184:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:17:51.92 ID:tRJaplXx0
「カシムが盗賊に命を奪われるきっかけになったのは、アリババが盗賊の宝をくすねたことは勿論ですが、それをカシムの妻が嗅ぎつけたことが大きいですね。アリババが魔法の洞窟から持ち帰った大量の金貨を、アリババの妻はなんとか計量したがり、カシムの家へ枡を借りに行きます。カシムの妻は枡を貸し与えますが、枡を持たない貧乏なアリババが、一体何を量る程に手に入れたのか訝しみ、升の底に脂を塗り付けておきました。
そうして枡に残された一枚の金貨が、カシムの嫉妬を、怒りを呼び、彼自身の破滅を、そしてアリババの身に迫る大きな危険を巻き起こすことになります。《ささいなきっかけ、大きすぎる災厄》という言葉に――厳密な対応ではなくモチーフとして、ですが――照らすに、この脂に囚われた金貨≠ニいうのは、いかにも暗示的なように思われますね」
185:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:18:17.72 ID:tRJaplXx0
「さて、アリババには何の美徳もないものだと、私は考えていました。森に盗賊がやって来たと知るやロバを見捨てて木へ隠れる。盗賊が立ち去れば宝をくすねる。魔法の洞窟で合言葉を忘れた為に殺されてしまった兄カシムの、その四つ裂きの遺体を持ち帰る羽目になりながら、ついでにまた宝を盗んでいくことも忘れない。カシムの死因を隠蔽しなければ盗賊たちに見つかることを予見したまでは聡明ではありますが、肝心の方法はモルジアナ任せな上、いざ危機が迫った段では無能といってもいい程だ。しっかり顔を見た筈の盗賊の頭領を二度までも家に上げてしまうどころか、危険を察知し頭領を倒したモルジアナを、そんな事情に気付かず叱り飛ばすのですからね。《わたしたち一家にわざわいをもたらすつもりなのか》とかなんとか。よりイスラム調だという平凡社のものでは、ひどく罵りさえするのです。けっこう汚い言葉でしたよ。
よくもまあ、題に名前を出せたものだ。『烈女之名誉(れつじょのほまれ)』といいましたか、最初の邦訳につけられた題はモルジアナを取り上げていたようですが、なかなか懸命な改変だったのではないかな」
186:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:18:44.15 ID:tRJaplXx0
「ですが、そこで思い直しました。『アリババと四十人の盗賊』…… 一見して立派なものではない、努力をしているふうでも、さしたる活躍を見せさえもしない彼、アリババの名を冠するからには、この話はやはり彼の美徳を、そして対称的に盗賊たちの悪徳を語るものなのでは、と。これは『モルジアナの戦い』ではない。『魔法の宝窟』でも『開けゴマ』でもない。『アリババと、女奴隷に殺された四十人の盗賊』なのです。この題が意味するのは、アリババと盗賊、善と悪、成功と失敗、美徳による隆盛と悪徳による滅亡の、その対比…… なのでは、と。
ガランがそれらを見出し題にしたのだとも、初めて聞いた時からこうだったのだとも、言い切れませんが、――彼は『ガラン版 千一夜物語』の一巻、『告知文』でこう書いています。《この物語集から美徳や悪徳をめぐる心得をひきだそうとするひとびとは、ほかの物語からは決して得られない実りを手にすることができるでしょう》」
187:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:19:11.87 ID:tRJaplXx0
「その文に続けて始まる枠物語=Aシェヘラザードが『アリババ』を含め、千夜一夜の物語を語るきっかけになった話では、彼女の父である宰相がこう述べています。《危ういくわだての行きつく果てを見抜けない者は不幸になると言う》……
このことが、『アリババ』にも通じる教訓なのではないでしょうか」
188:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:19:52.49 ID:tRJaplXx0
「……過去に囚われない≠ニいうことだと思いました。あるいは未来へ歩むこと≠…… 未来を忘れない=Bそれがアリババの美徳なのだと。
ロバを見捨てたのも、宝をくすねたのも、そして兄の死について、悼んだり驚いたりするばかりではなかったのも、アリババの精神の未来志向ゆえだ。それこそが、この物語の提唱する美徳≠ネのではないでしょうか。だからこそ、彼は富を手にしたし、命も守られた。それぞれの行動は、それによってもたらされる直接的な利益自体よりも、この物語独特の法則、見えざるものによる肯定、恩寵を呼ぶことでアリババを助けているのです。未来を忘れなかった=A危ういくわだての行きつく果てを見抜いた≠ゥら、富を得、命を救われた」
189:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:21:20.25 ID:tRJaplXx0
「そしてその逆、過去に囚われる≠ニいうことが…… その為に見抜けない≠ニいうことが、この物語の悪徳、裁かれるべき罪であり、《大きすぎる災厄》を引き起こす《ささいなきっかけ》なのですよ。
より言うのなら、名誉≠ナす。プライド、自尊心…… 傷付けられた過去の名誉≠フ感情に拘泥し、それを回復することに囚われた者が、『アリババ』の世界では破滅するのです」
190:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:21:47.05 ID:tRJaplXx0
「アリババの兄カシムは、裕福な妻をもらったところから始め、街でも指折りの大商人として働いていました。貧乏な妻をもらったアリババとは比べものにならなかった。それが、升に残った一枚から推理したことで、アリババが大量の金貨を手にしたのだと知った時、彼は《どうしようもないほどの嫉妬にかられ》るのです。
カシムはアリババを問い詰め、魔法の洞窟のこと、その入り口を開く呪文を聞き出し、宝を持ち出しに行きます。そして最期には、魔法の呪文、《開けゴマ》のことを忘れてしまった為、洞窟に閉じ込められ、帰って来た盗賊たちに殺されてしまいます。
カシムは欲深いたちでした。しかし、その為に身を滅ぼしたのではありません。強欲には罰が下るという教訓話ならば、宝を載せすぎたあまり、牛が動かなくなったところへ盗賊がやって来る≠ニいったような最期の方が自然です。が、実際のところは、彼は洞窟を開く時には覚えていた呪文を、洞窟の中で忘れてしまった為に閉じ込められるのです。欲深いのが悪かったにしては、かえって奇妙な最期じゃないですか。そもそも、強欲なのはアリババも同じですよ。兄の亡骸を目の当たりにした直後でさえ、財宝に手を出すのですからね」
191:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:23:03.79 ID:tRJaplXx0
「ガラン版ではしっかり覚えていましたが、平凡社のヴァルシー写本の訳では、アリババも魔法の呪文を忘れてしまっています。救いを求めて神への信仰告白を唱えると、たちまち頭がすっきりして思い出すのですね。
このあたり、対照的なようではありませんか。こちらの版だと、呪文など忘れてしまうのが当然で、神への祈りによってかろうじて取り戻されるものなのです。
翻るならば原型といえるガラン版では、魔法の言葉は覚えているのが当然で、見えざるものの裁きによって忘れ去られてしまうもの、というところでしょう。
192:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:23:42.30 ID:tRJaplXx0
「盗賊たちは言うにも及ばない。奪われた宝に固執した。そして、これもまた自尊心です。盗賊たちはこの物語中、宝を集め、増やす事は考えていても、自分たちの欲の為に使う場面そのものは描かれていません。彼らにとって洞窟の金銀財宝は資産価値よりも、《先祖代々》《剣を手に勇士として》集めて来た、勇気や男気の証明、あるいは団としての絆、自負や誇りとしての意味を強く持ったのです。彼らは奪われた誇りの為にアリババを追い、踏みにじられた名誉≠取り戻す為に、彼への攻撃を試みた。
だけれど、危ういくわだての行きつく果てを見抜けないものは、不幸になるのです」
193:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:24:09.06 ID:tRJaplXx0
「あらくれものの一人は尖兵として街へ出て、ムスタファ老の証言からアリババの家を突き止めます。しかし、近所に似た門を構えた家々があり見分けのつきにくい中、目的の家の門に襲撃の目印を付けて帰還した、それだけだったのがまずかった。印が消えてしまう可能性を見抜けなかったのですね。あるいは、モルジアナの知恵を。
木を隠すなら森の中ですか、周囲の家々にも同じものを書き込むという彼女の工作によって、印という差異、情報は失われました。盗賊たちは街へ潜入しますが、結局アリババの家は分からずじまいです。仲間たちに無駄足を運ばせ、無闇な危険に晒したということで、尖兵役は取り決め通り処刑を宣告され、これを潔く受け入れます。
次いで、もう一人の盗賊が同じ失敗を犯します。印の色を変えてみても、モルジアナには通用しないのでした」
194:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:24:38.16 ID:tRJaplXx0
「単なる怒り、処罰感情に任せて、ではありません。盗賊団としてやっていくために、仲間を破滅させかねない過ちを犯した者を許しておくわけにいかないのです。過ちを犯した方も、それを甘んじて受け入れないわけにいきませんでした。それは《男気》だとか《勇気》…… いわば、名誉の為に」
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