237: ◆vVnRDWXUNzh3[sage saga]
2023/04/19(水) 01:57:22.47 ID:EeDdit1v0
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〈ワシが西住サンと初めて直接会ったのは戦後の、1958年のことでしてね。
丁度あの時まだルーキーだった長嶋の坊やと彼女の座談会ってのが持ち上がりまして。ええ、彼女が東京読売戦車道婦人倶楽部の初代監督に選ばれたもんですからね、その関係だったんですけれども。
私が今生きていて読売ジャイアンツでコーチとして哲サンや正力サンと一緒にまた野球をやらせてもらってるのは間接的には彼女のおかげだからってんで、ワシが東南アジアに居た時は会う機会がなかったんですけども、もう居ても立っても居られないからね。シゲの兄さん(※)に頼み込んで、坊やに同行させてもらったんですよ〉
※当時巨人監督の水原茂氏のこと
〈会場についたら、まだ対談予定時間から15分前だってのに、西住サンがちょこーんと座ってらっしゃいまして。ええ、存外小柄だったのを覚えてますよ。ワシより20か25は低かったんじゃないかな。このヒトが中国軍や米軍を戦車を駆って沢山やっつけていたのかと思うと、大層不思議な気持ちになったもんです〉
〈ただね、ワシは戦争で一回肩を壊して、野球ができなくなって、そんで2度目の徴兵に取られて。そんな中で、彼女や西サンや細見サンが中華とかインドシナとかマレーとか硫黄島で頑張ってくれてたから、ワシらの船は沈められずに済んで。そんでその後の陸戦でも生き残ることが出来てって思うと、もう感無量でしてね〉
〈そんで何も言えずにワシが立ち尽くしちまってると、彼女が言うんですよ。沢村サン、日米野球母と見てましたよって、ニッコリ笑って。アメリカの選手バッタバッタと三振に取る姿を見て、こんなにも凄い人がいるのかと胸のすくような思いだったって〉
〈お恥ずかしい話ですけどね、涙がポロポロ溢れるんですよ。嗚呼、貴女のおかげでワシは生きてるのに、貴女はワシに礼なんか言ってくれるのかと。
いえこちらこそって、なんとか声を絞り出してね……坊やが主役でもあったから話せたのはそれぐらいなんだけれど、いやぁ………何か、不思議な魅力を、カリスマと言うんですかね、持っているヒトでした。それこそ、坊やに通ずるものがあったかな〉
────1987年・NHCの戦後40周年記念番組にて、沢村栄治のインタビュー音声より一部抜粋
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