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【安価とコンマで】艦これ100レス劇場【艦これ劇場】
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839 :
【64/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/05(土) 23:21:59.30 ID:XlQ6oFdJ0
カコン。露天風呂に設置された添水(そうず)の軽やかな音色が浴場中に響き渡る。
一般に「鹿威し(ししおどし)」と呼ばれることが多いこの装置は、呼び名の通り鹿や猪といった田畑を荒らす鳥獣を避けるために生まれたものだ。
後にその音が風流として楽しまれるようになり、日本庭園などの装飾として利用されるようになった。
春雨(ハッ! ……? 今の光景は一体……? 夢というには妙に鮮明な感覚で、でも、現実ではなくて……。幻覚? まさか)
横須賀の海を一望できる、鎮守府敷地内に建てられた大浴場。春雨は頭上に置いたタオルがずり落ちないようにその位置を調整する。
彼女の浸かる湯は地下の源泉からくみ上げた天然温泉で、塩化ナトリウムが含まれているため舐めるとやや塩辛い味がする。
筋肉痛や神経痛、冷え性などに効能がある(と、壁面に設置された看板には書かれている)。
??「春雨。貴方、少し逆上せたんじゃないの? さっきまで上の空だったわよ」
バスタオルに身をくるんだ、白金色に輝くストレートロングヘアの女性が春雨の隣にやってきた。
彼女の名はビスマルク。春雨と同じ第二艦隊のメンバーの一人であり、その旗艦だ。
春雨(あっ、ビスマルクさん。帽子がないから一瞬誰かと思っちゃった……)
春雨「逆上せてた……そうかもしれません。そろそろ上がりましょうか……」
カコーン。カコン。
竹製の筒に水が流れ込み、満杯まで溜まると重みで筒(の水の流入部となる側)が倒れて内部の水が零れる。空になると再び元の状態に戻り、同様の動作を繰り返す。
水が流れ出て軽くなった竹筒が元に戻る過程で、竹筒の底部が(鹿威しから流れ出る水を受け止めるための)台を軽く叩く。
この時にコーンと弾むような音が鳴り渡るのである。これが鹿威しの原理だ。
春雨「?」
カコン。カコン。コン。コン。――気のせいではない。音の鳴る感覚が不自然に短い。
どうやら露天風呂の方からではなく、高い壁で仕切られた隣の浴場、つまり男湯から音がしているらしい。
しばらくして爆竹が鳴るような破裂音が浴場内に響く。
??「フッ、どうですか。……思い知ったでしょう? 『スーパー鹿おどしマシーン 鹿おどし君2号』の力を」
男声の、自慢げな笑い声が聞こえてくる。
??「変形して空を飛ぶのは卑怯? これも勝つための戦術ですよ。ルール違反ではないでしょう?」
ビス「また何かバカなことをやってるみたいね……マキエ!! 提督ともあろう者がみっともないわ、静かになさい!」
提督「やや……その声はビスマルク! 仕方ありません。再戦の機会を与えてあげましょう。また日と場を改めて鹿四駆(ししよんく)の王者を決めようでは……」
ビス「アトミラールッ! 後で話があるわ!!」
提督「ややっ! うぅ……この場は潔く黙っているとしましょう」
立ち上がって叫び、“マキエ”を黙らせると、深く溜息をついて再び湯船に浸かるビスマルク。
ビス「やれやれ……呆れたわ。あれでよくこの横須賀鎮守府の大将になれたものね」
春雨「あはは……(さっきの幻覚で見た蒔絵司令官は、現実に存在する蒔絵司令官とでは人格も雰囲気もどこか違うんですよね……。
私の振る舞いもなんだか私らしくないというか……そもそも、出会って間もない蒔絵司令官に対してそんな恋愛的な感情を抱きようがありませんし)」
春雨(というか……。アリかナシかで言えば……あの人は、うーん。クセが強すぎるというか……司令官としてはとても優秀な方なんですけどね)
ビス「そういえば……この大浴場を作ったのもマキエなのよね。春雨は知っていたかしら?」
春雨「えっ、そうなんですか。初耳です」
ビス「着任した時に案内されたとは思うけど、艦娘の損傷を修復するためのドックは浴場とは別に鎮守府内にあるでしょう?
湯治なんて言葉も確かにあるけれど、私たち艦娘にとってはお湯よりも修復剤の方がよっぽど効き目が強いじゃない」
春雨「言われてみれば……。だから有料なんですかね」
ビス「ええ。娯楽施設のようなものだし、国費でこんなものを建てるわけにはいかないでしょう。
建設時は反対の声も多かったようだけど、最終的には猫も杓子も味方につけて実現しちゃうんだから驚きよね。
結果論で言えば、今はみんな満足しているみたいだし……本当に食えない人よ」
春雨「(ビスマルクさんの口から“猫も杓子も”なんてフレーズが出るのはちょっと面白いですね)……そういえば。
ここって埋立地ですよね。そんなところに温泉作って大丈夫なんでしょうか……?」
ビス「鎮守府が海没しかけたわ」
春雨(ものすごくダメじゃないですか)
ビス「ま、それも計算づくだったそうね。もちろん首が飛びかけるほどの大目玉を食らったそうだけれど。
各施設に大損害を及ぼしたけれど、そうした被害を逆手に取ってスクラップアンドビルドを推し進め、施設の増補や改修を推し進めたわ。
これが功を奏して、旧式の機材や設備で不便だった鎮守府が生まれ変わり、最新鋭の整備が行き届いた最上級の堅牢さを誇る鎮守府となったの」
ビス「破天荒な行いが目立つわりには、最終的にいつも美味しいところを頂いていく……さっきも言ったけれど食えない御仁よ。
指輪を貰ってなお、私は彼の器を測りあぐねているわ。時代に名を刻む傑物か……はたまたとんでもないペテン師のどちらかね」
目を細めて笑うビスマルクを不思議そうな顔で見つめる春雨。
春雨(指輪……練度が最大まで高まった艦娘が、限界を超えた力を手にするための道具。
これを受け渡す儀式を“ケッコンカッコカリ”、と呼ぶ……んですけれど。実際どうなんでしょうね、この呼び名は。
私にも、いつか素敵な旦那様と結婚したいという願望はありますが……。それは戦いとは無縁の、愛情による結びつきでありたいなと思いますね)
840 :
【65/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/05(土) 23:41:08.82 ID:XlQ6oFdJ0
薪のくべられた暖炉は勢いよく燃え盛り、パチパチと音を立てている。暖炉の上にはZ旗と日本刀が飾られていた。
窓の外は大荒れの雪模様で、到底出撃などできるような天候ではない。こんな日に限って書類仕事も片付いてしまっていて会議もない。
多忙な蒔絵提督だが、このように年に数回は何もすることのない一日が訪れることがある。そんな日に彼がすることは決まって一つだった。
衣笠「時たま提督はこんな風に執務室でバーを開いているのよ。同じ艦隊のよしみで教えてあげようと思ってね」
春雨「執務室がこんなに様変わりするなんて……随分と大胆に模様替えしましたね。なんだか本格的です」
昨日まで置かれていた執務机はいつの間にか片づけられ、代わりにカウンターバーが設置されていた。カウンター前の椅子に座る春雨と衣笠。
提督「明日にはまた元の執務室に戻っていますからご安心を。春雨は確かここに来る前は柱島泊地に在籍していたと聞いています。
その時の出来事で質問があるのですが……その前に、注文を聞きましょうかね」
衣笠「衣笠さんはこないだのアレがいいな! ハンディー・カム……だっけ?」
提督「言葉の響きはほぼ正解なんですが……恐らくそれはシャンディ・ガフでしょう。承知仕りました」
春雨「あの……私お酒とか全然飲めなくて……」
衣笠「あらら。ゴメンゴメン、誘っちゃって悪かったわね。ノンアルコールのカクテル……なんてないか。オレンジジュースを一つ」
提督「いえ、用意できますよ。もし良ければどうです? あ、お金は取らないので心配しなくて良いですよ。あくまで退屈凌ぎですから」
春雨「じゃあそれでお願いします。けど……司令官にこんな一面があったなんて驚きました」
シェイカー(カクテルを作るための器材。水筒に似た形状をしている)に液体と氷を入れ、それをシャカシャカとテンポよく振っている提督。
衣笠「そういえば私も気になっていたわ。エリート街道まっしぐらのキャリアを歩んできた蒔絵提督がどこでこんな特技を身につけたのか……興味深いわね」
提督「エリート、ですか……はは。傍から見ればそうかもしれませんね、なんといっても天才ですから。
ただ……そんな天才にも悩みを抱えていた時期がありましてね。自分の才能が本当に自分のものなのか疑わしくなったのです」
春雨「……?」
提督「本当は軍人ではなく絵描きになりたかったんです。それで、何をトチ狂ったか軍学校を卒業した後に親の反対を押し切って都会へ飛び出した。
石の上にも三年なんて言葉がありますが、二年と持ちませんでしたよ。成績優秀でもしょせんはボンボン育ち……金銭感覚など皆無、貧乏まっしぐらですよ」
提督「相当な社会不適合者だったようで、バイトをやってもまるで役立たず。でくの坊扱いされて初日でクビになることがほとんどでした。
唯一バーテンダーだけはまともにこなせた業種でしてね……プロのライセンスこそ持っていませんが自信があるんです」
春雨(ハンドスピナーに熱中してその日の仕事が手につかなくなる子供っぽい一面があるかと思えば、会議や作戦指揮では人が変わったように理知的で雄弁になる。
そして今はそのどちらとも違う表情を見せている。ビスマルクさんが言っていたのもなんだか頷けるような気がする……掴みどころのない、不思議な人ですね)
提督「当時は辛くても後から振り返ればこうして笑い話の一つになるんだから人生面白いですよね。さて、どうぞ」
ゴクゴクと喉を鳴らしてジョッキに注がれた液体を飲む衣笠。その横で恐る恐るカクテルグラスに口づける春雨。
衣笠「んふふ、美味しい。衣笠さんこれ気に入っちゃったな〜、普通にビールを飲むよりも好きかも。青葉にも教えてあげたいな」
提督「ジンジャーエールとビールを1:1で割るだけのお手軽レシピなので、自分で作ってみるのもいいでしょう」
春雨「……! これ、甘くて美味しいです」
提督「シンデレラという名前で、オレンジジュース・パイナップルジュース・レモンジュースをそれぞれ1:1でシェイクしたカクテルです。
ああ、そういえばさっきしようとしていた質問ですが……。柱島泊地に妙な歯車を持った人はいませんでしたか? こういう物なんですけど」
ポケットから赤色の歯車を取り出すと、穴に手を突っ込んで人差し指でクルクルと回してみせる。
春雨「いえ……特には。その歯車がどうかしたんですか? 見たところ赤いだけの何の変哲もない歯車のようですが」
提督「そうでしたか。窓位くんから柱島は面白い鎮守府だと伺っていたので、ひょっとしたらと思っていたのですが……やはり無関係でしたか。
実はこれ、アンティキティラ島の機械も裸足で逃げ出すレベルのオーパーツなのですが」
衣笠「? なになに? その含みのある言い方は」
提督「調べたところ、どうにも奇怪な力を持つ道具なようでして。エキゾチックマターの結晶体……とでも言うべきでしょう」
衣笠「エキゾチックバターの結晶? 何それ……って、え?」
衣笠と春雨の前に何の前触れもなく突然じゃがバター(熱したジャガイモにバターを添えた料理)が用意されていた。
提督「かいつまんで言うなれば、現代科学では未解明のエネルギーを持っているということです。詳しいことは謎ですね。
ですが、この力を使えば、衣笠の“バター”という単語を聞いた瞬間にこうして作りたてのじゃがバターを用意することが出来てしまうのです」
提督「この歯車には時間の速さを制御する能力があります。それも任意に、使用者の望むままに時間を支配できてしまうようで。
その力を使った、仕掛けなしのタネあり手品になりますかね。まあとりあえずお食べ」
衣笠「ほぇ〜……美味しそう! いただきまーす」
春雨(だいぶ突拍子もないことを言っている気がしますが……衣笠さんがサラッと聞き流してる様子を見るに、あまりこの鎮守府では驚くようなことじゃないのでしょうか?
柱島も結構独特の雰囲気でしたけど、ここもここでなんだか変わってますね……。それぞれの司令官のキャラクターが鎮守府内の雰囲気にも影響してるんでしょうか)
提督「そうそう、二人のうちどちらか一方で構わないのですが……来週末にちょっと鎮守府の外に出る用事がありまして。
衣笠は別艦隊との合同演習がありましたし……春雨、同行お願いできますか? この国で一番有名なイタリアンレストランに連れて行ってあげましょう」
841 :
【66/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 00:04:12.56 ID:ft0X4ers0
冬晴れの日の昼過ぎ。春雨は提督と共にファミリーレストランに来ていた。
卓上には(店側がミラノ風と自称する)ターメリックライスのドリアや茸の乗ったピザ、ペペロンチーノが並んでいた。
春雨(ここが有名なイタリアンレストラン……! って、ファミレスじゃないですか!)
イタリア料理を提供する、低価格メニューが特長のファミリーレストラン。二人が座る座席から近い壁にはルネッサンス期に描かれた絵画のレプリカが飾られている。
提督「だいぶこちらでの生活も慣れてきた様子ですね。ビスマルクや衣笠が愚痴一つ言わず真面目にやっていると褒めていましたよ」
春雨「いえ、褒められるようなことはしていませんよ……戦闘は苦手ですし」
提督「そう謙遜することもありませんよ。輸送作戦においては敵を撃滅するよりも生き残ることの方が重要ですからね。
人それぞれ得意不得意はありますし、そういった個々の能力を加味して配置を行うのが我々提督の仕事です。殴り合いはビス子にでも任せておけばよいのです」
春雨「ビス子って……怒られますよ。あ、でも、ケッコンなされてたんでしたっけ。じゃあいいのかな……。
司令官はどうしてビスマルクさんとケッコンしたんですか? 馴れ初めを聞いてみたいです」
提督「いや、ビス子って本人の前で言うと普通に怒られますよ。馴れ初め、って〜……ケッコンと言ってもカッコカリですからね。
というか……名前が名前なだけで要は能力上昇アイテムですし。個人的な感情を込めて渡したものではありませんし、向こうもそのつもりで受け取っていますよ」
春雨「えぇ!? そんな……(柱島の乙川司令官と瑞鳳さんはあれだけ熱々だったのに……)」
フォークで麺を絡めながら目を丸くしている春雨。提督はドリアを口に運んだものの、まだ熱かったのか一口目でスプーンを置いてピザを切り分ける。
提督「そんなに露骨にガッカリした反応することありますかね。彼女の働きは素晴らしい、更なる活躍を期待したい。それだけの理由ですよ。
小生に見事と言わしめるほどの戦果を上げれば、春雨にだってそのチャンスがありますよ。まあ、その前にもっと練度を高める必要があるでしょうが……」
春雨「随分ビジネスライクな感じなんですね……」
提督「はい。恋愛的感情と仕事での評価は切って分けるべきでしょう。指輪を渡したからといって婚約者の真似事なんてしたりはしませんよ。
うちの鎮守府は自由恋愛ですからね。彼女も彼女で、良い男性を見つけたらその方と付き合うのが良いと思います」
春雨「じゃあ……司令官は艦娘とのお付き合いは考えてないんですね。結構他の鎮守府だと多いみたいですけど」
提督「艦娘〜……は、そうですねえ。上司と部下という関係を抜きにしてもちょっと無いかなあって感じがしますね。
皆良い子なんですけどね。なんというか……良い子過ぎるんですよ。であるがゆえに、手を出す気にはあまりなれないんですよね」
提督「うーん、好みを言うなれば……人妻とか? 恋愛というのはインモラルな関係ぐらいが丁度いい塩梅だと思うんです。どうせならスリルを味わいたいじゃないですか」
春雨(うわ、最っ低ですね……。人として見損ないました……)
提督「あ! そんな軽蔑の眼差しを向けないでくださいってば。実際に手を出したわけじゃないんですから。あくまで嗜好の話ですよ。
しかし、純真無垢な駆逐艦の子の前でこんな話をするのは失敗の巻でしたね……話題を変えましょう」
提督「こうして執務をサボってまで外に出ているのは、もちろん理由がありましてね。お、そろそろでしょうか……」
レストラン前の駐車場に一台のリムジンが停まる。店のグレードと不釣り合いな来客に店内が少しざわつく。
提督はお構いなしの様子でピザを平らげると、ドリアを食べ進めている。
春雨(私一切れもピザ食べてないのに……)
店内に入ってくるなり二人の隣に座ってきたのは、芯玄元帥と朝潮だった。
提督「ご足労頂きどうも。食事はお先に頂いております」
芯玄「(何もこんなところに呼び出す必要はねえだろうに……)待たせてすまなかったな。オレは……って自己紹介する必要はないか。
ご存知、呉の芯玄とその秘書艦朝潮だ。んで……話を聞きに来たぜ。アンタの考えはどうだ」
春雨(!? 呉の元帥と昼食? そんな重要な話し合いをするつもりだったんですか!? よりにもよってここで?)
提督「春雨に説明しましょう。彼の記憶には、事実との矛盾があるんですよ。小生にとって彼と会うのは二回目なのですが彼にとってはそうではないようです」
芯玄「それだけじゃない。アンタはオレの着任前にラバウル基地で指揮を執っていたはずだ。数回、直接会ったりもしている。
近海の情報を記したノートなんかも渡されてるしな。……というのが、“オレと朝潮の記憶”」
提督「ところがどっこい、小生が横須賀に着任する前は、舞鶴の鎮守府に在籍していました。これは記憶の話ではなく事実です。
……ですが、二人揃ってまことしやかに事実と食い違う話をするものですから、これは妙だと思いましてね」
春雨「あるはずのない記憶……、ですか」
提督「で……これは小生の見解ですが。どちらか一方が間違っているのではなく(というか、小生の言っていることは紛れもない真実なのですが)、
二つの事実が存在しているのではないかと考えています。というのもですね……」
提督「お二方がご結婚なされた日の前後に差出人不明の荷物が届きましてね……それがまあ不思議なもので。見かけの上では歯車の形をした赤色の鉄器なんですが〜」
歯車という単語が出た瞬間、芯玄元帥と朝潮はピクリと反応を示す。
提督「調べてみたところ、どうにも隕石に似た性質をしているのです。この地球上では生成されたとは思えない奇妙な成分が含まれていましてね。
まあ物質としての特徴はそんなもので大したことはなかったんですが……」
芯玄「時間を加速させる能力がある……だろう?」
提督「おや、ご存知でしたか。加速というよりは時間の流れを制御するという方が正しいのですが」
春雨(大事な話をしているのは理解できますが、どうにも蚊帳の外って感じが……。なんで春雨はここにいるんでしょう……)
842 :
【67/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 00:24:11.66 ID:ft0X4ers0
提督「話を戻しますが……どうにもその歯車というのはこの時代に作られたとは考えられないのですよ。
そもそも本当にこの地球で生まれたものなのかさえ疑わしい。別の世界から持ち込まれた、と考える方が自然なぐらいのマジックアイテムでして」
提督「そう! 失礼ながら……貴方がたお二人も、何かの拍子で元々いた世界からこの世界にやってきてしまったのではないかと推測しています。
確たる証拠は提示出来ませんが……芯玄元帥、特に貴方からは妙な違和感を覚えるのですよ。貴方の経歴を少し調べさせてもらいましたが……」
提督「貴方が提督になった後のことはある程度調べがついたのですが……それより前の、提督になる前のことは全く情報が得られませんでした。
その不自然さに、急ごしらえの後付けで経歴が用意されたような違和感があったのです。とはいえ論拠になるほどのことではないですが」
芯玄「多分アンタの読みで正しい。信じられんだろうが、オレと朝潮はかつて異世界を旅する羽目になったんだ。歯車のことを知ったのもそこでの出来事がきっかけだ。
紆余曲折あってどうにか元の世界に戻ってこれたつもりでいたんだが……そうじゃねえ可能性もある。元の世界によく似た世界……並行世界ってやつかもな」
朝潮(元の世界には異世界へと通じるブルーホールがあって、この世界にはそれがない……だから五月雨や陽炎にブルーホールにまつわる噂のことを聞いても知らなかった。
確かに、戻ってきてからのこの世界で起こる出来事は、私たち二人にとって都合が良すぎると感じることはありました。司令官は元帥に昇進し、私は司令官と結ばれ……)
提督「なんと……なるほど、興味深いですね。その時の話を詳しく聞かせてもらえないでしょうか」
・・・・
しばらくの間会話が続いていた。春雨は自分に関係ないと思いながらも、時折相槌を打ちながら話を聞いていた。
春雨(ご飯を食べた後って眠くなっちゃいますよね……なんだか欠伸が出そうです)
掌で口元を覆って小さく口を開ける春雨。眠気からか瞼が降りてきてしまう。
春雨(はっ……いけない。場所が場所とはいえ、司令官同士の会合で居眠りなんてしちゃだめですよね)
ハッとして瞼を開く。いつの間にか会話の声は途絶えていた。というより、三者の動きが止まっていた。目を開けたまま何秒も静止している。
春雨は奇妙に思い店内を見回す。椅子から立ち上がる姿勢のままの客、トレーを持ったまま棒立ちする店員。みな凍りついたようにその場から動こうとしない。
春雨「時間が、止まっている……? そんなことって……」
それは、普段なら気にも留めないような小さな足音だった。
だがそれが無音の世界で唯一の音となると、注意を払わずにはいられない。
足音の主は店の入口方面から近づいてきているらしい。
??「おや……まさかこんな所に来ていたなんて。驚きましたよ」
春雨「蒔絵司令官が……二人……?」
こちらに向かって歩いてくる男性は、春雨と向かい合うようにして座っている蒔絵提督の姿に瓜二つだった。
提督?「ええ、春雨に逢いに来たんです。ふむ……この世界の自分を見るのは初めてですね。まあ次に会うことはないでしょうが」
春雨の知る蒔絵提督のものと同じ声質であるにも関わらず、どこか穏やかで感情の籠った声。
春雨「(一体何がどうなって……?)貴方は何者なんですか?」
提督?「今はまだ不審に思われても仕方がありません。小生は此処とは異なる世界の蒔絵現……自己紹介するならば、それが相応しいでしょうか。
そして春雨も本来この世界の住人ではないのです。“この世界の”春雨は、海の底で喪われてしまったのですから」
春雨(私が、この世界に生まれていない? 本来の春雨は轟沈してしまっている?)
並行世界の蒔絵と名乗る男は、いつの間にか左手に青色の歯車を持っていた。春雨に近づくと右手を差し伸べる。
提督?「今……春雨が元々いた世界とこちらの世界とで、正史が二つ存在している状態になっています。そして……世界はどちらか一方しか残らない。
今から春雨をもう一方の世界に連れて行きます。かつての記憶も取り戻せることでしょう。その上で選んでもらいます。どちらを残すかは貴方に委ねます」
春雨「え……どういうことですか……」
男は左手で青色の歯車をポケットにしまい、水色の歯車を取り出す。混乱しながらも促されるまま男の手を取る春雨。
歯車が光り出した刹那、彼の左手首めがけてフォークが浅く突き刺さる。水色の歯車は男の手から離れて宙に舞い、床に落ちる。
提督「喧嘩はからっきしですが……ダーツは得意でしてね!」
ソファから飛び上がって春雨の手を男から無理矢理引き離すと、地面に落ちた歯車を拾う“止まっていたはずの”蒔絵提督。二人は間もなくしてその場から消失してしまう。
・・・・
提督「ふ〜……自分と同じ姿をした人間に会うというのはなんだか気味が悪い感じがしますね。で、ここはどこでしょうかね」
辺り一面に雪原が広がっている。粉雪がはらはらと舞い降りる、低気圧の昼下がり。
春雨「さぁ……ぜんぜん検討がつきません。並行世界? の蒔絵司令官の話を信じるなら、私が元々いた世界……らしいですけど。
ところで、どうして時間が止まっていたのに動けたんですか? 赤い歯車の力を使ったんでしょうか」
提督「ええ。あまり考えたくはないですが……芯玄元帥と歯車を巡って争いになる可能性も考えていました。
だから歯車の能力で、自分自身に“いかなる干渉も受けず正常に時間が流れ続ける”ようにしていたのです。芯玄元帥や朝潮さんと一緒に止まっているように見えたのは演技でした」
提督「場所を人目の多いファミレスに指定したり、春雨に同行を頼んだのもそういう理由でしたが……まさか異世界の自分と対峙することになるとは思いませんでした。
『世界はどちらか一方しか残らない』――彼の言葉から察するに、小生は近いうちに彼に始末されるのでしょう。まあ、そう易々とやられるつもりもありませんがね」
春雨(自分と同じ姿をしている相手なのに……。今からでも仲良くは出来ないんでしょうか)
提督「お、良い所に人が。そこの少年少女諸君! ちょっと良いかな?」子供の群れに向かって提督が手を振ると、それに気づいた子供たちが駆け寄ってくる
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◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 00:45:25.40 ID:ft0X4ers0
少女A「お姉ちゃんと……メガネのおじさん? どうしたの?」
提督「(おじ……まあいいでしょう)ここからどこへ向かえば街へ行けるか教えてくれませんか? 道に迷ってしまいまして」
少年A「一緒に雪合戦で遊んでくれるならいいよ。どう? お姉ちゃん。と……おじさんもやる?」
提督「いや、おじさんは見ているだけにしましょう。春雨、遊んであげてくれますか?」
春雨「(そんなことしている場合じゃないはずなんですけど……。でも、キラキラした目で見つめられると断りづらい……)わ、分かりました」
雪玉をぶつけ合う子供たちの様子を顎に手を当てながら見守る提督。子供たちは雪まみれになって全力で楽しんでいる様子だったが、春雨は終始困り顔でいた。
また、春雨の着るピンクのカーディガンにはせいぜい降り積もる粉雪が少し付着している程度で、全く雪をぶつけられた形跡が見られなかった。
春雨「ひゃん! ええっ!? 今のどこから……」
春雨の首筋に突然襲い掛かる冷気。服の内側に入り込む、より相手に寒さを感じさせるよう計算された角度からの一撃であった。
艦娘の動体視力と察知能力の高さであれば子供が投げる雪玉など当たりようもない。一体誰がどこから……? 視界の外からの攻撃に驚く春雨。
提督「春雨、一つ提案があります。これでは見ていて何も面白くありません。ですから……勝ち負けのある競技にしましょう。
これは横須賀の艦娘たちと実際に雪合戦をやる際に行うルールなのですが……少し改変を加えまして」
遠方から春雨に向けられる声。いつの間にか雪面に線が引かれていて、コートとなる長方形のフィールドが用意されていた。
両陣に玉を避ける防壁となる雪山(これをシェルターと呼ぶ)が二つ、センターライン上にもシェルターが一基設置されている。
センターラインから最も離れた位置にあるシェルターの脇には太い木の枝が刺さっている。
提督「今回は旗が用意できないので、あの枝をフラッグとみなしましょう。敵陣に配置されたフラッグを奪い取るか、相手チーム全員に雪玉を当てれば勝利。
雪玉を当てられた選手は失格となり退場……これが基本ルールです。ドッチボールとビーチフラッグを混ぜたようなものと思ってもらえればいいでしょうか」
提督「本当は他にも色々あるんですが……春雨個人の戦力が強大すぎるので、今回はシンプルに春雨対子供たち7人での勝負とします。
それに伴い、春雨は7回雪玉を当てられるかフラッグを取られたら敗北という条件に設定しましょう。あ、小生は子供チームの監督をしますのでよろしく」
※補足(日本雪合戦連盟で定められた国際ルールより)
3セット勝負で2セット先取したチームが勝利(1セットにつき3分の制限時間あり)・
1セットに使用できる雪玉の数は予め用意された90個まで(その場で雪を丸めて相手にぶつけるのは不可)
などのルールが競技における雪合戦には存在しているが、今回は変則的な非公式戦のためそういったルールは設けられていない。
・・・・
ラーメンを啜る妖精。たまたま提督の着ている外套のポケットに潜り込んでいた彼女(?)が審判となり、試合は始まった。
春雨(7回まで当たっても平気なら……多少の被弾は覚悟の上で敵サイドに突撃すればいいのでは?)
第二シェルター(後方のシェルター)から雪玉片手に飛び出し、颯爽とセンターシェルター(コート中央に設置されたシェルター)背面まで走り抜ける春雨。
春雨「このまま一気に距離を詰め……なっ! いけない……えいっ!」
春雨の動きと同時に、相手サイドの第一シェルター(前方のシェルター)に隠れていた子供がセンターシェルターを二分するように駆け出してくる。
雪玉を当てて片方の子供を退けたものの、もう一方の子供には回避されてしまう。自陣(春雨の方)の第一シェルターを盾にして雪から身を守っている。
春雨(このままだとフラッグを取られてしまう……まず私の後ろにいるあの子から先に処理しないと……)
センターシェルター上での戦線を放棄し、後方の子供を討ち取ろうと自陣の第一シェルター背面へ回り込もうとする春雨。
またしても春雨の移動に合わせてシェルターに隠れていた子供は動き出し、フラッグへ向かっていく。
春雨「させませんッ! てやっ!」
フラッグへ走る子供に雪玉を命中させる春雨。ほっと息を撫で下ろすが安堵もつかの間、提督の次の一手が襲いかかる。
提督「頃合いでしょう、今です」 手を正面に掲げ、宣誓するように指示する
提督の合図とともにセンターラインを超えて四人の子供たちが突き進んでくる。春雨はこれに応戦して雪玉を当てて二人撃墜したものの、多勢に無勢。
総攻撃によって五発の雪玉を被弾してしまった。これ以上の被弾は危険と判断し、自陣の第二シェルター背面にまで引き下がる。
フラッグを狙いに来た子供を迎撃して返り討ちにするという戦法に切り替えたためだ。じっとフラッグとその周囲を見張る春雨。
春雨(敵は残り三人。あと二回雪玉に当たれば負けとはいえ、ここなら被弾の心配はありません……確固撃破して決着をつけます)
しばらく膠着状態が続いていた戦場だったが、相手サイドの第一シェルター背面に隠れていた一人の子供が姿を現した。
子供は春雨のいるシェルター正面に疾走するが、どういうわけかフラッグのある側と逆方向に近寄ってくる。
春雨(あの子、一体何を……? っ、ここからではシェルターがかえって邪魔になって当てられません……!)
壁越しの子供を仕留めるべく、フラッグ側から身を乗り出して雪玉を当てる春雨。
しかし、春雨もまたこの至近距離では身をかわすことが出来ず、相手の放った雪玉を一発食らってしまい相打ちとなる。
間髪入れずに春雨側の第一シェルターに潜伏していた二人の子供が駆け寄ってくる。一方は今の子供と同じようにフラッグの逆側へ、もう一方の子供はフラッグ側へ。
春雨「挟み撃ちですか、いいでしょう!(意識を集中させれば、逆側の子供の攻撃はかわせるはず。フラッグ側の子供から処理すれば勝つ……!)」
春雨はフラッグ側に走り込んできた子供がフラッグを狙い、逆側の子供はそこに意識を向けた春雨を攻撃しようとしているのだろうと考えた。
しかし結果は予想とは異なった。フラッグ傍まで寄ってきた子供の投げた玉をスレスレで避ける。敵の先制攻撃に動揺しつつも、フラッグ寄りの子供に雪玉を当て反撃。
続けざまに逆側の子供が取った行動は、春雨の背中に雪玉を当てることではなく……。
春雨「(!! 狙いは背後からの奇襲ではなく、フラッグの方……!)……」
春雨の足元からヘッドスライディングしてフラッグを掴もうとする子供。フラッグに触れる寸前、春雨の放った雪玉が子供の手に当たる。
844 :
【69/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 00:58:16.39 ID:ft0X4ers0
子供たちと別れ、最寄りのホテルに泊まった提督と春雨。夜になると雪は溶けて雨に変わっていた。
雪合戦のせいでぐしょ濡れになってしまった春雨はバスルームでシャワーを浴びている。
提督(いや〜……昼間はいいものを見せてもらいましたねぇ、思いの外白熱した試合になって満足です。負けるつもりはなかったんですが……流石は艦娘。
本気を出した時の瞬発力は人間のそれとは比べ物にはならないほど高い、ということですか)
ソファに寝そべりながら本を読む提督。シャワーの音が止むと、しばらくして寝巻姿の春雨がバスルームから出てくる。
提督「髪を下ろしているせいでしょうか。少し大人びた雰囲気がしますね」また本へと視線を戻す
春雨「……司令官は、こんな状況でも全然平気なんですね」
提督「はい、思い悩んでいても仕方ないでしょう。物事はポジティブに考えるのが吉です。異世界への旅なんてそうそう出来るものではありませんから」
能天気な提督の返しに、うんざりしたように首を横に振って深く溜息を吐く春雨。
春雨「司令官は自分勝手です。わけも分からないまま付き合わされて、巻き込まれて……。春雨……なんだか、ちょっと疲れちゃいました」
相当不満が溜まっていたのか、春雨らしからぬストレートな心情の吐露に慌てる提督。ソファから立ち上がると身振りを交えて、自らの見解を早口で伝える。
提督「気に障ったのならすみません。ええと……並行世界の小生から奪った水色の歯車で、元の世界に戻ることは出来るようです。
昼の間に色々実験して分かったことで、雪合戦のコート設営も歯車の能力を試したものだったんです。というわけで、とにかく帰るための算段は立っています。
ただ、向こうの世界の蒔絵現は春雨にこの世界を見せたがっていましたから、元の世界に戻るのはその理由を知ってからでもいいと考えています」
春雨「そういうことじゃないんです。理屈の話なんて、今はどうでもよくて……」
そこまで言いかけて口をつぐむ春雨。提督は沈黙を読み解くべく思考する。
提督(巻き込まれた春雨の立場からすれば言い分はもっともです。しかし、彼女が不満を口にすることなんて滅多にないはずなんですよね……。
そこまで嫌われるようなことしましたっけ。思い当たる節が……)
想起する。ファミレスに連れてきた時のがっかりとした表情を。人妻が好みだと答えた時、この上ない軽蔑の視線を向けられたことを。
芯玄元帥との会話中に終始退屈そうにしていたことを。雪合戦で寄ってたかって雪玉をぶつけられていたためか半泣きになっていたことを。
提督(ありすぎますね……今日一日でこれだけ不興を買っていたとなると、それ以前の恨みも積もり積もって……というわけですか)
提督「春雨が小生のことを嫌いになっても、それは仕方ないと思います。気づかぬうちに春雨を傷つけていたことは謝ります。
元の世界に帰りたいというのであれば、春雨だけ元の世界に戻してあげましょう。小生の顔も見たくないというのなら、別艦隊に転属するよう都合しましょう」
春雨「そんなつもりじゃ……そこまでは言ってないです」
提督「春雨に不満があるというのなら、その意に沿うのもまた上官の役目ですから。よりストレスのない環境に……」
春雨「司令官はどうしてすぐに1か0かで割り切ろうとするんですか。そりゃ……不満は、正直言ってありますよ。
司令官はいつも自分の理屈で動いていて、何も説明してくれなくて、おまけに倫理観もちょっと欠けてるところがありますけど……」
春雨「でも、だからって、顔も見たくないなんて言ってないじゃないですか。好きとか嫌いとかの話はしていないんです。
勝手に決めつけないでください……私の言葉を聞いて欲しかっただけです」
提督「そうでしたか。……」
提督は返すべき言葉が見つからず、それ以上は何も答えることが出来なかった。
・・・・
夕食を済ませた後、提督もシャワーを浴びてパジャマに着替える。その間二人は会話らしい会話をせず、やり取りは一言二言交わす程度の淡白なものだった。
提督が照明のスイッチを切ると、二人はそれぞれのベッドに寝転んだ。並んで置かれた二人のベッドの間には窓があり、雪明かりの仄かな光が差し込んでいる。
提督「今から話すのは、独り言です。眠れないから喋っているだけなので軽く聞き流してください。迷惑だったら黙りますから、言ってください」
春雨から背を向けるようにして布団に包まっている提督。
提督「……本当は、小生は提督にはなりたくなかったんです。前も話したように、絵描きを志していて。
百年後の未来に残るような、人の心を揺さぶる作品を残したかった。今になってみれば青臭い夢です」
提督「結局のところ、挫折して絵筆を折ってしまいましたがね。四角四面の、お手本通りの空虚な作品にしかならなくて……。
貧しくて続けられなかったのもありますが、それ以上に、無価値な自分の作品と向き合うのが辛くて耐えられませんでした」
提督「それでも後悔はしていないんです。挫折して絵筆を折りはしました。さりとて……キャンバスを用意することはできる。
人と人とが紡ぐ色とりどりの輝きをこの目で見ていたい。それが今の小生の望みなんです」
雪溶けの雨が降り止んだのか、提督の言葉が止むと穏やかな夜の静謐で満ちる。窓の外では俄かに冬空の星が輝いていた。
提督「……提督という立場は、人のことがよく見えるんです。人が何に悲しみ、何に怒り、何に喜ぶか。
そしてそうした感情をどのように表現するか。小生の立場からはそれがよく見えるのです」
提督「人の数だけ感情があり、人の数だけ思考があり、人の数だけ表現があるのだと、常々思い知らされます。今もそう。
小生一人で生きていては、見ることの出来ない視点を与えてくれる。それが小生にとっての学びであり、生きる糧でもあるんです」
提督「春雨が正直に思っていることを伝えてくれたのは、参考になりました。春雨の言葉を解釈して、自分なりに思ったことを口にしてみたんですが……。
なんというか……うまく伝えられたのかは分かりません。理屈じゃない話は不慣れで難しくて……不器用ですみません」
提督「って……もう寝てますか。まあいいでしょう、独り言ですし……」
春雨「起きてますよ。……ねえ、司令官」
845 :
【70/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 01:17:47.89 ID:ft0X4ers0
春雨「今から話すのは、独り言です。だから、寝たふりをして聞いていてください」
ふふ、と悪戯っぽく笑って、提督の方を向くように寝返りを打つ春雨。
春雨「司令官の気持ち、とってもよく伝わりました。春雨が欲しかったのは、説明でも説得でもなかったんです。
司令官の感情の乗った言葉が……春雨の胸にきちんと届きました。春雨に心を開いてくれているんですよね……」
春雨「さっきは司令官に自分勝手だなんて言いましたけど、春雨の方も、不安で少し気が立っていました。ごめんなさい。
今も、これからどうなるのかは何も分からないままですけど……それでも、少し気持ちが落ち着きました」
春雨「春雨は……起こる全てのことには意味があると信じてます。今の自分がやっていることが無駄だなんて思いたくないんです。
だから……こうして別の世界にいることも、そこに司令官と一緒にいることも……意味はあるんです」
言い切る春雨。背を向いていた提督だったが、仰向けになって天井を見つめながら呟く。
提督「意味、ですか。……そうですね」
眠気からか思考が鈍り、ふわふわした具体性のない言葉のやり取りが続く。時に饒舌に、時に寡黙に、とっ散らかった考えと想いをぶつける。
意識が遠退いて夢心地から深い眠りに落ちるまでの間、二人は取り留めのない独り言――もとい、ふたりごとを交わして過ごした。
・・・・
朝がおぼろに明けると、朝食をコンビニのサンドイッチで済ませてホテルを出る二人。
春雨「ここがこの世界のラバウル基地ですか。えっと、とにかく暑いですね……」
水色の歯車には、物質を瞬時に転送する能力がある。昨日雪合戦の合間に行っていた実験で提督が導き出した結論だった。
二人は水色の歯車の力を使ってテレポートし、赤道付近に位置するラバウル基地までやってきたのだった。
提督「瞬間移動でやってきたのは良いとして、この格好で来たのは間違いでしたねぇ……」
熱々のホットコーヒーが入った紙コップを片手に外套を着込んでいる提督と、手袋にマフラーの春雨。
東の空に浮かぶ太陽は熱を帯びた光を放っている。二人は汗を流しながら基地領内の施設を訪れた。
提督「建物の中は涼しいですね。しかし、この設備の充実具合は横須賀に匹敵するのでは……」
施設の分析を交えながら廊下を歩く二人。執務室の前で鮮やかな水色をした長髪の少女と鉢合わせする。
五月雨「蒔絵提督! 遠路遥々ご苦労様。ご無沙汰してます、五月雨です。あっ、春雨! 久しぶり!」
ぎゅむと春雨に抱きつく五月雨。春雨に耳打ちする提督。
提督「春雨、知り合いですか?」
提督にだけ伝わるように首を横に振る春雨。
五月雨「お二人とも、どうしてそんなに暑そうな格好しているんですか? 我慢大会の練習ですか?」
春雨「そ、そんなところです……」
提督「それより芯玄心紅という人物を知っていますか? 彼についての話を聞きたいのですが」
注意を逸らすように話に割り込む提督。芯玄という名前が出た途端、五月雨は少し気落ちしたような態度を見せる。
五月雨「芯玄少将……ですか。以前この鎮守府を管轄していた提督で、とても尊敬していました。
二年前……近海調査の際に行方不明になられて、それっきりです。居なくなる直前に、陽炎や不知火たちと会っていたそうなんですが……」
提督「(昨日芯玄提督と話した内容と合致している。やはり……ここは芯玄元帥が本来居た世界でしょう)そうですか。
では、蒔絵現が現在管轄している鎮守府はどこだか分かりますか? あ、申し遅れました。小生の名は蒔絵 空(マキエ ソラ)。彼の双子の弟なのです」
双子の弟というのは口から出まかせのハッタリだったが、五月雨はこれを信じた。
五月雨「へぇ〜! そうだったんですか。とってもよく似てるから全然気づきませんでした! 現さんは横須賀鎮守府のトップとして活躍しているそうですよ」
提督「そうですか、ありがとうございます。ではお礼に……」
提督「芯玄提督は生きていますよ」 五月雨の耳元で囁く
驚き目を丸くしている五月雨をよそに、春雨を連れて足早に立ち去ろうとする提督。しかし邪魔が入り、呼び止められる。
??「フン……蒔絵元帥か……。此処で出くわすとは驚いた。久しいナ」
執務室の扉を内側から開ける真っ白な腕。不健康という言葉が似つかわしい、尋常でない白さだ。
提督と春雨の二人は少し違和感を覚えながらも、五月雨とともに招き入れられて部屋の中に入る。
??「ドウシタァ……? 集積のやつみたいな恰好をして。マァゆっくりしていくといい。茶でも出そうカ」
執務机に座る白いパーカーに黒いインナーを着た女性。プラスチック容器に入ったアイスコーヒー……と呼ぶには黒すぎる液体をストローから啜っている。
これだけなら(鬼のような黒色の角が生えている点を除けば)艦娘と大差ないが、腹部から飛び出している異形はどう足掻いても言い訳ができない。
白色の蛇のようにうねる口のついたグロテスクな怪物。春雨ぐらいなら一息で呑み込んでしまいそうなほどの大きさだ。間違いなく彼女は深海棲艦だった。
提督(……何度か戦ったことがある。彼女は重巡棲姫。数ある深海棲艦の中でも上位クラスの脅威……のはずなのですが、何故ここに?)
二人の様子を不思議そうにじーっと見つめる重巡棲姫。視線に恐怖したのか、春雨は無意識のうちに蒔絵提督の手をかたく握る。
蒔絵提督はポーカーフェイスを貫いていたが、滝のように流れる冷や汗を止めることは出来なかった。戦慄、いわゆる蛇に睨まれた蛙だ。
846 :
【71/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 01:35:53.73 ID:ft0X4ers0
五月雨「あっ。じゃあ私お茶汲みますね。それと、彼は蒔絵元帥じゃなくて、その双子の弟だそうです」
手早く室内に置かれたミニ冷蔵庫から2リットルサイズのポットを取り出し、コップに注いで提督と春雨に手渡す五月雨。
汗で流れた水を補うために勢いよく飲み干した提督だが、どうにも様子がおかしい。春雨が見たことのない、カエルのようなギョッとした表情をしている。
提督「めんつゆじゃないかー! ……ゴホン、失敬。あまりにも、その、麦茶にしては独創的な味をしていたもので」
重巡姫「五月雨……こないだ流しそうめんをやっただろう。アレの残りダナ。容器に移しておけとは言ったものの……」
五月雨「ああっ!? ごめんなさい!! 麦茶はこっちでした!」 提督と春雨に再度麦茶を注いだ別のコップを渡す
春雨(さっきの飲まなくてよかった……じゃなくて! 艦娘と深海棲艦がこんな親しげにやり取りをしてるなんて……。どういうことでしょう?)
重巡姫「そういえば、蒔絵元帥の弟……だそうだガ。何用だ? わざわざここに来る理由があったのだろう」
提督「……ええ。芯玄提督という人物について尋ねようと思っていたのです。以前ここに在籍していたそうなので」喉を鳴らして麦茶を飲む
重巡姫「名前は聞いた覚えがある。……二年前に行方不明になった提督だったカ。彼には悪いことをしてしまったな……謝るつもりはないが。
あの時の我らにとっては、正しい行いだった。人艦全てを滅ぼすことが、あの時の我々にとっては正義だったのだからナ」
提督(……? 少なくとも二年前は深海棲艦と対立していたが、その後は交友関係を築けるようになった……ということでしょうか。
あくまでこの世界では、の話ですが……。しかし、どういうカラクリでこうなったのかを知れば、元の世界に戻った時も役立つかもしれません)
重巡姫「しかしダ、あれだけ近海で深海棲艦に襲われることはそうないはず……どうにも不可解な点が残る失踪だったとは思うガ」
五月雨「……」少し考えるような素振りを見せるものの、黙っている
提督「軍の仕事に就いてからまだ日が浅いものでして……、貴方がた深海棲艦と和解に至った経緯を教えてもらっていいでしょうか」
重巡姫「まだ一年程度しか経っていないしなァ……事情を知らぬ者が居ても不思議ではないカ。確かに、深海棲艦は艦娘――ひいては人類と敵対していた。
人間の精神を構成するのは知性・意志・感情の三要素……かつての深海棲艦には、それらの要素が部分的に欠落していたためだ」
重巡姫「艦娘らに痛撃を与えるための知識はあっても、艦娘と人類を滅ぼした後の世界で何かを築こうという先見性を持った知恵はない。
救いを求める者、破壊を望む者、復讐を果たそうとする者……それぞれ、妄執のような動機には突き動かされているものの、それは自由意志とは言えない。
苦しみはあれど喜びはなく、焦燥はあれど安堵はなく、憎しみはあれど愛はない……深海棲艦は、その精神性において人類に劣っていた」
提督「随分はっきりと言い切りましたね……」
重巡姫「だが今は違う。呪いが解けた、とでも言うべきか。いつそうなったのか、なぜそうなったのか、原因は分からないガ……深海棲艦は進歩したのダ。
人間らしい比喩表現を用いるなら、蓮が泥の中から花を咲かせた、というところカ。……闘争に虚しさを覚える者が現れた。
復讐や破壊よりも価値のあるものを見つけた者が現れた。人間と友好を築こうという者が現れた」
提督(しかし何がきっかけかは分からない、というわけですか……残念ですね)
重巡姫「……無論、深海棲艦と人類との間には未だ因縁が存在するがナ。“自らの意志で”人類に相対する深海棲艦も少数ながらいる。
私のように人類に従うフリをして取って代わる機会を伺っている者もいる。一方艦娘や人間の側も、こちらのことを快く思っていない者はいるだろう」
提督「人類に従うフリって……そんなこと話してしまって良いんですか? だいぶフレンドリーにあれこれ教えてくれていますが」
重巡姫「そうダナ。蒔絵元帥には恩がある。仮に深海棲艦の時代が来たとして、少なくとも彼と彼に縁のある人間が苦しむような真似はしない。
それに……侵略というのも建前だ、今は案外この暮らしも気に入っている。受け入れてくれたここの連中には報いてやりたいと考えていてナ」
春雨(この世界の蒔絵司令官は、艦娘や人間と深海棲艦との関係改善に努めていたのでしょうか。そうだとするなら……案外話が通じる人なのかもしれません)
提督「報いる……とは? 人類と迎合せず戦い続ける道を選んだ深海棲艦の数は少ないのでしょう。技術提供などでしょうか?」
重巡姫「我々深海棲艦の目覚めとともに、新たなる敵が現れた。美談を抜きにして語るなら……深海棲艦が人の側に与しているのはそのためだ。
艦娘や人間よりも脅威となる存在が現れた。三つ巴で殴り合っていては奴らが独り勝ちしてしまう。だから手を貸している、敵の敵は味方というわけダナ」
重巡姫「名称は正式には決まっていないが……軍内では“反存在”などと呼ばれている。可視ながら非実体の、人の形をした悪意を持った何かだ。
奴らは人や艦娘、深海棲艦が“存在していたという事実ごと”消失させてしまう。忌まわしき存在ダ……」
重巡姫「奴らには砲雷撃や空爆といった従来の攻撃が通用しない。もちろん肉弾戦もだ。ただし……精神的な念を込めた攻撃に限っては効果がある。
裏を返せば、奴らに存在を打ち消されないほどの強い想念さえあれば、堅牢な装甲を貫く巨砲も、空を埋めつくすほどの艦載機も必要ないのだがナ……」
提督(実に興味深い……詳しく話を聞いておきましょうか。……深海棲艦を凌ぐ敵、か)
・・・・
長い間照りつけていた太陽もようやく沈み、提督は浜辺で夕涼みをしていた。膝を抱えて座り、波の揺らぎを眺めていた。
春雨が近づいてきたことに気づくと、少し疲れたような声で話しかける。着替えを誰かから借りたのか、春雨はTシャツ姿だった。
提督「また春雨を置いてけぼりにして話し込んでいましたね……申し訳ない」
春雨「あれは仕方ないですよ。それより、混ざらなくて良いんですか?」
火をつける前の手持ち花火を両手に握る春雨。少し離れた場所から楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
提督「ええ、小生は遠慮しておきます。楽しんでいらっしゃい」
春雨が離れていくのを確認し、提督は深く溜息を吐く。
提督(艦娘と深海棲艦との調和が成された世界、ですか。……あくまで“この世界での”事象とはいえ、そんな未来が起こり得るなんて予想もしていなかった。
だが、それ以上に驚いたのは……その深海棲艦をも超える敵が居るということ。……)
847 :
【72/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 01:56:56.34 ID:ft0X4ers0
提督(あの“反存在”というのは……結局のところ深海棲艦と代わりない。それが艦娘および艦の念ではなく、万物普遍の念に代わったというだけのこと。
黒色無地の小人のような形態が一般的なようですが……深海棲艦でいうところの重巡棲姫のような、いわゆる“ネームド”の存在はより個性を持った姿をしている)
提督(それらは、生物や静物……ひいては概念が擬人化されたものだった。戦車や戦闘機のような兵器を模した個体、剣などの武器を模した個体、獣を模した個体……。
果てには信仰を失い忘れ去られたかつての神を思わせるものや、草木や風雨といった自然そのものを体現しているような個体まで……)
提督(人が生み出した万物に魂が宿るというのなら。人が認識したもの全てに何某かの念が宿るというのならば……。
そしてそれらが、怨念となって人に仇なすというのなら……畢竟、人が滅び文明が潰えるまで戦いは終わらないのではないでしょうか)
遠くで聞こえる声も、波の音も気にならなくなるぐらいに深く思考する。考えていたのは、もう一人の自分についてだった。
提督(この世界の蒔絵現の目的とは? 小生のいた世界にちょっかいをかけに来た理由が分からない。『春雨に逢いに来た』、そう言っていましたか。
……春雨が何かしら特異点的な役割をしているのでしょうか? 芯玄元帥と朝潮さんから欠けた青色の歯車を奪っていたのをみるに、歯車の回収も理由の一つでしょうか)
提督(自分と同じ姿をしていようと、どうにか出し抜いて利用してやるつもりでいましたが……重巡棲姫から話を聞いて、それが難しいことを思い知らされましたね。
彼の根城であるこの世界の横須賀鎮守府まで行って調べるまでもない。戦略や指揮の的確さにおいて……彼は小生の数十手先を行っている。智謀においても、恐らく)
提督(勝てない相手に挑んだところで意味がない。彼の要望に沿う形で“オリる”のが正しいのかもしれません。
……歯車と春雨を差し出せば、どうあれ命乞いぐらいにはなるでしょうか。しかし……そこまでして生に執着して何の意味がある?)
提督(絵描きの夢を諦めた時点で、既に死んだも同然の人生だった。それが、たまたま提督になれて少し豊かな暮らしを出来ていただけのこと。
……今更命を惜しむ理由もないでしょう。優先すべきなのは納得の行く答えだ。彼が正しいのなら、道を譲ればいい。そうでなければ、退けるだけ)
ちょんちょん、と提督の背中をつつく小さな指。振り返ると春雨がいた。
春雨「小さく震えていたから、泣いていたのかと思っちゃいました」
提督「泣いていた……? 悲しくないのに涙なんて出ませんよ。これは……そう、武者震いですよ」
春雨「そうですか……。重巡棲姫さんと話をしている間、最初の方は興味津々な様子だったのに、終わりの方では時折悩ましげな表情を浮かべていたので……。
ちょっと司令官のことが心配だったんです。でも、そんな気配りは不要でしたね……杞憂で良かったです」
提督「ええ。それと、そのことなんですが……。これから先、元の世界に戻って一段落着くまでは、空(ソラ)と呼んでもらっていいですか。
蒔絵空……そう呼んでくれませんか。その、あちらの世界に居るであろうの蒔絵現と紛らわしいので、差別化の意味でね」
提督「空というのはかつての雅号だったんです。画家として大成したわけでもないのに雅号なんて、見栄っ張りも良いところですけどね」
アハハと乾いた笑いを浮かべた後、ズボンについた砂を払い、海原を背にして立ち上がり春雨の方を振り返る提督。
昇りゆく白い月は仄暗い水面を照らし、空を藍色に染めていた。
提督「小生は、現よりも空と名乗りたい。一度は捨てた名前でしたが……それでも、蒔絵空でありたい。蒔絵空として生きていたい。
そう思ったから、震えていたんですよ。……って、春雨に話しても何のことだか分からないでしょうがね」
春雨「そう呼んで欲しいならそうしますけど……春雨の司令官は、司令官だけですから。それに変わりはありませんよ」
提督に火のついていない手持ち花火を差し出す春雨。
春雨「『人と人とが紡ぐ色とりどりの輝きをこの目で見ていたい』でしたっけ。司令官のその言葉が、ずっと胸に残っていて。
私たちのいた世界とは違えど、この世界の中でも……春雨はその輝きを見ました。艦娘と深海棲艦の間に、新しい可能性を見出しました」
春雨「だから、司令官にもそれを見て欲しいなって思いました。その……」
差し出された花火を受け取る提督。フフ、とにやけ交じりの笑みを浮かべて、眼鏡越しに春雨を見つめる。澄んだ瞳をしていた。
提督「なぜ、春雨が特別な存在なのでしょうね……。分かるような、分からないような……不思議な感じがします」
春雨「えっ、それはどういう……?」
提督「ああいや。そうだと決まったわけではないんですがね。せっかくの春雨の誘いを無碍にするわけにも行きませんし、では混ざるとしましょう」
戸惑った表情を浮かべる春雨を置き去りに、花火をしている集団の方へ歩いていく提督。
・・・・
翌日。提督と春雨はこの世界の蒔絵現の意図を探るべく、横須賀鎮守府に潜入していた。
提督「真冬の雪原から常夏の島へ、そしてまた氷点下の港へ……体調を崩してしまいそうですね。
時差ボケするほど離れた場所でなかったのは幸いですが。今日で元の世界に戻りますよ、大体情報は出揃いましたからね」
春雨「時間にすると2泊3日、ですか……。長かったようで短かったですね」
提督「まあ鎮守府では失踪騒ぎで大変なことになってると思いますけどね。芯玄元帥にも迷惑をかけているでしょうし。
ただ、小生一人が欠けて機能しなくなるほど横須賀はヤワではありません……またメチャクチャ叱られた後に平謝りの連発で済むでしょう」
春雨「今回は仕方ないとはいえ……相変わらず悪びれない態度ですね。そういう所も嫌いじゃありませんが」
提督「おや……春雨に褒められるとは、なんだか新鮮な感じがしますね。ありがとうございます」
春雨「ち、ちがっ……。そのふてぶてしさが、一周回って逞しいなと思っただけです。……」
褒めるつもりが無かったのに無意識のうちに出た言葉に、気恥ずかしさを覚える春雨。
提督「さてと……春雨? 春雨……?」
提督の呼びかけに応じず、その場に棒立ちする春雨。彼女の澄んだ瞳の中に、小さな映像のようなものが高速で駆け巡っている。
848 :
◆Fy7e1QFAIM
[saga sage]:2017/08/06(日) 02:03:15.38 ID:ft0X4ers0
(あとまだ10レスあるんですけども……さすがに眠気がきつくなってきたので寝ます。昼頃には復活してると思います……)
849 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 08:38:38.00 ID:8c7bjoetO
一旦乙
850 :
【73/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga sage]:2017/08/06(日) 12:59:44.52 ID:ft0X4ers0
提督「一体、彼女の身に何が……? 声をかけても揺さぶっても反応がない……」
??「お疲れ様でーす。噂の春雨さんを連れて来たとなると、万事片付いたということでしょうかね」
提督(……どう答えるべきでしょうか? この世界の蒔絵現に近しい立場の人物ではあるようですが……)
背後からの呼びかけに対し、振り返らずに名前を尋ねる提督。
??「やだなあ。声で分かりませんでした? 窓位ですよ。窓位聖人ですってば」
提督(窓位くん……? 確か舞鶴に配属されたそうですが。この世界ではそうならず横須賀に着任した、ということでしょうか)
名前を聞いて反転する蒔絵提督。綿飴を咥えた、長身痩躯で栗色の髪をした美男子が立っていた。隣にはこれまた背の高い黒髪の艦娘が立っている。
窓位「ん? どうかしました? きょとんとしちゃってらしくないですね。ひょっとして……実はボクの知ってる蒔絵元帥じゃなくて、向こう側の蒔絵提督だったり?」
提督「……そうだと言ったらどうなりますかね? 命ぐらいは見逃してくれますか」
春雨と手を繋いでポケットの中にある水色の歯車に手をかけ、いつでも逃げ出せるよう備える蒔絵提督。
窓位「命? ハハ、まさか。歓迎しますよ! こっそり赤い歯車を渡した甲斐がありました。ここに来るまでにどんな物語があったのか……お話を聞きたいです」
提督(赤い歯車を小生に渡したのは、この世界の窓位提督だったのでしょうか? ということは……敵ではない、と解釈していいのでしょうかね)
・・・・
鱗雲が遠くに浮かぶ秋の空。潤った地面に乾いた風が吹き抜ける。色づいた落葉樹が頭上を鮮やかに彩る。黄色と赤の世界。
紅が濃くなった落ち葉から順に、はらはらと地へ落ちていく。あと二週間もすれば冬が訪れるのだろう、そう感じさせる秋の終わりの景色だった。
五月雨「綺麗ですね……。ラバウルに行く前に良いものが見れました、ありがとうございます。素敵な思い出になりそうです」
鎮守府敷地内の森。普段は誰も訪れないようなこの場所が、今日は艦娘で賑わっている。
レジャーシートを複数枚敷いて、いくつかの集まりに分かれて談笑していた。
提督「お礼なら春雨に言ってください。彼女の提案なんですから」
春雨「お花見とはまた違った雰囲気でいいですね。なんだか気持ちが落ち着きます」
提督「心が穏やかな気持ちになるでしょう。気のせいではありません。あ、木のせいではあるんですが」
由良「提督さんがダジャレを言うなんて……珍しいこともあるんですね」 ステンレス製の水筒を持って紙コップに緑茶を注ぐ
提督「ダジャレを言ったつもりはないのですが……樹木が発する化学物質をフィトンチッドと呼び、これは人間に安らぎを与える効果があると考えられているのです。
有害な微生物や害虫から身を守るために発する自己防衛の物質だそうですが……不思議なもので、人間にとっては森の香りとして心地よく感じられるのです」
提督「マイナスイオンと一緒で、きな臭い部分もありますがね。ビジネスが絡むと途端に話に尾ひれがついてしまうものです」
由良から紙コップを受け取って茶を啜る提督。うっすら見える白い湯気が東雲へと昇っていく。
五月雨「でも……やっぱり落ち着くのは木のせいだけじゃないですよ。こんなに穏やかな表情の提督は初めて見ました」
由良「ですね。普段のクールな態度も頼もしくてカッコいいですけど……オフの日はこんな感じなんですね。なんだか意外です」
提督「小生とて常に気を張り詰めているわけではありません。ただ、鎮守府にいるとどうしても義務や責任と向き合わなければなりませんからね」
春雨「司令官は……自分を曝け出そうとしないだけで、本当はとっても心の優しい人なんです。今日ピクニックを提案したのは、それを皆に伝えたかったのもあるんです」
五月雨「春雨は提督といつもつきっきりでしたもんね! 蒔絵提督のことを一番よく知ってるんじゃないですか」
提督「そうかもしれませんね。春雨はとても優秀ですよ。小生の隣は彼女にしか勤まりませんから」
無意識のうちに立ち上がる春雨。耳の先を紅葉のように赤く染めている。
春雨「そ、そんな……褒め過ぎですよ。本当はいつも不安で……司令官のお役に立てているかずっと不安だったんです。
春雨が司令官に相応しい艦娘なのか、ずっと不安だったんです。……他にも良い人がいるんじゃないかって」
提督もまた立ち上がり、春雨の小さな体を包み込むように抱擁する。身を寄せる春雨。
提督「春雨の代わりはいませんよ。小生にとって特別な存在なのですからね」
色とりどりの落ち葉が風に舞って夕空に浮かぶ。暖かな幻想の景色。縋りつくように提督を抱き返す春雨。
提督「と……ここで伝えるには少々大胆過ぎましたね。みんな驚いた顔しちゃってますし」
提督の言うように、周囲の艦娘らは皆ぽかんと口を開けていた。
浮ついた話の一切ない淡泊な蒔絵提督と、鎮守府内ではこれといって名が知れているわけではない春雨との組み合わせであるから無理もない。
春雨は提督を抱き締めていた腕を解き、頬を染めて俯いている。
由良「なんというか……バッチリ見せつけられちゃいましたね。日頃とのギャップがすごいですが……まあ、良いんじゃないでしょうか。こういうのも」
五月雨「うんっ、たしかにお似合いだと思いますよ」
妙な祝福ムードのまま観楓会(かんぷうかい:楓など紅葉を鑑賞する集まりのこと)兼宴会は続いたが、やがて、一人また一人と人が離れていく。
片付けが終わった後の夜更けに、春雨は提督を先ほどの森へと呼び出していた。とうに虫のさざめきも途絶えた秋の暮れ。
ライトアップされていた紅葉も、明かりが消えてしまえば宵闇に紛れて何色か分からなくなる。春雨は一人、森の中で提督のことを待っていた。
851 :
【74/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga sage]:2017/08/06(日) 13:27:41.31 ID:ft0X4ers0
森閑を自らの足音で掻き消すような急ぎ足で春雨に駆け寄る提督。
提督「もう夜も遅いじゃないですか。どうしました? 宴なら終わったでしょう。じきに雨が降る……」
天を仰ぎ見る。月を覆う銀の雲が薄墨の空を駆ける。風の流れは速く、長雨の気配が漂いだす。
春雨「さっきの言葉に……偽りはありませんか。春雨が特別だって言ってくれましたよね」
提督「嘘偽りのない本心の言葉ですよ。それでも、まだ不安ですか?」
春雨「司令官が春雨を特別だって言ってくれて、嬉しかったです。本当に嬉しかった……抱き締められた時、とても幸せな気持ちになりました。でも……」
ぽつり、ぽつり、と楓が零す涙のように滴る露の音。音に気づいた提督は持っていた番傘を開いて春雨を招き入れる。
傘の中で向かい合う二人。背筋を伸ばして顔を上げ、提督を潤んだ瞳で見つめる春雨。
春雨「司令官が春雨のことを想ってくれているのは、前から分かっていたんです。これだけ長い間二人で一緒に居るんですもの……伝わりますよ。
でも……司令官が見ているのは、本当に春雨のことなのかな、って怖くなってしまうんです……。こんなに司令官に愛してもらっているのに、それでも……」
春雨「春雨が、春雨じゃなかったら、司令官はどう思うんだろうって……あはは。ヘン、ですよね……どうしてこんなことを考えてしまうんでしょう」
黒いシルクの手袋で目元の雫を拭う春雨。怯えるように小さく震えていた。
春雨「司令官はいつも、春雨のことを大事に想ってくれるはずなのに……時折、春雨の向こうにあるものを見ているような目をしていて……。
それは、春雨だけど、春雨じゃないんです。私のことじゃない……そんな風に思ってしまう時があるんです……」
提督「……。ごめんなさい……春雨」
持っていた傘を放して、泥に塗れることすら厭わずに膝を折り、春雨と背の高さを合わせるようにして両腕で力強く抱き締める。肘が冷たい雨に濡れる。
春雨「嬉しいんです。とても嬉しくて、胸が暖かい気持ちで溢れて、想いでいっぱいになるんです……だから、いいんです。これは春雨のわがままなんです。
永遠なんてないですから……。いつかは司令官と別れてしまう……そのことが恐ろしくて、離れたくなくて。だからせめて、今の春雨を見て欲しいんです」
提督「永遠さえも……この手に掴んでみせましょう。春雨と、共に在るためなら……」
春雨「……?」
提督「春雨と共に在り続けるための、“永遠の王国”を創ってみせましょう。……そこで共に生きましょう」
・・・・
執務室に案内された蒔絵提督。棒立ちのまま動かなくなった春雨は隣の仮眠室で横になっている。
窓位「……蒔絵元帥の目的は“永遠の王国”を創ること。誰もが王となる世界――そこでは、万人が各々の望みを叶えられる……理想が世界に先んじて現実化する世界。
簡単に言うと意志が具現化する世界の創造……ってところかな? それがあの人の最終目的。全てはそのための行動」
提督「先刻経緯を説明した通り、小生は君の言うあの人ではありません。蒔絵現であって蒔絵現ではない……だからこその蒔絵空。
“永遠の王国”なんてもの、生まれてこの方思いついたこともありませんでしたよ。で、質問なのですが。なぜ小生にこの話を?」
提督「いいえ……理由なんてものはこの際どうでもいいでしょう。その“永遠の王国”とやらのために、蒔絵現は何をしようとしているんですか?」
窓位「キミがこの世界に来る時に使った水色の歯車や……今は向こうの世界にあるであろう青色の歯車。ボクが今持っている紫色の歯車。
これらの“理(ことわり)の歯車”を集めて、全ての世界から“反存在”を消し去ること。これがあの人の計画の第一弾ってところだね」
窓位「歯車にはそれぞれ世界を揺るがしかねないほどの大きな力が備わっている。だけどそれは一つの世界に限定された話なんだ。
使用者が現存する世界にのみ影響する。だから、強力な道具ではあるけれど、異世界からやってくる反存在に立ち向かうには不十分なものなんだよね」
窓位「でも……全ての歯車を集めることが出来れば、どんな世界の時空も制御できる。反存在を消し去ることだって可能になる。
だから芯玄提督を異世界に飛ばして赤と青の歯車を集めさせた。ここで事件が起こったんだけど……その前に。まずはこれを見て」 机の引き出しからノートを取り出す
≪時間を司る歯車≫
【赤色の歯車】制御:対象の時間の流れる速さを制御する(加速や減速)
【緑色の歯車】停止:対象の時間を停止させる
【青色の歯車】遡行:対象の時間を巻き戻す
≪空間を司る歯車≫
【水色の歯車】転移:対象を任意の場所へ瞬時に移動させる
【紫色の歯車】改変:対象となる事実や情報を書き換える
【黄色の歯車】修復:対象から失われたものを復元させる・状態を再生する
提督(小生が持っているのは赤と水色の歯車。蒔絵現が持っているのは青と緑。紫は目の前の彼が持っていて、黄色は不明……ですか)
窓位「これが理の歯車の一覧。いずれにしても使用者の意志に応じて任意の働きをする、とっても都合のいい道具だね。
ま、当然使い方を誤ると大変なことが起こるわけで……」 ページをめくる
【時の終点】
時間を司る歯車の能力で世界を著しく改変すると発生(本来起こるはずだった歴史的事象を改竄するなど)。
時間の流れなくなった世界であり、空間およびその中の物質が不可視無形のエネルギーとなった状態で存在している。
やがて異なる時間軸を迎え入れて、新たな運命の用意された世界が生成される。
【空間の終点】
空間を司る歯車の能力で世界を著しく改変すると発生(社会や文明が機能不全になるほどの物理的破壊をもたらすなど)。
物質の存在しない虚無の世界であり、存在を保ったままここに辿り着くことは出来ないため、あくまで仮想のものである。
反存在はここから生じていると考えられる。
窓位「あの人――この世界の蒔絵元帥は、芯玄提督を水色の歯車の力で赤・青の歯車がある別の世界へ飛ばした。
で、芯玄提督は時の終点を経由して、その二つの歯車を手にすることに見事成功した。そのままこっちの世界へと戻すはずだったんだけど……」
852 :
【75/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga sage]:2017/08/06(日) 13:58:30.70 ID:ft0X4ers0
窓位「突然だけど……赤色の絵の具と青色の絵の具を混ぜたらどうなるでしょうか?」
提督「“紫”ですね。芯玄提督が手に入れた歯車は“赤”と“青”。……!」
窓位「ご明察。芯玄提督と彼に同行していた朝潮、この二人の願望に呼応した歯車は、あちらの世界を彼らにとって理想となる世界に作り変えてしまった。
この世界を模してはいるものの、根本的には彼ら二人のために生まれた世界……それがキミの生まれた世界になるってことだね。
それでどうして二人の手から赤い歯車が離れたのかは分からないけど……まあ彼と朝潮には必要ないものだったからかもしれないね」
窓位「で……彼らにとって理想の世界とは言ったけれど、紫色の歯車と同様に、自分たちから離れれば離れるほどに影響力は弱まる。
直接自分に関係しない出来事に干渉したりするのは難しいんだ。だから、この世界でも争いや奪い合いは起こってしまうんだ。
ボクが紫色の歯車を持っていたとしてもね。……大体の説明は終わり。扶桑! あれを」
扶桑が持ってきたのは、黒い漆塗りの小箱だった。
窓位「元の世界に帰るまで、これを決して開けてはいけないよ。……っていうのはウソウソ! まあこの世界で使うのは極力辞めて欲しいけどね。
入れ物が入れ物なだけに家具コインが入ってそうだけど、中身は紫の歯車だよ。これであの人にも対抗できるはずだ」
提督「なぜこれを……? 『赤い歯車を渡した』とも言っていましたが、君は小生に何を望んでいるのですか? 随分手助けをしてくれているようですが」
窓位「キミに何かを望んでいるわけじゃないよ。あの人の理想には、賛同できる部分もある。だから協力していたし、今もしている。
けれど……あの人はこの世界で生まれた人じゃない。便宜上“この世界の蒔絵元帥”と言っていたけど、更に異なる世界からやってきた人なんだ」
窓位「そこであの人が何を見てきたか、何を経験してきたかは想像でしか窺い知ることは出来ない。
小の虫を殺して大の虫を助けるという言葉もあるし、あの人にとってキミはやむを得ない犠牲の一つなのかもしれない。でもボクはそうは思わない」
窓位「世界から消え去ってしまっていいものなんて何一つ無いはずなのさ。ボクはそう信じてる。
だから、あの人に手を貸す一方で、隙を見てキミを助けたりもする。これがボクなりのスタンスだ」
提督「ありがとう。君がいなければ、小生は何も知らずに消えていくところでした。お礼がしたいのですが」
窓位「そうだなあ。じゃあ、向こうの世界の窓位聖人が喜びそうなことをしてもらおうかな。
キミに託したその紫の歯車のおかげで、ボクはこれまで十分幸せで居られたからね」
提督「分かりました。必ず果たしましょう(しかし……窓位くんがもし成長したのなら、こんな容貌になっていたのでしょうかね。
妬けるぐらいに美男子でしたね……。中身はそっくりそのまま向こうの窓位くんと同じだった、というのがまた面白いところですが)」
・・・・
ベッドから身を起こす春雨。時計の針の進み具合と外の景色から、自分は半日ほど眠っていたのだと推測する。
窓の外の銀世界は、斜陽に照らされて枯れた菊の花のように昏い黄色に染まっていた。
提督「目を覚ましましたね。お待たせしました。早速元の世界へ戻りましょう」
春雨「司令官……じゃない、ええっと。……私の司令官、って……?」
提督「何やら混乱気味な様子ですね。まだ調子が優れませんか?」
窓位提督から貰った飴玉を口に放ると、ベッド脇の椅子に座る提督。顎に手を当てて不思議そうな様子で春雨を見つめる。
春雨「夢……じゃない、あれはきっと。幻覚でもなくて……。記憶が戻ったんです。今までの記憶が……映像のように流れてきて。
この世界での出来事も。それよりずっと前の世界のことも……。あぁ……えっと、春雨は。私は」
胸に手を当てて、自分の中での思考を整理するようにゆっくりと話す春雨。
ふと床に視線を落とすと、彼女は自分の黒い影法師がとても長く伸びていることに気づいた。
春雨「この世界で“私”は生まれ育ちました。でも、記憶はもっと前の世界の“春雨”から引き継いだものだったんです。
この世界での記憶やそれより前の世界での記憶は、あちらの世界に行った時に喪失してしまいましたが……今、全てを思い出しました」
提督(蒔絵現が春雨に対して執着のあるような口ぶりだったのは、記憶を継ぎ接ぎしながらも自身の傍に居続けたから、というところでしょうか。
それほど彼にとって重要な存在である春雨が、なぜこの世界のコピーであるあちら側の世界に居たのかが疑問ですね)
春雨「春雨は、最初は一人の春雨だったんです。人格と記憶で、二つに分かれて……私はその記憶の方で。司令官……あ、いえ。現さんでしたね」
提督「変に気を遣わなくていいですよ。記憶の戻った春雨からしてみれば、彼が本当の意味での“司令官”ということなのでしょう。
(少し寂しいような気はしますけど、ね)……それより、その先の話を聞きたいですね」
春雨「時系列を追って説明します。この世界に春雨が生まれました。でも、それはまだ“私”と呼ぶには不完全で。
司令官と一緒に過ごしながら、少しずつこの世界に生まれる前の記憶を呼び覚ましていったんです」
春雨「ですが……こちらの世界の“私”の記憶が不完全なまま私のコピーが生まれた結果、“私のコピー”の方が記憶を取り戻していくようになったんです。
一方で、“私”の記憶は不完全な状態のままで回復が止まってしまいました。私は、司令官の知る“春雨”になり損ねてしまったんです……」
提督(蒔絵現の表現を借りるなら……あちらの世界の春雨が基本となる『正史の』春雨に成り代わってしまった、ということでしょうか)
春雨「私の記憶が戻らなくなったことを、司令官に知られたくありませんでした。もしそのことで司令官から見放されたら、きっと私は壊れてしまうから。
向こうの世界の春雨が“春雨”でなくなれば、また“私”に記憶が戻るようになると考えた私は……」
春雨「司令官の目を盗んで向こうの世界の春雨に手をかけました。“春雨”を沈めたのは、私自身だったんです」
提督は、彼女の真っ直ぐな瞳が綺麗だと常々思っていた。何者にも染まらない薔薇色の煌めきが美しいと感じていた。
彼を視界に捉えながらも彼を映してはくれないその紅玉に気高さを感じていた。提督は今になってようやく理解した。
彼女の持つ曇りの無さすぎる澄み切った光の正体は、純粋すぎるが故の狂気そのものだったのだと。
春雨「そして、思惑通り全ての記憶を取り戻しました。幻滅しましたか? ……でも、真実です。これが“春雨”になりきれなかった“私”の本性なんです」
853 :
【76/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 14:20:07.04 ID:ft0X4ers0
春雨「そう……“私”は記憶を手に入れても、“春雨”にはなれませんでした。だって、私が本物の“春雨”だったら……そんなことはしなかったでしょうから。
事が終わってから、我に返って気づいたことです。“私”は、司令官の愛情を失うことを怖かっただけの、ただの艦娘に過ぎなかった……」
春雨「私は司令官に全てを打ち明けました。それから、あちら側の世界で過ごすことにしたんです。全ての記憶を消して、“春雨”としての人格を獲得するために……。
私から“私”を消して自分を“春雨”で塗り潰せば……私は“春雨”になれる。そう考えたんです」
春雨「でも、染みついた“私”は消えなかった。記憶が戻った今、それをようやく悟りました」
この時になって、それまで顔色一つ変えずに淡々と喋っていた春雨の表情が変わった。悲愴と諦めの混ざった沈鬱な面持ちだった。
しかし、提督はこれをただ悲しみに沈んでいるだけの表情だとは思わなかった。悔しさを押し殺しているようにも見えたからだ。
提督「小生は貴方のやったことを否定も肯定もしません。ですが……あちらの世界の春雨を犠牲にしてでも、貴方は“春雨”に成り代わろうとしたのでしょう?」
経緯がどうであれ、貴方は“春雨”として生きることを背負ったんです。そうすることを選んだのは“貴方”でしょう。
今更になって自己憐憫などくだらない。それで“貴方”のために犠牲になったあちらの春雨が浮かばれるのですかね」
春雨の感情を焚きつけるように冷ややかな言葉を投げかける提督。彼女の心を傷つけてしまう自覚はあったが、それも承知の上だった。
彼らしからぬ、苛立ちを露わにした態度で春雨を詰る。
提督「自分という人格を打ち消してでも蒔絵現という人間に愛されたかった、その愛を失うことが怖かった、さしずめそんなところでしょうが。
……くだらない。自分で矛盾に気づいていたではありませんか。『春雨だったらそんなことはしなかった』って。貴方は“貴方”でしかない」
提督「蒔絵現の記憶の中にいたかつての“春雨”と、この世界で生まれた“貴方”とで、違いが生まれるのは当たり前の話。時代や環境で人は変わるものです。
そうであったとしても……貴方が“春雨”であろうとなかろうと、蒔絵現を愛していることに変わりなんてないのでしょう?」
提督「蒔絵現が、貴方を“貴方”として見ているか“春雨”として見ているかは知りません。貴方が“春雨”と違うと知るやいなや、失望するかもしれません。
ですが……本当に彼を愛しているというのなら、それでも貴方自身の愛情が揺らぐことはないはずです。貴方は“貴方”として自分の愛を貫けばいい」
沈黙。言葉を何も返そうとしない春雨。泣いているわけではないようだったが、その表情は見るからに苦悶しているようだった。
提督は深呼吸をした後に小さくのびをして、椅子から立ち上がる。春雨に背を向けると、ハンガーにかけていた黒い外套を羽織って、軍帽を深めに被る。
提督「らしくないですね。いつになく熱くなってしまいました。ま、これは自分自身に投げかけている節もあります。ブーメランなんですよ、吐いた言葉は自分に帰ってくる。
小生は今、自分が一度捨てた名前である“蒔絵空”と向き合っているんです。あのまま絵描きとしての人生を真っ当して野垂れ死にしていた方が良かったんじゃないか、とね」
提督「ただ……『起こる全てのことに意味がある』でしたか。小生も今はそう信じたいと思います。あの時の貴方の言葉から、少し勇気を貰えたんです」
夕陽が沈みかけ、部屋は薄暗くなっていた。提督は春雨の方を向くことなく、水色の歯車を作動させた。
提督「では、これでお別れです。言いたいことも言えましたし。もう次に逢うことはないでしょう」
春雨「え……どうして、ですか……?」 俯いていた顔を上げて訊ねる
提督「蒔絵現は問いかけるはずです。この世界と、あちらの世界と、……貴方ならどちらを選ぶか。聞くまでもないですよね。
春雨にとってこの世界には彼との思い出があるわけですから。なら、貴方はこの世界に残っているべきです」
歯車が光り出し、空間に歪みが走る。
提督「たとい小生の生まれた世界が貴方や彼にとってはこの世界の模造品だったとしても、小生にはあの世界を守る使命があります。
だから……決着をつけに行くんです。貴方と一緒に居られて楽しかったですよ。さようなら」
振り返って春雨の方を向き、笑顔で手を振る提督。
・・・・
数日前に訪れたファミレス前。尻餅をついている提督。
提督「あたた……。とりあえず戻れましたが……なんで着いてきちゃったんですか」
提督が消えていく刹那、春雨は彼に飛びついたのだった。春雨が離れると、身を起こして服に着いた雪を払う提督。
春雨「自分でも分かりません……」
うぅーん、と困ったように小さく唸ったが、それ以上は訊ねようとしない提督。ポケットから紫色の歯車を取り出し、水色の歯車とともに再度強く握りしめる。
二つの歯車が呼応して光を放つ。振っていた粉雪が逆流するように天へと昇っていく。雲の切れ間に隠れていた太陽は天頂から顔を覗かせると東の空へ沈んでいった。
提督(やはり……ですか。赤色と青色の絵の具が交われば、紫色になる。これが窓位提督から教わったこと。
一方で……“水色”の光と“紫色”の光が重なれば、“青色”の光となる……!)
提督(赤と水色のような、時間の歯車と空間の歯車との組み合わせでは何も起こらないようですが……。
赤・緑・青色の時の歯車が二つあれば、対応する空間の歯車の能力を。
水色・紫・黄色の空間の歯車が二つあれば、対応する時間の歯車の能力を補うことが可能……)
提督(春雨が着いて来てしまったのは予想外でしたが……時間を巻き戻して、この場所を訪れる蒔絵現と対峙します。
時間を遡行することで、恐らくこの水色の歯車は蒔絵現の下に戻ってしまうでしょうが……それでも問題ない)
晴れた冬の日。冷たく乾いた風が吹き抜ける。雪に埋もれた枯草が小さく揺れている。
建物の陰に隠れてもう一人の自分がここに来るのをじっと待つ。
・・・・
止まった時間の中で蒔絵現と邂逅を果たすと、正面から歩み寄る空。
現「ふむ……この世界の自分を見るのは初めてですね。まあ次に会うことはないでしょうが」
空「フフ……“前”もそう言っていましたけどね。おっと、貴方と争うつもりはありません。交渉をしに来たのです」
854 :
【77/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 14:53:20.71 ID:ft0X4ers0
現「止まった時間の中で動けるということは何かしら歯車を持っているということ。
真っ向からやり合えば、こちらにもリスクはあるか……話は聞いてあげましょう。どうするかはその上で判断します」
空「この世界と、貴方や春雨の居る世界……二つは似すぎている。であるがゆえに今、正史が二つ存在している状態になっている。
だから、歯車を揃えて全ての時空から反存在を消し去っても……もう片方の世界ではそれが行われなかったことになってしまう。
反存在を消失させても“失敗した側の”正史を経由して反存在が残存してしまう、ということでよろしかったでしょうか」
空「彼我の世界、どちらかが邪魔になる。だから春雨に残す方を選ばせる……これが貴方の考え、ですよね」
現「……何も知らないと思っていたのですが、流石は小生の映し鏡。並行世界のコピーと侮っていましたが……よくそこまで辿り着けましたね。
では話が早い。貴方がそこまで知っているということは……春雨も記憶を取り戻したのでしょう? この場で春雨から答えを聞くことが出来そうですね」
春雨は黙ったままで、二人のやり取りを固唾を呑んで見守っていた。
空「いいえ、その必要はありません。どちらの世界も滅びずに済む方法があります。全ての理の歯車が必要になることは変わりませんが……」
空「反存在が存在を打ち消そうとする働きを持つなら……反存在を打ち消そうとする意志を持った概念が生まれればいいのです。
小生が全ての時空で反存在を抑止し続ける思念体になります。どうでしょうか? そちらにとっても不利益のない提案だと思うのですが」
現「ふむ……確実性に欠けるという問題はありますが、提案自体は悪くありません。貴方にそれだけの強い意志があるというのが前提条件ですが。
口先だけならどうとでも言える。小生を欺こうとしている可能性もある……貴方の言葉が本物かどうかを試させてください」
・・・・
現が水色の歯車を掲げると、空間の裂け目に吸い込まれて二人はその場から消えてしまった。
その場に取り残された春雨は、ファミレス前にリムジンが停車していることに気づき、芯玄元帥と朝潮の二人が店に入る前に呼び止めた。
芯玄「……艦娘のようだが、一体どうした? 蒔絵提督の配下なんだろう。奴はどこにいる?」
春雨「……その、蒔絵司令官なんですが、今はどこかに行ってしまっていて。戻ってくると、思います……」
春雨(二人がどこかに消えてしまいました……。空さんは司令官と争う意志が無くても、司令官はそうではないかもしれない。お互い無事だといいのですが)
芯玄「なんだ? どうにも不明瞭だな。まあいい……店の中に居ないということは分かった。ここで待つとしよう」
道路沿いに設置されたベンチで座る朝潮と春雨。芯玄提督はベンチから少し離れた位置で腕組みしながら直立し、周囲の様子を気にかけていた。
春雨(空さんが言っていた『全ての時空で反存在を抑止し続ける思念体になる』って、つまり……世界を守るために自分が犠牲になるってことですよね。
空さんという存在は失われて、私の記憶からもこの世界からも永遠に居なくなってしまうってことですよね……。そんなの、嫌です……)
朝潮「どうしましたか? 怯えているような表情をしていましたが」
春雨「怯えている? 私が、ですか……?」
朝潮「貴方の背景も、蒔絵大将についても何も知りませんが……佇まいでなんとなくそう思ったんです。違うようでしたらすみません。
ただ……私はかつて、自分が自分でなくなってしまうような錯覚を感じるほどの、強い不安に駆られたことがあるんです」
朝潮「……今の貴方もまた、そういう不安の中にあるのかもしれない、なんて思ったんです。ただの勘ですが」
朝潮の直感どおり、春雨の胸中には様々な不安が渦巻いていた。どうすればいいか分からない、という途方に暮れた気持ちを抱えていたのだった。
春雨「失うことが怖い気持ちを……どうやって乗り越えましたか? どうすれば乗り越えられますか?」
朝潮「幸いなことに、朝潮には司令官が居てくれました。司令官の存在が励みとなって勇気を貰えたんです。
私も自分一人の力で乗り越えられたわけではありませんから、アドバイスが難しいのですが……」
朝潮「貴方に何か大事な心の拠り所があるのなら、それを強く想い、信じ抜けばいいと思います。
自分の中にある想いを信じることが出来れば、自分自身だって信じられるはずです。恐れすらも超えていける……そう思います」 照れくさそうに微笑する
春雨(……今、この瞬間、一番強く想うことは)
春雨(たとえそれがこの世界を守るためだったとしても……空さんには居なくなって欲しくない。犠牲になんてなって欲しくない……!)
パン! と思い切り自分の頬を叩く春雨。隣にいる朝潮が驚いて心配するほどの勢いだった。
春雨「私が……全部守ります。空さんのことも、この世界も、私たちの世界も……。何一つ犠牲になんてさせませんから」
・・・・
現と空がいる場所は、反存在に立ち向かうための訓練場のようだった。ここでは、精神のエネルギーがそのまま実体となって出力される。
空の肩や腕からは真っ赤な血が噴き出していた。ただし、実際に空の肉体が損傷したわけではなく、この血は彼が負った精神的消耗が可視化されたものだった。
意志と意志がぶつかり合えば、その分互いの精神は磨耗する。この空間で戦っている間は、精神の苦痛がそのまま肉体の痛みに変換されるのだ。
現「貴方が反存在を食い止めるための人柱になる……という話も、貴方があちらの世界に生まれた自分自身でなければ信用できたのですが。
小生が逆の立場であったなら、自己犠牲などという選択は取りません。命あっての物種、物語は生きてこそ続く……死ねばそれまで」
手の中から剣を生成し、空に斬りかかる現。跳び退って距離を置き、空もまた生成した数本のナイフを投擲して牽制する。
空「フ、それが貴方の哲学ですか。そうだったとしても……小生は蒔絵現であって蒔絵現ではない。貴方とは違う」
現は迫りくるナイフを次々に弾き飛ばしながら接近し、剣を振り下ろした。
空はこれをナイフで防ぎ鍔迫り合いに持ち込んだ。刃がじりじりと空の身に近づいてくる。
現「もう終わりですか? この程度でへばっているようでは、反存在に一人で立ち向かうことも難しいと思いますが」
855 :
【78/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 15:22:22.96 ID:ft0X4ers0
現「止まった時間の中で動けるということは何かしら歯車を持っているということ。
真っ向からやり合えば、こちらにもリスクはあるか……話は聞いてあげましょう。どうするかはその上で判断します」
空「この世界と、貴方や春雨の居る世界……二つは似すぎている。であるがゆえに今、正史が二つ存在している状態になっている。
だから、歯車を揃えて全ての時空から反存在を消し去っても……もう片方の世界ではそれが行われなかったことになってしまう。
反存在を消失させても“失敗した側の”正史を経由して反存在が残存してしまう、ということでよろしかったでしょうか」
空「彼我の世界、どちらかが邪魔になる。だから春雨に残す方を選ばせる……これが貴方の考え、ですよね」
現「……何も知らないと思っていたのですが、流石は小生の映し鏡。並行世界のコピーと侮っていましたが……よくそこまで辿り着けましたね。
では話が早い。貴方がそこまで知っているということは……春雨も記憶を取り戻したのでしょう? この場で春雨から答えを聞くことが出来そうですね」
春雨は黙ったままで、二人のやり取りを固唾を呑んで見守っていた。
空「いいえ、その必要はありません。どちらの世界も滅びずに済む方法があります。全ての理の歯車が必要になることは変わりませんが……」
空「反存在が存在を打ち消そうとする働きを持つなら……反存在を打ち消そうとする意志を持った概念が生まれればいいのです。
小生が全ての時空で反存在を抑止し続ける思念体になります。どうでしょうか? そちらにとっても不利益のない提案だと思うのですが」
現「ふむ……確実性に欠けるという問題はありますが、提案自体は悪くありません。貴方にそれだけの強い意志があるというのが前提条件ですが。
口先だけならどうとでも言える。小生を欺こうとしている可能性もある……貴方の言葉が本物かどうかを試させてください」
・・・・
現が水色の歯車を掲げると、空間の裂け目に吸い込まれて二人はその場から消えてしまった。
その場に取り残された春雨は、ファミレス前にリムジンが停車していることに気づき、芯玄元帥と朝潮の二人が店に入る前に呼び止めた。
芯玄「……艦娘のようだが、一体どうした? 蒔絵提督の配下なんだろう。奴はどこにいる?」
春雨「……その、蒔絵司令官なんですが、今はどこかに行ってしまっていて。戻ってくると、思います……」
春雨(二人がどこかに消えてしまいました……。空さんは司令官と争う意志が無くても、司令官はそうではないかもしれない。お互い無事だといいのですが)
芯玄「なんだ? どうにも不明瞭だな。まあいい……店の中に居ないということは分かった。ここで待つとしよう」
道路沿いに設置されたベンチで座る朝潮と春雨。芯玄提督はベンチから少し離れた位置で腕組みしながら直立し、周囲の様子を気にかけていた。
春雨(空さんが言っていた『全ての時空で反存在を抑止し続ける思念体になる』って、つまり……世界を守るために自分が犠牲になるってことですよね。
空さんという存在は失われて、私の記憶からもこの世界からも永遠に居なくなってしまうってことですよね……。そんなの、嫌です……)
朝潮「どうしましたか? 怯えているような表情をしていましたが」
春雨「怯えている? 私が、ですか……?」
朝潮「貴方の背景も、蒔絵大将についても何も知りませんが……佇まいでなんとなくそう思ったんです。違うようでしたらすみません。
ただ……私はかつて、自分が自分でなくなってしまうような錯覚を感じるほどの、強い不安に駆られたことがあるんです」
朝潮「……今の貴方もまた、そういう不安の中にあるのかもしれない、なんて思ったんです。ただの勘ですが」
朝潮の直感どおり、春雨の胸中には様々な不安が渦巻いていた。どうすればいいか分からない、という途方に暮れた気持ちを抱えていたのだった。
春雨「失うことが怖い気持ちを……どうやって乗り越えましたか? どうすれば乗り越えられますか?」
朝潮「幸いなことに、朝潮には司令官が居てくれました。司令官の存在が励みとなって勇気を貰えたんです。
私も自分一人の力で乗り越えられたわけではありませんから、アドバイスが難しいのですが……」
朝潮「貴方に何か大事な心の拠り所があるのなら、それを強く想い、信じ抜けばいいと思います。
自分の中にある想いを信じることが出来れば、自分自身だって信じられるはずです。恐れすらも超えていける……そう思います」 照れくさそうに微笑する
春雨(……今、この瞬間、一番強く想うことは)
春雨(たとえそれがこの世界を守るためだったとしても……空さんには居なくなって欲しくない。犠牲になんてなって欲しくない……!)
パン! と思い切り自分の頬を叩く春雨。隣にいる朝潮が驚いて心配するほどの勢いだった。
春雨「私が……全部守ります。空さんのことも、この世界も、私たちの世界も……。何一つ犠牲になんてさせませんから」
・・・・
現と空がいる場所は、反存在に立ち向かうための訓練場のようだった。ここでは、精神のエネルギーがそのまま実体となって出力される。
空の肩や腕からは真っ赤な血が噴き出していた。ただし、実際に空の肉体が損傷したわけではなく、この血は彼が負った精神的消耗が可視化されたものだった。
意志と意志がぶつかり合えば、その分互いの精神は磨耗する。この空間で戦っている間は、精神の苦痛がそのまま肉体の痛みに変換されるのだ。
現「貴方が反存在を食い止めるための人柱になる……という話も、貴方があちらの世界に生まれた自分自身でなければ信用できたのですが。
小生が逆の立場であったなら、自己犠牲などという選択は取りません。命あっての物種、物語は生きてこそ続く……死ねばそれまで」
手の中から剣を生成し、空に斬りかかる現。跳び退って距離を置き、空もまた生成した数本のナイフを投擲して牽制する。
空「フ、それが貴方の哲学ですか。そうだったとしても……小生は蒔絵現であって蒔絵現ではない。貴方とは違う」
現は迫りくるナイフを次々に弾き飛ばしながら接近し、剣を振り下ろした。
空はこれをナイフで防ぎ鍔迫り合いに持ち込んだ。刃がじりじりと空の身に近づいてくる。
現「もう終わりですか? この程度でへばっているようでは、反存在に一人で立ち向かうことも難しいと思いますが」
856 :
【78/100】>>855はミスですすみません
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 15:28:57.19 ID:ft0X4ers0
ナイフを剣から離すと、剣は真っ直ぐ空に向けて振り下ろされる。しかし、その斬撃には怯まず現の腹にナイフを突き刺す。思わず一歩後方に退く現。
現実であれば双方ともに致命傷となりかねないほどの傷を負っていたが、ここではどちらかの精神が折れるまで戦いが終わらない。
空「その言葉、そっくりそのまま返して差し上げましょう。この程度の威力しか出せない信念で、貴方の志す“永遠の王国”とやらに辿り着けるとでも?」
痛みを意に介さず場内を駆け回り、次々にナイフを生成しながら一定の距離を保ちつつ現を攻撃する空。
現「艦娘と人類の未来……そこに希望はないという結末を、小生はあらゆる世界で観測し続けてきました。
深海棲艦に敗れた結末、艦娘が排斥され人類と対立するようになった結末、艦娘が必要とされなくなり奴隷として扱われるようになっ結末……」
現「救いのある未来が続くであろう世界に辿り着いたと思っても……そんな世界の存在ごとなかったことにされてしまった。
それでも、理想の世界を小生は求め続ける。今度こそ全てを終わらせる……その一心で今も戦い続けている。ここで捨て鉢になっている貴方とは違う!」
現が剣を振り上げると、眼前にあった大量のナイフが一瞬で消し飛んだ。すさまじい速さで振り上げられた剣の衝撃が風を生み、全てを弾き飛ばしたのだ。
空がそのことに気づいた瞬間にはもう現の刃が自分の身体に刻まれていた。さすがに応えたのか、喀血しながらその場にへたり込む空。
空「ぐ……。ハァ……そうでしょうね。……勝てないことなど、分かっていましたよ。
貴方が小生より優秀で強い人間だということも……こうなる前から知っていたことです」
剣についた血を振り払う現。レンズの割れた眼鏡越しに現を見上げる空。
現「確かに、貴方が反存在を滅ぼす者に成り代わるという提案をしていなければ、小生はどちらかの世界を滅ぼすつもりでした。
そして……場合によっては貴方のことも始末していたでしょう。貴方が小生に提案したこと自体は間違いではなかった、むしろ賢明だと評価しています」
現「ですが、反存在を抑止するための人柱……何もわざわざ自らそれになる必要はなかったのではありませんか?
その役目は別の誰かでも良かったはずです。貴方の智謀であれば他の誰かを犠牲にして生き残ることが出来たでしょうし、小生であればそうしています」
血の混じった唾、というよりは唾の混じった血を吐き捨てて、脇腹の傷を抑える空。
空「貴方とは違う……そう言ったでしょう? 小生は蒔絵、空……。今この瞬間に生の充足を感じられている。その実感さえあればいい。
小生にはもはや、失うものなど何もない。捨て鉢になっていると言われれば、その通りかもしれませんが……でも、これでいいんです。
こうなるために生まれてきたのだ……そう考えれば納得できるのですよ。死ぬには十分過ぎるほど生きた、とね……。これは損得や理屈の話ではないのです」
現「分かりました……貴方の覚悟と信念を認めましょう。ならば、貴方が世界を救う存在となるべきなのでしょう……」
・・・・
芯玄「おい、誰かがこっちに向かってきてる。……何者かは分からんが、明確な意志を持ってこっちに向かってるようだ。偶然ではねえ」
朝潮と春雨の座るベンチに戻ってきて状況を報告する芯玄元帥。二人は立ち上がって武装を展開したが、すぐに解除することになった。
涼金「何度か時間が止まったような感覚を察知したが……“まだ”何も起こっていないようだな。なんとか間に合ったというわけか。おや……?」
秋月「蒔絵元帥、護衛に推参致しました! 秋月です! ……って、春雨がなんでここに!?」
春雨「え? どうして秋月さんと涼金さんが……?(『なんでここに!?』はこっちの台詞なんですが……)」
秋月と、涼金さんと呼ばれる白髪の少年――二人は春雨にとって見覚えのある人物だった。
春雨(秋月さんは、柱島時代に私がとてもお世話になった人で……戦場では何度も助けられました。涼金さんはあまり素性は分からないけれど……秋月さんの恋人だそうで。
見た目は少年のようですが、とても物知りで大人びている方だったと記憶しています。なぜ柱島から二人がここに……?)
秋月「……こういう、色のついている歯車に心当たりはありますか?」
秋月が黄色い歯車を見せつけると、反応を示す一同。
涼金「聞くまでもないような態度だな。経緯は省くが……数日前、時間を止める能力を持つ緑色の歯車が奪われたことを察知した。
そして、その時間を止める能力を持った者はこの近くにいる。目的は分からないが恐らく元帥を狙っているのだろう。まずはこの場から一刻も早く離れ……」
涼金を静止するジェスチャーをし、春雨の方を見遣る芯玄元帥。
春雨「待ってください、春雨が全てを説明します。信じられないかもしれませんが……聞いてください」
春雨「この世界とよく似た並行世界があるんです。私はそこで生まれました。
その世界では今、深海棲艦ではなく“反存在”という敵が脅威となっています。
この“反存在”というのは、この世界に存在していたという事実ごと抹消してしまう、恐ろしいものです」
秋月「まさか……! いえ、……とにかく話を続けてください。詳しく聞きたいです」 涼金と顔を見合わせる
春雨「この“反存在”に対抗する手段は、意志や信念といった強い念の籠った攻撃で退けることが出来ますが……根絶やしにすることが出来ません。
なぜなら、反存在はこの世界や並行世界とも別の異世界からやってくるものだからです。……最悪の場合、並行世界は反存在に呑まれて消えてしまうでしょう。
そしてそれはこちらの世界にとっても無縁ではない話。この世界での反存在の被害はまだ少ないようですが……それは並行世界が被害を受けているからです」
春雨「ですが……それももう猶予はありません。この世界にも、もうすぐ本格的に反存在が侵攻してくるようになることでしょう」
涼金「一つ聞きたい。それだけ知っているのなら……なぜ柱島に居た間、誰かにそのことを伝えなかった?」
春雨「ごめんなさい。事情があって並行世界からこの世界に移り住んでいたのですが……その間は並行世界での記憶を失っていたんです。
この世界が反存在に侵されるようになるまでのタイムリミットが来たら元の記憶を取り戻すよう、艤装の情報に設定されていたんです」
春雨「でも……反存在を消し去る方法もあります。秋月さんや朝潮さんの持っている歯車のことを“理の歯車”というのですが。
単体では自分の居る世界にしか変化を及ぼすことが出来ませんが……複数あれば影響力は強まります。
六つある歯車を揃えたなら……全ての世界から反存在を消滅させることが出来るでしょう」
857 :
【79/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 15:54:40.69 ID:ft0X4ers0
ナイフを剣から離すと、剣は真っ直ぐ空に向けて振り下ろされる。しかし、その斬撃には怯まず現の腹にナイフを突き刺す。思わず一歩後方に退く現。
現実であれば双方ともに致命傷となりかねないほどの傷を負っていたが、ここではどちらかの精神が折れるまで戦いが終わらない。
空「その言葉、そっくりそのまま返して差し上げましょう。この程度の威力しか出せない信念で、貴方の志す“永遠の王国”とやらに辿り着けるとでも?」
痛みを意に介さず場内を駆け回り、次々にナイフを生成しながら一定の距離を保ちつつ現を攻撃する空。
現「艦娘と人類の未来……そこに希望はないという結末を、小生はあらゆる世界で観測し続けてきました。
深海棲艦に敗れた結末、艦娘が排斥され人類と対立するようになった結末、艦娘が必要とされなくなり奴隷として扱われるようになっ結末……」
現「救いのある未来が続くであろう世界に辿り着いたと思っても……そんな世界の存在ごとなかったことにされてしまった。
それでも、理想の世界を小生は求め続ける。今度こそ全てを終わらせる……その一心で今も戦い続けている。ここで捨て鉢になっている貴方とは違う!」
現が剣を振り上げると、眼前にあった大量のナイフが一瞬で消し飛んだ。すさまじい速さで振り上げられた剣の衝撃が風を生み、全てを弾き飛ばしたのだ。
空がそのことに気づいた瞬間にはもう現の刃が自分の身体に刻まれていた。さすがに応えたのか、喀血しながらその場にへたり込む空。
空「ぐ……。ハァ……そうでしょうね。……勝てないことなど、分かっていましたよ。
貴方が小生より優秀で強い人間だということも……こうなる前から知っていたことです」
剣についた血を振り払う現。レンズの割れた眼鏡越しに現を見上げる空。
現「確かに、貴方が反存在を滅ぼす者に成り代わるという提案をしていなければ、小生はどちらかの世界を滅ぼすつもりでした。
そして……場合によっては貴方のことも始末していたでしょう。貴方が小生に提案したこと自体は間違いではなかった、むしろ賢明だと評価しています」
現「ですが、反存在を抑止するための人柱……何もわざわざ自らそれになる必要はなかったのではありませんか?
その役目は別の誰かでも良かったはずです。貴方の智謀であれば他の誰かを犠牲にして生き残ることが出来たでしょうし、小生であればそうしています」
血の混じった唾、というよりは唾の混じった血を吐き捨てて、脇腹の傷を抑える空。
空「貴方とは違う……そう言ったでしょう? 小生は蒔絵、空……。今この瞬間に生の充足を感じられている。その実感さえあればいい。
小生にはもはや、失うものなど何もない。捨て鉢になっていると言われれば、その通りかもしれませんが……でも、これでいいんです。
こうなるために生まれてきたのだ……そう考えれば納得できるのですよ。死ぬには十分過ぎるほど生きた、とね……。これは損得や理屈の話ではないのです」
現「分かりました……貴方の覚悟と信念を認めましょう。ならば、貴方が世界を救う存在となるべきなのでしょう……」
・・・・
芯玄「おい、誰かがこっちに向かってきてる。……何者かは分からんが、明確な意志を持ってこっちに向かってるようだ。偶然ではねえ」
朝潮と春雨の座るベンチに戻ってきて状況を報告する芯玄元帥。二人は立ち上がって武装を展開したが、すぐに解除することになった。
涼金「何度か時間が止まったような感覚を察知したが……“まだ”何も起こっていないようだな。なんとか間に合ったというわけか。おや……?」
秋月「蒔絵元帥、護衛に推参致しました! 秋月です! ……って、春雨がなんでここに!?」
春雨「え? どうして秋月さんと涼金さんが……?(『なんでここに!?』はこっちの台詞なんですが……)」
秋月と、涼金さんと呼ばれる白髪の少年――二人は春雨にとって見覚えのある人物だった。
春雨(秋月さんは、柱島時代に私がとてもお世話になった人で……戦場では何度も助けられました。涼金さんはあまり素性は分からないけれど……秋月さんの恋人だそうで。
見た目は少年のようですが、とても物知りで大人びている方だったと記憶しています。なぜ柱島から二人がここに……?)
秋月「……こういう、色のついている歯車に心当たりはありますか?」
秋月が黄色い歯車を見せつけると、反応を示す一同。
涼金「聞くまでもないような態度だな。経緯は省くが……数日前、時間を止める能力を持つ緑色の歯車が奪われたことを察知した。
そして、その時間を止める能力を持った者はこの近くにいる。目的は分からないが恐らく元帥を狙っているのだろう。まずはこの場から一刻も早く離れ……」
涼金を静止するジェスチャーをし、春雨の方を見遣る芯玄元帥。
春雨「待ってください、春雨が全てを説明します。信じられないかもしれませんが……聞いてください」
春雨「この世界とよく似た並行世界があるんです。私はそこで生まれました。
その世界では今、深海棲艦ではなく“反存在”という敵が脅威となっています。
この“反存在”というのは、この世界に存在していたという事実ごと抹消してしまう、恐ろしいものです」
秋月「まさか……! いえ、……とにかく話を続けてください。詳しく聞きたいです」 涼金と顔を見合わせる
春雨「この“反存在”に対抗する手段は、意志や信念といった強い念の籠った攻撃で退けることが出来ますが……根絶やしにすることが出来ません。
なぜなら、反存在はこの世界や並行世界とも別の異世界からやってくるものだからです。……最悪の場合、並行世界は反存在に呑まれて消えてしまうでしょう。
そしてそれはこちらの世界にとっても無縁ではない話。この世界での反存在の被害はまだ少ないようですが……それは並行世界が被害を受けているからです」
春雨「ですが……それももう猶予はありません。この世界にも、もうすぐ本格的に反存在が侵攻してくるようになることでしょう」
涼金「一つ聞きたい。それだけ知っているのなら……なぜ柱島に居た間、誰かにそのことを伝えなかった?」
春雨「ごめんなさい。事情があって並行世界からこの世界に移り住んでいたのですが……その間は並行世界での記憶を失っていたんです。
この世界が反存在に侵されるようになるまでのタイムリミットが来たら元の記憶を取り戻すよう、艤装の情報に設定されていたんです」
春雨「でも……反存在を消し去る方法もあります。秋月さんや朝潮さんの持っている歯車のことを“理の歯車”というのですが。
単体では自分の居る世界にしか変化を及ぼすことが出来ませんが……複数あれば影響力は強まります。
六つある歯車を揃えたなら……全ての世界から反存在を消滅させることが出来るでしょう」
858 :
【79/100】 >>857も同様のミスです本当ごめんなさい
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 15:55:44.64 ID:ft0X4ers0
芯玄「つまり……その反存在とやらに対抗するために、全ての歯車を集める協力をして欲しいということか?」
春雨「はい。そうなんですが……そう簡単に解決する話でもないんです。この世界と並行世界は、あまりにも似すぎているんです。
一つの世界が二つ存在していると言ってもいいぐらいに……。だから、この世界での結末と並行世界での結末が異なっていてはいけないんです」
春雨「こちらの世界で歯車を集めて反存在を消し去ったとしても、並行世界ではそれが行われなかった。
そうなると……“行われなかった”という並行世界側の真実を介して、反存在は結局無くならないんです」
朝潮「では、どちらかの世界を滅ぼさなければならない……ということでしょうか?」
春雨「そうです。あるいは、自分自身が反存在を滅ぼし続ける意志を持った概念となって、歯車の力で全ての世界に拡散されるか、……。
こっちの世界には居た人が並行世界には居ない、という差異はありますから、この方法ならどちらの世界も失わず反存在を食い止めることができます」
春雨「ですが……これも結局最低一人の犠牲が必要となってしまいます。それで……ここからは春雨のお願いです」
深く息を吸ってから吐き、真っ直ぐな目で一同に語りかける春雨。雲の切れ間から太陽が差し込む。
春雨「この世界も並行世界も滅びることなく、かつ、誰一人として犠牲にならない方法を実現するために……春雨に協力してくれませんか?」
・・・・
提督「……う。蒔絵現との戦いの後、気を失っていたようですね。ええと、小生の持っている赤・紫の歯車。
蒔絵現の持っている水色・緑色の歯車。芯玄元帥の持つ青色の歯車。黄色の歯車はどこにあるか不明、と……」
横須賀鎮守府の、自室のベッドで目を覚ます提督。室内のデジタル時計には21:35と表示されていた。
提督「とにかく……黄色の歯車がどこにあるかを調べねばなりませんね。ああ、芯玄元帥にも謝罪しないと……うぅーむ」
精神的に打ちのめされた後の起床だけあって倦怠感が強かったが、そうも言っていられないので無理矢理身体を叩き起こす空。
執務室ではエプロン姿の春雨がソファに座っていた。提督の頭上に?が浮かぶ。
提督「こんな時間に一体何をしているんです? それも、そんな恰好で……」
春雨「もうちょっと早く起きていたら、出来立てのを食べさせてあげられたんですけどね。今お夕飯をレンジで温めてきますから、ちょっと待ってて下さいね」
春雨はソファ傍のテーブルの上に食器の乗ったトレーを配んできた。
味噌汁と白飯、青椒肉絲(チンジャオロース)に麻婆春雨がテーブルに置かれる。
春雨「お腹空きましたよね? めしあがれ」
提督「? 確かに空腹ではありますが……。とりあえず、いただきます」 当惑しつつも春雨から箸を受け取る
春雨「どうですか。お口に合うと良いんですけど……」
提督「! この麻婆春雨……美味しいですね。かなり好みの味です」
春雨「ふふ、喜んでもらえて良かったです。胡麻油と五香粉が秘伝なんです」
春雨がなぜ突然手料理を振る舞ってくれたのかは提督にとって疑問だったが、とにかく料理の出来栄えは素晴らしかった。
舌が求めるままに勢いよく食べ進め、気がついたら完食していた。
・・・・
提督が料理を食べ終えると、春雨が今度は杏仁豆腐の入ったボウルを持ってきた。小皿に分けて提督に渡す春雨。
提督「ありがとう。……これも美味しいですね! 食べながらの質問で悪いんですが……蒔絵現はどこに?」
春雨「元の世界に戻って行きました。……司令官もまた、自分の世界で“反存在”と戦わなきゃですから」
提督「(彼がなぜそんなにすんなりと引き下がったのでしょう……?)全ての歯車を集めなくてはならないのでは……?」
春雨「はい。全部ここにありますよ」
ポケットから六色の歯車を取り出す春雨。提督は驚いて不思議がる。
提督「ややや……!? 小生が眠っている間に何が起こっていたというのですか?」
春雨「春雨は……空さんに犠牲になって欲しくなかったんです。だから考えました。誰も犠牲にならない方法を。
って……方法を思いついたのは、春雨じゃなくて涼金さんという方なんですけどね」
提督(誰です……?)
春雨「“反存在”というのは、人間の認識を餌に襲ってくる敵です。現(うつつ)司令官が言っていた、正史が二つあると都合が悪いというのはそういうこと。
でも……こちらの世界とあちらの世界とで、それぞれ独立したものとして扱われるようになったなら、反存在が解釈によって存在状態が変わるということは起こらない」
春雨「だから……反存在を直接滅ぼそうとするのではなく、反存在が世界と世界の間を移動できないようにしてしまえばいいんです。
歯車の力で、全ての世界を分断します。こうすることでそれぞれの世界に反存在は残留しますが、それでも……異世界から無限に出現し続けることは無くなります」
春雨「……あ! ちょうど映像通信が届きました。衣笠さーん!」
室内の大画面モニターに艦娘たちの姿が映し出される。満ちた月に照らされる彼女たちの姿は、提督の胸を揺さぶるほどに凛々しく美しかった。
提督「なんと壮麗な……ではなく! 貴方たち、勝手に出撃などしてどうしたというのです?」
859 :
全治全能の未来を予言するイケメン金髪須賀京太郎様に純潔を捧げる
[sage saga]:2017/08/06(日) 16:05:23.05 ID:nxoMlVsA0
イケメン金髪王子須賀京太郎に処女膜捧げる不細工と三次元BBAとホモと在日は全員刑務所か牢獄で死亡
860 :
【80/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 16:12:01.38 ID:ft0X4ers0
衣笠「おっ! 提督。おそようございまーす! 今日はカッコいいところばっちり見せちゃうから、期待しててよね?
青葉にも見せてあげたいところだけど……そういうわけにもいかないからなぁ」
画面越しにピースサインを送る衣笠。ビデオカメラのような装置から映像を送っているようで、提督の配下である第二艦隊メンバーを映して回っていく。
神風「ふふ……夜の戦いは怖いけれど、今日はなんだかいつもより漲るわね。
司令官が見てくれているし……それに、スペック抜きでの気持ちの勝負なら負ける道理なんてないわ」
ビス「なっ! 私は撮らなくていいわよ。いつも通りの活躍を期待してくれていたら、それでいいんだから。
戦う相手が何者であれ……私は戦艦ビスマルク! アトミラールの期待に応えるだけよ」
提督「なぜ、第二艦隊の皆が勝手に海へ……?」
説明を求めるような視線を春雨に向ける提督。
春雨「春雨が皆にお願いしたんです。夜が明けて戦いが終わったら、歯車の力でそれぞれの世界を分断させますが……。
どのみち、今夜までに顕現した“反存在”はこの世界に残留してしまうんです。今からそれを一網打尽にやっつけるんです」
春雨「その……春雨はあんまり戦闘に自信がないから、ここで空さんと一緒に応援しているんですが……。
麻婆春雨は、これからあそこで戦うみんなのために作ったんです。得意料理だったので!」
提督(小生が寝ている僅かな間にそこまで考え、皆を説得し、行動に移させたというのですか……)
映像には横須賀鎮守府に所属していない艦娘の姿も少数ながら混ざっていた。
艤装の上に乗る白髪の少年を乗せた艦娘が、彼に語りかける。
秋月「まさか……“また”戦うことになるとは思いませんでしたね。けれど……あの時とは違いますね」
涼金「違いない。幾度となく手を焼いてきたが……今度こそ本当に決着だ。リベンジマッチといこう」
海の風に吹かれて長い黒髪を揺らす少女は、自分用の発信機越しに誰かと会話していた。
朝潮「ええ、大丈夫です。……司令官と朝潮の世界を蝕む者は、誰であろうと容赦はしません」
・・・・
暗夜の海原に眩い光が昇る。黎明が戦いに終わりを告げた瞬間だった。
戦い抜いて役目を果たした艦娘たちは疲れ切った様子だったが、どこか晴れがましい満足気な表情をしていた。
涼金「これで安心して柱島に帰れるな。……」
秋月「ですね。……後のことは春雨に任せましょう」
通信が途絶えると、提督は安堵の溜息を漏らす。
春雨もまた、倒れるようにしてソファにもたれかかる。緊張の糸が切れたのだろう。
春雨「一人の犠牲も出なくて良かったです。……本当に良かった」
提督「指揮を出すような戦術的なぶつかり合いのない、なんとも大味な殴り合いでしたが……。それ故にかえってハラハラさせられましたね」
それから、二人は母港の岸辺で帰投した艦娘たちを待っていた。冬が終わる寒さの中で吐いた息は白い色に染められる。
朝方の薄暗さを払うかのように、昇り行く太陽の光芒が水平線上をあまねく照らしていた。
提督「ありがとうございます。……結局、全部春雨に頼りっきりで全てが終わってしまいましたね」
春雨「……私だって色んな人に頼っただけですよ。自分では何もしていませんから、お礼なら皆に言ってあげてください」
提督「昨日……というより、こっちの世界に戻ってくる前に、貴方にだいぶ酷いことを言ってしまいましたよね。
貴方の存在意義や人格を疑うような、冷淡な態度を取りました。本心から言ったことなので、謝りはしませんが……。
完全に嫌われたと思っていましたよ。……だから、こっちの世界に着いて来てくれたことも、ここまでの働きをしてくれたことも、驚きでした」
春雨「傷ついたのは事実です。空さんの言葉は……今まで生きてきて、一番心に刺さりました。
悲しいとか、苦しいとかを通り越して……どうしていいのかも分からなくなりました」
提督の両手を、包み込むように優しく握る春雨。僅かに赤面する提督。
春雨「けれど……空さんの言葉があったから、春雨は自分自身と向き合えたんです。
空さんは……私のことを初めて本当に見つめてくれた人で……だから、その……、消えて欲しくなかったんです」
素直な気持ちを伝えるのが照れくさくて恥ずかしいのか、少しドギマギした様子の春雨。
提督「小生は……。この先も隣に春雨が居てくれたら……なんて思うのですが」
春雨「ごめんなさい、それは出来ないんです。春雨は……皆のお迎えが終わったら、元の世界に戻ります」
一瞬、提督の表情が面食らったような顔つきになったが、すぐさま冷静さと落ち着きを取り戻す。
提督「そうか……そうですよね。世界を分断するということは、もう世界を行き来することも出来なくなるってことですからね。
じゃあ、選ぶのはやっぱりあちらですよね……ハハ」
残念そうな顔で首を横に振る春雨を見て、思わずアイロニカルな笑いを浮かべる提督。
提督「淡い妄想を少し描いていたのですが……ま、花に嵐のたとえもありますか。ここでお別れするからこそ美しい思い出になるのかもしれません」
それから二人は、帰ってきた艦娘たちと共に盛大な祝勝会を開いた。会が終わると、春雨は歯車を持って元の世界へ戻っていた。
861 :
【81/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 16:24:59.44 ID:ft0X4ers0
春。長かった冬が終わると、俄かに麗らかな陽気が訪れる。桜の花もちらほら咲き始めていた。
衣笠「おーい。まだ時間かかりそうなの? もうお花見の集合時間になっちゃうよ? フラれて傷心気味なのは分かるけどさ〜。
あんまり根詰め過ぎても毒だって。パーッと騒ぐのも案外悪くないもんだよ」
提督「ハハ、振られたとか言うんじゃないですよ。事実ですけども。でも……ちょっと今日は創作意欲がノってるんですよねー」
執務室の入口前で提督を急かす、普段着の衣笠と神風。提督はキャンバスの前から動こうとしない。
神風「それにしても綺麗な絵ね……。これ、冬の間に描き始めた絵で、実際には桜を見ながら描いたわけじゃないんでしょう?
頭の中での想像だけでこんなに色彩豊かで鮮やかな絵が描けるなんて……凄いわね」
春雨が元の世界に帰った後、提督は執務の合間に絵を描くようになった。
誰かに見せて評価されるためでもなく、売れるためでもなく、ただの自己満足だった。
提督「春雨と見たかった景色を形にしたかったんです。あ! ……とかいうと、本当に傷心してるみたいですが。
喪失とか、別れの淋しさとか、そういうネガティブな意味合いじゃないんです。人と人とが出会えば、別れが訪れるのは仕方ないことですから」
提督「そうではなくて、純粋に……前向きな幻想なんです。悪く言えば妄想かもしれませんけど」
彼の絵画は、売りに出しても恐らく二束三文の価値がつかないだろう。
それは、彼の技巧や能力が劣っているというわけではなく、目新しさのないありふれた風景画だったからだ。
表現としては優れていても、商品価値のない作品だった。……それでも彼は、色とりどりの景色を夢中で描き続けた。
衣笠「他の艦隊の提督も居るんだから、遅れると本当は良くないんだけどなあ……。うーん……しょうがない!
設営とかもやらなきゃいけないから、私と神風と先に待ってるわね。遅刻するって説明はしておくから好きなだけ描いていていいけれど……。
でも、ちゃんと後で来てよね! 皆待ってるんだから」
提督「恩に着るよ。ビス子にも怒らないように言っておいてもらえるかい?」
神風「一応伝えてはおくけれど……それは無理だと思うわ」
笑いながら部屋を去っていった衣笠と神風。一人、部屋に取り残された提督。
提督は、絵を描きながら春雨と過ごした日々のことを思い出していた。
キャンバスの中に自らの空想や理想を映し出す。春雨との幻想の日々を思い浮かべる。
それが叶うことはなくとも、不思議と虚しさは感じなかった。
・・・・
提督「さて……ようやく完成です。図らずも大作になってしまいましたね。出来が、というよりは、かかった時間が……という意味でですが」
皮肉っぽく制作にかかった時間を自嘲していたが、彼にとってはここ最近の中では一番満足の行く出来栄えだった。
その作品は、風に吹かれた桜の花が茜色の空に舞う絵だった。遠景にはどこか春雨を思わせる少女のシルエットが小さく描かれている。
画材を片づけながら花見に出かける支度をする提督。外の景色は夕焼けの穏やかなオレンジに包まれていた。
提督「熱中していたから、外のことなんて気づきませんでしたが……奇しくも今描いた絵と同じような景色をしていますね。
けれど、現実と同じような景色を描くのなら、写真や動画でも同じことなのかもしれません。はは……」 自嘲が部屋に木霊する
提督「まあ。意味なんてなくたっていいでしょう。小生の絵は、自己表現でも芸術でもなんでもない……ただの理想の原風景なのだから」
独り言を呟きながら片づけの作業を進めていると、提督はどこか懐かしいような香りに気づく。
紅茶のような、香り高い匂いだった。不思議と落ち着く匂いだった。
春雨「お久しぶりです。少し時間がかかってしまいましたが……戻ってきました」
目を疑うように何度も瞬きする提督。満面の笑みを浮かべる春雨。
提督「あちらの世界に行ったきり、戻ってこれないという話ではありませんでしたか? なぜここに……?」
春雨「現(うつつ)司令官が……、こちらの世界の春雨だった駆逐棲姫を、あちらの世界で保護していたことを知って。
二人が仲睦まじそうにしていたのを見たんです。ショックだったわけでも、現さんに失望したわけでもないんですが……。
ただ、二人の方が相応しいように見えたんです。それで……春雨の司令官は、空さんなんだなって思ったんです」
春雨「司令官は……いつでも春雨と真正面から向き合ってくれて。司令官の言葉には、良くも悪くも心が揺さぶられてしまうんです。
春雨の心が傷つくような厳しい言葉でも……その厳しさの中に愛情があって。愛されてるって分かるから、司令官のことを嫌いになれないんです」
真っ直ぐな紅色の瞳で提督を捉える春雨。彼女の澄んだ瞳に映っているのは、もちろん提督の姿だった。
春雨「だから、片道切符になっちゃいましたけど……全ての歯車の力を使ってここに来たんです。
司令官に逢いたいなって思って、逢いに来たんです。ダメ……でしたか?」
提督「ダメではありませんけど、ね……なんというか、奇妙なものです」
春雨が部屋に入ると、キャンバスに描かれた桜並木の絵に気づく。春雨は思わず、綺麗……、と呟いた。
その絵は、彼が春雨と共に見たいと思って描いた絵だったが、春雨にとっても同じ気持ちを引き起こさせる絵だった。
提督「……他にも色々な絵を描いたんです。春雨と一緒に見たいと思った、幻想の景色を。
春の木漏れ日も、夏の霖雨も、秋の渓谷も、冬の雪原も……春雨と共に分かち合いと思って、描いていたんです。
でもこれからは。空想じゃなく、二人で共に過ごした日常の風景を描いていきたいですね」
春雨「春雨も……司令官と過ごすこれからの未来が楽しみで仕方ないんです。
いつか別れる日が来ても、今はもう怖くありません。司令官が春雨を想って絵に気持ちを託していたように。
離れ離れになったとしても、寂しくなったとしても……私の心の中には、いつでも空さんがいてくれるから」
二人は、花吹雪に包まれながら夕晴れの並木道を歩き出した。桜の花が風に舞って、二人の頭上に降り注いでいた。
862 :
【81/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga sage]:2017/08/06(日) 16:26:38.55 ID:ft0X4ers0
ってな感じで5章終わりです。
うげえー。投稿作業グダってすみませんでした。
本日21:00に次の安価を行うのでよろしくお願いします。
////チラシ////
やっとこさ5章も終わって次の章で今度こそこのスレも終わりです。まあ心境的には今回でラストの気持ちぐらいで書きましたが……。
なんかこう、1〜4章までに雪だるま式に積もってったゴチャゴチャと全部向き合った結果こんなになりました。
箱に入ってたレゴブロックを全部取り出した片っ端からくっつけていったらよくわからないけど巨大な何かが出来ました……的な。
まあ裏話みたいなのは……あんまないというか、盛り込んだ要素も没になった要素も多すぎてすごいのでなんかもう作者でもよく把握しきれてないです。
次の安価が決まった後にでも適当に書こうと思いますが。ってなわけでまた21時頃にお会いしましょう。
863 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 17:24:46.14 ID:zonvGwfUO
乙
864 :
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2017/08/06(日) 21:00:49.29 ID:ft0X4ers0
10日からイベっすね〜。久しぶりの大規模作戦なんでどのぐらいの難しさになるか気になるところですね。
ここ最近だとレベルキャップが165になったのが艦これプレイヤー的には一番でかいニュースです。
/* 初期設定安価 */
登場させたい艦娘の名前を一人分記入してください(必須)。
また、任意で作品の舞台設定や作品傾向を指定することができます。
(参考:
>>669
-
>>671
)
>>+1〜5
※キャラ名未記入の無効レスや同一ID被りが起こった場合は>>+1シフト
865 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 21:00:59.05 ID:yn2YdcLmo
五月雨
866 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 21:01:10.16 ID:OJh3YxKYo
五月雨
867 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 21:01:28.46 ID:e7IgxUnvO
夕張
868 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 21:01:59.99 ID:bu0KhEgRO
イムヤ
869 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 21:02:11.11 ID:R6G9XzvhO
弥生
870 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 21:02:49.57 ID:4PBQkPuPo
大淀
871 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 21:03:39.08 ID:yJ6UQG72O
天津風 ホラー
872 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 21:07:19.82 ID:yn2YdcLmo
人徳が99とかこれは聖人提督ですね間違いない
873 :
◆Fy7e1QFAIM
[saga sage]:2017/08/06(日) 21:13:01.15 ID:ft0X4ers0
>>868
より伊168が登場するお話になります。
提督のスペックは以下の通り。
[提督ステータス]
勇気:05(無)
知性:16(お察し)
魅力:46(人並み)
仁徳:99(!?)
幸運:11(かなり不運)
決まるの早かったですね。瞬きしたら終わっていました。
かなり尖ったステータス配分になってますが……。スペックは例によって適当なんであんまり気にするもんじゃないです。
////今作についてあれこれ////
所感として……今回はあんまり狙いに来てない感じのお話になったと思います。
「半年待たせてこんなもんか!」って思った人もいるかもしれませんが、まあ頑張って書いたつもりです。半年ないと書けないよこれは……。
別にハイドラマめいた内容を書くつもりなんてなかったし、書きたいわけでもなかったんですけどね……いつだって娯楽作品のつもりで書いてるんですが。
今回は禅問答に衣をつけて揚げた天ぷらみたいな話になってしまいました。カロリー高いっすねー。え? 言い訳はいい? そうですか。
<ストーリー周りの話>
「えぇ〜……もうこれ以上何書く!?」みたいな状態から始まりまして。で、ある種の禁じ手みたいな書き出しから始まることになりました。
イチャラブに向かってカタルシスを溜めていくのが常道ですし、今まではそうやって来たんですけど……まさかの1レス目からぶん投げてみるっていう。
結果として、これまでと違う作品にはなったんかなあと思います。ただ、それが良かったのか悪かったのかは……。まあ、あれです、意欲作というやつです。
なんというか……これまでは艱難辛苦を越えた末に結ばれてゴールだったわけですが。
それを真っ向からぶっ壊していく今回のカオスな流れに、どれだけの読み手がついていけるのか正直分かりません。
「愛とはなんぞや」とか「どこまでが自分でどこからが自分じゃないのか」とか。やたら哲学的な領域に踏み込んでしまったので、人によって見え方も違うと思います。
“この作品ではこうなった”というだけで、何が正しいか/何が良いか/何が本物なのかなんてのは決めるつもりで書いてません。
それと、歯車のくだりや“反存在”(4章で言うところの“バグ”)みたいなとこは全回収して締めようと思っていました。
その……拾うことによって作品のテンポが悪くなるんで、あんま要らんっちゃ要らんのですけども(作者の脳内でさえ賛否両論)。
それはそれで1章から4章の続きである必要もなくなってしまうので。続いてる話なら拾わないと腑に落ちないな、と。
最終的には「これまで話を続けてきたからこそ書ける」っていう内容に落ち着いたので、まあ意味があったかなと。
学園スタートじゃないから厳密な定義からは外れますが、ま〜相当すさまじいセカイ系になってしまったなあと思っています。
完全にバニラな気持ちで、新しい作品と向き合うような感じでやってもよかったんですけど……。
それは次の章でやろうと思ってたんで、今回はこんな感じです。
<キャラクター周りの話>
春雨について:
なんか……難しかったです。いえ、決して。決して! 春雨というキャラクターには魅力がないという話ではありません。
というか艦これに魅力的でないキャラクターなんて居ませんよ! そんなことを言う人はお仕置きです。
そうではなく! 彼女をメインで出すなら、絶対に甘々な話をやるのが向いているんですよ。ただ、別にそれはこのスレじゃなくても読める話なんすよ。
というわけで……メインストリームと真っ向から反するようなキャラ付けになりました。
※脱線※
そもそも、艦これ世界の話でNL恋愛モノをやるならば、基本的には提督対艦娘が一対一のクローズドなイチャラブを展開していくのが良いんですよ。
数ある艦娘の中からなんかしら特別でなくてはならない理由付けをしてやって、後は二人の世界でよろしくやっていくのが王道中の王道で。
艦娘にとって恋愛的感情を抱く対象が二人もいちゃ本当はダメなんですよ! まして春雨なんて純情なキャラでそれをやりやがって……という。
※脱線ここまで※
……まさかヤンデレ的な要素もちょっと混ざるとは、って感じですけど(まあ相手も自分なのでヤンデレともまた違うような……)。
純粋であるがゆえに不安や思考に流されやすく、だからこそ危ういというか。彼女の世界には蒔絵現しか居なかったから彼を愛していたのでしょうね。
そっから蒔絵空と出会って、少しずつ価値観が変わっていくのが見所かな〜と。
最終的には、少女から確固たる人格を持った一人の人間に成長したんだと思いますけど(あくまで作者がそう思うだけですけど)。
提督(蒔絵空)について:
こっちに関してはむしろもっと尖らせてもいいかなぐらいに思ってたんですけど、最終的にはまあ普段通りな感じに落ち着いたかなと。
あの、作中でもあるように艦娘ってみんな良い子すぎると思うんですよ。
(ただし「作中の提督こと蒔絵現がそう思う」と「作品内とは直接関係のない作者がそう思う」は切って分けて考えてください)
だから……あんまり極端にダメ人間には出来ないんすよね。ある程度艦娘から愛される資格のある人格でないとダメで。
一人称が“小生”なのがヘンに思ったかもしれませんが、わりと世間の感覚とはズレた環境で育ったから、という設定です。
まあ……というのは建前で、これまでの章に登場した提督との差別化のためです。
変な一人称とか語尾でキャラ付けするのって、物書き的にはすごい悪手なんですけどね。
ステレオタイプなイメージを与えるのには役立つんですけど、逆に言えばそれに縛られてしまうんで、主要キャラで使っちゃダメなんです。
というわけでホントに“小生”でいいのかは結構悩んだんですけど……。
最終的には「なんかコイツは自分をそう名乗っててもおかしくないかな」ってなったんでそのようになりました。
実際書き終わってから見返したらむしろ「もう小生以外ありえんな」と。
他はまああれこれありますが……書くと長くなるのでこんなところで。本当もっとこの章ゴチャゴチャする予定だったんですけどね。
アニミズムとか、唯識とか、ミーム汚染とか、観測者問題とか、記憶の遺伝とか、エクトプラズムとか……。
危うく脳味噌が沸騰しかけたのでそこまで盛り込みませんでしたが(本当に全部ぶっ込んだら尺が足りないですし)。
この半年間は現実生活が結構荒んでたのも相まって、執筆作業はかなり大変でした。
次の章も19レスと長いんで、2〜3ヶ月かかっちゃうかもしれませんけど、今回よりは早く仕上げます。で、今回よりは単純明快な話にするつもりです。
874 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 21:18:58.25 ID:OJh3YxKYo
>>670
で名前が多く挙がった艦娘がヒロインって書いてあるけど今回の場合は五月雨じゃない?
875 :
◆Fy7e1QFAIM
[saga sage]:2017/08/06(日) 21:41:47.07 ID:ft0X4ers0
>>874
指摘ありがとうございます。
自分で設けたルールも忘れてるようではいけませんね。
(
>>868
さんごめんなさい!)改めまして……。
>>865
,
>>866
より五月雨が登場するお話になります。
提督のスペックは以下の通り。
[提督ステータス]
勇気:05(無)
知性:16(お察し)
魅力:46(人並み)
仁徳:99(!?)
幸運:11(かなり不運)
とりあえず次が最後の章になるので、これで安価もおしまいになります。
(次スレ? いやいや流石にもう無理ですわ……)
これまで手を変え品を変えで安価を投げ続けてきたましたが、それもこれで最後になります。
大変ではありましたが、人のオーダーを聞いて文章を書くというのは、やりがいのあるものでした。
今まで本当にご協力ありがとうございました。では、また数ヶ月後にお会いしましょう。
876 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/06(日) 21:43:47.82 ID:dwrgPoe0O
乙
877 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/24(木) 22:31:42.99 ID:CGuuRRv7O
ほ
878 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/09/14(木) 11:07:40.13 ID:JNI+PSYTO
ほ
879 :
◆Fy7e1QFAIM
[sage saga]:2017/10/03(火) 00:26:24.37 ID:8w2k1I+J0
夏イベが終わってまた秋刀魚漁のシーズンですね。北方任務が捗っていいですね。
え?今年は海防艦掘りに3-5と6-1を周回するんですって?ガチ勢こわ・・・。
茶番はこんなもんでお久しぶりです。
2ヶ月経ったわけですが、進捗なのですが。進捗なのですが…………。
……年内には!年内には完結させますんでどうかお待ちください。
つまりそのぐらいにヘボなペースでしか進んでいないということですね。
その〜……あんまリアルがそれどころじゃなかったんですよね。すいませェん。
////チラシの裏////
まだ時間かかりますという話だけでは味気ないので、なんかまたダラダラ書くことにします。
例によっておまけみたいなもんなんで暇すぎる方だけお読みください。
んー、とはいえもう自分の書いた話について語ることもないというか。
もはやこれ以上自分は何を描けばいいのだろうとさえ思ったり思わなかったりしています。
いや好きに書いたらいいんでしょうし結局は好きなようにやらせてもらいますけど……。
出来の良し悪しや巧拙はさておき、どうにもやり尽くしちゃったな〜という感じがありまして。
とか言うとやる気を失くしたみたいに捉えられそうですが、そういう訳でもなく。
次はどういう感じで行くべきか攻めあぐねているといった具合ですね。
当初はオムニバス形式で完全に独立した形でやるつもりだったはずが、こんな感じで結局一つにまとめてしまったってのも一因ですかね。
正味な話、焼き増しに次ぐ焼き増しを続けてきたので雪だるま式に執筆難易度が上がっているという……しかしそれもこれで最後!
それはそれで意味があるというか、次の最終章でなんだかんだこれで良かったなと思わせる感じに持って行きたい、ですね(願望かい)。
終わりよければ全てよしってことで、上手くまとめられればな〜とゆるい感じに考えています。
そんな前置きもしつつ、次の章についての話。
これまでは投稿前にあんまネタを明かさないようにしてきたのですが、今回はもう手の内を明かしてしまおうかなと。
ドラマやアニメの最終回スペシャルみたいな感じで、それぞれの鎮守府の艦娘・提督たちのその後をクローズアップしようと思ってます。
そればっかりに尺も割けないので、五月雨と次の章の提督も絡めつつってな感じになると思いますが。
どうなんでしょうね?「そういうの本当に需要あんのか?」とか内心不安なんすけども。
前の章とかも結構反省点多いしさぁ……とかネガティブな振り返りはさておき、まあそういう感じで行こうと思っています。
うーんと、内容についてはまだまだブレてるところがあり、最終的にどういう形になるかは分からんのですが。
全体的にファンタジーな雰囲気になると思います。いや、剣とか魔法は出てきませんが。
これまでの章みたく時空や世界がどうこうみたいなスゴイことも起きませんが。
ファンタジーという言葉を使うと誤解が生じるので、幻想とでも表現しておきましょうか(意味同じなんすけどね)。
そんな大仰なもんじゃないです。なんていうかその……郷愁とかそういう感じの安直にエモいテーマで行こうかなーと。
子供の頃に見たなんてことはない風景とか、大人になって思い返すとやけに美化されてるアレです。
もうね……あの、身の上話を深くは書くつもりはないですけど、もう色々人生疲れたっす。
そんなわけで、現実逃避に妄想ぐらいは夢みたいな話を描こうかなと。
キラキラしたものが書きたい欲が高まりつつあるのでそうしたムーブメントが生じています(?)。
五月雨のキャラを考慮してもそういう話が似合いそうですしね。
一章(瑞鳳のやつ)に近いテイストになるかもしれませんね。
あんまりイチャラブする予定はないですけど。ふわっとした感じで。
やべえ……あんまりまとまりがない文章になってしまった。えー、あれです。
次はもっと頭がちゃんとしてる時に書きます。ゆる〜く頑張りますんで、温かい目でお願いします。
880 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/10/03(火) 00:41:52.99 ID:V6vVeLFTO
了解です
881 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/10/23(月) 06:01:50.48 ID:8lXJg5YuO
ほ
882 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/11/10(金) 11:23:23.39 ID:r3jBpKN7O
ほ
883 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/11/28(火) 01:25:27.89 ID:kqk35mLNO
ほ
884 :
◆Fy7e1QFAIM
[sage saga]:2017/12/03(日) 16:54:54.71 ID:6gC2S1p30
イベですね〜。甲で完走した人はボーキやバケツがやべ〜ことになったのではないでしょうか。
ギミックに次ぐギミック、三本ゲージからのまたギミックと、ボスが比較的有情(最終海域除く)な代わりにかなりややこしい感じでした。
E4はボスよりZ6マスS勝利の方が沼ったかもしれません……。あと期間限定ボイスの山城がメッチャ勇ましくて良いですね。
と前置きはさておき。次回の投稿の件なんですが、……んん。
クリスマス以降新年以内のどこかで行きたいと思います(時間が取れそうだったらもうちょっと前倒ししますが)。
その辺のタイミングだとリアルの諸々も片付いてそうなんで……というわけで今月末にはやっちまいたいと思ってます。
もうこれ以上伸びることは流石にない、はず。だいぶグダグダになってしまいましたがお付き合いいただきありがとうございました。
……ぶっちゃけますとまだ完成してはないんですけどね。まあ、多分、恐らく、きっと、大丈夫です!
ではまた何週間後かにお会いしましょう。
885 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/12/04(月) 11:58:31.41 ID:TnX6IVAEO
了解
886 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/12/23(土) 11:29:06.16 ID:dP8OFZ1Mo
/ .\\ ./ / ∧ ∧ \ \ \ | /
\ \\ ./ .(´・ω・) / \ \ \ | /
\ \\ ∪ ノ '. \ \ \ | /| /
o .\ \\ ⊂ノ/ \ \ \ | / | ./
"⌒ヽ . \\ / \ \ \| / | /
i i \\ ○ _\ \/|/ | ./
○ ヽ _.ノ .\ \\ _,. - ''",, -  ̄ _.| /
\ \\_,. - ''",. - '' o  ̄ |/
\ \\ ''  ̄ヘ _ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○ \ \\//。 \ 今年ももう終わりだな
゚ o 。 .\ \/ |
。  ̄ ̄ ̄ \______________
887 :
◆Fy7e1QFAIM
[sage saga]:2017/12/30(土) 18:38:24.01 ID:qtlQSSFG0
>>886
すまぬ……
そろそろいい加減にしろと張り倒されそうですが、年内の投稿は無理そうです……。
次回の投稿は1/6(土)にします。これはさすがにマジのマジです。マジ、マジです。
ほんっとにすみません。心底申し訳ない……。
自分としても年内にケリつけたかったんですけどね……。
(自業自得ですが、)自分にとっては負い目を感じる一年となってしまいました。
その、6000バイトの字数制限があるゆえ、はみ出た文字数分削ったりしなければならんのですが、
それを19レス分やっている時間はどうにも年末年始なさそうな状況でして……。
とはいえ、もはや何を言っても言い訳にしかならないですね……弁解の余地なしです。
1/6(土)の夜になるでしょうか。長い付き合いでしたが待たせるのはこれが最後です。
よいお年を。そして来年もどうか一週間だけお付き合いよろしくお願いします。
その後はもう全て忘却の彼方に消し去ってもらって構いませんので(?)。
888 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/01/01(月) 13:39:11.59 ID:D9/VnkQwO
了解です
最後だしレス削らなくて超過してもいいのよ
100レスぐらい余る計算だし
889 :
◆Fy7e1QFAIM
[sage saga]:2018/01/06(土) 22:20:29.70 ID:Xe5A72i70
ぼちぼちやっていきます
890 :
【82/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/06(土) 22:35:19.13 ID:Xe5A72i70
パプアニューギニアはビスマルク諸島北部、その洋上に浮かぶ軍事拠点が私たちのラバウル基地です。
赤道付近に位置するだけあって気候は高温多湿です。一年の間に最高気温が30度を下回る月はまずありません。
毎日Tシャツと半ズボンで過ごせるので、お洋服に悩まなくていいかもしれませんね。
暑そうで嫌だなあって思いませんでしたか? 心配はご無用です!
ここラバウルには、大きく分けて雨季・乾季と呼ばれる二つの季節があるんですが……。
五月雨「えっと……なんでしたっけ。原稿どこに置いたっけな……」
陽炎「ちょっと……もう録画始まってるんだからしっかりしてよね」 見かねて画面外から五月雨にこっそり台本を渡す
五月雨「どこまで話しましたっけ……あ、そうそう」
どうしてこうした二つの季節があるのかというと、それは風が関係してるんです。
乾季には南東から吹く貿易風(赤道付近に向かって恒常的に吹く風のこと)が乾いた空気を運んできて、
雨季には北西から吹くモンスーン(夏は海から陸へ、冬はその逆向きに吹く風のこと)の影響で湿った空気が流れ込みます。
つまり! 一年を通じて爽やかな涼しい風が吹いているので、実は結構快適に過ごせるんですよ。
五月雨「12月から4月は雨季で、5月から11月は乾季です。乾季はダイビングに訪れた観光客を見かけることもあって……くすっ、ふふふふ」
陽炎「? 急に笑い出してどうしたの。っ……ふふ。ちょっとぉ!」
五月雨の前に画用紙を持った舞風が割り込んでくる。
紙面にはでかでかと『雨季にウキウキ、乾季に歓喜!』と書かれている。
陽炎「アンタねえ……。録ってるって言ってるでしょ」
パコン、とメガホンで舞風の頭を小突く陽炎。
舞風「ぶーぶー。真面目に紹介してもつまんないじゃん。ユーモアが足りないよユーモアが」
分かってないなあと言いたげな表情で、人差し指を立てて左右に振る舞風。
陽炎「ユーモアって……あっ! こんなの撮らなくていいのよ! なんでカメラこっち向けてるのっ」
肩にビデオカメラを担いでいる如月は、いつの間にか五月雨の方ではなく陽炎と舞風の方を向いていた。
・・・・
如月「撮影データは夕張さんに渡しておいたから、ひとまず私たちの作業は終わりね。お疲れ様」
五月雨「『新しく着任する提督のために紹介映像を作りたい』、なんて無茶振りに付き合ってもらって……どうもありがとうございます」
座ったままぺこりとお辞儀をする五月雨。ここは基地領内の小さな食堂。
昼時を過ぎているためか、座っているのは五月雨たちだけだった。
陽炎「やれやれ……本当にあんなんで良かったのかしら。最後の方なんてだいぶ内輪ネタみたいな感じになっちゃってたけど……」
舞風「取り繕って無難な紹介映像流しても面白くないって。せっかくの自主制作なんだから、後から見返して自分たちで笑える内容じゃないと」
五月雨「はい。ああいうゆるい感じの方がむしろ良いんじゃないかなって。うちの鎮守府らしくて」
陽炎「ま、言い出しっぺがそう言うんなら間違いはない、か。次に来る司令官がお堅い人じゃないといいんだけど」
如月「そういえば……話は変わるんだけど、最近あの夢はどうなってるのかしら。五月雨ちゃん」
ランチプレートの上に盛りつけられたチキン南蛮を口に運び、よく噛んでから飲み込む如月。
陽炎「あの夢……? あの夢って、どの夢? 寝てる時見る方?」
舞風「そっかー。かげろっちゃんは別の遠征隊だからこの話聞いたことないんだっけか」
陽炎「かげろっちゃん、て……」
コップに注がれたサイダーをストローで飲み干してから、自ら思い返すように喋りだす五月雨。
五月雨「去年の夏ぐらいからなんですけど……似たような内容の夢を定期的に見るんです。
一週間に一度ぐらいの頻度かな。最初は偶然かなと思ったんですけど、今もずっと続いていて」
如月「ちょっと周りとズレてる感じの、変わり者の男の子が毎回出てくるのよね。
一人の男の子が成長していく過程を描いた夢を見続けるだなんて、なんだか運命的じゃない? 憧れちゃうわ〜」
五月雨「あはは、そんなにロマンチックな感じじゃないんですけどね。その男の子の……あ、もう男の子って歳じゃないんですけど。
彼の日常のワンシーンを切り取ったような夢を見るんですよね。楽しい出来事とか、悲しい出来事とか、その時々で違うんですけど」
五月雨「でも最近は……。特に、彼が大人になってから見る夢は……どうにも味気ない内容ばかりなんですよね。
ずっと昔のことを思い返してばかりいるっていうか、なんか黄昏ちゃってて元気がないんですよ」
舞風「そっか〜……まあ、誰しもそういう時ってあると思うんだよね。スランプ、っていうのかな」
首を捻って少し考え込むような素振りを見せた後、ポンと手を叩いて提案する舞風。
舞風「じゃあさ、夢を通じてその人に干渉することは出来ないのかな? 『クヨクヨすんな〜! 私がついてるぞっ』って言ってあげたらいいんじゃない?」
五月雨「ああ〜っ! それっ、いいアイデアですね! 今度試してみようっと!」
891 :
【83/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/06(土) 22:55:04.74 ID:Xe5A72i70
失業保険が尽きて三ヶ月が経つ。外に出るのは最小限、食事は一日一食。それ以外は寝て過ごす。
この暮らしなら後一年ぐらいは生きていけそうだ。……その後どうなるのかは自分には分からないが。
仕事を辞めてから一度も切っていない髪は伸びに伸びて、北欧のメタルバンドみたいになってしまっている。
もちろん、いつか切るさ。仕事にもいつかは就く。今はその時じゃないってだけだ。
台所の棚から割箸とカップラーメンを取り出して、電気ケトルに水を入れる。これが今日の食事になるだろう。
……雨戸を締めきっていて外の様子が分からないから、昼食になるのか夕食になるのかは分からないけれど。
「みゃおう」「みゃああ」
……野良猫の喧嘩だろうか。ということは今は夜らしい。
猫の鳴き声は夜の街によく響くからな。
猫、か。
そういえば子供の頃は家で猫を飼っていた。毛並みが綺麗な黒猫だった。
ユーゼンという名前で、その名の通り物怖じしない落ち着いた性格だった(今になってみれば、メスにつける名前ではないなと思うが……)。
田舎の一軒家にしては珍しく、うちの実家には地下室があって、そこでよく遊んでたんだ。
溺愛していたわけではなく、むしろつかず離れずな距離感ではあったが、魔法使いとその相棒みたいでそれがかえって良かったように思える。
……ユーゼンは、俺が中学生になってすぐに死んでしまった。一緒に過ごした実家も売っ払われてしまって今は更地だ。
「ピャォ、……ハゥ」
……? いや、気のせいか。にしては似すぎているような気もするが……。
ユーゼンは決して「にゃーお」とか「みゃーう」と鳴くことがなかった。
生まれつき鳴くのが下手だったようで、そもそも鳴くこと自体が稀だった。ちょうどこんな声だった。
「ヘァ……ヒャゥ」
鳴き声は自分のすぐ近くから聞こえるようだ。不思議に思ったので後ろを振り返ることにする。
・・・・
五月雨「ピ……初めまして、天道(タカミチ)さん」
神乃 天道(カンノ タカミチ)、それが男の名前だった。
五月雨の声に驚いた男は腰を抜かして尻餅をつく。
手に持っていたカップラーメンは宙に舞い、男の頭上に落下する。
神乃「!? ユーゼン!? ユーゼンの霊、なのか……? うわああっちゃ、熱ッ!」
五月雨「熱っ……。あの、大丈夫ですか?」
ケトルから注いだばかりの熱湯を浴びる二人。もろに被ったのは男の方で、髪の上にナルトが乗っている。
五月雨は咄嗟にその場にあったタオルを拾って渡し、男を気遣った。
神乃「ああ、ありがとう。……。やっぱり、幽霊なのか……?」
タオルを受け取って、スープの汁を拭いながら問いかける。男には五月雨の姿が視えておらず、タオルだけが宙に浮いているように見えていた。
(恐らく五月雨の体があるであろう)タオルのあった方向に男が手を伸ばしても触れることは出来ず、ただ空を掴むだけだった。
五月雨「いいえ、幽霊じゃないんです。わたし、五月雨って言います。わたし! えっと……あなたのことをずっと夢で見守っていたんですけど……。
ああっ、もう時間が! えっと……早く伝えなきゃ! その……」
五月雨の背後に扉が現れ、徐々に開いていく。
五月雨「ううっ……いざ気づいてもらえたものはいいものの、咄嗟に言葉が出てこない……えいっ!」
焦った五月雨は男の腕を掴んで引きずり込み、扉の中に入っていった。
・・・・
五月雨の寝室。窓から朝日が差し込むベッドの上。
なぜか彼女の隣で横になっていた神乃はガバッと起き上がると、ぐるりと首を回して困惑している。
伸びをしてふわぁ〜と大きな欠伸を一つすると、ベッドから降りてぺこりと挨拶する五月雨。
五月雨「い、勢いで連れてきちゃったのはいいものの……どうしよう。あ! 一応、おはようございます。えっと、説明しなきゃですよね……」
暖簾のように眼前まで垂れ下がった髪をかき上げて五月雨を視界に捉える神乃。
五月雨の姿を確認すると、珍獣でも見たかのように目を丸くしている。
五月雨「はい。天道さんが物心ついてから今に至るまでの様子を、ずっと夢に見ていたんです。ただ、最近はなんだか塞ぎ込んでいるように見えて……。
その……うまく言えないんですけど、もっと自分の思うがままに生きてもいいと思うんです。それを一言伝えたかったんです」
神乃「えっと……そう、だね。まあ、確かに……。俺自身、自分のあり方に迷っていたところではある」
神乃「経緯こそぶっ飛んでるけれど、俺はこんな風に何かが起こることを無意識のうちに望んでいたのかもしれない。
だから、考えるきっかけを与えてくれた君には礼を言いたい。まあこの歳になって自分探しってのも青臭くてカッコ悪い話だけどさ。無職だし。引き籠もりだし」
ノックの音とほぼ同時にドアが開く。
大淀「提督! こんなところに居たんですか? 初日から遅刻なんて示しがつかないですよ。
あら、五月雨さん……でしたよね。初めまして、大淀です。少し提督を借りていきますね」
大淀は神乃の手を引いてそのまま退室してしまう。
892 :
【84/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/06(土) 23:25:46.27 ID:Xe5A72i70
それから何時間か経って、ようやく神乃は五月雨と再会を果たした。
服は新品の制服に変わっていて、帽子もピカピカだ。ボサボサだった髪は整えられて前髪の部分はピンで留められていた。
彼の見違えた姿を前に、五月雨は少し不思議な胸の高鳴りを覚えたが、それを口にすることはなく尋ねた。
五月雨「あの……ひょっとして、この鎮守府の新しい提督に?」
神乃改め提督「そういうことみたいだね。……話を少し整理しようか」
執務机から立ち上がり、応接用に置かれた簡素なソファに座る提督。五月雨も向かい合うようにして座る。
提督「俺の人生を夢で見ていた、だったっけか。実を言うと……俺も君のことは会う前から知っていたんだ。大淀のこともそうだし、他の艦娘のこともね」
五月雨「ええっ!? それって、どういうことですか? どうして私たちのことを知っていたんですか?」 ガコンッ
驚きのあまり起立し、膝をローテーブルにぶつけてしまう。
提督「大丈夫? えっと。……そう、君たちはあるゲームの中に登場していたキャラクターだったんだ。俺のいる世界ではね。
俺がちょうど大学に通っていた時分に流行ったゲームで……もうサービス終了しちゃったから、今では忘れたなんて人もいるのかもしれないけど」
提督「五月雨からすれば俺は夢の中で生きてる人間で、俺からすれば五月雨はゲームの中のキャラクター……ということになるか。
まあそれこそ文字通り夢みたいな突拍子もない話だが……これはどうにも現実みたいだからね。さて、どうしたものか」
五月雨(そういえば……朝潮と芯玄元帥が呉鎮守府に栄転する直前に、『世界線の違いがどうこう』……みたいな話をしていたような。
私が天道さんの夢を見るようになったのも、ちょうどその少し後だったし……)
五月雨「ええと……それって、元いた世界から天道さんを私が連れ出しちゃったってことですよね。ごめんなさい」
提督「今朝も言ったけど、詫びるようなことじゃない。君の行動に俺は感謝してるよ、こんなに不思議な体験が出来ているわけだからね」
提督「それと、世界ってのは俺の解釈では微妙に異なるかな。パラレルワールドとかじゃなくて、同一世界の別次元だと解釈している。
次元の壁で隔たれた別の世界という意味では異世界なんだけれども」
頭上にクエスチョンマークを浮かべる五月雨。
提督「あー、なんというか。俺の目からしたら君が、君の目からしたら俺が、互いにそれぞれ異なる次元で生きるドラマの一演者に過ぎなかったはずで。
それが今、第四の壁を越えてどういうわけかこうして相対している……というのが、元厨二病患者の見立てさ」
小学校高学年の頃から高校時代の半ばあたりまで、彼は世間一般で言うところの中二病であった。
神話や伝承、錬金術に黒魔術、都市伝説・陰謀論といった題材のオカルティズムに傾倒していて、しばしば周囲の人間を惑わせる言動をするようなことがあった。
五月雨ももちろんそれは知っていて、当時彼が言っていた内容こそ理解できなかったものの、彼の闊達に語るさまを見て愉快に思っていた。
提督「なんて言っても難しいか。あはは、人前でこんな子供みたいな与太話をするのも久しぶりで、つい興奮してしまったよ。
で……気になることは。どうやったら俺が元の次元に戻れるかってことと、なんでこうして提督になっているのかってことなんだけども……」
五月雨「うーん……ごめんなさい。どっちも分かんないです……」
提督「だよねえ……。ま、家賃とかは全部口座から自動引き落としだし、空き巣にでも入られない限りは半年ぐらい留守にしていても問題ないか。
折角だしね。この面白体験を楽しむことにするよ。ゲームと現実は違うとはいえ、なんとなく勝手は理解できた。つまるところ盆栽のようなものだろう」
五月雨(盆栽……?)
・・・・
深夜2時の執務室。提督と五月雨・天津風・弥生の艦娘三人でソファに腰かけてテレビを眺めていた。
机の上には人数分の紙コップと2リットルサイズのペットボトル、食べかけのピザとポップコーンが置かれている。
提督と五月雨はパジャマ姿で、普段以上に気の抜けた様子だった。
提督(五月雨の夢がきっかけでこの次元にやって来れたなら、夢を通じて元の時空に戻れると考えていたが……何夜過ごせど兆しは見えず。
こうして俺と直接出会ってしまったことで、俺にとっての現実であった世界にリンクする術が無くなってしまったんだろうか)
五月雨「流石に眠いですね。……意図的に夜更かしするっていうのも案外難しいのかもしれませんね」
提督「やはり、無意味なのかもしれないね……もう寝てもいいよ」
本来とっくに寝ているはずの時間であるにも関わらず五月雨が起きているのは、提督が元の時空に戻るための方法を調べるためだった。
(天津風と弥生は西方への遠征によって体内時計が乱れ、時差ボケして眠れないため付き合っていた)
五月雨「いえ。せっかく公然と夜更かしできるチャンスなのに寝てしまうのは勿体ないですから! そうだ、トランプでもしませんか? 七並べとか!」
雑誌やブルーレイディスクボックスなどが乱雑に詰め込まれた、テレビ脇の収納ケースを物色する五月雨。
弥生「いいですね……新しい司令官とお話出来るいい機会だし……」
冷蔵庫からワインボトルを取り出し、紙コップに注いで提督に渡す弥生。
提督「冷蔵庫になぜそんなものが……。風情もへったくれもないけど、まあそっちの方がいいか。
与えられた地位や名誉に応じて諂ったり見下したり、そんなのにはうんざりしてたんだ」
五月雨「相当疲れてたんですね。……」
提督「まあ過ぎたことさ。理想と現実のバランスが噛み合ってなかっただけ。期待しなければ上手くやれてたのに、しくじったのは俺の方だよ。
……って、景気の悪い話ばっかりしてちゃいけないな。暗い思い出のバランスは、刹那的な陽気さで補うもんだね。さ、勝負に興じようか」
グイッとワインを飲み干す提督。
893 :
【85/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/06(土) 23:50:26.53 ID:Xe5A72i70
天津風「うぅ〜……あそこで五月雨がずっとハートの8で止めてなければ……」
五月雨(自分の手札にハートのKがあったことに気づかなかっただけなのに、運良く勝っちゃいました)
自分の苦手なものや嫌いなものを明かし、敢えてそれに挑戦するというのが罰ゲームの内容だった。
天津風「仕方ない、負けは負けね。じゃあ、私の苦手なものは……ホラー映画よ。怖いのとか、残酷な話とか、嫌いなのよ」
提督「じゃあ今から見ようか。幸い、そういう作品のDVDもあるみたいだ」 収納ケースを漁りながら
五月雨「ええっ!? 辞めときましょうよ……」
弥生「司令官……弥生もそういうの、良くないと思う」
提督「あらら、みんなダメなのかい? ホラー映画って、一番元気を貰えると思うんだけどね。だってアレ見た後って絶対『死にたくない』って思うでしょ?
どんな自殺志願者でも、あれを見た後は何がなんでも生きていたいって思えるわけ。非日常の恐怖が代わり映えのない日常を刺激で彩ってくれるのさ」
突然やや早口になる提督に対し、少し引き気味の一同。
天津風「あなた……結構病んでるのね。勝負に負けた以上はあんまり強く言えないけど、私はそんなの見たくないわ。
情けない話だけど……本当に怖くて夜寝れなくなっちゃうのよ。って、まあ今も時差ボケで寝れないから起きてるんだけど……」
五月雨「天津風もこう言ってることですし辞めましょうよ。それよりほら! ラブコメなんてどうですか?」
弥生「弥生もそれがいい、です……。ハッピーエンドで終わる話がいい……」
提督「さっきの勝負の意味は……、まあいいや。わかったわかった、みんな反対なら仕方ない。じゃあそれを見ようか」
・・・・
映画の途中で五月雨と弥生は眠ってしまい、天津風も映画を見終えると眠る弥生を連れて寮へ戻っていった。
提督は五月雨を背中に負ぶって彼女の部屋へ向かった。ベッドの上に彼女の身をそっと置くと、小さく溜息を吐いて部屋を出ようとする。
提督「……俺は、何のためにこの虚構の世界に呼ばれたのだろう。ここは現実じゃない。少なくとも俺にとっては」
自問するように独り言を吐く。ドアノブに手をかけた刹那、背後に異質な気配を感じて振り返る。
扉が出現していた。それは、五月雨に手を引かれてこの架空の世界にやって来た時にくぐった扉と同じものだった。
提督は扉に手をかける。
提督(押せば開きそうな気がするな……これで現実に戻れるのかもしれない。この機会を逃したら、次はいつ戻れるようになるかは分からないしな……)
・・・・
扉を押そうとした瞬間に、記憶がフラッシュバックする。それはまだ彼が働いていた時期のものだった。
居酒屋の喧噪は騒々しく、酔った客が暴れているのか隣の個室からは怒号も聞こえる。
「――神乃。それでさ、お前、大学の時にあのゲームやってたよな。なんだっけ。そう、これこれ」
同期の見せるスマートフォン画面に映っていたのは、艦艇を擬人化したゲームのキャラクターだった。
吹雪、大井、最上、伊勢、赤城……サービス終了した今でも彼女たちの名前を彼は覚えていた。
「一時期はすごい人気だったのに、バブルが弾けたらあっという間だったな。でも、オワコンオワコン言われてたわりには長く持った方か。
後続のゲーム……なんだっけ、名前は忘れたけど似たようなゲームがあってさ。あっちの方がまだ面白かったわ。あれも飽きて辞めたけど」
茶化して、その場にいる上司や後輩への笑い者にするような口ぶり。こうした嘲笑を受けるのは、彼のいる環境ではさして珍しいことではない。
「結局のとこさあ、ああいうのってキャバクラだよな。時間と金を費やさせて、徐々に深みにハマらせていくんだろ?
うまいビジネスだよ、ハハハ。で、いい“上客”だったお前はなんであんなのずっと続けてたの? そんなんだからノルマも未達なんじゃねえのかなあ」
出世のために“誰が上で誰が下か”を白黒はっきりさせようとする、そのためなら旧友を蹴落とすことすら厭わない。
世間的には好待遇の優良企業の一つとして知られているこの会社は、高給ではあるもののとにかく競争の激しい社内環境だった。
神乃「言っても理解できないかもしれないが……盆栽のようなものだよ。それか、筋トレか。日課があると精神が安定するんだ」
罵声も批判も彼は慣れ切っていた。しかし、彼なりに思う所があったのか、普段だったら流していたであろう挑発に対してこの時は受け答えしてしまう。
「誤魔化してんじゃねえよ。なあ、俺はお前のためを思って言ってやってるんだぜ? お前には才能があるよ。その片鱗がある。
だが、その甘さが全てを台無しにしちまってるんだ。お前はもっと非情になるべきなんだ」
「俺たちの売った商材で客が困ろうと、それは俺たちの人生には関係ない。他人を騙せなきゃこうしてお前自身が袋叩きに遭う。
これは戦争だ、やるしかないんだよ。奪い、踏み躙らなければ生き残れない。お前は戦いの中で敵に情けをかける甘ったれだっつってんだ」
同期の手は震えていた。それは自分自身への訓戒でもあるようだった。
「俺は、俺に残された数少ない良心でお前に言ってるんだぞ。悪魔に魂を捧げろ。全ては搾取されないためだ。
こんなことは言いたくないが、俺もギリギリの所で戦っている。お前まで居なくなったら、俺は……」
言いかけて、隣の上司の表情が険しくなるのを見て同期は口を噤んだ。神乃はこのやり取りの後、すぐに会社を辞めた。
・・・・
提督は、扉から手を放すと踵を返して部屋を後にした。
提督(……まだ、その時ではないのだろう)
894 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/01/07(日) 00:14:27.98 ID:C8XSSjcQO
待ってた
895 :
【86/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 00:15:43.62 ID:EGTLO2bo0
大淀「提督! お昼時で眠いのは分かりますけど、寝ちゃだめですよ」
執務机に突っ伏して眠る提督を軽く揺さぶって起こす大淀。
提督「ん……ああ。ごめん、寝てたか。昨日徹夜したのがまずかったかな」
大淀「それで、以前お伝えしていた視察の件ですが……同行させる艦娘は如何なさいましょうか」
提督「? そんな話してたっけ……ごめん、覚えてない」
大淀「海域攻略作戦が一時収束した今こそ、各鎮守府から情報を集めてノウハウを得るべき……って、前回の会議で提案しませんでしたっけ。
その時に承認してくださったはずですし、もう他の鎮守府の提督方からも許諾済みのはずですよね?」 じとっとした目で提督を見つめる
提督「ギクッ……ああ! それね、大丈夫です忘れてないです。そっか……十二月に二週間ぐらい弾丸ツアーするんだよね。
そうだなあ……誰でもいいんだけど、行きたいっていう意志のある艦娘がいいかな。嫌がってるのに無理矢理連れて行くのもよくないしね」
大淀「では、鎮守府内の各艦娘にアンケートを取っておきますね」
提督「ああ、助かるよ。それでさ……大淀、全然関係ないヘンなこと聞くんだけどさ。大淀は出世したい?」
大淀「? ……質問の意図が分かりかねますけど、したいしたくないで言えばしたいですね」
提督「いや、大淀っていつも積極的だなって思ってね。いつもしっかりしてるし、仕事が好きなんだなって思ったのさ」
えへへ、と屈託のない笑顔を見せる大淀。
大淀「そうですね。戦場に出て直接戦うより、こうして鎮守府内の環境を整えたり戦略を考えたりする方が好きなんです。
戦いに勝つことも大事ですが、他の艦娘や鎮守府内の作業員さんに『大淀で良かった』って褒められるのが嬉しくて」
提督「……そっか。妙な質問して悪かった。俺も大淀のような艦娘がいて良かったと思うよ」
退室する大淀の姿を見て、提督は頬杖を付きながら考え込む。
舞風「偉大なる将軍様〜! 栄光ある我らの精鋭艦隊が無事母港に戻り果せましたぞ〜!」
提督「ははっ……帰投するたびに面白い口上言うのやめてよ。笑っちゃうじゃない」
舞風「提督がなんだかアンニュイな顔してるから、舞風なりに気遣ってるんですよ? スマイル、スマイル〜♪」
提督「そっか……ありがとね。心配かけたかな」
舞風「なーんて! 髪と帽子で隠れてて全然表情分かんないのに適当に言ってみただけですけど。
でもさ、分かるよ。分からないけど、分かる、みたいな……。もう十数年前の話だけど、私も……ってそんな話しに来たんじゃなーい!」
舞風「出撃結果の報告でした。こちらの書類をどうぞ。作戦は大成功、首尾通りです。
あと、五月雨が大破してて、如月がドックまで連れてってまーす。半日もすれば治ると思うけど」
提督「了解。今日はもう出撃しないからゆっくりしてていいよ。補給だけ忘れないようにね」
舞風「はーい」
提督(しかし……そうだよな。ゲームとは違うもんな。近海での簡単な任務とはいえ、さっきの作戦で俺が判断を誤っていたら……。
五月雨が轟沈していた可能性もあったんだ。にもかかわらず、自分は安全な場所で昼寝だなんて最低だな。意識が甘かった。……『甘ったれ』、か)
提督(まあ、過度に自分を責めても仕方ないか。舞風が言っていたように……不安や恐れは艦娘たちに伝わる。
けれど……俺のような取るに足らない人間の感情の機微まで推し量ってくれるような人と、どれだけ出会えただろうか。これまでの人生の中で……)
提督(これから先の未来に何が起こるのかは分からないが……ここでの出会いは大切にしたいもんだな)
提督「舞風。改めてありがとう。少し前向きな気持ちになった」
舞風「ふふっ。どーいたしまして♪」
・・・・
昼の仕事が終わると船渠に向かった提督。しかし五月雨の姿は見つからず、波止場にて傷の癒えた彼女と鉢合わせする。
五月雨「あっ、天道さ……じゃない、提督。お疲れ様です」
提督「ああ。傷は治ったかい」
五月雨「はいっ。ちょっと不覚を取っちゃいましたけど、今はもう大丈夫です。予定より治りが早くて」
自分の顔が隠れないように前髪をかき上げてから帽子を被り直して、少し屈んで五月雨と目線を合わせる提督。
提督「それは良かった。いやその、謝りに来たんだよね……。もう本当顔向けできないぐらい酷い話なんだけど、君が出撃してる間に昼寝しちゃっててさ。
成り行きでこうなったとはいえ、俺は君の命に対して責任がある。だから……許してくれとは言わないが、謝りに来たんだ。すまない」
提督から帽子を取り上げて、頭を撫でる五月雨。提督は困惑する。
五月雨「許さないなんて言うわけないじゃないですか。昨日は夜遅くまで起きていたんだし、仕方ないですよ」
夕焼けの光が水面に反射してキラキラと輝く。黄玉(トパーズ)のように、赤みがかった黄色い光だった。
ワシャワシャと頭を撫で続ける五月雨に対し、説明を求めるような視線を向ける提督。
896 :
【87/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 00:41:33.33 ID:EGTLO2bo0
五月雨「これからは……『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』でいっぱいの人生になるといいですね。ううん……そうなるようにしましょう」
『ありがとう、なんて誰かに言えるような人生じゃない。俺が言えるのは、生まれてきてごめんなさいってぐらいだな』
五月雨の言葉は、高校時代に彼が言い放った台詞を改変したものだった。当時の彼はニヒリズムに傾倒していて、全ての物事に希望を見出せなくなっていた。
虚無感から脱して、稚拙で偏狭な自分の考えに囚われていただけに過ぎなかったのだ、と反省できるようになるまでには数年の歳月を要した。
提督「〜〜〜〜っ。うっ、まあ、うん。そうだね」
何にせよ、大人になった今の彼にとっては、当時の自分を思い出させてくれるおぞましい呪文であった。
屈んでいた姿勢を戻して五月雨から離れると、耳を赤くして照れくさそうに帽子を深く被る。
提督「そっか……いや〜、過去が見られてるっていうのは恐ろしい話だね。非情にイタいね」
五月雨「天道さんが高校生の頃は、突然選民思想みたいなのに凝り固まるようになったり、かと思えば急に自分は無力だって落ち込んだり……。
あの時は今とは別の方向で心配してたんですけど、友人やご両親が居ましたからね」
提督「いやー……まあその節は色んな人に迷惑かけたけどね。……今になって振り返ってみると、未だにその心境から脱せてないのかもなあ。
人に対してもうちょっと素直にはなれたけどね。なんというかこう、いつまでも経っても大人になりきれないなあと思うよ」
五月雨「大人になんてならなくていいんじゃないですか? 責任とか義務とか……それももちろん大事ですけど。
そういう重圧だけを背中に背負って生きるのって、息苦しいし窮屈ですよ」
海へと吹き抜ける風とともに、群れを成して夕焼け空を飛ぶカモメが頭上を通り過ぎる。
提督「そう、そうなんだよね。だけどやっぱり子供のままでは居られないんだ。これは言うなれば業のようなもので。
……そう。ここの世界観や設定のことは分からないが、深海棲艦と君たち艦娘との戦いもそういうもんなんだろうと思う」
提督「これはカルマだ。前時代の負債は、若い世代の負担によって支払われる。憎しみや悪意は、弱者から更に弱い者に対して向けられる。
自分以外の誰かに苦しみをおっ被せて逃げ回っていればそりゃ自分は楽なんだろうけど……それが人の在り方だと俺は思いたくない」
強い潮風の流れに身を任せるように、海に沈む太陽を見つめる五月雨。
五月雨「……そうですね。この戦いが何で始まってどうすれば終わるのかは分からないですけど。ひょっとしたら終わることなんて無いのかもしれませんけど。
それでも、今戦ってる私たちが投げ出したりしちゃいけないですもんね。なんか……大事なことを気づかされちゃいましたね」
提督「五月雨の言っていることも一つの真理だとは思うよ。童心とか好奇心とか、そういう純粋な感情を失くしたら人は機械のようになるしかなくなる。
働いていた頃の俺の姿を見ていたからこそ、そう言いたかったんだろう? 気遣ってくれてありがとう。嬉しいよ」
提督「ここの人たちは誰も彼もみんな、優しくて温かい心を持っているんだね。五月雨が俺をここに連れて来た理由が分かった気がするよ。良い所だ」
夕陽から背を向けて施設に戻ろうと歩き出す提督。その動きにつられるように五月雨も並んで歩く。
五月雨「そうですね、私もこの鎮守府が大好きです。あ……そういえば、鎮守府の紹介動画は見てもらえました?
うちの鎮守府の個性がギュッと詰まった、PVっていうのかな……。でもプロモーションってわけじゃないから違うか」
提督「おや? そんなのがあるんだね。知らなかった」
五月雨「あらら……作っただけで満足しちゃって見せるのを忘れてました。今度お見せしますね! 絶対面白いと思うので、期待しておいてください」
ふふんと鼻を鳴らして得意げな五月雨。
提督「へ〜、それは楽しみだな。どんな内容か気になるね」
・・・・
五月雨「お天道様がカンカン照りですね〜。雲一つない青空!」
麦わら帽子を被る五月雨に、普段通りアロハシャツ姿の提督。
数ヶ月前との違いは、一時は腰のあたりまで届くほど伸びていた彼の長髪が無くなっていたことだった。
顔を覆い隠すように伸びていた前髪も今では整えられてさっぱりとしている。
提督「本当だねー。しかし、鎮守府の近くにこんなプライベートビーチがあったなんて」
五月雨「出撃や遠征のない日はここで過ごすことも少なくないですね。来週から視察で鎮守府を離れちゃうじゃないですか。
やり残したことがないように、折角だから遊び抜いておこうかなって思いまして」
提督「なるほど、そいつは殊勝な心がけだ。存分に遊んでくるといい」
ビーチパラソルの下で陣取る提督に対して、不満げな五月雨。
五月雨「え? 提督も一緒に、でしょう?」
提督「いやほら俺はあれだ。保護者っていうかライフセーバーっていうか……五月雨が沖に流されないように見ていないと」
露骨に嫌そうな反応をする提督に疑問を覚えた五月雨だったが、提督が泳げないことを思い出してすぐに納得する。
提督の臆病にはお構いなしで無理矢理手を引いて歩く。
五月雨「私、艦娘ですよ? 沖に流されるって……いくら私がドジでも、自分ちの庭で迷子になる人はいないでしょう?
泳げなくても大丈夫です。近くに物置小屋があって、そこに浮き輪もありますし……提督の分の水着もばっちり用意してますから!」
提督「強引だなあ……何から何まで用意されてたってわけか。まあ、五月雨となら悪くないんだけどさ」
五月雨「お仕事以外で提督と遊べる機会って、中々ないですから。楽しみにしてたんですよ?」
897 :
【88/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 01:09:54.72 ID:EGTLO2bo0
提督「最後に水着を着たのももう10年以上前だなあ……。俺さ、実は泳げなくはないんだよね。得意ではないけど、完全なカナヅチではないんだ」
浮き輪に乗ってプカプカと波間を漂う提督と五月雨。
五月雨「え〜っ、そうだったんですね。泳いでる所を見たことがないから知らなかったです」
提督「学生時代は自分の体にコンプレックスを持ってたんだよ。ほら、俺さ。試験官の培養液の中で生まれたような貧相な肉体をしてるじゃない。
当時は自分の体を人に見られるのが嫌だったんだよ。今もまあ……好きではないけど。さすがにこの歳になると羞恥心も鳴りを潜めるようになるもんだ」
彼の腕や脚はかなり細く、シルエットだけなら女性のそれと区別がつかないほどだった。
五月雨「だから中学時代に怪我してないのに包帯を巻いてたりしてたんですね! 納得しました」
提督「俺から言い出しておいてアレだけど、昔の話はやめようか。その、中々古傷がね……」 苦笑いする提督
陽炎「危なっ……ごめん避けれない! ぶつかるわ、そっちでかわして!!」
押し寄せる波とともに提督たちの方へ突っ込んできたのは、陽炎だった。
陽炎はビート板のようなものに腹這いになる形で乗っていて、板越しに提督と激突してしまう。
顔面を手の平で叩かれるような衝撃とともに浮き輪から転覆する提督。
陽炎「ビーチの近くに人が居るなんて思ってなくて……司令、ごめんね?」
提督「うげ……鼻血は出てないようで良かった。いいよいいよ、吃驚しただけだ。
しかし……何をしていたの? サーフィンとも違うみたいだけど」
五月雨「ボディボードですよ。専用のボードを使って、波の上を滑るように乗るんです」
陽炎「そそ。発祥はハワイ島で、サーフィンよりもカジュアルに楽しめるのが特徴ね。
ほら、重くてでかいサーフボードを持ち運ばなくていいじゃない。あっちにサーフィンをやってるのもいるけどね」
陽炎が指さす先には、波の上で跳ねる人影があった。髪の色や体型から、恐らく黒潮だろうと推測できる。
提督「黒潮にあんな一面があったなんて意外だな、様になってて結構カッコいいじゃないか。ところで、あれは……?」
絶叫とともにセイルボード(帆のついたボード。ボードの形状はサーフボードに近い)に乗った金髪の少女が上空に打ち上げられている。
陽炎「ウィンドサーフィン、もとい、凧揚げかな……」
舞風「ごめんってば〜!! 許してぬいぬい〜〜!」
・・・・
長袖の冬服の上にダウンコートを着込んだ五月雨と、毛皮の帽子(ロシア帽)を被った提督が、桟橋から船内の艦娘たちを先導する。
提督に続いて舞風・如月・夕張と列を成して船を降りていく。
提督「あの後ボディボードもサーフィンもやっちゃったせいで筋肉痛が今も治らないよ。楽しかったから後悔はしてないけどさ。
おや、出迎えてくれるなんてありがたい。初めまして、視察に来た神乃です。ラバウルの」
瑞鳳は神乃提督たちがここに来るのを待っていたようだった。神乃提督がお辞儀をすると、瑞鳳もお辞儀で返す。
瑞鳳「初めまして、瑞鳳です。柱島泊地へようこそ。今提督を呼んできますね」
乙川「その必要はないさ。あ、敬礼とか形式ばったのはいいからね。いらっしゃい、遠洋遥々よく来たね」
物陰からニュッと姿を現したのは和服姿の男で、彼がこの柱島泊地を取り仕切る乙川中将だった。
提督の毛皮帽子や冬服の上にモコモコのコートを着こんだ艦娘たちを物珍しそうにジロジロと眺めている。
乙川「で……みんな、アレかな。幌筵泊地とかから来たんだっけ?」
普段Tシャツと半ズボンで過ごせるラバウルでは、作戦のために用意された寒冷地仕様の防寒具はあれど、冬用の普段着の類はほぼ無いに等しかった。
このため、提督たちの衣装は本土やその周辺地域に住む人間からしてみれば過剰な恰好に見えるのだった。
提督「暑い地域から来たもんで、寒さに弱いんですよ」
乙川「なるほどなるほど。ま、ウチの鎮守府なんか見てもあんま意味ない感は強いと思うんだけどね」
瑞鳳「もう、そういうこと言わないの。折角の後輩なんだから、ちゃんと面倒見てあげないと」
・・・・
瑞鳳の家で乙川中将と瑞鳳が話している。瑞鳳はエプロン姿で台所に立っている。
瑞鳳「もうすっかりこの家で過ごすの当たり前になっちゃったわね」
乙川「そりゃあ……料理が出来て器量もよくて世界一可愛いお嫁さんがいる家なんだから、当たり前でしょ。……なんてノロけてみたり」
瑞鳳「もう、調子いいんだから。一応、来る前に掃除しておいたけど大丈夫かしら」
神乃提督一行は、柱島にいる期間中は乙川の家を借りることになっていた。
乙川「修学旅行生みたいで微笑ましかったね。鎮守府を案内してる間も、妙にソワソワしたりして楽しそうだったよ。
なんでもないようなことに驚いたりしてさ。自分が着任したての頃を思い出しちゃったよ。まあ僕はもっと不真面目だったけど」
瑞鳳「最初の頃はほんとに世話焼いたわよね……。あ、お皿用意してもらえる?」
898 :
【89/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 01:47:44.51 ID:EGTLO2bo0
席に着いて向かい合い、「いただきます」と両手を合わせる二人。
瑞鳳「今日はちょっと挑戦しちゃいました! フラメンカ・エッグ・ドリアです!」
乙川「? フラメンカ……?」
瑞鳳「パプリカや玉ねぎ、ベーコンを炒めてからトマトソースで味付けして半熟卵を乗せた料理みたいね。
今回はドリアにしたからお米も入ってるけど。“フラメンカ”って名前から察しがつくように、スペインの郷土料理らしいわ」
乙川「ナスとか入れても合いそうな感じだね。美味しいよ」
瑞鳳「それで、今までさ……色んなことあったよね。もう三年近くになるのかな」
乙川「うん。僕の記憶が正しければ一昨年の春にはここに着任して、去年のバレンタインデーで一旦舞鶴に飛ばされて……。
それからはずっと一緒じゃないかな。来年の春に三年目ってとこか。逆に言うと、時間に直すとそのぐらいなんだね」
瑞鳳「そうね。なんだか何十年もずっと昔から一緒に過ごして来たんだって錯覚しちゃうわ」
乙川「何十……まではいかないかな、さすがに。とはいえ、おかげさまで濃い一日を過ごさせてもらってるよ。
すっかりこの仕事も板についたもんだ」
徳利に入った熱燗をお猪口に注ぎ、口に運んでほっと一息つく乙川。
瑞鳳「あら、手酌は出世しないって知ってるかしら?」
乙川「じゃあ瑞鳳に僕の分まで働いてもらおうかな。目指せヒモ暮らし」
そう言って瑞鳳にも熱燗の入ったお猪口を渡す乙川。
瑞鳳「ばかなこと言わないでよ、もう。私を酔わせてどうする気?」 口ではそう言いながらもぐいっと飲み干してしまう
乙川「ご想像にお任せするよ。……それはそれとして、さ。瑞鳳はやっぱり、僕に偉くなって欲しい? 必要なのはお金かな? 地位? 安定?
瑞鳳が望むのなら、多少は頑張ってみようかなー……とも思わなくはないんだけど。三年もやってると自信もついてくるっていうか」
瑞鳳「ううん。……本当はね。提督にいつもちゃんとしなさいとか、立派になって欲しいとか言ってるけどね。
それも本心なんだけど……その一方で、提督がどこか遠い所へ行ってしまうんじゃないかって怖いの。そのぐらい、今の提督は優秀だから」
瑞鳳「今はこんな風に幸せに過ごせているけど、提督が……私とお話できる時間が段々なくなっていったりしたらどうしようって思うの。
他にもほら、提督って顔が良いから他の可愛い子に言い寄られたらちゃんと断ってくれるかな……とか」
突然椅子から立ち上がって瑞鳳の唇を塞ぐ乙川。
乙川「……ふう、ごちそうさま。洗い物は後で僕がやっておくからさ、星でも見に行かないかい。ううん、行こう。
……こんなにキザったらしい一面を見せるのは瑞鳳にだけ、ってことを嫌というほど教えてあげるからさ」
乙川「自分でも歯の浮くような甘ったるい台詞でも、瑞鳳相手になら言えるからさ。照れくさいけどね」
乙川の手を取って立ち上がる瑞鳳。
・・・・
柱島の船着き場。桟橋の前で乙川中将ら柱島の面々に別れを告げる神乃提督一行。
提督「お世話になりました。ゆるい雰囲気の中でも不思議な一体感のある、良い組織ですね。
上司と部下の関係を越えた、家族のような繋がりを感じさせるというか。
鎮守府の内に留まらず、本島の住民とまで親交があるなんて驚きました」
乙川「無駄足だったと言われなくて良かったよ。で、次はどこの鎮守府に行くんだい?」
提督「呉に行って、舞鶴、横須賀……の順で巡りますね。何か意図があるわけじゃなく、たまたま予定が取れた鎮守府がそこだったってだけなんですけど」
乙川「なるほど。大きい鎮守府だと結構客人が来てももてなす余裕がありそうだもんね。ウチは単に暇なだけだけども。
舞鶴に行く用事があるなら、秋月と涼金くんによろしく言っておいてくれないかな。あ、秋月っていう艦娘と、涼金凛斗っていう学生なんだけど。
ああそうだ、横須賀の春雨っていう艦娘にも挨拶しておいてくれたら嬉しいかな。柱島は相変わらずだって」
そう言って酒瓶や菓子類といった土産物をあれやこれや渡す乙川中将。
渡された荷物を両腕で抱えながら船に戻って行く神乃提督。
五月雨「お持ちしましょうか? 重くないですか」
提督「いや……気持ちは嬉しいけど遠慮しておくよ」
夕張「まあ、前科があるもんね……昨日だって突然提督を海に巴投げしてたじゃない」
五月雨「違いますよぉ……。砂浜に男女の幽霊がいてですね……急に隣から提督に話しかけられてビックリしちゃっただけなんです」
如月「きっと情死した男女の霊なのね。島を隔てた身分違いの恋、結ばれざる浮世への未練。ああ、運命とはなんて残酷なのでしょう」
提督「いや、確かに人の少ない島ではあるけど、幽霊と決めつけるのは早計なんじゃないかな……」
船に入っていくラバウルの艦娘たちを、苦笑を浮かべながら見送る乙川中将。瑞鳳も少し頬を赤く染めている。
瑞鶴「? どうしたの」 不思議そうな様子で乙川を見つめる
乙川「いやその……心当たりのある話をしているなと思って(お外でイチャつくのも考え物だねぇ……)」
899 :
【90/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 02:15:13.62 ID:EGTLO2bo0
呉鎮守府総司令室。神乃提督らが訪れる頃にはもう夜の帳が下りていた。
芯玄「……と、ここの説明はこんなもんだな。あとは演習とかで直接見てもらった方が分かりやすいかもしれん。技術の説明とかも長くなるから後日だな。
で……本来こんな話は直々にするもんじゃないんだ、オレも一応暇ではないしな。が、ラバウルの面々とその提督ってなると話は別だ」
五月雨「お久しぶりです。芯玄元帥!」
提督(推測するに、俺が着任する前のラバウル基地の提督だったのか?)
芯玄「元気そうで何よりだ。まああの頃はちっとまだ未熟だったが、オレもようやく丸くなったかな。
根っこの部分は変わっちゃいないが……前よりはぶっきらぼうじゃなくなっただろ? これでも大人になったつもりだぜ」
如月「そうね。でも、昔のギラついたような目で何かに飢えていた芯玄司令官も嫌いじゃなかったわよ」
夕張「にしても、呉の兵装データがタダで貰えるなんて願ってもないことだわ。あんなことやこんなことに、うふふふ……」
朝潮「なんというか……皆さん相変わらずですね。元気そうで何よりです」
・・・・
夜も遅いため他の艦娘は各々用意された部屋に向かったが、神乃提督だけは執務室に残っていた。
芯玄「残ってもらって悪ぃが。スケジュール的に直接話が出来そうなのも今日ぐらいしかないもんでな」
提督(元帥というだけあって多忙なんだろう)
芯玄「本題なんだが……お前は、本当にこの世界で生まれ育った人間なのか?」
提督「! ……それは、その。どういう意味でしょうか(なんと答えたらいいものか……)」
芯玄「ああいや、突拍子もないことを言って悪いな、お前のことを勘繰ったりしてるわけじゃねえ。
あいつらの懐きようを見てれば信用に足る奴だってのは解ってんだ。あいつらは皆お人よしで抜けてるところもあるが、人のことはしっかりと見てるからな」
芯玄「オレと朝潮はパラレルワールドで生まれたんだ。こことよく似た別の世界でな。だから……実を言うと“この世界の”五月雨や如月とはほとんど面識がない。
オレらがこの世界に居たという物的な証拠はないのに、他人の記憶や認識上ではオレ達が居ることがさも当たり前のようになっているんだ。都合良く、な」
芯玄「で、全く見覚えのない名前だったもんだから、つい気になってお前のことを調べてみたんだが……どうにもオレらと似たパターンらしいんでな。
出自不明、経歴も謎、どこかの軍学校を卒業してつい最近着任してきたってことらしいが、どこの卒業生名簿にもデータなしときた」
提督「お察しの通り、俺もここの人間ではありません。……ただ『別の世界から来た』というのも違うかもしれないと思っていて。
あの……これは話半分で聞いてもらって構いません。専門の知識もない半可通が考えた仮説ですから」
靴紐を解いて見せびらかす神乃提督。
提督「この紐の繊維が一つ一つがそれぞれの三次元空間。全てに時間が存在していて、過去から未来へ一方向に進んでいく。
この紐の繊維どれか一つに俺が生まれ育った場所があり、他方我々がいるこの場所も存在していると考えていただきたいのですが……」
提督「こうした紐繊維が束ねられて一本の紐が形成されています。これが世界の一単位。
ところで、もう一本の紐を用意しました。こちらを貴方がたが本来いた世界としましょう。
こちらとさっきの紐とで、一本一本の繊維の性質も、その束である紐としての性質も同じと言って差し支えないでしょう」
提督「紐であることは同じでも、限りなく似ているだけで同一の存在ではありませんね。さて。この紐の先端をつまみ上げて、水で濡らしてしまいます。
すると紐の下部までじょじょに水が浸透していくのですが……この説明は今は省きます。で、実際には靴の紐というのはこのようになっているのであって……」
革靴に乾いた紐と濡れた紐の二本を通す神乃提督。微妙にもたついている。
提督「えーっと、段取りが悪くてすみません。……このように、結び目で紐と紐とが接触しているでしょう。
すると、濡れた紐から乾いた紐の方にも水分が伝わっていき、湿ります。この、紐から紐へと移った水分子が貴方がただったのではないか?
……などという妄想です。根拠はありませんが」
提督「で、俺がここに来たのは、ある紐繊維から別の紐繊維への移動だったのかなと。その原理とかも謎ですけどね。
これならとりあえず辻褄は合うのかなと。紐というのは物の例えで、実際は前後左右上下に広がるセル郡とセル郡、って考えてますけども」
芯玄「ほう? 面白い解釈だな。真実がどうかはさておき、お前さんのいきさつはなんとなく理解できた。
どうにも別経由ってことらしいな。んじゃ、オレらの話も少ししようかな。オレと朝潮がこの世界にやってくるまでの話。……」
・・・・
提督「こんなところに居たんだ。もうすぐ昼餉だから探していたんだよ」
五月雨「ああ、ごめんなさい。なんだか不思議な景色で……ずっと眺めていたんです」
五月雨の視線の先には、枯れた向日葵が辺り一面に広がっていた。
呉鎮守府内のはずれにあるこの場所は、何にも使われていない土地を花畑として再利用したものだった。
見栄えのしない殺風景な眺めだったが、提督はその光景にどこか懐かしさを覚えていた。
提督「夏は燦燦と降り注ぐ太陽の日差しを浴びて咲き乱れていたのだろうが、今じゃ見る影もないね。
焼け焦げたように黒ずんで、俯いたままもう空を見上げることはない。……季節が過ぎれば詮無きことで」
五月雨「子供の頃のことを思い出していたんですか? まだユーゼンちゃんも居た頃の」
提督「うん。通学路の途中にあった向日葵畑がふと頭を過ぎったんだ。背の高い向日葵の花畑は、学校をサボった俺が隠れるのに最適でさ。
携帯ゲーム機を持って行って電池が切れるまで遊んでさ、その後は川や森に探検に出かけたり。……褒められたものじゃないけれど」
提督「楽しかったんだ、すごく。……それだけ」
900 :
◆Fy7e1QFAIM
[saga sage]:2018/01/07(日) 02:15:59.51 ID:EGTLO2bo0
一旦ねます・・・
901 :
【91/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 14:54:56.82 ID:EGTLO2bo0
五月雨「いつか……元の場所に戻らないといけなかったとしても」
提督「?」
胸に両手を当てて上目遣いで提督を見つめる五月雨。
五月雨「ここに居る間は、いっぱい楽しい思い出を残しましょうね」
済んだ冬晴れの青空と太陽の温もりを背に、無邪気にほほ笑む五月雨の姿が妙に印象に残ってしまって、言葉に詰まる提督。
そうだね、とだけ素っ気なく返して、五月雨を連れて施設に戻ろうとする。
提督(ここにずっと居るのも悪くないのかも、なんて……。それでもいいと思えてしまうなんて、どうかしてるな)
五月雨「本当は、ずっと一緒にここに居てくれたら良いんですけどね。……なんて♪ これは私のわがままです」
・・・・
朝潮「あら? 五月雨、どうしましたか。元帥に用件があるなら、お伝えしておきますが」
呉鎮守府にやって来て数日が経ったある日の夕方、五月雨は一人で総司令室を訪れた。
部屋では朝潮が椅子に座って書類の整理をしていた。
五月雨「いいえ。お夕飯までにちょっと暇な時間が出来ちゃったから、お話ししようと思って。邪魔でしたか?」
朝潮「そう。私も今日の仕事は済んでいるから、いいわ。紅茶でいいかしら?」
頷く五月雨。朝潮は給湯室へ向かうと、すぐに戻ってきてお盆を客人用テーブルの上に置く。
カステラの乗った皿と紅茶の入ったティーカップが二人分用意されていた。
五月雨「どうもこっちに来てからは暖かい飲み物が恋しくなりますね〜」
カップに口づけし、しみじみと安堵する五月雨。
朝潮「ラバウルから来たんじゃ無理もないわ。まだ冬の初めのはずなんだけど、寒い日が続くわね」
五月雨「実は朝潮には前から聞きそびれてたことがあったんですよね。芯玄元帥とどうやって親密になったのか、気になってまして。
提督と秘書艦って関係だし接点の多さで考えれば不思議というほどではないんですけど……。何の前触れもなく電撃結婚だったんで、すごいなあって」
朝潮「結婚したらすぐラバウルを離れちゃったから、確かにあまり話す機会は無かったわね。なんて説明したらいいのかしら……」
五月雨「元帥とのご結婚が決まった時、『突如現れたブルーホールに、異世界への入口が!』……みたいな話をしてませんでしたっけ。
ひょっとしてそれが関係しているのでしょうか。あの時は噂話だと思ってたんですけど、今になってみると本当にそういうのもあるかもって思えてきたんです」
五月雨の問いかけに少し驚いて、持ち上げかけたティーカップをソーサーに戻す朝潮。
朝潮「あれが夢だったのか、現実だったのか……今はもう本当のところは分かりませんが。そう。
あまり混乱させるようなこと言いたくはないんですが、私と司令官は別の世界を彷徨っていたんです」
五月雨「それは……なんだか素敵ですね。違う世界にトリップして、そこで二人だけの時間を過ごしたんですね」
朝潮「一言で説明するなら、運命? というものなんでしょうか……」
自分で言って恥ずかしくなったのか赤くなった顔を手で覆う朝潮。
覆い隠す左手の薬指には銀の指輪が煌めいていた。
五月雨「お似合いだと思いますよ。すごく。……運命、かあ」
五月雨は宙を見つめてぼんやりと呟いた。
五月雨「なんだか重たい言葉だなあ……って。私もロマンスとか好きで、運命や奇跡を信じたいって思うんです。
でもその一方で、幸せになれる人とそうはなれない人がいて……。そういうのが全部運命で決まっていたら嫌だなあとも思うんです」
窓から見える夕焼けの空を眺める朝潮。
朝潮「五月雨は……自分の幸せ、ひいては自分にとって大切な人たちの幸せのために、それ以外の人間を犠牲に出来ますか? 例えば、そうね。
自分や自分の周りの人たちだけは救われて幸せになるけれど、そうでない人たちは不幸になるとしたら……五月雨はそれでも幸せになりたいと思いますか?」
五月雨「……そういう幸せの在り方って、間違っていませんか。人から奪った幸せなんてきっと虚しいと思うもの。
少なくとも私は、誰かが悲しむ方法で自分の望みを叶えようとは思わないですね」
朝潮「五月雨ならそう言うと思いましたよ。そうでしょうね……。証明する術がないので信じてくれなくても構いませんが。
私、不老不死だったことがあるんです。以前の話で、今はもうその力を失ったんですけど。
自分と……あの人が永遠の命を持ち続ける代償として、他の全ては消え去ってしまう。そんな選択を迫られたことがありまして」
朝潮「私は……手放したくありませんでした。私にとっては、他の全てに勝って司令官が一番大切な存在ですから。
だけど。司令官は五月雨と同じ考えでした。その時に司令官が言ってくれた言葉が、私の胸の中にずっと残ってるんです」
『永遠に二人で時を過ごすことが出来れば、確かに幸せかもしれない。ここでこいつらの言う通りにすれば、オレはやがて老いさらばえて死ぬ。
だけど、それでもいいんだ。不幸も、いつか来る別れも、全部受け止めた上で、それでもオレは朝潮と一緒に居たい』
朝潮「人は幸せだけを追い求めてしまいがちだけれど、きっとそれだけじゃ心は満たされなくて。
不幸せにも意味があるのかなって……今はそう感じます。痛みを通じて糧になるなら、きっとそれも大事な経験だと思うんです」
朝潮「これが私なりの運命に対する解釈です。確かに重みのある言葉かもしれませんけど、恐れることはないんです。
それがプラスのものだったにせよ、マイナスだったにせよ、振り返って価値のあるものになるならそれでいいんだと思います」
902 :
【92/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 15:15:03.94 ID:EGTLO2bo0
大型ワゴン車に乗って舞鶴へと向かう神乃提督たち。「到着までに今から5時間弱かかる」と提督が告げると、みな観念したようにすぐ眠りに落ちてしまった。
提督「運転手を用意してもらうべきだったなぁ……。最後にハンドル握ってから何ヶ月ぶりになるだろう」
助手席の五月雨が、提督のこぼした独り言に反応する。
五月雨「代わってあげられたらいいんですけど、あいにく車の運転は苦手で……。こないだなんて海に突っ込んじゃったんですよ!
艦娘じゃなかったら危なかったなあ……。車はもうダメそうだったので、泣く泣く廃車しました。とほほ……」
提督「サラッととんでもないエピソードが飛び出してきたね……」
片手で缶コーヒー(微糖)をグイッと飲み干して、そのままハンドルに手を戻す提督。
提督「そういえば、五月雨は眠くないの? 他の皆は寝てるみたいだけど」
五月雨「到着するのが朝方だから、寝ておいた方がいいのは分かってるんですけど……なんだか眠れなくて。
そうだ、目を閉じて羊を数えてみましょうか。羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、……羊が二十五匹、羊が二十六匹」
提督「ところで今、何時だっけ。確認してもらえるかな」
目を開けて車のナビに表示された時刻を確認する五月雨。
五月雨「えっと、ちょうど午前四時ですね。うぅーん……羊が四匹、羊が五匹……あれっ」
ふっふっふ、とほくそ笑む提督。
五月雨「もうっ、撹乱しないでくださいよ。……あの、提督?」
提督「なんだい?」
五月雨「提督にとっては、あんまり思い出したくないことだと思うんですけど……。働いてた時期は、今から振り返ってみてどう思いますか?」
提督「ンー、ヤな思い出ではあるね。憧れの会社だったんだけど、実際入ってみたらあんまり良い所ではなかったし。
でも、それも含めて自業自得だったかなって思うよ。あんまり内情知らないまま入社しちゃったのは俺の方だしね。
お金が稼げればなんでもいいやって投げやりな気持ちでエントリーしたらそのまま通っちゃって」
提督「まあ、働く環境が大事だってのは一つの大きな学びだね。俺には自分の人間性を切り売りする生き方は向いてないんだなあって思ったよ。
そういう意味では勉強になることも多かったし、全部が全部失敗だったってわけでもないかな。二度とやりたくはないけど」
五月雨「……本当に、ここにずっと残るつもりはありませんか?」
提督「ないね。第一に、俺に人の命は背負えない。戦争のことは歴史の授業で習ったよ。俺のひい爺ちゃんは戦争で死んだって話も聞かされた。
けど、それを踏まえても俺にとっちゃ実感がないんだ。だから背負えない。ここはゲームの中の世界で、俺にとっての現実じゃない」
提督「戦争の惨禍も、俺にとっては現実感のないファンタジーと一緒で、三国志のような遠い昔の出来事に感じるんだ。そんな奴は人の上に立つべきじゃない。
今は真似事のごっこ遊びをしているだけで……それがたまたま上手くいっているだけで、その重みに耐え切れなくなったらきっと逃げ出すさ」
小雨が降り始める。フロントガラス越しに届く街灯の明かりは水滴で滲んでふやけていく。
五月雨「ううん。……提督は、他人の痛みが分かる人です。人の辛さや苦しみが分かるからこそ、そうやって葛藤するんでしょう?
でも、それがきっと一番大切な資質だと思うんです。私は……いいえ、他の皆もそう。優秀な人の下に就きたいんじゃなくて、思い遣ってくれる人のために戦いたいんです」
五月雨「命を預けても後悔しない人が良いんです。私が沈んでしまっても、私の命は無駄じゃなかったって言ってくれる人と運命を共にしたいんです。
私との思い出を、大切にしてくれる人と一緒に居たいんです。……なんて言ったら、困りますか?」
提督はこの時、自分が人生の岐路に立たされていることを直感する。ハンドルを握る手に無意識のうちに力が入る。
提督(普段はまるで子供のようだが……やはり艦娘なんだな。兵器である以上、戦いの運命からは逃げられない。
だからこそ……自分の存在を肯定してくれる人間を求めるのか。使い捨ての道具としてではなく、生きた実存として認めてくれる人間を)
提督(だとしても……俺には荷が重過ぎる)
五月雨「なんだか急に暗い話になっちゃってごめんなさい。重い、ですよね……。私も普段は、もし自分が沈んだらなんて考えないようにしてるんですけど……。
運命とか、因果とか、よく分からないですけど……。そういう人には抗えない力があるとするなら、私は後悔しないように自分の気持ちを伝えたいって思うんです」
五月雨「天道さんがどういう道を選んでも、自分の意思で決めたのならそれが正しいんです。だから、私にはあまりとやかく言えないんですけど……。
でも、私は……天道さんには資格があるって感じるんです。私たちを導いていく、その資格が」
五月雨の耳に聞こえないように、提督はぼそりと呟いた。
提督「買いかぶりだよ」
・・・・
舞鶴鎮守府第四執務室。山城の肩に跨ってクリスマスツリーの飾りつけをしている窓位大将。
窓位「クッーリスマスがフフンフホニャラホホ〜♪」
山城「なんですかそのボヤけた歌詞は……」
窓位「いや、権利ある関係各所への配慮のためにね。……っていうわけじゃなくてうろ覚えなだけなんだけど」
山城「なに訳の分からないことを言ってるんですか」
扶桑「提督、山城。お客様がお見えになりました。いかがしましょう」 扉を開けて部屋に入る扶桑
903 :
【93/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 15:52:23.81 ID:EGTLO2bo0
山城「ねえさま〜!!」
扶桑の声を聞くやいなや目を輝かせて勢いよく反転する山城。
窓位「あっ! ちょっと、急に振り向くと……」
窓位大将の静止は山城の耳に入らず、山城の艤装がツリーの幹部分にぶつかる。ツリーはバランスを崩してそのまま二人めがけて倒れてしまう。
窓位「むぎゃっ!! いたたた……でも、この感じさえもはや懐かしいよ。都合してくれた蒔絵大将には感謝しないと」
扶桑「あら……なんてこと。今ツリーを退かしますから、少し辛抱していてくださいね。……って、ああっ!?」
扶桑がツリーを持ち上げようと力を入れると、ツリーの先端部分が蛍光灯に当たって割れてしまい、驚いてまたツリーを二人の上に落としてしまう。
窓位「ぐえー」
扶桑「ああっ、ごめんなさい! ええっと……暗くてよく見えないわね」
提督「なんかすごい音がしてたけど……失礼しまーす」
神乃提督がおそるおそる扉を開けると、そこには暗い部屋の中でツリーに押し潰されている二人と扶桑の姿があった。
提督「これは……謀反でも起きたんですかね」
・・・・
窓位「あたた……すまないね。いきなりこんな情けない姿を見せてしまうとは。ボクは窓位。さっき倒れてたのが山城で、こっちが扶桑。よろしくね」
提督「神乃です。お世話になります(子供の提督? そういうのもあるのか)」
背伸びしてツリーの天辺に腕を伸ばす扶桑。手には星型の飾りが握られている。
扶桑「ううん……もうちょっとで届きそうなんだけど」
山城「姉さま! 頑張って。あと少しです!」
窓位「……挨拶したばかりで済まないんだけど、ちょっと作戦会議に出なきゃいけなくてね。悪いんだけど、部屋で過ごしていてもらえると助かるな。
えっと……今非番なのは吹雪がいるか。あっ、ちょうど良い所に。おーい。お客さんに部屋の案内を頼みたいんだけど、いいかな」
開いたままの扉から偶然吹雪が通りかかるのを見かけた窓位大将は、彼女に声をかけて呼び止めた。
吹雪「はい。お任せください……って、舞風?」
舞風「んにゃ。おおっ! ブッキー、久しぶりじゃーん」
提督「知り合い? 随分仲良さそうだけど」
舞風「ノンノン! そんなドライな関係じゃなくて、マブのダチですよ。えーっと、十四年? 十五? そのぐらい前に私もここ舞鶴鎮守府に所属してまして。
なんでかあの頃のことを思い出そうとすると、何かを忘れてるような感じがするんだけどね〜……。物忘れなんて滅多にしないはずなんだけどなあ」
提督「大丈夫だよ。俺も小学校の頃の担任の名前とか覚えてないしね」
五月雨(それはロクに通ってなかったから覚えてないだけなのでは……)
吹雪「こんな形で会うなんて、奇遇ですね! 元気にしてましたか? って、あ……そうだ。部屋の案内を頼まれていたんでした。えっと、場所は一階なんですけど……」
吹雪は神乃提督たちを連れて執務室を出ていった。
窓位「さて! ボクたちもそろそろ行こうか? ……って、一体全体どうしたの?」
ツリーにモールで括りつけられている山城。直立のまま両手を広げていて磔にされているようだった。
山城「うう……どうして……? 私はただツリーを飾りつけしようとしただけなのに……」
窓位「今解くから、ちょっと待って。あ、いや、動かないで。そう、そう、落ち着いて……腕をゆっくり! ゆっくり降ろして……。
艤装があるからね、注意して。そう、いいよ。それでいい……」
獰猛な獣を宥めるように、ジェスチャー混じりに少しずつ山城を誘導する窓位大将。
窓位「ほらっ! よく出来ました。行こっ」
山城「手なんて握らなくても、自分で歩けますから。……もう」
口ではそう言いながらも、差し出された手を拒まずに優しく握る山城。
山城の頬がうっすらと赤く染まっている様子を見て、扶桑は静かに微笑んでいた。
・・・・
吹雪からの案内を受けてそれぞれの部屋に荷物を置いた後、客間で寛ぎながら談笑する一同。
五月雨「クリスマスかあ……。ラバウルに帰ったら、私たちもツリーを飾ってみましょうか」
如月「いいわね〜。ケーキをお腹いっぱい食べて、キャンドルを灯して、まだ見ぬ素敵なダーリンと夜が明けるまでお話して、手を繋いで一緒に眠るの……」
夕張「いやいや、皆で過ごす話だからこれ。妄想し過ぎだから」
904 :
【94/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 16:21:23.85 ID:EGTLO2bo0
五月雨「そういえば、さっき扶桑さんと山城さんが取りつけてた、ツリーのてっぺんにあるお星さまってなんて名前なんでしょうね」
提督「一般的に星のあれとして知られてるやつは、特にこれといった名前はないんだけど……強いて言うなら星型の飾りかな。
ただ、元ネタはあってね。“ベツレヘムの星”って言うんだけど。クリスマスがキリストの誕生を祝う日、っていうのは知ってるよね?」
問いかけに対し意外と反応が悪いことに困惑する提督を、夕張がフォローする。
夕張「私は知ってるけど……(漫画から得た知識)、他の子は知らないかもね」
提督「うーん、そうだな。お釈迦様みたいな? ……とか、本当は簡単な言葉で説明すべきでもないんだけどな、ん〜。
いやでも、クリスマスって本来キリスト教の祭りだからなあ。原義を知らずに祝うのも間違っているのではないだろうか。
そうなると……一から教えることになってしまうが、俺も信仰しているわけではないからなあ。どうしたもんか」
夕張「まあ、アレよね。すっごく昔に生まれた偉い人、みたいな」
提督「ものすご〜くざっくり説明するとそうなるね。偉いっていうより……まあここでは省くけど、興味があったら今度教えるよ。
クリスマスってのは本来、そのキリストさんが生まれたことをお祝いする日なんだよ。で、ツリーの星についての話に戻るんだけど」
提督「キリストさんが誕生した直後、西の空に誰も見たことないようなお星様が輝いていたんだってさ。
それを見た“東方の三賢者”なんていう大層な肩書きの三人組は、お星様に導かれてキリストさんの所まで辿り着き、生まれたことを祝福したんだって。
で、その生まれ故郷の名前がベツレヘム。ツリーの頂上に飾る星はこれに因んだものなんだよ」
紙芝居を読み聞かせるような調子で説明する提督。
夕張「へぇ〜……。提督、あなた妙なところで博識なのね」
提督「ふっふ。趣味さ」
・・・・
その日の打ち合わせが全て終わってしまい、暇を潰すべく散歩していた提督。
朝は比較的太陽が照っていたが、昼を過ぎる頃には曇り空に変わっていて、乾いた風が吹いている。
提督は両手をコートのポケットに突っ込んだまま歩き、五月雨はそれを見て行儀が悪いと思いながらも指摘はせずに並んで歩く。
提督「なんだ……ここは」
五月雨「一見すると公園、のようですが……」
仮にも軍の私有地にも関わらずブランコやシーソー、雲梯や砂場のある公園を二人は発見する。
提督「なるほど。敷地が広いとこういう使い方もありなんだな。ちょっと遊んでいこうか」
五月雨「いいですね。私、公園で遊ぶのって初めてなんです! どれから遊ぼうかな〜……あ、この遊具ってなんですか?」
提督「これは回転式のジャングルジムだね。登ったりぶら下がったりして遊ぶんだ。ほら、掴んで登ってごらん」
スイスイと金属のパイプを掴んでよじ登り、すぐに頂上まで辿り着く五月雨。
五月雨「おぉ〜……言われてみれば、そこはかとなくジャングルな感じがします」
提督「で、こんな風に回して遊ぶ」
五月雨「へっ? ……きゃ〜!」
五月雨が悲鳴のような声を上げているが、これはどちらかと言えば歓喜の興奮によるものだった。
ジャングルジムはグルングルンと勢いよく回転し、動きが止まれば「もう一回! もう一回!」と五月雨が提督にせがむ。
提督「もういいかな……回すの疲れちゃった」
五月雨「え〜! そんなぁ……。じゃあ、今度は私が提督のことを回してあげますね♪」
提督「(経験上なんとなく嫌な予感がするな……)う〜ん、遠慮しておこうかな」 音を立てず後ずさりする
五月雨「まあまあそう言わず。ほら、入って入って。行きますよ〜……」
半ば強引に提督をジャングルジムに押し込めると、五月雨は金属パイプが千切れんばかりの怪力で高速回転を起こす。
提督「うおおおおっ!? 予想してたけどぉぉぉおおお!!」
回転が止まった後、提督は床を這うようにしてジャングルジムから脱出し、そのまま土の上で仰向けに倒れてしまう。
五月雨「楽しかったですか? 思いっきり回してみたんですけど」
提督「死……死……しぬ……」
陸の上に打ち上げられた小魚のように小さく震えている提督。どうにも失神一歩手前だったらしい。
・・・・
五月雨「さっきは本っ当にごめんなさい! 初めての体験ではしゃいじゃって……」
提督「いや、いいよ。楽しんでもらえたなら何よりだ」
二人はベンチに座っていた。遊具で遊んでいた時は体が温まっていたから平気だったものの、この日は風が強く冷え込む日だった。
急に寒さを感じた二人は身を寄せ合ってなるべく熱が逃げないようにしている。
905 :
【95/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 16:52:59.17 ID:EGTLO2bo0
提督「そろそろ帰ろうか。寒いしね」
ふと五月雨が空を見上げると、白く柔らかな雪が降り始める。
五月雨「あ……雪、ですね。もうちょっとだけこうしていて良いですか?」
提督「いいよ。雪を生で見たのも初めてなんだろう」
五月雨「はい。あの……寒いでしょう? これ、一緒に巻いたらあったかいですよ」
自分が巻いているベージュのマフラーを、二人で巻けるように提督の首に回す。
提督「なんだか照れくさいなあ。でも、ありがとう。温かいよ」
風の勢いが少し弱まって、はらはらと落ちていく粉雪。二人の白い吐息がふわふわと空を漂う。
五月雨「なんとなく皆には内緒にしておこうと思ったんですけど……。前に提督が言ってた、ベツレヘムの星を……見たことがあるかもしれないんです」
ぽつりと前触れもなく五月雨がこぼす。知的好奇心をそそられたのか、興味ありげな様子の提督。
提督「へぇ〜! 諸説あるみたいで、星の正体が何かは今でも分かってないそうだけど……どんな星を見たの?」
五月雨「その日はたまたま一人で過ごしていたんですけど……夜なのに虹が出ていて、とっても素敵な景色だったんです。
こんな偶然滅多にないからってずっと眺めていたら、西の空に昇ったお月様の傍を、かするようにして流れ星が通り過ぎるのを見たんです」
五月雨「私、お願い事をすることすら忘れちゃって、見惚れていたんです」
珍しくおずおずとした喋り口調の五月雨に違和感を覚えながらも質問する提督。
提督「その流れ星は、白い尾を引いていたものではなかったのかい? それか、火の玉のように明るいものだった? 他に特徴はあるかな」
五月雨「彗星ではなかったです。火の玉ってほどじゃなかったですけど……月の次ぐらいに明るかったですね。形も不思議で。バッテンと十字を重ねたみたいな……」
提督「おお……それ、ひょっとすると本物かもしれないね。ベツレヘムの星っていうのは八芒星なんだ。
普通は星がそんな見え方をすることはないはずなんだけどね。それに、そんなに明るい流れ星があったらニュースにもなってそうだけど……」
五月雨「夜に虹を見たなんて話も、米印の流れ星を見たっていう話も、誰からも聞いたことないんですよね。現地のニュースにもなっていなかったと思います。
……この星を見た後に、私は提督のことを夢で見るようになったんです。だから、私はこれを予兆だったんだなって思って」
提督「予兆?」
五月雨の方を見つめて不思議そうに尋ねる提督。五月雨は提督の方に振り向くことはなく、ただ雪の降る空をじっと見ていた。
五月雨「夢の中で提督をずっと見ていて……ダメな所とかカッコ悪い所もあるけれど、それを踏まえても尊敬できる人だなって感じたんです。
宗教の話とかはよく分かんないですけど……。前も言ったみたいに、提督みたいな人にだったら……自分の運命を委ねてもいいと思えたんです」
空を切るような歯擦音混じりの溜息を吐き、湿っていく地面を見下ろす提督。吐いた息は雪に紛れるようにすぐに消えてしまった。
提督「自分の運命なんて大事なものを他人に委ねるもんじゃないさ。……それじゃあまるで、俺は悪魔みたいな存在じゃないか。
いいかい。俺は俺で、君は君だ。俺は……例えそれが人間社会の正しいあり方だったとしても、人から何かを奪う人間にはなりたくないんだ」
寒さのせいなのか本心の言葉だったからなのか、声が震える理由は提督自身にも分からなかった。
ただ、意図せず五月雨のことを突き放すような言葉が口から零れたことに、心臓が冷たくなるような感覚がした。
五月雨「ううん、提督は悪魔なんかじゃないですよ。だって……」
凍りついたように冷たくなった提督の手を取って、包み込むように自分の両手で温める五月雨。
五月雨「提督といると……胸の内が熱くなって、こんなに体がぽかぽかするんですもの」
赤ら顔で微笑みを向ける五月雨を見つめ返そうとした提督だが、数秒と持たず俯いてしまう。
表情を五月雨の側からは伺うことは出来なかったが、頬が薄い紅色に変わっていくのが分かった。
五月雨「おかしいですよね。最初は憧れや興味だけで会ってみたいって気持ちだけだったのに……。
いざこうして一緒に時間を過ごしていたら、それ以外の気持ちで心がいっぱいになっちゃったんです」
提督「五月雨、俺は……。……ずっとここには残れないよ」
五月雨「ええ。無理矢理連れ出した私に『行かないで』なんて言えませんから。提督がどういう選択を取ってもいいんです。
その時が来たら、お別れでも……。残念ですけど、仕方ないって納得できます。ただ、私はそれでも伝えたかったんです」
それは、五月雨自身この時になるまで自覚していなかった感情だった。
心臓の鼓動が高まって、息が詰まりそうになる。
寒さなんて気にならなくなるほどに、身体中から熱を感じる。
五月雨「提督のことが……大好きです、って」
不思議と熱は収まらず、それどころか更に高まっていくような錯覚を覚える。
ただ、緊張から解放されたのか胸の鼓動は少しだけ落ち着いていく。
安らぎと高揚が入り混じった不思議な心境だったが、それすらも五月雨には心地よいものに感じられた。
五月雨「えへへ……ついに、言っちゃいました。伝えられてよかったです。部屋に帰りましょうか。もし良かったら……手を繋いで」
ベンチから立ち上がった五月雨は、提督に向かって手を差し伸べる。
提督はその手を取り並んで歩き出した。
906 :
【96/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 17:20:40.36 ID:EGTLO2bo0
舞鶴鎮守府を発つ日が間近に迫ったある日、提督は荷支度をしていたが、ある問題に直面していた。
提督「荷物が多すぎるんだよねこれ……。設計図とか資料とかだけ予め鎮守府に送っちゃいたいんだよなあ。
俺が居ない間に執務をやってもらってる大淀の助けにもなるだろうし……」
五月雨「そうですね……。役に立ちそうなものをなんでもかんでも貰って回ってたら収集つかなくなっちゃいましたね」
二人が顔を見合わせてどうしようかと考え込んでいると、バタンと扉が開く音とともに、とてとてと裸足の艦娘たちが乱入してくる。
伊401「段ボールだらけですね〜……これは確かに窓位提督の言っていた通りかも」
伊168「これからラバウル方面に出撃するの。ついでだから運んでいっちゃおうと思って。
あ、私たちは潜水艦なんだけど……荷物まではびしょ濡れにならないから安心してね」
伊14「よぉーし。じゃんじゃん持って行っちゃお? あ、他に持っていって欲しい資料とかあったら今のうちに用意しちゃいなよ?
資料室には結構参考になる本とかあると思うし、見てきたら? それも一緒に持ってってあげるから」
ドタドタと部屋を歩き回る潜水艦たちに追い出される形で提督は資料室を訪れた。
提督(資料といっても辞典や図鑑よりも分厚いからね。持って行ってくれるのは助かるんだけど……なんていうかその。
スク水を着た少女が部屋を歩き回ってるってのはなかなか異様な光景になるんだなあ)
部屋のどこからか話し声がするようだ。
??「私が思うに……“後ろの正面”とは、自分自身を指しているのだろう。ここも解釈が複数取れる箇所ではあるが……。
自身の肉体から離脱した魂は、己という存在と真に同一なのか……と。まあこれも今となっては真実を知る術はないんだろうが」
若い少年の声だった。ただ、窓位提督のものとも声質が微妙に違っていた。
??「我々が世界と思い込んでいるものは、人間の認識によって成り立っている。だが、実際は異なる。
人間の認識の上では、不可視非実体だったとしても……完全な無であるとは言い切れない」
??「月は人を狂わせる……その俗説を信じるならば。
己の存在を自分自身で認識できなくなり、消滅するという災厄を告げているのかもしれないな。
あの歌と例の一件との相関は、こんなところだと思っている」
??「色は空、空は色……畢竟個々人の認識次第で世界は形を変えるのだろう。……おや、初めまして」
神乃提督の気配に気づくと、少年はパタンと本を閉じて立ち上がり、恭しく敬礼する。
見た目は十歳以下といったところだが、白煙のような髪の色と落ち着き払った態度はとても子供のものとは思えなかった。
彼の隣の席には秋月という艦娘が座っていた。
涼金「私の名は涼金凛斗。窓位提督と違って見た目通りの年齢だ。少しわけありで鎮守府内をうろついているが、あまり気にせんでくれ」
提督(気にしないでくれって言われても、厨二センサーにビンビン引っかかる話題だったからすごい気になるんだよな〜……)
涼金という名前を聞いて、思い出したように口を開く提督。
提督「涼金……そうだ。柱島泊地の乙川中将って方から言伝をもらっていて。
『便りのないのはよい便りと言うけれど、たまには遊びに帰っておいで』だそうで。あ、俺の名前は神乃っていうんだけど」
秋月「乙川中将が? わざわざ伝えてくれてありがとうございます。
凛斗さん。冬休みはいつぐらいから始まるんでしたっけ。年末年始は柱島に帰って過ごしませんか?」
涼金「うろ覚えだが、遅くとも二十三だか四だかには。そうだな。半年ほど過ごして感じたが、あそこはとても居心地がいい」
秋月「秋月にとって、あそこは故郷のようなものですから。ここも過ごしやすくはあるんですけどね」
涼金「にしても……便宜上それが必要なのは理解しているが、この歳で小学校に通うというのはどうにも不服だな。
……っと、話し込んでしまって済まない。他に何か用件か?」
提督「さっき話してたことが気にな……」
舞風「おーい、て〜とくぅ! 明日の出発について聞きたいんだけど〜……って、おろ」
部屋に入ってきた舞風の声で提督の発言は掻き消されてしまう。
舞風「お? 秋月発見! これまた懐かしい顔に会ったねえ〜……どう? 元気してた?」
秋月「はい! お久しぶりですね。また会えて嬉しいです」
少年と目が合って不思議そうな顔をする舞風。
涼金(まさか吹雪だけでなく舞風にも会えるとはな……。秋月のことは覚えていても私のことは忘れたようだが、元気そうで良かったな)
舞風「んにゃ。そこの少年……さてはどっかで会ったことある? なわけないか。けど、その見た目で白髪なんてどうしたの?
意外と苦労人さんなのかな〜? どれ、お姉さんがナデナデしてしんぜよう」
強引に少年の頭を撫でる舞風。
涼金「う〜……鬱陶しい、やめないか。秋月もニコニコ笑っていないで止めたらどうだ」
提督(うーん、さっきの話が気になるんだけどなあ……)
結局、神乃提督は涼金少年から話を聞き出すことが出来ないまま横須賀へ向かうこととなった。
907 :
【97/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 17:48:59.49 ID:EGTLO2bo0
神乃提督たちが横須賀に着いた日は、大気が激しく冷え込んだ大雪の日だった。
外に出ることはおろか廊下を出歩くことさえ憚られるほど寒い気温の中、一行は第二執務室に案内された。
蒔絵「ようこそ。こんなに寒い日に働くなんて馬鹿げていますからね。今日の仕事はお休みです。
代わりと言ってはなんですが……一杯どうでしょう? お代は貰いませんからご安心を。趣味の一環です」
提督、五月雨、夕張、舞風、如月の順でバーカウンター前の椅子に横並びで座っている。
暖炉からパチパチと薪の燃える音がする。壁面には絵画がいくつか飾られていた。
どれも写実的ながらどこか幻想的な雰囲気を醸し出している風景画で、神乃提督たちの目を惹いた。
提督「人数が人数なんで、お任せで。飲めない人は居ないからその点は大丈夫です」
蒔絵「畏まりました。随分遠くから来たそうですね。ラバウルから来て、柱島・呉・舞鶴……で、ここと。長旅で疲れたでしょう」
舞風「正直ここが最後でほっとしたよね……。これ以上はもう回れそうもないかも……」
蒔絵「もしよかったら、温泉で旅の疲れを取ると良いでしょう。岩盤をぶち抜いて無理矢理作った大浴場がありましてね」
夕張「随分物騒なやり方なのね……。壁に掛かっている絵は誰が描いたものなのかしら? どれもすごく綺麗だけど」
五月雨「私はあの絵が好きですね。夕焼け空に桜の花が舞っているあの絵です」 絵を指さす
蒔絵「ああ……全部自分が描いたものです。現実の景色でありながら、どこか現実離れした感覚にさせられる……。
そんな虚実皮膜の色彩や情景を描くのが好きでして。これも趣味の一つなんですけど」
如月「趣味にしておくのは勿体ないぐらい良い絵だと思うんですけどね……。個展とかは開かれないんですか?」
蒔絵「今のところはないですね。鎮守府の内輪ノリでちょこちょこやってはいますが……まあ、気になるようでしたらアトリエの部屋も明日紹介しましょうか」
提督「是非お願いしたいですね。視察そっちのけになっちゃいそうですが」
蒔絵「ははは。……さて、春雨。用意を」
蒔絵大将が呼びかけると、メイド服を着た春雨がトレイに乗ったカクテルを配って回る。
・・・・
提督「うーん、俺以外みんな寝落ちしてしまうとは……。俺ももう一杯貰ったら寝よう。ボヘミアン・ドリームを」
カウンター前には提督と五月雨だけが座っていて、五月雨はくぅくぅと寝息を立てている。
蒔絵「随分飲まれますね。お酒は得意な方で?」
提督「ああいや……そうでもないんだけど、ちょっと悩み事があって。……って、いけない。上官相手にタメ口を……」
蒔絵「いいですよ。今は気にしないでください。それより、悩みとは?」
提督「森鴎外の『舞姫』はご存知ですか? まあ……概ねあれと同じです。一時の感情と、現実との狭間で揺れていまして。
元のあるべき場所へ帰るか、あるいは……といったところで。自分でも情けない男だと思いますよ、俺は」
提督「親父の保険金で経済的には困ってないんだろうが……お袋は脚が不自由で買い物にも難儀してるんだ。
いずれはボケて入院もするかもしれない。そう考えたら、ここに残るのは無責任なのかもな……って。
向こうに居た時はろくすっぽ相手にしていなかったのにな。人でなしが今更何を……とは自分でも思うが」
蒔絵大将は、敢えて口を挟まずにどこまで吐き出すか経過を観察していることにした。
提督「あの……酔っ払いの戯言だと思ってもらって構わないんですけど。
ここは俺にとって、すごく居心地がよくて、何不自由なく生きていける場所なんです。でも……ここはあくまで幻想の中。
俺にとっての現実は……外で吹雪いている大雪よりも寒く、孤独で、息苦しい」
提督「誰一人として、本当の心で人間と向き合うことが出来ない。前提に疑念があって……それを持たない人間は騙される。
建前・虚飾・お為ごかし……そんなことばかりだ。耳触りの良い言葉は全部嘘で、口汚い罵声や憎悪の中で生まれる言葉だけが真実。
何のためかも分からずに金を稼いで、何も成せずに時が過ぎる……地獄の底だ。それでも俺は……あちら側の人間だ」
神乃提督の目は既に虚ろで、視点が定まっていなかった。だが、その眼にはどことなく力が宿っているようにも見られた。
普段の声のトーンよりも低めの、少し擦れたハスキーな声で語る神乃提督。
提督「普通に考えればここに残った方がいい。そんなことは分かっているんだ。ただ……。
俺の生まれた側に、隣にいる五月雨のような人間が生まれていたら……きっと踏み躙られていたんだろうと思うよ。
その事を考えると無性に腹が立って許せなくなる。だからせめて……」
提督「少しでも……少しでも良い世の中にしたい。未来に生まれてきた世代に、業を背負わせないように。
もうこれ以上醜いものと対峙しなくても済むように。だから帰るんだ。俺に何が出来るのかは分からないが……それでも」
それからしばらくぶつぶつと独り言を呟いた後、突っ伏して眠りに落ちてしまう。
蒔絵「……抱えている闇が深いようですねぇ。他人事だからどうとも言えませんが。後で二人を寝室に運んであげましょう。今日は店じまいですね」
二人にブランケットをかける蒔絵大将。
春雨「私は……自分の心に正直になった方が良いと思うんですけどね。理想や使命感で押し固めても、結局のところ本心には勝てませんから。
……にしても、不思議な感じがしますね。向こうの世界の五月雨とは面識があるのに、こっちの世界の五月雨とは面識がないから」
蒔絵「春雨は……いいえ、聞くのは野暮ですね。選んだ結果、ここに居るんでしょうから」
908 :
【98/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 18:12:04.32 ID:EGTLO2bo0
春雨「どっちが真実で、どっちが嘘かなんて関係なくて……自分の心が信じる道を進めばいいと思うんです。
それが後から振り返って間違っていたとしても、自分の決めた選択なら後悔はしないと思うんです」
春雨「春雨にとっては……最終的に、司令官の居る場所が正解だったんです。間違いだらけの道だったかもしれないですけど……。
最後に辿り着いたのが、司令官の隣だったんだと思います。迷ったり間違ったりしたからこそ、今の幸せがあるのかな、って」
蒔絵「振った自分が悪いとは思いますが、重たい話はやめましょうか。辛気臭いですからねぇ。
いや〜……それにしても春雨のメイド衣装は似合ってますねぇ。眼福ですよ。お酒のつまみにちょうどいい」
神乃提督が飲み残したボヘミアン・ドリームを一気飲みすると、春雨が自分の方を観察するように見ていたことに気づく蒔絵大将。
蒔絵「ん? どうしたんでしょう」
春雨「他の子には内緒にしておいて欲しいんですけど……。実は私、喉仏フェチなんですよね。出っ張ってるのがイイ、っていうか……」
蒔絵「んー……それはちょっと分かんないな。まあ気に入ってもらえてるようなら良いんですけども」
喋りながら片づけを進める二人。阿吽の呼吸で作業は進んでいき、十分もすると洗い物や掃除も終わってしまった。
・・・・
明朝。辺り一面雪まみれで、鎮守府内のどこに向かおうとしても雪に足を取られてしまう。
提督「昨日は酔った勢いで管を巻いてしまって……申し訳ありません。どうにも少し度が過ぎたなと……」
蒔絵「いえいえ、全然平気ですって。それより、雪かきを手伝ってもらえませんか?
工廠やドッグへの道が雪で埋もれてしまいまして、案内しようにも出来ないのですよ」
提督「あ、はい。もちろん」
蒔絵「じゃあ、我々はこっちの方をやるので……夕張さん、如月さん、舞風さんのお三方にはあちらを。
神乃提督と五月雨さんにはあの辺をやってもらいましょうか。お願いしますね」
・・・・
提督「いや〜……本当に寒いね。夜になったら温泉があるって考えたら頑張る気になれるけど。
ハハ……たった二週間弱の出来事で、もうすぐ慣れ親しんだラバウルに帰れるはずなのにさ。なんだかすごく長い間旅をしていた気分だよ」
提督「帰ったらすぐにクリスマスかな。灼熱の太陽の下でクリスマスなんて全然想像つかないけど。皆とお祝い出来たら楽しいだろうなあって思うよ」
和やかな提督の語調に対して、少し陰りのある顔つきの五月雨。
五月雨「提督……あの。……もうすぐ、タイムリミットだって言ったらどうしますか?」
提督「え……? それってどういうことかな? 戻る方法はまだ見つかってないんじゃなかったっけ」
五月雨「提督は一度、帰れるチャンスがあったはずですよね? でも……そうはしなかった。それだけ現実の世界に戻るのが嫌だったんですよね」
提督「黙っていたけど……そうだよ。あの時はそうだ」
五月雨「あの晩の後も、何度か扉は用意されていたんです。扉の現れる晩の兆しは、なんとなく事前に感じるんです。
これまでは帰って欲しくないから言わなかったんですけど。けれど……そういうわけにも行かなくなってしまいました」
五月雨「五日後です。ちょうどラバウルに戻って一日目の夜になるでしょうか。……それが最後のチャンスです。
それを逃したらもう戻ることは出来ないし、戻ったら最後、もうここには来れなくなってしまうでしょう」
提督「そう……。……本当に、選ぶしかないんだね」
五月雨「やっぱり、提督を連れてきたのは無理があったみたいで……二つに一つ、しかないんです」
スコップをその場に突き刺すと、退かした雪山の上に座ってうなだれる提督。
提督「そっか……そうだよな。気づかないフリをしていただけで、俺自身そんな予感がしていたよ。
いつまでもこうしちゃいられないってな。楽しい夢も、いつかは醒める……」
提督「分かっていたよ。分かっていた……」
深く、深く、大きな溜息を一度吐いてから、意を決したように姿勢よく腰を上げて、五月雨と向かい合う。
提督「五月雨が……現実から連れ出してくれて、本当に良かった。こんなに楽しい数ヶ月間は今まで無かった。
五月雨と出会えて良かった。……ラバウルの皆や、他の鎮守府の人たちと会えて良かった。ありがとう……。本当に、ありがとう」
提督「それでも……やっぱり俺は戻るよ。ここよりは綺麗な世界じゃないかもしれないけれど。
人の心は汚れているかもしれないけれど。……それでも、何もかも悪いことばかりじゃないからさ」
提督「ここで過ごした思い出があれば、頑張れそうな気がするから。少しずつ心に種を撒くんだ……それが実るように。
利益とか、評判とか、そういうもののためじゃなく……人の心を絶やさないために」
五月雨「そう、ですよね……。うん! 提督がそうなら、それでいいんです。
提督の気持ちが聞けて良かったです。五月雨も、応援してます。提督のこと……ずっと」
提督のことを真っすぐ見つめて、にこっと笑う五月雨。いつもと同じ明るい笑顔。
笑顔の裏で悲しんでいるんだろうとは思いながらも、提督はそれに気づかないフリをして「ありがとう」と言った。
909 :
【99/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 18:38:07.36 ID:EGTLO2bo0
ラバウルに着いた提督は、旅の荷物の整理を終えると、自分が居なかった間の鎮守府の様子を大淀から聞いていた。
執務室はクリスマス支度の最中なようで、壁や置物にところどころ布が被されていた。
提督「そっか。問題なさそうで良かったよ」
大淀「ええ。敵の強襲なども特になく、穏当に過ごすことが出来ました」
提督(帰って早々、今夜でお別れなんだよな〜……) やや落ち着かない様子で聞いている
大淀「で、報告は終わりなのですが……」
大淀がパッと布を引っ張ると、豪華な飾りつけのツリーや料理の乗ったテーブルが露わになった。
扉の前で待機していた艦娘たちが執務室に入ってきた。
天津風「お帰りなさい。少し早いけど、退職祝いってとこかしら。五月雨から話は聞いてるわ」
クラッカーの音とともに紙吹雪が部屋中に舞い散った。
如月「クリスマスを一緒に過ごせないのは残念だけど……ここでまとめてお祝いしてしまえばいいわよね? ってね」
弥生「五月雨から話を聞いて……提督に感謝の気持ちを伝えたい、って私たちに何が出来るか考えてみたんです」
提督「ありがとう。あー……ちょっと、嬉しすぎて泣きそう。ところで、五月雨は?」
廊下を駆ける音がする。五月雨の足音のようだった。
五月雨「お待たせしましたぁ〜! なんとか間に合ったみたいで良かったです」
息を切らせているエプロン姿の五月雨。エプロンにはクリームや果汁の跡がついていて、ついさっきまで格闘していたことが伺える。
彼女が両手に持っているトレイの上には、ホールのショートケーキが乗っていた。
夕張「まさか当日に即席で用意することになるとは思わなかったけど……。横須賀で間宮さんから借りたレシピが役立ったわね。
スポンジのふわふわ感からクリームの甘味に至るまで、何から何まで計算ずくのショートケーキよ」
五月雨「五月雨、頑張って作りました。ふにゃっ!?」
提督にケーキを見せようと近づいた拍子に、足元に置かれたプレゼント箱につまづいてしまう五月雨。
当然の物理法則かのようにケーキは宙を舞い、提督の顔面に直撃する。
咄嗟の出来事に驚いた提督だったが、「美味しい」の意を込めて親指を立てた。
・・・・
酒を呑み、食事を楽しみ、語らい、……どんちゃん騒ぎの夜を終えて。提督は五月雨の寝室を訪れた。
提督の後に続いて五月雨が部屋に入る。五月雨は思い出したかのようにケースに入ったDVDを提督に手渡した。
五月雨「まさかお別れの日にこれを渡すことになるとは思いませんでしたけど……帰ったら観てください」
五月雨はベッドの上で横になると布団を被った。提督はベッドに座ると外から見える夜空を眺めていた。
提督「ああ、ありがとう。それにしても……すごい恰好になってしまったな」
提督の恰好はスポーツキャップにサングラス、ネックレスに指輪と奇抜なものになっていた。
これらは「かさばる物や食べ物は持っていくのに難儀するだろうから」という艦娘たちの配慮によってプレゼントされたものだった。
五月雨「提督。……提督と一緒に過ごせて、楽しかったですよ」
提督「俺もだ」
五月雨「五月雨は……提督のこと。大好きですよ」
長旅の疲れが溜まっている中、ラバウルに着いたら朝からケーキ作りをし、そこから夜までパーティーを楽しんでいた五月雨。
出来るだけ長く提督とこの時間を一緒に過ごしたいとは思うものの、睡魔には抗えず五分と持たず眠りに落ちてしまう。
提督(『俺もだよ』……なんて、言うわけにもいかないしなあ)
提督「さようなら。ありがとう」
提督は、眠る五月雨の頬にそっとキスをすると、現れた扉を押し開けて中に消えて行った。
・・・・
神乃「はぁ〜あ。帰ってきてしまったな」
侘びしさの漂う静かな部屋。一人暮らし用の、執務室よりもはるかに狭い部屋であるにも関わらず、神乃にはひどく広い空間に感じられた。
スマートフォンを充電して日付を確認すると、五月雨たちと過ごしていた数ヶ月分の時間が経過していたらしかった。
その間に着信があった履歴はなく、メールの類も届いていないようだ。
神乃「とりあえず掃除だな。それから、お袋に会いに行って、親父の墓参り。他のことはそれから考えよう」
五月雨と最初に会った時にこぼしたカップラーメンはそのまま放置されていて、乾いた麺のカスやスープのシミは床と一体化しているようだった。
神乃(こりゃ引っ越したら敷金は帰ってこないな……)
雑巾を濡らして床拭きをする。
引き籠もっている時はそんなことは微塵も思わなかったはずなのに、埃っぽい部屋だなあと神乃は感じていた。
910 :
【100/100】
◆Fy7e1QFAIM
[saga]:2018/01/07(日) 18:56:54.44 ID:EGTLO2bo0
上着をハンガーにかけて、ソファに腰かける神乃。就職面接の帰りだった。
電気ケトルのスイッチを入れ、コンビニで買ってきたカップラーメンを袋から取り出す。
神乃「まさかその場で採用されるなんてなぁ。ま……実際にこの目で見ても良いと環境だとは思った。ツイてる、と考えていいのかな」
神乃が受けた企業はコンシューマーゲームを作っている会社で、前職に比べれば給料は雀の涙に等しかった。
曰く「大コケしてソーシャルから撤退した」だそうで、ゲーム事業の規模は年々縮小していっているようだ。
神乃「思えば子供の頃からゲームっ子だったもんなあ。これも何かの因果というもんなのか」
面接では「田園風景や山村よりもむしろ16色のドット絵に懐かしさを感じる」「義務教育よりもゲームや漫画から学んだことの方が多い」
「ゲームに限らず遊びというのは現実逃避のための手段ではなく、こんなご時世でも希望や理想を描く意志を育むための救い」
と、常人からすれば社会不適合者の烙印を押されかねない問題発言を連発していた神乃であったが、それが逆に響いたのかその場で採用と相成った。
神乃「はあ。お袋も案外元気そうだったし……ようやくこっちでもなんとかやっていけそうだな」
カップラーメンを啜りながら、五月雨から渡されたDVDケースを手に取る神乃。観ようと思えばいつでも観れたのだが、なんとなく放置したまま一ヶ月が経過していた。
神乃「これ見たら絶対色々思い出すよな〜……。未練がましいけど、そう簡単に割り切れるもんでもないんだよなあ」
カップラーメンを置いて、アルコール度数の高い缶チューハイを冷蔵庫から取り出す。それをグビッと一口飲んでから、ディスクを再生機器に挿入した。
・・・・
観た。
映像の内容は、五月雨たちが鎮守府について自ら説明するというものだった。
ところどころ内輪ネタと思しき箇所があったり、原稿を読み上げながら自分で笑ってしまったりと、映像作品としては失格の出来なのだろう。
だが……それが愉快で面白くもあり、懐かしくもある。そして、もう決して手の届かない場所なのだと思うと、涙を堪えずにはいられなかった。
自分の選択に後悔はない。覚悟の上だった。しかし……もう一度彼女たちに会えたのなら、どれだけ心が満たされるだろう。
分かっていても、再会を願わずには居られなかった。それが何への祈りなのかは自分でも分からないが、祈らずには居られなかった。
・・・・
神乃が働き始めてから何ヶ月が経つ。途中参加ではあったものの、懸命に働いてプロジェクトに貢献していった。
人間関係も前職よりは円滑で、神乃自身、働き甲斐を感じていたようだった。
神乃「デバッグして欲しい? もうバグはあまり残ってないって言ってませんでしたっけ」
プログラマーの報告を聞きながらメモを取る神乃。
神乃「ふんふん。プログラム上設定していない位置に、存在しないはずの扉が見つかったと。で、その扉は決して開かず意図が分からない。
デバッガーからの報告を聞いてもあったり無かったりまちまちで出現条件が分からない……か。なるほど、演出周りの設定が何か悪さしてるんですかね」
神乃「なんにせよ、本当にそんなバグがあるのかどうかさえ疑問ですね。ちょっとオカルトめいてるし。分かった、調べてみます」
VRヘッドマウントディスプレイを装着して、開発中ソフトのデバッグを始める神乃。
このゲームは、異なる時代・舞台で展開するシナリオをそれぞれのキャラクターでロールプレイするという(どこかで聞いたことのある)内容のもので、
作中のアイデアは少なからず神乃が発案したものも含まれていた。
神乃「これは……」
見覚えのある扉だった。神乃が近づくと、扉が開いてそのまま中に吸い込まれてしまう。
・・・・
それは夢にまで見た景色だった。暑い太陽の熱気が身を包んで、それを和らげるように涼しい風が吹き抜けていく。
常夏の青い空に伸びる白い入道雲。ダイヤモンドのようにキラキラと光る海。澄んだ空気。そして……何より記憶に残っているのはこの執務室だった。
五月雨「提督! お帰りなさい……」
駆け寄って強く提督を抱き締める五月雨。戸惑いながら、その感触を確かめるように身を寄せる提督。
五月雨の、陽だまりのようなぽかぽかした温もりが伝わってくる。触れ合える。確かな実感がそこにあった。
五月雨「色んな人に協力してもらって……やっと完成したんです。提督が、私たちと会うための……。
そして私が、提督に会いにいくための扉です。次元の壁を超えるんです」
提督がやってきた扉は、消えることなく室内に残っていた。
提督「ずっと、望み続けてはいたけれど。まさか本当に会える日が来るなんて……。嬉しいよ、すごく」
五月雨「これからは、ずっと一緒にいられるんですよ。大丈夫です。まだ提督としての籍は残ってますから」
壁にかかっていた制帽を提督に渡す五月雨。提督はそれを受け取って被った。
提督「そっか。ああ、じゃあ……俺の気持ちを言ったことがなかったね」
五月雨は緊張とともに唾を飲み込んだ。なんだかいつになく真面目な表情をして提督をじっと見つめている。
提督「……もう躊躇わない。好きだよ、五月雨。ありがとう」
小さな体を抱き締める。五月雨の安堵した笑い声が聞こえる。何気ない、しかしそれでいてかけがえのない日々の記憶が蘇る。
現実も架空も関係なく、今まで五月雨と過ごしてきた日常は、自分の中で紛れもない真実だった。
提督は、この時になってようやくそれを悟ったのだった。
911 :
◆Fy7e1QFAIM
[saga sage]:2018/01/07(日) 18:58:02.24 ID:EGTLO2bo0
以上でございます。お付き合いありがとうございました。
最後なんで頑張ったつもりです。楽しんでもらえたなら幸いです。
めっちゃ時間がかかってしまってすみませんが、なんとか完結させることが出来てよかったです。
例によって下のやつはおまけです。
////チラシの裏////
あんまりイチャイチャしねえっすとかほざいてましたがウソになりましたすんません。
まあ最後だしこのぐらいはね……(?)
あえてタロットの話を書いてなかったんで最初にそれから入りますか。おまけ要素なんですけどね。
正位置:才能・可能性・創造性・スタート
逆位置:無気力・スランプ・非現実的・無計画
そんな意味合いを持つ魔術師のカードなのでした。
バックボーンとしては頷ける感じの話になりましたね。
【キャラなど】
・五月雨
五月雨提督って……偏見なんすけど、愛が深すぎるやばい人みたいなの多いじゃないですか
(馬鹿にしているのではなくリスペクトの意味で「やばい」と表記しています)。
そのお眼鏡にかなう出来のものが描けるのかな〜……みたいな不安があったんすけれども。
キャラ像的に、あんまり恋愛的な方向にグイグイ行く感じじゃないんでどうしようかとは思ったんですけど。
ただ、提督の手を引っ張って楽しそうな方向へあっちゃこっちゃ行くイメージは強かったので結構アグレッシブな感じになっています。
思ったことをストレートに伝えられる、子供の無邪気さみたいなとこが根幹にありますね。
・提督
尖ってますね。いろいろな厨二病患者をモデルにして生まれたキメラ的存在です。
単体だとこれまでで一番どうかしてるやつなんですけど、五月雨やラバウルの面々によって中和されている感じですね。
なんちゅうかこう……難儀な性格してますね。気難しい厨二病小僧が大人になるとこんなんなるんかなーみたいなイメージで書きました。
・ほか
ラバウルの艦娘たちはいい感じに南国に適応したような大らかなキャラにしています。アローラの姿……じゃないか。
舞風だけ過去のあるキャラなのでちょっと掘り下げましたがまだ尺が足りてないですね。
他の鎮守府のキャラはあっさり目に書きましたが、これも終盤は単に尺が足りなくなってるだけすね。
まあ尺があったとしても、やっぱり五月雨と提督がメインの話なんでこんなもんでいいかなーと。配分はもうちょい平等に割り振るべきでしたが。
【ストーリーなど】
一つ言っておきたいのですが、筆者は営業職でもなければゲーム業界のゲの字もない業界・業種で働いてますからね。
あと別にリアルもそこまで荒んでないです。そこら辺はあくまでフィクションの表現なのであしからず。
架空と現実を対比するみたいな描写が多いですけど、まあこれは現実は現実でも“作中での”現実なんで、あれです。
そんなに世の中めちゃくちゃなサバイバル世界なわけじゃないですからね。そりゃ二次元の方がハッピーかもしれんけども。
ただ、ラバウルの面々とか他の鎮守府の人たちとか、全体を通じて人間の中にある陽の一面をメインに描いているので、
作中での現実ではそこから離れた人間の……んー、形容しがたい何某かの負の部分をやってみました。
あとは、敵とか出てこない話にしようと思ってたのでこのようになりました。それはそれで不安だったんですけど、まあなんとかなりましたかね。
その……なんか軍記物っぽくゴリゴリした感じで頑張って動かすのはそれ用の世界観が必要っていうか。
増設に次ぐ増設を遂げた今になってバトルをメインにやるとかも展開的にしんどいのでこんな運びです。
お題にホラーって来てたけど同様の理由で難しそうだったのでやめときました。
それから、今作は結構ノリで書きました。ノリでっていうと適当かよみたいに思うかもしんないですけど、そうではなく。
「このキャラだったらこう言うかな」「このキャラがこう言うならこうだな」みたいな連想を無限に繋げてって、
切った貼ったして出来上がった感じですかね。カタい言葉で表現するなら蓋然性のある流れを心がけた、ってとこでしょうか。
ラストはご都合エンドなんですけども、……逆に聞くけど最後の最後で後味悪いの読みたい? 嫌じゃない?
毎回書いてることではありますが艦これ要素ゼロでしたね。
でもこういうの書く人がいてもいいんじゃないかな、二次創作だし。
ってことで4年間ありがとうござ……4年間!? 正気か??
そんなに書いてたんですねー……(厳密には3年と半年程度)。
こんだけ長く続いてると追っかけるのも一苦労だったと思います。
本当にお付き合い頂きありがとうございました!
912 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/01/08(月) 00:19:47.23 ID:B5K4HNgKO
乙です
913 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/01/12(金) 18:01:42.87 ID:L5Qzu2qAO
乙
長い間お疲れ様
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