197:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:26:02.04 ID:tRJaplXx0
「これも神の救いでしょう、たまたま油が切れたので、後で代金を払えばいいやという大らかさは主人譲りか、同じ奴隷アブダッラーの助言を受け、モルジアナは中庭へ拝借しに向かいます。
そこで、頭領がやって来たと勘違いし、袋の盗賊がモルジアナに声を掛けました。彼女は驚きますが、咄嗟の機転で頭領を装い、盗賊を待機させておきます。
彼らが顔を出せなかったのは作戦の瑕疵でしたね。袋は中身がバレないよう、息の出来る程度に締めておき、頭領から小石を投げつけるという合図があれば、ナイフで内から切り裂き、飛び出す計画だったのです。一度出るとなれば隠れ蓑を台無しにするしかない以上、いざ襲撃という折までは外の様子を確認することも出来なかった。だからモルジアナに騙され、三十七人の盗賊が身動きの取れないままで主人を狙っているという情報を、一方的に与えることになった。
198:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:26:34.39 ID:tRJaplXx0
「しかし、モルジアナは骨を折ったでしょう。大勢の盗賊たちを、袋に小石が当たる以上の異変に気付かせないまま始末しなければならなかったんですから。長刀で首を、というならともかく、熱した油を注ぐというやり方では、いくらか悲鳴を上げられてしまいそうですが。
トリックのオンパレードともいわれるロジカルな筋書きにおいて、しかしガランはこの油攻撃のあたりを詳述していません。聞かされなかったのか、考えつかなかったのか、あるいは彼がいう所の《礼儀に反する》内容だったので記載を避けたのか。
……ひとつ考えてみたのですが、モルジアナは再び頭領を真似たのではないでしょうか。《見つかりそうだ、一度隠すぞ》とでも囁いて、盗賊の入った袋を力一杯に締めてしまうのです。《誤魔化しの為だ》と言い添えて、ラバの糞を滑り込ませるなどしてやれば、なお結構です。中の者が酸素の欠乏に、また臭いに我慢ならなくなるのを見計らって、《もういいぞ》と袋を開けてやれば……
199:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:27:03.54 ID:tRJaplXx0
「襲いに来たつもりが、手痛い反撃を受け、盗賊団は壊滅しました。しかし、被害が甚大すぎましたね。やり方の効率が悪かったのです。ややこしい侵入法を選んで、三十八人全員で乗り込んだりするから、かえって足元を掬われた。
アリババ邸は分かったのだから、正面から襲いかかり疾く住民を皆殺し、あわよくばその前にちょっと拷問しておいて、盗まれた宝を探し出してしまったら、憲兵がやってくる前に魔法の洞窟へずらかればよかった。実際、二人の案内役が失敗を犯すまでは、彼らは殆どそういう風にするつもりだった筈です。それまでの二回は油商人を装うような綿密な計画など練らず、まず街へ向かうのですからね。
事情が変わったのはきっと、二人の失敗があったから。ただの強盗では済まされなくなったから。アリババの前に三十八人で姿を見せる必要が生まれたから。何となれば、盗賊団としてやっていく為に。結束の為に。名誉の為に。
200:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:27:35.31 ID:tRJaplXx0
「三十七の五右衛門風呂にペルシアの盗賊たちを処してしまうと、モルジアナは息を潜め、頭領の様子を伺います。温情や詰めの甘さからではありません。アリババが山で会ったらしい四十という人数から、まだ仲間が潜んでいる可能性を考慮し、差し引きの二人も誘き出し、一味を完全に一網打尽とする算段だったのです。
結果的には、そこで頭領を始末してしまってもよかったのですね。全ての仲間を失い、たった一人で生き残ったことを察した頭領は、命からがらアリババ邸を逃げ出します」
201:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:28:03.93 ID:tRJaplXx0
「モルジアナは主人に盗賊たちの亡骸を見せつけ、自分がどれだけ働いたのかを示しました。アリババは感謝し、彼女を奴隷の身分から解放します。
といっても当時の文化からして、解放されたらさようなら、とはならないのですね。解放されれば、社会身分上は自由人と同じく扱われるようになりますが、そのまま主人の元で解放奴隷として奉公を続ける場合も多かった。モルジアナもまた、台所を受け持つ料理人としてアリババの元に残ります」
202:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:28:38.99 ID:tRJaplXx0
「一方、頭領は独り生き残り、部下たちの無念を想って悲嘆にくれます。後継ぎを決めて宝を託すことにすると、アリババの命を奪うことをかたく誓い、今度は洞窟の財宝を利用して商いを始めます。そして、これはたまたまだったのですが、アリババの息子と知り合った。彼が仇敵の息子であるのを知ると計画の為、ますます懇意になるのです。やがて思惑通り、アリババの家に招待を受ける日がやって来た。
ここまでは上手くいっている。神の同情的な手配といってもいいかもしれない。さすがに酷くやられすぎましたからね。
それに彼は、洞窟でこう独白している。《二度と宝を盗まれないと安心出来たら、そのときは、後つぎを決めて宝を託そう。そうなれば、後につづく者たちが宝を守り増やしていくだろう》。……未来志向、といえるでしょう。復讐よりも、過去の名誉を回復するよりも、未来の為、後続の為に頭領としての最後の仕事を決意した。この時、彼は美徳を手にしていたのです。だから、再びアリババの家に潜入することが許された」
203:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:29:13.57 ID:tRJaplXx0
「しかし、そこは悪役でした。結局は悪徳が、過去への拘りが、彼を滅ぼすのですね。彼にはこの仕事を、復讐でなくすることは出来なかった。
塩、です。ギリシャなどでもそうでしたが、ここでは塩は歓待や友情の象徴であり、共食したものとは争えないのだそうで。《仇と一緒に塩は食べない》のです。
頭領は、アリババが敵である事を忘れられなかった。単に始末すべき、害虫のようなこそ泥とは思えなかった。仲間を失ってボロボロになっても、名誉ある剣士として戦わずにはいられなかった。だから彼の家に招待を受けた時も、料理から塩を抜いてくれるように頼んでしまったのです。
204:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:29:45.79 ID:tRJaplXx0
「アリババは、自分に出来る充分な感謝として、モルジアナを義理の娘、息子の嫁として迎え、厳粛かつ盛大な宴で祝います。それから暫くは近寄りませんでしたが、二人生き残っていると思われた盗賊たちに動きが見られないので、魔法の洞窟に向かってみます。洞窟に誰も立ち寄っていないのを確かめると、いよいよ財宝は全てアリババのものとなったのが分かりました。
そして彼は息子に洞窟の存在と魔法の呪文を授け、一族は末永く栄えたのです。
これが、未来志向のアリババと過去志向の盗賊たちの対比、美徳と悪徳、隆盛と滅亡の物語です」
205:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:30:13.18 ID:tRJaplXx0
「さて。なんだか、余計な屁理屈をこねたかも。要はモルジアナの話が出来れば十分だったのですが。
幸せなのか、と思うのです。というのも最後、結婚の祝宴ですが、私が参加する演劇ではこの四行のシーンを膨らませ、《私は幸せでございます》と言う事になっている。こんなことを言わせて、いえ、言ってしまっていいものなのか。
確かに、敵は倒しました。今の主人には奴隷の身分を解放され、正式に家族として迎え入れてもらった。しかもその家は多くの財宝を所有する、末永く栄えていく名家です。この上ない名誉であったでしょう。
206:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:30:58.13 ID:tRJaplXx0
「モルジアナがめざましい働きを見せ、実質的に物語を牽引しながらも主人公たり得なかったのは、何故でしょう? 彼女が奴隷だからでしょうか? イスラムの文化では、同じイスラム教徒は奴隷に出来ないようですが、すなわちモルジアナは敬虔な神のしもべでないのだから、題に引くのは相応しくないと?
この命題は、ガラン版ひとつにおいても『ヌールッディーン・アリーとペルシアの美姫の話』という反例から偽であると分かります。イスラムの文化において、少なくともその教義において、奴隷は蔑まれる存在ではありませんし、物語の主役であればその名は打ち出されるものなのです。
やはり、これは美徳の問題ではないかと。『アリババと、女奴隷に殺された四十人の盗賊』は、最も優れた美徳を持つ者と、対置して悪徳を持つ者を題にとっているのです。モルジアナは誰から見ても素晴らしい才女でしたが、この物語においては、美徳という点でアリババに譲るのです。
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