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志希「それじゃあ、アタシがギフテッドじゃなくなった話でもしよっか」
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1 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/04(金) 16:12:12.69 ID:WQnYZoeU0
この話を聞いた人がもしもアタシの知り合いだとすれば、その人にとっての”一ノ瀬志希”の見方がほんのちょっぴり変わるかもって思う。
うーん、たとえば、その名前から思い浮かぶことってね。
アタシが知ってる限りでは、「帰国子女の18歳で、ルックスも良くて、ダンスも歌も抜群なアイドル」なんだって。
ふつーのJKとして振る舞ってたはずが、アイドルとしてまばゆいデビューしてから、それはもうズイブンと注目されてさ。
カメラのフラッシュをたくさん浴びて、テレビにもたくさん出演して。も〜、世間の人たちがその名前を聞いただけで、あっ、あの子だ! ってわかるくらい有名になるには、あんまり時間はかからなかったなあ。
それもこれも、アタシが“ギフテッド”なんていう、大それた肩書きを持っていたからなんだろうけど。
神さまから愛されたアタシは、まわりの誰もが羨む才能をもらって。
時には化学者として海外を渡り歩いたし、ステキな論文だって書いた。
あまりある才能を存分に発揮して、これまでの人生を何不自由なく過ごしてきたの。
だけど、そんなアタシがさ。
――この恵まれた才能を失ってしまったら、どうなると思う?
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1478243532
2 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/04(金) 16:13:37.32 ID:h2hI7WnWO
あれ?フレ鬱の人かもしかして?
3 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/04(金) 16:17:47.01 ID:ruRqUzqxo
期待
4 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/04(金) 16:24:50.70 ID:WQnYZoeU0
新しい自分に「ハロー」と挨拶したのは、着慣れた白衣で過ごすティータイムのときだった。
午前中の実験を終えたアタシが、プロデューサーにもらった台本を読んでいたとき。
お気に入りのカップから漂うカモミールの香りに酔いしれながら、いつもどおり紙面に目を走らせていく中、アタシは微かな違和感を覚えた。
そのほんの些細な違和感は、徐々に色濃くなり、思わず眉間に皺を寄せる。
「えーっと、あれー? おっかしいなあ……」
まるでそれは濁りのように思えた。綺麗な湖の中に汚泥が溜まっていくかのように。
頭はすっきりしてるのに、なぜだか台本の内容が入ってこない。もういちど、アタシはあれー? と声を漏らす。
おかしい。なにかがおかしい。
ボソボソと呟いて、こめかみに人差し指を当てる。
ポコポコとフラスコの中で煮沸された液体の音がいやに耳に届いた。
何度読んでもアタシは台本の内容が暗記できないでいた。
……ちがうな、暗記は出来る。
だけど、何度も読み返して、声に出して覚えないと忘れてしまいそうになるってだけ。
パタリと本を閉じて、呆然と宙を眺める。
ふと、自分自身の人生を振り返ってみて。紐を手繰り寄せるかのように、少しずつ記憶をたどっていく。
けれど、この短い18年の時間で、そんなことを経験した記憶は一切なかった。そう、まったくなかったのだ。
5 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/04(金) 16:39:12.70 ID:WQnYZoeU0
結論から言えば、アタシは“才能”というものを失ったということになる。……らしい。
ケミストの立場から発言させてもらうと、そんな抽象的な、極めて概念的なお話はまったくもってあり得ない、と指摘したくもなるけど。
んー、だけどね。これが現実となって、この身に火の粉のように降りかかったのだから、もはやシキちゃんも両手を挙げて認めざるを得ないってわけ。現実は小説よりも奇なり〜ってよく言うよね。
理由も分からない。原因不明の才能消失事件。どうやらアタシの性格と似て、才能ちゃんにも失踪癖があったりして。なーんて。
そうそう、才能のはなしだっけ。
さっきも言ったけど、アタシって、それはもう才能に満ち溢れててね。
シンデレラになりたがる女の子がたくさんいるなかで、ふらふら〜と業界にやってきたアタシが新人として頭角を現すことが出来たのだって、これがあったからなんだって今更ながら思ってて。
だからそれを失ったことで、
台本やダンスを覚えるのに今までの数倍時間がかかったことも、
それのせいで今までこなしていた仕事がだんだんと手に負えなくなっていったことも、
プロデューサーが毎日お得意先に頭を下げる姿を見かけることになったことも、
仕方ないことだったのかなって納得できたんだ。
6 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/04(金) 16:50:46.10 ID:WQnYZoeU0
才能って一口に言っても、物事の暗記だけがすべてじゃなくってさ。
えーっと、軽く一例をあげるとするなら。
たとえば、匂い。これまでは誰かが何を考えてるのかってことくらいなら、はすはすしてなんとなーく理解できたけど。あの日から、アタシは匂いを感じなくなってしまった。普通の匂いは分かる。だけど、それはアタシの求める匂いじゃなかったってこと。
たとえば、物事の考え方。周りからは突飛なことをしなくなったねって言われる機会も増えたけど、それは単純にアタシが“それ”のやり方を忘れてしまっただけだった。これまでどうやって生きてきたんだろう、なんて自分に問いかけて。むむっ、そう考えてみれば、アタシってまともな過ごし方をしてこなかったなと一人反省した。
たとえば、化学の実験。まあ、これについては大体わかると思うけど、こんな状態になったアタシが適当に混ぜた薬品がフラスコ内で勢いよく火を上げたことで事務所が炎上しかけたんだよね。それにより、アタシのラボは没収。どんな薬品が潜んでいるかもわからないので厳重に封鎖されることになった。
にゃはは、なんだかのっけから暗いはなしになっちゃった。
だけど、ここからいよいよシキちゃんの転落ストーリーは口火をきったのだった。はい、はじまりはじまりー。
7 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/04(金) 17:00:37.06 ID:WQnYZoeU0
ゆっくり更新していきます。
8 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/04(金) 17:04:56.69 ID:P04oBjzUO
乙
9 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/04(金) 19:44:37.63 ID:MoUxqZzOO
この劇薬を飴細工で包んだような文章には覚えがある
期待
10 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/04(金) 22:46:12.64 ID:eWeUmoDto
又も期待
11 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/05(土) 00:24:27.60 ID:Ck50Wm+A0
さてさて、何から話そっか〜。
んー、それじゃあ、とっておきの一つを語ろうかなあ。
あれはたしか、まだ新しいアタシに生まれ変わったばかりのとき。そのころって、まだアタシの人気も衰えてなくてね。イベントに顔を出す機会の減ったアタシを心待ちにしてるファンだっていたし、会社としての期待値も今よりずっと高いままだった。
そんなことだから、ちょっと落ち目になった人気を取り戻そうってプロデューサーがなんとか取り付けてくれたのが、とある音楽番組の生放送だったわけ。
そこでは“秘密のトワレ”っていう、これまた難しい曲をうたうことになってて。初披露になるそのソロ曲で、アタシはステージに立たないとダメだった。
で、その時点でアタシはすっかり“落ちこぼれ”になっていたんだけど。そのことは、もちろん誰にも知られちゃいけないと思っていたし、アタシも周りに言うつもりはなかった。打ち明けても誰にも信じてもらえない、そう思い込んでたんだよね。
だから、なかなか振り付けが覚えられないことに、トレーナーさんから首を傾げられたりもして。その度に「ちょっと今のは遊びだったかな〜」とかなんとか軽口を叩くようになった。
内心はそりゃあもうアタシも必死でさ。移動中は録音した音源を何度も何度も聴いたし、家に帰ったら振り付けを練習したの。
これまでのアタシなら、ちゃちゃっとフリを覚えて、あとはラボで呑気に実験でもしてたんだろうけど。そんなことをする暇なんて、アタシには与えられなかった。
とにかくアタシには絶望的に時間が足りなかった。ただそれだけだった。
12 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/05(土) 01:07:44.58 ID:vNZKQb1vo
志希と聞けばホイホイですよ私
13 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/05(土) 09:03:14.60 ID:kZevey+dO
ドキドキするな
14 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/05(土) 13:30:31.33 ID:3J305JMkO
おっそろしいなおい
15 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/05(土) 17:01:18.93 ID:Ck50Wm+A0
そんなこんなで地を這いつくばりながら迎えたステージ。
絶対に成功させるんだっていうプレッシャーを肩に背負って。
アタシは、そこで、どうしようもないくらいの大失敗をしたの。
16 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/05(土) 17:12:49.55 ID:Ck50Wm+A0
簡単に言えば、アタシは歌うことをやめちゃったんだよね。それだけならまだよかったのかもしれないけど、ついにはステージ上で座り込んじゃったの。
信じられないとは思うけど、BGMが鳴り続ける中でアタシは極度の緊張であたまが真っ白になって。足もガクガクって震えてたし、喉もカラカラに乾いててさ、とても歌を披露できるような状態じゃなかった。
あんなにやったダンスの振り付けも、歌も、なにも思い出せなくなって。ただただ誰かに見られることに吐きそうになって。
だけどその場所は生放送のソロステージ、それはもう放送事故もいいところで。
顔を抑えて蹲るアタシの元にすぐさまスタッフが駆けつけくれて。タオルを被せられて舞台裏に連れていかれる中、目の前に広がるきれいな景色は、まるでアタシに襲い掛かる怪物にさえ見えた。
俯いたアタシがようやく明るみから暗がりまでやってきたときには、プロデューサーが胸倉をつかまれていてさ。番組のディレクターに怒号を飛ばされていたの。
客席からの鳴りやまない声と、せわしなく動くスタッフと、何度も頭を下げるプロデューサーと、それを呆然と見守るアタシ。
その光景に、もう目の前がくらくらって白く瞬いて。
そこで、ようやく気づいたんだよ。
ああ、アタシは取り返しのつかないことをしてしまったんだって。
17 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/05(土) 22:58:51.31 ID:9ALJT7P/O
最初から持ってなかったならなんてことないが、
しきにゃんがギフト失うって5感なくすのに近いレベルなのでは…
18 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/05(土) 23:25:52.38 ID:TnZInblQo
才能というアバウトな表現してるけど五感が完全に狂ってるのも同然だし
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/05(土) 23:29:07.60 ID:5usVCNk80
これは期待
20 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/06(日) 00:02:25.42 ID:0Pk3vdtMo
誰かに嫁ぐか、お水に落ちるかしかないね(ニッコリ
21 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/11(金) 02:33:28.23 ID:ivl7BEBLo
続きまだ?
22 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/11(金) 15:31:09.14 ID:sxEk3JfPO
水に落ちるで乱馬を浮かべてしまい、いったい何が変わるのかしばし考えた
23 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/11(金) 16:39:18.73 ID:3cpNhopO0
そこからはそりゃあもうあっという間でさ。ネットには動画がアップされるし、掲示板にはアタシへの批判コメントが書かれるしで、これまで大切に作り上げられてきたシキちゃんのイメージはどこへやらってカンジだった。
会社の上層部は、この件を体調不良が〜とか精神的な問題が〜とか適当な理由をつけて記者に回答してたかな。事実なんてものはこの際、重要なことじゃなかったんだよ。だってアイドル事務所だって慈善事業じゃないんだし。悪い噂を払拭することが先決。そんなの、当たり前だったんだよね。
だけど実を言うとさ、アタシは、このとき会社の言っている話がホントのことだってどこか期待してたの。
だってそうでしょ?
ある日とつぜん天才が凡人にまで落ちてしまったとしたら、その人はどうなるんだろう、なんて誰も考えたくもないよね。アタシだってそれはおなじ。そんなの信じたくもなかったわけ。
だから、ちょっと体調が悪いだけ。ちょっと気持ちが落ち着いていないだけ。
何度も頭でそれを繰り返して、アタシは平静を保とうとした。
そうでもしないと、アタシはこのどうしようもない不安に押しつぶされそうだった。つまり、そういうことだったの。
24 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/11(金) 17:46:47.74 ID:3cpNhopO0
ファンが離れ始めたのは、そんな事件が起きてしばらく経ってからだった。
ここで弁解させてほしいのは、アタシは一片たりとも仕事を怠けていなかったということ。アタシはアタシなりに苦しみながら頑張っていたし、頭にこびりついた凡人って言葉を振りほどこうともしていた。
あの事件以来アタシは小規模のライブをこなしていたんだけどね。言い換えれば、昔からついてきてくれていたファンに向けたステージで歌をうたっていたの。それに文句を吐き出すつもりもなかったし、どこか調子の悪いアタシを気遣ってくれた事務所の素晴らしい配慮だったとも思う。
もういちど繰り返すけど、アタシはそれまで十分に努力をしていた。それだけは認めてほしいの。
それじゃあどうしてステージをこなす度に来てくれる人の数が少しずつ減っていったのかというと、これはもうアタシの中で一つの結論が出てる。
んー、つまりね。天才アイドルから、天才を引いて出来上がったただの女の子には、どうにもみんなキョーミなかったってことなの。
ファンのみんなは、人とは違う天才的なアタシをステージで見たかった。ギフテッドのアタシに焦がれていた。アタシの一挙一動を見逃すまいと目をこらした。だからアタシがただふつーに頑張るステージなんてなんの魅力も感じなかったのかなって、そう思うの。だってさ、そんなのアタシじゃなくっても出来るんだから。ほかのみんなだってアタシと同じように頑張ってるんだから。
簡単な話だけど、だからこそアタシにどうすることも出来なくて。皮肉なことに、そのときようやくアタシは自分の手のひらから“才能”がこぼれ落ちたことを理解したんだよね。
25 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/11(金) 21:49:34.88 ID:p4N2Ad7kO
切ない
誰でもいいわけないよ
シキにゃんがいいんだよ
26 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/11(金) 22:25:05.02 ID:3cpNhopO0
にゃはは。ここまで話してみて、アタシが崖の淵で足を踏み外して、そのまま勢いよく下まで転がり落ちたということはなんとなく分かってくれたよね。
でもさ、アタシが本当に言いたいことっていうのは、一ノ瀬志希のファンが減ったことでも、アイドルとしての価値がいくぶん下がったことでも、来てほしくもない明日を考えてぐっすりと眠れなくなったことでもないんだよね。
ここでアタシがしたいのは単なる不幸自慢なんかじゃなくて、もっともっと大切なことなの。
さてさて、話の続きをしよっか。
このころのアタシってね、何をやってもうまくいかないんだって心の中で決めつけてたんだよね。だから、努力なんて無駄だとか、才能がないとアタシは何にも出来ないんだとか、生まれ変わる前のアタシを知っている人がそれを聞いたらビックリしちゃうような、くら〜い性格になってたの。
ほらアタシってギフテッドだったからさ。努力の方法も、挫折からの立ち直り方も知らなかったわけ。
まわりの皆が経験してきたことが一切分からないんだから、そりゃもー、お手上げ状態で。海外で培ったはずのフランクさはどこへやら〜って思えるくらい、アタシには自分を取り巻くすべてが敵に見えてた。アタシの現状を心配してくれる子もいたけど、それを受け止める心の隙間ってものもやっぱりなかったんだよね。
神さまから愛されてきたアタシの人生は、なにもかもが悪い方向へ傾いていた。まるで今までの与えられた幸福を丸ごと奪い取られたかのように。
27 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/12(土) 00:03:34.21 ID:LI2CmSiP0
でもね、たったひとつだけ、アタシにとってすごーく大きな変化があったの。
ちょっとだけ時間は巻き戻ることになるけど、アタシの担当プロデューサーについての話をしよっか。
アタシがギフテッドとして、その類まれなる才能を見出されて、アイドル業界に足を踏み入れた時についてくれたのが今の担当プロデューサーだった。
彼とはそりゃまあながーい付き合いをしてきたんだけど、それでもアタシと彼との間には大きな溝があったんだよね。溝って言っても、単にアタシが一方的に穴を掘っていただけなのかもしれないけどさ。
アタシと彼はあくまでビジネスパートナーで。アタシは彼がどんな人なのか知らなかったし、普段何をしているのかなんて科学誌一冊分の興味すら湧かなかった。それでも仕事では二人とも笑顔を振りまいていたし、人から見ればアタシたちはそれこそ十年来の仲も同然だった。
つまり何が言いたいかというと、表面上ではアタシたちは深く理解しあったような素振りを見せてただけってこと。
そんなことを一度たりともアタシたちは口に出そうと思わなかったけど、たぶんお互いになんとなくそれに気づいてて。だからアタシはプロデューサーのことがあんまり得意ではなかったし、それこそ彼もアタシと同じことを考えていたんじゃないかな〜とも思う。
28 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/12(土) 01:20:49.96 ID:LI2CmSiP0
だけどね、生まれ変わってからのアタシたちっていうのは、今までの関係とは大きくかけ離れていたの。
――最初のきっかけは、きっとモーニングコールだろうね。
さっきも少し話したとは思うけど、このときのアタシは夜ってものがホントに苦手で、一人きりで眠ることすらままならなかったの。なによりもイヤだったのは“あの事件”の光景がまざまざと瞼の裏に映ることだった。
布団のなかで、アタシは膝を抱えて、胎児みたいに丸まって。そしたらあのときの景色が思い浮かんでさ。大勢の前で歌えなくなったアタシが、ステージの上で「ごめんなさい」って何度も何度も子供みたいに謝るの。そしたら浴びせられる罵声のひとつひとつが鮮明に聞こえてきて。「お前にはアイドルの資格なんてない」「俺達を失望させないでくれ」「それで努力したつもりなのか?」なんて次々と棘が飛んでくる、そんな悪夢がアタシを苦しめて、いつしかアタシはうまく眠ることが出来なくなっていた。
そんなことだから、アタシは移動中の車内でうとうとと頭を揺らすようになって。ついには朝イチバンの仕事に遅れてくることも増えた。
ここで注意しておきたいのは、アタシがもともと真面目な優等生じゃなかったということ。何度も言うようで悪いけど、アタシがギフテッドじゃなくなったことは他の誰も知らなかった。
「一ノ瀬志希はてきとーに仕事をやっている」なんて噂が流れていることも知ってはいたけど、それはそれとして。
とにかくアタシ自身の“変化”は、まわりの人たちにはすこぶる分かりづらかったわけ。
29 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/12(土) 17:13:59.91 ID:0EzgffMgO
これはPが悪い
30 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/11/12(土) 17:37:29.68 ID:LI2CmSiP0
プロデューサーから「朝にモーニングコールする」という申し出があったのは、三度目の遅刻を迎えた日のことだった。
それは渋々だったかもしれないし、はたまた単に愛想つかされたからかもしれないけど、何も言わないでアタシはうなずいた。きっと、「イヤだ」と言っても彼は電話をかけてくるってなんとなく分かっていたから。
彼がアタシの変化に気付いていたかどうかは、今になっても分からないけど。それでも、アタシ達の関係が変わり始めたのは、まさしくその一言からだったと思う。
次の日の早朝のこと。枕元に置いておいたスマホが鳴り響いて、寒さに体を震わせながらも、もぞもぞと布団から顔を出してアタシはそれを耳に当てた。
「おはよう。今日の寝起きはどうだ?」なんて向こう側からコーヒーを淹れる音が電話越しに届いて、茶化す元気もないアタシはあくびを一つかいて「あんまり」とだけ答えた。
仕事がある日の朝は、いつも二人でそんな会話をしていた。そんな取り留めもない会話を。
だけど、これまでのアタシたちは、プライベートで電話をかけるなんてことはしなかったし、それが二人にとっての当たり前だった。だからこそ、そんな当たり前が崩れたことにアタシは少なからずビックリしてたんだよね。
ときどき「おはよう」だけじゃなくて「朝食は何を食べるんだ?」なんてことをも話してさ。アタシがコーンフレークって答えたら、仕事前にフレッシュなサンドイッチを渡してきたっけ。
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