安部菜々「星の海を越えて」

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1 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:08:09.23 ID:mjZ8j0KR0
地の文有りモバマスssです。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1499573288
2 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:09:03.52 ID:mjZ8j0KR0
 アイドルとは、どういう存在なのだろう。

 どういう存在であるべきなのだろう。


 その思考の道筋に轍ができてしまうほど、何度も何度も繰り返し考えてみたところで、納得のいく答えは浮かばない。
3 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:10:45.85 ID:mjZ8j0KR0
 いつものように、自分のデスクで昼食を摂っている時のことだった。

 綺麗に焼き上げることに成功した出汁巻き卵を齧ろうとした矢先に、誰かの気配を感じて、箸を止める。

 デスクに近付いてくる足音に目を向けると、優しく微笑む彼女がいた。


「お疲れさまです」

「お疲れさま。レッスン終わったの?」

「はい、ついさっき。お茶、淹れましょうか?」

 わたしのお弁当箱を覗きこみながら、彼女がそう提案してくれる。

「ありがとう。お願いしていい?」

「わかりました!」

 そう言って給湯室に向かう彼女の後ろ姿を、なんとはなしに目で追う。


 細かいことにもよく気のつく彼女は、だけれど、れっきとしたアイドルなのだ。
4 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:11:39.97 ID:mjZ8j0KR0
 お盆に湯呑みを二つ乗せて、すぐに彼女は戻ってきた。

 ウェイトレスのように片手でお盆を支えて、自分で開けた事務所の扉を後手に閉める。

 器用なことをするなあ、と思いながら、その垢抜けた動作を眺める。


「ありがとう、菜々ちゃん」

 わたしの分の湯呑みを受け取って、お礼を言う。

「いえいえ!」

 彼女は手近にあった椅子をわたしのすぐ隣りに持ってきて、そこに座った。

「今日のお弁当の出来はどうですか?」

「いつもと変わんないよ」

 そう言って笑う。
5 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:12:57.96 ID:mjZ8j0KR0
「一つ食べてみる?」

「え、いいんですか?」

 わたしは一番の自信作である出汁巻き卵を箸で掴んで、手を添えて彼女の口元に持っていく。

 まるで可愛らしい雛のようだと、口を開けて待つ彼女を見て内心に呟いた。


 彼女がそれを味わい、飲み込んでしまうまで、わたしはじっと待った。

 今日の出来はどうだろうか。自信がないわけではなかったけれど、それでも少し緊張してしまう。


「これ、すっごく美味しいですね」

 ふっと息を吐いて、花のような笑みを浮かべて、彼女がそう言ってくれる。
6 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:13:37.90 ID:mjZ8j0KR0
「本当に? 良かった」

「ナナはもう少し甘めの味付けで作ってるんですけど、こういう味も良いですね」

「ああ。うちのお母さんはあんまり甘くしない人だったからかな」

「焼き加減も丁度良くって、ああ、本当に美味しいですね……」

 すぐ隣りでふわふわと微笑む姿がなんとも可愛らしくて、こちらの頬まで緩んでしまう。


 彼女の視線がちらちらと、わたしのお弁当箱に向けては、逸らされる。
7 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:14:56.29 ID:mjZ8j0KR0
「もう一つ、あげる」


 そう言うと、大袈裟に首を振って遠慮された。

「ナ、ナナがこれ以上食べてしまうとPさんの分が……!」

「ほら、ここのところずっとレッスンが忙しいから、そのご褒美だと思って」

 言いながら、ふっくらと焼けた出汁巻き卵をもう一つ、彼女の目の前に持っていく。


 やがて観念した彼女は、恥ずかしそうにしながらもそれを食べてくれた。
8 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:16:23.25 ID:mjZ8j0KR0
 安部菜々。

 今を時めくアイドル。

 小さな身体に愛らしいプロポーション、魅力的な人格を以て活躍するその姿を見ていると、アイドルになるべくしてなった存在なのだと思ってしまう。


 彼女の担当として、彼女の一番近くにいてわかるのは、彼女が本当にアイドルを愛しているということだった。
9 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:17:14.75 ID:mjZ8j0KR0
 何度振り返っても、あれは運命的なオーディションだったと思う。

10 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:17:52.56 ID:mjZ8j0KR0
 はじめて彼女と顔を合わせた時、彼女は頭に大きなリボンをつけて、メイド服を着ていた。

 その出で立ちに驚きながら自己紹介をさせてみれば、なんとも楽しげな言葉が出ること出ること。

 彼女曰く、自分はウサミン星という星からやってきて、歌って踊れる声優アイドルを目指しているのだという。


 メイドの仕事をこなしながら夢を追ううちに、いつの間にやら時間が経っていたみたいで……と苦笑いをする彼女に、年齢を尋ねた。

 彼女の苦笑いが強張る。
11 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:18:42.16 ID:mjZ8j0KR0
 それから暫く目線が泳いだかと思えば、覚悟を決めたようにぱっと表情が華やぎ、

「……永遠の十七歳です!」

 彼女はそう言い切った。

 嘘だな、と思った。
12 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:20:43.97 ID:mjZ8j0KR0
 彼女には、不思議な魅力がある。

 それに引き込まれている感覚があった。


 好きに自己アピールをしていいと言うと、彼女は自分のアイドル観について語ってくれた。

 いつからアイドルに憧れるようになったか。どんなアイドルになりたいか。

 アイドルというものはどうあるべきで、自分はアイドルとしてなにを表現したいか。


 きちんと言葉を選びながら、思うように話してくれた。
13 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:21:11.97 ID:mjZ8j0KR0
 その格好には、その言動には、その設定には、たしかに無理はあったのかもしれない。
14 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:21:51.38 ID:mjZ8j0KR0
 いかにもなメイド姿にピンク色の大きなリボンは、派手やかさが過ぎて見えること。

 幾ら永遠の十七歳だと言い張られても、にわかには信じがたいこと。

 聞いたこともない星からアイドルをするために訪れたという設定の、なんとも陳腐であること。

 いわゆる電波系のアイドルだと、簡単に見切りをつけてしまう人もいるかもしれない。


 だけど、わたしは彼女のことをいたく気に入ってしまっていたのだ。

 きっと、彼女を一目見たその瞬間から。
15 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:22:51.62 ID:mjZ8j0KR0
 自分の好きなものに対して、ここまでひたむきになれる人がいるのかと、ひどく驚いた。

 ところどころ言動は突飛でも、こんなにもまっすぐに言葉を届けてくれるのかと、混乱さえした。


 世間の求めるアイドル像を必死にトレースすれば、それこそ誰だってある程度までは人気を得られる。

 芸能の世界にだってテンプレートはあるし、そこをきちんとおさえていればある程度のランクに上がるのは、なにも難しいことじゃない。

 でもそれではきっと、どこまで進んでもとびきりのアイドルになることはできなくて、誰かの模倣に終わってしまう。


 なんの輝きだって得られない。
16 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:23:32.77 ID:mjZ8j0KR0
 彼女は最初から、自分の描く理想のアイドルを目指してここまできたのだろう。


 このオーディションの舞台に立つ日まで、自分の努力を見向きもされなかったり、否定されたことだってあったかもしれない。

 それでも折れずにここまで来たということを、その思いの丈をぶつけられて、わたしは自分の心が強く揺さぶられるのを感じた。


 彼女のオーディションを担当したのがわたしでなければ、或いは彼女はこのプロダクションに所属できなかったかもしれない。

 わたしは運命の存在を信じる。


 いわゆるところ、「てぃん」ときたのだ。
17 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:24:10.01 ID:mjZ8j0KR0
「えっと、安部さん」

「は、はいっ」

「あなたの気持ちはよく伝わりました」


「これから先のアイドルとしての活動が、絶対にうまくいく保証はできません」

 彼女が真剣な面持ちで、わたしの言葉に耳を傾けているのがわかる。
18 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:25:00.02 ID:mjZ8j0KR0
「だけど、うまくいくように支えます」

「わたしを信じてください」


「あなたはきっと、誰よりも輝ける」


「これから一緒にトップを目指して、頑張りましょう」

 わたし達の物語はこうして始まった。
19 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:25:32.34 ID:mjZ8j0KR0
 そうしてわたしはそのアイドルの、この星で一人目のファンになる。
20 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:26:09.89 ID:mjZ8j0KR0
 個性は確立されている。

 そんな彼女が、本格的にアイドルとして活躍するために、暫くはレッスン漬けの日々があった。

 最前線で活躍するために、日夜アイドルは研鑽を積み続ける。


 少し体力が足りないことに目をつむれば、彼女のアイドルとしてのセンスはなかなか光るものがあった。

 レッスンで習ったことはきちんと身体が覚えるまで復習するし、レッスンだからといって気を抜いたことはなかった。

 彼女のアイドルに取り組む姿勢は、誰よりも真摯だと思う。


 想定していたよりも遥かに早いペースで、彼女は成長していった。
21 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:26:48.32 ID:mjZ8j0KR0
 メディアに姿を見せた瞬間から、彼女は瞬く間に世論から取り沙汰された。

 少しおかしな、とびきり素敵なアイドルとして。


 モデルとして雑誌に載れば、普段は表立って主張されない可愛らしさや色気が前面に出て、人気をさらった。

 バラエティに出演するようになれば、その濃いキャラクターがクリティカルにはまった。

 端役ではありながらも、声優としてアニメ作品に参加することもできた。


 少しスケジュールが過密気味ではあったものの、彼女は彼女らしく活躍できているようだった。
22 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:27:56.79 ID:mjZ8j0KR0
 二人三脚で、幾つもの季節を乗り越えてきた。

 それでも、いつもうまくいく筈なんてなくって、彼女の個性はしばしば受容されなかったこともあった。

 心なく拒絶されることだってあった。


 そんな時はわたしも彼女も落ち込んでしまうのだけど、いつも先に立ち直るのは彼女の方だった。

 そして、自分自身を鼓舞して、前を向いた。
23 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:28:48.53 ID:mjZ8j0KR0
 どうしてそんなに頑張るのか、尋ねたことがある。

 そんなに焦らなくたって、きちんとファンはあなたを待っていてくれているのに、と。


 すると彼女はどこか困ったように笑った。


「……わがままに聞こえるかもなんですけど、アイドルが楽しくて仕方がないんです」


「目に映るすべてが、きらきら光っていて、」

「世界が鮮やかに見えるようになったような気がして、」
24 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:30:24.36 ID:mjZ8j0KR0
「ナナは、今が人生で一番楽しいんです」

「毎日が充実していて、新しいことに出会えて、いつも夢に見ていた光景の中にいることが」


 純粋な感情だけが、そこにはあった。

 彼女の述懐を聞きながら、わたしは胸に抱いた気持ちを確信する。

 誰よりも彼女が、アイドルらしいアイドルであるということを。
25 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:31:44.22 ID:mjZ8j0KR0
 いつしかわたしは、彼女の虜になっていた。

 懸命にひかり輝く彼女のアイドルとしての軌跡に、どうしようもなく惹かれていた。

 彼女が成功を収める度に、まるで自分のことのように喜びを感じた。


 異星からやってきたアイドルは、いつしか数えきれないほどのファンに愛される人気者になっていた。
26 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:32:36.06 ID:mjZ8j0KR0
 ある朝のこと。

 全国のアイドルファンが盛大に沸き上がった。


 わがプロダクションが、全国ライブツアーの開催を告知したからだった。

 それは今までにない規模で行われる一大プロジェクトで、まさしくアイドルの祭典というに相応しくて、
27 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:33:02.73 ID:mjZ8j0KR0

 彼女はそんなツアーの最後を飾る、東京公演に出演することが決定した。
28 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/07/09(日) 13:33:37.55 ID:mjZ8j0KR0
 上層部から彼女の出演決定の通達を受けた時、思わずその場でへたりこんでしまうかと思った。


 それは間違いなく、全国的に彼女の人気が確立されていることを意味していたから。

 彼女の踏んだステップの一つ一つが、知らない間にこんなにも遥か高く積み上がっている。


 それから、しんみりと考えた。

 わたしが、心の奥底から彼女のファンだから、こんなにも嬉しく感じてしまうのだろうな、と。

 彼女に伝える時は、ちゃんと落ち着いて言えるようにならなければ、と思った。
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