新田美波「わたしの弟が、亜人……?」
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15: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:20:48.52 ID:5kzXp0UHO

美波の虚を衝いた二篇の詩はーーというより、詩に撃たれたことによって虚が生まれたともいうべきかーー映画のなかには引用されていない。

詩集『無垢と経験の歌』のなか、『無垢の歌』と『経験の歌』にそれぞれ収めれているその詩の題は、「失われた少年」と「一人の失われた少年」といい、前者には定冠詞が、後者には不定冠詞がついている。

『無垢と経験の歌』は、一七九四年に出版された。一七八九年に『無垢の歌』が出版されていて、その五年後に出版されたこの詩集は、『経験の歌』との合本の形をとっている。この詩集は、「人間の魂の相反するふたつの状態を示す」という副題を持ち、生まれながらの汚れのない魂の状態としての「無垢」と、その「無垢」を阻害する場としての「経験」ーー制度としての法律・戒律・慣習などが「経験」の場に存在するーーが、副題の通り、対立する概念として置かれている。

『無垢の歌』の「少年」は、夜の露が身体を濡らす冷たい暗闇のなか、父親を求めてこう訴える。


《父さん、父さん、どこに行くの。
ああ、そんなに早く歩かないで。/父さん、話して、この小さなぼくに何か話して、/そうしないと迷子になっちゃうよ》


『無垢の歌』の八番目に収録されている「失われた少年」は、次の「見つかった少年」と連作になっていて、そこでは、狐火に誑かされ沼地を泣きながら彷徨っていた少年の前に、父親の形象をした神が現れ、母親の元に連れていく。『無垢の歌』の内にある少年は、はなればなれになった家族とふたたび出会い、そしてその時点で神に対する信仰も獲得している(と、美波は解釈しているが、宗教理念や当時のイギリスの状況、さらにいえばネオ・プラトニズムなど、あきらかに背景知識が足りないうえでの解釈なので、あまり自信がない)。




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