあとを追うことなく、やはりベッドの上から問いかけた。

アミ「今日もご用なのね」

アミ「お話してあげるの? それとも、お薬をあげるのかしら」

  「今日は、お薬ですよ」

笑顔でそう答え、少女は扉の向こうへと姿を消した。
残されたアミとマミは向かい合ってベッドに横になり、互いの手を取る。

マミ「お母様はとっても優しいのね」

アミ「もちろんよ。だって私たちのお母様だもの」

にっこりと無邪気に微笑み合う二人。
そして目を閉じ、

アミ「もう終わらせてしまえるといいわね」

マミ「悲しい悲しい、『眠り姫』の螺旋を」
234 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:17:31.88 ID:2rU60daQo



ふっ、と意識が覚醒する感覚。
薄く目を開けると、真っ暗な天井が映った。
どうやら夜中に目を覚ましてしまったらしい。
チハヤは再び瞼を閉じて眠りにつこうとする。
しかしその時、物音がチハヤの睡眠を妨げた。

閉じかけた瞼の隙間から見えたのは、ベッドを降りるヤヨイの姿。
裸足のままペタペタとどこか覚束無い足取りで、
ヤヨイは寝室の出口へと向かい、そしてそのまま外へ出て行った。

ヤヨイの姿が消えたのち、チハヤは上体を起こす。
その目は今や完全に開かれ、眉は疑問にひそめられている。
夜中に一人廊下へ出る理由など、チハヤには思いつかなかった。
洗面所なら寝室内だし、
どこかに忘れ物をしたのだとしても取りに行くのは夜が明けてからでいいはず。

しばし逡巡したのち、チハヤはヤヨイのあとを追って寝室を出た。
235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:20:09.31 ID:2rU60daQo
廊下は暗く、ヤヨイの姿は既に闇の中に溶け入って見えなくなっていた。
しかしその時、遠くからキイと扉の開く音がした。
それを手がかりに進んでみると、校舎の外への扉が開け放たれている。
チハヤは靴に履き替え、扉をくぐった。

春先のまだ少しひんやりとした夜の空気が身体を撫でる。
と、視界の端に動くものを捉え、
目を向けた先には、ヤヨイの小さな背があった。
一体どこへ向かっているのか……。

ヤヨイの歩く速度はそう早くない。
こちらが少し早歩きをすればすぐに追いつけるだろう。
行って、声をかけてみようか。
そう思い、チハヤが足を踏み出そうとしたその瞬間。

イオリ「待ちなさい、チハヤ」

背後から小声で話しかけられ、驚いて振り向く。
そんなチハヤを尻目に、イオリはすっとチハヤの横から歩み出て、
ヤヨイの様子を遠目に見つめた。
236 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:20:45.54 ID:2rU60daQo
チハヤ「どうして、あなたまでここに……?」

まさか自分以外に起きてここにいる者がいるなどとは欠片も思っておらず、
チハヤは感じた疑問を素直に口にする。
イオリはチラとチハヤを一瞥し、すぐにヤヨイに視線を戻して言った。

イオリ「それはこっちの台詞、って言いたいところだけどね。
   普段のあなたなら、こんなふうにわざわざヤヨイを追いかけたりしてないでしょ」

チハヤ「……それは……」

イオリ「あなたも気になってたんでしょう?
   最近のヤヨイの様子はどこか変だって」

その通りだ。
チハヤは沈黙を以て、イオリの問いへの肯定を示した。
と言っても、そのことがそのままチハヤがここに居る理由になっているわけではない。
わざわざヤヨイを追い、声までかけようとしたのには、
もっと直感的な何かに突き動かされたからだ。
237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:22:54.15 ID:2rU60daQo
イオリ「さ、行きましょう。そろそろ姿が見えなくなっちゃうわ」

そう言って、イオリは足を踏み出し、ヤヨイを見失わぬようあとを付け始める。
チハヤは少し戸惑いながらも、イオリに付いていった。

チハヤ「……声はかけないの?」

後ろに付きながらも、チハヤは小声で疑問を呈する。
イオリがヤヨイと仲がいいことはチハヤも十分承知している。
だから、そのイオリがこうしてヤヨイを尾行するような真似をしていることが、
チハヤにとっては意外であった。
当然湧いたその疑問に、イオリはちらとチハヤを一瞥する。
そして再びヤヨイに視線を戻して答えた。

イオリ「あの子が夜中に出歩くのは、今日が初めてじゃないわ。
   ここ最近になって、私が気付いただけでももう三回目よ」

チハヤ「え……?」

イオリ「一回目のとき、次の日の朝にヤヨイに聞いてみたわ。
   でもあの子……私が何を言ってるのか分からないって、そんな反応だったの。
   だから私も、多分夢でも見たんだろうって思ったわ」
238 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:25:30.44 ID:2rU60daQo
イオリ「でも二回目があった。
    だから私、もし三回目があったらヤヨイのあとを付けてみようって決めたのよ」

チハヤ「……二回目の時は、何も聞かなかったの?」

イオリ「聞かなかったわよ。
   だって、その頃はヤヨイが昼間に居眠りするようになった時期だったから……。
   『最近夜はちゃんと眠れてるのか』って、もう私聞いちゃってたんだもの。
   それであの子は眠れてるって言ってたから……。
   でも実際は違ったわ。あれだけ毎日眠そうにしてるんだし、
   多分ほとんど毎晩、こうして出歩いてたんでしょうね」

そこでイオリは言葉を切る。
チハヤは黙って続きを待った。
斜め後ろから見えるイオリの表情には、少し寂しげな色が浮かんでいた。

イオリ「私にも隠すなんて、何か理由があるんだろうけど……
   だからって寝不足になるくらい深夜徘徊を繰り返すなんてこと、
   放っておくわけにはいかないでしょ。
   だから自力で探ることにしたの。
   納得できる理由だったらそのまま見なかったことにするけど、
   もしそうじゃなかったら叱ってやるんだから」
239 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:28:05.35 ID:2rU60daQo
それから二人は、ヤヨイと一定の距離を保ちつつ、
時折木の陰に身を隠しながら尾行を続けた。
ヤヨイの動向に注意を払いながら、チハヤは、この状況を少し不思議に思った。
友人を尾行していることや深夜に出歩いていることなど、
あらゆる要素が日常とはまるで違うのだが、
チハヤにとって特に思うところがあったのはそれとはまた別の点――
こうしてイオリと同じ場所、同じ時間を共有しているということだった。

イオリ「……何? 言いたいことでもあるの?」

睨むようにこちらに目を向けたイオリとその言葉で、
いつの間にか自分が彼女を見つめていたことに気が付く。

チハヤ「いえ……別に、なんでもないわ」

視線から逃げるようにチハヤは目を逸らし、
イオリもまた、ふんと鼻を鳴らしてヤヨイに目を向け直した。

イオリ「前も言ったと思うけど、あなたと仲直りしたつもりはないわよ。
   ヤヨイのことを気にしてるみたいだから、一緒に来るのを許可してるだけ」

チハヤ「……ええ、わかってるわ」
240 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:28:42.28 ID:2rU60daQo
そうこうするうちに、ヤヨイの向かう先が明らかになってきた。
夜の闇の中、徐々に姿を現した建物。
それは――

イオリ「……なんとなくそんな気はしてたけど、まさか本当に旧校舎だったなんてね」

チハヤ「でも、どうして旧校舎なんかに……」

イオリ「もうすぐ分かるわ。ほら、行くわよ」

ヤヨイが校舎内へ入ったのを確認し、二人は足を速める。
入口の前で一度止まり、
イオリは細心の注意を払って僅かに扉を開け中の様子を伺った。
ヤヨイの姿はなく、既に一階の奥、あるいは別の階へと姿を消したようだ。
耳をすませてみるが物音はしない。

イオリは目配せをして扉をくぐり、チハヤもそれに続いた。
さて、どこから探してみようか。
考えながら数歩進んだイオリであったが、ふと、
廊下の奥で何かがきしむような音が聞こえた。
241 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:31:43.49 ID:2rU60daQo
イオリは振り返り、チハヤに目線を送る。
チハヤは黙って頷いた。
自分の聞き間違いではないようだ。
イオリは可能な限り足音を殺して、
おおよその音の出処と推察される辺りまで進む。

しばらく進んだところで、イオリの足は止まった。
そこには、階段があった。
先日使用したものと同じ階段であるはずなのだが、
渦を描きながら深淵へと下っていくその空間は、
イオリの目には今日初めて見たものに映った。

地下室――リツコに立ち入りを禁じられた場所への入口が今、
より深い闇をたたえて、あるいは誘い込むようにぽっかりと口を開けている。
あの物音がこの先から聞こえてきたものかどうかは分からない。
だがイオリは、ほんの僅かな逡巡を終え、階段を下り始めた。

螺旋状をとる石造りの階段。
纏う闇は深く、一歩一歩確かめるように、ゆっくりと下っていく二人。
しかしぐるりと一周ほど回った頃、
ぼんやりとした明かりが階下から先を照らしていることに気が付いた。
242 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:35:15.35 ID:2rU60daQo
明かりを頼りに進むと、最下層まではすぐだった。
二人の目に映ったのは、階段と同じく石造りの床と壁の廊下、
そして壁に備え付けられた蝋燭。
この時には既に二人とも確信していた。
間違いなく、ヤヨイはこの地下に居ると。

そしてここでチハヤが気付いた。
蝋燭で照らされながらも薄暗い石造りの廊下――
その奥の、壁の一部に、一筋の明かりが線を描いている。

チハヤはその明かりに誘われるように、足を踏み出した。
少し近付けばはっきりと見える。
いくつか並ぶ扉の一つが僅かに開き、そこから明かりが漏れているのだ。

チハヤの様子を見て、イオリもすぐにその明かりに気が付いた。
今度はイオリがチハヤのあとへ続いて歩く。
と、ふと前を行くチハヤが足を止めた。
どうかしたのか、とチハヤの表情を窺おうとした、その時。
243 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:36:18.80 ID:2rU60daQo
  「――さあ、こちらへ」

声が聞こえた。
ほんの短い一言であったが、それは確かに人の声だった。
そして当然のことではあろうが、知っている声だった。

チハヤは再び足を進める。
だがそれを、イオリが手を掴んで止めた。
チハヤが振り返ると、緊張した面持ちで真っ直ぐにこちらを見るイオリと目があった。
その視線の意図するところはわかっている。

『あくまで、気づかれないように』。
チハヤは頷き、イオリはそれを確認して手を離した。

そうして二人は更に明かりへ近づき、
その発生源たる部屋へ開かれた僅かな隙間に身を寄せる。
と、イオリが肩を叩いて下側を指差した。
自分が覗けないからしゃがめ、と言っているらしい。
244 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:37:19.59 ID:2rU60daQo
背の低い方がしゃがめば良いんじゃないか、とチハヤは思ったが、
今はそんなやり取りをしている暇はない。
特に表情も変えることなく、チハヤは膝を曲げその場に屈んだ。
そうしてチハヤは下方から、イオリは上方から、同時に部屋の中を覗き込む。
……その瞬間。

チハヤ「――っ!?」

チハヤは目を見開いて息を呑んだ。
扉の向こうに居たのは椅子に座ったリツコと、その横に立つヤヨイだった。
だがチハヤが真に驚いたのはそこではない。
元々ヤヨイを追ってきたのだし、
先ほど聞こえた声から、リツコの存在については察しが付いていた。

チハヤが驚いたのは、リツコの手にあったもの。
ヤヨイよりもリツコよりも大きな存在感を放つ、
その小さな道具……注射器が、チハヤの呼吸を一時止めた。
注射器を満たす液体――薬物であろう緑色のその液体は、
妖しく発光してさえ見える。
その薬物が今まさに、ヤヨイの腕に注射されようとしていた。
245 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:39:30.01 ID:2rU60daQo
次いで、チハヤの視線は注射器からヤヨイへと移った。
普段のにこやかな笑顔は見る影もない。
口は半開きに、目はぼんやりと虚空を見つめ、
誰が見ても明らかに様子がおかしい。
原因があの注射器の中の薬物であることも、疑いようはない。

イオリが起こした反応と思考も、チハヤとまったく変わらない。
そして二人は同時に考えた。

あの薬物は何なんだ。
なぜリツコはあんなものをヤヨイに注射しようとしているのか。
何か理由があるのか。
今すぐこの場で部屋に入って止めた方が良いのでは――
だがその思考は次の瞬間、霧散する。

リツコが、こちらへ目を向けたのだ。
246 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:41:47.03 ID:2rU60daQo
リツコ「……」

注射器を横の器具台に置き、立ち上がる。
そしてゆっくりと扉に近付き、押し開けた。

ヤヨイ「……ティーチャー、リツコ……?」

うわ言のように名を呼ぶヤヨイの声を背中で聞きながらリツコは……
誰も居ない廊下をしばらく見つめた。
そして数秒後、

リツコ「なんでもありません。さあ、続けましょう」

そう言って扉を閉め、リツコは微笑んだ。
椅子に座り、再び注射器を手に取り、ヤヨイの腕にあてがう。
細い針がヤヨイの白くやわらかな皮膚を貫通し、中身はすべて注ぎ込まれる。
そして空になった注射器を置き、リツコは、

リツコ「早ければ明日……でしょうか」

もう一度扉へ目を向け、薄く笑った。
247 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:43:54.15 ID:2rU60daQo



イオリ「――明日、あの部屋を探るわ」

高鳴る動悸のおさまらないままに、イオリは言った。
額に張り付いた髪を風が撫でる。
手のひらや背中にじんわりと滲む汗の理由は、
ここまで走ったからというだけだろうか。
チハヤは遠くに見える旧校舎を注視しながら、額を軽く手で拭う。

チハヤ「それじゃあ、このことはみんなには……」

イオリ「まだ言わないわ。言うとすれば、あの部屋から……何か、出てきた時ね」

『何か』、とイオリが敢えて表現をはぐらかしたのをチハヤは察した。
要するに、リツコの信用を失墜させるような何か、ということだ。
現段階ではあの行為が正当性のある医療行為なのか、
それとも別の何かなのかは分からない。
その判断がつかなかったこともあり思わず逃げてしまったが、
二人の推測はほとんどが後者へ傾いていた。
248 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:47:24.52 ID:2rU60daQo
イオリ「時間は明日の昼休み。地下への階段前で落ち合いましょう。
   二人で行くとバレやすいでしょうし、別々に行くわよ」

チハヤ「もし何かの理由で身動きがとれなかった場合は……」

イオリ「その時はどちらか一人が実行するのよ。当然でしょ。
   あんなの見て放っておけるわけないじゃない……。
   何が何でも真相を突き止めてやるんだから……!」

イオリの頭の中には、
リツコかヤヨイに直接聞くという選択肢は初めから無いようだった。
ヤヨイがこの事実を隠していたこともあるが、
それ以前に、『聞くべきではない』と直感が告げていた。
そしてそれはチハヤも同様であった。
だから、黙って頷いた。

イオリ「……早く寝室に戻りましょう。
   ヤヨイがいつ帰ってくるか分からないわ」

二人は改めて旧校舎へ続く道を一瞥し、
踵を返して足早に自分たちの寝室へと戻っていった。
249 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:47:51.90 ID:2rU60daQo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分週末くらいに投下します。
250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:47:22.21 ID:VdXuuI1Qo



並木を歩きながら、灰色の空を見上げる。
舞い散る桜の色も心なしかくすんで見えるのは、この曇り空のせいだろうか。

扉の前で改めてもう一度、チハヤは周囲を確認する。
……大丈夫だ、他の皆は全員中庭に居るはず。
リツコもこちらとは反対側へ歩いていくのを見た。

ひと呼吸おいて、旧校舎への扉を開く。
入口から真っ直ぐに伸びる廊下の先に見えた人影――
腕を組んで立っていたイオリも、チハヤに気付いて顔を上げる。
チハヤは黙って廊下を進み、ある程度近づいたところで、

イオリ「ティーチャーリツコは?」

チハヤ「大丈夫。少なくともしばらくはここへ来る様子はないわ」

イオリ「そう……じゃ、行きましょうか」

手短にやり取りを済ませ、二人は階段を降りる。
そして真っ直ぐに、例の部屋へと向かった。
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:47:52.21 ID:VdXuuI1Qo
部屋の前へ立つと、恐る恐るといった様子もなく、
イオリは手早くドアノブを回す。
意外にも鍵はかかっていなかった。
すんなりと開いた扉をくぐり、二人は周囲を見渡す。
隙間から覗いただけの昨日は見えなかった部屋の全体像は、
想像を大きく外すようなものではなかった。

昨晩の風景そのままに鎮座する器具台。
書架に並んだいくつかの書物。
それから、机と椅子。
注射器やその中身の液体は見当たらない。

二人はまず書架へ向かった。
そこに並ぶのは妙に古びた本ばかりだったが、
背表紙を見る限りでは特にこれといって目を引くようなものはない。
ただ、その種別ははっきりと二分されていた。

一つはアイドルに関連する本。
そしてもう一つは、化学に関する本である。

チハヤは適当な本を手に取り、パラパラとめくってみる。
イオリもまた同じように、まずは書架を調べ始めた。
252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:48:23.06 ID:VdXuuI1Qo
二人とも初めに手に取ったのは、化学の本だった。
やはり昨晩の注射器が強く印象に残っているのであろう。
あの注射器の中身が何なのか、それを掴む手がかりがこの書物の中にあるかも知れない。

が、数冊目を通したところでイオリは歯噛みして手を止めた。
それらの本の内容はどれも専門的過ぎて、
何が書いてあるのかもよく分からなかったのだ。
こんなものをいくら読んだところで、手がかりを掴める気がしない。

チラと隣に目を向けると、チハヤはまだ本を探り続けている。
ここはひとまず、チハヤに任せよう。
この本棚以外に何か無いか……。
と改めて部屋を見回したイオリの目に、ぽつんと置かれた机がとまった。
机上には何も置いていないが、よく見れば引き出しが付いている。
イオリは持っていた本を書架に戻し、机に近づく。
そしてためらいなく開けた引き出しの中を見て、イオリは一瞬心臓が跳ねるのを感じた。

イオリ「チハヤ、ちょっと来て!」

その声色から、チハヤはすぐに状況を察する。
駆け足にイオリの元へ寄り、引き出しを覗いたチハヤは、大きく目を見開いた。
253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:51:57.26 ID:VdXuuI1Qo



ヒビキ「それで、話って何? もしかしてお別れ会のことか?」

マコト「イオリとヤヨイは居ないけど、大丈夫なの?」

ユキホ「私は、昼間にイオリちゃんに呼ばれたんだけど……」

チハヤ「大丈夫、気にしないで。あなたたちだけに話したいの」

寝室に揃っているのは、イオリとヤヨイを除く学生全員。
チハヤから皆に話があるという珍しい状況に、
不思議そうな表情を浮かべる者、少し緊張した様子の者、反応は様々である。
だが全員、チハヤの顔を見て、何かとても大事な話であることは察しが付いていた。

アズサ「でも、どうして私たちだけに?
    ヤヨイちゃんにはイオリちゃんの方から話してあげるの?」

チハヤ「……いえ、話しません。みんなも、彼女には絶対に秘密にして欲しいんです」

そう言ってチハヤは脇に置かれたカバンから複数枚の紙を取り出し、
声を潜めて話し始めた。
254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:52:59.21 ID:VdXuuI1Qo
ヒビキ「――ア……『アイドル量産計画』……?」

微かに震えた声でそう言ったヒビキの手にあるのは、先ほどチハヤが取り出した紙。
それこそが、昼間にチハヤとイオリがあの部屋で見つけたものであった。

マコト「な、なんだよこれ……。
   じ、人体実験だって……!? こんなの許されていいはずないよ!」

ユキホ「こ、これ、本当に……ティーチャーリツコが、ヤヨイちゃんに……?」

チハヤ「ええ……間違いないわ。確かにこの目で見たから……」

アズサ「……そんな……」

『アイドル量産計画』。
そう書かれた資料には、初めから終わりまで目を疑うような内容が詰め込まれており、
その中にはチハヤたちが昨晩見た光景を説明するものもあった。
つまりは、計画のための人体実験。
学園の生徒の中から最も能力の低い者を一名選び、
定期的に注射を打ち続けることで効果を見る。
能力の向上と引き換えに重大な副作用が生じることが予測されるが、
データさえ取れれば検体の健康状態は問わない……。
そんな内容だった。
255 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:53:52.42 ID:VdXuuI1Qo
ユキホ「し、信じられないよ、そんなの……。
   ティーチャーリツコが、私たちのことそんな風に思ってただなんて……!」

ユキホの声は震え、目には涙すら浮かんでいる。
他の物の反応も大きく変わらず、
信頼を寄せていたリツコの別の顔を知ったことが大きなショックを与えていることは
チハヤにも十分に理解できた。

ヒビキ「私だって、信じたくないぞ……。でも、嘘じゃないんだよね、チハヤ……」

チハヤ「……ええ、すべて事実。その資料ももちろんだけど、
   昨日見たことも、絶対に見間違いなんかじゃないわ……」

マコト「だ、だったらこんなの放っておけないよ!
   今すぐティーチャーリツコのところに行ってやめさせないと!」

アズサ「いえ……それは多分無理よ、マコトちゃん……。
    これだけじゃあ、簡単に誤魔化されちゃうわ」

マコト「え……どうしてですか! この資料が人体実験の何よりの証拠でしょ!?
   それに何より、チハヤとイオリが見てるんですよ!?」
256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:55:12.21 ID:VdXuuI1Qo
一歩踏み寄り、マコトはアズサに食ってかかる。
だがそれに対してアズサは目を伏せたまま、静かに答えた。

アズサ「『昔から地下にあったものだから何も知らない』って、
    そんな風に言われちゃったらそれでおしまい……。
    チハヤちゃんたちのことも、『見間違い』だとか『夢を見てたんだろう』とか、
    いくらでも言い訳できると思うの……」

マコト「っ……そんな……」

ヒビキ「じゃ、じゃあどうすればいいんだよ!?
   そんなのもう、実験してるところを直接捕まえるくらいしか……」

と、そこまで言ってヒビキは、何かを思い出したかのように息を呑む。
そして手に持っていた資料を荒々しくめくり始めたかと思えば、
その手がぴたりと止まった。
ヒビキが凝視しているページ、そこに表記されているのは――

チハヤ「そう。次の薬剤投与は、昨日に引き続き今夜行われる。
    あなたの言う通り……今夜、みんなで地下室に行って、直接捕まえましょう」
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:55:43.65 ID:VdXuuI1Qo



月の光がおぼろげに、時折切れる雲の隙間から差し込む。
僅かな光は暗い校舎内を照らすには心もとないが、
一方で強烈な光と共に雷鳴が轟く。
稲光は、少女の陰を旧校舎の廊下に映し出した。
入り口付近に立つのは六人の少女。
その面持ちは、不穏な空模様に関係なく重苦しい緊張感を纏っていた。

チハヤが皆に『話』をして少し経った後、ヤヨイはイオリと共に浴場から戻ってきて、
それから長い時を待たず、やはり電池の切れた人形のようにぱったりと眠りに落ちた。
そしてチハヤたちが推察した通り、
昨晩に引き続いて、夜中に起きて外へ出た。

昨晩と同じように、ぼんやりとした表情で歩くヤヨイを
今度は全員で尾行した結果、行き着いた先も、昨日と同じであった。
258 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:56:42.73 ID:VdXuuI1Qo
先頭に立つイオリが振り向き、それを合図に皆、足を踏み出した。
慎重に、しかし迅速に、地下への階段へと向かっていく。

階段を下りながら皆は自然と手に力が入る。
そのうち何人かの手には、短めのバトンのようなもの――
能力補助装置が握られていた。

万一リツコが抵抗した場合は能力の使用すら有り得る。
その時に適切に過不足なく能力を扱うため。
そう考え、装置を握り締めているのだ。
リツコから贈られた物を、リツコと対峙するために持ち出すことになろうとは、
当時の誰もが予想などし得なかっただろう。

階段を下りきるまで、長い時間は要さなかった。
下りた先の廊下は昨夜と同じく、壁に並んだ蝋燭に薄明るく照らされている。
そして廊下の奥へ目をやったその時、皆は一瞬体がこわばるのを感じた。

だがイオリとチハヤの体がこわばった理由は、
他の者たちのそれとは似ているようで少し違った。
259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:57:12.36 ID:VdXuuI1Qo
例の部屋の扉が、完全に開いている。
その『昨晩との違い』が、二人の心を俄かにざわつかせた。
頭によぎった予感めいたものに急かされるように、
イオリは足を速めて開かれた扉へ向かって進む。
ここからではまだ部屋の様子は見えない。
だが近付くにつれてイオリの覚える違和感は強くなっていった。

そして彼女とチハヤの予感は的中した。
部屋にはリツコの姿もヤヨイの姿もない。
注射器も薬剤もなく、
昼間に入った時の様子そのままに、無人の部屋がそこにあった。

だが、昼間は消えていたはずの明かりが灯っている。
閉めたはずの扉が開いている。
それは他ならぬ、誰かが少し前までここに居たことの証である。
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:59:24.47 ID:VdXuuI1Qo
ヒビキ「ま、まさか逃げられちゃったのか……?」

イオリ「だとしても、ヤヨイは少し前に旧校舎に入ったばかりよ。
    まだきっと校舎の中……少なくともそう遠くには行ってないはずだわ」

マコト「手分けして探そうよ!
   もしかしたら上の階に居るのかも知れない……ボク、見てくるよ!」

ユキホ「! ま、待ってマコトちゃん、私も……!」

アズサ「私も行くわ……。あまり離れすぎないように気を付けて。
    ティーチャーリツコとヤヨイちゃんを見つけたら、
    すぐに大きな声でお互いを呼びましょう」

そうして少女たちは三人ずつに別れ、地下と上階を探すことにした。
できれば全員で固まって動きたかったが、
想定していた場所にリツコたちが居ないとなるとやむを得ない。
今はまず現場を押さえることが最優先だ。

イオリ「……私たちも、急ぎましょう。
   可能性としては地下のどこかに隠れてる方が高いと思うから、気を付けて」
261 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:59:59.09 ID:VdXuuI1Qo
地下に残ったのは、イオリ、チハヤ、ヒビキの三人。
それぞれつかず離れずの距離で、隣接する部屋を一人ずつ、効率的に探っていった。
だが廊下を奥へ進み始めてすぐに、またも想定外のことに気が付いた。

地下に広がる空間が、思っていたよりもずっと広いのだ。
地上の校舎が占める面積を大幅に越えて、この地下空間は広がっている。
まるでこの地下こそが旧校舎の本体で、地上の建物は付属品であるかのような……
異様に多い部屋を探りながら、イオリたちはそんな感覚を覚えていた。

それからしばらく、少女たちは数々の部屋に出ては入り、入りは出てを繰り返した。
いくつ目かもわからない部屋の扉を開き、イオリは歯噛みする。
ここにもリツコたちの姿はない。
こんなことをしている間に、ヤヨイはまたリツコに注射を打たれているかも知れない……。
いや、きっともう打たれている。
もしかしたらもう逃げられてしまったのではないか。
上階の様子はどうなっているのだろう。
自分は今、無駄なことをしているのでは――

イオリの焦燥が限界を迎え始めた、その時だった。
262 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 21:01:28.89 ID:VdXuuI1Qo
  「あの子を助けに来たのね」

背後、部屋の出口から聞こえた声に、イオリは雷に打たれたように振り返る。
そこには二つの影があった。
同じ背丈、同じ体格、同じ顔の二人の少女が、そこに立っていた。

イオリ「だ……誰、あなたたち……!」

跳ねる鼓動を抑え、イオリは辛うじて当然の疑問を口にする。
だが二人の少女はそれに答えることなく、
すっと手を横方向に掲げ、揃って部屋の外を指さして言った。

  「あの子は向こうにいるわ」

  「この廊下の一番奥」

  「ずっと、誰かが来てくれるのを待ってる可哀想な子」

  「ずっと、ずっと、待ってる。可哀想な子」

そう言い残し、少女たちは部屋の外へ姿を消した。
イオリは一瞬の間を開け、ふと我に返ったようにそのあとを追ったが、
廊下には既に人影はなかった。
と、イオリは何かを踏み付けた感覚に、目線を足元へやり、同時に大きく目を見開く。
鍵が――この旧校舎で見つけた、鎖で縛られていたあの鍵が、そこにあった。
263 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 21:02:03.53 ID:VdXuuI1Qo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分三日後くらいに投下します。
264 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 22:49:48.18 ID:ao5/QTwco
気付けばイオリは、鍵を持って駆け出していた。
廊下の奥へ、奥へ、早る動悸に駆り立てられるように。
そしてついに最奥へとたどり着く。

そこには明らかに異質……一際厳重な錠のかけられた扉があった。
その扉を前に、イオリの鼓動は更に高鳴る。
二人の人影は、『あの子』がここに居ると言っていた。
つまり、ヤヨイがここに閉じ込められているとでも言うつもりなのか。

この動悸は、乱れる呼吸は、走ったせいだろうか。
緊張しているのだとすれば……一体何に?

イオリは恐る恐る、鍵を錠の穴にあてがう。
飲み込まれるように抵抗なく奥まで入った。
そして、ガチャリと音を立てて錠は解放され、
イオリが手をかけるよりも先に、
不吉な音を立ててひとりでに扉が左右に開かれた。
265 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 22:52:57.41 ID:ao5/QTwco
ヒビキ「イオリ!!」

その声に肩を跳ねさせてイオリは横に顔を向ける。
見ればヒビキを先頭に、上階へ向かった者も含めて皆こちらに駆け寄っていた。

ヒビキ「こんなところに居たのか……心配したんだぞ!
   できるだけ離れないようにって言ったじゃないか!」

イオリ「あ……そ、そうね、ごめんなさい」

ヒビキの言葉で、半ば我を忘れてここまで駆けていた自分に気付き、
イオリは戸惑いながらも謝罪の言葉を口にする。
そんなやり取りをするうちに、六人全員がその場に揃った。
それを確認し、イオリは表情を改めてマコトたちに目を向ける。

イオリ「それで、上の方は……?」

マコト「ダメだったよ。どこにも、誰も居なかった。
   それで地下の方を手伝おうと思って、下りたところで、
   『イオリが居ない』ってヒビキに言われて……」
266 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 22:54:10.75 ID:ao5/QTwco
イオリ「……そう。悪かったわね、心配かけちゃったみたいで」

ユキホ「で、でも、なんでいきなりこんな、一番奥に……?
    この部屋に何かあるの……?」

ユキホの疑問に返答する代わりに、イオリは開け放たれた扉の奥に目をやる。
その視線を追うように、他の皆も部屋の中が見える位置まで移動した。
大仰な扉の向こうにあったのは、

ヒビキ「……? なんだ、この部屋……」

マコト「何も、無い……?」

マコトの言う通り、その部屋には文字通り何もなかった。
壁には廊下と同じように燭台がありそこで蝋燭が火を灯していたが、
ただ広い空間があるだけで、
他の部屋にあったような書架も、机も、一切何も置かれていなかった。
中に入ってぐるりと見回しても、どこにも何も見当たらない。
ただ……そんな中で存在感を放つものが一つだけ。
入り口から見て正面にもう一つ、奥へ続くであろう扉があった。
267 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 22:55:34.21 ID:ao5/QTwco
既に少女らの視線は、その扉に釘付けになっている。
今いる部屋にまったく何も無いことが、
まだ見えぬ扉の奥へと皆の意識を強く向けさせていた。
ただそんな中、ただ一人チハヤの目線だけが皆とは別の方を向いていた。

チハヤ「……その鍵、この部屋の鍵だったのね」

一瞬遅れ、イオリはそれが自分にかけられた言葉だと気付く。
他の者もチハヤの言葉に促されるように、イオリの手元へと目を向けた。

マコト「本当だ……イオリ、それ持ってきてたんだ」

ヒビキ「もしかしてそれがここの鍵だって、知ってたのか?」

皆の言葉を受け、イオリの脳裏で少し前の出来事が回想される。
謎の二人の少女と、彼女らの言葉。

イオリ「……実はさっき」

とイオリが口を開いたその瞬間――
部屋に灯った蝋燭の火が、何の前触れもなく、一斉に消えた。
268 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 22:58:57.69 ID:ao5/QTwco
ユキホ「ひっ!? な、何!? なんですかぁ!?」

ヒビキ「なんでいきなり……!? ど、どうなってるんだ!?」

アズサ「っ……みんな、落ち着いてじっとして! 慌てて動くと怪我をしちゃうわ!」

だがアズサに言われるまでもなく、全員その場を動くことができなかった。
この部屋だけではない。
廊下の明かりもすべて消えた今、全くの暗闇が周囲を覆っていた。
一体何が起きたのか、なぜ急に火が消えたのか。
多くの疑問が慌ただしく脳内を駆け巡る。
だがそんな、混乱しかけた彼女たちの意識は次の瞬間、
たった一つの感覚に支配された。

  「――っ!?」

全身の産毛が逆立つ感覚。
同時に、暗闇の中わずかでも明かりを探そうと忙しなく動き回っていた少女たちの目が、
全く同時に、一方向に固定された。
269 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 22:59:40.87 ID:ao5/QTwco
それはあの、扉の方向。
とは言え暗闇の中、誰にも扉など見えていない。
しかしそれでも彼女たちは、扉の向こうの何かに、目を向けていた。

何か、居る。
分からない。
分からないが、確実に居る。
得体の知れない何かが、あの扉の向こうに、居る……。

真っ先に動いたのはマコトだった。
暗闇に突如、眩い光が発生する。
それは、マコトが手に掴んだ装置を発動させた光だった。
光が全身を包み、圧縮され、一瞬後にはマコトは特殊な装いに身を包んでいた。
これが装置の機能の一つ。
能力の使用に服装が最適化されたのである。

これはつまり、『そうしなければならない』とマコトが判断したということ。
自身の能力を最大限に発揮しなければならない状況が今であるのだと、
その直感にマコトは従った。
数秒の間をあけ、他の者もマコトに倣うように次々と装置を起動する。
そして、まるで全員の態勢が整うのを待っていたかのように、
状況はまたも一変した。
270 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 23:03:55.55 ID:ao5/QTwco
イオリ「なっ……!?」

部屋が、赤く染まった。
消えた火が炎となり、部屋を満たしていた暗闇は一転、
目がくらむほどの明るさと身を焦がすほどの熱と変わって少女らを襲ったのだ。

ヒビキ「に……逃げろ! みんな!!」

熱の中、そう叫んだのはヒビキだった。
その声に突き動かされるように皆一斉に部屋の出口へ向かって走り出す。
だが彼女たちは全員、炎から逃げているのではなかった。
炎はきっかけに過ぎない。
今にもあの扉の向こうから姿を現すかも知れない『何か』が、
皆の身体を退避へと向かわせたのだ。

だからイオリは部屋を出たのち、すぐにはその場から離れなかった。
炎の熱から逃れることより優先すべきことがある。
部屋を振り返り、開け放たれた扉に手をかける。
そして力いっぱい扉を閉め、自らが外した鍵をかけなおした。

アズサ「イオリちゃん、早く……!」

イオリ「もう閉めたわ! 行きましょう!!」
271 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 23:05:49.32 ID:ao5/QTwco
長い廊下を六人の少女は駆け抜ける。
ずらりと並んだ燭台の蝋燭はあの部屋と同じように激しく燃え上がり、
もはや火柱となって天井や壁を焦がしていた。
当然そこを走る少女たちにも強烈な熱が襲いかかる。
本来呼吸すらままならない中を止まることなく走ることができるのは、
他でもない、装置によって纏った特殊衣装の効果であった。

その気になれば一晩中でもこの空間に居続けることもできるだろう。
だがそれでも少女たちは皆一様に必死な顔で走り続ける。
そうするうちに、ようやく地上への階段へとたどり着いた。

しかしそれと同時……轟音が、耳に届いた。
反射的に目を向けた一同は、息を呑んで目を見開く。
見れば廊下の奥から、炎が渦を巻いて爆炎となり、こちらへと迫っていた。
あれに飲み込まれれば、流石に無事で済むとは断言できない。

アズサ「急いで! 早く!!」

恐らく初めて聞く、怒鳴り声にも近いアズサの叫び。
その声が一瞬硬直した皆の身体を動かし、階段を駆け上がらせた。
272 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 23:15:50.95 ID:ao5/QTwco
一階へと上がった六人は、止まることなく出口へと向かう。
なんとか外へ。
とにかく外へ出さえすれば、僅かでも落ち着く時間を作れるはず。
そう思いただ出口だけを見据えて走った……はずだった。

イオリ「……!?」

ほとんど吐息のような声を上げ、突然イオリが立ち止まる。
迫る炎を確認しようと一瞬振り返った先、
そこに見た人影が、イオリの足を止めた。

ヤヨイ「……」

出口とは反対方向に、ヤヨイが居た。
歩きもせず、走りもせず、ただその場に立っている。
だがイオリはヤヨイが何をしているのかなど、一瞬たりとも考えなかった。

ヒビキ「イ、イオリ!?」

一人踵を返してヤヨイに向かって駆け出したイオリを、
ヒビキも足を止めて追おうとする。
だがその手をマコトが掴んで引き止めた。
273 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 23:17:12.26 ID:ao5/QTwco
マコト「駄目だ、ヒビキ! 危ないよ!!」

ヒビキ「で、でもイオリが! それにヤヨイも……!」

マコト「イオリなら絶対に大丈夫! 任せよう!
   それより早く外へ出ないと、ボクたちまで全員巻き添えだ!」

ヒビキ「っ……」

マコトの必死な形相を見て、
ヒビキは歯噛みしてイオリたちに背を向けて走った。
そして出口から転がるように外へ飛び出たのとほとんど同時、
ヒビキたちは、廊下が一部赤く染まったのを見た。

炎が吹き出てくる――
大半の者が咄嗟にそう思い、身構える。
だがその予測を外し、炎は地下通路から一気に階段を駆け上がった。
そして最上階に達したかと思えば次の瞬間、
ガラス窓を吹き飛ばす爆煙となって外へ飛び出した。
274 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 23:21:12.76 ID:ao5/QTwco
どうやら、炎からは逃げ切れたらしい。
だがその場の全員は誰一人、一瞬たりとも気を緩めることはなかった。
寧ろ警戒心を最大限に引き上げていた。

ヒビキ「みんな、気を付けて……!」

唸るように言ったヒビキの手から、光が生じる。
その光は瞬時に形を成し、
大型犬の数倍はあろうかという巨大な狼へと姿を変えた。
その巨大さや鋭い目つき、剥き出しの牙からは、
ヒビキが臨戦態勢に入っていることがはっきりと伺える。

狼はヒビキを背に乗せ、旧校舎入り口を睨んで唸り声を上げる。
また他の者も同様、こわばった表情で扉を凝視し続けた。

恐らく、来るはずだ。
あの部屋の奥に居た何かが、そう長い時を待たず、姿を現すに違いない。
いつ来る?
一体いつ――
275 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 23:22:22.51 ID:ao5/QTwco



イオリ「――ヤヨイ、こっち!!」

皆に背を向け一人逆方向へ走ったイオリは、すぐにヤヨイの元へと着いた。
そして走る勢いを落とすことなく、
ヤヨイの手を掴んでそのまま廊下を突き進む。
前方には出口はなく、ただ石造りの壁があるのみ。

だがイオリは臆することなく走り続け、空いている手を前へかざした。
瞬間、激しく電光が走り前方の壁へと刺さる。
すると壁が音とともに粉塵を上げ、
一瞬前までそこにあった分厚い石の壁には
大人一人が余裕をもって通れるほどの穴がぽっかりと穴を開けていた。

そしてイオリは見事、ヤヨイを引き連れて屋外への脱出に成功した。
その直後に階段の辺りが赤く光ったのが見え、轟音が上階の方から届く。
どうやら炎は一階を通過し階段を上ったらしい。
慌てて外へ出る必要はなかったようだが、
それなりに間一髪だったことには間違いない。

と、安堵しかけたイオリだったがすぐにそんな場合ではないことを思い出す。

イオリ「そうだわ、ヤヨイ……!
    あなたに言わなきゃいけないことと聞きたいことが山ほど――」

だがそう言ってヤヨイに向けられたイオリの顔は次の瞬間、苦痛に歪んだ。
276 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 23:23:12.42 ID:ao5/QTwco
イオリ「痛ッ……!? ヤ、ヤヨイ!?」

イオリは、ヤヨイの手を取ってここまで引いてきた。
だがその手が今、強烈な圧迫感とそれに伴う痛みに悲鳴を上げている。
原因は他でもない、
ヤヨイが万力のような力で、イオリの手をギリギリと締め上げているのだ。
しかもその力は徐々に増している。
このままでは、自分の手が握りつぶされてしまう。

イオリ「離して……! 離しなさい!!」

痛みに耐えかね、イオリはもう片方の手で強引にヤヨイの手を引き剥がした。
そして痛む手を庇うように胸元に抱え込み、数歩後ずさってヤヨイを見る。
ヤヨイは俯いていてその表情は見えない。
と思ったのも束の間、ゆっくりと、ヤヨイの顔が上がる。
そして数秒後、イオリの目は驚愕に見開かれた。

ヤヨイ「ウ……ウウウ……!」

つり上がった目、歪んだ口元、そこから漏れ出る、唸り声。
自分の知るヤヨイとは似ても似つかない、まるで狂った獣のような……。
イオリが思わずそう感じてしまうほどに豹変した、
しかし紛れもなく本人であるヤヨイ自身が、そこに居た。
277 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 23:23:56.98 ID:ao5/QTwco
イオリ「ヤ……ヤヨイ? ど、どうしたの……?」

恐る恐る、手を差し出しながらイオリは声をかける。
だがそんな彼女に――
ヤヨイは突然、拳を振りかぶった。

イオリ「ッ!?」

イオリは咄嗟に後ろに跳んで距離をとる。
一瞬前までイオリが居た場所にヤヨイの拳は振り下ろされ、
耳をつんざくような破壊音と共に地面に穴があいたのはその直後。
ヤヨイは自らの能力を、イオリに向けて全力で放ったのだ。

イオリ「ヤヨイ、なんで……!?」

数メートル離れた場所に着地したイオリは、未だに混乱と困惑から抜け出せない。
そのイオリに対してヤヨイは、

ヤヨイ「ウゥゥ……アアアァアッ!!」

尋常ならざる叫びをあげて、再び襲いかかった。
278 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 23:24:31.51 ID:ao5/QTwco
今日はこのくらいにしておきます。
続きはいつになるか分かりませんが、多分一週間以内には投下すると思います。
279 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/28(月) 10:20:09.15 ID:12dmK6oko
おつ
280 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 20:47:55.39 ID:28nhHztDo



ヒビキ、マコト、ユキホ、アズサ、チハヤ――
彼女らはイオリとヤヨイに起きている異変など知る由もない。
五人は今や旧校舎の入口に釘付けであった。
厳密には、その奥からの気配を感じ取ろうとすべての意識を集中していた。

あの爆発の後、旧校舎には静寂が戻っている。
そのせいで自分の心臓の音がうるさいほどに聞こえる。
いや、その静寂こそが鼓動を早めているのだ。
今にもあそこから、『何か』が姿を現すかも知れない。

だが……そんな彼女たちの警戒心とは裏腹に、
少し前まで鮮烈に感じていた得体の知れない気配は
どういうわけか今は不気味なほどに静まり返っていた。

マコト「……ヒビキ、今は何か感じる?」

ヒビキ「な……何も。みんなは……?」
281 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 20:52:51.90 ID:28nhHztDo
アズサ「私は、何も感じないわ……。
    少し前までは、信じられないくらい強い気配があったけれど……」

アズサに次いで、チハヤとユキホも首を横に振る。
ということはやはり自分の感覚が鈍ったわけではない、と各々再確認した。
理由は分からないが、今はあの気配自体が身を潜めているのだ。

あれは自分の勘違いだった……などということは、絶対にありえない。
勘違いであんなものを感じ取るはずなどあるわけがない。
とてつもない『何か』が、あの部屋の奥に居たのだ。
そのことには間違いない。

ユキホ「も、もしかして、イオリちゃんが鍵を閉めたから、
    そのまま出てこられなくなったんじゃ……」

ユキホが口にした可能性は、全員頭の片隅で考えていた。
鎖で縛られていた鍵、その鍵で開く厳重な錠……。
そういった要素から、あの部屋は何かを閉じ込めておくための、
封じておくための部屋であったのだと、五人全員が推察していた。
282 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 20:54:17.78 ID:28nhHztDo
そして一度は開かれた鍵が再びかけられたことで、
その『何か』は再びあの部屋へ閉じ込められたのでは……。
と、少女たちの思考はそう共通していた。

ヒビキ「……ちょっと、様子を見てみるよ」

マコト「えっ……!? でもヒビキ、流石にそれは危ないんじゃ……」

ヒビキ「大丈夫、私が行くわけじゃないから」

そう言ったのと同時、ヒビキは一匹のネズミのような小動物を創生し、
手のひらに乗ったネズミに向けて言った。

ヒビキ「ちょっと危ないかも知れないけど、頼んだぞ」

ネズミはヒビキの言葉を受けて、すぐに彼女の手から飛び降りた。
そして素早く旧校舎へ向かって走り出し、扉の隙間から中へ潜り込んでいった。

ヒビキ「あの部屋の様子だけ見たらすぐ戻ってくると思うから、
    みんなもうちょっと待ってて」
283 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 20:55:24.61 ID:28nhHztDo
こうして五人は、ヒビキの動物が帰ってくるのを待った。
能力を使うのに集中しているであろうヒビキは、
じっと旧校舎入り口を見つめ続けている。
そんなヒビキの後ろで、ふとマコトが口を開いた。

マコト「それにしても……本当にあれ、なんだったのかな……。
   姿も見えないのに気配を感じるなんて、あんなの初めてだよ」

ユキホ「マコトちゃん、言ってたよね……。
    旧校舎で見つけたあの鍵……『眠り姫』の部屋の鍵じゃないか、って……」

アズサ「それじゃあ、まさかあの気配が……?」

三人の会話を聞きながらチハヤも、鍵と一緒に縛られていた本の内容を思い起こしていた。
特にあの最後の一節。
『それは、開けてはいけない秘密の扉』……

チハヤ「……『起こすと怖い――眠り姫』」

誰へともなく、ほとんど無意識にチハヤがそう呟いた、
その直後だった。
284 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 20:56:46.98 ID:28nhHztDo
ヒビキ「っ!?」

ヒビキがびくりと身体を跳ねさせたことに皆気づく。
何かあったのか、マコトがそう尋ねる前に、ヒビキは震える唇を開いた。

ヒビキ「……消された……」

マコト「え……?」

ヒビキ「あの部屋に行く前に、あの子が消された……! 扉は開いてたんだ!!」

瞬間、周囲の空気が一変するのをその場の全員が感じた。
同時にヒビキは振り返り、

ヒビキ「みんな上へ逃げろ!!」

その叫びに轟音が重なる。
次いで爆炎が、一階のあらゆる扉、あらゆる窓から吹き出す。

マコト「なッ……!? なんだよこれ!? 何が……!!」

爆炎の勢いに目を細めながら、間一髪、全員上へ飛んで回避することには成功した。
だがその表情は安堵とは真逆。

ヒビキ「鍵は破られてた……! 駄目だ! 外に出てくるよ!!」
285 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 20:57:31.81 ID:28nhHztDo
吹き出た炎が周囲の木々を焼き、灰色の空を赤く焦がす。
五人の少女は眼下に広がる炎の海を睨むように注視し続ける。

そして――見えた。
炎の中に動く影。
目を凝らして見れば、それは、

ヒビキ「お……女の子……?」

一人の少女が、歩み出てきた。
燃え盛る炎に生える、鮮やかな金色の長髪。
片手には身の丈ほどもある長い棒状の何か。
年齢は恐らく自分たちとそう変わらない少女が、立っていた。
と、少女はおもむろに顔を上げる。
頭上の五人を見上げ、一人一人、確かめるように、ゆっくりと視線を動かす。
そして、口を開いた。

  「……お前たちが、私を起こしたの?」

その言葉を聞き……いや、聞く前から、皆確信していた。
眼下に立つ少女から、あの鮮烈な気配が漂ってくる。
扉の向こうに居たのは、この子。
そして今の言葉。
間違いない、彼女こそが……。
286 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 20:58:48.38 ID:28nhHztDo
リツコ「『眠り姫』。あなた方の想像している通りです」

一同「っ!?」

背後から突然聞こえた声に全員振り向く。
そこには、薄い笑みを浮かべたリツコが居た。

マコト「な……何か知ってるんですか、ティーチャーリツコ!」

アズサ「あの子は一体……眠り姫とは、何なのですか……!」

困惑の色を浮かべ、少女たちはリツコに向けて口々に疑問を投げる。
対してリツコは顔に笑顔を貼り付けたまま、穏やかに答えた。

リツコ「彼女、眠り姫は、かつてのアイドルの成れの果て。
   今から百年前……チハヤさん、あなたと同様アイドルに選ばれたのが彼女です。
   しかし彼女は力を暴走させ、封印されてしまいました……。
   それが、眠り姫」

言いながら、リツコはゆっくりと視線を地上へと向ける。
少女たちもその視線を追い、地上へ――眠り姫へと、目を向けた。
287 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 21:00:09.28 ID:28nhHztDo
そして思った。

『チハヤと同様アイドルに選ばれた』……?

一体これのどこが、『同様』だと言うのだ。
纏う雰囲気が物語っている。
この眠り姫と呼ばれる少女はチハヤを含めた自分たちと比べ……
何もかも、桁が違う。

リツコ「さあ、眠り姫よ。そろそろ思い出したのではないのですか? あなたの望みを」

眠り姫「……私の、望み」

そう呟いた眠り姫は、目を閉じて顔をゆっくりと下げる。
それから続いた沈黙は、
チハヤたちにとってはとても重く、長いものに感じた。
だが数秒後、

眠り姫「うん、そうだね。思い出したよ」

眠り姫の、笑顔――
牙を剥くように口角を上げたその表情とともに、沈黙の時は終わりを告げた。
288 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 21:02:10.86 ID:28nhHztDo
眠り姫「私の望みは、この世界を壊しちゃうこと。
    全部ぜんぶ消して、グチャグチャにしちゃうこと」

その表情に、返答に、少女たちは息を呑む。
だがそんな彼女らの困惑した頭に更に追い打ちをかけるように、
背後から高揚したリツコの声がかかった。

リツコ「さあ、我が愛しき教え子たちよ……! これが最終テストです!
   眠り姫と戦い、生き残ってみせなさい! あなたたちの全力を以て!」

ヒビキ「なっ……!? ティーチャーリツコ!?」

リツコ「破滅か、生存か、あなたたちの手で未来を決するのです!
   ふふ、あははははははは……!」

マコト「ま、待って下さいティーチャーリツコ! 待って……!」

高笑いを残し、リツコはその場から飛び去っていく。
だが、マコトが闇へと消えゆくリツコの影を追おうとしたその時。

眠り姫「ねえ」

短く発せられたその声が、マコトを含む全員を振り返らせた。
289 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 21:03:04.38 ID:28nhHztDo
眠り姫「お前たちも私の敵なんだよね。
    だったらもう消しちゃうけど、いいよね?」

ヒビキ「ま……待ってよ! 私たち、何も知らないんだ!」

マコト「そうだよ! 君のことも、何が起きてるのかも、全然……!」

アズサ「まずは話し合いましょう……! いきなり戦うだなんて、そんな……」

眠り姫の問いかけに、必死に説得を試みるヒビキたち。
しかし眠り姫は返事の代わりに、片手をすっと上げ、そして、

眠り姫「だ、れ、に、し、よ、う、か、な……」

空に浮く五人の少女を順番に、一人ずつ指差していく。
その意味が分かった瞬間、少女たちは全身の毛穴が開くような感覚を覚えた。
それから数秒を待たずして、眠り姫の指は止まる。
その先に居たのは、ユキホだった。

眠り姫「まずはお前からだね」
290 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 21:04:15.38 ID:28nhHztDo
ユキホ「っ……!!」

眠り姫の持った長棒の先端に光が揺らめく。
一瞬後、光は弧を描く刃を形取った。
それは巨大鎌。
殺傷の意思を具現化したようなその得物に、全員の体が一瞬硬直した。
そして本能が告げた。
話し合いが通じる相手ではない、と。

マコト「ユキホ! やるんだ、早く!! 攻撃を!!」

ユキホ「は、はいっ!」

マコトの指示を聞いたのと同時にユキホは反応した。
能力補助装置を両手で構え、全集中力を込めて頭上に掲げて、

ユキホ「お願い……! 当たって!!」

ユキホの周囲に発生した数え切れぬほどの光の塊が、
眠り姫に向けて一斉に射出される。
291 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 21:05:23.23 ID:28nhHztDo
だがその光は、眠り姫に当たることはなかった。
一歩目を踏み出した眠り姫は、
常軌を逸した速度と機動で大量の光の僅かな隙間を縫うようにして全て躱す。
そしてユキホが光を撃ち尽くしたのと同時、
地面を蹴って上空へ飛び上がり、鎌を振りかぶりながら一気にユキホに肉薄した。

ユキホ「ッ!? 速いっ……!」

そのあまりの速度に、ユキホはただ驚きの声を上げるしかできない。
だがあわやその華奢な体が鎌に切り裂かれようかとした直前。

アズサ「ユキホちゃん!!」

アズサがユキホの背後に現れ、そしてユキホを連れてその場から消えた。
鎌は空を切り、眠り姫の初撃は失敗に終わった。
だが眠り姫は口角を下げることなく、
移動した先のアズサとユキホに目をやった。

眠り姫「へー、面白い能力持ってるんだね。これなら結構遊べそうなの」
292 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 21:07:27.34 ID:28nhHztDo
マコト「っ……ヒビキ!」

ヒビキ「わかってる!」

名を呼んだのを合図に、マコトは先行して眠り姫へと向かって飛翔する。
それに気付き、眠り姫は髪を振りマコトに顔を向けた。

マコト「はあああああッ!!」

全力の掛け声とともにマコトは光剣を生み出し、眠り姫に斬りかかる。
目にも止まらぬほどの速度の突進は、
並みの人間が相手なら反応することすら難しいものだった。
しかし相手は眠り姫。
マコトの突進も、その後の剣撃も、
舞いでも舞っているかのように易々と躱し、受け、弾き返す。

直後、背後から巨大な狼――ヒビキの創生獣が襲いかかる。
だが眼前に迫る牙にも微塵も臆することなく躱し、
次いで飛びかかったうねる鞭のごとき白蛇も、羽虫を払うかのように斬って捨てた。
そしてそのままの勢いに、一箇所に固まったマコトとヒビキに向け、
今度はこちらの番とばかりに猛然と飛んだ。
293 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 21:08:58.14 ID:28nhHztDo
マコト・ヒビキ「ッく……!」

巨大鎌を振りかぶり、二人を同時に両断せんばかりの斬撃を見舞う。
それをマコトたちは辛うじて躱した……が、
眠り姫はどういうわけか二人を追撃することなく、
その場を素通りするかのように直進していった。
想定外の行動に意表を突かれたマコトとヒビキであったが、
眠り姫の向かう先に目を向けた瞬間、すぐにその意図が分かった。

マコト「チハヤ!!」

チハヤ「……!」

眠り姫は、一人離れていたチハヤにターゲットを変更したのだ。
何か理由があってのことか、戦術か、あるいは気まぐれか、
そんなことを考えている暇もなく、
ほぼ不意打ちに近い眠り姫の一撃は、チハヤの体を地面まで吹き飛ばした。
294 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 21:10:49.52 ID:28nhHztDo
チハヤがやられた――
声を上げる間もなく吹き飛ばされたチハヤを見て、
その場に居た誰もが一瞬、そんな絶望にも近い思いを抱いた。
だがチハヤが吹き飛んだ先、衝撃に巻き上がった砂煙の辺りを見ながら、
眠り姫は口を尖らせて言った。

眠り姫「ふーん、あれ防いじゃうんだ。思ったよりはすごいってカンジ」

その言葉の直後、薄れた砂塵の向こうから淡く青い光が漏れるのが見え、
そこには眠り姫の言葉通り、青壁を構えたチハヤの姿があった。
と、ここで眠り姫は不意に何かに気づいたように表情を変え、

眠り姫「ん? そう言えばさっき、『チハヤ』って呼ばれてた?
   じゃあお前が今回、アイドルに選ばれた子なんだ」

チハヤは眠り姫の問いに対し何も答えることなくただ睨むように見上げる。
そして眠り姫はその沈黙を肯定と理解した。

眠り姫「そっか……でも、全然たいしたことないね。
   本当のアイドルっていうのは――」

そこで言葉を切り、眠り姫はチハヤを見下ろしたまま、
無造作に巨大鎌を肩に担ぐように掲げる。
するとその瞬間、背後から斬りかかったマコトの光剣が、鎌の刃にぶつかった。

マコト「っ……!」

眠り姫「――こんなふうに、圧倒的な力を持つ能力者のことを言うんだよ」
295 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/31(木) 21:11:17.58 ID:28nhHztDo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分一週間以内には投下します。
296 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/08(金) 21:53:56.20 ID:Ri19h1puo
ぶつかった両者の刃は未だがっちりと噛み合い、押し合いを続けている。
だがその持ち手の表情はまるで対照的であった。
両手で剣の柄を持ち歯を食いしばるマコトに対し、片手で鎌の柄を支える眠り姫。
そして眠り姫は、涼しげな表情で首を傾けて背後を振り返った。

眠り姫「後ろからいきなり斬りかかるなんて、ずるいって思うな。
   まあそのくらいしないと私には勝てないだろうけど」

その瞬間、視界の端にふっと影が差す。
それはヒビキの創生獣の影。
だが眠り姫はそちらを見ようとすることもなく、鎌の柄を両手で掴む。
そしてマコトの光剣とヒビキの創生獣を一気になぎ払い、
二人の能力は両断され、光の粒となって霧散した。

マコト「っあ……!?」

ヒビキ「そ、そんな……!」

眠り姫「あ、ごめん言い直すね。
    『そのくらいしたって私には勝てない』の方が正しかったよ」

そう言って眠り姫は、丸腰の二人に向けて刃を振りかぶった。
297 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/08(金) 21:54:24.03 ID:Ri19h1puo
だがその刃は、マコトたちの体を切り裂くことはなかった。

眠り姫「!」

一瞬前までマコトたちが居たはずの空をただ通過した鎌を、
眠り姫はおもむろに膝下まで下ろす。
そして、視線を横にずらした。

眠り姫「……その能力、結構めんどくさいって感じ」

視線の先に居たのは遥か遠く……
マコトとヒビキの腰元からゆっくりと手を離すアズサの姿。

ヒビキ「ア、アズサさん!」

マコト「ありがとうございます……!」

アズサ「……いいの、お礼なんて」

言いながら、アズサは強ばった表情で眠り姫から視線を外さない。
そんなアズサに向け、眠り姫は気だるそうにため息をついて言った。
298 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/08(金) 21:54:49.51 ID:Ri19h1puo
眠り姫「そういうの何回もされたらイライラしそう……。
   私の邪魔、しないで欲しいな」

その言葉を聞き、アズサは自身の体に一気に緊張が走るのを感じた。
だがすぐに気合を入れ直すようにきゅっと唇を引き結び、その場から姿を消した。

アズサ「だったら、しばらく私の相手をしてもらえるかしら」

背後から聞こえた声に、眠り姫は静かに振り向く。

アズサ「放っておくと、何度だって邪魔をしちゃうわよ?」

アズサは強ばりながらも不敵な笑みをたたえる。
挑発的な言葉ではあったが、アズサの狙いはその場の全員に理解できた。

ヒビキ「ま、まさかアズサさん、私たちを守るために一人で……!」

ユキホ「ア、アズサさん! 駄目です、危ないです!」

マコト「みんなで一緒に戦いましょう! アズサさん! 一人じゃ無茶ですよ!」
299 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/08(金) 21:55:19.63 ID:Ri19h1puo
眠り姫「あの子たちの言う通りだって思うな。
   ちょっとだけめんどくさい能力だけど、そんなんじゃ私に勝てるわけないよ。
   それとも時間稼ぎでもするつもり?」

アズサ「……さあ、どうかしら。勝てないかどうかはやってみないとわからないものよ?」

眠り姫「……」

あくまで挑発的な態度を崩さないアズサに対し、
ここで眠り姫は初めて、微かに眉を動かす。

眠り姫「なんか……ヤ。そういうの、私キライ」

不機嫌そうに言い、鎌を構える眠り姫。
恐らく数秒後にはアズサに向けて襲いかかるだろう。
アズサの能力は確かに回避に優れてはいるが、本人の反応速度には限界がある。
もし反応しきれないような速度で急襲された場合、
アズサは為すすべもなく、あの巨大な刃に切り裂かれてしまう。

チハヤ「っ……」

気圧され、しばらく声を発することもできなかったチハヤではあるが、
ここでようやくアズサに声をかけようと口を開いた。
だが、

チハヤ「アズサさ――」

その声はアズサに届くことはなかった。
300 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/08(金) 21:55:54.46 ID:Ri19h1puo
リツコ「……いけませんわ、眠り姫の邪魔をしては」

アズサ「!? ティーチャーリツコ……!?」

何の前触れもなく、気配もなく、アズサの背後に現れたリツコ……
そのリツコに今、アズサは羽交い締めにされていた。

リツコ「ここは大人しくしていただけませんこと?
   貴女には他に、やってもらうことがあるのですから」

アズサ「っ、く……!」

振りほどこうとしても、身動きが取れない。
それを見て、当然他の者たちはアズサの救出に向かおうとした。
しかしその足を、リツコの冷えた声色が止めた。

リツコ「さあ、眠り姫。この者は私に任せて、貴女は貴女の望みを叶えてください」

眠り姫「……ふーん。よく分からないけど、じゃあよろしくね」

そうして眠り姫は振り返る。
その視線に射すくめられたかのように、マコトたちは体を硬直させた。
そんな彼女たちを見、眠り姫は再び牙を剥くように口角を上げる。

眠り姫「じゃ、行くよ。頑張ってね。ちょっとは頑張ってくれないと、壊しがいがないから」
301 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/08(金) 21:57:48.23 ID:Ri19h1puo
そうして、眠り姫と、マコト、ヒビキ、ユキホ、チハヤの四人との戦いが再開された。
いや、戦いと呼べるのかどうかも怪しいかも知れない。
更に速度と力の上がった眠り姫の一方的な攻撃に、
四人はただただ致命傷を避けることしかできない……。
そしてアズサはそんな仲間の姿を、
苦痛を堪えるような顔で見ることしかできなかった。

アズサ「っ……ティーチャーリツコ、なんで……!」

なぜ、どうして。
それはリツコの全てに対する疑問。
ヤヨイへの人体実験に加え、眠り姫を扇動し、自分たちを危険に晒す、
その理由がアズサには全くわからなかった。
これまで自分たちが見てきたリツコからは、まるで考えられないその言動。
厳しくも優しい、慈愛に満ちたあの表情が幻であったのだと思えるほどに、
今のリツコは、まったくの別人のようだと、アズサはそう感じた。

だがそれから間もなくアズサは悟る。
このリツコはまさしく、別人であったのだと。

リツコ「ふふふ……お久しぶりですわ――」

アズサが言葉の意味を理解するより先に、リツコはすっと右手を自身の顔にかざす。
仮面を取るかのようなその仕草の直後に現れたのは、
リツコではない……しかしアズサのよく知る顔であった。

タカネ「――お姉様」
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