【安価とコンマで】艦これ100レス劇場【艦これ劇場】

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790 :【47/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 22:59:03.25 ID:51r/hk3y0
吐く息は煙のように浮かんでは消える。空に浮かぶ満月が水面を白く照らしている。

秋月「旧鎮守府と現鎮守府を繋ぐ架け橋……恐らくここのことですよね」

舞鶴鎮守府は巨大な人工島の上に建てられた軍事施設だ。そこから本土へ行き来するためには、三本の橋のいずれかを経由する必要がある。
かつて第二次世界大戦で利用されていた鎮守府は旧鎮守府と呼ばれ、施設の一部は現在も残り記念館などに転用されているようだ。
この人工島から旧鎮守府の方角に繋がる橋は一本しかない。秋月はこの橋の上を歩いていた。

秋月(ここから先は艦娘が許可なく立ち入ることのできない場所。この関門の前で待っていましょうか……)

??「……初めまして、になるか」

関所から鼠色のパーカーを着た男が現れる。男はフードを被っていて、その下に更に帽子を被っている。この姿から素顔を想像することは難しい。
服の上からでも分かるアスリートのように引き締まった筋肉質な体躯から、かなり鍛えていることが伺える。

秋月「(この帽子は軍帽ですよね……。軍の関係者ではあるようですが、口元しか見えないから誰だか分かりませんね……)
私を呼んだのはあなたですか? あの奇妙な映像の目的について聞きたいのですが」

??「そう、私だ。……あの映像が視える者を探していた」

・・・・

一週間前の深夜。この日秋月は眠れなかったため、暇つぶしにテレビをつけた。
しかしこの日・この時間帯はどこの放送局も番組放映を終了していて、テレビにはカラーバーが映っているだけだった。
(カラーバーとは深夜や早朝のテレビ放送終了後に表示される、テレビ受像機などの色調整を行なうために使われる色帯画像のことである)
時計を見ると、時刻は午前2時30分頃。道理で何も放送されていないはずだ、と思いリモコンに手をかけた秋月。

――NNN鎮守府放送です。

秋月「!」

電子音が止まり、突然カラーバーから別の映像に切り替わる。部屋の天窓から月明りが差し込む、暗い部屋の映像なようだ。
窓からスポットライトのように差し込む明かりの先に、執務室にあるような立派な椅子が置いてある。

秋月は硬直していた。心臓が爆発するかのように鼓動する。恐怖で鳥肌立つ。
リモコンの電源ボタン上に親指は乗っている。押すべきか、押さぬべきか……その二択で逡巡する。

――満月まではあと 七日 です。当日同刻、旧鎮守府と現鎮守府とを繋ぐ橋の上でお待ちしています。おやすみなさい。

音声合成ソフトで作られたような、人間のものではない無機質な声。アナウンスが終わると再びカラーバーの映像に戻った。

・・・・

わずか一分に満たない程度の短い映像だったが、秋月の記憶には強く印象づけられていた。

秋月「あの放送を最初に見た次の日も同じような内容のものが流れていて……でも、映像が見えていたのは私だけだったんです。
後日他の艦娘と一緒に見ても『何も見えない、カラーバーのままだ』って。色々な方に訊ねてみましたが、みな知らない様子でした」

??「…………」

男はポケットからB6サイズほどの小さなノートを取り出し、紙の上にさらさらと文字を書いて秋月に渡した。

秋月「『涼金 凛斗(スズガネ リント)』……あなたの名前ですか?(どこかで聞いたことのある名前だったような……)」

男はこくりと頷きながら、別の紙に次の文章を書いていた。

提督「例の映像は選別だ。あれが視える者が必要だった」

男の渡す二枚目の紙には、図が書かれていた。空母と思しき艦娘・艦載機・妖精の絵が描かれている。

秋月(ええっと……『空母の艦娘が艦載機を繰り出す際に、式神や弓を駆使して発艦させる』。
『発艦後の空戦にて、事前に想定していた作戦から逸脱するイレギュラーな状況が起こった時……』)

秋月「『戦闘による摩耗を抑えるべく艦載機に搭乗している妖精と空母たる艦娘との間で念が交わされる』……。
この念というは、テレパシーのようなものですか?」

提督「ああ。原理はそれの応用。映像自体にはあまり意味がない。……」

秋月(着任した後では映像を編集するための機材がなかった。そして、映像を作った段階ではどの鎮守府に着任するか分からなかった。
『満月の晩』の『旧鎮守府と現鎮守府の架け橋』という曖昧な指示も、その段階では日付や場所を確定出来なかったからだ、と。
タネが分かればなるほどと思えるけれど……。真夜中にあんな映像を流されて怖がるなという方が無理がありますよね……)

三枚目の紙にボールペンを走らせようとした時、秋月が制止する。一枚目と二枚目の紙を男に返却する。

秋月「あっ、そんなに紙を使ったら勿体ないですよ! 紙を裏返して使えばまだ書けます。はい」

秋月(というより……口で説明した方が早いような気がしますが……)

提督「…………」 無言でノートに文字を書き連ねる

秋月(あれだけ早く文字を書いているのに、かなり字が綺麗ですね。さっきの絵も結構上手だったし……。
硬派なようで案外繊細な人だったりするのかも?)

提督「紙での説明は、これでいい。……分からなかったら質問してもいいが答えるかどうかは別問題だ」
791 :【48/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 23:03:40.17 ID:51r/hk3y0
知っていると知っていないとで、物事の見え方が変わることがある。
+という記号の持つ意味を知らない幼稚園児に1+1の答えを聞いても2と返してはくれないだろう。
人間の一生は、知識の積み重ねだ。経験を通じて物事のありようを学び蓄積していく。

しかし……何事にも禁忌というものが存在する。
知ってはいけない、見てはいけない、聞いてはいけない、口にしてはいけない……。そういった存在、いや概念だ。
私は“あいつ”を認識してしまった。次に“あいつ”と接触すれば、私はこの世からいなくなるのだろう。
死ぬのではない。もっと恐ろしいことだ。

あの映像を視ることが出来た君には、“あいつ”を認識・知覚できる才能がある。
ということは私と同じ目に遭う危険があるということだが、何のことはない。知らなければいいだけのことだ。
知らないまま私の指示通りに動いてくれれば、“あいつ”に対抗できる。
知ってしまうとまずいが……全く察知できないのもまた問題があるのだ。だからこそ君でなければならない。
“あいつ”のことを知らないまま、“あいつ”から私を守って欲しい。その依頼がしたくて君をここに呼んだ。

秋月(一枚目の紙はここで終わっている……。“あいつ”とは一体……?)

“あいつ”に名前をつけるとしたら……いや、それはやめておこう。名前をつけるという行為自体が存在を認めるということと同義だ。
とにかく……“あいつ”は君にとっては存在しない。私にとっては存在する。そういうものだと思っておいてくれ。
君にとって、私は幻覚や妄想に囚われた病人に見えるかもしれない。
それでいい、決して私が見ているものは視ようとするな。知ろうとはするな。

君はこれから約三十日間、毎晩私を連れ出してなるべく遠くへ逃げる。それだけでいい。
君にとっては狂言めいた茶番に思えるかもしれないが、私にとってはかなり危急な事態なのだ。
次の満月が昇る頃に“あいつ”はいなくなる。それまでは付き合って欲しい。

秋月(一体彼は何に恐れているのか……? 気にはなるものの、その恐れの対象を知ってはいけないという。
敵を知らないままどうやって守れというのでしょうか。普通に考えれば荒唐無稽な話に思えますが……)

秋月「つまり……なにか、奇妙なものに追われていて、“それ”から貴方の身を守って欲しいということですね」

秋月(これだけ身体を鍛えている人が何かを恐怖するとすれば、恐らく相手は人間ではない。
“あいつ”という言葉から察するに、何らかの組織に追われているというわけでもないはず。
深海棲艦か、それとももっと別の何か、でしょうか……)

提督「……そうだ。引き受けてもらえるか? いいや、首を横に振られようと応じてもらう。
こちらも後には引けんのだ。全てが終わり次第、相応の報酬は与える。無事終わりさえすればな」

秋月「分かりました。いえ、ほとんど分かりませんが……大丈夫です。秋月がお守りします!」

秋月は、心のどこかで非日常を期待していたのかもしれない。この時の彼女の内心は、不安よりも好奇心が勝っていた。

・・・・

翌朝。舞鶴鎮守府第四執務室。軍服を着た白髪の男性は、この鎮守府を取り仕切る大将の一人である涼金凛斗であった。

提督(しくじったな……名を聞きそびれた。艦隊名簿の顔写真を見ればすぐに分かると思ったが……。
どこの艦隊にも所属していない艦娘だったとは。可能性として考えられるのは……)

提督「……吹雪。軍学校に所属している艦娘の顔と名前を確認したい」

吹雪「また突然ですね。『鍛錬不十分な在学中の艦娘を登用するつもりなどない』ってこの間他の司令官に言ってたじゃないですか」

わざとらしく涼金提督の低い声を真似する吹雪。吹雪は彼の秘書艦で、行動を共にすることが多かった。

提督「……とにかく。今はその情報が必要になったのだ。それ以上は詮索するな」

吹雪「出た! 司令官の秘匿主義! そうやってまた何かを隠そうとするー」

提督「……必要のないことを話したくないだけだ」

吹雪(うぅー、秘書艦なんだからもうちょっと頼ってくれてもいいのにぃ……)

軍学校所属の艦娘の名簿を提督に渡す吹雪。提督がめくったページの先を興味深そうに覗き込んでいる。

吹雪「ふむふむ……秋月型一番艦、秋月。あっ! この子知ってますよ! 軍学校で一番有名な子ですよ。
防空射撃演習では歴代一位の高成績。筆記試験でもトップ3常連だそうで」

提督「よく知ってるな。詳しいじゃないか」

吹雪「司令官が興味無さすぎるだけですよ。優秀そうな子は予め囲い込んでおかないと! 次のドラフトで他の提督に獲られちゃいますよ?」

軍学校を卒業した艦娘の配属は、涼金提督含む他提督とのドラフト会議によって決定される。
また、在学中の艦娘であっても(実戦登用に耐えうると提督に判断され)指名されれば次年度以降艦隊所属となれるのだった。

提督「いや、あくまで卒業まで秋月を指名する気はない。他の提督に獲られるならそれはそれでよい。彼女には別の要件がある」

吹雪「え、なんですかそれ。何か作戦でも……?」

提督「いや、軍務とは関係ないごく個人的な依頼だ。君が気にすることではない」

吹雪「そんなこと言われたら余計気になっちゃうじゃないですかー」

提督(一番地味で当たり障りのなさそうな者を秘書艦に選んだつもりだったのだが……案外要らん干渉をしてくるのよな。
良くいえば察しのいい、気が利くタイプなのだが……今回ばかりは首を突っ込まれると困る)
792 :【49/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 23:07:14.67 ID:51r/hk3y0
提督(学校側への手続きに手間取ってもうこんな時間だ。秋月か……成績は優秀らしいが、実戦経験がないのは少し不安だな。
とはいえ今更選り好みしてもいられない。前評判の良さに期待するとしよう)

秋月(……涼金凛斗、確かに聞いたことある名前だなとは思っていましたが……。まさかこの鎮守府の大将だったとは。
そう考えたらなんだか急にプレッシャーを感じてきました。秋月に務まるでしょうか……)

黄昏の空。橋から見える海の色は赤い絵の具を零したかのようだった。昨日と同じ橋の上で提督は待っていた。

秋月「お待たせしました。涼金司令!」

提督「行く前に一つ質問だ。あの海の色、何色に見える?」

秋月「え……? 赤色、ですよね。綺麗な夕焼けの海……」

提督「その感覚を忘れるな……心の動きを忘れるな」

秋月「は、はい(昨日もそうでしたが、話の流れが汲めませんね……)」

・・・・

鎮守府から離れ、舞鶴港近くの繁華街を歩く提督と秋月。

秋月「なんだかじろじろ見られているような……」

提督「それは……何にだ? 他人にか?」

秋月「ええ。なんだか私たち怪しまれてるのかなって」

提督は私服を着ているし、秋月もリュックの中に艤装を隠しているため軍の関係者だとは思われていないだろう。
しかし、総白髪のオールバック、首筋には古傷。薔薇柄の長袖を着た背の高い男。
その男の隣を(発育がいいとはいえ)せいぜい中学生程度の年端もいかない女子が歩いているのだ。
二人きりで夜の街を散策するには不自然すぎる組み合わせである。だが提督は他人の目を微塵も気にしていない様子だった。

提督「ああ、人の方か。なら問題ない。来い」

提督に促され、人気の少ない裏通りにある小さな店に入る秋月。

秋月「すし、わり……てい?」

提督「割烹(かっぽう)、だ。……鎮守府の中にいると見慣れない漢字かもな。和風料理を出す飲食店のことを一般にそう呼ぶ。寿司は食えるか?」

秋月「大丈夫です(お寿司、食べたことないんですよね。とはいえ将来直接の配下になるかもしれない司令の手前! 食わず嫌いをするわけにもいきません)」

提督「大将、鯖と秋刀魚。こっちには特上のサビ抜き」

秋月「あの方も大将なんですか?」

提督「……?」

・・・・

秋月「わぁ〜……! すごいです! 初めて見ました。なんだか壮観ですね! 美味しそう……どれから食べようか迷っちゃいます!」

寿司げた(寿司を置くための木製の食器のことである)の上に並べられたネタに、食べる前から興奮する秋月。

提督「味が淡白な白身魚を最初に食べ、次にマグロやトロといった赤身の魚を食べるのが定石と言われているが……。
かくいう私も光り物から注文しているしな、好きなものを食べるといい。どれも味は保証する」

おずおずと中トロに手を伸ばし、口に運ぶ秋月。

秋月「いただきま〜す……。……!! 美味しい! 旨みが口の中でとろけて……すごいです。これ、本当にすごい……」

舌を通じて脳に送られる快楽に、思わず身震いする。恍惚の表情を浮かべており、提督の依頼のことなどすっかり忘れて悦に入っている。

秋月「はぁぁ〜……幸せです」

・・・・

食事を終え店を後にした二人。食事中は語彙力を失いかけていた秋月であったが、退店後はさすがに普段通りの様子である。

秋月「ごちそうさまでした! あんなに美味しい料理を食べたのは初めてです! ありがとうございました!」

提督「礼には及ばない、前払いのようなものだ。それに……」

秋月「それに?」

提督「いや、なんでもない(……生きているうちに美味いものを食っておかなければな)」

秋月「そういえば司令、最初の二貫しか食べていませんでしたよね。あんなに美味しかったのに……お腹減ってなかったんですか?」

提督「(相当感激していたからこちらのことなど気づいていないと思ったが……)……そんなところだ」

秋月「それにしても……あの大将はどこの鎮守府の大将なんですかね!? 司令はご存知ですか?」

提督「……くくっ」 秋月と会ってから終始無表情だった提督が、この時初めて口元を少し歪ませる
793 :【50/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 23:13:27.66 ID:51r/hk3y0
舞鶴の港から離れた海の上。秋月の背に固着された艤装に負ぶさる提督。

秋月「結局こうして海に出るのなら、鎮守府から直接向かった方がよかったんじゃないですか?」

提督「……周囲に人や物のない環境が好ましい、その最適解が海というだけだ。
深海棲艦が出没するような遠くの海へ赴こうというわけではないのだが……鎮守府の哨戒範囲内や他の艦娘と出くわすような場所に居るのもまずい」

提督「そうなると陸路を経由してから海に出るのが最も都合がいい。さてそろそろ日付が変わる……」

提督はそう言うと、秋月の艤装を足場にしてしゃがみ込んだ。彼女から背を向けるようにして海面を見つめている。

提督「道すがら説明した通りだ。私は後ろを見る。だが、私の指示はあまり鵜呑みにはするな。あくまで自分の感覚を優先しろ」

秋月(今から日の出まで、“物”に囲まれなければ良いそうですが……一概に“物”と言われても……。それに囲まれるってどういうことでしょう)

・・・・

提督「……秋月」

提督「一瞬で良いが、空を見てくれ。渡り鳥が飛んでいないか?」

空を見上げる秋月。ほとんど曇り空で何も見えないが、どこにも鳥の姿は見つからない。

秋月「いえ、見えませんね。どこに居ますか?」

提督「いや……見えないならいい。気にするな」

秋月(司令には幻覚が見えているのだという。私に見えないおぞましい何かを察知しているそうです。
私にはそうした類のものを感じ取ることは出来ませんが……妙にぞわぞわする、嫌な感覚がありますね)

提督「秋月。トビウオが……いや、いい。これも違う。忘れてくれ」

秋月(日本にトビウオが回遊してくるのは、たしか春先から夏にかけて……この秋の終わりにやってくるはずはない、か)

提督「……念のため、確認して欲しい。七時の方向に難破船が見える。ライトを一瞬だけつけて、真偽を確認して欲しい」

秋月は振り返り、探照灯の明かりを向ける。

秋月「! 転覆した小型船があります……。引き上げようにも、あの壊れようだと手遅れでしょうね……深海棲艦に襲われた後、か……」

合掌して黙祷を捧げる秋月に対し、提督はさらに問いかける。

提督「見えているのはそれだけか? 他にも何か“視える”か?」

秋月「いいえ……船体が大きく破損した船以外には……」

提督「分かった。……あの船からは離れるぞ。逆の方向へ進んでくれ」

・・・・

提督のつけている腕時計の針は四時四十分頃を示していた。
しきりに秋月に対して「見えるか?」「聞こえるか?」の問答を投げかけていた提督であったが、もう一時間も言葉を発していない。
その態度の変わりようが、秋月にとってはかえって不安だった。実戦経験のない秋月にとって夜の海は未知の領域だったからだ。

秋月(少し心細くなってきました。海の上で迷子になってしまったような気分です……)

提督「……闇が深くなるのは夜明け前だ。日が昇るその直前が最も暗くなる」

秋月「……?」

提督「しんどくなるのはここからだ」

秋月(励ましてくれた、というわけでもないみたいですね……ん? あれ……)

秋月「前方の岩礁に、何か見えませんか? ほら」

探照灯を点灯し、海面から飛び出している岩へ向けて光を照射する。黒い、小人のような形をした何かが蠢いている。

秋月「黒色の人形……? みたいな」

提督「分かったもういい。明かりを消せ、ここからなるべく遠くへ離れろ。……あれらを決して見失うな、しかし見過ぎるな」

突然饒舌になる提督。いきなり無茶苦茶な指示を受けたため混乱しつつも、提督の言われた通り速力を上げて岩場から離れる秋月。

秋月「追ってきますね。深海棲艦でいうところの魚雷艇の小鬼群に似ていますが、あんな種類は見たことも聞いたことも……」

黒い人影の群れは両手を広げて海の上を飛翔し、秋月たちの方へ向かっていく。

秋月(距離が離れているから黒色に見えると思っていたけれど……どうやら違うみたいですね。
この夜の中でもはっきり“黒”だと認識できるぐらい黒い色をしている)

提督「深く考えるな、雑念を捨てろ。ただ言われた通りに対処しろ。余計なことを考えるな」

秋月の思考を遮るように、強い言い切りの口調で命令する提督。
794 :【51/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 23:17:04.51 ID:51r/hk3y0
提督「秋月、見失うなと言ったが……あれらの見張りは私がやる。秋月はただここから離れることだけを考えるようにしてくれ」

秋月「これ以上先へ進むと深海棲艦と接触する恐れがありますが……」

提督「構いやしない。あれにやられるぐらいなら、まだ深海棲艦に襲われて命を落とす方が幾らかマシだ。
あれは……そう、とにかく忌避すべきものだ。囲まれるな、触れるな、認識するな……」

・・・・

提督「五時五十分……日の出は間もなくだ。このまま振り切るぞ」

秋月「!! レーダーに敵艦隊四隻! 前方です! このままじゃまずい……まともな装備もないのに……。どうしよう、どうしよう……」

提督「たかが深海棲艦ごときでうろたえるな。このまま突き進むぞ」

秋月「司令!? 冷静にお考えください! 装備も不十分、練度もなく、おまけに燃料も消耗している駆逐艦一隻が敵の艦隊に突っ込めばどうなるか……」

これまで提督の無茶ぶりに付き従っていた秋月だったが、この時ばかりは反論する。

提督「分かっている、が……敵が砲撃をしてこないということは先に気づいたのはこちらの方。気づかれる前に通過してやり過ごす」

秋月「でも、通り過ぎた後に背後を追われる形になりますよ。そうなれば……」

提督「その点は問題ないだろう。奴らが私たちの変わりに“あいつ”の餌食になってくれさえすればな」

秋月「……っ。未だに不安は残りますが……策があるということですね。信じますよ、司令っ!」

ギュッと握り拳を固めて歯を食いしばり、最大出力で駆け抜ける秋月。

・・・・

秋月「……敵艦隊、反転して迫ってきます! こっちには機銃ぐらいしかありませんよ!? どうしましょう、司令!」

提督「沈んだ時は私を恨め。君の業まで背負ってやろう」

秋月「答えになってませんって! うわあ! 砲弾が飛んできました!」

秋月には、提督がこの緊急事態でなぜにやけ顔を浮かべているのか理解できなかった。

提督「戦場だからな。……この際いちいち動じていても仕方がないだろう。運命を受け入れろ。
やられたのならそれまでだったということ、私も君もな。死のうは一定。遅いか早いかの違いだ」

秋月(うぅ……やっぱりまともじゃないですこの人……)

一分ほどして、砲音が鳴り止んだ。なおも振り返ることなく突き進んでいた秋月だったが、提督の言葉を聞いて立ち止まる。

提督「もういい、ご苦労。後は帰るだけだ……日が昇りつつある」

うっすらと空の端が白んでいく。太陽の頂点が水平線から顔を出す。

秋月「夜が明けたんですね。綺麗……」

払暁を告げる強い煌めきを前に、思わず言葉を漏らす秋月。

秋月「ハッ! 敵艦隊は!? あの黒い追手は? ……いない!」

秋月が後方を振り返ると、深海棲艦の姿も黒い人影の姿も消えていた。

提督「……終わったのだ。鎮守府に帰るぞ」

・・・・

昼前の執務室。提督は相変わらず吹雪と他愛もない世間話をしていた。

吹雪「司令官……? なんか今日寝不足じゃないですか? いつもより目つきが悪いですよ」

提督「クマが出来ている、というのなら推論として成り立つが……。目つきの悪さは生まれつきだ」

吹雪「えへへ、すみません。けど、なんだかいつもよりオーラがありますよね。危険っていうか、アウトローっていうか……」

提督(勘づかれたか? 軍務が終わった後のことだぞ……? 私か秋月の後をつけていない限りは外出したことさえ把握できないはずだが)

吹雪「いつもよりカッコいいですよね……! なんかこう、『やってやる!』って気概を感じます!」

提督(なるほど杞憂だ……)

吹雪「……よし! 司令官の顔を見ていたら私も気合が入ってきました! 今日も一日頑張りましょう。手始めに……」

吹雪が退室した後、部屋の奥に設置されているロッカーに向かって声をかける提督。

提督「出てきていいぞ」

秋月(早速バレた……!? 完璧に身を隠せていると思ったのに……)

秋月は数時間の仮眠を取った後、提督と吹雪が部屋から離れた隙を狙って室内に潜入していたのだが、あえなく気づかれてしまう。
795 :【52/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 23:19:16.06 ID:51r/hk3y0
提督「そこに隠れて何がしたかったんだ? 軍学校への休学願なら受理されているだろうに。日中は夜に備えて寝ておくべきだと思うが」

秋月「うぅ……ごめんなさい。こそこそ隠れるような真似をしてすみませんでした。
司令の素行を調べようと思って……あっ、いえ! (お寿司の)ご恩があるので、悪い人だと疑っているわけではないんですが!」

提督(たかが一度夕飯を奢られたぐらいで疑念を払拭してしまうのは不用心すぎるのではないだろうか……)

秋月「司令についての謎が多すぎて……この先も昨日のように二人で夜を過明かすのなら、もっとお互いのことを知っておかないと思いまして。
そうすれば、昨日よりももっと司令の理想とする動きに近づけるのかなって……」

秋月(本当は忽然と消えた深海棲艦の行方や黒い人影の話も聞きたいですが、答えてくれるか分かりませんし……。
けれど、そういう部分を抜きに……私は司令から学ばなければいけない部分がある。司令は変わった人ではあるけれど……とにかく肝が据わっている。覚悟が違う)

提督「……お互いのこと、か。自分語りはあまり好きではないが、私と君の関係は少々特別なものだしな。構わんが……」

秋月(司令が昨日仰っていた通り、戦場に赴く度にあんなおっかなびっくりの立ち回りをしているようではいけません……。
実戦で活躍するためには、窮地に立たされても彼並みの度胸や冷静さが発揮できなければいけない……司令から学べる部分は吸収したい)

提督「時間を割くことが難しいな。夜、(鎮守府の敷地から)外で話すのは誰が聞いているか分からないから避けたい。
とはいえ執務中に休めるのは昼の休憩時間のみ……。これも先客がいるんでな、どうしたものか」

舞風「呼ばれて飛び出て……じゃじゃーん! 舞風参上でぇーす!」

扉を開けて入ってきたのは舞風であった。彼女も吹雪と同様、涼金提督の管轄する艦隊に所属する艦娘の一人である。

秋月(あっ、無表情だった司令が露骨に渋い顔をしている。『心底めんどうなやつが来た』って表情ですね……)

提督「君……盗み聞きしていただろう。先客というのは彼女のことだ。昼食を誘われているのだよ」

舞風「一人よりも二人! 二人よりもたくさん! 数は多ければ多い方がいい! これが戦の基本です。
そんなわけでっ。一緒にランチ、どうです? 提督だって一遍に相手した方が手間がなくて良くないですか? 良くなくなくなくなく……あれっ?」

ジェスチャー交じりに提案する舞風。ダメ押しと言わんばかりにビシッと指を突き出して、ニヤリと笑みを浮かべる。

舞風「それにぃ〜〜〜〜……『昨日のように二人で夜を明かすのなら、もっとお互いのことを知っておかないと』とか。
『私と君の関係は少々特別なものだしな』とかとか! こ・れ・は〜? 是非ともお話伺いたいですねぇ〜」

秋月からの引用を高い声で、提督からの引用をわざとらしい低い声で表現する舞風。舞風たちの艦隊では、涼金提督の声真似をするのがプチブームらしい。
アとウを足して二で割ってから濁音をつけたような苦悶の唸り声をあげた後、提督は承諾した。

・・・・

ピークの時間を過ぎていたのか、食堂はかなり空いていた。

秋月(鎮守府の食堂でご飯を食べるのは初めてですね……普段の給食と違ってちょっと量が多いかも)

舞風「あーあ、遅い時間に来ちゃったからCランチしか残ってなかったよ〜。また秋刀魚の塩焼きか……美味しいけどちょっと飽き気味だな〜」

提督「旬の時期に旬の物を食べる。それが食の最適解だ、この鎮守府にはその理を解する者が少ないようだな」

舞風「そうでしょうけどぉ。日替わりランチなのに毎日秋刀魚定食が出されるんですよ〜。
これじゃ日替わらずランチですってー! 今日の舞風の気分はカツレツなんです〜!」

提督(いくつかの漁場は、深海棲艦による深刻な被害を受けていると聞く。秋刀魚をこうやって日常的に頂けるのも、この先数年限りになるかもしれないな……)

提督「贅沢を言うんじゃない、目の前の命に感謝しろ。そうやって文句と唾を垂らしていると味が落ちるぞ」

舞風「ツバなんか垂らしてまーせーんー! 提督ったらデリカシーないんだからぁ」

秋月「お二人って、仲が良いんですか?」

提督「仲が良いというわけではないが……軽薄そうに見えて弁えるべきところは弁えてるからな。信用はしている」

舞風「そこは仲良しって言って欲しかったな……。司令はご飯のことになると結構喋るよ。そんなに量食べないくせに、やれ味がどうだ食感がどうだうるさいんだな〜」

提督「昔はよく食べてたんだよ。胃下垂でな……大食いしても痩せない体質だったもんだからなんでもバカ食いしてたんだが。
食い過ぎて病院の世話になったことがあってな……以降満腹まで食べることが少々トラウマになってしまった」

秋月(敵に背を向けた状態で笑みを浮かべていられるような人にもトラウマってあるんですね……)

舞風「おっ、意外なエピソード。そうそう、司令はガードが堅いように見えて喋り出すと案外ボロが出るタイプだからじゃんじゃん話しかけるといいよ」

秋月「なるほど……」

提督「なるほどではない(だからあまり人と話したくないのだ)」

舞風「けど、秋月も結構司令と似てるね。考えてから話すタイプでしょ? 司令みたいな人には何も考えずにその場で思いついた気持ちをぶつけるといいよ」

提督「考えなしに話しかけないでくれ」

舞風「こんな風にツッコミを入れてくれるからね! これが舞風流の提督攻略法です」

秋月「なるほど……」

提督「なるほどではない(この場を設けたことの失敗を痛感させられるな……)」
796 :【53/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 23:30:55.38 ID:51r/hk3y0
秋月「……あの。一つ気になってたことがあるんですけど。司令っておいくつですか? 髪は真っ白……ですけど、皺がほとんどないですよね」

提督「28だ。白髪は過去にあった出来事が原因だが……このことについては話すことが出来ない」

舞風「タブーの話ってやつですね。才能がない子には教えてくれないんだってさ、ちぇーっ。
秋月もそのことで夜な夜な呼ばれてるんでしょ? それとも……ホントのホントにお楽しみ的な……?」

秋月(やっぱり……司令が意味もなく誰かと昼食の約束をするとは思っていませんでした。舞風さんも司令と何らかの協力関係にあるようですね)

提督「舞風……秋月に探りをかけるな。それに、そう卑下をすることもない……君は君で私の役に立ってくれている」

提督「……才能というやつは、なまじ持ち合わせてしまうとかえってその力に苦しめられることになる。
己の才気を過信して身を滅ぼす者の方が、無能さゆえに身を滅ぼす者よりも多いのだ」

舞風「ううーん。って言われてもなあ〜。羨ましいよなぁ〜……才能人はさぁ〜……ラララ〜」

突然立ち上がると、歌いながら踊り始める舞風。くるんと体を回転させ、トレーを片手で運びつつ厨房へ向かう。
やるせない口調で歌詞を口ずさんでいるわりにはキレのいい動作をしている。

秋月(司令の言っていることも、舞風さんの気持ちも……どっちも分かる気がする。
私が司令に呼ばれた理由は、私が視える人だったからで。でも、そうであるがゆえに昨日、すごく怖い思いをして……)

秋月(同じ目に遭っていたはずなのに、司令は全然平気だった。私にはない勇敢さや大胆さがある。
……戦場で怯えたりパニックになるのは、私が弱いからだ。もっと精神的に強くならなくては)

昼食が終わると、舞風は二言三言提督に耳打ちしてどこかへ行ってしまった。秋月も夜に備えて再び床に就いた。

提督(そうか、かなりギリギリになるな……だがあれが無ければ勝負にもならない)

・・・・

秋月が涼金提督と出会ってから数十日。再び満月の夜が訪れる。二人はいつも通り夕食を済ませた後、海の上で日付が変わるのを待っていた。
秋月は直立で、提督は秋月の艤装の上に立て膝で座りながら、背中合わせに月を眺めている。
提督曰く、この日は地球から見た月の円盤が最も大きく見える夜だそうだ。

提督「今日で最後か。ふと思い出したんだが……何日か前に私に憧れていると言ったな。どうしてだ?」

秋月「はい。最初の夜、敵艦隊に遭遇したじゃないですか。……司令が居てくれたからあの時は動けましたが。
私一人だったら深海棲艦を前に竦んでしまって何も出来なかったな、って後から思うんです」

秋月「幸いにしてあれから深海棲艦との接触はありませんが……今もちょっと怖いです」

提督「深海棲艦がか? 確かにあの時も危なかったが……数日前の方が危険度で言えば高かっただろう。本当に間一髪だった」

提督「それに、私が居たから上手くいった……ではない。よしんば君が一人で深海棲艦と相対した時に手も足も出なかったとしよう。
しかし、単艦で敵の群れへと艦娘を送り出す提督がこの世のどこにいる? あの状況は私のせいで起こったのだ。本来の戦闘では起こりえない。
君は私に一方的に利用され、窮地に陥った。そして見事切り抜けた。むしろ誇るべきことなのだよ」

秋月「……。違うんです。違う……。私……なんて言ったらいいんだろう……」

提督「いつだったか舞風が言っていたな。私のようなやつには『何も考えずにその場で思いついた気持ちをぶつけるといい』と。
最終日だしな、わだかまりがあるなら全て受け止めるぞ? 恨み言でも呪詛でもいくらでも買い取ろう」

秋月「……司令が悪いんじゃないんです。ただ、司令と会ってから今日までずっと……思うようにいかなくて。
司令に、守ってくれって頼まれているのに……危険な目にばかり遭わせてしまっていて、申し訳ないんです」

提督「……? 私が一度でも君を叱責したことがあったか? 十二分に上手くやっていたと思うぞ。
確かに君は不測の事態に陥るとパニックになってしまう傾向はあったが……それを気にしているのか? 些細なことだろう」

提督「こうして二人でここにいるという結果が君の働きの全てを物語っている。……私は君が憧れるほど立派な人間ではないさ」

提督(無垢な君とは違う。私は罪業に汚れきっているのだからな)

秋月(司令は……秋月のことを、どう思っているのでしょうか……。秋月……司令と離れたくないんです。なんて無茶、言えないもんなぁ……)

この時、提督はこれまでの過去のことを、秋月はこの先の未来のことを思い描いていた。
同じ宵闇の空を見つめる二人の姿が、月明りに照らされた水面に揺れている。

秋月「司令……今日が終わったら、もうこうして会うことはないんですよね……」

提督「そうなるな。……今日を無事越せればの話だが」

提督(不安にさせるだろうから言わないでおくが……これまで“あいつ”に関わった人間は全員、その対処に失敗してきている。
二十年前のあの日……八歳だった私は――私以外の全てを犠牲にして生き残った。そうするしかなかった。だが……)

提督(先人や過去の私と同じ轍は踏まん。今日で因縁に決着をつける)

秋月(ここで私が怯えていたら、本当に司令と離れ離れになってしまう……)

秋月(……今日で決着をつけなきゃ、ダメですよね)

秋月「じゃあ……少しだけ聞いて欲しいんです。秋月の話」

提督「構わんさ、話してみるといい」
797 :【54/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 23:36:27.62 ID:51r/hk3y0
秋月「秋月は……軍学校ではみんなに持て囃されて、期待されていて……。
今まではそれに応え続けてきて。褒められるのが嬉しくてずっと頑張ってきたつもりでした……」

秋月「でも……最近はその期待に応えるのが辛くて……なんでもこなすのが当たり前になっていて。
失敗したら失望されてしまうんじゃないか、笑い者にされてしまうんじゃないかって不安だったんです」

秋月「だから、司令みたいに、強い人にならなきゃいけないって思ったんです。私も、敵を恐れない強い精神力が欲しい。
時折昼間に司令に会いに行ったりしたのも……勇気が欲しかったんです」

提督「……私が勇敢に見えるのか? 違う、破れかぶれになっているだけだ。憧れを抱くならもっと真っ当な奴にするんだな」

提督(“あいつ”に復讐する……それだけが私の人生の目的だ。それ以外にない)

提督「そういえば……軍学校の教師が、君のことをとても評価していた。成績ではなく人格をな。
人間関係でのトラブルもなく、自分の力量に驕ることもなく、ストイックに訓練を続けていると」

提督「勇気や知性は、後からでも手に入る。才能がなくとも、努力次第で人並みにはなれる。
だが心は……壊れてしまったらもう元には戻らない。戻せない……。君はその清い心を失うな、私のようにはなるな」

秋月「いいえ……勇気なんてどうだっていい。どうだってよくないけど、どうだっていいんです……建前で。
私に必要なのは……司令なんです。司令がいれば、どれだけ臆病な気持ちになっても、どれだけ怖くても、超えていけそうな気がするから」

秋月「ずっと、秋月の傍にいて欲しいんです。他の誰かじゃダメなんです……。
本当は臆病で、見栄っ張りで、弱い私を許してくれるのは……そんな秋月に勇気をくれるのは、司令だけだから」

提督「私はこれまで……口に出したことは曲げずに生きてきた。かつて君を含めた幾人かの艦娘の話題になったことがあってな……。
他提督の前で『鍛錬不十分な在学中の艦娘を登用するつもりなどない』と公言している。能力面もそうだが、何より精神的に未熟だからだ」

提督「君のその感情は……雛鳥が生まれて最初に見たものを親だと錯覚するようなものだ。
ガラス玉のように曇りのない美しい感情だが、そうであるがゆえに分別がついていない」

秋月「確かに秋月は司令の言う通りかもしれません。……だから、まだ出会って一ヶ月しか経っていないような相手に、自分の全てを曝け出してしまう。
自分の内側に閉じ込めておきたかった弱さも、認めたくない不完全さも……あなたの前ではいとも容易く口から零れてしまう」

秋月の口から漏れ出る言葉が、涙声で揺れる。それでも提督は聞き逃さないように耳を澄ませていた。

秋月「あなたのことを考えると……胸が張り裂けそうになるほど苦しくなってしまうんです。こんな感情になったのは、初めてなんです。
壊れた心が元に戻らないのなら……私は……。私は、あなたを喪った時に壊れてしまう」

提督「……生まれて初めて、ポリシーを曲げてもいいと思ったよ。軽薄な男だな、私は」

秋月「え……?」

提督「バカなやつだ、君は本当に。そして私も」

提督「……この夜が明けたら、君を傍に置いてやる。私の言う“あいつ”のことも、私の過去のことも、全て打ち明けてやろう。
……分別がついていないのは私の方だな。情に絆されるなど愚かしい……愚かしいことなのだがな」

提督が自嘲の意を込めた高笑いをすると、秋月もなんだかおかしくなってつられて笑い出してしまう。笑い声は重なって水の上の波紋に変わる。

提督「さあ。日付が変わる……これが最後の夜だ」

・・・・

黒い人影が遠く離れた陸地から無数に追いかけてくる。

秋月「最初の頃とは比べ物にならないほど多い……!」

提督「月が満ちれば満ちるほどに増えていく傾向があったが……今宵はさながら百鬼夜行だ」

歌が聞こえてくる。歌詞を口ずさむ幼子の声。提督にとっては聞き慣れた歌だった。秋月にとっては聞こえないはずの歌だった。

秋月「籠の中の鳥はー……」

提督「秋月……まさか、聴こえているのか? 視えてしまっているのか?」

秋月「やっと司令と同じところまで来ました。はっきりと聞き取れる。はっきりと視える……!」

提督「まずいことになった……あいつらの数の多さにも合点がいった。秋月。あれらに囲まれたのなら、私を海に放り出して逃げろ。
そうすれば君だけは助かるかもしれない。艤装の力で海を走れる君なら、まだ生き残れる可能性はある」

秋月「大丈夫です。司令……数日前に何度か実証済みです。攻略法を編み出してきましたから」

これまで提督が共に過ごしてきたような、どこか頼りない様子とは異なる自信に満ち溢れた返事。

秋月「的が小さいだけ……! 接近して撃ち落とせば退けられる。一昨日、あの黒い影と肉薄したのは仮説を試すため……!
司令の言葉がヒントになりました。私に知覚させないよう、ぼかすために言った『幻覚のようなもの』……つまり」

秋月「あれを“認識”してしまうといけないのなら……襲い来る全てを、私の“妄想”に置き換えてしまえばいい……。
視覚に入ってくるものは妄想上の幻覚であり、実体は機銃で撃ち落とせる蚊トンボに近い存在だと……そう思考を欺きました」

秋月「“認識”したものを追ってくるのなら……その“認識”自体を欺けば『視ている』が『見てはいない』状況が成り立つ。
『聴こえる』歌は全てが妄想……私の五感は今、一切この場に存在していない。秋月の世界には、司令しか存在していない……!」

提督(賭けに出たか。しかし……)
798 :【55/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 23:41:52.16 ID:51r/hk3y0
舞風は本当に良い仕事をしてくれた。欲を言えば、もう少し早くこの歯車を寄越してくれれば昨日以前の夜も楽に過ごせたんだがな。
それから……吹雪にはまた迷惑をかけてしまうな。きっとあいつにとっての面倒が起きるに違いない。

秋月は目を見開いたまま硬直している。……無我の境地に到達し、認識による浸食を防ぐか。私には不可能な芸当だな。
惜しむらくは攻撃手段を武器に設定してしまったことだろうか。念力の類ならば夜明けまで退けることが出来たかもしれないのだが……。
その場合は精神力が尽きた時に同じ結末を辿るか。結局のところ、もう対抗手段はない。弾は尽き、囲まれつつある。

秋月の“攻略法”は、夜を超え朝を迎えるには至らなかった。だが……私の復讐には大きく貢献してくれた。
これだけ多くの“バグ”を引き寄せることが出来たのだ。あの時の数倍以上の量……恐らく、ほぼ全てがここに集結しつつある。
よくぞここまで膨れ上がったものだ……私の攻略法がなければ、未来にこの国は地図から消えているかもしれないな。

さて……感傷に浸るのもこれまでだ。残るミッションは二つ。
艦娘の記憶を消す薬か……。恐ろしい代物だが、これも需要があるから生み出されたものなのだろう。
恐らくこれで君は生き延びるだろうが……救えなかったのならばすまない。さようなら、秋月。

さあ。最後だ。忍び草には何をしよぞ……、もはや出来ることなど残されてはいないが。
復讐に生きた私の末路には相応しい。時は再び刻み始める。

・・・・

秋月は、毎年ドラフトで指名され続けたものの「なんとなく卒業までは学校に残りたい」と拒否を続けた。
涼金提督と出会ってから五年後に軍学校を卒業し、ようやく舞鶴鎮守府に着任。
期待通りの活躍ぶりで名を轟かせていたものの、秋月はそうした評価にはほとんど関心を示さなかった。

地位や名誉といったものに執着が薄れたようである。
「自分にとって大切なものが他にあるはずだ」という彼女なりの心境の変化があったらしい。
代わりに、他者との交流を積極的に取るようになり、いくつかの趣味を持つようになった。

十年間舞鶴鎮守府に務めた後、柱島泊地に異動を言い渡される。
十年も過ごしただけあって別れを名残惜しむ者が多かったが、秋月はこの異動をポジティブに捉えていた。
この時の彼女には、どんな環境に移ろうとも上手くやっていけるという自信とそれを裏打ちするだけの能力があったからである。

事実、柱島泊地に着任してから一年が経過しているが、彼女に対し好感を抱いていないものなどいなかった。
公明正大にして冷静沈着。どんな危機にも動じない判断力や決断力を持つ、私人としても武人としても優秀な人材に成長していたのだった。

・・・・

任務を終え、施設内の戸締りをしていた秋月は瑞鳳に呼び止められる。

瑞鳳「あら秋月。ここに居たのね。これ、郵送で届いてたの。舞鶴鎮守府からだって。
……柱島泊地の秋月さんに〜、って書いてあるのは良いんだけれど、差出人の名前がないのよね」

秋月(舞鶴からの小包ですか……。ここに異動になる前はずっとあちらに在籍していたから、不自然というわけではないけれど……誰からでしょう)

小さなダンボール箱を秋月に手渡す瑞鳳。箱の中に何が入っているのかは分からなかったが、それなりに重みがあるように秋月は感じた。

瑞鳳「一応検査は通っているから危ない物ではないみたいだけど。説明書きも無いし、何かワケありな物が入っているのかしら……?」

秋月「うーん……私にも何か検討つかないですね。ここで開けて中身を確かめてみましょうか?」

箱を開けると、入っていたのはダイヤル式の黒電話だった。

瑞鳳「このご時世に黒電話……? こんなものを送りつけてきて何がしたいのかしら」

秋月「ダイヤル部分が壊れていて全然回りませんね……。なんでしょう、これは」

瑞鳳「イタズラ? 嫌がらせ? どっちにしてもなんだか不気味よね。壊れていて使えないみたいだし、要らなかったらこっちで処分しとくわよ?」

秋月「いえ……無意味にガラクタを送りつけてくるような知り合いはいないと思うので、少し自宅で調べてみます」

・・・・

弦月が浮かんでいる。夜霧が立ち込めていて、窓から見える星の光は滲んでいた。

秋月「結局……なんなんでしょうかこれは。ケーブルとその変換器があれば受信だけは出来るかもしれませんが……そんなものはありませんし」

瑞鳳から渡された例の黒電話は、分解して中身を確かめた結果内部に破損はなくダイヤル部分を直せばまだ電話として使えることが判明した。
……分かったことはそれだけで、意味深な紙切れが隠されていたり盗聴器が仕掛けられていたりということはなかった。

秋月「明日、乙川司令に言って差出人について調べてもらった方が良さそうですね。……」

秋月が床に就こうとした矢先、ジリリリ……と音が鳴り響く。秋月はすぐさま電気を点け、音がどこから鳴っているのか確認する。

秋月「……! これは、黒電話の呼び出しベルの音に違いありませんが……」

電力が供給されておらず、電話線も繋がっていない。
ベルは確かに内臓されていたが、ひとりでに音が鳴りだすような機構など当然なかった。

物理的に起こり得ない現象が生じている。このような心霊的な恐ろしさは彼女にとって未体験のことだった、はずなのだが……。

秋月(不思議……不思議なぐらい気持ちが落ち着いている……)

秋月(前にもこんなことがあったような……? いや、そんなはずはない……でも。
ずっとこういうことが起こるのを期待していたような……不思議な気持ちがします)

おそるおそる、受話器に手をかける秋月。
799 :【56/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 23:49:53.98 ID:51r/hk3y0
??「……初めまして、になるな」

朴訥さを感じさせる低めの男声。秋月にとって聞き覚えのないものだった。

秋月「あの……どちら様ですか? というより……どうやって話しかけてきているんですか?」

??「……電話に取り憑いた未練がましい悪霊さ。名前ももうない」

秋月「幽霊……ですか? 確かに、この現象はそうとしか説明がつかないけれど……」

秋月(悪霊と自称してるわりには、敵意や害意を全く感じませんね……。怖さを感じない、というより、むしろ話をしていて心が落ち着くような感覚が……)

??「一つだけ望みがある、協力願いたい。今や褒美を与えることさえ能わないゆえ、強制力を持たないただのお願いだが。
君にとって利のない依頼だ。嫌なら今すぐこの電話を海にでも投げ捨ててくれればいいが……」

秋月「良いですよ。お引き受けしましょう」

??「! まだ、内容も話もしていないのにな……。まあいい」

秋月(彼が本当に幽霊なのかどうか、真偽のほどはさておき……ポルターガイストじみた怪現象を起こしてでも叶えたいことがあるのでしょう?
見捨てるなんて出来るわけがない。わざわざ面識のない私に頼むのも、何か理由あってのことでしょう)

??「舞鶴湾のとある入り江に、私の遺体がある。君にそれを見つけて欲しい。舞鶴の鎮守府には窓位大将という提督がいる。見つけたなら彼に引き渡してくれ」

・・・・

翌朝の柱島泊地執務室。この泊地を統括している乙川提督とその秘書艦である瑞鳳は、秋月に関する話をしていた。

瑞鳳「提督。舞鎮から書状ですって。昨日秋月に届いてた荷物と関係があるのかしら……?」

乙川「ああ、昨日の夕飯で話してた壊れた黒電話ってやつか。どうだろう。ん〜、どれどれ……」

※乙川提督が作れる料理といえば、せいぜいカップラーメンかレトルトのカレーぐらいである。
 このため、彼は毎晩瑞鳳の家に通い自分の分の夕飯を作ってもらっている。
 また、最近は自分の家から瑞鳳の家に移動する手間さえ億劫になってきたためか同棲生活をしている。

乙川「うちの秘蔵っ子を舞鶴に貸して欲しいってさ〜……どうしましょうかねえ」

書面に目を通し、困り顔を浮かべる乙川提督。

瑞鳳「そんな嫌なことが書いてあったの? 秋月を舞鶴に引き抜きたい、みたいな話かしら?」

乙川「いや、悪い話ではないんだけどね……こんな感じ」

乙川提督が机の上に置いた書類を読む瑞鳳。

瑞鳳「なんだ、たった数日舞鶴に行かせるだけじゃない。依頼の内容も港に寄る漁船の護衛なんて簡単そうな内容だし……。
たったそれだけのことで貴重な改修用の資材なんかを提供してくれるって言うんだから、むしろ美味しい話じゃない?」

乙川「日付が宮ごもりと被っちゃうんだよ。せっかく秋月の分の浴衣まで用意したのにさ……経費で」

※乙川提督や瑞鳳たちが暮らす柱島は、ここ柱島泊地から6kmほど離れた位置に浮かぶ島である。
 柱島泊地在籍の海軍関係者からは本島と呼ばれるこの島では、毎年この時期に『宮ごもり』という名の秋祭りが行われている。
 かつて艦娘含む軍人と島民との間に交流は無く、祭りも限界集落で行われる町内会程度の規模であったが、
 乙川提督が着任して以来これを大々的に祝うようになった。

瑞鳳「けいひ……今なんて? 最後の方にボソッと呟いた言葉がちょっとよく聞こえなかったんだけど〜?」

乙川提督に笑顔で詰め寄る瑞鳳。こめかみには青筋を浮かべている。

・・・・

舞鶴湾は、氷河期後の海面上昇によって山や谷が海に沈み込んだ結果生じたリアス海岸である。
湾の四方が山に囲まれていることから強風や荒天を避けることができるため、港を設置するには最適な場所だ。

秋月(今日で遺体を見つけることが出来れば宮ごもりの前日には柱島に帰れるはず……日没までにサクッと終わらせたいところですが)

秋月「こんな港の近くにある遺体なんて、私が探すまでもなく引き上げられているはずでは……?
沖に流されたのならそれはそれで見つからなさそうですし……」

受話器片手に質問する秋月。

??「今も残ってるさ、必ず。……そして見つけられるのは蓋し君だけだ」

秋月「? それってどういう……あっ!? これが……」

白い髪をした男の遺体が浮かんでいる。右手は手の平を広げた状態で空へ向けていて、左手は銃を握ったまま半分ほど海に浸けている。
こめかみに穴が開いていることから察するに、自殺したのだろう。にも関わらずに遺体はにやけた笑みを浮かべている。

??「私には視覚がないから判別つかないが……恐らく君の見ているそれが生前の私だよ。……さあ、回収してくれ」

秋月(……? この遺体、まるで石膏像のように堅い。指の関節ですら全く折れ曲がらない……死後硬直にしてもこれはありえません。
気になることが多いですね……後で訊いてみましょうか。協力しているのだからそのぐらいの権利はあるはずでしょう)
800 :【57/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/21(水) 23:54:34.84 ID:51r/hk3y0
舞鶴鎮守府に着くと、秋月の知己である阿武隈という艦娘に案内され、第四執務室という部屋に招かれる。

阿武隈「窓位提督〜? この木炭みたいに黒い、人の形をした物体はなんですか? 推理モノの犯人みたいに黒づくめですけど……」

窓位「人間の遺体、らしいよ。ボクにもそうは見えないけどね」

阿武隈「ええっ!? なんてものを運ばせてきてるんですか!? 怖……」

秋月(私が今背負っているものは、どうにも他の人には遺体に見えていないらしい……。奇妙な話ですが)

窓位「おっと……そっちのけで話しちゃってごめんね。初めまして、窓位です。ここの鎮守府の提督の一人だよ」

背は秋月よりも少し低い、少年のような見た目をしている男性。彼が窓位大将らしい。

秋月「秋月です、初めまして。その……この遺体のどこが黒いんですか? 血色も失われていないし……死後間もないように見えますが」

窓位「なんだか変な黒電話が届いただろう? おかしなことばかり言うもんだから最初は悪戯か何かだと思ったんだけどね……。
彼の言うことが正しいとするならば、その遺体が遺体に視えるのは君だけのはずなんだよ。ボクらには人の形をした真っ黒な物体にしか見えないんだ」

秋月「なんですって……?」

窓位「十六年前に自殺した涼金凛斗という人間の遺体らしい。当時ここ舞鶴鎮守府の提督だったそうだから、調べてみたんだけど……。
何一つ手がかりがないんだ。ボクが着任する何年も前に資料室で小火騒ぎがあったようで、彼の名前が載っていたであろう書類だけが焼失」

窓位「ネット上のデータベースにアクセスして十六年前の情報を探っても、彼が指揮していた艦隊に関する情報は出てくるのに、肝心の彼の名前がない。
涼金提督に該当するであろう情報を調べようとすると全部エラー扱いだ。当時舞鶴の提督だった他の人に話を聞いても覚えがないとのことでね」

窓位「君以外にはその遺体をそもそも遺体だと認識することさえ出来ないようだし。これはやっぱり……」

秋月「……この世界から強制的に抹消された、というぐらいに不自然な消失の仕方ですよね」

窓位「直接そう説明されたわけじゃないから推測だけど、ボクもそういうことだと思う。
彼は十六年前に自殺し……何らかの強制力によってこの世界にいた痕跡ごと失われた。たぶん、人為的な力ではないと思う」

秋月「私が軍学校に在籍していた頃の話ですね……十六年前」

刹那、水面に揺れる満月の映像が秋月の脳裏を掠める。

秋月(私ともう一人……背中合わせで月を見上げている光景。私の後ろにいる人は誰? ……思い出せない。十六年前、何があった?)

窓位「彼の要望は、君の持ってきたその遺体を富士山頂に埋葬して欲しいんだって。理由を明かしてはくれなかったけど……。
すごく深刻そうな口ぶりだったから、そうしない限りは成仏出来ないんだろうね。……どうかした?」

秋月「あっ、いえ! 大丈夫です。十六年前に何があったかなって、記憶を想起しようとしていました」

窓位「君は彼と過去に面識があるんじゃないかな。ほら……お金や名誉はあの世に持って行けないだろう?
記憶もまた同じなんだ。お金と違って完全に引き継げないわけじゃないけど……よほどの思い入れがない限り薄れやすい」

窓位「十何年も現世に残っているって時点で相当な未練があるのは間違いないんだけど……。
ただの後悔や憎しみの感情だけなら、彼のように明確に記憶を保っていられるとも思えないんだよね」

阿武隈「窓位提督って……そんな霊能者みたいなこと言う人でしたっけ? よく死後の世界のことなんて知ってますね」

窓位「いやいや……死後の世界のことは分からないし、霊視もできないよ。ただ、大昔……この人工樹脂で出来た肉体に移し替えるための手術を受けた時にね。
その時にボクは女神と……神様と会ったんだ。臨死体験ってやつになるかな。……漠然とだけどその時された話を今も覚えてるんだ」

秋月(この方も結構ワケありみたいですね……)

窓位「あー……二人ともポカンとしてるね。この話はやめようか。なんていうかそうだなあ……彼は、とても孤独だと思うんだ。
ボクが電話に気づくまでは誰に知られることもなく、ずっと電話の中でこういう時が来るのを待ち続けていたみたいでさ……」

思案するように黙り込んだ後、決心したのか目をぱっちりと見開いて秋月に言葉を向ける窓位提督。

窓位「ボクは、彼に言われた通り遺体を山頂に埋めようと思う。どうして彼がそれを望むのか理由は分からないけど……。
もう亡くなってしまった彼のためにボクがしてあげられることはそれぐらいしかないだろうから……そうするつもりだ」

窓位「けど、君なら彼のことを救ってあげられるのかなって、不意にそんなことを思ったんだ。
一人ぼっちの暗闇の中で十年以上過ごしていても君の名前を忘れなかったってことは、君は彼にとってそれだけ大切な人なんだろうから」

・・・・

舞鶴鎮守府の寮内にある空き部屋。秋月はここで一晩過ごすことになった。柱島へ戻るための支度を終え、パジャマ姿で布団を敷く秋月。
窓位提督に遺体を渡して以降、秋月は涼金に何一つ話を聞くことが出来ないままであった。黒電話のベルが一度も鳴らなかったからである。

秋月「向こうから呼び出すことは出来ても、こっちから発信することは出来ないんですよね。この電話……」

秋月(でも……窓位司令に存在を気づかれるまで前もずっとこの電話の中に魂を宿し続けていたようだから……。
つまり、ベルが鳴っていない状態だろうと彼はこの電話に憑依しているってことですよね。きっと今も……)

秋月「あっ! 閃きました。こういうのはどうでしょうか」

毛布と布団の間に潜り込み、背を曲げて丸まる秋月。懐にギュッと黒電話を抱え、耳元に受話器を寄せる。

秋月「そちらに話をする気がないというのなら、実力行使しかありませんね。
私の体温がプラスチック越しに貴方へ届くまで、私の声が受話器の向こうの貴方に届くまでずっと話しかけ続けますから」
801 :【58/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/22(木) 00:01:20.25 ID:OEF6BDPZ0
秋月「……秋月、十六年前のこと思い出そうとしているんです。軍学校時代のこと。きっと、その時秋月は貴方と一緒に居たんですよね」

秋月「波のない静かな海の上をクラゲのように漂って……私と貴方で、背中合わせに満ちた月を見上げている。
二人の影を、月明かりが照らしていたんです。そんな光景を……記憶にはないはずなのに、思い出してしまうんです」

秋月「……素敵な思い出のはずなのに。思い出そうとすると不思議と涙が出そうになるんです。
悲しいのか、切ないのか、自分でも分からないんですけど……どうしてなのかな……」

秋月が黙ると部屋は静寂に包まれる。普段の寝室よりもずっと広い、何もない部屋。

秋月「……なにかお話してくださいよ。さびしいじゃないですか……司令」

秋月(あれ……私、どうして『司令』って……? 十六年前はまだどこの艦隊にも所属していなかったはずなのに。
それなのに、すごく自然に言葉が出てくる……想いを伝えたいって気持ちが、とめどなく溢れてくる)

提督「……私のことなど忘れたままでいれば良かったのにな。もう私が君にしてやれることはないんだ。思い出したところで、何の意味もない」

秋月「それでも……私は嬉しいです。もう一度司令と話がしたかったから」

受話器越しに弾む声で喜びを伝える秋月。

秋月「残念ながら、未だに全部は思い出せないんです。でも、少しずつ思い出してきた。司令の声を聴いて、また一つ思い出しました。
私は、秋月は……司令のことをお慕いしていたんだってことを。そして今も……」

秋月「ずっと忘れていたのに、十六年も経って今更好きだなんて虫がよすぎますよね。ごめんなさい。でも、今の秋月の本心です」

秋月「司令と普通に出会って、普通に別れていたらこうはならなかったはずなんです。私の中から強制的に司令が失われたから……。
喪われたことにすら今まで気づけなかったから……悲しくて、やるせなくて……。でもこうしてまた会えたから、たまらなく嬉しくて、愛しくて」

提督「分かっていた。君が私のことを思い出して喜ぶことも、悲しむことも……だから隠していたかった。黙っていたかった」

秋月「司令が生きていたのなら……抱き締めて、ありったけの好きだって気持ちを伝えたかったのに……! どうして司令は……」

彼のかつての器であった肉体は既にその機能を停止していて、魂が再び宿ることは永遠にない。

・・・・

提督「あの後の経緯を話そうか。最後の夜、無数の黒い影のようなものに追われていただろう。覚えているか?」

提督「私は個人的にあれらを“バグ”と呼んでいる。先人は“認識の小人”なんて呼んでいたが……今回は便宜上バグと呼ぶ、その性質は五つ」

第一:バグは満月が最も地球に接近する日から約三十日前に出現・活性化する(おおよそ二十年に一度の周期)。
   活性化していない状態では無害であり、月の接近期間内でも日中は活性化しない。
第二:バグに能動的に触れた者をこの世に居た痕跡ごと消失させる。
第三:バグは他のバグを引き寄せる。バグは他のバグの集まる場所へと向かう。
第四:バグが疎らに存在している場合は、その存在を認知している生物を優先的に対象として狙いに来る。
第五:複数のバグが対象を取り囲んだ際、囲まれた範囲内に存在する全てのものを消失させる(生物・無生物問わず)。

提督「尤も、これらは先人と私で発見した法則のようなものだ。君が攻略法を編み出せたように、対策もあるのかもしれない」

秋月(黒い小人……? 覚えているような、覚えていないような)

提督「……最終日、私と君はバグに囲まれつつあった。もはやあの状況を切り抜けることが不可能だと当時の私は判断した。
そこで、“時の歯車”という道具を使った。簡単に言うと時間を停止させることができる道具だ」

秋月「時間を止める……? じゃあ、秋月は司令と一緒に海上にいたはずなのに、次に意識を取り戻した時鎮守府に居たのは……」

提督「そう、時間を止めて君を鎮守府まで引き戻した。そして私と過ごした約一ヶ月間の記憶を消す注射を打った」

秋月「そんなものがあったなら、司令もその場から逃げ出せば助かったのでは……?」

提督「……あの時のような大群に追われていては、海の上のどこに逃げようと振り切ることが出来ない。
まして陸地に逃げればその被害たるや計り知れない。それに……あの時は」

提督「あの時はもう、死んでしまっても良かったんだ。私はバグを無効化させることが出来ればそれで良かった。当時の私はな」

提督「止まった時間の中では自ら許可しない限りバグに触れようとも消失することはない。
一方で、自分の肉体と銃だけは通常通り動けるように許可すれば、止まった時間の中でも自殺は可能だ。
私が死んだ瞬間に時は再び動き出し、しかし私の遺体の時間だけは止まり続けるよう、時限設定をした」

提督「私の遺体は永遠にバグを集め続けるだろうが、時間が止まっているからバグが活性化しようと消失することはない。
その後肉体から抜け出した私の魂はこの黒電話を器として選んだ。これがあの夜の後のいきさつだ」

・・・・

秋月「司令はあの夜……ずっと一緒に居てくれると言ってませんでしたか? 秋月のことをずっと傍に置いてくれるって」

提督「約束、果たせなかったな。……すまなかった」

秋月「いいえ、お詫びの言葉なんていいんです。謝って欲しくなんかないんです。過ぎてしまった時間は取り戻せないから。
でも、この先の時間なら変えられるはず。……十六年の空白さえも埋め尽くしてしまうぐらい、二人で未来を彩っていけばいい」

秋月「だから……今度こそ。私と一緒に居てくれませんか? 私と一緒に未来を歩みませんか」

提督「突き放しても、記憶を消しても、君はどこまでも追いかけてくるんだな……」
802 :【59/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/22(木) 00:04:06.91 ID:OEF6BDPZ0
秋月「当たり前じゃないですか。それだけ大切な人なんですもの」

提督「死人が生者を縛るようなことは言うべきではないんだろうが……君がそう言ってくれるのは、実のところ嬉しい」

秋月「良かった……司令も、秋月と同じ気持ちだったんですね」

秋月の背中が温もりでいっぱいなのは、毛布の暖かさだけではなかった。込み上げる感情が彼女の体温をゆっくりと高めていく。

提督「……もう、寝た方がいい。明日は柱島に帰るのだろう? ゆっくりとお休み」

秋月「はい。ふふ……また明日。明日も、いっぱいお話しましょうね。もっと司令のことを思い出させてください。おやすみなさい」

触れることも出来ず見つめることも出来ないからこそ、その声に、その言葉に、秋月はありったけの愛情を込める。
それが苦しいほど伝わってくるからこそ、提督は何も言えず押し黙っていた。

・・・・

ススキが風に揺れている。鈴虫の音が遠くから聞こえてくる。朝焼けの光が差して茜色に染まる原野。
煙のように白い髪の子供が岩の上に腰掛けていた。もの憂げな瞳は、焼け焦げた跡だけが残る何もない地面を映している。
秋月も彼の横に座り、同じ目線で同じ景色を眺める。空間ごと切り取られたかのように何もない、土が露出したまっさらな地面が広がっている。

提督「この姿は、八歳の頃の私だ。三十六年前の思い出さ。地図にも載っていないような山間の隠れ里で私は生まれ育った。
外界から隔離されていたこの場所にも、人の営みがあったんだ。私の家族もここで暮らしていた」

提督「この集落には、仏教や基督教のような宗教らしい信仰体系があったわけではないが……。
無生物の中にも精霊が宿っているという伝承を信じていたんだ。命を持たない物にも思念や意志が宿るのだと」

提督「だから……壊れてしまった道具や家具を弔う風習があったんだ。壊れた家財道具をわざわざ富士の山まで運んで、死者と同じように弔っていた。
あの山のなるべく高い場所に埋めることで、御霊が早く天へと昇れるようにと祈っていたんだ。今の時代に同じことをすれば不法投棄で捕まるのだろうが」

提督が遠方の景色を指し示す。藍色と茜色が混じり合う東雲の空に、いわし雲がたなびいている。
空の色にも雲の色にも染まらない、紅色の輝き。燃えるように赤く染まった富士の山が聳えていた。

提督「ここを離れる時、最後に見た景色だ」

秋月「綺麗な赤富士……こんな鮮やかな赤い色は初めて見ました。……」

提督「消失した故郷のことを覚えているのは、当時生き残った私しかいない。そしてその私も今やこの有様。だが……ここには命があった。
この先も続いていくはずのささやかな未来があった。これまで人が積み重ねてきた過去の証があった。あったはずなんだ」

提督「生まれ故郷があったことを、そのことをこの世に残したい。無かったことにしたくないんだ。これが私の今の願いだよ。
私の遺体をあの山に埋めれば弔いになる。今や私の肉体だけが故郷がこの世界にあったことの証明なのだから……」

秋月「司令がこうして夢に出てきたのは、秋月にさよならを言うためにですか? ……やはり、別れなければなりませんか」

提督「ああ。死んだ後まで君を巻き込んでしまってすまないな。十六年も経って昔のことを蒸し返す形になってしまった。
しかし……復讐を果たした後もなお成仏できないぐらいには想い入れがあるんだ。君のおかげで、ようやく私は役を終えることができる」

提督「本当は何も言わずに消えてしまうつもりだった。こうして感情を分かち合えば分かち合うほど別れの痛みは増すのだろうから。
だが、君のひたむきさに惹かれてしまったんだ。君の抱いてくれた想いを踏みにじりたくない……だからこうして直接別れを告げに来た」

隣に座る提督の右手を両手で握り、訴えかけるような上目づかいで彼を見つめる秋月。
秋月の方へ振り向いて、喜びとも悲しみともつかない複雑な表情をする提督。

秋月「どんな理由であれ……司令とまた会えて、心の底から良かったと思っています。たとえそれが夢の中であっても」

秋月「……もし。今まで、未練があって成仏出来なかったというのなら……それが理由でこの世界に留まり続けることが出来るというのなら。
これからは秋月がその理由になりませんか? 秋月は……司令にとっての未練にはなれませんか?」

提督「分かっているだろう。死んだ人間がいつまでもこの世界に干渉し続けてはいけない。死んだ人間のことを引きずり続けてはいけない。
私のように過去に囚われてはいけないんだ。私の時間はあの日から……この景色から止まったままなのだから」

秋月「秋月は過去に囚われてなどいません。ずっと司令との未来に臨んでいます、今だってそう。
あの赤富士も司令にとっては過去の心象風景でも、秋月にとっては初めて見る景色。司令はいつだって……秋月にないものを与えてくれる」

まばたきすることもなく、秋月の澄んだ墨色の瞳はただ目の前の提督だけを捉え続ける。

秋月「分かったんです。私が一人だけ司令の遺体を識別できた理由が。
確かに司令に関する記憶は失っていた……でも、司令はずっと秋月の心の中にいたんです」

秋月「仮に人間が太陽という天体の名前を忘れたところで、その光は変わらず天から地へと降り注ぐ。
司令の想いは、ずっと秋月に届いていたんです。秋月の司令への想いは、ずっと残っていたんです。記憶を失ってしまってもなお」

秋月「司令は……秋月にとっての太陽なんです。司令という光が秋月の道を照らしてくれる。だから、この先の未来も……!」

提督「君の望みは叶えられない。もう限界が来ているんだ。全ての命に終わりがあるのと同じ。
その霊魂にも現世に留まり続けていられるタイムリミットがある。私はもう時間を使い果たしつつある」

提督「私のような陰気な男に、太陽など似つかわしくないのだろうが。君がそう言ってくれるのなら……。
私にとって君は、夜の闇のように限りない孤独すらも優しく照らしてくれる、満ち足りた月なのだろう」

提督「この景色を見た時に、隣に君がいれば良かったと強く想う。君が傍に居たならこうはならなかったのだろうから。
それでも……最後に君に会えて良かった。私の中で止まっていた時計の針が、君のおかげで再び動き出したんだ。ありがとう」

提督が立ち上がると、陽光が彼の背中を包み込むように照りつける。富士山は穏やかな空色を取り戻していく。
803 :【60/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/22(木) 00:19:19.58 ID:OEF6BDPZ0
朝、秋月が目を覚まして黒電話を確認すると、受話器と本体とを繋ぐケーブルが断線していた。
もう黒電話から提督の声がすることはない、その暗示なのだろうと秋月は解釈した。

秋月はそれから、予定通り柱島に帰ることにした。涼金提督の埋葬は数日後に行われるらしい。
深夜にヘリコプターで山頂上空を目指し、そこから複数名の艦娘が棺を持って飛び降り、秘密裡に地中へ埋めるのだそうだ。
十一月末の富士山といえば、豪雪荒れ狂う極めて危険な山である。常識で考えれば実現不可能な自殺行為に等しい。
……もっともそれは人間にとっての常識であり、艦娘にとっては深海棲艦との戦いに比べればお茶の子さいさいな様子だった。

秋月(乙川司令に頼めば、涼金司令の遺体を埋める作業に同行するのを許してくれるかもしれませんが……他の艦娘もいますし。
あの人も多分、秋月に別れを引きずって欲しくはないんでしょうから……涼金司令のご遺体の安息と、彼の冥福をここから祈りましょう)

秋月「秋月、ただいま戻りました」

執務室の扉を開け、乙川提督に舞鶴で果たした任務の報告を済ませる秋月。

乙川「ふむ。やはり秋月にとっては簡単な依頼だったようだね。これで明日の宮ごもりも誰一人欠けることなく祝える。良きかな良きかな。
……って秋月? ちょっと元気なさげだね。舞鶴で何かあったかい? 言いたくないようであればすごく回りくどい形で聞いていくけど」

瑞鳳「気遣うような口ぶりしておいて、結局何があったか聞こうとするのはやめないのね……。
ま、辛いことは一人で抱え込んじゃいけないわ。私たちいつも秋月に助けてもらってばかりだからね、たまには頼ってくれてもいいのよ?」

瑞鳳「いつも元気に前向きでいられたら良いけれど、そういうものでもないじゃない? 無理して明るく振舞ってもしょうがないしね。
それに、人って色んな一面を持って生きてるから。いつもと違う表情を見せたぐらいで秋月のことを嫌いになる私たちじゃないわ」

普段は痴話喧嘩にも似た漫談を繰り返している二人が、この時はいつになく頼もしく見えた。

秋月(私……やっぱり恵まれてるんだな。こうして気にかけてくれる人たちが居るんですもの)

秋月「あ……いえ、言いたくないわけじゃないんですけど……。昔を思い出す、懐かしいことがありまして。
ちょっぴり切ないんですけど、素敵な、大切な思い出なんです。私自身整理がついてないから、何をどう説明したらいいか……」

乙川「ん〜、そうだねえ。じゃ、前夜祭と洒落込もうか。瑞鳳の家に美味しいお酒がたくさんあるんだよ。
なんでかっていうとせっかく僕が通販で買ったお酒を全部瑞鳳が没収しちゃったからなんだけど……」

瑞鳳「お酒を飲みながら仕事しようとするのが悪いのよ、もう。でも……みんなで集まって飲む分には構わないわよ。
楽しく嗜むならお酒もいいじゃない? じゃあ……今日の仕事ももう終わりだし、宴会の準備をしなきゃね」

・・・・

乙川提督と瑞鳳、秋月のほか、たまたま場に居合わせた照月の四人が卓を囲んで話し合っている。

秋月にとって舞鶴であったことや十六年前の出来事をそのまま説明することは難しかったため、
「軍学校時代に好きだった人と再会して、投合したがやむを得ない理由でまた離れ離れになってしまった」と話した。

瑞鳳「なるほどね……初恋の人との十六年ぶりの再会かぁ〜。ロマンチックねえ」

照月「秋月姉ぇ、軍学校時代にそんな人が居たんだ……浮いた話とか全然聞かなかったからビックリしちゃった」

乙川「十六年も経ったらだいぶお互い変わってそうな気がするけどねえ。それでもやっぱり惹かれ合うものがあったんだね」

秋月(まあ……艦娘である私は老いることがありませんし、涼金司令も十六年前に亡くなった時のままですからね……)

秋月「ええ。もうこの先会えることはないだろうから、ちょっぴり寂しいですけど……でも。
お互い伝えたいことは伝えられたし、それでも別れざるを得ないなら仕方ないのかなって思うんです」

乙川「ふぅむ……相手方の事情はよく分からないけど、こんな一途で純情な子を悲しませるなんて紳士のやることじゃないな」

瑞鳳「自分のこと棚に上げて何言ってるんだか。提督だって大概じゃない」

乙川「いや、そんなことは……あるけども。ま、僕だって何のリスクも冒さずにここの提督になったわけじゃないんですよ」

乙川「正味な話……惚れた女の子を泣かせるぐらいなら、奇跡の一つや二つ起こしてでも傍に居てやるべきだって僕は思うけどね」

秋月(そういえば……乙川司令が柱島を離れた後、瑞鳳さんに再会するために『一生分の勤勉さを使い果たすぐらい頑張った』って言ってましたもんね。
瑞鳳さんには『偉い人相手にハッタリで誤魔化しおおせた』なんて話してるからバラさないで欲しいって言われましたが……)

秋月「奇跡、か……」

・・・・

翌朝になり他の面々は鎮守府へ向かったが、秋月はこの日非番だった。
自宅に帰って遅い朝飯を済ませた後、早く出しすぎたコタツに入って窓越しに空を眺めていた。
このところ冬の始まりを感じさせるような寒い日が続いていたが、今日は気温も暖かく秋晴れの空に太陽が輝いていた。

秋月(司令は……そっちから見てくれていますか? 秋月もいつか、そちらへ向かいます……その時まで待っていてくれますか?)

秋月「……なんて。やっぱり思えないんですよね!! 諦めきれませんもの、司令のことを」

秋月(乙川司令だって、本当は瑞鳳さんと離れ離れになるはずだったところを無理矢理手繰り寄せたんだもの。
太陽と月ぐらい離れていようと、此岸と彼岸で隔たれていようと……いつか必ず)

秋月「必ず、会えるはず……! だって、奇跡を起こしてでもまた会いたい人なんですもの」

無意識のうちに秋月はコタツを抜け出して家の外を歩いていた。
とにかく行動を起こしたいという気持ちが思考に先行して彼女の体を突き動かしていたのだった。
804 :【61/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/22(木) 00:23:06.85 ID:OEF6BDPZ0
秋月(……試せることは全部試しておきたいんですよね)

秋月は全くの考えなしに家を飛び出したわけではなかった。
愛車に乗り込んでアクセルを踏みしめ、テンポの速い音楽をスピーカーから流す。向かった先は鎮守府だった。
駐車場に車を停めて鎮守府内の工廠に入ると、前掛けをかけて半田ごての電源を入れる。

秋月(壊れているなら、直せばいい。断線した部分は半田ごてで溶接して、あとはガワに付いたダイヤル部分を回るようにしてあげればいい。
そんなことをしたってまた司令と話せるかどうかは分からない、声が聞けたところで何を話したらいいかは分からないけど……)

・・・・

秋月「修理完了です! ……で、案の定何も起きませんね。でも、これで普通に電話としては使えるようにはなったみたいですし、自宅に置いてみましょうか。
電話線などを取り寄せる必要はありますが……ん、長10cm砲ちゃん。どうしたの? 今日の出撃はないですよ」

円柱状のボディに直方体の頭部、触覚のように伸びた二本の円筒。秋月の脛程度の体長。
この生き物ともロボットともつかない銀色の奇妙な物体は、秋月に『長10cm砲ちゃん』と呼ばれていた。
秋月の装備の一種でありながら彼女の動きをサポートするように自律稼働するという、変わった立ち位置の兵装である。
積載する必要のない武装であるから艦娘の負荷にはならないものの、コストが高いためごく一部の艦娘にしか与えられていない装備であった。

秋月(そういえば……長10cm砲ちゃんを私に与えてくれたのは涼金司令だったのかも……? 長10cm砲ちゃんと最初に会ったのも、たしか十六年前だった。
そう、突然何の説明もなく鎮守府からハイエンドな装備を渡されてビックリしたのを覚えてます)

秋月「長10cm砲ちゃん! 何か覚えていない!? 涼金司令のことっ」

秋月が長10cm砲ちゃんに問いかけると、頷いてウインクする。

秋月(長10cm砲ちゃんは装備の一つではあるけど、どちらかといえば扱いは艤装に近い。いうなれば自律意志を持った艤装……私の半身ともいえる。
私が涼金司令のことを思い出したのに呼応して、長10cm砲ちゃんも何かを思い出したというの……?)

ガション! ガション! ガション! 突然その場に飛び跳ねる長10cm砲ちゃん。

秋月「長10cm砲ちゃん!? 急にどうしたの? あんまり暴れないでぇ! 」

その身体から強い光を放ち、秋月の視界を眩ませる。再び瞼を開けると、秋月の眼の前に黄色い歯車がふよふよと浮遊していた。

秋月「これは、司令の言っていた時の歯車……? 時間を止めることが出来るそうですが……」

長10cm砲ちゃんは首を振った。どうやらこれは時間を操ることの出来る道具ではないらしい。

秋月「黒電話に使ってみて……ですか? 使うって、どうやって……」

歯車を黒電話に近づけると、物理法則を無視してそのままめり込んでいってしまう。
長10cm砲ちゃんの時と同じように光を放った後、歯車は電話から抜け出して秋月の手元へ戻ってくる。

秋月(物から物へと入り込むんですかね……? えっ、次は秋月の手に……何がどうなってるんでしょう)

今度は秋月の手の中に溶けていくように潜り込んでいく。秋月の脳内に、光が駆け巡っていくイメージが浮かび上がる。

秋月「……司令が、長10cm砲ちゃんにこれを持たせていた理由が分かりました。
この歯車は、空間――ひいてはその空間上に存在する物体や概念を再生させるための物」

秋月「ぼやけていた十六年前の記憶を……涼金司令との記憶を、今完全に思い出しました!
奇妙な映像のことも、一緒に見た夕焼け空が赤かったことも、美味しいお寿司を奢ってもらったことも……」

秋月(司令と昨日電話や夢の中で話していた時に思い出したのは、司令に対する思慕の感情と、その感情から連想された記憶だけだったんですね。
『愛していた』という想念そのものの記憶と、その感情から描き出された風景の記憶。……月が照らす美しい海原の思い出)

再び自分の前に浮かび上がった歯車を掴んでポケットにしまい、黒電話の受話器を手に取る。

秋月「司令! 秋月です。聴こえてますか? 全部思い出したんです。全部思い出せたんです! ……」

秋月(返事がない……当たり前といえば当たり前なのですが。でも、あの歯車は黒電話にも作用していたはずなのに、司令が居る“気配”を感じない。
司令の放つ気のようなものを感じない……ここに司令はいないというのでしょうか。……)

秋月「失った記憶は蘇ったとしても、遠くに離れてしまった魂は戻らない、か。……でも、腑に落ちないですね」

秋月が疑問に思ったのは、期間の短さである。涼金凛斗に別れを告げられたのは一昨日の晩だ。
そして彼の遺体は恐らくまだ舞鶴鎮守府に残っている。彼は目的を果たせていないのである。

秋月(十六年間もその時が来るのをじっと待ち続けたというのに、望みの顛末を確認出来ないまま成仏など出来るのでしょうか。
確かに現世に留まり続けていられるタイムリミットがあり、その限界が来ているとは言ってましたが……)

秋月(思い違いかもしれませんが……この歯車には死んだ人間すらも生き返らせてしまうほどの力があるような気がする。
司令の遺体に内臓されているのが“時の歯車”だとするのならば……これはまさしく“空間の歯車”)

秋月(時間を支配できる道具に比肩するほどの、物事の道理すらも捻じ曲げてしまうほどの強いエネルギーをその身で体感しました)

秋月「司令がこれを託していたこと……きっと意味があるはず。奇跡だって起こせるはず」

・・・・

工廠内で様々な調査を繰り返した結果、秋月の直感通り、この黄色の歯車には壊れたものや失ったものを再生する力があるようだ。
物質に限らず、コンピュータ上で削除したデータや破棄した紙に書かれていた情報までも復元できることが判明した。
(動物の蘇生まで出来るかどうかは分からないが、)完全に枯れてしまった植物に力を与えたところ再び活力を取り戻していった。
実験を繰り返しているうちにいつの間にか日が沈んでいたため、秋月は秋祭りに参加すべく鎮守府から本島へ帰ることにした。
805 :【62/100】 ◆Fy7e1QFAIM [saga]:2016/12/22(木) 00:30:39.80 ID:OEF6BDPZ0
自宅に戻り、浴衣に着替えている秋月。

秋月(それにしても……とんでもないものを入手してしまった。艤装の損傷を修復材なしで完全回復できる。
消耗した燃料や弾薬をノーコストで補填できる。失われた情報媒体や消されたデータまで全て復元できる。
枯れた植物すらも蘇らせてしまう……こんなものの存在が世に知れ渡ったらとんでもないことになっちゃいますよね)

秋月(ただ、あくまで用途はその場にあったものの再生であって、一つのものを二つに増やすようなことは出来ないみたいですね。
壊れたり失われたりしていないもの相手には何の効力も発揮しない、この世のどこにあるものでも無尽蔵に直せるわけではない、と……)

秋月(にしたって危なすぎますよね……私利私欲で気安く使っていいような代物じゃない。けど……)

別室のコタツの上に置いていた、黒電話のベルの音が鳴り響く。着替え途中ではあったが、中断して躊躇うことなく秋月は受話器を手に取る。

??「……よく、……たな。これで……きと、……」

異常に音質が悪い。内容が全く聞き取れない。それでも秋月は再び声が聞けたことに興奮している。

秋月「司令! 司令? 聴こえていますか、秋月の声が。ん……?」

黒電話の本体をよく見ると、本来は電話線のケーブルを挿し込むための部分と思しき箇所から赤い毛糸が伸びている。
試しに糸を引き寄せてみると、隣の部屋のクローゼットから物音がする。ゴン、と何かがぶつかった音だ。

秋月「司令! ……十六年ぶりですね」

クローゼットの中に入っていたのは、夢で会った時と同じ、八歳の頃の姿をした涼金凛斗だった。
手に持った紙コップから赤い糸が伸びている。ニヤリと笑みを浮かべ、白い髪をかき上げる。

提督「一昨日ぶりだな。こうなったら良いと思っていたよ。こうなることを願っていた。……」

ひしと抱き締めて、その確かな体温を感じ取る秋月。されるがまま秋月を受け入れる涼金。

提督「分の悪すぎる賭けだった。仮説と希望的観測の積み重ね、期待もできないような薄い望み。
それでも……たとえ報われなかったとしても。救いがなかったとしても。私は秋月のことを諦めきれなかった」

提督「……情に絆されるのも、悪くはない。最後の最後、もう終わるかというところで……奇跡は起きた」

提督(なぜこの姿で蘇ったのかだけは分からないが……。ま、もう一度やり直してみろという天の思し召しなのかもしれないな)

・・・・

二人以外には誰もいない砂浜の上。浴衣の秋月に手を引かれて歩く涼金。
傍から見れば子供が仲睦まじくじゃれ合っているような光景。
しかし、その繋いだ手から伝わるお互いの温もりは、十六年間分の熱量を含んでいた。

秋月「ここ、すごく夜空が綺麗に見えるんです。ほら、手を伸ばせばお月様に届きそう」

防波堤に腰かけて夜空を見上げる二人。満月にはあと三日ほど足りないであろう、少し歪な形をした月が二つ。空と海原の上に浮かんでいる。

秋月「夜中に一人で砂浜を出歩く理由なんて無いから、普段は訪れないんですけど……ここから見た夜景はすごく好きなんです。
夢の世界でも時折ここの景色が出てくるんです。月が昇って、沈んで、日が昇って、沈んで、また月が出て……そんな繰り返しの夢」

秋月「でも……司令が隣に居るのは夢じゃないんだなあって。なんだか現実と夢がごっちゃになったみたいで不思議な気分です」

提督「ふ、私はもう提督じゃあないだろう。そうだな……凛斗と、名前で呼んでくれたら嬉しい。親からしかそう呼ばれたことはないから」

提督「私は昔、あの黄色い歯車で両親を蘇らせようとしたんだ。だが……この世から消失してしまった、存在していないものは再生させようがない。
秋月には私のように孤独に打ちひしがれて欲しくなかったから……あの黄色い歯車は、君がいつか愛した人を亡くした時に使って欲しいと思って託したんだ」

提督「……それがまさか、本当にこうなるとは願えども予想はしていなかった。私の本来の遺体は、今もまだ時間が止まったままのはずだ。
だからこうして私がここにいられる理由は分からない。あの黒電話に憑依していたからなのか、バグに侵されていようと一応遺体は存在しているからなのか、何なのか……」

提督「ま……理由なんて今はどうでもいいんだ。今度は背中合わせじゃない。向かい合わせでこうして隣にいる。ここに私と君がいる」

小さく笑みを浮かべて秋月の方へ振り返る涼金。秋月は彼の肩に体重を預けてもたれかかる。

秋月「凛斗さん……何度も言っていますが、改めて言わせてください。凛斗さんのことが大好きです。大好きで、大好きで……どうしようもないぐらい好きなんです。
秋月の未来を、あなたと。あなたの未来を、秋月と……そうやって二人で、この先の人生を分かち合いたいんです。ううん、もう首を横に振られたって添い遂げますから」

秋月「だから……末永くよろしくお願いします……ん」

甘えるようなうっとりとした声で誘い、鼻と鼻とがぶつかってしまいそうなぐらいに顔を近づけて、瞼を閉じる。

提督(一生添うとは男の習い、なんて諺があるが……これじゃあまるで立場が逆だ。秋月には敵わないな)

提督「君のおかげなんだ。私が人を信じられるようになったのは。未来を信じられるようになったのは。
君と出会えて良かった……私にも生きる理由が出来たんだ。ありがとう」

涼金が秋月の要望を満たしてやると、秋月は彼の背中に手を這わせて蕩けるように身を寄せる。

・・・・

その後二人は、秋祭りの縁日を楽しんだ。神社の前には屋台が立ち並んでいて活気があった。
居合わせた乙川提督と瑞鳳に、隣にいる男性との関係を尋ねられる秋月。
なんと答えていいか分からず赤面している様子から察して、彼らは二人を祝福するように微笑んで去ってしまった。
月が満ち欠けを繰り返すように、太陽が黎明と落日を続けるように、これからも涼金と秋月の未来は続いていくのだろう。
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