203:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:29:13.57 ID:tRJaplXx0
「しかし、そこは悪役でした。結局は悪徳が、過去への拘りが、彼を滅ぼすのですね。彼にはこの仕事を、復讐でなくすることは出来なかった。
塩、です。ギリシャなどでもそうでしたが、ここでは塩は歓待や友情の象徴であり、共食したものとは争えないのだそうで。《仇と一緒に塩は食べない》のです。
頭領は、アリババが敵である事を忘れられなかった。単に始末すべき、害虫のようなこそ泥とは思えなかった。仲間を失ってボロボロになっても、名誉ある剣士として戦わずにはいられなかった。だから彼の家に招待を受けた時も、料理から塩を抜いてくれるように頼んでしまったのです。
204:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:29:45.79 ID:tRJaplXx0
「アリババは、自分に出来る充分な感謝として、モルジアナを義理の娘、息子の嫁として迎え、厳粛かつ盛大な宴で祝います。それから暫くは近寄りませんでしたが、二人生き残っていると思われた盗賊たちに動きが見られないので、魔法の洞窟に向かってみます。洞窟に誰も立ち寄っていないのを確かめると、いよいよ財宝は全てアリババのものとなったのが分かりました。
そして彼は息子に洞窟の存在と魔法の呪文を授け、一族は末永く栄えたのです。
これが、未来志向のアリババと過去志向の盗賊たちの対比、美徳と悪徳、隆盛と滅亡の物語です」
205:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:30:13.18 ID:tRJaplXx0
「さて。なんだか、余計な屁理屈をこねたかも。要はモルジアナの話が出来れば十分だったのですが。
幸せなのか、と思うのです。というのも最後、結婚の祝宴ですが、私が参加する演劇ではこの四行のシーンを膨らませ、《私は幸せでございます》と言う事になっている。こんなことを言わせて、いえ、言ってしまっていいものなのか。
確かに、敵は倒しました。今の主人には奴隷の身分を解放され、正式に家族として迎え入れてもらった。しかもその家は多くの財宝を所有する、末永く栄えていく名家です。この上ない名誉であったでしょう。
206:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:30:58.13 ID:tRJaplXx0
「モルジアナがめざましい働きを見せ、実質的に物語を牽引しながらも主人公たり得なかったのは、何故でしょう? 彼女が奴隷だからでしょうか? イスラムの文化では、同じイスラム教徒は奴隷に出来ないようですが、すなわちモルジアナは敬虔な神のしもべでないのだから、題に引くのは相応しくないと?
この命題は、ガラン版ひとつにおいても『ヌールッディーン・アリーとペルシアの美姫の話』という反例から偽であると分かります。イスラムの文化において、少なくともその教義において、奴隷は蔑まれる存在ではありませんし、物語の主役であればその名は打ち出されるものなのです。
やはり、これは美徳の問題ではないかと。『アリババと、女奴隷に殺された四十人の盗賊』は、最も優れた美徳を持つ者と、対置して悪徳を持つ者を題にとっているのです。モルジアナは誰から見ても素晴らしい才女でしたが、この物語においては、美徳という点でアリババに譲るのです。
207:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:31:35.51 ID:tRJaplXx0
「アリババは、魔法の洞窟からカシムのバラバラにされた遺体を持ち帰ると、彼の死因を隠蔽する必要がある事をモルジアナに告げます。もちろん、事実が噂になれば、すぐ盗賊に自分の存在を突き止められてしまいますからね。
モルジアナは知恵を絞り、数日をかけて主人が病に伏せっているという噂を流すと、次いで朝早く、一番に店を開ける靴屋へ向かいます。年老いた店主に金貨を握らせ、目隠しを施し、何処に行くのか分からないよう連れ出すと、カシムの亡骸を縫わせるのです。そうして形を整えて誤魔化し、病気で亡くなった事にして、イスラム教のやり方でその遺骸を清めると、葬儀を行いました。計画は思ったように立ち行き、もう足も付かなくなったものと思われました。
そこからの騒動は、まさに神懸かり的な悪運か、落とし穴だといってもいい」
208:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:32:08.64 ID:tRJaplXx0
「念には念を入れていたのです。朝一番、誰にも見られぬように連れ出し、目隠しをし、口止めをした。家に送り返した時には、後を付けられないよう暫く見張った。年老いた靴屋からアリババの家が割れる心配のないように。
ところがこのお調子者のババ・ムスタファは、変装した盗賊が街へやって来ると、死体を縫った仕事について喋ってしまいます。それをやった家までは目隠しをしていたので教えられないと断るも、もう一度目隠しをすることで、なんと、歩いた道を再現してしまうのです。しかも三回同じことを、全て正確に。もはや必然的に、ムスタファ老によって、盗賊たちはアリババを襲う足掛かりを得た。
もちろんモルジアナにとっても、誰にとっても予想出来ない事でしょう。一方はゴマ≠フ一言をすっかり忘れてしまう物語で、他方は目隠しをされて一度、せいぜい一往復歩いただけの道を、完全に記憶してしまうなどというのは。
209:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:32:52.92 ID:tRJaplXx0
「先程、カシムが悪徳によって魔法の言葉を奪われた、としました。ヴァルシー写本のアリババが信仰で言葉を取り戻した事に照らして、これは美徳によって見えざるものの肯定を、悪徳によって否定を受ける物語なのだ、と。ムスタファ老にも同じことが行われたのではないでしょうか。
ムスタファ老は少なくとも、並外れた記憶力の持ち主として物語に登場したわけではありません。ですから、元々それを持っていたわけではなく、悪徳を持った者へ下る裁きの為に、経路≠ノついてのみ盤石の記憶を与えられた、と考えることも可能です。それが彼の奇跡のような記憶力の正体だったと。
カシムが嫉妬の為に、盗賊たちが誇りの為に、総じて傷付けられた名誉への固執という悪徳の為に滅んだように、この筋書きにおいて、悪因が悪果をもたらすならば、悪果は悪因がもたらすものと前提するならば、そしてこの物語の悪因≠ニは悪徳を抱くこと≠セとするならば、ムスタファ老が盗賊を導くという悪果は、アリババやモルジアナの側で、誰かが悪徳を抱いたという悪因が導いたものだといえるでしょう。そしてアリババは一貫して美徳の象徴であり、彼が考えを変えるような場面はこの物語にはありません。
210:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:33:20.41 ID:tRJaplXx0
「それと明示する描写はないところからの、こういう仮説形成になりましたが、モルジアナは復讐心を抱いたのですよ。だから本来、滅ぶ側の存在だったのです。
ですが、最後には打ち勝った。
モルジアナはどこかで美徳、未来志向を手に入れたのだといえる筈です。悪徳を、過去の名誉を、復讐を振り切って、未来の為に戦ったのだと。その為に見えざるものの恵みを、筋書きの肯定を享受したのだと。なにぶん結局、彼女は滅ばずに済んだ。魔法の言葉を奪われることも、盗賊たちの策謀を破れず倒されるということもなかったのですから。
211:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:33:48.76 ID:tRJaplXx0
「前に、邦画を見ました。アイドルの仕事の幅を見ようという事で、男性アイドルではありましたが、その主演の映画。で、国会議員の葬儀を行うシーンがありました。けっこう豪華な式場で、参列者も大勢なのですが、中には大袈裟に、一定の節や旋律のようなものを付けながら、嘆き悲しんで葬儀を、…… まあ、盛り上げる、ような。そういう役割をこなす人々が居たのです。記憶に残りました、偉い人だと葬儀はああいうものになるのか、と。泣き女、というやつですね。
『アリババ』にも、これが登場します。カシムの葬儀です。モルジアナもカシムの妻も、悲痛な声を上げ、髪をかきむしる。それから、別の女たちも駆けつけ、遺族と共に泣き叫び、悲しみの声であたりを満たす。そういう《しきたりなのです》。平凡社のものでは、同じシーンに注釈が付けられています。駆けつけたという女性たちについて、彼女らが《ナーイハート、泣き女》である、と。《ナーイハ》が泣き女を意味し、《ナーイハート》は複数形になります。
ですが、この泣き女≠ノは謎がある」
212:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:34:42.22 ID:tRJaplXx0
「イスラム教では、不幸に際し、その故人の為に泣き叫んで悲しむことを戒めています。
人は神の定めた運命による死を迎えると、墓穴の中で終末の審判を待つ。死は来世への通過点なのです。そしてこの定命∞来世≠ニいうのが、ムスリムの信ずべき六つの条項、六信≠フ要素なのですね。
死は神に与えられるものであり、また、完全なる終わりではない。だから、感情のままに涙を流すことをまでは戒められませんが、泣き叫び、髪を掻き毟ったりするやり方で強く悲しみを表現することは、神の定命=A来世≠ヨの不信仰だ、という事になるのです。
213:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:35:08.75 ID:tRJaplXx0
「しかし、イスラムの教えに反する内容だからといって、このシーンがガランの誤解や完全な創作によって生まれたものだとはいえません。
十世紀のムスリム、アル・ハマザーニーによるマカーマート≠ナはイラク、十一世紀のアル・ハリーリーのものではペルシャ、十九世紀の紀行文、ジェラール・ド・ネルヴァルの『東方紀行』によればエジプトと、イスラム圏各地の風俗を窺える記述に、泣き女を雇って悲しみを表す人々が登場するのです。立場や地域差もあるのでしょうが、実際、ムスリムの人々も不幸には泣き叫ぶものなのです。
この背反には、きっと意味がある。
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