魔王「死ぬまで、お前を離さない」 天使「やめ、て」

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95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/05(月) 08:34:43.96 ID:C5UPkAteo

近衛の過去に何があったのかも気になるな
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/05(月) 10:18:13.37 ID:codKJPjNO
近衛が天使助けてイチャイチャするのもなんかアレだしなぁ。
どうなるか期待
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/06(火) 09:20:34.57 ID:GDTO+PZlo
天使が出てきてないぞ
あく
98 : ◆OkIOr5cb.o [sage saga]:2015/10/25(日) 05:13:11.06 ID:6LNCYEUg0

::::::::::::::::::::::


後日

正殿―― 謁見の儀


魔王は正殿に入るなり、じろりと部屋中を眺め見た。
予定にはない謁見の儀。朝餉の後で唐突に知らされたそれに不快は隠せない。


魔王「はっ。謁見とは何であったか。これは決起集会の間違いではないのか?」

近衛「決してその様なことは。皆から至急謁見の申し出があったので、一堂に会したまででございます。本日の謁見には…」


手にした巻物をバラリと解き、流暢に参加者の名を述べあげる近衛。
それとは対照的に臣下達は重々しい表情で、目を伏せたまま微動だにしない。
皆、気まずさを感じながらも集まらずにいられなかったのだろう。


竜王「魔王殿!」バシン!


近衛が族長達の名を読み上げるのを阻み
ズイ、と身を乗り出して口を開いたのは 竜王だった。

99 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:14:36.36 ID:6LNCYEUg0

魔王「竜王。お前がこいつらを集めたのか?」 

竜王「皆、思うことは同じであったというだけですじゃ」

竜王「前回は我々も、天使の事で混乱しておった! 今日こそしかと、お話を聞かせてもらいましょうぞ!!」

魔王「ふん。混乱したならば、いっそ混乱したままでいればいいものを」


淡々と文句を吐き出しながら、中央の御帳台へと進む魔王。
その背に向かい、老いた竜は火を吹く勢いで捲くし立てていく。


竜王「皆、冗談で集まっているわけではないのですぞ!」

魔王「これが暇人の集いだったのならば、俺とて出向いたりしておらぬ」

竜王「魔王殿には未だ、王たる者の自覚が足りておらぬ!! 先代魔王殿におかれてはこのような――…


魔王はその言葉を聞き、簾中に入る一歩手前でピタリと足を止めた。
開いた扇から瞳を覗かせ、竜王を捉える。


魔王「……その言葉は俺への愚弄か――?」

竜王「なっ」

100 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:15:57.13 ID:6LNCYEUg0

魔王「違うとでも? ならば、我が父への忠誠か?」クク

竜王「――っ」ビタン!


返す言葉を失い、竜王は大きく尻尾を床に打ち付けた。
そしてそのまま、ゆっくりとその巨頭を垂れて鎮まっていく。


仕える『魔王』への愚弄など、決して許されない。
もとより愚弄するつもりなどはなく、言葉が過ぎるのはただの老婆心なのだ。


竜王(……魔王殿は“魔王殿”じゃ、いつまでも若君ではあらせられぬ。わしの振舞いは改めねばならぬことも承知…。 じゃが……)


竜王はもともと、力強い賢王だった先代に忠誠を誓って仕えていた家臣だ。
先代の在位中は、何度も幼かったこの魔王を叱咤し、厳しく忠言を繰り返した。


竜王(厳しくも思慮深くあられた、先代魔王殿――。
その元で、強く立派な後継を育てるべく情熱を燃やした日々は、未だつい先日の事のように思えますのじゃ……)


101 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:22:46.19 ID:6LNCYEUg0

継承も戴冠の儀も終え、“魔王”が交代したのはつい先秋のこと。
 

この国の王達には、伝統的な風習として
『より多くを次代に継承する事が王の誉れである』という考えがある。

この風習の中で、先代は見事に全てを手放してみせた。

残したのは小さな東屋と一人の女房だけで、もはや奥殿にすら居を持たない身となった。
知恵こそ残ってはいるものの、“人格者”以上の評価を得ることはできない。
そんな身分へと、自分を押し下げたのだ。

だが何よりも見事だったのは、そんなことではない。
最も誇るべきは、『臣下』の全てが若き魔王に継承された事だったと竜王は考えている。


竜王(主君が替われば臣下も変わるもの。離れる者が出るのは、これまで当然じゃった。
じゃが先代から今代へと変わる際には、誰一人として離れるものが居らんかった……)


『臣下達は皆、王の誉れとなりたかった』――


若き魔王に忠誠を移譲することこそが、
臣下達に出来る 先代魔王への最期で最大の礼であり、忠誠だったのだ。
そんな時代の魔王に仕えた事は、竜王にとっての誇りでもある。

だからこそ今、忠誠を誓うべきは この『魔王』ただ一人でなくてはならない。
先代の誉れに、傷をつけてはならないのだ。

102 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:24:03.87 ID:6LNCYEUg0

竜王(……ならないというのに…。ワシは先代王という“個”に、未だ執着をしておるのか…?)


頭を垂れたままの竜王を一瞥すると、魔王はスッと簾中へと入っていく。
腰かけて一息ついたところで、獣王が声をかけた。


獣王「魔王サマ。こちらからモ、聞いておきたイ」


魔王「獣王か… まだお前のその低い唸り声のほうが聞いていられるな。申してみよ」

獣王「我等、獣族一同… 筆頭たる魔王サマのご命令には決して背きませヌ。それこそガ、我が獣族の誇リ」

魔王「ほう?」

獣王「ですガ、筆頭たる者と認メ、従うかどうかハ、一つの条件次第でございまス」

魔王「条件……? ふむ。どこぞの臣下のあやふやな忠誠とやらよりは、よほど信頼できそうだ」

竜王「……」グッ


獣王「その条件とハ、『強く導ける者であるカ』…」

魔王「導く?」

103 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:31:04.33 ID:6LNCYEUg0

獣王「我等は集団で生きル。いかなるときも強く導かねば、混乱が起きル。統率の乱れこそヲ、何よりも愚と考えル」

獣王「かざした目的ヲ、違えなイ者。ふらつく意思を持つのならば、筆頭などとは認められなイ」

魔王「……ふらつく意思だと? 獣王。貴様、誰に向かって物を申して居る」

獣王「神族への戦争―― 思いつきと言っていタ。思いつきで始めて、思いつきで辞められては堪らなイ」


獣王「お聞かせいただきたイ――… 魔王サマノ、想いの丈ヲ」

魔王「く… ククク」

亀姫「獣王! 言葉をお控えなさい! 卑しく争うばかりのケダモノ風情が、王を挑発しようだなどと――」

獣王「我は、魔王サマに聞いてイル!」

竜王「ええい、力量を測るような真似はやめよ! 神族を畏れぬ魔王殿の気概ならば充分にわかっておる! だがそうあってなお、ここは抑えるべきなのじゃからして……」

獣王「魔王サマ! 御答え願いたイ!!」

亀姫「獣王! いい加減になさいまし! さもなければ――


パチン!!

「「「!!!!」」」

104 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:34:43.14 ID:6LNCYEUg0

強く、扇を閉じた音が響いた。
それを合図に、皆が口を閉じて魔王を見つめる。


魔王「さて…静かになったか。 獣王、さきほどの問いに答えよう」

獣王「………」ゴクリ


魔王「俺は、お前達を導いたりはしない」

獣王「!」


魔王「おまえらの筆頭となる条件? …そんなものを考慮するつもりもない」

獣王「……なんト!」

魔王「俺に従いたいというのであれば、従えてやらん事はないがな」ククク


大きく目を見開いたまま言葉を失う獣王を見て
魔王は満足そうに微笑んでいた。


魔王「俺は俺の目的を達するのみ。着いてきたくば来るがよい」


105 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:41:26.66 ID:6LNCYEUg0

魔王はスクと立ち上がって簾中を出ると、
四方を囲う各部族の族長や精鋭をぐるりと見まわし、声を張り上げた。


魔王「皆も聞け!! 俺は3日後、神界へと攻め入る!!!」

近衛「――ッ」


 ザワッ・・・!!!


魔王「そして、父の代より付き従えている我が臣下達に言っておく」

魔王「忠誠を棄てよ。棄てられぬ者ならば、即刻と巣に帰るがよい」


 ザワ…ッ 
   ザワザワ…ッ


魔王「クク。俺に異論を持つ者があれば、今すぐこの場でかかってこい」


106 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:42:03.79 ID:6LNCYEUg0

魔王の言葉に、臣下達は混乱を極めた。

“魔王の為に魔王に従う”事を絶対としてきた臣下達にとって
忠誠を棄てることも、帰らされることも、主人にかかっていくことも、なにもかもが理解不能だったからだ。


竜王「魔王殿――…!! なんということを仰るのじゃ!!」ワナワナ


ざわつき戸惑う臣下達の中、最初に声をあげたのは竜王だった。


竜王「忠誠を棄てよじゃと!? 魔王殿は臣下を何だと思っているのじゃ!?」

魔王「くく… 異論か? ならば、俺にかかってこい、竜王」

竜王「くっ……忠誠を棄てることなど出来ぬ! ならばワシは忠誠をもって、魔王殿のそのお言葉を御諌めさせていただこうぞ!!!」

魔王「ああ―――」



魔王「全力で来い。さすればお前のその忠誠、真実であったことだけは認めてやろう」

竜王「―――魔王殿――ッ」


107 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:48:05.45 ID:6LNCYEUg0

……………
………
……


魔王「……ご苦労だったな、竜王」

竜王「グ……」ガクン


皆、信じられないものを見た思いだった。

“魔王”に躊躇なく振り上げられる竜王の尾も、それを一振りで切り裂いた魔王の抜刀術も。
吐き出された火炎の熱さも、それを一瞬でかき消した魔力も。
何もかも全てが、とても信じられないものだった。

若き魔王の魅せた、初の戦闘行為。
種族代表の集まるこの場においても、それは圧巻の戦闘技術だった。

ましてや相手は魔物の中でも“攻撃力”を誇る竜族の王だ。
それを赤子の手を捻るかのように地に伏せさせた魔王の強さは、本物としか言いようがない。

108 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:52:16.76 ID:6LNCYEUg0

竜王「強く……なられたのじゃのう…。若君・・・」

魔王「ああ。そしてお前は老いた」

竜王「老いた、か。ワシはいつの間にか、眼を曇らせておったのじゃろうか…?」

魔王「……」


竜王「魔王殿。どうぞ、愚かな逆臣に裁きを。慈悲は要りませぬ・・・」

魔王「クク。かかって来いといったのは俺。俺に勝てぬからと裁きなど与えては、次の者がかかってこれまい?」

竜王「では… ワシは……」

魔王「無論――  巣に、帰るのみだ。お前は最早、我が臣下ではない」

竜王「………っっ」


顔を地に伏せて隠した竜王。
それを背にして、魔王は他の者を眺め見て言った。


魔王「さて… 次は、どいつだ? 戦わずして帰るのも構わぬがな」ニヤ

109 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 05:53:57.43 ID:6LNCYEUg0

しばらくの間沈黙を続けた室内は、次第にザワザワと騒がしくなっていく。

他種族からも信頼の厚い竜王を手当てしようと動き出す者。
仲間の住む場所へと遣いを放つ者。
ただただ圧倒されて、興奮気味に語りだす者――


獣王「魔王サマ」

魔王「む? おまえも、俺にかかってくるか?」

獣王「異論なド、持ちあわせなイ。強き我が王、その強さに魅せられタ」

魔王「クク。筆頭として認めるわけにはいかぬのでは?」

獣王「構わなイ。同族から異議があれバ、我が筆頭となリ、我が一族を従えテ、魔王サマについて参りまス」

魔王「好きにしろ」

獣王「それよりモ、魔王サマ。かかってくる者がいないのなれバ――」


獣王「是非とモ。1戦、お相手願いたイ」グルル…

魔王「……怪我などしてくれるなよ」クス

110 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/10/25(日) 06:09:36.22 ID:6LNCYEUg0

魔王にとって、それは単なる時間つぶしだった。

庭先だけでは狭いのか、太鼓橋の向こうまで駆け、嬉しげに尾を立てている獣と
魔力による弾撃でそれを決して近づけさせぬ魔王。

微笑ましくじゃれ合うかのように声を掛け合ってはいる二人だが
その一撃・一蹴のどれもが、粗く地面を削っては破裂している。

その様子の狂気さを見て、蒼い顔をした臣下がまた一人去っていった。


そうして日没も近づく頃になり、ようやく魔王殿は静けさを取り戻した。
その場に残った者の数は、元居た半分ほど。

充分に翻弄された獣王は、近づく事もできぬ程に強い主人に満足したらしい。
疲れて床に伏せた獣王。
その腹元にもたれかかるように座った魔王が、笑っていた。


魔王「神界を、堕とすぞ」ニヤリ

魔王「来たいやつだけ、来るが良い――」



近衛(……自分の無力さなど…とうに、わかっていたというのに…)グッ



近衛(天使殿――)
111 : ◆OkIOr5cb.o [sage saga]:2015/10/25(日) 06:14:51.47 ID:6LNCYEUg0
今日はここまでにします。
次回から本気で地の文を減らすことと、投下速度の向上に全力を注ぎたいと思いますね…。



112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/25(日) 12:56:01.64 ID:V1DcPruLo
乙乙
これくらいならあっても構わないと思うけど1の好きなようにどぞ
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/26(月) 16:50:22.61 ID:+jMqQ+y60
敵意の天使「くくく、光の御国が魔王如きに滅ぼされる訳がありません。魔王と其の一派はかつてのルシファーとの戦で大敗を喫した事をお忘れになったよう

      だ。それに我々が出るまでもありません。光の力を授かった人間“勇者”がいるのですからね。はっはははははは!」
114 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/11/11(水) 13:53:48.07 ID:7otrRdBQ0

::::::::::::::::::::::

本殿・最奥の間


近衛「……」


ちらちらと蜀台の炎が揺れていた
その灯火が自らの影を映し出すのを気にして、そっと掌で覆い隠す。


天使「近衛様…? あの、如何なされましたか…?」

近衛「……」


近衛と天使の、二人だけの密会。
それは月日と共に頻度を増し、既に毎夜の事になっている。
魔王が神界との戦争を口にしてから先は、滞在時間も長くなっていた。

115 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/11/11(水) 13:54:39.51 ID:7otrRdBQ0

天使「近衛様…。戦争の事を、自責していらっしゃるのですね…?」

近衛「天使殿を逃がすことも叶わず、それどころかその故郷を無くそうというのです。
魔王陛下をお止めすることも出来ない自分の無力さを、ただ恥じるばかりしかない」

天使「神様と戦争だなんて…私には、どうなるかの考えにすら及びません」

近衛「陛下は、本当に強い方です。神界を堕とすというのもただの酔狂ではなく、本気で可能だとお考えでいらっしゃる」

天使「そう、なのですか…」

近衛「…天使殿は、凄いですね。最初に出会ったときは、僅かな事にも混乱していらっしゃったのに。今は取り乱す事なく話を聞いておられる」

近衛「芯の強さを、お持ちなのだとおもいます。自分は見習わなくてはなりませんね」


少しの間、近衛の瞳をみつめた天使は
悲しげに視線を落とすと小さく首を横に振った。

116 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/11/11(水) 13:55:25.23 ID:7otrRdBQ0

天使「…違うんです。私はただ、本当に考えが及ばないだけ…。きっと、何も理解しようとしていないだけなのです」

近衛「理解しようとしていない…?」

天使「現実味がないのです。私はそこで生まれて…神様の守護の下、生きて参りました」

天使「争いなどとは無縁の理想郷。そこが戦場になるなど、想像ができないのです。考える事すらも恐ろしくて、出来ないだけなのです…」


近衛「…申し訳ない、浅慮な発言でした。気丈でいられる訳などありもしないのに…」

天使「近衛様。 私は…神界は、どうなると思われますか?」

近衛「それは――」

天使「教えてくださいませ。自らで考えられないのであれば、私はせめて知る努力をしなければなりません」


しばしの沈黙
悩んだ末に、近衛は小さく呟いた。


117 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/11/11(水) 13:55:53.95 ID:7otrRdBQ0

近衛「神は、陛下の事を侮っておられる。だけれど自分には、あの魔王陛下が負ける未来を想像することが出来ない」

天使「え…?」

近衛「神界は堕とされる。目立った者は殺され、一部の運のよい者は捕虜のように扱われるだろう。天地はなくなり、球のごとくに閉ざされた世界が創られる…」


天使「え…? お、お待ちください近衛様。一体何故、近衛様はそのような…」

近衛「……申し訳ない。分かりづらいとは思いますが、それが自分の予想する行く末なのです」

天使「そ、そうではなく――」


神妙な顔つきをしていた近衛が、眉はひそめたまま、ふと口元だけで微笑んだ。
苦悩のなかで、せめて天使が少しでも心安らぐようにと振り絞った笑顔。


近衛「自分が傍にいます。例えどのようになっても…災厄を祓うことなど出来ずとも。天使殿の傍に、必ず居ます」

天使「近衛様……」

118 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/11/11(水) 13:57:51.62 ID:7otrRdBQ0

天使は、このまま近衛が泣き出してしまうのではないかと思った。
『辛い、苦しい、だけれど仕方ないのだ』と、諦めたような表情で微笑み、泣くのではないかと。

だから、心もとなく胸元で握られていたその掌を
近衛に向かって差し出さずにはいられなかった。


だけれど、その掌は届かない。


結界に阻まれて、御簾の手前で止まってしまった小さな掌。
それを見て、近衛は愛しく思った。深く一呼吸し、感情を整える事が出来た。


近衛「最善は尽くします。今の自分にお約束できるのはそれだけ。…どうかお許し願いたい」


近衛はそのまま拳を床に付き、頭を下げた。

119 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/11/11(水) 14:00:33.15 ID:7otrRdBQ0

天使「……」


天使には、最善が何かも、近衛の約束をどう受け取ればいいのかもわからない。

わかるのは、目の前の人物が優しくひたむきであるという事と
そんな彼を愛しく思う、自分の不謹慎な想いの確かさだけだった。


天使「でしたら私も許しを乞い、願ってよいでしょうか」

近衛「…何をでしょうか」


天使「私が近衛様のご無事をお祈りすることを」

近衛「天使殿……」

天使「魔王の右腕であると知っていて、それでも――」



どうか、貴方にも無事で居てほしい。
そんな願いを掛けることを、神様は許してくださるでしょうか。



胸が痛んで、最後まで言葉にする事が出来なかった。
必死に微笑んで、ぽろぽろと零れる涙を その唇の端で受け止めるのが精一杯で。


120 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/11/11(水) 14:06:13.04 ID:7otrRdBQ0

近衛「天使殿――」

天使「近衛様… 近衛様、近衛様……っ」


結界の御簾越しに、掌を重ね合わせる二人。
ちらちらと揺れる蜀台の灯火が、壁に二人の影を映し出している。




魔王「…………」


その影は、まるで本人達に代わって手を重ねているようで。
叶わない口づけを交わし、抱きしめあっているようにも見えて―― 



ふたつの影が離れるまで、
魔王は息を殺したまま、その影の揺らめきから目を離せずにいた。


121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/11(水) 15:03:43.95 ID:2QCybpLPO
乙乙
近衛が心配だ
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/11(水) 17:31:34.28 ID:COTGH1w2O
魔王にNTR癖があったとは
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/11(水) 21:07:34.01 ID:Mr/rIwJSO
そろそろ近衛をころそう
124 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/09(水) 11:11:37.57 ID:IewOJk0a0

―――――――――――――――――――――――――

翌朝・早朝
本殿―東の社殿(近衛の社殿)


魔王がトン、と階を上る音を聞いて、近衛は驚いたように顔を上げた。
自室で刀の手入れをしている最中、少し没頭しすぎていたようだった。


魔王「仕度を整えていたか。感心な事だな」

近衛「これは、魔王陛下。申し訳ありません、こちらではお迎えの準備が…」

魔王「構わない、お前の社殿だ。天使の元へ行ったのだが、珍しくまだ眠っていたものでな」


昨夜は少し夜更けまで長居をしすぎた。
泣きつかれて、少し深くお休みなのだろうと近衛は心の中で察する。


魔王「なのでついでにお前の様子を見にきたまで。長居はしない、支度も続けていて良い」

近衛「左様でございましたか。では、どうぞ奥へ」

125 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/09(水) 11:12:15.04 ID:IewOJk0a0

魔王を社殿の奥へと通し、最低限の居支度を整えようとする近衛。
それを軽く手で制し、扇でス、と刀を示す。


近衛(構わずに続けていろ、ということか)


魔王は奔放で人を振り回しもするが、その奔放さは時に人の労を減らす事もある。
近衛は魔王の横柄な態度の反面で垣間見える、そういった行動を心地よく思っていた。


魔王「近衛、その刀で行くつもりか」

近衛「はい。この刀は魔王様より拝借しているものでございます。戦に相応しき――」

魔王「戦うつもりがないのか。それとも、舐めているのか?」

近衛「……そのような事は」


決して舐めているわけではない。この刀には、何の落ち度もない。
だが、魔王の言わんとしている事はすぐにわかった。


魔王「自分の武器を使え。お前にとって用立たない“刀”に何の意味がある」

126 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/09(水) 11:13:11.35 ID:IewOJk0a0

近衛「用立たないとまで言われるのは、少々堪えますね」

魔王「クク。お前の事だ、律儀に仕舞いこんでおるのだろう? 引っ張り出してやろうか」

近衛「……いえ、お手を煩わせるわけには参りません。ですが、あの武器は…」

魔王「構わないさ。衣装も全て自分の物を出せ。一番“戦闘”に相応しい物を用いるべきだ」


魔王のどこかおもしろがるような表情を見て、近衛は抵抗を諦めた。
社殿の奥より大き目の駕籠を、ズリと引き出し、埃を払って蓋を開ける。


魔王「ふむ、久しく見た。虫食いなどあっては恥だぞ、着てみるがいい」

近衛「いっそ尻にでも穴が開いていれば、着ずに済むでしょうか」

魔王「くくく、女房の数人にでも繕わせるさ。大きな穴の開いていない事を祈れ」


房を出て着替えようとしたが、構わぬと制された。
構って欲しいのは自分だとも言えず、苦笑してその場で着替える。


魔王「異国の狩り衣姿。やはりなかなかに似合っているぞ? くくく」

127 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/09(水) 11:15:47.15 ID:IewOJk0a0

近衛「ですがベルトの締め方すらも怪しいです。それに足回りが少し窮屈に感じます」

魔王「支障があるのか」

近衛「いえ、これまでは袴でしたから。久しぶりのジャケットもパンツも着慣れぬというだけでしょう」

魔王「では、そちらはどうだ?」

近衛「これは……」


腰元に下げたのは、小さなナイフホルダー。そこからナイフを引き抜いた。
グリップには刀のそれを倣って、木綿と白絹を混ぜた糸を軽く巻いた。
もともとの握り手は、今となっては感触が悪くすら感じられたのだ。


近衛(それに……懐かしすぎるグリップの感触は、忌まわしい記憶も思い出させてしまう)


魔王「振れそうか?」

128 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/09(水) 11:16:17.88 ID:IewOJk0a0

近衛「どうでしょう。こちらに来てから、ようやくこの“剣”の使い方を知ったものの、仕舞いぱなしですので」

魔王「まさか今度は“刀に慣れてしまったので、今度は剣の背と腹を間違えそうです”などとはいうまい?」

近衛「あまりからかわないでください、流石にそんな事はありません。それにまず…」


刀とは違い、このナイフには背などない。
強度を求めて、太く厚く造られている、戦闘特化のナイフなのだから。

グリップを握り締め、片手を添えて顔の側近くに構える。


近衛「……刀を見慣れてしまうと、どうにもこれが不恰好な気がいたします」

魔王「いつぞやは、得意げに振っていたように見えたが」クク

近衛「お恥ずかしい。あの頃はこれのみを誇りとしていたので…。ナイフ技以上に自分を装飾できるものはないとまで思っておりました」

魔王「ほう?」

近衛「……実際、装飾に過ぎませんでしたが」

129 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/09(水) 11:18:11.58 ID:IewOJk0a0

自嘲気味に呟きつつも、構えを解かない近衛。
ずりと足を引き、構えた姿勢のまま重心のズレをゆっくりと直していく。


魔王「装飾では困るな。それでは刀を持たせようと剣を持たせようと変わらぬでは無いか。用立たなさを比べても仕方ない」

近衛「そうですね。ですがこちらのほうが刀よりは扱いやすい。きっと剪定鋏程度には使えます」

魔王「く、くくくくく。鋏か、良いな。ではあの庭の木などを倒して見せよ」

近衛「かしこまりました」


ビュッーー

一際腰を低く下げたと思った直後、近衛は駆けた。
木に衝突するほどの勢いで突進し、直前で踵を返す。そして木の横に回りこみ――
打ち込むようにナイフを突き出した。

その突き出す瞬間、ナイフの刃は 銀に輝く大剣へと姿を変えた。

130 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/09(水) 11:20:52.16 ID:IewOJk0a0

魔王ほどの目がなければ、それはなんとおかしな行動に見えただろうか。

しゃがんで消えたと思った瞬間に、ズシャと音がして。
どこからか取り出した大剣で、木を横から突き射しているのだから。

木に突き刺さる剣のグリップは握ったまま、近衛は一言だけ感想を述べた。


近衛「まったくもって使い勝手の悪いおかしな武器でございます」

魔王「放つと同時に、本来以上の威力でもって貫き、切り裂く。便利な鋏ではないか」クク


大剣は抜かれると同時にナイフへと姿を戻す。
その様子は、まるで手妻師の絡繰道具のようで、どこか滑稽でもあった。

魔王は試し斬りに満足げに笑い、扇で続けよと示す。


刀による鍛錬を繰り返したおかげか、脚力も腕力も敏捷性も増している。
刀を握っていたこの数年は背と腹を意識するために、抜くも払うも練習し、鍛えた。


近衛(ナイフだけを武器としていた頃よりも、手首の返しや腕の振りが楽な気がする)

131 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/09(水) 11:23:01.10 ID:IewOJk0a0

メシメシと音を立てて折れようとしている木に裏から回り込み、もう一手、刺し込む。
刺し込んだ勢いで払い、手首を返してその下にも一撃。

そのまま、握りを滑らせるように持ち替えて、振り上げて切り裂く。
振り上げて切り裂く勢いを利用して、そのまま後方へと高く跳ね退き……


魔王「刀を振るには、まだまだ大味で。技も足りず未熟であったが――」


ズバン!!!!!
振り上げたナイフはそのまま投擲され、大剣は 砕け落ちる木と大地に突き刺さった。

魔王「そちらは、見事だ」


パチパチと、手を合わせ鳴らす魔王。
その視線の先にあるのは小さなナイフ。

だが振った瞬間に大剣と化すそれは、いかに扱えど暴力的でしかない。


魔王「く、くくく。なんと無粋で色気のない武器。持ち主とよく似ている」

近衛「笑わないでください、陛下。…それに自分はここまで酷くないと思いたいです」

132 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/09(水) 11:24:09.81 ID:IewOJk0a0

心底愉快そうに笑ったままの魔王を横目に、近衛はふぅと一息つく。
そして気が緩んだのか、つい刀と同じようにホルダーの淵に手を添えてナイフを収めてしまった。


近衛「つっ…」


刀とは違い背は無く、柄に近づくほどに太さを増すナイフ。
そんなものを勢いよく差し入れたせいで、あやうく親指を切断しかけるほどの傷を負ってしまった。


魔王「ははははははは! なんと間抜けな! お前の仕度はまず、それと戯れて慣れることだな!」

近衛「その方がよさそうですね…。これではあまりにも情けないですから」


止血を試みたところで、そうは止まらない。
魔力による治癒魔法が必要だ。至急で手当てを頼まなければならないだろう。

133 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/09(水) 11:30:20.50 ID:IewOJk0a0

魔王「あちらこちらを汚されてもかなわん。血だけは止めておいてやろう。それとも傷も治してやろうか?」

近衛「いえ、止血だけで充分でございます」


近衛「ありがとうございます、陛下」

魔王「良い。お前の血を殿内に巻き散らかされても困るだけだ」

近衛「は。それと、御前失礼させていただきたく。自分は着替えて治療に向かいます」

魔王「ああ、そうするがよい」クックック


手を庇いながら社殿に戻った近衛を見守る。
着替えようとしたらしいが、上半身の衣類を脱いだ所でもどかしそうにそのまま駆け出していった。


魔王「まったく馬鹿と鋏は使いようとは言うが…。さて、馬鹿の鋏はどうなることやら」


楽しげで、満足げな口調。
だけれど扇を広げて隠した口元と、細めた目はどこか物憂げにも見えた。

134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/09(水) 20:28:07.11 ID:28cVgdKl0
これめっちゃ面白いな
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/09(水) 21:27:55.72 ID:96wCq8HQo
乙乙
136 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:04:05.74 ID:IqECF18U0

―――――――――――――――――――――――

正殿・医局――


カラカラと軽い引き戸を開けると、独特の香りが鼻をつく。

噎せ返るような草の燻した匂いや、果実か花かの鼻を突くような刺激臭。
そこに湿った空気の匂いが交じり、近衛は思わず眉をしかめる。


近衛「失礼します―― 医官はいらっしゃいますか」


雑多な棚の向こうに人の気配を感じて声を掛けると、
背の低い、白頭巾の女が現れた。衣装からして薬師だろう。


薬師「これはこれは、近衛様。どうなされましたかぁ? 今、こちらには私のような薬師しかおりませんー」

近衛「そうですか、参ったな。指の股を斬ってしまったのです。合わせてほしいのですが…出来ますか」

薬師「はぁい、切り傷にも合う生薬がございますよー。して、傷はどちらで……」

137 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:04:34.42 ID:IqECF18U0

ニコニコと近づいてきた薬師は、
今にも取れてしまいそうな近衛の親指を見て目を真ん丸くした。


薬師「ひゃあぁ!?!?! 大傷じゃないですかぁ! 血はどうしたんですかっ!?」

近衛「陛下が止血をしてくださいました」

薬師「指一本を丸まる血を止めてたら、壊死してしまいますー!」

近衛「ええ、そうでしょうね。なので早いところ指を留めてしまいたいのです。医官は何処に?」

薬師「そ、それが。皆様、本日は王殿を出ていらっしゃいますー。どうしましょう、どうしましょう」

近衛「では、誰か傷合わせのできる医術者をご存じないでしょうか」

薬師「そんな高位の医術者が都合よく… あ! います、いますよ!! 確か房舎に亀姫様がいらっしゃいます!!」

近衛「亀姫殿が?」

薬師「ええ、そうです! 神界でお召しになる衣装合わせの為に、数人の女房をお求めにおいでで!」

138 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:07:11.47 ID:IqECF18U0

近衛「……そうか、亀姫殿も御参戦なさるのか」


戦地に女性が赴くという事実に、感覚的に抵抗がある。
ましてや亀姫のような美女は、戦地でどう戦うのだろうか。


近衛(まあ、あの竜王様も女性なのだから…ココではそんな事を気にするほうがおかしいのだろうな)


薬師「亀姫様ならば、医術にも長けていらっしゃいます! 伺いを立てましょう、きっと必ずや赴いてくださいますー! だって亀姫様ですから!」


どうやらこの薬師は亀姫に特別な思い入れでもあるらしい。
やや興奮した口ぶりで、いそいそと身の回りの品を見ては片付けを始めようとしている。


近衛「いや、亀姫様に足を運んでいただくのは申し訳ない。自分で赴き頼む事とします」

薬師「そ、そうですか? …で、では私が先追いに立ちますー! 女房舎に近衛様が突然には尋ねにくいですものね!」

近衛「それは、ありがたいですね」

139 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:07:43.38 ID:IqECF18U0

近衛は少し苦笑して、先追いの役を頼んだ。
この者がどれだけ走ろうと、自分が走ったほうが余程速いのは明白だったが
女房舎への出入りの礼儀もある。時々、そういった礼儀を忘れてしまう。


近衛(普段の事ならば随分慣れてきたものの、やはりこの国は勝手が違いすぎる)


バタバタと出て行った薬師を見送り、医局の中を眺め見る。
あのツボに入ったのは何の魔物の臓物だろうか。


近衛(…治癒魔術に、薬師。それに医官に医術者、か)

近衛(当然のように馴染んでも来たけれど……)


ぼんやりとしてしまったのは、少し血を流しすぎたせいだろうか。
ずっと昔のように感じる、そう遠くもない過去の自分を思い出す。


近衛(あの頃の自分ならば…“気色悪い化け物”と、侮蔑の言葉を投げただろうか)クス

140 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:08:28.89 ID:IqECF18U0

白頭巾を被った、一つ目の背の低い女。
自分の腰丈にも届かないであろう彼女は何の種族だろうか。

種族こそはっきり分からずとも、そこに思いを馳せるほどにはこの環境に慣れた自分。


近衛「……化け物、か」


そうしてしばらく懐かしい記憶に浸っていた近衛だったが、
医局の前を通り過ぎた下男の声でハっと我に返った。

そして良くない思考を振り払うように、駆け足で女房舎へと向かった。


・・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・

141 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:09:01.50 ID:IqECF18U0

:::::::::::::::::::

正殿・東の対
女房舎――


案内されたのは、几帳が6つも置かれた房だった。
広い部屋の一角、その隅に向けて人を憚るように段々にずらして置かれた几帳。


近衛「失礼いたします」


几帳を倒さぬように慎重に進むと、そこに亀姫が居た。

慎ましやかに頭を下げた彼女は、今日は長い髪をゆるりと白い布で巻いている。
その背には甲。広げた袂はヒレ。

袖から伸びた白い指先には扇が広げられており
ぬたりと顔を持ち上げるそばから、その顔を覆っていく。

覗き見上げてくる濡れた流し目が、ひどく淫靡で。
扇の房を弄る白く柔らかな指先の動きが、卑猥で。

142 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:09:38.45 ID:IqECF18U0

近衛「あ……亀姫殿で、あらせられますか…?」


声を駆けた途端に、パタリと落とされた扇
その向こうに見えた顔付きは、あまりに妖艶で。

紅く湿った唇が微かに動いて、甘ったるい声音が零れだす。


亀姫「本日は私を、お求めにいらっしゃいましたの…? ねぇ、近衛様…?」


近衛は思わずゴクリと生唾を飲んで、その場に立ち尽くしてしまった。
その様子を見ていた亀姫が、堪えきれずにコロコロと笑い出すまで、きっと余程に間抜けな顔でもしていたことだろう。


………………
…………
……

143 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:10:09.59 ID:IqECF18U0

近衛「はぁ…勘弁してください。自分はあまりそういったことに免疫がなくて」

亀姫「うふふ、御免あそばしませ。私も、女房にからかわれたのですわ」

近衛「からかわれた?」


亀姫は近衛の手を取り、両の手で包み支えるようにして
傷口の観察をしている。


亀姫「ええ、そうですのよ。我が領からこちらにお仕えにだした仔がおりまして…」

近衛「ああ、そういえばこちらには女房を求めに来たと伺っています。余程に信頼されている方なのでしょうね」

亀姫「ええ、私の…。 いえ、私の乳母の仔ですの」

近衛「へぇ……。乳母の」

亀姫「……」

近衛「? どうなさいました、亀姫殿」

亀姫「冗談の通じない殿方ですのね、近衛様は…」

近衛「え。………すみません、どこが冗談だったのか、自分にはさっぱり…」

144 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:10:44.61 ID:IqECF18U0

亀姫「ともあれ、その仔が“近衛様が亀姫様をお求めですよ”、なんて言付けたものですから…」

近衛「はは……。実際には間抜けに負った傷の治療を願い出るだけなんて。そういえば魔王陛下にも、先ほど色気ないと言われたばかりです」

亀姫「ふふふ、そうでもありませんわ。…今日は随分と珍しいご衣裳でいらっしゃいますし」

近衛「あ、これは…。やはり片手では着替えづらかったもので。整っておらず、失礼します」


亀姫「ふふ。着崩れた御衣装でこちらにいらしたのですもの、本当に“お求め”なのかと思ってしまいましたわ」

近衛「いえ、その、決して自分はその様なつもりは…!!!」

亀姫「あら…。私などでは、“決してその様なつもりにはならぬ”と仰いますの…?」

近衛「いえ、その。そうではなく……自分は手当てを頼みにきただけで…」

亀姫「ふふふ。ではお手当ては致しますゆえ、どうかお許しくださいませ、ね?」

近衛「そ、その、こちらこそ亀姫殿にこのような頼み事をしてしまい、申し訳なく…!」

145 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:11:20.31 ID:IqECF18U0

段々と顔を近づけてくる亀姫に、動揺を隠しきれない。
不思議な香に、酔わされるようで。ドギマギと脈打つ心臓からの圧に、傷口からいつ血を吹いてもおかしくない気がした。


亀姫「“真昼から随分と堂々とした殿方だこと”、なんて……感心しておりましたのよ」

近衛「そ、その、ですから」

亀姫「我が子の責で、はしたない所をお見せしてしまったけれど… だけれど私――

近衛「? 我が子? あれ、女房は乳母の仔ではなかったのですか?」

亀姫「…………空気も読めない坊やなのね」ボソ

近衛「?」

亀姫「あ……もしや。ねえ、近衛様」


亀姫は挑発的な瞳で近衛を流し見る。
その先にあるのは、近衞の衣装。明らかにこの国の文化ではない装束。


亀姫(魔王様の拾い仔。一体どこの混合種かと思ってましたけれど……きっと私を知らないのだわ。とんだ田舎者ですこと)
146 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:12:08.29 ID:IqECF18U0

これまでの文官装束では、服の中に隠れて見えなかった近衛の胸元。
今はそこに一本の鹿紐が掛けられており、その先には、朱色に鈍く輝く水晶型の石が付いているのが見える。


亀姫「近衛様…… その、胸元の御石はなんですの?」

近衛「ああ。こちらは魔王陛下の、血の結晶でございます」


これは近衛にとって帰属の証しでもあり
身につけておくことによって結界の効力をも果たしている。


近衛「魔王陛下の血。固形化された純粋な魔素。自分にとって大切な、お守りです」

亀姫「一体何故、そのようなものを身につけておりますの?」

近衛「……自分は、ニンゲンなのですよ」

亀姫「え……」


その石を指先に触れながら呟いた近衛の目は、それが真実であることを語っている。
亀姫は思わず身を引きそうになってしまったものの、どうにか思いとどまった。


亀姫(ニンゲン…まさか、魔の者ですらないなんて)

147 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:12:37.89 ID:IqECF18U0

近衛「亀姫殿は、ニンゲンはお嫌いですか?」

亀姫「どうかしら… でも、いいえ。きっと珍しいだけですの。今となっては、この世界にニンゲンなんて居ないのですもの」


亀姫が嫌悪を露にしないで居てくれる事に、
亀姫の懐の広さや、穏かな人物性を感じる。そして嬉しくも、ありがたくも思う。


亀姫「貴方は希少種で…。そうね、個人的に見れば、私にとっては坊やですわ」

近衛「希少種はともかく… 坊や、ですか」


近衛は思わず小さく笑った。
この世界でニンゲンはどういう存在なのか、そんなものはわかりきっている。

自分にとってこの世界の魔物が“化け物”であったのだから
この世界の魔物にとって、ニンゲンは“気持ち悪い生物”程度に過ぎないはずだ。

それを“坊や”と呼び、変わらずからかってくれる亀姫は、優しい。
なんとなくの気恥ずかしさから、笑みがこぼれてくる。

148 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:13:32.10 ID:IqECF18U0

亀姫「ニンゲンだから、この世界で生きるために、その御石をつけていらっしゃるのね?」

近衛「はい」


ニンゲンである近衞が
この魔素という毒だらけの世界で生きていくための、大気の濾過装置
また、濾過することによっていかようにも力を抽出することができる増幅器にもなっている。


近衛「自分はこの石のおかげで生きており、この石のおかげで強くなれるのです」

亀姫「では、それがなくなると どうなりますの?」

近衛「もちろん、死んでしまいますよ」

亀姫「まあ、大変な秘密を聞いてしまったわ。それに今なら簡単に盗ってしまえそう」


コロコロと笑う亀姫は、今は妖艶さよりも悪戯っぽい可愛さが目立つ。

149 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/10(木) 18:14:02.87 ID:IqECF18U0

慎重に傷口を合わせては、ひとつずつゆっくりと傷や神経を合わせていくその手当ても
どこをとっても自分の死を望んでいるようには見えなくて。

この異質な穏かさに、もし身を任せて委ねきって馴染んでしまえば、きっと――


近衛「きっと本当に、自分なんて簡単に死んでしまうんでしょうね」

亀姫「ふふ。坊やは魔王様に仕える近衛ですもの。その官位は恐れ多くて、私は手出しなどできませんわ」

近衛(そうだ。今の自分は、魔王陛下にお仕えするためだけに生きている……それしか、出来なかったから)

近衛(だけど、天使のことも本当にどうにも出来ないままなのだろうか。……いっそまた、この生と引き換えに――…)

亀姫「…………?」

近衛「………」


150 : ◆OkIOr5cb.o [saga sage]:2015/12/10(木) 18:20:42.78 ID:IqECF18U0
>>134 嬉しい。ありがとう。 ///

隙みてボロボロ上げていきます。
一回の投下量とか、一日に何度かに分けて投げたりとか
投下の間隔にもかなりバラつき出るかと思います、すみません。

目標:「年内に完結させる」。
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/10(木) 22:49:52.73 ID:oKX5xZ72o
乙乙
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/10(木) 23:17:11.23 ID:vuJLOMLy0
なるほど年内に終わらせるか、良い目標だな。
で、次回作はいつ作る予定?
153 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/11(金) 10:51:36.36 ID:/7QfDunq0

――――――――――――――――――――


口数少なく黙り込んだ近衛を不審がりながらも、亀姫は丁寧に手当てを続けた。

傷があったことなど忘れてしまうほどの見事な治癒。
細胞も血管も、皮膚も…そこにあった指紋や皺までも元のとおり。
ニンゲンの感覚でいえば、恐ろしいどころか薄気味悪いほどの、医療術。

しかし近衛は、今更そんなことに動揺しなかった。
仕組みの分からない高度な術にだけ感心して、感謝して。

深々と礼を言い、近衛は立ち去った。


戸口の近くまで出て見送っていた亀姫は
その背が見えなくなるのを確認して、ポツリと呟く。


亀姫「おかしな子。それに少し……怪しい子」


「あア、怪しいナ」


のたりと縁の下から身を出してきたのは、獣王だった。

154 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/11(金) 10:52:02.86 ID:/7QfDunq0

亀姫「あら、獣王……あなたもいらしてらしたの。覗き見などとは趣味が悪いこと」

獣王「あの近衛とやらヲ、見張っていタ」

亀姫「あんな坊やを?」


巨体に似合わず、猫のようなしなやかな仕草で伸びをする獣王。
いくつか話を聞けた事で満足したのだろう。その様子からして、近衛の後を追う気はなさそうだった。


獣王「あいつは不穏デ、不吉な匂いがすル」

亀姫「ニンゲンの匂いではなくて? ですけれどあんな“坊や”が魔王陛下の近衛では、いつ足を取られるか不安にはなりますわね」


近衛の様子などを思い返すと、至って真面目そうな本人はどこか間抜けで。
くすくすと笑えてしまう。


獣王「……ニンゲンなのハ、知っていタ。不吉な匂いハ、日増しに強くなっていル」

亀姫「日増しに…。あの坊やに変化が起きている、という事ですの?」

獣王「わからなイ。だガ、油断は出来なイ…… 近衛ハ、強いかラ」

亀姫「強い…ですって? でもニンゲンなのでしょう?」

獣王「あア」

155 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/11(金) 10:52:30.22 ID:/7QfDunq0

亀姫は扇で顔を覆いつつも、訝しげな表情を隠そうとはしていない。
首をかしげて眉をひそめ、何やら考えていたものの やはり納得がいかない。


亀姫「先の院のニンゲン一斉討伐…… 獣王は参戦なさって?」

獣王「否。あの戦に赴いたのハ、王殿内の者のみと聞いていル」

亀姫「先の院も、他種族の力を借りるまでもないと判断なさったのでしょうね。…相手はニンゲンですもの」

獣王「実際、討伐にむかって半日とせぬうちニ、ニンゲンの国は消えタ」

亀姫「向かったという報せも、完了したという報せも、私のところには2日後に同時に届きましたもの」

獣王「報せの必要はあるまイ。あくまで体裁のものダ」

亀姫「……それを言っては、報せの方があまりに可哀想でいらっしゃいますのよ」


亀姫は嘆息し、つまらなそうに裾を翻した。
それから獣王に背を向けて、強い口調で言い放つ。


亀姫「ニンゲンは強くなどありませんわ。ましてや近衛のような、自分の手を自分の刀で切るようなウツケモノ、警戒する気にもなれませんのよ」

156 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/11(金) 10:52:57.40 ID:/7QfDunq0

シュルリと着物の裾を引き寄せて部屋の奥へと戻ろうとした亀姫の背に
獣王は低くうなるような声を掛けて引き止めた。


獣王「……近衛がこの王殿に来た頃ニ、手合わせをした事があル」

亀姫「獣王、貴方が負けましたの?」

獣王「いヤ。俺が勝っタ。あいつは魔王様はもちろん、他の誰一人にも勝てなかっタ」

亀姫「あたりまえですわ……ニンゲンですもの。獣王、私をからかっていらっしゃいますの?」

獣王「否。だガ先日、俺ガ魔王様と戦って気がついタ」


獣王「近衛が負けるのハ、非力さもあるガ、刀が振れぬほど近づいてくル技術力の無さ…」

亀姫「間合いも計れないだなんて」

獣王「近衛は魔王様にモ、そうして負けていタ」

亀姫「一体何を仰りたいのか、私には――」

157 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/11(金) 10:53:24.13 ID:/7QfDunq0

獣王「戦いにならぬから、負けタ。”近づきすぎて”戦えぬだけで… いとも容易く近づけるほどニ、強いのダ」

亀姫「―――あ」


亀姫は思い出す。先日の謁見の集まりで、庭先を跳ねていた獣王の姿を。
竜王の巨大な尾も、いくら振り上げても魔王には届かぬままだった事を――


亀姫「……近衛は、戦闘でも“魔王陛下に触れることが出来る”…?」

獣王「あア。そして今となってハ、体も技術も鍛えられているはズ」

亀姫「そういえば、あの魔王陛下の血の御石。…力の増幅器のような役割もあると言っていらしたわね」

獣王「あア」

亀姫「……ですけれど、やはり杞憂ではありませんの? あの坊やが強いだなんて聞いた事もありませんわ」

亀姫「それに以前、“あの近衛には刀を振る才能が無い”と、魔王陛下が笑っているのを聞いた事が」

158 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/11(金) 10:53:52.16 ID:/7QfDunq0

獣王「近衛の武器ハ、本来は刀ではなイとも言い換えられよウ。そしてこの戦争でハ、おそらく本来の自分の武器を持ツ」

亀姫「……あの坊やが、接近武器の使い手だと仰いますの?」

獣王「可能性はあろウ。そして接近武器の使い手と言えバ……」

亀姫「……まさか、“暗殺者”だと…?」

獣王「知らぬ。あの者が何故 どのようにして魔王サマのもとに来たのか、院と魔王サマを除いて知る者はいない」

亀姫「もし坊やが、降伏したニンゲンによって献上されたものであれば…」

獣王「下出に回り懐刀となることで、魔王サマへの報復の機を計っているのかも知れヌ」

亀姫「……この戦争に乗じて、本来の武器を持ったとしたら…」

獣王「あア。……絶好の機会に、違いなイ」

亀姫「―――あの坊やが……」

159 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/11(金) 10:54:22.28 ID:/7QfDunq0

先ほどまで握っていた手を思い出す。
あの手で、魔王を討つのだろうか。あの瞳で、魔王への報復を狙っているのだろうか。

だけれど、“滅ぼされた種族”が“滅ぼした種族”に仕える理由が他に思い当たらない。
少なくとも充分な動機になるだろう。ならば、本当に――?


獣王「まだわからなイ。魔王サマへの忠誠ハ、あるようにも見えル」

亀姫「私にも…… そう、見えましたわ」

獣王「確かなことハ、魔王様に歯向かえる強さがあるという事ダ。あやつは不吉ダ。あの天使よりモ、何よりモ。俺の鼻がそう感じていル」


亀姫「……わかりました。貴方の嗅覚を信用して、私も警戒するといたしましょう」


亀姫(私の治癒したあの手で魔王陛下に歯向かうなど… 決して許せません事よ)


160 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/11(金) 10:54:51.17 ID:/7QfDunq0

亀姫という理解者を得て、獣王は満足げにその場に寝そべった。
そうして一息ついた様子で、尻尾をパタと揺らしてみせる。


獣王「魔王様はいつもどこかラ、あのようにおかしなものばかり拾ってくるのカ」

亀姫「そして何故、そんなものばかりお傍におくのでしょうね…? ふふ」

獣王「まったくダ」


僅かに吹いた風を気持ちよさそうに鼻先に受ける獣王は
場所も人目も気にせずにそのまま眠ってしまった。

所詮は獣。
そのうちにヒトの気配でも感じ取れば、スと目を覚ましてどこかにいくだろう。
気にかけてやる必要もない。

亀姫はそのまま女房舎へと戻り、几帳の影へともぐりこんだ。


亀姫(魔王陛下……。愛しい愛しい、私の魔王陛下…)


161 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/11(金) 10:55:27.82 ID:/7QfDunq0

頭の中で名を呼べば、いともたやすく脳裏に現れてくれる愛しい主。
その姿と声に、たまらぬ愛しさがこみ上げてくる。

懸想するだけで、焦がれて火照る。
自分を落ち着かすため吐きだした呼気の熱さに、なおさらに目が眩む。



亀姫(天使も、近衛も、獣王ですらも、妬ましく思えてしまう……)


熱されすぎた想いが、ねばつきはじめる。
そうではない、妬んでも仕方がないのにと言い聞かせながらも
想いの熱さは鎮まることは無さそうだ。息苦しいほどに焦がれてしまい、堪らずに身を捩じらせる。


魔王。
彼は何故、あんな者ばかり側に置くのだろう。
そんなものよりずっと、自分のほうが有用だと言い切る自信があるのに。


亀姫(ですからどうぞ、私を貴方のお側に置いてくださいませ――)


162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/11(金) 13:33:54.38 ID:SPF77mVxo
思惑が絡み合っていよいよ面白くなってきたな
163 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:19:21.74 ID:0t/Lxfak0

――――――――――――――――――――――――――

翌日・夜
本殿中央・奥殿(魔王の社殿)――


この夜が明ければ、戦争が始まる。
遠方の領地に住むものの多くは、今宵のうちにこの魔王殿に集結していた。

亀姫はこの二日、王殿に泊まり配下の者に仕度を代わらせている。
元より、亀姫は武器などを使う事はない。仕度といえば気を落ち着かせることくらいなのだ。

だけれどそう遠くない場所にいる主を思うと、気はやすまるどころか乱れるばかり。
今朝も、魔王に朝餉の誘いを出したが“天使をご鑑賞なさっておられる”という無慈悲な使いの報告に肩を落としたばかりだ。

気晴らしに昼は出かけたものの、さらに夕餉でも同じような報せのやりとりがあった。
戦争の前に、ほんの少しばかりの主との“面会”を期待していた亀姫は、落胆を隠せない。


亀姫(天使のための、時間。それが妬ましい)

亀姫(だけれど、天使のための戦争のおかげで… 今は、陛下と同じ王殿に居られるのですわ)

164 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:19:50.76 ID:0t/Lxfak0

今は少しでも、側にいたい。
だから愚かにも、“他の女への後押し”の役目までも請け負ってしまった。


亀姫(魔王陛下は… もう、天使の元からお戻りになられたかしら…?)


もしもまだ居なかったらと思うと、足はなかなか動かなかった。
そうして夜も更けたころ、ついに魔王の社殿へと足を向けた。


亀姫には大きすぎる観音開きの門が、目の前にふさがれている。
中の様子を窺い知る事はできぬし、本来ならば禁区の場所で呼びかけるのも躊躇われる。


会えばどれほど親しく言葉を交わせたとしても
その“会う”機会を作るのが何よりも難しい、尊き主。

嬉しさのあまり、いつも饒舌になりすぎて魔王には呆れられているだろう。
夜更けに訪れた私を、魔王が歓迎するとも思えない。

165 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:20:22.52 ID:0t/Lxfak0

亀姫は、それでもその門を見つめていた。
この扉の向こうにいる主を想うだけでも、癒される何かがありそうな気がして。


「亀姫」


亀姫「……え」


不意に、愛しい声が聞こえた気がした。
振り向いた先で、魔王が笑っていた。


亀姫「魔王…陛下……?」

魔王「ああ。あやうく亡霊と見間違えるところだった」


亀姫にとっては、魔王こそ恋心の見せた亡霊に見えた。
だからそうではないと気づいたその時に、腰を抜かしてしまったのも仕方がない事だろう。


・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・

166 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:20:50.46 ID:0t/Lxfak0

魔王の社殿前・階


魔王「くくく。天下の亀姫が、まさか腰を抜かすとは」

亀姫「その……ですが、まさか庭先に出ていらっしゃるとは夢にも想わなかったものですから…」


腰を抜かして地の上にへたりこんでしまった亀姫
その腰をいともたやすく抱き寄せて、魔王は広々とした社殿の縁に連れ運んだ。

それだけでも驚いたのに、魔王はその社殿のふちで片ひざを立てて座り、
そこに寄りかからせる姿勢で亀姫を抱き座り…支えてくれた。

どういった気の向きなのだろうか
近すぎる魔王との距離、予想外の接触、その全てが“魔王らしくない”。

気の迷いだとするならば、これはチャンスかトラップか。
真摯に礼を言うべきか、ほのかに色香でも匂わせるべきか――。


亀姫「魔王陛下――」

魔王「…………………」


そう思い悩みながら見上げた魔王は、ただ虚空を見つめているだけだった。
亀姫のことなど、気にもとめていないか―― 下手すれば忘れてさえいるのだろう。

167 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:21:19.46 ID:0t/Lxfak0

亀姫(……いえ、そうではなく…)


亀姫を支えて抱く腕は、時折思い出したかのように、緩んだり強張ったりしている。
抱いている事を、意識しているが故の反応。それなのに虚空を見つめて呆けているのは、つまり――


亀姫(……私ではない、誰かへの優しさ。それを私が代わりに受け取っておりますのね)


あれほどまでに昂ぶっていた想いが、急速に鎮まる。
気を抜けば自分の事を哀れんでしまいそうで、歯を食いしばる。
一族の長として、また今代亀姫の名を冠する者として、そんな愚かな真似は許されない。

凛、と鈴が鳴ったような気がした。
途端に体中から、緊張も動揺も消えうせる。
今あるのは馴染み深い、“正常を維持して凍りつかせたような、平静な体感覚”のみ。

魔王の膝からスルリと抜け出し、縁を下りる。
そして向かいに静かに立つと、頭を下げた。


魔王「……どうした」

亀姫「畏れながら申し上げますわ。昨日、私は大婆様を見舞いに参りました」


主への、恋心。
それを隠しきってこその“慎み”で、“貞節深さ”だろう。
失ってはいけない。それこそが「亀姫」なのだから。

168 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:21:55.29 ID:0t/Lxfak0

魔王「…大婆…。ああ、竜王か」

亀姫「少しばかり御憔悴の様子でしたが、身の回りの事はきちりとなされておりました」

魔王「ふん…。そんなことを俺に言ってどうなる?」

亀姫「うふふ。どうにも変わりませぬ。ただの答え合わせですわ。陛下のお考えと行動ですもの、大婆様のその後の様子くらい予想しておられたでしょう?」


魔王「そんな戯言のためだけに、わざわざ来たのか?」

亀姫「はい。ですが、ついでの用もございますのよ」

魔王「ついでの用?」

亀姫「伝える義理などもありませぬけれど、老いた竜の呟きごとを届けに参りましたの」

魔王「……」

169 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:22:25.16 ID:0t/Lxfak0

亀姫「『神族のいやらしさは、魔の者の比では無い。決して驕ることの無いようにせねばならぬ。奴等は”すくう”のが、お家芸なのじゃから』…」

魔王「”すくう”? まさか、俺を救うとでも? それともこの戦禍そのものを…と?」


亀姫「あるいは、足元を…。ふふ」

魔王「く、くくく」


亀姫「私は最大限に陛下をお守りできるよう、ささやかながらも尽力いたします」

魔王「期待しよう。亀姫…お前の”堅牢”の名高さに」

亀姫「うふふ…」


そう。私は、私のままに。
他の誰にも代わる事の出来ないもので、貴方様を惹き付けて見せますわ――


170 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:23:14.50 ID:0t/Lxfak0

――――――――――――――――――――

同晩・黎明の時刻
奥殿・最奥の間――


近衛「天使殿。いよいよこの夜明けだ」

天使「近衛様……。とうとう、はじまりますのね」


召集の時刻にはまだまだ早い。
だが既に夜を語るには遅い時間、近衛は天使を訪ねていた。
もう少し明るくなってしまえば、きっと魔王もここに訪ねてくる。

戦争に向かう前、二人で会える最後の機会…。


天使「何も良い言葉が出てこないのです。見送る事も、引き止めることも、うまく出来ない私ですが… 今はもう少し、お側に寄ってもよろしいですか」

近衛「天使殿……貴方を困らせることしか出来ない自分が不甲斐ない。ですがもし、近づく事で心休まるものがあるのなら、いくらでも」

天使「近衛様…」

171 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:23:54.89 ID:0t/Lxfak0

それぞれに御簾へと近づく二人。
薄い結界に触れる事はなく、だけれど近づけて合わせたその掌からは、熱が伝わるような気がした。


いつもと違う衣装に、胸元で揺れる魔王の血の結晶。
言葉をなくした二人は、その揺れる石を眺めていた。


近衛「―――」


近衛(天使を無理矢理に隠し連れて、神界へと返せたら)


何度も考えては打ち払った希望が、この期に及んで未だ湧き出る。
返せたら最良。だが、近衛にはそれが出来ないのだ。


近衛(この結界を無くして、天使に近づく事など出来ない)


この御石は、浄気に触れればそれだけ表面から劣化していくだろう。
純粋すぎる魔素の固まりと、純粋すぎる浄気は拮抗し、消耗を起こす。
そうなればこの御石は目詰まりしたフィルタさながら、この魔素だらけの大気を充分に濾過することができなくなる。

魔素の大気が取り込めなくなれば、力が振るえないだけではなく
純粋に呼吸困難に陥るのだ。

172 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:24:24.41 ID:0t/Lxfak0

だから、触れることはできない。
連れて行こうとすればその途端に自分は無力となり、そのまま息絶えてしまう。

あの日、天使に出会った日
近づいただけで意識を失ったあの時のように…。


近衛「触れることも出来ない…。ましてや連れ去る事など…」

天使「……気付いております。近衛様は魔の者ではない。ましてや、天の者でも…」

近衛「――自分はニンゲンです」

天使「…ニンゲン。それは魔のモノに消し去られた存在と、聞いています」


無くなってしまったものを悼むように、悲しげに眉をひそめて呟く天使。
天の者も、魔の者と同じで……ニンゲンとは違う。


近衛(どれほど愛しく感じられても――まったく違う生き物なのだ)


神族。
それはニンゲンであったころから知っている。聖として崇められる存在。
何があろうと、きっとそれだけは確かなのだろう。

173 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:25:09.81 ID:0t/Lxfak0

近衛「天使殿は天の使い。明白に不浄を謳う魔ではないとはいえ、ニンゲンである自分も大差は御座いません」

天使「止めて。言わないでください…」

近衛「天は聖だ。聖ではないもの以外は、結局 同じ。自分が貴殿を愛すれば……」

天使「近衛様!」


近衛「天使殿を、穢すことになる」


天使にしてみれば、きっと変わらない。
自分が天使を愛する事も、魔王に寵愛される事も… どちらも汚らわしい事だろう。


天使「だけれど… ヒトは聖ではないだけで、穢れではありません」

近衛「天使殿…?」

174 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:25:41.01 ID:0t/Lxfak0

天使「ですからどうか… 近衛様の想いが私を穢すだなどと、思わないでください」

近衛「天使、殿…」

天使「側近様…」


その言葉が嬉しかった。
想っても良いのだと、許された事は何よりもありがたかった。


近衛「ならば、ならばどうか。この想いだけは 貴方に届けたい」

天使「側近様……」


見つめると、見つめ返してくれる 美しい瞳。


近衛「自分は、天使殿を愛してい――



シュッ、ガタン!


近衛「!!」

175 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:26:27.04 ID:0t/Lxfak0

唐突に、格子窓が勢いよく開けられる。
柱に戸が打ち付けられ、跳ね返るほどの乱雑さ。

そこから鴨居をくぐり入ってきたのは――


魔王「邪魔をするぞ」

近衛「魔王陛下!!」

魔王「…ほう、近衛か。ここで何をしている?」

近衛「……」

天使「………」


近衛は立ち上がると、魔王を室内に迎え入れた。
蜀台の明かりを魔王の足元へ照らし、充分に尽くす。
そして魔王が部屋の中央に座るのを見届けると、御簾から離れて端へ寄り、頭を下げた。

それは弁明の方法を考えるための時間稼ぎだったのか
それとも魔王への純粋な忠誠だったのか

ともあれ、落ち着いたところで近衛はようやく言葉を口にする。

176 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:26:58.34 ID:0t/Lxfak0

近衛「これより長い戦争になります故… 城内の警備も手薄に、また気配も人少なになるかと。天使殿がそれに不安を感じられぬよう、ご説明などをしておりました」

魔王「……不安?」

近衛「天使殿はこちらより身動きの取れぬ身。急に城の者達の気配が薄れれば、何があったかと心細くなられる事もございましょう」

魔王「それを、わざわざお前が説明していたと?」

近衛「はい。ですが過ぎた事をしましたようで、申し訳ありません」

魔王「くく。――天使が、それほど心配か?」

近衛「……城内には、未だ天使殿を快く思わない者もおります。ましてや魔王陛下に付き従うものは全て神界へ出てしまいます」

近衛「無いとは思いますが、先日の謁見で離反者も多く出ました。謀反までは至らずとも、心無いものが嫌がらせのような真似事をしてきても、おかしくはないかと」

魔王「ほう…。なるほど」

近衛「ですので天使殿には、『この結界の中に手を出せる者は居ないのだから、どうかご安心を』と――…


魔王「忠義者の近衛。お前の為に、お前の不安を払ってやろう」クス

177 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:27:39.85 ID:0t/Lxfak0

近衛「…? 陛下…?」

魔王「この魔王殿でもっとも堅牢な、戸を開く事すら容易でもない部屋があろう? この戦の間は、そこで天使を匿っておいてやろう。安心だろう? 感謝しろよ…?」

近衛「!! それは、まさか−−」


魔王「俺の社殿へ。そこほど天使を守るに相応しき場所はあるまい? クク…」


近衛「あ… ですが、それは…!」

天使「〜〜〜〜〜〜っ」


魔王「近衛。天使はどうやら随分とお前に懐いているようじゃないか」

近衛「っ」

魔王「――少しでも、安心させたいのだったな。 では…」



魔王「お前が、運べ」


近衛「――――――――――――――――――……!!!」



178 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:28:08.23 ID:0t/Lxfak0

――――――――――――――――


本殿中央・奥殿(魔王の社殿)


あと数刻もしないうちに、神界へ赴く。


あの後、結界の張られた御簾車に 御簾の中の天使は素直に乗り込んでくれた。
近衛を、困らせないためなのだろうか。

小さく収束された結界が御簾車に収まるときは、水滴が吸い込まれるようで
トポン、と音さえ聞こえたような気がした。


そうして魔王の社殿に移された天使は、今また怯えている。
近衛を社殿から払ってから先、ずっと声を殺して泣くばかりだ。

本来は自分の居所である御簾の中には、小さな御車と天使が納められている。
それはまるで、水槽の中の魚のようだった。
あの御車はさながら、魚のために設えられた隠れ場所。

そんな天使を見ながら、魔王は拳を握り締める

179 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:28:37.85 ID:0t/Lxfak0

『自分は、天使殿を愛し――』


遮ってやった、自分の忠臣の言葉。
あの言葉を遮らないままで居たならば、この天使はなんと返事をしたのだろう。
天使を見ながらそんなことを考えていた。

部屋にあるのは静寂のみ。
声を殺して泣く天使の涙でさえ、結界に吸収されて音もなく床に落ちる。


魔王「……」


揺ら揺らとゆれる蜀台の炎

いつかの夜を思い出した。
近衛と天使の二つの影は、いまでも脳裏に焼きついている。


魔王(抱き合う、影――)


天使の背後には、あの時よりも黒々とはっきりした影が壁に映し出されている。

180 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:29:10.69 ID:0t/Lxfak0

魔王と、天使の影。
だが、その2つの影は遠い。

魔王が手を斜め横に伸ばすと、その影も伸びる。
自分の影で、天使の影に触れるようにしてみる。

影絵として映し出されたそれは、ほんの少しの手の伸ばす方向によって遠近が狂う。
大きな腕の影は、天使の影を握りつぶしてしまった。

拳から、生えた腕。握りつぶされてしまう小さな天使。


魔王「……」

天使「……?」


腕を引き戻して手を開いてみる。勿論、そこには何も無い。
握りつぶした天使の影を、自分の影は手に入れたのだろうか。

181 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/14(月) 10:29:37.86 ID:0t/Lxfak0

魔王「……くく」

天使「魔王……?」


近衛への天使の返答など、気にしても仕方がない。

自分では、影ですらも手には入らないのだ。
当たり前だ。当たり前の事が、こんなにも――…



こんなにも、苦しい。

だから

だから



魔王「さあ、行こう。天を滅ぼしに」



お前の帰る場所から。ひとつひとつ、手に入れていこう。


出来る事はそれしかないだろう?


182 : ◆OkIOr5cb.o [sage saga]:2015/12/14(月) 10:32:01.93 ID:0t/Lxfak0
今日はここまでにします。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/14(月) 17:48:48.13 ID:bP0W+jCwO
普通の人間だったらこうならないのに力持った奴らが三角関係作ると天界の魔界の戦争になるのか…
184 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:25:25.39 ID:KsRRdV6N0

――――――――――――――――――――――


集まった部下で庭は埋め尽くされている
その中心に立っているのは、魔王。


魔王「―――――」


一見すると、深呼吸をしているようだった。
だがすぐに違和感に気付く。穏やかに流れていた風が僅かづつ勢いを増して、魔王の元へ集まっていくのだ。

魔王の力は、“魔素を自在に操る力”と“魔力”の2つに分ける事が出来る。

大気の中に多量に混在する魔素を操る事は、事実上“大気を操る”ことに等しい。
結界はその応用で、大気中の魔素を固定化させることによって、その内外の物質の流入を阻止するものだ。

そして魔力は、物理的な影響力を持つ“力”そのものである。


その2種類の力をもって、魔王は天への道を無理矢理に作り出す。
故意に竜巻を起こし、それを魔力によって細長く圧縮し、天へと突き上げるのだ。

みなはその瞬間を、固唾を呑んで見守っている。

185 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:26:35.83 ID:KsRRdV6N0

魔王「渦巻くぞ。離れていろ」


次の瞬間、まさに堰を切られたかのような勢いで大気が魔王の眼前へと流れこんだ。
猛然と天へ突き上げる、紅い魔力に覆われた柱が現れる。


近衛「これに…入るのですか」


その立ち上る魔力に巻き込まれて昇るしか、天へと行く道はない。
弱き者、恐れをなした者の殆どは、渦に入る直前で、高圧の魔力に飲みつぶされてしまうだろう。


魔王「無理だと思うのなら、来なくていい。帰りに庭中に死体が散乱していては、憂鬱だからな」クク


そういって魔王が一歩を踏み出そうとすると、横についていた亀姫がそっと進み出た。


亀姫「ここらでは聞き慣れない習慣ではありますけれど、陛下はレディファーストという言葉をお知りあそばして?」

186 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:27:34.33 ID:KsRRdV6N0

魔王「……知っていたところで、そんなもの気遣ってやるつもりはないが」

亀姫「気遣い? いいえ。あれは本来、女の勤めでございますのよ」

魔王「勤めだと?」


亀姫「前を行くのも、先に座るのも、飲食をするのも…すべては愛しき主人の盾として、女が先に出るというものですわ」

魔王「供の女を盾に、か。よほどの臆病者か、よほどの傲慢か」

亀姫「うふふ…。良いではありませんか。『どれほど愛しているか確かめてやろう』と言われているようで、扇情的ですわ」

魔王「“おねだり”ならば、素直にそうするべきだと思うがな」


クスリと笑って、魔王は亀姫に扇を向けた。
パチンと閉じ鳴らすその音で、亀姫は嬉しそうに前に進み、先陣を切る。


亀姫「光栄ですわ」


亀姫は片手で打ち掛けの裾を引き、腰元で留めると
そのまま紅い柱に飲み込まれて上空へと消えていった。


魔王「鉄壁を誇りとする盾を前に行かせても、安全かどうかの保証にはならぬな」クク


呟くと、次いで魔王も渦に入り、立ち昇る。近衛もすぐにそれに倣う。
そして獣王が続き、次々と魔物が飲み込まれていった。

187 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:28:25.59 ID:KsRRdV6N0

――――――――――――――――――――――

・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・

紅い魔力の柱は、100kmに及ぶか及ばないかの長さがある。
その途中で消失したものの数など、誰も数えやしない。

たどり着いた其処には、雲とは違う異質の大地があった。
氷と水蒸気、それから植物の根を這わせて成型したような土地――神界だ。


亀姫「浄気が、これほどに満ちているとは。魔物達は動けないのではありませぬか?」

魔王「お前の護法術でどうにかできるか」

亀姫「御意に。……陛下にもお掛けいたします?」

魔王「俺に? 今日はきっと、相当暴れる事になるが?」クク

亀姫「うふふ。きっとすぐに破れてしまいますわね。ではせめて――」


跪き、魔王に掌を差し出す。
魔王はそこに、自分の掌を乗せた。


亀姫「我が主に、守護を」


指先を食むような、口付け。
触れた場所がぼんやりと薄紫に光って、ゆっくりと消えた。

188 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:29:09.74 ID:KsRRdV6N0

近衛「陛下、魔物達も次々に到着しています」

魔王「ああ。では亀姫、頼むぞ」

亀姫「畏まりお承りいたします…」


打ち上げられた噴水のように、雲上に無数の魔物達が打ち付けられては広がり散っている。
獣王がそれらに指揮を執りまとめていき、亀姫が護法を授けて浄気から守っていく。


近衛「……静かですね」


神界ではとっくに異常に気づいているだろうに、天の者達はその姿を見せてはいない。
それには魔物達も違和感を感じていたらしく、どこからか“怖けたか…?”などの声が聞こえてくる。


魔王「俺たちが来ただけで、天の者が怖気づくわけもあるまいに」

近衛「……そうですね。現れただけで怖けてくれたならば、相当に楽な戦いでしょう」

魔王「くくく……ああ、そうだな。相当に楽な戦だった」

近衛「…………」

魔王「どうせそのうちに掛かってくる。現れたなら、その都度 落とせ」

189 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:31:17.60 ID:KsRRdV6N0

少しの後、魔王は数歩奥へと進んだ場所に立って、振り返る。
波のような魔物の群れを前に、錫杖を高く掲げてリンとならした。

それだけ。
それだけで、魔物達の視線は集まり、緊張感が高まるのが分かる。
雲の上に打ち上げられ崩れた姿勢のままの者も、全てはそのままに。

一瞬で、空気が変わった。


近衛(……始まる)


錫杖。魔王が掲げるのは、僧侶の持つそれである。
元々は近衞の居た異国を統治していた宗教家の持ち物で、統治の象徴でもあった。

それを取り上げ、気に入ったからと残しておいたもの。今は魔王の手中にある“象徴”。
その金環の響きは、強奪されてなお美しく鳴り響く。


魔王「行くぞ」


なんの抑揚もなく、告げられた。
鼓舞のひとつもないその声に魔物達は一様に応を唱え、魔物の咆哮が天を震わせた。

190 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:32:18.37 ID:KsRRdV6N0

―――――――――――――――――――――――――――――

神界・低層――


近衛「やはり、あれですか」

魔王「さて。おそらくは、と」


それぞれに駆けて行くその向こう
雲のような丘の上に、宮殿がそびえたっているのが見える。
そこからスロープのような物が伸びているようだが、霧がかっており、トンネル状なのか階段になっているのかはわからない。

そのスロープの一番下を目指して駆けたところ、
そこに荘厳な門が立ちふさがっていた。


近衛「………」


スッと近衛が門に近づく。
様子を伺い、触れてみる。特に不審な様子は見られない

191 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:33:03.14 ID:KsRRdV6N0

近衛「正門、と言ったところでしょう。何者かの気配はないように思われますが…」

魔王「気配がないと判断したならば、開けるが良い。罠だと思うのならばそれなりに備えろ。指示がなくては動けぬなら、このまま置いていく」


近衛は少し悩み、続けざまにこういった。


近衛「正門であったとして、突然の襲来に大層な罠を仕掛ける暇はなかったはず」

魔王「ほう」

近衛「お下がりください、自分が開けます」


門は、魔王の社殿のものと同じような観音開き。大きさも重さも、ほぼ同等。
近衛はその中心に立って、両の腕で押し開けていく。やはり、反応はない。


魔王「……気をぬくな」


神界の門を腕の広さ分もあけた時だろうか、不意に声を掛けられる。


近衛「・・・っ!」ゾク

192 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:34:09.38 ID:KsRRdV6N0

『――気をぬくな』


言葉を聞くと同時、近衛は反射的に後方へと飛び下がっていた。
フラッシュバックのように突然に迫り来た刀の影を避けたのだ。
近衛の脳裏には、魔王の社殿を開けた瞬間に斬りつけてきたあの刀が見えていた。


――ッ!? ぅぁ…
ギィィグシャァァァァァァン!!!


手を離された門は、奇妙な音と共に勢いよく閉ざされた。
そして――


近衛「……これは」


一本のスピアが、カランコと音を立てて地に落ちた。
目の前の大きすぎる観音開きの戸の間から、奇妙な植物の枝が生えている。
筋を浮かせて歪に曲がった枝先は、強張ったまま僅かに痙攣し、しばらくの後に動きを止めた。


193 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:35:15.14 ID:KsRRdV6N0

獣王「術法だろうカ。矢の速度デ、遠距離から突っ込んできたようニ見えタ」

亀姫「私には、誰かいるようにも、誰か来たようにも見えませんでしたわ」

近衛「自分も、完全に無人と感じておりました…」


魔王「門を開けきったその瞬間の隙を狙ったか。門を開かせ、先陣をその場で討つ。その勢いで流れ込む強襲のつもりだったのやもしれんな」

亀姫「こちらの方も、まさか寸前で閉じられてしまうとは思わなかったのでしょう…届きもせず挟まれて。ふふ、おいたわしい事」

近衛「危うくまんまと討たれるところでした。お声がけ、ありがとうございます。魔王陛下


魔王「クク。逃げ足と反射神経だけではなく…勘と、物覚えも良いようだ。その賜物とでも思っておけ」

近衛「…いいえ、自分はただ臆病者なだけでございます。陛下の一撃の恐怖が忘れられなかったに過ぎません。ありがとうございます」

194 : ◆OkIOr5cb.o [saga]:2015/12/19(土) 17:38:48.71 ID:KsRRdV6N0

魔王は少しのため息をつき、生真面目な忠臣を諭す。


魔王「俺とて気配に気付いていたわけではない。だが、何も無いにしろここは既に戦地。当たり前の警戒を怠るなといったまでだ」

近衛「今度こそ、よくよく肝に命じておきます」

魔王「そうだな…… では」


魔王「気をつけろ」

近衛「!」


シュタッ!!
シーン…………


近衛「…………え?」

魔王「く、くくくく」

亀姫「まあ、魔王陛下……ふふ、こんな皆の前でからかっては、流石に坊やがお可哀想」クスクス

近衛「……生真面目なのでございます、あまりからかわないで頂きたい」ハァ

魔王「なんといったか。餌の前に鈴を鳴らすと条件反射で動いてしまう…ああ、思い出せぬな。帰ったら調べるとしよう」クックック

近衛「おやめください、自分は犬ではありません……」

獣王「犬とて近衛ほどにマヌケではなイ。魔王サマモ、戦地と言って警戒を促しておきながラ、悪ふざけヲ…」ハァ

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