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新田美波「わたしの弟が、亜人……?」

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689 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:15:34.54 ID:z5kRHM0CO

永井「同じ失敗はしない。僕はバカじゃないから」


 力のこもった、決然とした口調だった。


平沢「頭の出来は年功序列じゃない。好き勝手ふるまえ。おれはプラン通り動くだけだ」


 それだけ言い残し平沢は去っていった。永井は視線だけで平沢の背中を見送ると、正面の茫洋とした黒い闇に眼をもどした。

 見るかぎり、そこに永井の内面をざわつかせるものはなにもなかった。

 永井は背中をまるめふたたび思案をめぐらした。

 今度ははっきりと佐藤の顔を思い浮かべながら。

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690 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:16:28.33 ID:z5kRHM0CO

戸崎「これが意見をまとめ作成した対佐藤の作戦要項だ。全員がしっかり頭に入れておくこと」


 戸崎がクリップで留められた資料を人数分配って言った。資料を捲る面々の様子を視線で見回ると、中野が中学生が背伸びして晦渋な文章を読むときのようにページを睨んでいる。


戸崎「中野、きみは特にだ」

中野「ここなんて読むの?」

下村「ん? 進攻」


 自分の力で読み進めることをあっさり諦めた中野は、隣に座る下村に単語の読み方を聞いた。

 戸崎は自分の名前に使われている漢字が読めない中野に絶句していた。

 永井は作戦要項の内容にどれだけ自分の意見が採用されたか確認しようと資料をするどく注視していたが、黒服たちがページをめくり、紙が擦れる音がかすかに耳に届いた。

 真鍋が眼を留め、固定されたかのように頭の位置が動かなくなった。


真鍋「三ページ目……こんなことおれらにやれってのか」


 真鍋はぼそりと、部屋全体に行き渡る声で言った。


真鍋「ここおまえの案だろ、永井」

永井「だから?」


 永井は無感情な声で問い返した。

 真鍋はふっと気の抜けたようにちいさく笑った。


真鍋「おもしれえじゃねえか」


 永井は眼でそれに応じた。眼にはかすかに自信をのぞいていた。


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691 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:17:39.02 ID:z5kRHM0CO

 メールを送信しスマートフォンをポケットにしまうと、永井は掌を上に向けた。掌に意識を向けると黒い粒子が立ち昇ってきた。粒子は一条の狼煙となって夜の空の星たちのあいだを通過して、宇宙の一部になっていくように見えた。

 黒い粒子は一定の間隔で上昇していた。粒子は夜の暗さから独立していて、永井の視力が許すかぎりその上昇はどこまでも確認することができた。


中野「おい!」


 突然、中野が呼び掛けてきた。


永井「なんだよ」


 永井は忌々しそうな視線を中野に投げかけて、いった。


中野「おまえさあ……」


 中野はそこでまばたきして、真剣そうに細めていた眼をもとに戻した。


中野「いい感じの死に方知らない?」


 永井は眼をみはった。だが、すぐに中野が言いたかったことに気づいた。


永井「ああ、オグラさんが言ってたやつか」
692 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:18:36.62 ID:z5kRHM0CO

 永井がオグラにIBMを披露した際、中野は自身の問題について──IBMの発現ができない──オグラに質問していた。


オグラ「IBMを出せるようになる方法? ないな、おれの知るかぎり」

中野「そこをなんとか」

オグラ「値引きの交渉じゃねえんだぞ」


 オグラはタバコのパッケージを指でトントン叩いた。


オグラ「IBM発現は、いわば運だ。亜人のIBM粒子は復活時最も濃度が高くなる。そのとき、なにか特別な作用が起こることがある。トンネル効果と言ってもいい。そうすると、IBMが出せるようになる」


 タバコを咥え、ライターを探しながらオグラはとりあえずの結論を口にした。


オグラ「方法があるとすれば、とにかく死にまくることだな」

中野「えー? 結構死んでるけどな」

オグラ「何十回何百回引かなきゃあ、ハワイ旅行は当たらんよ」


 オグラの仮説を踏まえ、永井は中野が“死にまくる”道具を用意した。
693 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:19:38.30 ID:z5kRHM0CO

 ロープの端を結んで輪を作り、首に掛けられる大きさまで広げると、輪になった方とは反対の端を太い幹から伸びた腕三本分はある頭上の枝に掛けた。永井はぎゅっと引きロープを固定した。

 これで、縛り首の準備が整った。


永井「これなら低コストでかつオートマチックに何度も死ねる。寝てても大丈夫だ」


 ロープを見上げながら永井が平然とした調子で言った。中野はざらつきがある輪っかがランプに照らされ夜のなかに浮かんでいる様子を不吉そうに眺めている。

 永井は中野を横目でちらっと見ると、怯えて躊躇していると感じられた。永井はさっきと同じ調子で、こんどは中野を見ながら気づかうように言った。


永井「なにより苦痛がない。バランスよく二本の動脈が絞められすぐに意識を失う」


 永井の言葉を聞いた中野は、唇を噛んで深く息を吸うとふぅーっと息を吐き、前に進んだ。


中野「やるか……!」

永井「怖がることないだろ」


 椅子に足をのせ輪に両手をかけたまま、中野はまだ躊躇していた。永井はその様子を見上げながら、ふと思ったことを口にした。


永井「そういやおまえって、最初なにで死んだの?」

中野「んー……孤独死?」

永井「それは死因じゃねーよ」


 永井は心のなかでツッコんだ。
694 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:20:32.07 ID:z5kRHM0CO

中野「なあ、永井」


 中野はちらっと永井のほうを向いて言った。


中野「おまえ、よくあんな躊躇なく何度も死ねるよな」

永井「おまえもやってるだろ」

中野「おれはいつだって怖い。だって、もしかしたらだぜ? 次は生き返んねーかもしんねーじゃん」


 中野が自嘲ぎみにそう言うと、永井は記憶の片隅にあったとある情報を伝えた。


永井「うわさ程度のソースだけど、中国の亜人で二千回死んだって記録があるらしいぞ、いまも更新中だとか」

中野「よくやるなあ」

永井「なんだってやるさ」


 中野が数字の大きさに呆れぎみになっていると、永井は即座にこう応えた。


永井「じゃなきゃ先には進めないんだ。怖がる必要性がない」

中野「おまえ凄えな」


 永井は何だかばつが悪くなったような顔をして言葉につまった。中野がまた深呼吸し、輪を握る両手に力を込めた。


永井「いいから、早く死ねよ」


 永井はなにかを誤魔化すようにそう言い捨てた。中野は小さな声で「よし」と呟き、椅子を蹴った。


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695 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:21:25.93 ID:z5kRHM0CO

 ロシア語のメールを見たとき、アナスタシアは奇妙に思った。考えてみたらロシアにいたときは携帯電話やパソコンは持ってなかったので、こうしてキリル文字の文面を読むのはずいぶん久しぶりだった。

 文章は簡潔だったが、そのぶん明瞭で文法上の謝りはなかった。

 アナスタシアははじめは流し読みした。それから、なかば信じられない気持ちでメールを声に出しながら熟読した。

 メールは永井から送られたものだった。

 佐藤要撃について。役割は正体を気づかれることなく要撃地点に進入し、待機要員として不測の事態に備えること。IBMの使用が前提となる。と、メールには書かれていた。

 ロシア語の文章の下にリンクが貼ってあり、タッチするとページが表示された。このページもロシア語だ。

 リンク先のページではモールス信号の解説がわかりやすく書かれていた。アナスタシアは念入りに頭から終わりまで三回通して読み、これなら大丈夫だという確信を得てから返信した。
696 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:22:14.45 ID:z5kRHM0CO

 永井からの返信はすぐだった。返信メールには画像が添付されていた。

 スマートフォンのカメラで撮影したとおぼしきその画像には、一枚のルーズリーフが写っていた。モールス符号を視覚的に表したキリル文字の一覧表がルーズリーフに記入してある。ふたたびメールの着信。ロシア語で、北西の方角を見ろという指示があった。

 窓を開け顔を出して指示された方角に眼を向ける。まず見えたのは女子寮を囲う塀、塀の向こうにはオレンジ色の街灯と街路樹がある。車の黄色いヘッドライトの移動が見え、夜の暗闇に染められたビルの壁面を一瞬照らす。

 空には紫色をした雲がひとつあり、鉛筆で描いたように月の下部に横たわっている。星の瞬きは数えられる程度。空の大部分は宇宙に飲み込まれつつあるかのように真っ黒だった。

 そのような背景にも関わらず、黒い粒子が上昇する様子をアナスタシアはしっかり見てとることができた。

 符号表と顔を付き合わせながら、空を見上げ、また符号表に顔を戻す。粒子は辛抱強く一定の間隔で昇り続けている。一時間近く経って、アナスタシアはようやくメッセージの内容を把握した。

 佐藤要撃における囮役となるターゲット二名の名前、要撃の舞台となるフォージ安全の簡単な概要とビルの構造、実行の時期は未定、作戦の詳細は追って報告する、と粒子は告げていた。
697 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:23:34.23 ID:z5kRHM0CO

 アナスタシアはメールを送ろうとしたが考え直し、了解の旨を黒い粒子で伝えることにした。窓から手を伸ばし、粒子を放出する。

 アナスタシアは舞い落ちる雪片を眺めるように、空に上がる粒子を見上げていた。 

 視線を戻すと、北西の粒子が昇るの止めていた。アナスタシアは手を引っ込めようとしたが、思いとどまり、手を真っ直ぐ伸ばすと、ふたたび黒い粒子の放出を始めた。

 おやすみ、とアナスタシアは永井に告げた。永井からの返事はなかった。

 アナスタシアはふてくされながらベッドに戻ると、夏用の掛け布団から腕を出して眼を閉じた。すぐには眠れなかった。心臓が早っていた。

 これは恐怖なんかじゃない、アナスタシアは自分にそう言い聞かせ、ぎゅっと閉じた瞼に力を入れた。


アナスタシア「ニ プーハ ニ ペラー」


 アナスタシアは願掛けの言葉をちいさく発した。「獣も鳥も獲れませんように」という意味の言葉。

 ロシアでは成功を祈る言葉を口にすると、すぐそばに潜む悪霊が成功の邪魔をすると言われている。だからあえて失敗を口にして、悪霊を欺くのだ。

 古い迷信で、アナスタシアもこの願掛けを実際に口にしたことは祖母に教えられたとき以来だった。

 いま、猟の失敗を祈願するこの言葉を唱えたアナスタシアは、心のなかでこう思った。

 どうか、悪霊がわたしが思っているより賢いことがありませんように。わたしの心のなかまで見透かすことがありませんように。わたしの恐怖を見透かすことがありませんように。
 


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698 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:24:42.80 ID:z5kRHM0CO

 田中がアジトの通路を進んでいると、棒立ちしている佐藤のIBMに出くわした。ちょうど報告のために佐藤を探していた田中はIBMに呼びかた。が、すぐにこの前言っていたことを思い出し、あげかけた手を引っ込めた。


田中「あれか、放任中か」


 田中はIBMをそこに残し、佐藤を探しにさらに通路を進んだ。

 休憩室代わりに使っている一室に佐藤はいた。明かりを点けず、暗い部屋を照らしているのはテレビモニターの眼に刺すようなチカチカした光だけだった。

 佐藤はキャスター付きの椅子に腰かけながら、コントローラーを手に持ち、FPSシューティングゲームを惰性でプレイしていた。


田中「佐藤さん、五人目片付きましたよ」


 田中は佐藤の後ろを通りすぎると、スチール製のオフィスキャビネットに四隅をセロテープで貼られた暗殺リストから、理鳥 守琴の名前を消した。


田中「次は誰にします?」
699 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:25:36.30 ID:z5kRHM0CO

 ペンにキャップをし、田中は頬についた血を拭いもせず、佐藤に訊いた。佐藤はゲームをポーズ状態にして、ボタンから指を離した。そして、節々から力を抜きながら、佐藤はいった。


佐藤「三人くらいにしとけばよかったなあ」

田中「は?」


 田中は驚き、佐藤に首を向けた。


佐藤「SAT以降、これといった工夫もしてこないし……十一人は多すぎたよ」


 佐藤は何百回もプレイし、攻略し尽くしたゲームのポーズ画面を見ながら、はっきりと不満を口にした。


佐藤「飽きちゃった」

田中「でも……実験に荷担した奴らなんすよ!?」

佐藤「あと六人かあ」


 田中の訴えを聞き流すかのように佐藤が呟く。コントローラーを持ち直し、ポーズを解除すると、戦闘音が鳴り響いた。


佐藤「田中君でやっといてよ」


 カチャカチャというコントローラーの操作音、惰性的なプレイで敵を撃ち殺しながら、佐藤は田中を見ずに話しかけた。


佐藤「もうできるでしょ? 私は次のウェーブから参加するから」

 
 田中は何も言うことができなかった。しばらく佐藤の背中を見つめていたが、やがてなかば呆然としたまま部屋を出ていった。


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700 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:26:32.66 ID:z5kRHM0CO

 アジトの裏に積まれた廃品の山から鉄臭い臭いが漂ってきた。

 何年も前に廃業した工場の裏手には、鉄材や木材、砕けたガラス、絡み付いた鉄線、キャビネット、スチールデスク、パソコン、カーペットや自転車や自動車のドア、扇風機にエアコン、はてはフォークリフトまで投棄されていた。

 どれも錆び付いて、赤茶けている。豪雨でも洗い落とせない錆び付き。いまや廃品全体を覆いつくし、ひとつの物体になろうとしている。

 田中は三十分もまえからそこに佇み、雲の移ろいに従って地面に写ったり隠れたりする自身の影を意識するわけめもなく眺めている。

 田中はさきほどの佐藤のことを考える。

 佐藤さんが暗殺からおりた……いや、暗殺だけだ。闘争はやめてない。
701 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:27:42.75 ID:z5kRHM0CO

 たしかに、暗殺リストの十一人はおれの復讐だ。もっとほかにも殺したい奴はいる。──おれを切り刻んだやつ、精神鑑定をしたやつ、企業におれを紹介したやつ、悪態つきながら排泄物を処理したやつ──

 だが、あの十一人だけにした。それは復讐以上に重要な意味があったからだ。

 無関係なやつなどいないと知らしめたかった。おれの身体で実験した医薬品のCM、おれを乗せて壁に激突した車のCM、どこの薬局にもあり、どこのディーラーにもある。

 それを飲み下して健康を維持し、それを通勤し、休みの日は家族とどこかにでかける。

 おれから生まれたもので、この国の人間は日々を快適に暮らしている。


 おれの苦痛から生まれたもので。


 おれはおれの苦痛から生まれたものをすべて叩き壊し、燃やし、灰にして、滅ぼしたい。だが、それは不可能だ。あまりにも数が多いし、おれはおれから生まれたものすべてを知らない。知りようがない。十年もされるがままだったから。おれは世界すべてに復讐することができない。
702 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:28:32.99 ID:z5kRHM0CO

 だが、知らしめることはできる。

 おまえたちが使っているものはおれの苦痛からできたものだ、あるいはそうかもしれない、違うかもしれない、確実にそうだと言えるものは限られているが、それは大量にあるし、可能性を含むものは定義的にすべてのものだ。

 その可能性を常に考えろ、苦痛から経済を動かす力学が生まれたこと、利益と人権を秤にかければかならず利益に傾くこと、そういった人間がこの国を動かしていること、そしておれたちは何度命を奪ってもそのことに反対するということ。

 あの十一人はそのために選んだ。メッセージとなりうる十一人。猶予となりうる十一人。

 権利が得られなければ、おれたちはもっと殺す。おれたち自身が権利を付与できるように。

 最終ウェーブは個人的な感情では闘いきれない、使命と思わなければ。

 あの十一人は個人的な感情を処理するためのものでもある。だから、佐藤さんには必要のない過程なのかもしれない……


奥山「田中さん田中さん」


 考えに耽る田中に奥山が話しかけた。しばらくまえに奥山が使用している部屋の灯りが消えたことに田中は気づかなかった。
703 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:29:27.06 ID:z5kRHM0CO

奥山「フォージ安全の青写真ダウンロードしたよ。これ、PDFにしといたから」

田中「……奥山」


 田中は奥山にほうを見ずに、口の中につぶやきを籠らせるように言った。


田中「おれは佐藤さんが……何考えててんのかわかんなくなってきた気がするよ」


 奥山はちょっと間をあけて、持っていた杖を肩に置くと、口を開いた。


奥山「『マリオ』やるときさあ」

田中「はあ?」

奥山「ピーチ姫を助けるぞ!ってテンションでやる?」


 ほどよく気の抜けた声で奥山は話を続けた。


奥山「ストーリーは必要だけど、亀を踏み潰すのが楽しいからやるんだろ? 佐藤さんはそういう単純な人だね」

田中「わかりやすく言えよ」

奥山「やるの? やらないの?」


 奥山はUSBを差し出しながら、訊いた。

 田中は奥山を見た。奥山の眼は田中がどうするか真剣に問うていた。

 田中はもぎとるようにUSBを手にとった。


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704 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:30:04.30 ID:z5kRHM0CO

 田中が気づかなかったことがもうひとつあった。

 佐藤のIBMに声をかけようとしてやめ、田中が通路を奥へと進んだときのことだった。

 棒立ちしていたIBMの左手がゆっくりあがった。六本指が小刻みに震えながら閉じてゆき、人差し指だけが伸ばされた。

 IBMは方向を指し示していた。


IBM(佐藤)『あっ……ちの……部屋……』


 IBMは佐藤と同じ声を響かせた。その声を発したのは、佐藤ではなかった。

 平たい頭をした六本指のIBMは自らの意思ではじめて言葉を話した。


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705 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/10/15(月) 21:43:12.67 ID:z5kRHM0CO
今日はここまで。

一万字程度ですが、来週には続きを更新できると思います。あと、ハロウィン関係のネタでなにか書こうかと。クローネの誰かを出したい。
706 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/20(土) 00:40:13.58 ID:AAkaDZ9k0
追い付いた
もうこれ半分本編補完のノベライズみたいになっとる(誉め言葉)
亜人好きだから嬉しいよ
707 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 20:59:17.26 ID:jiMS7eDVO

 フォージ安全ビルの地下駐車場に国産のセダンと黒のSUVが縦列に連なってすべるように進入してきた。先頭のSUVが柱近くのスペースに停車すると、黒服たちは一斉に下車し、各々の装備を詰め込んだバッグやケースを担ぎ上げた。

 SUVの反対側にセダンが停まった。下村の運転するセダンはカーリングの石のようにゆるやかでスムーズな停車を見せ、なかに乗っている人間にすこしの振動も伝えなかった。


中野「よっしゃ、行こうぜ」


 シートベルトを外し中野がドアの把手に手をかけた。ふと横をむくと永井はシートの背もたれに沈みこんだままの姿勢でいた。前方の席にいる下村と戸崎もほぼ同じタイミングでドアを開けたので、ガコッというロックの外れるときの解錠音がふたつ連なった。
 


中野「永井? なんだよ、また弱音か?」

永井「……」


 永井はよびかけにまっまく無反応だった。完全に気の抜けた表情をしていて、なにも考えてないのか、それとも逆に深く思索している最中なのかわからない。

 昨夜、移動する車内で永井はため息をついた。永井は窓の外に流れゆく風景を、正確には闇に顔を向けていた。いかにも憂鬱そうに。いよいよ佐藤と戦うというときにそんな態度だったから、中野はどうにも不満だった。

 急に永井が思いついたことでもあったかのように身体を起こすと、ドアを開けてそそくさと車から出ていった。中野はすこし奇妙に思いつつ、あとを追った。

 フォージ安全社長甲斐敬一が車からおりた一同を待ち受けていた。
708 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:00:57.27 ID:jiMS7eDVO

甲斐「ようこそ」


 歓迎の言葉もそこそこに、甲斐は一同に視線をむけた。永井圭の姿を認めると甲斐は視線を戸崎に戻した。


甲斐「おもしろいことになってるな、戸崎」

戸崎「昨日の今日で悪いな、甲斐」

甲斐「早いほうがいいだろ。それに私としてもありがたい申し出だ。設備は信頼できるが問題はいつだって人災だ。こんな状況では社員もいつ裏切るかわからんからな」


 甲斐は戸崎も当然同意するだろうといいたげな薄い微笑みを口の端に浮かべながら言った。同時に、その微笑にはどこか揶揄めいた色もあった。

 甲斐は後ろの方に身体を半転させ奥にある金属製の扉に手を掲げた。
 

甲斐「そのエレベーターを使ってくれ。五分だけどこにも止まらず十五階まで昇れるようにしてある。カメラもオフだ。社員にお前らの存在は悟られない」

戸崎「よくあることか?」

甲斐「女を呼ぶ頻度によるな」


 甲斐がほくそ笑んだ。笑みがほのかに嫌らしくなる。それを見て、戸崎はやはり勘づいているのだろうかと訝った。
709 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:02:12.99 ID:jiMS7eDVO

中野「なあ、なんで社員に知られちゃだめなの?」


 エレベーターに乗り込むとき、中野は永井に訊ねた。永井はそれを無視して壁に背中を預け、やはりまだ気の抜けた無表情のままでいた。


平沢「前に言っただろ。われわれの介入を敵に知られないためだ」


 平沢が永井の代わりに答えた。


戸崎「内通者が発生している可能性がある以上、社員すべてに対し秘密裏に動く必要がある」

中野「秘密り……り?」


 聞き慣れない単語のせいで中野の理解はいまいち進まなかったが、戸崎は気にせず、亜人管理委員会内に発生していた内通者に思いを馳せた。

 二日前に都内の高級料亭で亜人管理委員会メンバーの会合があり、戸崎は当初の意志を翻し出席予定だった。そこをIBM二体が襲撃──一体は田中のものだ──したものの、戸崎は不在だった(出席は内通者をあぶりたすための方便だった)。田中のIBMにあせって言い繕った長髪の研究者がもう一体のIBM──なだらかに盛り上がった丘のような頭部を持ったIBMで、首にあたる部分はなく、巨大な手をしていた──に殴り殺された。研究者の顔面は打ち下ろされた拳の威力で表裏がひっくり返りなくなってしまった。そのとき、振り抜ける拳の軌道上に大臣の鼻先があった。鼻先はこそぎとられ、じくじくと痛みだし、指先で拭った血を見つめる大臣の内側にじわじわと恐怖心が湧いてきた。

 この襲撃事件によって、厚生労働大臣および亜人管理委員会は方針を転換、佐藤との対話・和解を進め、現行の作戦の一切に中止が命じられた。つまり、戸崎たちはまったくのバックアップなしに佐藤を拘束しなければならくなったのだ。
710 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:03:18.36 ID:jiMS7eDVO

甲斐「そうだ戸崎、愛ちゃんは元気か?」


 エレベーターの扉が閉まる直前、甲斐が出し抜けに訊いた。戸崎が何も言わず無感情に見つめ返した。


甲斐「ああ、すまない……事故に遭ったんだったな」


 甲斐は失言を本心から詫びた。


戸崎「元気だよ」


 扉が閉まりきるまえ、かろうじて甲斐が視界に入っているとき、戸崎は一言だけ告げた。

 エレベーターが上昇する。甲斐が言った通り、どこの階にもとまらず、金属の箱はなめらかといってもいい運動性を感じさせた。


中野「え? ふたり知り合い?」


 三階を通過したとき、さっきの会話の意味をようやく理解した中野が訊いた。戸崎は前を向いたままこたえた。


戸崎「大学の同期だ。私がこのポストに就いたとき奴に亜人の話を持ちかけた。そういった経緯があるから今回個人的にアポが取れたんだ」

平沢「信用できるのか?」

戸崎「できない」


 戸崎が即答した。


戸崎「だが、命がかかっているからといって平伏すような奴じゃない。攻撃してくる相手は、徹底的にねじ伏せる。それがフォージ安全社長甲斐敬一という人間だ」
711 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:05:07.91 ID:jiMS7eDVO

 十五階に到着すると、もう一人のターゲットであるフォージ安全社長秘書、李奈緒美が戸崎たちを出迎えた。李は一同を応接室に案内すると、施設の説明のために同階会議室に何名か来るように依頼した。戸崎と下村が説明受けることになった。


李「フォージ安全ビル。全高百十五メートル、地上二十六階」


 天井のプロジェクターから真っ直ぐにのびた光線がスクリーンに投影され、施設の外観が映る。


李「昇降方法はエレベーター四機と荷物用が一機、階段が二箇所、小さな郵便物用のリフトも一機あります」


 李が手元のタブレット端末とスクリーンに視線を行き来させながら説明する。


李「ビル外面の全窓は弊社開発の強化ガラスで戦車の砲弾も防ぐ世界最高強度を誇ります。一〇uでないと強度を実現できないことやコストの問題等から商品化には到りませんでしたが、プロモーションも兼ね自社ビルの窓に採用しています」


 画面が強化ガラスのアップから別の画面に移り変わる。一階の様子。戸崎たちはここを直接眼にしていない。


李「一階ロビーには検問ゲートがあります。どんな訪問者もここでIDチェック、金属探知、身体検査を受けます。社員も例外ではありません。不審者がいれば、防犯シャッターが下がり侵入を防ぎます。郵便物も同様。X線検査、生物・化学剤検知等をパスしなければ通過できません」


 李の説明に従うように映像は検問、シャッター閉鎖、X線検査のイメージを映した。


李「二階から十三階までは十階を除き同じ間取りのオフィスが続きます。十階は機械室、空調・水道・ガス・電力等を管理しています」


 オフィス内の仕事風景が映されていたのは短い間で、すぐにパイプや機械類に埋め尽くされた十階フロアの風景に切り替わる。


李「空調はビル内で化学兵器が使われる自体を想定して作られており、一部屋につき六秒で完全に新鮮な空気に換気することもできます。これらの配管はビル全体に広がってますが、人が入って移動できるような物ではありません。ここまでが一階から十三階の説明です。次に十四階」


 映像がまた切り替わる。
712 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:06:50.73 ID:jiMS7eDVO

李「十四階はセキュリティ・サーバー室。ビル全体の情報・防犯設備はすべてここで管理しています。ここのコンピューターは外部のネットワークと断絶されており、ネットを介してハッキングすることは絶対に不可能です。この部屋にスプリンクラーはありません」


 セキュリティ・サーバー室の天井にカメラが向けられ、備え付けられた消化設備がアップになる。


李「精密機械に水は天敵です。火災が発生した場合はCO?を放出し鎮火します」


 ガスが噴射された場合、サーバー室には速やかに警報が鳴り響き、職員を避難させるようになっている。


李「そして次に十五階。いま、わたしたちのいるフロアです」


 スクリーンに社長室が映る。甲斐とおぼしき人物がデスクに座っている。カメラが引いた位置に置かれているため、顔が判別しづらい。背後は全面窓になっていて、オフィス街の様子が見渡せる。


李「十五階は社長専用のフロアと言っていいでしょう。社長室がある他、社長専用の応接室、会議室、宿泊室など。甲斐社長は年間三百日以上このフロアで過ごします。ほとんど自宅へ帰ることはありません」


 また映像が切り替わる。開発部門の紹介。ピストル型の麻酔銃を研究開発の様子。


李「最後に十六階から二十六階、開発部門です。製品の開発・試作・実験施設が続きます」


 李の説明はそれで終了した。
713 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:08:12.45 ID:jiMS7eDVO

戸崎「聞いている通りですね」


 部屋の照明がつけられた。戸崎は椅子の背もたれに少しだけ背中を預けると、李の説明が甲斐から聞かされていたものと合致していることについて考え、李のほうを向いて訊いた。


戸崎「たとえば図面にないような隠し部屋等、そういったものは本当にないんですね?」

李「ありません」

戸崎「警察のビル内警備は?」

李「許していません。ビル周辺の巡回は増えましたが、社長は警察批判で有名ですから。『真に安全を守れるのは民間企業だ』と」

戸崎「わかりました」


 甲斐の持論はともかく、警察の介入がないのは──少なくとも、作戦開始時において──戸崎たちにとってもメリットがあるとはいえた。

 リストの五人目が殺害された際、現場から一人の生存者が発見された。それは周辺警護にあたっていた警官で、警護計画の内容を知ることができる立場にいた。

 すでに社内に発生しているかもしれない内通者をこれ以上増やす必要もなかった。


戸崎「李さん、あなたはなぜリストに?」


 戸崎はふと、リストに記載された人物を調査しているときに覚えた違和感を本人にぶつけてみた。


戸崎「ただの社長秘書。狙われるポジションの人間とは思えないのですが」

李「いえ、当然です」


 李は感情はおろか意思決定さえも抑え込んだ無表情を作り、応えた。


李「わたしは、狙われて当然……」



ーー
ーー
ーー
714 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:09:55.20 ID:jiMS7eDVO

黒服2「うろこ雲か……」


 年嵩の黒服が暮れなずむ空に散らばる黒い雲の欠片をながめながらつぶやいた。

 十五階のゲスト用の宿泊室の北側に面した壁面はガラス張りになっていて、周囲のビル群を見下ろし睥睨することができた。

 日がな一日天候は不安定で、鈍色の空からポツポツと雨滴が降り落ちてはやみ、またポツポツ降り始めるという具合だった。それだけならたいしたことはないが、なにしろ風が強かったので、傘が手の中で独楽のように暴れまわるのがやっかいだった。

 茜色の空の天頂のあたりが青みがかった薄闇に染まりはじめていたが、全体としてはまだ赤い部分が支配的で風のうねる音はビル群にのしかかる竜の唸る声のようだった。


真鍋「台風が近いってな。予報で言ってたぞ」


 真鍋が麻酔銃の照準をたしかめながら言った。平沢は隣で拳銃を分解して整備している。若い方の黒服はベッドで本を読んでいる。真鍋たちを挟んだベッドの反対側にデスクがあり、戸崎が椅子に座り並べてノートパソコンでニュースを見ていた。下村はいつものように戸崎の側にひかえている。


中野「なあ!」


 弛緩してはいないが張りつめてもいない待機時間に耐えかねて、中野が叫んだ。


中野「いつ来るんだよ、やつらは!」


 中野は準備万端で、ショルダーホルスターを付け予備のマガジンを両脇から下げている。
715 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:11:07.33 ID:jiMS7eDVO

戸崎「それはわからないな。二分後か二週間後か。張り切るのはいいが、気張りすぎるのもよくない」


 デスクのところから戸崎が返事をした。中野はあまり納得していない様子で窓とは反対側にあるソファを指差して言った。


中野「じゃあ、あれは?」

戸崎「あれは……」


 戸崎は首を巡らしソファに視線をやった。


戸崎「張らなさすぎだな」


 視線の先にあるソファはシックな色調のソファで、そこに永井がだらしなく寝ころがっていた。永井は戸崎たちに背を向け、右足をソファからはみ出させ親指の先を床に垂らしていた。永井の履いていたスニーカーは寝ころがってから脱ぎ捨てられたので、左右の靴がそれぞれ意思を持ったように別々の方向に先を向けてソファのまえに転がっていた。


中野「永井、そんなんでいいのかよ」


 中野がつめよってきても、永井はなにも言わずボーッとしてるままだった。


平沢「中野、ほっとけ」


 平沢が手元の拳銃に視線を落としたまま言った。


平沢「というより、ほっといてやれ」
716 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:13:05.58 ID:jiMS7eDVO

 それから一日が経過した。佐藤の襲撃はまだなく、永井も無気力に寝ころがったまま。いまは通路のベンチに横たわり、背中をガラス張りの窓に向け太陽の光を浴びて暖まっている。


中野「おい」

永井「あ?」


 うとうとしているところに中野がやってきた。ベンチの端を軽く蹴り、永井の意識をしゃっきりさせようとした。


中野「永井、ビビってんのか?」


 つっかかるような言い方ではなかった。中野は永井の不安がどこにあるのかわからないながらも、どこかはげますような声でつぶやくように言った。


中野「いいじゃねえかよ、負けたって。次がんばれば」

永井「中野……次なんかないんだよ」


 身体を起こしながら永井が応えた。


中野「死なねえんだから次くらいあんだろ」

永井「佐藤にドラム缶詰めされて余生を送るだけだ」 

中野「そうなったら警察か自衛隊がなんとかしてくれんだろ」

永井「対応が遅い」
717 : ◆X5vKxFyzyo [saga]:2018/11/04(日) 21:15:03.08 ID:jiMS7eDVO

 そう言ってから永井は左手を前に持ってくると右肘だけで支えていた上半身をさらに起こし、中野の顔をじっと見据えた。


永井「なあ……おまえにはわからないだろうけど、こんな好条件は二度と揃わない。これが失敗したら、確実に終わりなんだよ」


 そして、永井は中野の言葉を肯定した。


永井「ああ、そのとおりだ。僕はビビってる」


 そのとき、ベル・ヘリコプター社とボーイング・バートル(現ボーイング・ローラークラフト・システムズ)が共同開発した垂直離着陸機?V-22 オスプレイが音もなく突如として窓の外に現れた。

 コックピットに佐藤の姿がみえた。


佐藤「やあ」


 プロップローターは回転しているのに、なぜかその音が窓を震わせることはなかった。にもかかわらず、佐藤の挨拶を永井ははっきりと耳にした。

 M134 7.62mmミニガン・ターレットが駆動する、その様子が、永井の眼に、ストップモーションのように、分割された、時間として、写った。


ーー
ーー
ーー
718 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:16:09.33 ID:jiMS7eDVO

「ギロチンで首を斬られても、数十秒は意識があるらしいね」


 と、佐藤が言う。


「私の昔の知り合いはワイヤーを使ってベトコンの、まだ子どもだったんたけど、その十三歳くらいのベトコンの首を切ったとき、その子の意識はちゃんとあって、じっと彼の眼を見つめていたそうだよ」


 そう言う佐藤の手は血で濡れていた。


「そのことを思い出してね、それで私もやってみたんだ」


 佐藤は手に斧を持っていた。斧の刃は血塗れで、ねっとりと輝ている。


「二回やって一回成功した」


 よく見れば、斧の刃に髪の毛が張りついていた。


「失敗した方はきみにあげるよ」
719 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:17:38.18 ID:jiMS7eDVO

 そう言って、佐藤は頭ひとつ投げてよこした。ごろごろ転がってきた。完全な球じゃないから、ときどきぽんと跳ねたりした。眼の前にやってきたそれは長い亜麻色の髪をなびかせ、ぴたりと止まると、その顔を見せた。


 美波の顔をしていた。


 自分がいまいる建物が崩壊しつつある、足場がぐらつき、コンクリートが崩れる轟音と窓ガラスが割れる音、そして吹きすさぶ狂暴な風の音が耳を襲った。

 それらの音が自分の喉から絞り出された絶叫だと気づいたとき、佐藤は首のない死体を引き摺ってビルの屋上から飛び降りようとしていた。

 死体は夏用の学生服を身にまとっていて、首の断面から黒い粒子が湧き出していた。


 新しく出来た永井圭の顔が、首だけになった美波を見た。
720 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:19:28.54 ID:jiMS7eDVO

 アナスタシアは眼を覚ました、汗びっしょり、三十秒してようやく眼が自分の部屋の天井を認める、あまりの悪夢に泣きたくなる、息を吐く、ベッドから這い出ようとする、パジャマがべっとりしている、冷たい感触に嫌な予感をおぼえる、掛け布団をめくる、人型の染み、地図にはなってない、安堵ともに気が抜ける、落ちるようにベッドから出る、しゃがみこみベッドの縁に頭を預ける、が二度と眠れそうな気がしない。

 頭を沈み込ませていると、頸椎に押され皮膚が伸びてゆく感じがした。アナスタシアは額にマットレスの反発を感じつつ、頭のことを考えた。額から後頭部にかけての丸み、そこから首の付け根までを頭のかたちとして意識する。首の後ろの皮膚を張り出している首の骨、ここを絶たれると亜人も死ぬ。正確には断頭され、その頭部を回収範囲外に置かれたまま復活すると新たに頭部が作られる。そのとき、断頭された方の頭部、生まれたときから存続してきた意識は死をむかえる。

 断頭のことを聞かされたとき、アナスタシアは「断頭=死」という永井が認識している等式をイメージとして感じ取ることができなかった。運転席で話を聞いてる中野も同様で、「全然わからない」と全然わかってなさそうな表情で言った。
721 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:20:45.91 ID:jiMS7eDVO

 永井は宗教的な意味での魂とかスワンプマンの思考実験などといった方向から説明するのを一瞬であきらめ、中野とアナスタシアのスマートフォンを頭に見立てて説明することにした。


永井「これをもともとのおまえらの頭部だと思え」


 永井は右手に中野のスマートフォンを掲げながら話はじめた。おまえらと言いつつ、永井は中野にもアナスタシアにも視線をあわせず正面を向いたままだった。


永井「断頭時、この頭部が回収範囲の外に出たとする。新しい頭部がつくられ、まったく同じ記憶・心もつくられるが、離れた頭部から意識が抜け出して新しい頭部に移るわけじゃない。新しい人格は生きているが、離れた頭部の人格は永眠している。つまりこっちがこうなると」


 そこまでしゃべったところで、永井は車の窓から中野のスマホを投げ捨てた。


中野「え? 投げた?」

永井「これが新しくできる」


 今度は空いた手でアナスタシアのスマホを掲げる。
722 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:22:04.22 ID:jiMS7eDVO

中野「おれのケータイ投げたの?」

永井「そうだけど」


 「なんで投げたんだよ」と叫びつつ中野は運転席から外に飛び出した。アナスタシアが前部座席で繰り広げられている滑稽なやり取りに呆気にとられていると、スマートフォンがひゅるひゅると縦に回転しながら眼の前にやってきた。


永井「機能的には同じだが、存在的にはまったく別。そのスマートフォンと同じだ。機種変更する前のものと同じデータを保存し、同じ機能を果たすけど、構成している物質はまったく別。スワンプマンが定義的に歴史性を持たないのと同じ」


 アナスタシアは投げ返された自分のスマートフォンを見つめた。蚊を叩くようにパチンと手を合わせて受け止めたそれは、一月ほどまえに買い換えたばかりの新しいスマートフォンで、永井の説明を反芻しながら眺めてみると、どこか見慣れない、いつも使っているものにかたちは似ているけど違和感を放つ物体のように思えてきた。

 もし切り離されたら、切り離されたことに気づいているのは自分だけになる。亜人にとって断頭は、物理的な切断にとどまらず、時間的な切断でもあり──誕生したときから記憶を保存し、細胞を入れ換えながらおおきくなって感情を育んできた器官が経験した年月の切断──、わたしは死んでいるのに、周囲の人間はそのことに気づかない。友だちも家族も気づかない。わたしの死を知っているのは、わたしだけ。それは、あまりにも絶対的な孤独だと、アナスタシアには思えた。
723 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:23:33.66 ID:jiMS7eDVO

中野「おい、ケータイ見つかんねえぞ」


 中野が助手席の側に寄ってきて、永井に話しかけてきた。


永井「あるだろ、そこらへんに」

中野「おまえも探せよ」

永井「めんどくさい……」


 永井は自分のしたことなどすっかり忘れたかのように気だるげにぼやいたが、シートの背もたれに背中を深く預けた姿勢でポケットからスマートフォンを取り出すと、アスファルトの上だかどこかに転がっているはずの中野のスマホに電話を掛けてみた。

 着信音が鳴り響いたが、位置まではわからない。画面が光っているはずなのたが、射すようなブルーライトの眩しさも眼に写らなかった。結局、三人は車から降り(アナスタシアがなんとか永井を降ろさせた。そのときの永井は渋々としていた)着信音に耳をすませるとその音はこもって聴こえ、音がするところに近づくと側溝を覆うぶ厚いコンクリートふたの隙間から光が洩れ出していることにきづいた。

 中野はさっそくふたを持ち上げにかかった。ふたの重量はかなりのものだったが、持ち上げられないこともない。だが、ふたの持ち手、つまり隙間は片手の指が四本入るか入らないかくらいしかあいておらず、渾身の力を込めてもふたを側溝からどかせられるほどはあがらなかった。
724 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:26:02.27 ID:jiMS7eDVO

中野「手伝ってくれ、永井」

永井「指が擦りむける」

アナスタシア「アーニャがやります」


 アナスタシアは憮然としながら前に進んだ。言い訳するにしてももっとましな説得力のある言い方をしてほしいものだというふうに態度で示しているかのようだった。

 その白くて細い指を隙間に入れるまえに、中野が「ちょっと待って」とアナスタシアを制した。ふっ、と気を抜くように息を吐き、わずかに力を抜いてから右腕に──指、手首、上腕にかけて──一気に力を込める。ふたがふたたび、さっきよりも少し持ち上がり、中野がアナスタシアに「いま!」と指示を飛ばす。

 アナスタシアが指を突っ込み、身体ごと持ち上げる。ふたがくっと上がり、止まる。少しだけしか上がらなかったが、中野が左手の指を入れ込むだけの隙間はできた。

 指からふっと重さが消える。ふたは一瞬、垂直になって静止したかと思うと、銃で撃たれた者のように後ろに倒れた。コンクリートのふたがアスファルトにぶつかったときの衝撃はすさまじく、それこそ銃声のような音を響かせた。事実、アナスタシアはその音のあまりの大きさにたじろいでしまった。
725 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:27:22.78 ID:jiMS7eDVO

 中野は膝まづいて側溝にぽっかり空いた暗闇に眼を凝らした。眼が形を判別すると、手を伸ばし闇のなかを探る。指がスマートフォンに触れる。

 側溝から取り出し、おそるおそる起動させる。パッと画面が明るくなる。傷ひとつない。中野とアナスタシアは安心と感嘆が入り交じった声をあげる。


「おおー」


 その様子を見ていた永井がこぼす。


永井「幽霊使えばよかったのに」


 ふたりして「あ」と、感心と間抜けさが混じった声を出したところでアナスタシアは顔をあげた。時計を見ると、ベッドから這い出したときより二十分ほど時間が経っていた。

 どこからが思い起こした記憶でどこまでが夢なのか、アナスタシアには判然としなかった(“断頭”のことを聞いたのはたしか、スマートフォンを窓の外から投げたかどうかはわからない、永井だったらやりかねないだけに余計にわからない)。
726 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:28:56.61 ID:jiMS7eDVO

 九月になり、すこしずつ日の出の時刻は遅れ始め、カーテンを開けてみてもまだどこか薄暗い。アナスタシアはぼおっと窓の外を眺めていると、だんだんと風景に光の量が増えていく様子が眼に映った。

 外を見ながら、アナスタシアは友だちはもうすぐ学校に行くのだろうと考えた。でも、わたしは別の場所に行く。

 友だちが死んだと告げられた日、担任にカウンセリングを勧められたアナスタシアはそれを受け、結果としてすこしのあいだ休学を許された。仕事についても同様。また精神衛生上、日中の外出が推奨され、そのためアナスタシアは言い訳やごまかしなしで毎日フォージ安全まで足を運んでいる。

 両親や仲間や友だち、プロデューサーにカウンセラーや担任が考えているのとはことなり、アナスタシアの気持ちは消沈していない。そのことでどこかしらズルをしているような後ろめたい思いはあるが、それもわずかなもの、心の大半を闘志が占めていた。

 アナスタシアは外出の準備を整える。人混みに紛れ、電車に揺られる。目的地付近の駅で降り、十分ほど歩く。到着。

 フォージ安全ビル。

 日付は九月八日、時刻は午前八時十二分。

 アナスタシアは待つ。佐藤が来るまで。


ーー
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727 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:31:40.47 ID:jiMS7eDVO

「来いよ。佐藤」


 永井は佐藤に宣戦した。ミニガン・ターレットが獰猛に吼え、ヘリポートが剥がれ散り、ビルの上部が喰い千切られる。永井の身体もばらばらに吹き飛ばされる。だがその直前に走馬灯、またも時間の分割、痙攣、細かな震動の刹那の合間に存在する停止、そこに佐藤の“表情”が見えた。

 その“表情”は見たことがないものだったが、聞いたことはあった。……ベトナム、一九七六年の“プレイボール”……

 ソファに横になったまま、永井はなかば寝ぼけたまま、しかしまばたきせずにあたりを眼だけで慎重に見回した。カフカは『審判』の草稿から抹消した箇所でこう言っている。(作者は不要な箇所を抹消するわけではない)。
728 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:33:09.73 ID:jiMS7eDVO


 だれか私にこう言った者がありますよ──それがだれだったかはもうおもいだせまんけれどね──、朝目がさめて、少なくとも大体のところで、すべてのものが動かされずに、ゆうべ置いてあったとおりの同じ場所に置いてあるのを見つけるのは、なんといってもすばらしいことだ、とね。なぜといって、睡眠中と夢のなかでは、人は少なくとも見かけたところ、起きているときとはまったく違う状態にいたわけですからね。まったくその男が言ったとおりなんですが、目をあけると同時にその目ですべてのものを、いわばゆうべ置きはなしにしておいたのとおなじ場所にとらえるというためには、無限の沈着さがいることですし、沈着さというよりは、むしろ機敏さのいることなんです。ですから目のさめる瞬間というのも、一日のうちでいちばん危険な瞬間なのだ、自分のいた場所からどこかへ連れ去られて行ったりはしないで、その危険な瞬間が克服されてしまえば、人は一日じゅう自信を持っていられる、というわけなんです。


 すべてのものは永井が夢を見るまえに置いてあってところからほんのすこしも動かずそのままの位置にあった。よく見ると、平沢と真鍋のまえにあるテーブルの上にふたりが点検中の拳銃その他の装備品のほかに、拳銃を差し込んだままのショルダーホルスターが置いてありそれは中野が付けていたものだったが、いまでは肩掛けの部分が混乱して自暴自棄になった蛇のようにこんがらがって放置してある。中野は年嵩の黒服と並んでガラス窓のところに立ち、景色を見下ろしながらくっちゃべっている。

 永井はそのような変化ともいえない部屋の様子の変化を見てとると、ごろんと背中を向け、半分だけ眼を閉じた。のこりの半分は眠気に落ちてくるにまかせた。

 九月八日はこのように過ぎ去った。

 それから、五日が過ぎた。


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729 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:34:30.51 ID:jiMS7eDVO

 ──九月十三日


 デスクの上にある社用のノートパソコンが警報を報せた。


戸崎「セキュリティ・サーバー室で火災警報……」


 火災の検知と同時にガス噴射装置が作動し、二酸化炭素ガスがサーバー室の消化を開始した。火災の規模は小さく、火はすぐに消しとめられた。

 戸崎はパソコンを見ながら、思案した。待機を始めてから初めての異変。


平沢「被害が出るほどの規模じゃないな。誤作動ということもあるらしいしな」


 デスクに近づいてきた平沢がパソコン画面を覗きこみながら言った。

 微妙な異変だった。異変の規模こそ小さいが場所が場所だけに違和感がある。確かめないわけにはいかない。しかし大きく介入すれば、秘密裏にしていた自分達の存在が露見しかねない。どの程度の措置をこうずるか。一同は戸崎の判断を待った。


永井「みなさん、配置についてください」


 突然の指示に全員がソファに視線を向けた。永井が肘で上体を起こした格好をしている。顎が肘掛けの上にのせている。永井はのっそりと身を捩らせ、顔をあげると、静かに確信を込めた一言を口にした。


永井「来るぞ」


ーー
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ーー
730 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:35:48.83 ID:jiMS7eDVO

 火災警報装置の作動から一時間ほどが経過した。

 フォージ安全ビル正面の道路に一台のバンがあった。二時間前にエンジンが切られ、停車したきりで誰も乗り込まず降りてこずの状態だったバンのドアが突然開いた。

 男が三人、バンから降りる。三人組は縦に並び、ずんずんとビルに向かって突き進んでいく。

 ビルの正面で警備にあたっていた警官がその様子に眼をとめる。あきらかにほかの歩行者とは異なる。歩調、速さ、視線の強さ、どれをとっても不審を抱く。

 三人組は手に何かを持っていた。先頭の男は右手に棒状のものを握っている。列から二番目の男の顔が判別できるまでの距離になった。警官は男たちが手に持っている物体が何なのかわかる。同時に先頭の男の正体に気づく。
731 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:37:50.81 ID:jiMS7eDVO

警官「あ!」
 

 警官は肩の無線に手を伸ばした。

 田中は警官の手が動くと同時にショットガンの銃床を肩にあて、狙いをつけ、引き金を絞った。

 警官の口と右手が吹っ飛んだ。

 銃声に怯え逃げ惑う人びと。悲鳴が沸き起こり、しだいに遠ざかっていく。

 田中たちはフォージ安全ビルへと突き進む。

 ビルの前ががらんとした空白地帯になる。人の賑わうオフィス街にぽっかりと無人の空間ができる。警官の欠けた喉からひゅーひゅーと濁った呼吸音が漏れ出す。警官の眼は青い空と白い雲、天を衝く高層ビルを捉えている。やがて見えている景色がだんだんと暗くなり、耳に聴こえるざわめきは遠くなった。警官自身がたてる音もちいさくなってゆく。


 奇妙なほどしんとした静けさが漂うその空間には、口のない死体だけが残されていた。

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732 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/04(日) 21:52:46.71 ID:jiMS7eDVO
今日はここまで。

前回の更新の時に来週には更新しますといっていたのに、遅くなってしまい申し訳ないです。

>>706
ありがとうございます。

ノベライズみたいだな…とは書いてる本人も思っています。追加した亜人がアーニャ一人なので、フォージ安全の後半まで展開を変えられなかったのは悩んでいたので、コメントはとてもうれしかったです。

細部のつけたしはこれも楽しいんですが、読んでてどうかと……とくに永井と中野とアーニャが無意味な感じの時間を過ごすのは十代だし、こんな感じに適当に過ごしてほしいと思って書いたんですが、本編にまったく関係ないですしね。

ハロウィンネタのおまけ短編はこんどこそ今週中に更新できるかと思います。
733 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/04(日) 23:05:44.74 ID:epLBYzTr0
おつー
前の永井Pなコメディ短編も面白かったからハロウィン期待してる
734 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:07:28.41 ID:vr0r0Ve5O
予告したいたハロウィンネタのおまけを投下します。

本編との時系列や整合性はかなり適当
735 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:08:19.11 ID:vr0r0Ve5O

「トリック・オア・トリート」


 部屋に入ってきた四人が声を揃えて言った。

 休憩中の永井がドアの方に眼を向ける。アナスタシア、ありす、奏、文香の四人がハロウィンの仮装をしてやってきていた。


永井「ああ、そうだった」

アナスタシア「お菓子をくれなきゃ、イタズラしますよ?」

ありす「え、ほんとにするんですか?」

文香「わたしは、その、あまり勇気が……」

奏「……白状すると、わたしも」

永井「ちゃんとあるから」


 永井は立ち上がり、用意していたお菓子を四人に手渡した。

 そのお菓子をまじまじと見つめながらアナスタシアが言った。
736 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:09:59.37 ID:vr0r0Ve5O

アナスタシア「これ、お菓子、ですか?」

永井「お菓子だろ」

ありす「おせんべいに、おかきとあられ」

文香「たしかにお菓子ですが……」

奏「米菓ね」

永井「安かったから」

アナスタシア「あまいのがいいです」


 ハロウィンなのに雰囲気をまったく考慮しない永井にアナスタシアは不満たらたら。永井はめんどうそうに顔をしかめて、デスクに戻ると床に置いてあった段ボールを持って戻ってきた。

 段ボールを床に置き、中から橙色をしたまるいものを取り出すと、永井はふたつずつ配った。

737 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:11:58.63 ID:vr0r0Ve5O

永井「山中のおばあちゃんが送ってくれた柿。熟しててあまいよ」

アナスタシア「ハロウィン……」

永井「色は似てるだろ」

文香「おおきいですね、この柿」

ありす「入れ物にはいらないです」

永井「ならここで食べてく? 皮むくよ」

奏「あら、いいの?」

永井「手間じゃないから」


 四人がソファに腰を下ろして待っていると、食べやすいおおきさにカットされた柿の鮮やかな橙色が白い皿に載せられてやってきた。柿にはプラスチックのつまようじが刺さっていて、まろやかな感じのライトグリーンが柿の実とは対比的で眼に映えた。


永井「お茶も淹れてくる」


 そこで永井はふと気づいたことを口にする。


永井「姉さんはいっしょじゃないの?」


 四人とも美波と親しい関係なのに、姉は不在だった。


アナスタシア「ミナミは……アー」

奏「肌を出して弟にお菓子を貰いいくのとか無理だし、イタズラとかもっと無理って」

永井「肌を出さなきゃいいんじゃ?」
738 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:13:41.10 ID:vr0r0Ve5O

 永井がお茶を持って戻ってくる。


ありす「ありがとうございます……あの、永井さんもごいっしょにどうですか?」

奏「そうね、ひさびさに映画と本の話をしたいしね。ねえ、文香」

文香「ええ、永井さんはどちらにもお詳しいので……ちなみに、これがなんの仮装かお分かりですか?」

永井「黒猫ですね。どこの国の小説ですか?」

文香「ロシア文学を意識してます」

永井「ロシアで黒猫だと、ベゲモートですか? 『巨匠とマルガリータ』の」

文香「流石です……!」


 文香は眼を輝かせた。密かなコンセプトに気づいたのは永井が最初だった。


奏「今年はみんなロシアを意識した仮装をしてるのよ」

アナスタシア「ナヤーブリ……十月は、ロシアで大切な月、ですから」

永井「なら、去年やれよ」


 ムッとするアナスタシア。ピリピリするまえにありすが話題を変える。
739 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:14:30.12 ID:vr0r0Ve5O

ありす「あの、永井さん、わたしの仮装はどうですか?」

永井「それはハリネズミ?」

ありす「はい、そうです」

永井「じゃあ、『霧の中のハリネズミ』だね。ヨージックだったっけ?」

ありす「正解です。えへへ」

永井「映画は速水さんが勧めたの?」

ありす「はい。いっしょに観ました」

奏「ちょっとまえにBlu-rayが出たから、それでね」

永井「なるほど」


 永井はアナスタシアに視線をやった。白いドレス、頭に花冠。柿を食べる手を止め、得意気な表情。マイナーな選択で勝ちを狙ってる。


アナスタシア「アーニャのは、むずかしいですよ?」

永井「『妖婆 死棺の呪い』」


 あっさり答える。永井はふてくされるアナスタシアから文香に視線を変える。
740 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:16:27.46 ID:vr0r0Ve5O

永井「原作はゴーゴリでしたっけ?」

文香「はい。永井さんはゴーゴリはお読みに?」

永井「主要な作品は。最近、後藤明生の小説を読んだので、読み直したいと思ってるんです」

文香「『挟み撃ち』は『外套』が下敷きになってますからね。芥川龍之介や宇野浩二もゴーゴリの影響下にいますし。というより、明治の作家はほとんど影響下にあると思います」

永井「坪内逍遙が『小説神髄』で〈小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。〉と書いて近代小説には写実的リアリズムが重要だと主張してますが、これもゴーゴリの作風の一部分と到底する主張ですよね」

奏「ねえ、ふたりとも、わたしたちを置いてけぼりにして楽しい?」


 会話が深まりそうなところを奏が軌道修正する。文香は熱中ぎみになったのをはずかしがりつつ、ありすに詫び、ありすはふたりの対話の深まりに感心するばかり、アナスタシアはさっきから柿を食べていて、また食べ始めた。


永井「スーツ……なんだろ、レーニン?」


 こんどは奏の仮装を当てる番。永井はあてずっぽうに答えた。ロシア映画でレーニンといえば、それはもうやっぱりほとんどヒーロー扱いされていたから(セルゲイ・エイゼンシュテイン『十月』の象徴としてのレーニン、ミハイル・ロンム『十月のレーニン』『1918年のレーニン』の普遍性をもった小市民としてのレーニン)、二割くらいの確率で当たるかなと思っていた。
741 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:17:18.33 ID:vr0r0Ve5O

奏「残念」

永井「だよね。髪の毛そのままだし」

奏「おでこ見ないで」


 奏は前髪の分け目からのぞく額を手で隠した。


永井「映画の登場人物?」


 永井が訊いた。


奏「まあ、そうね」

永井「で、ロシア?」

奏「……言うほどロシアは関係ないかも」


 奏の歯切れがだんだんと悪くなってきた。


永井「さすがにわからないな。答えは?」

奏「……ジョン・ウィック」
742 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:21:06.77 ID:vr0r0Ve5O

永井「アメリカ映画だけど」

奏「ほら、劇中ではバーバ・ヤーガって呼ばれてるじゃない」

文香「スラヴ民話に登場する妖婆ですね」

ありす「でも、アメリカ映画なんですよね?」

永井「敵対するのがロシア系の組織だから」

ありす「はあ」


 あまり納得してない様子のありす。アナスタシアはお茶をふーふーしている。まだけっこう熱い。


奏「やっぱりレーニンのほうがよかったかしら?」

永井「『十月』だしね。かつらとかなかったの?」

奏「自分から話を向けてなんだけど、本気で勧めようとするのはやめて」
743 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:23:15.46 ID:vr0r0Ve5O

 話題はまた映画について。

 『MEG ザ・モンスター』の撮影監督がトム・スターンで驚いたという話題から、ハリウッド大作映画の撮影監督ははんぱない一流カメラマンがクレジットされることがあるから油断できないという話題に。

 『アントマン&ワスプ』のダンテ・スピノッティ、『マイティ・ソー バトルロイヤル』のハビエル・アギーレサロベといった名前は否応なしに人を興奮させる(かれらの名前は、クリント・イーストウッド、マイケル・マン、ヴィクトル・エリセといった名前を連想させる)。

 『ジョン・ウイック:チャプター2』はサイレント時代のコメディ映画のオマージュがあるという話。冒頭、ビルの壁面に映写された『キートンの探偵学入門』と銃口に囲まれたポスターイメージはハロルド・ロイド主演の『都会育ちの西部者』の話。チャーリー・チャップリン+バスター・キートン+ハロルド・ロイド=ジャッキー・チェン。最近のトム・クルーズもこの流れ。


永井「懸賞金がかけられたところで、僕のときは一億円って言われたなって思った。ラストとか僕がトラックに轢かれたあとの感じそのままだった」

奏「永井君、たまにリアクションしづらいこと言うわよね」

ありす「リアクションしづらいとか、そういうレベルじゃないと思いますが」

永井「実際に体験してるとやっばりね。『ザ・プレデター』(なにげにハロウィン映画)で麻酔銃がいっぱい出てくるんだけど、麻酔ダートを人の眼に撃つ描写には驚いたな。あんな死に方は僕もしたことない」

文香「あの、怖くはならないのですか?」

永井「映画は映画ですし」

奏「前にも言ってたわね、それ」
744 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:24:34.69 ID:vr0r0Ve5O

 小梅がホラー映画に出演することが決まったときの話。永井が通りかかり、ちょくちょく映画の話をしていた奏が呼び止める。どんな映画と永井が訊くと、小梅はスマートフォンでティーザー予告を見せた。手術台に拘束された男が電動ノコギリで腕を切断される。永井がひとこと。


永井「これ、されたなあ」


 言葉を失うふたり。スマートフォンを返しつつ、永井がさらにひとこと。
 

永井「公開されたら観に行くよ」

奏・小梅「「観に行くの!?」」


 奏が小梅のあんなにおおきな声を聞いたのははじめてだった。

 そんなこんなで話題は永井との印象深いエピソードへと移行した。

 奏がもうひとつエピソードを披露する。永井の好きな映画のタイトルがあからさまに狙いすぎという話。永井が挙げた三つの映画のタイトル──クレール・ドゥニ『死んだってへっちゃらさ』、ヴィターリー・カネフスキー『動くな、死ね、甦れ!』、ジム・ジャームッシュ『デッドマン』──。

 文香の場合はもちろん本が介在した。
745 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:26:01.42 ID:vr0r0Ve5O

 文香の忘れものを永井が届けにきたときの話。忘れものはもちろん本で、いまでは絶版、文香は内心あわてふためていた。

 そんなとき、永井が本を携えてやってきた。


永井「これって鷺沢さんのですか?」


 そう言って見せたのは、ウィリアム・ギャディスの『カーペンターズ・ゴシック』だった。

 ウィリアム・ギャディスはアメリカ合衆国・ニューヨーク出身の小説家。寡作ながら非常に評価が高く、“JR”と“A Frolic of His Own”によって全米図書賞を二度受賞した。作風はポストモダンと称されることが多いが、モダニズム的な色合いも強く、デビュー当時はジェイムズ・ジョイスに似ていると評されることも。トマス・ピンチョンやドン・デリーロなどと並んで、作品はいずれも大部。特に『JR』以後の作品では、ト書きのない脚本のような書き方が顕著で、「誰がしゃべっているのか」、「この人物はどういう人物か」、「今しゃべっている人たちはしゃべりながら何をしているのか」などといった情報は、読者が発話内容から推測しながら読み進めなければならない。また、登場人物の発話も、言いかけて途中でやめたり、言い直したり、他人の話の最中にさえぎったりなどして、非文法的な不完全文が多いが、それによってリアルなせりふとなると同時に、そこにプロット上の仕掛けが施されていたりする。 ──Wikipediaより引用

 「自由にテーマを展開するピンチョンをジャズに、緻密に語りを組み立てるギャディスをクラシック音楽にたとえる比喩がわかりやすいだろう。」とはアメリカ文学者であり、ギャディスの長編『カーペンターズ・ゴシック』と短編『シチルク対タタマウント村他裁判 ヴァージニア州南地区合衆国地方裁判所一〇五−八七号』の訳者である木原善彦のギャディス評。
746 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:28:35.13 ID:vr0r0Ve5O


 文香は本を見るなり、喜び、そして喜びのあまり永井に本の紹介しそうになるが、思いとどまる。

 ウィリアム・ギャディスは訳書が『カーペンターズ・ゴシック』のみ。日本ではまったくもってマイナーな存在で、文香の通う大学の図書館にも置いてなかったほど。

 そのような作家について熱っぽく語るほど相手を引かせることはない。文香にもそれくらいのことはわかる。まして、このときは永井と話したことは数える程度。しかも仕事で。

 というふうに文香が気持ちを落ち着かせて、そうだお礼を言わなければと思い出したとき、永井がふとした調子で質問した。


永井「ウィリアム・ギャディスの小説って鷺沢さんのところにまだありますか? 洋書でもいいんですけど」

文香「ギャ、ギャギャ、ギャディスをご存じで!?」


 驚き、いきなり距離を詰める。永井はひょいと横に避ける。文香がよろめく。壁に手をついて転ぶのを防ぐ。無人空間への壁ドン。


永井「大丈夫ですか?」


 永井が後ろから声をかける。ちいさく「はい……」と応えた文香の顔が真っ赤になったことは言うまでもない。
747 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:29:41.05 ID:vr0r0Ve5O

奏「受け止めてあげたらよかったのに」


 話を聞いた奏がひとこと。さすがにあきれ口調。


永井「いきなりだったから」

文香「あのときは、ほんとうに……」


 お礼か謝罪か、どちらを口にすればいいのか、文香が言いよどむ。声をかけられ、永井は温度のない眼で文香をみやった。


ありす「わたしのときは良いアドバイスをもらえましたよ」


 微妙な空気が漂う前にありすがエピソードを披露する。

 ラジオのコーナーで、趣味や得意分野のジャンルが異なるふたりが相手のジャンルについて想像であるあるネタを披露し、当たった数が多い方が勝利するというのがあり、ありすは文香に本にまつわるあるあるネタを投げ掛けなければならかった。

 十個の投げ掛け。七つまではなんとか考えついたが、のこりの三つが難しかった。

 収録前日、うんうん悩んでもやっばり思い付かない。と、そこに永井がやってくる。

 永井は姉である美波はもちろん、尊敬する文香や奏やアナスタシアとよく話している。とくに文香とは読書に関する話題だけでなく、ネット上に公開されている論文をダウンロードする方法や、文献管理ソフトの使い方についても話していて、それがのちに文香がありすにタブレット端末の使用について質問するきっかけにもなった。

 そういった経緯もあり、ありすは永井といちどちゃんと話してみたいと思っていた。

 チャンスはいまだと思い、ありすは永井に話しかけた。
748 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:31:25.62 ID:vr0r0Ve5O

永井「読書に限らなくてもいいんじゃないかな」


 ありすから相談された永井が答えた。


ありす「どういうことですか?」

永井「行為そのものの体験量は鷺沢さんが圧倒してるから、それ以外、たとえば本屋でどう過ごすかとか、目当ての本以外に手にとってしまったこととか」


 そう言うと永井は思いつくままに紙にあるあるネタを書き付けた。


本屋の会計で一万円を越えなかったらあんまりお金を使わなかったとほっとする。

いっぱい買ったときは買ったときで手提げの紙袋が用意されるから、ちょっとうれしい。

親族か友人から本でなく本棚を買えと言われた。

というか、大学生なんだからパソコンくらい買えとも言われた(レポートや論文書くときどうするの?)


 最後のは違うかな、とつぶやくと永井は四つ目の文章に横線を引いて、ありすにメモを見せた。

 三つ目の文章のちょっとしたユーモアにありすはふふっと声を洩らした。

 永井のスマートフォンに着信がはいった。永井は全部そのまま使ってもいいよ、口元を手で隠しているありすに言い残しその場を離れた。
749 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:34:53.15 ID:vr0r0Ve5O

 その夜、ありすはうーんと悩んだ。自分でいくつかあるあるネタを考えてみたが、永井の三つよりピンとくるものがない。永井は使っていいよと言っていたが、七つのあるあるネタと並べてみると自分で考えたわけではないから違和感があるし、なんだかズルい気もする。

 もうすぐ就寝時間、ありすは美波を経由してSNSで永井に相談したみた。

  自分が考えたあるあるネタとその評価、正直に自分が感じている逡巡を吐露した。

 メッセージを送って二十分、永井からの返信。



 メッセージ確認しました。

 橘さんはどちらの文章を使っても自分らしさを出せないことに悩んでいるんですね。

 僕の文章で自分らしさを出せないのは当然ですが、橘さんがあとから考えた文章も前に考えた文章と比べると、自分で決めた水準に達していないからこれも自分らしさを出せていない。そのように感じているのがメッセージから伝わりました。

 結論からいえば、どちらを使ってもコーナーは成立すると思います。

 このコーナーの主旨は互いに知識が乏しいと思われる領域に対して、アイドルとしての個性を出しながら接していくかという点にあると思います。ゆえに必ずしも投げ掛けるあるあるネタの精度が高くなくても相手のリアクションやそれに対するこちらの受け答えによっては、僕が考えた文章を使うよりも良い反応を呼び起こすことが可能でしょう。

 ただ失礼だけどこの方法は、橘さんにはちょっと不向きかなと思います。橘さんのアイドルという仕事に対する姿勢には真摯さを感じます。力量を見定めながら事前にプランを設定し、それを実行していく。プロフェッショナルな態度です。

 その分、アドリブに弱いところもあります。自分で納得のいかない文章を使うとなればハプニングが起きたときの動揺はより大きくなるでしょう。

 もちろん、それでコーナーがおもしろくなるのであれば、と橘さんが考えるのであればその選択もオーケーでしょう。ただ、やはり僕としては橘さんが納得できる方法をとってもらいたいと思います。
750 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:36:12.26 ID:vr0r0Ve5O

 さて、僕の文章を使った場合に生まれる齟齬についてですか、これを解決する方法はふたつあると考えています。

 ひとつは僕の文章をもとに橘さんが自分の納得のいく文章を作り上げること。これは齟齬をなくすという方向性なのでわかりやすいと思います。

 もうひとつはあえて齟齬を前に押し出してみること。この前に押し出すという行為に橘さんの個性を出してみてはどうでしょうか。

 これは裏を返せば自分で考えた文章ではないと認めることになります。そのことで苦言を呈されるかもしれません。

 何度も言いますが、僕の書いた文章をそのまま使ってもらってもまったく問題ありません(同じく僕の名前を出す必要もありません)。

 僕たちの仕事はアイドルの方々にまっとうに全力をもって仕事に取り組んでもらい、輝ける手伝いをすることです。

 橘さんを悩ませている自身の納得とコーナーの成立というのは、理想と現実の擦り合わせそのものです。その擦り合わせに納得できる結果がうまれること願っています。 

 それでは、おやすみなさい。

 僕ももう寝ます。お返事は明日にでも。

 
P.S.
 明日の本番は午後三時からでしたね?

 本番の一時間前までにメッセージを送ってもらえば返信可能です。また相談したいことがあればぜひ。
751 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:40:56.96 ID:vr0r0Ve5O

 永井からの返信を読み、ありすはどうするべきか決めた。

 ありすはその日の朝に永井にお礼のメッセージを送り、本番ですることを告げた。

 永井から返ってきた了解と応援のメッセージは短かったが、ありすはうれしかった。

 番組は滞りなく進み、いよいよあるあるネタのコーナー。七回目の投げ掛けを終える。ありすの番が回ってくる。ありすは紙を取り出し、言う。


ありす「すいません、あるあるネタを言う前にすこしだけ」


 スタッフには事前に相談してあったが、進行によっては時間がないことも考えられた。タイムキーパーが使用可能な時間をディレクターに告げる。ちょっと急がないと。


ありす「じつは十問すべて考えることができず、ここからは他の人が考えた質問を言うことになります。自分で納得できるものができなかったことは残念ですが、わたしの力不足だとその点は納得できました。それで、勝手かもしれませんが、いまから言う三問に関しては勝敗には考慮しないでほしいんです」

文香「わたしはありすちゃんの言ったことを尊重したいと思います。リスナーの方々はどうですか?」


 SNSにリアルタイムの反応。ありすの態度を誉めるものばかり。

 ありすが紙に書かれた永井の文章を読み上げる。

 文香は一つめでハッとして顔をあげ、二つめで「なぜそれを」と眼を見開き、三つめで椅子から転げ落ちた。

 まさかのリアクションにコーナーが始まって以来もっとも反響のある回になった。
752 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:42:48.70 ID:vr0r0Ve5O

永井「そんな『新婚さんいらっしゃい!』の
桂三枝みたいなリアクションをしたんですか?」


 永井が文香に訊いた。


文香「できれば、そのことには触れないでくだい……」


 文香は両手で顔を覆い隠しながら、答えたので最後の方はほんとにちいさな声になった。


奏「そのたとえ、よく思いついわね」

永井「山中のおばあちゃんの家にいたときいっしょに見てたから」

ありす「永井さん、放送はどうでしたか?」


 ありすの問いかけに、永井が応える。


永井「ごめん、仕事で聞けなかった」

ありす「そうですか、残念です」


 口で言うより残念そうなありす。肩がしょぼんとしている。


永井「タイムフリーで聴くよ。それからちゃんと感想を送るから」

アナスタシア「ケイのそーゆーところ、ダメ、ですね」


 辛辣なこと言うアナスタシア。手前に置いてあるお皿はからっぽ、せんべいとあられもぜんぶ食べてた。
753 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:43:49.28 ID:vr0r0Ve5O

永井「あげたやつ、ぜんぶ食べたのかよ?」

アナスタシア「みんなのお話、アーニャ、ぜんぜんわからなかったです」

永井「どおりで食べてばっかだと思った」


 永井の一言がふてくされていたアナスタシアをムッとさせる。


アナスタシア「ケイ、あまいお菓子が食べたいです」

永井「チッ」

奏 (舌打ちした)

文香 (舌打ちしましたね……)

ありす「いまの永井さん……?」

永井「貰ってくればいいんだろ」


 永井はめんどうそうに立ち上がった。部屋の片隅には職員用のハロウィン仮装コーナーが設置されていた。

 永井はそこに近づくと、ジャケットを脱いでネクタイを外すと、シャツの袖をまくった。それからサスペンダーを付け、ハンチングを被った。

 見覚えのある格好。いやな予感をおぼえつつ、アナスタシアが尋ねる。
754 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:46:02.95 ID:vr0r0Ve5O

アナスタシア「アー……ケイ、それはだれの、仮装ですか?」

永井「佐藤、亜人の」


 佐藤と聞いたとたん、その場にいる全員が動揺しだした。


ありす「それは大丈夫なんですか?」

奏「セ、センシティブ過ぎない?」

文香「あ、亜人は怪物ではないですし」

永井「佐藤は頭のイカれた殺人鬼だから」

アナスタシア「みんな、ボイテスィ……!……アー、怖がる……怖がりすぎます!」

永井「遺族あわなきゃ大丈夫」

ありす「遺族って!」

奏「ほんとにその格好でいくつもり!?」

アナスタシア「もー!」
755 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:48:56.16 ID:vr0r0Ve5O

 アナスタシアは勢いよく立ち上がり、永井を追っかけていった。

 見ると、さっそく永井は川島瑞希と宵乙女のメンバーらに囲まれ、話をしていた。


瑞希「永井君、それってなんの仮装?」

永井「サト……」

アナスタシア「ウタケル!」


 アナスタシアが割ってはいった。おかげで空気は微妙な感じにならずにすんだ。瑞希たちはアナスタシアにもお菓子をあげた。

 瑞希らを見送ったあと、袋の中のお菓子をみながら永井が言った。


永井「たくさん貰った」

アナスタシア「たべる気、しないです……」
756 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2018/11/07(水) 23:51:54.03 ID:vr0r0Ve5O
以上でおまけはおわり。

もともと別のおまけとして考えてたエピソードをぶちこんだのでかなり長くなりました。後半はここ数日で仕上げたので、荒いところがあるかも。

キャラ崩壊してたらすみません。
757 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/08(木) 19:35:00.27 ID:VKhOhfJ2O
おまけ面白かった!
更新楽しみに待ってます
758 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/09(金) 21:53:20.17 ID:2WNvoBqb0
13巻もこっちも早く続き読みたいわ
759 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/11(日) 22:49:44.91 ID:pig7ZHXY0
乙です
ジョン・ウィックのポスターの話は初めて知った
映画は映画って割り切る永井にヴェスナ・ヴロヴィッチみを感じる…
760 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/06(日) 13:19:59.53 ID:/l2+ircxO
まさかのウィリアム・ギャディス『JR』の刊行におののきながら、発売日までそのおののきを持続させつつ、940ページの書物に8640円(税込)を支払い、1.2kgのその異様な重量感に興奮を覚えつつページをめくっていたら、年末年始が終わってました。


というわけでガチで更新忘れたので生存報告だけ……いやでもマジで衝撃的な時間だったんですよ。デレマスで例えるなら文香が人目もはばからずガッツポーズするくらい衝撃的。

続きはなんとか今月中に。少なくともアーニャ参戦のところまでは書きたい。


>>755
川島さんの名前が誤字っていたので訂正。ついでにオチを足しました。


アナスタシアは勢いよく立ち上がり、永井を追っかけていった。

 見ると、さっそく永井は川島瑞樹と宵乙女のメンバーらに囲まれ、話をしていた。


瑞樹「永井君、それってなんの仮装?」

永井「サト……」

アナスタシア「ウタケル!」


 アナスタシアが割ってはいった。おかげで空気は微妙な感じにならずにすんだ。瑞希たちはアナスタシアにもお菓子をあげた。

 瑞樹らを見送ったあと、袋の中のお菓子をみながら永井が言った。


永井「たくさん貰った」

アナスタシア「たべる気、しないです……」


事の顛末を聞いた奏がハンチング帽をかぶってお菓子を配る永井を見て、ぼそっとつぶやいた。


奏「どちらかというと、綾野剛よね」

761 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 21:46:00.22 ID:ymR8HEsBO

火災警報によって永井が眼を覚ます四時間前、杖をついた男がゆっくりと歩きながら検問ゲートまでやってきた。

 暦の数字はすでに秋の季節に入り込んでいたが、気候はそのことをまったく気にせず引き続き夏の暑さをそのままにしていた。

 出社する社員たちは空調が放つ冷気が頬を撫でる感触にひと心地つきながら、杖の男を抜き去っていった。男は小太りでその体型の原因はもっぱら運動不足のせいなのだが、筋肉の少ない右脚をみるにそれを理由に責めることはできない。男はネクタイをし、ワイシャツの上から作業用のジャケットを着ていたが汗ひとつかいていなかった。抜き去り際に障害のある脚をちらと見やる社員の視線を気にもとめず、透徹すぎて何も見ていないと思える眼で検問ゲートの先を見つめていた。

 検問に到達すると男は杖とリュックを警備員に預け、社員証を提示した。IDが照合され、男は金属探知機へとむかう。探知機が反応し、警備員がハンディ型の探知機を手に持って検査の続きを行った。胸ポケットに反応があり、ポケットの中身を取り出してみると、オイルライターとタバコが出てきた。


「所定のスペースで吸えよ」


 検査物を返却された男は杖でこつこつと床を鳴らしながらエントランスをまっすぐ進んでいたときと同じゆっくりとした速度でエレベーターへと向かった。エレベーターに乗り込み、セキュリティ・サーバー室のある十四階のボタンを押す。

 階数標示の数字が増していくのを見つめながら、奥山真澄は肩を壁に預けて、エレベーターの上昇に身を任せた。


ーー
ーー
ーー
762 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 21:47:42.66 ID:ymR8HEsBO


奥山「この配線じゃノイズで速度が二十パーセント落ちるよ」


 蓋が開けられたサーバーの内側を見ながら奥山が言った。

 不備を一目で見抜いた奥山の知識に現場の上司と同僚がかるく感嘆する。奥山は仕事に就いて早々、動作に違和感をおぼえ、サーバーの配線を確認すると言い出した。奥山は仕事を行うにあたって、システムをベストなコンディションにしておきたかったのだ。


フォージ安全社員1「青島さんもたまにはいい人材引っぱってくるじゃん」

フォージ安全社員2「それ言っちゃかわいそう」


 背後から不意につぶやかれた内通者の名前を聞き流しながら、奥山は腕時計を見た。デジタル式の文字盤が午前十一時十五分と標示していた。


奥山「ちょっとどいて」


 奥山は杖を片手に立ち上がり、あたりを見回した。シュレッダーを見つけると奥山は床に座りこみ、シュレッダーのゴミ箱の蓋を開けた。中には裁断された紙の束が山になってつまっついた。奥山は胸ポケットからライターを取り出すと下カバーを外し、それから底にあるオイルの栓をゆるめた。


フォージ安全社員1「なにしてんだ奥山?」


 床に座る奥山に上司が不思議そうに話しかけた。


フォージ安全社員1「一服なら一緒に行こうぜ」

奥山「いや、吸う人じゃないから」
763 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 21:49:11.09 ID:ymR8HEsBO

 奥山はライターを点けた。ゴミ箱の紙束にはオイルが振りかけられていて、油が染み込んだところの黒っぽく変色していた。インクが滲み、文字が溶けてゆく。奥山がライターを手放す。落ちていく際、ライターはくるりと下を向き、回転にあわせて火が揺らめいた。そのせいで火が消えてしまうのではないかと錯覚するほど赤っぽいオレンジ色の光熱がか細く揺らめいたが、ライターが紙束に落ちたとたん火は炎となって燃え上がり、あらかじめ仰け反ってゴミ箱から離れていた奥山の顔に熱気をぶつけた。


フォージ安全社員1「な、何してる!?」


 黒い煙が吹き上がり、プラスチックの溶ける臭いがサーバー室に充満する。火災警報が響き渡り、CO2ガスの放出までの三十秒のカウントダウンを開始する。部屋の中の社員たちは恐怖に急き立てられて出口のガラス扉へと殺到した。

 いちばん先頭の社員がガラス扉を押し開けようとする。扉は壁のようにびくともしない。急かす声と罵る声とガラスを叩く音が雑多に混じって響く。扉は壁のようにびくともしない。片手で押す、両手で押す、肩でぶつかる、二人がかりで扉をこじ開けようとする。扉は壁のようにびくともしない。大声が悲鳴に変わる。


IBM(奥山)『コ……ラ、コレ?……PEF……』


 奥山のIBMがガラス扉に背中を押し当てて四肢を踏ん張っていた。ガラス一枚隔てた背後から悲鳴が飛び交い、乱れるのとは対照的に、意味のない舌足らずな言葉を奥山のIBMはつぶやいた。IBMは背中でガラス扉の振動と命乞いの叫びを受け止めながら、日向ぼっこをしているかのように動かなかった。セキュリティ・サーバー室はいまやガス室のような様相を呈している。
764 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 21:50:16.84 ID:ymR8HEsBO

『3』

『2』

『1』


 あまりのも機械的なカウントダウンの音声。



「おぉーい!!」

「待て待て待て!!」

「早く開けろよ!!」


 ガス室の内側にいる人間の複数の声。恐慌にかられた人々の叫び。奥山はコツコツと杖で床を叩きながらガラス扉の反対側にある大型モニターの前にある椅子に歩いていった。椅子に腰かけ背凭れに身体を預けると瞼を閉じた。視界が暗くなると奥山の意識から大勢の悲鳴が遠ざかり、機械音声の冷酷な響きだけが選別されたように奥山の耳に届いた。


『CO2ガスを放出します』

765 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 21:51:35.58 ID:ymR8HEsBO

 天井のガス式スプリンクラーから消火用のガスが部屋中に放出される。ガスが身体に振りかかるのを感じた奥山は静かに深呼吸をした。ガラス扉前の社員たちの一部はとっさに息を止めた。無呼吸でいるのは長く続かず、激しく咳き込む音がいくつもした。室内の二酸化炭素濃度が致死量に達すると、そういった音もなくなり、どさどさという成人男性の体重が床にぶつかる音がガスの放出音にまぎれてかすかに鳴ったが、その音を耳にする者はひとりもいなかった。

 ガスの放出がおわり、室内の二酸化炭素濃度を通常に戻すため空調が働き始める。

 奥山の眼が覚めたとき、ゴォッーという空調の作動音はまだおおきく響いていた。


奥山「さて」


 奥山は理性的な眼で出口の前に積み重なっている死体を見やってから、椅子をくるりと回転させ大型モニターを見上げた。


奥山「んー……フォージ安全のハッキングかぁー……」


 システムを再起動するとモニターが点り、警備システムにログインできるように操作する。


奥山「テンション高いなあ」


 キーボードを叩きながら、奥山はいつもと変わらない平静な調子でつぶやいた。


ーー
ーー
ーー
766 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 21:55:38.55 ID:ymR8HEsBO

 ビル前に停められたバンのなかで田中は奥山からの報告を待っていた。荷台に座り込んだ田中はスマートフォンを左手に持ち、連絡がくるのを待ちわび焦れたように画面を凝視していた。連絡がまだきてないとわかりポケットにしまってからもスマートフォンを握りしめたままだった。右手は荷台に置かれたショットガンのグリップに置かれ、すこしだけ力をいれて押さえつけている。荷台に張られた車内カーペットの上にショットガンを置いたとき、固さと重さを持った音がかすかに、合成繊維では吸収できなかった分だけ田中の耳に届き、その音のため田中の右手は銃を押さえつけていた。

 田中がふたたびスマートフォンをポケットから取り出し、画面を見つめていると高橋が眼前で小瓶を振った。


高橋「ホレホレ、おまえもやっとけって」


 小瓶のなかの白い粉がさらさらと左右に揺れた。考えるまでもなくヤクだ。


田中「集中しろ」

高橋「こそだろ」


 高橋は小瓶を引っ込め、頭を壁に預けながら田中を見やると、気負っているくせに何もわかっていないとでも言いたげに唇の右端を持ち上げた。


高橋「どちらかというとアッパー系ドラッグだ。すべてが鮮明になる。銃の狙いもハンパなくなるぜ」


 そこまで言うと高橋の微笑が大きくなり、明確に田中を小馬鹿にしたものに変わった。


高橋「おまえ、ド下手なんだからよお」

田中「だまれ」


 田中がぴしゃりと言い返した。

767 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 21:56:55.98 ID:ymR8HEsBO


田中「あれから射撃はさんざん練習したんだ」


 指に力がはいり、置かれていただけだった右手が銃を握りしめた。それから十数分後、スマートフォンに通知がはいった。ハッキング成功の報せ。


田中「始めるぞ! 甲斐敬一と李奈緒美を暗殺する!」


 田中の号令に高橋とゲンはいよいよかと高揚感をあらわに笑い声をたてた。ふたりは鼻からドラッグを吸い、高揚感を増幅させる。

 バンのバックドアから外へ出た三人は縦に連なってオフィス街を突っ切ってゆく。


高橋「やべえ、やべえ」

田中「佐藤さん抜きなんだ。ナメてっと死ぬぞ」


 通行者たちは険しい表情をした田中にひるみ、道を開けた。すこしはなれたところで脱いだジャケットを手に持ったサラリーマンがスマートフォンを取り出し、田中たちを撮影し出した。

 銃器を手に持った三人の様子 ──田中─ショットガン(ウィンチェスター M1897)、高橋─自動小銃(USSR AKM)、ゲン─自動拳銃(US M1911A1)── から剣呑な雰囲気を感じとっていたが、その雰囲気の範疇に自分は含まれていないとでもいうようなふうだった。

 ビル前で警備にあたっている制服警官と田中の眼が合う。警官は驚き眼を見開いて慌てて無線機に手を伸ばすが、田中が即座に射殺する。
 

768 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 21:58:30.91 ID:ymR8HEsBO


田中「行くぞ!」


 銃声を合図に田中たちがフォージ安全ビルへと突撃する。根拠のない安全圏はたちまち消え去り、通行者たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げ出していった。


高橋「くらえ!」


 エントランスに足を踏み入れたとたん、高橋が壁際にいる社員たちにむかって引き金を引いた。白い壁面に血が飛び黒い弾痕が穿たれる。


田中「無駄弾つかうな!」


 走りながら無関係な人間をたのしく撃ちまくる高橋を田中は検問ゲート周辺の警備員を銃撃しながら叱責した。それを受けて高橋は射線を壁から検問ゲートへ移し、警備員を牽制した。最後尾のゲンもゲート左側をむかって拳銃を連射し、警備員たちをその場に押さえ込んだ。


「防犯シャッターおろせ!」


 銃声に負けじと喉奥から放たれた叫び声に突き動かされひとりの警備員が金属探知機の先にあるロビーから業務フロアへと続く通路の壁の赤いボタンに飛びついた。握った拳の底をつかって殴りつけるというふうに警備員はボタンを叩いた。
769 : ◆8zklXZsAwY [seko]:2019/01/26(土) 22:00:06.82 ID:ymR8HEsBO

シャッターは下りなかった。警備システムはすでに奥山が掌握していて、すべてを操ることができた。

 ボタンを押した警備員の頭蓋骨が散弾で吹っ飛ばされた。衝撃によって警備員は顔面から壁にぶつかり鼻骨が折れたが、彼はもう痛みを感じることはなかった。糸の切れた操人形のように警備員の膝がくにゃりと折れ、床に倒れた。

 田中たちは検問ゲートを突き抜け、通路へ進入する。そのさい高橋とゲンがそれぞれ左右の側面を銃撃しながら警備員をさらに牽制した。金属探知機を越えると、ゲンはわれがちに逃げ出そうと出口に殺到している社員たちのほうを振り返った。そのようすは増えすぎた個体数を調整するためみずから入水するレミングの迷信を思わせる有り様だった。騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた警察官はパニック状態の群衆に行く手を遮られて一向にビルのなかにに入れないでいる。ゲンは視界の中心に警官をおさめつつも狙いはつけず、何発か群衆にむかって発砲した。銃弾は警官にはあたらず、周囲の人間の背中や首に命中した。


田中「奥山!」


 ゲンが銃撃しながら通路まで後退してきたとき、田中がインカム越しにタイミングを告げた。直後、田中の声に反応したかのようにシャッターが下がり、エントランスと通路を遮断した。


田中「ロビーを突破。十五階、社長室に向かうぞ」
770 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:01:26.41 ID:ymR8HEsBO

『エレベーターは使わないでよ。物理的に塞がれたら詰むから』


 インカムから奥山が注意をした。

 奥山は警備システムにアクセスしビルの見取り図を引っ張り出し、事前に入手した青写真と記憶の中で整合した。そして所見を述べる。


『見る限り設備やらなんやらは前情報通りだね。変わってるところはない。作戦通り行けるよ。北階段を使って』


 指示を出したところで奥山は監視カメラの映像から警備員二名がセキュリティ・サーバー室に近づいていることに気づいた。


『警備員がこっちに来る。しばらくオフるよ』


 田中たちが北階段の五階と六階のあいだの踊り場まで上ったとき、奥山から復帰の報告が入った。


『戻ったよ』

田中「おう」


 田中は腰だめにショットガンを構えていて、そのすぐ眼の前の階段には警備員の死体がうつ伏せの状態で転がっていた。
771 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:02:33.88 ID:ymR8HEsBO

高橋「ここまできてさすまたかよ」


 高橋が死体の横に落ちているさすまたを見て言った。


『日本の警備員はスタンガンはおろか催涙スプレーすら使用が認められないからね』

ゲン「引くわー」

高橋「ブッ飛んでな」


 高橋とゲンは死体となった警備員に皮肉な憐憫混じりの視線を投げかけると同時に嘲笑っていた。自分たちが殺した人間に対するふとした同情が可笑しくて仕方ないといった笑みがふたりの唇に浮かんでいた。


『だけどそろそろ気をつけたほうがいいよ』


 奥山の忠告が割ってはいった。


『この会社、ブラックだから』


 奥山はセキュリティ・サーバー室の確認にやって来た警備員(彼らは感電死させられた)の無線から流れる指示を直接インターカムから伝えた。麻酔銃使用の指示が田中らがいる五階より上に配置されている全警備員に通達されていた。
772 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:03:33.84 ID:ymR8HEsBO

高橋「法律違反だろ」

ゲン「だれかクビになったして」

高橋「逮捕だな。いや、どうせおれらが殺すからそれはなしか」


 二人はまたも嘲笑の声をあげた。


田中「マジメにやれ」


 つぎに銃撃戦が起こったのは十階と十一階のあいだの踊り場で、田中は腰を落とし階段に座るような体勢で階上から降りてきた警備員にショットガンを放った。それとほぼ同じタイミングで階段の正面に立つ高橋が十一階フロアからドアを開けて入ってきた警備員二名を射殺する。

 田中がショットガンの排莢を行う。上階から大勢の人間の足音。田中は銃口をあげる。そのとき、視界の横切る黒い影が田中の眼に映る。


田中「は!? バカ!!」


 高橋のIBMが警備員の集団に突っ込んでゆく。巨腕を振り上げ、先頭の警備員の顎にアッパーカットを喰らわせる。警備員の頸がゴムのように伸びる。後頭部が背後の壁にぶつかり、スカッシュのボールみたいに跳ね返ってくる。黒い幽霊は集団の中心で腰を落とすと肘を曲げ、つぎの瞬間、勢いづけて跳ねあがり、両腕をぶんと振り回した。頬骨と頸骨が破壊され、攻撃を食らった箇所がやわらかくゆがんだ。


「え!?」


 最後尾に位置し、ひとりだけ離れたところにいた警備員のすぐ眼前に黒い手が迫っていたが、警備員にとって黒い幽霊の手は透明で、彼は何事が起こったのかを理解する暇もなく─同僚の死すら理解できず─その手に押し潰されて死んだ。
773 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:04:52.65 ID:ymR8HEsBO

高橋「イアー」


 高橋が階段を駆けあがり、黒い幽霊と拳を突き合わせた。黒い幽霊の口角も心持ち上向いている。


田中「高橋!」


 田中が高橋を怒鳴りつけた。


高橋「あ?」

田中「黒い幽霊はシューティングゲームの“BOMB”だ。回数制限がある。本当にヤバいときまでとっとけ」

高橋「いいじゃねえか。あと一回も出せる」

 
 田中はいったん落ち着き、真面目くさった口調で諭そうとしたが、高橋からしたらそれが滑稽な落差を生んでいた。田中の言っていることは佐藤の受け売りであることは明白だった。だが佐藤とちがって田中はいわばゲームの攻略法をしごく真面目に口にしてしまっていた。高橋はヘラヘラとした態度で黒い幽霊と肩を組んで笑っていた。幽霊のほうも高橋と同調しているのかケタケタと歯を剥いていた。


田中「おま……」

『田中さん』


 田中がさらにどやそうとしたとき、冷静な響きをもった奥山の声がインカムから聞こえた。

774 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:07:02.30 ID:ymR8HEsBO

『上の階、固められてる。シールドと麻酔銃で』


 しごく冷静な声を保ったまま、奥山が状況を説明する。


『あと、その階の廊下側からもう一団そっちに向かってる。挟み撃ちにする気だね』

高橋「いよいよ本番か」

田中「どちらかとは戦うことになるな。どっちがいい?」

『下から上に攻めるのは不利だよ』


 奥山が冷静に意見を続けた。


『いまいる北階段を出て廊下側の一団を倒す。そしたら今度はまだ手薄な南階段で上を目指して』


 弾倉交換を手早く済ませたあと、三人は銃口を床に下げ、ドアの前で立ち止まった。田中がちらと高橋に振り返ると、高橋はワンショルダーバッグから粘着力の強いグレーのダクトテープを取り出し田中に手渡した。銃を持つ右手をテープでぐるぐる巻きにすると、田中は高橋にテープを返した。同様のことを高橋とゲンが済ませたことを確認すると、田中はドアノブを握り、力を込めた。


田中「いいか? 隊列を崩すなよ」


 田中は閉じられたドアを見つめたまま、その向こう側の光景を予想しながら言った。


田中「佐藤さんはこれをひとりでやったらしいが、おれらにそんなテクはねえ。練習通りやるぞ!」

775 : ◆8zklXZsAwY [seko]:2019/01/26(土) 22:08:00.60 ID:ymR8HEsBO

 言い終わった田中が慎重に、ゆっくりとドアノブを捻る。このとき、廊下で陣取っている警備員のうちの一人がドアノブが動いたと感じたが、田中は二秒間握ったままの姿勢でいたため、その警備員は気のせいかと思い始めた。突然、叩きつけるようにドアが開け放たれた。田中はオフィスに飛び込むと同時にショットガンを持ち上げ、すぐさま引き金を引いた。散弾がシールドを割り、割れた強化プラスチックと散弾が警備員の肩をえぐった。オフィスの隅の方に固まっていた社員たちが悲鳴をあげた。

 田中は腰をおとしデスクの陰に隠れられるように重心を左に傾けた。田中に続いて突入してきた高橋がAKMを乱射する。銃弾が麻酔銃を撃とうとシールドから身体を出していた何人かに貫通した。弾が当たらなかった警備員は高橋が田中の後を追ってデスクに身を隠す前に麻酔銃を撃った。麻酔ダートが左肩の下あたりに突き刺さり、高橋の身体から意識が消え、すぐ後ろのゲンを巻き込んで仰向けに倒れた。


田中「ゲン!」


 ゲンはすぐさま拳銃の先を高橋に押し付け引き金を引いた。銃弾は右耳のあたりから斜めに発射され、左眼球を巻き込んでこめかみから射出された。血と脳漿が飛び散って床を汚した。高橋は仰向けの姿勢のまますぐに上体を起こしふたたびフルオートで撃ち始めた。高橋に麻酔ダートが刺さってからほんの数秒しか経過していなかったので、麻酔銃を持った警備員たちはシールドに隠れる暇もなくまた何人かが射殺された。


「もう一度だ!」


 すぐ隣の仲間が撃たれて死んでいくなか、この一団を指揮しているとおぼしき警備員が麻酔ダートを装填し直し、ふたたび高橋に狙いをつけた。照準をあわせ、引き金を引こうとする。
776 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:09:47.22 ID:ymR8HEsBO

 田中は引き金を引きその男の顔面を吹き飛ばした。


田中「はやくこっちに来い!」


 デスクの陰に移動しようとしている数名を撃ちまくりながら田中が叫んだ。ゲンが高橋のバッグを引っ張り、尻を床につけたまま乱射している高橋を引きずっていった。今度は田中に麻酔ダートが刺さった。ゲンは指示されるまえに田中のこめかみを撃った。倒れる際にオフィスチェアに田中の後頭部がぶつけた。からからと車輪が転がりオフィスチェアはコピー機にぶつかって止まった。同時に田中の復活が完了し、高橋の射線と交差するかたちで廊下側の集団に引き金を引いた。

 銃撃戦がしばらく続けられたが、気づけば、オフィスの床が死体で埋まっていた。

 少人数とはいえ武装した亜人の部隊に対抗する武器が一発ずつしか装填できない麻酔銃では警備員が全滅するのも当然だった。

 息を喘がせながら田中はオフィスの様子を見渡した。興奮の波が退いていく感じ。呼吸を整えるためにその場に立ち尽くしていると、銃声が一発だけ響いた。ゲンがびくびくと痙攣している瀕死の警備員の後頭部に銃弾を叩き込んでいた。ゲンはこれまでの戦闘でやってきたように背後から引き金を引き、動くものをなくしていった。


高橋「田中」


 田中が無感動な表情でゲンの行いを見つめていると、高橋がほくそ笑みを浮かべながら話しかけてきた。


高橋「おれら、いま、無敵だぜ」


 田中もつられてほくそ笑んだ。


田中「いくぞ!」


 銃を握り直し、三人はオフィスから廊下へと出てそのまま南階段へと進んでいった。
777 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:11:31.15 ID:ymR8HEsBO

 田中たちが去った直後のオフィスは霞が漂っている森の中のように静まりかえっていたが、──実際に白煙が漂っていたが、それは銃の硝煙で不快な煙たさを持っていた──やがて、徐々に動き出すものがあった。デスクの下や壁際に身を縮こまらせていた社員たちがおそるおそる顔をだし、周囲の状況を確認しはじめた。かれらは積み重なる死体に怯え、ひとりが北階段のほうへ一目散に走り出すと、ほかの者たちも悪霊にとり憑かれた豚の群れが湖に飛び込んでいくかのようにあとに続いて逃げ出した。

 オフィスにはなにも言わない死体たけが残された。しかしそのように見えたのはほんの五秒ほどのことで、床に仰向けに倒れていた警備員の死体のひとつがふっと右腕をあげ、被っている帽子のつばに触れた。

 帽子の持ち上がり、顔が見えた。

 永井圭がひっそりと生き返っていた。

 永井は顔をあげ、南階段、田中たちが去っていった方を見やった。


永井「痛って。撃たれちゃったよ」


 上体を起こし、血痕がべっとり付いている右手を見て永井は言った。自動小銃で撃たれたせいで右手は手首からずたずたになり、失血死するまでのあいだひどく痛んだのだった。

 永井がとっくに消えてしまった痛覚を気にしたのは理由があった。そっとを気にすることでできれば起こってほしくないことが目の前で展開されてしまったことを意識したくなかったからだった。


永井「というか……ウソだろぉ……」


 実際に言葉を発することで踏ん切りをつけると永井は立ち上がり、オフィスから北階段へと出ていった。
778 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:13:07.19 ID:ymR8HEsBO

 十階へと降りる途中で中野と出くわした。中野は手摺に右手を軽く置いた姿勢で背中を向けていた。背後から聞こえてきた足音に慌てている気配を感じられず、ついさっきオフィスから逃げたしてきた社員たちの避難誘導をしたばかりの中野はその足音が永井のものだろうと振り返るまえから察していた。


中野「なにしてたんだよ、永井?」

永井「この眼で確かめたいことがあった」


 永井はすれ違いざま、中野に顔を向けて言った。


永井「やっぱり、佐藤さんがいない」

中野「戦いたがりじゃなかったのかよ」

永井「ああ。あの人が後方支援なんてありえない。(永井はドアを開けて十階廊下へと進んだ)つまり、本当にこの戦いに参加してないんだ」

中野「あの手下たちを捕まえるだけでもダメージなんじゃねーの?」

永井「次なんかないんだ。ここで全滅させないと」


 十階にはまだまばらに人がいた。家族へ電話する者や互いに無事を確認しあう者、避難か待機か言い争っている者の横を通り過ぎながら、永井はなぜ佐藤が今回の暗殺に参加しなかったのか考えた。


中野「なあ、おれまで着替える必要あったか?」


 中野がふとした調子で尋ねた。


永井「ガキがうろついてたら目立つだろ。バレちゃだめなんだ、とくに奴には」

779 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:14:58.28 ID:ymR8HEsBO

 そう言うと、永井は中野に振り返り、天井に備え付けてある監視カメラを指差した。指差した手は胸のまえに掲げて、監視カメラからの視点では背中に隠れてみえないようにしていた。

 永井は身体の向きをもとに戻し、歩きながら根拠を説明した。


永井「敵はまず絶対にセキュリティ・サーバー室を取りにくる。ここを陥とさず進攻するのは不可能だからだ。すこしでも異変が起こればサーバー室は陥ちたと考えて動くべきだ」

中野「じゃあこんなところで油売ってていいのか?」

永井「中野、要撃はとっくに始まってるぞ」


 真剣な言葉を発した直後、永井の表情はあっという間にゆるんであきれ顔に変わった。


永井「ていうか、作戦要項にかいてあったろ。そんなんでよく従ってられるな」

中野「おれはバカだからなあ」

永井「あ?」


 そんなことはとっくに知ってる、だからなんなんだ。そういったいらだちを浮かべながら永井はちらと顔だけ中野に振り返った。


中野「ただ、これが佐藤を倒すベストなんだろ? 」


 中野は永井の態度を気にせず(気づいていなかったのかもしれないが)、単純な確信をとくべつ感情も交えず口にした。


中野「おまえが言うんだから」


 永井はなにも言わず前に向き直った。機械室のすぐ前まで来ていた。
780 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:15:48.46 ID:ymR8HEsBO

永井「ここからは仕事柄おまえのほうがくわしい」


 ドアノブに手をかけ、ドアを半開きにしながら永井は振り返り、中野の顔に眼をあわせ、言った。


永井「頼んだぞ」


 機械室のなかに入る。つけっぱなしの空調設備の作動音が耳を聾さんばかりにがなりたっている。壁から天井にかけて無数のダクトが繁生した蔦のように張り巡らされていたが、床はきれいなもので定期的に清掃が行われていることがうかがえた。通路がわかりやすいように黄色いラインの内側がグリーンに塗られていた。

 中野は機械室を見渡して言った。


中野「だれもいねえな」

永井「銃声とかで仕事どころじゃなかったんだ」


 空調制御盤を見つけると、中野は蓋を開けて器機の操作スイッチがどのようになっているか眼で確認していった。中野の作業を待つあいだに永井は戸崎に無線で連絡を入れた。


永井「聞こえますか、戸崎さん。最大の標的が来てないようです」

『そうか。なにか案はあるのか?』

永井「はい。佐藤を引きずり出す。現行の作戦は続行。このまま田中たちは捕獲します。が……」

781 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:17:18.64 ID:ymR8HEsBO

 戸崎はイヤホンを指で押さえながら永井の作戦を聞いた。歩く速度はゆるめずセキュリティ・サーバー室への通路を下村とともに歩いている。こっこっこっこっ、と足音が壁に反響する。合わせ鏡で無数に増幅された像のように、迷宮的に反響が連鎖していく。

 無線連絡を終えた永井は中野に振り向くと、まだ制御盤の操作を続けていた。永井がスマートフォン取り出しメールを打とうとしたとき、中野が声をかけてきた。


中野「永井、始められるぜ」

永井「わかった」


 永井は喫煙スペースから持ってきた脚部がパイプ製のスツール運びながらもう片方の手でスマートフォンを操作した。大型送風機のまえにスツールを置き、腰を下ろすとテキストを確認しメールを送信した。


中野「誰にメール?」


 背後に立った中野が訊いた。


永井「アナスタシア」

中野「え、アーニャちゃん、ここにいんの?」

永井「本人が言ったんだよ、佐藤と戦うって」


 永井は中野がぐだぐた反対するまえに先回りして言った。それでも中野は納得しきらず、戦闘という行為においてはただの女の子でしかないアナスタシアがこの要撃作戦に参加するのは、本人の意思がどうだという問題とはまた別だと思った。


永井「詳しく聞いてないけど、佐藤のテロで知り合いが死んだそうだ」
 

 中野の懸念を察した永井はだめ押しするように言った。中野の性格を考えれば、こう言っておけば、一〇〇パーセントの納得は得られずとも承知はするだろうと知っていたからだった。事実、中野は押し黙った。アナスタシアのそれは、中野が佐藤と戦う動機と重なるところがあったから。

 永井は中野の無言の承諾を感じながら、ふと、中野とアナスタシアの動機についてわずかな時間、十数秒ほど、思考の何パーセントかを傾けた。
782 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:18:33.79 ID:ymR8HEsBO

 中野は大量殺戮への反対というごく常識的で倫理的な動機をみずから口した。アナスタシアのそれについては完全に推察したものだったが、三人で行動していた際に車内で尋ねてきたときの不安そうな声の調子と ──アーニャはどうすればいいですか?──、九月に電話をかけてきたときの決然とした宣言 ──アーニャも佐藤とたたかう── との比較、それに加えそのあいだに佐藤の旅客機テロがあったことを考えると、友人の死あたりが変遷の理由だということは簡単に推察できた。

 永井は、中野みたいな直線的なバカでもないのにそんな理由で十分に戦えるのだろうかと疑問に思ったが、戦闘といってもIBMの使用にするに限るのだから、と考え直した。

 送風機のファンが回り始めた。中野は羽の回転を眼で追いながら、永井にふと尋ねた。


中野「そういや結局、UWFは使わないのか」

永井「IBMだろ」


 中野のとぼけた発言を永井はすぐさま訂正した。


永井「使うもなにも、おまえ、出せるようになんなかっただろ」

中野「だよなあ……おまえも操れないままだしな」


 中野の指摘が正鵠を得ていてばつが悪くなったのか、永井は何も応えず、無言で通した。


永井「まぁ、すこしは使うけどね」


 ファンの回転がいよいよ速くなりはじめる。

 中野は制御盤のところまで戻ると、回転速度を上限めいいっぱいになるまで操作する。

 永井は高速回転するファンを見据え、スツールに座ったまま、要撃開始の狼煙をあげた。


ーー
ーー
ーー
783 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:20:22.80 ID:ymR8HEsBO

李奈緒美は一人掛け用のソファに緊張と恐怖に身体を強張らせながらそれでも辛抱強く、慎ましい態度で浅く腰を下ろしていた。フォージ安全社長甲斐敬一は李の背後の壁際に何食わぬ顔をして立っている。黒服たちは囲うのようにして二人を警護していた。応接用のソファとその間にテーブルがあり、四人はそれぞれソファ背後の端から少し離れたところで待機している。

社長室の入口はガラスで仕切られた向こう側にあり、立体的に張り巡らされた一枚ガラスが社長室を二分している。先程まで西側に面した窓から日が差し込んできて、この仕切りガラスに反射していたので黒服たちは警護のポジションを変更していた。

銃声が聞こえてきた。はじめに単発の破裂音が微かに響き渡り、直後に連続的な銃撃の音が続いた。


甲斐「近づいてきたな」


音のする方向に顔を向けながら甲斐が言った。甲斐はふっと背中を向けると南側の壁に近づいていった。


真鍋「あまり動かないでくれ」


甲斐の動きに気づいた真鍋が言った。その言葉に耳を傾ける者は甲斐も含めてだれもいなかった。銃声は徐々に近づいてきていて、黒服たちは応戦の準備をしようとしていたところだった。

甲斐は壁から張り出した柱に右の掌をぴったりとくっつけた。
784 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:21:54.78 ID:ymR8HEsBO

手の触れたところがガコンとへこみ、甲斐の眼の前の壁が自動ドアのようにちょうどドアの横幅の分だけ開いた。

平沢が眼を見開いた。同時に真鍋が叫ぶ。


真鍋「セーフルーム!?」


ほかの二人の黒服、李も突如として現れた空間に驚愕し、動きを止めてしまった。その間隙の時間を利用し、甲斐はセーフルームに難なく滑り込んだ。甲斐の動きにわずかに遅れて真鍋が飛びつく勢いで走り出したが、すでに扉は閉まり出していた。


甲斐「あとは頼んだよ」


扉が閉まり切る直前、見捨てられたことを理解した悲痛な面持ちの李に向かって、甲斐はたったそれだけ言い残し、扉の向こうに消えた。

真鍋が李に向かって詰問した。


真鍋「あんた知ってたのか!?」

李「いえ!」


李は正気に返ってあわてて否定した。


真鍋「クソ野朗……ターゲットがいねえとダメだろーが」

李「大丈夫です」


正面のガラスに強いるように見ながら李は震えた声で言った。閉じられた透明の扉の開閉部は一枚ガラスから独立していて、その切れ目の線がいやに眼についた。李はさらに言葉を続けたが、それは恨めしげに壁を睨みつける真鍋やほかの黒服たちにというより、自分に向かって言い聞かせているふうだった。


李「わたしは……逃げませんから」


ーー
ーー
ーー
785 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:23:37.41 ID:ymR8HEsBO

十五階の業務フロアへと続くドアの前で田中たちは上階と下階からの挟み撃ちに警戒しつつ、奥山がドアのロックの解除するのを待っていた。


田中「奥山、まだ開かないのか?」


田中は銃床を肩にあて床に膝をついた姿勢で下階を見張っていたが、いい加減にしびれを感じ始めていた。


『十五階のセキュリティシステムは特別厳重で、熱源に体重感知、社長本人の認証がなきゃ猫すら入れない』


奥山がインカム越しに説明した。


高橋「もう五万分は待ってるぜ」

ゲン「ハハ、サバ言うな」

『あのねえ……きみらがたのしくドンパチしてた間も、僕はこのセキュリティと格闘してたの』


奥山の口ぶりは自分の仕事のほうが撃ち合いよりもはるかに複雑で神経の使う仕事だと言いたげなものだった。


『優秀なエンジニアでもあと五時間はかかるよ』

田中「おい、そんなに待てないぞ!」
786 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:25:13.41 ID:ymR8HEsBO

田中が文句を言った直後、背後からガコンという音がした。三人が階段へ向けていた視線をドアへ戻すと、固く閉ざされていたドアが半開きになっていた。


『ほら、とっと入って』


田中がハッと軽く笑う。高橋とゲンを見やって言った。


田中「ゲン、高橋」


呼びかけられた二人はニヤつていた。クライマックスを楽しみにしているとでもいうような表情。


田中「終わらせるぞ」


三人が社長室への通路を進んでいく様子を監視カメラで眺めらながら奥山は十五階のセキュリティをすべて掌握するためハッキングを続けていた。

奥山の視界には三台のデスクトップモニターが収まっていて、右のモニターが田中たちの様子を、中央のモニターがコードを、左のモニターが自分のいるセキュリティ・サーバー室への通路をそれぞれ映していた。

奥山が熱源感知システムのコードを書き換えていると、左モニターの映像に影が横切るのが見た気がした。


奥山「ん?」

『どうした?』

奥山「いま、なにか……」


声を洩らしていたため、田中が尋ねてきた。


奥山「気のせいか」

『あと二十メートル』
787 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:26:26.51 ID:ymR8HEsBO

奥山「こっちもあと少しで十五階全体のセキュリティを掌握できるよ」


気を取り直した奥山がハッキングの進捗状況を田中に伝える。

田中は奥山からの通信を聞きつつクリアリングしながら通路を進行していく。観葉植物の裏を素早く確認し、視線を前に戻す。奥山からの通信に意識を向ける。


『そしたら熱源で敵の配置を……し……』

田中「奥山?」


突如、無線にノイズが走り、すぐに通信が不可能になった。


奥山「田中さん?」


奥山の無線も同様で、田中との通信を再開しようとしてもノイズばかりがインカムから聞こえてくるだけだった。

田中は足を止めて奥山からの通信が再開するのを待っていた。


高橋「どうするよ」


田中は視線を上げた。社長室のドアが見える。距離は十メートルもない。


田中「……もう眼の前だ。続行するぞ」
788 : ◆8zklXZsAwY [saga]:2019/01/26(土) 22:27:12.37 ID:ymR8HEsBO

奥山「何か、変だぞ」


一方の奥山は違和感に手を止め、思考をフル回転させていた。偶然とは思えないタイミングで無線が通じなくなった。しかし、妨害だとしたらいったいだれが? フォージ安全側の人間である可能性はきわめて低い。セキュリティ・サーバー室は掌握してあるし、妨害が可能なら被害が大きくなる前に行っているはず。第三者の介入? だが、外部にセキュリティ業務が委託された痕跡はなかったはず……

いきなり、警報が鳴り響いた。


奥山「火災警報……十階……」


奥山は囮のエサに誘い込まれた鼠のように警報を表示しているモニターに見入った。十階の通路にある監視カメラが火元の映像を映し出した。

永井圭が火のついた紙束を松明のように掲げて、帽子を脱いで監視カメラを見上げていた。


奥山「永井……圭……? 何してる、こんなところで……」


奥山がカメラ越しに永井と視線を合わせていたのは一瞬だった。奥山は左手を素早くあげ、耳のイヤホンを指で押さえて叫ぶ。


奥山「田中さん、中止して!」


インカムから返ってきたのはノイズだけだった。


奥山「ったく!」


床を足で蹴って固定電話へと飛びつく。勢いづいたオフィスチェアをデスクを抑えてとめ、受話器を持ち上げ番号を押す。

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