20: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/02/24(月) 19:22:13.27 ID:3k7Y9koF0
☆
「――お先に失礼します。おつかれさまでした」
夜勤明けの朝8時、ぺこりと一礼して事務室を出ると、テナントビルの薄暗い廊下は雨音のノイズに満ちていた。
わたしは鞄から折り畳み傘を取り出して出口へと向かう。
階段の窓から見えるのは灰色にぼやけた午前の空、そして横殴りに叩きつける洪水のような雨。
ビルの重たい扉を開けると、突風とともに冷たい雨が顔に降りかかってきてわたしは思わず顔をしかめた。
(地下鉄に行くまでに飛ばされないようにしなきゃ)
意を決して外へ飛び出るとズボンの裾はもうびしょ濡れで、あっという間に靴下まで水が染み込んでしまう。
わたしは傘を盾に構え、暴れ狂う風に立ち向かいながら都会の隅っこを歩いていった。
そしてようやく地下へ降りる階段に辿り着いた時だった。
「あ」
おそらく誰かが捨てていったのだろう。
ぐちゃぐちゃになったビニール傘が階段の隅に転がっていた。
通行人たちが、まるで死体を避けるように忌々しく迂回してそこを通り過ぎていた。
わたしは自分の折り畳み傘を仕舞い、捨てられた傘の元へ近づいた。
内側から爆発したようにひしゃげた骨、地下鉄の泥と埃に濁ったビニールの薄皮に人工の灯りがてらてらと反射していて、間近で見ると一層グロテスクだった。
そして、この数えきれない生活の往来の中にあって、死者に憐れみの視線を向けているのはどうやらわたし一人だけらしかった。
わたしは人目も気にせずにその傘の亡骸を拾い上げた。
すると次の瞬間、わたしはこの傘を捨てた人の気持ちを理解して、思わず皮肉な笑みを浮かべてしまった。
死んだ傘はそのまま持ち歩くにはあまりにも無造作で狂暴な形をしていた。
わたしはなんとかコンパクトにまとめようと頑張ってみたけど自分の不器用な手では綺麗に折り畳むのは難しかった。
結局わたしは傘を解体するのは諦め、そのまま地下鉄に乗って帰ることにした。
電車の中で、凶器のようなアルミの塊を持ったわたしは乗客の好奇の的だった。
ドアの窓に映ったわたしの姿は控えめに言って滑稽、でも恥ずかしいとは思わない。
それよりもわたしが考えていたのは、かつて彼女と過ごしたあの懐かしい日々の思い出。
もう何年も昔の話で、だけど昨日のことのように思い出せる。まるで長い夢を見たあとのように……
あの人は今ごろ何をしてるんだろう?
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