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風俗嬢と僕

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603 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/11/28(月) 23:40:56.92 ID:byzfmiaA0
ほしゅ
604 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2016/12/19(月) 00:23:54.12 ID:kUzttzMK0
ゴール前にボールを放り込んでも通用しないことは分かっている。できるだけ切り込んで、球足の速いクロスで混戦を狙うしかない。

相手サイドバックがこちらにプレスをかけに来たところで、ヒロさんとワンツーでそれをかわす。

よし、このままいける!

センターバックがスライドしてこちらにずれてきた。その穴を埋めるかのように、ボランチが一枚ポジションを下げる。そこだ!

ファジーな守備陣形をつくように、そこの間に低いクロスを蹴りこんだ。

逆サイドのセンターバック、そしてボランチの間にうまく通ったボールに、二人とも一瞬動きが止まる。

そこに走りこんだのはうちのフォワード。ワンタッチで上手くコースを変えたシュートは、キーパーが反応するよりも早くにネットを揺らした。

スタジアムの大半は静寂。そしてほんの一部の歓声。

「ナイッシューっす!」

「ナイスクロスだよ、バカ!」

異様な空気の中、僕たちは歓喜の輪を作る。プロ相手に、こんなにあっさり先制できるとは思ってもいなかった。

ジャイアントキリングを起こす時って、意外とこんなものなのかな。いや、油断するにはまだ早すぎるけど。

やれる、いける、勝てる! 根拠のない自信が、少し現実味を帯びてきた。

審判に促されて、自陣に戻っていくとヒロさんに声をかけられた。

「今の、続けろよ。まだ狙えるぜ、あのパターン」

「了解っす」

嬉しそうな笑みで頭を叩かれた。よし、もう一本だ。

「集中していきましょう!」

自分に言い聞かせるように大声を出す。そうだ、まだまだ始まったばかり。
605 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/12/20(火) 01:27:15.38 ID:aBTCGi43o
お、続き来てた
606 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2016/12/22(木) 02:38:52.07 ID:Zsd7dE1o0
試合が再開すると、タカギとのマッチアップは激しさを増してきた。

「粘るねぇ、アマチュア」

「リードされてるのはどっちだよ?」

そんな煽りあいが始まるくらいには、彼も僕もヒートアップしている。最初にヒロさんのことを馬鹿にされたからかな、ダメだ、落ち着け。

前半35分を回ったところで、タカギにボールが渡った。認めたくないけど、イヌイの時にも感じたような雰囲気を持っている。一流の雰囲気だ。

タカギの視線が一瞬中に向いた。ワンツー?

そう思った時には、半身で構えていた僕の両足の間をボールが通過していた。

油断していたわけではない。それなのに、フェイントもなく、意識をずらしてタイミングだけでここまで綺麗に股を抜かれるとは思ってなかった。

屈辱的なプレーに、つい手が出てしまう。横を通り抜けようとしたタカギのシャツを、つい掴んでしまう。

笛が鳴って、審判がダッシュで近づいてきた。やばい、カード貰う?

「落ち着いて! もう一回やったら出すから」

強い口調ではあったが、どうにか注意だけで済んだ。ほっと安心してるところに、タカギは不満そうに「カードでしょ、今の」と漏らしている。

あまり認めたくはないけど、確かに今のは出されても文句は言えないプレーだった。

「カズ、切り替えろ!」

ヒロさんの叫び声が聞こえて、手を上げて返す。そうだ、カードは出てない。結果オーライだ。
607 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/12/28(水) 15:02:11.46 ID:GcEMbh1A0
おつん
608 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/01/21(土) 02:24:11.46 ID:XK3qITsA0
609 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/02/20(月) 02:34:47.67 ID:7Fv3Az0A0
まだかな?
610 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/02/26(日) 17:36:47.08 ID:F7FuLVqZO
ヒロさんに手を上げて返事をし、壁としてポジションを取ろうとした時だった。

タカギはボールをゴール前に放り込んだ。あれ、プレー止まってない?

ゴール前に走り込んだ相手フォワードはドフリー。キーパーは慌てて飛び出す。

間一髪、パンチングでボールは弾かれた。直後に衝突して倒れ混むキーパーと相手フォワード。

笛が二回鳴って、プレーが止まる。

「おい! プレー止まってただろ!」

「カードでしょう!」

うちの選手が主審に対して抗議に向かうが、審判はそれを拒絶する。

「うっせぇなぁ。一回しか笛鳴ってなかったでしょうが。ちゃんと聞いとけっつーの、アマチュア」

挑発するような言葉遣いに、うちの選手は激昂してタカギに詰め寄っていく。バカ、手を出すな。

タカギとうちのディフェンダー陣の間に立って、両者を引き離そうとする。
611 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/02/26(日) 18:34:37.91 ID:F7FuLVqZO
「ヤマさん!」

ゴール前から大きな声が聞こえてきたかと思うと、負傷したキーパーの負傷状況を確認していたディフェンダーが手で大きな丸を作っていた。

本大会は監督に徹しているヤマさんが、サムズアップで応える。

うん、よかった。相手フォワードもどうにか立ち上がっている。

「これ以上不要な発言したらお互いに警告だから!」

審判のその一言で、うちの選手もタカギもしぶしぶながらもバラけていく。

「アイツ、あんなやつだったか?」

争いを落ち着けに来てたヒロさんが、呆れたように呟いた。

「とにかく、カズも挑発にのるなよ。試合荒れてきてるから」

「分かってますよ」

荒れ試合になると不利なのは間違いなく僕たちだ。フィジカル面で、あまりにディスアドバンテージがありすぎる。

先程の衝突でキーパーチャージの判定が下され、ゴール前からロングボールが飛んだところで時計をちらっと見る。

まだ前半30分……長い試合になりそうだ。
612 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/02/27(月) 03:03:15.29 ID:ffAZ9hDz0
613 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/03/12(日) 16:24:46.51 ID:NACMq5V4O
試合は熱を加えつつも、膠着状態に入ってきた。相手サポーターのブーイングが耳に入ってくるのは、僕たちに対してなのか、それとも不甲斐ない自チームを奮い立たせるためなのか。

「出せ!」

タカギがボールを要求するも、相手の外国人ボランチはそれを飲まずに逆サイドに展開した。

「何だよ、出せよ下手くそ」

自チームの選手に毒づくタカギに目をやると、それは自分に回ってきた。

「金魚の糞みたいについてきやがってよ。邪魔なんだよ」

「僕程度が邪魔になるんなら、プロはもっと邪魔なんじゃない?」

挑発に挑発をもって返すと、一言「調子に乗るなよ」とだけ呟いて、彼は中にスライドして絞っていく。

悪くない、むしろ良い。イヌイのような超絶個人技持ちの選手よりは、僕としてはやりやすい相手だ。

再びタカギが外に開き、僕もそれに合わせて移動する。

要求された通り、タカギの足下にボールが入る、そこだ!

一気に間合いを詰めて、プレッシャーをかける。トラップミスでこぼれたボールをかっさらい、そのまま縦に向かってランウィズザボール。
614 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/03/12(日) 16:34:24.95 ID:NACMq5V4O
瞬間、後ろから足が伸びてきた。トップスピードに乗った勢いが、刹那でゼロになる。

何が起きたかも理解できないまま芝の上を転がって、空を見上げると強い笛が鳴った。

審判が早足に駆け寄ってきて、僕を見下ろすタカギにイエローカードを示した。

スタンドからはブーイング、うちの選手は「後ろからだろ?!赤でしょう!」と主張しに審判に詰め寄る。

「おい、カズいけるか?」

「……っす、たぶん」

争いには相変わらず我関せずなヒロさんは、心配そうに近づいてきた。

ちょっと右足首に違和感を覚えるけど、プレーできないレベルではない。打撲になりそこねた程度に、足を捻ったかな。

立ち上がって、右足を軽く左右に振る。……うん、いける。

「おっけーです、やれます」

「おう、無理すんなよ。厳しかったら外出とけ」

審判に詰め寄っている両チームの選手の熱も落ち着いてきたみたいだ。うん、残り時間はあとちょっと。このまま前半は締めて終わりたい。

「前半!集中していきましょう!」

声を出してチームメイトを鼓舞する。まずは前半、リードして折り返すために。
615 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/12(日) 20:42:57.76 ID:BGNiTeLao
616 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/14(火) 21:44:10.67 ID:n7q5LuoB0
こんな面白いSSを見逃してたとは…
617 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/03/20(月) 17:19:34.89 ID:tqKYbcyBO
前半終了を告げる笛が鳴ると、スタジアムからため息が聞こえてきた。

プロチームのサポーターである彼らが期待していたのは、アマチュアチームに上の世界の厳しさを見せつけることだったのだろう。

その期待も虚しく、拮抗したゲームで、スコア上ではビハインドでの折り返し。とても、彼らが満足できる試合ではないはずだ。

しばらくして、チャントが叫ばれ始めた。こういうの、ちょっと羨ましいけどね。うちのチームの応援団は、大して人数もいないし……っと。

そんな風に思ってたら、ゴール裏から名前を叫ばれた気がする。……あ、いた。

リーグ戦ほどの観客じゃないとはいえ、一人の声に気がつくことってそうそうない。……うん、でもあの帽子。あの声。

彼女がいるゴール裏に、煽るように両手を上げて見せた。

あと半分だ。乗り越えて、勝って、まだまだ僕たちは上にいく。
618 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/03/20(月) 17:29:33.70 ID:tqKYbcyBO
カズくんたちの次の試合相手がプロチーム相手だとは聞いていたけど、いざスタジアムに到着すると雰囲気に圧倒されてしまった。

会場付近を歩いている人も今までより全然多いし、相手チームのユニホームを着ている人たちも大勢いる。スポーツニュースで見る、日本代表のサポーターの人たちみたい。

こんなところで試合するんだ。すごいなぁ。

でも、相手がプロってことはめちゃくちゃ強い? ぼろぼろに負けたりしない?

そんな、期待と不安とが入り交じってる。

あんまりサッカーのことを知らないのも何だか恥ずかしくて、あの日から少しずつサッカーの勉強も始めたんだ。

相手チームのフォルツァはプロ二部リーグで、四位。一部リーグに上がれるかどうかの狭間の順位らしい。

天皇杯はそういう昇格とかに関係ないみたいだから、それなら少しくらい手加減してくれないかな。失礼かな。

タカギって選手は私たちと同年代で、世代別日本代表にもずっと選ばれてる。……っていうのはカズヤに教えてもらったんだけど。

階段を上ってスタンドに着くと、逆側のスタンドは今までの人たちの数十倍ってくらいお客さんが入っていた。
619 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/03/20(月) 17:31:03.48 ID:tqKYbcyBO
>>618
すみません、一番最初の言葉は
カズくん→カズヤ
です……。

そして試合中の描写の時間軸がぐだぐだになっているのも更新後に気がつきました……
620 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/20(月) 18:28:11.08 ID:pJY5BMJ60
待ってた!
621 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/03/22(水) 00:32:04.69 ID:edCU5veR0
「うわぁ……」

今までとの光景の違いに小さく歓声をあげながら、私は適当な席を探す。

後ろの方が見やすいんだけど、近くで応援したい気持ちもある。

どこがいいかな。悩んじゃうな。

うろうろしている私を、「あ、ゆうちゃん」と呼びかけてきたのは、聞きなれた声だった。

「こんにちは」

Tシャツにデニム、足元にはスニーカーというカジュアルな服装を身にまとったヤギサワさんが、私を手招きしている。隣には、奥さんの姿も見える。

「良かったら一緒に見ない?」

「はい、ぜひ!」

誰かと一緒に見たこと、今までになかったし。サッカーをよく知ってるヤギサワさんと一緒に見た方が、色々教えてくれそうかなってちゃっかり考えてしまったり。

「こんな暑い中応援に来るなんて、健気ねぇ。」

「お前なんて、この間の試合も見に来てくれてなかったもんな」

「あら何、私の応援が無いから負けたっていうの?」

そんな仲睦まじいやり取り。良いなあ、こういうの。なんかちょっと羨ましい。

「あ、出てきた」

やや劣勢になっていたヤギサワさんが、話を逸らすようにピッチを指さした。
622 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/03/22(水) 00:37:51.22 ID:edCU5veR0
「カズくん、今日もスタメンだね。良かったね」

そう言って私の肩をたたく奥さんに、ヤギサワさんが言葉を返す。

「あの子は外せないよ、チームの柱だから。あとオオタくん」

「分かってても、ドキドキするもんなの。ね?」

そう言って私に同意を求めてくるものだから、あいまいに頷いてしまった。

スタメンじゃない……というか、試合に出てないことは今までにあまり考えたことがなかった。けど、そうだよね。途中交代だってあるし、作戦とかによって選手って変わったりするみたいだし。

「お、タカギも出てるじゃん。同級生でマッチアップだ」

ヤギサワさんが呟いた一言に、つい反応してしまう。

「あの人……うまいんですよね? 大丈夫かな」

「うーん。上手いは上手いよね、プロだし。でも、期待されてたほど伸びられてないのかな」

世代別日本代表って、結構曖昧なものらしい。そこで選ばれてても、実際のワールドカップに出たりする日本代表までいけるのって更に一部。それに、世代別代表経験が無くて代表選手になる人も結構いるらしい。

「そういうもの……なんですね」

「ま、遅咲きの選手だっているしね。だからまぁ、カズくんのことだから、上手くやれると思うよ」
623 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/03/22(水) 01:37:49.49 ID:edCU5veR0
試合が始まると、ヤギサワさんの言う通りの試合展開になった。

ボッコボコに負けるんじゃないかって不安はどこへやら、互角の試合を繰り広げている。

相手チームのサポーターが大声で応援しているんだけど、それに負けじと私も心の中でカズヤの名前を叫ぶ。

時折「あっ」とか「危ないっ」みたいな言葉になってしまって、ヤギサワさん夫妻はそれを見て笑っている。

オオタさんがゴール前でパスを受けると、相手チームからブーイングが聞こえることが多い気がする。不思議そうに見ていたのか、「昔の仲間だから。それだけ、怖がってるのさ」と教えてくれた。

そっか、そうだった。オオタさん、このチームにいたんだ。

「タカギとも負けてないね、カズくん。やるじゃん」

「は、はいっ」

何だろ、私のことじゃないんだけど、私のことみたいに嬉しい。

その返事をしたところで、少し客席がどよめいた。

カズヤがタカギを振り切って、相手陣地を切り裂くようにドリブルをしている。
624 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/22(水) 08:54:07.48 ID:NK0UE/JN0
サッカー描写になるとコメが減ってる気がするが楽しみに読んでるよ。
頑張れ!
625 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/03/22(水) 22:20:10.52 ID:ZIvsMT/AO
カズヤが蹴ったボールはゴールに繋がって、喜びの輪ができていく。

「すごい! すごいすごい!」

プロ相手に、リードを奪った!

技術的なことなんて何一つ知らない私だけど、スコアでは今、カズヤたちはプロより上にいる。それって、素人の私からしてもすごいことのように思える。

声を上げてはしゃぐ私に、奥さんが両手を上げてハイタッチを求めてきた。それに応えて、女二人できゃっきゃと騒ぐ。

「カズくん、やるわね! 堂々としてる!」

「また化けたな……何かあったのかな」

「何かって?」

旦那さんのヤギサワさんが漏らした言葉が気になって、私は問いかける。

「俺たちと試合したときよりさ。……さっき、こいつが言ってたけど、堂々としてるっていうか、自信を持ってるというか」
626 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/03/22(水) 22:20:59.08 ID:ZIvsMT/AO
何て言っていいか分からないけど、何か良くなってる。言い足して、ヤギサワさんもカズヤ……というか選手たちに向かって称賛の拍手を贈った。

「楽しむようになった、って言ってました」

先日、ヤギサワさんのお店……今は私のバイト先だけど、あそこから帰ってるときにカズヤに聞いたんだ。

フリーキックでゴールを決めたときから、何でか変わって見えた気がして。

そしたら、言ってた。

「相手選手に言われたらしいです。もっと楽しめって。『失敗するかもしれなくても、挑戦しないと喜べる成功がないことに気がついて。だから、成功とか失敗とか抜きに、挑戦すること自体を楽しむようになった』って」

一息で言いきって、少し恥ずかしくなって顔が赤くなった。でも、もう少し言い足すべき言葉が、私にはある気がする。

「でも、カズヤの言う通りだなって、私も思うんです」

それを言葉にするのは、さっきより恥ずかしいけれど。

「私も変わりたいって思ってて。あの時、お店で働いてみないか誘われたとき、挑戦することを選んで良かったなって思うんです」

風俗は、やっと最後の出勤を終えたところだった。盛大に、とは言わないけれど、最後の日にはお客さんがプレゼントを持ってきてくれたり、別れを惜しんでくれた。

あそこではナンバーワンって立場になれてたけど、今の仕事はそれとは全然違う難しさがあって。

上手くいかないことも多くて、落ち込んじゃうこともあるし、収入も微々たるものになったけど、私は今の道を選んだことは間違ったとは思っていない。

あのお店で働くようになって、自分が料理を好きだって気がつけたし。自宅作るのは自分が食べるだけだから好きで当然だと思っていたけど、お店でもたまに調理を手伝わせて貰って、自分のためだけじゃなく、料理自体が好きだって気がついた。

「だから、あの時、誘ってくれて本当に嬉しかったです。……ありがとうございます」

最後に声が小さくなってしまったのは、こんなところで改めて話してることが、改めて恥ずかしくなったから。
627 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/31(金) 01:35:27.20 ID:yhPcKTWA0
おつ
628 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/04/02(日) 01:11:29.25 ID:W50VAAH60
試合はその後も五分五分の展開が続く。がんばれ、がんばれ。

熱を込めて試合を見つめると、ピッチのカズヤとタカギもヒートアップしてやり合ってる。

でも、それだけプロの選手を、世代別? とはいえ、日本代表になれるような選手を本気にさせてるってことだ。それがすごいことだってことは、いくら私が素人でもわかる。

タカギにでたパスを、カズヤがかっさらった……その瞬間だった。

「危ないっ!」

背もたれのないベンチから立ち上がって、私は叫ぶ。

カズヤの後ろから、タカギの足がスライディングで伸びてきた。笛が鳴って、審判、続いて選手たちが一斉にその場に走り寄ってくる。

「うわ、黄色か。後ろからだし赤でもよかったと思うけど」

ヤギサワさんがそんな感想を漏らすと、奥さんがそれを窘めた。

「ばかね、そうじゃなくて、カズくん大丈夫かしら」

「うーん、ここであの子が抜けるときつくなるよなぁ。大丈夫だと信じたいけど……」

だからそうじゃないって、と奥さんは呆れたように呟いた。二人のやり取りを笑えないほど、私は動揺してしまって。
629 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/02(日) 09:20:05.77 ID:YhDsud1WO
1から追いついてしまった
面白いです乙
630 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/04/03(月) 21:48:43.58 ID:eNQIYDr40
私がタックルされたわけじゃないのに、自分の足まで傷ついてしまったように感じている。痛い。

駆け寄ったヒロさんに少し返事をして、カズヤは立ち上がった。

「良かった……」

脱力して、私は腰を下ろした。奥さんも「良かったわね、大丈夫そう」と声をかけてくれたので、うんうんと頷く。

そのまま試合が再開して、走り出したカズヤを見てほっと息を吐いた。

サッカー選手がどれくらい怪我をするのかとか、どれくらいそれが辛いのかとか、私には分からない。

分からないけれど、彼からサッカーを取り上げてほしくないって気持ちは本物だ。

彼が私の希望であって、その希望から光がなくなるようなことは、あってほしくない。

ううん、そんな分かりづらいものじゃなくて、単純にカズヤがサッカーをしているところをもっと見たいんだ。それが楽しくて、刺激を受けて、だから私もがんばりたいって思わせてくれるからだ。

だから私は祈る。この試合も勝って、彼がもっと楽しめる試合が続くことを。私に光を見せてくれることを。
631 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/04/03(月) 22:02:54.46 ID:eNQIYDr40
前半終了を告げる笛が鳴ると、横にいる二人はお手洗いに去っていった。

その隙に、スマホのスポーツサイトで他会場の結果をちらっと見てみた。今日勝ったら、次にカズヤたちとあたるチームは……この試合の勝者だ。

気になって詳細を開いてみる。あ、前半で三点差もついてる……ってことは、次の相手はこのチームなのかな。

スタメンの選手……知らない人が多いけど、名前を聞いたことがある人も何人かいる。サッカーに関して素人の私が聞いたことがある時点で、たぶん日本代表クラスなんだろうけど。

その下に書かれてたベンチメンバーを見ていると、つい「あれ、この人……」と声が漏れてしまった。

「お茶とコーヒーと炭酸、どれがいい?」

ヤギサワさんが缶を差し出しながら戻って来た。私は立ち上がって「あ、お茶……いただきます。ありがとうございます」と受け取る。

「あの、ちょっと教えてほしいんですけど……」

「ん、何?」

「この選手って……日本代表の人ですよね?」

スマホの画面で気になった人のプロフィール画像を見せながら、私は問いかける。

「ああ、シンヤ。うん、そうだよ。今ブレイク中。どうしたの?」

「いや、今日勝ったら次にあたるチームどんなところだろう、って思ってたら、私でも知ってるような人がベンチにいたから……」

怪我なのかな? って。

「ああ、ターンオーバーってやつだよ。日本代表の試合があって、リーグがあって、天皇杯があって、他にもカップ戦があって。休憩しながら出てるのさ」

「へぇ……そういうもの、なんですね」

「天皇杯でアマチュア相手とかだと、若手の練習にもなるしね。だからって手を抜いてるとかではないんだけど」

そう言って、ヤギサワさんは冗談ぶって、でも目は本気で言い足した。

「今は目先の試合を応援しないとね。今日勝たないと、次はないんだから」

それは自分に言い聞かせてるような、私に向かって言ってるような、分かるのは本気で言ってるんだなってことだけで。

はいっ、なんて、大きな声で返事をしちゃった。
632 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/06(木) 23:12:05.52 ID:TwWpmhBA0
おつ
633 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2017/04/16(日) 13:30:31.79 ID:E9eMoFC00
後半に向けて、選手たちがピッチに戻って来た。選手交代は、どうやら無さそうだ。とは言っても、私が分かるのはカズヤにオオタさん、タカギに外国人選手くらいのものだけど。

「カズくん、良かったね。」

それがどういうことか分からなくて首を傾げていると、奥さんが言葉を足してくれた。

「交代してなくて、というか、怪我がなくて? 前半、痛がってたから」

「あ、ああ。はい、本当に」

「前半で様子見して、ハーフタイムで交代とかもたまにあるからね。でも、本当に何ともなさそうね」

頷いたと同時に、後半開始の笛が鳴った。

ここにいる私が出来ることなんて何もないけど、だからこそエールを贈ろう。

「がんばれ」

呟いて、ピッチを見つめる。がんばれ、がんばれ。
634 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2017/04/16(日) 13:38:55.73 ID:gwDi4sSeO
試合は膠着状態で進んでいった。

大きなピンチは無いんだけど、カズヤとタカギがマッチアップするところはどうしてもハラハラしてしまう。

「あっ」とか、「いけっ」とか、つい声に出ちゃう。

カズヤが仕掛けることより、タカギに仕掛けられることの方が圧倒的に多いしね。ポジションのせいなのか、試合展開が押されてるからなのかは、私には分からないけど。

後半も20分を過ぎたところ、カズヤがボールを受けようと縦に走り出した。

スタンドまで聞こえてくるような大声で、カズヤはボールを要求した。

そこにボールが届きそうな、瞬間だった。

前半の光景がフラッシュバックしてくるような、そんな光景。それなのに、嫌な予感はその時以上だった。

ボールに触れた瞬間、後ろから伸びて来た足がカズヤを刈り取った。

「いやっ……」

立ち上がって、ピッチを、カズヤを、呆然と見つめる。ああ、神様。
635 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2017/04/18(火) 22:15:34.94 ID:1bppDGmwO
いつもそうだった。

子供の頃からサッカーエリートだった俺は、大した挫折もなくプロになった。小学生の頃からうちのユースに所属していて、県トレ、ナショナルトレセン、アンダー代表。そうやってステップアップしていくことにも、自分がプロになるってことにも、一度も疑問を持ったことがなかった。

アンダー12から代表にいたおかげで、同年代でそこそこやるなって奴らとは少なからず交流もあった。各地の上手い奴らがその時々で召集されて、次第に呼ばれなくなったり、いつの間にか常連になっていたり。

でも結局中心にいるのはガキの頃から一緒だったやつらで、俺もそこから外れることはない。

ずっと続いていくと思っていた。思い違いだった。

俺の所属しているチームは二部リーグだっていうのに、他の奴らは一部リーグ、それどころか海外で活躍し始めたやつだっている。
636 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2017/04/18(火) 22:27:07.30 ID:1bppDGmwO
それは俺にとって耐え難い屈辱だった。

この世代のトップを走り続けて来た自負もあったし、プライドもあった。他の奴らに、俺が劣っているわけではない。

ただこのチームに、二部チームにいる限り、この劣等感が薄れることがないということも、何となく分かっていた。

俺が一部にあげてみせる。それが、俺の評価を上げる要因になるのなら。

言い聞かせながら、やっとの思いでスタメンを確保した時だった。

ついこの間まで同じチームにいたシンヤさんが、フル代表に選ばれたと耳にした。

これが一部と二部の差なのかな。注目度も違えば、評価も変わってくる。決心が強くなると同時に、焦りが出て来たことも、はっきりと俺は分かっていた。

サッカー選手の旬は短い。攻撃的なポジションの選手は、守備的な選手のそれより顕著に。

アンダーの世界大会で戦ったブラジル代表の選手は、スペインのビッグクラブでエース級の活躍をしている。あの試合、後半ロスタイムで勝ち越された雪辱も果たせていないというのに、俺はいつまでここで燻っているのか。

早く一部に上がりたい、もっと上の世界で戦いたい。

気持ちと裏腹に、チームは昇格圏内を確保しきれない程度に勝ったり負けたりを繰り返す。

くそ、こんなはずじゃなかったのに。
637 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2017/04/18(火) 22:34:32.01 ID:1bppDGmwO
リーグ戦もままならぬまま、アマチュア相手の試合が始まる時期に突入した。

カップ戦を舐めてるわけじゃないけど、俺は出ないかなって思ってた。リーグ戦に力を入れるために、ターンオーバーでベンチ要員かな、くらいに。

その予想は大きく外れて、うちは完全なベストメンバーで臨むと監督から指令が下った。曰く、「勝ち癖をつけるためにアマ相手にも全力で」ってこと。

悪いけど、俺はこいつらを相手にしてる場合じゃないんだけど。そんな不満を監督に言えるはずもなく、試合に向けてのミーティングで、興味深いことに気がついた。

シンヤさんとポジションを争ってたヒロさんが、相手チームにいる。

「オオタ以外はサイドバックのこいつ。ポリバレントな選手で、色んなポジションをこなしてる。バランスのいい選手だ」

コーチの解説を聞き流しながら、俺はヒロさんのプレーを見ていた。そう言えばこの人、元々はシンヤさんよりレギュラーに近かったんだよな。
638 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/19(水) 01:29:54.11 ID:5fQyhq+A0
おつん
639 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2017/04/23(日) 18:11:35.05 ID:SUSH66j8O
俺には理解できない感覚だ。

プロになって、日本代表になって、海外にいって、世界最優秀選手賞を取る。

子供の頃からブレたことのない目標を持ち続けてきたからかな。今更アマになってサッカーを続けるということは、俺にとっては屈辱的なことに思える。

それでもヒロさんはサッカーを続けている。ビデオで見る限り、お世辞にも強いチームとも思えない。

都道府県リーグなんて、想像もつかない。ユース出身の俺は、学生時代のリーグ戦ですら日本を二分割したリーグだった。

今のヒロさんと試合をして、得られるものなんてある気がしない。

とはいえ、試合に出ろというのが監督命令なのであれば、それを拒否することだって当然できなくて。

あまり乗り気でないまま、俺は試合当日を迎えた。
640 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2017/04/23(日) 18:31:52.28 ID:SUSH66j8O
マッチアップの相手は、俺とタメのやつだった。もちろん聞いたこともない名前。

しょっぱいやつと当たってしまったな。ま、ポジション的にヒロさんとは被らないって分かってたし、せいぜい可愛がってやるか。

途中、うちのサポーターに挨拶するヒロさんにも頭を下げといたら、「負けないからな」だってさ。試合前は何とでも言えるしね。

試合が始まると、思いの外やるなってことは分かった。たかが都道府県リーグと思っていたけど、これならここまで勝ち残っていたのも分からなくはない。

とは言え、所詮その程度だ。アマにしてはやる、ってだけ。そして、そこで埋もれてしまっているヒロさんも、結局落ちぶれてしまっているんだなって。

彼の背中の10番は、アマチームだから与えられたものだ。うちのチームでは、つけることができなかった。

がっかりしたな、っていう気持ちが半分。やっぱりな、って安心感が半分。

ここまで勝ち進んできたことについて、驚きがなかったわけじゃなかったんだ。もしかしたらビデオで気がつかなかっただけで、誰かすごい選手がいるんじゃないかって。何かすごい戦術があるんじゃないかって。

でも違った。結局、ここまで来たのはただの実力で、そしてそれ以上ではない。

つまり、ヒロさん達の挑戦はここまで。俺達がプロの壁を見せつけて、それで終わりだ。ここから先は、上に行くやつらの世界だ。
641 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/04/30(日) 13:05:09.52 ID:ezHQFlEQO
俺が、上の厳しさを教えてやる。

それは過信だった。

一瞬の隙を疲れて、先制点を奪われる。喜ぶヒロさんたちを見ながら、苛立ちは募っていく。

あんなマグレでここまで喜べるなんて、幸せなやつらだ。喜べば喜ぶだけ、負けた後で辛くなるだけなのに。

そう思っていたのに、試合が再開しても俺たちは点を奪うことができない。たかがアマチュア、格下だと思っていたやつらに。

目の前に立つこいつも、イライラさせてくれる。

同世代なのに、今まで一度も名前も聞いたことがないような。今日試合をしなければ、一生会うこともなかったようなレベルのやつに、スコア上では負けている。

耐えられない。

俺は上に行くんだ。下のやつらを見ている余裕はない。俺は勝つ。勝って勝って、「タカギは落ちたな」なんて言ってる奴らを見返してやる。
642 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/04/30(日) 13:13:19.51 ID:ezHQFlEQO
こんなアマチュア相手にしてられない。

勝つ。

勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ。

苛立ちと焦りと、いろんな感情がごちゃ混ぜになる。こんなことをしてる場合じゃない。こんなところで負ける場合じゃないんだ!

それなのに、点は取れない。目の前に立つアマチュアを相手に、満足に崩すことも出来ない。油断した隙にフリーキックを放り込んだくらいだ。

俺の横をすり抜けて、スペースに駆け出そうとするこいつを、俺は後ろから刈り取った。

フラストレーションから出たプレーだ。これでいい、大人しくしろ。お前らなんて、すぐに俺たちに蹂躙されるんだから。

イエローカードが提示されて、それがより一層苛立ちを際立たせる。

まるで、警告をもらわないと俺がこいつを止められないと。俺がこいつに劣っているという証明のような気がしてしまう。

そうじゃない。そうじゃないんだ。

俺はプロだ。俺は上手い。このピッチにいる誰よりも、俺が一番上手い。
643 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/04/30(日) 13:21:41.91 ID:ezHQFlEQO
その後、ろくなチャンスを得られないまま、前半終了の笛が響いた。

ロッカールームに向かっていると、ピッチを出る間際にヒロさんが話しかけてきた。

「お前、そんなやつだったかよ。ラフプレー、気をつけろよな」

何を甘えたことを言ってるんだろう。自由契約になって、気持ちまでアマチュアになってしまったのか?

「何言ってるんすか、あんなの、こっちじゃ当たり前ですよ。アイツこそ、痛がりすぎじゃないっすか?」

「お前……」

何か言葉を言いかけて、それを飲み込んだヒロさんは相手のロッカーに足早に向かった。

何だよ、言いたいことがあれば言い返せよ。

ロッカールームに戻ると、監督の怒声が響き始めた。

「何という体たらくだ! お前ら、相手は都道府県リーグだぞ?! あんなのに苦戦してるから、昇格争いだって泥沼にはまってるんだよ!」

ぎゃーぎゃー感情を叫んで、改善の策を与えられない無知さを棚にあげた監督の怒りが爆発している。

「タカギィ! お前、あんなところでカードを貰う必要あったか?! 考えてプレーしろ!」

その言葉が、俺にどう響くと思ってるんだろうか。少なくとも、プラスになると思ってるならこいつは本気で無能だ。

「っす、気を付けます」

適当に返して、この場を切り抜ける。

監督の怒りはゴールを決められないFW、そして失点をしてしまったDFとどんどん矛先を変えていく。

「……とにかく! 後半はさっさと一点返して、落ち着きを取り戻せ! いいな!」

落ち着きを取り戻すのはどっちだよ、と心の中で苦笑しつつ、円陣を組んで声を出した。
644 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/30(日) 19:14:58.42 ID:tLHmkWWu0
カズヤ無事でいてくれ……
645 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/30(日) 21:49:32.42 ID:docCXD5A0
おつ
646 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/03(水) 17:52:34.80 ID:A6YdLulvO
後半が始まっても、試合は思ったように進まない。J2のリーグ戦と変わらないような、五分の試合展開だ。

勝って当然と思っていた試合で、この時間帯までビハインドだということが、俺だけじゃない、チーム全体の焦りになっている。

雑なロングボール、パスミス、シュートミス。ミスさえなければまだやりようはあるのに。

「出せ!」

サイドからピンポイントのクロスをあげて、さっさと追い付いてやる。

その要求に対して馬鹿正直なボランチがパスを出した。そのボールだった。

俺の鼻っ面を掠めるように、トラップする直前のボールをかっさらわれた。

邪魔なんだよ。ここで勝ったところで、お前たちに何が残る? お前たちとは、やってるサッカーが違うんだよ!

後ろから伸ばした足に、引っ掛かってカズは倒れ混んだ。

笛が鳴って、主審が近づいてくる。

「退場だろ!」

「赤出せよ、赤!」

相手チームの選手が怒鳴り続け、うちの選手は主審の行く手を阻むように取り囲む。
647 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/03(水) 17:58:59.28 ID:A6YdLulvO
「次やったらもう一枚出すからね? 落ち着いて!」

主審から告げられたのは、警告の言葉だった。

「甘いでしょう?! 何で?!」

「何回目だと思ってるんですか?!」

口々に抗議の声が聞こえてくるけど、主審のジャッジは覆らない。そうだよな、ここで俺に赤を出してジャイアントキリングの一因を作る、そんな判定を下す勇気がないから、前半から判定が甘かったんだもんな。

目の前で倒れたままうずくまるカズに、主審とヒロさんが声をかけている。

ヒロさんはベンチに向かって大きく×マークを出した。これでやっと、こいつが消える。

「大丈夫っす、ただの打撲……」

「バカ、次があるんだよ。休んどけ。任せろ」

次がある? 次ってなんだ? 俺たちに勝つってことか?

おかしくなってきて、つい苦笑。まだあと20分もあるのに、一点のリードだけで俺たちに、プロに勝てると思ってんのかよ。

「本気っすか?」

安い挑発だと分かっていても、それを口にせずにはいられなかった。苛立ちを隠せない。

「お前みたいなヘタクソ相手に、カズを重症にするわけにはいかないんでな」
648 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [ssga]:2017/05/03(水) 18:07:38.67 ID:A6YdLulvO
カズと交代で出てきた16番は、いかにもアマチュア選手って感じだ。

こいつならいつでも抜ける。……いや、あいつを抜けなかったと認めている訳じゃないけど。

プレッシャーをかけようとしてるんだろうけど、全然甘い。どうぞ抜いてくださいと言われているようなもんだ。

16番の横をするっと抜けて、ゴール前にセンタリングを上げる。うちのFWが競り勝っても、シュートは枠を外れてしまった。

うん、リズムはできた。この調子ならいつでも追い付ける。

時計をちらっとみると、後半30分を経過したところだった。ロスタイムをいれると20分近く残っている。これなら、延長までいくこともなく逆転できるな。

ゴール前の人員を増やすべく、センターバックの一枚が同点になるまで相手ゴール前に張り付いている。ターゲットが増えた分、俺もクロスをあげやすくて助かる。

両サイドからどんどんクロスをあげて、波状攻撃を繰り返す。それなのに、なかなかゴールを決めることができない。

まだか、まだか、そろそろ決めてくれ。
649 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/03(水) 18:14:13.40 ID:A6YdLulvO
ゴール前、最後のところで跳ね返される。ブロックされる。枠を外れる。

運がない。少しでもこっちに運があれば、もう大差をつけていてもおかしくないのに。

「ヨアン!」

シュートを外し続ける、頼りにならない外国人フォワードの名前を苛立ちと共に叫びながらクロスをあげた。いい加減決めやがれ。

頭一つ、相手ディフェンダーより高く飛んだヨアンが放ったヘディングは、クロスバーを叩く。

「クリア!」

相手チームの誰かが叫んだその声と共に、ボールが再び跳ね返された。

……まずいっ!

守備にほぼ全員を割いていた相手チームのうち、数少ない前線に残っていた選手。そのうちの一人のヒロさんの足下に、それは渡ってしまった。

前を向いてドリブルを始めるヒロさんに、もう一人残っていた相手の9番が連動して動き出す。

うちのセンターバックは一人少ない状況だ。数的にはまだ一人勝っているとはいえ、これはヤバイ。
650 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/03(水) 19:34:31.97 ID:UuohwW+A0
ヒロさんやってやれ
651 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2017/05/14(日) 19:23:59.99 ID:EikfOrmf0
「ディレイ!」

遅らせろと声を張って叫ぶけど、半端な間合いで止まってしまったうちのボランチを、ヒロさんはパスフェイク一本であっさりと抜け出す。これで数的同数。

全力でヒロさんの背中を追いかけながら、どうにか遅らせてくれとチームメイトに祈る。

実力の上では、どう考えてもうちが上なんだ。枚数さえ負けてなければ、失点はない。

残る2人のうち、サイドバックがパスコースを切りながらヒロさんにプレスをかけていく。そうだ、それで良い。

少しず減速をして、速攻から遅行へ切り替えようと、ヒロさんは一旦ボールを右足裏で転がす。その隙に、サイドバックが更に近づいて圧をかけようとした、その時。

アウトサイドでちょこんと触ると、股を抜いて抜け出された。くそっ、遅行はフェイクか。あんな初歩的なもんに引っ掛かんなよ!

心の中で呪詛を吐きつつも、少しずつヒロさんの背中は近づいている。まだ間に合う。

センターバックがシュートコースを消すべく、9番のマークを緩めて、少しずつ近づいて行く。それで良い。ボカしておいてくれ。
652 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2017/05/14(日) 19:30:23.61 ID:EikfOrmf0
しかし、そんなものを気にしないといった風に、ヒロさんはドリブルを続ける。もうすぐ、ペナルティーエリアにまで入られてしまう。

さすがにまずいと、ボカしていたセンターバックが寄せに行った時、また一度減速。9番のポジショニングを確認するようにルックアップ。

シュートモーションに入った、その軌道に体を投げ出すうちのディフェンダーを嘲笑うように、右足アウトでパスを出そうとした、その時だった。

止める!

近づいたヒロさんに向かって投げ出すように、俺は滑り込む。ボールを目がける余裕はなかった。どんな形であれ、ここは止めないとダメだっていうのは分かる。プロフェッショナルファールってやつだ。

あーあ、やっちまった。

強い笛がなって、主審が近づいてくる。さすがにこれは、退場だろ。自分で分かる。

イエロー二枚目、ではなくて、一発でのレッドカードが掲示された。

怒号とともに詰め寄ってくる相手選手を無視して、倒れ込んでいるヒロさんに近づく。
653 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/15(月) 20:35:49.02 ID:43HE3CxqO
「大丈夫っすか?」

この人が後ろからのタックルに恐怖心があるのは覚えていた。悪いことをしたかなと思う一方で、これで精彩を欠いてくれればと思う自分もいる。

いつの間に、こんな風になってしまったんだろう。

焦ったり、勝つために手段を選ばなかったり。勝つことでしか、自分の存在意義を示せないと。

でも、それがプロってことだ。タックルにビビる、臆病者のあんたとは違う。プロとして戦うっていうのは、こういうことなんだ。

「……お前さ」

立ち上がりながら、ヒロさんは口を開いた。

「楽しいか? サッカーやってて」
654 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/15(月) 20:40:30.25 ID:43HE3CxqO
真っ直ぐな目で、見つめられた。どこかで見たことのある目だ。

ハーフタイムに言おうとしたのはこのことだったのかな。

「楽しいか、って……」

俺にとって、サッカーは。

「……」

あれ、俺にとって、サッカーって何なんだっけ。仕事。上に上るための手段? 上ってなんだ? 何で俺は、上を目指してるんだ? 稼ぐため?

いや、そんなことじゃなかったはずだ。

「ほら、早く出ていって!」

答えを見つける前に、主審が笛を吹いてタッチラインに向けて背を押してきた。

そうだ、何で俺は、上を目刺し続けてきたんだろう。
655 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/15(月) 20:45:04.29 ID:43HE3CxqO
ペナルティーエリア少し手前。距離は大体、20mくらいかな。

ボールをセットして、先程の出来事を振り返る。

タカギ、上手かったのに。何であんな風になっちまったんだろうな。焦って、苦しみの中プレーしているみたいで。

「いや、俺も同類だったのかな」

少なくとも、クビになった直後は。カズと出会ってなければ、俺もあんな風になっていたのかもしれない。

右足の爪先で軽くピッチを叩くと、少しだけ違和感。でも打撲ではなさそうだし、これならいける。

意識をゴールに向けて、審判の笛を待つ。残り時間はあとわずか。このチャンスを外すわけにはいかない。
656 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/15(月) 20:51:37.23 ID:43HE3CxqO
壁に入っているのは、かつてのチームメイト。何人か初顔合わせもいるけど、何だかあの頃の練習を思い出すようで懐かしい。

俺の癖……なんてものがあるのか分からないけれど、少なくとも得意なコース、苦手なコースは知られている相手だ。

やりづらさはあるけれど、だからこそ破り甲斐があるってものだ。

あの頃の自分から、成長しているところを見せるために。自分を獲得していたことは間違えてなかった、そして自由契約にしてしまったことは間違っていたと、試合後に思わせられるように。

狙うコースは決めている。成功するかどうかは五分ってところ。けれど、不思議と失敗する気はしない。

強い笛がなって、助走を始める。キーパーはギリギリまで動かない。

狙いは変えず、右足インステップで強くインパクト。壁に入った選手たちはそれを遮るように懸命に飛ぶ。
657 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/15(月) 21:03:32.70 ID:43HE3CxqO
その下を、ボールは通りすぎていく。

あの頃いつも狙っていた、壁を越えるカーブ気味のシュート。

その面影すら感じさせないような、速い弾道のグラウンダーのボール。コースをギリギリまで見極めようとしたキーパーは最後まで動けずに、ネットを揺らすそれを視線で追いかけることしか出来なかった。

「っしゃぁ!」

叫んで、ベンチに向かって一直線に走る。それを後ろから追いかけてくるのは、今のチームメイトだ。かつてのチームメイトは、下を向いて繊維を喪失している。

「ヒロさん!」

氷嚢で足を冷やしていたカズが、タッチライン際まで出てきて名前を叫ぶ。

そこに飛び込んだ俺、そして他の選手たちで、大きな輪が完成した。

「ヒロ! お前やっぱすげぇよ!」

「いくぞ、勝つぞ!」

頭はグシャグシャに撫でられて、背中はバシバシ叩かれて、でもそれが気持ちいい。

主審にポジションにつくように指示を受けて、自陣に戻っているとカズの大きい声が聞こえた。

「一本集中! ゼロでいきましょう! ゼロで!」

二部相手とはいえ、プロを相手にこんな声を出せるやつじゃなかったのにな。

頼もしい後輩の成長に負けたくなくて、俺も大きな声でそれに応える。

「もう一本! とりにいきましょう!」
658 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/15(月) 21:13:33.47 ID:43HE3CxqO
試合終了を告げる笛は、それから10分ほど経って鳴り響いた。

スタジアムからは、何とも言えない声が盛れている。決して歓声ではなく、かといって落胆でもない。

整列をして、審判、次いでフォルツァの選手と握手を交わす。

「やられたよ、次もがんばれよ」

「あんなコースに撃たれるとは思ってなかったよ。やられたわ」

「オオタ、お前、上手くなったな」

そんな声。

上手くなったな、っていうのはやっぱり嬉しいね 。クビになったけど、それから成長できているってことなら、そうなったのにも意味があったと思えるから。

握手を終えると、ベンチメンバーと一緒にゴール裏のサポーター席に向かった。

大勢いる訳じゃないけど、お金を払ってまで応援に来てくれている、心強い仲間だ。

一礼して頭を上げれば、前の方にヤギサワさん、奥さん、それにゆうちゃんがいる。

「ほら、行ってやれよ」

カズにそう言うと「もう、やめてくださいよ!」と恥ずかしがるフリをしつつも、嬉しそうに近づいていった。

それをニヤニヤしながら眺めていると、今度は逆のゴール裏からうちのチーム名のコールが聞こえてきた。エールを送ってくれてるのかな。

みんなでそっちに向かって頭を下げると、今度は「オオタ」コールが響き始める。

ヤマさんに「行ってこいよ」と声をかけられ、試合前と同様に小走りでそちらに向かった。
659 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/15(月) 21:18:55.88 ID:43HE3CxqO
「ありがとうございました! 次も頑張ります!」

辿り着いて、大きな声を張って叫んだ。

「オオター! お前、嫌なくらい、良い選手になったな! 今更上手くなりやがって!」

コールリーダーの中年のおじさんが、拡声器で叫ぶと他のサポーターが笑い声をあげた。

「次も勝てよ! ジャイアントキリングに期待してるからな!」

そう言って、再び大きな声でチャントを叫び始めた。クビになったとき、もう聞くことはないと思った声援だ。

熱くなるものを感じながら、俺は頭を下げた。この気持ちは、次も勝つことでしか返すことができない。

「ありがとうございました!」

もう一度叫んで、小走りでロッカールームに向かう。同じくロッカールームに戻ろうとしてたカズと、俺しかもういない。
660 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/15(月) 21:23:42.04 ID:43HE3CxqO
「ナイッシューです」

プレイヤーズトンネルの手前でちょうど合流したカズに、そう声をかけられた。

「俺も決めとかないと、プレースキッカーをカズにとられるからな。あれから焦って練習したのさ」

「またまたー、そんなの、ありえないっすから」

こういうところは昔と変わらないんだな。プレーしてるときは、あんなに雰囲気が変わったっていうのに。

トンネルの中に入ると、一人、待ち構えてるやつがいた。

「……すみません、大丈夫でしたか?」

カズと俺にラフなタックルをかましてきたそいつは、まず最初にそう言った。

「大したことないよ。なぁ、カズ?」

「冷やしてたらもう大分良くなったんで」

「……よかった」

何と言って良いのか分からず、言葉を探すように、そいつは口を開く。
661 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/15(月) 21:31:57.94 ID:43HE3CxqO
「……サッカー、楽しくなかったです」

それがどういうことかは、すぐに分かった。

「苦しかったんだな」

その場にいなかったカズは何がなんだか分からない、といった顔で、俺の表情を窺うように視線を寄越してきた。

「僕、戻っときますね」

気を使ってそう言ったんだろうけど、敢えて「いや、いてくれ」と返す。カズがいてくれた方が、たぶん分かりやすい。

「勝たなきゃ意味がないと思ってました。代表に入れなきゃ、やってても仕方ない。俺、プロだし。勝つことが仕事だし」

自分に言い聞かせるように、言葉を続けていく。

「ヒロさんのことも、最初はバカにしてた。クビになったくせに必死こいて勝ち進んで、バカみたいだなって。勝ったところで何にもならないじゃないですか。なのに何で? って」

そうだ。俺も最初はそうだった。

フォルツァをクビになって、県リーグなんかでサッカーを始めたのは、ただの惰性だって。

「でも、何か違ったんです。何か分からないけど……何か……何か……」

その感情を表現するのが難しかったのか、言葉を詰まらせながら俯いて、少し間を開ける。俺たちは、ただ黙って言葉を待つ。

「……羨ましかった」

そう言ったタカギの目からは、雫が伝っていて。
662 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/15(月) 21:40:05.85 ID:43HE3CxqO
「楽しそうだな……羨ましいなって。俺、ずっと、そんな風に、おも、思えなくて」

ずっとエリートコースを歩んできてたこいつが、そういう風に感じるのも分からなくはない。

フォルツァはプロリーグ発足当時は名門で、ユースも力を入れられていた。だけど、一度二部に降格してからは、メインスポンサーも離れてしまったせいか大した補強はできなくなってしまった。少なくとも、強豪というイメージはなくなってしまいつつある。

「代表のやつらに置いていかれてしまうって。悔しくて! でもどうにもできなくて……何で? 何で俺はこんなところにいるんだ? って……」

「分かるよ」

その同意は、俺の本心だった。

「俺も最初はそうだった。クビになったあと、うちに参加したのだって、ただ『サッカーをしない自分』がイメージできなかったから。ただそれだけだったから」

横で黙って話を聞いてたカズが、視線だけこちらに向けてくる。
663 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/15(月) 22:53:49.20 ID:nW2oG+4A0
大量更新おつ
664 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/15(月) 23:04:37.38 ID:fy4wX1Ws0
乙です
いつも楽しみにしてます
665 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/15(月) 23:24:29.28 ID:4KTW6XER0
おつ
666 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/16(火) 07:18:55.65 ID:zPftSAJ7O
ヒヤヒヤするな
667 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/16(火) 12:17:30.54 ID:38njs9txO
更新おつ
ドキドキですわ
668 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/16(火) 22:00:21.51 ID:bECh8MqdO
「レベルだって、今までにいたどのチームより低かったよ。周りを駒扱いして、王様プレーして自己満足するつもりだった」

「そうなんすか? 全然」

全然気づいてなかった、とカズは漏らした。そんなカズに視線を送って、俺は言葉を続ける。

「こいつ、カズとマッチアップして、タカギはどう感じた?」

「どうだった……って」

考え込むように言葉を止めて、タカギはカズを見つめる。

「ウザかったっす。マッチアップしてて、あんなに楽しそうにプレーされると」

「だろ、そういう奴なんだよ、こいつはさ」

呆れ声をわざと作って、肩を竦めて見せる。

「こいつがさ、今よりもっと下手くそだったくせに、『サッカー教えてください!』ってさ。うぜぇくらいグイグイ来るんだよ。でもさ、そういうの、今、お前はあるか?」

好きだから上手くなりたい。好きだから高い世界を見てみたい。その順番であるべきなんだ。

少なくとも、俺にとってのサッカーは。
669 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/16(火) 22:01:43.07 ID:bECh8MqdO
返事をできずに俯くタカギから、今度はカズに向かって言葉を渡す。

「なあ、カズ。お前は何でサッカーしてんの? 高校でも大した実績も残せなくて、それでも今までサッカーをしている理由は?」

本当は、今となっては大した選手になっているんだけど。言っても謙遜するだろうし、黙っておこう。

「何でって……好きだから? としか……理由……ないっすね」

その言葉に満足した俺は頷いて、並んで立つカズの背中を叩いた。

「そういうことだよ。こいつも、お前も、俺も。最初は好きで始めたサッカーだろ。それはさ、プロだろうがアマチュアだろうが、変わらないんだ」

俯いていた顔をあげて、タカギは俺の言葉に耳を傾ける。

「勝つから楽しいサッカー、っていうのもあるさ。プロなら尚更だ。でもさ、『負けても楽しいサッカー』があるっていうのも、真理じゃないか?」

今となってはアマチュアになった俺の遠吠えに聞こえるかもしれない。それでも、俺のこの言葉が少しでもタカギに届けば良いと願う。

「こいつな、最初は本当に下手くそだったんだよ。選抜も県トレ止まりだし、個人戦術もろくなもんじゃない。二年前のタカギと比べたらお話にならないよ」

それでも、カズは上手くなった。上手くなるまでやめなかったから。上手くなるまで諦めなかったから。

その根元にあるのは、『サッカーを好きだからやめられない』という気持ちだ。
670 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/16(火) 22:02:40.87 ID:bECh8MqdO
「タカギはさ、上手いよ。技術もある。でもさ、カズは技術がお前程は無くても、すげぇ才能を持ってたんだよ。分かるか?」

サッカーの世界には才能は二つある、っていうのが俺の最近の持論だ。

先天的にサッカーが上手いという才能。ボールタッチだったり、キックセンスだったり。世間一般が言う天才っていうのは、はこっちなんだと思う。

でも、もう一つの才能こそが、簡単なようで難しい、真の才能なんだと思うんだ。

「勝ちたい気持ちが悪いわけじゃないさ。でもさ、そのために苦しいサッカーを続けるのって、嫌だろ?」

頷くタカギを見て、言葉を重ねた。

「カズはさ、いつ見ても楽しそうなんだよ。勝ちたい気持ちを持った上で、サッカーを楽しんでる。それってすげぇ才能だと思うんだ」

サッカーに限った話じゃない。全て、そういうことなんだと思う。

何かを本気で取り組むと、そこに辛さや苦しさは現れてくる。

問題は、その辛さや苦しさをひっくるめて楽しめるかどうかだ。その壁を見ても、そいつを好きになれるかどうかだ。
671 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/16(火) 22:03:11.92 ID:bECh8MqdO
「わりぃ、説教臭くなっちまったな。要は、もっと楽しめってことだよ。偉そうに言えた義理じゃないけどな」

纏まりなく話してしまったことを反省しつつ、数歩歩み寄った俺はタカギの肩をポンと叩いた。

「ちょっと忘れてしまってただけで、お前もサッカー、好きだっただろ?」

キザだったかな、なんてこんなシーンで思うことじゃないんだろうけど。

「……はいっ。ありがとうございます!」

そう言って、タカギは頭を下げた。

居心地悪げにカズも俺の隣まで出てきた。そりゃそうだよな、悪い悪い。

「じゃ、お前もリーグ戦頑張れよ。俺たちも次頑張るわ」

言い残し、立ち去ろうとしたところで、タカギは「あ、ちょっと待って」と言い足した。

「ユニホーム交換……」

ゲームシャツを脱いでアンダーシャツ姿になったタカギは、緑色のそれを右手にカズに差し出した。

「えーっと……」

困ったようにカズは頬をかく。

すぐに代わりのユニホームが準備できるプロとは違って、うちは自前でユニホームを用意している。同じ番号の予備なんて、あるはずもない。

不思議そうに首をかしげるタカギに何と伝えるべきか。

……まぁ、良いか。次の試合までにもし間に合わなくても、空き番号にガムテープを貼ったり、やりようはある。

「いいよ、カズ、交換しなよ」

責任は俺がとるから、と心のなかで付け足して、カズに促す。

大丈夫かな、という表情は隠せないまま、お互いの手にはさっきまで相手が着ていたユニホームが渡った。

「カズ、次は負けないから。またやろうぜ」

タカギの目は、それまでの色とは違う気がした。ガキの頃、どうしても勝ちたいライバルを見つけたような、まっすぐな瞳だ。

「こっちこそ。もっと上手くなってやるから」

試合中の口八丁なやりとりとは違う、認めあった相手に対するやり取り。こいつら、良い関係になるかもな。
672 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/16(火) 22:04:18.98 ID:bECh8MqdO
お姉ちゃんが日本代表のサッカー選手と噂されていることを、情報番組で見かけた。

私の相手は元プロのヒロくんだった。

そんな、比べる必要がないようなところまで比べてしまう私が自分で嫌になる。嫌になるけど、やめられない。

私の幸せの基準はいつまでたってもお姉ちゃんだ。そこを目に見えて越えられない限り、私は幸福になることはできない。

「……歪んでるよね」

分かってるんだけど。

分かっているからやめられるんだったら、とっくに私は幸せになれていた。

人と比べることって、明らかな優越感を得ることもできれば、代わりに劣等感も容易く与えられてしまう。
673 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/17(水) 04:48:48.94 ID:NwCcj5y80
おつ
674 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/17(水) 19:17:07.52 ID:68wvyO3p0
カズ、ヒロさん、良かった……!
675 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/18(木) 01:51:04.01 ID:gxCNuq3V0
あの日から、色んな男と遊んだ。

イケメンもいれば、お金持ちもいた。私の虚栄心を満たしてくれそうな人が、外見目当てで私にすり寄ってくる。

バカばっかりだ。みんなバカ。

私みたいな女のどこが良いんだろう。顔がよくて、愛想を振り撒いて。結局表面上しか見られないから、付き合いも表面上だけになってしまう。

本当はもっと踏み込んでほしい。もっと私のことを知ってほしい。

お姉ちゃんに対する妬みも劣等感も、それを男で解決しようとしているところも。汚いところを見た上で、私を選んでほしい。

でもそんな汚いところを晒すこともできなくて。

綺麗な私、愛想よく振る舞う私しか見せてないのに、汚い私に気がついてっていうのは、少女漫画とかファンタジーの世界だ。

全部分かってるのに、それでも私はその願いを諦められなくて、そして沼にはまっていく。
676 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/05/18(木) 02:03:18.96 ID:gxCNuq3V0
日本代表の選手と付き合う姉への劣等感を、そこんじょそこらの男で拭うことはきっとできないだろう。

こうなったら質より量?

そんなことを考える自分に嫌気がさして、テレビの電源を切る。

幸せを誰かと比べることは、間違ってる。

小学生が道徳の授業で習うようなことを頭の中で呟くけど、それでもどうしても、と思ってしまう自分は打ち消せない。

私が幸せになれない最大の理由は、幸せなはずなのに「でもお姉ちゃんはもっと幸せだ」って思い込んじゃう自分自身。

「……幸せになりたいなぁ」

その幸せが、どういうものなのか自分自身では分からないけど。

いっそ、お姉ちゃんがいなければ良かったのに。それなら、私と比べる相手もいなかったのに。

それが八つ当たりだってことが分かってはいるんだけど。
677 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/18(木) 05:45:47.97 ID:HpJigkRU0
678 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/06(火) 02:02:43.57 ID:7qp53+Df0
何となくいいな。でもやっぱり違う。この人かな? うーん、だめだ。

ちょっとした小金持ち、ちょっとしたイケメン、そんなんじゃ、お姉ちゃんに勝てない。

そう言い聞かせては、この男でもない。あの男でもない。

そんなことを繰り返していては、堕ちるところまで堕ちてしまうということも、分かってはいる。

色んな事を分かったうえで、それでも私は止められない。病気みたいなもので、意地みたいなものでもある。

ああ、誰か私を肯定してほしい。お姉ちゃんと私が並んで、私を選んでくれる人がいてほしい。

それが『身の丈にあっているから』とか、『女優にまでなったお姉ちゃんは遠い人だから』とかいう理由ではなくて、私を私だから選んでほしい。

でも、そんな王子様がいたとしても、今の私はきっと選ばれないだろう。

欲にまみれた、悪女の私を。

外見だけでなく、きっと内面もお姉ちゃんに遠く及ばない。それなのに、お姉ちゃんより幸せになりたいと願うのは、それこそ身の丈に合わない願いだ。
679 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/06(火) 19:35:26.06 ID:dSZncVhC0
ドキドキ……
680 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/07(水) 08:29:08.27 ID:byu+qf0TO
一気に読み耽ってしまった……
無理のない更新、楽しみにしてるで!
681 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/11(日) 17:36:11.55 ID:iwI8FSy90
身の丈に合わない幸せを求めた先に待つ破滅へ、私はただ進んでいっている。

その日の合コンは、読モをやってる同級生がセッティングしてくれたメンバーだった。相手は同じく読モ、売れかけの俳優、ローカルアイドル。

顔はそこそこ。うーん、将来性を考えたら俳優くんが良いのかな。

品定めをしながら可愛い子ぶってお酒をちびちび飲んでたら、俳優の子……タイシくんが隣に座って来た。

「サキちゃんって大学生なんでしょ? サークルとかやってないの?」

「私? ううん、何も。バイトと勉強で……。タイシくんは?」

いや、勉強なんて全然なんだけどね。男漁りをしてるなんて、間違っても言えないから。

彼は大学に通いながら仕事をやっていると聞いた。正直そんなに興味があるわけじゃないけど、社交辞令として問い返した。

「うん、サッカーのサークルに」

「へぇ、サッカー」

何だろう、今はサッカー少年期間なのかな。サッカーをやってる人との出会いが多すぎる。
682 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/11(日) 17:51:00.37 ID:iwI8FSy90
「あれ、その反応。サッカー好きなの?」

その問いかけには、首を傾けて「少し?」と返すだけにしておいた。

その返答に苦笑する彼に、私は問い返す。

「サッカー、好きなんだ。プロになりたいとか思わなかったの?」

「思ったよ!」

力強く返された。一瞬場が止まってしまうほどに。

ごめんごめんと周りに謝って、言葉を続けた。

「ごめんね、力はいちゃったよ。プロにね、なりたかった。なれなかった」

曰く、高校生の時に試合で戦った相手に敵わないと思った。曰く、そこまでの才能が無いと気が付いた。

「でもね、好きなんだ。だから、やめられなくて」

「そっか。でも、良いね。そういう好きなものがあるって」

私には、無いから。

悲しくなるからそれは言葉にしないけど、できないけど、それをきっと彼も察したみたいで。
683 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/11(日) 18:15:16.86 ID:iwI8FSy90
「嫌いとかじゃなければ、サッカー、見に行かない? 今度の試合のチケット、二枚持ってて」

会場は、ちょっと遠いけど行けなくはない、コンサート会場にもなるような場所らしい。

もうサッカーは見ないと思っていたんだけど。キープ候補からのせっかくのお誘いだし。断るのも悪いかな。

「いつなの?」

返って来た日程は、たまたま予定が空いていた。こういうの、運命っていうのかな。なんちゃって。

「うん、大丈夫。楽しみ!」

その返事に、彼は嬉しそうに携帯を差し出してきた。連絡先を交換しよう、ってことらしい。

頷いて、私は携帯電話を操作する。こうやって、私はどんどん罪深くなっていく。どんどん深くはまっていく。

これで良い。これで良いの。

これが私の生き方だから。
684 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/12(月) 21:18:49.43 ID:h/s2X/Tw0
フォルツァとの試合を終えた私たちは、ヤギサワさんのお店にお邪魔していた。祝勝会の準備をしてくれていたらしい。

もし負けたら残念会で……ってことで、気を利かせて店休日にしてくれてたんだって。すごいよね。

ヒロ兄、カズくん、ヤマさん、他にも都合がついたチームメイトに、そしてゆうちゃん。

ゆうちゃんは最初は「私は部外者だし……」って遠慮してたんだけどね。ヤギサワさんたちが半ば無理やり。

謝らなきゃ。この間のこと。急に叩いちゃって。酷いこと言っちゃって。

そう思ってはいるんだけど、カズくんも微妙に気を使ってるし、彼女は彼女で色んなところでカズくんとのことを冷やかされててたり、お手伝いをしてたりでタイミングをつかめない。

「ね、ミユちゃん? よね? 悪いんだけど、ちょっと手伝ってくれないかしら」

ヤギサワさんの奥さんからそう言われて、私は厨房の中に入る。大皿に盛られた料理を見て、「うわぁ」と声を漏らす。

「すごい、美味しそう」

「すごいでしょ? それ、あの子が作ったのよ」

「えっ、そうなんですか?」

可愛いだけじゃなくて、料理も得意なんだ。すごいなぁ。
685 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/12(月) 21:23:48.12 ID:h/s2X/Tw0
「それ、運んでくれる? それが終わったらこっちも」

奥さんからの指示を受けて、いい匂いがするお皿を運び始めた。

ホールに出ると、男たちはただお酒を飲んで、料理を食べて、大騒ぎしてる。

うん、貸し切りにしてくれてなかったら、こんなテンションの男を受け入れてくれるお店はきっとない。

「いやほんとさぁ! 勝てるとは思ってなかったぜ、マジで!」

「ヒロのフリーキックよ!」

「ていうかカズ、お前ちゃっかりタカギと交換してんじゃねぇよ! 羨ましいわ!」

とにかく声がでかい。そして料理を持っていくとそれに群がっていく。とても、数時間前に死闘を繰り広げていたのと同じ選手には思えない。

それでもまぁ、今日くらいは特別だ。プロに勝ったんだしね。ヒロ兄も、普段よりお酒が進むのが早いみたい。

今日くらい、大騒ぎしていてもきっと罰は当たらない。
686 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/12(月) 21:30:43.76 ID:h/s2X/Tw0
料理の提供も落ち着いて、みんな酔っ払い始めた頃、やっとゆうちゃんが解放されたみたいでキッチンに戻って来た。

「二人ともお疲れ様。もう大丈夫だから、ゆっくりして。何か飲みたいなら、ご自由にどうぞ」

そう言われて、二人で顔を見合わせちゃった。奥さんはそのままホールに向かって行って、ヤギサワさんと何か話している。

何となく気まずい空気が流れて、無言になってしまった。

口を開かなきゃ、と思えば思うほど、それができなくて。どうしよう、何て言えばいいんだろう、って。

「あの、ちょっと、外で話せないですか?」

私が言いたくてたまらなかったその言葉を、彼女から口にしてくれた。

頷いて返事をして、裏口から外に出る。

どうしよう、何を話されるんだろう。仕返しされちゃう? 怯えながら、それでも仕方ないと私は彼女の言葉を待つ。
687 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/12(月) 21:47:47.30 ID:h/s2X/Tw0
涼しげな風が吹いて、彼女の長い髪を揺らした。それを視線で追っていると、目が合って。

「あの……」

言いづらそうに、彼女が漏らして、続いた言葉は。

「ごめんなさい」

その言葉がどういう意味なのか、なぜ彼女から言われたのか、つい考えてしまった。私が言おうとしてた言葉なのに。

きょとんとした顔を見て、彼女が言いづらそうにしながらも口を開く。

「あの、えっと……アキラ……っていうか、あの、うん……」

「アキラ?」

「あっ、そっか源氏名……えっと、彼氏……さん?」

ああ、そういうことかと納得しつつ、何か釈然としない。アキラって何だ? 誰?

「えっと……ううん、私こそ、すみませんでした。急にぶっちゃって。酷いこと言っちゃって。ごめんなさい」

謎を感じているうちに、言いたかった言葉はするっと出てきてくれた。

彼女が首を横に振って、「ううん、私こそ。ごめんなさい」と。

埒が明かなくなるので、「謝り合いはここまでにしましょ」と提案して、ゆうちゃんもそれに頷いた。

「あの、アキラって?」

もしかして、私が勘違いでぶっちゃたのかな。そうなら、謝っても謝りきれないことをしてしまった。どうしよう、どうしよう。

「あの、私、彼のお客さんだったの」

「お客さん?」
688 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/13(火) 09:23:06.40 ID:3gOqQ80O0
wktk
689 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/14(水) 00:46:26.18 ID:STrAxEfA0
女って隠し事隠さず話したら許されたって勘違いするよね
自分に酔っちゃダメ
690 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/24(土) 14:46:43.43 ID:O7h0x+ZiO
彼女の話す事実は、まるでフィクションの物語みたいで。そんなことが本当にあるのだろうかと思ってしまう。

でも、納得してしまうところもあって。

ホストしてたから、朝の授業落としちゃったんだ、とか。女遊び激しいって噂があったんだ、とか。

そもそも彼のバイトが何なのかをはっきりしらなかった私もダメだったんだろうけど。

「ゆう」が源氏名で、「エリカ」が本名だとか。ホストの私の彼氏? なのかな、に、貢いでいたとか。

彼女の言葉が、私の耳にすらすら流れてくる。

カズくんに会って、このままじゃダメだと思ったこと。ホストに貢ぐのをやめたこと。

そこまで話して、彼女は意を決したような視線を私に向けた。

「でも、そんなの言い訳にしか聞こえない……ですよね」
691 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/25(日) 15:42:49.25 ID:5vA409IiO
許してほしくて話しているのではないと、彼女は続けた。

「じゃあ、何で……?」


「あなたにしてみれば、私の秘密を知ったからといって辛かったことがなくなるわけじゃないだろうし。私の事情なんて、知ったことじゃないだろうし」

自虐めいた口調で、彼女は口を開いた。

「私は弱いから、だから、あなたにこの話をしないわけにはいかないなって」

自己満足に付き合わせちゃってごめんね、って。

「過去の私を無くすことはできないから、あなたの辛かったことを無くすことはできないし。それでも、聞いては欲しかったの。言い訳にしか聞こえないのも分かってる。分かってるけど……」

ごめんなさい、って言葉が、聞こえた気がした。
692 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/25(日) 15:50:55.43 ID:5vA409IiO
「……もういいです」

だって、私が辛かった事実は無くならないから。そんな言い訳を泣きながら言われても何になるわけでもない。

私の彼氏と寝た事実は、無くなるわけではない。

それでも、彼女はその事実に向き合っている。

辛いこと、苦しいこと、嫌なことから逃げ出さない道を選んで、私の目の前にいる。

カズくんだったりヒロ兄だったり、私の尊敬する人たちと同じ道を、彼女は選んだ。

「……もう昔のことです。気にしないでください」

そもそも、私が被害者ぶるのも変な話なんだから。

女癖が悪いことも知っていて、そういう現場を目撃することを覚悟した上で付き合って、なのにいざ直面すると悲劇のヒロインを気取って。

喜劇でも、もうちょっとまともな台本があるんじゃないかな。
693 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/25(日) 16:07:37.26 ID:5vA409IiO
私は可愛そうな子だって思ってた。

だって、浮気されちゃったから。彼がホテルから女と出てくるのを見ちゃったから。

でも、それって私が最初から覚悟してたことだった。覚悟した上で、私はその道を選んだんだった。

それなら、その痛みを受け入れこそすれど、彼女に向けるのは間違ってた。

「……私の方こそ、ごめんなさい。ぶっちゃって」

言いたかったそれは、すんなり滑り出てくれた。

「ごめんなさい。私、羨ましかったんです。カズくんと幸せそうで。いいなって。妬ましかった」

私は辛いのに。私は大事にされてないのに。

「だから、嫉妬しちゃって。……ごめんなさい」

「ううん、私がきっかけだから……」

「いえ、私の彼氏が……」

言い合ってると、つい笑いそうになっちゃった。そんな状況じゃないのにね。

「……やめましょ、謝り合いは。……よし! おわり!」

二度手を叩いて、赤くなった目で彼女は私に微笑みかけた。

「こんなこと言うと、虫がいい話と思われるかもしれないけど……」

躊躇うように言葉をためて、問いかけられた。

「私と友達になってくれない?」
694 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/25(日) 17:13:34.46 ID:KqtMZj4G0
おつ
695 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/25(日) 20:05:35.86 ID:5vA409IiO
「友達……」

聞き慣れた言葉のはずなのに、彼女から聞こえたそれは不思議な響きがした。

私の彼氏と寝た女。私がビンタした女。

でも、カズくんの彼女。私の大切な友達の、とても大切な彼女。

「……私でよければ」

悩むことなんてなかった。カズくんからの話を聞いても、ヒロ兄からの話を聞いても、彼女が悪い人とは思えないから。

ううん、むしろあの二人と似ているのかもしれない。人間らしくて、でも眩しくて。

「えっと……お名前……」

彼女から問われて、私はつい笑っちゃった。名前も知らないまま、何を話していたんだろう。

「ミユ、です。えっと……」

「エリカ、でお願いします。あっちの名前は、もう捨てちゃったから」

はい、と返事をすると、エリカさんはそれを嗜めた。

「友達なんだから、敬語もさんもい要らないから。……良いよね?」

上目使いで見られて、つい女の私でもドキッとしてしまった。やっぱりカズくんは面食いだ。

「う、うん、分かった」

「やった、嬉しい。私、そういう仕事してたから友達少なくて。仲良くしてくれたら嬉しいな」

きゃっきゃとはしゃぐ彼女を見て、ふと疑問が頭に浮かんできた。

「でも、どうやってカズくんと知り合ったの? 友達の紹介とかなのかな、って思ったんだけど……」

さっきの言い分だと、そんなわけでも無さそう?

「うーん……えっとね」

他の人たちには内緒だよ、ってお決まりの台詞を枕詞に、彼女は口を開いた。

彼と彼女の話もやっぱり不思議な、それでも素敵な物語。幸せな物語を聞きながら、彼女と私の微妙な距離感も近づいていく。

夜風に吹かれながら、綺麗な月の下で過ごす時間は、とても良い夜だった。
696 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/25(日) 20:37:15.13 ID:5vA409IiO
二回戦から三回戦までは二週空く。

間の週末で、エリカと二人でうちの大学を散歩することにした。大学に通ったことがないから、どんなところなのか来てみたかったらしい。

「わー、こんな感じなんだ。広いね、すごい。ちっちゃい町みたい」

「それは言い過ぎだって」

苦笑しつつ、気持ちは分からないこともない。棟移動の授業の時は、もう少し狭くしてくれと呪いたくもなる。

「ね、学食とか、私も入れるのかな?」

「あー、うん、大丈夫……と思う」

ちょうど近くにカフェ風に造られた、落ち着いた雰囲気の学食があったから、そこに入ってお茶をすることにした。

休講日の昼過ぎということもあって、部活やサークル終わりの学生で少し混雑していたけど、座れなくもない。

僕の手帳を二人掛けのテーブルに置いて、二人でレジに向かう。

「色々あるんだねぇ」

何を食べるか決めかねて、彼女はメニューとにらめっこしている。

「お勧めはオムライスかな」

「どこにいってもそればっかりじゃんかー」

そんな夫婦漫才を挟みつつ、僕はオムライス、彼女はメンチカツを頼んでシェアしようってことで落ち着いた。

「メンチカツ、今のお店に無いから。あったら良いな、とは思うんだけど」

そんなことを考えて注文を決めるあたり、仕事意識高いなぁ、なんて。

二人まとめて支払うとレジのパートさんに告げると、表示された金額を見て「安い……!」と驚く姿も何とも新鮮で。

「ごめんね、支払、ありがとう。頂きます」

「いやいや、今日は僕のホームだからさすがにね。安かったでしょ?」

「うん、驚いた! 凄いね、学食って」

話しながらテーブルに向かうと、僕を呼ぶ声が聞こえた。

「あれ、エリカ?! 何で? あ、カズくん!」
697 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/26(月) 13:21:31.12 ID:rPwqEQNR0
おつおつ
698 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/27(火) 02:18:25.29 ID:DjAdNFrj0
確保してたテーブルの二つ手前の女子グループの中に、よく知った顔が混ざっていた。

「えっ、何で二人で?」

問われて、事情を説明すると「あー、そういう……なるほどね」と頷き始めた。

一体何があったのか分からないけど、あの食事会以降、二人は連絡を取りあったり仲良くなってるようだ。

とてもそんな仲になれるような関係とは思わなかったけど、女って不思議だ。

二人して消えたと思ったら、いつの間にか楽しそうに話しながら戻ってきて、『カズくんがエッチだってことを教えてもらったよ』なんて。

まあ、いいや。僕も好きな二人が仲良くしてくれるのは嬉しい。

「今日の練習一緒に行こうよ〜」

「え、私も行って良いの?」

本当に、仲がよろしいことで。

少し離れたところで二人を見ていると、女子グループのうちの一人から「あれ、もしかして……」と声をかけられた。
699 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/27(火) 02:26:31.42 ID:DjAdNFrj0
「ミユのいるチームの……カズヤくん? だよね?」

「あぁ、はぁ……」

今週に入って、何度かこういうことがあった。

ローカルニュースとか、友達づてとか。サッカー部ではないやつが、天皇杯でプロに勝ったらしいっていうのは、体育会系の部活があまり活発でないうちの大学では面白い話題の一つみたいで。

体育会系サッカー部のやつには入部しなよと勧誘されるし、ちょっと面識がある、くらいのやつには今みたいに興味本意で話しかけられたり。

そういうのに慣れてない僕は、ただ焦るだけなんだけど。

「すごいね、がんばって!」

でも、こんな風に応援してくれるのは素直に嬉しい。今までは『部活にもサークルにも入ってない、ちょっと変なやつ』みたいに見られてたしね。

「うん、ありがと」

チラッとエリカとミユに視線を向けると、その子は「ほら、デートの邪魔しちゃ悪いでしょ」と声をかけてくれた。

「あ、ごめんごめん。それじゃ、またあとでね」

エリカもそれに頷いて、僕たちはやっと席に着いた。
700 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/27(火) 02:32:07.50 ID:DjAdNFrj0
頂きます、と二人して呟くと、続けて尋ねられた。

「さっきの子、知り合い?」

「ううん、知らない。ミユとも大学の中で話すことって、あんまりないし」

ミユはうちのマネージャーだけじゃなくて、インカレのテニサーにも入ってるらしく、学内の顔は広い。社交性って、そういうところに出てくるよね。

「へぇ……そっか。さっきみたいなことってよくあるの?」

「さっきみたいな?」

「知らない子に話しかけられたり?」

「先週の試合のこと知ってる人からはたまに、かな?」

「そっか……」と呟く彼女を見て、「どうした?」と問いかけると、モジモジと返事を聞かせてくれた。

「何て言うか、遠い人だなって。すごいなって。知らない人がそんな風にカズヤのこと知ってるって、凄いよね。」

「いや、全然……」

この間の試合だって、ヒーローだったのはフリーキックを叩き込んだヒロさんだし。
701 :1 [sage]:2017/06/27(火) 02:34:50.06 ID:DjAdNFrj0
だらだらと二年以上書き続けてしまってますが、今もお付き合いくださってる皆様には感謝しかないです。
励ましのコメント等々、いつもありがとうございます。

今回の天皇杯はいわきFC以外にも番狂わせが多くて個人的には嬉しい限りです。

今後も書けるときには書き進めていくので、どうか最後までお付き合い頂けますと幸甚です。

という、700区切りの挨拶でした。
ではではまた本編で。
702 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/27(火) 11:29:51.98 ID:R9wWweFoO
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