´ω`)ノ こんぬづわ11
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152:読書[sage]
2019/04/17(水) 19:23:33.40 ID:1/ZOSkD40
C■~ *三國連太郎 沖浦和光 対談 上「浮世の虚と実」(解放出版社 1997年)

☆もうちょい専門的な内容を期待したんだが、まぁいいでしょう。前半が三國の自伝的内容。

55 源氏物語について
三國 でも大ロマンというより、「モノノケ物語」と見る方が適切なんではありませんか…。この暴言はヒンシュクものですかねえ…。

59
三國 だけど、<実>と<虚>の境目を歩き続けねばならないのが人生の妙味であると観る人もあり、またそれを苦悩であると考える人もいるわけですから、まことに不思議なものです。

107 
沖浦 生きていくためにやむをえず十悪五逆を犯し、それで罪悪深長とされた「凡夫・悪人」にも、仏の大慈悲は及ぶーーーそこのところが親鸞の説いた<悪人正義>の根本の思想ですね。
 ブッダも最古の古典『スッタニパータ』の中で、「その人が貴いか賤しいかは、生まれによって決まっているのではなく、この世で何をなしたかによって決まる」と言ってます。
三國 ところが、日本中世の鎮護国家貴族仏教は、それと正反対のことを説いていたと思うんですね。
沖浦 そういうことです。その貴族仏教が密教系だった…。
三國 つまり、「おまえの先祖のやった悪行の報いで、おまえはこういう羽目に落ちて苦しんでいるのだ。それは仕方のない宿命である」と公家の庇護下にある貴族仏教は説きました。これがそのまま、差別の論理になってしまったんではないでしょうか。

179-180 鶴屋南北
沖浦 代表作の『東海道四谷怪談』でも、非人、乞食坊主、藤八五文(とうはちごもん)の薬売り、夜鷹、鰻かき、蜆売り、湯灌場買いなどが出てきます。ドロドロした底辺で生きている彼らは、俗世を活写する時には逸することのできない人間像として登場してきます。この世知辛い浮世を、何とか知恵をしぼりながら、必死に生き抜く人間として出てきます。
三國 南北の作品から賤民層を取り除いてしまうと、その作品はたちまち主題の精気を失いますし、時代社会のリアリティが消え失せてしまう…。
沖浦 その通りですね。近松と比較すると、世間というか人間群像についての目くばりが、やはり一味も二味も違います。


*佐藤優「学生を戦地へ送るには 田邊元『悪魔の京大講義』を読む」(新潮社 2017年)

☆'15 6月に行われた2泊3日の講座合宿の記録。

17 陸軍中野学校卒業生の話
 人を殺して、完全に跡がつかないようにするには、硫酸風呂に入れて溶かしてしまう。これがいちばん痕跡がつかないんだと。風呂のホーローびきのバスタブは結構強くて、硫酸ぐらいではやられないから痕跡が残らないそうです。

29-30
 端的に言って、戦争末期に箱根か軽井沢に籠ったやつは、絶対に信用したらダメです。なぜ?戦時国際法で、各国の公使館や大使館がある場所は空爆したらいけないことになっていました。昔は大使館と公使館を分けていまして、重要な国には大使館を、中小国には公使館を置いた。日本にあったうちソ連は大使館だけども、スイスやスウェーデンは公使館でした。
 田辺元は、1945年3月31日に京都帝国大学を退職し、すぐに軽井沢へ移って、そのまま軽井沢の山の上から戦後になっても下りてきませんでした。一回しか下りなかったと言われています。文化勲章をもらった時ですら、東京へ下りてこなかった。

31
 ただ、彼はあの戦争に多くの学生たちを送り込みました。自分の理論によって日本は大東亜戦争を正当化した、あるいは学生たちはおのれが特攻死することを正当化した、そのことに関して彼はまったく反省していなかった。それは日本全体に責任があるんだと。だから懺悔は日本全体でするべきことであって、自分に特別の責任があるという発想は、まるで持っていなかった人、ものすごく無責任人です。

33
 田辺が対象にしていたのは誰かというと、京大の学生ですね。ということは、当時の日本で選りすぐりの若きエリートたちを対象にしていた。ちなみに戦前の国立大学って、授業料がずいぶん高かったんです。単に物価の比較ではなく、皮膚感覚的に言うと、一年で今なら300万円ぐらいの感じでしょう。私立大学はもっと高かった。

48 弁証法
弁証法って英語でダイアレクティックdialectic、ダイアローグdialogueだと対話という意味ですよね。語源的には、対話が上手い、ってことなんですよ。



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