【僕だけがいない街】「悟と過ごした時間があったから、あたしは幸せになれた」

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1 : ◆pYeaDGyi0Qrt :2017/06/04(日) 09:17:51.62 ID:GQ1RtyMX0
1989.05


あたしは今、とっても幸せだった。
一緒に話せる友達が出来た。
苦楽を共有する仲間が出来た。
母親の虐待に怯えることもない。
遅刻だってしない。

当たり前のことでも、それらは全て悟がくれたものだ。
私だけじゃ、どれも手に入れることは叶わなかった。
だから、彼は私にとってヒーローだった。
一生懸命で、真面目で、だけどたまに無鉄砲で。
私のずっと前を歩き続けて、私の手をずっと引き続けてくれた。
自分の事を顧みず、いつだって誰かの為に戦っていた。
周りと決して差はない筈の、小学生の小さな身体で、しかしその全てを背負って。
私を、絶望の底から救い上げてくれたんだ。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1496535471
2 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:30:06.69 ID:GQ1RtyMX0
あたしは一年と少し前、母親とその彼氏から虐待を受けていた。
毎週、水曜日に体を痛めつけられて、土曜日には顔を殴られた。
傷の絶えない私の顔や体は、マフラーや服でなんとか隠すことでようやく登校が許された。
時には、月曜日に遅刻や欠席をしてでも傷を隠した。
でもそれは、今思えば、隠蔽するにはとても拙い形になっていたと思う。小学生の私に思いつく限りでは、隠すにも限界があったから。

きっと、悟はそれに気付いた。
だから悟は、私の為に戦う事を選んでくれた。
そこに悟へのメリットはなくても、それでも走り出してくれたのは、彼が見返りなんて求めない純粋な正義の味方だったからだって、あたしは思う。
3 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:34:15.09 ID:GQ1RtyMX0
それをずっと側で見ていたあたしにとって、悟。
貴方は掛け替えのない存在だった。
失いたくなかった。
だから。

お願いだから。

どうか神様、時間をあの頃へ巻き戻して。

今のあたしの幸せが、無くなっちゃうくらい前に戻ったっていい。

彼は本当に、正しいことの為に頑張ったの。

もう充分戦った。

私ももう充分幸せになった。

だから。

私の時間と引き換えに、悟の時間を返してよ。

お願い。
4 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:37:51.14 ID:GQ1RtyMX0
そう思ってしまうようになったのは何時頃からだっただろうか。この儚い願いは、心の空へ投げ出され、雲に乗って飛んで行く。
心の空はとても曇っていた。もしかしたら、私は、その雲を払いのけ、綺麗な星空を見たいのかもしれない。
この願いが届いなら、空はきっと晴れるに違いないって。
そしてそこには、私だけじゃなくもう一人、居なくちゃいけない人がいて、大きなクリスマスツリーの下で、満遍なく空に広がる沢山の光に照らされて、それで、それで―――。
5 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:39:17.67 ID:GQ1RtyMX0
ピピピ――。
ピピピ――。

ピッ……。


「……」

いつの間に寝ていたんだろう。
時計の針は、あたしの登校時間を示していた。
眠気で開ききらない目を擦りながら、ゆっくりと立ち上がる。

「……あ」

その答えはすぐ近くにあった。
視線を軽く落とすと、一冊の漫画が開いたまま床に置きっ放しになっている。
6 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:40:15.63 ID:GQ1RtyMX0
『ワンダーガイ』

ヒーローものの、少年漫画。
悲哀を背負いながら、戦えるのが自分一人であったとしても、戦い続ける正義の味方。
彼は、みんなの想いがあるから頑張れると、一人ではないんだとそう言った。
昨日は途中まで読んで、そのまま寝てしまったのか。

およそ、女子の私物にしては似つかわしくないだろうと思う。
でも、これはあたしにとって、本当に大切なものだった。
7 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:40:55.98 ID:GQ1RtyMX0
だって――


「悟っ……」

私の、大切な、大切な人の、想いと、勇気がここには詰まっているのだから。
8 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:43:12.19 ID:GQ1RtyMX0
悟が目を覚まさなくなったあの事件の日以来、あたしは、毎日の様に、悟の眠る病院へと通っている。
私ももう中学生、あれから実に一年以上の時間が経過していた。
そんなあたしを見てか、ケンヤ君や悟のお母さんはあたしを心配しているようだった。

自分でもみっともないことくらい、わかってる。
きっと悟も、折角自分が救い出したあたしが、いつまでも同じ場所に踏み止まっているのを知ったら、喜ばない。
でも、あたしには未だに新たな一歩を踏み出せずにいた。
悟を置いて行くのが怖かった。悟を失うのが怖かった。あたしの中で、悟はそれだけ大きな存在だった。
9 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:44:34.20 ID:GQ1RtyMX0
普通の女の子としての自由。
それを悟はあたしに与えてくれた。
でも、あたしは普通の女子中学生としての生活を歩んでいるとは、決して言えない。
その事への後ろめたさもあって、あたしは自分が本当に価値ある存在なのかと、自身に問い質してしまう。

無意味な事だとわかっていても、悟が信じてくれたあたしの事を、あたしはまた見失いかけている。
10 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:46:28.50 ID:GQ1RtyMX0
そしていつしか――


〔あたしじゃなくて、悟に助かって欲しい〕



そう思うように、なってしまっていた。
11 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:48:50.06 ID:GQ1RtyMX0
こんなの、悟に聞かれたら、馬鹿って言われるに違いない。
でも、それを聞いてくれる悟は、もうずっと眠ったままだ。
だからあたしは、『もしあの時に戻れたなら、悟を拒絶したい』そう思うにまで至っていた。
あたしが例え虐待され続けて、もしそれで死んでしまって、そんな未来があったとしても、悟には生きていて欲しい。
そう思えるだけのものを、あたしは充分に悟から貰った。
だからもう満足、だなんていうのは、今の環境が作られた事に胡座をかいて語ってるだけの、自己中心的な願いなのかもしれない。
12 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:49:37.67 ID:GQ1RtyMX0
それでも。

あたしは、思わずにはいられないのだ。


――あの時あたしがああしていれば、救えたかもしれない――
13 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:56:20.19 ID:GQ1RtyMX0
「……思い上がりだべ」

朝の歯磨きを終えて、唾を吐き出すと、鏡に映る自分に、悪態をついた。
本当に、あたしは、駄目だね。

「あ……。目、ちょっと腫れてる」

よくよく見ると、あたしの目蓋は赤く腫れていた。

14 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 09:58:13.33 ID:GQ1RtyMX0

「……一限目は遅刻して行くべか」

もうずっとしていなかった遅刻だけど、今日はなんだか本当にあの頃のあたしへ戻ってしまっているような気がして、みんなと会うのが少し、躊躇われた。

15 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 10:04:08.95 ID:GQ1RtyMX0
ざぁーー、ばしゃばしゃ、キュッ……。


水で顔を軽く洗うと、暗闇の中にあの日々の光景が浮かび上がった。

「……悟」

軽く顔を拭いて、自室に戻る。
壁にもたれかかり、床に置かれている漫画を手に取って、一枚一枚、ページをめくって行く。
所々に水が乾いた跡があるのは、もうこの本を何度も読み直している証だった。
16 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 10:06:20.19 ID:GQ1RtyMX0
「……ふふ、読んで見ると意外と面白いべ」

時々挟まるユーモアに、軽く笑みが溢れる。
何度も読むのは、単に悟のことを知りたかっただけではなく、この漫画が色眼鏡なしに面白いことに所以した。

「何事も踏み込んでみること。それを教えてくれたのも、悟だべ」

悟は何もなかったあたしに、いろんな物を与えてくれた。
感性なんて、よくよく考えてみれば育って行く上での見聞きから作られるものなのだから、少年漫画だって少女が好める可能性は幾らでもある。

「……本当に感謝してる。今があるのは悟のおかげ。幸せだよ」
17 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 10:08:08.26 ID:GQ1RtyMX0
あたしのヒーロー。
それと同時に、みんなのヒーローでもあった悟。
みんなの一人ぼっちを無くそうとして奮闘した、勇気がある少年。
あたし達を背負って戦う姿はこの漫画のヒーローそのものだ。

だから、失ってはいけないんだ。

「だから、みんなにはまだ悟が必要なの」

だから、目を覚まして欲しいんだ。

「だから、お願い神様」




――どうか――
18 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 10:08:42.60 ID:GQ1RtyMX0








――――ドクンッ――――









19 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 10:13:52.07 ID:GQ1RtyMX0
――――
―――
――



「ん……ふぁ……」

欠伸をする口を軽く手で覆うと、ハッとなってすぐさま時計を覗き込んだ。

「やば、学校っ!」

しかし、殆ど時間は経っていない。

(……あれ?)

20 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 10:16:43.03 ID:GQ1RtyMX0
とにかく学校へ向かおうと、鞄を手に取ろうとする。
そして次の瞬間あたしは、驚愕することになる。

「……嘘」

目の前には、ランドセルが置かれていたのだから。
21 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 10:19:03.43 ID:GQ1RtyMX0
(え?)

(は?)


頭の中に、何度も、何度も、疑問符が浮かび上がる。
訳がわからない。
それに、ここは、この家は……。

「お母さんの、家、だ……」
22 : ◆pYeaDGyi0Qrt [saga]:2017/06/04(日) 10:25:12.15 ID:GQ1RtyMX0

#1 悟だけがいない街

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