サターニャ「サタニキア百科事典」

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2 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:12:12.58 ID:6an8YmUi0



ある冬の日、私はガヴリール、ヴィネット、ラフィエルを自宅に呼んで鍋をした。

年が明けてから最初の集まりだったので、年寄りくさい表現をすれば、新年会のようなものだ。

私の用意した漆黒の闇鍋は早々に却下され、ヴィネットの采配で魚介鍋が催された。

シメの雑炊も食べ終え、ガヴリールと私はテレビを見ながらお茶を飲んでいた。

ヴィネットとラフエルは台所で食器を洗ってくれている。


3 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:12:43.43 ID:6an8YmUi0



「なあ、そういえばお前、なんで手首にそれつけてるの?」


ガヴリールは机に頬杖をつき、退屈そうにモニタを眺めながら言った。

多分、私の手首に巻いているコレのことだろう。


「ああ、自分でも忘れてたわ。通販で買ったのよ」

「お前も懲りないね。浴衣で痛い目を見ただろうに」

「玉石混交なのよ。これはきっといいものに違いないわ」

「典型的なカモの思考。で、それは何て言うの?」

「ふふん、聞いて震え上がりなさい。これは、ミサンガサンダーっていうのよ」

「頭悪そうな名前」


4 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:13:14.40 ID:6an8YmUi0



「おやおや、面白アイテムのお披露目ですか?」


ラフィエルが台所から戻って来て、自分の分のお茶をテーブルに置いた。

「このミサンガは、電流を発生させることで、全身の筋肉をほぐしてリラックスさせるのよ」

「普通の怪しげな健康商品ですね。そんなにお疲れなんですか?」

「普通に怪しいって矛盾しないか。何というか、地味」


二人は何故か優しい目をしてこっちを見てくる。

確かに、この説明だと疲れ気味の中年女性みたいかもしれない。



5 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:13:57.06 ID:6an8YmUi0




「いやいや、このミサンガの本質は、電気を発生させる点にあるのよ。

装着者に触れた相手に、電撃を食らわせることができるの」


「うわ、なんだよそれ。全身ガムパッチンかよ」

「ガム人間ですね」

「何よ、そんな不名誉な呼び方しなくったっていいじゃない」

「ああ、すみません。これでは、泳げないみたいですね」

「私は悪魔なんだから、ガム悪魔よ!」

「ガムはいいのかよ」


6 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:14:20.66 ID:6an8YmUi0





「まあ、それは置いておいて、ガヴリール」

「なんだよ」

「年も越したことだし、握手しましょう」

「この流れですると思う?」

「なになに、腕相撲でもするの?」


洗い物を終えたヴィネットがハンカチで手を拭きながら戻って来た。



7 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:14:48.94 ID:6an8YmUi0



「違うよ、こいつがまた通販で妙なものを……」

「それ、ガヴちゃんも腕に巻いたらどうなるんですか?」

「はぁ? なんでガヴリールに渡さないといけないのよ」

「ですから、お二人とも身に着けて握手をした場合、どうなるんですか?」

「さあ、どうなるのかしら……。悪魔か天使として、弱い方が痛い思いをする、とか?」

「サターニャさん、丸腰の天使をやり込めたとして、それはサターニャさんの実力ですか?」

「何が言いたいのよ」



8 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:15:27.90 ID:6an8YmUi0




「同じ土俵に立つ相手を倒してこそ、優位を主張できる……そうではありませんか?」

「はーん、なかなか言うじゃない。その提案、乗ったわ!」

「ちょっとラフィ、なんだかよくわからないけど、そんなむやみに煽らなくても」


ヴィネットが私とガヴリールの間に腕を入れて、制止しようとする。


「いいだろう、あんまり痛くても泣くんじゃないぞ」


ガヴリールは不敵な笑みを浮かべ、腕まくりをした。


「なぜかガヴまでノリノリだ!」

「たまには格の違いってやつを見せとかないとな」


9 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:16:02.28 ID:6an8YmUi0



「サターニャさん、もう一つありますか?」

「あるわよ、二本セットだったの。ちょっと待ってなさい」


私は引き出しの中から商品の箱ごと取り出し、テーブルの上に置いた。


「説明書を見せてもらってもいいですか?」

「いいわよ」

「ラフィ、私にも見せて」

「ほれ、サターニャ。こんな感じでいいのか?」

「それでいいわ。じゃあ、せーので握手するわよ。覚悟しておくことね」

「はいはい、それじゃあするか」

「なるほど、発電機能があるのね。なになに、発電量はその人の筋肉の量に比例します……ん、これって」

「お二人とも、化学の授業は寝てたんですかね」

「うん、ラフィ?」

「せーのっ!」

私は全身の力を込めて――しかし握りつぶさないように――ガヴリールの細い手をぎゅっと握った。


10 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:16:25.55 ID:6an8YmUi0



「いったあぁぁぁぁ! ……ううぅえぇぇ……うぅ……ぐすっ」

「いたたた……何よこれ、二人ともダメージを食らってるじゃない!」

左手がまだジンジンと痺れている。

ガヴリールは握った手を差し出したままうずくまっていた。

「当然ですよ。電流って体内を流れると痛いんですから、サターニャさんからガヴちゃんに流れる以上、双方に痛みはあります」

「わかってたなら、なんで提案したのよ、ラフィ! ガヴ泣いちゃったじゃない」

「ガヴちゃんの方が若干マシになってるはずなんですけどね。すみません」

11 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:16:51.02 ID:6an8YmUi0


「あー、ガヴリール。私が悪かったわ。ごめんなさい」

「……ぐすっ……うえぇ……私の手、無くなってない?」

「大丈夫よガヴ、きれいな白い手じゃない」


ヴィネットが差し出されているガヴリールの手を両手でやさしく包む。


「本当?……うぅ……」

「見ればわかるでしょう!? あー、もう。ガヴリール、ほら、これあげるから泣き止みなさい」


私は棚に飾っていたクマの編みぐるみを差し出した。


「ガヴ、よかったわね。これ、サターニャがくれるって」

「はぁ? こんな子供騙しで機嫌が直るわけないでしょ」


ガヴリールは顔をあげると、いつもの眼を半分閉じたような、人を見下した顔でそう言い放った。


12 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:17:30.50 ID:6an8YmUi0



「あんた、平気じゃない! もう、心配して損した……ちょっと、クマから手をはなしなさいよ」


私がクマを引っ込めようとすると、ガヴリールはクマの右手を人差し指と親指でつまんだ。


「くれるんじゃなかったのかよ」

「え、何。欲しいの?」

「これ、結構かわいいよね」


ガヴリールはクマをじっと見つめていた。

そんなに気に入ったのだろうか。


「それならあげるけど」

「ちょろい」

ガヴリールが何か呟いたようだったが、うまく聞き取れなかった。



13 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:17:58.19 ID:6an8YmUi0



「何か言った?」

「おや、このクマさん、タグがありませんね?」


ラフィエルはガヴリールの手の中のクマをしげしげと眺めている。


「ああそれ、私が作ったのよ」

「え、マジで? 美術2のサターニャが!?」

「何で私の成績を知っているのよ!」

「いや、適当に言っただけなんだけど」

「そういえば、ケーキの盛り付けとか結構上手だったものね。私もちょっと欲しいかも」


ヴィネットも感心した様子でガヴリールの持っている編みぐるみを覗き込んできた。


14 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:18:38.90 ID:6an8YmUi0



「私にも、自作のメダルをくださいましたね。手芸が得意なんですね」

「昔から作ることは好きだったからね」

「絵は下手だけどな」

「うるさい! そういうこと言うなら、それ、返してもらうわよ」


私がクマに手を伸ばすと、ガヴリールに手を払われた。


「これはもう私のものだ。返してほしいなら買いなおすことだな。いくら出すか言ってみろ」

「友人のプレゼントを売るってどういう根性してるのよ。ガヴリールの外道!」

「意外と気に入っているみたいですね」


15 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:19:17.75 ID:6an8YmUi0




「……ねぇ、サターニャ。ちょっと相談があるんだけど」


ヴィネットが私に耳打ちをしてきた。

私はよく彼女に宿題を手伝ってもらっているが、彼女から私に頼み事なんて、珍しい。


「なに? ヴィネット」

「あっ、今じゃなくていいのよ。また後日ね」

「ふーん、そう?」


もうすでに遅い時間となっており、することも無くなったので、その日はすぐに解散となった。

そして次の日、私は二人から相談を受けることになるのだった。



16 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:20:02.82 ID:6an8YmUi0





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day 1:
ぎ だい 【議題】

(1)会議で審議する事柄の題目

(2) 物語の主張する問い。その解決は主に読者の解釈に委ねられる。


「この話に――なんてものはないわよ。論理ではなく、単なる経験的命題、つまりは昔語りにすぎないわ。

まあ、そういうものほど、まとまりがなくて長いんだけど」


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17 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:20:36.45 ID:6an8YmUi0


「ほうほう、なるほど。ふむふむ」

「全く、どうしたものかしらね」

「つまり、安請け合いした挙句、手に負えなくなったという訳ですね」

「はっきり言うわね。まあ、そうなんだけど」


その日はラフィエルと昼食をとっていた。

彼女は昼休みはいつもクラスの友人たちと過ごすらしいが、

たまに登校途中で会った時に、一緒に昼ごはんを食べる約束をしたりする。

今日もそのような具合で、彼女のクラスでおにぎりを食べながら話を聞いてもらっていた。

ラフィエルは人の心を引き出すのが上手だ。

彼女に「そうなんですか、大変でしたね」なんて言われていると、

しまっておいた気持ちもするすると流れ出してしまう。

だからついつい、余計なことまで話しすぎてしまう。



「時系列順に詳しく思い出して、落ち着いて考えてみましょう」

「ええ、そうね」


18 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:21:20.05 ID:6an8YmUi0




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「サターニャ、編み物を教えてもらえないかしら」


それは、一週間ほど前のことだった。

ガヴリールがお手洗いに行っているときに、ヴィネットから相談を受けた。

バレンタインデーの日にガヴリールに贈り物がしたいのだという。

元々はチョコをあげようと思っていたらしいが、

私のあみぐるみを見て、マフラーや手袋を贈ることを思いついたらしい。

友人の手助けをすることは当然だし、私はもちろん快諾した。

そして、その日の放課後に、ガヴリールからも似たような話を持ち掛けられた。



19 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:21:48.66 ID:6an8YmUi0




ガヴリールは定期的にゲーム雑誌の立ち読みのために本屋に寄り道をする。

本屋の静けさが苦手な私は、一人で入らなくて済むため、よく彼女について行っていた。

本を読むことは嫌いではない。

知らないことを教えてくれるし、何度聞き返しても怒ったりしない。

写真を目当てに雑誌をぱらぱらとめくるのも好きだ。

その日、ガヴリールはいつもの雑誌ではなく、手芸コーナーへと向かった。

背表紙を上から順に目で追う彼女の横で、家庭科で何か課題でも出ていたのだろうか、

と思い出していると、彼女は唐突に話を切り出してきた。


「そういえば、そろそろバレンタインだよな」


そうね、ヴィネットも張り切りそう――なんて言いそうになるのをこらえる。

あぶないあぶない、うっかり口を滑らせるところだった。



20 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:22:25.23 ID:6an8YmUi0




「お前に言うのも癪なんだが……」

「なによ」

「実は、ヴィーネにプレゼントがしたい。だから、編みぐるみの作り方を教えてくれ」


本棚の高いところにある本をとってくれとでも言うみたいに、何気ない調子で彼女は言った。


「あんたね、頼み方ってものがあるでしょう?」


そういえば、編みぐるみをガヴリールにあげたときにヴィネットも欲しいって言ってたっけ。

私はたくさんの本から編みぐるみの本を探す。

この手の本は結構入れ替わりが早い。

私の知っている本があるだろうか。


「だめか?」

21 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:23:05.18 ID:6an8YmUi0




「下界には、敵に塩を送るっていう言葉があるのよ」

「そうか、助かる」

彼女は一冊の本を手に取ると、満足げにゆっくりとページを開いた。

ヴィネットだけをひいきするわけにもいくまい。

それに、ガヴリールが誰かのために何かをしたがる、それは私にとって小さな落雷だった。

太古の地球で稲妻が山火事を起こし、地形を変えたように――それは、私のどこかに火を放ったのだ。




それから私たちは手芸店に寄って、最低限の道具を揃えた。

後日、直接編み方を教える約束をして、その日は別れた。


22 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:23:32.14 ID:6an8YmUi0




その翌日の放課後、私は再び手芸店から出てきた。

今度はガヴリールではなく、ヴィネットと一緒だ。

彼女にはマフラーの作り方を教えることになった。

手袋のように、相手の体格を詳しく知る必要もなく、構造が単純なので、

もちろん根気は必要だが、作り方自体は比較的簡単だからだ。

布地を編むときに使う道具には、かぎ針という、先が曲がっていて引っかかるようになっている針を一本使って編む方法と、

棒針という、抜けないようにお尻に留めのついた真っすぐな棒を二本使って編む方法がある。

ちなみにガヴリールに教えるのはかぎ針で、私もいつもはこちらを使う。

お店にはかぎ針と棒針のそれぞれで編んだマフラーの見本が置いてあり、彼女は棒針の方を気に入った。

私は棒針はあまり得意ではなかったが、せっかくのやる気をそぐようなことはしたくなかったし、

私自身の練習にもなるかと思い、棒針を教えることにした。



23 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:24:01.75 ID:6an8YmUi0



「ありがとうね、サターニャ。私、がんばってみる」


ヴィネットはそう言って、ふぅと白い息を吐き出した。

その様子に、ふとおばあ様のことを思い出す。

おばあ様は愛煙家で、おじい様のプレゼントだというパイプたばこを、家事仕事の後に吸っていた。

うっとりとしているようで、しかし、どこか乾いたその眼差しが格好良くて、私にも吸わせろとせがんだものだ。

その度におばあ様は、これは、諦めとか、願いとか、疲れなんかを煙にして吐き出す道具だから、

そういうのがあんまりない私には美味しくないよ、と煙に巻いた。

ヴィネットの白い息は、期待が溢れ出した煙なのかもしれない。

息を吸うと寒さが鼻を突き、冷えた空気が頭をすっきりさせる。

私の中にも明るい気持ちが満ちてくるようだった。



24 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:24:31.71 ID:6an8YmUi0





気付けば、作ったものを誰かにあげることが怖くなっていた。

手作りの品は、相手に気に入られなかったときに大きな痛手となる。

ラフィエルにあげたサタニキアメダルも、割と真面目に作ったつもりだったんだけどな……。

私が通販に惹かれたのは、既製品ならば責任の所在が私にないと考えたからかもしれない。

だから、前向きに誰かに何かを作ろうとする彼女らを、少し眩しくも思う。


25 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:25:02.35 ID:6an8YmUi0




私が何かを自分で作り始めたのは、何がきっかけだっただろうか?

お父様のケーキを作る様子を見たからかもしれない。

お父様がたくさんの常連さんを抱えていることを私は知っている。

もちろん、そのお客さんがケーキを買って帰るときの表情もだ。

それとも、お母様が幼稚園に通うための手提げを縫ってくれたこと?

お母様が施してくれたコウモリの刺繍は、私の自慢だった。

しかし、もっと昔に何か別のことがあったのではないかという気もする。

たまにそのことを考えると、強風の中で湿った花火にマッチで火をつけるように、もどかしい気持ちになるのだ。


26 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:25:34.64 ID:6an8YmUi0




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「ここまでは順調だったんですね」

「まあ、何も始めてないしね」


私はパックのお茶でのどを潤し、続きを話し始める。



27 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:26:02.80 ID:6an8YmUi0


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ヴィネットと買い物をした次の日の放課後に、私はガヴリールの家に招かれた。

テーブルに向かい合って座りって彼女に教え始める。

自分のかぎ針と毛糸玉を持参するのを忘れたので、とりあえず私が目の前でやってみせ、

次にガヴリールに本を見ながら編んでもらうことにした。


「まずは正方形のコースターを作ることから始めましょう」

「へい」


ガヴリールは床にどけたノートパソコンをちらちらと見ている。

何でもネトゲで期間限定のクエストがあるとか言っていたので、気になっているのだろう。

編み始めてしまえば集中すると思い、気にせず始めることにした。


28 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:26:31.01 ID:6an8YmUi0



「いい? まずこんな感じに結び目から、紐を作って始めるのよ」

「ふむふむ」

「それで、次にこうやって網目を一つ増やして、紐を伸ばすの」

「うーん、わかりにくいな。もう一回やって」

「いいわよ。ここを、こうね」

「難しい。もう一回」

「しょうがないわね、こうよ」

「あと一回頼む」

「要求に応じてたら一段終わっちゃったんだけど……」


29 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:27:00.57 ID:6an8YmUi0



「次の段の作り方も知りたいから、続けてやってみてよ」

「もう、いい加減に自分でもやってみなさいよ!」

「わからない箇所があったら、不安でできないでしょ」

「じゃあ、どこまですればいいのよ」

「ここまで」


ガヴが教本の編み図の終点を指差す。

一応、編み図の読み方は覚えたらしいが……。


「全部じゃない! 逐次教えるから、まず自分でやってみなさい」

「なんか面倒になってきた……終わったら、机の上に置いておいてよ」


ガヴリールはぐるりと後ろを向き、ノートパソコンを開こうとする。


「まだ一編みもしていないのにそれ!? いいから糸とかぎ針を握ってみなさいよ、ほら」

私はかぎ針から糸を外し、両端を持って引っ張った。

「あー、ほどいちゃうなんて、もったいない」

「いいからやってみなさい!」


30 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:27:35.29 ID:6an8YmUi0




なんとかお猪口が置ける程度のコースターを作らせた頃には、私はくたくたになっていた。

もう飽きちゃったのかと思っていると、ガヴリールが次回の予定を聞いてきたので、もう少し続けてみることになった。


「次はもうちょっとがんばりなさいよ」

「へい」


人にものを教えるというのは、なかなかの重労働であると知った。

いつもサングラスをかけている妙に威圧的な担任も、

その黒いレンズの裏側に疲れを隠しているのだろうか。

その日の風呂上りに数学の宿題をやっていないことを思い出したので、

なんとなく手を付けてみることにした。


31 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:28:08.28 ID:6an8YmUi0




次の日はヴィネットに棒針を教えに行った。

棒針はしばらくやっていなかったため、復習が必要だった。

夜遅くまで練習していたので少し寝不足だったが、ヴィネットは熱心に話を聞いてくれて、

最後には一人でも進められるようになった。

最初からきれいに編むのは難しいので、20センチくらいの短いマフラーをいくつか作って練習することにした。

こうすることで、途中を均一に編むだけでなく、末端を処理する練習にもなる。


32 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:28:40.00 ID:6an8YmUi0




それから数日たって、ヴィネットの進み具合を確認することになった。


「おじゃまします」

「いらっしゃい、サターニャ」

「ヴィネットの部屋はいつもきれいね! ガヴリールにも見習わせたいくらい」


仮にも乙女の部屋とは思えない惨状を思い浮かべる。

一応、毛糸玉が汚れない場所は確保してもらっているけれど……。


「それはね、サターニャ……。巻貝のぐるぐるをアイロンで真っすぐに伸ばそうっていうくらい、無謀なことよ」


ヴィネットがどこか遠くを見つめるような目つきをする。


「そ、そうなの」


経験者は語る、ということだろうか。


33 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:29:11.12 ID:6an8YmUi0



「それはそうと、どう? マフラーの進み具合は」

「ああ、うん。それが、まだこれだけなの。ごめん」


ヴィネットは編みかけのマフラーをカゴから取り出す。

確か前回は八段ほど進んでいたので、進んだのは四段ほどだろうか。


「そうなんだ。途中でわからなくなっちゃった?」

「いや、やり始めたら、そこそこは進むんだけど、始めるまでに家事とか宿題を終わらせようと思うと、なかなかね」

「なるほど。時間が取れそうにないなら、もう少し短時間でできるものにする?」

「いや、時間はあると思うのよ。でも、なんとなくぐずぐずしてしまうというか」


その感覚は少しわかる気がする。

新しく服を買った時には、なかなか袖を通す踏ん切りがつかないものだ。

一度着てしまえば気恥ずかしさもなくなり、週に一度は着るようになったりもする。

勉強しないといけないと思うほど、ついだらだらとテレビを見たりしてしまう。

着火にはそれなりにエネルギーが必要だ。


34 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:29:38.34 ID:6an8YmUi0




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「という具合に、あんまりうまく進んでないのよ」

「なるほど。まあ、慣れないことは取っ掛かりがわからなかったり、なんとなくやる気が出ないものですしね」

「目標もあるんだし、もっとすいすい進むと思ったんだけどなぁ」


「よく知っているかどうかって大事ですよ。

商品を選ぶときにも、名前だけでも聞いたことのある商品は、全く知らない商品より選ばれやすいと聞きますし」


「それなら、まず慣れてもらうこと、なのね」



35 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:30:16.12 ID:6an8YmUi0



ラフィエルが机の上に載せていた私の手にそっと触れた。


「こうして私の手が触れてもサターニャさんはなんともありませんが、

魚は素手で触られると火傷をしてしまいます。

自我を持つとは、そういうことではないでしょうか。

ほら、私たちも魂を取り扱う上で善悪で役割分担してますし」



36 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:30:57.03 ID:6an8YmUi0



ここでラフィエルの言う善悪は、魂のパラメータについてのことだ。

死んだ人間から魂を回収するのも天使や悪魔の務め。

魂は天界と魔界の内部にある天国と地獄を経由して、下界に再配置される。

例えば30の善と70の悪という具合に、魂は善悪を兼ね備えており、この魂は全体として40の悪ということになる。

魂は放っておくと下界を漂い、悪の魂と善の魂はぶつかると打ち消しあってしまう。

回収する時には、回収者自身の魂が削られないように、天使は善なる魂を、悪魔は悪なる魂を、それぞれ分別して回収するわけだ。

魂の善悪という指標には厄介なところがあって、完全にどちらかに偏った魂は死んでしまい、完全に消滅してしまうらしい。

そのことを昔の人間がなんとかという現象として言い当てたことがあったらしいが……なんだったかな。

なんにせよ、悪魔は善に傾かない程度に善を、同様に天使も悪を大切にしている。

まあ、善悪とは言っても、それぞれが思う善悪ではあると思うけど。


37 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:31:33.44 ID:6an8YmUi0



神の言う「善悪」とは、私たちの言う善悪と、響きは同じでも、意味するものは違う。

私は、道徳観念というよりは性格、私たちの言う「献身と保身」に近いことだと思う。

つまり、悪魔は大切な誰かを、天使は確固たる自己を見つけてこそ一人前ではないか、と。


「人はそれぞれ違った認識を持つものです」

「その人の本質を見抜いたうえで、方法を選んで教えろっていうこと?」

「うーん、本質というか、個性といいますか」


38 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:32:02.87 ID:6an8YmUi0




「個性とか、本質とか……。私、本質っていうのがよくわからないのよね」

「辞書には、それ抜きには語れないものとか、そういうことが書いてあると思いますけど」


「例えば、食べ終えた魚の骨だけを持ってこれが本質だ、なんていわれてもしっくりこないわ。

そもそも、骨は生まれたときに完成してるわけじゃないでしょう?」


「生命の本質なんて、それこそ定義する人の数だけありますしね」


39 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:32:35.53 ID:6an8YmUi0





「例えば、かまどの本質とは何か? それは、薪を燃やして火で加熱することよね」

「その点で言えば、ガスバーナーやIHも本質的に同じと言えますね」


「そうね。だとすれば、燃やすものも、熱の元になるものも、なんでもいいことになる。

それどころか、与えるということすら取り除いてしまえる。

何かが、何かを使って、何かに対して、何らかの作用をする。

そんなスカスカな、透明な水槽みたいなものが、果たして本質なのかしら」



「そうです、それでいいんですよ。

本質なんて、あると思えばあるし、ないと思えばない。

そこらの人間と、河原の小石とに、何の違いがありますか?

どちらも原子なり素粒子なり弦なりの、寄せ集めに過ぎないじゃないですか。

冬の日に積もった雪を両手で掬って、あなたは何のために生まれたのかと問い詰めることに、

何の意味があると思いますか?」



「いや、なにもそこまでは言ってないんだけど……」


40 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:33:08.27 ID:6an8YmUi0



「器が大きいだの小さいだのいうのはまやかしで、同じ人間なんだから器は似たようなものです。

その水槽に何を満たすか、それが個性というものです。

千年前の人は、水槽にコーラを入れることができますか?

酒を満たして飲み干すも、油と芯を入れて火をつけるも、それは自由。

要するに、個性とは骨ではなく肉だと思いますね」


「つまり、何が言いたいのよ」


「ボディビルダーに30キロの米俵を持ち上げるように言うことと、

小学生の子供に同じことを言うのは違うということです。

人はみな、自作の眼鏡でそれぞれ違った世界を見るものですよ」



41 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:33:34.15 ID:6an8YmUi0



「そんなに例えばかり言われると、かえってぼんやりしていてよくわかんないけど……」

「サターニャさんはアホの子ですからね。あるいは天然」

「あんたにしてはわかりやすく侮辱するじゃない」


「白痴と言っているのではありませんよ。ただ、論理体系が少し独特ということです。

損をするとわかっている選択肢をわざわざ選ぶ人なんていません」


要するに、ガヴリールとヴィーネに同じ方法で教えたのがよくなかったのだろうか。

ラフィエルの言う通りかもしれない。

人はそれぞれ自前の言語を持っている。

歩み寄り無しでは言葉が通じないのは当たり前のことだ。

だから、人にものを教えるときには、自分にわかるようにではなく相手にわかるように教えないといけない。

ちょっと別の方法も探してみよう。

42 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:34:06.06 ID:6an8YmUi0



「そうだ、日記をつけるといいですよ。出来事と感情を意識して分けて書くんです」


「何それ、小学生の宿題? 面倒で、いつも一行くらいしか書いてなかったわ。

あれそれをして楽しかった、とか」


「野心ある野球少年はスコアブックをつけるものです。きっと面白いですよ。それに、冷静になれます」

「ふーん……」


43 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:34:37.96 ID:6an8YmUi0





           ,..-:‐: :ー-.、,_
         /´ : : : :、: :_jミk : :\
        ,:.^ : : : : : : :゙ミヲ'''^’ : : : ヽ
      /: : : : : : : :\: `. : : : : : :ヽ:{kfミ!
     ': : : :i: :ヽ : : :、ヽ: :ヘ.:ヾ: : : :`li{Y^::7
    i : : : :{ : : : : : : 1'k.X:lメ、i: : : : :V:.:_;Z
    |:l: : i: :k:.l、: : : ::| /l ,.r={.:l: : : :Y:\
    {:1 : :k::代トk\.:}   '゛,,,. l:l1: .:1:!ヘ.:ヽ
     1:ヘ:. ::ヘ`' ,:r== `      .l' | : :}リ:'{1: ::、
     ': :\: :ゞ ′   '  ,.。、  .}: ::ハ: .:V: :.}
     V:i :`:ゞ:>、'''   く _ノ ,イ:} :/ ヾ : : :ノ
      ヾl; : : :トi ヽ、__   /iiij}/>'7^¨ヽ
        ヽ: :.:lヾ.{: .:{}::f7ハ/汽i/'7Vi.   ヽ_
        \::、 _V:>:jii>=<ii/ /V |      マニ=x、,_
             `メ /f/jii{-/ソ /r-、{_ l.../    ヾニニニニ、
          j./f/l V|::j'^/.Yニ^ V:     ヽニニニ1
           人:Z .{ {T/./ { ̄_  V、       弋ーニ|
        Y’'二l, '、/o/   マl、   .}-ミ{^ヽ.、__ \-x}
         { ‐'^j: . .{ {. . : . . :ヾk_ノ.ヽ、ノ    \.ヘヲ

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day 2:
いきもの【生き物】

(1) 生きているもの。生物。

(2) 人間の使うものではあるが、時に人間の力ではどうにもならない働きをするもの。

(3) いずれこのサタニキア様が大悪魔になった時にひれ伏す定めにあるもの。


「いずれ全ての――は私の軍門に下るのよ!」

「長生きできるといいですね、サターニャさん!」


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44 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:35:11.71 ID:6an8YmUi0





ラフィエルに助言をもらった次の日から、教え方を変えてみることにした。

ガヴリールには、私が目の前で同じ操作をやってみせながら、

自分でも同時に進めてもらう方法をとることにした。

この方が操作の前後を見比べることで理解がしやすいみたいだ。

また、ゲームに習熟していることから、どちらかというと独学が向くのかと思い

編み方の動画が見られるサイトも教えてあげた。


45 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:35:41.08 ID:6an8YmUi0



ただ、手本を見せる方法は、ちょっとばかり普通とは違うやり方だった。

私とガヴリールは、前回と同じく向かい合ってテーブルについていた。


「なぁ、この編み方、やっぱりよくわかんないよ」

「どれ? やってみるから見てなさい」

「いや、正面でやられても、左右反転してるからわかりにくい」

「そんなこと言われても、私も右利きだし」

「ちょっとそこで座ったまま足開いて」

「え、こう?」

ガヴリールは編み針を持ったまま歩いてきて、私の足の間に座り、二人羽織のような格好になった。

「これなら見たままを参考にできる」

「あんたの頭が邪魔でよく見えないんだけど」

「がんばってくれ、ほら、肩貸すから」

「しょうがないわねぇ」

私はガヴリールの肩にあごを載せながら、増やし目の編み方を教えた。

顔にかかるガヴリールの髪が、少しくすぐったかった。


46 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:36:07.98 ID:6an8YmUi0


「ねぇ、もういいでしょ?」

「あともうちょいで終わるから、そのまま」

「足が痺れてきたんだけど」

「待て」

「犬か!」

「うるさい、静かにして」

この体勢が落ち着くというので、私は座りながらガヴリールとベッドに挟まれるような形になっていた。

ガヴリールにもたれかかられながら、サンドイッチのトマトはこんな気持ちなんだろうかと考えていた。


47 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:36:36.12 ID:6an8YmUi0





でも、ガヴリールもこう見えてヴィーネのことを大切に思っているのよね。

手間のかかるものをプレゼントしようと考えるくらいだし。

ヴィーネの方は、まあ何というか、わかりやすいようでいて、わかりにくいというか、二段底というか。

いや、そもそも心なんて、何番底かなんてわからないもの。

一番奥に来たと思ったら、一番外側に一周して戻って来た、なんて。

それでも、あんな風に誰かを大切に想えるっていうことは幸せなことだと思う。

私にも、いつかそんな相手ができるのかな……。



48 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:37:03.72 ID:6an8YmUi0





「よし、できた!」


ガヴリールが勢いよく体を反らし、後頭部が私の鼻に直撃した。


「ちょっと! 何するのよ!」

「あっ、悪い。サターニャなら回避できるかと思って。首とか伸びそうだし」

「妖怪か! もう、この石頭! 」



49 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:37:42.08 ID:6an8YmUi0




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ヴィネットには、音楽をかけることを提案した。

集中力をあげる方法をラフィエルからいくつか教わり、その一つが環境音楽だった。


「環境音楽は、耳に入る音が無意味になるようにすることに意味があるのよ。

歌はダメね。本当は、ただの雑音がいいの。

生き物は、常に感覚を鋭敏にしておく必要がある。

無意識に意味を感じ取る、つまり脳のリソースが割かれてしまうのよ」


「なんかサターニャが、それっぽいこと言ってる」

「以上、ラフィエル談! ということで、早速聞いてみましょう。用意してみたわ」

「わざわざありがとう。サターニャは下界の音楽に詳しいのね」

「魔界通販でね!」

「急に不安になってきたわ……」



50 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:38:10.41 ID:6an8YmUi0



ヴィネットのパソコンを借りて、CDを再生してみることにした。


「まず一曲目! 悪魔的海浜 <デビルズオーシャン> 」


再生ボタンをクリックすると、ごぽごぽと、粘着質の泡がねっとりと弾けるような音がする。

片栗粉をまぶした洗濯糊を煮詰めるとこんな音だろうか。


「うぇっ、血の色に淀んだ海水が目に浮かぶようだわ。魔界の海は生臭いのよね……。別のでお願い」

「わかったわ。では二曲目、悪魔的黒板<デビルズネイル>」

「その曲名ってまさか、かけなくていい! あっ、遅かった!」


背筋がゾクゾクするような甲高いこの音は、まさしく黒板を爪でひっかいたときの音だ。


「確かに雑音ではあるけど! 落ち着くわけがないでしょう! 早く止めて!」

「注文が多いわね……」


51 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:38:39.46 ID:6an8YmUi0



「何一つ要求に従ってない!」

「三曲目、悪魔的業火<デビルズファイア>」


「曲名が不穏すぎる……。あれ、この暖炉の音いいわね。

昔、お母さんが暖炉の前で編み物をしていたのを思い出すわ」


スピーカーからは、薪のパチパチと弾ける音が聞こえてくる。


「じゃあ、これにしましょうか。業火に焼かれながら想いを紡ぐ、なかなか悪魔的じゃない」

「その言い方だと怨嗟の言葉か何かみたいね……」


52 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:39:09.09 ID:6an8YmUi0



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「そうなんですか、うまくいっているようで何よりです」

「あんたのアドバイスのおかげよ。ありがと」


私はまた登校途中にラフィエルにつかまり、彼女のクラスで一緒に昼ごはんを食べていた。

私はいつも通り、おにぎりとメロンパンで、ラフィエルはお弁当だ。

前から思っていたけれど、周りの女子のお弁当箱は小さい。

私の基準がずれているのかとも思ったが、男子はそうでもないから不思議だ。

同じ生き物なのに、どうしてこんなに燃費が違うのだろうか。


「サターニャさんからそんな素直な言葉が聞けるなんて、明日は終末ですかね」

「まだ月曜日なんだから、週末はまだ先に決まってるじゃない」

「そういえば、今日のコロッケは手作りなんですよ。おひとついかがですか」

「いいの? 悪いわね」

53 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:39:37.81 ID:6an8YmUi0



「はい、あーん」


ラフィエルが箸で差し出す一切れを口で受け止める。

カリッという爽快な音を立てて味わう。

やや強めに効いた塩味がカボチャの甘味を引き立てている。


「サターニャさんは、意外と奥手なところがありますよね」

「はぁ? 悪魔が控えめなわけないじゃない」


傍若無人で唯我独尊、それが私だ。


「そうでしょうか。最初は昼食だって自分からは誰とも積極的に関わらず、

それに、これまでどんな頼み事も断れなかったじゃないですか」


「そんなことないと思うけど」



54 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:40:07.21 ID:6an8YmUi0





「私はその点、サターニャさんの一歩先を行きますよ。サターニャさんの家にも進んで訪ねるほどです」

「いや、あれは不法侵入……」

「愛ゆえです!」

「あ、愛って」

「悔しかったら、私の家にも侵入してみてくださいよ!」


「どうしてそうなるのよ! あんたのことだから、絶対、罠を張り巡らしているに決まってるわ。

というか、自分でも侵入って認めてるじゃないのよ!」



55 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:40:35.84 ID:6an8YmUi0




「サターニャさんは、良き友人になりたいんですか? それとも、恩人になりたいんですか?」

「はぁ? どういう意味よ」


「サターニャさんは大悪魔になりたいとおっしゃってますし、

誰かの上に立つ練習がしたいというのであれば、止めようとは思いませんが、

よくある勘違いをしてはいけませんよ。

友人間は親子のように献身による関係ではなく、また、献身は対価を要求するものではありません。

もしそれを差し出させようとするのならば、それは契約です。

痛手にならない程度に抑えるというのも、お互いのためですよ」


「そんなことくらい、わかってるわよ」



56 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:41:31.78 ID:6an8YmUi0




「ところで、サターニャさんはさっき、私のコロッケを食べましたね?」

「なかなかいい味付けだったわよ。褒めてあげるわ」

「代わりに、私にもそのメロンパンを一口ください」

「えぇ、今の話の流れでその要求する?」

「天使が愛するべきは秩序ですから」

「まあいいわ。あんたもメロンパンが好きだったのね。今度おすすめとか教えなさいな」


私はメロンパンの齧った部分の反対を手でちぎり、ラフィエルに差し出した。


「はい、どうぞ」

「わかってません、わかってませんよ、サターニャさん……」


ラフィエルは、処置なしといった具合に手をひらひらと振ってみせた。


「何がよ。いらないなら私が食べるけど」

「いえ、いただきます」


メロンパンを受け取ったラフィエルは、言葉とは裏腹にゆっくりと時間をかけてその一切れを食べたのだった。


57 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:42:22.14 ID:6an8YmUi0



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やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

下界にいた昔の人の言葉だが、これは金言だと思う。

言葉なり身振りでの情報伝達効率はあまりよいとは言えない。

脳みそを直接つなぐことでもできたなら飛躍的に向上するのだろうが……その場合、自我はどうなるのかしら?

なんにせよ、世の中うまい話というのはそうないものだ。

暖炉の熱効率なんかも10%ほどで、ほとんどのエネルギーは煙突から吐き出しているのだという。

教え方にもいろいろあるが、内容自体についても、人に一教えるためには、自分が十知っていなくてはならない。


58 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:42:48.44 ID:6an8YmUi0



例えば、デッサンをするときにリンゴの内部だけを描くことはできず、

いわばリンゴと空気の境界をあぶりだしているといえる。

その境界が紙に収まるようにするには、キャンバスを大きくするか、リンゴを小さく描けばよい。

できるだけ詳細なリンゴを描くためには、それなりに広いキャンバスが必要だ。

ということで、最近の私は、学校から帰ってから暇さえあれば編み物をしていた。

棒針は一応の編み方を知っていたくらいでマフラーを完成させたことなど無かった。

そこで、全体の流れを把握し、念のためと手袋や帽子の作り方についても、本を買ってきて調べていた。


59 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:43:16.17 ID:6an8YmUi0


ガヴリールに教えている、かぎ針での編みぐるみは、マフラーと違って作品に曲面が多く、

また組み立ての微妙なバランスでも表情を変えるため、作品ごとに何度か作ってみてコツを掴む必要があった。

それに、初めから複雑なものが作れるわけではなく、段階というものもある。

多少の不格好さは味であり、手作りの温かみを生むが、それでもお手本になるものを見せてあげたかった。

ジョギングや山登りでハイになるように、リズミカルな単純作業は精神を高揚させるらしく、

毛糸が無くなりそうになっていることに気付くころには日をまたいでいた、なんてこともしばしばだった。


60 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:43:43.80 ID:6an8YmUi0



ガヴリールやヴィネットとは、携帯でやり取りをして教える日取りを決めることが多かった。

二人は教室の席が近いこともあって、秘密の会話がしにくいからだ。

魔界にいたころのこういうときの手段は、手紙か、せいぜいが電話だったが、

人間たちは随分と高速で確実な通信手段を考えたものだと思う。

だが、それ故に……なにか大きな、得体のしれないものに飲み込まれているのではないかと、不安にもなる。



61 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:44:39.32 ID:6an8YmUi0



「文明」の字が示す通り、人類の進歩に言葉と照明の歴史は欠かせない。

本の燃える様が他の物が燃えるよりもおぞましく感じるのは、それがまるで自らの右手を食いちぎるような、

あるいはこめかみに銃口を押し付けて引き金を引くような、自滅の虚しさを感じるからだろう。

原始、人間は落雷によって生じた火を絶やさないように守り、道具として使い始めたという。

中でも狼煙の発見は狩りを容易にし、また、人間同士の戦でも永く使われた。

狼煙は天候に左右され、単純な信号しか送れないものの、その伝達距離は百キロにも及ぶ。

やがて望遠鏡の発達により手旗信号やモールス信号が開発され、さらには無線電信が普及。

今や一人に一台、携帯電話が割り当てられている。

いまどき、狼煙なんて上げるのは文章の中くらいだが、煙の伝達手段としての利用はそれなりに残されている。

街に黒煙が上がれば携帯電話を構えた人々が群がり、

淹れたコーヒーから湯気が消えれば、それは自身の余裕が失われている証拠である。


62 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:45:21.16 ID:6an8YmUi0



閑話休題。

特にアナログからデジタルへの切り替えにより、より正確に、大容量の情報が伝えられるようになった。

しかし……この、デジタルというのは、情報の輪郭だけを抽出して無理に分類するようなもので、厄介なもののように思う。

例えば――あまり正確なたとえではないが――時計を思い浮かべてみよう。

デジタル時計といえば、数字がそれぞれお七本の直線の有無で表示される文字盤、

アナログ時計といえば数字が輪になった文字盤を思い浮かべるだろう。

デジタルだと一目で時刻を読み上げることができて実用的だ。

しかし、今が一日の内のどのくらいの位置であるとか、一日はぐるっと一周して繰り返されることとか、

そういう部分が見えにくくなってしまったように思う。


63 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:45:52.17 ID:6an8YmUi0




電子メールなりチャットでのやりとりは、聞き間違いも無いし、見返せるし、実に便利だ。

そのデジタルな明快さは、人間関係さえもくっきりと規定してしまうように思える。

下界に来るまでは、人間関係とはスープの中の野菜同士の関係のようなものと思っていたが、それは違ったらしい。

それは複雑に編まれた網で、結び目が個人。

電話帳として他人をリストアップすることで、自己と他者の、

あるいは、ある他者と別の他者との区別を明瞭にしてネットワークを構築する。

それはまるで、相手に応じて別の国語辞書を使い分けろと言われているみたいだ。


64 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:46:21.93 ID:6an8YmUi0




例えば、私とヴィネットがいるときのガヴリールは、私だけがいるときと、ヴィネットだけがいるときの

加重平均にでもなっているのだろうか?

それとも、また別のガヴリールなのだろうか……。

また、その過剰なまでの明晰さは、何か想像もつかないものの一部であるようにも思える。

蜘蛛の巣によく似たその様子は、生物の時間に習った脳の構造と似ているかもしれない。

それは、炎上という言葉にも表れているようだ。

人と人を繋ぐ糸は、導火線でもあったらしい。

大規模なニューロンの発火は高揚しているときにみられる現象だ。

人はだれでも15分だけなら有名になれるという……。



65 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:46:50.07 ID:6an8YmUi0




私の尊大な態度は、その実は虚勢なのではないか、という勘違いも、

自らと違う構造を持つ生き物たちに埋没して過ごしているうちに、

わずかに真実味を持ち始めたようにも思えてしまう。

夏休みの宿題を慌てて間に合わせたのも、赤点の回避に努めたのも、

弱みを見せまいとする、最低限の抵抗だったのかもしれない。

彼らの執念的といえるほどの現実性の前に、私は大悪魔だという言葉は、

GPSを搭載した飛行機の航路に浮かぶ雲くらいの効力しか持たないようにも思えてくる。


66 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:47:19.04 ID:6an8YmUi0





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       / . . :l../. .j^  .: ` . Y:i:iツ ./ . . . . /. . : . . . 1
       j´. . . . /,:ィ'クL__ ,ri-< .ノ  . . . .f . : . . . . :へ
       | . . . ./'/ /^/〉三ミ} 《ヽ`、ヾ. . . . . . | : . /: . . . . .}
      ./{ . . :/  '゙ /./:{三ミj.ヘヽヽ丶'、. . . . .! . / . . . : . イ
     /. . . . .l     .j. ̄¨7O/.1.`   } . . . . :{ :/: . . . . . .:}
   .ノ: :_,..、r:|    .ノ:. . . :{ .| :}     |x、. . : V: . . . : . . ..|

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day 3:
のろし【狼煙】

(1) 昔、戦争の合図や事件が起こった知らせとして、火をたいて上げた煙。

(2) 親しい二人の秘密のやり取り。

(3) 現代人が暇つぶしに上げるもの。140文字で飛ばすのが当世風。


「口は災いの元。――を上げるときには、一度自分の中で咀嚼するのよ」

「喉が煤だらけになりそうですね」


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67 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:47:58.47 ID:6an8YmUi0





ある日の土曜日、私はガヴリールの家に来ていた。

一人で家にいるとパソコンを触ってしまい、制作が進まないというので、私はある作戦を実行することにした。

その日の少し前に、ラフィエルにやる気の出し方について相談していた。


「大切なのは、飴とムチと、飴がもらえるという希望です」

「希望?」

「溺れる者は藁をも掴む。どうしても藁を掴ませたいのならば、部屋を水で満たせばいいのです」

「わかるように言いなさいよ」

「心理学的には、オペラント条件付けと呼ばれる方法ですが……」


このときに、ヴィネットに提案した音楽と、もう一つ別の方法を教えてもらっていて、今回はそれを試してみることにした。


68 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:48:26.07 ID:6an8YmUi0



「はぁ……火を見てると落ち着くな」


もう一つの方法とは、アロマキャンドル。

編み物をする前に香りを嗅ぐ習慣を付け、

逆に、香りを嗅いだときに編み始めないと落ち着かなくさせる、という作戦だ。

香りによって色々な効果があるそうだが、リラックスしすぎて眠くなってもいけないので、

ミントガムを噛んだ時のように頭がすっきりする、さわやかな香りを選んだ。

そのまま置いていてもいい匂いだが、やはり火をつけると部屋全体に香りが広がる。


69 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:48:54.71 ID:6an8YmUi0



「ちょ、なんか危ない眼をしてるわよ、あんた」


ガヴリールは両手であごを支えるようにしてテーブルに両肘をつき、

うっとりとした眼差しで蝋燭を見つめている。

これは逆効果だった……?

でも、確かに火は見入らせる力がある。


「これは引き込まれるな……。お前も、家で蝋燭立てて儀式とかしないの?」


「悪魔は儀式を催される側よ!

なんで私が人間どもに菓子折り持って出向くみたいな真似をしなくちゃいけないのよ!」


ガヴリールは席を立ち、カーテンを閉めた。

彼女の家のカーテンは遮光性の高い上等なカーテンで、昼間でもカーテンを閉めると時間がわからなくなる。

朝日が差し込まないから朝起きられないのだろうか。

これも文明の弊害かもしれない。

70 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:49:21.17 ID:6an8YmUi0



「でも、召喚と同時に周りを火の海にするのって、かっこよくない?」


ガヴリールはドアの方へ向かい、部屋の電気を消した。


「あ、いいわねそれ。でも自分の部屋を火の海にする趣味はないわ。というか、なんで暗くしたのよ」


「いや、でもこれ、なんか悪魔的じゃないか? ほら、照明を消すとさ。

今度サターニャの家で蝋燭祭りしよう」


「火は聖なるものって感じがするけど……。これじゃ、編めないじゃない」


確か、火を崇拝する教えもあったはずだ。


71 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:49:51.41 ID:6an8YmUi0



炎は闇の住人である悪魔の天敵。

かつて下界の罪人は、悪魔や魔女と呼ばれ業火で焼かれたと聞く。

その風習は根深く、焼かれるときに翼を広げている悪魔に見えることから、

鶏の悪魔風などと呼ばれる料理の名前にさえ残っている。

悪魔を鶏で例えるなんて、失礼な話だ。

それなら、鶏の罪人風とでもした方が、知恵が得られそうでいいじゃないか。

羽を表したいなら、鶏の鶏風とでもすればいい。

それはさておき、夏休みに悪魔祓いの本をラフィエルに見せられた時に感じたのも、ひりつくような熱気だった。



72 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:50:19.96 ID:6an8YmUi0



「それに、使い魔がいるから、火気厳禁よ。やるならここで」

「やだよ。火事になったらどうするのさ」

「私の家は燃えてもいいっていうの!? なんで私の周りの天使共はこう発想が悪魔的なのかしらね……」

「脱線はいいからさ、そろそろ本筋に戻った方がいいんじゃないの」

「わざわざ電気消して暗くしたのは誰よ、全く 」


それから再び電気をつけて、前回の途中から始めた。

ガヴリールはいつもよりリラックスしているみたいで、

彼女には時々編み目がきつくなりすぎる癖があったが、

それが抑えられているらしく、前回よりも面のでこぼこが減っていた。


73 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:51:04.25 ID:6an8YmUi0




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お昼はガヴリールが買い置きしていたカップ麺を頂いた。

私は醤油ラーメンで、ガヴリールはきつねうどん。

毛糸玉が汚れないようにベッドの上に道具をよけて、テレビを流しながら二人で食事をする。


「ああー、なんか目が変になってる気がする」

「私の手つきが鮮やかすぎたか?」

「いや、つい蝋燭の炎を見ちゃってて」

「あー、わかる」


ガヴリールが作業中に私の足の間を陣取るので、私はその間、特に何もできない。

彼女の手の中で秩序が構築されていくのを見守るのも退屈しないし、なんとなく落ち着くので好きだったが、

今日はぼんやりと揺れる火を見ていることも多かった。


74 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:51:34.97 ID:6an8YmUi0



「禅の修行でもろうそくの火を見つめるって言うしね。一点集中で目を鍛えるのは、集中力の向上にいいんだと」

「へぇ、そうなの。ふふん、私がどんどん最強になっていくのを、指をくわえて見ていることね」

「まあ、集中力だけあっても、赤ん坊にラップトップ持たせるようなものだけどね。将棋なら定石も知らないと」

「体は資本よ。あんたもインスタント食品ばっかり食べてないで、体力付けなさい」

「母親かよ」

「……」


二人してずるずると麺をすすり、会話が途切れる。


75 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:52:02.52 ID:6an8YmUi0



「蝋燭の炎って、周りの音を吸収するみたいだよね。

一面の雪景色みたいに、その周囲の暗闇から、光だけでなく音も奪い去る」


「そうね。たき火とかでも、パチパチって音はするけど、印象としてはとても静かだわ」


暗闇の中に灯る蝋燭の小さな光が安息をもたらすのは、

その明るさが闇と対比されて一層暖かく感じるから、のみではない。

炎はその明るさに眼を慣れさせることで、周囲に立ち込める不安を闇で塗りつぶすのだ。

もたらされた無意味さによる平穏は、母の鼓動と同じリズムで揺れるその姿によって、

目の奥深く、心の底まで滲んでくる。


76 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:52:31.31 ID:6an8YmUi0




「火って生き物と似ている気がするのよ」

「そうか? どの辺が?」

「火は、蝋とか、薪とか、燃えるものを吸い上げて、灰とか酸素にして吐き出すわけでしょう?」

「燃焼は劇的な酸化だから。酸素は消費されるぞ」


「あれ、二酸化炭素だっけ……まあいいわ。

これって、日々ご飯を食べる私たちと類似しているように思うのよ。

生涯を蝋燭に例えるなんて、結構本質的な気がするのよね」


「ふぅん。蝋燭なら、つけたり消したりできるのにね」

「できるんじゃないかしら。たまに着くか確認する程度にちびちび使う人もいれば、ずっとつけっぱなしの人もいる」

「どうだか。ま、いつか燃え尽きるのは確かだよ」


77 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:53:06.26 ID:6an8YmUi0





「ごちそうさま」

「はいよ、お粗末さん」


先に食べ終えた私は、残ったスープを台所に捨てに行った。

ガヴリールは猫舌なのかふぅふぅと息を吹きかけながら食べていた。

一度に麺を数本ずつしかとらず一口が小さいので、小動物の食事風景を見ているようだった。


「さっき食べたラーメンどうだった? おいしかったらまた買おうと思うんだけど」

「うーん、私はちょっと苦手かも」

「えっ、マジか……」


ガヴリールは持っていた箸を落としたのか、カップの中のスープがポチャンとはねたような音がした。



78 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:53:33.21 ID:6an8YmUi0



「な、なによ。驚きすぎでしょ」


三角コーナーに向けて容器を傾けながらガヴリールを見ると、

目の前で犬が急に二足歩行を始めた時みたいな顔をしていた。


「お前、今日は体調が悪かったんだな。無理させてしまってすまない」

「なんで商品の味じゃなくて私を疑うのよ! 誰だって好みはあるでしょ」


「だってお前、なんでもうまいって言って食べるじゃん。

石油とかでも喉を鳴らして飲み干せるんじゃないの? 腰に手を当ててさ」


「失礼すぎる! あまりに塩っ辛いのは苦手なのよ」

「そういえば、海水飲んでしょっぱいって言ってたっけか」


79 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:54:01.21 ID:6an8YmUi0




容器を軽く水ですすいで不燃物のごみ箱に捨てる。

ガヴリールはテレビを眺めていた。

画面の中の料理教室は、三十分加熱された食材が一瞬で登場する場面だった。


「悪魔の舌のアキレス腱は塩だったか」

「え、こんにゃく? 塩で揉むと水が抜けて、味がしみ込みやすくなるらしいわね。ヴィネットが言ってたわ」

「うん? ああ、そうだね」


ガヴリールはのっそりとリモコンを手に取り、つまらなさそうにチャンネルを変えた。


80 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:55:33.95 ID:6an8YmUi0


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午後からも少し編み進めた後、彼女もさすがに疲れてきたらしく、休憩することにした。

ガヴリールはノートパソコンをいじっていて、私はテレビゲームをやらせてもらっていた。

『悪魔の街に火を放て!』

その文句から始まるのは、世界を侵食する悪魔の街の増殖を、放火によって食い止めるゲームだ。



”武器はなんでもいい

ライター、火炎瓶、ダイナマイト、それにタバコ

ただし、君も悪魔の街の住人だ

全てを燃やし尽くしてはいけない

なぜなら、自分の居場所を失ってしまうから”



悪魔の私が操作するのも、なんというかきまりの悪い感じだが……。

単なる遊びということで、私は黒き炎の神の僕たる悪魔として、街に火をつけて回ることにした。


81 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:56:01.24 ID:6an8YmUi0




妨害してくる敵に攻撃が当たれば気持ちのいい効果音とともに敵が炎に包まれて消滅し、

戦局の勝利はファンファーレで大げさに祝福してくれる。

お手軽な全能感……こういうゲームは初めてするが、

ガヴリールが夢中になるのも無理はないかもしれない。


「下界の娯楽もなかなかやるわね。もっと早く教えなさいよ」

「お前がそんなにハマるとはね」

「これって一人でしかできないの? ガヴリールも加勢しなさい」

「コントローラーがない」

「そうなの。残念ね」


画面の中で左右に増えていくコンビニを焼き払うと、主人公のレベルが上がったらしく、

彼の頭上にポップアップが表示されてメロディが流れた。

82 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:56:29.27 ID:6an8YmUi0




「成長が目に見えるなんて、わかりやすくていいわね」

「成長ねぇ」


ガヴリールが、猫のつもりで描いた絵を「かわいいパンダですね」などとほめられた時のような、

何か言いたげな嫌そうな声を出す。


「なによ」

「人間的成長だのなんだの、よく言うけどさ。結局、成長なんてしないんじゃないの?」

83 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:57:07.97 ID:6an8YmUi0



「はあ? 勉強すれば頭がよくなるし、たくさん走ったら足が速くなるじゃない」


「果たしてそれは本質的なの?

例えば、この部屋の中にリンゴが一つあったとする。

テーブルの上かもしれないし、ベッドの上かもしれない。

そこに貴賤はあると思う?」


「うーん、あんまり変わらないわね。」


「私が勉強をするかしないかっていうのも、もっと高い視点から見れば、

リンゴがどこに置いてあるかくらいの違いでしょ」


「リンゴが洗濯機の中にあったら困るわよ。間違えて洗っちゃうかもしれないじゃない」


「ゲームのパラメータだって、外に持ち出しはできない。

攻撃力が100でも999でも、単なるデータであり等価なんだよ」


「そうかしら? レベルが上がったら倒せなかったボスが倒せたりするわ」


84 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:57:34.68 ID:6an8YmUi0



「別の例で言ってみるとすれば……

人が和室の中でポーズをとるのを行灯で照らして、障子に映った影が、そいつの外面。

見違えるというのは、違うポーズをとったにすぎない」


「でも、取るのが難しい姿勢だってあるわ

例えば、ずっと逆立ちし続けるのには修行が必要よ」


「そうだね、その場合は、若いうちはよくても、歳を取れば倒れる

年寄りの這いつくばる姿は、足のおぼつかない幼子とよく似ているよ」


「もし仮にそうだとしても、身の振り方、使い方を知ることは大事よ。

包丁の刃を上に持って野菜を切ろうとする人がどこにいるのかしら? 人差し指が真っ二つよ。

なんにしても、編み物を始めたのは成長でしょう?」


85 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:58:02.55 ID:6an8YmUi0



「ああ、そうかもな……」


なんでガヴリールがここまで成長しないことにこだわるのかわからない。

前に彼女は、駄天の前も後も私は私だ、みたいなことを言っていたが、そのことを考えているのだろうか。

変化を受け入れるということは、その前を否定することと表裏一体なのかもしれないが……。


「……なんかお前、今日テンション低い?」

「そうかしら……。味方を欺くには、まず敵からよ」

「味方を欺いてどうするんだよ。クーデターか」

「味方の味方は敵、みたいな意味よ!」

「何それ、恋敵か何かか?」


86 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:58:40.59 ID:6an8YmUi0



「まあ、編み物にハマる気持ちはわからなくもないかな」

「そう。あんたにしてはなかなかわかってるじゃない」


「感情っていうものは、ためこんでばかりいると、溢れちゃうものなんだよ。

特に、感情を揺り動かされることがあるとね」


「あんたはいっつも溜め込んでそうだしね。もっと表情筋を使いなさい」


「例えば、戦争は割といい例なんじゃないかな。

ある画家は戦時下の苦しい生活の後に全く新しい画風を切り開き、

ある哲学者は徴兵の後に自らの思想を結実させた。

現状に満足しきっていたら、作詞家はきっと一行だって詩を書こうとは思わない。

一時の承認のために、はやる気持ちでこしらえたものは虚ろ。

漫画家は描こうと思って書くんじゃなくて、描かずにはいられないんだよ。

幸福というよりは、不満であることが駆り立てるんだろうね。

だから、愛する夫が仕事に出かけて会えないときに、妻は編み物で気持ちを吐き出す。

そして、何事も手札は多い方がいいよね」



87 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:59:26.28 ID:6an8YmUi0



コルク栓を抜くときのように回りくどく、周到な言い方だが、

編み方を教えたことに感謝しているということだろうか。

自分の考えは世間一般と同じだから正しくて、

そう思ってしまう以外にないといった具合……もっと素直になってもいいのに。

そうしたら、私も自然な流れで、二人で一緒に遊ぶのも悪くないと言えるのに。


「それはもう、玉ねぎを切って涙が出るくらいに自然なこと。

あるいは、うまそうに焼けた肉を目にしたときのよだれ……

そう考えると、幸せの予行演習とも言えるかもしれないけど。

多分、本当に自由なことなんて、そうは無いんだよ」


「うへぇ、胸焼けがするわ。あんたたち、もう同棲でも何でもすれば?」


「友人同士で同棲なんてするわけないでしょ。

ルームシェアは確かに出費が抑えられるかもしれないけど、生活リズムが合わない」


「同じ高校生でしょう? 社会人か! というか、てっきりラヴ的なアレなのかと」

「普通に世話になってるからそのお礼だよ。っていうか、なんだよラヴって」


88 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 00:59:52.75 ID:6an8YmUi0



「哲学的な問いね……天使の方が詳しそうだけど」

「ラヴ的なアレの例を出してみろよ」

「そ、それはその……ちゅーとか」

「ぷっ、キスくらいで恥ずかしがるなよ。小学生か」

「何よ。あんただってしたことないくせに」

「じゃあ、練習してみる?」

「えっ?」

「……」

会話が途切れる。

妙なイメージが頭の中に浮かび、慌てて取り消す。

テレビの画面の中で主人公が袋叩きに遭っているのに気づき、慌てて形勢を立て直す。

89 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:00:34.91 ID:6an8YmUi0


「……悪い、今のナシ」


ガヴリールは自分と私のバッグを取り違えたときみたいに、ごく自然に詫びた。


「何のことやら。私は何も聞こえなかったわよ」

「ん、そうか」


一体何だったんだ……。

少しどきどきしてしまったのは、不意打ちに変なことを言われたせいで、仕方のないことなのだ。

それだけのことだ。


90 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:01:19.97 ID:6an8YmUi0



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「それにしても、自分の操作するキャラの後姿が見えるって言うのは不思議ねぇ」


私は拡大するショッピングモールの駐車場をダイナマイトで爆破していると、

勢い余って街を火の海にしてしまい、ゲームオーバーになった。


「あっ、やられちゃった。もう、あんたもこのサタニキア様の使い魔なら、しゃんとしなさい!」

「そういうのはやってるとすぐ慣れるよ。視界が拡張されただけだ。目が飛び出して宙を漂ってる感じ」


「不気味すぎるわ……悪魔でもそんなやついないわよ。

でも、こういうのを昔からやっていると、他人の気持ちに敏感になりそうね」


「どうだろうね。キャラは操作できちゃうし、自分として認識するのが自然になると思うよ」

「でも、キャラが痛そうな目に遭ってたら、かわいそうって思うじゃない」


ガヴリールが、同じ議題で再度会議を開く前にコーヒーを飲むときのように、はぁ、とため息をついた。


「相手の気持ちになる、ねぇ。一体何なんだろうね」

「それこそ、天使のあんたが詳しくなくてどうするのよ」


91 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:01:45.86 ID:6an8YmUi0



「いやぁ……どうにもね。例えば、あいての幸せを考えるっていうのが納得いかないというか。

結局それって、私の考える相手が喜ぶことなわけでしょ?

つまり、私が手にパペットをはめて『わーい』って喜んでるようなものじゃん」


「そんなの、当り前じゃない。相手ならどう思うか想像すること、それが思いやることであって、言い当てることではないわ」

「思うだけならいいと思うよ。でも実際の行動が伴うとさ、自己満足に相手を巻き込むわけでしょ?」

「深読みしすぎなのよ。ヴィーネが作り笑いをしたりすると思う? 気持ちのこもった行動は何よりも嬉しいものよ」


「それは、そうだけどさぁ……。

まあでも、最低限のことはしようとしてるんだ。料理作ってくれたらおいしいって言うようにしてる」


「殊勝な心掛けね」


92 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:02:36.91 ID:6an8YmUi0




夕方なったので、私はそろそろ帰ることにした。

私は去り際に、引っかかっていたことを言っておくことにする。


「今日食べたラーメンなんだけど」

「塩分過多のアレか。どうした」


パソコンの前のガヴリールはこちらに目もくれず、声だけで返事をする。


「おいしくないラーメンを食べるのも悪くないわ」

「そこは正直なんだ」

「悪魔は嘘をつかないのよ。なんというか……そういうのも、面白いわ」

「へぇ、そうか」


そう答えるガヴリールの横顔は、心なしか満足そうだったように思う。

93 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:03:09.31 ID:6an8YmUi0



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               |/   /  .i   | /  / |    斗i |/ /|
              /  / γ|   | -―v‐ヘ | レ|//} /八__ノ
                 /      ∨   jI斗r屶ァ V∨rリ |〈//
               /  / ,、_/     八  V:リ    , "从 レ1
     ∧   ./     /⌒ーヘ    ヽ〉 "        仏 _.丿
     | \_/    /:⌒\ : : |    :ト    ' イ ./ 厂
     人       / : : : : : \八   V〉 rヘ爪 | / /|
      ≧ーァ    φ/: : : : : : : \ 、  \}rくア⌒\/八
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day 4:
しお 【塩】

(1) 精製したものは、一見砂糖に似る白い結晶。人間の生活に欠くことの出来ない調味料だが、
  一度にたくさんなめると舌を刺すような刺激が有る。海水を蒸発させて作ったり岩塩から
  精製したりする。工業用としても重要。

(2) 味音痴でも、さすがに海水はNG。でも、塩飴はおいしい。


「なあ、サターニャ。悪魔ってやっぱり――を振りかけられたら消滅すんの?」

「ナメクジか! 一緒に海行ったでしょ!」


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94 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:04:11.12 ID:6an8YmUi0



ある日の放課後、私はヴィネットの家に遊びに来ていた。

ヴィネットが誰かと話しながらの方が編み物が進むというので、たまにこうして家にお邪魔している。

人は二つのことを同時にできないのだという。

一つのことに集中して、もう一つのことを適当にこなすと、それで脳はいっぱいいっぱいになり、

余計なことを考えないようになる。

学生がよくラジオを聞きながら勉強するのはこのためだ。

だから、彼女の言うことは少しわかる。

彼女が作業をしている間、私も編み物をすることもあれば、宿題をすることもあった。

それに、誰かと一緒に食べる夕飯はおいしいのだ。


95 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:05:03.56 ID:6an8YmUi0



ヴィネットはいつも通りにベッドの上で壁にもたれかかるようにして座り、編みかけのマフラーを手に取った。

私はローテーブルを借りている。


「ごめんね、付き合ってもらっちゃって」

「いいのよ。私もこういうの、嫌いじゃないわ……ふわぁ」


腰を落ち着けると安心したせいか、あくびが出てしまった。


「やっぱり今日は帰る?」

「いやいや、大丈夫。宿題もはかどるし」


私はそう言って物理学の教科書を手に取って見せる。


「そう? そう言ってもらえると、こっちも助かるわ」

96 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:05:29.47 ID:6an8YmUi0




「そういえば、なんか最近、ガヴの家が、やけにいい匂いなのよね。なんでかしら」

「あ、それは……」

「何か知っているの?」

「さ、さぁ……ガヴリールも女の子だしね」


うっかり話してしまうところだった。気を付けないと。


97 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:05:57.81 ID:6an8YmUi0




「さて、宿題でもしましょうかね」


私は誤魔化すように腕まくりをして、やっぱり袖が邪魔になって元に戻す。


「サターニャ、ミサンガしてるんだ」

「ああ、これ? この前のよ。意外と効果あるみたいなの」


私は編み物をする姿勢が悪いらしく、すぐにひどい肩こりに悩まされるようになった。

これを付けていると少しだけましになる……ような気がする。


「ミサンガって、切れたときに願い事が叶うらしいわよ」

「悪魔は願掛けなんてしないわ。自らの手で勝ち取るのよ」

「はいはい、サターニャらしいわね」


98 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:06:26.79 ID:6an8YmUi0





巨人の肩の上に立つという言葉もあるが、その高みに立つのも一苦労で、勉強とはトランプタワーのようなものだ。

わからない箇所があればその説明を見て、その解説中に不明な部分があればそれを調べる、その繰り返し。

3段目が置かれていないのに4段目を置くことはできない。

授業開始から5分の箇所がうまく積めなければ、残り45分で積むはずだったカードは宙を舞うのみである。

そのことに気付いた私は、教科書を軽く読む程度の予習をするようになった。

三学期は期間が短いにもかかわらずほかの学期と同じ数の試験があるため、その対策で忙しい。

赤点を取って補修を受けることになれば、ガヴリールやヴィネットが困るかと思い、

最近は前より真面目に勉強するようになった。


99 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:06:53.57 ID:6an8YmUi0




全体の構造を把握することは重要だ。

下界の学校に通うことになったときも、まずは形態の把握から始めた。

しかし、何事もたまに確認しないと忘れてしまって、下の段から崩れてしまうこともある。

やっと一組積んだ先に、端からぼろぼろと崩れれば、腕は重くもなってしまう。

私は組んだ腕をノートの上に置き、だらしなく頭を載せてぼんやりとしていた。


「物理は難解ね。マクスウェル方程式とか、よくわからないわ。

というか、マクスウェルとかいう人間、仕事しすぎ」


「同一人物じゃないと思うけど……」

「私とラフィエルが発見をしたら、マクドウェル・ラフィの定理とかになるのかしらね」

「何の定理だ。マクスウェル・ベティの定理みたいに言うな」



100 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:07:26.61 ID:6an8YmUi0


「そもそも、式変形みたいなのがあんまり好きじゃないのよね

それって、同じものを、前とか後ろから、違う角度から眺めているだけじゃない。

あんまり意味が無い」



自分で言った言葉から、ガヴリールの話を思い出したので、聞いてみることにする。


「例えば、昨日の私と今日の私は、イコールでつなげるのかしら?

赤ん坊の私から、おばあちゃんの私まで等号でつなげるとしたら、

子供のころにはすでにおばあちゃんの思考ができるってことじゃないかしら」


101 : ◆n0ZM40SC3M [sage saga]:2017/05/08(月) 01:07:57.10 ID:6an8YmUi0



「そうね、その場合はどっちかっていうと、数学のイコールというよりは、

プログラミングの等号記号、というか代入に近いのかもね

例えば、”a = a + 2”っていう書き方があるのよ。”aに2を足したものをaとする”っていう」


「プログラミング? 何よそれ」


「うーん、そうねぇ……。機械って、私たちの日常言語をそのまま理解できないのよ。

だから、翻訳して教えてあげるんだけど、そのときに使う言葉、かな」


「ふーん、なるほどね。魔界も色々と新しい機械が導入されてるらしいし、知っておくのはいいことじゃない」

「千咲ちゃんの受け売りなんだけどね。あの子、CとかJavaとかやってるみたいで。一体何を作るのやら」


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