9: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:48:19.53 ID:f2WBlHUh0
駅に止まって扉が開く度に車内の乗客は減っていく。いつしか座っていたのはうたた寝をしている中学生と百貨店の紙袋を抱えた女性と、姿勢を崩さずに凛と座っているエミリーとそれに比べてひどい猫背で座っている自分の四人だけだった。
放送が目的の駅名を告げる。
エミリーと一緒に電車から降りる。ホームにいるのは自分たちだけで、改札も駅員もないような小さな駅。切符を箱に入れて駅を出る。エミリーが改札を通るときにハッと目を丸くした。
10: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:49:22.79 ID:f2WBlHUh0
思いだしたのか嬉しそうに微笑んだエミリーを見て少し安心した。そういえばエミリーの笑った顔をあまり見ていない。新曲を渡してからずっとこんなんだっただろうか。
こんなんじゃあ、エミリーに仕掛け人さまと呼ばれる資格はないなぁと思う。
「眼鏡撫子とか言い出したときはちょっと困ったけど」
「もう、からかわないでください……」
11: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:50:04.93 ID:f2WBlHUh0
「あのお花畑ですか?」
「そう」
「でも菜の花の開花時期はもう終わってしまっていますよ?」
「いいからいいから」
12: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:50:58.52 ID:f2WBlHUh0
◎
仕掛け人さまが指さしたその先の景色に思わず息をのむ。
一面のむらさき。風に揺られて小さく踊っている。
そこは撫子のお花畑。
13: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:51:46.62 ID:f2WBlHUh0
しゃがみ込んで目を凝らす。撫でたくなるほどかわいいから撫子。名前の由来はそれらしい。昔から日本に咲いている花。見た目からは想像できないくらいに強くてたくましい花。ずっと日本人から愛されてきた花。
この花は、私のあこがれだった。
「きれいだな」
「そう、ですね」
14: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:52:23.24 ID:f2WBlHUh0
和を意識した曲だということが聞いた瞬間にわかった。後ろでかすかに流れる水の音も、弦をはじいたような音も、一音一音全てが和だった。
歌詞の日本語は震えるくらいに美しくて、輝いていて。
聞いたときは嬉しさで飛び上がりそうだった。
これを歌ってもいいんだと仕掛け人さまが認めてくれた気がした。
15: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:53:27.73 ID:f2WBlHUh0
だけどそんなことを言うのはせっかくこの曲を持ってきてくださった仕掛け人さまにひどく失礼なことに思えて、言えなかった。
だから誤魔化して、自分に言い聞かせて。
なんとかなる。努力すればきっと。
でもそうしているうちに収録の日は迫ってきて。なのに一つも前に進まなくて、こわさは一つもなくならなくて、むしろ重なっていくばかり。
16: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:54:40.72 ID:f2WBlHUh0
大和撫子になりきれない。新曲は大和撫子だけが歌えるようなものなのに。今の私がこんな風ではこの曲を壊してしまう。
こわい、こわい。どうしようもなくこわい。
そして泣いてしまった。
視界がじんわり滲んで、撫子の花にひとつ。雫を落とした。一度こぼれてしまうともう我慢できなくて、ふたつみっつととめどなくあふれてくる。涙が触れるたびに撫子の花は揺れ動いた。
17: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:55:46.62 ID:f2WBlHUh0
「濡れてない?」
「……あまり」
「急に降り出したなー。夕立みたいだから早く止むといいけど」
都合よく降り出した雨は流した涙を消してくれただろうか。それとも目が赤くて仕掛け人さまにはお見通しだろうか。二人横に並んで椅子に腰を下ろす。
18: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:56:27.15 ID:f2WBlHUh0
とても美しくて、綺麗で、完成されているから。未完成な自分がそれを表現できないから。
その美しさを壊すのが怖かった。
大好きな「和」を、「和」が大好きだったはずの自分が壊してしまうことが怖かった。
「そっかぁ……。壊すことが怖い、か……」
19: ◆nmcoT1iylg[saga]
2018/04/26(木) 23:57:30.46 ID:f2WBlHUh0
「だからエミリーに歌ってほしかったんだ」
「え……?」
「だって大和撫子になりたいんだろ?」
「そう、ですけど。でも……、私は」
「私は大和撫子じゃないから、歌っちゃいけないとか言わないでほしい」
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