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黒野玄武「鷺は白」鷺沢文香「天は玄」
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1 :
SideM×シンデレラガールズSS
[sage]:2016/10/27(木) 23:52:31.63 ID:nHu27vhw0
「舞う」ことは「無い」こと。
「無」というのは、本来は踊る様を表した文字でした。
飾りを付けた衣の袖をひるがえし、“舞う”様。
舞の原字は無なのです。
“ない”という現実で形を持たない概念を表すために、“BU”の音が仮借され、「無」の漢字がそれにあてられて。
……無という字は元の「踊ること」から「存在しないこと」を表す字に変わり果てました。
身の丈に合わないステージの上で踊る私は、私ではないようで。
あるいは鷺沢文香も無に近づいているのかもしれないと…………そんな想念が流れて……揺蕩い、そして沈んでいきました。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1477579951
2 :
SideM×シンデレラガールズSS
[sage]:2016/10/28(金) 00:09:01.04 ID:98So3wRC0
黒野玄武・鷺沢文香
http://i.imgur.com/ydm5Dh0.png
3 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/28(金) 00:25:11.20 ID:98So3wRC0
――ワアアァァ…
文香「…………」
目に焼きついた鮮やかな数々の光。
熱を持った身体と、浅く早い呼吸。
会場から溢れた熱気が私の体に刻まれて……色濃く躍動しています。
――ライブの感慨。
美波「おつかれさまっ! 文香さん! はい、タオルどうぞ」
文香「美波さん……ありがとうございます。あの、どうだったでしょうか……? あのような表情や仕草は……今まで縁遠いものだったので十全にできていたか……」
美波「うん! とっても良かったですよ! ふふっ、普段の文香さんからは見れない表情でしたけど……だからこそかな、とっても新鮮で。新しい文香さんを見れた気分です」
文香「新しい、自分ですか。確かに……まだ自分があのように踊ったのか、まだ現実味がありません」
美波「でもステージの文香さんはちゃんと輝いてましたよ。まぶしいくらいでした」
文香「そ、そうですか。では、少しは成長できているのですね……私も」
4 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/28(金) 00:58:49.67 ID:98So3wRC0
美波「ステージの上の文香さんは、その、すごく変わってますよ!」
文香「変わって……?」
美波「あ、いや! すごく素敵な表情を見せているってことです! 現実味がないって言ってるけど……あの表情が文香さんの成長の証なんじゃないかな?」
文香「成長の証。確かに今までにないことをしていると……今までやったことのないことをしていると……そういった変貌の感触は、あります」
美波「ステージで『変わってる』って感覚があるんですか?」
文香「変わっている、というずばりそのままの感慨かどうかは……判然としません。しかし……お客さんの皆さんから贈られる、あの光の一部になろうと努めているうちに……精神が遠くなる感覚が訪れることが」
美波「あ、なんだかその感じわかるなぁ。アイドルとしての自分になりきるっていうか」
文香「美波さんもステージの上で変わるのですね」
美波「そうみたい。前にもね、言われたことがあるの。なんだかステージの上だと別人みたいだって」
文香「そうなのですか……」
文香(別人……のような自分)
自分が変質し。
その『別人』が観測され……そして……。
美波「とにかくお疲れ様! 明日はオフでしたよね。しっかり休んでくださいっ」
文香「はい……ありがとうございます。しかし明日は、大学の課題を終わらせなければ……」
美波「文香さん……真面目なのは本当に文香さんのいいところだと思うけど、ライブの後ぐらいもっと気を抜いてもいいと思う。無理しないでね」
5 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/28(金) 01:00:33.66 ID:98So3wRC0
文香「あ、いえ……申し訳ありません。気遣いを。しかし、好きな課題ですから……精神の安寧に寄与する効能もありまして……」
美波「ああっ、そうなんだ! そうだよね。課題と言ってもいろいろありますよね……文香さんにとってはいいことなんだ。じゃあ、えっとがんばってくださいね!」
文香「は、はい……えっと……がんばり、ます」
文香(美波さんにまた余計な心配をかけてしまいました。しかし書に対する評論のようなものですから……)
あの課題は、好きです。……負担にはなりません。
黙々と考え、行間を推し量り、テーゼを紐解くあの時間は救いにも感じられるものでした。
文香(救い……? 私は、なにを……?)
――『……鷺沢文香は本が好きで、今も本を読んでんだろう?』
――『不動の定点があるじゃねえか』
文香(――あ)
瞬時、連想されるように脳裏によみがえったのは叔父の書店で聞いたあの人の言葉。
文香(どうして……?)
なぜ思い出してしまったのか。ここで思い出さなければならないのか。
その時の私は……自分の心の機微すら測りかねていたのでした。
6 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/28(金) 01:04:23.89 ID:98So3wRC0
とりあえず、書くと決めるために導入だけ投下しました。
文香さん誕生日おめでとうございます。
今回は玄武くんと文香さんと本と本当の自分の話。
いつもよりは読みづらい部分があるかもしれませんがよろしくお願いします
7 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/28(金) 01:08:25.42 ID:8hurAh3NO
新作ヤッター
8 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/28(金) 01:09:08.15 ID:9lg69kh30
おお、新作来た。
なんというか、文系の素養が無ければ理解できない会話を繰り広げそうな二人だな。
9 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/28(金) 08:55:02.05 ID:j1NQZ9l+O
アイマス全体でも会話に混ざれるのがほぼいなそう
10 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/28(金) 12:31:14.39 ID:khVPyODDO
玄文キターーー!
11 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2016/10/28(金) 15:29:38.48 ID:FLIRtCn8O
文香のSS漁りに速報に来てみたらW橘の人のSSに出会えるとは
書き出しだけでもやっぱりすごいと思った
楽しみに待たせてもらいますわ
12 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/28(金) 17:48:11.28 ID:bSunmHAB0
総選挙SSの時のセリフがつながった
楽しみにしてます
13 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/29(土) 09:54:12.40 ID:OMnJk56Ro
来てた、導入乙です
待望の2人ですよー
折角だからバレンタインSSと総選挙SSを読み返して復習しておきます
14 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/30(日) 20:46:18.87 ID:qnEZAoyoo
飛鳥や乙倉ちゃんの水着写真がクラスメイトに『使われてる』と思うと怒りが沸々と湧き上がってくる
15 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/10/30(日) 20:46:45.09 ID:qnEZAoyoo
誤爆
16 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/01(火) 16:07:20.07 ID:i71RCn2W0
新作来てる!今回も楽しみにしてます
17 :
1
[sage]:2016/11/13(日) 22:30:52.06 ID:UltM4u4W0
すいません。抜本的にプロット見直しているので投下遅れています。
必ず書きます
18 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/14(月) 12:58:50.75 ID:U8bBcQ8go
急ぐよりも納得のいく物を書いて頂くのが一番ですし
気長にお待ちしてます
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/14(月) 19:24:27.19 ID:7XViXhXlo
上に同じく
楽しみに待ってます
20 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2016/11/15(火) 19:26:36.01 ID:Q3YrzqGjO
W橘の人でも難しいんだな
今までの作品見るに単なる恋愛物に落とし込むやり方を採って無いだろうし
21 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/15(火) 20:06:46.11 ID:N//0P/NT0
このスレが俺の希望だ!
22 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2016/11/28(月) 12:33:26.46 ID:HWXjFSUWO
続き早く見たい
玄武文香以外にどんなキャラが出てくるか予想して待ってます
23 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/11/28(月) 16:02:20.56 ID:C2+kmKLBo
じっくり待とう
24 :
ー
:2016/11/28(月) 16:36:40.12 ID:1xvICi2eO
ワクワク
ドキドキ
25 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2016/12/04(日) 14:35:38.44 ID:ly456O9rO
まだかなまだかな〜
26 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/12/09(金) 02:38:32.62 ID:SmCVSvglO
しのしゅーが最高オブ最高だったからこれも超期待して待つ
27 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2016/12/09(金) 19:38:08.34 ID:bJ13GXuGO
は……はよ……
28 :
1
[sage]:2016/12/13(火) 00:07:26.67 ID:CqNHS0EY0
すいません、かつてないほど難航していますが書き始めてはいます。
待たせて本当に申し訳ありません…
29 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/12/13(火) 00:11:22.97 ID:nJuivYsho
乙乙
876越境きてるし楽しみながらゆっくり仕上げてくれやす
30 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:02:55.08 ID:6cJlek8h0
夜道。ほんの少しの雨の気配。
抱えた本の重みは、外に零れた私自身の体の重みのようにも思われました。
これから……私は本を読みます。
誰も見ていない所で、一つの木が倒れた際の音を知るものはいなくとも、その木自身だけはきっと――
31 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:03:44.04 ID:6cJlek8h0
――
――――
文香「………………なるほど」
ぱたむ、と読み終えた本を閉じます。
文香(……とても、興味深かった)
心地の良い余韻。
書から流れてきた知識と見識が、私の頭と胸に緩やかな痺れを刻んでいます。
読書とは読んでいる瞬間にしかないものでありますが……この読了した瞬間の充足も、今この瞬間にしかありえないものでしょう。
手を止めて、受け取った情報と情感とを反芻します。そうして一通り浸ったあと、思考に跋を入れました。『良き書であった』、と。
……芽生えていくのは、新たな興味。得た知識にまつわる、さらなる情報を得たいという気持ち。
文香(次はなにを読みましょうか……)
そうして少し日に焼けた小口を満足感とともに眺めているうちに、現実がようやく背中を押しました。
文香「……は」
32 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:04:34.16 ID:6cJlek8h0
文香「私は……なんという」
課題のためにギリシア悲劇の文献を当たろうと、私はいくつかの書籍を机に持ちこみました。
そして、まずは概略をなぞり、課題と関連深そうなところに当たりをつけようとした……はずだったのです。
それが……
文香「……すべて読破してしまうまで手を止めないとは」
病膏肓とはこのこと。
文香「…………」
しばし、自分の課題に対する集中力のなさを反省します。
しかし……しょうがないとも思いました。見識が乏しい以上、どれが自分にとって有用かを断ずることは軽々にできようはずがないのですから。
文香(いえ)
33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:06:33.35 ID:6cJlek8h0
これは逃避したのでしょうか。また、本の世界へと。
本を読む私。
鷺沢文香のルーティン。
いつもの自分を再演して……私は、きっと私であることを……
文香「……また」
揺らぐ思考がとりとめのない想念を呼んで循環する、その前に押しとどめます。
文香(課題です。課題を)
文香(ギリシア神話の変奏としてのギリシア悲劇……王女メディアの愛憎と屈折。ヘクトールとアンドロマケー。とりわけ興味が出た箇所といえば……そのあたり)
文香(エウリピデスとその作品について、掘り下げるべきはそこ……)
文香「……出かけましょう」
昨日の夜から取り掛かり、起床後すぐに続きを読み進めて……午前中には読了できたのでまだ時間はあります。今日という日を不毛に終えてはなりません。
……胸に不可思議なざわつきを覚えながら、装いを軽く整えて、外へ。
私は私に与えられた課題をするのです。
――――学期末までの長期的な課題なので急ぐ必要はないとはいえ。
私は一つの道に決意を持って邁進するということに、どうにも不得手な部分があるようで……そこに懸念を抱いていました。
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:07:25.26 ID:6cJlek8h0
文香(確かな意志を持って、進まなければ……)
しかし。
確かな意志など、持ちえたためしがあったかどうか――――
35 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:08:01.25 ID:6cJlek8h0
――
――――
古書の香りに浸りながら、私は書架の前にいました。
足を運んだのはとある古書店。
文香(一人で入るのに抵抗がないのは、未だにこうした書にまつわる施設だけ)
ブティックや化粧品店などにも挑戦してはみましたが、場違いだという意識は拭いがたく……。
いつかはそうした抵抗も消えるのでしょうか。
文香(そのためには奏さんや美波さんにもっとご教授願わなくてはなりませんね。そう……変わりたいと願うのならば)
文香「…………」
文香「鷺沢、文香は……本の虫」
文香「はっ」
文香「いけない、本を……」
36 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:08:51.55 ID:6cJlek8h0
静謐な空気を湛えている空間で、一人で本を渉猟します。
文香(……キープ)
文香(これも、良き書ですね……)
文香(興味深いタイトル。必要ですね。おさえておきましょう)
文香(あ、これは以前読み逃してしまった書……こんなところで。僥倖です)
まるで水槽を巡る魚のように。私は書架を間を回ります。
おのずと刻まれていた、それは慣習で。
己が性質に引かれるまま、私は本の世界に深く潜っていきました。
文香「……――――」
37 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:09:28.74 ID:6cJlek8h0
文香(以前とは配置が変わって……こちらには学術書)
文香(あちらのワゴンは)
渉猟した書の数はいつの間にか増えていました。……不思議な事にまたたくまに増えていました。
けれど書の重たさは、まだ見ぬ書への期待が忘れさせていて。私はさらに本を求め、入口近くのワゴンへと足を運びました。
そのワゴンにあったのはしかし……
文香(あ、これは)
目に入ったのは、ユーモラスに踊る大きなひらがな、カラフルな絵が載せられた表紙。光沢のある大判サイズの本の群れ。
文香「絵本……」
38 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:11:06.00 ID:6cJlek8h0
よくよく見れば、ワゴンの縁には『絵本フェア』とある小さなポップがありました。
大きく絵本はここだと表記されていれば足を運ぶ前に気づけたでしょうに。
文香(フェアならもう少し大々的にした方がいいのでは……主張が足りない気が)
もう少し大きな張り紙で絵本フェアと銘打ち、ポップは各種作品に対してたくさん用意する……
子どもを対象とするのならば、いっそのことワゴン自体店先に出して目にしてもらう機会を増やすなど。
絵本フェアだという情報はあまりに控えめで、もっと主張する手段があるように思われました。
文香(あ……)
『主張が足りない』。そんなことを、気にするなんて。
私が、気にするなんて。
どうなりたいか、どうすべきか……そうしたことになにかを指摘できる立場なのか
――「失礼。ちょっとよろしいですか」
文香「あ……っ! は、はい。塞いでしまって申し訳ありません。どうぞ……」
39 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:12:18.30 ID:6cJlek8h0
近づいてきた男性に声を掛けられ、私は慌てて引きさがりました。
男性は絵本を手に取り、真剣な表情で検分を始めます。
――「…………」
文香(…………あら?)
そこで気付きました。
細く締まった体。高い身長。本を向けられた鋭く強い視線。
この男性は。
文香「玄武、さん……?」
玄武「っと、いや俺はただの――――って、文香さんじゃねえか」
書架に満ちる静謐な空気に、少しのさざ波が立ちました。
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:13:57.18 ID:6cJlek8h0
――……
文香「……絵本も読まれるのですね」
玄武「いや、手前自身の為に見てるわけじゃあねえんだが」
文香「……贈り物、でしょうか?」
玄武「ああ、そんなとこさ。世話になった家に送りたくてな。小さい連中に読める本を探してんだ」
文香「お世話になったところに……そうですか。だから絵本なのですね」
玄武「相棒、朱雀のヤツがいりゃあ、ちぃっとは選別が捗るんだけどな。あいにくアイツまたテストで赤点食らっちまって……こうして一人絵本探ししてるのさ」
文香「……お一人で、ですか。それは……大変です」
玄武さんはしなやかな腕を伸ばし、その指先で緩やかに絵本の背表紙たちを撫でています。
玄武「しかし、あれだな。できれば小さい連中が楽しめるような本にしてえと思うんだが。見当が正しいか判然としねぇ」
文香「そうですね。絵本は……私もたまに触れるのですが、子ども達の機微に応えるような作品とはどのようなものか、見当がつきません」
玄武「自分にとって役立つ本か、楽しい本かしか判断できねえんだよな。……ま、だから巡り合わせの妙に頼ってみようと思ったんだがな」
文香「巡り合わせ……?」
玄武「フラッと入った店に、珍しくも絵本のフェアが行われてた。合縁奇縁さ。なにかしら意味ある出会いと見るのも悪かねえだろう?」
……合縁奇縁。
41 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:14:37.11 ID:6cJlek8h0
文香「確かに、古書店で絵本フェアとは……思えば、非常に珍しい取り合わせですね」
玄武「児童書の類は古書業界には出回りにくいからな。子ども相手の本だから、必然保存状態が良好とはいかねえし……」
文香「はい……叔父の店にもあまり絵本はありません。そもそも扱いをしていない店も多いと聞きます」
玄武「そう。だからこうした珍しい出会いは大切にしねぇとな」
文香「……力になれずに、申し訳ありません」
玄武「………………あん?」
玄武「なんだって謝るんだい? 今までの話の流れに文香さんが謝ることなんざ一握たりともなかったと思うんだが」
文香「いえ、あの……絵本探しについて助言や手助けをできれば良かったのですが……それは、どうも叶わないようで……申し訳なく」
玄武「おいおい。被ってない責任にまで慮って意気阻喪になるこたぁねえじゃねえか」
文香「書については、力になれることもあるかと思ったので……少し、恥ずかしさが」
玄武「文香さんには十分感謝してるさ。いつも本を貸してくれるしな。こんなナリの俺に。文香アネさんと呼ばせてもらいたいくらいだ」
文香「あ、姐さん、ですか…………任侠ものの風情ですね」
玄武「事務所のアニさん方は受け入れてくれたんだが。どうだい、文香アネさん」
文香「え……」
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:15:37.01 ID:6cJlek8h0
玄武「…………」
文香「…………」
文香「も、申し訳ありません。さすがに、そうした呼び名は今までに経験がなく……」
玄武「はは、そうかい。それじゃあ一旦引っ込めておこう」
文香「はい。……は、もしや…………これは、冗談?」
玄武「いや本気さ。敬意は持ってるし、それに感謝も示してえと思ってる」
文香「感謝、ですか。私に……」
玄武「ところでよ、文香さん。結構買い込むんだな。『メデイア』、『救いを求める女たち』……エウリピデス関連の本が多いな。ギリシア悲劇が好きなのかい?」
文香「あ、これは……その……課題の為の資料でして。……ですが一つの書として、とても興味深く読んでいます」
玄武「そうなのかい。資料としても、思わず読みこんじまうよな。俺もソポクレスの『オイディプス王』からギリシア悲劇に入ったからわかるぜ」
文香「はい……! ソポクレスの作品はギリシア悲劇の象徴だと思います」
玄武「やりがいのある良い研究テーマだと思うぜ。さすが文香さんだ」
文香「いえ、ですが……研究テーマはギリシア悲劇に限定したものになるかは、まだ」
玄武「ん? ギリシア悲劇に立脚したテーマじゃねえのか?」
43 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:20:18.12 ID:6cJlek8h0
文香「今、考えているのは……非常におおまかなのですが、『文学作品に見られる女性の価値について』……で」
玄武「……」
文香「『あるいは女性が示す人間の価値』、といったところになる、でしょうか……?」
玄武「…………如臨深淵。深淵に臨むが如きテーマだな」
文香「あの、玄武さん。どうでしょう…………やはり私では力不足に終わるテーマだと思われますか」
玄武「文香さんがダメなら、他のどんなヤツが書いたってダメさ。――ああ。文香さんらしいテーマだと思うぜ」
文香「……本当、でしょうか……」
玄武「全力で力いっぱい書けば、そこに真実は宿るもんだ。やりがいは間違いなくある。ただやるだけやりゃあいいさ」
文香「そう……ですね。結果の如何を問わず、書き記したという足跡は……すでに結果と呼べるもの。課題ですから、もちろん完成を目指さなければなりませんが」
玄武「そのテーマを選んだ動機だってあるんだろう? その興味があるうちは悪いもんになるわけがねえ」
文香「……このテーマを選んだのは、そうですね……近代文学の教授が投げた一つの問いがあるからなのでしょう」
玄武「問い?」
文香「ついぞ、答えを示されなかった問いですが。教授はこの問いの答えが気になるのなら、文学における女性の描写を顧みてみよとおっしゃって……」
玄武「へえ、教授が」
文香「口ぶりから、もっと読書するよう学生たちへ誘導するための言葉に過ぎなかったようにも思われましたが……私は、それが気になったのです」
玄武「どんな問いだったんだい?」
44 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:21:25.50 ID:6cJlek8h0
――『ロリータ』におけるハンバート・ハンバートはなぜ悪人か。
45 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2016/12/19(月) 02:24:55.21 ID:6cJlek8h0
今回はここまで。お待たせして申し訳ないです
色々不安はありますが、書き進んでいこうと思います
876コラボは楽しかった! 事務所間のつながりが描写されると本当に嬉しい
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/12/19(月) 07:49:37.98 ID:ep9RuMfkO
乙!
SSどころか論文一本書けそうなテーマに改めて凄いと思う。
完成が大変だけど応援してます。
47 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/12/19(月) 10:06:42.71 ID:MBbcku53o
続き来てた乙です
何だか凄く深い所まで突っ込んで行く気配でドキドキします
48 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2016/12/21(水) 11:26:33.11 ID:6ZeputOAO
中々の難しさがあって読んでいてすごく楽しいです
続きがどうなるかとても楽しみです!
楽しみにして続きを待ってます
49 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2016/12/22(木) 00:28:56.16 ID:9QT4/BUVO
タイトル見てもしやと思ったがやはりあなただったか!
今回も楽しみに読ませてもらいます
50 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2016/12/22(木) 19:51:09.28 ID:fjxTeaaFO
ロリータかあ
エドガーアランポーの結婚相手が元ネタなんだっけ
読んでみようかな
51 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2016/12/29(木) 21:28:45.87 ID:5TyzPTNbO
文香の語り雰囲気出てるなあ
今年中に少しでも続き読みたいけど難しいかな
W橘シリーズのかのになシーン読んで癒されながら待ってます
52 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2017/01/11(水) 20:14:26.02 ID:6BjMqPRzO
がんばってくれー
53 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/01/11(水) 22:50:17.61 ID:y77Qvs9a0
少量、投下します
54 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/01/11(水) 22:51:45.97 ID:y77Qvs9a0
玄武「――――」
玄武「…………文香さん。それは――――」
文香「……? 玄武さん?」
――「おや、鷺沢さんの所の姪っ子さんじゃないかね」
玄武「っと……」
文香「え……あ、店長さん。お久しぶりです」
店長「いらっしゃい。今日は店番をしてないんだね」
文香「そ、そうですね……今日のところは……オフなので」
店長「ああ、お仕事が忙しいんだってね。たまの休みぐらいゆっくりしなきゃだ。しかしアイドルとはねえ……活躍してるようで叔父さんもうれしいだろう。なにしろ特典を」
文香「いえ。あの……その話は。叔父のあれは……もう。反対したのですが」
店長「嫌なのかい? まあ気恥ずかしいか。えっと、それで、目当ての本は見つかったかい?」
文香「はい。相変わらず品揃えが充実していて……素晴らしいです」
店長「そうかそうか。そりゃよかった。いいのが最近手に入ってね。……おや」
玄武「ここの店長さんですか。見させていただいています」
店長「おっと、他のお客さんもいる前で失礼を」
55 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/01/11(水) 22:53:54.43 ID:y77Qvs9a0
玄武「絵本のフェアなんか古書店ではめずらしい。児童書も扱っているとは」
店長「あー、はは。まあ交換会で出てたんでね。たまにはと。それじゃレジにいるんで、ごゆっくり」
玄武「押忍」
店長「文香ちゃんも総重量があんまり重くならないうちにね」
文香「は、はい。そうですね……気をつけます」
文香「ふう……」
玄武「店長さんと知り合いだったんだな」
文香「はい。というより叔父の知り合いですね。昔……叔父は店長さんと経営員もいっしょにやったことがあったと聞いています」
玄武「文香さんの叔父さんの店も古書店だし、組合仲間だったのか」
文香「はい。長い付き合いのようで姪である私にもよくしてくださいます。本で紡がれた絆というのは、貴いものですね」
玄武「……ああ」
文香「あの玄武さん。先ほどなにか言いかけられた気がするのですが……」
玄武「いや……」
玄武「………………文香さんは、教授から示されたその問いに対して、ギリシア悲劇から何かを掬おうとしたんだろう? そこで得られた有用な視点ってのはどんなもんかなって思ってよ」
文香「視点、ですか。そうですね。明確に定まっているわけではないのですが……掘り下げるべきだと思うのは、アテネの人々が持っていた『婦徳』についての共通認識でしょうか」
玄武「婦徳。女性の道徳か」
56 :
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[saga]:2017/01/11(水) 22:58:30.64 ID:y77Qvs9a0
文香「紡がれた歴史と、綴られた劇の中で女性の価値についての見識を得られればと、そう思います」
玄武「ギリシアの婦徳……国王の意志に反してまで、敵だった兄を弔ったアンディゴネーの精神は心打たれたが。そういう類かい?」
文香「はい。アンディゴネーは、宗教的義務と法律への服従をどちらを優先すべきか……そのせめぎ合いの中、人倫を示した偉大な人だと思います。とても覚悟のいる行為であったでしょうに」
玄武「ありゃアンディゴネーの方に正義がある。俺もそう確信してるぜ。自分の意志で正義を示せる女性だったってな」
文香「自分の、意志……しかし、それは」
玄武「うん?」
文香「自己正義を示すなど、そういった女性の意志というものは……アンドロマケーにおいてはむしろ封印すべきものだったようです」
玄武「アンドロマケーは英雄ヘクトールの妻だったな。意志を封印したってかい?」
文香「はい。『トローアデス』において、アンドロマケーはこう語るのです。『わたしは、世間でいう女の道とやらを、懸命に守ってきました』と」
文香「女性が家を空ければ悪い評判が立つので、気持ちを押し殺して、ひたすらにひきこもっていたのだと――――」
玄武「……無になることが女の道だと」
文香「そうです……」
57 :
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[saga]:2017/01/11(水) 23:06:16.51 ID:y77Qvs9a0
逡巡から滲んだ、かすかな空気の強張りが一瞬私たちの間に漂いました。
玄武くんはその中で、一つの所作を為しました。
厳粛に思考を巡らせるような、小さな頭の振り……
その仕草で。
……彼が今、己の中のギリシア物語に向き直ったのだとわかりました。
玄武「『イリアス』じゃあ妻の存在をそこまで気にしなかったが……まだまだ視界が狭いな俺は。戦争に行く男がいりゃあ、家を守る女がいる、か」
文香「はい。女性は家を守るもの。政治に参画し得ないもの。善きものであれ、悪きものであれ、どんな噂をも男の口にされぬことを己の誇りとする。それが女性が背負った要請であって」
玄武「……男社会への阿りだな」
文香「……はい。しかし、その貞淑と安寧こそが婦徳だとされたのです……私は、あの時代においては女性の存在は希薄であったという印象がぬぐえません」
玄武「アンディゴネーは牢で自ら命を断った……」
文香「メデイアにしても男性には理解しえないものの象徴である魔術を扱い、その荒れた心境で災禍をばらまく存在として描写されました――制御しえない厄介なものであると」
58 :
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[saga]:2017/01/11(水) 23:11:02.24 ID:y77Qvs9a0
玄武「しかしアリストパネスは『女たちの平和』で――――おっと、この場所じゃふさわしかねえかな」
文香「『女たちの平和』、ですか」
文香「確かにあの話では女性は男性との同衾を排し、性こ…………あっ…………えっと、その」
文香「…………非常に、たくましい手段で女性が男性に対抗していますね……」
玄武「……ああ。だがあれも言ってみりゃ対抗文化。風刺家アリストパネスによるエウリピデスへのカウンターカルチャーだな。女が弱いという主流に対する諧謔だ」
文香「………はい………」
玄武「恥ずかしがらねえでくれ。流してくれ。悪かった」
文香「いえ、その……はい……失礼しました。年下の方に……えっとどこまで直截的な表現をしてよいか迷ったもので……」
玄武「言及しなくてもいい。文香さん」
文香「……すみません」
玄武「あー、だから赤くならねえでほしいんだが。喋喋とするのは一旦小休止しないか? とりあえず会計するしよう」
文香「……そうですね。気付けばこんな話を長々と。玄武さんも絵本探しに来ていたのに、申し訳ありません」
玄武「全然構わねえさ。こういう話は楽しいもんだ。すげえ勉強になった、流石に読書量が違うな文香さんは」
文香「そう、称賛されるほどのものでは……私は、ただ……本の虫だというだけですので」
59 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/01/11(水) 23:15:50.75 ID:y77Qvs9a0
店長「――高尚なお話してたねぇ君たち。学生のころの私じゃあ絶対チンプンカンプンだったよ。あははは。まあ今でも半分も理解できてないけど」
文香「…………お、お騒がせしました」
玄武「聞かれてたか。声は小さかったはずだが、店内が静かすぎたな……」
店長「この絵本だね」
玄武「どれもおもしろそうで。しかも美品だったで悩みましたが、それで頼みます……っと」
文香(あら、玄武さん……?)
玄武さんは封筒を取り出し、そこから紙幣を抜き取り、店長さんに支払いました。
文香(……お財布代わり?)
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